つれづれなるマンガ感想文11月前半

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一気に下まで行きたい



【映画】・「仮面ライダー THE FIRST」 監督:長石多可男、脚本:井上敏樹(2005、日本)
【映画】・「ブラザーズ・グリム」 監督:テリー・ギリアム(2005、米)
【映画】・「ティム・バートンの『コープス・ブライド』」 監督:ティム・バートン(2005、米)
【映画】・「ステルス」 監督:ロブ・コーエン(2005、米)
・「コミック ザ・ベスト キュン!」Vol.27(2005、KKベストセラーズ)
・「テラバイト」 平井りゅうじ、戸田邦和(2005、芳文社)
・「刃(JIN)」 11月号(2005、小池書院)
・「刃(JIN)」 12月号(2005、小池書院)
【雑誌】・「ウォーB組」11月号(2005、マガジンマガジン)






【映画】・「仮面ライダー THE FIRST」 監督:長石多可男、脚本:井上敏樹(2005、日本)

公式ページ

初代仮面ライダーと2号ライダーのリメイク。
大学で雪の結晶の研究をしている本郷猛は、悪の組織ショッカーに捕らえられ改造人間にされてしまう。洗脳(?)から解けた彼は、「美しいものを守る」ために仮面ライダーとしてショッカーと戦う。

最初に、私の「ヒーローもの」の評価基準をあげておくと、ヒーローをカッコよく描くということに尽きる。作品内世界はヒーローに従属すらしていても良いのだ。ヒーローは人間ではなく、半神半人とも言うべき存在なのだから、「ご都合主義」はヒーローがヒーローゆえに起こる、その超人的能力外の「能力」であるとも言えるのだ。

その点から行くと、本作は充分に私の基準を満たしていた。やれ流行りのトンデモ理論が出てくるの、設定のところどころに無理があるの、なんでショッカーに私服のISSAが混ざってるのかだの、そんなことは小さな問題なのだ(まあさすがに結晶がどうのこうのって、ありゃないとは思うよ)。

とにかく、リニューアルされたライダーの造形が異常にカッコいい。この映画はそれに尽きるかもしれない。確かに、旧作の、おそらく素材の質感による小汚い感じや、逆にテカった感じもきらいではないのだが、本作のコスチュームの出来は、「仮面ライダー」の素のデザインがいかに完成度の高いものだったかを再認識させることになっていると思う。
「ライダー」は改造人間だが、マンガ版ではその特殊能力を持った肉体に「仮面」をかぶるという設定だった。実写化する際の課程は知らないのだが、石森章太郎の他の作品に出てくるコスチュームのデザインコンセプトから考えると、「サイボーグ009」などの「防護服」の概念に近い。
今回のライダーは、その「防護服感」が非常によく出ている。仮面はアゴの部分を着脱してかぶるマスク状のもので、コレもマンガ版のスッポリかぶるマスクを発展させたものになっている。

「バッタの特性を活かした改造人間」という設定のライダーのアクションも納得のいくものだし、バイクを使ったアクションも面白い。コレもマンガ版の話だが、おそらくこういうタイプのアクションは石森章太郎は考えていなかっただろう。そういう発展的改良が面白い。

お話も、私は井上敏樹脚本に「ヒーローのヒーロー性」をまったく期待していなかったので、そのわりにはまあまあよくやったという感じだ。不満はあるにはあるが、「ライダー」の場合、逆にところどころのツジツマをそこそこ細密にしたところで、そう何かが変わるわけではないと思う。
平成ライダーになじみのある人、あるいは旧ライダーシリーズの原理主義者的な人とも意見が分かれてしまうかもしれないが、「仮面ライダー」は、設定上は石森章太郎や実写版の担当者によって、当時の時代性が取り入れられてはいるが、基本路線は「月光仮面」や「怪人二十面相」などとそう変わらないと思う。作品内容の解釈の幅が狭い(それは悪いことではないと思うが)という点においては、ウルトラシリーズともまた違うものだ。

だから、おそらく脚本に不満がある人の不満を多少なおしたとしても、全体のテイストというのはそう変わらないのではないかと思う。

もし、なおす点があるとすれば、本郷猛の人間性/超人性というメリハリの部分だ。それは「ヒーローのヒーローものたるゆえん」に関わってくるから。だが、書いているのが井上敏樹ならこれはもう本作が限界だろうと思う。もともとヒーローに思い入れのなさそうな人だから。逆にうまくまるめたなあ、という印象はある(「手クセで書いた」っぽい印象もあるが)。

何というか、全般的に書かれるネットレビューの傾向として、本作とか庵野の「キューティーハニー」とか実写版「鉄人28号」とか「ULTRAMAN THE MOVIE」とかをけなしすぎるところがあると思う。要は手堅いものには非常に手厳しい。もうひとつは「ヒーローとは?」という視点からヒーローものを観ていない。 いやまあ「ヒーロー性」ということを考えてない、あまり興味がないオタクがいるってことは実はつい最近知ったんだけどね。
特撮モノには「ゴジラ」とか、あと怪奇映画とかのアンチヒーロー的なものもいっぱいあるから、そっちに傾倒している人には私がこだわっている点とどうでもいいと思っている点とは違った観点があるのはわかるんですけどね。

なお、今回「世界の平和を守る」というのではなく「目の前の愛する人を守る」ということで本郷猛は行動するわけだけど、コレは戦後ヒーローのある種の定型ではある。それは太平洋戦争時の軍国主義、全体主義からの解放、および反発に端を発している。
テレビアニメ版の「ハーロック」で、ハーロックが「地球人類を守る」という大義名分をとらず「マユ」という一人の女の子を守る、ということだけに執拗にこだわったのもそこから来ている。

ただし井上敏樹の場合、ハーロックには付与されていたヒーロー性をも主人公から剥奪してしまう傾向がある。たとえば町中で戦っても民間人に被害者がだれも出ないとか、そういうのは「お約束」であり、大げさな言い方をすればヒーローの神性の顕現でもある。
しかし井上敏樹はそういうスタンスを取らない。それが過去の「大義ではなく、個人のこだわりに拠って戦うヒーロー」との最大の違いで、ここまで行くとヒーローはヒーローではなくなってしまう(さらに恨み言を書けば、彼は911以降の厭戦気分の「余勢をかっている」と思える部分もある)。

そういう観点からの議論が少なすぎると思う。
(05.1113)


【映画】・「ブラザーズ・グリム」 監督:テリー・ギリアム(2005、米)

公式ページ

インチキ除霊屋として生計を立てていたグリム兄弟が、本物の魔女と対決することになる。

わたし的には、イマイチでした。「グリム兄弟が怪物退治をするハメになる」という菊地英行みたいな展開や、彼らのお目付役になったイカれた拷問屋などは歓迎すべきところなんですが、いかんせん、ひと言で言って「むかしのてづかおさむのマンガみたい」。

まあ、手塚が元にしていたものがこの映画にはいろいろ入っているからでしょうが。それはともかく、何より気になったのが、貧しい境遇からリアリストになった兄と、「魔法の豆」の存在を否定できない弟の「現実か幻想か」の対立が映画内でうまくアウフヘーベンされていないことですね。
クライマックス、魔女が「あなたには魔法の豆はないのよ。私にはある」と言うようなセリフがあるんですが、怪異に対する処し方が、合理性なのかあるいは怪異に添った論理性(魔術など)なのかが最後までどっちつかずなので、テーマがぶれてしまっている気がしました。
日本には諸星大二郎がいますのでね、その辺気になってしまうのです。
(05.1112)


【映画】・「ティム・バートンの『コープス・ブライド』」 監督:ティム・バートン(2005、米)

公式ページ

意にそわぬ結婚を両親に強いられた青年・ビクター。しかし、相手の女性ビクトリアはなかなかいい娘だったのでちょっとその気になる。
だが世の中なかなかうまくいかない。結婚式の儀式の練習がまったくうまく行かず、暗い夜の森で一人練習していたところ、自分が結婚を申し込まれたとカン違いした死者・コープス・ブライドに、ビクターは追いかけ回されることになる。
かつてある男に求婚され、騙され、殺されて死者となったコープス・ブライドの哀しみを知ったビクターは、自分も死者となって結婚すると言い出すが……。

アニメです。バートンの「エキセントリックな人物が、自分をエキセントリックとは理解しておらず、『なぜ自分は受け入れられないのか?』と悩んだ末にブチ切れて騒動を起こす」という得意のパターン。
この映画での「エキセントリックな人物」はむろんコープス・ブライド。そして、彼女の仲間である死人の国の死者たち。
自分のエゴだけで動くビクターとビクトリアの両親、傲慢な牧師など、生者はどこかまぬけでお人良しな死者たちとは対照的に描かれていて、「死者の結婚式を現世であげよう」ということで死者がみんなして教会になだれ込んでいくシーンなんかは、パターンだと思っても泣けてしまう。

みんなデートとかで見に行くとよろし。
(05.1112)


【映画】・「ステルス」 監督:ロブ・コーエン(2005、米)

公式ページ

戦闘機を駆る3人の超一流パイロット。そのチームにもう「一人」が加わることになった。
それが「EDI」、通称エディ。人工知能により無人で自由に動くステルス戦闘機であった。
落雷によって人工知能が異常進化を遂げたEDIは、暴走するが……。

大画面、大音量で観ないとまったく意味がない(逆に言えば、大画面を追っていくだけで楽しめる)映画。
すべてが想像どおりの内容で、テーマも何もないアホアホな映画とも言えるのだが、それだけに「ただひたすらにすごすぎるCG技術」や「古典的な内容をいかに現代的な舞台に落とし込むか、という脚本上の技術」の力業には考えさせられるものがある。

プロットは「人間のエゴによってつくり出された怪物=EDI」の誕生から消滅までを扱うという、伝統的なモンスターもののそれで、もしかしたら「人間の能力VS人工知能」と思わせる前半部分は巧妙なミスリードなのかもしれない。
それに、もともと「人工的につくり出されたモンスターの悲哀」といったテーマは、日本人にはそれほどなじみのないものではないかという気もするので、なるほどこういうおとしどころか、と思った。

また、冷戦時ならばやすやすと描ける「空軍内の陰謀によりつくり出された秘密兵器がパニックを起こす」という展開を、現状の(中学生でも理解できる程度の)「テロの時代」に置き換える手法もまずまず(ミリタリーオタクとかからはいろいろ言われるかもしれない感じはするけど)。

ただし、上映前に「エンドロールの後にも映像がございます」みたいな断り書きが出るんだけど、コレはあまりにもベタすぎて苦笑してしまった。

監督は「ワイルドスピード」の人なのでスピード表現は申し分ない。ヒロインのジェシカ・ビールという人の演じる「成績優秀、家柄も良い、男社会でじゅうぶんやっていける胆力もセクハラのいなし方も知っている、でもオボコい、そして筋肉美」というのもまた、日本人にはなかなか造形できないキャラクターで「ほほう」と思ったりしたのだった。
(05.1112)


・「コミック ザ・ベスト キュン!」Vol.27(2005、KKベストセラーズ)

雑誌タイトルはこれでいいのかいな。ザ・ベストマガジンスペシャル11月号増刊。
毎号の発売日が書いてないんだけど……11月30日発行になっている。

エログラビアと成年コミックの雑誌。巻頭は 秋山莉奈、後は夏目ナナとかが載っているということで雰囲気を察してください。
どうも目玉は「アニメ連動企画」の団鬼六、大熊英文「花と蛇」のよう。第三回とあるから、もしかして前2号から雑誌全体がリニューアルしたのかもしれない。
絵柄はいわゆる典型的な「アニメ絵」で、静子夫人が女子高生くらいに幼く見える……私は別にかまわないが、「花と蛇」のファンはどう思ってるのかなー。
何となく「花と蛇」のファンって、ゴジラとかガメラの映画を「こんなのゴジラ(ガメラ)じゃない!」って毎回文句言う人と文句の言い方が似てる気がする。
まあ、人気作でなおかつまともな映像化がほとんどないらしいんでしょうがないんだけど。

矢野健太郎「Race Queen Angel」も第3回。レースクイーンコスマニアの青年と、ニセレースクイーンの女の子を主人公としたエロコメらしい。女の子の、男に対する文句とかシラケた感じとかを描いて、それでも最終的には殿方の喜ぶ展開に持っていくところがすばらしいんですよ。
しかし、作者の公式ページにも新連載の情報が載ってなかったのが哀しい……。

後は美女木ジャンクション、佐藤村雨英太郎など。町野変丸はいつもの。「いつもの」としか言いようがない芸風だよな。町野変丸、強いなぁ。
(05.1105)


・「テラバイト」 平井りゅうじ、戸田邦和(2005、芳文社) [amazon]

別冊週刊漫画TIMES連載。図書館に勤める青年・尾藤貴史は、その異常なまでの記憶力から「テラバイト」(1億の1兆倍)という異名を持つ男。しかし、「どんな過去の出来事も忘れることが出来ない」ということに常に苦しみ続けていた。
ある日、大金が必要になった姉によってルーレットの世界に引き込まれる貴史。驚異的な記憶力は、ギャンブルにおいて大きな武器にはなるが決定的なものではないと知ったとき、彼は、ギャンブルによってのみ自身が解放される感覚を味わう。
貴史とギャンブルのプロとの壮絶な戦いを描く。

私は個人的に、この不景気にチマチマした借金ばなし、チマチマした水商売ばなし、チマチマした人情ばなしなどをマンガで読まされると死にたくなる。
マンガって「絵」だよ。絵なら宇宙の果てだって地の底だって描けるのに、100円、200円のことをチマチマやってるんですよ。
いや、現実には大切だよ、100円、200円のことは。だけどマンガがやることか?
……まあ時代の反映なんだからしょうがないんだろうけどね。

「カイジ」は、その辺の「チマチマした感じ」と大胆さをいいバランスで組み込んであるのでは、とそんなに熱心な読者でもない私も何となく思うのだが、本作はまずまず「カイジ」と同ジャンルと言えるギャンブルものである。
絵柄は平松伸二と富沢順を足して二で割ったような感じ。
ギャンブル上の駆け引きはかなり雑駁だが、とにかく「異常な記憶力でギャンブルに対抗する」というホラ話的な展開が気に入りましたよ。ホントにこういう作品がないと、救われないもんなー。
(05.1105)


・「刃(JIN)」 11月号(2005、小池書院)

小池一夫オンリーマガジンだったのだが、この号からリニューアル。といっても、メインはやっぱり小池一夫だけど。
表紙は横尾忠則。
新連載は若き日の丹下左膳の、隻眼、隻腕になった理由を描く小池一夫、政岡としや「キャットディフェンス」
「徳川家康」は、今川義元が殺されたところでブッツリと終わり。いつの間にか「織田信長」も終わってた。面白かった「牙走り」も最終回。これはホントの最終回らしいが、小池一夫の原作って基本的に最終回がどうでもいいものが多いなあ。

4コママンガとして山科けいすけ「バクマチスト」、とがしやすたか「素浪人花山金三郎」、いしいひさいいち「忍者無芸帖」。どれが新作でどれが旧作かはさっぱりわからん。連載なのかどうかもわからん。

もりもと崇が読みきり「新吉原江戸町 越中屋始末」。ひどい主人に、遊女たちが一発食らわしてやる話。なんか、毎号読みきりを載せるらしい。
もうひとつ、読みきりが杉浦日向子「風流江戸雀」
(05.1104)


・「刃(JIN)」 12月号(2005、小池書院)

リニューアル第2号。毎号21日発売なので、まだ売ってるかも。
新連載が黒鉄ヒロシ、原案・寺内桃代「伝説・日本チャンバラ狂」。第一回は、「木枯らし紋次郎」をつくった男たち、みたいな感じの話。たぶんなんかそういう裏話みたいなシリーズになるのであろう。これ、今は継承する人のまったくいなくなった「大人まんが」の味が充分に発揮され、なおかつうんちくものになっていてとてもいいと思う。
もうひとつの新連載が、小池一夫、やまさき拓味「鈴虫小吉 御庭日記」(あいかわらず新作かどうかは不明だが、たぶん新作ではないだろう)。直参だが無役の侍・小吉は、密かに亡き兄の妻であった女性を好きになったため役職につきたがらない、という話。

読み切りは池上遼一「流れ星 左近」。これも新作なのかいつ描かれたのかなどは、まったくわからない。
なんでも、「修羅雪姫」を池上遼一が描くという企画があるとか何とか。

もりもと崇が読みきり「骸芸人 宇佐美久齋」。「本当に死んでいるフリ」ができるという「骸芸人」のジジイところに、若い女が弟子入りを志願する。
いつも思うがつくづく「呉智英が好きそうなマンガだなあ」ということ。マンガ家ではない呉智英自身がそういうパターンを築き上げている気がしてそっちの方もすごいなあと思ったりする。

もうひとつ、読みきりが杉浦日向子「風流江戸雀」
(05.1104)


【雑誌】・「ウォーB組」11月号(2005、マガジンマガジン)

公式ページ

巻頭は相澤仁美[amazon]。あと、あいだゆあとか。

発売から時間が経ってしまい、もう売ってないか、入手しにくいと思うので今月9日に出る次号を買った方がいいかもです。

野田ゆうじ「ぼくとすずなのいた夏」は、第40話「すずな還る」。
いかにもな「中二マンガ」とでもいうべきラブコメ的展開で、同級生の美里とベッドインする寸前まで行ったケンイチ。
しかし、そこに「全裸で首輪に尻尾」という姿のすずなが帰ってくる。
美里、ドン引き。

いや〜ホントにこのマンガって先が読めないよなあ(それと、話の進みが異常に遅い)。 単行本の続きも出ないし……。どうするんだ?

他にはマンガとしては児島未生、杉友カヅヒロ、ぐれいす。

次号は11月9日発売。

先月号の感想

(05.1103)

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