つれづれなるマンガ感想文8月前半

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一気に下まで行きたい



・「プレハブラプソディ」全1巻 矢野健太郎(1986、ラポート)
・「バキ」(4) 板垣恵介(2000、秋田書店)
・「最終兵器彼女」(2) 高橋しん(2000、小学館)
・「青い空を、白い雲がかけてった」(1)〜(3) あすなひろし(1978〜81、秋田書店)
・「武天のカイト」(1) 鈴木俊介、蜂文太(1993、エニックス)
・「ザ・爆走列伝」(1)マッパ・ケン 雄樹慶(1989、ヒット出版)
・「ザ・爆走列伝」(2)レッド・ドラゴン・フライ 雄樹慶(1990、ヒット出版)
・「ザ・爆走列伝」(3)湘南武蔵 雄樹慶(1990、ヒット出版)







・「プレハブラプソディ」全1巻 矢野健太郎(1986、ラポート)

おすすめコーナー「矢野健太郎」ここを参照のこと。

(00.0815、滑川、02.0822)



・「バキ」(4) 板垣恵介(2000、秋田書店)

週刊少年チャンピオン連載。主人公・刃牙をはじめ最強を目指す格闘家が、運命に操られるかのように日本に終結した死刑囚たちと戦う話も単行本で4巻め。今回は、喧嘩やくざの花山薫と、死刑囚スペックが激突する序盤戦。

「バキ」になってから、格闘技マンガとして「どんな武器を使うかしれない」、「相手を殺してもかまわないと思っている」というもっとも制約のない敵が相手のため、先の展開が非常に読みにくくなっている。連載当初は展開の強引さに不安を覚えたが、実際の格闘になってからどんどん面白くなってきたように思う。その理由については、もっと本格的にバトルが描かれるまでの自分への宿題とします。

本巻のポイントは、梢江とデートしている刃牙をスペックが襲うシーン。格闘技マンガでは「だれと戦うか」が重要な点だが、ずっと前にプロレスラー・花田が謎の巨人にやられて対戦相手が変わったのと同程度の意表の付き方。またあまり出てこれなかった梢江も登場させることができ、刃牙との間柄の進展も描いている。

ナニゲに出てくる暴走族・柴千春もオイシイところを持っていっている。カンケイないがゴツいヤツほど名前が女の子っぽいって知ってましたか。柴千春、花山薫、別作品だけど岩鬼正美。
(00.0811、滑川)



・「最終兵器彼女」(2) 高橋しん(2000、小学館)

週刊ビッグコミックスピリッツ連載。ちょっとつっけんどんな感じのシュウジは、かわいいが気が弱くてドジっ子のちせと付き合っている。彼は、そのギクシャクした恋愛関係を続けながらも、最終兵器に改造されてしまい戦地に赴くちせの立場に翻弄され、何もしてやれない自分に対する罪の意識にさいなまれる。

美少女マンガで「お約束」になりつつあった「少女の純粋無垢」や「庇護される存在であるところの少女」にこれほど真っ正面に切り込んだマンガも昨今ないはず。
イノセントな少女。それは男にとって甘美にして自らを苦しめる魔性の存在なのです。

普通の日常マンガとしては現在なかなか成立しにくい純愛路線を、高度な比喩や、ディティールを大胆にぶったぎった設定によって描いている手腕にも驚くが、この巻では「Introduction あの日から、ぼくらは。」「交換日記(1)(2)」で、戦場でのちせが描かれていることに個人的には注目した。
飛行兵器形態に変形したちせもきちんと描かれていたし(このデザインも秀逸!)、そこでの兵士たちとの人間関係もほろほろと描かれる。本作を恋愛中心に見た場合、このくだりはシュウジとちせに降りかかる艱難辛苦を描いて読者の涙を搾り取るエピソードにすぎなくなるが、滑川的見解としては「今、現在の読者」の位置から「戦争」を考えたとき、その「戦場」は、「兵士」は、「今、現在」からどのようにつながっていき「リアル」に至るのか、に挑んだものと考えたい。

「戦争もの」は、史実を参考にしたもの、現在どこかの国で行われている戦争を描いたもの、自衛隊を描いたもの、現代人が特定の時代の戦場にタイムスリップしてしまうもの、小林よしのりの「戦争論」などさまざまなアプローチがあるが、どれもはっきり言って「今、現在」とは微妙なズレが生じてしまうのは仕方のないことだろう。

本作の「戦争」は、きわめて曖昧な部分と具体的な部分が交錯している。戦争勃発の理由は不明だが、空襲の轟音で鼓膜が破れてしまった友人がいる。その反面、戦争についての情報は登場人物たちには不明瞭で、これも一種のリアリティとなっている。ちせが戦場で行う大殺戮は曖昧でいて、凄まじいインパクトを持つ。
本作は、ふだん平和に慣れている一般読者が、ふとイメージしたときに頭に浮かぶ「戦争」の明瞭さと不明瞭さ、その双方を描いているという点において、さまざまな戦争についてのアプローチの中の、ズレを補正するひとつのかたちではあるだろう。

そして、恋愛モノの部分……シュウジが中学時代に関係をもった初恋の人ふゆみ先輩のエピソードも、しっかり読ませてしまうのだからタダモノではない。ちせの相談役・アケミの存在もお忘れなく。やはり恋愛モノは「ヒロインの友達」がお話を盛り上げられるかどうか、カギを握っていることだよなぁ。

・「最終兵器彼女」(1)

(00.0806、滑川)



・「青い空を、白い雲がかけてった」(1)〜(3) あすなひろし(1978〜81、秋田書店)

青い空を……

週刊、および月刊少年チャンピオン連載。中学三年生のツトムを中心に、幼なじみの女の子ヨシベエ、そして番長、担任の夏子先生の日々の生活を描いた青春マンガ。

ぢつはあすなひろしってほとんど初見です。それを断っておきます。

本作はコメディ的展開をまじえながら、恋や受験に頭を悩ませるツトムの青春をしみじみと描いている。トーンをほとんど使わず、また白黒のコントラストがはっきりしたシャープにして暖かみのある絵柄は独特で、少年マンガの絵柄の系譜から言うとかなり異質な部類に入るのではないかと思う。それだけに、今見ても古さをあまり感じない。

個人的に気になってるのは本作連載当時の少年マンガ状況。とくにチャンピオンは、この他にも「すくらっぷぶっく」(未読)、「ふられ竜之介」、「750ライダー」などの青春マンガを連載しており、これらはサンデー・マガジン系の「ラブコメ」とは異質なものだったと思う。
思えば柳沢きみおも村生ミオも、ギャグからの転向組(後年のまつもと泉もそうだ)で、ラブコメが「コメディ」であることを再認識させられるのだが、チャンピオンの一連の「青春もの」は、そうした作家群より少女マンガ色が強いような気がする。
もしかしたらこの路線は少年ラブコメにはほとんど継承されなかったのではないかともふと思うが、この辺の謎(?)が解ければ、少年ラブコメ生成の秘密が多少は(私にとって)わかるような気がするがどんなもんでしょ。

物語は、ツトムやヨシベエのなんてことない日常をユーモラスに、またいずれ消え去ってしまう青春時代としてはかなく描いていて、一貫したドラマがあるわけではない(少なくとも3巻までは。何巻まで出ているのか?)が、初期の読みきりシリーズだった頃はもっとおはなしが重視されていた(毎回「リョウ」という名の転校生が来ては去っていくというパターンはふるっている)。
そんな中、最大の傑作は「風を見た日」ではないかと思う。
勉強勉強と気詰まりな生活を送っている転校生・大木亮(おおき・りょう)が「風を見た」と言って精神病院に送られてしまったために、ツトムたちが抗議するという話だが、とにかくラストは言いようがない哀しみと美しさに満ちている。

あと特筆すべきは、ツトムの幼なじみ・ヨシベエだろう。
決してカッコいいとは言えない少年ツトムにくっついて歩き、モーションをかけるのだがサッパリ相手にされず、ツトムとケンカしたり、ときにはスネて知らん顔したりといった元気な女の子。
昔の少年マンガには必ずこうした幼なじみの女の子が出ていたが、現在はどうなのであろうか?
藤子・F・不二雄や石ノ森章太郎のマンガにもこのテの幼なじみが出てくる。「ハリスの旋風」のおチャラや、ドラマの柔道一直線にも出ていた記憶が。アムロにお節介をやくフラウ・ボゥもそうだった(例が古くてスイマセン)。

ロコツに都合のいい女性キャラのような気がして気恥ずかしい部分もあるが、本来は男側がヒーローだったのが等身大のキャラクターになったためバランスが悪くなったのか、作者が本当にモテるタイプだったのか、何らかの理由でパターン化したものだろう。
これがさらにカリカチュアライズされて「SFおしかけ女房モノ」になったかどうかは、私にとっては謎である。「うる星やつら」で言えばしのぶに相当する位置づけなんだろうけど。
(00.0805、滑川)



・「武天のカイト」(1) 鈴木俊介、蜂文太(1993、エニックス)

カイト

たぶん少年ガンガン連載。西暦2600年代、世界大戦や天変地異などがあって、けっきょく世の中は暴力だけが支配することになってしまった。用心棒をする咬竜掌の使い手にして美少女・マナのもとにやってきた謎の少年・カイト。彼は見たこともない武術を使い、敵を圧倒する。彼こそが幻の流派・武天眼流の至高伝承者なのであった。

まずは表紙絵の後ろの方を見てほしい。見にくいかもしれないが、過剰なまでにムチムチな女の子、コレがマナなのだが、とにかく他のキャラクターといちじるしくバランスを崩してムチムチなのである。で、「えっちなマンガなのでは……」と思い「ジャケ買い」(中学生買いとも言う)した。
結果は、確かにお約束なサービスシーンは出てくるものの、「北斗の拳プラスドラゴンボールプラス格闘ゲーの影響濃厚」な熱血マンガであった。一見ドラゴンボールのバッタものに見える本作、読んでみると「血の流れ」をコントロールして技を繰り出す「武天眼流」の基本コンセプトや、「脂肪と肉の神々」を崇め、スモウを神に捧げる儀式として続けてきた悪人格闘家集団「スモブロス」、スモウをやる美形キャラクター「オオゼキマイケル」などなど、けっこう面白い。

どこまでホントか知らないが昔ガンガンは「少年ジャンプ的なものを目指していた」らしいが、そういう意味で言えば「往年のジャンプ的」要素を消化した作品であると言える。(00.0804、滑川)



・「ザ・爆走列伝」(1)マッパ・ケン 雄樹慶(1989、ヒット出版)
・「ザ・爆走列伝」(2)レッド・ドラゴン・フライ 雄樹慶(1990、ヒット出版)
・「ザ・爆走列伝」(3)湘南武蔵 雄樹慶(1990、ヒット出版)

爆走列伝

謎の暴走族マンガ家・雄樹慶の単行本、1冊につき1話完結形式のシリーズ。積ん読だった「騒乱爆笑族」に手をつけてからすぐに第1巻をゲットできるとは、コレもシンクロニシティであろうか?

第1巻「マッパ・ケン」は、「マッハIII」(通称マッパ、そういう種類のバイクが本当にあるかどうか知らん)を愛する暴走族特効隊長・風間を慕うがゾクは大嫌いなケンの物語。

星山ケンはバイク屋に勤める少年。バイクは大好きだが、それを荒っぽく扱うゾクは大嫌い。しかし、なぜか暴走族「覇王」の風間先輩だけは、バイクを大切に扱うので慕っている。
覇王は「白虎連」との抗争を繰り広げていき、ケンはいやがおうでもその流れに巻き込まれていく……。

3巻の中ではもっともシブい作品。実録風の出だしといい、耐えて耐えて最後に風間のマッパを駆って白虎連をやっつけ去っていくケンのカッコよさといい、非常にメチャシブな展開となっている。とくに、白虎連との戦いで重傷を負った風間のメチャクチャに壊れたマッパを、「バイクが直れば先輩もよくなるような気がする」と思い必死で修理するケンは泣ける。

爆走列伝2

第2巻「レッド・ドラゴン・フライ」は、たった一人で関東狂走連合に立ち向かう、左腕に赤トンボの刺青を持つ少年・ジョージが主人公。
惚れた女・真理亜が総長の彼女だったためにトラブルに巻き込まれるジョージ。しかし彼は、総長と別れたがっている真理亜を救うために神出鬼没の攻撃を展開する。
このレッド・ドラゴン・フライの伝説をトラックの運転手になった当時を知る男が回想するという趣向は凝っているが、ラストがあまりにバレバレなのが残念。

第3巻「湘南武蔵」は、湘南を守り元恋人・智子の心を取り戻すためにゾクになった漁師の少年・ムサシが主役。
マグロ漁船に乗って1年経って戻ってみたら、智子はグレて暴走族の彼氏とつきあうようになってしまっていた。そこで自分から暴走族の抗争の世界へ飛び込んでいくムサシ。全体的にムサシと智子のラブストーリーを中心に描いた作品。
もともと覗きが趣味だったムサシの友人たちが、最後に海岸で結ばれるムサシと智子を覗いているところで終わるという、雄樹慶お得意の映画的(……というかどことなく70年代の東映的)な趣向がキいている。

雄樹慶のゾクマンガは、妙に映画的な構成なのが特徴。おそらく東映実録任侠映画のファンと思われる。そしてどれを読んでも「底辺のリアリズム」とでも言うようなものが横溢している。とにかく登場人物はラストで普通以上の境遇に引き上げられることはないし。
しかし実体験ぽいリアルな部分、作者が「実録任侠モノ」が好きそうな胡散臭い演出、そしてマンガ的展開と、おそらく他のメジャーゾクマンガと揃えている要素は大差ない。
何が違うかといえば、やはり最終的に作者が意図せざるほどに暴走族および元暴走族の日常に物語が帰着するところだろう。「日常へ帰れ」とか言うけど、まっちょうじきに描いたら日常ってこうなる。よくも悪くも。

・「実録 爆走族」
・「族 レディス忍」
・「湘南バトルボーイズ」

(00.0802、滑川)

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