つれづれなるマンガ感想文1月後半

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一気に下まで行きたい



【映画】・「夢のチョコレート工場」 監督:メル・スチュワート(1971、米)
【映画】・「悪魔のいけにえ2」 監督:トビー・フーパー(1986、米)
・「ゆびさきミルクティー」(1)〜(5) 宮野ともちか(2003〜2005、白泉社)
【雑誌】・「浪漫」Vol.2(2006、笠倉出版社)
【雑誌】・「週刊少年チャンピオン」 8号(2006、秋田書店)
・「殴るぞ」(3)〜(8) 吉田戦車(2003〜2006、小学館)
・「ファミレス戦士プリン」(6)(完結) ひのき一志(2005、少年画報社)
・「ツインテール」(1) ひのき一志(2003、秋田書店)
・「エド☆デカ」(1) ふくしま政美、坂本六有(2005、芳文社)
・「娘。物語」(6)(完結) 田中利花、神崎裕(2004、講談社)
・「娘。物語 ALIVE!」(2)(完結) 星野真弓、神崎裕(2004、講談社)
・「サナギさん」(1) 施川ユウキ(2005、秋田書店)
・「真田一平命がけ!!」全10巻(7巻未読) ヒロナカヤスシ、高田まさお(1986〜90、講談社)

・「駅前の歩き方」 全1巻 森田信吾(2005、講談社)
・「孤独のグルメ」 全1巻 久住昌之、谷口ジロー(1997、扶桑社)
【雑誌】・「ウォーB組」2月号(2006、マガジンマガジン)






【映画】・「夢のチョコレート工場」 監督:メル・スチュワート(1971、米) [amazon]

秘密のチョコレート工場に招待されたチャーリーほか4人の子供たちとその親が見る、不思議な光景。

バートンの「チャーリーとチョコレート工場」よりも、本作の方がいいという評判を聞いたので見てみる。
なるほど、本作があるならリメイクする必要はなかったかもなあ……。
71年でチョコレート工場内のセットをあそこまでつくれるのはすごいよ。「チャリチョコ」と比較しても、そんなに見劣りするものではない。
ウォンカの狂気性もほどよく抑えられていて、教訓話としても手堅くまとまっている。もしこちらを先に見てからバートン版を見たら、自分はバートン版に対して不満を漏らしたかもしれない。

バートン版の、本作とのもっとも大きな違いはウォンカのキャラクターを掘り下げているところにある。バートン版のウォンカの方がもっと頭がおかしく、ナイーヴで、人間的なように感じる。しかし、キャラクターを掘り下げすぎたために教訓話としては焦点がボケてしまった。これをバートンらしいと取るか、おめえの作家性なんか関係ねェよ、と取るかで評価は別れると思う。
個人的にはほんとうにただ忠実にリメイクしているだけで訴えるものがないリメイク版「猿の惑星」よりは、こっちの方がマシかなとも思うが。

ピーター・ジャクソン版の「キング・コング」もそうだが、リメイクする際に作家性ばかりが先に立って現代性という点、この時代にリメイクするという点が欠落している。アメリカでは「チャリチョコ」は観客がマイケル・ジャクソンのネバーランドになぞらえて喜んでいたというが、もしやるならウォンカの少年愛を拡大解釈するしかなかっただろうな。でもそれはやっぱりできないよね。各方面うるさそうだし。

それと「キング・コング」との比較で言えば、どちらもリメイクにあたってコングやウォンカという一種のモンスターの「内面」を描こうとした点で共通している。「ピエロを演じているオレだって苦労してんだヨ……」みたいな。
「内面」を描く、というのは今の時代、脅迫観念的に要求されるものかもしれないし、モンスターに過剰に思い入れてしまうオタク監督のサガかもしれない。このあたりがうまくハマったのが、サム・ライミの「スパイダーマン」で、多少ウザかったのが「バットマン・ビギンズ」ということになるかな。しかし「内面」を描くという意味では、その悩みや喜びが形式化され組み込まれているだけ、アメリカのスーパーヒーロー映画はリメイクやパロディに耐性があるように感じる。

閑話休題。基本的にロアルド・ダールの人を食ったプロットは(原作は未読だが)、実はあまり好きじゃないのである。ウォンカって基本的に子供にどうこう言える立場の人間じゃないしね。「いい子にしていれば報いがある」っていう教訓話とはもともとズレてんだよな。

【映画】・「チャーリーとチョコレート工場」感想

(06.0131)


【映画】・「悪魔のいけにえ2」 監督:トビー・フーパー(1986、米) [amazon]

殺人鬼のキチガイ肉屋一家が、ラジオDJの女を追いかけ回して復讐に燃えるチェーンソーを持った刑事とうち捨てられた遊園地の地下で対決する。

恐すぎる前作の、パロディのような作品。笑ってしまうシーンも多いが、それでも「田舎の陽光の下に照らし出されるキチガイ」のような恐さがきちんと出ていると思う。

アメリカ人の田舎感覚というのはよくは知らないが、南北戦争があったり生活基盤が都会と田舎でまったく違っていたり、おそらくドーナツ化現象みたいなのも起こっていて70年代、80年代の日本よりも複雑なのだろう。
そういえば「イージー・ライダー」が確か南部人のヒッピーに対する悪意をあからさまに描いていて、本作はテキサスだから西部か。

「悪魔のいけにえ」は、「なんか面白いことねーかなー」となんとなく思っている都会の若者たちが興味本位で田舎に行って、キチガイ一家に追いかけ回される過程が実によく描かれていた。まあ、本当にあった殺人事件とかを元にしているんだろうけど、日本の「田舎像」と違っている。日本では田舎=素朴、とか伝統、とか、あるいは金田一シリーズみたいに「その土地での因習が引き起こす事件」といった感じの描かれ方が多い。
しかし、「悪魔のいけにえ」の74年当時、すでにアメリカでは伝統とか因習とかとは違った都会/田舎の関係性になってるというか、たぶん日本のように東京や大阪とそれ以外、っていう感じじゃなくて自治意識とか強いんだろうね。だから田舎が田舎として独立してて、しかも広いからガイキチの人たちが逃げ込んだり長年住んでてもわからないみたいなね。その辺がすごくよく出てた。もしかしたら根底には所得格差のルサンチマンとかもあるのかもしれないけど。それは調べてないからわからないけど。

本作の舞台は「閉鎖になった遊園地」で、そういうのが日本でフィクションの舞台として設定可能になったのって、ほとんどバブル以降でしょ。アメリカの方がぜんぜん早い(まあ「休みの遊園地」を戦いの舞台にするのはパターンとしては昔からあると思うんだけどね)。
だから特殊事情とかは調べないとわからないけど、「荒廃した田舎」イメージっていうのはアメリカではよく描かれるんで、「日本はファスト風土化してる!」とか思ってる人はぜったいアメリカの事情を参考にした方がいいと思うんだよね。
あとロス・マクドナルドの描く地方都市もなんだかヒドイんだよな。あ、あとディックが何かの小説に書いた街もヒドかった。「ガソリンスタンドとマクドナルドしかない」っていう描写。

あとあんまりフロイト的にどうこうというとダサいけど、ジェイソンにしろフレディにしろ、レザーフェイスにしろホントに武器、凶器が男根の象徴だよなあと思う。むかーし、どっかの評論家が「ドラキュラ→ゾンビ」っていうモンスターの流行の流れは、ダンディズムの喪失、性差の均質化から起こっているんじゃないかと書いていたが、あながち間違いではないのではないかと思う。
「女にはモテそうだがペド」というフレディはちょっと違うとしても、ジェイソンとレザーフェイスは明確に「モテないやつ」の復讐戦でしょあれは。
まあ日米の文化的積み上げの違いはあると思うけど、日本のエンターテインメントでジェイソン型の殺人鬼って出てこなかったのは、90年代あたりまでマッチョイズムが温存されていたからだという気もする。温存されていると、怨念としても出てこない。
そんでもって、日本の人気モンスターって女の「貞子」だから。

本作の話に戻ると、フレディ、ジェイソンと比べても描き方としてもっともサディズムの嗜好が強いのは前作と同じ。「殺して終わり」じゃなくて、むしろ「殺されるかもしれない」方向に人間を追い込むことに主眼がある。しかも、キチガイ一家がサディストなのではなく、監督の目線がそうなんだよね。それでレザーフェイスが「いい人キャラ」になっている。いろんな意味で恐いなあ。
(06.0131)


・「ゆびさきミルクティー」(1)〜(5) 宮野ともちか(2003〜2005、白泉社) [amazon]

ヤングアニマル連載。池田由紀(ヨシノリ)は二つ年下で幼なじみの森居左(ヒダリ)をいとおしく思っているが、あまりにも大切に感じすぎて男女の関係になることができない。
一方で、由紀は女装することによって「ユキ」という別の自分になることもできる。男として、あるいは女のユキとしていろいろな人の元に立ち現れる由紀。しかし、すぐに見破られてしまった人もいる。それが同級生の黒川水面(みなも)。人との関係をうまく結べず友達もいない彼女は、女装した由紀=ユキと付き合うことで心がほぐれていき、ついには男として由紀を愛してしまう。
由紀、ひだり、水面の三角関係を中心にした恋愛もの。

3巻まで読んで「面白いなー」と思って感心して人に話したら「おっさんくさい」、「ネタマンガじゃないんですか?」と言われてしまう。なので出てるだけ5巻まで読んで判断しようと思って読んだ。

「おっさんくさい」と感じる場合があるというのは、ひとつには由紀のナルシスト、エゴイストぶりがそう感じさせるのだろうと思う。まあ、もともと本作の三角関係は由紀がつくったもんだしね。彼が素直にひだりとくっつけば、何のドラマも生まれないかもしれない。
しかしである。ここで「女装」が意味を持ってくるのだが、彼の女装というのは思春期の、男が男に、女が女になるまでの一時期の象徴なのである。彼は女装することによって男にも女にもなれ、「最終的には男になる」という結論を引き延ばすことができる(あるいは「できる」と思い込んでいる)。
物語で「女装」が描かれるとき、たとえば「ひばりくん」ではそれは「自由」の象徴であった。ひばりくんの裏テーマはものごとの常識にとらわれず自由に生きるということである。耕作や姉妹たちと違って、ひばりくんだけは超然としている。彼だけ思春期を通り過ぎて大人になっているからだ(明示はされていないがそうとしかとれない)。
しかも、特定のコミュニティには帰属しない自由人として存在している。ひばりくんはかわいいだけではなくて、オトナだから、それも子供が理想とするようなオトナだからみんなが憧れるんである。

あるいは「女装」は物語の中で普通にトランスジェンダーを表す場合もある。だが由紀がユキになることは、大人になる一歩手前でとどまり続けるということである。それは三角関係の宙ぶらりんな状態を継続させられるということだ。
彼が「男らしさ」に嫌悪感を抱いていることも、作中で明記されている。「男らしさ」に嫌悪しつつ、女に対する性欲を抑えきれない、その矛盾が描かれているところが面白いし、ただ「男が女になった」という作品とは違う意味合いを持っている。

そしてまた堂々巡りになるが、なぜ由紀が女装しつつ「男」になることを拒否するのかというと、それは彼のエゴイズムとナルシズムが強すぎるからである。「思春期の、今の自分」が大切すぎて、次の段階に行くことができないのだ。あるいは次の段階に行くことの覚悟がないまま、女の子たちを愛してしまう。
由紀の親友である高槻亘は、健全なスポーツ少年なので由紀の持つ屈託がまったくない。ここでまた面白いのは、亘が彼を慕う女子マネの茅(ちがや)伸子を「主体性のない子」として低く見ており、ものすごく無理めな感じの少女(実は女装した由紀=ユキ)を好きになってしまうところである。由紀は、亘が(いかにもいいなりになりそうな)伸子になびかないことを意外に思ったりする。それは彼がエゴイストだからである。

だいたい本当に面白いのは3巻くらいまでかな、と思っていたが、実際3巻以降は面白いことは面白いが引き延ばしに入っていると言っていいと思う。レズ、ロリコン、近親相姦などいろいろな性癖が出てきてさすがにネタっぽいと私も思ってしまうが、それらに共通するのはそれぞれの性癖が、由紀以外の登場人物たちそれぞれのエゴの象徴だということだ。だから、由紀の女装癖を他のキャラクターたちに援用しただけ、と言えないこともない。
このまま行けば、どのような幕引きでも由紀は傷つかずにはいられないだろう。後はエゴ同士のぶつかり合いの話であり、いちばんのエゴイストは彼だからだ。すでにテーマは描き尽くされたのでは、とも思うが、どうまとめていくのかには非常に興味がある。
(06.0120)



【雑誌】・「浪漫」Vol.2(2006、笠倉出版社)

まだ売ってると思う。成年コミック誌。
ふくしま政美、坂本六有「女犯坊」が44ページで載っているのが目玉。なぜか現代に蘇った女犯坊が大暴れ。こういうふうに描くと異議がある人がいるかもしれないが、基本的に「女犯坊」って「英雄コナン・シリーズ」みたいに整合性カンケイなしにただ主人公が暴れる、ということが主眼のマンガなのでこれからもどんどん読みたいと思う。次号も載っていたらいいな。

後は夢野ひろし、智代次、冨田茂、前田利夫、町野変丸。
次号は3月16日発売予定。
(06.0120)


【雑誌】・「週刊少年チャンピオン」 8号(2006、秋田書店)

大西祥平、中里宣「涅槃姫みどろ」第二話が掲載。広義の妖魔ハンターもの。
藤井良樹、旭凛太郎「ガキ警察」は今人気の女子フィギュアスケート選手ネタ。しばらく見ない間に絵柄が変わったなあ。
(06.0120)


・「殴るぞ」(3)〜(8) 吉田戦車(2003〜2006、小学館) [amazon]

ビッグコミックスピリッツ連載。4コママンガ。
いやー2巻の感想を書いてから3年ぶりくらいですよ。なぜか4巻が手に入らなくて、読んではいたけどずっと感想は書かないでここまで来た。
「不条理マンガ」と言われてきたけど、現在の吉田戦車はむしろ「鉄板」というイメージがすごく強い。ギャグマンガ状況はそれだけ変わってきている気がする。
それと、今さらだけど言葉遊びが多い。「大自然」に対抗して「大不自然」とか。それを絵にすることの面白さ。だからマンガの基本っちゃあ基本なんだよね。

2巻の感想

(06.0120)


・「ファミレス戦士プリン」(6)(完結) ひのき一志(2005、少年画報社) [amazon]

ヤングコミック連載。アニメオタクのダメ少年・シュウタがある日とつぜん美少女揃いのファミレスの店長となり、毎回ウェイトレスとヤりまくりながら悪の組織と戦う最終巻。

最初は苦笑混じりで読んでいた本作だが、意外にキッチリした最終回への持って行き方にちょっと感動してしまいました。最後まで読んでよかったなあ、と思わせてくれる最終回でした。
ラノベの「シスマゲドン」の1巻が同じオタク仕様の物語でも個人的にあまり合わなかったのに、この作品は徹底的に古いしベタだし、意外な展開は何も起こらないけどやはり感動してしまうんだよね。この違いは何なんだろう、って考えている。
まあ、もっとも大きいのは「マンガ」というのがいかにストーリー以外の情報を提供しているかということで、それはロボットのデザインがコレコレの作品をふまえているだとか、そういうこともあるけど何かもっと高次の情報を伝えているように思う。

本当にそうかどうかはわからないけど、たぶん私とこの作者は同じものを同じくらいの年代に見て育ってきているというのが感じ取れるというのが、自分がお話に入っていってしまう一因だとは思うんですけどね。
本作は昭和オタクの集大成的なところがある。ガイナックスの作品ってそういうところがあったけど、彼らは最先端だし、ものすごいスタイリッシュなんですよね。
本作は真逆で、言っては悪いが徹底的にダサい。しかしそのダサさに味がある。いや若い人はわからんかもしれんし、同世代でも嫌悪する人はいると思うがわかる人にはわかる味があるんですよ。

5巻の感想

(06.0119)



・「ツインテール」(1) ひのき一志(2003、秋田書店) [amazon]

ヤングチャンピオン連載。 アイドルユニット「ロリフリ」のおっかけ少年、新庄リンは、とつぜん双子の妹・ランがいることを告げられ、なおかつその子が自分の理想とも言うべき美少女で、さらには「ロリフリ」の新メンバーに選ばれ、そして育ての親が借金苦から逃亡するという怒濤の人生経験をする。
「ロリフリ」の寮で雑用係として住み込むことになった彼は、ランのわがままにより、ときどきソックリな外見を活かして女装して入れ替わることを強要されるのだが……というお話。

オタクの裏願望(まあ、面と向かってそういうことを言うヤツはあまりいないわな)である「美少女になりたい」という妄想を体現したマンガ。同じ作者の「ファミレス戦士プリン」は主人公が女の子選び放題という、どちらかというと攻め系の展開だったが、本作は女装させられてワガママな美少女たちにもてあそばれるという受け系の展開。

私個人は、女装SMとか男が受け展開になる話に1ミリも興味がないのでいまいち入り込めなかったが、作者の魅力は十全に発揮されていると言えよう。

あとがきで「飲み会で『モー娘。に入りたいなあ』と話し合ったのがこの作品ができたきっかけ」と描いてあったのにいい意味であきれかえったことであった。連載は中断してしまったようだが、残念である。
(06.0119)


・「エド☆デカ」(1) ふくしま政美、坂本六有(2005、芳文社) [amazon]

週刊漫画TIME連載。刑事・滝沢保志の婚約者・宗我真央子が一族を惨殺。赤ん坊まで殺すという凄惨な現場であった。滝沢は、宗我家が蘇我馬子の末裔であり、天皇を僭称し日本征服を狙っていることを知る。滝沢はなぜか宗我氏の末裔・王林がいる江戸時代へタイムスリップ。悪徳同心・火狩猪之介と出会う。

面白いです。まあもともとふくしま政美、好きなんだけどね。どうも掲載誌ではすでに終わっているらしいんだけど、きちんと伏線は始末されてるのかなあ?
復帰後のふくしま政美は私が知るかぎりでも2作中断させたままにしているし、そういうことさえきっちりできればじゅうぶん、現在のマンガ界でも通用する人だと思う。でも作品だけは完結させないといけないですよ。

つげ義春も江口寿史も吾妻ひでおもそうだけど、「幻のマンガ家」みたいなレッテルは自身のハードルを上げるだけで何の利点もないと思う。あ、江口寿史は近年は「ぴあ」できちんとやってますけどね。あれけっこう好きなんだ。
(06.0119)


・「娘。物語」(6)(完結) 田中利花、神崎裕(2004、講談社) [amazon]

「なかよし」連載。
2004年4月30日発行だから、出てからもう2年近く経っちゃってるんだよねー。ははは。しかしまあ、時間が経つと見えてくるものってあるんじゃないかな。

ちょっとネガティヴな話になるけど、総論的に書きますよ。
このマンガの不幸って、5期がいちばん目立たないときと重なってしまったことにある気がする。当初、5期メン一人ひとりを主役にしてやってたんだけど、正直キャラが固まってなくって同じことの繰り返しになっちゃってた。
だから過去のエピソードに戻らざるを得なくなって、リアルタイムでの面白さっていうのはちょっと望めなかった。

この巻での紺野がハロコンでがんばるエピソードはともかく、藤本が他の新人とともに六期に娘。に加入する話なんかは、オフィシャルということであまりにお行儀よく書きすぎたと思う。
5期はともかく、藤本の加入にドラマを見いだすことはいくらでもできたはずだから。
だいたい、急に加入が決まってソロだった藤本が複雑な気持ちになるなんて、「なかよし」読んでる小学生だってわかりますよ。それは正直に描いてもよかったんじゃないか?

保田卒業と藤本加入をムリヤリ結びつけたくだりにも疑問が残る。いや、正確には6巻まで読んできて「あーやっぱり」と思ってしまった。今までの「励ますセンパイ」って、ヲタレベルはおろか、普通にテレビ見てたってつながりを感じない人たちばかりだったんですよ。いくら何でももうちょっとなんとかしてほしかった。
これは事務所が悪い(まあザックリくくって講談社っぽいと言えば言えるけど)。

「安倍なつみ卒業ストーリー」が前後編でガッチリ入っている。「I WISH」の前あたりから、マネージャーに言われたひと言で追い込まれていくなっち。この辺も「何で追い込まれ、何でふっきれたか」がよくわからない。
しかし、原作者のせいばかりにもできない。矢口真里のエッセイ「おいら」でも、理解不能なダメ出しからノイローゼ寸前まで追い込まれたと書いてある。半可通を承知で書けばこの頃はたぶん和田マネなんだろう。
芸ごとって言葉では伝えられないものもあるし、不条理に耐えるというのも必要だとは思う。しかし、いくら彼女らが言葉足らずとは言え、ここまで愚痴が共通すると「ホントにマネージャーは意味があったこと言っていたのかなあ?」という疑問は残る。

実は、それは「ソニン物語」にまで通じることで、本当に和田マネってちゃんとした指導してんのかな? なんか昔ながらの体育会系的説教をかまし続けて、それと「売れる」ってことはもしかして因果関係ないんじゃないの? という一抹の疑問もある。
まあ、ソニンもいまだにときどきテレビで元気な姿を見かけるからいいっちゃいいんですけどね。

「娘。物語ALIVE!」も収録。メンバーが読者からの主にファッションに関する質問に答えるという読みきり。おっさんの私にとってはラヴクラフトの小説世界に出てくる超古代史くらいカンケイのない話であった。

5巻の感想

(06.0118)


・「娘。物語 ALIVE!」(2)(完結) 星野真弓、神崎裕(2004、講談社) [amazon]

「なかよし」連載。「ラ・メゾン・モーニング」というステキな家に、モーニング娘。のメンバー全員が住んでいるという完全に架空のストーリー。
2004年11月5日発行。

1巻で感じた「ストーリーマンガ家がムリヤリギャグマンガを描いている」ような違和感はなくなり、スルスル読めた。架空のストーリーの絵空事具合も、ちょうどいい案配だったのではないかと思う。個人的には「娘。物語」よりこっちの方が好きかな。
フットサルの話題が入っているのが、今読むと興味深いですね。

「娘。物語 辻・加護卒業ストーリー」も収録。
これを区切りにして「娘。物語」のシリーズ全体が終わった、ということは、「娘。」の区切りとしてもっと知られてもいいのではないかと思う。まあ少女マンガとしてはBerryz工房のマンガもあるらしいんだけどね。現在の娘。がどれくらい「なかよし」の読者対象の女の子たちに注目されているかはギモンだから。
それがいいか悪いかではなくて、事実として。

1巻の感想

(06.0118)


・「サナギさん」(1) 施川ユウキ(2005、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。
中学生のサナギさんと親友のフユちゃんなどが、日常の思いついたことを話し合ったりするギャグ4コママンガ。

チャンピオン本誌で読んだときにはずいぶん理屈っぽいギャグマンガだなと思ったが、まとめて読むとわりと入っていけた。
主に言葉遊びというか言葉についてのギャグが多い。「弄ぶ」という字はおくりがなが少ないとかなんかそういうの。
あとやたら悲観的な言葉とか。1ヵ月で再販してる。売れてるんだなあ。
(06.0117)


・「真田一平命がけ!!」全10巻(7巻未読) ヒロナカヤスシ、高田まさお(1986〜90、講談社) [amazon]

月刊少年マガジン連載。
一条浩司はいじめられっ子。しかし、ケンカの名人で番長グループのヘッドである真田一平と顔かたちがウリふたつであることがわかる。二人は面白がって人生を交換。浩司は真田一平として、そして一平は金持ちの浩司の資金で北海道旅行へ。
しかし、一平になりすました浩司に、少年院に入っていた一平の宿敵・三崎豪志郎から果たし状が送られてくる。
一平と互角にわたりあえるケンカの力を持った三崎に対抗するため、浩司はときどき送られてくる一平の手紙によるアドバイスで特訓をすることになるが……。

要するに「あしたのジョー」の「あしたのためにその1、その2」などの「手紙による指導」のエピソードだけで連載をやろうというような企画。「顔面でバッティングセンターのボールを受けろ!」というムチャな指令から、半紙を両脇の下に挟んでのディフェンスの特訓、空中の風船を拳で打ち落とすなどの特訓が続く。
人気があったらしく、三崎の出所が長引いて特訓がそのぶん続いたりする。

毎回シンプルに特訓が成果に結びついていく過程が人気を呼んだのだろう。
現在視点で読むと、何でもありのケンカといえど打撃中心で、なぜかピンチになるとときどき関節も使うという、当時の格闘技に対する考え方がかいま見える。

5巻以降はなぜか「男を磨くために」渡米、行く先々のトラブルに首を突っ込んでは解決していくという展開になる。これはこれでいいが、やはりいちばん面白かったのは三崎と対決する4巻までかなあ。月刊誌だったこともありお話も1話完結形式でさくさく進むしね。
あと男の生きざまがシンプルなのがいいよ。
(06.0117)


・「駅前の歩き方」 全1巻 森田信吾(2005、講談社) [amazon]

モーニング、別冊モーニング等に連載。
若手作家・花房と担当編集者・加藤が取材旅行先で、地元の人々が食べている食べ物、「常食(ジョーショク)」を探し回っては食べるB級グルメマンガ。「ローメン」、「ババヘラアイス」、「トルコライス」など、各地域で郷土料理ではないが広く食べられているものを紹介する。

紹介にはあまりに遅いタイミングだが、まあスローフードを取り上げているからいいんじゃないですかねえ。スローで。ダメ?
積ん読のまま1年近くほっぽっていたんだけど、私、グルメにもB級グルメにもあまりいい思い出ないんだよね。ほら、マンガの絵に詳しくないやつに、「一見ヘタなんだけどマンガの表現力はすごいマンガ家」のすごさを説明するのに自分の言葉が足りなくて、しかもそれで説明しようとする相手を追いつめて不愉快な思いをさせたり、逆ギレされたりってことが私にはあるんだけど、「食」に関しては逆に私がそういう立場になることが多くて。

で、一読、ものすごくよくできている。まあ私が森田信吾が好きだというひいき目があるにしても、ひとつひとつのエピソードは毎回きちんと食べ物に合ったものになっているし、作家らしい自由さで花房がわがままなこともあれば、それに引っ張り回される編集者・加藤も自分勝手にふるまって花房にあきれられたりという変化が毎回のエピソードにはある。

何より感心したのは常食3「ババヘラアイス」の回で、別居中の妻に偶然遭遇した花房が実にバツの悪そうな顔をする。彼の妻・平賀愛子は、翻訳家でいかにも「デキる女」という感じ。この段階で花房が複雑な感情を抱いている理由は謎だが、「デキる妻」にコンプレックスを抱いていることは確実。
この回のラストでは、中心となるエピソードとは別に彼は「妻もやがては年老いてばあさんになる」ことを想像して「ユカイユカイ」と意地悪く笑うのだ。

その理由は最終回の常食8「夫婦善哉」で明らかになる。まあだいたい私の想像したとおりだったが、花房の妻に対する負い目と、一方でそれをサッパリ忘れているかのような自分勝手さがチャーミングに描かれている。
実際、本作は花房の作家らしい底意地の悪さがオチャメに描かれているから救われている部分が多く、それでもフォローしきれない場合は編集者・加藤のまっすぐさが作品全体の緩衝剤になっている。そのバランスがうまい。

ややうがった見方だが、常食7「ふらい&ゼリーフライ」に出てきた着物の未亡人に花房が一目惚れするエピソードも、彼の年上の女性に対する甘えがかいま見えたりするように思えないこともない。

ネット上では「孤独のグルメ」と並び称されることが多く、実際似てはいるのだが、本作はオビに「スクリュー・ボール・グルメ・コメディ」とあるように、ややわざとらしいまでにつくり込まれた状態を楽しむもの。「不快ではない孤独感」を投げ出すように描いた「孤独のグルメ」とは方向性はまったく違う。「孤独のグルメ」の方が100倍いい、とか書いてあるブログを見てカチンと来ちゃったのでその辺ははっきりしておきたい。
(06.0116)



・「孤独のグルメ」 全1巻 久住昌之、谷口ジロー(1997、扶桑社) [amazon]

月刊PANjA連載。
輸入雑貨業を営む井の頭五郎が、出先で店屋を探し回り、そこで飯を食うさまを描いた一話完結もの。
あまりにも有名な作品だが(今は文庫になってんのね)、「駅前の歩き方」つながりで感想を書いておく。

本書はグルメものでも、B級グルメものでもないように思う。
「孤独を楽しむ」ことの延長線上に「食」がある。それが基本ライン。

だが、面白いのはここにある「孤独」は完全にノイズを排除した「孤独」ではないということ。本当の本当に孤独が楽しみたいなら、人の大勢いるところでメシを食う必要はないわけだから。
だから「メシそのものはうまいけど雰囲気はいまいち」とか「メシはそれほどでもないけどとにかく雰囲気がいい」とか、自分の体調であるとか去来する思い出であるとか、そういうものもコミで投げ出すように描いている。

個人的にいちばん面白かったのは第10話「西荻窪のおまかせ定食」。自然食のレストランに入る。「こういう店はたいてい団塊の世代の元ヒッピーがやっている」、「客を上から見ているようで苦手」、「テーブルがぺとぺとしている感じがするとだれかが言っていた」、というような心情とか記憶がわき上がってくる。しかし、わざわざ店に入るくらいだから極度の反感というわけではない。
そして、実際出されたものを食べたらうまかった、というそれだけの話。

グルメマンガにあるような、「食」が正義で、出された食べ物ですべてが逆転してしまうようなことはない。「うまかった」ことは結果ではあるが、物語の帰結ではない。
店に入ってもいいかな、という気持ちと、店に入ってからのそこはかとない反感と、食べたときの気持ちと、そういうのを平行して描いている。久住昌之はギャグとして完全に落とそうとするときも面白いが、感情がうまい具合に着地しないような状態を描くのもうまい。
だから、もっと正確に言えばハードボイルドというのとも違う。自分の前を通り過ぎていく感情をもう一人の自分が見つめているような感じをどう描くかということに絞ったマンガではないかと思う。
(06.0116)



【雑誌】・「ウォーB組」2月号(2006、マガジンマガジン)

公式ページ

巻頭グラビアは愛衣。「ぼくとすずなのいた夏」が載っていないのに買ってしまった。なんか他のグラビアとか記事とかもあまり興味なかった。悲しくて泣いた。
(06.0116)

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