ロックンローラー
大放送!!

一気に下まで行きたい

1999年

7月30日(金)

・「あうのはいつも夕方」 佐々木赫子(1979、童心社)読了。

私とて年がら年中、宇宙だのロボットだの忍者だの、未来の国の無重力ディスコのことだのを考えているわけではナイ。

佐々木赫子は児童文学の作家である。それも、かなり地に足の付いたというか、ファンタジー系というよりはリアリズム系のヒトだと思う。

もうずいぶん前、まったくの気まぐれに図書館で借りた、「月夜に消える」(1988、小峰書店)を読んで、いっぺんに魅了されてしまった。

同書は、都市伝説などをうまくアレンジした比較的幻想的な作品だったが、とにかくその幻想に持っていくまでの描写が非常にリアルで、ウマいのだ。

だが私的には、読書というのは「仲間うちでの盛り上がり」だの「体系的な情報」だのの方を優先してしまうため、イキナリ佐々木赫子の著書を全巻読破、などということにはならなかった。

実際、児童文学の世界はそれだけで独自なジャンル、というイメージがある。ファンタジーとのつながりがある「だれも知らない小さな国」「光車よ、まわれ!」、アニメ化された「冒険者たち(ガンバね)」などはともかく、子供たちの日常を淡々と描いた作品となると、新田には情報が入ってきようがない。

佐々木赫子の人物描写は名人芸と言ってもいいほどだが、その名をあまり聞かないのは私が佐々木赫子情報から隔離されているか、文学界がボンクラかどちらかしかない、とすら思ってしまう。

本書「あうのはいつも夕方」は、孤独な少年・久生がひょんなことから出会ったヨソの飼い犬「ボリス」と過ごした日々を描いている。
まず「ヨソの飼い犬」というところがふるっている。それだけ、久生とボリスの結びつきが強く描かれるからだ。

ボリスの飼い主は、さる事情からまったく不本意なカタチで犬を飼いたくもないのに飼っている老婆である。そこで久生がボリスの散歩を買って出たのだ。

物語は、久生とボリスの交流を縦軸に、久生の両親(父親は大学の先生、母親はテレビのプロデューサー)、ウサギを飼っている太った少女ミルキー、あやまってボリスがかんでしまった男の子その母親と久生とのやりとりなどから成り立っている。

あくまでも論理的で、論理的すぎて久生の心がわかってやれない父、忙しすぎて久生をかまってやれないためにつとめて明るくふるまう母(この2人はニューファミリーの先駆けという感じ)、親友だったのに引っ越してからはまったく心が離れてしまったことを感じざるをえない和彦、キツい性格だがなぜか心が開けるミルキーなど、一人ひとりの登場人物の描写に本当にリアリティがある。

そして久生の孤独と、「ボリスを飼いたい。」と思いきって両親に切り出すときの彼の勇気。

どんな小さいこともドラマになるんだなあ、と考えさせられる。

小説を読む楽しさを認識させてくれる作品であり、作家である。

7月26日(月)

実は病み上がりです。
どうなることかと思いました。

でもちゃんと病院行って検査したけどね。
だもんだから、まだコミケコミティア頼まれた同人誌の原稿を何もやっていません。

すいません、みなさん……。
いろいろ悩んで、病弱を売り物にするというのは本当にイヤだと思ったりしたんだが、でも本当に身体弱いんです。

第二次性徴で一時的にすごい健康になるでしょ。アレにだまされていたみたい。
二十代後半を過ぎてみればこのザマですよ……。
30過ぎてしみじみ思うわ……。

年老いた親に心配かけたのも罪悪感120パーセント。
すいません……。

7月25日(日)

暑いんだよ!!
7月でこんなに暑いんだから、12月はどんなに暑いんでしょうかねエー、という漫才のネタが私は好きだ。
でも暑いのはキライだ!!!!!

兄が上京してきて、タバコをすぱすぱ吸うので家中がタバコ臭くなり辛かった。

……こんな小さなことでも辛いのだ。もっと辛いことが起きたら、私はどうなってしまうのであろう。

先日書いた「ささやかに重要なこと」といえば、「さくら出版」の渋〜い復刊マンガラインナップや、まだ入手してないかなり前に出た「男の星座」や、物欲はあいかわらずあるのだが、カネがぜんぜん追いついていかない。

もともと本を読むのは遅い方なので、「ジェーン・エア」とか「冷血」とか、やたら分厚い本を古本屋で買い求めたら、それだけで一生持ちそうな気もするのだが。

でもなんかそれじゃムショ暮らしみたいだな(笑)。

7月24日(土)

ささやかに重要なことがいくつか。

まず(知っている人は知っているかもしれないが)
「THE レイプマン」
(みやわき心太郎、愛崎けい子)が復刊された。シュベール出版から。

これは、「ぶっとび認定委員会(仮)」には少なからず重要な意味を持つ。
なぜなら、「レイプマン」という作品自体が、かつてまともな評価を(私の知るかぎりは)されたことがないまま闇に葬り去られた? 作品だからである。

「ゴルゴ13」顔負けのクールさで、不動産屋のオヤジから請け負ったレイプ仕事を遂行する男の物語。
連載当時、「ABブラザーズのオールナイトニッポン」で連続して取り上げられたことがある。このときは完全にギャグとして、であった。

レイプは悪に決まってる(そのとおり!)、あんなに都合よくレイプできるわけない、等々の「花形満はなぜ中学生なのにスポーツカーに乗れるのか」的な扱いであった。

また故・沖田浩之演じるVシネマ「大江戸レイプマン」など、男の単純な欲望をおバカなまま映像化するという、映像の「ナンセンスな題材」として見られていたフシがある。

確かに、それもまた一方では正しい見方ではある(当然、レイプは悪、という前提にかぎってのことだが)その後、私の記憶では、「連載終了後に」女性団体からクレームが付くというカタチで、コミック版は書店から姿を消した。

すなわち、「THE レイプマン」には、「ギャグとしか受け止められない」ナンセンスさと、
「ギャグですまされない」という二重構造があるのだ。

男でも、女でも、欲望に忠実すぎるほど忠実なマンガにはある種の潔さすらかいま見えるものだが、「レイプマン」にはそう言いきってはならない一種の「不気味さ」がある。

私の知るかぎり、その「不気味さ」について言及しているのは雑誌「ユリイカ」
「悪趣味大全」とかいう特集の唐沢俊一氏のコラムしかない。
短い文章だったが、「悪趣味」をキーワードに、「レイプマン」の不気味さをみやわき心太郎の作品論とからめた小気味イイ文章であった。

復刊に際し、今こそ「THE レイプマン」の謎をひとまず明らかにすることが
必要だ。
そのとき、我々は一般誌で滅多に語られることのない人生の不気味な「何か」に触れることになると思う。
いずれ、マジな作品論をやってみたいマンガなのだ。

断っておくが、レイプの実行犯はみな去勢の刑にすべきだと私は思ってますよ。

……もうひとつは「ムトゥ 踊るマハラジャ」「テレタビーズ」だ。
両者に共通しているのは、「あ、この人センスいいな」と思うような人々の間で非常に評価が分かれるということである。

具体名は出さないが、「ダサ物件」ともいうべき、リトマス試験紙のようなモノが存在する。
それが好きなら(キライなら)ダサい。まあ別にダサいからといってかまうことはないのだが。とにかく、「踊る〜」と「テレタビーズ」は、そういうふうに明白に評価する人間を選別するものではない。

かといって「これがわからなきゃ遅れてる」的な、いわゆる教養スノッブ物件とも違う。実に判断がむずかしいのだ。

だが意外に、こういうところに人生のなんたるかが潜んでいるのではないかと思い、固唾を飲んで? 見守る新田であった。

ちなみに、私は「踊るマハラジャ」は未見、「テレタビーズ」はキャラクターはカワイイと思う。ただ、「カリキュラマシーン」から「ウゴウゴルーガ」、現在の「おはスタ」に至るまで、分刻み、秒刻みのテンポの早い子供番組に慣れた身には(私は大人だけど)、物足りないのが正直なところだ。
キャラクターのデザインと背景は好きだけど。

7月19日(月)

「時計館の殺人」綾辻行人(1995、講談社)読了。

素人探偵・島田潔(鹿谷門美)が活躍する「館シリーズ」中の一作。
W大学の超常現象研究会メンバーとオカルト雑誌の編集者が、霊能者とともに「時計館」に閉じこもって交霊実験をすることになる。

「時計館」とは、巨大な時計を模し、巨大な時計台を持ち、さらに館内では108つのアンティーク時計が時を刻み続けるという異形の館である。
そこで起きる連続殺人の謎を追う。

……うわー、こりゃわたし的にはダメだなぁ。好きな人には悪いが……。
犯人はすぐわかっちゃったし、トリックもはっきりとは言い当てられないものの、もう「アレを使っていることは間違いない」というのがわかっちゃう。

何よりいちばん不満だったのが、……これはネタバレになるからどう書いていいのか考え込むが、探偵・島田潔の「謎の探り方」である。
これは謎の隠蔽に腐心するあまり、はからずも名探偵の最大の弱点を自ら暴いてしまったようなもので、ラストのいちばん肝心な種明かしのシーンで失望を味わってしまった。

もとより「名探偵」の存在にそれほど愛着があるとは思えない綾辻作品ではあるが、いくらなんでもこれはないんじゃないかと思うがどんなものだろう。

7月18日(日)

昨日、吉田等・力学(ちから・まなぶ)と「たの午後」17号の打ち合わせ。
しかしこんなことしてていいんかね?
とか素に戻る私であった。

とくに「挿し絵を入れなければならない」企画に難色を示すワタシ。

別にナンボでも描いたってかまわんのだが、いちばんの不信感は「吉田も力学(ちから・まなぶ)も絵を描かない」ということだろう。

どれくらいの手間かさっぱりわかんねーらしいから。
いくらワタシの絵のようなモノでも、いざ描くとなったら時間がかかんだよ。
まあ逆に「めちゃくちゃ絵がうまくて、早い人」の注文を受けるのもイヤだけどな。

私の主張としては、たとえるなら、
「100円払ってジュース買って、その100円も返してくれ」
「パンとサーカスを」
「パンがなければお菓子を食べればいいのに」

ということですよ。

しかし長時間のブレストは疲れたよ。
しかもあんまし心地いい疲れじゃないのが、もう私の限界なんだよ。
つらかとぶぁい、ですよ。

コミケカタログを、109の本屋で買いましたよ。
なぜか置いてあんだよな、109の中にある本屋に。
同じ階に、こじゃれた女の子向けのなんか(なんだかわかんない)が売っている店がある階に。

その後牛丼屋に入ったら、すごく太ってて、ビッシリあごひげの生えた男がいて、見ているだけで暑くなって、
「牛丼なんか食べようと思ったからだ。報いだ。報いなんだ〜」
って叫んで走って帰って、録画していた「ヴァニーナイツ」の総集編見て寝ました。

レギュラーメンバーのフリートーク的なシーンがあるんだけど、永井流奈の素のしゃべりは、ロリロリでなんだかヤバいね。
主人公の妹役の子が、主要レギュラー3人になんだかビクついている(ように見えた)のも興味深かった。

7月17日(土)

昨日の通信トラブルは、センター側の問題であることが判明。
謝罪メールも来た。うんうん、わかればよかよか。

しかし最近多いんだよなーニフティ。
よく取れば、インターネット人口の激増か???
悪く取れば、社内でゴタゴタしてるんか??? 業務のシステム的に。
それにしても、ニフティがいちばん栄えていた頃のことを懐かしく思い出すほどになってしまった。

インターネットが発達するとパソコン通信とかフォーラムはなくなるだろうか???
料金の方をなんとかできれば、アクセスの手堅さや速さ、ある程度情報が集中するという点から、ぜひ棲み分けて残ってもらいたいと思う。

昨日は休みでした。
しかし、あまりの暑さと酒飲んだらアタマ痛くなってきたので、何もしませんでした

しかし何でしょう「何もしなかったこと」に対するこの罪悪感は。
別に、私にだれかが「何かやれ」と言っているわけではないのに。
まあまったく罪悪感がないのも考えもの何だろうけどね。

あ、あとまたひとりで酒飲むのやめようと思います
なんか身体にイヤなものが溜まっていく感じ。
悪夢を見たりして、意外にストレス解消にならないし。

カネがない。
だれかください。

7月16日(金)

また通信関係トラブル。
メールが一通だけ読めない。
しかたがないのでセンター宛メールを出す(もうカウンターサポートには電話さっぱりつながんないし、急ぐメールでもないしそれで時間取られるのがイヤ)。

昨日は「たの午後」打ち合わせ日取り確認のため、吉田等に電話。
「最近面白いことないんですか?」と聞いたら、

アメリカンプロレスのビデオ見た……」
「いや、私あんましアメリカンプロレスに興味ないんで……
だいたい、最後に見たのって吉田等さんと見た10年ほど前の……」

「ああ、リック・ルードの出てたヤツ?」
「あの人、死んじゃったよ」
「……」
「心臓発作で」

……だから楽しい話を聞かせてくれっつの。

テレビドラマ関係、去年ほど「うおーっ!!」って夢中になれるモノが少なくて困ってる。
しかも「連続視聴をやめようか、どうしようか」という微妙なモノが多い。
見てもすごいカタルシスが得られるわけではないし。

ぬうう。このぬるま湯から脱却したいのう。

7月15日(木)

こっちにも書いたれ。

おとといから2日連続で「二重ログイン」の表示が出て、
ニフ&インターネットにつながらなくなった。
すぐヒトのせいにするボクチンは
「ニフの陰謀だ〜ッ!!」
「キバヤシ!!」

と意味もなく叫んでいたが、

電話して聞いたらどうやらウチのパソコンかソフトか電話回線が悪いらしい。
しかしパソ通やってたときはこんなこと一度もなかったんだがなあ……。
原因究明がめんどくさい。

山田風太郎「天使の復讐」(集英社文庫)を読んでいたら、
「なんとひどい日本語か!!」という鉛筆の書き込みが……。
古書店で買ったんだけど、なんかなあ。この本が気にくわなくてタタキ売ったんかなあ。
なんか馬券みたいのはさまってたし。

「天使……」は風太郎の初期ミステリ短編集。やはり8月15日、終戦の日に起こった殺人事件? を描いた「狂風図」がいちばんすごい。
価値観が何もかもひっくりかえっちまった時期に生きた若者のすさまじいばかりの怒りと呪詛の声が伝わってくるようであった。

やはり、たまにムカシの本読まないとダメだと思った。

7月12日(月)

シュミでまたマンガを描く時期になりました。

今日は何もしませんでした。
1日泣いてました。

7月11日(日)

シュミでまたマンガを描く時期になりました。

また「マンガ執筆日記」復活です。
しめきりは8月17日。

でも、今回はここに書きます。
それと、面白おかしく書こうという努力はしません……。単なるメモ書き。
こっちに時間とられちゃうからね。

とりあえず、キャラクター設定、ネームはできてます。

7月9日(金)

こんにちは、田中三平です。

いや〜、新田五郎だか滑川ニュッピーだか、
「例のアレ」が出てきてイジケて出てこなくなっちゃいましてね。
「例のアレ」について書き出すとキリがないんだけど、とりあえず無難な話題でまとめます。

新田がだらしなく店員をやっている昼時、近所のサラリーマンたちは空腹のあまり「お腹減ったよお〜」、「お腹減ったよお〜」って泣きながら商店街を徘徊します。

するとそこに、例の「新コンビニ」が!!

「いい匂いがするぞお〜」

サラリーマンたちは「新コンビニ」に寄ってきます。
しかし!
「新コンビニ」の前の肉屋さんも弁当を売っているのです。
彼らサラリー族はそこに行列をつくったぞっ!

お肉屋さんに!!

「な、なぜ……」
と「新コンビニ」の店長がグルメマンガ風に言ったか言わないか知らないが(ぜったい言ってねー)、少なくとも肉屋の弁当は「525円で揚げたてのカツ弁当」なのだ。

かつてとんねるずの石橋(かだれか)に「オゲレツ弁当」とまでさげすまれたコンビニ弁当も、今やスーパーサイヤ人的な進化を遂げた。決してマズくはない。

だが、さしものコンビニ弁当も、揚げたてには勝てまいか。
とりあえず「新コンビニ」の弁当は肉屋の弁当に負けた、とニセ店員新田は判断したようである。

ここに、どこやらかワゴンを持ってきて「天むす弁当」をのどをからして売るおねーちゃんも存在するのだが、それはまた別の話である(夢枕獏調)。

……と、こんなこと書く以外は何もやる気が起こらない。

これじゃすべりどめも受からないよ〜!!!!!

別に何も受けてませんけどね。

……今の「スタートレック」は面白いのだが、なぜ1本見るとあんなに疲れるのだろう。

7月4日(日)

・「あいにくの雨で」麻耶雄嵩(1996、講談社ノベルズ)

数年前、殺人があった塔で再び殺人が起こる。

発見者は高校生・如月烏兎(きさらぎ・うと)熊野(ゆや)獅子丸香取佑今(うこん)

現場には、塔に向かう雪の上に被害者の足跡がひとつ。
犯人の足跡がない「塔」の密室殺人、そしてそれとの関連性がほのめかされる連続殺人の真相は!?

「麻耶雄嵩、正面からの雪の密室に挑戦!」

確かに、雪の密室には直球勝負。
しかし、表紙の看板には、少々偽り有り。「これが麻耶雄嵩だ!!!」というでかい文字が表紙におどる。
だが、基本プロットはミステリクラブの仲良し3人組が、近所の不気味な塔で起こった密室殺人に挑むというもので、

過去3作「翼ある闇」「夏と冬の奏鳴曲」「痾」のような幻想的な作品を期待して読んだ読者は、肩すかしを食らうことになるだろう。

「これが麻耶雄嵩だ!!!」は間違い。

「これが麻耶雄嵩の新境地だ!!!」が正しい。

すなわち実に「まっとう」に、それこそテレビの2時間ドラマにしても遜色のないようなミステリが展開されているのだ。

・それではまず「まっとうな」ミステリとしての難点をはばかりながらあげてみたい。

「塔で起こった密室殺人」はよい。問題は、それと並行する「生徒会長の
選挙戦にからむ、主人公・烏兎たちのスパイ行為(スパイごっこ)?」にある。

こうした、生徒会を一種の権力機構になぞらえ、スパイもののヒナ型的舞台に
利用するのは少年・少女マンガにはよくあるパターンだ。

だがこれを小説にリアルに流用したらどうなるか。あまり好きな言い回しではないが
「悪い意味で」劇画的になることはまぬがれないだろう。

もちろん、作者は容易になされるツッコミに対処できるほどには
「生徒会と選挙管理委員会のかけひき」などに細かい設定を入れてある。
入れてあるが、それゆえに「塔の密室殺人」とのギクシャクさが目立つように感じる。

ではこれがコメディタッチの作品であればどうか。
かなりのところまでごまかせたのではないかと思う。

また、多数の登場人物が入り組んでいるのにミステリの冒頭にはよく付いてい る「キャラクター表」がない
だから、とても見にくい。これがないことがミスディレクションなのかとまで
勘ぐったが、どうもそうではないようだ。

けっこう入り組んでいたので、メモ書きに相関図を書いてしまいましたよ。

・次に、本作の時点での「作家・麻耶雄嵩」について思うところを書いてみたい。

ミステリを、その作者の心情のストレートな吐露として読むことは危険であるが、あえてやらせてもらうと、「コメディタッチ」に仕上げることは作者の本意ではなかったように思う(実際、本作はコメディではないが)。

前作「痾」から引き続き、本作の根底に流れるのはゾッとするような人間不信である。

「痾」がかなりシンボリックに「自分とは何か?」というテーマに触れていたのに対し、象徴のいっさい入り込まない「まっとうな」作品である本作は、それゆえにシビアに、冷え冷えとした感触を残す非常にダークネスな作品となった。

もしや、この人間性に対する強烈な不信感が、実は麻耶雄嵩のウリとなるのか。
そんなことが気になるところではある。

・そして作品全体の感想

使い古された機械トリックにまっこうから挑み、しかもその謎解きの部分を
冒頭に持っていくやり方には、「大胆不敵!」と感嘆してもよいだろうと思う。

もちろん、冒頭のネタばらしは後半に生きてくるわけで、
一種イカモノ的とらえられ方をしてきた麻耶雄嵩が、実はまっとうなミステリを
書けるという、証明のような作品になっていると思う。

ただし、(個人的に感じるのは)全体的に暗すぎる。青春ミステリ(本作は 「青春ミステリ」などとはひと言もうたっていないのだが)としての爽やかさが微塵もない。

烏兎の彼女「利恵」などは、ただ出てきただけだし。

ただし、「あいにくの雨で」というタイトルは、とてもいい。

7月2日(金)

ついに、「緊急企画! 趣味のマンガ執筆日記4、5月」に泣き言をつづったわたしの作品を掲載していただいた、
「Creat同人誌・5号」が完成して送られてきました。

いやあ、感慨ひとしおです。 本の構成、デザイン的には編集長の海明寺さんが関わっておられると思うので
まったく心配はしていませんでしたし、
結果も上品な、美しい仕上がりになっています。

内容は、かなり個性的な面々が好きなことを描いていたり、道具や手法のことにもコラム的に言及があったりと、
一種「学漫」ノリですがそこらの学漫会誌なら指先1本で、1本で、でんぐりがえーるぞー、
なデキになっておりますですよ。
(……私のはともかく、ネ)

購入希望の方はニフティサーヴFCOMICRE「Creat同人誌プロジェクト」
会議室を参照してみてください。現在通販やっていると思います。頒価1000円。

プロ作家、うまい人、情熱のある人が参加しているアツい本になっています!

7月1日(木)

・「痾」 麻耶雄嵩(1995、講談社)読了。

殺人事件(前作「夏と冬の奏鳴曲」)の後遺症で記憶喪失となってしまった如月烏有(うゆう)は、記憶を取り戻すために神社に連続放火する。
その焼け跡からは毎回烏有に覚えのない焼死体が必ず発見される……。その殺人さえも烏有がやったことなのか!? 

メルカトル鮎が説く真相とは!?

バカミステリとして賛否両論だったデビュー作「翼ある闇」
そして「メルカトル鮎」という共通の探偵を登場させた第2作「夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)」

「バカ系」を期待した読者は、そのミステリの体裁すらなしていないアバンギャルドぶりに当惑は隠せなかったと思う。
「夏と冬の奏鳴曲」は、殺人の動機にアートの技法である「キュビズム」「パピエ・コレ」(絵に直接木の枝や部品などをくっつけてしまう手法)がからんで来る。
そして「驚天動地のバカトリック」が開陳されるも、それは単純に「ほらバカでしょう」では終わらず、謎はすべて解き明かされず、推理小説としてはまったく瓦解した作品として我々の前に提示された。

当時私は、「この人はバカの素質があるのに、まわりにそそのかされて、何やらアート方面へ、アンチミステリの彼方へ行こうとしているのではないか」と訝ったものだった。

それは探偵「メルカトル鮎」がそのとっぴな名前とともに、「シルクハットとタキシード」という現代日本において実にバカくさいかっこうをしている点、また彼に

「美しく戦いたい。空に太陽があるかぎり」とか
「月の光は愛のメッセージ」
などとあざといセリフを言わせたりといった点で、おおいに「バカミステリ作家」としての見込みがあったからだった。
むろん大胆荒唐無稽なトリックを考える才能もなかなかだったし。

ところが「夏と冬の奏鳴曲」は、いわばテレビ版「エヴァンゲリオン」のごときいびつさを持った小説だった。
これを幻想小説とか文学とかの文脈で読みとることができても、少なくとも「新本格」ではナイ。これははっきりしている。
だがただひとつ、小説全体の構成を、作中に登場する「キュビズム」や「パピエ・コレ」になぞらえようとしているのではないか、というところにひかれるものはあった。

それでは本作「痾」はどうか。
本作は実質的には「夏と冬の奏鳴曲」の続編にあたる。「夏と冬の……」でひどい目にあったショックで記憶喪失になった青年・烏有が、「リテラアート」なる、いわば「文字を絵のように描くことで、文字と絵の伝達性を融合して強いメッセージを見るものに投げかける」という新手の絵画と出会ってからの奇怪な事件を描いている。

「リテラアート」が実在するものか、作中の架空の手法かはわからないが、とにかく表現方法が小説全体に関係あるところは前作と共通している。

しかし、「リテラアート」の理念が作品全体に浸透しているとは言い難い……もしくは筆者は意図しているのかもしれないが、「仕掛けられた方(読者)」はそれに気づきにくいという点において、前作より一段劣るような印象は受けた。

それともうひとつ、記憶喪失の青年を主人公にするだけあって、けっきょく「自分とは何か?」がテーマとなっていると思われるが、この辺がオヤジの私としてはやや青臭い感じがしたことも「ちょっと……」と思った点である。

ただし、「これからも麻耶雄嵩を読んでやろう」という気にはなる。
理由のひとつは、ともすれば「黄金時代の推理小説の模倣、反復、追体験」のみで終わってしまいそうな新本格の中で、「ミステリの構成を壊す」ことを試みようとしている点、そしてもうひとつは、

「もしかしたら、このシリーズは烏有が名探偵として成長していく過程を描いた「熱血根性名探偵誕生秘話」なのではないか、というバカ要素

にある。後者は私の思いこみかもしれないが、前者の面は確実にある。

最後に。いくらなんでも、登場人物に「わぴ子」(きんぎょ注意報か!?)というネーミングはひどすぎる。せめて「ペンネームである」などの説明が一言欲しかった。



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