スーパーナチュナル超・超人伝説スーパー

一気に下まで行きたい

この地区は、とにかく超人的な主人公が現れては超人的なワザを駆使していくという地区である。そうした観点からすれば、とうぜん「マッスル超宇宙マッスル超絶マッスル世界」とも密接な関わり、というか兄弟関係にあるようなモノなのだが、とくに主人公のワザがあまりにも超自然的、超人的、またはマッスルの汗くささや無骨さが感じられないのにワザはほれぼれするくらいに超人的、なマンガを紹介してみたいと思います。

・「阿弖流為II世」(コンビニ売り版) 原作:高橋克彦、漫画:原哲夫(2002、小学館)
・「ゾンビ屋れい子」(1)〜(2) 三家本礼(1999〜2000、ぶんか社)
・「ゾンビ屋れい子」(3) 三家本礼(2000、ぶんか社)
・「ゾンビ屋れい子」(4) 三家本礼(2000、ぶんか社)
・「ゾンビ屋れい子」(5) 三家本礼(2001、ぶんか社)
・「ゾンビ屋れい子」(6) 三家本礼(2001、ぶんか社)
・「ゾンビ屋れい子」(7)〜(10) 三家本礼(2002〜2003、ぶんか社)
・「ゾンビ屋れい子」(11)(完結) 三家本礼(2004、ぶんか社)
・「吼! サムライ」全3巻 山本コーシロー、監修/門馬忠雄(1991、秋田書店)
・「阿弖流為II世」 原作:高橋克彦、漫画:原哲夫(2000、小学館)
・「へんちんポコイダー」全2巻 永井豪(1976、1998、双葉社)、
「へんき〜んタマイダー」全2巻 永井豪(1978、1998、双葉社)

・「闇のレオタード」 作:滝沢忍、画:小杉彩とワンダープロ、(1988、日本文芸社)
・「男・天を突く」(1) 川辺優、郷力也(1987、秋田書店)
・「男・天を突く」感想文パート2!
「サイバー桃太郎」 全1巻(山口貴由、1992、リイド社)
「サンガース」 全7巻(笠原 倫、単行本5巻まで原案協力/門脇正法、1989年頃〜91年頃連載、秋田書店)



・「吼! サムライ」全3巻 山本コーシロー、監修/門馬忠雄(1991、秋田書店)

・総合格闘技マンガの先駆的作品
今や、格闘技マンガ「バキ」は少年チャンピオンでも看板作品。でもみんな忘れていないか! それ以前に同誌に異種格闘技マンガが存在したことを! それが本作「吼! サムライ」(週刊少年チャンピオン連載)である。
むろん、異種格闘技マンガは梶原一騎作品以来、数多く登場してきた。本作はその中にあって大ヒットしたとは言えないだろう。しかし、主人公を特定しない乱戦パターン、「1億円の賞金と、おまけのカブトが50億円」「日本一強いサラリーマンが登場」など、読んだ者の中にサムシングを残していった作品でもある。
発表当時は佐山聡が「打、投、極」統合を目指し、シューティングを立ち上げてから4年。新UWFができてからは2年ほどの時期である。格闘議界が模索を続ける中、マンガの中での格闘も「かめはめ波」的なファンタジックな技が頻出する一方で、新たなリアルを求めていった時期でもある。そんな中登場した本作を、我々はいつまでも記憶にとどめておきたい。

格闘技のためだけに大富豪・隠岐十兵衛がつくった巨大闘技場、東京サムライコロシアム。10万人収容可能、開閉式ドームの最新設備を整えた会場だ。その設立記念に賞金総額1億円、おまけのカブトが50億円、合計51億円の「第1回サムライ選手権」が開かれる。ルール無用のこの大会に、それぞれの過去や思いを持ってさまざまな格闘家たちがやってきた!

・個性的な登場人物たち
主要登場人物は、以下のとおり。
・藤見竜堂(ふじみ・りゅうどう)
本編の主人公(?)。いちおう最初に登場、元ミドル級プロボクサー。ハングリーファイター(本当に腹が減っている)。育ての親のじいさんに拳法とボクシングを学ぶ。日本チャンピオンタイトルマッチまで行くが、足蹴りを使ってしまい反則負け。
サラ金会社に殺されたじいさんにダイヤモンドの墓を建ててやるため、サムライ選手権に出場した。

・尾神幽徳(おがみ・ゆうとく)
隠岐十兵衛のボディガード。耕作と因縁があるということは中国拳法家か。しかし本編では謎のまま。

・真熊耕作(まぐま・こうさく)
北海道の山中で林業をしていたが、尾神幽徳への復讐のためにサムライ選手権に出場する。無口でやさしい心を持つが、怒ると恐い。中国拳法をやっていたらしいが、謎。幽徳と何があったのかも謎。

・沢井謙(さわい・けん)
ケンカの天才にして女にモテモテ、「超ジゴロ」の異名を持つ元高校生。母親に買ってもらったコートをものすごく大切にしている。スナック「ふゆ」(暗い名前……)のママだった母親は入院中。多くの謎を残したまま、準々決勝で尾神幽徳に敗退してしまう。

・翔田勝利(しょうだ・かつとし)
プロレス団体・真剣プロレス所属のレスラー。賞金目当てで出てきた。最初はやられ役かと思ったら、かなりメインキャラだった。

・里中優二(さとなか・ゆうじ)
大病院の次男坊にして東大医学部生。「通り魔成金」という、相手を倒しては金を与えるという修行(?)を経て、サムライ選手権に参加。人間の急所のツボを空手で攻撃して、ほぼ一撃必殺で倒す。常にトランプを持っていて、出た数だけの攻撃で相手を倒すことを宣言する。

・そして、もっと個性的な登場人物たち!
・佐藤博司(さとう・ひろし)
日本最強のサラリーマン。出張時に全国の格闘技道場を見てまわるうちに、オリジナル格闘スタイルを身に着けた係長。ワイシャツにズボン姿で戦うのが超燃える! 妻も子もいるから命がけの戦いはできない、と翔田にギブアップ。だが
「さあ明日からまた−−仕事だ!」は名言と言えよう。

・清原良介(きよはら・りょうすけ)
格闘のマジシャンサーカス団の跡取りで、潰れたサーカス再建のために立ち上がった。スポーツ万能、オリンピックも蹴ったことのある運動能力をサーカス技に活かしている。さらに鍛え上げた刃物のような指先でレンガをも貫く。さらに美人の妹がいて……って、途中から出てきたにしては付随するドラマが多すぎ。
華麗な空中殺法や、「馬乗りになっててのひらで相手の鼻と口を圧迫しつつアイアン・クロー」などバラエティに富んだ攻撃をしかける。だが、死闘の末竜堂に敗れた。

さらには力士や戦場格闘家、ムエタイの選手などが出てきて、彼らとの戦いがじっくりと掘り下げられる。

・早すぎた作品か
早く連載が終わってしまった原因として、主人公が特定されなかった面があるかもしれない。主人公以外の者同士の戦いを長く描くと人気が落ちてくるらしいし……(と、猿渡哲也がインタビューで言ってた)。
しかし異種格闘技マンガの場合、登場人物の得意技を活かす展開が望まれるので、早すぎた「刃牙」や「修羅の門」のトーナメント編と言えないこともない。

各試合は、拳法系のマンガが発勁のような神秘的打撃技の応酬になりがちなのに対し、関節を極めたままの投げや変幻自在の蹴り技など、きたる総合格闘技ブームを見据えた興味深い展開となっている。
物語はベスト4が出そろった段階で終了。残念である。
(01.0308、滑川)



・「阿弖流為II世」全1巻 原作:高橋克彦、漫画:原哲夫(2000、小学館) [bk1] [amazon]

・荒唐無稽大好き人間の最強タッグ
コミックGOTTA連載。征夷大将軍・坂上田村麻呂との長い戦いの末、ついに投降を迎える際、みずからの首を切り落とし「龍」を守り通した蝦夷の英雄・阿弖流為(アテルイ)。彼は現代において、謎の黒服男たちに殺された考古学助教授・神上龍一の身体を得て蘇った。
それは「龍」を巡る、二大勢力の戦いのはじまりであった……。

高橋克彦原哲夫という「荒唐無稽の鬼」同士が組んで、とんでもなく荒唐無稽になった作品。ぶっとびマンガファンは、喜びのあまりこぶしを突き上げて叫ぶことであろう!!

あまり書くとネタバレになってしまうが、「龍」と宇宙人(そう、本作は歴史物にからめた「宇宙人モノ」なのだ!)との関係をオリジナルな着想で小説で描いたのは高橋克彦。そして、坂上田村麻呂と阿弖流為の戦いを(私は未読だが)征服者の視点だけではないところから描いたのも高橋克彦。ソレの原作ということであれば、歴史モノか、少なくとも荒唐無稽ではあれ精妙なプロットの作品を想像するだろう。

ところが本作は、阿弖流為という歴史モノではなじみの薄い人物が現代に蘇り、「II世」として登場し、これまた、まあ「名前くらいは知っている」程度の坂上田村麻呂も現代まで生き続けていて、彼らが超人的な力を使って現代社会でムチャクチャな戦いを繰り広げるという、オソロシク大味な物語に変貌していた!!
本作は高橋克彦の諸作品を原哲夫がミックスしてアレンジしたものらしいのだ(「火怨」、「竜の柩」、「星封陣」)。それにしても原哲夫、スゴイリミックスである。

もちろん、歴史上の人気モノではない人物にスポットを当てることは大切だし、違った観点から歴史を見るためにはむしろ重要なことであろう。ところが、掲載誌では多少別に記事をもうけて阿弖流為や田村麻呂の時代を文章で説明してはいたものの、今回の単行本化にあたってはそれらはスッパリとカットされていた。すなわち、「よく知らない人物が暴れ回る」部分のみが強調され、謎部分が増幅してしまっている。
そもそも歴史上の人物が宇宙人であるのはいいとしても、本編だけではそれが阿弖流為と田村麻呂でなければならない理由がきわめて希薄である(だいたい、説明なしじゃなぜ阿弖流為が「牛乳が好き」なのかもわからないのでは?)。

しかし、さらに原哲夫の暴走はとどまるところを知らない。「どんなにSFX等が発達しても、まんがでしかできない表現がある」という高橋克彦の単行本コメントを知ってか知らずか、頻出するロコツなマトリックスからの引用アクションシーン。
「SFXをストレートにマンガ化する」というスゴイんだかスゴクないんだかわからない技を速射砲のように連発する原哲夫。

・怒濤の似顔絵攻勢
そして怒濤のごとき「似顔絵」攻勢。実在の容疑者に酷似した保険金詐欺疑惑の男が無意味に登場(しかしこれは単なる序章にすぎない)、「未成年であることをいいことに凶行に及ぶ少年」は、とばっちりでアテルイにボコボコにぶん殴られる。
阿弖流為復活を許してしまった小無沢総理大臣が実は現代に生きていた坂上田村麻呂(ジャバ・ザ・ハットそっくり。しかしそこにも何の説明もない。阿弖流為とは種の違う宇宙人かと思ったら同じらしいし)に病院で殺されてしまい(いいのかおい)、「総理の代わりなどいくらでもいる」と言われて野土川官房長官毛利史郎を「次は君の番だ、頼んだよ。」と時期総理に指名する。もちろん彼らは全員悪人ヅラ

ジャバ・ザ・ハット似の坂上田村麻呂にペコペコする政治家たち。

岩原都知事が自衛隊出動をするに至って、原の「似顔絵」攻勢は頂点に達する。
「エイリアンどもめーっ!! アメリカの次はエイリアンにーー!! NOだっ……」というセリフで、ある一線を超えてしまい、私なんぞは初めて作者が「思いきり狙っている」ことに気づくのだ。

劇画の過剰さは、描いている側も「こんなわけねェよなあ」と思いつつ、でも一方では「ここまで描かなきゃダメでしょ」と思って描いていることがほとんどだと思う。
「北斗の拳」ではじけ飛んでしまう悪人どもの描写などは明らかだが、本作では何か突き抜けているというか、どの辺にその「すっとび具合」を設定しているのかが読んでいるときもよくわからない。ちょっと作者の意図が読みとりがたいほどにすっとんでいるところがすばらしい。

・突き抜ける社会風刺
原哲夫の真骨頂は、きわめて脊髄反射的な庶民的憤りをきわめて脊髄反射的に描き、きわめて脊髄反射的にフィクションとして解消してしまうことにある。絵が細密で迫力があるのに、その勧善懲悪具合は他のどんなヒーローものよりも単純で素朴である。
なにしろ「19歳だから未成年」と言うと阿弖流為は、「未成年……!? なんだそれは。」「おまえ14歳すぎたら元服した成人だぞ。それを幼い子供を盾に情けないことしおって。」
「捨ておけ!!」でオワリなのだから。
一見、逃げ腰の毛利首相を批判し自衛隊を出動させる岩原都知事が「決断の人」のようでいて、アレレなことになってしまうのは、作者自身がウサンくさいものを感じているからなのだろう。もう「17歳の犯罪」から「岩原(笑)都知事」まで、全方向的に許せず、そしてそれを成敗するのである。

同時収録読みきり作品の「輝石燃ゆる時」は、同じSF的設定の物語だが、本作ほどのぶっとび具合は見られない。やはり現代社会や歴史など、どこかに現実との接点を持っている方が、原哲夫のぶっとび具合は輝きを増すような気がする。
ちなみに「輝石……」は確か週刊少年ジャンプ掲載作品だと記憶している。しかし、本編では掲載誌(GOTTA)と掲載期間の記述はあるものの、この「輝石……」には何も記載されていない。ココは後世のために徹底して欲しかった(その前に作品の時代背景のフォロー記事も必要なんだけど)。

【参考】・「阿弖流為II世」(コンビニ売り版) 原作:高橋克彦、漫画:原哲夫(2002、小学館)

(00.1209、滑川)



・「阿弖流為II世」(コンビニ売り版) 原作:高橋克彦、漫画:原哲夫(2002、小学館)

ガッタコミックスから出た「阿弖流為II世」(→感想)の、コンビニ売りの単行本。
2002年の9月発行だが、出ていることをまったく知らなかった。
コンビニ売りの単行本では、こういうのがどんどん増えていくんだろうね。

ちょっとコレクター心を出して入手してみたが、予想どおり、本編そのものの内容はまったく同じ。しかし、ガッタコミックス時に収録されていた読みきり作品が入っていない代わりに、「スクープコラム」と称する実在の阿弖流為やUFO、宇宙人=神説、古代史における「龍」の秘密などについての豆知識コラムが、3つに分けて十数ページ入っている。
しかし「なぜ阿弖流為は牛乳を好むか」の説明は今回もなかったなあ……。

再読してみたが、何度読んでもムチャクチャなマンガである。いや、ムチャクチャどころではなく、もうムッチャリャクチャリャというぐらい破天荒なマンガだ。
この作品の連載終了後にバンチが創刊され、「蒼天の拳」が始まっている。歴史に「もしも」はないものの、もしバンチがなかった場合、もう少し本作が続いていたのではないかと思うとあらためて惜しまれるのである。
(03.0208)



・「ゾンビ屋れい子」(1)〜(2) 三家本礼(1999〜2000、ぶんか社)

月刊ホラーM連載の、リッパー・ザ・ホラー。

「魔王サタンよ! 余の願い聞き入れ給え! この死せる者が飲みこみし真実を聞きとげるため! そなたの偉大なる力をもって! 今ここにひと時の息吹を与えられんことを!」

中学生・姫園れい子は、この呪文によって死者を蘇らせることができる「ゾンビ屋」。さまざまな死体を蘇らせることで依頼人から報酬を得ている。最初は1話完結で、毎回蘇った死者が語る「死の真実」がミステリータッチで描かれる。
ちょっとホラーに疎いもんでそういう設定の作品が他にあるのかもしれないけど、この「死者が蘇る」ということでもさまざまな趣向が凝らされている。

本作にも「ジョジョ」の「波紋」や「スタンド」同様、「ルール」があるのだ。それは「ゾンビは生者ではない。ゾンビ化は『生き返る』ことではない」、「ゾンビは力が強く恐ろしい存在である」、「れい子の呪術は彼女の声の届く範囲すべてに有効である(これ重要)」などだ。

単行本1巻後半では、これらのルールにのっとったトリッキーな話が多くなる。中でも個人的に傑作だと思うのは「5話」だ(サブタイトルがないのである)。
逃亡中の銀行強盗と飛行機に同乗することになったれい子の活躍だ。

第2巻は、れい子の双子の姉妹にしてゾンビの力で世界征服をたくらむ少女・リルカが登場。れい子以外の召還者たちの何人かは、リルカの存在を危険視して戦いを挑む。そしてもちろん、れい子もそのメンバーとなる。
簡単に言ってしまえば「ジョジョ第3部」のジョジョとディオの関係。展開も、れい子が他の召還者とともにチームを組んで戦う「駆け足なジョジョ第3部」という感じなのだがそれは決して「似てるから悪い」というのではない。むしろみごとなオリジナリティを発揮している。

一度死んだはずのれい子が蘇るシーンは「病院には死体のプールがあって、それを沈めるバイトがある」という都市伝説に材をとってイカスし、れい子が一度は「首のみとなった」のはジョジョとディオの立場を逆にしたということで、さらに首と胴体再結合のシーンがはっきり描かれているだけ、ある意味ジョジョ以上に盛り上がる。

ニューキャラや彼らが召還するゾンビも、それぞれ個性的でカッコいい。

何より、作者は少年マンガの盛り上がりのツボをキッチリとおさえている。掲載誌がホラーがテーマなだけに、毎回さわやかな結末になるとはいいがたいんだけれど、それなりのカタルシスを維持しているところがスゴイ。

女の子は少女誌のキャラクターのわりにはふっくらしていて肉付きイイ感じなので、男性陣にももっと人気出るといいですよ。……っていうか、単行本買おう、みんな。
(00.0419、滑川)



・「ゾンビ屋れい子」(3) 三家本礼(2000、ぶんか社)

月刊ホラーM連載の、リッパー・ザ・ホラー。

世界征服をたくらむ双子の姉・リルカとゾンビ屋れい子の死闘クライマックス。
少年マンガ週刊誌連載なら単行本3巻ぶんくらいでやる展開を約140ページでやってしまうというぜいたくさ!
ページをめくるのがもどかしいほとの急展開、次から次へと登場する意外なゾンビ、そしてそれの撃退法、単行本表4の惹句「衝撃の結末は、夜空を切り裂く閃光だけが知っている!!」に偽りなし。胡散臭さと洗練、お約束と意外性、可愛らしさと不気味さが同居する、これぞ「マンガだ!!」と思わせるノン・ストップ・ホラーアクション。絶対に読め!!

「16話」はハンガリー編。深い森の中の全寮制女学園で起こる連続殺人にれい子が挑む。スプラッタな展開に「犯人はだれ!?」という謎解き興味が付加したナイスな短編だ!

あとは読み切り3題。
「頭髪検査大虐殺」は頭髪検査に執念を燃やす女教師が自分の髪の毛がなくなっておかしくなり、女生徒をおいかけまわす話だ!
「姉の顔」はあらすじを言ったらネタバレになるから言わない!
「かみさまタウン」は病弱な少女のつくったおもちゃの街の物語。作者のホンワカした絵柄とホラーな絵柄を意識的に対比させた「奇妙な味」のショートショート!

3編とも読むと、会社員時代に描いたという「頭髪検査……」から、一貫して人間がブッ殺されたり怪物が出現するときのダイナミズム、躍動感がポイントであることがわかる! 最近少女マンガ読んでないんでわからないが、一般的に「アクション」を描くことがヘタだったり作者自身が興味を感じていなかったりすることが多い少女マンガ界で、肉と肉とがぶつかり合うアクションの迫力を持っているマンガ家だこの人は!

うじゃじゃけた少年マンガ界に喝を入れるため、ひっぱってきたいね! ホントに(私は何の権限もない一読者だが!)。
(00.0526、滑川)



・「ゾンビ屋れい子」(4) 三家本礼(2000、ぶんか社)

月刊ホラーM連載。ゾンビ召還術を使える少女・姫園れい子の活躍。

やっぱおもしれ〜。この巻は、前々巻、前巻が続きモノの面白さを魅せていたのに対し、1話完結が基本。ホラーはあらすじを知らないほど読んだとき面白いと思うので細かいことは書かないが、第17話がテロリストとの戦い、第18話が誘拐犯との戦い、第19話がロボットとの戦い(コレが古きよきSFってカンジですごくイイ)、第20話がキャンプでのできごと、第21話は、次巻へ続く。

主線に宛名書き用サインペン(筆ペンのようなものか???)を用いるようになったということで、線がぶっとくなり、なぜかれい子をはじめ登場人物のオッパイがどんどんデカくなっている。

イイ傾向である。
(00.1028、滑川)



・「ゾンビ屋れい子」(5) 三家本礼(2001、ぶんか社)

月刊ホラーM連載。ゾンビ召還術を使える少女・姫園れい子が殺人鬼と対決するホラー・アクション。

とにかく出てくる人間ほとんど全員が犬死にブチ殺され、でもしぶとい百合川は何度も何度も出てくるというスプラッターマンガ。最初の22話は、前巻の第21話からの続き。22話のあまりに救いのないラストは、ある意味平井和正原作、池上遼一画のスパイダーマンを思い出させる。まあ結果的にそうなったような感じではあるんだけど。
23話からは新展開。れい子の宿敵、リルカが復活。おお、「弓」と「矢」だ!(本作では「運命の弾丸」) ますます「ジョジョ第3部」だ! と思う人は多かろうが、読者の予想どおりにコトは進まず、あまりのドライヴ感と予想外の展開に手に汗を握る。洋画の翻訳風のセリフやロックっぽい百合川のコスチュームなんかを見てると、そういうアイテムがすごく好きなんだろうなあという気はしますね。次々と出てくるゾンビも個性的なのばかり(ビジュアル系の男のゾンビが「鉄の処女で殺された女」だというのがカッコよくて面白い)。

この巻から、「ゾンビ召還術」において「目の前の死体をゾンビ化できる」ってのは他の召還者にはないれい子特有の能力ということになっている。このあたりは確かに前々からちょっと疑問だったんだけど。

それにしても、まったく先が読めない。あー続きが気になる……。
(01.0421、滑川)



・「ゾンビ屋れい子」(6) 三家本礼(2001、ぶんか社)

月刊ホラーM連載。ゾンビ召還術を使う少女・れい子と世界征服をもくろむ姉・リルカその他との戦い。

第5巻最終ページの強烈なヒキから、ジェットコースターのごとき展開。あいかわらず人間は主要キャラっぽかろうがそうでなかろうが、バンバン死ぬ。……っていうか重要人物っぽいヤツがザコだったり、途中からイキナリ出てきたヤツがけっこう引っ張って出てきたり、予想がつかない展開。
というわけで、あまり内容に触れるわけにはいかんのです。ネタバレになるから。 それにしても前からそうだが、普通、週刊連載なら3〜5巻ぶんは引っ張るネタだよコレは。出てくるゾンビのみならず、奇怪な能力や兵器もどんどん出てくるし。

中学生であるはずのれい子も、その姉で17歳のリルカも、ちょっとありえんほど巨乳になっているのはいつもどおりというかどんどん成長してるというか……。いや、ホントイイよ。読み出すと止まんないよ。……という、ある意味素朴な感想でシメたいと思います。
(01.0921、滑川)



・「ゾンビ屋れい子」(7)〜(10) 三家本礼(2002〜2003、ぶんか社) [bk1] [amazon]

月刊ホラーM連載。死体をゾンビとして召還できる能力を持った少女・姫園れい子が仲間たちと戦うマンガ第7弾以降。

政府の生物兵器研究班の兵士・雪女(ゆきな)に追いつめられたれい子たち。リルカはれい子のクラスメート・竹露(ちくろ)に助けられたことから改心しかけ、雪女(ゆきな)と戦うためにれい子とは一時休戦、手を結ぶことになる。しかし、彼女たちは雪女(ゆきな)に勝つことができるのか!?
……という話が前半。さんざん人を殺しまくったリルカは、いかに竹露によって改心しようとも、物語の展開上それで善人としておさまることはできない。そのリルカの行く末をどう描くかが作家の力量だと思うのだが、コレがなんかよかった。

新展開は、特殊能力でゾンビ召還できる「星(スター)」を他人に与えることができるイーヒンが新たなる敵として登場。れい子たちに立ちふさがる。
新アイディアのゾンビもバッチリ、ロックっぽい登場人物たちの服装やポーズ、言動などもカッコいい。少女向けホラー誌に載っているのに、なぜか少年マンガスピリットを感じる作品。

・8巻で「イーヒン編」完結。小悪党のチーホイがいい味を出していた。

・実写ビデオ化決定だそうです。

(02.0521、03.0809、031129)



・「ゾンビ屋れい子」(11)(完結) 三家本礼(2004、ぶんか社) [amazon]

月刊ホラーM連載の、戦慄のリッパー・ザ・ホラー、ついに完結。

確か8巻の終わりか9巻あたりから続いていた「カーミラ編」。クレイマン博物館から盗まれた「魔女の石」を身に着けると、その人物が魔女カーミラになってしまうのだ。当然、カーミラはヒドいことばっかり考えている悪人である。
さまざまにあやしげなキャラクターが出てくる中、親友のジャスミンを助けるため、れい子はカーミラおよびその三人の弟子たちと対決する。

連載当初は、バンバンキャラクターを切り捨て、善人でも悪人でも死ぬときは死に、因果応報の法則に必ずしものっとっていなかった本作も、この最終巻あたりになると「このキャラに見せ場をつくってやろうと作者は思ってるんだろうな」とか、「このキャラクターって読者にファンが多いんだろうなあ」とか思わせる部分が出てくる。
普通のマンガでは当然なそうしたキャラ萌え的展開も、本作にとってはむしろ異端の印象がある。すなわち、そうなるということはそろそろ終わりどきだった、というふうにも受け取れる。

私事きわまりない話だが、本作の完結は感慨深い。それは、私の考える「ぶっとんだマンガ」とは何か、を、まったくの私見だが本作がリアルタイムで表現していたからにほかならない。
どこがどうかと言われると、それをいちいち説明していたら長くなってしょうがないのだが、箇条書きにすると、

・スプラッタ・ムービーやメタル音楽、それと少年ジャンプ系バトル物などへの愛着がリミックスされつつ、本家ジャンプにはない独自の「洗練」を感じさせた
・大西祥平氏の「巻末ゲスト寄稿」にもあるように、掲載誌「ホラーM」の読者対象を越えた読者を獲得し、リアルタイムで人気を得た
・「ポストモダンって何のこと?」と言わんばかりの、作者の時代感覚にのみ頼った「イマドキ感」=豊かな物語性を持っていた

……などがあげられる。
もっとひらたく書くなら、少年誌が往年の泥臭さやマーケティングでは計り知れない「勝負勘」によってのマンガ製作を切り捨て、蓄積した技術を磨き上げることによる洗練、徹底したマーケティングによる戦略、「プロジェクト」としてのストーリーづくり、「萌え」などのオタク的アイテムの消化・吸収といった方向に行ったのに対し、いい意味でのパチモノ感を含めたプリミティヴなパワーを持っていたということである。

ジャンプ的洗練の極なのは最近では「スティール・ボール・ラン」と「DEATH NOTE」だと思うが、それらと本作を比較すると、でどころが近い作品であるだけに「ぶっとびパワー」とは何かを理解してもらえるかもしれない。

もともと、パターンとして確立されたジャンプの方法論そのものが、70年代〜80年代を通して異端だったのではないかと思う(まあこの頃のマンガの作劇法に関しては、あまりにいろいろなものが交錯していて主流も異端もないんだろうけどね。しかしジャンプの「伊賀の影丸」的バトルを強迫神経症的に突き詰めた方法は、やはり新鮮だったから)。

今度は、それらが浸透・拡散し、ジャンプは追う立場から追われる立場になった。そして、その「追う側」から生まれたのが本作だと思うわけである。

最近のジャンプは、さらに「ここではないどこかへ」行こうとしている(「少年マガジン的洗練」っていうのもあるけど、実はあんまり好きではなかったりする。そのあたりは完全に私のシュミ)。
その行く末を見ていくのも楽しみではあるが、そうした作劇法を吸収しつつ、違う方向性を模索している作品も少なからずあるということを本作は証明している。

個人的に、マンガはもう進歩、進化という面では「一周してしまった」と感じているが、まだまだ簡単にはくたばらないだろう、ということも同時に感じるのである。

・DVD「ゾンビ屋れい子」 [amazon]

・DVD「ゾンビ屋れい子 Vol.2 惨劇の呪文」 [amazon]

(04.0528)



・「へんちんポコイダー」全2巻 永井豪(1976、1998、双葉社)、
「へんき〜んタマイダー」全2巻 永井豪(1978、1998、双葉社)

なんとな〜く友人たちと永井豪についてダベっていると、「あれ知ってる? あれ?」とたいてい話題になる作品。それが「へんちんポコイダー」だという認識が滑川にはある。
もともとテレビマガジンの「別冊ふろく」だったという記憶に残る体裁と、何より「ちんちんが回転すると変身する」という小学生にとってはもうそれだけで頭に焼き付いて離れない変身方法。それが、いまだに話題にのぼる原因だと思う。

現に滑川も、予告編か何かでの「ちんちんが回るシーン」を覚えているし、ラジオで伊集院光も話題にしてたな。豪ちゃんのギャグ作品にはイイ意味であきれるほどバカバカしい作品はいくつもあるが、やはり小学生には「ちんちん」のインパクトはすごいのだった。

小学生の変珍太は大家族の中でも学校でもいじめられっこのだめ少年。けれど同級生のユカちゃんは、彼の弱虫なところを除けば憎からず思ってくれている。
そんな珍太が、ある日トイレで「ちんちんが回って変身できないか……!?」というまったく何の根拠もない小学生しかしないことを思いつくが、ダメもとで試してみたらポコイダーに変身。のさばる悪をやっつけるのだった! ちゃんと主題歌もあるのだ。

登場する悪役でスゴいのは「ゴメンと言って人をなぐる悪の帝王」変身ゴメンダー(スゴイ慇懃無礼って感じで腹立つよなーこういうヤツ)、本当に小学生が2秒で考えたとしか思えない、掃除に厳しい「そうじだいじん」などがいる。この辺のアホらしさは「けっこう仮面」などと同様、スゴイものがある。

「へんき〜んタマイダー」は「少年ビッグコミック」の前身? 「マンガくん」連載。こちらは当時単行本化もされなかったため、ダベっていてもあまり話には聞かなかったが(滑川の周囲で話題にならなかったからってそんなことど〜でもいいことですが)、掲載誌の読者年齢があがったせいかお下劣度もアップ。

スケスケの制服を着ている「スケスケ番長」ことビューナス連合というのがなかなかスゴイスね。
主人公の変金太はやはり弱虫少年だが、タマキンがアメリカンクラッカーみたいにコッキンコッキンすると「へんき〜んタマイダー」に変身して、恐怖の力で文部省を操る悶部省が差し向ける悶もん教師(妖しげな能力を持った怪人)と戦うのだった。
ゲストにタマイダーも登場。「変一族には珍の超人と金の超人があらわれて、一族を女の支配から解放するという言い伝えがある」とのことで、ふたりは親戚同士らしい。

最終回は悶部省との決着はつかないものの(……っていうか幹部みたいのは倒されているけど、あれで決着ついたんかな?)、タマイダーが本当の超人だけが入れる「超人プロダクション」にスカウトされるという意外な展開になっている。

「どうしたら読めるか」―昨年、双葉社より復刻された。
(00.0105、滑川)



・「闇のレオタード」 作:滝沢忍、画:小杉彩とワンダープロ、(1988、日本文芸社)

■ドラマ「スケバン刑事」が放映されて以降、「女子高生が戦う」ってのがけっこう出てきたように思う。またかなり以前から「必殺シリーズ」のパターンを踏襲したマンガ作品も多く見受けられる。
本作は、その両作品の「味」をもっとも忠実に再現したもののひとつだろう。一方でなく「両方」というところがミソ? で、普通の女子高生がグサグサと悪人を殺しまくる展開にはあっけに取られるとともに、実に胸のすく思いがすることも事実である。

亜利沙ダイ(男)はふだんはごく普通の高校生。だが「スポーツショップ 稲葉」の店長から仕事を受けては悪人を仕置きする「現代版仕置き人」であった。1話完結で毎回仕置きが描かれていくが、なぜそんなことするようになったかは物語中でも説明はない。

■青年誌に連載されていたものだと思うので、内容がハードなのは当然と言えば当然。タイトルも、
「アリサ登場!」、「悪霊は奈落へ!」、「アリサ、怒りの鉄槌」←実にストレートでいいタイトル、
「家路なき帰還兵」、「恐怖の『ウサギ狩り』」、「悪魔の診察室」、
「鬼畜!!」
……というふうにとてもハードである。
出てくる悪人も出稼ぎに来たおっさんから全財産巻き上げたり、女をレイプして食い物にしたり「こりゃ〜どう考えても死刑だな」と思うヤツばかり。これを「闇のレオタード」アリサが、新体操のリボンなどを使って次々とぶち殺す(やっつける、というよりまさにそういう感じ)の展開がこれでもかと続く。

■もしここでアリサのお色気まで作品のアピールに使えば、限りなきグダグダな世界になってしまう。しかし本作はそれをやらず、あくまでもアリサは憤怒の形相(これがまた実にホレボレする顔)でレオタードというミスマッチなコスチュームで、ど畜生の悪人を地獄におとす。そこが作品全体の「気品」になっているのだホントに。

■第1話では、レオタード姿に額には星のマーク、そしてキメゼリフは
「去世奈落(さよなら)しなっ!」 である。
大いに気合い入りまくりという感じだが、作者が「さすがにちょっと……」と思ったのか何なのか、1話にしか出てこない。

他のセリフも女子高生にしてはスゴい。ラストエピソード「鬼畜!」では仕置きをした後、
「お前達が行くはずの地獄の下にもう一つの地獄があるのなら」「お前たちはそこへ・・・」「行けっ!」 ですよ!
■数年前は古本屋によくあったけど、現在はいくら探しても見つかりません。いまだに探してます。

あ、あと筆者の小杉彩氏は小杉あやさんとは無関係ですのでお間違えなきよう。

■おまけ:Vシネマ
「座頭女子高生ナミ」

脚本:山下勝、監督:宗実隆夫、製作:バンダイ

関連作品? を紹介。伊藤輝夫(テリー伊藤)が製作総指揮の作品。「女子高生+座頭市」です。これも「スケバン刑事」人気の流れから出たと言っていいと思う。盲目にして剣術の達人・ナミが学園のスケバングループと対決。ちょっとダレるけど、薔薇の巻きついた仕込み杖や主演の山口弘美のカッコよさなど「スケバン」的なモノが好きなら一度くらいは見てもイイです。「ダンス甲子園」のメンバーが出てるのが人生の哀愁を感じさせます。お宝的には井上晴美がクラス委員役で似合ってません。1991年。
(98.1230、99.0903、滑川)



・「男・天を突く」(1) 川辺優、郷力也(1987、秋田書店)

プレイコミック連載。「ミナミの帝王」「メモリー」(<これは代表作でも何でもないが)の郷力也作画。この単行本を一読、本作を今まで知らなかったことを恥じるとともに、あらためて「マンガとは?」と考えさせられたのだった。

(あらすじ)
女性のファッションをリードする服飾メーカー「ルージュ」の営業マン・魔羅達郎(まら・たつろう)が、その超絶的な精力とSEXテクニックをもって、毎回まいかいいろんな美女とヤリまくる。だが達郎はただヤリまくっているだけではない。彼は新潟の実家にあった「天下盗りの法」という古文書に書かれた、「天照大神の子孫とまぐわった男は天下をとれる」「まぐわったとき究極の絶頂に達すれば その女体七色に発光するなり!!」という伝説を信じ、今日も「天照大神の子孫」である福マン娘を探し続けているのだった。

……まあこの「福マン娘」の話は断続的にしか出てこない。達郎は、毎回会社の存続のために身持ちの堅い取引会社の女性とヤリまくったり、外国からやってきた大統領の娘とヤリまくったり、はては「ルージュ」の会長(まだ若い未亡人)とヤリまくったりする。
ライバル会社「ワコード」の社員・五代光則(ごだい・みつのり)は彼のライバル。なんとポケットマネーを渡して営業の契約をとってくるというトンデモない金持ちの息子なのだが、その「金の渡し方」が、

「ヘリコプターを呼び寄せて、ビル内に札束を大量に発射する」

という、戦略的には無意味としかいいようのないことなのがスゴイ。

他にも「ルージュ」の会長の家が日本風の巨大なお城だったり、水着ショーのモデルが全員五代に買収されショーがつぶされそうになるところを、モデルとヤリまくって心変わりさせもう一度当初の人数を揃えるが「ヤリ過ぎたためモデルの足腰が立たない」というピンチにおちいったり、話がデカくてとにかく景気がいい。

これ、あんまり古本屋で見つからないんだよなー。続きが気になるマンガ。(99.0415、滑川)



・「男・天を突く」感想文パート2!

「古本屋で見つからない」などと言っていたら、その後立て続けに3〜5巻、飛んで8、9巻もゲット。もともと「ワイド版」な単行本だがプレミアもなし、100円で手に入れたときもあった。なお全9巻である。


・「男・天を突く」(2) 川辺優、郷力也(1987、秋田書店)

基本的に1巻とパターンはまったく同じ。主人公の魔羅達郎が、「お気楽社員」としていろんな女性とヤりまくる。
ときには超絶的な性技を利用して大口の契約を取ってくることもある。
本当にスバラシイおバカな(ホメ言葉)展開が続く。


・「男・天を突く」(3) 川辺優、郷力也(1988、秋田書店)

1、2巻とパターンはまったく同じ。本作の安定期に入ったと言える。そのバカバカしさ(もちろんホメ言葉)は、泣けてくるほどスバラシイ。


・「男・天を突く」(4) 川辺優、郷力也(1989、秋田書店)

「どうせ9巻まで『伝説の福マン娘』は現れないだろう」とタカをくくってい たら、なんとこの巻で登場! (正体が1巻から想像がつくのはご愛敬)
しかしせっかく福を得たはずの達郎は、とつぜん「ルージュ」を解雇されてし まう。

とまどう達郎。そんなとき、すぐに「広通」という巨大広告代理店が誘いをか けてくる。達郎の「ルージュ」時代の企画力と行動力に注目していたのだ。
やはり「福マン」の話は本当だった。そう思った達郎は、「天下を取ろうとす るなら、自分から運を待っているのではなく自身が苦しまねばならない」と決 意、広通の誘いを蹴って自分で小さな広告代理店「タッチン企画」(また脱力 なネーミング……)を設立する。

展開は、毎回CMに起用したい女性をナンパしてはヤりまくるという例によっ てな展開なのだが、ここらでちとパワーダウン。ちなみにかつての美人上司・花咲亜美課長、イイ人だがイマイチ女にモテない山田先輩、女にはモテるが軽薄でバカっぽい後輩の俵(たわら)俊彦(もちろんトシちゃんがモデル(笑))がルージュを退社して「タッチン企画」に加わってくれる。


・「男・天を突く」(5) 川辺優、郷力也(1989、秋田書店)

広告代理店の話が続くが、途中から話は急展開、達郎は50億の負債を背負った 三流デパートを買い取り、流通業界に打って出る。
達郎の立ち上げたデパート「AMI」(亜美課長から取った名前)は、たちま ち新宿で話題となる。しかし、流通業界は戦国時代に突入していた。東は筒井 清二郎の南部ラゾングループ、西には中堂勲率いる価格破壊の怪物・スーパー ダイオーがある。達郎の「AMI」は、双方から狙われる。
とくに中堂は新宿店で激しく達郎と販売合戦を繰り広げる。もちろんその間も 達郎は女の子とヤりまくる。

この辺りから、「ただのスケベではなく、本当に天下を取る男を描こうとして いるのだな」という感じになってきてまた面白くなってくる。


・「男・天を突く」(8) 川辺優、郷力也(1991、秋田書店)

6、7巻は手に入れていないが、8巻の「はじめに」を読むと、どうもその間 に「AMI」は全国に120店舗も持つ巨大デパートに急成長したらしい。だが中 堂と筒井の陰謀にハマり解任動議が起こり、「AMI」の秩序を守るために達 郎は亜美から社長の座を追われてしまう(らしい)。

そしてタツローは「経営の神様」と呼ばれる老人、才能寺典山に接近。
「面白い男が出てくるのを25年も待っていた」典山は、達郎こそ自分が軍師と して協力すべき人物と判断、同じように25年も市井にくすぶっていた強力ブ レーンを召集。
達郎がブチ上げたのは、

「土地不足を、東京湾に人工島をつくることで解消する」

というムチャクチャな計画であった!!
そして怒濤のように展開して行くが、さらに驚くべきコトにこの「人工島(第 二東京)」のエピソードは
わずか100ページで完結! 大仕事を終えた達郎は再び「AMI」に会長として復帰。
「新展開に突入しまーす!」という軽〜いナレーションのもと、「全国の 『AMI』支店をおしのびで視察して回る」という「黄門さま」みたいな話に なる。

だがお話のパワーはおちることはない。行く先々の支店で、仕事に私生活に悩む美女たちを次々とイカセまくり、悩みを解決しまくるタツローであった。


・「男・天を突く」(9) 川辺優、郷力也(1992、秋田書店)

大阪での天敵・鬼頭団十郎が登場。「挿入したまま女性を持ち上げることがで きる」ほどのデカマラの持ち主で、関西経済同友会の会長である。

達郎に挑戦状を叩きつける団十郎に対し、「これからは世界に目を向ける時代 なのに、東京だの大阪だのと小さなことにこだわっている」と怒った達郎は、 団十郎と対決すべく九州を「AMI」傘下におさめ、関東と九州で関西をサン ドイッチにする作戦に出る。

そしてわずか130ページほどで全国制覇を成し遂げた達郎は、今度はたった一人の香港女性(もちろん美人)を探したいがために香港に「AMI」の店舗を出すことを計画(以下略)。なんじゃかんじゃあって結局は世界制覇を成し遂げるのであった。


とにかく全編通して話がデカく、読んでいて爽快感溢れる作品。
もう古本屋で見つけたら即買いじゃ(プレミアはついてないと思う)。
(以上、「男・天を突く」2〜5巻、8、9巻、99.0507、滑川)



「サイバー桃太郎」 全1巻(山口貴由、1992、リイド社)

JACKPOT連載。少年チャンピオン連載の「覚悟のススメ」、現在同誌連載中の「悟空道」などで有名な山口貴由氏の作品。江戸時代風の「いつかの、どこかの国」で剣術修行に励む桃太郎が、戦いに敗れ、傷つき、サイボーグとして蘇って敵を倒すというマンガ……という言い方では説明しきれない。なにしろ、「桃太郎」にのっとっているのは第1話「手負いのほうが強いんだ!」だけで、後はまったく関係がない。登場人物も、イヌ子とキジ丸というのが出てくるがお供にするでなし、毎回毎回、桃太郎が左腕をロケットパンチのようにぶっ飛ばしては敵の顔面をぶち抜いて絶叫し、何の解決もみないまま終わってしまうような印象である。さらに最終回らしい最終回もないまま「新サイバー桃太郎」が始まり、こちらはもっと桃太郎とは関係ないし、時代劇的な雰囲気も薄まりよくわかんないことになってくるのである。とにかくもうすごいパワーである。

実は連載当初読んでいたのだがそのパンキッシュぶりについていけなかった記憶がある。山口氏は後に「平成武装正義団」という作品を同じ雑誌で連載し、こちらは「覚悟のススメ」のキャラクターの原型のような感じである。この「平成……」は、舞台はいちおう現代(らしい)でありながら、出てくる番長たちが怪人やロボットとしか思えないデザインで、そこに何の説明もなかった。後に「覚悟……」ではSF的な説明が付いて面白さは倍増した。したがって、「設定がよくわからない」、「説明しない」ことが以前の山口氏の作品の物足りなさだと思っていたが、それは間違いだった
本作「サイバー桃太郎」では、桃太郎が敵に勝つ(ワザとしての)理由がテキトーだったり、世界設定や物語展開があまり説明されないことが、とてつもないパワーを発揮している。つまり、「覚悟……」、「悟空道」などの、いちおう説明がある作品と「サイバー桃太郎」や「平成……」は、どちらがどうということではなく、「味が違う」のではないかと、思い立った次第である。(99.0321、滑川)



「サンガース」 全7巻(笠原 倫、単行本5巻まで原案協力/門脇正法、1989年頃〜91年頃連載、秋田書店)

 少年チャンピオンには「希望の伝説」(飯森広一)「魔界都市ハンター」(菊地秀行/細馬信一)などブームとは関係なしに伝奇SFの伝統があるようだ。一方、多数の問題を起こした「オ●ム」はSF小説、マンガ、アニメの影響が強いと言われている。両者の関連を原因→結果と見るか、両方を結果と見るかは陳腐な論議になるのでやめておきます。
 しかし、いわば「オウム的感性」にはマンガ方面ではすでに決着が付けられていたのだ。

 本作「サンガース」は、禁欲主義の密教者・聖崇(ひじり・たかし)と欲望のままに生きてきた不良・W浅野(このネーミング、すごい)が菩提数珠でつながれ(手錠でつながれた囚人同士のパターン)、彗星から飛来した108つの「M」と戦う物語だ。「M」とは謎の宇宙物体で人間の体内に入り込み寄生した身体の成長とともに超能力を発揮する。
 その能力とは体内・対外の「石」を操るストーン・パワー、そして人間を狂気へと駆り立てる「カリスマ」だ。以前、たったひとつのMに世界中迷惑したことがあり、それがヒトラーだったという(Mのシンボルはカギ十字)。
 ケンカしながらもMを倒し続ける主人公2人。だがMを統合しようとするMが現れた。村崎無二だ。自然破壊をする人類を憎み、人類抹殺を目的に宗教団体を興しテロを起こす男。人類抹殺後Mをも死を選ぶ、と言った無二にW浅野は「綺麗なものを綺麗と感じる者がいなくなっても それは本当に綺麗なのかよ」と言いながら反撃する。

 まあここまで書いて「すでに決着が付けられていた」とは我ながら大ぶろしきだと思ったが、要するに敵に一人の人間でしかない自分自身を認識させる、というのがW浅野のやり方だった。無二のつくった教団のような「宗教プラステロ」というのは「サンガース」にかぎったことではなくマンガではよく出てくるが、それの教祖自身も人類の一員なのに、なぜ人類を抹殺するのか、ってな問いを主人公が発する場合が多い。
 これをもう一歩踏み込んだのが「覚悟のススメ」だと思います。おお、同じ少年チャンピオン。

 さて、本作の鑑賞ポインツ……。
 こうしたオカルトとかSF仕立てのバトルもの、っていうのはけっこう多いが(聖闘士聖矢なんかも入ると思う)、本作はとにかくアイテムが個性的、っつーか独特っつーか……。
 たとえばW浅野の持つ「菩提数珠」は、W浅野と崇をつなぎとめるモノだが武器にもなる。硬化して剣のようになったり、巨大化したりする。自分で動いたりもする。W浅野は「ダボ」というあだ名を付けてやる(?)。「聖矢」の「クロス」なんかと違って、学生服の男が巨大な数珠を抱えている姿は異様だ。
 そもそも「W浅野」って名前が、本人は「ウォーリアのW」と言っているが本当は「高校1年を2回やっているから」だという。彼の造形のモデルはジェームス・ディーン。確かに60〜70年代の不良である。

 W浅野のライバル・Mの菊地妖一は松田優作をモデルにしたという。しかも頭ばボウズ、片目に宝石の眼帯、革製の学ランというスゴイ服装。
 「あたり前田のUWF!」って叫んだり、セリフも妙だし、なんつーか全体的に不思議です。

「どうしたら読めるか」―古書店で比較的入手しやすい(と思う)。



ここがいちばん下です

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