つれづれなるマンガ感想文2月前半

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一気に下まで行きたい



【雑記その4】・「パンダが街にやってきた!」
【雑記その3】・「マンガは面白くなくなったかどうか」、あるいは雑誌購読
【雑記その2】・ブログを実験的に立ち上げた理由
【雑記】・ブログはじめました
【映画】・「スキージャンプ・ペア」 総監督:真島理一郎、監督:小林正紀(2006、日本)
【映画】・「THE有頂天ホテル」 監督・脚本:三谷幸喜(2006、日本)






【雑記その4】・「パンダが街にやってきた!」

(歌)「パンダが街にやってきた!」
パンダー!
パンダー!
パンダが街に やってきた!

「パンダの色はー?」
「白ー!」
「不正解。死ね!」
「パンダの色はー?」
「黒ー!」
「やっぱり不正解。死ね!」
「パンダの色はー?」
「白と黒ー!」
「やっぱり違う。死ね!」

そこに若者がやってきて言った。
「答えは『人間』だ!
朝は四本足とは、ハイハイするさまを、
昼は二本足とは、立って歩くさまを、
夜は三本足とは、老人になって杖をついて歩くさまを表しているんだ!」

そうすると、パンダは川村ゆきえに変身して言った。
「よくぞ問題を解いた。おまえには、この『ちくわにキュウリの入ったやつ一年分』を差し上げよう」

「うれしいですパンダー!」
「そうですかパンダー!」
「はいパンダー!」

「人生は、長い、ゴムのようだ」
いきなりゴムひもを出してくる川村ゆきえ。
会場から笑い声と拍手。
最初の段階で、若者がゴムひもを加えようとして川村ゆきえが手を離し、パチンとなるところで画面がぼやけていって、フェードアウト。
(06.0226)


【雑記その3】・「マンガは面白くなくなったかどうか」、あるいは雑誌購読

目録、書評集のようなまとまったコンテンツを残すために存在し続けるこの「ふぬけ共和国・マンガ」。blogができてから2週間くらい経って、こちらの更新はおそろしく少なくなった。

正直、サイトっていうのは更新しすぎるとアホか、こいつヒマなのか、と思われるし、まったくしないと「なんだ、やめちまったのか根性なし」と言われる無限地獄である。
だから、何と言われようとなんの痛痒も感じないのである。

さて、「このマンガを読め!2006」(2006、フリースタイル)というムックをパラパラとめくっていたら、「『マンガが面白くなくなった』とはどういう意味か」というコラムに出くわしたので、個人的に思うところを書いてみようと思う。

まず少し驚いたのは、このコラムを書いている呉智英夫子が、毎月30冊以上のマンガ雑誌を読んでいるという点。確か十数年前は「新連載しかチェックしていない」などと書いていたのに……。

いわゆる「すごい人」と自分を比べてもしょうがないが、私はマンガ雑誌をほとんど読まない。本当に申し訳ない。いばれたコトか、と自分でも思う。すいません。

そして「このマンガを読め!2006」は、2005年に出たマンガの中から面白いものを選んで紹介するというムックである(まだ読んでいないが「このマンガがすごい!」なども同趣旨の雑誌だろう)。

でだ。
ザックリ疑問に思うのは、「なぜ新刊を読まなければいけないのか?」ということである。

たとえば「このミス」という年間のミステリ作品からベストを選ぶムックがある。SFのもある。
ここで選ばれるものは、おそらく「何らかの新しさを持っているもの」に違いない。その後に、逆説的に「新しさはないけど、こういうものもいいんじゃないか」的なものが選ばれているのではないかと推測する。
さらに言えば、「新しい/古い」ということに関して言えば、ミステリとSFは、常に何らかの新しい動きがあるからこそ、年間レベルでベストテンが組まれるのだと思う。
(純文学でも同じことが言えるのだろうが、歴史が長く、研究されつくされているぶん、もしかしたら「進化」の速度はいちじるしくゆるくなっているかもしれない。)

そしてまた、「新しい/古い」がわかる読者を想定しているということが、ひとまず言えると思う。

ではマンガはどうかというと、
まず「読者が本当に『新しいもの』を欲しているのか?」という疑問が自分にはあったりする。
ミステリ、SF、純文学というジャンルは、マニアの層が厚いしうるさそうな人(失礼)がたくさんいそうだから、「新しい/古い」ということが問題とされているのはたぶん自明なのだろう。

しかしマンガはどうか?というと、どうもそうは思えない。
新しいものばかりを追い求めている読者ばかりではあるまい、と思う。

しかも、ジャンル自体の進化がいちじるしいときには、わりと「面白さ」と「新しさ」は合致するケースが多い。
だがマンガはどうかというと、進化の勢いに関しては明らかに失速しているのではないかと思う。
まあ、具体的にどこがどうだとは言えないけど。

だったら、別に昔のマンガを読んでいてもいいんじゃないの?
と、私はつい思ってしまうわけです。

というか、私にとって「おれは今、何か新しいものを読んでいる!」というワクワク感のあるマンガが、極端に少ないということが、雑誌を読み続けようと思っていつもいつも挫折してしまう理由のひとつでもあるんですけどね。

それと、もうひとつ。
やっぱり同時代を愛していないと、時代を反映する作品は面白くないんじゃないかと。

それで思い出したんですが、私は昔っから同時代で何が起こっていようが、興味のない若者でした。
(もう、こっから下は自分語りだ、って断っておきますが)

マンガが、マンガファンが一致して「活気があった」と言いきれる時代がいつ頃かはわからないけど、まあ80年代いっぱいですかね。
でもそんときから、同時代的にやっているマンガってあまり好きじゃなかったです。

今は意義を認めてはいますが、(好きな人には悪いですが)あだち充とか、当時は「なんじゃこれは」と思っていたし、
四頭身くらいの美少女がメカっぽいプロテクターつけて、板野サーカス風のアングルでミサイルが飛び出して服がやぶけちゃっていや〜ん、とか言うマンガとかも「なんじゃこれは」と思ってました。

大槻ケンヂのエッセイとか読むと、80年代のアンダーグラウンドの音楽シーンを懐かしむくだりがよくあるけど、
マンガはオーヴァーグラウンドはかなりカッチリした方法論ができていて、
しかも「右肩上がり」、「金になる」というわかりもしない部外者の妙な視線があったし、
アンダーグラウンドは、「萌え」だとか簡単に言っていられないほど奇怪なセクシュアリティーが表現されていたり、
あるいは逆に70年代から漫画家残酷物語みたいな人がいたりして、
何だか居心地よくなかったですよ。

私のことを80年代大好き人間だと勘違いしている人もいるかもしれませんが、
それはもうその時代に生きていたから、青春時代を過ごしたから仕方がないのであって、
当時は考え方として、60〜70年代の方法論をずっと引きずって生きてましたね。

今の若者も7、8年のスパンならば、過去に通用したものが数年経ってまったく受け入れられなくなってしまった、ということを体験しているかもしれないけど、
70年代から80年代への移り変わりって本当にすごかったから。

私が若かったせいもあるだろうけど、脱皮するみたいに世の中が変わっちゃいましたからね。

だから時代とシンクロして生きている、という実感があって、時代から何かを掴み取りたいという意識があって、
なおかつ、そういう何かをマンガから掴み取りたい、と思っている人じゃないと、
「2005年のマンガ」を読む意味がそんなにあるのだろうか? という根本的な疑問はあるんですよね。

「今という時代」が気にくわないなら、どんなにそれを見事にすくいとった作品があっても、面白く感じられないのではないか、という問題点はあると思います。まあそれがトシを取るということなのかもしれませんし。

面白いつまらないで言ったら、過去の作品でも面白いのいっぱいありますからね。
まあ、それがコンビニのペーパーバック調単行本で、いきなり古い作品が出たりする理由でもあるんでしょうけど。

で、面白いかつまらないかでいうと、「確率的に」はつまらなくなっているかも、とは思います。
マンガマニア的に、のべたらにマンガを読むのではなく、
立ち寄ったコンビニで買ったマンガ本、あるいはラーメン屋に置いてあるマンガ雑誌、そういうものをポッと取ったときに、果たして面白いかどうか、という確率の問題として。

ミステリやSFは、基本的にコアに「マニア」がいるジャンルですが、マンガはIKKIとかを除いてマンガマニアだけをターゲットにしているわけではないでしょう。
そうすると、「サンデーしか買わない」とか「ジャンプしか読まない」という人、月に2、3冊しかマンガ雑誌を買わない人がどう思うのかという実感としては、昔に比べれば、面白く感じていないのではないかと。

でもここもむずかしくて、「月2、3冊しかマンガを買わない人」って、過去にもそんなに読んでいたわけではないから果たして比較してものを言っているのかという問題もありますけどね。

ま、そんなことを思った次第です。
(06.0221)


【雑記】・ブログを実験的に立ち上げた理由

ふぬけ共和国blog

を立ち上げてみた理由を書きます。

まず、パソコンにOS Xを入れてから妙に重くなってしまって、
しかも現状では、テキストを書くとそれをもう一度トップページにコピペしないといけないんですよ。
それがだんだんめんどうくさくなってきてしまって。

文中リンクを貼ってもらうための、拙いながらも私の方策だったんですが、おそらくトップページの記事と同じものが、過去ログの中にあるということを知っている人も少ないでしょう。

あと、過去ログの検索もできませんし。
それと、過去ログってインターネットでそれほど必要ではないんだな、と考え込んでしまったというのもありますね。
どこのブログのフォーマットもほとんどそうなんですが、過去ログをあさりにくいようにできていることが多い。
あるいは、変更が可能であってもブログをやっている人が過去ログには頓着してないんでしょうね。

たとえば画面下に向かって過去ログを見ていって、いちばん下にさらに過去のログをたどれるリンクがないと、私はおかしいと思うんですよ。しかし大半のブログは、下まで見ていくと「あれ? これより前のログは?」と探すことになる(たいていは画面左のバーにありますけど)。

しかし、過去ログってのは重要ですよ。たとえば、青少年SFファン活動小史Library of Mr.N)。
昭和三十年代末から数年間のSFファンの活動を少年SFファンと青年SFファンの違いという観点からまとめたものですが、「オタクの歴史は70年代後半の、マンガやアニメが好きな人たちから始まった」という固定観念がちょっとゆるがされるシロモノです。
もちろん、ここら辺のSFファンダムのどーたらこーたらというのはオタク第一世代やSFファンには自明かもしれないですが、案外「オタク」という観点からはぶったぎられているものなんですよね(その大きな理由のひとつとして、オタクの歴史を最初に商業出版物で語り始めた大塚英志や町山智浩がコアなSFファンではなかった、あるいはファンダムどうのこうのというタイプのファンではなかったということだと思いますが)。

で、上記リンク先はオタク史的には商業出版物をたどっても、まずたどりつけない資料です。
(ちなみに、私がオタク史をたどりたがる理由は、「面白いから」です。)

それと、これは身勝手な話ですが、もし自分の書いた過去ログが検索され、利用されたとしても、こちらとしてはわからないわけです。いやそれはアクセス解析で多少はわかりますけどね。

私はインターネットの価値のひとつは、どんなにつまらないものでもデータの蓄積だと思っていたわけですよ。
ところが、それはあくまでも「結果」的な話であって、なお都合が悪いことに私の書くテキスト自体の資料性はきわめて薄い。

となると、何と言うのか、旧来のHPのコンテンツの形式にこだわらなくてもいいのではないかと思うようになりまして。

とりあえず「ぶっとびマンガ」と各作家のおすすめコーナー、「SFおしかけ女房」はこちらで継続する予定ですけどね。
(06.0208)



【雑記】・ブログはじめました

実験的にふぬけ共和国blogを立ち上げてみました。
映画とかの感想はこっちに書くかもなあ。あと買い物リストとかどんな雑誌を買ったとか、できるだけ情報が早い方がいいものに関しては。
(06.0207)



【映画】・「スキージャンプ・ペア」 総監督:真島理一郎、監督:小林正紀(2006、日本)

公式ページ

バカ映画(映像?)のメガヒットである「スキージャンプ・ペア」[amazon]が、トリノ五輪で正式採用されるまでをドキュメンタリータッチで描いた映画。 amazonで調べたら、すでに元の「スキージャンプ・ペア」のDVDが何種類も出ているので驚いた。もしそれらを見ていたら、映像の使い回しという点で私の評価は低まっていたかもしれないが、ドラマとしては「物理学者が自説を立証するために始まった」というあまりにもバカバカしい発端からかなり心が掴まれた。
バカ映画としては、かなりレベル高し。「どうせ、にせドキュメンタリーだからこんな展開やあんな展開があるだろう」と予想していると裏切られる……ことになると思う。

前半の、「プロジェクトX」風ドキュメンタリーをていねいになぞる展開から、後半はプロットをやや飛躍させているところはテクニックだろう。
また、元の「スキージャンプ・ペア」の続編では「アナウンサーがはしゃぎすぎ」だそうなんだが、本作ではバカバカしいながらもおさえたアナウンサー&解説で、とても面白かったですよ。
やっぱりサマツなことを大仰にやることの楽しさね。それがある。
(06.0203)


【映画】・「THE有頂天ホテル」 監督・脚本:三谷幸喜(2006、日本)

公式ページ

ある一流ホテルの、大晦日のカウント・ダウンパーティーまでの人々のドタバタを描いたバタ臭い人情喜劇。

いわゆる「グランド・ホテル」[amazon]もの、などと言いますが正真正銘のグランド・ホテルものなんでしょうね(私は元ネタの映画は未見だから比較できない)。
三谷幸喜の「バタ臭い喜劇がやりたい」という欲望が横溢していると思った。そして、それを気障ったらしく思わせないような装置がホテル探偵のアリキリ・石井である。
石井のキャラはあまりにありえないので、「ああ、この映画は架空のホテルの話で、それでいいんだな」と思えてくる。

大人数のキャラクターの、個々のエピソードが収斂していくというのは脚本として非常にむずかしいと思うが、そこは三谷幸喜なのでまずまずよくできている。ただし、中盤のサプライズが小さいのと、主役である役所広司のエピソードがなんだかわかりにくいので多少中ダレはした。
しかし、やりたいことができて良かったなあ、と祝福したい気持ちには、ちょっとなる。こういう映画はヒットしてこそのものなので、もっとヒットするといいと思った。
(06.0203)
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ここがいちばん下です
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