つれづれなるマンガ感想文8月

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一気に下まで行きたい



【雑記その4】・夏なんて勝手におわれ
【雑記その3】・WAIWAIスタジオ・売れない歴史
【雑記その2】・週1で書き込むことにしたよ
【雑記】・ヒーロー待望論・論






【雑記その4】・夏なんて勝手におわれ

コミティアでした。買ってくださったみなさん、ありがとうございました。

しかし、毎度のことながら予想のようには売れませんでした。

ああ、雲が高い。

うそです。雲が高いかどうかなんて知りませんよこの光化学スモッグの毎日。

だいたいにおいて我々が「夏」と聞いて連想するものは何か。
海、かき氷、風鈴、プール、肌を露出させたおねーちゃん、肌を露出させたおにーちゃん……。

さて問題です。この中で、人間がつくった以外のものは?
……というと、「海」しかないのである。
それ以外は、みんな人間が介在しているのだ。
人間が介在しているという点では、「風鈴」も「量子コンピューター」も何ら変わりはない。
「量子コンピューター」が夏と関係あるか?
無い。

しかも、「海」は別に夏に限ったことではなく、一年中存在している。

「海」が夏以外にまったく消え失せてしまったらどうなるか。
人間も魚もみんな死ぬのである。

……というように無意味なことを積み上げてきたが、秋がなくなったのが私は大変に哀しい。
今に東京も熱帯地域みたいになるのだろう。

そして、男はみんなギャル男、
女はみんな倖田來未を三十発くらい殴ったような顔に、
ガキはバタフライナイフ片手に学習塾に通い、
中年女は全員万引き常習犯、
中年男は全員ペドフィリア、
老人は全員、ものすごい憎たらしい顔で「その牛乳瓶に向かって泣きわめけ!!」と自分が泣きわめく、

そんな世の中になる。

それが本当のブレードランナーだ。
(06.0827)


【雑記その3】・WAIWAIスタジオ・売れない歴史

また宣伝でアンテナだけ上がってふざけんじゃねー、という人がいるかもしれんのでなんか書くよ。
コミケの宣伝に必死になったけど、コミティアについて書く。
そもそもが、当HPは自分の同人誌の宣伝のためにつくった。
だが、同人誌は売れない、HPもアクセス数が上がらない、というんでいろんなコンテンツを増やして今のような形態になった。

インターネットの宣伝効果がどれだけあるかもわからないが、買う立場からしてみると、ネットでの同人誌の宣伝は非常にありがたい。
コミケの場合、新刊が落ちたのなら混雑した中を回らないで済むし、逆に緊急で直前に突発本が出たらわざわざ出向くこともある。

ネットがこんなに盛んになる前は、同人誌の宣伝というのはものすごく大変だった。
今もあるのかわからんが、同人誌の広告だけの無料配布本、というのが存在した。
同ジャンルの人が集まって、ときには広告料を支払ってそこに宣伝とカットを載せてもらうのだ。

自分の経験からすると、効果はまったく無かった。

コミティアの場合、ティアズマガジンに載ると宣伝効果はあったのかなと思う。
ネットができる前に載ったことがほとんどないから、経験としてはわからないが。

自分の描いた創作マンガは、評論本より売れない。
あまりの売れなさに、もう描くのをやめてしまった。
そりゃー、たまにお褒めの言葉をいただいてそれは非常にありがたいのだが、

物量的な部分というのは精神的にも大きいものがある。
才能の無さを思い知らされるというのは、辛いものである。

評論本にしても、コミティアで100部以上出ているところがあるというのは驚異的だ。
どうしてそんなに売れるのか(ウチが売れないのか)、サッパリわからない。

いいかげん愚痴るのも飽きたので、歌でも歌って挨拶に代えさせていただきたいと思います。

(苦悩三兄弟の歌)
いちばん上は 三男 三男
いちばん下は 次男 次男
あいだにはさまれ 長男 長男
苦悩3兄弟

弟憎い 長男
兄さん憎い 三男
カエルを殺す 次男 次男
苦悩3兄弟

こんど生まれてくるときも
お互い憎んで殺し合い
できれば こんどは おれこそが
座りしままに 権力者

だんご だんご だんご だんご
だんご食べたくない
だんご だんご だんご だんご
サルが噛みついて わけのわからない 奇病にかかって
死んだ




(別れても変なトレーナー)
別れた人を見たよ
別れた渋谷で見たよ
別れた時とおんなじ
トレーナー来てた

傘もささずに野球帽
思い出語ってゴム長
別れた時とおんなじ
変な格好だった

やっぱり忘れられない
あの 変なトレーナー
ディズニー描いてあると思って
よく見たら知らない犬

トレーナー(トレーナー)
好きな人(好きな人)
変な柄(変な柄)
夢に出る(夢に出る)

(06.0819)



【雑記その2】・週1で書き込むことにしたよ

コロコロ・ボンボンSFおしかけ女房を更新するためだけに残したにもかかわらず、いっこうにやる気が出ない当ページ。

しかし忘れ去られても困るので、定期的に更新しなければならない。
……というわけで、週1なら週1と決めて更新することにした。

何を書こうかと思ったが、そうそう、ヤンマガのグラビアページの、何ていうかポエムだか読者に呼びかけてるんだかわからない文章があるでしょ。見りゃわかると思うけど。
あれの「山崎真実」のときの文章がヘンだなあと思ってたけど、それ以外のところも注意してみたらなんだかふざけているとしか言いようがないのがあって、見ていてだんだん腹が立ってきた。

あれを書いているのがライターか、編集者か知らないけど(たぶん編集者じゃないか? あれだけのためにわざわざだれかを雇っているというのは考えにくいから)、もう少しマジメに書いてほしい。
ただでさえ、少年マガジンのグラビアの編集者が以前麻薬だか覚醒剤だかでつかまったでしょ。しかも出した本も完全に開き直っていて感じ悪くてさー。
講談社でも少年マガジンとヤンマガじゃまた別部隊かもしれないけどね、とにかくイメージよくないんだから、きちんとやってほしいよ(「悪い例」を書いてみろとか言っても書けないよ。確かラーメン屋かそば屋で見たんだから)。

あと、とうとう近所のラーメン屋がつぶれました。隣同士ラーメン屋だったけど、両方ともつぶれた。

あと、これからウソを書きますけど粘土って食べられるらしいね。アメリカの一流大学の中には超エリートしか入れない秘密のサークルがあるそうだけど、そこに入る儀式は粘土を腹いっぱい食って、南京玉すだれを4年間踊り続けるというものがあるそうだ。
4年間、踊っている間に卒業しちゃうんだけどね。

だから、そのサークルに入った学生はだれもいないんだ。

じゃあだれがそんな儀式を命令しているかというと、そりゃ自主的にやってんでしょ。アメリカはそういう自主性を重んじるから。
(06.0814)


【雑記】・ヒーロー待望論・論

ライトフライ級王座決定戦に失望

ホリエモン、村上ファンド、ジーコジャパンと続いて亀田三兄弟に関しても「国民のヒーローを待望する気持ちの表れ」とされることがあるが、果たしてそう単純なものだろうか、という気はする。
それならもう少し朝青龍の人気が出てもいいように思うし、ジャイアンツだってもうちょっと応援されてもいいだろう。

むしろ、「ヒーローが待望されているのに、それにぴったりな人間が現れない」という状況がずっと続いているか、あるいは、「実は国民全般はヒーローなんてそれほど望んでいない」のではないかという気がする。
たとえばイチロー、松井などの実力が伴っていて、なおかつ人気のある人というのは「これがヒーロー願望の表れ」なんて言われない。

送り手、仕掛ける側は、むしろヒーローがいる方がラクなのではないかと思う。仕事はその人を盛り上げることに一本化できるし、またカリスマパワーによって通常の見込みよりも何倍もの売り上げが上がる(ような気がする)。
むしろそうした送り手の「仕掛け」が失敗し続けている結果がここ2、3年の状態ではないか。

現に、マンガやアニメでスーパーヒーローがもてはやされるという状況はまったくない(と思う)。テレビアニメは男の子向けでも女の子が主人公のものばかりだし、今季目玉的な扱いの劇場アニメでも、「ゲド戦記」、「ブレイブストーリー」、「時をかける少女」とどれもヒーロー的な人物を扱った話ではない。

あるいは世代で分けられるかもしれない。中年以上の人々は、ヒーローを待望しているのかもしれない。コミックバンチは「北斗の拳」においてケンシロウよりもむしろラオウをフィーチャーしたいようだが、「ケンシロウよりもラオウ」という選択は非常におっさん臭いと言える。しかも、それって成功してるの? ちょっとよくわからない。

それと、もうひとつ考えなければならないのは、20年くらい前と比べてテレビにおいてニュースのショー化がいちじるしくなったということである。
20年くらい前は、ここまでニュースとワイドショーがどっちがどうだかわからないような雰囲気ではなかった。たとえばホリエモンのようにタレントでもなんでもない人物に関しては、テレビで取り上げる場合も一定の距離があったように思う(それは三浦和義の事件あたりで崩れたようにも思う)。
だが、今やテレビに出てくる人間がタレントなのか、政治家なのか、実業家なのか、なんだかわからなくなっている。
そういう場からは、実在のヒーロー的存在というのは出現しにくい。

これは小泉総理の評価にも言える。小泉総理が国民にどのように受け取られたかを評価するのは非常にむずかしいと思う。
自民党が圧勝したときに、小泉総理のヒーロー化が懸念とともに言われたりもしたが、まあいちばん最初の頃(田中真紀子がいた頃くらい)はともかく、その後そんなに小泉総理がヒーロー視されていたかどうかは、個人的には疑わしいと思っている。

それともうひとつ。話が前後するが、とにかく物事の盛り上げ方のプロレス化がいちじるしい。プロレスの方法論を使っていると思う。
たとえば選手に長めのキャッチフレーズを付けるとか、「これ」という選手を徹底してマークして持ち上げるとか。 しかしプロレスとかK-1とか総合の「盛り上げ方」の方法論というのは、(誤解を恐れずに言えば)結果をある程度コントロールできるからこそ可能なのであり、そこまでコントロールできない物事にそれを援用すればおかしなことになるに決まっているのである。

だから、私はフルタチが報道番組をやることは、フルタチの罪ではないが本当はとても違和感がある。フルタチが、堀江が護送されていくシーンを実況中継しているとき、何かの冗談かと思った。

正直、テレビの報道番組に関しては一度見直した方がいいんじゃないかと思う。とりあえずつくり手はムリかもしれないが送り手は注意して見ることが必要でしょうね。あ、当たり前の結論になっちゃった。
(06.0806)

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