つれづれなるマンガ感想文10月前半

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一気に下まで行きたい



・「ウホッ!! いい男たち」 山川純一(2003、第二書房)
・「コミックエンゼルズ」(2001、幸福の科学出版)
【雑記その4】
【アニメ映画】・あるアニメ映画のものがたり
【テレビ雑記その5】 「『クソ女』の編集魂」
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」今週(2003、テレビ東京)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第1話(2003、テレビ東京)
【雑記その3】無題
・「たいまんぶるうす 博多編 暴不良(ぼうふら)」(上)(中)(下)古沢優(1993、芸文社)
【雑記その2】
【テレビ雑記その4】 「ミニモニ。THE ドキュメンツ」、「ゴロッキーズ」
【テレビ雑記その3】 めちゃイケ・岡女のクソ女SP
【書籍】・「野望としての教養」 浅羽通明(2000、時事通信社)
【雑記 パプパプパピュー編】
【テレビ雑記その2】「ミニモニ。THE ドキュメンツ」、「ゴロッキーズ」
【テレビ雑記】






・「ウホッ!! いい男たち」 山川純一(2003、第二書房)

ウホッ!!いい男たち 販売ページ復刊ドットコム

「ウホッ!! いい男」、「やらないか」などのネット上の流行語を突如生み出した読みきり「くそみそテクニック」を含む、「薔薇族」に掲載されたホモ・マンガの短編集。

実は、私はいわゆる「ヤマジュン」に関しては、ネットで話題になっていた頃はあまり興味が持てなかった。理由は、ひとつには私個人がホモものやボーイズラブが苦手であるということ、もうひとつには本作のような一般的でない嗜好のマンガの場合、ネタとして消費してしまうことに責任が持てないということがあった。
ちなみに、ネット上での盛り上がり方の経緯は裏電EXが詳しいのかな。ここで作品も読めます(むろん18禁です)。

「ぶっとびマンガ」探索において、通常のHマンガならまだ何とか常識/非常識のセンでツッコミが入れられるのだが、あまりにも性癖がかけ離れてしまうとちょっとどうしていいかわからない。その世界では名作なのかもしれないし……。

しかし、他のマンガ感想サイトで取り上げてるのかな? 取り上げるとしても少なそうだし、そういう役割分担的なことを、私はいちおう考えてしまうのですよ(そんなこたぁレビュー読む側はどうでもいいとは思うんだけどね)。で、購読した次第。

掲載時期としては、古いもので82年、新しいもので88年頃まで。
絵柄としては、同時期か少し前くらいに流行っていた少女マンガのタッチ。展開は、ラブコメありサスペンス調のものありで、短いページ数の中でマンネリ化しないように気を遣っていると感じた。最後にどんでん返しが来るものも少なくない。

この作者の作品が、どのようにネット上で楽しまれたのかは知らないのだが、確かにいちばん話題になった「くそみそテクニック」は、単行本3冊ぶん以上の作品群の中で、突出したいいかげんさを持っていると思う。展開を男女のHマンガに変換した場合でも、こうはいいかげんなマンガはそうはないであろう。
まあ、他にも(ホモマンガであることを除いても)ツッコミどころのある作品もあるにはある。しかし、私の全体的な印象としては「うまい!」とも断言できないが、独特の愛嬌に満ちた作風だと思う。味があります。非常に読みやすくもある。

後は、定価の4800円出せるかどうかだろう。私はぶっとんだ作品、ないしぶっとんだ作品と比較されうる作品は買うことにしているので買ったけど。
(03.1014)



・「コミックエンゼルズ」(2001、幸福の科学出版) [amazon]

さとうふみやの「降魔法輪」ほか、3本の作品が収録された……まあ同一テーマの作品が入った単行本だから、「プチ・アップルパイ」みたいなものだと思えばいいのか。
某宗教団体カンケイのマンガ本である。

こういう作品でむずかしいのは、世界観やテーマがあらかじめ決まっているため、お話が単調になったり先が読めてしまったりすることだ。が、さとうふみやはマガジンでバリバリやってる第一線の現役だし、美村あきのは確かベテラン少女マンガ家だったと記憶する。そういう人たちの作品は、マンガの構成力などで読ませてしまう力がある。
逆に、マンガ家の力量が問われるジャンルだと言える。

「降魔法輪」は、霊能力のある少年がバケモノをうち払う一種の妖魔退治もの。ミもフタもない呪文(?)が一部で話題を呼んだ。
美村あきのの「きみと風になる」は、夢もなく、日常生活がうまく行かない少女二人が友情で結ばれることによって希望を見出していくという話だが、神だの霊だのという言葉をほとんど使わずにイメージだけで展開されているところがテクニックである。

まあ門外漢の私にはこのテのものの是非はわからないが(……と逃げておく)、広義のイデオロギー闘争が日常に浸食してくることは、今後もないとは限らない。メディアリテラシーってやつですか? そういうのに思いをはせたりはしますね。
(03.1014)



【雑記その4】

弱ったなぁ。何書こうと思ったか忘れちゃったよ。
いちおう、箇条書きにして書いておこう。

・最近、録画がたまってしょうがない「アバレンジャー」に、佐竹が出ていたそうだ。
で、佐竹って「聖龍伝説」という安達祐実が中国拳法で敵と戦う変なドラマに、「身体がゴムのように柔らかい」という敵としてノリノリで出ていた。だから、今回敵役で出てきても何の不思議もない。

・二十代でネット日記とかやっている人は、あんまり言いたい放題書いていると後で死ぬほど後悔するから注意しろ! 間違いない。(長井秀和調で)

・今、長井秀和について調べたら、私とトシあんまり変わらないんで驚いたよ。
あとダンディ坂野も。

・阿部謹也の「世間とは何か」(講談社現代新書)という本は、正直あまりまとまりはないと思うけど「世間」という不定型なモノに注目したところは面白い。
これから考えるに、日本で外界から入ってきたものを適度に拒絶したり受け入れたりしてきたものは「世間」というアメーバみたいな存在だということになる。「世間」によって歴史はつながってきている。だから、ヒトが思うほど、さまざまな歴史の分岐点で、大きな断絶は起こっていないというのが私の考えではある。

・「モーニング娘。」に関しては複雑な思いを抱いている私ですが(諸手をあげて大ファンというわけでもないという点で)、少なくとも「アイドル」としての教育は行き届いていると思う。
この間、永作博美が「ウチくる」に出ていて、「アイドル時代、スタッフに『明日、何か持ってくるものありますか? と聞いたら『前向きな気持ち』と言われた」とか言って笑ってた(嗤ってた)けど、こういうの心底ガッカリしない? 私はする。 で、アイドルを集めて何かやる、ということになると最近ではどうしても「恋のからさわぎ」形式にならざるを得ない。そこで期待されるのは、どうしても「アイドルらしからぬ言動」だ。
その時点でもう破綻してるじゃないか!(絶叫)

・というわけで、モーニング娘。やハロプロの子たちの言動を注意して(注意しなくても)聞いていると、徹底して前向き、どうしようもないシモネタは言わない、など行き届いている。
あんまし人気のないグループでもそう。
「dream」が大人数になって「うたばん」に出たときも、言動的にはダメダメだったからなあ。やっぱり「恋のからさわぎ」状態だった。

・あと、亀井ってどれくらい人気あるんですか?(と、うつろな目で聞いてみる) 亀井ってアイドルの潜在能力を感じるから、かえって「この子はいずれ出てくるだろう」と思われてて、それでそのままになっちゃうような危険な感じがする。
この間のハロモニを見ていて思ったのだが、亀井の現在のかわいさって、たぶん現在しかないと思う。いや、成長すれば違うかわいさが出てくると思うけど、今のかわいさは今しかない。
しかも、前に出れないタイプのかわいさ。

・めんどくさくなったので、終わり。
希望はどこにもない。あるとしたら、自宅に「SASUKE」とまったく同じ鍛錬器具を置いているヒトの家にしかないと思う。と、宇宙で死んだ吟遊詩人が言っていた。
ああ、早く帰ってゲームの続きがやりたい、と、鉄郎は思った。

あーっ! またテレビから引用しちゃったよ! テレビに詳しいわけでもないのによう!
(03.1013)


【アニメ映画】・あるアニメ映画のものがたり

いつも遠回しな言及をいやがる当サイトも、こればっかりはさすがに名指しで書きません。めんどくさいも〜ん。公式ページにリンクすらしません。
宗教と政治の話はしないのです(……ということで察してください。掲示板で「あれですね?」とか書かれてもぜったい「うん」とは書きませんよ私は。臆病だから)。 現在公開中のアニメ映画。

未来の、宗教家になる学校に通っている主人公の少年は、家の庭にタイムマシンが出現したことにビックリ。それにはさらなる未来から来た、同い年の女の子が乗っていた。少年は、女の子とともにこのタイムマシンに乗って、過去の偉大な宗教家の名場面にいくつも遭遇することになる。

……私自身は、こういうものに関する基礎知識が決定的に欠けているためわからないところも多かったのだが、ご一緒した方々にいろいろ解説していただいたおかげで、だいぶ知識を補完することができた。

でまあ映画としては、自分の期待値がものすご〜く低かったこともあって、楽しめたことは楽しめた。普通の意味で。
このテの映画につきまとうダサさ、毒々しさ、宣伝臭さを、どうにかしようという意図は感じられた気がする。まあ、私が見過ごしたツッコミどころも多かったとは思うが。
絵も、アニメに詳しくない私から見るとけっこう動いていた気がするし、声優も豪華(というか、私でもわかる)な人を使っていた。

ただ、前作、前々作を見ていないとわからない部分をわざと入れたりすることには排他的な印象を感じざるを得なかったし、一貫したスジがなかったことは否定できない。
一見さんに見せる気はないのかな? と思った。単なる投資なのか、内輪だけで盛り上がっていればいいのか、儲けたいのか、宣伝の意味があるのか、どうも門外漢の私には判然としないが……。

ストーリーは、時代を超えて少年少女が各時代の宗教家(キリストや仏陀など)の名場面を見て回るというものだから、どうしても展開がのっぺりしてしまう。

小説版の「幻魔大戦」の3巻以降でも感じたことだが、こういう世界観は強大な敵を設定しないと、あらかじめ世界観が固定しているだけに物語も起伏に乏しいものになってしまうのである。

キャラクターもそうで、善玉のキャラクターがどうしてものっぺりしてしまい、敵方のキャラクターが悪く描かれれば描かれるほど魅力的になってしまうという矛盾が生じる。個人的には、やたらと筋肉を誇示するエセ宗教家(声は銀河万丈)が、北斗の拳のやられ役みたいで良かった。
それともうひとつは、奇跡や霊能力を否定するわりには最終的には善玉側が奇跡や霊能力を誇示しなければクライマックスにならないということは問題ではないかと思う。これは映画とかマンガでこういうものを何とか宣伝しようということの、根本的な矛盾かもしれない。

「一貫したスジがない」と書いたが、実は主人公の少年の成長物語といういちおうのストーリーはある。ただ、これにしても漠然とした不安を抱いていた少年が、タイムトラベルによるある種のできごとによってある種の確信を得るというお話である。それは、「正しいから正しいのだ」とか「りんごはりんごだからりんごだ」と言うようなリクツだ。口幅ったいが、部外者にとってはそういうことだ。
少年の不安感とか欠落感は、おそらくこの映画のターゲットばっちりの人々にとっては日常的に抱きがちな感覚なのかもしれないが、部外者にとってはそれが強く感じられず、散漫な印象になってしまうということなのだろう。

前述のように、収益か、宣伝か、内輪の結束を固めるためか、どこに「勝ち負け」のラインを持ってきているか少しわかりかねる内容ではある。そういう意味では、何とも言えない着地点を見せられた感じで「うーむ」とか思った。
(03.1013)


【テレビ雑記その5】 「『クソ女』の編集魂」

「『クソ女』の編集魂 10/8、10/9」ひたちなか運動公園
「めちゃイケ」の岡女・クソ女SP(正式名称は何だ?)(→私の感想)のスタッフによる編集ワークを、細かいビデオ再生によってある程度明らかにしている。

これ、すごいな。「オタク学入門」で岡田斗司夫氏が「ジョーズ」をコマ送りしていって解析したという話が載っていたが、それに近いものを感じる。「巧みの目」の領域に入ってると思う。
しかも、それを「ズルい」というのではなく「編集魂」として受け止めている点がいいね。
(03.1013)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

10月12日放送分。

ミニモニ。がイメチェンして送る新曲「CRASY ABOUT YOU」を披露、ゲームのコーナーではそれに関連して、4人ずつのチームで「大人っぽいシチュエーションで即興芝居をやってもらう」というのをやっていた。

「CRASY ABOUT YOU」は、曲自体は悪くないと思うが、なぜこの曲をゴマキでもZYXでもなくミニモニ。が歌うのかサッパリわからない。この路線(音楽に詳しくないから、具体的にどう言えばいいのかわからないが)につんく♂が興味があって、子供向けにZYXも含めて何曲もリリースしておきたいとかそういう目論みがあるのか。
ボクはもういいです。

他のコーナーは、実は全部が先週に比べると異常に面白かった。「オマエのセンスはその程度か」と言われてもかまわん。
チームごとの小芝居は実にバカバカしくてよかったし、「駅前交番物語」はつけ鼻を付け、ラッパーの格好をしたゴマキ、吉澤、石川梨華、藤本美貴が4人でラップみたいのを歌い踊るというだけの内容、「投稿! 笑わん姫」は、モー娘。中最も奇跡的なリアクションを見せる安倍なっちが笑うのを我慢する、というのが面白かった。

それにしても、吉澤と藤本美貴が並ぶと、藤本が意外に小さいことがわかる。あ、吉澤がデカいのか?

あと、次週から保田じゃない人が司会になるそうである。
(03.1013)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

10月5日放送分。つまり先週。

3人ずつのチームに分かれ、大スターの結婚会見、大作映画の製作発表などの記者会見を演じて見せるというゲーム。NGワードが出たら原点、OKワードが出たら得点。
NGとOKの差がはっきりせず、出演者が結果的にありきたりな言葉を避けるようになってしまい、精彩を欠くことになってしまった。

ミニモニ。のコーナーは「かっぱの花道」が終わり、「ミニモニ。四休さん」が始まった。要するに一休さん、小坊主モノである。
私は、偏見かもしれないが女性がファッションとして坊主頭にするのがすごくキライなので、テンションが落ちまくった。

女性の坊主頭で思い出すのは、「スタートレック」の映画版の1作目で出てきた宇宙人、「月曜ドラマランド」の富田靖子の「一休さん」、ヌード写真集を出したときの井上晴美などである。どれも萎える。
(03.1013)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第1話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第1話「はじめまして、ミルモです!」(10月7日)

ダアクの封印に成功し、ふたたび平和をとりもどした人間界と妖精界なのであった。

わがままフェアリー ミルモでポン!」がゴールデンタイムに進出。タイトルを変えて、1話から仕切直し。今まで熱心に貼っていた公式ページのアドレスが変わってしまってガックリだ。
基本的に、今までの話を思い返す総集編。新しい要素はほとんどなし。ひらけ、ひらけ、ゴマプリン!
(03.1013)



【雑記その3】無題

10月というと、世間的には異動だのなんだのがあるわけで、ひとつのくぎりだ。
むかーし、「グラップラー刃牙」で愚地独歩が範馬勇次郎と地下闘技場で戦うときに、

「よくぞ間に合ってくれた! ピークを維持できるのも今年が最後じゃろう!」

みたいなことを言う。当時、独歩55歳。まあ、その後「刃牙」は肉体年齢が何の関係もない世界に突入してしまうわけだが。

……でまあ、今年の10月くらいまでが、私の拙い、ささやかな創作人生(ウェブ含む)の中でピークだったかなと。
そんなことを思った。

だいたい3年おきくらいに、自分の人生について考える。3年前、17歳だったやつは今年はたちになっている。ライバルという意味からすると、どんどん下から上がってきて増えてきていることになる。
若いやつがオトナをバカにするのは、オトナになるにつれて成長のスピードがどんどん遅くなるからだという一面があると思う。自分の成長(精神的、肉体的、技術習得などの総合的なもの)のスピードからすると、3年や5年という期間で変わらないオトナが阿呆に見えるのだ。
また、「自分の成長スピードからすると、このオトナの年齢になる頃にはおれはもっとすごくなっているはずだ」という奢りもある。

ところが、成長スピードというのはトシをとるごとに鈍くなり、やがては2年や3年で変われない自分を発見する。それどころか、総合的にはまだまだやれると思っていても、疲れがとれないとか、世間的な立場が微妙になってくるなど、若い頃のように思うようにやれなくなってくる。
ヘタをすると、先の自分は今の自分より劣っているかも、と思い始める。
まあ、それがトシをとるということだと思うんだけどね。

簡単な話、私も霞を食って生きているわけではないし。
いろいろとネットなどの他にやらなければならないこともありますので。
またちょっと考える時期に来ているかな、と。

定期的にこういうことは考えるのだが、今回はまだ先がある。
いずれにしろ、何がどうなるかというのは周囲の環境が決めるのだということ。
私ではない。
他の人はどうか知らないが、私の場合はそう。
「おれはこうなんだ」と、ムリしても宣言せずにはいられない時期というのが十代、二十代の頃には間違いなくあって、それはもう狂おしいまでにそうなるのだが、
私の人生を振り返ってみると、まあマイナス思考だとあまりに安きに流れた人生だったということになるのだが、自分で「こうしたい」と思ってこうなったわけじゃないんだよな。

それがあんまりイヤな状態になると、ジタバタせざるを得ないんだけど。それはねえ、恐いことですよ。いろいろな意味で。

あとねえ、トシをとってくると、自分の力が見えてしまうんですよ。かなり具体的に。
そういう、手持ちのポイントみたいのを見据えながら、ときには悪い結果が出るとわかっていてもものごとを続けなければならないときがある。それがオトナ(だと思う)。
これは、辛いね。もうテレビゲームやってて、次のターンで絶対死ぬのに相手の攻撃を待っているような感じを味わわなければならない。

でもまあ、やるよりしょうがない。そんな中で、何が見えてくるかということなんですよ。私が知りたいのは。

そういう意味では、「ドラゴンボール」の世界観というか自分観というのはどうなのよ、といっつも思う。あの感覚が通用するのは若いうちか、天才だけだよ。ああいう、どんどん自分が強くなってくる感覚というのは。
むしろ「ジョジョ」の方が現実的ではあるね。
「スタンド」というのは、力量の質も量もたいていの場合決まっているわけだから。
かつてのジャンプパターンを「強さのインフレ」と呼ぶけど、それは逆に言うと「自分の力が際限なく拡大していく」という感覚なんだよ。
だから、「強さのインフレ」というのは、個性的で強大な敵を創出することがむずかしくなる、ということが表面的なできごとだが、その裏に隠されているのは、「自分の力が拡大していく感覚を、そんなに段階的に、その拡大に応じて表現することは非常にむずかしい」ということなんだよ。

力が拡大しても、「自分の力」を実感できなくなるという感覚の方が近いと思う。
少女マンガとかにたまにある、「何百万枚ものCDの売り上げを誇る少女ミュージシャンが、自分の力を実感できなくて……」という方が、リアリティがある。

とくに結論が出ないまま、終わる。
(03.1013)


・「たいまんぶるうす 博多編 暴不良(ぼうふら)」(上)(中)(下)古沢優(1993、芸文社) [amazon]

クルマ雑誌のヤングオート連載。「たいまんぶるうす」全7巻のうちの5巻から7巻が本作である。

博多を舞台にした、暴走族抗争もの。飯塚から博多に転校してきた中坊・菱川龍二は、あちこちでケンカをしているうちに、博多の三大暴走族の二大勢力、「ラッキースター」と「デストロイ」の抗争に巻き込まれてしまう。
縁あって「ラッキースター」側についた龍二は、一介の中坊でしかなかったが、そのクソ度胸とケンカの強さから、抗争の趨勢を握る存在にまでなってゆく……。

「たいまんぶるうす」は、にわか調査をしたところ、86年から「激画 たいまんぶるうす」として「ヤングオート」に連載されていた。その後「レディス編」などを連載していたらしい。読んだところ本作「博多編 暴不良(ぼうふら)」はドキュメンタリー色が強い前作とは異なり、モデルはいるかもしれないがおそらくほぼフィクションだろう。

実はまったく期待しないで読んだのだが、暴走族ですらないヤンキーである龍二が抗争に巻き込まれていく過程や、中学で番をはっていた葉山との友情、暴走族として突っ走り始めてからの龍二の暴れぶりなどが描かれていて、けっこう読ませる。
ただ、伏線めいたものが処理されていなかったり(いや、私が伏線だとカン違いした可能性もありだが)、第三勢力である「博翔会」があまりにも順番どおりに登場するところなどはちょっといいかげんかなと思うが、全3巻でコンパクトにまとまっているということも含め、暴走族マンガとしてはなかなかの秀作ではないかと思う。偉そうですが。

冒頭に載ってる、モノホンの暴走族の写真もスゴイです。
(03.1010)



【雑記その2】

授業をさぼって、日の当たる場所にいたんだよ。寝ころんでたのさ屋上で。たばこの煙、とても青くて。
ポケットにいつも〜。
お風呂でも聞けるラジオ〜。

どうも、「ジョンベネちゃん」って、「ベネ」が苗字だと思っていた新田五郎です。
読書系テキストサイトをよく見る、っていうかほとんどそれしか見ないんですが、仕事がペンディングになっているときとか、恋人とケンカしたときとか、他に気になることがあるときとか、そういう「何かが手につかない」状態のときに、読書家の人はどのように本を読んでいるのだろうか。

私は、気になることがあると簡単に何もかも手につかなくなっちゃう方なんで、何か精神統一法かなんかがあるんだったらぜひ教えて欲しい。タダで。

今は、いろいろと気になることがあって、かなりのことが手につかない状態です。こういうとき、マンガや本を読んだ感想を書くといい気晴らしになるんだけど、そもそもそのマンガや本を読む気になれない。悪循環です。

それにしても、【テレビ雑記その3】の出だしが三ツ木清隆の「秋冬」という歌だと知っている人はどのくらいいるんでしょうか。あと、秋だから高橋真梨子の歌かなんかを聞きたくなりますね。

といっても、もう関東地方は秋も終わり、って感じですけどね。2、3日しかなかったね、秋気分。

あと注意してほしいのは、私は三ツ木清隆クイズをやりたいのではないってこと。ただ「秋冬」っていう歌が好きなだけだってことだ。
それにしても、勝手に歌の歌詞を引用すると著作権法違反だと思う。そうだ、だからあの「いやなこと」は起こったんだ。ぼくはそう信じて疑わない。
(03.1009)


【テレビ雑記その4】 「ミニモニ。THE ドキュメンツ」、「ゴロッキーズ」

・おはスタのインチキドキュメンタリー風ミニドラマ「ミニモニ。THE ドキュメンツ」第7回(03.1007)

つんくから「ミニモニ。って何?」と問われた結果、現メンバーの心はバラバラに……さらに高橋愛が「ミニモニ。やめる」と言い出す始末。
それに怒った矢口がミニモニ。の4人を連れていった先には、ダンスの練習に励むZYXの姿があった。
一生懸命なZYXの姿を見て、自分自身にとっての「ミニモニ。」を思い出す現メンバーたち。

矢口「わかってくれたみたいだね」
現ミニモニ。「矢口さ〜〜ん!!」

……CDやキャラクター商品の売り上げ等、矢口卒業後のミニモニ。についてのデータは知らない。
しかし、このドラマ展開は「現ミニモニ。の現状ではダメだった」という遠回しなコメントだと判断させていただく。新曲もイメージチェンジしたものらしいし。
だいたい、うまく行っていればイメージチェンジなどしないものだ。今までぬいぐるみのようなキャラクターで売っていたミニモニ。には似合わないスポ根ドラマをここへ来て持ってきたことも、「おはガールと同じやり方でいーや」という安易な判断でないかぎり、現状に対する打開策としか受けとれん。

「おはガール」のドラマが何年もあんな調子である以上、今後いっさいこのミニドラマに期待することはできない。
思えば、どんなものでも、ひとつのジャンルが広がるには中心スタッフだけでなく、「たまたま」でも「偶然」でも、関わってくる人々が有能でなければならない。 でないと、一過性のブームなどすぐしぼむ。

ウルトラマンだったら「ウルトラ兄弟」という概念をつくった人がいたし、「怪獣図鑑」みたいなものをつくった人がいたし、ガンダムだったらガンプラをつくった人がいた。「プラモ狂四郎」も面白いマンガだった。SDガンダムに愛着のある人もいるかもしれない。「モーニング娘。」だったら、つんく以外にも夏まゆみや、優秀な編曲者や、コンサートスタッフなどがいるのだと思う。

で、ハロプロ内でも「ミニモニ。」だけはずっとかなり熱心にウォッチングし続けていたんだけど、「ドラマづくり」という面ではとうとう重要な局面を逸してしまったと思う。
ミニモニ。結成最初の「矢口が勝手につくった」というのも良かったし、矢口卒業時のファンタジックな展開も良かったと思うが、まさかその後のことをまったく考えていなかったのか? と驚くくらいこのドラマは陳腐な展開である。

お子さま向けということもあったのだろうが、どうしても「ドラマ」に関しては、わたし評価としては「おはスタ」でやってた4コママンガ風アニメと、「お菓子な大冒険!」以外、今のところいいものが出てきていないと思う(小説版の新シリーズはまだ未読なのだが)。
「お菓子……」にしたって、監督はひぐちしんじというすでに実績のある人だったし……。だれがどんなプロデュースをしているのかは知らないが、なんかこういうこと書くのほんとイヤなんだけど、もうちょっとがんばってほしいです。

インチキドキュメンタリー風ミニドラマ「ミニモニ。THE ドキュメンツ」第1回、第3回感想

インチキドキュメンタリー風ミニドラマ「ミニモニ。THE ドキュメンツ」第4回感想

・「ゴロッキーズ」
モー娘。の五期、六期が集まって、特定テーマにコメントしたりする月〜金の帯番組。
陰の声、五郎役のケンドーコバヤシ、けっこう面白い。ゴロッキーズと会話するのが楽しくてしょうがないという感じ。まとめ的存在の藤本美貴にもうまい具合に話をふって、もうキャッチボールができてる感じである。

出演者全員、50年代だか60年代のロカビリーみたいなかっこうをしているのが可愛らしい。
若い頃は、アイドルってとにかく何でもかんでもミニスカートか水着じゃなくちゃ気が済まなかったけど、「あっこのズボンかわいい」とか思ったらもう完全にオッサンだなあ、と自分で思った。
ちなみにズボン履いてるのは藤本、新垣、田中れいな。

田中れいなが案外にこやかにしてるのでオッサンの私はホッとしたよ。「教師に心を閉ざしている彼女にもこんな一面が……」みたいな感じで。
でも田中れいなって一人だけ、プロボウラーみたいなカッコしてるよな。
(03.1008)


【テレビ雑記その3】 めちゃイケ・岡女のクソ女SP

♪ナントカカントカで〜涙が流れる〜

♪あ〜秋 かしら〜

というわけで、気持ち鬱っぽいぞ! あいかわらず近所の家改築の騒音もうるさいし(たぶん、それがいちばんの原因)。

さて。

またさて。(夢枕獏風に)

「めちゃイケ」で、かつてモー娘。をゲストで呼んで好評だった企画「岡村女子高等学校SP」(→感想)「めちゃ×2イケてる! キダムじゃなくて期末が来てますスペシャル」(→感想)というのがあり、今回はその第三弾。
「岡村女子校」、略して「岡女」から、運動音痴→運痴→「すなわちクソ女(じょ)」を決めるという抜き打ち体育祭をする。

はてなアンテナ - 娘。アンテナ βを眺めてみると、軒並み「イマイチだったという評判だが」という前提で語られていた。

何でも、後日完全版が放送されるとかいうことで、あえて面白いのに流さなかった部分があるのかもしれないし、あとおそらく当日までの製作期間の問題、10時間以上も運動させられればそりゃ疲れるよという出演者のモチベーションの持続の問題などがあったことは否めない。

「全体的な『やらされ感』がイヤだった」という意見がどこかのサイトにもあったが、素直すぎるなあ〜。
こういうのは逆に「やらされ感」がいいんだよ!
こんなもの、やらされなかったらだれもやりませんよ。体育祭というのはそういうものです。「平凡への強制」です(論壇風表現)。
後は志の低いことを言っちゃえば、太股が見られればいいんです。だから、基本的に体育祭っていうのは男がやる必要なし。カール・ルイスとかそれくらいレベルなら別だけど。

あと、逆に「ブルマじゃないからイヤだ」とか言っている三十代以上の人がいたら、キミは夢を見すぎ! 「いいとも」で、タモリの動きに合わせて「うぉ〜うぉっ、うぉ〜」とか言っている女の海外旅行ばなしを5時間聞く刑に処す。

まあそんな余談はおいておいて、個人成績を重視する企画のはずなのに、最後に全員での縄跳びを持ってきたのは、苦肉の策だったとは思う。
すごい唐突な感じがした。

矢口が、徒競走ですごく喜ぶシーンと、最後縄跳び50回を達成して涙を流すシーンがあるんだけど、矢口的にはそういうおとしどころに持って行かざるを得なかったと思う。
それは、深読みすると矢口の現場での情勢判断だったのではないかとも思うが、他のメンバーのテンションが低すぎて浮いてしまっていた。
あと、六期(藤本以外の)が緊張しまくってた。何でだろう。

番組全体がどっちつかずだった。笑い優先か、感動優先か。

「抜き打ちテスト」のときは、全部笑いにしちゃっていいんだよね最終的には。
でも、どうも体力勝負のものには「感動」がつきまとってくる。そういうことについても2秒くらい考えたけど。

導入部はすごい面白かったけどね。
(03.1007)


【書籍】・「野望としての教養」 浅羽通明(2000、時事通信社) [amazon]

著者の、法政大学で行った「社会史」の講義を、1冊にまとめたもの。だいぶ前に買ったが積ん読のままどこかへ行ってしまい、図書館へ行ったり、一般書店で探したりと買ってから読むのに無駄な苦労をしてしまった。

基本的には同作者の「教養論ノート」(→感想) [amazon]で総論的にまとめられたことを、大学講義というかたちであるときは緻密に、またあるときは豊富な用例を出しながら、ときには脱線しながらも展開していった本だと言える。

全体を通して、面白いことは面白かったが、結論に至るまでかなり迂回していく印象なので、全体の論旨をつかんでおきたい場合は「教養論ノート」から読んだ方がいいだろう。

ここまで「考えるとはどういうことか」、「考えることに意義を見出すという命題がある場合、どうすればよいのか」について突き詰めて考えるのは、面白い。ただ、民俗学的な連想は正直、もういいやと思った。以前はずいぶん面白いと思ったけど、たとえば民俗学的な「ひしゃく」の解釈と超能力に使うスプーンとの関係とか、いくら考えても結論は出ないだろうとか、現在は思う。

書店を何件か回ったが、大きめのところではまだ何冊か売っていたし、ネット通販でも手に入るので知的好奇心のある人は読むといいでしょう。

以下は完全に私がただ連想したヨタ話である。
「もうオタク論については書かない」と決めたのだが、いちおうこれが最後ということで書いておく。
「オタク論」が俯瞰されるときに、浅羽通明の名前がほとんど入ってきていないことが多い。
もうそれだけで「オタク論」とか「オタク論史」を編むのに問題があると思うし、しかし近い歴史ほど辿るのがむずかしい。彼の著作である「ニセ学生マニュアル」なども、今簡単には読めないだろう。 なんべんわーわー書いてもどうにもならないし、もう本当に「オタク『論』」という観点からは足抜けしたい(とくに「動物化」というタームがらみの)ので別にいいんだけど。

で、近作では「学問を生業とする人、ないしそれを志望する人」批判に強くシフトしているようには感じる。これは私の読み方が変わったのか、本当にそうなったのかは面倒くさいから検討してないけれども、「澁澤龍彦の時代」などは相当に「悪い意味でのおたく」に対する説教臭かった(別にそれはそれでいいんだが)。
その前の「ニセ学生マニュアル 逆襲版」と「ニセ学習マニュアル 死闘編」は、もっとすさまじかった。大塚英志と論争してたなあ。もう完全に大塚英志と交錯しなくなってしまったけど、今あいまみえるとしたらどうなるんだろうとか、漠然と思う。

それで、浅羽氏がアニメやマンガの「おたく」を徹底的にやっつけたいと思っていたかどうかは知らない。最近の著書では慎重に言葉が濁されているように感じるが、どうも実は心底嫌っているかもしれないとは思う。

80年代後半、氏に限らず、大塚英志も含めた「おたく批判」は流行った。一部、論壇を巻き込むかたちで流行った。
大塚英志は、その中でおたく、論壇、どちらにも顔がきくような存在で擁護的なことを言っていたが、それはあくまでも「こういうやつらでもいいとこあるんだから、そこまで言うことないんじゃないか」的な論調だったと思う。
すぐ後に宮崎勤事件が起き、是非ややり方はどうあれ、大塚英志はより積極的なかたちで「おたく文化擁護」的な立場になってはいくが、何しろミヤザキという犯罪者(の感性の一部)の擁護だから、どうしても防戦というイメージが強かった。
そう、攻撃的な面もあるけれども「防戦」というイメージがつきまとう。

さて、そんな人はごく一部で、大半はみんなこぞって「おたく批判」をした。おたくもおたく批判をした。正確に言えば「おたく批判めいたこと」なのかもしれないが。 「おたくのおたく批判」がどういうものだったかは、たった15年前でももうわからなくなりつつある。
そこら辺のニュアンスについてはこれから当HPに書こうと思っているマンガ「世紀末同人誌伝説」レビューに譲りたいと思うが、とにかくおおざっぱに言うとそうした批判が私個人はかなり苦痛だった。

(以下、いきなり自分語り)それは、多分に私の気の弱さと関係しているんだろうけど、たとえば「少年サンデー」まではいいけど「少年キャプテン」まで読むとおたくだとか、コミケに行くとおたくだとか、そういう「基準」が至るところに口を開けているような強迫観念があった。
「仮面ライダーBlack」まで観るのはいいけどその後に「世界忍者戦ジライヤ」まで観てると言ったら呆れられるとか。

まあ、阿部勤也的に言えばそういう「世間」にいたからなんだけどね。

そんな中で、浅羽通明とか(大月隆寛とか)のおたく批判というのは、もうグウの音も出ないというか反論のしようがないことのように感じられたし、それは世代的にはそれより上の全共闘世代の人々のお説教にも感じられた。

で、あれから15年くらい経って思うんだけど……。
結論から言うと、あんまり関係ないね。
この本の著者も、内心はムカついているのかもしれないけど、「おたく」という存在がいるのは仕方ないとは思っているんじゃないか。「教養論ノート」を読むとそう思う。
アニメが好きだとか、マンガが好きだとかっていうのは、はっきり言って生き死にに関係しないから。まあ中には食うものも食わずにコレクター生活を送って飢え死にしてしまう人もいるかもしれないけど。

んだから浅羽通明という人は、たぶん自分の興味分野、人文系の学問とか教養、哲学、思想といったもので表されるものですら、アニメだのマンガだの、あるいはスポーツだのといった娯楽と同じように「役に立たないもの」と片づけられざるを得ないことを自覚しつつ、そこから価値を救い出そうとする、というのがひとつのテーマなんだろうと思う。

まあそういうことは、私の自分語りにおいてはむしろ余談なんだけれども。
とにかく、小林よしのりとか一時期の中島梓もそうだけど、そういうような人に若い頃はビビってたんだけど、けっきょくは関係ないんだよね。
たとえば、同人誌を出すこととか、すごくみんな逡巡があった時期があったと思う。
私より前の世代は知らないけど、私のときはそう。

中森明夫がまずそういう批判したでしょう。あれは徒手空拳で、プロライター目指していた中森明夫にとっては、「創作をする」ということにクォリティ面で何もお墨付きを与えられていないまま、創作活動をするということが許せなかったんだと思う。

他にも、「なぜプロを目指さないのか」とかパロディに関しても「なぜ人のふんどしで相撲をとるのか」とか、「自我が肥大しているからそういうことしたがるんだ」みたいないろいろな意見が出たよ。

ここ2、3年で、衝突することはあっても、やっと同人誌に関しては議論の核となるものは出てきたかなという気はするんだけど。

ますます関係ない話になるけど「自我が肥大しているようなやつが同人誌なんか出すんで、むしろ出したいけど出さない方が良識なんだ」みたいなことまで、私は知り合いに言われたことがある。

個人HPも、まったく同じ。
パソコンを買ったおとうさんのHPに関しては「家族とペットの写真しか貼ってない」、若者のテキストサイトに関してはやっぱり「肥大した自我がどうのこうので、どうでもいいことを垂れ流して」と。
だいたい、同人誌に批判的な人というのはほぼ個人HPにも批判的。
前にも書いたかもしれないけど。

でも、同人誌活動もHPも、やって何年か経って思ったけど、まあはっきり言って「勝てば官軍」だね(私が勝ち組という意味ではない)。
山田風太郎論をいろいろなところで目にするけど(本書にも出てきます)、私にとってはむちゃくちゃおおざっぱに言うと「個人の力である状態を打開できるかどうか」っていうのが忍法。
山田風太郎作品に出てくる忍法って、個性が豊かすぎるというか、特定の忍者しかできないのが多い。

普通の忍者ができそうもないことばっかし。普遍性ゼロ。習って習えるものでない。
でも、それで強ければ、敵を倒せればオールオーケー。

ジョジョの「スタンド」はもう少し抽象的かつ、「個人の資質」というものに忍法より接近しているけど、まあ似たような感じ。

同人誌活動も、それとおんなじ。
実際、プロになるつもりがなくてもオリジナルにこだわらなくても面白い本を見てきた。一生懸命やってるとか、謙虚だとか、作品に限ってはそういう倫理的なこととは何も関係がない。
それを「肥大した自我の逃げ場だ」という批判を目にしたこともあるが、それこそそういう評価は評論家の仕事であって、家で一生懸命マンガ描いたり、即売会で売ったりしている人たちはそれどこの話じゃないでしょ。
実際、作品の面白さが作者の性格の良さにつながるとは限らない。まさしく「肥大しきった自我」の持ち主かもしれない。

「実はイヤなやつだった」なんて、本当によくある話。

けれども、じゃあそれをどう裁くのか? ということになると、いくら社会評論だなんだっつったって、本当は裁きようがない。法律を犯したりしていないかぎりは。

だいたいが、プロ志望にしたって、だれも何も保証されないで、だれにも望まれない小説やマンガを描いたりするんだから、ヘタをすると「即売会に行けば確実に何人かは買ってくれる」という目安がある人よりも、見込みのないことをしていることになる。

だから、勝てる人は勝ち続ければいいし、負けたら引き下がるか違うことを考えればいいだけのことなんだ、と最近は思うね。
あとは表現されるものとか、生き方に対する好き嫌いとか美学の問題だから。

まあ好き嫌いがヒトと一致すればうまい酒が飲めるとかね、そういうのはあるかもしれないけど、それ以上でもそれ以下でもないんだよな。
シャツのすそをズボンにしまうかしまわないかとか、そういうのとほとんどの場合は同じなんだ。それ以外の、自分にとって切実な問題は何か、ということだけ見極めていればいい。
その見極めも、むずかしいんだけどね。

まあ「そういうことに価値をつけて偉そうにしている知識人はいかん」と言っているふうに、本書を受け取ったけど。それは私も同意する。

そういうふうに思うまでに、10年はかかった。自分はバカだった。

唐突におわり。
(03.1004)


【雑記 パプパプパピュー編】

みんなー! パプパプパピュー!(新しい流行語) こんなところにやたらと文章を書いているとき(しかも自由テーマで)は、私がテンパっているときと考えていただいて差し支えない。
しかしその理由はさまざまだ。
ダムに開いた穴に手を突っ込んだままで、今抜いたらダム全体が決壊してしまうという状態かもしれない。
「太陽が黄色かったから」であるかもしれない。

でもまあ、そんなことはどうでもいいし、そういうゴシップ的なことに興味を持つ人々に話題を提供するほど私はお人好しでもない。

さて、最近ネット上で思うことは、日記系テキストサイトを読むに飽きてきたということ。
ネットを見始めていちばん恐ろしいと思ったのは、若いとか文章修行をきちんとやったこともない人々で、わりかし面白いものが書ける人がかなりの数いるということだった。

だから、一時期日記系のサイトをよく見ていたのだが、端的に言ってやはり飽きてきた。
それともうひとつは、まめに更新しているところほど、毎日見ているとその人と日常をともにしているような気分になってきて息苦しくなってくる。
毎日、仕事で午前様なのに更新している人の日記などを見ていると、この人よく正気を保っているな、などと思って気分が暗くなってくる。

そのようなことを参考にして、自分は以下のような方針で行こうと勝手に思っている。

・とことんダークなことは書かない。読んでいる人が暗くなるから。
・あまりにもテーマがなさすぎると拡散するので、ある程度決めて書く(これは、ウチはマンガ感想サイトなので基本はクリヤしていると思っている)。
・適度にリンクなどを貼る。わかりやすくするためと、情報を立体的なものとするため。ニュースサイトほどではないにしろ。

また、日記系というより身辺雑記風エッセイといった趣のところは、最初のうちは面白いがだんだんパターンが読めるようになってくるということと、実体験のどうでもいい部分しか書かないため、他人の日記を覗き見るというプチ背徳感がない。
かといって、シャレにならない事実ばかりを書かれても困るのだが……。

そのバランスはむずかしい。

「日記にテーマを求めるべき」というのは、かなり前から思っていたことで、それゆえに当HPでは「日記」コンテンツを終わらせ、雑記とマンガ感想を合体させたということはある。なぜなら、あまりに題材が自由だと、検索しても探しようがないし、面白いかつまらないかの判断もかなりの分量読まないと、わからないから。

これはあくまで私が自分に課したことで、楽しみに、気ままに書いている人に強要するものではまったくないのだが。

あとは、読んでいる人を笑わすためにはどうすればいいか、ということか。
まあ人それぞれ資質があって、しんみり調のものが得意な人もいれば、時事問題を扱って独自の解釈を加えるということが得意な人もいるだろう。

でも、最近思うのは、読む人にできるだけ楽しい気持ちになってもらいたいということ。

ではでは、私がモー娘。マニアだと思われても困るので、ここらで例によってしつこいくらいに他の女性タレントのことを書く。

……と思って、緑川のりこ[amazon]のことを書こうかと思ったが疲れたのでヤメた。ただ、この人をよく撮っている写真家の小塚毅之は、タダモノではないとときどき思う。
(03.1004)



【テレビ雑記その2】 「ミニモニ。THE ドキュメンツ」、「ゴロッキーズ」

・おはスタのインチキドキュメンタリー風ミニドラマ「ミニモニ。THE ドキュメンツ」、第4回

つんくから「ミニモニ。って何?」と問われた結果、現メンバーの心はバラバラに……さらに高橋愛が「ミニモニ。やめる」と言い出す始末。
それに怒った矢口が「ミニモニ。解散!」と宣言……という話なのだが。

まあけっきょく「スターフルーツ」と同じだね。はっきり言ってダサい。ここまでシリアスなものは「ミニモニ。」には似合わない。もう見るのやめたい(やめてもいいんだけど)。

リアルタイムでウルトラマンとかウルトラセブンが好きで見続けてきた人って、ぜったい「ウルトラマンタロウ」あたりで「これはないだろ」と思っていたと思うんだよ(「そうでない。あれはあれでいい」と言う人もたくさんいることは知ってるが)。

その場合、タロウとかレオも見続けていたのか? それとも見切っていたのか?

ボクは(ミニモニ。に関して)もうやめたいです。

それと、「ガンダムSEED」を見続けていた人がネット上で意外なほど多いことにも驚かされた。ボクは5話くらいでわかんなくなってヤメた。

・「ゴロッキーズ」

早くも4回目にして「キン肉マン」ネタが……。「藤本美貴が、キン肉マン、ラーメンマン、アシュラマン、スプリングマンを描いてもぜんぜん似ていない」というギャグ。
当然、出演者全員、アシュラマンがどうだとかぜんぜん知らないでコメントしているところが面白いのだが、それに「藤本は絵がヘタ」というのをかぶせてきた複合技。
だから、「資料を見て書きました!」って藤本がコント上のやりとりを越えたことを言っていたのがおかしかった。
(03.1003)


【テレビ雑記】

石川梨華のお肉のテレビCM、見た! つくってる人、ものすごいわかってる。たぶん私と同世代。まあ言ってみりゃ、これつくってる人が勝ち組で、私が負け組。バブル入社組の諸君、がんばってくれよ〜。

・おはスタで、インチキドキュメンタリー風ミニドラマ「ミニモニ。THE ドキュメンツ」、放送中→放映前感想
第1回、3回と見たが、いちおうセミドキュメンタリーというかドキュメンタリーのパロディ的な部分は残すようだ。それと、「ミニモニ。は矢口主導」というところは守るらしい。今のところ。「なら卒業させんなよ」っていう話でもあるが。

矢口「つんくさん! 悪者にしてしまってすいません!」
つんく「まあええねや。おまえも、ZYXとかROMANSとか忙しいのによう気づいたな。」

要するに「私に頼らないで独自の道を歩みなよ」ってコトなんだろうが、ZYXとかROMANSって名前が出てくると苦笑しちゃうよな。ユニットの理念もクソもねえよな。

スターフルーツのミニドラマよりはマシになるかどうか。

・「セクシー女塾」の後番組「ゴロッキーズ」始まる
「ライブハウス『ゴロー』に集ったバンド、ゴッキーズとロッキーズ(モー娘。の五期と六期)がゲームをする」みたいな設定。けっきょくただゲームをするだけなのだが、いちいち基本設定が凝っていて初回は気に入った。
いちおう全体のリーダー格は年長の藤本美貴。
ケンドーコバヤシがどれだけウケるかどうかに、ハラハラしている。友近は続投。

・「欽ちゃんは、なぜテレビバラエティの第一線から引いてしまったのか」および「欽ちゃんと明石家さんまの素人いじりの違いについて」を考えていたら、なかなか結論が出ず悩んでしまった。
欽ちゃんの、テレビにおける凋落が見え始めたのは、86年10月から始まった「ドキド欽ちゃんスピリッツ」からだと思う(今でも欽ちゃん好きな人には悪いが……)。

この番組は半年で終わり、ファンページの年表を見ても、その後1年以上続いた番組はほとんどないようだ(印象があるのは「仮装大賞」くらいか)。
さらにこの時期を強烈に覚えているのは、欽ちゃんはパターンとして定着したものをあっさり崩すことで違う何かをつくり上げる、ということがテレビや雑誌などで好意的に取り上げられていて、しかし86年10月の改変期にやったことがぜんぶ裏目に出た印象があるからだ。

(ちなみに高部知子が「ニャンニャン騒動」で「欽どこ」を降板したのが1983年6月だそうだ。ふーん。私の模造記憶では、高部知子降板が「欽ちゃん=いい人伝説」がなくなっていく大きな要因だと思っていたのだが、その後3年も栄華が続いてたんだな。いちばんイメージの強かった頃の「欽どこ」も、86年9月で終了してる。)

いわゆる大物芸人や売れっ子の芸人、たけし、タモリ、談志、ダウンタウン、とんねるずや所ジョージなど80年代を通じて活躍してきた人々の中で、欽ちゃんがもっとも「落ちぶれ感」が強い。
いや、ファンの人は「そんなことない」と言うと思うけど、「テレビが中心」なカウチポテト族(今、自信を持って使うこの言葉)にとっては、みんなそう感じていると思う。

また調べてみたら、「オールナイトフジ」の放送が83年から、「オールナイトフジ 女子高生スペシャル」が85年2月と3月、「夕やけニャンニャン」が始まったのが85年4月かららしい。
つまり、「ギョーカイ」という言葉を流行らせて「視聴者にテレビの裏側を見せる、あるいは見せているように錯覚させる」という方法論は、83年頃から深く静かに潜行し、80年代中盤にはかなり中央に躍り出ている。
ちなみに、現在の「ASAYAN」とか「ガチンコ!」的ではないバラエティは、ほとんどがこの「ギョーカイ的ノリ」が意識無意識関わらず底に流れている。
(「電波少年」や「ガチンコ」になると、また別の潮流になると思うのでややこしい)

・ちょうど、今日「さんまのまんまスペシャル」がやっていて漠然と見ていたのだが、やっぱり欽ちゃんとさんまの違いを明確に言語化することができなかった。
ただ、個人的には欽ちゃんの方が「実はこうなんだよ」みたいなものを見せないタイプの芸人であるため、よけい素人いじりに「つくりもの」っぽいものを感じることは確かだ。
しかし、似たような方法論の小堺一機には感じないのだよな。うーむ。

・その「さんまのまんま」に、フジの朝のワイドショーの面々がゲストで出ていた。
あいかわらず若い女子アナの「自分が若くきれいな女であるというだけで許されるであろう、と自覚しているふるまい」にはなかなかすごいものがあった。あと、顔がみんな同系統。選んでいる人のシュミか。
中野美奈子って、アヤパンより我が強そう。
なんでフジの女子アナってそんなのばっかりなんだ?
それと、お天気お姉さんだけ社員じゃないから肩身が狭いのか、カヤの外っぽいかったなぁ。
軽部が40歳だというので衝撃を受ける。35歳から40までの5年間は早いんだろうなあ〜。

・「BUBKA」における後藤真希評価は、全体的に厳しすぎる。
今月号を読んだら、今回の曲もイマイチと書いてあった。少し厳しすぎるか、私とまったく評価の座標軸が違うということなのだろうなあ。
でも宇多丸のCDレビューは好きだけど。

・「都市で暮らすことは、ぼくたちには自然だ。」というコピーのもと、90年代初頭バブル感丸出しのマンションのCMが、確か「いいとも」の最中かなんかに流れてあまりにすごいのでぜひ見よう。
何が「自然だ。」だ。バイオレンスジャックを読んで出直せ!

みっちげ。(←はてなダイアリー - はてなの杖日記

気合い入りまくりキャプ画像とキャプション。ここまで来るとビデオ流しながらツッコミ入れる芸に近いですな。
メンバー内で「ケンカが強そうだと思う人?」という質問に、吉澤ひとみが「いない。全員に余裕で勝ちます!」と発言している。

これはメンバーに対する信頼感から発せられた言葉なのか。藤本にも田中れいなにも勝てるというのか。
私は、話題づくりのためではなく、吉澤ひとみは本気で勝てると思っていると思う。 この人の場合、ヤンキー気質というよりは、バキで言うと加藤清澄みたいな性格なのではないかと。あるいはマフィアとかが出てくるピカレスク・ロマンで、相手を消すことしか考えていない殺し屋とか。
要するに、「コミュニティ内での自分の強さ」を誇示するのがヤンキーならば、「コミュニティ関係ねー」のがそういう人たちだということ。

ちなみに、右側は「吉沢瞳」。吉沢瞳、かわいかったよなぁ〜、今何やってるんだろう。

ウルトラ出版、HP模様替え
巡回していたどこかのサイトで見つけたのだが忘れてしまった。すいません。「日本ブルマー史料集成」発売中。画面下の方の「広報担当者」は何なんだー。

(03.1001)

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