つれづれなるマンガ感想文6月前半
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一気に下まで行きたい

2002年

6月3日(月)

日記の「最終回」を書こうと思ったのだが、パソコンの調子が悪くなると同時につないでいたネットのアクセスポイントが閉鎖になってしまい、それに気づかないままネットにつながらない原因究明に明け暮れてしまった。仕事以外はソフトをインストールし直したりなんだり、ずっとしていた。

・日記、終わります
で、一部の人には明言していましたが今日が日記の最終回。
理由はいろいろあるけど、まず第一に手間がかかりすぎる。調子に乗って嘘を混ぜたため、それに義務が生じ、なんだかめんどうになった。それと、公表するために友人の名前やらなにやらをどの程度きちんと書いていいかわからず、そういうことに気を遣うのもめんどうくさくなった。
だいたい、知り合いに偽名とか使ってると後から読んでだれだったかわかんなくなっちゃって、日記の意味ないんだよね(笑)。

また、実際にはそんなにそういうことはなかったのであるが、たとえばAという友人に飲み会に誘われて、同日、Bという友人からも誘われ、Bの飲み会にはカワユイ、ぎゃぱゆい女の子が来るというのでAには嘘をついて飲み会の誘いを断り、Bの飲み会に参加する、といったようなことも当然日記に書けない(書く度胸もない)。したがって、日記用にあらたな嘘をデッチ上げなければならないのがめんどうくさくなった。

日記の反響については、「やめる」と明言してから2、3人には「残念だ」と言われた。それはとてもありがたかった。だが総量としては労力のわりにプラスの反響はだんだん少なくなり、私にとってはマイナスとしかとれない反応が多くなっていったことも確かだった。

たとえば、この日記で私が書いたことについて、「あれは違うと思う」みたいなことを言われることがだんだん多くなり、違うと思うのは人それぞれだからいいんだが、それについて反論したり意見を述べたりするのが非常に手間がかかるのだ。
口頭で意見を言ってくる人は口で言うだけだが、私は文章で書いて、さらに人と会ったときに口頭で反論したり同意したり自己弁護したりしなければならない。もちろんここに書いていることは私にとって義務でも何でもないわけであり、これはわりに合わない。
意外な人が意外なときに意外なことを言ってくることもあり、「バキ」での死刑囚との戦いのルールみたいに、いつでもどこでも議論が始まりそうな(あるいはこちらが理屈で凹まされそうな)危機感が生じてきた。「危機感」って書くとおおげさだけどね。

ウェブ日記には「こうあるべき」というものはない。だから文句を言われても、どう直したらいいかわからない。なんとなく始まり、なんとなく続いていく。ただ、ダラダラした自分だけのメモ書きにしたり、日常忙しいからつまらないことしか書けないという言い訳もしたくない。そうすると、またどうしたらいいかわからなくなるという循環。

それと、最初は「日記読んでます」と言われると「ネットを見てくれている」という証明になるのでうれしくなり、いい気になって書いていた。けれども、私自身がそうだけどやっぱりウェブ上の日記を読む理由の大半は、なんというか、書いてる側の入れ込みよりも、もっと突き放したニュアンスなんではないかと思い始めた。
直接のメール、あるいは小説などを読むのとは違い、喫茶店で他人が話しているのをそばで聞いているような感じなのではないか。
「喫茶店での他人の会話」は、それがどんなものでもなんとなく面白いものだ(と、私は思う)。その理由についてはいちいち記さないが、口幅ったい言い方ではあるが特殊な状況下での話だということである。

他の人のウェブ日記の場合、違う感じのものもある。それは確実に。でも私は私でやっていて、そう感じたということだ。

誤解を正すのにも手間がかかる。だれと名指しできず悪口を書いたりすれば、見当違いなところから「あれって私のことですか?」と言われるし、軽い気持ちで書いたことに対して心配をかけさせてしまったこともあった。
「ウェブ日記」という形式自体が、わりと気軽に多めの文章を、不特定多数の人に発信できてしまう。そのことが、ちょっと重荷になってきたのであった。

・最終回を書く理由(詳細)
さて、ウェブ日記の中には、いつの間にか更新されなくなってふっつり終わったり、ページがなくなるとともにブチッと終わるものが多い。
個人的にはそれはどうかと思っていた。いや、そのように終わるべき日記もあると思う。むしろ日常なんてそんなものだ。しかし、わがウェブ日記はそうではいけない気がした。なんとなくフェイドアウトさせていった方が、うまいやり方じゃないかとも思うんだけど。

個人的に、何かにふんぎりをつけてやめた経験というのがあまりない。ネットも同人誌もダラダラやっている。ダラダラには効用もあるがマイナス面もある。自分の気持ちの変化を確認できないということだ。気が弱いという性格上、つい周りの雰囲気とかに負けてダラダラやってしまうんだが、個人でやっていてほとんど唯一、だれにも相談する必要なく、私個人の決定権があるのがこのウェブの内容についてである。
だから少なくとも「終わらせたい」と思った心境については書いておかないと、と思った。

より詳細に「終わらせる理由」を書くために、ウェブ日記を書いていた理由について書いてみる。
この日記は毎日マンガの感想文を更新できないため、マンガを読まない日にも何らかの更新ができ、毎日訪れる人がいるとするなら、何かしら楽しんでもらえるようにと書き始めたものである。少なくとも、それが理由のひとつだ。
あくまでも、ステラおばさんがたまに遊びに来る人のために出せるようにとつくったクッキーのようなもので、別にステラおばさんはクッキー屋さんじゃないわけなのである(「ステラおばさん」ってクリームシチューだっけか? まあどちらにしろクリームシチュー屋でもないだろうし)。

もうひとつは、やっぱり思ったことを思う存分書いてみたかったから。で、そのとおりにした。

第三に、「思ったこと」とは別にいろいろ実験的なこともしてみたかった。たとえば、小説まがいのものを書いてみたりした。

第一の理由については、なんかもういいやとか思って。実はこういう文章、書いててすごい労力がさかれる。そのわりにはホントに客寄せになったんかいな? という疑問が生じてきた。もし、日記をやめたことでアクセス数が激減するなら考えるけど。

第二の理由については、思ったことを書くと不愉快に思う人もいるらしいし、ヘンだと思う人もいるらしいということがわかった。
さきほど書いたことの繰り返しになるが、私の文章についていろいろ思うのは勝手だが、それについてなんか言われても困るんだよね。私の意見は事実誤認に基づくもの以外、そう変わらないわけだから……。
私も人のウェブ日記を見て「そりゃないだろう」と思って、それに公然と反論するのもアレなので口幅ったい言い方でこちらに私見を書いたりもしたけど、その私見が、まただれかの反論を誘発するということなのだね。
こういう書き方をすると反論を望んでいないとか無視していると思う人がいるかもしれないけど、そうじゃなくて、ただ口で言うのがめんどくさいってこと。それってけっきょく二度手間だしねえ。

第三の「小説まがいのもの」にもいろいろ反響もあったけど、まあ作品数としても、今後のやり方についても今までのが限界かな、と思って。
これ以上書いても、同じようなものしかできないだろうし。
オリジナルの小説系の同人誌って、あんまり売れないと思うんですよね。私もほとんど買わない。熟読しないと善し悪しがわからないんで、即売会で買うのに躊躇するんだよね。かといって投稿してボツったりしたら、ますますだれも読んでくれる人いないわけだし。
だから自分でもやらなかった。でもまあ、こうやって日記の中に紛れ込ませておいたおかげで、同人誌じゃぜったい読まれない文章が読まれたわけだし、それはありがたいことだと思ってます。でも、この形式ではもういいやっていう感じ。

・最終回を書く理由その2
本っていいよな。ページを閉じれば終わるから。「本」の満足感って、必ずページを閉じれば終わるところにあると思う。続きものであっても、とりあえず終わるでしょ。 ウェブにはよくも悪くもそれがない。総体として、「どのようなものが完全体か」というのがない。それはいつでも更新や変更が可能という意味でいい面でもあるのだろうけど、ぶっちゃけた話、毎日小出しに文章を読まされてる感じもする。なんだか新聞小説みたいな印象だ。

それと、はじめと終わりがはっきりしていない。「まえがき」ではじまって「あとがき」で終わるサイトなんて、かえってつまらなかったりする。やっぱりどこからでも読めるのが、おおかたのサイトの特徴だろうと思う。
「本」ははじめと終わりがはっきりしている。たいてい、1ページ目から読むから。
また、決められたページ数の中でのトータルな美が意識される。ウェブにはそれはない。
「本」の「限定されたページ数のトータルな美」というのは、なかなか他に代え難いものだったのだな、と、ネットをやってみて思う。

ネットにはネットのやり方があるのかもしれないが、ウェブ日記を心境が変わってまた続けるにしろ、完全に終わらせるにしろ、やっぱり「完結編」的なものを付けたい、というのが私の希望ではある。このままでは本当にただのダラ書きで終わってしまうような気がするから。

……というわけで、書き始め、99年2月頃の日記について、自分で好き勝手を書いて終わろうと思う。

・松居直美
別に何の興味もなくなった。結婚・出産する直前のずうずうしさのようなものが今はないような気がする。勝手な憶測だが、もう「売れたい」とか思ってないんだろうきっと。それと、それを割り引いても以外に押し出しが弱いと思う。まあこうして書いてても、ホントに興味ないんだけどな。

・前田日明VSカレリン戦
これも、今はとくに興味ないなー。格闘技自体に、見て面白いとは思うけど何かを語ろうという気がない。あ、最近いちばん疑問なのは「WWF」が完全に「試合」ではなくエンタテインメントであると宣言して後、「プロレスを題材としたドラマや映画」とその「楽しさ」において何が違うのかということ。正直わからん。ぜんぶ仕組まれているなら、映画を見た方が楽しいと思うが……もしかしてものすごく見当違いなことを言っているような気がするな。だって興味ねえもん。困ったな。
まあ「虚実ないまぜ」の面白さって、昔考えてたよりずっと複雑だと最近思いますよ。

・「ドリーム職人」
ご存じ「クロマティ高校」で今も大人気のマンガ家だ。それ以上言う言葉がない。

・「貴婦人として死す」
内容がまったく思い出せない。たぶん貴婦人が死んだ小説だと思う。「男が貴婦人として死んでもタイトルとして通りますね」とか思った人は、ベタなのでダウトだ。

・「DAIBAッテキ!」
この番組に出たもののみごとに盛り上がらなかった「チェキッ子」は、「モー娘。」の大人気にかき消されてますます影が薄くなり、現在でも一人もブレイクしていないので芸能界史から抹殺されかけている。
でも「アヤパン」とか今でもやってるし、なんかそういう「やつら」が動いて面白おかしく生きているんだろう。

・「共生する/進化するロボット展」を見に行く
なんで見に行ったのか。今思うとよほどヒマだったのか。たった数年前だが、現在のペットロボットブームとは微妙にニュアンスが異なっていたようだ。個人的には「アトムのようなロボット」ができるとかできないとかには、まったく興味ない。たぶん今世紀中にはできないと思うし。
そういう意味では、現在のロボットブームは「何か」にダマされているような気もする。しかしまあ広告代理店のやることなんてぜんぶそうだからね。

・「神風怪盗ジャンヌ」
これはもう、当時書いたときから「何も書くことがない、何を書いたらいいかわからない」から書いたことを覚えている。作品としてもよっぽどの物好きとかマニアを除いて忘れ去られているはず。

・「ひょっとこマン」
思い出すも何も、当時こんなこと書いてねーもん。なんだろなー、ひょっとこマンって。「やつが帰ってきた。」ってナレーションで始まって、定食屋のおやじに「地獄丼一丁!!」って頼むところまでは決まってた。何がどう決まってたのかはわからないけど、学生時代か、卒業してすぐ考えた。
でもさあ、そうやって盛り上がっていたつもりでも、周囲はおれに調子を合わせていただけで、頭ン中ではキャバクラのことしか考えてなかったと思うよ。

・最後に
ここまでちゃんと読んだ人、いるかね? 最後だけ読む人とかもいるだろうな。
というわけで、いちおう今の形式での日記は終わり。この後、この文章をアップしたことによる反響をまた書くかもしれないけど、それについてのやり方はちょっと考える。ひととおり反響を見て(結果的に何の反響もなかった場合も含めて)、それについて思うところを書いて本当の終わりにしてもいい。

ま、いろいろ勉強になりましたよ。テンガロンハットは水が10ガロン入る大きさだとかね。そんなこと、別に日記とは関係ないけどね。

あ、それとサイト自体はまだ続くからね。誤解しないように。

それでは今流行の言葉で「怒・P・漢」!!



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2002年5月の日記
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