つれづれなるマンガ感想文2月後半
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一気に下まで行きたい
2001年
2月27日(火)
激太りが発覚してからメンタルなものか身体の調子が悪くなり、朝、パソコン打ってたら胸のあたりが苦しくなってきた。親に「胸のあたりが苦しいんだけど」と言ったら「そりゃ心臓だ」と言われた。「気のせいじゃないの?」と言われるだろうと思ったのが逆だったので、ことのほかショックを受けて、かえって気分が悪くなった。
だいたい、最近テンパってる。おかしい。とにかくイライラが抜けない。
「2001年度版 SFが読みたい!」(早川書房)の表紙のマンガを読んでもダークになったり……。表紙はいわゆる「SFマニア」の自嘲的なというか「SFの喜びは他人にはわからない」という気持ちと「SFの喜びを他人にもわかってもらいたい」という気持ちが錯綜したというか、そういうニュアンスのイラストというかマンガで、SFマガジン本誌でもそういうの描いている水玉蛍之丞が描いているんだけど、こういうのって普通のSF好きな人が見れば「あははー。そういう気持ちってあるよねー」で済んじゃうでしょう? でもこちらの気持ちが暗くなってくるといいようのない疎外感にさいなまれる……(たぶんおれだけだと思うが……)。
さらに、雑誌の昨年のマンガベスト10関係を2つ、ひとつは「SFが読みたい!」内のSFコミックベスト、もうひとつが映画秘宝のベスト。これらも見てダークになった……。
前者に関しては、「SF」という特定ジャンルのマンガということでジャンル内ジャンルのセレクトはいかにあるべきか? という問題がまずあり、さらにそれは「SFマンガとは何か」ということにつながっていく、ということに思いをはせたりする。
・CD「薔薇と緑」 北野井子(avex trax)
……とにかく、ここのようにマニア的なHPなんか始めちゃったもんだから(すでに話題は「マンガベスト10を見た」ということに戻ってます)、「知らない」ということに私は異常なまでに恐怖感を抱いている。それと、これは何度も書いてきたけど本を読む速度、情報処理能力、自分にそれらがないことに落胆せざるを得ない。
オタクとかマニアは、情報処理能力でどんどん差が付いていって、差を付けられた方が追いつくということはあり得ないから、さっさとペーパーテストのようなものを実施して資格制にしたらイイと思う(実際、大学教授なんかはそうなっているか)。もちろんたくさん本を読んでもバカはいっぱいいるが、少ししか本を読んでいないバカよりはマシだろう。要は少ししか本を読んでいないリコウの発言権を確保すればいいのだ。まあその判定がむずかしいのはじゅうじゅう承知してますけどね。
ああもーめんどくさいー、ウチに「半七捕物帖」と「宮本武蔵」と「太閤記」があるから、ソレだけを読んで暮らせば10年はもつ。テレビは「おはスタ」だけでいい。マンガは最近読んでないけどジャンプだけでいいや。それで友達づきあいも少しずつ減らしてって。……今でも友達充分少ないけど。
……ソレで思い出したんだが(また話が飛ぶ)、人間関係のわずらわしさがイヤで今の仕事(実家の手伝い)をしているのだが、逆に見事なまでにヒトと話さない(お客は別)生活になってしまった。手塚治虫に「未来人カオス」というマンガがあって、……まああんまり有名じゃないんだけど、無実の罪で流刑惑星に連れて行かれたカオスが、隕石の落下かなんかで収容所が全滅、独居房に入れられていて九死に一生を得る。
……今、そんな心境。
2月26日(月)
某映画のDVDが発売され、その記念イベントがあるというので行った。
会場はほぼ満席で、おれの席の隣では男の子二人(小学校三年生くらいと幼稚園くらい)連れのお母さんが座っており、おれの前にはものすごくキャピキャピってる女の子二人、その他の人々もなんか全員顔見知りみたいで、肩身のせまいことこのうえない。
・CD「SUPERHAPPY」 mc.A・T(avex trax)
・CD「ダンス甲子園オリジナル・ビデオ・ダンスミュージック」(バップ)
・CD「超サイコー」 Oh style(アポロン)
体重を量ったら、信じられないくらい激太りしていることが発覚。何を食ったか毎日書き留めているのは、こういう事態が起こらないためであったのだが、案の定私の努力はムダになった。私の努力はすべてムダになるように設定されているらしいっスよ。
腹いせに、前から行きたかったブックオフ方南町店へ行く。何軒か行くうちにわかってきたのだが、ブックオフはおれ的には微妙にどうでもいい、買っていいかどうか非情にむずかしいラインの品揃えです。100円だとつい買っちゃうしね。
・CD「ジャワ・ジャングル」 ジョン・ロビンソン(avex trax)
本作はジャワティー・ストレートのイメージソングで、しかもジャングルだ。ジャングルってこの頃からあったのかー、って思ったけど。今はジャングルじゃなくて名称なんつんだっけ。ドラムンベースか。それにしてもここら辺にまでジョン(馴れ馴れしい言い方)が食いついていたとは知りませんでした。
結婚式でした。むろん私のではない。私は参列者。
何人かひさしぶりに会う親戚などが来たんですが、話をしたら、私が相当日常的にテンパっていることがわかりましたな。みんな健全、明るいんだよなー。
式が済んだ後はごく少数の者が集まっての食事会だったんで、私が幹事なわけでもなし、お行儀よくしていればいいだけだったんですが、いったいどの程度、どんな話題を出せばいいのかとか考えてしまったりして。まあビール飲んだらそれほど気にならなくはなったんだけど。
よく知らない人(半知り程度の人)の中で、スルリと話題を滑り込ませることができる人というのがすごくうらやましい。自分のアピールにもなるし、他人を楽しませることができるような。
それともうひとつは、話題をふった際、相手の反応がぎこちないと異様にビビってその後の会話がうまく続かない、という傾向も自分にはある。
いちばんよくあるのが「えっ?」って聞き返されるとき。単純に聞き取れなかった場合もあるけど、なんか「まずいこと言ったかな?」と考えてしまう。
もうひとつは、相手のマズいとこに触れちゃって、こちら側がビビる場合。
あと、咄嗟に気のきいたことが言えない。「それじゃ○○だよ!」とか。なんというか大喜利的な物言い。この駄文だって推敲してるもんねえ。
家に帰ったら、疲れてすぐ寝てしまった。
2月23日(金)
もうこの世に楽しいことは何もない。さあ、100円玉を握りしめてビデオ屋のワゴンへ繰り出そう! そこには中学生や高校生の頃、買いたくても買えなかった夢のお宝CDが眠っている……。
・「太陽のシーズン」 安室奈美恵withスーパーモンキーズ(東芝EMI)
・「ミックスジュース」 グレート・チキン・パワーズ(BMGビクター)
・「エイベックス・レイヴ93 ハイパー・メガ・ミックス」 レイヴ・マスターズ(avex trax)
93年当時、YMOやムーンライダースなどテクノ・ポップからのファンと、電気グルーヴから来るアングラダンス系テクノ(とでも言えばいいのか)のファンは、一様にジュリアナ東京をバカにした。憎悪さえしていた。端から見れば打ち込み音楽ということで似たようなモンだと思われるかもしれないが、やはり生成過程やイデオロギーにかなりの違いがあった。この時期、両者に断絶があっても仕方がなかったと思う。また、音楽は国境を越えるだの他のメディアと違ってダイレクトに脳に届くだの言っても、けっきょくはイデオロギー闘争から逃れられないという現実をも、学ばせてもらったと思う。
以下、日記。
帰ったら家にも寿司があったので、それを少し食べる。その後もドカ喰い攻勢。脂肪肝で死ぬ予言。しかも見知らぬ他人から、夢のお告げで知らされる。
2月22日(木)
朝飯……焼きそばと菓子パン。休みだったのでブックオフ荻窪店へ行く。
反町グレイシーは自慢の後ろ髪をめいいっぱい伸ばし、記者会見での第一声、隣にいた男(マネージャーだろうか)に「せんだみつおって、いつ改名を戻したんですか?」と聞いた。聞かれた男はブ厚いシステム手帳を取り出してページをめくり出すも、明確な答えが得られずズリおちそうなめがねに何度も手をやるしぐさ。
男があわてているうちに、集まった記者のうちの一人が構えたカメラがロボットに変形するものだと知った反町は、せんだみつおのことはすっかり忘れてそのカメラに見入っていた。
ムカつくのは松嶋ポヨ美の方で、「松嶋の奇蹟を追う!」という特集映像が流された際、ヤツがもっとも知名度を得た「お・ま・た」のCMがカットされていたということだ。しかしその後の第2弾だかである「さるー、さるー」の方は流していた。
夜は鯖の味噌煮と、シューマイ食って寝た。
2月21日(水)
引き続きダーク日。いったん起きて朝飯(からあげとトースト)を食ってまた横になったら寝過ごしてしまった。
録画しておいた南極昭和基地のテレビを見て、先人の努力に感動して泣けてきた。最近こういうのをダークな気分のときに見ていると「この人たちは一生懸命働いて他人に誇れる実績を残しているのにおれは……」とますますダークになっていくのだが、今回はうまくストーリーにノっていけた。
が、その後同じく録画した、元ナチのブルナーとかいう人の番組を見ていたら心底ダークに。第二次大戦中、2万5千人くらい殺したらしい。見なきゃよかったんだけど、おれ歴史のことよく知らないから勉強のためにと思ってたから。未だに生きているらしいが、政治の大きなうねりによって生きている(生かされている)というのは、新潟とかあの辺で某国にさらわれちゃった日本の少女とは逆のパターンである。
昼、うどん、焼き魚。給料が出たので一発古書店へ、と渋谷でラーメン食った後まんだらけへ。思い立って某作家をまとめ買い。その後、新大久保のブック●フを覗く。新大久保、実にひさしぶりに下車したが(もしかしたら初めてかも!?)、例の落下事故のところを見る。あれじゃ逃げ場ねぇな。鉄板がふさいじゃってて。
なぜ「ブック●フ」と伏せ字かというと、1階の店員の感じが悪かったから。2階の会計を1階でするというのも効率悪し。ただしマンガの50円コーナーがあるってのはイイ。
家に帰って、方南町の近くのブックオフにも言ってみようと思ったが、方南町の駅だと思っていたところが中野富士見町駅であったという衝撃の事実に、家に帰る。
2月20日(火)
最高にダークな日。私にしてはめずらしく、理由もなくダーク。
仕事が終わって、原宿のブックオフを覗いてみる。原宿自体がどういう集客してんのかワカランある意味興味深い街だが、ここのブックオフも膨大な蔵書量でなかなかたいしたところだった。客層からか入り口に少女マンガたくさん。
おもしろCDを探しに行ったのだが、今までの経験上、中古CD屋でおもしろ物件が見つかったことはほとんどない。しかし、わざわざ新譜を取り寄せるのはあまりにもったいない気がするし。
ブックオフに立ち寄る前、竹下通りのレコファンで昔の安室奈美恵などどうでもいい100円CDを10枚ほど買う。「ぶっとび系」を探していたんだけど中古じゃあんまりないなあ……。しかしジャケだけでも力の抜けるものはゲットしたので、今後こちらで紹介していこうかなあと思っている(まあ予定は未定だが)。
帰りに竹下通りのラーメン屋に入った。意外にも味はまあまあだった。
2月18日(日)
考えてみれば、「ちょっとさと子さ〜ん」(姑がヨメをいじめるCM)が嫌いだ嫌いだと言って、もう1年近くになる。1年近くやってるのだあのCMは。ああ恐ろしい。
まあもともと、嫁と姑が仲が悪くてギャーギャー、というドラマは好きではない。ましてや現実も好きではない。そのようなことが我が身にふりかかったらと思うと、結婚相手もいないのに早くもダークな気分だ。
ところで、嫁姑関連というわけでもないんだが当HPにはSFおしかけ女房モノというコンテンツがある(やや強引な話題の転換か?)。「うる星やつら」や「ああっ女神さまっ」を筆頭に、「さえない男の子のもとに超能力をもった美少女がおしかけてきてどーたらこーたら」というパターンが、マンガやアニメにあまりにも多いのでコレクションしてみてはどうかと思いついた企画だ。
ごくたまに誤解をされるのでここで書いておくが、「SFおしかけ女房モノ」というのは、シチュエーションとして、ただおしかけてきたからそのジャンルにカテゴライズされるのではない(そんなこと言ってたら映画「忠臣蔵外伝四谷怪談」まで入ってしまう。あれはヒロインが妊娠してしまい、男のところに勝手におしかけてくる辺りから物語が転がってくるのだ)。
簡単に書いてしまえば、80年代に勃興してきた少年ラブコメの、さらにダメなパターンだと考えてもらって差し支えない。時代と密着したジャンルなのである。
それでは80年代ラブコメとは何か。それは、男の子に要求される社会性とか地域性というところからいったん切り離された聖地=学園や一人暮らしのアパートで繰り広げられる、ほとんど地に足のついた立場を放棄したといってよいモラトリアム期間を描いたものである。
コレをさらに現実離れさせて、モラトリアム気分を倍増させると「SFおしかけ女房モノ」になると考えてよい。恋愛の対象となる女の子が人間ではないだけに、主人公のいる「場」の隔離具合、浮世離れ具合が倍加されるのである(もちろん、その分「場」が崩壊したりそこから脱出しようとするときには通常のラブコメ以上に派手な展開にもなる)。
「少年ラブコメの」、「さらにダメなパターン」と書いた。それは、ほとんどの場合「さえない主人公」←→「超能力をもった女の子」という関係そのものが、一種の「夫婦ごっこ」、「恋人ごっこ」であって、性役割が固定化されているからだ。
そのような理由でSFおしかけ女房モノを批判することは、実に簡単だ。しかし私はそういう立場はとらない(とってたらわざわざそんなコンテンツは設けない)。
話は飛ぶが、現実世界での性役割はずいぶん変わってきている。どこら辺が転換点なのかはフェミニズムの研究をしているわけではないのでよくは知らないが、おそらく全共闘世代かその少し下あたりから変わってきているのではないか。もちろん地域差や教育の差などによる違いはあるだろうが。
ここでさらに話が飛んで「ちょっとさと子さ〜ん」に戻るのだが、それでは現実世界のオタクはその辺り、つまり夫婦間とかさらには夫婦のそれぞれの家族とのつき合いなど、どうしているんだろうか。おそらく、オタクでない人とそう変わらない意識の変遷を辿ってきているのではないかと思う。
広義のオタク批判のもっとも大きなものは、たぶん男女関係(男女関係を最小単位とする「社会性」と言うべきか)に関するものだろう。怪獣が好きだったり、モノを集めたりというのはたいした問題ではないと個人的には思っている(金がかかるとか部屋が狭くなる、などの物理的問題は除く)。
オタク間でも常に断絶を起こすポイントは、ナショナリズムVSコスモポリタニズムなんつうことよりも、むしろそうしたベタな部分にあるのではないか。
むしろ徹底してベタなもの(ニューファミリーの残滓としてのおしかけ女房カテゴリ)が澱のように残っていってしまう、そこにワビサビを見出したいと考えている。
それが表しているのは「零落したマッチョイズム」だと私は考えている。いいか悪いか知らないが(たぶん悪いことだったんだろう)、かつてこの日本は日本的マッチョが支配していた。しかしその有効性はどんどんせばめられ、今では特殊な聖地(繰り返すが学園、主人公の一人暮らしなど)でしか通用しなくなった。だからSFおしかけ女房は基本的にはマッチョを求めている。しかし主人公自身はもはやマッチョですらないのである。……というわけで、そのアンバランスが物語を転がしているというある意味情けないジャンルが「SFおしかけ」なのだ。
80年代に台頭した「少年ラブコメ」は、……まあ青年誌にもそれっぽい作品はあるが、時代の変化と少女マンガ、レディース的な手法や思想を取り入れることによって、まだしも個としての男と女が向き合うドラマを紡ぐ可能性を残していた。しかし、少なくともそういった方面の期待は「SFおしかけ女房モノ」にはきわめて少ないのではないか。
おそらく21世紀に入り、ギャルゲーなどの影響もあり「SFおしかけ的ヒロイン」はかたちを変えていくだろう。だが「澱」のような部分は残り続ける。その徹底的なミもフタもなさ。
みんな上に上がっていきますよ。センスエリートなオタクたちは。
……辛い話だ。そんだけ。
2月16日(金)
友人には朝、携帯の留守電に入れて家でダラダラしていたら電話があって連絡取れましたよ。けっきょく、仕事で行けないとのこと。
一人で行くのって久しぶりだった。連れに気を遣わないのがラクな反面、寂しい部分もある。新宿のリキッドルームに行ったのはかれこれ5年ぶりくらいになるんじゃないかな? 懐かしい気分になっちゃってるよ。信じられない気持ち。
歩いて帰ろうと思ったんだけど、外は意外なほど寒くて死ぬかと思った。
・「未来戦隊タイムレンジャー」
また、キャラクターの割り振りがすごく面白かったね。
「ゴーゴーファイブ」は、終盤の展開のありきたりさ加減が悲しかったんだけど、「タイムレンジャー」のラスト3回は盛り上がったなあ。「なぜ直人がタイムファイヤーになったか?」の真相には本当に驚いたよ。ここら辺は、マジに反則、という意味では本当に反則だったかもしれない。でも50話近くある中でのたった1回だからね。まあジョジョ第3部で、スター・プラチナが時間を止められるってのが最後の最後にでてきたようなモンで、いいんじゃないかな。
さて、「タイムレンジャー」を王道から逸脱した作品とするか、王道そのものかを判断するのはなかなかむずかしいことだと思うんですよ。単純に物語だけで考えるなら、いちばんぶっとんでたのが「ジェットマン」と「ダイレンジャー」と「カーレンジャー」だとして、「定番」のお手本が「ギンガマン」、「メガレンジャー」、「ゴーゴーファイブ」だとすると、その中間ぐらいなんじゃないかと思います。
でもねー、近年の作品にかぎって言えば、……名指しですけど最近の武上純希脚本のはイマイチです。このヒトの最近の作品が基準となり王道とされるのはいかがなものかと思います。だってムカシの「カクレンジャー」とか「ジュウレンジャー」とか、特別ぶっとんでたわけではないけどわりと面白かったもん。……というわけで、新番組のガオレンジャー、期待しないで期待しています。
ところで「ユウリ」のキャラクター造型は、いずれ戦隊モノでは一度は出てこなければならなかったと思います。無意識にドモンが「ナントカ!」(お皿か何かか?)とユウリに頼んだときに、「いばらないでよ!」と咄嗟に言うシーンがあるんだけど、こういうのって今までなかったから。まあ「ゴーゴー」のマツリとは対局にあたるかもね。
それとドルネロの情婦(?)だったリラが、近年では珍しく戦隊のメンバーとほとんど関わらなかったのも興味深い。1回くらいからむエピソードがあってもよかったような気もするけど。でも最後まで仲間のドロドロした人間関係に関わらず、本当にお金や宝石にしか興味がなく、でも死んだドルネロに「お金ぬきでもちょっとだけ好きだったわよ」って言うのはちょっとカッコよかったですね。
ひさしぶりに「よかったなぁ」と手放しで言える特撮モノでした。
2月15日(木)
明日の夜から某イベントに行こうと友人から言われたが、今日にいたるまで何の連絡もない。
あと12時間、あと10時間……。
しかし、考えているうちにどんどんめんどくさくなってきた。
そして、晩飯食っているときに焼酎少し飲んだら、急速にイヤになってきた。
「ケータイの留守電に入れてくれ」とか言うんだけど、生来的に携帯電話を愛する人とそうでない人がいて、そうでないヤツが持ってても操作を間違えたり、マメに確認しなかったりする(FAXも同様)。
で、けっきょく連絡しなかった。
朝から「連絡……連絡……」と言いつつも連絡できなかった自分に自己嫌悪感が襲ってきた。
どうすんだろなぁ。もう行かないってことに決めていいのか。
古本屋に行くがいまいちな釣果。どうすればいいのだ……。
「タイムレンジャー」、全部見終わったけど連絡の件が気になってしょうがないので感想はまた後ほど。
2月14日(水)
朝、パン。昼飯、あなごの天ぷら丼。夜、弁当とカップめん。
礼服を取りに行く。
2月13日(火)
朝、ホットケーキとかパンとか。またポテトチップ食っちまった。とまらない!!
夜、回転寿司。
2月12日(月)
朝飯、何食ったか忘れた。ポテトチップを異常に食べた。
昨日のコミティアで思い出したこと。小便しにトイレに行ったら、5歳くらいのすごくかわいい女の子(エプロンドレスで着飾っていた)がおとーさんに抱っこされていた。おそらくその子のお兄ちゃんか弟が個室便所でウンコするのを待っていたのだと思うが。
その子が、だっこされて高いところに手が届きそうに思ったのか「個室便所を上から覗きたい!」と無邪気に主張。その子のおとーさんは適当にあしらっていたが、個室便所に入るための行列がかなりできていて、みんな「早くウンコしたい」ってな顔でその子の声を聞いていた。
2月11日(日)
やはり「モテ」について語ることは、気を重くさせるものである。
飲むと躁鬱が狂ったバランスで襲ってくるのであるが、飲んで帰ってきたら強力にダークな気分に襲われ、「明日のコミティア、行くのやめよう」とすら思った。
しかしこんなおれにも意地がある。ちびっ子ハウスのみんな(注:架空の人物)もおれを待っている。
そこで第一のピンチが!
TRCの前にあるパン屋で、「フンフンフーン、あんパンでも食べようかなフンフンフーン」とか言ってパンを買っているときに思い出した。
そして、会場に入って、お手伝いに来てもらっている気楽院さん(助っ人ありがとうございました)にお釣りの有無を確かめてしまったりした。
いちおう二人合わせて充分かと思われたが、だれがいくら払ったのか煩雑になるので(いや、ホントはそうでもないとは思うが、あせると何が何やらわからなくなってしまうのが私の性分なんで)、千円札で飲み物を何本も買うことによって小銭を確保した。
普通は「ニッパチ」といって2月や8月は客が来ないのが商売ってもんだが、コミティアはすごく盛況で混んでいた。ただし、なぜ混んでいたかはよくわからん。
それにひきかえWAIWAIスタジオには開場後1時間ほどだれも来ず、まさに石ころ帽子をかぶったような状態。あまりにもだれも来ないので、デコトラのプラモデルを完成させ、「スノーボードの大会のゲストがヒロミだったのがムカついたなあ」などということを際限なく思い出してしまった。
そうそう、吉田等は仕事で来れなかった。
でも、A/kodamaさんが来たり、小杉さんが来たりしてくれた。吉本松明さんに初めてお会いできた。
会場では「タイムレンジャー」や「東京ミュウミュウ」や「リーマンギャンブラーマウス」の話をしていたように思う。
5時から、コミティアに来ていた人たちの飲み会があってそれに出させてもらった。
そして、翌日も仕事なんで9時半頃あがって、家に帰ってテレビ付けたらモーニング娘。や相川七瀬が出ていたので、アホ面して見て、速攻で寝た。
2月10日(土)
力学(ちから・まなぶ)と飲む。どっかの焼き肉屋。
う〜ん、私がモーニング娘。の熱烈なファンというわけではないんだけど……。なんかたまたまそうなった。
で、「中学生ってモー娘。のだれのファンなんだろう? だれにエロ妄想抱くんだろう?」という話題になったが、おれが「中学生だからってゴマ●、ゴ●キと言っているばかりではないはず。中澤ゆ●こでエロ妄想を抱くやつもいるはず」と言ったら、
しかし妄想の中で何やってもいい以上、別に自分が変身しない手はあるまい。しかも中学生だから。発想の飛躍があるだろうし。
あと「妄想に『どこでもドア』などのひみつ道具を導入する」ことについても反対されたが、おれ的にはそのあたりのことを考えることが楽しいのであって、エロ妄想の骨子自体はわりとどうでもいいのです。
あと「河童って、腕がつながっていて片方をひっぱると片方がひっこむんだよね」と話題をふったら、これまた不審がられた。河童トークは即座に打ち切られた。
それと、「今やアイドルコントをやるとしたら、モー娘。しかいない」ということでは意見の一致をみた。今、アイドルにもっとも欠落しているものはアイドルコントである。
これはそのときに言うのを忘れちゃったけど、でもとんねるずが主導してやったりするのはダメね。とんねるず自体にアイドルコントに対する郷愁があるから、パロディっぽくなるでしょ。あと「スマスマ」でトランポリンをやってて、そのときの司会が「あのねのね」だったんだけど、あれも「ヤンヤン歌うスタジオ」に対するオマージュなのかもしれん。しかしそういうふうにやられちゃうとなんとなく面白くないっていう気持ちが出てこない?
まだしぶガキ隊がバリバリの現役だった頃、「バスケをやっているところに水戸黄門ご一行が来て(黄門様役は確か布川)、いろいろあって水戸黄門が着物を脱ぐとスーパーマリオになっている」とか、布川が「カッパーマン」(徳弘正也のマンガにあらず、オリキャラ)というのに扮していろいろするとか、すばらしいのがあったんだけどねえ。そのカッパーマンを守る自然保護団体ってのが確か本田美奈子だった。
焼き肉ガバ食いして、家帰って寝た。
2月9日(金)
朝、パン2枚。後に「食わなきゃよかった」と後悔する。
吉祥寺にCDとマンガを買いに行く。
家に帰ってビール飲んで焼きそば少し食ったら、真夜中にかなり気持ちが悪くなる。
2月8日(木)
昼、スパゲッティと、サンドイッチ。あとホットドッグみたいのまで食った。
コミケの申し込みをする。
シュミの幅を大胆にせばめようという計画。子供の頃、たとえば「おもちゃを買ってやる」と親に言われておもちゃ屋へ行くが、目当てのものが売ってない。で、探し回る。いくら探し回ったってないものはない。で、親が「もう気が済んだだろ?」という。
「気が済んだだろ?」っていうのは非常に失礼な物言いだ。なぜなら、「当事者が気にしていること意外は何も問題ではない」から出てくる言葉だからだ。問題の要点は「当事者が気が済むかどうか」であり、その行為自体は何物をも産み出しはしない。
私自身、「自分さえ楽しければよい」状態になかなかならず、意地になっていろいろなシュミを続けていたわけだが、さすがに三十代半ばを目前にして「気が済んだ」部分があるので、シュミの幅をせばめたいと思った次第である。
とりあえず同人誌刊行のペースも落としたい。正直、今のペースでは出し続けられない。
2月7日(水)
簡単に躁だ鬱だと言いたくないわけであるが、私だってすべてにガッカリすることはあるわけである。
こういうときは「水戸黄門」を見たときにもダークになる。
気晴らしにテレビでも見ようと、午前中に仕事場で教育テレビを見る。
……まあとにかく教育テレビを見る。そしたらアライグマが出てきたんで「かわいいアライグマを見よう」と思っていたら、「鎌倉市にアライグマが大量に住み着いて畑を荒らしたり、子猫を食ったりする。そこで市役所のおじさんがアライグマを捕まえて殺す。子供のアライグマがいたら、イヤだけど捕まえてやっぱり殺す」というものであった。
さらにインターネットを覗いていたら、ダークなことが書いてあった。
18禁のやおい本を描いている女の子たちに、「きみたちが『星矢』や『キャプテン翼』でホモネタを楽しんでるんだから、自分(その人は男)が何をエロ妄想しても別にいいだろう」というタグイのことを言ったところ、場の空気が凍りつき、ものすごい反発の言葉を浴びせられたという。
ああ、ダメだ、「コスプレ居酒屋大繁盛」の女バージョンだよこれじゃ!!
だってそういう本出してりゃ、そういう質問されることがあるのは当然じゃん。男でエロ同人誌出してたら、「そういうのが好きなんですか?」くらいのことはどこかで聞かれるよね。「場が凍りつく」ってことはないと思うんだよな。
繰り返すが、男性優位社会特有の何かによってそういうことが起こっているのなら、それは本質論的な問題として考えていかなければならず、別に私がこの場でダークになる必要はないと思う。しかし、男女のエロ妄想が突き詰めて考えていけば完全に対称にはならないにせよ、自分の嗜好にツッコミが入ったときの理論武装は、やっておいてソンはないと思うんだな。
こういうことに首を突っ込むと非常にめんどくさいことになって、私には手に負えないということ自体が私をダークにする要因でもあるんだけどな。あーあ。
朝、マカロニをパンではさんだやつ食って、なんかポテトチップスを異常にバリバリ食って、昼、天ぷらうどん食って、夜、炒飯やらラーメンやらをドカ食いした。絶望デブデブ病。
2月6日(火)
朝、寒いのをガマンしてコンビニに同人誌のコピーをしにいく。増刷。
昼、焼き肉定食。
早々と寝ていたら、世界中が火事になったかのごとき消防車のサイレンが。どうも杉並あたりで連続放火があったらしい。
2月5日(月)
やっと調子が良くなってきた。しかし青っ洟が出るのと、右手の薬指が痛いのと、右の奥歯がなんとなく痛い。死ぬ。
ああいう高学歴社会にまみれてきた人々に、意味もなく腐ったプリンでも投げつけてやりたいやさぐれた気分になる。
午前中にちょっとプリンとか食って、昼にカレーうどんを食う。夜はラーメン屋での新メニューのラーメンを食うが、角煮ラーメンなのに肝心の角煮があんまりうまくなかった。もっとトロトロじゃないとなあ。
あー、コミケの申し込み用紙書くのがめんどくさい……。
2月4日(日)
なんだか身体がだるい。風邪がまだ残ってる。
昼にうどんとシチューを食って、身体がだるいので早めに帰る。
それにしても「コスプレ居酒屋」のこと(正確に言えばそれが大繁盛しているという現実)を知って、もう私は以前の私ではなくなってしまった。絶望100パーセント。
そのせいか、何を見ても絶望感にかられる。
重要なのは、もしそれに何らかの理由があって、ただテレビが騒いでいるだけで、それにおれが踊らされて憤ったり虚しくなっているだけだとするじゃん。
そしたら、おれがバカっていうことになって、最悪の絶望だということなんですよ。
親が、熱心に日曜日に紳助がやっている報道番組みたいのを見ているんだけど、コレでわりと他では報道されないような、どこぞのわけのわからん公益法人に何十億カネが流れてるとか、そういうのやってる。
まあそういうことを乗り越えようとしたのが「ゴーマニズム宣言」だと思うんだけど、やっぱり「史実と違う」というツッコミが入ったら、それにちゃんと答えてほしいよなぁ。これは素人が事実を検証するにあたっての、結果的な敗北でしょう。
2月3日(土)
引き続き風邪。だいぶよくなってきてはいるが。まだ鼻水が出る。
昼にうどんと鶏肉を食べるが、夜、力学(ちから・まなぶ)と飲む予定だったのでものすごく腹が減るのもナンだと思い、ラーメン屋でラーメンを食べたりする。
そして夜は力学(ちから・まなぶ)と飲む。たまたま神田にあるという「コスプレ居酒屋」の話になり(といっても力学(ちから・まなぶ)が雑誌で読んだのを私がさらに又聞きするというカタチなのだが)、いろいろ話を聞いているうちにものすごくブルーな気持ちになってきた。
コスプレ居酒屋ってのは、日曜日だけ店員(女の子が多いらしい)がコスプレしている居酒屋のことらしいんだけど。
別の人に話を聞いたときも「客でコスプレしている店員の女の子に、本当にそのキャラクターのつもりで話しかけたりするのがいるが、当の女の子自体は自分が何のコスプレをしているかよくわからない場合が多い」というイタイ話を聞いていたし。
入店するまで2時間も待つらしい。女の子がオーダーを間違えたりすると「ドジっ子だ!」と叫んだり、女の子に何回も来てもらうために何回にも分けて注文したりするらいし。むろん客は男ばっかりらしい。
そういう話を聞いていると、ちょっと説明できないけど胸のあたりにジワジワといや〜な気持ちがわき上がってきて、自分でもわからないくらいにブルーな気持ちになってきた。
コスプレでもめがねっ娘でも何でもいいが、なんか私とあきらかにポリシー違うんで。おれの中に、お仕着せのコスプレにエロは存在しないですよ。
大声で叫んで走り出したくなってきた。しなかったけど。
もうそろそろ、いろんなことが潮時なのかもしれない。おれの中で。この話を聞いたために、私のキャラ変わっちゃうかもしれない。とりあえず、見るもの聞くもの、すべてが「ガッカリ要因」に見えてきた。
2月2日(金)
引き続き風邪。だいぶよくなっていてはいるが。
朝も昼もシチュー食って、夕方ラーメン屋に行ったら改装中だった。仕方がないのでその隣のラーメン屋に行った。
ここは「味源」という名前だったのだが、いつしか「源」という名前に変わった(「味」をとっただけ。今でも暖簾の「味」部分にスペースがある)。
「味源」は渋谷にもある店で、「味源グループ」がやっていることは知っていたが、「源」は「源グループ」がやっていて、「味源グループとはいっさい関係ない」そうだ。
絶対あったね。暗闘が。なんかボーイズラブ入ってる戦いがあったと勝手に推測してみる。「味源」と「源」のオーナー2人はもともと親友同士で、でもなんか裏切りとかあって、それぞれに軍師とかいるんだよなきっと(全部想像)。
2月1日(木)
引き続き風邪。死ぬ。
その後、昼にコロッケとか肉とか食った。だいぶ食欲回復。
あとは寝っころがって死んでた。ビデオに録ってて見るのを忘れてた、永井流奈が番組降板する回のミニスカポリスとか見てた。
すごい素朴なギモンなのだが、電車のホーム転落事故が報道された後、あちこちでホームの転落事故があったり、それをまた救出する人が現れたりしているが、あれは何なんだ? 少なくとも転落事故が報道によって連鎖して起きているとは考えにくいから、ふだん報道されてないものがニュースとして報道されているだけなんじゃないの? こういう、ニュースの重要度によって報道されるかされないか変わるものを何の注釈もなく報道するのはどうかと思うんスけど。
(以下の文章は1月31日ぶんのものだけど、1月が70KB越えて非常に重くなってしまったので、こちらに移し替えます。内容は同じだから読まなくてもいい。)
だが振り子が振れるように礼賛になってもおかしいと思うわけだよ。
ちょっとショックでした。
どうしてそう思うんだろうと自問自答してみた。私はもともと、人間が機械を擬人化して扱うのを見るのは嫌いではない。「爆走兄弟レッツ&ゴー」でのミニ四駆と主人公の交感とか、もっとわかりやすい例で言えばバイクマンガや片岡義雄のバイク小説などでの人間とバイクとの交感。技術者や工場のオペレーターが、毎日操作する機械に感じる愛着。こういうのは好きな方である。
しかし、犬とアイボを比較してみたり、(動物の癒し効果というのあると前提した上で)ペットロボットにそれ以上の何かがあるように思うことに、強い違和感を覚える。
たとえば、これが幼稚園くらいまでの子供の反応なら、何も感じなかっただろう。子供は何でも信じる。ウルトラマンになりたいと思ったり、サンタクロースは本当にいると思っていたり。
しかし、番組に出てきたのはイイ大人ばかりだった。「老人になると子供に戻る」とも言うが、私は老人になったことがないからわからん。わからんが、あんなにも「ロボットの癒し効果」を盲信していいものだろうか?
バイクや産業用機械やミニ四駆に対する愛着、が微笑を誘うのは、それらが基本的に人間や動物とは「まったく似ていない」からである。まさか本当にオカルト的な意味での魂が宿っていると考える人間はいないだろう。「機械との交感」は、自分自身との対話とも言える。アシモフのロボットものも、その辺について確か触れていたし。
ところが、ペットロボットは動物に「似るように似るように」つくっているのだ。まあ私はアイボを扱ったこともないし猫一匹飼ったことがないので比較しにくいが、とにかく「機械である」という先入観を取り去る設計にあらかじめなっている、というか、それこそが目的みたいなところがある(製作者側が「本物の動物とは違った何か」として考えていたとしても、「本物らしさ」を追究していないとは言えない)。
それにあまりにも簡単に(というふうに思える)乗ってしまうというのは、ちょっとダマされてやしないか? とも思ってしまうのだ。
今、ロボットが癒しの効果をあげているとすれば、それは「物珍しさ」によるところが大きいのではないかと思う。それは当たり前になればすぐ薄れてしまう。
それと同じで、おそらく現在ロボットが癒しの効果をもたらしているとすれば、「ロボットという未来的なイメージ」や「それがつくられたという技術力への信頼」という基盤があった上での「物珍しさ」によるところが大きいと思う。もちろん、元来「ペット」という概念が浸透しているということも大切だ。
私は小さい頃から日常にロボットが入り込んでいる世界に憧れていた。人間型のロボットが子供たちに風船を配ったり、災害救助に向かったり、学校で生徒を教えたりする。
老人とか仕事をリタイヤした人などの癒しに動物やロボットを使うのは、かなり最後の方の手段なのではないかと思うが。報道する人々は、もうちょっと何とかしろや。
……というわけで、私の最後の夢「二十一世紀ロボ」も夢物語となってしまった。
その後も仕事以外何をどうしたかサッパリ思い出せない。帰りの電車では眠ってしまい(それほど遅い時間ではなかったのだが)、新宿止まりの列車だったので駅員からたたき起こされた。
信号を待っているとき、およびコンビニで並んでいるときなどもイライラ。
家の水道で手を洗おうと思い、水を出してもなかなかお湯にならないのでイライラ。
スニーカーの靴ひもを結ぶのもめんどうだし、テレビ番組を録画してやっぱり見たくなくなって全部消しちゃったり、北朝鮮拉致疑惑問題のテレビを見ていて本当に、即座にチャンネルを代えたくなるくらいブルーになったりする。
この場合の疎外感っていうのは、私の場合SFマニアでもSFに興味ない人間でもないんで、「おれってどっちでもないんだなあ」ってな感じ。どこまでも中途半端な自分がイヤになったりして。
ちなみに、同作者の「こういうタイプのマニアやオタクがキライ!」ってものすごくバッサリ斬ってあるタイプのイラスト、アレも気持ちが弱っているときにはダークになるなあ。SFマガジンにはあまり載ってなくて、不意に普通の雑誌に載ってたりするの。
まあ私もある種の困ったちゃんに関しては、同じかそれ以上の斬り方してんですけどね。そうでないとオタク的な趣味はやってられんよ。
……というのは内容云々ではなく、私がそれらの半分くらいを読んでいないってこと。
後者は「秘宝的」なラインナップになっているけど、2000年度のベストで「中坊林太郎」入れたら編集者に怒られた、って書いてあって、意外に奇をてらったものにはなっていなかった。復刻モノの項目が設けられていたのがよかったかな。でも「中坊」ダメなのか……。最近の映画秘宝ってあまり読んでいないんだけど、「中坊」がダメで、今年の1位が確か「画太郎先生ありがとう」だったあたりに、ある種のポリシーがあるのかなあもしかして。
まあまだ「SFが読みたい!」を全部読んでないし「何がSFか?」なんて中途半端な私には恐くて答えられない。実はダークになったいきおいでダラダラと持論を書いたが、いろいろ反論されてもメンドクサイのでぜんぶ消した。
98年作品。今、あえて北野井子を聞く! 言うまでもなく、北野たけしの娘であり、XJAPANのYOSHIKIプロデュースにより鳴り物入りでデビューした少女である。無責任なスポーツ新聞的アオリによれば、前評判ではかなりのところまで行くはずであった。しかし、今や北野井子を語ることは……もしかしてタブー? なんかアメリカに留学しちゃってるって聞いたんですけど。
芸能界の政治的なことはワカランよ。しかし、その後(正確には調べてない)、宇田多ヒカルという「ものすごいの」が登場したことによって、おそらくかなりの部分でキャラクターやスタンスがかぶっていると思われる北野井子は、地平線の彼方へと飛んでいってしまった。
現在のベストテン状況を見ると、ELTみたいなやつ、椎名林檎みたいなの、ビジュアル系はちょっと下がって来てるか? 「ゆず」や19のような路上でライブやりそうな若者、そして歌謡曲的なるものを意識的に展開しているモーニング娘。さらに宇田多ヒカルなどのR&B(あれR&Bって言うんだよね?)。ヒップホップも入ってきている。
すなわち、ビジュアル系のYOSHIKI的な楽曲はあまり入ってきていない。ましてや「女のビジュアル系はいない」というのが誤算だったのか。よくわからんが、改めて本作を聞くと、やはり残念ながら楽曲的にも古いというかチグハグなものを感じる。北野井子の再評価が来るとすれば、もっとずっと後のことだろう。
「ちょっとやってみてダメだったのですぐ引っ込めた」的な感じも、かえって「あの人は今」みたいになりやすいと思うのだがどうだろうか。平家みちよくらいこれでもかって出せば何かが生まれたかもしれんのに。何も大御所の娘だからって必ず1位にならなきゃならないってわけでもあるまい。以上、CDレビュー終わり。
そこから、ロビンソン・クルーソーのような生活をはじめるが、とにかく孤独になる。この描写が胸にささる。
コレがほとんどオタクテーマの作品でありながら、おしゃれ方面にも気配りし、さらに単なるファッションに終わらないある種の真摯さが感じられる大変にたいへんにすばらしい映画だったので、私はとても感動したのだが、イベントに行ってビックリ、お客の9割5分は女性であった。
確かにカントク(ルックスがけっこうかっこいい)におっかけみたいな婦女子がいるという噂は聞いていたし、出演者もモデルみたいなやつらばっかりだったから女性ファンがいることは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
さらにトークがはじまっても隣のお子さまは何度も何度もおれの前を行ったり来たりし、おれの席の前の女の子はトーク中でも関係ないことで笑ったり騒いだり、デジカメを録ったりし、さらにおれにとって阻害的なことには、舞台上の人と、そのような騒がしい状態との客にある種の一体感ができているため、アカの他人のパーティに出てしまったようなすさまじいいたたまれなさに襲われてしまった。
よくオタク系のイベントに行くと「客席がくすんでる」とか、トークする人からもからかわれることがあるが、ホントそれぐらいがいいかもしれんなー。間違えて女子トイレに入っちゃったかと思ったよ。
95年。超ハッピスーパハピノリノリ〜。ご存じファンタのイメージソング。以前NHKで詞についての特番が組まれたとき、ゲストの大槻ケンヂが「『喜び』をどのような言葉で表したらいいんだろう、と苦しんでいたときにコレを聞いたら『超ハッピスーパハピノリノリ〜』とあまりにもストレートに言っていたのでおれの悩みは何だろうと思った」と言っていて爆笑してしまった。実際通して聞くともっとすごい。「超ハッピスーパハピノリノリ〜」の後は「超ハッピ超超ハピメチャノリ〜」だもん。カップリングにはアフリカ・バンパータのプラネット・ロックがサンプリングされていた。タイトルは「Jump Up!−2001−」。律儀に聞いたよ、おれは2001年にさあ。
アルバム。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」での企画「ダンス甲子園」(俳優の山本太郎が海パンで踊ってた)の、オリジナルビデオの曲を集めたモノらしい。
最初はどこぞの洋楽だと思って聞いてたのだが、どうもダンス甲子園上位入賞者のイメージに合わせてつくったオリジナル曲らしい(だって「オリジナル」って書いてあるもんなァ……)。そういうもんが発売されたこと自体にかなり驚くが。
曲調としては私は門外漢で表現のしようがないが、L.Lブラザーズが踊ってた曲みたいなヤツ、を想像してもらえればよい。なんつんだこういうの? ハウスでもヒップホップでもないし。楽曲的には現在聞くとあまりに中途半端でもう少し寝かさないと懐かしさが出ないんではないかと思う。最後にノンストップミックスが入っているので、それでも聞きながら受験勉強をするのが吉かと。「どすこい同好会」の写真がゲットできたことだけが、私にとってトクしたことだった。
ちなみに本作にはダンサーとして最も有名になったL.Lブラザーズも、「いまきた加藤」のいたグループも、チーム名を忘れたがモヒカン頭の兄ちゃんのいたチームも入っていない。
その後のテリー伊藤仕事を考えるにつけ、「どの程度仕込みだったのかなァ」とか考えちゃいますね。
ブックオフ物件。おお、これはおれ的にはアタリだった。95年。「石の上なんか乗るもんかー!」というのがサビの、「DA・YO・NE」マネマネラップ(まさかこっちの方が先ってことはないと思うが、調べていない)。ジャケを見ると大きく写っている男の子が歌っているように思えるけれど、実は彼が手に持っている写真(?)の中の二人組らしい。カシオ電子手帳のCMソングらしい。
それに付けてもこの良さは、「ジャケ買い」してCDラジカセに乗せてみた瞬間(しかも2001年に)しか発揮されないのがつくづく惜しい。人に聞かせてもウケてくれるとは思えんしなあ。
2月25日(日)
……なので、朝は食パン1枚にして昼はうどんとみそ汁、夜も温かいそばのみですませた。夜中に腹減って苦しんだけどがまんしたよ。ボク。
すでに持ってる「世紀末同人誌伝説」(水谷潤、藤宮幸弘)や、あすかあきおの「まんが ハチ公物語」も100円だから買ってしまいましたよ。さらに蛭田充(ダイナミックプロの人。「ウルトラマンA」などを描いている)の「企業コミック 日本電気」や浅見裕子の「マンガ 川越の歴史」など。ホントに微妙でしょー。参ったねこりゃ。
95年頃。ジョン・ロビンソンっったらあれでしょ、ジュリアナ東京で「ジュリアナー、トウキョウー!!」って絶叫してた人。あの人確かDJだったけど、まったくよく知らないんです。すいません。DJっつってもレコード回してたのかなー? それとも小林克也みたいな意味でのDJ? それはないか。
内容は、よくわかんないけどジャングルっつーより「早いレゲエ」みたいな感じでイマイチ。同じジョンロビでは「BE MY BABY!」ってのも買ったけど、なんかきちんと歌っちゃっててこれもイマイチ。カップリングの「CAN I KICK IT?」は今聞いても比較的イイかもしんない。ジャケのギンギラしたイメージがよかったので、「ジャワ・ジャングル」の方を取り込んでみました。
2月24日(土)
ささやかにバタバタしたりしましたが、とどこおりなく済みました。
私はと言えば、30分で着くところを1時間で着くと思いソワソワしたり。
タクシーを拾うと言われては「拾えなかったらどうしよう」と思い。
私はいつもいつも、話題の様子をうかがっているだけでどんどん時間が経ってしまう。
で、「無口な人」ならそれでもイイんですが、私を知っている人は察しているかもしれないけど、気のおけない友達同士だと異様にクダラナイことをベラベラしゃべるという性癖がありまして、それが内弁慶っぽくて恥ずかしい。
サラリーマン時代にそれでビビって大失敗してしまったこともあるし……。相手に気を遣いすぎて、かえって不愉快な思いをさせてしまったことも(要するに私があまりしゃべらなかったりとか、テーブルのしょうゆこぼしちゃったりとか)。
むかーし、囲碁の女性棋士と話をする機会があって、ものすごく聡明な人だったんですけど、中学を出てすぐ弟子入りしたんで高校とか大学行ってなかった。でもなんか話題をつながなきゃ行けなくて、出身が東京だっていうから「高校行ってたとしたら学区はどこでした?」みたいなこと聞いたら、その女性はガクッとブルーになってしまった。これは失敗したと思った。
おれの幸福は遠いよ。
今でこそ伝説的なまでに名を売った安室奈美恵withスーパーモンキーズだが、売れない頃は「ごっつええ感じ」の間に無名時代の彼女らのよくわからんCMが流されており、「ごっつ」番組中に「スーパーモンキーズか!」と芸人同士で突っ込んでいた覚えがある。そんな彼女らも今や大御所レベル。大ヒットしたダンスミュージックほどインドア派の私にとって締め出され感の強いものはないが、ワゴンじゃ100円だし、聞いてもいいかなと購入。
ア、アレンジが異常に単純ー!! 音が薄いー!! 機材のためか「こういうもの」なのか門外漢の私にはわからんが、現在のかなりショボいポップスでも、ある程度の音の厚みがあることを考えると信じられない薄さである。エイベックス大儲け直前の、過渡期的な作品であると勝手に自分を納得させることにした。
グレチキ。それは禁断のお笑いグループ。個人的に、お笑いについて面白いのつまんないのと話をするのはイヤだ。それはだれかが必ず傷つくからだし、つまらないものでも面白いと思って見れば面白くなるかもしれない。そうすれば得だ。スーパー主婦のトクトク術にも匹敵する、それは一種の処世術であった。
しかし、グレチキについてはだれもが思わず語ってしまいかねない罠が仕組まれている。それはどこが面白いかがサッパリわからないからだ(何だけっきょく語ってるじゃんおれ)。過去にも「素人くささ」を売り物にしていたヒトはいて、「ヒップアップ」とか初期「とんねるず」などもそうではないかと思うが、それは私のような半可通から見れば「素人臭いけど、なんか面白い」ということであった。だがグレチキにはその要素は皆無だ。
「それではショートコントです」、グレチキが登場すると観客席の女の子の黄色い声。そしてコントが終わるたびに起こる、笑い声よりも嬌声と拍手。むろんアイドル的な人気の漫才師はいくらでもいる。しかしグレチキのコントは、本当にどこが面白いのかわからないのである。このCDには信じられないことにその不可解なコントが収録されているが、「中学校によくいる先生」というネタはまだわからんでもない。問題は「トムソーヤ」である。
「トムソーヤ」は、「食べたソーヤ」とか「歩きソーヤ」とか相方が言うのに合わせて、もう一方の男がジェスチャーするというコント。あてぶりでも、ダジャレでも、トムソーヤというキャラクターが意外なことをするというオチでもない。もちろんシュールを狙っているわけでもない。なんだかまったくわからない。結論を言えば、グレチキは「ネタをやらされた最後のグループ」という不幸を背負っていると言える。だってナイナイや極楽とんぼ、オセロのコントなんて1回も見たことないもん私。「爆笑オンエアバトル」で得票がゼロだったグレチキ。かわいそうなような、どうでもいいような。
さて、「ミックスジュース」だが、これが以外にもイントロがカッコいい。「太陽のシーズン」よりもよっぽどカッコいい(おれ的には打ち込み要素が強いほどカッコいいのである)。歌詞は「仲間たちの間でミックスジュースがマイブームになっている」という、かつてのいんぐりもんぐりと森高千里のドウデモな詞を足して二で割ったような内容。そこには本当に何もない空間が広がっている。おれたちに帰るところはどこにもない。
このCDには「8月7日 東京ドームがRAVEされた!」という小さなチラシが入っている。屋内でやってる時点でレイヴじゃねーじゃん、とか言っても当時はだれも聞かなかった。まあ締め出され感の強いダンスミュージックに加えて、おれが同じ空気を吸ったこともないボディコンおねーさまの独壇場じゃ、当時の私も憎悪の抱きようすらなかったわけである。
肝心の内容だが、もうまったく昔のトゥナイトIIかなんかで「今レイヴが熱い!」みたいな特集されたときの音、を想像してくださるだけでいい。コイツをおれさまの、マンガと本でゴチャゴチャになった汚い部屋のCDラジカセで聞くだけで大笑いだ。見たかボディコンねーちゃん!(なんだけっきょくルサンチマンか……)。かつてテクノでは「フロム・ベッドルーム・トゥ・グローバル」と言われたらしいが、これじゃ「グローバル・トゥ・ベッドルーム」だ。でもイイよな。今聞いた方がむしろカッコいいと思います。ホントに。ノスタル爺。
朝飯、トースト。昼飯、みそラーメン。図書館に本を借りに行くが、なんと休みだった。事前に確認しておけば行かずに済んだものを……。
しょうがないのでついでに回転寿司屋に入る。ここはわりとおいしいのだが、長く回してカサカサになっているモノがあるのが欠点。でもつまむ程度。
帰りに自転車がパンクした。帰りがてら自転車屋で直してもらう。
ここはわりと広い。そして独自のカードを発行していたりなどする。割引セールも大々的にやるらしい。
さすがにブックオフに行き過ぎて、ちゃんと見て回る気が少し失せてきていた。何を買ったかも忘れちゃった。
阿佐ヶ谷のカレー屋で、「点心カレー」とかいうのを食った。ギョーザとシュウマイが乗っているやつ。食って虚しかった。
家に帰って何したかもよく覚えていない。確か反町元の助と、松嶋トモ子が婚約するというのでテレビで大々的に報道していた。
常磐貴子の「悪魔のキス」のように、おれ的判断でも何度も何度も流すのはマズい場合もあるが、「お・ま・た」もソレ的関西仕事として認識されているわけだ。ふーん。
神もフォースの加護もあったもんじゃないな。
通りをぶらりと流しただけだが、昔の新宿をちょいエキゾチックにしたような活気のある街のように感じた。
3階がマンガ。3階の店員は不慣れだったがその分親切というか、まじめに対応しようと言う気持ちが感じられた。
ざっと見たところ、全体として10年以上前の本はあまりない模様。地下1階はすべてCDということだったが、気力がなくて見なかった。自分の釣果も少なし。
だれかに電話しようと思ったが眠ってしまう。夜中につんくが出ている番組をやっていたが、よくある「発言テロップ」の代わりに英語の字幕が出るのがヤらしいなー。
目障りなだけだし。
朝、何食ったか忘れた。昼、ちらし寿司みたいなやつの弁当。さらに小腹がすいたのでおむすびとか何とか食べてやんの。食わなきゃ腹減るし、食ったら食ったで太ることを気にしてイライラ。
だから、ほとんどのラブコメは「三角関係である」とか「手も握れない」などの要因によって、男の子と女の子の「中途半端な状態」が延々と続く。そして主人公が自分の位置を認識したときに、物語も終わる。
「SFおしかけ女房モノ」の多くが、「野球マンガ」などの他ジャンルよりも代わり映えしないように見えるのは、そこに原因がある。
むかし深夜に再放送していたウルトラマン、ウルトラセブンの解説が泉麻人だったことを思い出すと、「モテ」こそが視聴者に対する「一般性」のアピールにつながっていったらしいと考えざるをえない(しかも007的マッチョな「モテ」ではなく、なんつーか表面上はものわかりのいいツラしているバブル時代の「モテ」である。そのモテが、無意識的に社会性と同義だと思われていたことについては説明しない)。
ここで単純に、女性のオタク趣味である「やおい」を新しい男女間の模索とか固定化したセクシュアリティに対する無意識のナンタラであり、男のオタクはフェミニズムに弱い、みたいな考え方は私はとらない。
また、エロマンガの一部の先鋭的な表現に、男女の新しい関係を見出すといった立場も、私はとらない(むろん、そういったことを示唆する作品が生み出されることを否定はしないが)。
「ひとつのことにこだわる」、「細密」という意味でのオタク的感性というのは、まだ言葉のレベルでの批判を受けるにすぎない。ところがコレが男女がらみだと、それが社会の最小単位であるだけに実際的な不利益が伴ってくる。
男にかぎっただけでも「オタクのセクシュアリティ」は多様というか、数種類に分けていずれキッチリした方がイイと思うが、そこで重要な位置を占めている「ミもフタもない部分」をそのまま体現しているのが「SFおしかけ女房」なのである。
それを無視していては、オタクもサブカルもないような気がするんだな。
でも残されちゃうんだな。そうでない人々は。「SFおしかけ女房」を求める野郎どもは。まるで「妖怪ハンター」の「生命の木」の話で「連れていってくだせ!!」って言ってた人々のように。
行ったイベントというのは、TMVG JETBOY JETGIRL。内容はめんどくさいからいちいち説明しない。せっかくだからってことで一人で行った。夜10時から。
午前2時半くらいまで、たいへんに楽しい気分だったのだが、午前3時半くらいから急速に疲れてきて、気分も悪くなってきた。充満しているたばこの煙が苦しい。いちおうお目当ては全部見られたし、この頃からぼつぼつ帰る人が出てくる(しかし午前3時にどこへ行くんだ???)ので、「まあ払った金のモトはとったかな」と思って外へ出た。
最近、「酒飲んで午前3時頃になると、急速に気分悪くなってくる」という病気なんだけど、いったい何なんだろう。死ぬのか。
ビデオでため録りしていて、まとめて最終回までどどっと見ました(こういう見方が私のクセ)。
いやあ、やってくれたねえ。コレは近年の戦隊モノでもっともイイ作品だと思うよ。
王道的部分と、そこから少し逸脱した部分がすごく融合していた作品だと思う。
王道的部分というのは、たとえばアヤセ(ブルー)とイエロー(ドモン)を勘違いしたカメラウーマン・ホナミのドラマとか、「シリウス症候群」という不治の病にかかった美形キャラ・アヤセのエピソードなど。竜也の親父との確執も「王道」に入るかな。直人という成り上がり的キャラも定番と言えば定番だ。
少し逸脱した部分というのは、現代では一民間組織でしかないタイムレンジャーたちと、同じく民間組織・シティガーディアンズ、そしてロンダーズとの三角関係(?)。タイムレンジャーの上司が何を考えているのかわからないようなところ。
本来リーダーである竜也(レッド)よりもユウリ(ピンク)の方がリーダー然としていたり、また名目上のリーダーはドモン(イエロー)だったし。また竜也(金持ち)と直人(貧乏人)の対立や、かわいさやお色気よりも復讐に燃えるハードボイルドヒロインの要素の濃かったユウリ(「死なれては復讐ができない!」とドルネロを追いかけ続けるユウリは今までの戦隊ヒロインとはちょっと違っててよかった)。
キャラ立ちまくりというと、全員色恋状態だった「ジェットマン」や、別の意味でキャラ立ちしていた「ダイレンジャー」などを思い出すが、それとはまた別の立ち方だった。
行くのか行かないのかを確かめるにはこちらから電話するしかない。
しかし、朝起きたとき思った。「夜の10時頃まであと12時間以上あるよ……」
友人は親と同居しているし、当然働いているので早すぎてもつかまらないし、遅すぎてもマズい。
ということは、夜の10時から10時半頃までの30分間しか電話のチャンスがないということだ。
とうとうめんどくさくなって、午後9時に横になってしまう。まどろんでいるうちに、10時半を過ぎてしまった。
そして、電話をすることができなかった。
「もし留守電を確認しなかったら……確認しなかったら……」と思うと、不安で入れることができなかった。
メールもすごく嫌っている人なので、メールでの連絡もムリだ。
しかしだね、向こうから誘ってきたんだから向こうから連絡が来てもいいだろー。なんで来ないんだよー。
そうするとおれ一人で行くのか。やっぱりやめるのか。
このカップめんは「人気のラーメン屋の味を再現する」というモノだが、はっきり言って不味かった。あと、弁当はメシが不味かった。
昼、うどんと豚汁。
礼服を買いに行く。太ったせいで予算より1000円くらい高くついた。絶望。
昼飯、うどんと何か。思い出せないな……。
晩飯、ラーメンとミニ親子丼という狂った組み合わせ。ミニ親子丼不味かった。ラーメンは豚骨だったので、またデブデブ病。
だってモテないから……。
やはりモテるモテないが人間の価値の最大基準なのか!? 教えてくれ中谷彰宏!
あ、いいや。あんたは答えんでいい。
このためダークネスな心を抑え、「バキ」の最大トーナメント編の渋沢剛気の登場シーンを思い浮かべながらコミティアの会場であるTRCへ向かう。
釣り銭を忘れた(死)。
しかも、すでに金を小銭で出した後だった。だからよけいお釣りが足りないことになる。ショック! ぶったまげ! ぶったまゲーション!
それと、挨拶や買いに来てくれた人も何人かいて、それについては本当にありがたかったです。どうもありがとうございました。
そうそう、会場で「スーパーゲーム」って知ってますか? と聞かれ、飲みに行ったときもスーパーゲームの話題が出た。1日に2回、別々の人間からスーパーゲームについて聞かれたのは初めてだ。それと永井豪の「ランボーセンセー」を読んでいる人が複数いたのも驚いた。
すばらしい。
話題的には、モーニング娘。、モテたい、モーニング娘。、モテたい、モーニング娘。、モテたい、「でも三十過ぎてモーニング娘。のファンと言ってるとモテませんけどね」というミニマルな展開であった。
モテたいってのもなあ。ちょ、ちょっとどうしたらいいんでしょうかねえ。私はあんまり「モテ」とか言わないんだよね。モテたいかと言われたらそりゃモテたいけど。「一億円欲しいかと言われたらそりゃ欲しいですよ」と言った、一億円拾った大貫さんのように。でも口に出すだけだと虚しいだけだから。まったくどうすれば。
力学(ちから・まなぶ)が「ああ、中澤ゆ●こにエッチの手ほどきしてもらいたいとか……?」と言ってきたので、
と言ったら、不審がられた。
そもそも中澤ゆ●こ=姉御という発想自体がベタだと思うがいかがなものか?
まああんまり河童の話題に詳しくても困るんだけど。ホントにいるもんね、河童博士みたいなの。
すなわち、現在アイドルコントをやっているのは実はスマップだけだという事実があり、「一流の余裕」みたいのを感じてなんとなくムカつく。もっと書き飛ばされたような台本で、しかも監督コントじゃなきゃダメだよ。
昼、焼きそばと飯。コレも飯をあんなに食わなきゃよかったと後悔。
後悔ばっかり。
少し回転寿司を食う。
吉祥寺のどっち口だか忘れたが、1階も2階も別々の回転寿司で、その斜め前も回転寿司、その並びに寿司屋、あと「寿司居酒屋」なるものがある。なぜそんなに寿司屋が密集しているのか謎。
夜は鯖の味噌煮と飯など。全般的に食い過ぎ。
あるいは。同じく子供の頃、デパートの屋上にある、10円入れてガタガタ動く乗り物とか。小さいゴーカートみたいなやつとかに乗る。時間がないときとか、デパートが閉まりかけているときなどにも、おかまいなしに乗るわけだが。親がせかすので半分意地になって乗っていると、「もう気が済んだだろ?」と言われる。
行為自体には何もない。ゼロだ。
最近、この「気が済んだだろ?」という天の声が、そう、熊倉一夫の声が聞こえる。
ホームページは、……これでもペース落としてはいて、もっとマイペースでやりたいんだけど、でも意地になって更新しまくるかもしれません。今のところ、まだ飽きてない。
「水戸黄門」は「悪人が乱暴狼藉→黄門様活躍」という基本構造になっているが、ダークなときは「悪人が乱暴狼藉」という部分でもうイヤになる。やめてくれ!
フィクションで悪を創造するのは、もうやめてくれ! と思ったりする次第。
なぜなら、午前中にやってる主婦向けの番組はかなり私をダークにするからである。
主婦とサラリーマンは社会的にもっとも「普通」の人々であり、「ああ、こんなヒトに私の考えてること言ったりすれば速攻で駆逐されてしまうんだろうなァ……」とか思うから、どんどん気持ちが暗くなる。
ああ、ボクもその明るく日の当たる庭に行ってもいいでしょう? だめ? やっぱりだめなのか!?
これを見てどんどんブルーな気持ちに……。だって、ここに出てくるアライグマ、アライグマに迷惑している人、アライグマに食われた子猫、アライグマ捕獲をしているおじさん、すべてがイヤな思いをしているのである。だれのせいでもない(いちばん悪いのは捨てたやつらだろうが)、しかしだれもが迷惑している状況。
……もうやめてくれー!!
いつもあるエロ妄想掲示板を楽しみに読んでいるのだが、そこで、
「やおい本をつくるということは好きなキャラクターを陵辱することなのでは?」という質問に対し、場が凍りついたというのは別の場所でも聞いたことがある。何でそうなるのかは私にはよくわからないし、「女性がエロ妄想について語ること自体が社会的に認められていない」という現実があるにせよ、「場が凍りつく」ってのは……ちょっとどうかと思うんだが……。
ついでにコンビニでサンドイッチを買って、食べる。
夜、お好み焼きとドリアと飯を食ったのが失敗だった。食い過ぎた。ドリアではなく、グラタンにすればよかった。ドリアと飯って合わない。当たり前か。
ああ絶望。
実は歯に詰め物をした時点で、まだ来いと言われていたが歯医者通いをヤメた。ヒトを小馬鹿にしているような女の歯医者がやってくれてたのだが、詳細な分析の結果、ようやく別に私を小馬鹿にしているわけではないとわかったものの(もともと私の被害妄想だったらしい)、だからといって「小馬鹿にしているような感じ」が薄れたワケではないことを確認。本当にイヤになったのでそのままにしてある。
もちろん、真の平等を目指す私は、低学歴なヒトにも平等にプリンでも投げつけてやりたい衝動は持っているが。腐ったプリン平等主義。ああ、こういうこと書くと「インターネットに犯罪予告!」とか書かれたりすんのかなあ。積年の大怨にナントカの裁きを(もう忘れてる)。
帰る途中でラーメンを食ったが、不味かったので家でまたメシ食ってビール飲んで寝た。
いちおう「好きな人はご自由に」とフォロー入れておきますけど、筆舌に尽くしがたい絶望感が私を襲った。もうめんどくさいからいちいち説明しない。
異常犯罪は犯人が見つからないだろうし、議員の汚職もみんなウヤムヤになるに決まってる。有明の水門を開けるの開けないのとかもいろんなヒトの利害がからんでウヤムヤに。ネコは矢で射まくられ、人々はそこらじゅうのネコに餌をやりまくり、ネコはフンをしまくり、検事と判事はなあなあになって、妻は伝言ダイヤルやりまくり。
でもコレ見るたびに本当にイヤな気持ちになる。だって知ったからってどうにもならねえもん。ただ不愉快になるだけ。だったら知らなかった方がよかったとすら思う。
同じことをもう一度書くけど、よしんばソレが「ただ騒ぎたいやつが騒いでいるだけ」であったとしても、私がそのからくりに気づかなかったんだから、絶望は社会正義にうったえられないだけ、私にとってもっと悪質ということになります。
それについて謝ったら謝ったで新たな展開が見えたかもしれないのに。まあ最近の読んでないんで何とも言えないけどな。
たぶん、ペットロボットの癒し効果を過信している人々の話を聞いたときと同種の「いやな感じ」だ。みんな、そんなにコスプレが好きか? 好きなのか?
「少年探偵団シリーズ、全部読み終わってから読もう」と思っていたら、6年の月日が経ってしまった! 確か謎本ブームの末期に出た本で、謎本のようないいかげんさはまったくなく、むしろ去年とか一昨年に刊行ラッシュになった印象のある、ワンテーマに絞った研究本に近いテイスト。
発表年度と順番がバラバラになってしまっている少年探偵シリーズを発表順にレビューしたり、またバラバラにしたツジツマを合わせるために書き直された部分にも言及されていたり、少年探偵団のメンバーがシリーズのどこに出ていたか、少年探偵団の「七つ道具」がどこに出ていたかなどの表が載っていたりして、詳細をきわめる。
さらに、乱歩や少年探偵モノにおいてよく言われる「明智と小林少年のホモを連想させる関係」や、「二十面相=遠藤平吉説」などをすべて踏まえたうえで、シャーロキアン的な裏読みを結末にもってきているところなど、少年探偵団と二十面相ファンには必携の1冊。やっぱり「宇宙怪人」はイイよなあ。
RPGの爆発的な普及により、かえって省みられることのなくなってしまった感のあるコナンだが、読み返しても本当にすばらしい。とくに創元推理文庫版は、ムリヤリ短編を年代順に並べようとしたり、話に流れをつくろうとして「その前にどこそこにいた」なんて編者のディ・キャンプかだれかが書いているのがウザい、ということもあるのだろうが、わたし的にはあまり関係がない。それよりモンダイなのはシュワルツネッガー主演の映画版だろう。キンメリア人であるコナンにとって、奴隷から成り上がるというアメリカンドリームさえ、わずらわしい現代人的な夢想でしかないはずだから。
朝、食欲がなくてパン1枚しか食わなかったのだが午前10時頃に急速に腹が減ってきたので、郵便局に金を振り込みに行くついでに菓子パンを買ってきて食った。
テレビのオタクに対する風当たりは異常に強く、IT革命なんぞと言われる前は平気で「ネット婚した後、同居して同じ部屋にいてもメール交換する夫婦」みたいのを出してきて「気持ち悪いですね〜気持ち悪いですね〜」とやってたワケだ。「バーチャルアイドル」のときも、テライユキの写真集買ったやつに「現実の女の子よりいい」って言わせたりね。
今日、午前中の滅多にテレビを見ない時間帯に、「アイボ」などのペットロボットの癒し効果についてやっていた。
中年の女性がアイボに服着せて、かわいいかわいいってやって「母親の介護に疲れた(十年以上介護をした後、看取ったらしい)。アイボは死なないからいい」というコメントをしたり、アイボの「飼い主」が「ホンモノの犬よりカワイイ」と言ったりしていた。
また、老人ホームの慰問(なのか?)かなんかでアイボと老人を交流させ、「アイボが一生懸命立ち上がる姿を見て、歩く訓練を始めるご老人も」とか言ってた。
まあ全部ヤラセだとしても、製作者の意図はしっかり伝わってきている。
私はそうしたかたちでの、ペットロボットの癒し効果を過剰に宣伝することは、安易なバーチャル世界批判とほぼ同等に反対です。
子守ロボットが実現したとして、人間なみに愛着を感じる子供も出てくるだろう。
それはそんなにおかしいこととは思わない。
だいたい、この番組に登場したペットロボットに過剰に(というか私が見てヒクほど)ハマっているヒトというのは、もともと機械、メカに興味のないヒトのように思われた。
バイクやその他の機械の場合、あくまでも「機械にすぎない」ところから出発して最終的に交感しているかのように感じるのだろうが、ペットロボットの場合は最初から「生き物」として扱われているように見えた。
むろん、ペットロボットに癒し効果(そもそもどう測定するか知らんが)がないとは言えない。しかし、それが人間や動物と決定的に差を付けるほどのものであるとは、私には思えない。
大きな効果があったとしても、一時的なものだろう。それらが当たり前のものとなったときに、どれほどの効果があるかは疑問である。
以前、「工場でテレビの組立を流れ作業にせず、全部一人で組み立てさせた方が効果が上がった」という例が出ていたが、それはあくまでも、部品別の担当を決めた流れ作業を一通りマスターしたり、それが当然だと思う基盤があって、初めて上がった効果ではないかと思う。流れ作業自体が浸透していない世界で、ゼロから「一人で全部組立て」をやってスピードが出たかどうか疑わしい。
しかしそれを無批判に受け入れてしまっては、民間療法やおまじないを受け入れているのと同じではないか。
しかしそれはあくまでも、人間が便利な機械に違和感を持たずに生活の中に取り入れることができるとか、「しょせん機械にすぎない」、「しかし本当に『しょせん』機械なのか?」、「いや、やっぱり機械だ」というどっちつかずの状況を楽しむ世界であった。「たかが何とか、されど何とか」というヤツである(マンガ・アニメで腐るほど出てくる美少女アンドロイドモノは、さんざんここら辺のことをネタにしている)。
「病気の子供はいないんだ……」とつぶやいて、ウイスキーでも飲むとしよう。