1999年
5月31日(月)
憑き物が落ちたように「超絶ダメダメ病」から覚めると、今度は周囲に迷惑をかけたことに対する罪悪感が襲ってくる。
ほらやっぱり、流行に乗り遅れちゃいけないから。
おれ、情報高感度人間だから。
「ポパイ」とか「ダイム」とか買ってるし。それはウソだけど。
そしたら、セガサターンとテレビをつなぐコードの接続部分のところが強く折れ曲がっていたために、接触が悪くなってしまったことに気づいた。
「サンシャイン・クリエイション」に出る予定なので、そろそろ「ぶっとびマンガ大作戦」Vol.2の準備にかかるヨ!
この間は10ページで50円だったからもうけゼロ(っていうかソン)だったから、
今回は少なくとも100円にして30円くらいはもうけたい(っていうか参加スペース代合わせたらソン)っスね。
でかいもん30円。
仕事帰りに、新宿の青山ブックセンターに行く。
「豹柄」
であった。もう「豹柄」であるだけで、何やら「そういうの好きそうな人々」のシュミが浮かんできそう。
本屋に寄って帰る電車の中。
「くまともいぬともパンダともつかないカワイイ動物」
を描き出した。
気に入らないらしく、描いてはバッテンで消し、また違う「カワイイ動物」を描き出す。
最後までそれが「どんな動物なのか」はナゾのままであった。
完成に近い絵では、背中に天使の羽のようなものまで描かれていた。
でもカワイイからいいやね。
5月30日(日)
昨日、やはり例によってダメダメ病が襲ってきた。
このため、金がないにも関わらず、ひさしぶりにゲーセンに行って散財。
最初は「手のり『めそ』」欲しさにUFOキャッチャーをやる。
2回で取れたので、「もういいや」と一瞬思ったが、どうしても赤い蝶ネクタイのやつが欲しくなり何回かやったがダメだった。
また「取れそうだ」という理由で「クマのプーさん」に挑戦したが、クレーンでつまみ上げることはできたが取れず。
さらに「取れそうだ」という理由で「横山光輝ロボ 鋼鉄合金」をやってみたら、鉄人28号が取れたので満足する。
この「鋼鉄合金」、デフォルメした3頭身の横山ロボ、鉄人、ジャイアントロボ、ポセイドンの3種類ある。
とりあえず、シンプルなわりには手に持ったときの重量感があって満足。
本や映画は煮詰まっているときには見ても苦痛なだけだし、プラモデルはどうしてもクォリティを気にしすぎてノイローゼを誘発してしまう。
5月29日(土)
今日は月に一度の(嘘)顔文字日和。
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5月27日(木)
なにげに入ったゲーセンで、UFOキャッチャーの「手のり『めそ』」のぬいぐるみが急に欲しくなり、気が付いたら700円くらいが虹村億泰のスタンドに「ガオオオオォォン」と削り取られた後でした。ショボン。
5月24日(月)
「人形館の殺人」綾辻行人(講談社文庫)を読む。
1989年に刊行されたものの文庫化。
忌まわしい記憶が呼び覚まされ、立て続けに起こる殺人、そして各所に「顔のないマネキン人形」を配した屋敷の謎とは……。
これは非常に評価の分かれる作品だと思う。
個人的には、「飛龍想一」という男の「ダメ感」がとてもよく表現された小説であると感じた。
なんというか、「もともとダメで、ダメながら生きていて、ダメながら希望もあるし絶望もある。でもけっきょくなーんか……ダメでした……」という印象の小説である。
テイストとしては村上春樹の「ノルウェイの森」に近い。
「ええーっ?」と思う人がいるかもしれないけど、「ダメ感」が似ているのだ。
もちろん、「巻をかさねるごとに『小説として』うまくなっている」という「館シリーズ」の特徴? のとおり、この時点でいちばん「小説として」うまい。
5月21日(金)
私が商店街ひみつ販売員であることはプロフィルでも明らかにしている。
さらに恐いのが「なんだかよくわからないヒト」です。
こないだ来た人は、「夫婦なのか親子なのか兄弟なのかわからない」
……という、どれをとってもシャーロック・ホームズの私が困惑するほどの謎っぷりでした。
5月20日(木)
後から考えて後悔しまくる、ってコトがありますが、私の場合ニフティの利用料金設定。
「彼女のスペア・キー」(川島なおみ、1990、祥伝社)を読む。ずっと前古本屋で100円で買った。
……んでまあ特別コースに切り替えたんで、ニフをめいっぱい利用してやろうと「おもしろそうなサイト」をうろつき回っていますよ。うろつき童子ですよ。
「別冊宝島」の自殺特集みたいの、たまたまレジが混んでいた、っていう理由でパラパラと読んだらたちまちダークになってしまった。
5月19日(水)
あいからわず自宅にはごちゃごちゃな本の山があるので、少し整理していたら、
18巻は、逆にダブり買いしていることが発覚。
……てなわけで古書店へ直行(笑)。
その他にも、すでに持っている単行本の歯抜けをだいぶゲットできました。
「ゲームウルフ隼人」の第3巻も部屋で見つからないことがわかっていて、古書店でも見つけたけど、さすがに内容を覚えていたので家に帰ってよく探そうと思い買わなかった。
さらに新刊書籍として「コミック・ゴン!」の男気特集、永井豪ちゃんの「獣神ライガー」をゲット。
5月18日(火)
「マンガレビュー系」として見ると、当ホームページが「ハンパしちゃってゴメン」な場所であることは昨日書きました。
「絵がない」
がくーん。
ところで、前に「泳げないことをなぜ自分でバラしたのか」って書きましたけど、
「迷路館の殺人」綾辻行人(講談社文庫)を読む。
「ミノタウロス神話」をモチーフにした、迷路の館に集合した作家4人。彼らはこの館の主人にして優れた老推理作家の弟子筋にあたる。
面白い。面白いじゃないか。
10数年前、「新本格ムーヴメント」が起こったとき、私の周囲では綾辻行人も含めたほとんどの京大推理研出身者の評判はよくなかった。
ミステリと「バカ(もちろんいい意味の)」のゆかりは深いが、ミステリの性質上、おのれが「バカ(当然いい意味)」であることすら隠蔽しているフシがある。
ところがミステリ読みは「いい意味でのバカ」にも厳しい人が多く、
しかしだ、綾辻作品の本質が「人をびっくりさせる」という点にある以上、それはやはりよい意味で「バカである」と言っていいのではないかと思う。
それともうひとつ、「十角館」、「水車館」と読んでいって、デビューから3作目の本作は、前2作と比べて格段にうまくなっている。
「十角館」では、あきらかにデビューできるレベルより低い作品を書籍として刊行することに苦言を呈する人もいたが、そんなことはマンガではよくあることであった(最近はマンガもデビュー作のレベルが異常なまでにあがっている。つまらん)。
5月17日(月)
気ままにネットサーフィンをする。
・即時性
マンガレビュー系のところは、やはり即時性、資料性を重んじるところが多い。
当ホームページはと言えば、私はいつも早くても2、3年前のものばかりダラダラ読んでは感想をアップする、ということをやっているので即時性ゼロ。
まったく私の理想どおりのホームページになりつつありやすぜ(笑)。
てへへっ(笑)。
5月16日(日)
昨日は某パティオのオフ会(正確に言うとオフ会ではない、私的な集まり)に行ってました。
ところで、自分が読むだけの日記なら「だれそれが集まった」って名前書きますけど、こういう場だと、どう書いていいのかちょっと困りますな。
話は変わりますが、後から考えたら、なぜ私はあの場で自分が泳げないことをバラしてしまったのだろうか?(笑)
実は人には絶対知られまいとしていた超絶的な秘密だったのに……。
ちなみに運転免許も持ってません。
5月14日(金)
なんか、日記に今まで書いたことぜんぶ消したくなってきた。
関係ないですが、「流行らそうと思って流行らなかった言葉」を募集しています。
思いついたらメールください。
しかしなあ、「流行らそうと思った」ってだけでも、流行語大賞の候補に選ばれていたりするからなぁ。せちがらいですな。
「謎は解けましたえ!!」
5月10日(月)
ずーっとマンガを描いているのだがどのレベルで終わらせていいかがわからず、マンガ以外のやることの優先順位も混乱してめちゃくちゃになってしまった。
気候が暖かくなってきて、イヤだ。
眠ったらイヤ〜な夢を見た。
むかし録音した爆笑問題のラジオを聴いたのだが、どうもダウナーな気持ちになりますな。なぜか。
5月5日(水)
昨日はコミティアでした。
今回は、サークルカットに「『くまブーム』というマンガを出す予定」と書い
てしまったために、「出すと言っておいてめんどくさいから出さない」という
のは許されないと思い、必死こいて「4ページで30円」というなんだか駄菓子
感覚な(出した本人は「よい意味で」と思っている(^_^))マンガを出しまし
た。
ですが、そのためむちゃくちゃ時間がなくなってしまい、「たの午後」の製作
が例によってギリギリなのと合わせて、のろまな私にとっては大忙しな準備と
なってしまいました。
こんなに泡食ったのはコミティアでははじめてじゃないかな……。
……で、おかげさまで「たの午後」はコミティアでの販売冊数の記録を更新でき、またいろいろな人に挨拶でき、いろいろ有意義な1日でありました。
5月3日(月)
「発言者」なんつー雑誌がありましたな。あ、今もあるのか。よくわからん。
最近、インターネットや同人誌などを見て思うが、「自分より年上」の人が「発言者」となっていることが、だんだんなくなってきた。
私の年齢(1967年生まれ)からすると、本職のライターとかマスコミ業についた人、まったく逆に、普通のシゴトと家庭を持つようになって「発言」から後退していった人に、2、3年前、すなわち30歳を境に大きく別れて来ているのではないかと思う。
たとえば(あくまで「たとえ」ね)、「庵●監督バカ」って発言するときにも、そこにはマスコミ人としての「意味」が込められているはずだ(もっとも、庵●監督の元で働いており、鬱憤をはらすために変名で監督批判の同人誌を出す、って人もいるかもしれないがまだお目にかかったことはないし、ゲームやアニメ業界の「ギョーカイバクロモノ」も読んだことがあるが、それはほとんどが「業界批判」に終始しており、発行者の「思想」にまで高まったものは、ほとんど見かけない。見かけたら教えて)。
……というわけで(というか何というか)、「これは!?」と思った「発言」が、たいてい私より3つ4つ下の人間から発せられていることが多く、がくぜんとし、また私と同じくらい、あるいは3つ4つ上の人間の思想が「立場」という意味において(それが悪いという意味ではまったくないのだが)、変化、あるいは醸成していっていることに、何ともいえない気分を味わうのである。
通信技術の発達で、莫大な量の素人の文章が読めるようになった。
・「トンガった少年少女」の発言が、マスコミにセンセーショナルに取り上げられる
……などといったところとはまた別の発言が、私くらいの世代から出てきやしないか、というか、現在ばくぜんと探している最中である。
なんらかのキッカケでしか出てこれなかった発言が(たとえばかつての「クロワッサン症候群」とかか?)、ダダモレ的に流れ出していくのがネットやなんかだと思うので、ネットや同人誌を通せば、キッカケを必要とせずに、時系列で、あらゆる立場のあらゆる人間の発言が拾えるはずなのだ。
私はそれを望む。
だがそこで、あらかじめ私は大きな失望を味わうことになるだろう。
何といったらいいのか、ブンカジンルイガク? 博物学? 民俗学? そういったタグイの「とにかく情報量をたくさん集めて整理しなければならない」分野は、学者にしろ在野の人にしろ、専門家の方が圧倒的に強いに決まっている。
それに、歴史教科書問題でも何でもいいが、とにかくある事象に関して、ある程度の情報を集めないとまともな発言ができないところが、どうしようもなく、ある。
私が言いたいのは、私くらいの年代の「そこらへんのヒト」で、若い頃の「思想」(どんなフニャけたものであっても)を、ある程度の年齢、さまざまな立場から、本当にそれは有効だったのか、あるいはただのユメだったのか、ということを検証し続ける人がいていもいいのではないかということ。
もちろん、「プロの思想家」はやっている。やってもらわねば困る。
しかし、「プロ」であることのバイアスが、かかる。いいか悪いかは別にして。
民間人(^O^)にはそれがない。私も含め、ダダモレにいろいろなことを摂取したり捨てたりして漫然と生きている。
その「漫然と生きている」人の中で、自分の立場や考えの変化を、あるいは変化しなかった部分を、きちんと語れる人が、私と同じくらいの世代で個人的には待たれる。
大学時代に夏はテニス、冬はスキーに明け暮れていたヒトは今何を考えているのか?
何かにつけて語りたがりな印象(これも「よくも悪くも」と付けておくけど)の、
いつまでも「電車の中吊りの一行コピーで、人を朝から脱力させる」雑誌に、まいどまいど「どん詰まり感」バクハツの原稿を書かれて、それでヨシとしている場合ではない。
5月2日(日)
何よ、昨日の「アルテミッシュNIGHT」は(笑)。
その後ビデオ録画した「少年頭脳カトリ」。
5月1日(土)
雑誌「BUBKA」のひとつ前の号で、小池一夫の時代劇画特集をやっていた。この連載自体(「トラッシュマンガ万博」)を私はとても楽しみにしているんですが、小池一夫っていうヒトに実はなじみがぜんぜんなかった。
10年程前のスピリッツの連載あたりの印象か、池上遼一の絵で、「美男と美女が全裸で世界情勢の話をしている」ということしか頭に浮かばなかった。しかも私の人生における最初の小池一夫体験が、
「ラブコメだと思ったら主人公が初回にイキナリ死ぬ」、「死んで生まれ変わって女の子の前に姿を現す」という、当時の視野狭窄な中坊だったワタクシにはとうてい理解のおよばない「ラブZ」という作品。
「子連れ狼」人気にも世代的には乗り遅れ、後は週刊プレイボーイ連載の刑事モノ「涙弾(るいだン)」(もちろん「ん」は「ン」)くらいしか読んだことがなかった。
前出のBUBKAの連載には、「ヤバいネタ」として名前だけは聞いていた「唖侍 鬼一法眼」(注:原作は小池一夫ではなく五社英雄)、石井輝男監督で映画化された「忘八武士道」(映画は見た。おもしろい!)などとともに、それらに比べてパッと見のインパクトとしては少々弱い
がとりあげられていたのだ。タイトルも、他のに比べたら少々地味である。
しかし、しか〜し! そのレビューには実に男汁たぎる熱いモノがあった。それで気になっていたのだが、たまたま近所の古本屋に何冊か売っていた。買って読んだら(ちなみに「第七巻 紅蓮編」)、
すいませンッ、私小池一夫ナメてましたッ。……と定番のオチで終わる。
罪悪感と戦うために、昨日は早々に眠ったよ。
あ、それとずうっとおっぽり出していた「サクラ大戦」(もちろん「1」の方)の続きをひさしぶりにやった。
それで、泣き叫んだ。
Vol.1に対する、少ないながらも誠実な感想を参考につくるつもり。
その途中、ツーショットダイヤルかなんかのティッシュが配られていてそれを受け取ったのだが、
そのティッシュのパッケージが
シンプル・イズ・ベストなデザインである。
椅子に座っている小学生の女の子が、やおらノートを取りだした。
「勉強でもするのか」と思っていたら、
しかし「パンシェル」(パンダの天使のようなキャラクター)ではなかった。
最近のガシャポンだのフィギュアだのの流行などまったくわからないが、こうしたいわゆるSDキャラってどれくらい人気あるんだろうか?
こうしたよい意味で他愛のないオモチャを物色してみるのが、「ダメダメ病」には案外効くかもしれない、などと思った。
親の遺産だけで食っている、内向的で人づきあいの苦手な男・飛龍想一(34歳)。
彼が、亡父が残した京都の屋敷「人形館」に移り住んだときから起こる怪事件。
発表当時、悪い意味での「ダマされ感」を味わった人も多かったのではないか。
しかし、ある程度作者の「芸風」を読みとっていれば、また違う味わいが出てくる作品だと思う。
しかしその「ダメ感」は「絶望」ということではなく、ミステリという体裁をとっているため、どこか透明感というか、「箱を開けたら何もない」手品のような感じ。
私の販売員歴は短い(学生時代もバイトとかであまりやったことがない)ので、
まあいろいろなことがあるさ。
で、ビビるのが、
「恐い客」
のとき。
別にそのヴァイオレンス系だってわけじゃなくて、ちょっと目つきが恐いとか、
動きになんとなく「ヴァイオレンス臭」がするだけでひじがけいれんしてお釣りを
あらぬ方向にぶんなげちゃいますよ。
しかし、ヴァイオレンス系は「どうせ販売員」と思っているので、私も「石コロ帽子を被った状態」で対応させていただいてます。
「男性の方は日焼けしているのに女性の方はその辺のオバサン風」
「年齢不詳」
「二人ともイライラしている」
数カ月前から「特別コース」にしてれば、1万5000円くらい浮いたらしい(;_;)。
その1万5000円で、いったいどんな豪遊ができるかと思うと泣き叫びたくなる。
甘ったるい恋愛小説だが、当時から川島なおみのオヤジ殺しフェロモンと
妙なアッパー志向、アンドおハイソ志向がかいま見れる1冊となっている。
栗本慎一郎の解説文も笑えるぞ。
でももうこのテのどうでもいい本は読まないことにしました。
さ、仕事しごと(笑)。
すいません、読んだことないです……でも前田俊夫先生のは、JACPOTに連載していたのは読んでましたよ!!!!!
……で、前もHPのメール送信のとこを間違えて押しちゃって「件名なし」のメールを送りつけてしまったことがあったんスが、今回もなんかぜんぜん見ず知らずの人んとこに「件名なしメール」を間違えて送ってしまいました。
怪訝に思われてやしないか異常に心配で夜も眠れません。
みんな、死んじゃダメだ!!(マジで)
買ったと思いこんでいたみね武「野獣警察」の第26巻が出てこない。
おかしいなあ……。メモ帳にはちゃんと全巻買ったと書いてあるのに……。
みね武作品「おんな喰い」の10巻をダブり買いしてしまったことも発覚。
ちなみに「おんな喰い」は、以前2巻を3冊もダブり買いしてしまった……。
「野獣警察」第26巻は首尾良くゲット(通常、巻数の多い作品は後半ほど入手がむずかしくなるが、ラッキーでした)。
その他にも、「買ったはずなのに出てこない」本がいくつかあり、何冊か思いきってダブり買いしちゃいましたよ。
まあ200〜600円くらいだからいいかなと思って。
しかし「獣神ライガー」が1000円近いのは、ちょっと悲しいかも。
では「同人誌、および創作マンガのHP」ということではどうか。
だってスキャナ持ってないもん。
持ってても、カックいいCGを載せるなんてムリだね。
だってソフトの使い方を覚えるのがめんどうだから……。
HPのプロフィル見たら「泳げない」って自分で書いてましたよ。
しっかし、読み返すとダウナーなプロフィルだよなー(笑)。
もっと元気だせよ、って自分に言いたい。
1988年に刊行されたものの文庫化。
作家の「提案」により、彼の財産をめぐって競作合戦を繰り広げることになった4人。
だがその「ゲーム」が開始されたとたん、連続殺人事件が起こった!
完全な密室と化した迷路館で起こる惨劇の果てに起こる驚愕の結末は!?
「本の中に本が入っている」という作中作は迷宮のごとしである。この迷宮に出口はあるのか!?
世間が京極だの森だの言っている間に、私はのんびりアヤツジを読んでます(笑)。
私は「十角館」、「水車館」、そしてこの「迷路館」、さらに「緋色の囁き」、「殺人方程式」、「殺人鬼」、「霧越亭殺人事件」を読んで、やっと綾辻作品の本質が「バカ(むろんいい意味の)」ではないかと思い始めている。
綾辻作品も、そのスタイリッシュな雰囲気から「カッコいい小説」のように思われるが、要は「バカ」ということであった。
「きまじめな」綾辻批判に対し、「あれは『バカ』ですから」と言うと、
「あんなものを『バカ』と評価されては困る。本当の『バカ』はあんなもんじゃない」
という意見すら返ってくる。
おのれがバカにならないと「人をびっくりさせる」ことはむずかしいからである。
この「前と比較してうまくなっている」ことを知るのも、読書の楽しみのひとつではある。
優れたホームページを見て感じたことがひとつ。
当ホームページに欠けているのは……。
・資料性
・テキストの分量
また読む人も、「最近話題のあのマンガ、どんなんだろ」的な興味があるからブックマークしているのだと思う。私もそうだもん。
また年表やリストのようなものも載せていないから資料性もゼロ。
さらに印象批評ばかり。はは(笑)。
参加者全員、プロアマ取り混ぜてマンガを描く人たちだったこともあり、いろいろな話が聞けて楽しかったですよ。
万が一、何か予想だにしない理由で書かれて困る人もいるかもしれないし……。
いや、気の遣いすぎのような気もするし……。
……というようなことを考えながら生きていく私。
というのは嘘です。すいません……。
別にいいじゃんなあ、泳げなくてもよー(反抗期)。
私が地獄地震後の関東を制圧したら、まず自動車禁止。
エコロジーを理由に。
だって自分で読んだらつまらなかったから……。
でもメンドクサイから消しません。
自分で思いついたところでは、「E電」、「実年」ってのがメジャーどころ、でもここらはメジャーすぎますな。
なんか、「すぐ終わっちゃったギャグマンガ」にありそうな気がするんだが。
とりあえず、気合い入れときますか。
これからまた世間が夏だなんだと浮かれ出すと思うとウンザリする。
この夏は「チューブ」と「サザン」に数億円渡して新曲は出さないでもらって、
あとは、夏とは何の関係もない曲を流し続けるという妄想をしてみた。
まあ私が総理大臣だったらぜったいそうしているね。
知り合いが野原に小屋を建てて住んでいて、そこに訪ねにいったりする夢。
雨にも関わらず、たくさんの人に来ていただきました。
気楽院さん(サークル:埼京震学舎(最強神学者)にも手伝っていただきました。
ありがとうございました。
いや、いる。確実にいるのだが、何というのか……、よい意味で「無責任な立場でモノを言う人間」がだんだん見あたらなくなってきたのだ。
これは、私のたまたまの感触なのか、そういうトシになってきたからなのかはわからない。
だから、いることはいるのだ発言者は。だがそれは本職、プロの技だ。また、本職の文筆家、ある種の発言をすることでご飯を食べている人のプライベートな発言(インターネットにしろ、同人誌にしろ)は、当然、立場的に独特の感触を持っている。
これは、「プロ/アマ」の障壁を瓦解させる可能性のあるシステムである。
いや、その言い方はマズいな。
「可能性がある」というだけであって、ほとんどプロの方が優れた文章を書く。「可能性がある、という幻想を抱かせる」と言い換えるべきか。
ならば、今まで
・大学生など、比較的ヒマで酔狂な人物の発言がマスコミに取り上げられる
・同じく、ヒマにあかせてつくった人の同人誌が発行される
・プロライターの「お金を稼げる」発言が取り上げられる
・プロの、商業化されえない文章が、同人誌やネットで取り上げられる
・新聞の投書で「ペリカンのカッタくんがどうしたこうした」という発言が取り上げられる(笑)
・「自分史」を自費出版して出版記念パーティを開いてみたりする(笑)
(私くらいよりずっと上、あるいはずっと下の発言はなぜか目にするんだけど、これはただ単に私が発言の選り好みをしているだけなんだろう)
サラリーマン時代の荒俣宏みたいのが、そこらへんにそうそういるとは思えない。
ネットのやりとりなどを見ていると、基本事実を知らなかったり流言を信じ込んでいることからの食い違いがコミニュケーションの齟齬を来したり、「ものごとは何事も感覚的に発言できる」と勘違いした人がバトルを誘発してしまうケースも多い。
もちろん、その「勘違い」も長い目で見れば貴重な記録には違いないだろうが。
文筆で身を立てようとした以上、それなりの才能と覚悟があるはずである。
それをあえて「バイアス」だと考えてみる。
逆にアニメばっかし見ていた人、本ばかり読んでいたヒトは何を考えているのか?
ずっと年齢が上のヒトに比べて、別に声高に何かを発言する意識も希薄な私くらいの年代のヒトが、何を考えてきたか、現在何を考えているかが個人的には知りたい。
「ビーナス」の「何の前触れもなく変わった」メンバーが、さらにまた入れ替わってるし。
「寿司の早握り」とかやってて、「おれ何見てんだろ」と思いましたよ。
だけど、トランプマジックの人がすごくて、しだいに引き込まれていきましたよ(笑)(じゃ結局楽しんでるんじゃん、おれ)。
それにしても、4月の改編でまさに「中途半端なワンダフル」になってしまったアルテミ。
その行く末を案じるものは、だれもいない。
野球で押して映ってなかった!!
変わりに、その前の時間やってる「ボキャブラ」が入ってた。
私、「ボキャブラ」嫌いなんですよ。
だって、意味がよくわかんないもん。わかんないっていうのはたぶん私のせいなんだろうけど。番組の質とか以前に、単に好みの問題なんだろうね。
だから忘れて。
だけど、「アンタッチャブル」というグループは今後ぜったい面白くなると思います(本当?)。
顔の四角い方の「動きが面白い」から。
「妙な動きをする芸人」、テレビじゃあんまり見られないからさあ。
あ、ある決まったアクションが面白い、っていう人はたくさんいるけど、
「無意味な動き」、「無意味な顔」ができる人はあまりいないから。
……っていうかそういう人、だれも必要としていないんだろうけどね。
まあ「涙弾」はそれなりに面白かったが、 「原作付きマンガ」としてはカジワラ節の影響が強すぎた私にとって、小池一夫食わず嫌いの傾向があったことは否めない。
いっぺんに
してしまい、古本屋をこまめに回らないと手に入らない作品だけに、一気に私に「御用牙禁断症状」が襲ってきたのであった。
ちなみに、この頃は「なんとかなんだッ」という独特のセリフ廻しは、まだないようである。
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