音楽は一般的にマニアの世界である。クラシックマニアといわれる人々を見よ。もちろん彼らの中にももの凄く濃い人は存在するが、普通はクラシックという枠組みから離れることはない。例えば、音をちょっと聞いただけで、指揮者、オケ、録音年代まで一つの間違いもなく答えられる人がいる。こうした人は十分に濃いが、そこで語られる蘊蓄が他のジャンルとクロスオーバーすることは希なため、「濃い」と他者から感嘆されるほどの濃さを醸し出すには至らない。マニアとしての称賛は受けようが、一般性に至るまでの突き抜けた濃さにはなり得ないのである。
ロックミュージックにおいては、クロスオーバーが当たり前なため、まあ濃い人は見受けられるが、それでもギター、ベース、ドラムという基本編成から大きく逸脱することはない。その点でもロックとカテゴライズされる音楽はマニア的である。
ジャズの場合、古典的なジャズはまさにマニアの王国である。マニアの中で理念化された古典というものが形成され、それを踏まえることが当然とされている向きがある。もちろんそれだけではないが、ジャズマニアと呼ばれる人は「型」を重視する傾向があることは否定できないだろう。なまじ歴史があり、確固たる社会的地位を占めているがために。
そんな中で、マニア的でない音楽、すなわちいままでのコンテキストでは語れない音楽が現れて来つつある。または、マニア的にカテゴライズされたジャンル同士のクロスオーバーがリアルな形を持って現れてきている。これはいまに始まった話ではなく、戦前からもあった話だ。が、それは圧倒的なメインストリームの中で孤立し、なかなか日の目を見なかったこともまた確かだ。ヴァレーズを見よ。ザッパを見よ。ところが現在、そうした音楽、メインストリームから見れば異端視されるような音楽も、Webの登場によってアドバタイズすることができ、独自の地位を占めるようになってきている。ここでは、これまでの音楽的文脈ではとらえることの出来なかったアヴァンギャルドな音楽と、クラシック−ロック−ジャズの境を取っ払い、新たなステージを目指す「濃い」音楽を紹介しよう。
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