つれづれなるマンガ感想文1月後半
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一気に下まで行きたい

2002年

1月23日(水)

1月ぶんの日記の分量が60キロバイトを越えてきて、そうするとうちのパソコンではなんだか重くなってイライラするので、また切り分けようと思う。
切り分けの最後は、私らしくダークな内容で締めくくろう。

ネットをウロウロしていたら、某業界誌の編集長の日記に行き着いた。なぜ業界誌などに行き着いたかというと、コイツが広義のサブカルなことを書いていたから。検索機能で、思わぬところで思わぬ発言が人の目に触れてしまう機会があるというわけだ。

コレがまったくひどいシロモノで、その業界関係のことについてはわからんが、つれづれに書き綴った広義のサブカル関係の言説があまりにもひどい。
業界誌といってもいろいろある。業界団体が片手間につくっているものもあるし、編集の専門家が業界事情を覚えてやる場合もあるし、具体的な例は知らないが専門家が逆に編集の知識を覚えてやる場合もあるだろう。
業界誌の星といったら、やはり名前忘れたが「時代屋の女房」を書いた人とか、椎名誠とかになるのだろうか。ともかく、個人的経験上、案外口うるさい人が多いと思った。サラリーマン時代にいくつかの業界誌に毎月目を通したが、編集後記で好き勝手書くやつってのはけっこういたものだ。SF小説を連載していたのもいたし、政治や社会問題に言及した「天声人語」的なモノを書いていたヤツもいた。

だがこの「業界誌における好き勝手を書いた編集後記」は、今考えると非常に恥ずかしいものが多かった。だって、その雑誌の内容に直接関係ないもん。多少は結びついてりゃいいけどさ。なんだかそこだけが「自我の発露」という感じで実に恥ずかしい。私の世代より少し上の人々は、ゼンキョートーだかなんだかの影響を受けたか、あるいは影響を受けた人に影響を受けた人が執筆していたことが多かったから、恥ずかしさは倍加するわけである。
飲み会の二次会三次会なら、天下国家を論じようが哲学しようが、みんな忘れてくれるが、編集後記は残っちゃうからね。ああ恥ずかしい。

で、そういう場で自分の人生論だの政治論だのを説いていた人々に、ワカイシュだった私は「そういうことに興味がない」と批判されたりした。でもホントに興味ないんだからしょうがないじゃん。と思っていたら、しょうがなくなかった。そこでテキトーなことを言える人間でないと、出世できないんだね〜。それを知ったときは遅かった。

でだ。そういうことをそういう場で書きたがる人は、ネット時代になったらぜったい「自我の発露」をネットに求めるだろうなと思ったら、あんのじょうだった。それを「某業界誌の編集長の日記」に感じた。自分でHPつくって自分でやるならまだいいけどさあ、雑誌のHPでしょ。しかも業界誌ってのは一般誌のように(たとえば元週刊編集長の花田某とか)、編集長が「顔」として前面に出てどうこうっていう雑誌じゃないんだから。まったく恥ずかしい。

それに、編集後記なら業界内にしか目に触れないが、ネットはあけっぴろげだ。だから、私も見なきゃいいのにそんなどうでもいい文章を読むハメになっちまった。

こういうヤツにかぎって(想像だが)、個人のHPを立ち上げることは恥ずかしがる。どこかプライドが許さない。しかし会社のカネで運営しているHPには、半ばゴリ押しで自分の書きたいことを書けるスペースを確保して、それで何か自分の居場所を見つけた気になってる(想像だが)。
そりゃ違うだろ。TPOで言えば、自分が言える場を自分でつくって、自分で発信している方がまだいいと思うが。

上司や先輩があれだけ編集後記という「そぐわない場」で言いたい放題言って、「まあ仕方ないな」と思ってたことを、もう一度自分と同じ世代の人間が言える立場になったら繰り返してる。ガックリ来た。

まああんまりガックリ来るだけでもアレなんだが、我々の世代の世代論とか、だれかやんねえかなあと今さら思う。私が読んでダークになった「日記」は、DJ文化を礼賛してオタク文化をこきおろすという、同世代的には卒倒するくらい鼻持ちならないヤツなんだが(逆は逆でそれなりにイヤだけどな)、だいたい私くらいのトシだと、そこらへん過渡期なんじゃないかと思うときがある。
人数的には、第二次ベビーブームで多いはず。でもマイナーなシュミを徹底的に突き詰めていったか、テニスサークルに入ってバブルに踊ってたかどっちかに大別できる。で、テニスサークル系の方が人数的には多い。ってなことなんだろうとは思うが。
今後、こういう「編集長」みたいな半可通が偉くなって発言権が出てきて、適当なことをほざきだすと思うと、実に暗澹たる気持ちになる。個人的には全共闘世代よりそのすぐ下より、あるいは我々のすぐ下の世代より、我々の世代のカン違い野郎がいちばんどうしようもないと、今のところ思う。

まあコイツが特殊例なのかもしれないが。コイツの部下でなくてよかった。

・「涅槃の王」巻ノ序 幻獣変化 夢枕獏(1981、1993、祥伝社)

1月22日(火)

けっきょく「ぶっとびマンガ」ネタは企画を1から練り直しだな。日記に途中経過を書くんじゃなかった。自分のダメさを披露しただけで終わった。

漠然と今週の週刊プレイボーイを見ていたんだけど、「シネマのから騒ぎ」っていうコラムみたいのがあるんだよ。
今週は田口ランディ原作の「コンセント」について、顔写真付きで女子大生みたいの(タレント?)が会話形式でケナしてるんだけど、監督も脚本家の名前も書いてない。そんな情報コーナーあるか? 書評のページもめくってみたけど、もっとも小さいコラムでさえ作者、出版社、価格は明記してあったよ。
「主演の市川実和子のセックスシーンがやたらある」ってなことも書いてあんだけど、はっきり言って、ふざけんなよ(笑)。監督、脚本の名前はない、「セックスシーンがある」って書いてあるが「脱いでるか脱いでないか」は書いてない。そんなんで情報になるか! コレがSPAだったらいいよ。週プレだろ。読んでいるやつにとって重要なのはハダカが出てるかどうかであって、たとえシチュエーションや演技力からかもしだされるエロさがあったとしても、ンなもん関係ねえんだよ!
……などと怒ってみました。エヘ。(←さるとびエッちゃん風に)

関係ないけどみんな「さるとびエッちゃん」読めよ!
……などとガラにもなく命令口調にしてみました。エヘ。(←これまたさるとびエッちゃん風に)

昔っから、この会話形式の映画評って週刊誌で見かけるけど、ためになったことが1回もない。けっきょくあらすじは不明瞭、内容の印象のみが語られて読後フラストレーションだけが残る。週プレは昔、どこぞの馬のホネともわからん女子大生に書評を書かせてたこともあるが、これもためになったことが1回もなかった。もういいかげんやめてくれ! もしかして合コンのツテが欲しいとかだけで連載させてんのか? 
しかもよく見たら81回もやってんだよこのコラム。知らなかった。だいたい何にも知らないくせに邦画の悪口言うな。私が知ってるかというとそうでもないんだけどさ。邦画=ダメ、って単純に断じることには疑問だから。そんなやつは、こないだやってた赤影のリメイクを1万回見ることを命じる(あ、これは面白くないという意味でね)。

ところで、腹立ちついでに朝の番組「エクスプレス」の悪口書いたけど全部削除した。好き嫌いのモンダイをここでどうこう言ってもしょうがないので(じゃあ好き嫌い以外に何があるかっていうと何もないんだけどね)。

あと「やじうまワイド」の金髪ヒゲマンガ家と、ツルぴかハゲ丸政治評論家がムカつく。けどどうでもいいや。
いつかおれが宇宙帝王になったら、二人とも一生ご飯に七味とうがらしをかけただけのモノを主食にすることを命じる。そしてそれについて二人でリレー小説を書いてもらう。挿し絵はねじめナントカ。
いや、絵が描けるかどうかわからないけど、ジャイアンツファンらしいから引き受けてくれるでしょう。確かツルぴかハゲ丸政治評論家ってナベツネと仲いいらしいし。報酬は和同開珎のレプリカ100万枚。

1月21日(月)

雨、風、雷がすごかった。

やっぱり「ギャンブルマンガ特集」はダメっぽい。ヤンマガで新しいギャンブルマンガやってるし。だいいちまだ1冊も読んでない。この間買ってきたオモチャを紹介する本をつくろうかと思ったが、すでにネットで紹介されているモノもあり、ネタかぶりを避けるためにももう少しブツが欲しい。
(一時期、アイボのニセモノがあちこちで売られていてコレクションしようと思ったが、どれも3000〜5000円と高かったんだよね。あーあ、金持ちになりてえなあ、そういうことのために)。

それと写真の問題もある。ブツ撮りでいい写真が撮れるかどうかというコトね。ラクをしようとすると泥縄式に新しい問題が出て来るという、ま、これもよくあるパターンだね。

……トシをとるといろいろ気づくことがあるが、私の場合数々のルサンチマンは「努力に見合ったと思える結果が出ないときに、普通の人以上に徒労感を感じる」ということにあるらしい。だから、「過程が大切なんだ」というような物語を見るとかえってすごく感動したりする。私にはないものだから。
あと「みんなで協力してひとつの仕事を仕上げる」というドラマにもものすごく感動する。自分が協調性ゼロだから。「王様のレストラン」とか、あまりに感動しすぎて参ったね。
あと、「現実の無念を虚構ではらす」というようなモノにも弱い。高橋克彦の「バンドネオンのジャガー」ってそんな話じゃなかったっけ? 違ったっけ?(忘れた) 
ヒトに勧められて読んで、あまりに感動して、勧めた当人よりも私が感動してしまって、相手がヒいた。あのとき自分の感動を他人にうまく伝えることができなくて、血のにじむような努力をして(さっきの「徒労感」の話でいくと90パーセントくらいはムダだったが)電脳の力を借りてさまざまな感動(そして絶望、落胆)を伝えるべく、このHPがある(?)。

1月20日(日)

・コメットさん☆
・第42話「サヨナラの仕方」
とうとう帰らなければならなくなったコメットさん☆とメテオさん☆。それぞれの考えでそれぞれの選択をする……。

名称忘れたが、王子様の記憶が入ってる宝石みたいなやつの処理があまりにあまりだったりするが、まあご愛敬か。セリフだけの説明でも、ほんの少しでいいから入れてくれれば、ものすごく締まったはずなのに惜しい。
今回はなんといってもメテオさんが主役。三国志の本当の主人公は孔明だとか何とか言うが、メテオさん☆も異様にキャラ立ちした存在であった。しかしまた、コメットさん☆が主人公でなくては成り立たないキャラクターでもあった。
打ち切りによる短縮を逆手にとったようにも見える、メテオさんのお別れの仕方に号泣。

池袋で、ブツ(というかもったいぶって書いたけど要するにマンガ単行本)の受け渡しを兼ねて飲み会。いっつもすごい勢いで飲んで翌日二日酔いになってしまうので、今回は気を付けてほぼビールだけで済ませた。
「ニュースサイトが増えたね〜」とかの話になり、「架空の、しかもつまらないニュースサイトつくりたいなあ」とか私は思う。ど〜でもよさげな世の中を斜めに見たようなコメント付けて。だれも注目されず、クォリティも低くてしかもつまんないサイトをつくりたいという欲望にかられる。

(つまんないニュースサイト例)
・「近所のネコが子供を10匹産む」
少子化対策に貢献してほしいですね。あ、ネコだからムリか。

・「どこそこで日本一の太巻きをつくる大会行われる」
食べ残したらどこに保存するんでしょうか。

・「100億円、銀行から盗まれる」
このうち、1億円でもくれたらメイドさんを雇います。もちろんめがねをかけた。

・「首にはりがねのまきついたキタキツネが保護される」
ひどいことをするもんですね。犯人ははりがねで絞首刑ですね。

・「ごまだんご大ブーム、生産追いつかず客暴動」
あ、とりあえずニュース番組でBGMに「だんご三兄弟」を流すのやめてくださいね。
(以上、例)

つ、つまんねー!! コメントも自分で書いておいてつまんねー。腹立つ。
以上はあくまで例であって、私が面白いと思って書いたわけではないと強調しておきます。あ、リンクはぜんぶ東京ディズニーランドにつながってますので悪しからず。しかし重いな、ディズニーランドのサイト。何がミッキーだ、ちくしょう!!(涙)

……二日酔いにはならなかったので、よかった。

1月19日(土)

右目のまぶたがずっとピクピクして気になって本も読めないので、眼科へ行く。「目が疲れています」、「身体も疲れています」と言われ、高校生のときに慢性的な眼精披露だったとき、ずっとさしていた目薬をもらう。ほんとはなんか飲み薬が欲しかったのだが。一発できいて髪の毛の色が変わっちゃって逆立っちゃうようなやつを。
「電車の中では絶対本を読んじゃダメ」などと言われてすることがないので、金がないのにCDを買ってしまう。ついでにビデオも買ってしまう。もう人生どうでもいい。どうにでもしてくれ。ドケチ一家は勝手にマンションでも何でも立ててくれ。

一度巨大100円ショップに行ってみたいと思い、しかし遠いからなあ、と思っていたが思いきって仕事帰りに行く。
いくつかクダラナイオモチャを買う。そのクダラナさのすばらしさ、ぜひ他の人々にも伝えたいが、郊外のお店というのは都内には知られていなくても地元の人間には超なじみ、という場合もあるので、どの程度の浸透度なのかを調べなければ真の価値がわからない。しかしどうすればわかるのか。100円のオモチャになぜそこまでしなければならないのか。

近くにあるブックオフにも行く。あたりが暗くなってきて地図との照合がむずかしく、かなり探したが、なかなかいいものをゲットすることができた。
帰りはオモチャを抱えて電車に乗って疲れたが、いくらなんでもこれくらいしないと運動不足になってしまう。

・「女の家」 日影丈吉(1961、1986、徳間文庫)
・「大東亜科学奇譚」 荒俣宏(1991、1996、ちくま文庫)

1月18日(金)

意外にも死ななかった。狼は死なず。教育は死なず。「教育は死なず」ってのは、どっかの問題児を積極的に受け入れる高校の校長が書いた本。「狼は生きろ、ブタは死ね」は大藪春彦。「狼は死ね、ブタは生きろ」は、むかし新聞の投書欄で大藪春彦批判として載った投書のタイトル。なんでいきりたって大藪を否定しようとしたのかは不明。

最近、三十代初めから四十代くらいの、うだつの上がらない自分に常にいだらっている人のウェブ日記を探してます。もちろんただそれだけじゃダメなんで、ちゃんとした文章力とその人の生き様が伝わってこないといけないんだけど。
昔、私より年上でものすごいひがみ根性の人に出会ったことがあるが、やっぱり自分のダメさを認めない年寄りってのはいちばんいけないね。まあ自嘲ばかりで自虐的なのも困るが。
経験上、二十代後半くらいまで若いつもりでいられるが、三十歳を迎えて少し神妙になり、三十代半ばになると考え方を変えなきゃいけなくなります(と思う)。ハッキリ言って、三十代半ばで人生ほぼ決まるじゃん? これは未来の大半を未決のものとして生きてきた今までとはぜんぜん違うよ。まあ五十代、六十代まで白黒がつかない生きざまもあるだろうし、いつまでもイケイケならイケイケでいいんだけどね。

SPA!をひさしぶりに買って読んで思ったのだが、雰囲気微妙に変わったね〜。なんか「ドロドロしたもの」を非常に好むような感じになってるんじゃないですか。

週刊文春にナンシー関の「フードバトルクラブ」批判が載っている。でもなんかちょっと「難癖」くさい。TVチャンのマネはマネだとは思うんだけどね。
いちばん指摘すべきは、「ちょっと早食いしすぎ」ってことなんじゃないかと思うんだけど。確か決勝戦のカレー勝負も20分でしたよね? TVチャンなら30分はとるのでは。アカサカさんみたいなマラソンタイプの、長時間いつまでも食っていられるという人には明らかに不利だし。
あとこれはナンシー関も指摘してるけど「大食いはスポーツ」って方向に傾きすぎてる。それじゃ異形の人が出て来れないじゃん。

中野駅の前で、高校生とパチンコ屋か喫茶店の店員の制服を着た男(北京ゲンジの茶髪のやつ似)が、肩が触れたの触れないのでいがみあってた。回転寿司屋に入ったらネタが最悪、ここの店はネタの善し悪しが日によってぜんぜん違う。心の中でそう思ってたら、どっかのおばちゃんが「ネタ悪いね〜」と店員にしみじみ言っていた。

あとビデオにとっておいた「トリック」(旧トリック)と「サイボーグ009」を見て、寝た。八十年代の石ノ森章太郎の女キャラ、最高(いちばん最高は70年代だけど)。

1月17日(木)

ひたすらに惰眠を貪る。
夕方、案の定近所の中学生が騒いでいる。うるさいうるさいうるさい……と思っていたら、なんとおれの部屋の前の十字路(……の通りの反対側)でタムロって話をしているのだ!! どおりでうるさいわけだ。
うるさい、死ぬ、うるさい、死ぬ、とつぶやいていたらなんとうちの親が「静かにしてくれ」とその子供たちに言いに言った。
たいへんだ、今日びの子供たちは凶暴なため、木刀、メリケンサック、鎖ガマ、ワルサーP38、暗器、ドリアンの持っていた糸、テグスを輪っかにして手にはめられるようにしたもの、足下にからみつく赤い波などをもって襲いかかってくるに違いない、いや、悪知恵だけははたらくからこのままにこやかに帰って、真夜中にチーマーの彼氏を連れて仕返しに来るに違いない、と思っていたら来なかった。
人間に対する距離感の違いを感じてダークに。

夜中に酒も飲んでないのに胃が苦しくなって目が覚め、胃薬を飲んでもう一度寝る。 死ぬかも。

1月16日(水)

SPA!の特集。「なぜボクらは泣ける(けどヌケない)エロゲー」にハマってしまったのか!?」「最近のエロゲーは泣ける」と聞いていて好奇心はあったがやる気力がなく、てっとり早くどんなものか認識できると思って読む。

18禁ゲーム業界の流れは、ここに書いてあることが本当だとしてだいたいわかった。しかし、ゲームの「当時者性」、物語への没入度の高さについても触れられているが、そもそも「ドラクエ」なんてみんな二頭身キャラに泣いていたはずだ(「ゲームで泣ける」というのが、ファミコンに対する衝撃だったのだし)。そこをあらためて再確認する必要はないだろう。

そして、首をひねるのは座談会の方だ。
疑問はいくらでもあるのだが、たとえば「泣きゲー」という現象を90年代から現在までの時代性と結びつけるときに、オタク業界内での現象を無視してもいいのか? 80年代、男のオタクでも少女マンガを読む人々は、そこで繰り広げられる、いわゆる「女々しいこと」でも泣いていた。それは本文中にも登場するが「男泣き」とは違うものであったことは間違いない。
また、これは私自身ゲームをあまりやらないんではっきりしたことは言えないが、ゲームに「まみれて」暮らしている人々の物足りない部分、欲求を充足させるものとして「泣きゲー」は出てきたはず。だとしたら、それを欲したゲーム界の状況はどうだったのか(これにはいわゆるギャルゲー以外の動向も含まれる)。
「泣き」というものに関する認識も、少し狭いのではないか。「難病ものドラマ」だの「一杯のかけそば」だの、日本人は泣くことは大好きなはずだ。「お涙ちょうだい」なんていう言葉もある。
70年代には「それは秘密です」という生き別れの親子や兄弟が出会う番組があった。「おんなののど自慢」はどうなのか。「バラ珍」は。いや、座談会の中でそれらの「泣き」と泣きゲーの泣きが違うということは認識されてはいる。しかし、それならば後半の「泣きゲーは感情の処理にすぎず、それ自体が絶望だ(大意)」という話にまで至るのはどうなのか。
うーんと、何が言いたいかというと、「泣きゲー」の流行を固有のものととらえたいのならば、それまでの「泣き」との決定的な違いを見いださなければならないということだ。しかし本文中に登場する「『ごんぎつね』を代表する国語教育」というのは……いくらなんでもムリヤリすぎるだろう。オタクたちが「かわいそうなもの、かわいいもの」にせつなさを見いだしていたのは、何も90年代に入ってからのことじゃないんだし。もしかして……トボけてるのか?

後半部分は、「感情」とか「泣き」ということに価値を置いた上で、「現実でもエロゲーでも得た感情は一緒」と言っているが、このあたりもどうなのか。
「チープなはずのエロゲーに感情を動かされてしまうことは、人間ってたいしたことないと思えてキツい(大意)」というのも何だかなあ、だ。だって、性欲の場合はどんなにチープなポルノだろうが、ブサイクな女だろうが、欲情するときはする。それと同じことなんじゃないか? だってこの座談会の中でも「エロも泣きも、体液を出すという意味では同じだ」と書いてあるじゃん。

泣くことは尊いことでもなんでもない。涙腺というのはかなり自動的にゆるむ。まあ精神分析医がメンバーに入ってるんでどうしても「感情」という部分に話が流れていったのかもしれないが、ポストモダ〜ンなわりにはずいぶんと結論が浪花節的じゃないでしょうか。
ラストの囲みコラムで、「そういうのぜったい嫌いそうな」卯月妙子にプレイさせるというのもベタ。しかしここからわかるのは、「泣きゲー」の人気を読み解く上で重要なことのひとつは「男が女々しいことで泣いてもよくなった時代」がいつから始まったかということだ。それは明らかに90年代ではない。もっと前のことになるはずだ。

どうもこの座談会のメンツだと、80年代に大塚英志あたりが言っていることをもう一度繰り返して、より極端にしながら言っているだけという気がしてならない(脚注でなにげに大塚英志の名前が出ているところも、すごいといえばすごい)。

繰り返すが感動や同情から「泣くこと」は別に偉くもなんともない。しかし、「泣き」は「人はなぜ欲情するか」なんてことよりよっぽど分析されてこなかったことも確かだ。
何か不可侵な領域とでも思われていたのか、あるいは「お涙ちょうだい」という言葉のように、自動的な感情の動きとして「恥ずかしいもの」ととらえられていたからか。「泣きゲー」が問題になるとするならば、「泣き」とは何かということと、「泣き」がどうとらえられていったか、という2つのことが認識されないといけない。

それと、同誌の「男が選ぶ好きな男・嫌いな男」(あまりの凡庸さに唖然)と「だめんずうぉーかー」(倉田真由美の脳天気な絵だから耐えられるが描きようによってはかなりダーク)を合わせて読んだら生きているのが少しイヤになった。

1月15日(火)

なんか、妙に暖かかい1日だった。

「ギャンブルマンガ特集」は、早くも挫折のきざし。けっこう多いんだよなコレが。

帰りにぶらりと古本屋へ寄ったら、「タイムトラベラー愛」全3巻が置いてあった。
1巻はすでに持っていたのだが、2巻がどうだったか……。記憶を頼りに3巻だけ買って帰った。
そうして家に帰って確かめたら、2巻も買っていないではないか!! 明日また行ってもいいが、万が一売られていたらどうしようと思ったら(実際、そういうことがあるのだ)いてもたってもいられなくなり、わざわざ電車に乗ってもう一度その古書店にまで行って、2巻をゲットして帰った。

疲れた。

1月14日(月)

2月のコミティアへ向けて新刊をつくろうと考えていたが、当日別の予定と重なってしまい、途方に暮れている。
どちらかにキッパリ目標をすえないと、怠け者の私はスタートダッシュができない。現在、相棒が忙しくなってしまったために当日店番が頼めるかどうかもわからんし、何もかも現状では不確定すぎる。どうすればいいんだ……。

いちおう、「ぶっとびマンガ」の新刊として「ギャンブルマンガ特集」を考えている(乞う情報)。が、1ページもつくる前から言うのもナンだが、自信はあまりない。つくっていて「これは成功だな」とか「失敗だな」と思うことはあって、たとえばかつてやった「カラテマンガ特集」は完全に失敗であった。失敗の理由は、私の知識のなさだったということもわかっている。
「ギャンブルマンガ」は、わりと堀りつくされているのと、私自身がギャンブルをやらないのが最大の難点だ。細かい機微がわからないからである。しかし見切りでも発車しなければならないときもある。松本零士先生も言っていた。男は負けるとわかっていても戦わねばならないときがあると。
資料を読み進んでいって「ああ、コレはダメだな」と思い中断することもある。前回の夏コミでは「SFおしかけ女房」の同人誌をつくろうとしてその膨大さにあきらめ、「ぶっとびマンガ」に切り替えた記憶がある。
……とすると、まあ見切りでも資料を読み進んでいって、見込みが立たなければ中断(現段階で見込みが立たなければ、別のテーマについてやる時間はないから「中断」)というかたちになるだろう。

あ、あと私が寄稿させていただいている本が2月コミティアの当日に出る。「自分が少しでも寄稿した新刊は、出る当日にゲットしたい」と痛烈に感じることは確か。そのためにも是非、当日は顔を出したいが。
コレは以前にも書いたが「自分が寄稿してレイアウトした本を、打ち上げの当日に渡してもらえなかった」というトラウマから起因している。できた本を手に取る瞬間が同人誌づくりの醍醐味のひとつであって、それは間違ってはいないと思う。

……ということで、考えながら進めるしかないな、と思う。あと次回コミケの申し込みもしないと。

気分転換に、ひさしぶりに自転車で通りの向こうの商店街に行ってみる。「クレヨンしんちゃん」の「オトナ帝国」に出てきそうな商店街。子供の頃は時代とシンクロしていたが、今は行くとそこだけ「東京」という感じがしない町になっている。
本当はおもちゃ屋にプラモデルを探しに行ったのだが、ガラス越しのオヤジの顔があまりに仏頂面だったのでやめる。町のおもちゃ屋ってのは生意気なガキ相手の万引き防止のせいか、愛想のいい店員を見たことがない。
店の前に荷物を積んでるような汚いラーメン屋と、小さな古本屋が目についた。去年か一昨年開店した店だろう。どちらも何十年も前からありそうなたたずまいだが、新参者。やはり商店街にマッチした店になってしまうのであろうか。
古本屋の方は、幻想文学・映画関係書籍・絶版のSFやミステリをこじんまりと揃えた、ある意味ベタな店で、こういうのができると何かホッとする。「サヨク関係の児童文学全集」をバラで、1冊500円で売っていた。店主の生き様がしのばれる。
ここで買わなくてもいいものをまた買ってしまい、家に帰って飯食って、悶々として寝る。

・コメットさん☆
・第40話「輝きをなくしたケースケ」
「世界一のライフガード」になる夢に破れ、帰ってきたケースケ。一日中ダラダラして、輝きがすっかり失われてしまった。コメットさんはケースケを励まそうとするが……。

おれとしてはものすごく意外な展開に驚く。タンバリン星国のミラとカロンもナニゲに帰ってきていて驚く。この後におよんで(?)、パパとママの前ではぬいぐるみのフリをしているラバボーがカワイイ。
で、次週に続く。

・第41話「タンバリン星国の誰かさん」
ケースケは本物のケースケではなく、実はナニでアレであった。ナニでアレであった人物の輝きを探すために、コメットさんは地球で出会ったさまざまな輝きをもった人々を案内するが、コメットさんにもメテオさんにも好きな人がいるんだ、と逆におちこんでいくナニでアレな人。「恋愛がらみだからダメなんだ」と、男の子に変身してさらにケースケを励まそうとするコメットさんだったが……。

さらにおれにとって驚愕の展開だ!! 結末に関してはいろいろと意地悪な予想を立ててみてはいたが、こんな展開思いつかないよ普通。「コメットさん☆」は、人々の「輝き」と「恋愛話」の2つが大きな柱だと思うが、ここでようやく2つが統合される兆しが見えてきたような。いや、もし別々に解決されたとしてもまあ着地点が見えてきていることは確かだろう。
今までのキャラクターたちが「輝き」という点で統一されていることがここでも強調されていて、コメットさんの住む町の「ご町内性」とでも言うものに統一感が出ているのがすばらしい。
反面、お話をまとめようとしてどうも矛盾が出てきてしまっているようだ。ラバボーがナゾの一団に不条理裁判にかけられる第34回 「星の絆」が王子様エピソードに関する唯一の伏線なのだが、ちゃんとまとめることができるのかね?

それと、最近考えるのが今回のコメットさん☆のように「パターンが期待されつつ、テーマではなくお話のレベルでパターンを裏切っていく物語」をどう解釈したらいいかということ。テーマが本来のパターンにないものならば異色作だし、残酷描写や性描写でパターンから逸脱していればそれもまた異色作だが(戦隊内合コンドラマだった「ジェットマン」とか、人間体で血みどろでブン殴り合う「クウガ」とか)、プロットそのものにひねりが加えてある場合、それは異色作なのかそうでないのか(「タイムレンジャー」とか)。
ワンパターンだと思わせておいて実はそうでもなかったのがかつての少年ジャンプだと思うわけだが(その後、それすらも「ジャンプ的パターン」の袋小路におちいって「ボーボボ」みたいのが出てきたわけだが)、特撮ドラマやアニメではその辺どうなのよというあたり。
まあ全部完結してから考えるとしよう。まだギャッフン的展開になる危険性はあるしな。

1月13日(日)

あまりにどうしようもない精神状態だったので、仕事がえりにさくらやホビー館に寄ってプラモデルを物色。
あまりにどうしようもない状態のときには、手なぐさみにプラモを素組みしたりするのがいちばんだ。

私はプラモ関係は、まったくの門外漢。ホビー館もはじめてかな。けっこう混んでいた。店内にガシャポンの販売機が並んでたりするのを物珍しく見る。
未来っぽいオリジナル兵器とかが欲しかったのだが、2000円くらいして高い。数も少ない。なんか昔の復刻とか。リアル兵器、自動車、ガンプラなどが多かった。

力学(ちから・まなぶ)、Nくん、F先輩と飲み。Nくん、F先輩ひさしぶり。

最近、人と会うときに、その人の好みのものを見たり読んだりして行こうと努力している。しかし、それも過ぎると人と会うこと自体がめんどくさくなったり、本を読んだりビデオを見たりすることが義務になっていけない。涙目になってマンガを読んだりするのはいかにもあほらしい。しかし、「読んでおいてよかった」とか思うこともしばしばなんだよな。
でもまあそういう泥沼から抜け出すため、考えないことにした。

池袋の待ち合わせ場所で、いきなり日影丈吉のずっと前の作品の話になったりしたが、そういうトレンドでも何でもない話ができるのが嬉しい。
なんだか最近、ムダな気を回しすぎなんだよな私。いや、そう見えてないところがまたムダなんだよ。

飲み屋はすいていた。このメンツなら、何かもっと大事な、聞くべきことがあったような気がするが、飲んでいるうちにすっかり忘れた(いつものパターン)。最終的に「未来はこうなるべき」みたいな話をしてたような気がするが、よく覚えてない。
あ、未来はどうなるべきかは、いつもいつも同じこと言ってるからたぶん同じようなことを言ってたんだろう。チューブの中をエアカーが通れとか、みんな銀色の服を着ろとか。
「タバコいかがですか?」って入ってきたおねーちゃんが銀色の未来っぽい服を着てたんで「あっ未来人だ!! 未来はどうなってますか? テレビ電話はできてますか? アシモは走ってますか?」とか聞くようなトーン。「聞くようなトーン」であって、実際聞いたわけではない。そもそも、おねーちゃん自体が来ない。
だいたい、気の小さい私がそんな状況で話しかけられるわけがない。下を向いて目を合わせないように通り過ぎようとして、相手がよけるのと同じ方向に進んじゃって「ちっ」って舌打ちされるような人生。

「サマーセーターの下は矢印の着いた銀色の服で……」とか言ったら、ぜんぜん受けなかったことは思い出した。

それにしても無意味トークがひさびさに炸裂。実は個人個人はそんなに無意味なこと好きじゃないんじゃないかと思うが、4人の合体技で得も言われぬ無意味空間ができたんじゃないかと思うけどどうでしょうか?

あとやっぱりサシじゃなくて飲み会は4人以上がいいね〜。話題が広がるし、ひとつの話題が煮詰まってテンパることもないしね。

また思い出したけど、某新進気鋭の学者のポストモダ〜ンっぷりの是非について、各方面から意見を聞きたいんだよな。酔っぱらってて話が途中で切れちゃったけど。また教えてください。

「山本弘のハマりもの」 山本弘(2002、洋泉社)読了。
氏の趣味を全開にして、食玩、NHK教育テレビ、後楽園ゆうえんちのヒーローショー、カスタマイズドールなど、興味のあるものについて書いた本。
や、これ面白いです。WAIスタの同人誌が紹介されてたからってわけじゃなくて。マニアックな世界をわかりやすく解説していて、未知の世界をレクチャーされる快感がある。マンガや映画の紹介などでも、図版をほとんど使用せずこれだけ読ませるというのはすごい。解説そのものに楽しさがある。

1月12日(土)

この日記でアイドルの話とか書いてて、わざとジャニーズなどの男性アイドルについては無視して書いてきたけど、理由はよくわかんないから。男性アイドルを好きになる気持ちは、女性じゃないとわからんでしょうやっぱり。

ひとつ謎なのは、ブラッド・ピットとか何とか、女の子は外人の俳優とかタレントも好きですよね。ミーハー的に。男でそういうのないでしょ最近。ちょっと前だとフィービー・ケイツとかソフィー・マルソーくらいしかないのでは。キャサリン・セダジョーンズ萌え萌え〜とかぜったいないじゃん(最近の女優で思いついたのがキャサリン・セダジョーンズしかなかった)。その違いは何なんだろうと思って。

まあロリロリな女優がいないからなんだろうけどね。2、3年経つとすぐ大きくなっちゃうし。スピルバーグ関連の映画はかわいくない子ばっかり使うしさー。
いつだったか「ロリータ」(ナボコフ原作の)っていう映画が公開されて、もうロリコンの人たちが「待ってました!!」みたいな感じで、「スター・ウォーズ エピソード1」が公開されたとき、みんな仮装して徹夜して並んでたみたいに「大盛り上がり大会ですよ!! おれ的には!!」みたいに映画館がなってるのかと思ったら、なんか映画マニアみたいなオッサンとおしゃれ映画好きな女の子がポツポツいただけだった。

そしてロリータ役の子が日本で大人気になったわけでもない。

すいません!! カン違いしてました!! ロリータに対して!!

でも映画自体は面白いですよ。ギャグと紙一重的に描かれてて。主人公が最初にロリータと出会うシーンで、ロリータがニカッと笑うと歯の矯正具が見える。もしかして西洋ではああいうのにグッと来るやつがいるのかもしれん(それもカン違いか?)。

昨日から引き続き精神的にダメダメ状態で、イライラしてドカ食いして胃薬飲んだりした。そしてまたデブデブ病になるという悪循環。
それとくだらないことで感動して泣けてきたり。今だったら「うちくる!?」の対面シーンでも泣いちゃうよ。
あー胃の調子が悪い。

「ロボコン」の地方大会、全部見終わったと思ったらまだ2つ残ってた(笑)。それくらい退屈ってことか。

1月11日(金)

毎度まいど、ガキの声がうるさい金曜日。何度も書くが、家の前で中学の陸上部が練習やってやがんだよ。うるさくてしょうがねえ。

ビデオにとっておいた「アイディア対決ロボットコンテスト 高専部門」の、地方予選をやっとすべて見終わる(全国大会はまだ見ていない)。
予選は毎年どうしてもレベルがイマイチなんだが(まったく動かないロボットも多数存在する)、本選でロボットの解説があまりなかったりするので、見られるかぎり予選から見ることにしている。
で、今回が今までにない退屈さなんだよな。理由のひとつには点数を入れる、「成功」したロボットが非常に少ないこと。もうひとつは、ルールのむずかしさ。いまだに今回のルールがよくわからん。
「成功」ロボットの少なさについては、コントローラーを有線から無線にしたことと、制限時間の短さが原因らしい。今回1回くらいならいいけど、このダメダメ感はロボコン存続に関わる問題だと思います。ルールを設定する人はがんばってほしい。

ちょっとアニメ版の「こみっくパーティー」について熱く語りすぎてしまったのではないかと、次第に後悔してきた(笑)。まあ私はいつでも後フォローして恥じない人間なんで何でもいいんだけどな。
もちろん、経験者が「うわー」って手で目を覆いながらそのすき間から見るというか、みんなで見てツッコミしまくるというか、そういう楽しみ方もあることはわかってはいるんだけど、創作同人誌に関するコトバがあまりに貧困なんで、ちょっと強調したかったというのはある。
「コトバが貧困だってかまわないだろう。第一、何をもってコトバを豊富とするのか?」という議論があることもわかっている。あるいは私が貧困だと思っていること自体、錯覚なのかもしれない。

まあその辺は置いておくとして、具体的に言うと商業出版レベルでの言及ってたぶんほとんどないよ。オタク文化としては無視されているし、マンガ評論でも「創作同人のあり方」みたいなことについて語られているのを読んだことがない(あったらぜひ教えてください)。呉智英がコミケや同人誌について「裾野の広さが日本のマンガの豊かさを支えている」とか言っているのを聞いたことがあるけど、じゃあ具体的に何がどのようにすくい上げられているのかについては聞いたことない(繰り返すが、どこかでコメントしているのかもしれないが)。
一方、呉智英発言で言えば、「創作」について「昔は親も故郷も捨てて生きるか死ぬかでやってきた人がいいモノを描いてた」的なことを言っていた覚えがある。私は大前提として、こうした考えに同意する部分はある。背水の陣をしいてがんばっている創作者に、私がとやかく言える資格は一片もない。しかしだ。これは「生活のすべてを賭けないといいものは描けない」という一種の根性主義とも言える。
その逆で、じゃあコミケに出ている多くのサークルの中で、何もかもなげうってマンガ家を目指している人間がどれだけいるかというと数で言えばひとにぎりだろう。
「裾野の広さがマンガの豊かさ」ということと、ここは矛盾してはいないか? 普通「裾野の広さ」と言えば、ブラジルみたいに多くの子供たちがサッカー選手を目指しているとか、そういうことを言うのでは?

呉智英発言がどうのというのではない。こうした矛盾は、創作同人誌を語る現場で常に存在した(はずだ)。この矛盾を解消するのが、「プロを目指して作品を描きつつ、同人誌を出す」という考え方だ。それに対してとやかく言う気も、むろんない。
しかし、それも根性主義に流れる可能性はある。なぜ流れるとマズいかというと、「お祭り的な楽しさ」を捨て去っているからだと思う。それを捨て去っては、マンガはありえるが同人誌はありえない。旧来の漫研的な同人サークルであったとしても、そこに「みんなでやる楽しさ」がなければ続かないだろう。
考えてみれば、同人誌の「修羅場」についてちょっと楽しそうに語る人々が揶揄されたりするが、体育会系の部活で「部活に行くのがめんどくさい」と言いながら3年間やり続けるのと同じようなもんだよな。前者は小馬鹿にされ、後者は何も言われない。どちらも、最終的に楽しくなければやらないだろう多分。

(ぜんぜん関係ないが、昔のスポーツマンガで暴れん坊の主人公が部活だけが楽しみで、放課後グランドに嬉々として飛び出していくシーンがあったが、あんなのPL学園だってありえないことだろう。「めんどくさいけど、辛いけど、最終的に好きだから」ってのが普通だよな、きっと)

その「場」とか「行為」の楽しさについて言及することというのは、少なくとも評論レベルではほとんどなかったんではないか。それが課題なんではないか(←「場」ということで言えば、クラブ、レコードをかけるクラブね、とかと比較だってできるわけだ。いや、単なる相似を見つけだしたり、カッコいい言葉で飾り立てたりするのではなく、ここで問題になるのは「演者」と「客」の関係だ)。ということでアニメの「こみパ」をえんえんと見てしまったりしたのだった。

もうひとつ、私個人の特殊事情があって、サークル設立メンバーのほとんどが「場」としての同人誌即売会に興味がない、ということがあった。「場」に興味がない人との活動に、齟齬を感じていたというのはある。やっぱり、そこらへんは越えがたい一線がある。すれ違いというかね。すれ違い夫婦。

1月10日(木)

ひどい悪夢を断続的に見る。覚えているのは、原本を主催者側に預けておけば必要部数ぶんコピー・製本してくれるというイベントで(もちろん現実にそんなものがあるわけない)、当サークルの製本に落丁があった、と客からものすごく厳しく文句を言われる夢。
この客が、なんかのイベントを見に行ったとき壇上で説教みたいなことを言っていたやつだった。

で、その翌日(←未来の日記!?)、二度寝してしまって、二度目に「しょうゆのびんを倒してしまい、友人のシャツにしょうゆのシミをつけてしまう。そしてかなりイヤミに非難され、平身低頭にあやまる」という夢を見た。ちなみに非難してきた友人ってのは、なぜか小学校時代の同級生だった。
とにかく私の夢は大きく分けて2種類しかなく、「だれかに非難される」か、「非難されたから逆ギレしてこちらが文句を言う」という夢しかない。まったくの意味不明な夢を別とすれば、本当にこの2種類しかないのだ。
やっぱり夢判断って有効なんじゃねえか???

本を探しに図書館および中野ブロードウェイを探すが、やはりなかった。ブロードウェイではずいぶん前からあった肉屋が閉店してた。まんだらけでまたどうでもよさげな買い物をしてしまった。
晩飯に、最近できた回転寿司屋に入るが、「具が大きい」というのがウリだと聞いていたが本当に具が大きいだけ。味はイマイチだった。
帰り道に自転車で通りかかったホルモン焼き屋も、ずっと閉まったまま。

深夜にやっていた「時空警察ヴェッカー DO2」という特撮ドラマを見る。
「2」というからにはパート2なのかな? 小野愛とかゲームWAVEの森本さやかとか、小倉優子とか出てる。みんな未来から来た時空警察らしいが、小倉優子の「現代では政界を探るために、ある政治家のところで家政婦をしている」という設定はムリヤリでスゴイ。もちろんメイド風のカッコをしている。不思議少女役だが、その演技もかなりすごい(いや、私は小倉優子はきらいではない)。
プロットはあまりに単純すぎて拍子抜け。登場アイドルのだれかが好きなら見ておけば、ってとこだろうか。

1月9日(水)

欲しい本があって、仕事帰りに渋谷や神保町をさまよったがまったく見つからない。

しかし山本弘氏「山本弘のハマりもの」(2002、洋泉社)を購入。氏の趣味を全開にして興味のあるものについて書いた本。
この中の「マイナー同人誌ゲットだぜ!」のコーナーでわがWAIWAIスタジオの「ぶっとびマンガ大作戦」が紹介されている!! 嬉しいなあ。思わずまた原稿用紙を買って帰ってしまったよ(最近ネタ、あんまりないんだけどね……)。

気まぐれに、ツタヤで購入したCDレビュー

・「怪盗きらめきマンの歌」 山本正之&ピンク・ピッギーズ(2000、ビクターエンターテインメント)
怪盗きらめきマン

50円で購入。「タイムボカンシリーズ」の新作として一昨年やっていたアニメの主題歌。アニメそのものは、なんかパッとしないまま終わってしまったが、主題歌はカッコいいなあと前から思っていた。
で、あらためて聞いたら……カッコよすぎ!!
メロディもイイが、詞が気合い入りまくっててものすごくカッコいい。「ああ逆転王」みたいな感じなんですわ。それにさらに気合いを注入したような。
とくに、二番の歌詞がいいな。
「きらめきマン」、見てイマイチだと思った人も主題歌はオススメする。

・「おっととっと夏だぜ!」 EEジャンプ(2001、トイズファクトリー)
確か100円で購入。ゴマキの弟・ユウキと女の子・ソニンのユニット。登場当初から「なんじゃこりゃ!?」感をぬぐえなかったユニットと歌だが、あらためて聞いて思った。
「私が物心ついて以来、アルバムの中の曲とかじゃなく、シングルカットされて歌番組で歌われた歌の中でもベストに入る奇作だ……」
楽曲は3つくらいの曲調が混在されていて、なんじゃこりゃ感は相当なものだし、ユウキとソニンの関係性(のイメージ)もまったく見えてこない。同級生なのか、姉弟なのか、仕事上のパートナーなのか、謎。
つんく特有の「笑っていいのか何なのかわからない」演出(?)もますます謎で、「やっぱ海にはサザンが似合う」と歌うと「おっととっと夏だぜ!!」の合いの手(?)が中途半端にサザンのものまねになっていたりする。

で、これがまったく売れなかったなら「そういう歌もあるだろう」で済むんだが、ある程度売れてるわけでしょ。珍作・奇作の印象って、売れるか売れないかでかなり違うから。最初見たときは「これはつんく仕事の中でも、10年後くらいに『なんだったんだ?』と言われるたぐいのものだろう」と思っていたが、その後のユウキ休業、ソニンソロデビューなどの曖昧さ・不可解さと合わせて、私の中では早くも珍奇レベルが急上昇した作品である。
このHPはじまって以来の「ぶっとび歌謡大賞」を与えたい。もらってもいらないだろうが。

NHK教育ドラマ「エスパー魔美」
ネットでは「学芸会ドラマ」、「魔美が絵のモデルのときに脱がない」などのベタな批判を目にした。まず「学芸会」という批判だが、「学芸会」で何が悪いのか? 子供の頃、学芸会、楽しかったじゃん。いやまあ、基本コンセプトからして、ズンドコした感じになるのは仕方ないのよ。
次に「絵のモデル問題」だが、「出ない」と文句を言うのもベタなら「出るわけない」というのもベタではあろう。……ということで言わせてもらうと、登場人物たちが思春期にさしかかっているということを描けたかどうか、なんじゃないでしょうか。
魔美のヌードモデルは高畑くんとセットでしょ(と、思う)。で、高畑くんなんだけど、このキャスティングはもっともいいかげんな作品だと見積もったとしてもダメだと思う。彼は、インテリでありながらエスパーにあこがれを抱いてやまないというキャラ(今考えるとかなり危ないな)なのに、あれではただのコドモです。
ドラマ部分だけど、意味なく踊るのはいいんだよ。楽しいから。でも、全体通してタルい。タルいのはよくない。やっぱり浦沢義雄が超絶的に偉大なのは、まったくタルくないから。あとよくわかんないけど監督も良かったのかな。坂本太郎とか。
ドラマ最後の、オマケコーナーもまったく意味なし。手品のネタばらすの流行ってるんだから、「超能力に見える手品」でもやればよかったのに。
総評:雰囲気100点、実際に見ると5点。以上、感想終わり。

あ、確かNHK教育でもハダカの女の人出てたな。「絵画講座」みたいので。

有料コンテンツ夢枕獏公式HP--蓬莱宮--に入会してしまった。月380円。
なんとなく夢枕獏が恋しくなってなあ……。
この人、長編が多く、しかも刊行の感覚が開くので何巻まで読んだかだんだんわからなくなってしまい、私の心境にもいろいろあってしばらく離れていたのだった。

やっぱり同じ現役の作家を追い続けていると、フッと離れてみたくなったり、また戻りたくなったりするでしょ。

で、肝心のコンテンツなんだけど、まず入会はニフのサービスなのでニフ会員の私にはすごく簡単。中身は、……やっぱり少し重たいのと、懲りすぎって感じがする。ボタンバー、アドレスバー、すべて消さないと画面全体が見えない構成はどうなのか?
それと、やっぱり有料だと「どうせいずれ本になるんでしょ」という感覚から離れるのはけっこうむずかしい。多くのマメな作家が無料で面白い日記などを公開しているわけだし。それが本になっても「タダだからいいや」と思えるし、逆に「手元に置いておきたい」と思えれば買う可能性だってあるけど、有料だとなんかソンした気分になるんだよね。まあファンなら……というところか。

1月8日(火)

ちょっと所用で渋谷に出たら、駅の構内にベッキーがいたよ!!
いや、あのハーフ顔、それとすごい大声でしゃべってたから声を聞いて間違いないと思うんだが……。
制服姿で、「ドラゴンアッシュがどーたらこーたら」と友達と話してた。この寒いのに軽く腕まくりしてすごいミニスカ。一緒にいた友達より5センチくらい短い。気づかれないようにとコソコソした感じまるでなし。しかし周囲に気づいた様子も、まるでなし。

たとえ別人でも、すごい美少女だったことは間違いないので眼福、ってコトで。

その渋谷でCD購入。気まぐれに感想でも書く。

・「This is 運命」 メロン記念日(zetima)
ヒトに勧められて購入。う〜ん、確かになんつーか、スゴイ曲。実はテレビでちょこっと見たことがあったが、この出だしの音の加工のインパクトはウチのテレビではわからない。CDなどでちゃんと聞いた方がいい作品だと思った(何が始まるのか と思うよこの出だし)。イイ音で、あの振り付けで見れれば万全なのでしょう。
アレンジは新堂敦士ってヒトか……。覚えておこう。

以下、ツタヤ物件。
・「プッチベスト 〜黄青あか〜」(zetima)
ウチの近所のツタヤ。私があんまりハロプロに興味なかった頃のベスト。テレビで聞き流してた曲ばかりなんだけど、ちゃんと聞くといいのがある。でもアレンジは(私にとっては)おとなしめですね。個人的にはやはりここにはいないダンス☆マンや渡部チェルが好き。
当時「やりすぎなんじゃ……?」と思ってた「青いスポーツカーの男」も、「ミニモニ。テレフォンリンリンリン」の後には普通に聞ける。

・「気持ちは伝わる」 BoA(avex)
普通のダンスミュージック。落ち着いて聞ける感じ。こういうのちょっと気に入ったからって100円とかで買ってると、あっという間に部屋が狭くなってしまう。
だれか一刻も早く、「ゴ〜ックリゴックリコンと ボアジュ〜ス!」というネタ をやるべき(「空飛ぶゆうれい船」)。

・「solve」 dream(avex)
女の子三人組。ダンス系。RIMIXが4曲も入っていて、わりとちゃんとしてる。お ざなりなオマケ臭はない。でもIzumi"D・M・X"MiyazakiとかchokkakuとかBeatwaveとかREMO-CON TAMURA for Y&Co-ltdとか、私が知らない人ばっかりだった。

あといくつか買ったけど、聞いてから感想書く。

・「ハサミ男」 殊能将之(2001、講談社)読了。
連続快楽殺人犯「ハサミ男」がターゲットの美少女の後を追っていると、その少女が別人に殺されてしまう。「ハサミ男」は、真犯人探索をはじめる。
続きが気になっていっぺんに読んじゃった。「ただ人を驚かせるためだけ」の小説のように見えるし(実際に驚いた)、それはそれでいいんだけど、刑事たちの会話や心理分析についての扱い方に、なかなか含蓄があるんじゃないかと思った。

「プロジェクトX」、新春一発目は二部構成で「あさま山荘・衝撃の鉄球作戦」。
新聞のテレビ欄の紹介がケッ作で、「知られざる真実」「初登場鉄球兄弟」「決死の突入」「謎の救世主出現」という、書いている人の熱血少年マンガ魂がこちら側に伝わってくる惹句。
「初登場鉄球兄弟」って、本宮ひろ志のマンガのサブタイトルかと思った。しかも義兄弟らしくて、どっちかが嫁の兄弟とかそういうんでもないらしい。もしかしてホントに本宮的義兄弟なのかもしれん。
事件そのものについては、さまざまな見方があるのであまりいいかげんなことは書けないが、警官たちにおむすびをつくったり、土嚢をつくったりといった村人たちの後方支援が描かれたのは面白かった。

よく本番組をめぐる雑談で、「あれもやるんだったら○○(とてもNHKで放送できなそうなアブない「プロジェクト」)もやれってんだよなあ」的な方向に流れることがある。私もそういうことを話すことがあるが(笑)、「プロジェクトX」という番組そのものが、そういう部分はあらかじめ切り捨てたがゆえに成り立っていることを忘れてはならんと思う。
後は、見る方の想像力なんだよな。
だって○○の××なんて、あらかじめ失敗することを運命づけられたプロジェクトじゃん。●●の△△だってそう。たぶんこの番組は、そういうことに対する落胆から生まれているものだと思うから。

1月7日(月)

今日、病院。いつも前を通りかかる美容院の羊ぬいぐるみ「ごんちゃん」は今年も健在。

オフセット本出すしかねえ……出すしかねえ……と思いつめて印刷屋さんのHPを回るが、やっぱり100部は出ないとどうにもならんね!! だからオフセットをやめたことを思い出したよ。どうどうめぐりな思考。よく考えたら、私が親しいヒトに献本しない(できない)のも、あまりにも少部数なためなのであった。いや、全部あげてるとあげてるだけで終わっちゃうのよ(泣)。
でも「ぶっとびマンガ」についてはマジで印刷にしたいんでヨロシク。100部なら1部300円で売って、なんとかなるだろ。まあ500円はムリか……。400円は? ま、後で考えることにする。

録画しておいた「サイボーグ009」第11話「幻影の聖夜」。クリスマスをフランスで迎えることになった003、過去の幻影に浸っているうちに悪夢世界へ放り込まれる……。

私とかそれより少し上の世代だと、003を見るとなんとなく気恥ずかしくなるんじゃないだろうか? それとも私だけか? 個人的には理由がある。
本来石ノ森章太郎って「勝ち気な、はねっかえりな女の子」を描くのが得意だったが(「イナズマン」の女の子とかの方がキャラ立ちしてると思う)、おそらく自分の他の作品との差別化のために、ふた昔前の少女マンガから抜け出てきた「古風な」キャラクターになっていること。
「009」という作品があまりに長期にわたっての人気作だったために、その古風なキャラ造形が現在まで引き継がれてしまっていること。
(私が知るかぎり)マンガにおいてシャワーシーンなどのサービスカットがゼロなこと。
とくに、この点はサービスカットを惜しまなかった石ノ森作品としては珍しい。その理由は不勉強にして、謎。同工異曲の「メゾンZ」なんて、朝日ソノラマ版ではカラー口絵が半裸の女の子だったんだよな〜。しかも巨大カニロボットに服をちょん切られてしまうシーンなのよ。古い話。

アニメ版では001から004までが、戦後すぐの人間たちだったことになっているらしく、故郷に行っても003の知り合いはだれ一人生き残ってはいない。最初は奇異に思えた「001から004までが別」という設定だったが、もともと003って改造人間としてのハンデが皆無にしか思えないので、その悲哀を表現するにはいい方法だったかもしれん。

「キマイラ群狼変」夢枕獏、読了。一昨年の作品で、15年以上にわたって継続しているが、やっと現在に追いついた。15年だよ15年。高校生の頃から読んでるんだもんな。まったくまいったよ。

1月5日(土)

マンガ感想系MLの新年会。主催者の町田市の家にて行われる。
「仕事で遅れる」と言っていたのだが店に行ったらあまり仕事がなく、けっこう早く着いてしまってカッコワルイ自分。

総勢20人近くが集まり、飲んだり食ったりでたいへん楽しかった。昨年も同じ催しが行われ、私は悪酔いしてしまった苦い経験から飲み過ぎないように用心し、明日も仕事があるのでムチャをせず10時半頃、帰路につく。
そうしたら、帰りの電車の中で遠隔スタンドの影響を受けたかのように酒がまわってきて、「ドドドドド」という擬音とともに帰宅。やっぱりうちでゲロ吐いちゃいました(笑)(「甘栗むいちゃいました」のような感じで)。

ビールしか飲まないようにしてたし、途中からウーロン茶に切り替えたし、なんでだろうと思っていたら、コップ一杯ウイスキーを飲んだことを翌日の昼くらいになってから思い出した(笑)。そういえばウイスキーなんてふだん滅多に飲まないもんな。 こうして、「飲んだことを忘れるくらい酔っぱらった」ということが判明したのでした(「今日のわんこ」の結びのような感じで)。




ところで、……ネットウロウロをしていて思ったのだが、私がソンケイしているマンガやアニメや映画や小説の目利きの人たちの多くが、なぜアイドルに関してはトンチンカンチン一休さんなのか!?(いやもちろんちゃんとしたことを書いている人もいるが)

たとえばモー娘。に関して言えば、いわゆる「モーヲタ」と言われている人と音楽に詳しい人を除いた、「なんでこんなに流行ってるんだろう、疑問〜」的スタンスにいる人の見当違いがヒドい。それは、マンガ/アニメ/映画についての、その人のそれほど詳しくない分野の言及よりもヒドいのだ。
何度も書いているが「モー娘。」ならば集団アイドルとしてのおニャン子〜乙女塾/桜っ子クラブ〜チェキッ娘の流れを無視できない。あるいは「アイドルそのもの」だったら、昔の松田聖子と小泉今日子(「なんてったってアイドル」=アイドルの自己言及化)をはずせないし、そこから森高千里への流れもはずせないはず(これ以上詳しく書こうとすると、私自身が知らない領域になってしまうが。あーあ。だからあんまりコアな反論してこないように(笑))。あといわゆるバラドル的流れね。井森美幸を元祖とする。
音楽に詳しい人が、アイドルの楽曲の洋楽からの影響などについて分析する文章はわりと見受けられるのに、そうしたタテの流れについての文章ってあまり見たことがない。アニメや映画について、「昔のドレソレのマネだ」とか詳しく書いているその脇で、アイドル関係についてはないがしろだったりするからちょっと目立つ。
「松田聖子がすべての起点」という考えに対する反論として、それ以前のピンクレディーや榊原郁恵に言及できるのはそれからのことだ。

アイドルはラブコメマンガと同じで、受け手に超歴史的な部分が希薄なため、その都度その都度消費され語られるのは仕方ない。「大人になって懐かしむ」というリピーターもまず存在しないわけだし。しかしそれにしてもちょっと納得いかない。

田代まさし逮捕だって、「元シャネルズ」、「ベタなお笑いをやる人」以外に、フジテレビ関係のアイドル番組の司会をつとめていた人、という視点もあるのではないか? ちょうどスチャダラパーに「疲れたマーシーばっかり出てる」と言われた頃。
「志村けんの弟子的存在」というイメージが強いマーシー、とんねるずや鶴太郎や吉田照美の次にアイドル番組の司会を「任された」人材であったはず。そして師匠筋の志村けんも確か「桜っ子クラブ」の司会をやっていた、このあたりのことはどうなのか。
……「どうなのか」って、別にどうもなんないけど。

1月4日(金)

いろいろなヤボ用をやる。
「ヤボ用」で思い出したが、高校のときに教師が「あたし、今日ヤボ用なの」という言葉を英語で訳すのはむずかしい、と言っていた。
この場合のヤボ用は普通「今日、用事があるから」、「おっ、デートかなんか?」、「いや、ヤボ用だよ」というときのヤボ用だろう。要するに色気のない用事、という意味だ。
しかし「あたし、今日ヤボ用なの」ってのは何だ??? 当時は何にも思わなかったし、まあ嬉しそうな表情をともなって使われれば意味は通じるが、1回ひねってあってよくわかんねーぞ。
アメリカの若者が「グッド!!」というところを逆説的に「バッド!!」と言う(んだかなんだか知らないが)、そんな用法か? そんな用法、実際にあんのか?
だいたい今の女の子、「ヤボ用」なんて言葉自体使わないだろ。

……まあどうでもいいや。
この間の飲み会について、1日反芻していた。なぜ話が噛み合わなかったのかと。

以下、年末〜正月番組雑感。
「ザ・ベストテン2001」を見て懐かしくて涙する。往年のアイドルが浅香唯と南野陽子だけだったのが寂しかったが……(まあ松田聖子と中森明菜はもう一世代前だから)。
南野陽子は「はいからさんが通る」の袴姿だったが、あまり変わってなかった。「はいからさんが通る」の歌は今聴いてもイイ歌だ(確かアニメの「味っ子」の主題歌を歌ってた人作曲)。詞もいい。
「テレビに絶対出ない」ことをステイタスとする人気歌手がいたことを思い出す。
今、そういう人っているのか。わからん。
「紅白歌合戦」において、ドリフやハム太郎が出たことを「他局の番組を出していいのか」とか「驚いた」とか書いてる人がいるが、去年だってピカチュウが出てたじゃないか!! 登場する曲も、特定の番組から火がついたとかドラマの主題歌だったとかそんなのばかりだし、もうトボけきれないんだよ、「今年あったできごと」なんつったって、採用できるのはメディアの中のことばかりなんだから。要するにそれはだれかがつくったものだっていうことだから。それでいいんだよ。
昔と違って仕掛け人も明解だしな。
有働アナのコスプレをしたウド鈴木と天野が登場、有働が「似合ってますね〜」と言ったら天野が「有働さんも変装がお得意で」と言ったことに個人的に大喜びしてしまった(笑)。我ながら単純だ。
「K−1VS猪木軍」、個人的に面白くなかった。まあメインはあれでいいとしても、他の試合しょっぱすぎ。佐竹にはいつもガッカリさせられるなあ……。「異種格闘技戦に名勝負なし」を証明したと言わざるをえないなあ。
・今年はお笑い番組をほとんど見なかった。「見なければいけないのか!?」と義務感にかられ、「しかし別に義務で見るっていうのも……」と思い直すなど、と意味ない葛藤があったりした。個人的に応援している「ますだおかだ」が散見されたのはいいが、フリートーク的な部分ではスベってたなあ。弱ったなあ。
「モー娘。」主演のドラマ、「伊豆の踊り子」だけチラリと見たが、ドラマ云々以前に当時の身分差というか階級社会的な部分にひっかかって非常にダークになった。「人買い(?)の大杉漣に連れて行かれる保田圭」はムダなリアル感を出していた。
反面、国分佐智子はあまりのモデル顔に、リアル感がなかった。
「大食い番組」が同時間帯で激突。視聴者に不親切なことこのうえない。迷ったあげく「フードバトルクラブ」を録画、見る。やってることは同じなんだろうが、こちらの方が肉体を酷使しているように見えるなあ。ルールも微調整されているようだから、その辺は製作者側も考えているんだろうけど。

1月3日(木)

ビデオで「こみっくパーティー」(3)〜(7)完結。一気に全部見てしまった。

全体通しての感想はここに書いたんだけど、こういうの見るといろいろ過去のこと思い出すねえ。伊集院光的に言えば「出ちゃう」ね。

・コミティアでどっかのサークルがイラストを集団で展示する、ついては他に展示物を募集するっていうんで、自分も頼んで展示してもらった。で、そのことを某人物に話したら心底不思議な顔をされて「なんでそんなことするの?」「なんでそんなことするの?」と聞かれたり(展示するほどのもんか、って意味か?)。
・開場前に一生懸命ポップを描いてたら「意味ないよ。そんなの捨てちゃえよ」と言われたり。
・「あのさあ、この文章のアキにイラストを描いてほしいんだけど。テキトーに。まあお前の毒にも薬にもならない絵を入れてさあ」と言われたり。
・「足りないぶんをコピーして製本して持ってきてくれ」と頼んで、開場しても待てど暮らせど来ないんで電話したら「今、折ってます」と言われたり(そば屋の出前かよ。いや、そば屋の方が嘘をつくだけマシか)。
・「即売会当日に原稿ができるから、本に入れてくれ」と言われたり(当日に入るかっつーの)。
・私が全部レイアウトしたオフセット本ができあがる当日の打ち上げに、待ち合わせ場所に行ったらだれもその本をおれに渡してくれることを考えていなかったり(現物も見ないで打ち上げができるかよ)。
・ドヘタクソなやつが挿し絵を入れたいっていうんで、こりゃあいくらなんでもなんとかした方がいいと思って他のやつに相談したら「新田はあ、マンガとかに詳しいからヘタクソに見えるかもしれないけど、おれたちにはそういうのはわかんないから……」と言われたり。
・書いた文字原稿をそのまま死蔵されたり。

ま、「終わらない学園祭ノリ」で行けるのは、ヒトにもよるが私の場合3年が限度だった。
この辺話すと、長いんだ。キリがない。まあよかったのは今まで金銭トラブルがなかったことくらいかな。とにかく今後、執筆以外のことにはもうわずらわされたくないっていう気持ちがあります。漫研の運営なんかでもよくあることですな。

午前中、力学(ちから・まなぶ)から連絡が入り、吉田等、力学(ちから・まなぶ)と会う。
しかし今回、昨年の29日に比べると話があまり噛み合わなかった。なんでだろ。最近のミステリの話になったんだけど、私自身が興味を失ってしまっていることと、ミステリの話ってさあ、ネタバレしないと話できないし、知らないと話の輪にまったく入っていけないから。最近のミステリなんて1冊も読んでないし。
それと、本の趣味に関しては私は二人の傾向を把握しているつもりだから、「あ、これは自分にはつまんないんだろうな」とか「これは面白いな」とかが読む前からわかっちゃうからね。
もっと面白い話題をふろうと思っても頭が働かなかったし。出世かリストラ以外、他人の仕事がどうなろうと興味ないしな。

1月2日(水)

典型的な寝正月を過ごしてしまい、うろたえる。
この間、吉田等、力学(ちから・まなぶ)と会おうということになっていたが、なぜか連絡したら吉田等は午前中から不在。まあ口約束だったからね。

ビデオを返すために渋谷へ行くが、電車はガラガラなのに渋谷自体は非常に混んでいて煩わしかった。哀しかった。渋谷のツタヤはウチの近所より品揃えがいいのでわざわざ行っている(通勤途中でもある)のだが、そんな自分が孤独に思えてただひたすらに、黙って帰る。

ビデオ「疾風! アイアンリーガー」(1)

ビデオで「機甲猟兵メロウリンク」(2)、(3)。引き続き復讐。メカ。復讐。

ビデオで「こみっくパーティー」(2)

あ、あと書き忘れたがその前には「不良番長」。梅宮辰夫のあまりの不良ぶりにビビる。



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