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「つれづれなるマンガ感想文」3月前半
「つれづれなるマンガ感想文」4月前半
一気に下まで行きたい
地位も名誉も金も手に入れた老人・逞兼高(たくまし・けんこう)が見いだした最後の生き甲斐、それは長生きすること。彼は、健康にこだわった、何も売らない、ただ健康のためにひくだけの屋台「健康屋台」をつくり、それで旅をする。
「健康屋台」は科学技術の粋を集めてつくられており、さまざまなギミックが盛り込まれている。もちろん健康食や入浴剤、睡眠にイイものなどが揃っている。
健康に対する「こだわり」は同じ作者の「夜行」や「ダンドリくん」などと同様、ときどきズッこけてすごく不健康なことをしてみたりすることも同様。
終盤近くなると、「自分の健康だけ考えるのはエゴだ」と考える過激エコロジストの「環境屋台」が出現、健康屋台と対決する。いわば屋台同士のイデオロギー闘争。
しかし、どちらが悪いという主張でもなく、かといってドライなスラップスティックでもなく、泉昌之独特のホンワカした雰囲気が漂う。ヘンな価値相対主義や二項対立に持っていかないところが「味」だなァ。オススメ。
(00.03031、滑川)
次週から、いとう杏六復活。その他、今後の新連載ラインナップが気になる……。
「直撃! 地球大異変超真相」(前編) 山本弘、寺嶋としお
「逆MMR」とも言える「超真相シリーズ」第3弾。毎回、信じやすい少年と美少女科学者とのやりとりから、トンデモネタを科学的に検証していく。今回は、最近大地震も多いし、隕石が降ってくる映画もヒットしたこともあるのか、巨大隕石落下や磁気の南北が入れ替わる「ポールシフト」が人類滅亡に関係しているかがテーマ。
中に出てくるデータの100パーセントが私の知らない話で、文系野郎の身としてはとにかく感心しながら最後まで読んでしまった。「へええ!」とか「ほおお!」とかいう言葉しか出てこない。勉強になる……。
寺嶋よしおは以前は「初期高橋留美子に似ている」という珍しい絵柄だったが、だんだん洗練されてきている。ただし、襲いかかってくる少年を美少女がメカの巨大パンチでぶん殴るシーンはあまりにも80年代的なので何かいい方法はないもんでしょうか……。あ、「めがねをとると美少女」ってのはOK。だってそういうの好きだから。
後編に続く。
「バキ」 板垣恵介
あいかわらず猪狩サイドの話。奇しくも「がんばれ酢めし疑獄!!」と土下座ネタがカブっていたのが面白い。ギャグとして描けば「酢めし……」になり、シリアスに描けば「バキ」になる。
「フジケン」 小沢としお
ファミレスでバイトするフジケンたち。子供のために必死で働くオバサンに味方して、態度の悪いヤンキー客をボコボコに。こういうの、泣けるなぁ。実にうまいね。
先週の「浦安鉄筋家族」もパートのおばちゃんの話だった。書き忘れたので書いておくと、「ジャッキー・チェン似のおばちゃん」がジャッキー並みのアクロバットをするという話で、一生懸命働いているシーンで意味なく拳法のポーズをしているおばちゃんがすばらしかった。
「オバコブラ」 園田ともひろ
同級生のシンナー中毒をやめさせようとするオバコブラは、やはり任侠の徒であった。
関係ないが「カメレオン」のシンナー中毒少年の話も泣ける話だった。オススメ。
(00.03031、滑川)
「THE レイプマン」。それは新田・滑川・田中の「ぶっとびマンガ認定委員会」にとってタブーとも言える領域であった。もともとリイドコミックに連載されていたこの作品、ふだんはサエない教師である主人公が、依頼が来ればターゲットをレイプしてのけるという「レイプ版ゴルゴ13」のようなマンガ。だれかが一度は考えつくアイディアでもあるし、ごく単純に考えれば「もんのすご~い極悪な女」を懲らしめるためにレイプする、ってな話にすれば、まあ各方面にモンダイのような気はするが目くじらを立てるような作品にもなっていなかっただろう。
だが違う。「レイプマン」は、とにかくだれでもヤってしまう。そこにはいろいろドラマがあるのだが、だれでもヤってしまうことに変わりはない(正義でも悪でもなく、「だれでも」という点で言えば確かにゴルゴ的ではある)。
そこにも安易な人情話を持ち込めば、箸棒な作品にはなっただろうが気にも止められなかったかもしれない。
しかし、ストーリーは徹底してキャラクターたちを突き放しており、またゾッとするような不気味さをもたたえている。第一「レイプマン」のデザインが異常に恐い。
「強姦魔」のイメージを頭の中でどんどん凶悪にしていくとこうなるんではないか。
そんなデザイン。
とにかくなんだか「シャレにならない」という雰囲気をまといつかせている作品なのである(おバカな話もあるのだが、全体的に「ヤバい」感じがする)。
(余談だが、エロ作品にときおりあらわれるこの「徹底して突き放した感じ」が、キャラクター中心のメジャーエンターテインメントマンガとは違い構造的に表れるということが、何かの秘密? を解くカギになるんじゃないかと最近思っている。)
フェミニズム団体の抗議で絶版になった、のがその「ヤバさ」を感知されてのことだったかどうかは知らない。しかし本作について論評もほとんど見たことがなく、私が目にしたのは雑誌の「悪趣味特集」か何かで、唐沢俊一氏が悪趣味という観点から書いていたのみである。これは簡にして明だったと記憶している。
新田&滑川&田中としては、「THEレイプマン」はフェミニズムのヒトが怒るのもムリないかなと思いつつ、「どうしようもない、マンガ界から抹消してもいいドウデモな作品」だとも思えない。……というわけで、作画のみやわき心太郎の過去の作品を2冊くらい買ったり、古書店で「レイプマン」を揃えているうちにシュベール出版から再販が出て、今回「2」まで始まってしまったという次第。
「2」はPENTHOUSEの4月号から始まっており、今回のターゲットはレズに走った人妻。
「レズの女性にオトコの味を教え込んでノンケに戻す」というパターンは、男根主義なマンガでは昔から繰り返されており、レズの女性はさぞかしムカついていただろうと思うが、リニューアルした「2」ではその辺りに配慮をしているようだ。「配慮している」と言っても、それが本当にレズのヒトのうなずけるようなモノであるかどうかは、私にはわからないが。
抗議を受けた過去をふまえた展開になるとは思うが、かつての「シャレにならなさ」、「不気味さ」まで失われてしまうかどうかは始まったばかりでまだわからない。
(00.03031、滑川)
「上昇志向とは無縁な孤高のダメ認識」
TBS深夜の伊集院光がパーソナリティをつとめるラジオが異常に面白い。伊集院がラジオデビューした頃にはすでに「深夜ラジオを聴く」という習慣から卒業してしまった私としては、彼の今までの奇跡(「芳賀ゆい」を流行らせたなど)をまったく知らないので、その衝撃というのはかなり大きなものであった(これにはテレビタレントとしての伊集院光が、ラジオの毒舌とはうって変わってほのぼのキャラで売っている、というギャップも大きい。ラジオ出身のテレビタレントは、吉田照美など「ラジオノリ」をそのままテレビに引き写そうとして失敗したり成功したりしていると思うが、伊集院の場合は意識してキャラを分けているようだ)。
さて、この伊集院の番組の中に「だめにんげんだもの」というコーナーがある。相田みつをの「にんげんだもの」のようなコトバを、「ダメ人間が感動するようなものとして」書いてみようというハガキの投稿コーナーだ。
ラジオや「ジャンプ放送局」のような投稿コーナーは、多く「日常のふとした面白いこと」を求めるものが多いが、とりわけ「だめにんげんだもの」はそれの「ダメ部分」、さらに自嘲の方向に向いている。
しかし、聞いていて思うのは、その「ダメさ」はリスナーの年齢・性別に対応していて、学生か、せいぜい入社2、3年目のサラリーマン的なモノが多いということ。そしてネタとしてフォーマットがキッチリしていてどこかに救いがある。まあその救いってのは「まだ若い」ってことだけなんだけどね。
本書は、確か山田花子最後の単行本。なぜなら、8年くらい前に自殺してしまったから。
山田花子も「ダメ人間」を描くマンガ家だった。人間関係が苦手で、自我が強いがゆえに他人に疎外されることを恐れ、ヒトに合わせてけっきょく裏切られる。さらに、そんな自分をも冷徹に観察してしまう。そんなマンガ。
「だめにんげんだもの」が多く男性投稿者によって書かれ、そこには暗々裏のニュアンスとして「不遇時代のオレ→こういうところから抜け出せるようにまあいろいろとやってはいるんだけどね……」的な意味合いがあるのに対し、山田花子には「若き日の不遇→いつか……」的な視点は皆無。いつだって他人はうざったいし、でも排除されるのは恐い。友達はみんなアホに見えるけど、そんな視点でヒトを見る自分もやりきれない……という考え方は断続的にやってきて、それを丹念に原稿用紙に描きとめる。
山田花子は「なかよしデラックス」でデビューし、「ヤングマガジン」、「ガロ」等で作風を確立したらしい。「なかよし」から「ガロ」への変化というのはさすがにだれが見てもわかると思うが、浅学にして「ガロ」で描いてからの作品の変遷について語ることはできない。
だが多分、作品に変化があるとすれば、「テーマの消化の仕方」というテクニック上のことで、語る「テーマ」そのものについては劇的な変化はなかったんではないかと思う。すなわち、上記のような「ダメ人間」、およびおのれの「ダメ」さに苦悩しつつ、それでも突き放して状況や人間関係を見てしまうということ。
そこには過去も未来もなくて、ただそのときそのときの状況だけがある。本書ではその「状況」を、通常のドラマ(ちゃんと起承転結がある、一般にイメージするドラマ)のようには描かず、ほとんど日記のように描きとめる作品がショッキングだ。 もちろん創作上のアレンジはしているんだろうが、ほとんどナマのまま描いたような、ホヤホヤな感じがする。
そう考えると、やはり「女にモテたい、いやモテなければならない」という最終目的がある古谷実や小田原ドラゴンの描く「ダメ」とは「ダメ」の質が決定的に違うことに、認識をあらたにする。山田花子は恋愛についても、友人関係とまったく地続きで冷徹な観察日記のように描いていて、それは「最終的には愛し合っているから」的な予定調和はない。恋愛に対する不信感も相当なものだ。
かといって山田花子に「出口なし」の不快な閉塞感を感じるかというと、そうでもない。「まだ若いから」とか「先があるから」なんて問題を無限に先送りにするよりは、いつだってどこだって「ダメ的状況」が現出すると考えた方がよほど潔いように思う。「上昇志向の裏返しとしてのダメ認識」を描く作家は多いが、「ダメは常にそばにあるもの=自分自身の認識のあり方」として描いた作家はそうはいないのではないかと思う。それはつまり、作風が徹底して孤独、ということでもあるのだけれど。
「どうせおれたちダメなんだ」というユルい連帯感より、そういうのの方が心地いいときもあるってこと。
(00.03031、滑川)
・「ガルラ」
1976年7月~1977年2月、テレビマガジン連載。
鳳隼人(おおとり・はやと)が無意識にガルラの名を呼び、その眉間に鳥形のアザができたとき、海底から巨大怪獣・ガルラが出現する。隼人は、「弓博士や早乙女博士と一、二をあらそうロボット研究の権威」、水島蛮次郎博士の開発したスーパーロボット・ビッグダイタン(これが滑川的にはカッコよくてシビレた~!)に搭乗、ガルラを倒そうとするが、その謎めいた力により逆にビッグダイタンは破壊されてしまう。ガルラは消えるが、とつじょムー大陸の住人が圧倒的な科学力をもって人類を侵略、彼らを撃退できるのはガルラと一体となった隼人だと、謎の坊さんが告げてくる……というところで途中で終わっている! ものすごく壮大な、時空を超越した神話的SF世界が繰り広げられるはずだったと思うのだが、連載当時も今でも非常に残念です。なんで打ち切り? になっているのかは浅学にして不明。
系統としては「黒の獅子」とか、後述の「電送人バルバー」など、SF考証よりイマジネーションを優先した感じの宇宙絵巻といった傾向の作品。「デビルマン」や「バイオレンスジャック」に比べて残酷描写がほとんどない点からも、イメージ重視の印象を与える。絵も「黒の獅子」となんとなく近いが、当時そういう絵だったのかだれかが中心になって描いていたのかも、浅学にして不明。
・併録作品「電送人バルバー」
1977年4月~10月、テレビマガジン連載。
「パンドラの箱」の神話を下敷きにしたSF作品。悪の精神生命体・デモス星人の精神を宇宙船バンドーラから地球に解き放ってしまったエンゼル星人・オーロラは、その罪により永遠の悪夢にさいなまれている。彼女の悪夢は、現実の地球人の悪行に対応している。その悪行をたださないかぎり、オーロラの悪夢は終わらない。そしてそれができるのは、「よき心」をもった少年少女たち、火花英児、若草ポニー、平賀源しかいない。
火花英児は2人のサポートによって、宇宙船バンドーラの虎型超兵器・バルーと分子結合し、「電送人バルバー」となって悪と戦うのだった……という、あらすじを説明するだけでもちょっとタイヘンだが、要するに永井豪作品のスーパーヒーローの多くが、神話的な背景から生まれてきたということだろう。
「ガルラ」同様、残酷描写がなくイメージ重視の作品。
(00.03028、滑川)
「ゲッターロボG ブライ誕生」では、百鬼帝国のボス・ブライがなぜ強大な力を持ったのかが明らかになる。そしてそれが「真ゲッターロボ」につながってゆく。
「ゲッターロボVSゲッターロボG」は、Gを乗っ取られた竜馬たちが、旧ゲッターでGと対決する特別編。
「真ゲッターロボ 新たなる戦い」は、マンガ版「ゲッターロボ號」以前、「ゲッターロボG」以降のミッシングリンクを埋める展開に。「號」で謎だったり語りきれていなかった部分が次々と明らかになってゆく。
(00.03024、滑川)
Vol.1からの続き。「號」では早乙女研究所はゲッター線の影響で廃墟となり、ベンケイは死んでしまったことになっていたが、まさにそのとき何があったのかを中心に物語が展開する。宇宙から来た謎の昆虫型生物の侵略に対しゲッターロボGと真ゲッターを動かした研究所だったが、Gは搭乗したベンケイもろとも地中深く沈みこんでいってしまう。地下ではゲッター線が暴走し、死んだはずの恐竜帝国・ゴールや百鬼帝国のブライ、ムサシやベンケイの幻影までもが早乙女博士の前に出現する。
さらに、ゲッター線による人類進化の果てには、惑星よりも巨大なロボット「ゲッターエンペラー」の姿があった……!
「ゲッター線」を極大解釈したものすごい展開は、「ゲッターロボ號」をそのまま引き継いでますます大きくなり、「ゲッターロボ號」という機体がむしろ歴代のゲッターの中では番外的な存在になっているなど、石川賢節全開のストーリー。
それにしてもフシギなのは石川賢の「話の暴走のさせ方」だ。本作の「石川賢作品リスト(ファン必見)」解説にあるように、「増殖と吸収」が作者のモチーフになっていることは確かで、作品そのものもいろいろなものを吸収しながら増殖、増大していくといった感じだ。しかし、「お話の増大」はたいていの場合、その分量的な面から少なくない読者をおいてきぼりにしてしまったり、あるいは作者自身の神秘思想によって作品本来のエネルギーがむしろ失われてしまったりもするのだが、石川賢の場合そういうことがまるでない。なぜかははっきりとは言えないけれど、少なくとも自分の思想とかテーマのために「マンガ的面白さ」をないがしろにすることなど、作者の頭には毛頭なく、思想やテーマをそのまま語っても、それが面白さに直結するとは限らないことを作者自身が充分すぎるほど自覚していることは確かだろうと思う。
(00.03024、滑川)
そういえば「遊人」論というのを見たことがない(あったらゴメン。本当に私はあやまってばかりだ)。豪邸に住んでいるとか、漠然と「Hマンガ」を連想したときに遊人の絵が思い浮かぶとか、ピンクチラシにやたら無断で使われていたイメージとか。そういうのしかない。もちろん「論」なんて作者にしてみればいらないんだろうし、「Hマンガ」を連想したときにすぐ思い浮かぶヒトの一人であるということは、何よりのことだろう。
私もとくに積極的に追いかけたことはないが、真剣に「遊人」というマンガ家のイメージを考えたときに、ふと不安な気分に襲われる。巷に流布する遊人イメージは、正しく作品全体を表したものとは言いがたい。
本作はスコラに連載されていた「VISONARY」を中心とした短編集だが、「男の夢祈願達成物語」というサブタイトルの同連作は、その名のとおりナンセンスな話が多い。オシッコでタバコの火を消してくれる美少女たち「1919少女消防隊」(表題「タバコを消すな!」)や、秘密道具をHなことに使う「ドラえもん」のパロディ「ドレーモン」(表題「もしも……になれたら」)など、とにかくナンセンス。
一方、他の読みきりでは二十代後半をむかえてなお夢を追い続けるサーファーを描いた青春モノ「アンティークトーイ」、「ブスゆえに強姦魔に犯されたい」と願う少女の寂しさを描いた「スペルマン」(4)、末期ガンの少女と知り合い愛した前科者の苦悩を描いた「RUN」など、しんみりしていたり、もの悲しい話が多い(とくに「RUN」は、なんだか特捜最前線みたいなノリがある)。
では遊人は「ナンセンスもシリアスもできる多彩な作家」のひとことでくくれてしまうかというと、それも違うだろうという気がする。ギャグ作家のいしかわじゅんやとり・みきがシリアスものを描くのと、何かが根本的に違う。
結論から言うと、どちらの路線も「徹底してクール」だということ。思いっきり突き放している。ギャグもドライなものが多いし。
一連の人情モノは「突き放している」とは言いきれないが、全体を流れるクールな感じはぬぐいがたい。メロメロにウェットな感じはしない。片岡義雄風にキメた「アンティークトーイ」も、このテのオシャレアイテムが流行ったときに、それを過不足なく揃えた、という印象だ。
何の作品だか忘れたが、でっぷり太った裏社会のボスみたいなやつが、若造を「パンチラでオナニーするようなヤツはダメになっていくしかない」というようなことを言いながらボコボコにブン殴る話があってヒイたが、要はそういうことなのだろうと思う。
遊人作品がクールなのはスタイルでも計算でもない。
梶原一騎や以前の雁屋哲の劇画に出てくる、「そのままにクールである」ことをキャラクター付けされた、もちろんパンチラでオナニーなんかしない野望の男。それが遊人作品であり、それはその作品を消費する読者の性根とはあまりにかけ離れている。
おそらくそれが私を不安にさせる。
(00.0330、滑川)
成年コミックの、短編集。もともとナンセンスギャグエロマンガといったノリの作風の人だが、ここのところ、実用重視というかHシーンを忠実に描く展開が多いような気が
する。本書では「悪徳淫行教師」や「悪徳プロデューサー」、「巨乳先生」などがそうかも。
「悪徳ギャンブラー」は展開としてはオーソドックスだったが、オチのいい意味でのくだらなさが印象的。
「FUCK TRECK(前後編)」はスター・トレックのパロディ。艦長含めた乗組員が、スケベになってしまう寄生生物に寄生される。生物とその天敵のデザインがカワイイ。
最後のページの、ミスターディックの頭を見てガッカリしている寄生生物の顔も
カワイイ。
「えろにんげんだもの」は「にんげんだもの」調で語る「みつを」ならぬ「よつお(カメラマン・四尾天明)」がハメ撮りしまくる話。
「15歳夏(前後編)」は、少年の父が若い女性と再婚し、その女性やその娘とヤってしまう話。「15歳」って明記してあるのに、巻末に「作品中に登場する人物はすべて18歳以上です。」と断り書きがしてあるのが、いろいろ大変だなぁと思わせる。
(00.03026、滑川)
「BM」も復活するらしいし、来週は山本弘原作マンガも掲載。長期連載が終わって変化の兆しの少年チャンピオンだ。
「ななか6/17」(後編) 八神 健
特別読みきりの後編。美少女だが冷たくて嫌われ者のななかが、突然6歳の頃に幼児退行してしまい……という設定。
おもしれーっ!! これはイイ話だあ。前回は、6歳に退行する前の嫌われ者のななかを苦しめるため、いじめっ子が彼女をクラスの文化祭実行委員長にしてしまう、というところまで。で、後編は、無邪気な(精神が)6歳のななかにクラスのみんなもだんだん魅了されてきて……という展開はまったく予想どおり。だがそれがすごく読ませるのだ。
ななかの秘密を唯一知る幼なじみの少年が一人でやきもきするところや、だんだんと手伝う生徒が増えてくるところ(しかも男子から、というのは非常にリアリティがある(笑))、「ななかをイジメよう」と誓ったグループも何人かが手伝う側に回ってしまうが、これもななかを許す気持ちになったからでもあるが「協力してないのは、クラスで私たちだけ」という孤立を恐れてのことだったりと、そういうのもホントらしい。当たり前の展開を読ませることがいかにむずかしいことか……。いやあ、プロの仕事、見せてもらいましたっ。
ただし、最後のオチは考えようによってはななかってすごく陰謀家のようにも受け取れるわけで……(笑)「いろはにほう作」(小林よしのり)の最終回を思い出してしまった。
「いろはにほう作」もオススメだぁ。関係ないけど。
「バキ」 板垣恵介
猪狩サイドの話。シコルスキー、恐い。
「オバコブラ」 園田ともひろ
「オバサンみたいな女子高生」を通して描くのは、いわば「任侠道」のようなモノと見た。乱暴に言えば「少年チャンピオン的泣かせ」を心得たギャグマンガだと思う。
(00.03026、滑川)
新田五郎と滑川ニュッピーは、自主制作漫画「タイムパトロール ユカちゃん」(前、後編)木持隆司(1999、2000、木持アート出版)を強くプッシュしている。そこにはテクニックやマーケティング先行型の商業作品にはない、「マンガを描こうと思う初期衝動」がそのまま保存されているという理由がひとつある。だがそうした、「ユカちゃん的」な何かを、商業作品の中で表現しようとしたヒトがいる。それが本作の作者だと、思う。
本作はいくつかの短編で構成されているが、なにしろしょっぱなは「キャッツアイ」である。もじりでも何でもない。本当に「キャッツアイ」。
小学生か中学生くらいのとき、マンガの描き方がわからなくて大学ノートに鉛筆書きで、しかも既存の作品を題材に描いていた友人を見たことはないだろうか。もちろんパクリとかパロディの概念なんてわからないから、ただその作品が身近(「好き」というよりあまりに自然に存在しているので「身近」なのだ)だからという理由だけで、題材として描く。本作の「キャッツアイ」はまさにそんな感じだ。絵はまったく似ていないし、第一これ、鉛筆描き(もしくは鉛筆描き的な効果)。
続く「ツッパリ西遊記」は、ツッパリマンガのキャラクターを「西遊記」の孫悟空、沙悟浄、猪八戒に見たてたモノ。いたいた、確かにツッパリマンガを描きたがるヤツもいたなぁ……。そして「空想KISS サイバーシティに連れてって……▽(▽はハートマークの代用)」はSFラブコメだ!
とにかく教室で、電車の中で、あるいは路上でほとんど空気のように感じながら読んでいたマンガ。それらを読んでいるときの楽しさを追体験したくて、「なんか描いて見ようかなァ」とやおらノートを取りだして描いてしまう感じ。そんな「生もの感」が実に作品それぞれに漂っている。
もちろん、作者自身の計算(この場合、「計算」というとそういう「ノリ」を出そうとする打算的なマイナスイメージしかないだろうけどそうではなく、商業作品として成立させるある種のレベル確保のようなもの)はある。「ヘタウマ」などと言うが「ヘタ」と「ヘタウマ」には厳然たる差が存在するのだし、全編鉛筆書きの場合、それなりのテク(これが既存のマンガコードにはないのでどう表現していいかわからないのだが)も必要になってくる。それに、オチや展開の突飛さが単なる「中学校時代のノリの再現」のみを目指していないことも明白だ。
「バカはサイレンで泣く」や「バカドリル」など、「マンガ」というフォーマットにカチッと合わない作品にシフトしていっている感がある作者だけれど、それは「形式にこだわらない」なんてことだけにとどまらず、目指すところはもっとずっと遠いところにあるのかもしれない。
また、読みながら「タイムパトロール ユカちゃん的なるもの」が「ユカちゃんそのもの」である場合と、「ユカちゃん的であることを意識すること」の違いに思いをはせるのもまた一興だろう。とりあえず「千年じじい 未来の思い出」、「しゃべる!! ピラミッドパワー宅急便」、「ドブス占い」、「スパイのオッパイくん」、「魔法少女ドクロ沢あかね」、「アッパレ!! 交尾之助」、「パラダイス万太郎」というタイトル群には完全に脱帽。どんなにひねっても、こんなタイトル出てこねー。君は、生き延びることができるか。
(00.03024、滑川)
【同人誌】・「キックの鬼 ファイヤー」(1995、「中山死ね死ね団」)
アニメ「天地無用!」のエロパロ同人誌。複数の人が描いている。
実は私、「天地無用!」、見たことありませ~ん。ゴメン。「プリティサミー」しか見たことがない。「サミー」だけ見てればわかるかと思ったら、やっぱりほとんどわかりませんでした。ゴメン。
いやね、私はこの中に描いている「原価壱円」っていう人の絵が好きなの。あ、でも私別にスカトロ好きなわけじゃないんで。そこんとこヨロシク(スカトロ絵が多い人なのである)。
ところで、本作には「中山殺油地獄」なる、中山○洋という「天地……」に途中から参加した作画監督かなんかを批判するコーナーにわざわざ数ページさかれていて、「中山○洋のつくったOPアニメはヒドい」というようなことがえんえん描かれている。
私は、
・「天地無用!」を見たことがなく、
・「中山○洋」という人を知らず(伏せ字になってても元の名前を知らないし)、
・彼のつくったOPアニメというのも見たことがない
……という状況で、「かなり辛辣な批判が繰り広げられている」ことを目の当たりにすることは、何やら非常にシュールな心持ちがしたのでありました。
まったく関係ない業界の専門誌を見たときの感覚に似ている。
(00.03024、滑川)
【同人誌】・「燃えよペン マンガ力指南編」 島本和彦(1999、「URASIMAMOTO」)
マンガ家・島本和彦氏が昨年の冬コミに発行した同人誌。
「自分のマンガを見てくれ」とアシスタントの森林に言われ、「おもしろいマンガを描くにはどうすればいいのか?」と聞かれた炎尾燃(ほのお・もゆる)が持ち出してきた禁断の手法、それは「パロディ漫画」であった!!
……ということで、「パロディ漫画を描きつつ、それを自分の作品に活かすにはどうすればよいか」ということが指南されている。
冒頭の、「作品を見てくれ!」と意を決して言ってくるアシスタント、それにどう答えればよいか真剣に考える炎尾燃のやりとりの緊張感、ここからすでに作品世界に引き込まれる。
そこから、「マンガがうまくなる(作品内の言葉で言えば「マンガ力をつける」)」ことに目的を絞り、「そのためのパロディ漫画を描くためにはどうすればよいか」が、実際の島本和彦氏のパロディマンガ(ウルトラマン、あしたのジョー、サイボーグ009など)を作例に語られる。
プロのマンガ家って、同人誌を、パロディをどう思っているんだろう、というのは私がふと思いをはせる点だ。もともとコミケで出店していた人はともかく、元来プロになる人はマンガに対する情熱が「プロ方向」に向いているので、コミケ的な同人誌などまったく関係ない、と思っている人も多いだろうし、かえりみる余裕のない人もいるかもしれない。
とくに島本氏のように、ものすごい上昇志向をそのまま原稿用紙に叩きつけるような作風の人が、同人誌や、アニパロをどう考えるかは非常に興味のあるところだった。
たいていは、「プロになりたいならお遊びはやめろ」とか、著作権の問題を持ち出してきて苦言を呈するとかいうのが相場ではないかと思う。
ところが、本作はわざわざ同人誌として出すくらいだから最初の視点から違う。
「マンガ力を付けるためのパロディマンガ」という、一種の練習のような意味あいを、アニパロに見いだす。もちろん本作自体が作者が楽しんで描いている同人誌だからかしこまった堅苦しい「習作です」みたいなものを要求することもない。
島本氏自身がアマチュア時代、パロディマンガをたくさん描いてきたらしいということもあるが、何より「パロディを描くことは楽しいのだ」ということを忘れていないところがイイ(逆に「楽しいからそこにハマるとプロ志望としてはヤバいとは書いてあるけど)。
冒頭の、マンガを見てくれと言ってくるアシスタントに「プロマンガ家としてどのようなアドバイスをすべきか?」と悩む炎尾燃(ニアイコール島本氏)は、「マンガ力とは?」とか「パロディは面白い」とか、そういう気持ちを直接、自分の心の中から拾ってくる。どっかの本に書いてあったとか、だれかから聞いたとか、そういう言葉遣いはいっさいしない。
登場人物が考えすぎて深みにハマっていく、というギャグを氏は好んで使うけれど、それはギャグとして極端に描いているからで、全編通して読むと氏のふだんの「内省の方法」が少しわかったような気がして興味深い。
もちろんそれは「自分だけの考え」という意味ではまったくない。本作は商業作品ではない→コミケットで売られる同人誌である→そして自分はプロマンガ家である、と考えたときに、その接点から生まれるモノは何か、と思案して出てきたのではないか、と思う……が、少し(私の)考えすぎかもしれない。
もともと仮面ライダーやガンダムなど、キャラクター関係の仕事が少なくない氏のことであるし。……にしても、この同人作品自体が、TPOをわきまえた実にオトナの仕事だと思う。
(00.03024、滑川)
【同人誌】・「裏・島本和彦」 島本和彦(1999、「URASIMAMOTO」)
マンガ家・島本和彦氏が昨年の冬コミに発行した同人誌。
「童話に見る大熱言」と「クイズ! Q&A助」、「燃えよペンかるた」所収。
「大熱言」は週刊アスキーに連載されていたモノで、「アニキ」が弟分の「サブ」の悩みを名言で解決するというモノ。思いきり乱暴に言えば、「島本版・初期のゴーマニズム宣言」のようなマンガ。「童話に見る……」は単行本に加筆するつもりが時間がなくできなかったものだという。
「ネームに少し手を入れて掲載」とあるが、印刷されたものを見てもほとんど遜色がなく、また「ペン入れも同じくらいの時間がかかるのでペン入れした方がいい(島本氏:談)」という超速筆ぶりに驚かされた。
「クイズ! Q&A助」はコロコロだかボンボンだかに依頼されて練ったネームを仕上げた(同人誌用に「仕上げた」っていうのがすごい。それだけ力が入っている)作品。
クイズ大好き少年・九安土A助と、ライバル海藤瞬時がクイズ合戦を繰り広げるというモノで、このままでは「オトナの事情」で載せられないにしても(なんかいろいろキャラクター商標のアレで)、もし手を加えたカタチで掲載されればホビーマンガに金字塔をうち立てたことは間違いない。
旧石森ライクなキャラクターデザインも一部ファン(島本ファンも、石森ファンも)には涙モノだろう。
「燃えよペンかるた」はマンガ家を主人公にしたマンガ「燃えよペン」の内容(つまり現実のマンガ家生活にありそうなこと)をかるたにしたもので、かるた自体は付録で付いており、本誌には解説を掲載。内輪ウケにとどまらず、全体とおして一種の創作論になっているところがまたすごい。
(00.03024、滑川)
惑星Zi(ズィー)では人間と「ゾイド」という生体メカが共存して暮らしている。
主人公の少年・バンは、亡き父のようなゾイド使いになることを夢見ていた。
ある日、バンは砂漠で「人間と合体するゾイド」ジークを発見。相棒とする。そこへ「ゾイド嫌いのゾイド使い」レイヴンが襲う。慣れぬジークでの戦闘に苦戦するバン。そこにゾイドと思念を交流できる謎の美少女・フィーネ、盗賊アーバインなどがからみ、物語は謎が謎を呼んで展開する。
今のところあまりにも定石どおりなので今後の展開を見るしかないが(アニメでは相当話が進んでいるかもしれないけど未見)、100ページ以上費やして最初のゾイド同士の戦闘を描くところはなかなかナイス。さすがメカ戦中心の作品「鉄鋼闘機ガイラ」の作者といった感じ。
(00.03019、滑川)
「ななか6/17」(前編) 八神 健
特別読みきりの前編。美少女だが冷たくて嫌われ者のななかが、突然6歳の頃に幼児退行してしまい……という設定。
すわ、時代は幼児退行ギャルか!? と思ったがいまいち私の早とちりで、もうちょっと健全に初期設定を貫こうという話らしい。前編だけではなんとも言えぬ。
「バキ」 板垣恵介
独歩最ッ高~ッ!! こんだけ見せ場があれば、もう今回(死刑囚編)はリタイヤしても許せるような気がする。深読みかもしれないけど、愚地独歩というキャラクターそのものが、作者の空手に対する夢と現実を体現しているようでホントに興味深い。
大山倍達(梶原一騎の描いた大山倍達)をモデルにした格闘マンガのキャラクターは多いが、現役選手として描いて成功しているのは本作くらいではないか。もちろん大山倍達=愚地独歩ではないが。
「空手VS科学!!」っていうサブタイトルもすごい。
う~ん、中学生みたいに楽しんじゃってるよオレ。このマンガを。
「フジケン」 小沢としお
「ブス好きでカッコいい男」豊樹が女にフラれて悩む。「カッコいいだけに、その彼女にも周りの女からプレッシャーがかかる」、「その彼女がブスだとなおさら……」などあまりにありそうな話なので爆笑してしまった。
「オバコブラ」 園田ともひろ
「オバサンみたいな女子高生」、オバコブラが巻き起こす騒動を描くギャグマンガ、ということで先週からはじまった。初見だけどけっこう面白かった。私は好きだけどなァ。
「鉄鍋のジャン!」 西条真二(最終回)
今回で最終回。主人公のジャンは徹底的に憎まれ役の、「勝てば官軍」的キャラクターで、中華料理界をかき回していくというのは「ああ播磨灘」みたいな感じなんだけど、本作の最大の特徴は「決定的な勝敗の付かない『料理』というもの」に対して、「徹底的に勝負にこだわった」キャラクターを主人公に据えた点にあると思う。ジャンにとって勝負はことのナリユキではなく、勝負が目的で料理をつくっているのだ。
「頑固な店主」という、「うまい店にありがち」なイメージというのが一般的にいつ頃ついたかは知らないけど、テレビでやってた老舗の寿司屋は「お客さんと会話ができるように」とカウンターの内と外の敷居が低くなっていたし、賭け将棋のプロ・真剣師も恐い感じよりはむしろ気安いイメージの人が多かったとも言う。
要するにメシ屋もサービス業なので、そうそう愛想悪くしていられるはずがなく、「個人経営にありがちなワガママさ」と、「職人的無愛想さ」が混合されて「頑固なメシ屋のオヤジ」というイメージができあがったんではないかと勝手に考えるんだけど、それをどんどん突き詰めると、最終的には「ジャン」みたいなキャラクターになるわけだ。
本来なら「正義」側に立つ「心の料理」のキリコが敵側になってたりと、毎週ページをめくらせる勢いにはすごいものがあったと思う。
今度、もうちょっとHなやつが読みたいんですけど。どうでしょうか。
「がんばれ酢めし疑獄!!」 施川ユウキは、ちょっと波があるような気もするがすぐ浮上する。おもしろい。早く単行本出ないかなあ。「おやつ」 おおひなたごうは、もう安心して読める。ゴーゴー、ポスト藤子Fマンガ。
(00.03018、滑川)
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