つれづれなるマンガ感想文9月

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一気に下まで行きたい



【イベント】・「面白漫画倶楽部」無事終了
【アニメ映画】・「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」 監督:石黒昇、河森正治、 脚本:富田祐弘(1984)
【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(8)、(9)(完結)
【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(6)、(7)
【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(5)
【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(3)(4)
【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(1)(2)
【アニメ】・「戦え!! イクサー1」 監督・脚本:平野俊弘(1985〜87)






【イベント】・「面白漫画倶楽部」無事終了

9月16日(土)
「面白漫画倶楽部」
12:00開場12:30開演(昼間です)
・場所:新宿ロフトプラスワン
・チャージ1000円+ワンドリンク以上

■内容:世の中に存在する面白い漫画・表現の独特の漫画を、商業誌/同人誌、オタク/サブカルを問わずに紹介するイベントです。

#ある意味伝説の自主制作マンガ作家・木持隆司氏(木持アート出版)のゲスト参加が決定しました! イベントでは木持アート出版の世界について語り、また作者ご本人からお話をうかがいたいと思います。

■出演:江戸栖方(萌え萌え同人誌ナイト☆主催)、かに三匹、KRONOS、成田優介JJポリマー)、新田五郎(ふぬけ共和国)、バッドガイナベ、ヒライ&スーパーログ(エレクチオン ナウ!)(表記アイウエオ順)

【参考】
「スーパーレディ レナちゃん」(予告編)木持隆司(2001、木持アート出版)感想

「タイムパトロール ユカちゃん」(前、後編) 木持隆司(1999、2000、木持アート出版)感想

木持アート出版の素晴らしき世界見下げ果てた日々の企て

#メインゲストの木持隆司さんが、親戚の葬儀のために来れなくなるというハプニングがあったものの、イベント自体は非常に盛況だったと思います。ご来場くださったみなさま、ありがとうございました。

内容のレポは、こっちとかこっちに書きました。
(06.0918)



【アニメ映画】・「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」 監督:石黒昇、河森正治、 脚本:富田祐弘(1984)[amazon]

テレビシリーズの劇場版。実はまだ続いていた、ツタヤ半額・ひとりマクロス祭り(笑)。
(以下、ネタバレあり)

うーん……。そりゃ作画レベルはテレビと比べて段違いだけど、お話は寸詰まりの印象はぬぐえないなあ。
まあ、だいたいテレビシリーズを映画化するとこうなっちゃうんだけどね。ダイジェストにならざるを得ない。
シリアス方向に針を振りすぎたために、けっこうふつうのお話になっちゃってるし。

それと恋愛描写がかなりダメだ。これじゃあ早瀬未沙は、「オンナの弱いところ」をひたすらに出して輝を獲得したみたいじゃないですか。とにかく滅亡した地球を二人でさまようシーンがダメダメだ(あと、髪の毛のクルクルがなくなって寂しいなあ(笑)。シャミーの髪型も変わっていて寂しいなあ(笑))。
輝とミンメイの関係も、二人きりでマクロス内のなんか人が簡単に入れないところで過ごしたシーンがダイジェストになってしまったため、輝のミンメイに対する未練も、逆にミンメイの輝に対する不可解な行動(まあただ輝をからかってるだけなんだが)も生きていない。

なぜか全般的に輝の「オトコらしさ」が強調されていて、未沙の「オンナらしさ」との対比で非常にステロタイプな、古くさいラブストーリーになってしまっている。あとミンメイをひっぱたいたり、輝の方から未沙に告白したりね。
まあ尺がないからといえばそれまでだけど、他にもフォッカーがえらい野蛮なヤツとして描かれていたりとか。人前で露悪的にキスしたり、酒飲んで戦闘機に乗ったり……。なんか印象よくないですね。
恋人のクローディアにしても、テレビシリーズではムードメーカーで優秀な、働くイイ女のはずなのに「待つ女」に堕してしまっていたね。

どうもなんか、人物描写は全般的に古くさいよなあ。

83年の時点でのテレビの「マクロス」って、マクロスに亡命したワレラ、ロリー、コンダの開放感を視聴者も追体験していたようなところがあったと思う。
最初は「?」と思った、司令部みたいなところに女性しかいないというのも男女平等的な描かれ方をしていたし、あと27話以降だったと思うけどキムやシャミーの部下に男性が入ってて、みんなでいびってたり(笑)、ホームパーティー開いたマックスが自分で料理つくったりしてたし。戦時下だとか部隊が軍隊だとかいうことは別にして、83年の時点でかなり人物の描写としては先を言ってたと思うんだけどねえ。
要するに、男は先行世代が言うほど男らしくなくてもいいし、女は女らしくなくてもいい、というような主張が、テレビシリーズではほんのわずかだけどあると思う。まあ意識されていたかどうかはわからないけど。

劇場版は輝をまともなヒーローに仕立て上げようとした時点で、テレビとは別ものになってしまったんだねきっと。

第一、輝がヘタレじゃないとミンメイのかわいいわがままも生きないしなあ。

それと、ギャグとかユーモア描写をガッサリ削ってしまったのも印象が変わった理由だろうなあ。まあそれは最初からそういうコンセプトだったんだろうけどね。

1984年の夏休み、自分は自殺しようかどうしようか悩んでいてこの映画は見ませんでしたが(笑)、もし当時見ていたとしても、「ふ〜ん」で終わっていたと思うね。あんまり作画レベルがどうとかミサイルの飛び方がどうとかいうガキではなかったし。

ただ、ミンメイのアイドルとしての描写は完璧に近いんだよ(笑)。これは「主演:リン・ミンメイ」とうたわれても仕方がない感じ。
冒頭のコンサートシーンとか、すごいよくできてる。ミンメイのMCもホントのアイドルのMCみたいなんだよな。
それでクライマックスの「愛・おぼえていますか」につながるわけでしょ。これ加藤和彦作曲なんだね。やっぱりこれはイイ曲なんだよな。映画館を出たときに、ミンメイしか印象にないとしてもそれは理解できるよ。

ただ、「ミンメイのシャワーシーンでカメラのフラッシュをたくやつが続出」という伝説があるけど、そういえば実際に初めて見たけど2、3秒しかないんだよな。なんかそのとき写真撮っていた人たち、いじましくて涙が出る(笑)。
今調べたら、「くりいむレモン」の第1弾である「くりいむレモン 媚・妹・Baby」が出たのが84年8月なんだねえ。たぶん、ちょうど本作が公開されている時ですよ。
やっぱり思春期の少年が「足を洗おう」と思える年だよ、1984年というのは(逆にここからハマる人たちもいたと思うけど)。

あるいは同じ年に「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」も公開されているから、そっちの芽を信じてツッパリ通すか……だな。
(06.0909)


【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(8)、(9)(完結)

ツタヤ半額・ひとり「マクロス」祭り、終わり(笑)。
(以下、ネタバレあり)

いや〜それにしても、82〜83年なんてはっきり言って自分は私生活がアニメどころじゃなかったので、自分史の空白を埋めたような気分ですよ。
また、本作が80年代オタク史でははずすにはずせない作品であるということも再確認できたしね。

さて、ネットで感想を検索すると第27話「愛は流れる」までは良かったけど、第28話「マイ・アルバム」から最終回(第36話)「やさしさサヨナラ」までは単なる引き延ばし、引っ張りすぎ、ラブコメをダラダラやってるだけ、などの意見が多いんだけど、

それには断固、異議を唱えます!!

いや、意外に面白いんでビックリしたよ。28話から本当の最終回まで。
だってねえ、27話までで輝と未沙の関係はぜんぜん進展していないんだから、続きがあっても何らおかしくないんですよ。
SF的設定にしても、「プロトカルチャー」と人類およびゼントラーディとの本当の関係について明らかになっていないんだから、じゅうぶんに続きを描く大義名分はある。

ネット上で、全編を説明する際「輝とミンメイと未沙の三角関係を描いた」という説明が多いけど違うでしょ(劇場版はまだ観てないからわからないけど、少なくとも本編は)。
本当の意味での三角関係になるのは、27話以降のそれも終盤に入ってからで、それまでは輝ー未沙、輝ーミンメイというそれぞれ別々の関係だから(まあ未沙はミンメイを意識していたと思うけど)、本当に三人をからませるにはやはりそれなりの話数が必要なわけですよ。

ミンメイの人間的成長、という面においても、27話までだと単にラッキーなアイドル、ということで終わっちゃうからね。
まあそれはそれでいいとも思うんだけども、「自分にとって歌うということは何なのか」という自問自答にまで至るためには、36話まで描いて良かったと思いますね。

ただ惜しかったのはミンメイとカイフンとの関係。あるいは反戦派としてのカイフンの描き方だね。
本作ではミンメイを束縛しようとするカイフンと関係がこじれた、というそれだけのことで、取りようによってはミンメイの方がわがままに見えないこともない。
だけど、ミンメイが無邪気な「女の子」ではなく、自分の足で立つ歌手として成長したと描きたいのならば、もうちょっと突っ込んだ描き方ができたはず。

たとえば軍隊嫌いのカイフンが、時勢が変わってどんどん軍隊の存在を認めざるを得なくなって荒れてしまうとか。あるいはちょっとあり得ないくらいに過激な反戦派となったカイフンを見て、ミンメイがついていけなくなるとか……やりようはあったかもね。

あと評価すべきは、恋愛ドラマとしてまがりなりにも筋が通っているということなんだよ。
同時代的に、「何の取り柄もないくせになぜかモテる男」というのが定型パターンになりつつあったというのは私も知っているし、輝の性格や設定(戦闘機に乗りながらミンメイのことばかり考えているなど)が、それらと同列に論じられてもあながち的はずれではないとは思うけど、
やっぱり輝の軍人というか戦士としての成長が、未沙やミンメイに惚れられる理由にはなってますよね。しっかりと。

それと、同時代的な少年ラブコメよりは、人物描写はしっかりしてますよ。
わがままで気まぐれなミンメイに、奥手で堅物の未沙を対置して、しかも年上で上官という設定だからどちらとくっつくかは最後までわからないようにしてあるという面白さもある。
未沙がカイフンに、かつての憧れの人を重ね合わせるというのはまあご愛敬な感じではあるにしろ、いくらフィクションでも年上で上司の女性と部下の男の子が恋愛関係になることを83年当時、自然に描くにはやはりそれなりの「長さ」が必要だったと思うし、実際にそれだけの話数を使ってましたからね。

輝が「どっちを取るか」も、かなりスリリングですよ。
まあ27話までの輝ーミンメイの関係が、そのままそれ以降の輝ー未沙の関係に移行したにすぎないと言えば言える(前者はミンメイが輝の気持ちに気づかない、後者は輝が未沙の気持ちに気づかない、という関係)けれども、最後の最後までミンメイとくっつく余地も残してあるわけだから、面白いですよねやっぱり。

要するに、輝、未沙、ミンメイがちゃんと人間的に成長するドラマになってたという面で、まあ今観るとみんなどう思うかわかりませんが、私は当時の時代状況をかんがみた場合、28話以降を高く評価します。

意図的なのか偶然なのか、うまくいってああなったのかいかなくてああなったのか、さっぱり知らないけれども、当時の状況的なことを考えると、「少年向けアニメーションで恋愛描写をよくここまでやったなあ」というのはぜったいにありますよ。
要は「そこまで描く必要があったのか?」で、後の評価をネットで見ると「そこまでやる必要は無かった」ということになるのかな。
(でも、メガゾーンでも恋愛はかなり重要要素として描かれていたはず。)

「仕事、仕事でやってきた堅物で年増の女性(まあ設定年齢は実は21歳くらいらしいけど)が、若い部下の男の子を好きになって、でもどうしていいかわからなくて悩んで、同僚(クローディア)の家に相談にいって、そこで彼女から死んだ恋人のなれそめ話を聞く」なんて、それ以降の少年アニメにあったか? ということなんですよ。

まあたぶん、そういうのはぜんぜん支持されなくて、けっきょく主人公の男の子が都合がいいだけのラブコメだけが特化して商品化されていくことになるんでしょうけどね。

1話からの全体通して、いちじるしくいびつな構成のアニメになってしまったということは感じます。
しかし、28話以降も含めて、結果的にものすごい実験的(それが実験目的かどうかわからないが)なアニメになり、また受容史としてそこから抽出されたことはメカオタと萌えオタ的な部分だけだった、ということを考えても、83年の段階での本作の存在意義は、大きいねえ、と思いました。やっぱり。

何だかんだ言っても、ここには当時のスタッフの時代感覚があると思います。
(06.0908)


【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(6)、(7)

第27話の「愛は流れる」が、観た感じ本当の最終回なんだろうね。この後、ビデオは8巻、9巻と続いていてまだ観てないんだけど、27話まで観た印象では最初10話くらいまでよりも、予想よりずっとまともな終わり方でしたよ。
というのは、「別れ」をきちんと描いているからね(その後、またグダグダになるかもしれないけど)。少年向けのものって、「出会い」や「死別」は描いても、生きているうちの「別れ」を描くことって少ないと思う(エンディングの「ぼくは〜もう〜追いかけはしない〜」ってそういう意味なんでしょ? 違うのかな?)。
そういった意味も含めて、83年の段階での同時代の少年ラブコメと比べても、恋愛の描き方は丁寧だと思う(まあ今の若者が見たら手すらあまり握ったりしないのでこれが「恋愛もの」と言えるのか、って話になっちゃうかもしれないけど)。

またクライマックスの戦闘シーンでミンメイの歌が宇宙に放送される、というのも、トンデモナイ話ではあるが「ギャラクシー・クエスト」みたいなコメディのノリだったら普通だったと思う。コレを何とも説明のしようがないオタクっぽい演出というか、シリアスな設定に投げ込んでしまったために妙なことになったのだろう。

83年、という年にこういう作品が描かれたことはそれなりに理由がある。まず80年代というのは、「いろいろあるかもしれないけど、とりあえず平和っていいよね」という雰囲気が通底していた時代である。要するに、条件付きではあるが現状肯定だったのだ。
そうした雰囲気は、逆に言えば「そうした平和で幸せな状態が、戦争によって崩される」という潜在的な恐怖を内包しているということでもある(だから「メガゾーン23」はああいう話になっている)。
この当時の「戦争」イメージというのは、過去に起こった太平洋戦争のことだった。太平洋戦争に対する漠然としたイメージは、この当時どの世代においても「イヤなもの」でしかなく(よっぽどの軍オタを除いて)、「マクロス」の設定全般は非常にギャグ的なものではあるけれども、奥底には「ほとんど肉体化された厭戦気分」とでもいったものがある(そしてそれは、冷戦構造の崩壊とともに無くなっていった印象がある)。

もうひとつ思うのは、本作では少なくとも自分が観て確かめた27話までの段階では単なる属性ではなく「キャラクター」を描こうとしていたということだ。
メカ、SF的設定、巨大ロボット、アイドル、美少女といろいろ詰め込んだ印象のある作品ではあるが、ここから数年後にリリースされるさまざまなOVA群の方がよほど個々の属性としては特化させていくわけで(たとえば「イクサー1」(→感想))、まだマクロスの段階では個々の要素を有機的に結びつけようという意志が感じられるのであった。
(06.0907)


【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(5)

・第17話「ファンタズム」
撃墜され、重傷を負って入院した輝が昏睡状態の中で見た夢。
総集編的な回なのかな? しかしシーンをコラージュ的に組み合わせて、セリフは違うものを当てたりすることで新味を出していた。

・第18話「パイン・サラダ」
確かこの回で、入院している輝のところに未沙がお見舞いに来る。それにしても、今までもちょくちょく輝と未沙が会話するシーンはあったけど、このあたりで恋愛フラグが立ったと解釈していいのだろうか? なんかまだはっきりそういう感じじゃないよなあ。

そしてあの人が死んでしまうわけですが、正直唐突な感じ。いわゆる「死亡フラグ」が、タイトルにもある「パイン・サラダ」なのかなあ?
物語として死んだ理由もよくわからない。今までマクロスでは軍人・民間人ともにバンバン死んでいるが、話をもっとシリアスにしようという意志の表れなのだろうか?

・第19話「バースト・ポイント」
あの人に引き続き、あの人も死んでしまうとは意外。やはりシリアス寄りにするための演出か。
この回か次の回か忘れたが、「みんな戦っているんだから戦争に行け」と軍隊を勧めておきながら、戦争嫌いのカイフン兄さんにも何の心理的葛藤もなく接しているミンメイが、二人の身近な軍人の死を経験した輝にとってひどく遠い存在のように思える、という描写はよくできていたと思う。

・第20話「パラダイス・ロスト」
いったん地球に帰還したマクロスが、再び浮上するというターニング・ポイント的な回。
マイクローンとなって潜入し、再びゼントラーディ軍に帰ってきた三人組が面白いが、「文化」の問題を単なる冗談ではなくどこまで描いていけるか?(20年以上前に完結しているアニメに対してこんなこと書くのもバカバカしいとは思うが)
(06.0907)


【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(3)(4)

ツタヤ半額なので続きを借りる。
(3)には第11話「ファースト・コンタクト」が入っている。アニメマニアでもない私でも知っているという「作画がヒドい回」だが、ビデオになるにあたってかなり修正されているようで、他の話より目立って変だという印象はなかった。
「ヤシガニ」とか「ガンドレス」以前は、この「ファースト・コンタクト」が「非常に作画がヒドい回」としてアニメファンの共通言語になっていた、という話は、もはやロートルでないとわかりませんな。

なにげに「マクロス」で検索したら「愛・おぼえていますか」をDVDで観て、ぜんぜん良さがわからなかったという若者(っていうか何歳くらいだ? 20代後半くらいか?)のテキストをたまたま読んだけど、まあ私もマクロスが大傑作だとは言わないが、やっぱりおっさん世代が時代背景について解説しないとダメかも、とは思いました。
「時代背景なんてわからなくてもガンダムって面白いじゃん、だからそういうのが必要な作品はダメな作品」って思う人もいるかもしれないけど、必ずしもそうではないと思うんだよな〜。
だって学校で習う文学史だって、ああいう背景がわからないと文学はわからないという前提で成り立っているものでしょ。
そういうのって多かれ少なかれ、どんなジャンルでも必要だからね。

あと書き忘れたけど、第1話か第2話で、フォッカーがミンメイのケツを見ながらニヤニヤするシーンが出てきたが、ああいうおっさん的スケベ描写があるのはいいことだと思った。

3、4巻ではマクロス内につくられた街での出来事と、ゼントラーディとの戦いとが交互に描かれる。個人的には本作の基本設定(戦艦の中に街がある、宇宙人が巨人である、など)は何回見ても違和感がぬぐえないし、もともとギャグ企画だったらしいものに解説を加えても仕方がないかもしれないが、この「あまりにも浮ついた感じ」は、当時普通に受け止められた……んだろうね。
「ミス・マクロス」の回なんて、輝がミンメイの出場したミスコン番組が見たくて、バルキリーで出撃し、戦闘しながらコクピットで一生懸命テレビを見続けるという、苦笑すべきなのか何なのかわからないシーンが出てくる。
おそらくコメディとしてならベタギャグとして笑えるシチュエーションだったんだろうけど、全体的にマジメな肉付けをしたためにことごとく妙なことになってるのがマクロス、という印象だ自分としては。

そして何話か忘れたが(ググれ)、ミンメイのデビュー曲「私の彼はパイロット」初披露。
もうこの歌が当時恥ずかしくて恥ずかしくて……(笑)。マクロスを最後まで見なかったのはこの歌があったからといっても過言ではない。
しかし、劇中アイドルが歌を歌ってその歌がけっこうヒット、というのはヴァーチャル・アイドルの先駆けなのである。
今聞くと、ちゃんと親衛隊が「エル・オー・ブイ・イー・ラブリー・ミンメイ!」と言ってたりする。

オタク文化的には、80年代に直接的にアニメファンとアイドルファンを結びつけたのはミンメイしかないと思っている。
もちろんアニメを見ながらアイドルのコンサートに行っていた人間も大勢いただろうが、交錯しそうでしないのがアイドルオタクとアニメオタクなのである。

だから当時としてもリン・ミンメイがヴァーチャル・アイドル的な企画だったとしても、それは違うコミュニティのものを結びつける一種のコラボレーションだったのだということは記憶にとどめておきたい。自分が。

それと、自分の記憶の混乱に拍車をかけているのは劇場版「風の谷のナウシカ」[amazon]が1984年でマクロスの劇場版「愛・おぼえていますか」と同年だということ。しかも3月ってコトは春休み公開! 早い!
当時の私にしては珍しく封切り館で見てるんだよな、「ナウシカ」。

アニメ史的には1986年にファミコンが大ブームになるため、ひとつの補助線として区切られるという意見があり私もそれには賛成である。
しかし、私の個人史としては「ナウシカ」が劇場版であのようなまとまりの仕方を見せ、後のオタク的ガジェットを満載した冗談とも本気ともつかない作品「超時空要塞マクロス」が放送され、個人的にはガンダムと同等かそれ以上にリアルロボットの象徴であった「ダグラム」も「ボトムズ」も終わって84年の「ガリアン」はさすがに飽きていたし、トミノ作品としては「ザブングル」もすでに終了しているという象徴的な年なのである。1984年というのは。

中高生にとっても、アニメから足を洗ういい潮時ではあった。もっとはっきり言ってしまえば、「マクロス」は思春期のガキどもにとって一種の踏み絵ではなかったか、とすら思ったりもするのである。
まあ、世代によって「踏み絵」的な作品は違っていたと思うけどね。
(06.0906)


【アニメ】・「超時空要塞マクロス」(1)(2)

ツタヤの半額デーに、思い立って借りて観てみる。2巻までだから8話までか。
ネットで調べてみて驚いた。本作は1982年10月3日から1983年6月26日まで放映されたのだという。
意外に早い。やはり名を残しているアニメにはそれなりのものがある、のかもしれない。

いろいと記憶がよみがえってきたので、それについて書いてみたい。あくまでも自分語りなので興味のない人は読まないでいいです。
なお、本当に8話より先が思い出せず、最後まで観るつもりですのでコメントくださる方は私にネタバレしないようにお願いします。

実はリアルタイムでも半分くらいしか観ていない。
理由は、受験だったことと日曜日の昼間にやっていたから。とくに後者は大きい。82、3年というとウチにビデオデッキは無かったから、1回逃したらもうおしまい、なのである。
そういう人は全国にたくさんいたと思う。で、それを補完するためにアニメ雑誌があったのだよね。ネット上にキャプ画が貼りまくられたり、youtubeなんてものがある現在とは情報に関する状況がまったく違うことを、「マクロス」を観ると思い出す。

本編も、現在観るとかなりまったりしている印象だが、録画できず巻き戻しもできないことを考えるとこれくらいのスピードでちょうどいいと言える。いやとにかく82年末から83年前半までやっていたというのに驚かされたんだよね。

ストーリーというか出だしの設定は、ウィキペディアでも説明があるとおり「伝説巨神イデオン」やら何やらの影響が見られるし、えーと何だっけ、マクロス内の船長のいるところ。あそこにいるオペレーターが船長以外全員女の子、というのも、当時からするとやりすぎのような気がしていた。ギャグ一歩手前の異星人の設定も同様。
これもウィキペディアで知った情報だが、もともと一種の冗談企画で進められたものらしいが、観る方はそんなのわかんないからね。輝とミンメイがマクロスの閉鎖ブロックに閉じこめられるエピソードをまるまる1話やったり、っていうのも、何だか冗談とも本気ともつかない感じでイヤだったんだよなあ。

当時は、私はくそまじめで融通のきかない少年だったの。今でも融通きかないけど。で、後半はよく知らないが前半はリアルロボットの流れを汲んでいるのにあまりに戦争における死の表現が適当だったことに不満だった。 アニメ誌などでは80年代前半は、ガンダムブームがあったもんで「戦争と死」みたいなくそまじめな論立てでリアルロボットアニメを評する文章も多かったしね。

で、これは当時のアニメのファン状況に関する、上記のように今ほど情報が流通していない状態での個人的な感覚だが、やっぱり時代はパロディと軽薄短小な時代、になっていたと思ってた。現実にはどうか知らないけども。 自分としては「そんなに浮かれてていいのか?」という感覚があった。しかし、8話まで観て自分の中で面白いなと思ったのは、じゃあ「マクロス」のふざけた部分とかラブコメ部分を全否定していたかというと当時はそうではなくて、今でもそうなんだ。
当時はどうだったかというと、「どういう態度をとっていいかわからなかった」というのがあった。何かが決定的に間違っている気もしていたし、そのこと自体が新しい潮流のようにも感じてた。考えてみると現在の「萌え」に対する自分のスタンスとほとんど変わりはないんだよな。ええこれこそ自分語りですねただの。はい。

そんな自分だったから、「メガゾーン23」[amazon]を観たときにはあのストレートな「社会風刺」な感覚はぴったりフィットした。コレが85年。友人の家のビデオデッキで観た記憶がある。だから、この頃にはまあ自分の友人レベルではビデオデッキは普及していたと言える。
「メガゾーン23」はマクロスとスタッフがだいぶかぶっていることが当時から話題になっていたから、「自分はメガゾーン観たからマクロスはもういいや」って思ったというのがある。
しかし「メガゾーン」もかなりヒットしたと思うが、全体的な話題の大きさ(飯島真理がファンとモメたとかそういうことも含めて)は、圧倒的に「マクロス」の方が大きかったような気はする。

また、現在から観て「マクロス」と「メガゾーン」の「戦争」というテーマに対するアプローチの違いも、その後取り立てて話題にもなってない。自分が重要視していたことは、その後、少なくとも20年間くらいはどうでもいいことだったのかも、と思う。
逆に言うと「戦争」をどのようにSFアニメの中に落とし込んでいくか、が80年代は話題になっていたと言えるし、あるいはアニメを日常的に観る経験のない先行世代は、そういうテーマ設定をしないとアニメを話題にできなかったということも言えるかもしれない。

それにしても82年のロボットアニメを観ていると、本当に83年のことも84年のことも未来で未知だったことを思い出すから面白い。とくにマクロスは、後に(あるいは当時から?)世紀末的だと言われていた事象はほとんど揃っていて、あれから20年以上経過したわけだからねえ。
そういう意味ではこの世はもう終わりだとも言えるし、逆に終わってないとも言えるんだホントに。
(06.0903)


【アニメ】・「戦え!! イクサー1」 監督・脚本:平野俊弘(現:俊貴)(1985〜87) [amazon]

「メガゾーン」がOAVとして85年3月に発売、この「イクサー1」が同年10月に発売か。
DVD化したので観てみる。初見。

……まあ、好きな人には悪いんですがこの頃の典型的なOAVというか……とにかくストーリーが無くて設定が浅い。
平野俊弘自体は好きな方なんですけどね、同じ平野監督の「冥王計画ゼオライマー」(1988)は違和感無く観れたんだけどなあ。

個人的な問題だけどやっぱり登場人物で男の子がまったくいないというのがどうも……。
そういえば、自分は男性のつくった男性向けの作品で、主要登場人物に男がまったくいないものに対する評価はあまり高くないです。「プロジェクトA子」とかもそうだったけど。
とにかく自分と同性がキャラクターならリアリティの尻尾くらいはあるし、またなければならない、っていう縛りができるけど、全部異性にしたらどうしてもフワフワしたものになってしまうと思う。「女の子じゃないからわかりません」っていう言い訳も効いてしまうし。

逆に言えば、「なんで男しか観ないようなアニメなのに、女しか出ないのか」っていう問題がこの頃からあって、ものすごくぶっちゃければ「男が観るレズビデオみたいなもんだ」って言えるし、「萌え」観点からすれば論文のひとつも書けるんじゃないのかな。

あと、メイキングビデオの合間にわざわざ三頭身キャラが紹介するというアニメが入ってる。製作のことはよくわかんないけどメイキングなんてオマケ映像にわざわざアニメをくっつけたらそれだけで大変めんどうくさい作業が発生すると思うのだが、これはエライということなのだろうか。
当時のスタッフのコメントとかファッションとかは今は記録として貴重だね。

このアニメって続編もつくられてるのね。正直わからんなあ……。
(06.0903)

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