つれづれなるマンガ感想文9月後半

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「つれづれなるマンガ感想文」10月前半
一気に下まで行きたい



・「新・ミーコメタモルフォセス」 (1)たかはしちこ(1987、1993、アップルBOXクリエート)
・「新・ミーコメタモルフォセス」 (2)たかはしちこ(1995、アップルBOXクリエート)

・「美少女グルメ」 阿宮美亜(1987、東京三世社)
・「ウルトラ兄弟物語」 全5巻 かたおか徹治(1979〜82、1998、99、双葉社)
・「イッパツ危機娘」(1) 原田重光(1998、講談社)
・「Greatest Hits+3」 よしもとよしとも(1998、双葉社)
・「コロコロコミック10月号」
・「パチンカーワールド」10月16日号(白夜書房)
・「政権伝説 橋本龍太郎の妙な冒険」滝季山影一(1998、青林工芸舎、およびコミケット)
・「超力戦隊 オームレンジャー」 冗談社のテレビえほん(1995、「政権伝説」収録)
・「コミッボンボン9月号」
・「ヤングマガジン」41号(講談社)
・「ヤングマガジン」40号(講談社)



【同人誌】

・「新・ミーコメタモルフォセス」 (1)たかはしちこ(1987、1993、アップルBOXクリエート)
・「新・ミーコメタモルフォセス」 (2)たかはしちこ(1995、アップルBOXクリエート)

同人誌即売会コミティアで購入。
かなり前、「コミックボックス」だったか「美少女症候群」だったかで絵柄だけ拝見し、一度読んでみたかったマンガ。87年に、アニメージュコミックスから「みーこメタモルフォセス」としてメジャー出版されているそうだが、寡聞にして知らず(なにせいちばんマンガを読んでいなかった時期だしなぁ)。

イキナリだが、ペリー&キングスレイのアルバム「ジ・イン・サウンド・フロム・ウェイ・アウト!」(キングレコード、1993)のライナーに、
「限りない宇宙への憧れ、プリティーな未来感、
新しさへのときめき−−みんなスウィッチを
切られてしまった。でも、だからどうだってのさ!?」

とある。

今からもう6年も前、おりしもクラブ&ダンス系のテクノ・ブームが盛り上がり、その流れの中での温故知新がコンセプトかどうかは知らないが、「ペリキン」のCDが出た。それはムーグというシンセサイザーのポピョポピョした音や子供や動物の声をテープ編集によってサンプリング、たまらなく楽観的でユーモラスで、未来チックな音楽。上記の文章は、30年以上前の、アチラさんのオプティミズムが横溢したサウンドの解説文だった。
「スウィッチを切られてしまった」って表現が、妙に頭に残っている。

ペリキンの音楽が想起させる、「楽観的な薔薇色の未来」を「郷愁の、来なかった未来」として「オタキング」岡田斗司夫氏が書籍や同人誌を通じて「語る」にはこれよりさらに5年近い歳月を待たなければならなかったかと思うと、「薔薇色の21世紀」イメージの残滓を受け止めていた尻尾の世代としては感慨深いものがある……なんてのはまた別の話だが、別の話としても泣けてくるわなうんうん(むろん、私は郷愁にせよ「薔薇色の21世紀」イメージの復権を望むものである。せめてイメージの中でくらい……)。

本書は(やっと本書の話かよ……)、同人誌に十数年にわたって描きつがれてきた「ミーコと良太」の物語を1冊にまとめたものである。

浅学にして80年代の同人状況、および80年代からの「流れ」が現在にいかなるつながりがあるのかサッパリわからないのだが、少なくとも、本書にはごく個人的な話ではあるが滑川的に「みんなスウィッチを切られてしまった」郷愁をたまらなく感じるのだった。

片岡美江子(ミーコ)は15歳の女の子。お隣の「おにいちゃん」、大学生の海野良太に家庭教師をしてもらっているが、良太のことを異性として意識している。

そんなミーコに妖魔が宿り、ある日「ネコ耳ネコしっぽ」が付いてしまう。突然のことにミーコは悲しむが、安心させてやろうとなぐさめる良太となりゆきで結婚することになる。大好きだった「おにいちゃん」と結婚できるので、とりあえずネコ耳のことは忘れてはしゃぎまくるミーコ。
だが妖魔退治の専門家、「阿部一族」の攻撃にさらされ、幼い頃役の小角から修行を受けて超能力のようなものが使える良太は、彼らを迎え撃つのだった。

……というような「本筋」を縦糸に、ミーコと良太のラブラブ話が読みきり形式ではさまるような感じのマンガである。

本書で確認できるかぎり最古の作品が83年となっている。本作には「ネコ耳」「ロリコン美少女」「超能力」「伝奇的設定」などの80年代的要素がある。発表年度がはっきりすれば、描写やテーマの展開の仕方と時代性みたいなものを比較できるのだが、とりあえずは、作者がファンだという横山光輝や、少女マンガ、ロリコンマンガなどの影響を見ることができる。

ある意味、80年代を通じてさまざまなところで描写されてきた「スタイル」の集大成のひとつ、であるということもできるだろう。

まぁひと口に「ネコ耳」とか「ラブコメ」とかいってもいろいろあるのでいちがいには言えないが、本書の「良太とミーコの関係」は、少なくとも同時代の「少年ラブコメ」とはほぼ無縁であると考えていいだろう。

良太は20歳だがしっかりしていて、超能力を持っているため裏世界の事情も把握している。そして無邪気でイノセントなまま自分を愛するミーコを、本気で守ろうと思っている。
そしてミーコが15歳なので、両家の承諾のもとに結婚式はあげたものの、16歳になるまで一線を越えないことを誓っている。

「ロリコンブーム」と言われた頃、「ロリコンはマザコンの裏返し」「自閉的」「ヘンタイ」等々、いろいろな批判があった。それらが本当にそうなのか、または個別の作品論をすべきなのか、時代状況を考えるべきなのか、細かいことはわからん。

だが、少なくともロリコン〜二次コンブームの火付け役のひとつと思われる「うる星やつら」では諸星あたるという男、浮気者で無責任男ではあるが、女の子に何かを依存することは決してなかったように思う。
そして本作の良太も、ラブコメ風マンガの主人公とは思えないほどしっかりしている。

「少年ラブコメ」の男の子が徹底して「優柔不断だった」ことであるのとは対照的に、「ロリコンマンガ」あるいは「いわゆるロリコンが好みそうなマンガ」の男の子たちは、まだ「男」の部分を残していたといえなくもない。
むろん、それが解体しつつあった家制度の尻尾の裏返しであったとしてもだ。
……なんかつまらない話になっちゃったな。

それにしても、90年代の「ああっ 女神さまっ」と比べても、男の存在感がまだしもあったことは確かだと思う。
これで私が半可通の(この「半可通の」はむろん「私に」にかかるのだよ)フェミニズム的に、「うる星」より「女神さまっ」の方が後退している、などというツマラナイ結論には持っていきたくはないが、類型的ではあっても、軟弱の見本みたいに言われてきた「ロリコンマンガ、美少女マンガ」に出てくる男性像が必ずしも内向的でも自閉的でもなかったってことは再考の余地があるだろう。

その後いろんなことがあり、滑川的には「ネコ耳美少女、超能力、
『健全なダンディズム』−−みんなスウィッチを切られてしまった。」
などとつぶやいてみたりする。
でも、だからどうだってのさ!? 10年経ってわかることもある。切られたことで見えてくるものもあるってことでちゅよ。

  最後に、本書を「郷愁」の一言から感想文を書いてしまったが、私自身は表現の古い・新しいを、実際の流行を見つめつつ「古いからダメ、あるいは古いからよい」、という価値基準で見ているつもりはないことはつけくわえておきます。だいたい、何が古くて何が新しいのよ。

あ、それと私マジで「ネコ耳」にはそれほど思い入れないので。
(99.0930、滑川)



・「美少女グルメ」 阿宮美亜(1987、東京三世社)

漫画エキサイト号、漫画大悦楽号などに掲載された成年コミックの作品集。
阿宮美亜の魅力であるところの、劇画的美少女とあっけらかんとしたH、そしてナンセンスギャグと社会風刺をにじませたプロット、という特徴がいかんなく発揮された短編集である。

たとえば「愛国ミュージカル」
公家スタイルの(おじゃる丸か?(笑)ウソ)教師、綾小路としりとり合戦を繰り広げる由貴

「ろ、狼藉!!」「亀頭」「う、嘘〜〜〜〜〜ッ」「挿入」「馬並みッ」「ミミズ千匹!!」「強烈!!」「突く!!」「クリト●ス!!」「ス●ルマ」!!
……と、えんえんとしりとりしながらHする。

同じようなパターンとしては、サエナイ中年教師が、美少女と「俳句で会話してみよう」とする「おフェラ天使」
「どうですか? あたしと不倫 してみない?」
「もうダメだ 我慢できない 出てしまう」
「後ろから ひろ子の中に 射精して!」

……などと、ファックシーンはえんえんセリフが五七五(笑)。

とにかくそういうマンガである。
  (99.0930、滑川)



「ヤングマガジン」43号(講談社)

先週の「ヤンマガ」は42号で、先週面白かったけどタイトルを忘れた作品は、
・「南進するレクイエム」(山下ゆたか)
であることが発覚。
今週は後編。
自分からからんでケンカしてボコにされ、駅14コ分の距離を歩いて帰るイヌコ(男)
物語の設定では真冬、凍死寸前になりながらオノレの挫折について考え続ける。
最後には絶望の中から一条の希望を見いだして終わる。なんつーて文で書くのは簡単だがこういうのを表現するのはむずかしいと思う。でも滑川的にはサワヤカな終わり方でよかった。いたずらに暗澹たる結末よりはよほどいい。
(99.0929、滑川)



・「ウルトラ兄弟物語」 全5巻 かたおか徹治(1979〜82、1998、99、双葉社)

コロコロコミックおよび学年誌連載。「ウルトラマンたちの総力戦」というコンセプトを内山まもる「ザ・ウルトラマン」からそのまま引き継いだかたちの「ウルトラ兄弟物語」の他、オーソドックスなコミカライズ「ウルトラマン80」やゾフィーを主人公とした「ゾフィーの戦い」など「かたおかウルトラマン」を収録した作品集。

学年誌やコロコロコミックでウルトラシリーズを描いていた内山まもるから、どんないきさつでかたおか徹治にバトンタッチされたかは浅学にして知らない(実際に「引き継ぎ」というようなニュアンスだったのかどうかも知らない)。
だが内山〜かたおかの流れは、決して断絶したものではなかったことは確か。
かたおか徹治のシリーズでも、内山まもる「ザ・ウルトラマン」の基本コンセプト(悪の宇宙人軍団との総力戦、劣勢につぐ劣勢の中で苦戦を強いられるウルトラマンたち、など)は引き継がれていたし、「ザ・ウルトラマン」に登場した悪の宇宙人「ジャッカル」の残党まで登場している。小学館系のウルトラシリーズは、内山まもる〜かたおか徹治(居村慎二の「ウルトラ超伝説」も加え)の流れに一貫したものがあるのだ。

しかし、やはり「人間に変身せず、言葉を話し、一兵卒として戦いに挑むウルトラマン」という衝撃度は、内山まもる版ウルトラマンの方が強い。
これはかたおか版がことさらに劣っているというよりも、「ウルトラ兄弟の総力戦」は、それが「スペシャル」な雰囲気を漂わせながらも、読者の年齢が低いことや、短期連載や特別読みきりなどの形式で物語に変化をつけることがむずかしいこと、そんな「大決戦」みたいな話を何度もしきり直さなければいけないのでいかんせんワンパターンになりやすいという、「ザ・ウルトラマン」的展開そのものに構造的な限界があったことが理由だろうと思われる。後から描く方がどうしても不利、なパターンなのだ。
現に、内山まもるも「ジャッカル編」の後、1作描いていると記憶しているが、「ウルトラ兄弟がかつての強敵怪獣に次々にやられていく」という衝撃的展開だった作品に比べると、二番煎じの印象はぬぐえなかった。

(もっとも、かたおか版「ウルトラ」の方が、全般的に大味な感じがぬぐえないのも確かなのであるが……。)

そんなわけでかたおか版「ウルトラ兄弟物語」は、パッと見内山版と本質的な違いはないように見えるが、再読するとウルトラマンたちはより人間臭く描かれていることがわかる。 酒に酔って暴れたり、私利私欲のためにしか動かなかったり、はたまた「反乱」を起こすウルトラ族まで出てくる。
「ウルトラ族同士の戦い」は、確かにこうした展開の中では新味を出す「最後の切り札」と言えないこともない。

さて、滑川個人はといえば、「ウルトラ兄弟大決戦」的な展開の「ウルトラ兄弟物語」よりも、「唯一人間に変身しないウルトラマン」……ゾフィーを描いた「ゾフィーの戦い」が好きである(これ、てんとう虫コミックス版では未収録だったらしい。もったいないことである)。

「人間に変身しないウルトラマン」ゾフィーは、テレビの「ウルトラマン」放映当初は「ウルトラマン」の「神秘性」を強調する存在だったように思う。
しかし「ウルトラ兄弟」の長男という設定が付与されるにおよび、逆に「人間の知らない、どこかヨソ方面で活躍しているウルトラマン」のイメージが強くなった、と感じる。
すなわち「テレビに現れていないところで活躍しているにちがいない」と想像させるヒーローであり、そのゾフィーが主人公になる作品が「番外編」として描かれるのはむしろ当然のことと思われる。

「ゾフィーの戦い」は、宇宙警備隊隊長ゾフィーが毎回悪の宇宙人と戦って倒す、というだけの単純なお話。

「放浪惑星ソドムで消息を絶ったウルトラ惑星調査隊」の行方を追ってきたゾフィーが、
食べるとラリってしまうキノコでヘロヘロになった
ウルトラマンたち
を見てショックを受け、地下深くを覗いてみると「キノコでラリラリにした宇宙人を、食料にして食っている宇宙人の集会を発見、この宇宙人たちと単身戦う展開(第3話)などは、まさに古きよきヒロイック・ファンタジーである。

ここでは「ウルトラ兄弟」の設定すらもはや「裏」にすぎない。
我々読者は、「ゾフィーとかいう、ウルトラマンの知り合いなんだけどよく知らない宇宙人」が、「地球に来たこともない、ヨソの極悪宇宙人」と戦うという「異世界」を、滅び去った異国の神話を読むごとく、覗き見ることになるのだった。(99.0927、滑川)



・「イッパツ危機娘」(1) 原田重光(1998、講談社)

ヤングマガジン連載。
頭がよくて美人、中国武術もやっている中国人留学生・クーニャンが、毎回まいかい狭いところにはさまったり閉じこめられたりと生命の危機に見舞われる。それをいかに突破するかが描かれるギャグマンガ。
「どうしたらこの危機を抜け出せるか」をいろいろ計算したりして理系チック&スラップスティックなマンガだ。いまだにヤンマガで同じパターンで続いている。
よく続くなぁと思う。
(99.0924、滑川)



・「Greatest Hits+3」 よしもとよしとも(1998、双葉社)

寡作ながら何かとサブカルチャー周りで取り上げられるマンガ家というのがおり、井上三太なんかもそのひとりだと思うが、私自身がファンであり、そういう人がだんだん人気が出てきたりすると嬉しくなったりするものである。
よしもとよしともも、サブカル周りの雑誌などを読んでいると何かと名前を目にするわりには実際ドコに描いているか、何が代表作なのか知らない、(個人的には)謎のマンガ家だった。少し前までは。
その人の絶版旧作をおさめた作品集。

端的に言って、人と人とがわかりあったりわかりあえなかったりする、すれ違いつつ触れあったりする、そうした瞬間を切り取るのが上手な人だと思う。

・「月刊 吉本良明」(85〜87)

マンガ家を目指しボチボチ作品も商業誌に載りはじめた大学生・吉本良明と、大学院生で年上のカノジョとの同棲生活を描いた4コママンガ。「ASUKA」連載だったらしい。

むかし吉田秋生の4コマ連作で「ハナコ月記」というのがあり、コレは女の子の方が主人公だったがやっぱり同棲マンガだった。
どっちが先か知らないし、どっちが先でもいいのだが何となくソレを連想した。

私は他人がイチャイチャするマンガというもののどこを楽しめばよいのかサッパリわからないこと、
「大学生ってなんかカッコいいよな」と子供の頃に感じていたことなどを思い出させてくれた(本作は2人が学生なので大学風景がよく出てくる)。
しかしこのマンガを読んでいて、
ちゃんと大学を卒業したのに子供の頃とまったく同じ嫉妬心が出てくるのはどうしてだ!(笑)

私は血の小便が出るほど勉強し、大学に入って入った後は何にもしないで卒業したが、コンプレックスは増幅されるばかりである。我ながら愚かだ。

まあ学生で同棲しててマンガもうまいヤツの話を読んで、私に面白がれという方が酷だっての(笑)。
だから個人的に主人公とそのカノジョが将来を決めかねて悩んでいるところがいちばん面白かったりする。うふふ。
しかしそんな人生の転機を迎えたカノジョの方もまだ24なのだ。若い。
なんだまだキミには未来があるじゃないか。

……つーことで、個人的にはよしもとよしともは最近になるほど面白い(本作収録中では「ライディーン」(97年)など)。
主人公がオッサンになって、それにいらだっている作品ほど共感を覚える。いいですボク別に屈折してて。

・「東京防衛軍」(初出?)

実は私だってよしもとよしともが江口寿史岡崎京子のアシスタントをしていたことぐらいは知っていたのである。……でまあ作品評価もそこそこだし、と思ってずっと前に読んだのがこの「東京防衛軍」だった。
それは不幸な出会いだった。

私はこの作品の面白さがサッパリわからず、それ以来数年間にわたりこのヒトのマンガを読まずにいた。それはちょっぴりソンだったかもしれない、と最近は思う。
(以下ネタバレあり)

怪獣映画のプロットをなぞりながら物語は進行する。
怪獣が突如東京に出現。その「怪獣」とは、「東京大空襲」や「三島由紀夫」や「安田講堂」といった「東京のノスタルジー」であった。
それは単なるイメージではなく実体を持ち、トレンディーな「現在の東京」を破壊していく。
マッドサイエンティストの小山田博士はかねてより「東京防衛軍」をつくり、この「怪獣」を倒すために隊員たちと立ち上がる……という話は、風刺にしてはストレートすぎるし、風刺の風刺かと深読みをしてみても、やはりそのようには読めない。

そう言うとズレてしまうような気がするが、パロディで当時(バブル直前かその最中)の「大状況」を描こうとしたのだろうか。だがそれにしてはオチのつけ方があまりにもあまりにもだと思う。
「怪獣モノ」というノスタルジーを手段として使っているのがパラドックスだからか。でもそれも狙っているような気もするし。よくわかんねー。私にはこの作品のよさがいまだにわかんねーです。

余談だが、間違えて本書を2冊ダブリ買いしてしまった。印税には貢献しているワタクシ。

他数編収録。
(99.0923、滑川)



・「コロコロコミック10月号」

ついに5年間も続いた「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」が終了。
これからのミニ四駆の行く末はどうなるのであろうか。

・「映画原作ドラえもん のび太の太陽王伝説」(藤子・F・不二雄、藤子プロ)

どうも、インカ帝国をモデルにした王国の話らしい。

・「爆球連発!! スーパービーダマン」(今賀俊)

めちゃくちゃに面白い。よくこんな「架空のスポーツ」の話を論理的に展開できるもんだ。

・「超速スピナー」(橋口隆志)

めちゃくちゃに面白い。「スーパービーダマン」と本作が、コロコロのおもしろマンガを担っているといっても過言ではない。ヨーヨー人気が現在どうなっているかは知らないが、ホビーとしての寿命とは関係なく続いてほしいマンガ。

・「PaPiPuペット ベストフレンドストーリー」(ウィズ、姫野かげまる)

「超能力を持ったハムスター」ブルーとその飼い主・拓也が活躍する、ペットと環境問題をテーマにしたマンガ。今回、「動物を虐待する人間を攻撃する」超能力を持ったネコ「リベンジャー」とその飼い主、香月礼央奈(こうづき・れおな)が登場。拓也とブルーのライバルになる。

・「K−1ダイナマイト」(坂井孝行)

「K−1グランプリ」とタイアップした空手マンガ。普通格闘技マンガというのは修行>強くなる、という繰り返しであり、本作もそういう展開にはしているのだが単行本1巻が出た現在でも主人公が「強い」というイメージがなく、なんだか読んでいて別の意味でハラハラする。
実力差がありすぎると、格闘技ってイジメと紙一重だしな〜。もっともっと主人公が強さを表す展開になってもいいのではないか。
それと、先月号、先々月号で「合宿で生徒にメシも食わせず、自分の息子にばかり熱心に教えるコーチ」が出てきて、主人公とその息子が対決する話があったが、このコーチ、そうとうな悪人だと思うのだが何のおとがめもナシ。これが体育会系の厳しさですか。黙って見過ごすフグ先生。なんだか。

・「爆転シュート ベイブレード」(青木たかお)

ベーゴマのようなおもちゃ「ベイブレード」のバトルマンガ。「主人公がベイブレードを持つと青龍が見える」という、近来珍しい「具体的な理由がない強さ」でホビーマンガ本来のミリョクを見せてくれる。
あ、ちゃんと勝負に勝つワザはありますよ。

・「爆走兄弟レッツ&ゴー!! MAX」(こしたてつひろ)

今回で最終回。ここ数年でコロコロホビーマンガとしては最大のヒット作の終了は感慨深い。またミニ四駆人気はいちだんらくするのか。まだ続くのか。謎。
それ以前の最大のヒット作(だと思われる)「炎の闘球児 ドッジ弾平」も作者はこしたてつひろ氏だったことを思い起こすと、なかなかすごいスね。
(99.0922、滑川)



「ヤングマガジン」?号(講談社)

ぐははははは。電車の網棚に置いてきた。ゴメン。あ、今週号ね。

だから面白いと思った作品のタイトルを忘れた。ゴメン。

自分のふがいない現状へのいらだちから、知り合いのライブの打ち上げで他人にケンカをふっかけ、したたかにぶん殴られた主人公。
顔を腫らし、終電を逃し、トボトボと自分のねぐらへと向かう……。歩きながら思い浮かぶ、いろいろなことども。
そして後編へ続く。

読み終わって直後は「ふ〜ん」としか思わなかっただんけど、思い出してくるとなんかだんだん「わかるなァ」って気がしてきた。
私は「ダメ人間」と「ダメ人間の希望」が描かれるのが好きだから。
あ、まだ「希望」は描かれていないけど。後編どうなるのかね。

絵柄は私が勝手に唱えている「ヤンマガスタイル」。……っていうと怒る人もいるかもしれないけど……でも雑誌にスタイルがあるのは当然だから。「ドラゴンヘッド」の代原読みきりも、やっぱり「ヤンマガ的」だった。これもわりと面白かった。

それと、今週号は連載が「代紋TAKE2」、「ドラゴンヘッド」、「あと忘れたけどなんか」と、3本も「取材」か「急病」で休載になっていた。素朴に驚く。
(99.0920、滑川)



・「パチンカーワールド」10月16日号(白夜書房)

・「玉男(たまおとこ)」(原作:尾上龍太郎、劇画:ふくしま政美)

第6話「100万発バトル#3 強打」。
「ミルキーバー」という、巨乳アニメ絵ねーちゃんの出てくる台を「十字打ち」で打ち崩そうとするカラス
「十字打ち」とは、両手を交差させて左手で打つ技だ。

台とカラスの「格闘」は、巨乳アニメ絵ねーちゃんが前身にパチンコ台の釘を生やした巨大な怪物へと変貌し、カラスを後ろから
チョーク・スリーパーで締め付ける、という表現がされている。

まさにパチンコ宇宙!! パチンコ
コスモだ!!!

・「銀の履歴書」(押川雲太郎、監修:大崎一万発)

第4話「おれはプロ中のプロなんだな」。
打ち方もパチプロの仁義もわかっていない若造をあくまでもかばう松島
「パチンコ好きはみんな仲間」って……。

最初登場してきたときは、ヒトが台確保のために置いたライター、放り出して打ってたクセにィ。

・「雷電」(原作:北鏡太、劇画:一の瀬正)

「体内電流」を持ち(「コマンダー0」の使ってた技みたいなヤツか!?)、それを利用して玉を出すことのできるパチプロ・雷電を主人公とした作品。といっても超人的な技が頻出したりはせず、雷電が出会った人間たちとのドラマがメインの1話完結モノ。
今回はヒトラーかぶれのおちこぼれ少年がパチンコにハマる前編。
うわー、アメリカの
「トレンチコート・マフィア」がネタモノっすか……。

次号は10月7日発売。(99.0919、滑川)



・「政権伝説 橋本龍太郎の妙な冒険」滝季山影一(1998、青林工芸舎、およびコミケット)

89年から昨年にまでわたって、長期間発行されてきた同人誌のシリーズを1冊にまとめたもの。タイトルどおり、もちろん主役は橋本龍太郎(実在のいかなる人物とも関係のない純然たるフィクション(笑))である。

滝季山さんは、「ファンロード」などの投稿家でもあったので、オタク系文化につかってきた人間ならどこかで見たことのあるはずの「日曜マンガ家(C)米沢代表」である。

絵は非情にキレイな4頭身系のギャグタッチで(ギャグ系の人にありがちな「いしいひさいちフォロワー」ではない、オリジナルな絵)、描く女の子もかわいい。政治風刺マンガである以上、似顔絵もたいへん楽しい。
もちろん、作者特有の「政治家のマンガ内性格設定」が、そのままその人物の批評になっている点も面白い。

さて、本書については米沢嘉博氏の解説がすべて、という気がする。
かつてのギャグマンガが持っていた、映画やアニメや他のマンガからのサンプリングが商業誌でほぼ御法度になってしまった現在、そのパワーを残しているのは現在同人誌である。
本作の中にもふんだんに、当時の世相をふまえてさまざまなパロディが試みられている。その中には商業誌ベースでは失われた手法も入っているのだ。

そして「元は同人誌である」という側面と同時に、「政治風刺マンガ」の雄として刊行されたという意義は大きい。
現在でも政治風刺マンガはいろいろあるが、本書はそれらと確実に拮抗しうるパワーを備えている。やくみつるばかりが風刺マンガじゃないと、
やくみつるの金髪ばかりが金髪じゃないと、本書が世間に気づかせてくれることを望む(別に滝季山氏は金髪ではないが)。

なお、本書は「青林工芸舎」「(有)コミケット」の2社から発行されている。書店流通している方が「青林……」である。 (99.0918、滑川)



・「超力戦隊 オームレンジャー」 冗談社のテレビえほん(1995、「政権伝説」収録)

こちらは、「政権伝説」の巻末に載っていたパロディ。
オウム問題がたいへんなことになっていた95年、同時期にやっていた特撮ドラマ「超力戦隊 オーレンジャー」の、しかも「テレビえほん」の体裁をとってオウムをパロった凝った内容である。

この作品だけ別個に感想文を書こうと思ったのは、以下の理由による。
95年当時、オウム事件が連日報道されているとき、日常会話、同人誌、テレビ、そして商業誌が正面批判とは別に、こぞってパロディ化しようとした。
だが、オウムは「サティアン」「ポワする」「修行するぞ修行するぞ」「コスモクリーナー」などなど、独自の用語を持ちそれらがあまりにも「濃すぎた」ために、それ自体で完結してしまっているところがあった。したがって、これをさらに料理するのは至難の業だったと思われる。

観察していた方が面白い(と言っては不謹慎だが「興味深い」というほどの意味)モノに関しては、茶化すのはむずかしいのだ。

私の知るかぎり、商業誌においては当時の「ゴーマニズム宣言」(「だまサリンぞ〜っ」とか言っていた)が大胆な(い、いいのか? と思ったが)推理を展開することでギリギリのライン、
週刊誌とかそこらの4コママンガはほぼ全滅(断っておきますが、私もぜんぶ目をとおしたわけじゃないスよ)、
意外にも「WOOOOO!!(ウォー!!)」という男性誌で、「オウム幹部のツラだけを見て、どんな人物か推測する」というのがかなり面白かった以外は、みんな苦戦しているように見えた(もちろん私も何も浮かばんかった……)。
書籍では「ジ・オウム」というのがよかった。

同人誌でももちろんオウムネタは乱舞した(と思うが全部忘れた)が、埼京震学舎(最強神学者)「大宗教学」が、対象に対する真摯さとパロディ精神、という点では白眉だったと思う。それと滝季山氏には「爆訳聖書」という、オウムをパロった作品もある。

前置きが長くなった。この「超力戦隊 オームレンジャー」は私は本書で初見だったのだが、オウムの似顔絵を極力用いず、「だれがアレ」ともはっきりとは書いていない。だがしっかりとした「オウム批判パロ」になっているのだ。
同人誌のミリョクは非合法なこともある程度やれる、ということにあり、「パロディ」はその際たるもの(厳密に言えば違法かどうかはケースバイケースではあるが)だ。だがパロディってのはストレートなものだけじゃない。この「オームレンジャー」のように、しごくアイマイな記述でも「ああ、アレね」と表すことができるのだ。

そういう意味において、本作は他のオウムパロとは少し違い、実にクールである。

なお、戦隊モノのいつものパターン(まあ厳密には違うけどね)と、「オームレンジャー」の結末がシンクロしている(結末にどんでん返しがある、程度の意味なんだけど)のが実に「現実って不気味だなぁ」と思わせる。(99.0918、滑川)



・「コミッボンボン9月号」

あいかわらずの月遅れ感想文。我ながらまぬけ……。

・「激釣人(げきちょうじん) ランカれ! ボーズ」(まんが:はやさかゆう、原作:大和海人)
バス釣りマンガ
主人公・ボーズ(黒鱒坊主)、「メガヘボ」と言われるくらいバス釣りがヘタな連内ユータ、5年生ナンバーワンの女の子ミノリの3人が、クラス対抗オープントーナメントに出るため、校長たち先生チームと釣り勝負を行う。

「巨大な池に世界地図型のリリーパット(ハスの葉がびっちり覆っているところ)」というのが面白い。

主要キャラクターのボーズ、ヨータ、ミノリのキャラ立ちもはっきりしてきて、けっこう面白いです。

・「小さな巨人 ミクロマン」(松本久志)
海に行ったら、とつぜんそれぞれヘンテコな姿に変身してしまったミクロマンと子供たち。だがこれは、
アクロイヤーの魔女アーデンパープルの魔法であった。
自分たちの願望が、実際の姿となってしまったのだ。

先月号、非情になりきれないまま敵を救うこともできなかったミクロマン・アーサーは、その悩みを持ち越したままだったため、心を閉ざし石像に変わってしまっていた……。

「心を閉ざす」描写を「石になってしまう」というふうに表現できるところが、マンガの面白いところ。
また1話完結としても盛り上げる。

・「ガンプラ甲子園」(帯ひろし)
「みんなで海へ行くと、そこに地元のモデラーがいて対決」という典型パターン。
女の子が水着で出てくると、同作者のエロコメ「ミラクル・ランジェリー」を思い出しますなぁ。
ガンプラ対決は、燃えます。

・「ニセモン」(山中あきら)
内容はともかく、よくこんな名前の怪獣を出したものだ。

・「メダロッターりんたろう!」(藤岡建機)
なにやら新展開。「強大な敵」に立ち向かうため、宇宙へ出る話になるらしいぞ!

「越前屋俵太CDリリース」
どういうカラミか知らないが、オモチャなどの情報に混じって告知されている。
「どの曲も聞いたことのある人がほとんどいない、超貴重アルバムなのだ!」ってどんなんだ。
(99.0918、滑川)



・「ヤングマガジン」41号(講談社)

巻頭グラビア、黒石えりか。

こういうコ、中学生んときとか見たら大喜びだったんだろうなあ、オレ。

・「デッド・トリック!」(華倫変)

第2回。中学校で起きた謎の猟期殺人事件を捜査するトボけた刑事やなんかが出てくる、
「飄々とした人物たちの世界でドロドロした事件が起こる」話、らしい。
続けて1回目、2回目と読んだのだが、この作者のマンガは初見のため、どのような結末を付けようとしているのかまったく予想が付かない。いちおうこれまでは面白かったので、種明かしの段階で評価をすることにします。保留。

・「グリーンヒル」古谷実

「稲中」の作者で、今度はバイクチームの話らしいんだけど、このリーダー(32歳で家が金持ちだから無職で、ハゲでカツラを被っていて女にもぜんぜん持てず、人望もなくいつもモタモタしている)のキャラクター、最初見たときぜんぜん笑えなかった(身につまされるから)<私は金持ちじゃないけど。
やっと慣れてきたけど、いつも思うんだけどこうしたギャグマンガのキャラクターが「ぜったい欲しいもの」として掲げる「金、女、権力」、なんかそういうもの自体に疑問を投げかけるギャグマンガって出てきませんかね?
童貞が集まって「ドーテーズ」をつくるという同誌の「おやすみなさい」(小田原ドラゴン)でも感じることなんだけど。

・「バカ姉弟」(安達哲)

「安達哲版『3歳児くん』」とか言ったらたぶん世界中の人間からバカにされるんだろうなー。でもなんか、ウマすぎてイヤミ。そしてそのイヤミがウリのマンガ。ああ、本作にはそこはかとない毒毒毒……。
(99.0917、滑川)



・「ヤングマガジン」40号(講談社)

ぎゃははは。もう売ってないのに感想文。ゴメン。

・「食べれません」(風間やんわり)

慣れるまで少し時間がかかったけど面白い。「あるあるネタ」、「不条理ネタ」などなんだけど和田ラヂオみたいに「つかみどころがない」んじゃなくて、もっとコント的。とがしやすたかとかみたにひつじ寄り。
こんな決め打ちいいのか。わからんが。

・「ドラゴンヘッド」(望月峯太郎)

正直言って、こうしたいつ終わるともしれぬカタストロフモノは、続きが気になって気になって、そのわりには結論が先延ばしになって……(例:楳図かずおの「14歳」)、フラストレーションがたまってマジメに読んでない。でも今までのストーリーとかまったく知らなくても「何か」を感じる。それはすごいと思う。

・「生きろ!」(ほりゆうすけ)

新人賞受賞作。ラストがなごむよ。面白い。いい。こういう「なごみ」とは何か、が滑川の個人的探索テーマ(どうでもいいですね)。
それにしても、なぜ新人賞の候補作はみな「和田ラヂオ」、「すぎむらしんいち」、「古谷実」系の絵柄なのだろうか。もしかしてアニメ絵とかそんだけでハネられてる?(そんなことはないと思います)
(99.0917、滑川)

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