何も言えなくて……林葉直子
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一気に下まで行きたい

2000年

8月31日(木)

ぼくの夏休み
子供たちの夏休みも終わりですな。
私には何も関係ないことだが、偶然定休日と重なったのでおれさまの子供時代の夏休みを振り返りつつ、脈絡のない話をちりばめてみたい。

まず第一に、ゲーム「ぼくの夏休み」のような夏休みを私はまったく知らない。
飯はスナックと炭酸ジュース、ジャンクフードが肉と脂肪。
昆虫採集もしたことないし、海も2、3回しか行ったことない。山にもあまり行かない。そもそも、ウチには「田舎」というものがない。
「泳げるようになりたい」と、欠かさずプールに行ったがいまだに泳げない。
40日のうち、25日くらいは塾の夏期講習に行っていた。
午前中時間が開いてたら、テレビでアニメの再放送を見ていた。

塾に行く年齢になる前はいちおう友達と野球とかして遊んでたけど、私は野球に対して決定的に素養が欠けており、最初のうちはヘタながらも「アリンコ球団」を読みながらアホづらしてやってたが、次第にバカらしくなり、やがてやめた。

花火大会や夏祭りはほとんど行ったことない。どっちもあんまり興味ないし。
コミケに初めて行ったのは浪人中だったが、あまりの暑さに驚き、「クーラーを入れろ!」、「雲をどけろ!」などわめいてみたがだれも答えてはくれませんでした。

さて、花火大会で思い出すのは(ここからカンケイない話に突入)、花火大会のテレビ番組でデヴィ夫人が「外国で見た花火の方がすごい」と言ったという話。私自身はその番組を見ていないが、しかしこれは、デヴィ夫人にとってはプロレスでいうガチンコ的な狙いだったろうと思う。
番組開始当初に、いわばゲリラ的に「自分らしさ」をゴリ押しし、なおかつ「番組がはじまってすぐだからいいだろう」というコソクな計算のもとに出た発言だと思うのである。
そのようなものを話題にすること自体がデヴィ夫人の思うつぼなのである。

デヴィ夫人で思い出したので書くと、最近ワイドショーばかり見ていて、気づいたことがいくつかある(ワイドショーに詳しい人は言わずもがなのことであろうが)。

まず「星占い」、これやめてほしい。何の足しにもならない。「パーティジョークを言えばみんなの人気者に」などというのもあったが、いくらなんでもひどすぎる。
「占いの信憑性」すら放棄している。
まあしかし、「おはスタ」の「好きな食べ物を選ぶ」という「モグモグチョイス」と、週1回やってるサンリオ番組の、「コロコロクリリン」がやってる占いはかわいいから許す。

次に、「あのタレントがこんな面白いCMを!」みたいのもムダ。たぶん自分とこのスポンサーのCMを番組内でも映そうというハラなんだろうが、紀香やキムタクの大胆CM、とかって知るかっつーの。

それと、後は私は「やじうまワイド」派なのでやじうまワイド中心に行くと、みんなものを知らなすぎる。
ゲストで松村邦洋が出たとき、なんか「ポップスの歌手が演歌を歌う」という記事について松村が「長山洋子さんの逆パターンですね!」と言ったら、芸能コメンテーターの上品そうなオヤジがとまどってた。もしかして、長山洋子が元アイドルだということを知らないのか!?
次にスポーツのヨーコ・ゼッターランドだ。「日本ハムが強い」という話題のとき、女子アナが「それにしても何でこんなに強くなったんですかね?」とさりげなく聞いたら、答えられなかった。
いちばんヒドいのは梨本。この人、どうも自分の娘からインターネットや巷のウワサを聞いているらしい。まあここまで何にも知らないのは逆にスゴイと思うが。

昼の日本テレビ「ザ・ワイド」。草野仁が夏休みをとっているらしいが、かわりに隣にいる女子アナが一人でやってる。じゃあ草野仁はいらないってことか!?
この女子アナ、できるだけ自分を出さないキャラなので年齢不詳だったが、「郷ひろみと松田聖子が別れた」頃は小学校4年生だったという。じゃ、けっこう若い。

まあワイドショーの話はこれくらいにするか。デヴィ夫人に話を戻してみよう。
デヴィ夫人が空威張りをしようが、私には関係ない。「デヴィ夫人むかつく」は、ある程度他人とも共有できるからだ。

デヴィ夫人より問題は、向井亜紀だ。
向井亜紀のフリートークは「そこはかとない自慢」で異常に腹が立つ。
「向井亜紀なんてどうでもいい」と思うと、けっこう出てくるのである。
土曜の朝の、「お金のない視聴者がありがたがって見る海外旅行の番組」とか、「ごきげんよう」とか。
コイツの話、なんか「私はキレイでイカす女。その私がこんなくだけた話をしてやってんのよ〜」みたいなのがありありなのだ。
いや、もっと掘り下げてみれば、自分でそういう意識はないかもしれない。
しかし、その話題の中心たる知識があまりに中途半端なため、「そこらへんのおハイソ主婦のヨタ話」を聞かされている気がして、おれ的にはむしょうに腹が立ってくるのであった。
まあつまらなさで比較すれば、三沢あけみのトークの方がよほどつまらないのだが、三沢あけみのトークを聞く機会が滅多にない以上、だれにも共感は得られないであろう。

ぼくの夏休み。そして、三沢あけみの夏休み。きっといいとこいくんだね。海外旅行に行くんだね。

……今日は眠るまい眠るまいと思っていたが、けっきょくかなり眠ってしまった。古来より、寝過ぎで出世したヤツはいない。逆に、「この人はがんばってるなあ」という人の睡眠時間を聞くと、たいていがあまり眠っていないものだ(たくさん寝るのが仕事なのは、スーパーモデルかスポーツ選手くらい)。
……というわけで自分が一生うだつがあがらないことを知り、ガクゼンとする。

8月30日(水)

もうダメだ、暑さで脳が溶ける。溶けるよ!
などとだらけていてはいけない。これでは今年の2月頃の自分になってしまう。

そんなことを考えながら「レディーボーデン」の底の方をカレーライス用のスプーンでナメナメしていると、店に来る集配のおにいさんがリストラにあってしまったという報を聞く。
……っていうか、正確に言うと試用期間でハイチャラバイチャということらしいのだが、非常にきちんとしたヒトだっただけに、会社側の対応に不満を覚える。
「正社員枠がないならよぉ、最初から雇うなよ!?」
というのがおそらくおにいさんのホンネであろう。

この一番クソ暑い時期に、彼はトラックを運転していたのである。モチベーションも落ちまくっているだろうなぁ……。でも一生懸命期間まで続けるだろうけど……。

以前いた会社では、「結婚してアメリカへ行く」のが決まったとたんに、モチベーションがガタ落ちしてミスの目立った人がいたけど。
私はモチベーション以前の問題で、なんつーか「ものごとがよくわかっていない」サラリーマンであった。「朝、なぜ顔を洗わなければならないのか」とか、いまだにわかんねー。だって夜風呂入るジャン。

それにしてもむかつくよなー「顔ダニ」を嫌がる風潮。少しくらいあったっていいじゃんよー。

話を戻すと、私は「やる気」というもの自体が理解できていないサラリーマンであった。
私が「やる気を出している」と言っても、だれも信用してくれないのである。
そして、週末はダラけていつも泣いていた。

なんというか本当に「やる気」というものが理解できない。せんべい口にくわえていつもニヤニヤしているかオドオドしているか、
そんなサラリーマンをして苦闘するうち、10年が過ぎた。

その10年後が、現在の私である。

8月29日(火)

ボクさ、この暑さはだれかの陰謀だと思うんだ。たとえばグーレト・チキン・パワーズとか。なんかそういうの。

朝は、原因不明の「焼き肉のような匂い」が部屋を席巻し、その元をつきとめようと窓をガタガタやったら窓ガラスがはずれてしまった(自室の窓ガラスは割れたままになっていて、その欠片が窓ガラスにくっついている)。
さらに障子も少し壊れた。

日中は「暑い」というより「焼ける」という感じで、いちもくさんに帰宅する。
新宿三丁目では、また例の青年がスポーツ新聞を読んでいた。

「カルビ丼」というのをコンビニで買って食ったら、すごくマズかった。もちろん、カルビ丼一般がマズいのではなく、そこのコンビニのカルビ丼がマズかったのだ。

ビール飲んで寝たら、イヤ〜な夢を見る。「試験の夢などめったに見ない」のが私の自慢なのだが、試験の夢。
遅れて教室に入ってくると、ぶりっ子女教師が「時間が過ぎてるからぁ〜」とかなんとか言ってなかなかテスト用紙を渡さない。なぜか「遅れてきたのは悪いけど、いざテストをやればいい点を取る自信はある」と思っている私。温厚な私はキレて「いい点取ればいいんでしょう!」と半ばひったくるようにしてテスト用紙を奪い、問題を解きはじめるが、代数の問題でいっこうわからない。この問題がまた具体的で、中学生か高校生程度の問題なんだが今の脳で解いているのでさっぱりわからん。また、時間もリアルで、残り8分くらいしかなかった。

8月28日(月)

「暑い」ことしか記憶にない。
スカイパーフェクTVで甥のホームページが紹介され、そこに投稿した私の作品もテレビに映った。「新田五郎」の名前とともに……。
でもURLは示せない。なぜなら、当HP自体が特定の人に秘密だからである。回り回って知られるとマズいんで。それにしてもスゴイよな、甥。いろんなところで紹介されている。リトルメジャー。そして私はビッグマイナーを目指す(?)。

8月27日(日)

コミティア。昨日ガブ飲みしたのがけっこう答えたが、早起きした。
コミケほどスケジュールがタイトでないのがありがたい。
モノレールの中で偶然気楽院さんと会う。この間のコミケのときも車両の中で会った。まあ同じ場所に行くのだから、きちんと時間を合わせれば会うことはそうむずかしくはないと思うが、やはり同じ車両に乗り合わせるというのはなかなか偶然。
タイムレンジャーの話などしつつ会場入り。
いつもと違う、右側の建物。イベント「Jガーデン」などをやっているところ。
吉田等はすでに来ていた(最近早い)。
何をカン違いしたのか、私は「ぶっとびマンガ大作戦Vol.4」を新刊だと思い込んで見本誌で出した。そして開場して1時間くらい、新刊として売ってしまった。もし間違えて買ってしまった方がいらしたら、ごめんなさい。次回にお金返します。
なんだか気がとがめたので、その後見本誌も回収した。

会場してから今回委託を受け付けたRDIさんがやってくる。お菓子をもらう。おいしゅうございました(^_^)。

今回、思うところあってパンフレットをほとんど見なかったのと、お金がないためまったくといっていいほどスペースから動かず。大リスペクトサークル「木持アート出版」に赴いて新刊の確認をしただけだった。

後はスペースにいる人々やお客さんとずーっとしゃべっていた。いつもHPを見させてもらっているしばたさんやスズキトモユさんにご挨拶できたのが嬉しかった。

やはり私には自分が匿名で他人も匿名で、情報だけやりとりするインターネットの利用(の一方法)というのは性にあわん。あまりに遠距離の場合は仕方がないけれど、会えるときには会っておきたいと思う次第。
会話自体はここのHPに書いてあることの繰り返しになってしまったっぽくてちょっとくやしかった(^_^)のだが(今度ネタ仕込んできます)、数分でも直接話をすることはテキストだけのやりとりとはまた違うものがある。
というわけで今回はしゃべり倒したコミティアであった。5時間くらいいろんな人とずっとしゃべっていた。

その後、A/Kodamaさんの車に乗っけてもらい、どこやらのファミレスで飯を食って電車に乗って、帰る。
なにやら午後からものすごく空気が湿っぽくなってきていて、そのぶん暑さが身にしみるようになり、個人的不快指数がグンと上がる。家に帰るときはちょっと気分悪くなっていた。とにかく暑い&ジメジメ。
風呂に入ってクーラーをガンガンにかけて、眠る。

吉田等はあいかわらず本も買わず、スペースもかなりの時間空けていたりして、まったく欲がない。う〜ん、もしかしたら同人誌活動に対して「欲がない」ってのが彼のスタンスを言い当てているのかも。
ゲーム「ぼくの夏休み」(の基本コンセプト)を異様に嫌っていてこきおろしていたが、ノスタルジー嫌いの吉田等としては当然だと言える。
反面、私は基本的にノスタル爺である。最近とみに。
しかし、「昔はこうだった」という単なる回顧で終わらせるのは好きではない(「作品」として完成されていればこのかぎりではないが。そこがノスタルジーのむずかしいトコロである)。
もし昔と今が違うのだったらなぜ違うのか。逆に同じところはあるのか。その辺のことをつきつめたい。「昔の方がすごかった」って言うだけならさ、ビッグバンがいちばんすごいわけじゃん。比喩じゃなくて本物のビッグバン。爆誕ですよ。そりゃすごかろう。

そうではなしに、連続したナニカとしていろんなものをとらえたい、そのためには過去からのつながりを考えた方がいいのではないか、と思うということですね。もちろん思春期に影響を受けたものの呪縛が今でも続いている、ってところもあるけどね。

「なぜ80年代なのか」ってことをダーッと書いたりしたが、いまいち詰めが甘いので消去。

8月26日(土)

ニフティのフォーラムFCOMEDYS MES 6 #443で、私の出している同人誌「ぶっとびマンガ大作戦」Vol.4が小説家で「と学会」会長の山本弘氏に「夏コミの収穫」として紹介されていた。や、コミケスペースにおいて「もしや(山本氏)ご本人では?」というヒトが買ってくれたのは覚えているんですが……素直に嬉しいのでここに書いておきまーす。ウレシイ(^_^)。

またまた力学(ちから・まなぶ)と飲む。何しゃべったかぜんぜん覚えてないんだけど、やっぱり夏はビールでしょ。なんでこうちゃんとした店で飲むビールはウマイのか。ホントたまんないです。ガブガブ。

その代わり、けっこう酔っぱらっちまいましたけどね。何話したか思い出せないんだよなあ。あ、だれかがどっかのHPにアップしてた「モー娘。」にまつわる妄想とか(わざわざプリントアウトしていった)。こんなんばっかだよなあ。

8月25日(金)

すげえよな。
引用。
「『このエロマンガいいなー』と思ってinfoSeek辺りでその漫画家名を検索してみたら、本人のページは出て来ず、『コレでは立たない(笑)』なんてコメントしてる個人ページを見てゲンナリ。」(大意)

確かにそうだよ。そういうことあるよ。おれもイイ年だけど。

……すでに読んだものなんだけど、買った同人誌がどうしても出て来ず、夜中じゅう探すがまったく出てこない。で、一晩中その同人誌のことについて考えていました。
まあ市販の本なら探すのめんどくさいから買っちゃうってことはあるんですけどね、同人誌だからなぁ。
いろいろ考えたけど、水曜日に古紙回収で間違えて出してしまったんだろうか……? ってずーっと考えて、日野啓三の「夢の島」っていう小説について考えていた。
で、いったん考えるととまらねーんだ。最終的に行き着くのは、自分のだらしなさ。 そして自責の念にさいなまれ、さいなまれ、さいなまれ、「あれが出てこなかったということは、なんか違う間違いしてるかも……!?」とかって思ったりして、泣いた。

・映画「シャンハイヌーン」(?、米?)
監督:知らない
主演:ジャッキー・チェン
誘拐されアメリカに連れ去られた姫を救うため、ジャッキーが西部へ向かう。

ジャッキー・チェンの映画の脚本についてどうこう言っても仕方がないのかもしれないが、「妻」となったインディアン女性の描き方がちょっといいかげん。ただラストのピンチの救われ方はよかった。
もっと西部劇のパロディ(特定の映画の、という意味じゃなく「拳銃VSカンフー」を過剰にアピールするなど)が欲しかったかも。
アクションは、やはりテレビCMでやっていた「馬蹄にロープを付けて武器にする」ところがいちばんカッコよかった。
私もジャッキーの映画ってそんなにたくさん見たワケではないけど、大っ嫌いな人ってそういないと思うんだよね。みんなが楽しめる。そういう雰囲気が好き。また、カンフー主体の作品でありながら、「実は本当に強いのか?」という疑問を視聴者がまったく抱かないということがすごい。ブルース・リーでさえ、その虚実皮膜を利用していたのだから。
ジャッキーのカンフーは、「いま、そこに映っていることが事実」ということがすなわち凄さにつながっているところがイイ。

・映画「さくや妖怪伝」(?、日本)
監督:知らない
主演:安藤希
富士山が噴火し、神々の力が弱まったために妖怪が暴れ出し、人間をおびやかすようになる。妖怪を斬れば斬るほど寿命が縮むという妖刀村正を携えた妖怪討伐士・さくやが、復活した土蜘蛛の姫を倒すために河童の太郎と旅に出る。

「時代もので特撮入ってる」映画が妙に好きで、マニア的におっかけてるわけではないがなぜか映画館に足を運んでしまう(それと忍者ね。「梟の城」、まだ見てないんだよな……)
本作も「時代もので美少女が刀振り回して妖怪退治」っつったら期待しない方がおかしくない? しかし、感想としては「OVAの第1巻」という感じで実に尻切れトンボな印象。
いっつも疑問に思うのだが、「伏線が活かされていない」、「説明がない」なんていう指摘はもうしたくないんですよ。でも本作もそう。「物語の論理的展開」が面白さに直結しないということは最近学んだけれども、それにしたって気づくだろー、だれか脚本読んだら。

後は「OVA」つったけど、アニメっぽさ(ジャパニメーションぽさっつーか)についていけるかどうかで楽しめるかどうかが決まるかも。
「ガメラ3」の前田愛もそうだけど、ああいう描き方って昔はアニメでしかなくなかった? こちらの安藤希もそうだけど、「受難の美少女」ってのは基本的にはアニメのものじゃないかと思うんだけど。「イヤボーンの法則」ってヤツもあるし。それが楽しめるかどうかだね。「村正〜!!」って叫ぶと刀がすっとんでいってさくやの手におさまるとかね。←私は好き。

8月23日(水)

仕事帰りに外人に道を聞かれる。英語だったけど、日本語がまったくわからないみたいだったんで私の言ったことがわかったかどうか不安だなあ。
それにしても私の「外人に道を聞かれる率」は高い。戦争になったら、真っ先に殺されるんだろうな。「与し易し」って意味で。
学徒動員で来た弱そうな若年兵士が本土上陸、私をブチ殺してプチ出世するさまを幻視してムカついてきたので、フテ寝。

丸の内線が新宿止まりの場合、新宿三丁目で降りて次の荻窪行きを待つ(新宿で人がたくさん降りて座れるかもしれないから)というコソクなことをしているんだが、新宿三丁目駅の決まった時間(私が帰る時間)に、決まって同じ人物がいることに気づいた。
すごく太っていて長髪、「フジサンケイグループ」のキタナイジャンパーを着ている。いつもスポーツ新聞か何かを読んでいる。荒俣宏を縦に潰したような人だ。
ホームの椅子に座っているのだが、電車が来たからといってそそくさと立ち去る気配がない(そうでなければ、30分以上の幅のある私の帰宅時間にそのヒトを見る確率はずっと低くなるはずだ)。

今日は「レコードコレクターズ」を読んでいた。
そんだけ。

8月22日(火)

少し涼しくなってきたと思ったら、またものすごい暑さ。はっきり言って、夏バテ。 夜中にマンガを読み漁るが、あまりに自分好みでないものばかりでウンザリする。

いきなり、芸能人水泳大会について考えてみる
「ポロリもあるかも!?」などという言葉が安易に使われますな。
「ポロリ」ってのは、むかし「芸能人水泳大会」で、おっぱい見せ係の女優さんがいて、騎馬戦などでビキニからオッパイを露出させていたお約束のことを言う。
しかしみなさん、最近モノホンの「ポロリ」を見たことがありますか!?
「あるよ、トゥナイト2で」
などという冷めた視線が私を襲う。なるほど、確かに私はトゥナイト2を見ていない。規制が厳しくなっている(らしい)現在のテレビで、かなりナチュラルにオッパイを出しているほとんど唯一の番組。だから、もしかしたらそういうシチュエーションもあるかもしれない。
あるいは、私の論旨自体が間違っており、現在行われている「芸能人水泳大会」にはいまだに「ポロリ要員」が存在しているのか。
いやいや、そこで私は首を振る。たとえいまだに「芸能人水泳大会」が行われ、そこで「ポロリ活動」が行われていたとしても、それはかつての「弛緩したハプニング」的な要素は微塵も持ち合わせていないに違いない。
本文の出だしは、そんな大胆な資料不足と私の臆断から始まるのである。

さて、「ポロリもあるかも!?」と使われる場合、往々にしてそんなわけはないのであって、まあそれを言うヒトが「オッパイ見せてもいいタレントなのかどうか」でわかろうもんだが、この言葉が形骸化していることからモノホンも多分少なくなっており、ひいては「芸能人水泳大会」自体が形骸化していると考えることはできまいか。

そもそも「芸能人水泳大会」があきらかに弱体化しているのを感じたのは、5年以上前の「ドキッ! 女だらけの水泳大会」を見たときであった。
当然規制だかなんだかで「ポロリ」はなし。やたらと田村英里子西田ひかる島崎和歌子ばかりがアップになる。その他の出演タレントの記憶がないほどだ。
ここで、すでに「だれがどのくらいアップになるか」、が厳密に決められていたと考えられる。また、出演タレントもシロウト目に見て「決められたメンツ」という印象が強く、当時台頭いちじるしかったいわゆるセクシーアイドルも、限られた人々しか出ていなかったと思う。
それは、逆に言えば「セクシーアイドルばかり出していてはアイドル水泳大会が無意味化してしまう」ということでもあった。常態が水着であるセクシーアイドルは、プールサイドにいることがむしろ普通で、そこに祝祭性はナイ。

そして私個人にとって「芸能人水泳大会」の終焉を決定づけたのは、「女だらけの……」ではない、他局の水泳大会だったと思う。司会はホンジャマカ。いつ頃の放送かは忘れたが、井上晴美寺尾友美SHIHOが出ていた頃だというと納得いただけるだろうか。「SHIHOが目立とうとして、スクール水着を着ていた」というとその番組の雰囲気がわかるのではないか。
出演者は当時旬のセクシーアイドルをそろえた華やかなものだったが、何と言っても「ポロリ要員は実はそれを生業にしているプロだった」というパロディ映像を流していたことが特筆に値する。
「ポロリ」がパロディ化されていたという時点で、すでに水泳大会もポロリも終わったと言わねばならないだろう。

だいたいにおいて、かつて水着とアイドルは不可分のものだったが、今、それらは分離してしまった。
「アイドル」と聞いてすぐ思い出す「モーニング娘。」でさえ中途半端なタンクトップみたいなのにしかならないことを考えると、実に悲しい。
……分離というより、むしろ「むちゃくちゃ」と言った方が正しいかもしれない。
シロウト目に見て別に水着にならんでも知名度はじゅうぶんあった奥菜恵は一時期しつこいくらいに水着になっていたし、「つぐみ」のように、オールヌードを披露してから青年誌に水着グラビアを載せていた珍しい例もある(ヌードよりむしろ水着の方が一般誌に載ることができると判断したのだろう)。

また当然アイドル的展開をしそうな内山理名は水着にならず、遠藤久美子も同様。
逆に夏生ゆうなみたいなアイドル顔の子が、イキナリヘアヌードを出すケースもある。
こんな、ジョルノが出ていた頃のジョジョのラスト近く、みんなの魂が入れ替わったようなムチャクチャになってしまったのは、なんといっても宮沢りえの影響以外のなにものでもない。

彼女こそ、すべての「露出度」の基準を狂わせてしまった恐るべき存在なのである。
当時「毛が何本見えていた」と一喜一憂していた人々はその辺を考えてほしい。

話を水泳大会に戻す。中高校生時代ですら「限界SEXY!」とかいう惹句を冷めた目で見つめていた私も、最近の「ポロリがどーの」という発言にはむやみに腹が立つ。もはやオリジナルのポロリさえ幻だというのに。受け手も送り手も弛緩したこの状態は何であろうか。
「まず本物のポロリを見てから言ってみろ!」
「俺の名を言ってみろ!」
とか思いますけどねぇ。
なんか長いわりには水泳大会と関係ない話になっちまったな。
でもいいんだよ。おれ泳げないから

8月21日(月)

「仮面ライダークウガ」

第27話「波紋」、第28話「解明」
脚本:井上敏樹、監督:渡辺勝也
驚天動地の大トリックっつーか、こういうムチャクチャな展開というのは敵が未確認生命体という人間以外の生き物でないとちょっとできない。素晴らしい。

「未来戦隊タイムレンジャー」

第27話「小さな故郷」
監督:諸田 敏、脚本:小林靖子。
母星が爆発してしまい、一人だけ地球にやってきたシオン(グリーン)と、海辺に掘っ建て小屋を建て、「自分の故郷を守る」と言ってはゴミ捨て、果てはロンダーズとの戦いをも辞さないおやじさんとの心の交流。
シリーズ半分を過ぎて、やっと毎回の出来不出来の幅も飲み込めた。今回もそこそこイイ話だった。
しかし海辺のシーンであるにも関わらず、ユウリの水着姿がクローズアップされることがなく、戦隊モノの年中行事に水をさされてぼくちゃんご立腹(笑)。
ところで、「週刊現代」だか「ポスト」に、前作が視聴率5%台を低迷していたが、敵の女幹部・リラのお色気によって現在は8%台に上昇、時間帯トップを狙う勢い、と書いてあったが、そんなにリラってイイかなぁ!? まあリラ役のヒトのグラビアが載ってたんでヨイショもあると思うけど、愚直に考えて一人の女幹部によって視聴率が左右されることは考えにくいのだが。

8月20日(日)

「戦闘美少女の精神分析」をめぐってという、ウェブ上の公開討論があるらしい。
「戦闘美少女の精神分析」は、斉藤環という人が書いた本で、肌を露出した鎧を着た女の子が背中にロケットつけてミサイルぶっ放したりするのが「戦闘美少女」らしい。で、私はこの本を買ったが、まだ読んでない。だからこの公開討論に関しても、感想の書きようがない。ウググ。

……ということで、この討論のメンバーである伊藤剛さんのこの発言について、これが個人体験に基づくゆえに、私もこれに対し個人的感想を書いてみる(ちなみにそれ以外の発言は読んでいません。元になる本を読んでいないとわからないと思ったから)。

伊藤氏(67年生まれ)は、高校時代戦闘美少女のイラストを描いていたが、友人の「そんな絵を描くヤツに友達はいない」という言葉にショックを受け、ソレをやめてしまう。以後、オタク的なものを遠ざけ大学時代はトレンディー(DCブランド)だったりサブカルチック(ロックを聞く)だったりすることをするようになる。しかし、戦闘美少女に対する欲望はなくなってしまったわけではなかった(大意)、と書いている。

そして「『戦闘美少女』という表象を考える際の手がかり」として、自身の経験から「戦闘美少女への感情的な反発を唱える者がいること」、「感情的な反発が『友達がいない』という社会性の有無と結びつけられている」、「戦闘美少女に魅力を感じる自分を『恥じる』感情があること」をあげている。
ここらの心情というのは、二次元美少女萌え萌え街道を突っ走って行ける人にはピンと来ず、またオタクアイテム(とくにHなものとチョクに結びついているもの)に関係のない人にはまったく関係がないところでもあるかもしれないが、今から15年くらい前はないことではなかった(私も67年生まれだ)。
アニメ、とくに美少女アニメが好きだがムリして軟派なテニスサークルに入るヤツもいたし、オタク的なものよりはサブカル的なものを、というヤツもいたし、なんつーか田中康夫的なものへ行ったヤツもいたと思う。その当時の感覚はわからないわけではない。

だが同時に、「そんなにむずかしく考えることかなぁ?」という気も素朴にする。……というのは、性的なものというのはフィクショナルであるほど一般常識に照らして嫌われる傾向がある、ということにすぎないのではないかと思うからだ。
もちろん、「では『一般常識』、『ほんとう』と思われることは何なのか」と問われれば、それは「自由恋愛による男女両者合意に基づくセックス」である。当たり前なくらい当たり前な話だが、私の高校・大学時代を基準にしても、少なくとも成人していれば「自由恋愛による男女両者合意に基づくセックス」をしてとがめられることはまずなかっただろう(相手が複数いるというのはダメ)。
それが「普通」の状態とすると(その「普通」のあり方の是非についてはここでは置く)、おカネを介しても「ウソ」になるし、ストリップやアダルトビデオも、ただ見るだけだから現実のセックスとは異なり、変態やフェチものだとさらにサベツされ、マテリアルが生身の女性でない場合は価値基準としてさらに下位に置かれる。当然、アニメやマンガの美少女に「萌える」こともそう、フィギュアもそうだ。
「戦闘美少女」はかなり「ウソっぽい度」が高いから、表象としてもこの順列にのっとるなら、かなり下位に置かれるだろう。
そうしたことは、「感情的」というより「直観的」というに近く、ソレが「社会性の有無と結びつけられる」のは、むろん性欲の解消がバーチャルな方向に向かえば向かうほど、実際の社会性(結婚して子供をつくる)から遠ざかるのだから当然のことだ。

それほどのことを高校生が直観しているのか、と問われれば、それはしているでしょう。
ヤンキーマンガ(あ、地元の不良がウダウダしているようなタイプのやつね)だって、読んでみれば「カノジョをつくる」ことがかなりのイベントになっているし、その最終的なアガリは「結婚して幸せな家庭をつくること」になっていることが多い。逆にアダルトビデオや買春にまつわるエピソードは、ある種の「ダメ感」を漂わせている。
一般人も似たようなもんである。

「戦闘美少女に魅力を感じる自分を『恥じる』感情」は、当然上記のようなヒエラルキーの最下部に自分が行ってしまうのではないか、という感覚に基づいていることも間違いないだろう(もちろん、思春期のセクシャリティの悩みも加味される)。

以上が私の率直な感想です。
ちなみに、私は「無敵少女ラミー」を買うときに、少しは恥ずかしいと思ったがそんなに、ものすごく恥ずかしいとは思わなかった。
それと筆者は「ボディコン、ワンレンの彼女がいた」そうなので、私はそれに強いショックを受けた。もう自分の心を抑圧してしまうかもしれない(笑)。

8月19日(土)

「蝉がいなくなった」と心配していたら、外で顔にバシッと当たるものがあって何だと思ったら蝉だった。

朝晩涼しくなってきてこりゃイイ、と思っていたらまた暑くなり、その激しい環境の変化に耐えきれず(弱い……)、なんだかすごく身体がダルくなってきた。いくらでも眠れる。ヤバイ。
おまけに軽く腹がくだっていてだけれども猛烈に何か食いたいという欲求にかられる。

8月17日(木)

イカンイカンと思いつつ、1日中、寝たり起きたりグタグタしていたなぁ。
ラリイ・ニーヴン「中性子星」収録の中編「ソフト・ウェポン」が異常に読みにくい&つまらないでグーグー。
図書館から借りてきたレーモン・ルーセル「アフリカの印象」が読みにくくて、グーグー。
ルーセルについては、覚悟はしていたんだが「ロクス・ソルス」より数段物語世界に入っていきにくい。「ロクス・ソルス」も読みかけなんだが図書館にある方を先に読んでしまえというビンボー臭い理由による。

「未来戦隊タイムレンジャー」

第24話「黄色、時々青」
監督:小中 肇、脚本:小林靖子。
自分を救ったタイムイエローを、タイムブルーだとカン違いして好きになってしまったパパラッチ・ホナミのシリーズ。
勘違いがバレそうでバレないところがとてもうまい。また、自分(ホントはブルー)を本気で惚れていると悟ったイエローが悩んでわざとホナミを遠ざける(自分たちは未来人だから)のに対し、グリーンが「先のことを考えて仲良くならないなんておかしい」とか言うところがさりげなくも、いい。

第25話「途切れた信頼」
監督:松井 昇、脚本:小林靖子。
心臓に負担がかかる爆弾みたいなヤツを戦闘シミュレーションで使えと言われ、心臓の病気を持つ(他のメンバーには秘密)アヤセ(ブルー)を気遣い使わなかった竜也(レッド)は、メンバー全員、とくにユウリ(ピンク)の信頼を失う。二人の関係は最悪に……。
冒頭、シミュレーションに失敗してわざとおどける竜也をみんなが冷たくあしらうシーンは、けっこううまくいっている職場の中で、本当に仕事に失敗したときをあまりにリアルに表現していてコワイ。意地悪なヤツが一人だけいるとかそういうのも困るけど、職場で本当に落ち込むときってそんなときだ。
で、次週に続く。

第26話「信頼の秒読み(カウントダウン)」
監督:松井 昇、脚本:小林靖子。
タイムレンジャーもついに折り返し地点。もちろんお約束どおり竜也とユウリの信頼は戻るのだが、「自分を確立しようとするおぼっちゃん」竜也、「強がって、孤独を見せようとしないハードボイルド」ユウリの対比ってのがますます立ってきてとてもイイ。
ラスト、寂しいとホンネを漏らしたユウリを迎えた竜也が抱きしめる(ハグみたいな感じで)と、怒ってユウリがビンタを喰らわす、というのも往年の少女マンガっぽくて、おれ的にはホロリとした。
どうでもいいことだが、ユウリの回想シーンでの未来社会で、自律型自動車のしゃべりが抑揚がないのはあまりにあまりなのでは……。これじゃ30年前のコンピュータのイメージだ。

「仮面ライダークウガ」

第26話「自分」
フクロウ型怪人が、ペレットを吹き矢のように発射し、人を殺すという設定は面白い。
物語は、「このまま大人になっていいのか?」と悩む少年に五代(クウガ)が優しく語りかけるところがキモだが、わざわざ場面を転換して、「今の子供は享楽的すぎて悩むことを忘れている」みたいなことを村田和美達に言わせるのは完全な蛇足。ラスト、一度はフクロウ怪人を取り逃がしたクウガが再戦で勝つことに何の説明もなされていないことを考えると、戦闘を削ってまで入れるシーンではない。「何をきまじめに……」と思われるかもしれないけど、村田和美や五代の妹だって、「享楽的な人生」を肯定された社会の申し子ではないか。年下に(笑)説教されるスジアイはない。
でも、五代(クウガ)は何を言ってもいい。だって、ヒーローだから。ヒーローは、少年の悩みに答えるものだから。

8月16日(水)

ひょんなことから、私がかなりソンケイしているマンガ家の先生に会うことができました。わーい。

でも何を話していいかちょっと焦ってしまい、後から作品の「こんなこともあんなことも聞けばよかった……」とか思いました。好きなSF作品とか、クトゥルーのこととかも聞けばよかったよ〜。
でもお話を聞いているうちに、エンターテインメントにおける「作品の説得力(読者の納得)」とSF的アイテムの受け入れられ方、みたいなものについてはいろいろ考えさせられるところがありました。
やはり、拳ひとつで相手がぶっとんでいく「少年ジャンプ的ワンダー」(=説得力)の秘密を探るには、「SF的設定がどこまで自然に受け入れられるようになっていったか」、あるいは「SF的設定なしにソレを表現することは可能だったのか、あるいはSF的設定でなければダメだったのか」について考えなければならんと思いました。

とりあえずの結論としては、やはり科学的なるものの浸透と拡散、そして同時に不信(=オカルトの台頭)がここ20年くらいの流れになっているという「当たり前」なことになってしまうんだけど、それと同時に「オカルト」のような体系だったモノ以前の、民間信仰に近い部分(忍術とか狐狸妖怪のたぐい)の「荒唐無稽さ」が江戸〜近代までにどのように認識されてきたかについて考えねばならんとも思いました。
たとえば「テレポーテーション」で消えることには納得いかなくても、「妖術」ということなら納得いったのかどうか、とか。モロモロ。

近くに来たついでに図書館に行って本を借りたりして、私の夏休みは過ぎていきましたとさ。

8月14日(月)

かなりヘバってたねー。しかも面白くないことがあって、ふさいでいた。
前にも書いたが日記に何をどの程度書いたらいいのかわからないことも多く、でもメモ書き程度なら私にとって書く必要ないしなー。ウケ取りたいもん。
やっぱりふだんのトーンを思いっきりダウナーにしておくのがいいんだろうね。
とりあえずもう「おはスタ」や「ハローモーニング」のこととかは書かねえ。私だけの楽しみにしておく。
なんかそういう事物を面白がっている私を面白がっている人もいるかもしれないけど、根っこのところで共感というか理解しててもらわないと(いや、尊重してもらってる人ももちろんいるけど。読みたい場合はメールか口頭でお伝えください???)、さすがにそこまでは道化になりたくないっていうか。
私も伊達や酔狂でやってるんじゃないんで(ええっ!?)。

なんの用事だったか忘れたけど、つまんないことが重なって昨日買ってきた同人誌を読むヒマがなかった。
あ、エロ同人誌を買って、買ったときも、中身を読んだときも「ウテナ」の双子の兄妹のヤツだと思ってたら、「リヴァイアス」とかいうアニメのだった(笑)。
私が、題材となる作品すら知らなかったということだ。

・映画「見知らぬ乗客」(年代忘れた、米)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
主演:忘れた
列車内で交換殺人を持ちかけられ、勝手に自分の元妻を殺されたテニスプレイヤー。「約束を果たしたんだから私の父を殺せ!!」とせまられる。
古典は面白いが、1本や2本見ても語るべき言葉が何も思い当たらない。
ところがキムタクと常磐貴子のドラマだったら1回だけ見てもテキトーなことはナンボでも言える(もちろん文章の善し悪しは別にしてよ)。
それだけ現在のモノは、理解するための知識を無意識のうちに自分が獲得しているということなのだろう。

8月13日(日)

コミケ当日。
「コミケ晴れ」という言葉があって、あまり台風とかち合わないそうだが今回は直撃というほどではないにせよ雨が降っていた。
朝、7時半に吉田等と新木場で待ち合わせ。私の時間の読みがあまかったのか10分ほど遅れてしまった。
遅れたものは精神的に劣位になりがちである。唇をかみしめてくやしがる俺。別に気にした様子もない吉田等。
電車の中で気楽院さんと偶然一緒になる。

吉田等と「本が売れなかったらどうしよう」、「売れないどころか、本が増えていたらどうしよう」、「しかも紅茶キノコの本」、「しかも英語で書かれた本」などと話していたのを聞かれてしまったであろうか?(^_^)

明け方は小降りでタカをくくっていた雨が、ビッグサイトに着いた頃にはかなり激しい降りになり、両手に荷物を抱えていて傘が持てないので吉田等と相合い傘で行く。
ビッグサイトは、駅に着いてから会場までが長い。
「駅に着いたら安心」と思っていたら大変な間違いで、ズブ濡れになってしまった。
しかも入り口受付のところで早く中に入りたいとチケットを出したら、
「これ、去年のチケットなんですけど……」
ええーっ。まさか去年の封筒を間違えて持ってきたのか……。焦って封筒をまさぐったらホンモノが出てきた。しかしコレのおかげで変な汗が雨に濡れた身体からジンワリと。

さらに、登録カードに捺印を忘れていて、今までにない経験なので焦りまくる。
「非・円滑化現象」だ(by 真・幻魔大戦)。
サークル受付にそのことを話したら、かなり横柄な態度で「次回からは気を付けてくださいよー」とか言われちょっとムッとするが、反感を買ってはいけないと「いやー印鑑は持ってきているんですけどねー(これは本当)朱肉がないんですよねー」と、卑屈な笑いで通す。

我々サークルの配置されているところはいわゆる評論系(&お人形関係)の島で、準備のためか歩いている岡田斗司夫氏唐沢俊一氏、串間努氏などそうそうたる人々を見てなんとなくキンチョーしてくる。

巡回受付スタッフが回ってきたときが、まず第一の難関。「ゲーム機のコントローラーの写真を使ったら著作権のカンケーで売っちゃダメと言われた」などの話も聞く。ここで「売っちゃいけません」と言われたら、今までの苦労が水の泡だ。厳密に言えば違法である我々の出版物は、きまじめな人の批判の目にとまったらひとたまりもない。
巡回受付のにーちゃんは、「礼儀正しいパンクス」といった風情で、「パンクスなら何とかなるかも」と無根拠に思っていたら印鑑の件も本そのものも簡単に通してくれたんでホッとした。

雨で人の入りを心配したがやはり若干少ない印象、しかし比較的涼しくその点はホッとした。
開場とともに、欲しい本はすべてゲットしてしまい、勢いあまってそうでもない本までゲットしてしまったが、そこはそれ、お祭りだからイイのである。

当サークルの方は、売れ行きはほとんど予想どおりの展開で、ある種の感慨に耽ってしまった。もうこれからは冗談でも「同人誌を売った金で焼き肉が食いたい」などとは言わないだろう。わかるのが10年遅かった。
私の頒布物は「ぶっとびマンガVol.4」だったが、買ってくれる人が「たくさんマンガ読んでますねー」などと声をかけてくれると、苦渋に満ちた顔で「いえ、まだまだです……」と反射的に答えてしまうなど、自分自身の苦悩ぶりがうかがえてしんみりする。
イヤに持ってきた分量が多いと思っていたら、間違えてその次のコミティア用の在庫も全部持ってきてしまったことが判明。自分のテンパった様子に苦笑する。

昔は行列のできるアニパロサークルなど別世界のことだと思っていたが、ことつくっている本が評論系だと、プロ作家の出している本にひけはとるまいとか(ひけはとるんだけどさ)資料がまだまだ足りないとか、データに間違いがあったらどうしようとかいろいろなことを考えてしまい、だんだんテンパってくる。
ほとんど定量的に本のデキが計れてしまうところが、評論・情報分野の恐ろしいところなのだ。

西館の春咲小紅さんのところに行ったら、「吉田等からときどきメールが来る」と言っていた。吉田等、携帯電話でメールやってるのか? と思ったら、パソコン始めたらしい。ウチにはメールも何にも来てない。まぁわざわざメールを送る方がまどろっこしい関係ではあるのだが。ココのHPも見てないらしい。まあ吉田等らしいふるまい。私と吉田等。かえって照れくさいかもな。

帰りは雨はやんでいたが、人が混んでいて電車に乗るのにもひと苦労、困っていたら「回数券が余ったから」といって見知らぬ人が3枚(我々は力学(ちから・まなぶ)を除いてA/Kodamaさん含む3人が切符を持っていなかった)、売ってくれたのはラッキーだった。

市ヶ谷の「素材屋」で飯を食って飲む。なんだかそこはかとなく料理がうまい店。疲れきってA/Kodamaさんはずっと寝ていた。

今回ほど自分の限界を感じたことはなかった。そもそも、コミケ前から「コミケブルー」的な状態に置かれていた。考えてみればダミーサークルはともかく、ほとんどすべてのサークルが「自作を売る」という行為をしている(言うまでもないことだが)。しかもウン百万部を売るプロマンガ家も、その辺の中学生も同等にスペースを出して作品を頒布する。別におのおの勝負しているわけではないが、そうした無軌道ぶりがなんだかすごいことのように思われてきて、行く前から恐くなっていた。

もちろん、書店で玉石混淆の本が並べられている光景と同じだとも言えるが、「著者、あるいは直接の関係者が本を売っている」という、「顔が見えている状態」が異常というかとても特殊なことに思えてきた(テンパってた証拠)。そんな感覚を今まで抱いたことはなかった。自意識過剰というか、突然高所恐怖症になったり、水に入るのが恐くなったような感触。
公私ともに、無限のダメ出しを受けているうちに自作のクォリティが見えてきてしまい、そのわりにはその鑑識眼を作品に反映できないギャップにほとんど気が狂いそうになっていたのだった。
自意識過剰、考えすぎ、何とでも言ってくれ。でもわたし的にはまだまだまだまだ、自作の作品クォリティには満足できず、最悪なことにそれを打開する気概も策もないのだ。

なんとなく厄日だった。母親に聞いたら、この日お墓参りに行って、いつもそんなことはないのにその日たまたまお寺のある駅の反対側の出口に出てしまい、そこで雨ですべって転んで血だらけになった人を見てしまったという。

私に不運を前向きに解釈する知恵はない。
厄日。

8月11日(金)

飲み会
久しぶりに5人の戦士たちと飲む。その内訳は、サンダース提督、アイフル一平太、ロマンス面(づら)、ミス愛子三世、ゴキノザウルス。

話した内容はよく覚えてないけど、進化論については白熱した議論が展開された。
アナール学派の私と百科全書派のアイフル一平太、そして講座派のミス愛子三世はとくに意見が対立、最終的に「進化論」は「進 化論」という名の男の見た胡蝶の夢だということに落ち着いた。

あと驚いたのが、みんなむかしの「SFっぽい未来」みたいのにとくに興味ないんだよねー。私は小さい頃、ぜったい未来はああなると思ってたから、大人になってからのショックも大きかった(笑)。
やっぱり未来は銀色の服を着た人々が動く歩道やチューブの中を走る乗り物で通勤、ってんじゃないとなあ。
まあ銀色の服の女性は、現在でも渋谷の109の前あたりを見ればいるけど(そりゃなんかのコンパニオンだって)。

またぜんっぜん関係ない話だが、朝日新聞だかに「ドラえもんの道具で欲しいものは?」っていうアンケートがあって、1位がどこでもドア、あとはタケコプターとかポピュラーなのばっか。あまりの小市民ぶりに、さすがの庶民派(?)の私も怒り心頭!!!!!
ドラえもんの道具っつったら、
「もしもボックス」、「ソノウソホント」、「ウソ800(エイトオーオー)」、「人生やり直し機」、「チョージャワラシベ」、「流行性ネコシャクシビールス」、「石ころ帽子」等々に決まってるだろうがッ!!

とくに「ソノウソホント」のことを考えるとウットリするよ……。

8月10日(木)

よく生活が昼夜逆転しているという人がいるが、私の場合休みの日には異様に早く目が覚めてしまい、夕方には眠ってしまうこともあるという「中途半端型」の生活となる。

朝、8時頃までに部屋の片づけをしていたらもう疲れてきた。
10時半頃、新宿伊勢丹の古本市へ行ってみた。古本市ってあまり行ったことない。
めちゃくちゃ混んでいて、しかもみんな本に夢中になって歩いているから、いつぶつかってきたり肘撃ちを喰らわされるかと気が気ではなかった。すごい勢いで脇から入ってくる人、デカいカバンが邪魔な人、あきれたのはCDウォークマンを聴いていたヤツ。こんな人混みで、それじゃ後ろから人が来ても気づかんだろうに。

マンガコーナーが意外に少なく、釣果ほとんどなし。
CD屋に行こうと歩いていたら、私と同じ方向に歩いてくるにいちゃんがいる。「なんかの客引きだ」と思って早足にしたら、そのにいちゃんが言った言葉が、
「違う違う! ……展示会」
……って違わねーじゃねーか。
あと地下街のカレー屋で「カレーバターライス」とか言うのを食ったら、不味かった〜。骨付きの鶏肉が2個付いていて、うまそうだったんで注文したんだけど、その鶏肉自体が不味かった。

家に帰ってまた部屋を片づけるが、あまりの本の多さに生きているのがイヤになり、何もかもがイヤになり、人生自体がイヤになり、優れたオタクの人のHPを見ては自分のダメさを思い知り、優れた? 元ヤンキーの人のHPを見てはまた自分のダメさを思い知り、「週刊宝島」の「あのアイドルは今どこに?」みたいな記事と、「別冊アサヒ芸能」の水着ギャルのページを読んで飯食ってビール飲んで(また飲んでやがるよおれ)寝た。

ちなみに今年の夏のグラビアクイーンとしてクルと私が予想するのは(以下削除)

書いたあと、読み直したらあまりにバカバカしいのでイヤになって削除。 やはり推敲はしないとイカンよ。

8月9日(水)

・映画「ダイヤルMを廻せ!」(1955、米)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
主演:忘れた
古畑任三郎だった。というかこっちがずっと先だ。前半30分、ほとんど会話だけで続く展開が死ぬほど退屈で、逆にラスト30分はお話が収束していってとても面白かった。三谷幸喜も会話だけで展開させる場合があるが、脚本家の色がそれなりに出ていると思うので、この映画もアメリカ人の機微や英語がわかる人にはもっと面白いのかもしれん。
そして、やっぱりこういう古典は、中学生くらいのときに見ないとダメかも。その後、この作品にインスパイアされた作品を多数見た後だと、どうしても感動が薄れる。

それより去年の正月に録画したモノだったが、合間に入っているCMの田中麗奈が異様に若いのでとてもうろたえた。

8月8日(火)

蝉が鳴いていないことに気づいた。カラスが増え、ネコがそこらへんをウロウロし、犬ブームなのか飼い犬を連れて歩く人々も激増。池や川に本来いるはずのいない魚や生物がいると聞くし、動物になじみのない私としてはそうした環境変化からはじめて動物との関係を感じるという皮肉な日々。
でも、夜鈴虫は鳴いてたな。

昨日の伊集院光のラジオでも言っていた「Modulations」というドキュメンタリー映画を見に行く。電子音楽の歴史に触れつつ、テクノ関係の人々へのインタビューやクラブイベント、レイヴなどの様子をおさえ概観するような内容。
テクノファン以外はまったく見てもしょうがないといったコンセプト(テクノに興味ない人にも見てほしい、ってのはつくり手のホンネであり、私もまたそう思うが、もし私が興味がなかったら見ないだろうなあと思うのもまた受け手のホンネだ)。見に来ているヤツらも当然テクノ好きっぽい子ばかりだった。
全体的には、つくり手の過剰な主張もなくオーソドックスに流れを追っていてイイ感じ。だがそれだけではテクノファンが見てもしょうがない。情報の確認にすぎないのだから。

やはり写真や、パーティに行っても遠くからしかおがめないテクノアーティストの生きて動いているところを見られるのがポイントか。想像はしていたがとにかくみんなおそろしくアクが強いか、目がイッているヒトが多かった。ミックスマスターモリスなんて年いくつなんだろう……なんかすごい味のあるオヤジになってる。名前忘れたけど小太りで鼻とアゴの下? にピアスしているジャングルのヒトとか。一心不乱にゴミ箱叩いているヒトとか。すごいね。
また電子音楽の黎明期の人々も「不思議なおじいちゃん」みたいになってた。ヨボヨボしてる人もいたけど、ゴチャゴチャとした機材やキーボードを背景に「不思議な音」について語るサマには本当、憧れるマジで。

基本的に身体的というか身体を動かすのが目的のダンス系テクノの人に、案外デブってる人が多いのには勇気が与えられた(笑)。アフリカバンパータとかカール・コックスとか、ちょっとどうかというくらい太ってた。でも黒人って太ってるのもなんかカッコいいんだよな。

8月7日(月)

今日もまたクソ暑い……しかも、所用で1時間ほど外にいなければならなかった。いつもはクーラーで冷え冷えになるくらいの環境で仕事しているのだが、中にいるのと外にいるのとでは体力の消耗がぜんぜん違うね。あんまり暑くてまた飲んじまった。自制のきかないおれ。

同人誌のコピーをした後酒を飲んで眠ってしまい、夜中に目が覚める。で、コピーした原稿の折りをやる。伊集院光のラジオで「元祖天才バカボン」の思い出話をしていて大爆笑。その後、ミスったコピーを近所のコンビニにもう一度やりにいく。夜中3時頃。コンビニの前でしゃがみこんだカップルが口を吸い合っていた。

そして製本し、この「日記」のクソ駄文を書き殴ってまた寝る。

ミニ浴衣
「浴衣のヘンな着こなしが流行らないことを祈る」と書いたら、テレビや雑誌で「ミニ浴衣」と称して両ソデ腕まくりして膝丈くらいまでの浴衣が流行っていると報じていた。ああ、眩暈が……。コレだけはやめてほしかった……。
どうせ短くするならもんのすごく短くすればイイのにな。「地獄先生ぬ〜べ〜」のゆきめみたいに。あれじゃ天才バカボンの息子の方だよ。

ところで、このミニ浴衣の出現によって「ファッションでバカ度ははかれない」という私の仮説が一夜にして崩れたようにも見えるが、ギャル文化そのものの伝播に関わってくる問題だと思うので、それを知らない私としてはきちんとしたコメントができない。
ただひとつ言えるのは、池袋でそんな珍妙な浴衣を着ている娘はいなかったってこと(これから増えるかもしれない。イヤだなあ)。

中途半端物件についての弱点
以前、「中途半端物件」についてあるヒトに力説していたら、すごく冷静に「きみのいう中途半端って、ぜったいかわいいおねーちゃんが出てなければだめなんじゃないの?」と言われたことがある。
これは大弱点。ここを乗り越えられなければ普遍性を獲得できない。
もちろん、「色っぽいおねーちゃんが出つつ、ただいるだけだったりツマラナイ役割を与えられている」のは中途半端である。ゴリゴリのエロマンガが中途半端とは呼べず、そこそこパンチラだのシャワーシーンだのがあるラブコメが「中途半端」と呼ばれるのと同じリクツだ。
だが、テレビ番組に絞って言えば、確かに私は男にキョーミゼロなので、「男の出る中途半端番組」についてひどく無頓着であったことは確かだ。
だがひとつ言い訳させてもらうと、カッコいい男の子が出ている番組の多くはジャニーズがらみだと思う。そして、「スマスマ」ほどでなくとも番組として洗練され、完成度が高いものが多く(私の好き嫌いは別にして)、何かの宣伝がらみとか、ただそのアイドルを売り出したいがためにつくったちょうちん番組とか、そういうのはほとんどないはずだ。すなわち「中途半端的視点」からははずれるものが多いのだ。

また、認定のむずかしい例として日曜日の昼間、フジ系で放送している「ウチくる!?」がある。コレは案内役に中山ヒデ、飯島愛、こずえ鈴。毎回ゲストの地元へ行っておすすめの店に入って飯を食ってうまいだのまずいだのという番組だが、中山ヒデと飯島愛の妙に場慣れした(スレた、という方が正しいのか)司会が全体をひきしめている。
そういうのはダメ。それなりに固まった中山ヒデからは、おそらく何らの中途半端性をも見いだすことはできないだろうから。「ダメ感」が漂いつつもキラリと光る何かがある、それが私の考える「中途半端性」なのだ。

ああ、うまく言葉にならん。途中で投げ出してオワリ。

8月6日(日)

昨日は池袋にいた。酒をセーブしたつもりだったけど、やっぱり二日酔いになった。
もうダメだよ。どうしても痩せないしな……現状維持でせいいっぱい。

あちこちに浴衣の女の子たちを見かけたので「どこで花火大会が?」と思っていたら、最近「浴衣が流行っている」のだそうだ。風情があってイイもんである(「今年のファッション」とか言って、ヘンな着こなしが流行らないことを祈る)。

ところで、ガングロ&ミニスカ&厚底靴を「若い子のバカ化」、「若い子はどんどんバカになっている」という論調で言う人が多かったが、私が新宿・渋谷で見るかぎりいつの間にかそうしたスタイルの子たちはほとんど姿を消した。
代わりに流行っているのはきわめてバカ度の低いファッションである。
おまけに「浴衣」といったらコレはむしろコンサバなスタイル。つまりファッションから「若者は時系列でバカになっている」ということは証明できないということだ。 まぁそういうこと安易に言う人っていうのは自分が言ったことも忘れちゃってるんだろうけどさ。
そういう意味でいえば、以前よく言われた「若者のデオドラント文化」ってのも疑問。
だって最近、地べたに座ってるじゃん、若者。あれ、年輩の人が見たら「キタナイ」って思うのが普通じゃないの。マスコミイメージだと若者ってのは「ウンコの臭いを消すクスリを飲んで、地べたに座ってる」という天才バカボンに出てくるようなキャラになっちまってるということで、たかだか10〜20年で「若者のデオドラント文化」と言いきるのは乱暴な気がする。広告代理店的に3年、5年単位で細かく現状分析すれば、また違った見方があるのかもしれないけどね。

それにしてもホントに「ウンコの臭いを消すクスリ」って飲んだ人いんのか。感想乞う。

ど根性スポンジ

中途半端物件報告!!
中途半端物件。それは、過激なもの、逆にアンビエントなものをおびやかす今もっともスキゾでパラノなアイテム(どっちなんだ)。新田&滑川は、「中途半端性」について語れる知り合いを多く持たないが、そんな中、最近注目のことどもをあげてみよう。

・ハローモーニング
モーニング娘。およびその仲間たちの宣伝のためだけにつくったバラエティ。関東では日曜日の午前11時半頃からやってる。
内容は実にたわいなく、モーニング娘。が一列に並んでワンセンテンスずつ「ちょこっとLOVE」とかを歌い、最後を歌ったヤツが罰ゲーム! とか。その罰ゲームも、オリに入って上から風船が膨らんできて割れると粉が舞うとか、そんなの。
「何もしなくていい、ただそこにいるだけでいいのがアイドルだ」と言ったのはナンシー関で、けだし名言だと思う。このデンでいけば、何かをやらせられまくっているモーニング娘。は私の基準ではアイドルではない。だがこうした「どうでもいいゲーム」をやっているモーニング娘。を見ると、彼女らもアイドルになったんだなぁ、と思う。
もう挑戦だの試練だのいらねえから、こうした「高嶺の花がツマンナイことしてます。だって私ら、高嶺の花だから」っていうスタンスで行ってもらいたいなあ。

・矢田亜希子のハイチュウのCM最新版
「ハイチュウが2つになったんだって!!」と言って矢田亜紀子が部屋に飛び込んでくるやつ。コレを映画「クロスファイア」の直後に見たら、興ざめすることうけあい。

あ、女の子が何かバカなことをやっているからといって「中途半端」として認定されるワケじゃないんで。たとえばボクサーの役? をやってる鈴木あみのCMとか、ぜんぜん入らない。アイドルアイドルしてるじゃん、なんか。じゃあモーニング娘。のカメラの方はどうなんだと聞かれると困るんだが、逆に言えば中途半端と「認定」されればそれはすでに中途半端ではなくなってしまうのかもしれない。第2、第3のゴジラが現れるのかもしれない。

地元の商店街祭り
地元の商店街ではショボくれた祭りが、二日連続で。
歩行者天国にして、アイスクリームだのとうもろこしだのを売り、スピーカーから宇多田ヒカルだの倉木麻衣だののインスト音楽を大音量で流し、ヒマそうな子供たちがテレンコテレンコと歩く。その中をわずらわしそうに自転車が走る。そんな、北島三郎だったら居眠りしてしまうような祭り。

小さめのトラックに「ボランティア」とか「世界平和」とか書いて、その上に人が乗って音楽を流す。すわ、ラヴ・パレードか!? んなわきゃなく、音源はコーラのケースの上に乗せたラジカセ1個。もちろん、商店街の名誉のために言わせてもらえれば、その前はこのトラックに太鼓をいくつか積み、子供がドンドコドンドコ本格的に叩いていた。

8月5日(土)

ここ2、3日ものすごくイライラしていて、ここ数年でいちばんくらいにイライラしていた。暑いしねえ。
自分ではイライラしている雰囲気を他人には見せないようにつとめているつもりだったのだけれど、力学(ちから・まなぶ)と会ったときについイライラを外に出してしまった。

あとで確認したら、「最初はちょっと感じたけど、その後話をしているときはとくにイライラしているようには見えなかった」と言われたからホッとした。
いやあ、迷惑かけてスマンよホントに。ごめんね。

イライラの理由はいくつもあるが、主にディスコミニュケーションというかすれ違いで意志の疎通がうまくできないことによる。
自分の言ったこと・書いたことがうまく伝わらないなら、何をやっても徒労ということになりはしないかと、しばし考え込んでしまったのだ。
それと仕事上、あまり人と突っ込んだ会話をしなくなってしまったので、その辺がマズいか。精神的に追いつめられたときのテンパリ具合が、若い頃より今の方がずっと激しい。
いつの間にか、「言いたいことはきちんと言おう」という姿勢になっていったことがイライラの総量を増やしているんだとは思う。だってそんなに自分の言いたいことが簡単に伝わるわけじゃないから。

イライラとはまったく関係ないが、私が主張している「中途半端」もその中途半端さゆえにまったく人に伝わらないことがある。
伝導の道は遠い。

今週採取した名言:
酒井若菜ファンのある青年のコメント:
(酒井若菜はオッパイが大きいから好きなんだろうと言われて)
「酒井若菜のオッパイなんて、飾りですよ!! えらいさんにはそれがわからんのです!!」
(byジオングを整備していた人)
感動したなあ。おれはこの感動を隠さんよ。

8月4日(金)

煮立って来るような感じで暑い。
マンガを10冊も読んでやろうと思ったが、ダメだった。敗北。

グダーッとしてたら、それはそれで損をした気もするし、だれかに嘲笑われているような気もする。

「毎度おさわがせします」のフォロー(テレビドラマデータベースによる)。

・「毎度おさわがせします」(1)
1985 TBS
脚本:畑 嶺明
出演者:小野寺昭、篠ひろ子、板東英二、中山美穂、木村一八、堀江しのぶ、夏木 マリ、高橋一也、佐藤B作、児島美ゆき、高田純次、八神康子、会沢朋子、クラッシュ・ギャルズほか
主題歌:C−C−B「Romanticが止まらない」

#コレで中山美穂はブレイクしたんでしたっけ。シングルの流れもちょっと見てみたんだけど(IDOL POPS '80sによる)、デビュー曲「C」から4、5曲は「セックスの話にも興味がある元気な女の子」というイメージで売っていて、いつの間にか化粧品のCFソングを歌うようなしっとりタイプになり、それが1回転して鍋の底の大根にかぶりつくようなキャラになったことが俯瞰できる(できたからってわたし的には利益ゼロなんだが……)。
個人的には「JINGI・愛してもらいます」(作詞:松本隆、作曲:小室哲哉)が好きでしたね。一本調子の繰り返しでだんだん盛り上げていくという、小室哲哉の真骨頂、しかしほんとに執拗に一本調子なんでミニマルなグルーヴといったモノが出ている。さらに松本隆の「あけすけにモノを言うマドンナ的存在」といった歌詞もスゴイ。
#ドラマでは八神康子が「えっち要員」だったと思われる。

・「毎度おさわがせします」(2)
1985 TBS
脚本:畑 嶺明
中山美穂、木村一八、小野寺昭、篠ひろ子、板東英二、新藤恵美
主題歌:C−C−B「空想Kiss」

#パート2も中山美穂でしたね。私の記憶違い。
内容についてはまったく記憶になし。

・「毎度おさわがせします」(3)
1987 TBS
脚本:畑 嶺明
立花理佐、勝野洋、渡辺友子(渡辺ともこ)、出門英、今陽子、金田 知巳、南渕一輝
主題歌:C−C−B「ないものねだりのI Want to you」、立花理沙「疑問」

パート3もあったとは、忘れてました。立花理佐。サリナバチ〜タ、サリナバチ 〜タ、でしたよ。

なお、「網浜直子が出ていた」作品は、

・「夏・体験物語」(1)
1985 TBS
脚本:畑 嶺明
吉幾三、MIE(未唯)、山口良一、塩沢とき、中山美穂、網浜直子、少 女隊、石田えり
主題歌:中山 美穂「C」(挿入歌・少女隊「Bye Bye ガール」)

#これも内容記憶になし。「中山美穂に似てるのにぜんぜん違う奇跡をたどった」網浜直子の代表作的存在ではあると思う。男女の乱闘シーンで女の子のパンツが見えるとかそんなことが話題になってたドラマ。

・「夏・体験物語」(2)
1986 TBS
脚本:畑 嶺明
吉幾三、MIE(未唯)、勇直子、塩沢とき、山口良一、藤井一子、志村香、芹沢直美、山口かおり、網浜直子、佐藤恵美、山本陽一、土田一徳、竹内 力(未確認)
主題歌:藤井一子「チェック・ポイント」(挿入歌・勇直子「センターライ ンが終わるとき」、ビー・パブリック「おまえにハートビート」、志村香「知りたがり」、網浜直子「ホット・サマー・ナイト」、佐藤恵美「キャンパスの恋人」)

#このドラマ、「男とヤっちゃいかん」という教師(吉幾三)の注意も聞かずヤってしまった芹沢直美がどんどん不幸になっていくという、けっこういい先生っぽい吉幾三でも転がり落ちる少女の運命はどうにもならないという教訓を秘めたある意味ペシミスティックな内容だった。
半可通知識としては芹沢直美は我妻佳世の姉、勇直子は確か、現在どっかのビジュアルバンドのメンバーのかみさん、志村香は吉井怜にちょっと似ていた。レコードセールス的には鳴かず飛ばずだった(と思われる)志村香の末期はなんだかヒサンであった。
山本陽一は末期必殺シリーズ出演などで記憶にとどめられているが、デビュー曲の無意味な元気さ&ハッピーさはもう一度聞いてみたいシロモノである。
また網浜直子は「W−NAO」として、癒し系としてブレイク寸前だった飯島直子とセクシーポップスユニットといった感じのグループで歌手活動をしたが、この辺り癒し系の勢いで抹殺されつつある。再評価が待たれる。

8月3日(木)

最終兵器的に暑い。
吉田等と会って同人誌「楽しい午後の過ごし方」のコピー。
およびコミティアチケットの受け渡し。
今回から、この同人誌は実質的に吉田等の個人誌となります(すでに私が離れるというのは半年以上前になされていた話なんだが)。
内容についての質問には(私はノータッチなので)答えられませんのでゴメンね。
……などと言っても質問なんて来たことないんだけどね。

HPの日記の書き方について
メモ程度のもの、かなり詳細に書いたもの、仕事方面にはあまり触れないもの、毎日更新するものや数日間まとめてアップされるものなどいろいろあるが、素朴な疑問として多くの人はトラブル関係についてはどのように処理・記述しているのであろうか?

まあ仕事関係はいっさい書かないというのが面倒がないのだろう。あるいはボヤかして書く。
しかしどうでもいいことが詳細で、肝心の部分がボヤけているというのも妙だ。
あえてハッキリ書くことで、トラブルを顕在化させようとか、知り合いや関係者に読ませて実生活の変化をうながすという方法もあるんだろうな……。

しかしムカついたことを日記に書いて、すっかり忘れた頃に他人にそれを蒸し返されて思い出し不愉快になることもあるから、ウソを書いておくのが吉か。

今日も楽しかったなぁ。男には尊敬され女にはモテモテ、ソフトクリームをコンクリの地面に落としても、ビデオ逆回転状態でコーンに戻ってくるくらいのラッキーさ。 通りすがりの老人が、私に百万くれました。

8月2日(水)

やはり殺人的に暑い。
ひさしぶりに渋谷の「まんだらけ」に行く。行けば行ったで必ず何か収穫があるので、ついつい買いすぎてしまう私。渋谷まんだらけは中野本店と違って、「ぶっとび系」を意識的に保護している印象がある。「愛戦団徒」全巻セットなんてのも以前見かけたしね。
ちょっと高くて手が出せないでいた絵物語「ノックアウトQ」などはとうとう売れちゃっていたなあ。1年近くあったと思うのだけど。

渋谷の街の女の子はやはり、上はタンクトップ、下はパンツというスタイルがほとんどで、「半端嫌いっス!」的なポリシーを持っていそうなミニスカ・厚底女を除けばみんなそんな感じ。「チアガールファッション(チアガールみたいな格好のファッション)が流行る」とかなんとか、テレビで言っていたと思うがあれはウソだったのか。私はメディアに踊らされていたのか。ガングロよりよほどマシだと思っていたのに。
そのかわり男たちはみんな、半ズボンはいてすね毛ボーボーですよ。
あのタイプのパンツ、ラッパーというかストリート系の男の子たちがはいている場合はあまり気にならないのが、ふつうっぽい格好だとなぜこんなに気になるのか。でも知り合いではいている人がいるとヤバいのでこの話題はもうしません。

家に帰ってマンガを読むが、たくさん読み過ぎるとなんだか頭がカッカしてくんだよな〜。これは小説を読んでいるときやテレビを見ているときにはない感覚だ。それで異様に頭がハッキリして眠れなくなってくる。
ここで酒飲んで眠れればイイんだけど、やっぱり家で飲むのはヤバい気がするんだな。けっきょく翌日の体調が悪くなってしまうんだよ。

最近お気に入りのCMは、
「ボクが王子だから?」
「独身男のオークション?」
など外人の男女がストーリーをかいつまんで話す「ハーレクインロマンス」のCMと、タモリがCGで登場してDJをやるユンケルのCM。
前者はずいぶん前からやっていて、別に気にもしていなかったのだがあまりにも長い間やっているのでなんだか自分の中で面白くなってきてしまった。流行らそうよ、「ボクが王子だから?」っていうのと「独身男のオークション?」っていうセリフ。

後者は、たとえば「大橋巨泉植木等を精巧なCGに」というのではなく、マンガ風にデフォルメされたタモリが何人も現れるという、もはや「記号化したタモリ」について思いをはせる一品。
たとえばCG処理により身体が子供になっているSMAPが出ているドラクエのCMなどに比べると、実際の手間はともかく「見た目」という意味では確実に簡素なわけで、こうなるともはやすでに真空管が陳腐化しているのにあえて小説内で使用していたヴァン・ヴォクトや、わざと「古い未来」っぽい演出をしていたクラフトワークまであと少し(暴言)。つまりタモリはテクノ・ポップにまで手が届いたのだ(暴言)。




CCB

・「すてきなビート」 C−C−B(2000(再発)、Pヴァイン・レコード)「Romanticが止まらない」の大ヒットを受け85年に制作されたアルバムに、ボーナストラックを付けて「テクノ歌謡DX」のシリーズとして再発。
「ポップ・サイド・オブ・ジャパニーズテクノ&ニューウェーブ」としての側面は本CDのライナー・ノーツを参照していただくとして(特筆すべきはリミックスのレコードを現役当時出していたことだろう。メチャクチャ早い時期だ)、アイドルバンドとしての思い出話をてきとうに書く。

なんとなく「女の子のファン中心」のイメージがあるC−C−B。松本隆と筒見京平のコンビが作詞&作曲を手がけていることや、楽曲そのものの楽しさに着目するようなポップスファンでなければ……たとえば音楽に過剰にとんがった側面を求める一部の中高生男子などは聞いていなかったのではないかと思われる(ここら辺、印象だけなので違うかもしれない)。
私自身も、彼らがテレビに出ていれば見ていたが、シングルを欲しいともすごく好きだとも思っていなかった。しかし、こういう曲ほど後で聞くと懐かしさがこみあげてくることは確かだ。

「Romanticが止まらない」(85年)はドラマ「毎度おさわがせします」の主題歌としての印象が強烈。このドラマ、確か中山美穂主演で未成年のセックスライフを明るく描いたものだと記憶しているが、網浜直子主演のものと記憶が混同してしまっている。まあ何にしろ、曲、ドラマともに「熱狂的なファンがいるようにも思えないがだれもが確実に覚えている」ものであることは間違いない(もちろんどんなものにも熱狂的なファンはいるので、これはあくまで印象)。
援助交際だの何だのというご時世では、ドラマ「毎度……」も曲「Romanticが止まらない」も大甘に感じてしまう。それも時代だなとしみじみするのだが、本アルバムには「スクール・ボーイ」という曲が納められている。
コレは歌詞とヴォーカルを変えて「悲しきスクール・ガール」としてヒットしているが、超意外なことに「スクール・ボーイ」の歌詞(松本隆)はツッパリの悲しみを歌った歌だったのである。

「売られたケンカを買ったあと/リンゴをかじって星を見た」
「不良のポーズを決めるけど/俺たちイジメは嫌いだよ/弱い奴だけはかばうのさ」

歌詞の中で、友達はバイクで事故って死んじゃってるのね。
楽曲の感じからして大甘なこの曲、チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」を連想させる。横浜銀蝿の印象があまりに強いんで忘れられがちだけど、こうした「あいつとララバイ」を思い起こさせるような感じの「スウィートツッパリソング」とでも言うべき系譜が連綿と続いていることは、見過ごしにできないことなんじゃないかと思う。女の子版では最近話題の三原順子の「セクシーナイト」とか、中森明菜の「少女A」とかね。「どんな観点から?」と言われると困るんだけど……。

でまあアルバム通して聞くかぎり、C−C−Bは歌詞が悪い意味ではなくものすごく甘いというか軽い感じのが多くて、現在のコムロファミリーやつんくがらみの歌詞が全体的にガンバレ・ソングであることを考えると「軽いからダメだ」、「軽薄短小」って言われてた時期も今は昔になっちゃって隔世の感がある。
モーニング娘。の「LOVEマシーン」ですらどこか暗い世相の反動というかヤケクソ的な明るさという印象がある昨今。もっともっと軽く明るい感じの歌が聴きたいと、思うものであります。

8月1日(火)

もうホントに暑い。タスケテ。

以前「今年の女子のファッションは露出が少ない」と書いたが、シヴヤやシンヂュクを流して歩いてみたところ(驚くべきことに外見完全田舎者の私の家はここらの近くなのだ!)、上着はタンクトップみたいのなどが多いが、下はパンツ(パンツと言ってもさるまたのことじゃないよ、当たり前だけどズボンのことだよ)、もしくは膝くらいまでのスカートが圧倒的に多い。露出の多い子はホントに少ない。

それにひきかえ、男はみんな膝くらいまでの半ズボン(なんと言うのか? 昔風に言えばバミューダパンツ)をはいてすね毛ボーボー。いいかげんにしてください。ボクを苦しめようとしているのですか? 幻魔の攻撃ですか? あるいは雄(オス)であることの……誇示?

家に帰ってきてから図書館に本を返しに行って、帰りにコンビニでうどんを買ったがかきあげといなり寿司が付いて290円。変に安くてかえって気持ち悪いんですけど……。いったいどんな成分でできているのか?

本屋から電話がかかってきて、注文していた「グルマンくん」(4)ゆでたまご(角川書店)が品切れということで号泣。グルマンくん、続きはどうなるんだグルマンくん〜。

どっかのサイトに載ってた「モーニング娘。」のエロ小説を本当にざっと読んで寝る。我ながら誇らしげな月曜日。
さすがブルーマンデー。
あ、ブルーマンデーじゃねえや。火曜日だよ火曜日。テレビの「ぴったしカンカン!」が終わってから火曜日がいつかもわからなくなってしまった(「ぴったしカンカン!」は火曜日やっていた)。



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