つれづれなるマンガ感想文7月後半

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一気に下まで行きたい



・「騒乱爆笑族」(1) 磯部金吉&雄樹企画(1988、ヒット出版)
・「いのちの牙」全2巻 葉山伸、峰岸とおる(1986、徳間書店)
・「B級学 【マンガ編】」 唐沢俊一(1999、海拓社)
・「TOKYO TRIBE2」(4) 井上三太(2000、祥伝社)
・「直撃! 人類滅亡超真相」 山本弘、寺嶋としお(2000、秋田書店)
・「がんばれ酢めし疑獄!!」(1) 施川ユウキ(2000、秋田書店)
・「少年エースA 97年6月号」(角川書店)
・「リングにかけろ2」(1) 車田正美(2000、集英社)
・「湯けむりスナイパー」(3)〜(4) 松森正、ひじかた憂峰(2000、実業之日本社)







・「騒乱爆笑族」(1) 磯部金吉&雄樹企画(1988、ヒット出版)

騒乱爆笑族

暴走族ポピンズのイソベ金吉とその家族、仲間などが登場してイロイロやる4コマギャグマンガ。
作者の「磯部金吉」という人については浅学にしてわからず。「雄樹企画」に関しては、「湘南爆走族」以上にプリミティヴでリアルな暴走族マンガと言われる実録 爆走族、「爆走族」サーガの中の重すぎるワンエピソード族 レディス忍、そして「浜 連太郎」の別名を使用したと思われる湘南バトルボーイズの作者・雄樹慶だと思うので、彼(彼女?)の変名かもしれない。

後は何のデータも持たないので想像するしかないのだが、本作は「暴走族を題材としたドウデモな4コママンガ」であろうという予想はしていた。事実、「あんパン(シンナー)だと思ったら本物のあんパンだった」など、ネタをまったく調理していないものも見受けられるのだが、意外にも? いがらしみきおにインスパイアされたような(それが成功しているかどうかは別として)作品もある。
さらに「アタリマエの4コマを狙った結果よくわからなくなった」作品も存在し、 これなんかはその部類に入るんじゃないかと思う。まあ「イソベの顔が怖い」というキャラクターネタなのだが、とくにイソベ金吉は「顔は怖いが気が弱い」という設定でも何でもないため、ここでアッサリ引き返す理由がゼロとなり、読者には逆に不可解なマンガとなっている。
他にも、「憧れのモモコちゃん(しかし当時のヤンキーの憧れはたいてい菊池桃子なんだよな)をホテルに連れ込んだはいいが眠り込んだ彼女のパンティを見ながらオナニーにふける」というさらなる不可解作品も見てとられる(イソベ金吉が純愛嗜好だとか、いざとなったらデキなくなってしまったなどの心理描写はまったくない)。
要するに「うまくない」と言ってしまえばそれまでだが、予定調和な「コボちゃん」的世界を予測すると、中途半端に裏切られることになる。

なお絵柄や作風にバラつきがあるため、「雄樹企画」という名前からしても、ネタを集団で考えているのではないかとも予想してみたが、当然真相はわからない。
またエイズネタの4コマが1本あるが、さすがにこれは危なすぎて言及もできない。
しかし当時の一般人の認識はこんなものだったのだ。
(00.0729、滑川)



・「いのちの牙」全2巻 葉山伸、峰岸とおる(1986、徳間書店)

いのちの牙

A級特別少年院に送り込まれた少年・命一樹(いのち・かずき)が、そこで行われていた恐るべき陰謀に立ち向かうアクションマンガ。

命一樹は太極拳か気功に似た不思議な体術を使う少年。彼は罠にはまりA級特別少年院に送り込まれる。そこは少年を更生させる施設ではなく、悪のエリートを養成する訓練機関だった。
命は仲間に助けられながら、宿敵・院長を倒すために立ち上がる。

「マンガを読むことが日常化してしまった」状況においてのマンガ、何かが起こっているようで何も起こった気がしないような静的なマンガ。ひと言で言ってしまえば「簡素な男組」という印象の作品。70年代から80年代後半の劇画は、ほとんど発掘が進み、(掘り出されたという意味での)名が通ってない作品は読むとその理由がそれなりにわかるところが悲しい。本作も「ふつうのアクションマンガ」の域を出ていない。もうちょっと派手めのギミックが欲しかった。

それに命の使う体術は最後までなんだか謎だ。彼の素性も……。いったいなんだったんだ?
(00.0729、滑川)



・「B級学 【マンガ編】」 唐沢俊一(1999、海拓社)

マンガ評論集。1年も前に出た本で、とくに第1章の「東大講演」についてはすでに読んでおり、その内容をときどき思い出しては心の中ではんすうしていた。
今まで通読していなかったのは、本書で取り上げられているマンガ「バタアシ金魚」を読んでいなかったからという単純な理由による。本書での取り上げ方は「湘南爆走族」との対比で80年代後半のヒーロー像を探るというものだったから、これは事前に読んだおかないといかんな、と思ったのだ(あと私は高岡早紀ファンなので、せめて彼女の代表作である映画の原作くらいは読んでおこう、とも思っていた)。

全体の構成としては筆者のマンガに対する基本スタンス、「B級学とは何か」という総論的な東大講演と、内田春菊横山光輝唐沢なをきなどの作家論、それとガロに掲載されたいくつかの文章とから成っている。

なぜ第1章の東大講演についてときどき考えていたかというと、筆者の「B級」に対するスタンスが(おそらく書籍では初めて)総論的に論じられたということ、それが今までのマンガ評論における、私の乏しい知識からすれば「アート、文学的スタンス」、「作家中心主義」、「個々の作品主義」という「常道」とほぼ逆転した視点であったこと、による。
「B級文化とは、一つひとつの作品の出来ではなく、それら同系統の作品を観つづけることで生まれる共同体文化のことをいうのである。」(本書P16、「序章 B級学宣言」)

最近トシ取ってきて、このまま孤独におちいったらどうしようとか私はそんなことばかり考えているが、その際、「同系統の作品の集積としての共同体文化」というのはかなり重要なものになるはずだとの予感がある。そもそも文化活動というのは純粋な創作物を制作し続けることは才能がなくてはできないし、知識の集積が「教養」として活かされる(それは毎日楽しく過ごせるというほどの意味で)には、おのれのスタンスをどう取るか、が重要になってくるとも思っている。このため、完成度が非常に高く受け手の「参加」を寄せ付けないA級のものより、「B級」なものから個人的に目が離せないのだ。

また、本書収録の横山光輝論も1年も前にざっと目を通しつつ、ときどき漠然と思い返していた。
「これまでのマンガ評論が横山作品をほとんど無視するという救いがたい誤りを犯していた一番の原因は、マンガ評論が、マンガのおもしろさを語る言葉を開発する努力をしてこなかったためである。マンガを評論するのに、文学や絵画を批評する言葉を借りてきていた。その結果、マンガ独自のおもしろさではなく、マンガの中に含まれている文学性や芸術性のみが過大に取り上げられる結果となった。
マンガでなくては表現できない、マンガ独自のおもしろさにあふれた表現をあらわす言葉を、いまだ我々は完全に持ち得ていないのが現状なのである。」(本書P180、「横山光輝 アルチザンの光と影」)

オタク、マニアとそうでない人との差はいろいろあると思われるが、ひとつの見方としては作品をソレを鑑賞するのみにとどまらず、「語りたい」ということがあるのではないか。それも通り一遍ではない、何かを含んだものとして語りたい、ということがあるのではないかと思う(まあいわゆる「言うだけ番長」ってコトでもあるが)。

渡辺満里奈がおニャン子時代、「今どんな悩みがありますか?」と聞かれて「枝毛があること」と言ったことに当時高校生だった私は大いに衝撃を受けたが(注:満里奈ファンだったわけではナイ)、そんなクダラナイ話するのだけはイヤだ、と思いつつ青春時代を過ごし、あまりの砂を噛むようなクダラナイ話の連続コンボに「むしろ人との『枝毛があること』というようなどうでもよさげな会話に話を合わせることこそが、私がやるべきことだったのではないか」という激しい後悔の念にとらわれはや3年。
それでも「そうは言ってもなぁ。いまだにマリックの超魔術を超能力だと思っているようなヤツに、つきあいきれねぇよ」とも思ってみたり。まあ悶々としてます。

つまり、何が言いたいかというと、「作品について語る」ときに必要になってくるのは「横山光輝的なマンガの面白さを語ることができる言葉」なのではないかということだ。(B級文化の、マンガに限った話にすれば)マンガ独自のおもしろさを語る言葉を獲得すること。それが、別に作家でも評論家でもない私が、末永く「作品について語りたい」というおこがましい欲望を満たし続けるための第一歩なのではないかと。そんな気がするのだ。

無駄話の背後にも思想、イデオロギーが必要だというのが私の個人的見解なんで……。

本書に個別の作家論が載っているのは「同系統の作品の集積としての共同体文化」という大枠から一見矛盾しているように見えるが、論理展開はあくまでも時代状況やさまざまな周辺文化と作品との関連という視点をはずさない(横山光輝と紙芝居、望月峯太郎とスポ根、および都市伝説との関係など)。

一見カウンターカルチャー的な意味合いばかりが注目される「B級なもの」を、大状況から論じた(と思う)1冊。

あと、装丁カッコいいです。
(00.0728、滑川)



・「TOKYO TRIBE2」(4) 井上三太(2000、祥伝社)

TRIBE2

BOON(ストリートファッション雑誌)連載。「東京」とは少し違う「トーキョー」。そこにはチーマーがより武装化した存在「トライブ」として巣くっていた。ムサシノSARUのメンバー・海(カイ)は、ブクロのWU-RONZのボス・メラとかつては親友同士だったが、ささいなことから一触即発の状態となる。 さまざまな人間の思惑を巻き込んで、抗争はどんどん大きくなっていく気配……。

3巻の感想にも書いたが、ストリートファッション、しかも近未来的な架空のアイテムが満載されいてるのでソッチ関係に興味のない人には敷居が高いかもしれないが、こういうとミもフタもないけど実に面白い「ヤンキーマンガ」である。
「元SARUのOB」であるおやっさんレンコン・シェフが飲み屋をやってて、乱暴な若い衆を一喝するところなんかは、ベタというより「こうこなくちゃ!」って感じなんだよね。

3巻からあらためて読み直してみると、「都営13号線」工事中の地下通路が戦いの場になっていたり、街中でよく見かけるささいなアイテム(電信柱に付いている住所のプレートなど)を(たぶん)CGを使って詳細に描いていたりして、「ありそうでない、ないようである」架空の街での抗争に緊迫感をもたせている。

この巻からさらに話がデカくなる予感。

巻末の、キャラクターが推奨するおしゃれグッズもけっこう面白い。
(00.0727、滑川)



・「直撃! 人類滅亡超真相」 山本弘、寺嶋としお(2000、秋田書店)

週刊少年チャンピオンに、不定期に掲載されていたモノが1冊にまとまった。

なんでも信じてしまう少年・宇野見信治が、毎回いろいろなことを本やテレビで知ってパニックになり、幼なじみの天才美少女科学者・元村しいながその真相を解説するというのが基本パターン。「ノストラダムス」、「UFO&宇宙人」、「地球大異変」の3話から成っている。

・「直撃! ノストラダムス超真相」
「ノストラダムスの大予言」を読んでパニックになった信治がしいなとともにタイムマシンでノストラダムスの時代へ飛ぶ。おそらくマンガ史上、初めて「等身大のノストラダムス」が描かれた話。
基本的に「博士と助手」パターンで、学習マンガ的細かさ(ネームの多さ)もあるし、オカルトネタを論じるのにタイムマシンが登場してしまう矛盾? もそのままぶっちぎってしまうのだけど、やっぱり自分の子供や国の未来を憂い、自分の予言がはずれて「そいつは めでたいっ」と叫び、1999年にペストはほとんど姿を消したことを知って「1999年は……未来は なんと素晴らしい時代なんじゃ!」と言うノストラダムスにはホロリとするよなぁ。
またノストラダムスは「化粧品とジャム論」を刊行しているなど、豆知識もおもしろい。

・「直撃! UFO&宇宙人超真相」
宇宙人が侵略者だとして恐れる信治と、宇宙人は救世主であると信じる「UFO神仙の会」会長・室町秋穂が、しいなにどちらが真実かを問いつめる。
単に「宇宙人はいない」という説明ではなく、人間が「宇宙人に何を求めているのか」がテーマになっているところが深い。また、「救世主派」の室町秋穂が「もし宇宙人が救世主なら、そのお手伝いがしたい」と素直に思っているところもミソ。まぁこれはラストの伏線なんだけど、素直で純粋な子ほど見果てぬことを信じてしまう場合もあんだよね。で会の名前が「UFO神仙の会(もちろんオウムの前身「オウム神仙の会」からのもじりだろう)」となると、考えさせられちゃうなぁ。
ネタバレになるので大筋は置いておくとして、UFO伝説のモトとなったケネス・アーノルド少佐の目撃した「空飛ぶ円盤」が円盤ではなく、円盤以上に珍奇なかっこうをしていたこと(小さくイラストが載ってる)や、いわゆる「グレイタイプ」の宇宙人は映画「未知との遭遇」以降に急速に浸透したものだろうと勝手に思っていたら、すでに40年代からそれに近い宇宙人がマンガや映画などにかなり登場しているなど、意外なことも多く書いてある。

・「直撃! 地球大異変超真相」
感想は基本的にチャンピオン掲載時にこちらに書いたとおり。
今読み返すと、タイムマシンのデザインが「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」にのっとって(多分)機関車風になっていることに気づいたりする。

本作は、私があんまし好きじゃない「MMR」に対抗する作品としておそらく企画されたんだろうと思うが、それだけでなんかワクワクするものがある。つまりマッチ・メイクのワクワク感があるシリーズでした。

なお原作は「トンデモ本の世界」の山本弘、作画は以前チャンピオンで、霊媒のギャグマンガを描いていた寺嶋としお。「初期高橋留美子」って感じの珍しい作風だったが、どんどん描く女の子がかわいくなっている。室町秋穂は帽子がカワイイ。しいなは、原作ではもっともっとドライな雰囲気だったのではないかと予想するがいかがなもんでしょうか。表情やしぐさで色っぽくしている。
(00.0725、滑川)



・「がんばれ酢めし疑獄!!」(1) 施川ユウキ(2000、秋田書店)

週刊少年チャンピオン連載の不条理4コマギャグマンガ。

……いわゆる「不条理4コマ」って説明がむずかしいよな。

本作のギャグの構造は単純で、ボケ→ツッコミ。「○○かよ!!」とかのツッコミで終わる。1コマもあるがこれはボケだけという感じ。このボケの部分がいわゆる「不条理」というわけだな。
でも「何をもって不条理とするか」ってムズカシイよな。ギャグってすべてが不条理だと言えるわけだし。
しかもギャグマンガって笑ってナンボなのに、そうしたことの説明原理みたいなものを考えるとちっとも楽しくなくなってくる。なんかぜんぜん別の次元に移行しそうだ。また、「笑える笑えない」を話し合うのも不毛だよなぁ。

少なくとも本書は私はオススメだ。

「説明」についてあまりに考え続けて深みにハマると、とんでもなく的はずれなレビューが登場してしまうことにもなる。
私の目撃例としては、情報誌に書かれていた松本人志のライブ「寸止め海峡」のレビューでまったくストーリーのないものにムリヤリ自分でつくったあらすじをつけていた例、ケラの芝居(不条理ものだがギャグを狙いとしないもの)に対し「まったく笑えない」と解説したものなどがある。
……などと関係ないこと書いて誤魔化してみた。

ところで、普通このテのマンガってA4で出るのが普通なのに、なぜかB5のふつうのチャンピオンコミックスで出てる。4コマで約200ページってのはすごい読みでがあるよー。同誌連載の4コマ「グルームパーティー」(川島よしお)もこのサイズだっけ? 忘れた。
(00.0723、滑川)



・「少年エースA 97年6月号」(角川書店)

本HPが、いかなる意味においても情報の即時性とは無縁であることのいい例として、2、3年前の少年エースAをとり上げる。なぜなら、ずっと積ん読になったまま読んでいなかったのを、最近読んだからだ。

・「私立樋渡高校COMICS」(広瀬けいた)
マンガ研究会の面々が繰り広げるドタバタギャグ、って感じのもの。ちょっと今回読んだだけでは面白いかどうかわからないんだけど、まとめて読んでみたいとは思った。

・「めざめよ! はにわ先生」(佐藤よしひろ)
遺跡というか古代人や動物キャラが学校に行っててドタバタする4コマギャグマンガ。絵がスゴクかわいい。

・「車田塾」
本誌に「B’T X」を連載している車田正美のお便りコーナーみたいな企画。
今月は、島本和彦がパロディマンガを載せているのが面白い。……というか、こんだけ堂々とパロディ描いていることを知らなかった私。勉強不足ねテヘ。
同人誌を出していることに驚いたが、すでにこういうことやってたんだね。
(00.0721、滑川)



・「リングにかけろ2」(1) 車田正美(2000、集英社)

SUPER JUMP連載。80年頃、爆発的人気を誇った宇宙的ボクシングマンガ「リングにかけろ」の続編。すっかりグレきった剣崎順の息子・麟童が、新しい日本Jrチャンピオンとして立ち上がれるかどうかを描く。

「日本はいつからこんなダセエ国になっちまったんだ」
「タ……タトゥー!! 刺青」
「男の拳ってのは人を殴るためにあるんじゃねえ 夢を掴むためにあるんだからよ……」

まぁ「リンかけ」以後、車田正美にヒット作がなかったわけではないが、「リンかけ」以来久しぶりに本作を手に取った人も多かろう。そういう人には涙モンのセリフ、キャラクター、展開。
麟童の父親代わりが石松、ってのもイイし(考えてみると「WEED」でもお調子モンのスミスが前作との橋渡し役)、最初にドイツチームの息子たちが出てくるのもイイ(深読みだがナチっぽい彼らは優生学とかってすぐ子供つくってそうだし)。

車田正美のまえがき、あとがきも燃えるものがある。「たとえ時代遅れといわれたって、このまま行くしかねえんだ。」という言葉には、単行本の解説にさえ「少年漫画の地平を見てしまった」と書かれ、「この人、この後何描くんだろう」と読者にも思わせたギリギリのところで勝負してきた作者だからこそ重みがある。

ただし、「WEED」の感想でも書いたが、予想外に時間を置いたパート2作品は滑り出しがむずかしいようだ。
前作から現在までのギャップを描くことに紙数をついやすからか、旧キャラと新キャラを両方描かねばならないからか、それともある程度の長期連載が約束されているので(まさかこのテの企画で「10回で切る」なんてのはないだろう)、スロースタートなのか。とにかく1巻だけでは少々食い足りないことも事実。

個人的には、前作のようにいい意味でメチャクチャやって宇宙へすっとんでいってほしいです。
(00.0720、滑川)



「湯けむりスナイパー」(3)〜(4) 松森正、ひじかた憂峰(2000、実業之日本社)

湯けむり

漫画サンデー連載。山奥の温泉宿・椿屋に従業員として就職した、わけあり中年男・源さん。彼はかつて凄腕の殺し屋だったが、その血塗られた生活に嫌気がさし、引退したのだった。彼はその腕っぷしでチンピラをブッ飛ばしたり、美人女将の冴子にホレられたり、近くに住む元ストリッパーの中年女に「やるときはやる」プロ根性を見て、奇妙な共感を持ったりする。
しかし話の大枠は決して逸脱しない。忙しい温泉宿の毎日は続く。

筋立ては基本的に1、2巻と変わらず。
ただし源さんの隠遁生活のエピソードは一巡し、今度は温泉宿・椿屋の従業員やその周辺の人々の過去が描かれていく。椿屋の番頭・捨吉(イイ人)や仲居の由美ちゃん(カワイイ)など。
だがそれも決して複雑だったりミステリ的興味を持ったものではない。むしろマンガ的にはありがちな過去、である。

だけれでも(おそらく)原作がシンプルで絵が細密、というのがマッチしているのか、変にイヤな気持ちにならずしみじみとする。
源さんの仕事は忙しいがやりがいがあり、周囲はみんなイイ人。女の子にはモテモテ。
それでいて、あくまでもストイシズムを美学とする。禁欲を貫くのも、男の願望のひとつである。

柳沢きみお「夜の紳士」とはある意味対照的な「中年願望充足マンガ」と言えるだろう。 (00.0719、滑川)

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