パラサイトシングル、略して「ぱらしん」

つれづれなるマンガ感想文9月後半
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一気に下まで行きたい

2000年

9月30日(土)

ガールズバンド・chee'sのHPの更新が、約2カ月前からまるっきり止まっている。
メンバーの日記でさえも……。
こういうのってソレだけで「もうやる気ないんかな?」とか思われるんで、目立った活動がないときもなんかかんか更新してほしいんだな。
ほっぽらかしにされた企業系・および公式HPほどうらさびしいものはないもんな。

ひさしぶりに「ミニスカポリス」を見る。
「グアムに行ったら入国拒否された」みたいなクダラナイドキュメント風展開だったんでどうかと思ったが、「サイパンでパターゴルフ」、しかもミニスカポリスのかっこうにルーズソックスという発狂したスタイルの女の子がゴルフしているサマにちょっとトリップしちゃいました。

別コーナーではあいかわらずパチスロをやり続けるのだが、勝った順に「ファッションショー」ができるというわけのわからない勝負で、1位がなんかこじゃれたギャルみたいな格好、2位と3位がそれぞれコスパ提供のメイド服と春麗、しかも「ファッションショー」とかいって、夜逃げした後のガランとしたオフィスみたいなところをプラプラするだけという、おれ的にかなり充実した30分間だった。

9月29日(金)

音日記 ストーンオーシャン
タイトルに意味なし。また近所で工事。「地主さん」のところで建物を直しているのだという。ウチが土地を借りているらしいが、どこを借りているのかわからん。「地主さんだから文句言うな」とか言われた。
それと、やっぱり「ビン倉庫」が幅をきかしている。ドゾワ〜ッ? っていう、トラックのドアを開ける音が耳に残るっスよ。

関係ないけど、呉智英の「ロゴスの名はロゴス」という本を読んでいたら、「?」や「!」の後に一文字分空白をつくることには文法的に何の意味もないそうだ。だがクセだからついやってしまう。もうこのクセは直らない。もう家には帰れない(by千倉マリ)

本の買い出しに神保町。
勢いで、あまり欲しくない本とかも買ってしまった。

9月28日(木)

吉田等と会って、お茶を飲む。「コミックレヴォリューション」のチケット受け渡し。
っていうか、コーヒー。そしてコーヒー腹になってなんか気持ち悪くなって、家に帰って大豆ばらまいて東京タワーに光子力ビーム。電気グルーヴ。

やってみたらおいしくなかった、和食にコーヒー。

9月26日(火)

「モトカ」と「レ」の物語(完結編)
登場人物:
モトカ:イルカ撃ちの少年。オカちゃんを密かに愛する。
レ:モトカの弟。おとなしいが、大胆な一面も持つ。
オカちゃん:オカリナに人生をかける少女。

(完結編)
モトカは、オカちゃんを映画に誘った。「猛スピードの女」という映画である。
これは、SPEEDファンの女(30歳独身)が、無農薬野菜づくりに精を出すが、そこにカッコいいジャニーズ系の少年が現れるという話である。
そして少年はしばらく無農薬野菜づくりを手伝い続けるが、彼こそ実は当局から追われていたテロリストであった。
少年はSPEEDファンの女の前から姿を消す。SPEEDファンの女は、以前からいじめられていたジャイアンとケンカして、勝つ。しかし少年はもういない。
「もう少年は帰ってこない……」
そうSPEEDファンの女がつぶやくと、彼女の前には少年が立っていた。
「うれしくない。もう二度と少年は帰ってこない。」
とSPEEDファンの女は帰ってきた少年に抱きついて泣きながらつぶやく。つまり「ドラえもん」のオマージュなのであった。

フランスの映画である。

フランス=おしゃれ、と思い込んだモトカは、前売り券を買ったときオマケに付いてきた「SPEEDファンの女」のお面を頭にかぶりながら、ほくそえんだ。

イルカ撃ちの朝は早い。
モトカはイルカと戦い続ける。

夕方になり、モトカが狩りを終えて、菜の花畑に行くと、オカちゃんがいた。

モトカはオカちゃんと首尾よく約束を取り付けた。

翌日、モトカが待ち合わせの喫茶店に行くと、そこにはオカちゃんはいなかった。

そこには本物のオカちゃん(元サッカー日本代表監督)がいた。
「映画に誘ってくれてありがとう」
本物のオカちゃんはそういうと、一心不乱にすでに注文してあったホットドッグをフォークでつつきだした。
「だまされた!!」
モトカはとっさに思った。だれにだまされたのかはわからない。だが、この街に、イルカ撃ちを生業としているモトカをよく思わない連中がいることも知っている。
「やつらか!!」
そう思ったが、もう遅い。本物のオカちゃんを裏切ることになれば、サッカーファンも敵に回すことになる。
モトカのヤリを持ってしても、国中のサッカーファンと戦うことはできまい。モトカは仕方なく、本物のオカちゃんと映画を見に行くことにした。
だが、映画館に入る段階で本物のオカちゃんはむずがりだした。
仕方がないので、隣の映画館でやっていた「ワイルド ワイルド ウエスト」と「プロジェクトA」の二本立てを見た。
「『プロジェクトA』って、とりあえず『プロジェクトA子』とは関係ないんだよね?」
オカちゃんは自分でそういうと一人で笑っていた。
「ああ」
モトカは生返事をした。
映画が終わると、モトカは適当に理由をつけてその場で帰ろうとしたが、「軽く飲んでいこう」とオカちゃんに誘われ、仕方なく彼の「なじみの店」につきあった。

そこは地下にあるスナックで、着物を着た50歳くらいのママがいて、時代遅れのLDのカラオケセットがあった。モトカとオカちゃんが店に入ると、すでに先客がそのカラオケで「浪花節だよ人生は」を大声で歌っていた。

オカちゃんは自分のボトル(焼酎)を出してもらうように頼んだ。そのボトルには「オカちゃん」と書いてあった。
「こいつは自分でも自分のことを『オカちゃん』と言うんだ……」
そう思うと、モトカはますますイヤな気持ちになっていた。

モトカの想像では、今頃は愛するオカちゃん、オカリナのオカちゃんとよろしくやっているはずであった。
モトカの想像の中では、女の方のオカちゃんはとびきりめかし込んで、藤原紀香みたいになってやってくるはずだったのだが。
今は、隣にめがねで出っ歯の男が、ストローで焼酎のオレンジジュースわりをチュウチュウ吸っていた。

モトカはふいに何もかもがイヤになり、「何もかもがイヤだ!!」と叫んだ。
その場にいた数人の客はモトカの大声に静まり返り、この店の用心棒であるらしい、身体はヒョロ長いがおでこに何本もの傷跡があり、高校球児がそのまま年を重ねたような顔をした男が奥の方から出てきて、
「騒ぐならよそでやれよ」
と言うなりモトカの胸ぐらを掴んでそのまま階段を上がり、彼を放り出した。
モトカは別に抵抗もしなかった。
外はいつの間にか雨で、モトカは水たまりにしぶきをあげて叩きつけられた。

(解決編)
泥酔して地面にうずくまったモトカの元に、オカちゃん(日本代表の方)がやってきた。
「おれの復讐は終わった。」
オカちゃん(日本代表の方)は、モトカが気づいて自分を見つめているのを確かめると、ビリビリと自分の顔を引き剥がしにかかった。
オカちゃんの顔をはがして現れたのは、弟の「レ」だった。

「レ……」
モトカは驚きのあまり、一瞬言葉が出なかった。その様子を見て、レは冷笑した。
「兄貴、昔おれが、『オルカ』ってイルカの仲間だと思い込んだことをものすごくバカにしただろ。これはおれの復讐さ」
「おまえ、いつからオカちゃん(日本代表の方)になりすましていたんだ」
モトカは聞いた。もう頭ははっきりしてきていた。
「『野人・岡野』がシュートを決めたときから」

「そんな前から……」
モトカはうなった。
「そして、そして、本当はオカリナを吹いていたオカちゃんなんていやしなかったんだ!!」
レが叫んだ。
「どういう意味だ……」
「彼女はロボットだったんだ」
「ロボット!?」
「ハカセにつくってもらったんだ」
「ハカセが……ハカセも仲間だったのか!?」
「ああ。すべてがおれの復讐を成就させるための操り人形だったんだ」
「くそう!」
「あ、なにすんだ」
「おまえと、おまえと差し違えて死んでやる!」
モトカは最後の力を振り絞り、レに抱きついたままサイコキネシスを使った。
「負けるか!」
レも、最後の力を振り絞って超能力を使った。
抱き合ったまま二人の身体は光を発し、辺り一面が昼間のように明るくなった。
光がおさまったとき、二人の身体は輝くルビーに変化していた。
なぜかはわからない。
ハカセにもわからなかった。

だが、二人のかたちをしたルビーは、「モトカ」と「レ」の名前をとって「モトカ・レ」と呼ばれた。
今でもモトカレのことをモトカレというのは、このときの名残である。

なお映画「猛スピードの女」は、みんなの知っている「猛スピードの女」とは別の作品で、フィルムは現存していない。
(了)

9月25日(月)

「モトカ」と「レ」の物語
久しぶりに大学時代の後輩「山田」に会う。
就職してすぐ地方に勤めることになったので、7、8年は会っていなかった(卒業以来会ってない、ってのはカン違いだった。むか〜し職場のグチを聞いたことを思い出した)。
山田が来るというのでかけつけたのは川田、矢田、木田、戸田、権田、神田、ウラジミール・P・ボッカチオ。みんな「田がつく」ということで意気投合したメンバー。そしてボッカチオは敵か味方かわからない存在として2クール目から登場した人物だ(現在では「山田の兄」と判明)。

ところで、私が最近主張していることで「モトカ」と「レ」の物語というのがある。 いつぞや、「女の子と仲良くなるためにはその子のモトカレの話とか聞いてあげないとダメ」と言われた。実際、居酒屋で聞き耳立てていると(聞き耳……)、女の子たちはけっこうモトカレの話をしているのだ!!(大発見のように書く私に、みなさん同情してください)
……ということで「ひらめいたア!」と思って、私もモトカレの話をしようと思ったのだがいかんせん、モトカレなどいない(私は男だから)。
そこで、宇宙のできごとをすべて記録していると言われる「アカシック・レコード」からとってきたのが「モトカとレの物語」なのだった。

決して茶化しているワケではないのだ。私はそんな話をしたくてしたくてしょうがないのだが、あんまりみんな聞いてくれない。
よしんば聞いてくれたとしても、なんかみんなでバカにして楽しもうみたいな。こっちのネタがつまるまで根ほり葉ほり聞いてきて結局「ガキバラ帝国見た?」とかに話題が移行していたりする。あと「本当のモトカレの話」とか。ああ、現実パンチ。
(あ、「現実パンチ」っていうのは現実生活にパンチを喰らわせられることで、私ではなく別の人の新造語である)

しかし、こうして科学が発達、インターネットは開通、エアカーは浮上、ドリームキャストでテレビ電話、バッチリチリ足、という時代に伴い、全世界に向けて、私がある悲しい物語を発信できるということに相成ったわけである。

さて、昔「モトカ」と「レ」という仲のいい兄弟がいた。モトカは腕のいいイルカ撃ちだった。「イルカ撃ち」とは、海でイルカと格闘し、これを狩るという男の仕事である。その際、「未来少年コナン」の持っていたようなヤリを使用する。
一方、「レ」はおとなしい少年だった。おとなしすぎて、3年くらいだれにも気づかれなかったくらい。その間、チラシ配りのバイトをしていたが1回全部チラシを捨てて帰宅したことがバレて、ガリガリに痩せていてパンチパーマ、いつも変な錠剤を飲んでいる店長にマジ殴りされたことがある。このときには「レ」の大胆な行動と、その後腫れ上がった顔にみんな驚いた。

「イルカ撃ち」は、獲ったイルカをどうするのか。これはだれもしらない。ある種の流通ルートがあるらしいが、「ある種の流通ルート」などと書くとなんか村上春樹っぽくねえ? あ、そういえば「……っぽくねえ?」って言い方の簡略化が若い婦女子に蔓延する半疑問系のしゃべり方だと、ボクは思う。
まあいいや。村上春樹、むかしは私もアホづらして読んでいたが、今考えるとアレを読んで、本気でモテていたやつがいたと思うと本気で嫉妬する。だから「モトカレの話を聞かなければならない」って話になったのか。だからおれは「モトカとレの話」を思い出したのか。
なるほどね(自問自答してうなずく)。

イルカ撃ちに対する世間の目は冷たい。なにしろ人間に近いと言われたイルカを倒し、そしてそれで生計を立て、さらにそれが何に使われているかもわからないというのだから、モトカに弁解の余地はなかった。

モトカは自然と無口な男になっていった。

そんなモトカが恋をした。
相手は菜の花畑でオカリナを吹く少女、愛称「オカちゃん」。
しかし彼女はこのあだ名を嫌っていた。なぜなら、元日本代表の監督に間違えられるからである。
だがいいこともあった。間違えて講演を頼まれ、「キャプテン翼」を全巻読破して適当にしゃべったら、10万もらえたからだ。

その際、オカリナは正体がバレると思ってふかなかった。
だが悔やまれた。彼女のオカリナに対する情熱は、並大抵のものではなかったからだ。

モトカはオカちゃんの努力を知っていた。そしてその努力が周囲から理解されていないことも。モトカにオカリナのことはよくわからなかったが、オカちゃんの吹く「気球に乗ってどこまでも」や「天然の美」(サーカスでよく流れていたと言われる曲)には、なんというかこの、哀愁が感じられた。

「そんな哀愁を感じながらデートしたら、まさに『哀愁でいと』じゃん」

モトカは夜中にヤリを磨きながら、オカちゃんと「さとう珠緒はどこまで今の調子でいられるのか?」、「モー娘。年内解散説の真相は?」などの話に花を咲かせることを想像し、ニヤニヤするのだった。

つけっぱなしのテレビには、トナカイの被りモノを着て若手芸人にツッコミを入れる伊集院光の姿が映っていた。
(つづく)

9月24日(日)

なんとなくホームページのブームも終わりかな、と思う今日この頃、これで青春も終わりかな、と思い電信柱にしみついた夜に思いをはせる。
なぜなら、定期的に覗いていたいくつかのHPが相次いで閉鎖、あるいは開店休業状態になってしまったからで、インターネットの利用者の増加は何度かの波があると思うが、「インターネットカフェ」が次々とできた数年前にHPを開設した人々は、すでにその目的を達成したか飽きてきたかしたらしい。

さて、以上のことにまったく関係なくときどき書評系のページを巡ってみる。
「書評」とか「評論」ってのは同人誌でもマイナー分野だと思う。書評をいくつかまとめた同人誌を買ったこともあるが、よほど綿密なカタログ的内容であるか(早川のSFは全部フォローしてるよ、とか)、文章がめちゃくちゃ面白いというのでないかぎりこういうのは苦しい。
「情報の即時性」ということで言えば、同人誌では週刊誌・月刊誌より遅いペースになるのは必至だし、また面白く書評を書くというのは実にむずかしいから。
その点、インターネットは細かい文章をマメにチェックするのに適しているし、どんどんネットウロウロしていけばいいので一人のつまんない書評をたくさん読まされると言うこともない。

そんなネットウロウロの最中、私と驚くほど考えの正反対な書評サイトに出くわした。
この人の考えでは、「小説の書評にあらすじを書くことはムダ」なのだそうだ。その代わり「ノンフィクションはあらすじを書くことが大切だ」とも。

どういう理由か難解でわからないのだが、私とは考え方がまったく逆。

というのは、私が書評を書くときはまずあらすじは絶対に書くから。
他人の書評を読んで感じるのだが、感覚的なことをいくら書かれても、オリジナルの本を読んでみないとどんなものか結局わからない。中には友達に話しかけるみたいに、取り上げている本はその書評を読んでいる人全員が知っているみたいな文章もある。
まあ、書評というよりメモ書きに近いものもあり、どのくらいまで力を入れているかはHPのコンテンツ全体から判断するようにしている。本当にメモ書きレベルなら文句もないが、それなりの覚悟をしている人間の場合、こちらの目も厳しくなる。
だからこうしてURLも示さずにあてどもない感想を書いてしまっているわけだが。

「あらすじを書くことはノンフィクションの方が大切」という意見も私と逆。たとえば「東電OL殺人事件」という本があったとした場合、東電OLの殺人事件を取り上げているのは当然なのだから、あらすじを詳細に書いても仕方がない。
むしろ、取材のアプローチの仕方などに焦点を絞った方がいいだろう。

なんかHP全体がいかにも若書き、って感じでイタかった。
……などと途中からなげやりに印象だけ書いて、この文章を終わりとする。

ハロモニ
「ハローモーニング」という、モーニング娘。をはじめとしたつんくプロデュースのグループの宣伝目的の番組があるのだが、コレが実にいい塩梅である。

私は「アイドルは努力しているところを見せちゃダメ」と思っているので、モーニング娘。の基本コンセプト自体がピンと来なかったが、この番組はただゲームとかをしているだけなので、私の考える理想的なアイドル番組に近い。

今日は総集編。過去に来たゲストなどをまとめて見せていたが、基本的に、先輩芸能人にモー娘。がいろいろ教わるという設定なので、年上の人がほとんど(まあ同世代呼んでもしかたがないってのはある)。
松田聖子、ミー、清水ミチコなどが出ていてダンスやものまねを教えていた。
しかし森口博子が出たときが「クイズ年の差なんてスペシャル」ってのは……。森口博子の実績って「ガンダムの主題歌歌ってた」、「夢がモリモリ」、そして「クイズ年の差なんて」なのだろうか。あと「意外に巨乳」ってとこも押さえておきたいね(写真集にプレミアがついた、っていうのは「意外に巨乳」を隠蔽するできごとなのでパス)。

さらに磯野貴理子が出たときには、磯野貴理子が「やってみて」って言ったギャグ自体が超絶的にくだらなく、番組全体が特筆に値すべきくだらなさだった(ホメ言葉)。
クラッシュギャルズが出たときには腕相撲大会。モー娘。メンバーが腕相撲大会……。もうほとんど完璧といっていいくだらなさだ(ホメ言葉)。

それと多少ヨイショもあるのかもしれんが、ミーや松田聖子がモー娘。にとってけっこう憧れの対象ってのは面白い。まあミーのファンだ、っつったのは最年長の中澤某だったが、この人だってピンクレディー全盛の頃って小学校1年くらいでしょ???

あと新入り(名前忘れた。小さい方の一人)の深田恭子のものまねと、安倍なつみの「おぼっちゃまくん」のものまねが中途半端に似ているのも面白かったなぁ。
しかし裏を返せば「そこそこ芸達者=プロ志向」ってのが「モー娘。」全体の栄光とヒサンを物語っていると言え、そこら辺がおニャン子と違うところかもしれない。

さらにさらに「安倍なつみと後藤某不仲説」さえもが商売というか盛り上げに一役買っているところがすごい。
芸能界では、歌丸と小円遊以来の成功例じゃないでしょうか。コージー富田が歌丸のものまねをテレビでアピールしたこととのシンクロニシティか?(違うと思いますが)

9月23日(土)

ビデオにとっておいた「SRS」の「必殺技研究所」という企画が面白かった。
日本の古流武術の技が現代に通用するか、というのを実際にやってみせ、それを佐山サトルが解説するというものだったが、佐山の実践しながらの淡々とした解説や、田代マサシの適度にギャグを交えた司会(これが例によって脱力モノ)、女の子2人(長谷川京子と日置由香)が混ざっての「ははあ、こうしてこうするとここがキマるんですねー」という感心したフンイキなどが実に面白く、まあこういうのわかんない人にはぜんぜんわかんねーでしょうな。

ところで日置由香(「アデランス」のしかま君のCMでしかま君の恋人役だった娘)は実際に投げたりキメたりキメられたり、たいへんなことをやっていたなあ。偉いなあ。

9月22日(金)

「中性子星」(ニーヴン)というSFをやっと読み終わる。正直言って、表題作以外はかなり冗漫だと思った。昨日の日記にも書いたが、「イルカに、人間とコミニュケーションをとれるという意味での知性がある」ということとともに、「未来世界では武器の携帯と同じように武道が禁止されている」ところにも愚直ながらひっかかりを感じた(なんか最近、愚直なオレ)。

なんかさあ、この作者、日本人のことどう思ってんのかなあ、とか素朴に思った。東洋文化がすべて気にくわないのか、それともただ無邪気に未来を予測して書いているだけなのか。
とてもじゃないが恐くてニーヴンの東洋感、なんてものに踏み込む気はない。
しかし、アメリカ文化でも日本文化でも、デフォルトとされる、サベツとは言わないまでも物事の順列とか考え方の順列、に対しては、ひっかかることはひっかかるんだな。ここにひっかかってちゃ英米の小説なんて読めないけどさ。

ブリンの「ポストマン」も、めちゃくちゃに面白い小説だと思って夢中になって読んだけど、ここにおけるフェミニズムに対する皮肉というか悪意があるのではないかという描き方、これなんかにも愚直に疑問を感じた私であった。
でも「ポストマン」はおもしれーよ。「バイオレンスジャック」が好きな人にはオススメだな。

「ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』精読」多木浩二(2000、岩波現代文庫)は、1936年頃に発表された「複製技術時代の……」を、テキストに解説を付けて本にしたもの。予備知識の乏しい私でも、この解説が付いたことで読みやすくなった(といってもかなりむずかしいことは確かだが)。
ここでは1930年代、ファシズムの跫音が聞こえてくる時代に、写真や映画の登場によっていかに芸術が変わっていくか、を希望と懸念双方をもって描いているんだけど、この人の理論でいくと、写真(簡便で正確な複製技術)が登場した時点で、従来の芸術はすべて消失してしまった、ということになる。すべて消失よ。つまり私たちの見ているゴッホは、ゴッホが評価された時代のゴッホではもはやない。ダヴィンチでもルノワールでも。
そして、写真と映画(とダダイズム)、それを見る大衆(=芸術の大衆化)に、どこか釈然としないというか面白くないながらも新しさを見いだそうとする。

ここで注目すべきは、芸術を「見る側」の知覚の変化に着目している点で、「見る側」の姿勢が(主に複製技術の発展によって)いかに変化してきたか。そしてこれからも変化していくか、ということについて考えている点にある。
「ダダ」に対しても、「以前の芸術のような見方ではダメだ」ってことになっていて、ここから一足飛びに現代の話に持っていっていいかどうかわからないけれど、特定のメディアの「見方」については現在でももっと言及されていいんじゃないかと思いました。たとえばテレビゲーム、ゲーム世代でない年輩の人にやらせても、けっこう夢中になってやる。だけれど、次の瞬間「こんなのに時間がとられてはムダだ。やっぱり文学を読んでいた方がいい。」となったとき、それはゲームってモノが、その人の考えている「見方」というか「視点」から違うところにあるんじゃないかと思うんスよね。
それは怪獣の活躍に興味の中心がある「怪獣映画」とか、「だれが犯人か」に着目する推理小説とかにも言えることだと思うけど。
「見方」というか視点の問題をヌキにして、語れるコトじゃないと思いますね。何事も。

9月21日(木)

キたよ。久々に。「ダーク気分」が。
今日は定休日だから、本来楽しいハズなんだよ。

まとめてビデオ見よう〜っと思って、まず「必殺からくり人」の第1話。
依頼人も何もかも全員死に、彼らの残したブツも消えてしまって終わり、という救われなさ。
でもドラマとしてはよくできてたからまだよかった。
次、「タイムレンジャー」
新ヒーロー「タイムファイヤー」が登場する回だったんだが、これはドラマ側が悪いんじゃなくて私が悪いんだけど、ダウナーな気持ちのときって、「ドラマ内のイヤなシーン」が殊更にイヤになってくるのね。
「タイムファイヤー」になる男は、なんか「びんぼー人の成り上がり者」みたいなヤツで、しかもイイオトコ。こういうヤツは、人をどんなに傷つけても自分が成り上がるためだと思ってるから。こういうのヤだな〜。
それとコイツの上司がタイムレッドのオヤジなんだが、こいつもヤなやつ、っていうか金持ちでいばったヤツを見たくない気分だったの私。
「タイムファイヤー」誕生のいきさつも、ちょっとご都合主義的だよなぁ……。

その後、「仮面ライダークウガ」
「クウガと未確認生命体との戦いのせいで、人々が迷惑している」とマスコミに叩かれる。それと、好きな人には悪いんだけど、おれは五代の妹があんまり好きじゃないんだよ〜。あと村田和美に動きがなさすぎる。いつもパソコンに向かってて携帯電話かけてるというイメージしかない。なんとかしてくれ〜とか思ったらどんどん気持ちがおちこんできた。

あとさあ、「中性星」っていうSF小説読んでるんだけど、なかなか進まなくて……。「イルカに知性はある、人間同士並みのコミニュケーションがとれる」って言っているのがどうにも気に入らなくて……。なんか「クジラを食べるなんて野蛮デース」って言われている気がして……これもおれのダーク妄想なのか……。

んで、ビール飲んで寝て悪夢を見て、目が覚めて図書館に行って、図書館の近くってこじゃれた奥様がたくさんいて、なんとなくムカついてきて家に帰ってオリンピックの結果とか見たけど、やっぱり疎外感あるよなぁ。サッカーとかすごく興味があるわけじゃないし……。と、唐突に終わる。

ブルマー
東京新聞に、学校でのブルマー着用がどんどん減っている、という記事が載っていた。それを「やじうまワイド」で取り上げていたんだが、津島亜由子がてっきり「私も恥ずかしくてイヤでした」って言うと思ったら、「ブルマーの方が動きやすいんですよね。私ブルマー育ちなんで。残念です」と言ったのは超意外だった。
男のアナウンサーに「きっとスタイルがよかったからでしょう」と言われて否定していたが、たぶんそうだったんだろうな〜ブルマー姿で悩殺してイケイケだったに違いない。

ところで、ぴったりタイプのブルマーは、東京オリンピック時に爆発的に普及したらしいのだが、現在これだけ恥ずかし物件として見られているものの、これを「カッコいい」と思っていた時代があった、っていうことは、記録としてとどめておくべきだと思うね。そうじゃないとブルマー売りさばいた人が全員スケベみたいになっちゃうじゃん。
もっとも、女子学生は望んでいなかったけれど「そういうもんだ」と思って着用していたか、強制的にはかされていたか、進んでちょうちんブルマーから乗り換えていったか、調べてみないとわからないですけどね。

あとね、廃止するなら全部廃止するべきだと思うんだ。
バレーボールのユニフォームって今でもブルマー? ブルマーだったら廃止。
あとスカート(テニス、バドミントンなど)も廃止すべきなのでは。
それとビーチバレーね……。別に水着になる理由ないでしょ水に入らないんだから。
だからこれも廃止。
新体操や体操のレオタードも廃止したい……競泳用水着のハイレグも、意味がないならやめるべきだし……陸上でもヘソ出してる選手いるよね。あれももちろんダメ。

そんな世界。

9月20日(水)

目が痛くて、近所の目医者に行った。ナニゲに15年ぶりくらいだった。
そしたら、目医者の先生も看護婦さんも、すっかりトシとっちゃって、ショックを受けた。
おれ、タイムマシンに乗っちゃったのかと思ったもん。
15年間見ないと、人間トシとるよね〜。
吉田健っていうミュージシャンも、イカ天以来10年ぶりくらいに見たら、やっぱり10歳トシとっていたし。
なんか自分がトシとったようで悲しいよ。
か〜なしいね、かなしいね、かなしいね(渡辺美里)

9月19日(火)

テレビの話ばっかり書いてるよ〜。だってテレビって面白いんだもん。

ザ・ワイドってさあ、司会の草野仁が休んでいるとき、アシスタントの女の人が一人で司会していたんだけど、今度はこの女の人が休んでいるときは、草野仁一人でやっていた。
代わりの人が入らないのね、ザ・ワイドって。

おれ、やじうまワイドもう見なくなるかもしれない……。
だって解説者があまりにもムカつくから。だれとは言わないけど。
朝から恐い人ばかり集まって……。
やっぱりTBSだよな、これからは。
レポーターの湶尚子だよ、やっぱり。朝から中途半端に水着になったりする……。
この人、元クラリオンガールの泉尚子だって、知ってた!?

あとは「おはスタ」ね、「おはスタ」。
オリンピックさー、文化系人間の私としては興味3パーセントくらいしかないんだけど、「おはスタ」って10歳くらいの子向けの番組じゃん、ここで「がんばれ日本!」とか言っても、素直に聞けるよ。
小学生は無邪気にオリンピック楽しんでほしいし。

番組ではK−1押してるのに、ベッキーはPRIDEファン、とか、そういうそこはかとないところがいいよ。

9月18日(月)

女同士
テレビの話ばっかり書いてマス。だってテレビって面白いんだもーん。

昼、ヒマなときテレビをつけると、「女同士」っていうドラマがやってる。
これ、すごいジェットコースタードラマ。
1回もマジメに見たことない。
ただ、テレビ付けるたびに違う状況になってる。

最初に、編集者の渡辺典子と、水商売のナオ(女優さんの名前知らない)が知り合うところから始まる。どうやら二人の友情の話らしい。

1週間くらいしてテレビ付けたら、いつの間にかナオも編集部に入ってた。

しばらく経ってテレビ付けたら、渡辺典子が編集部のだれかと結婚。家庭に入っていた。

次にテレビ付けたら、ナオと渡辺典子の旦那が浮気。

次は、ナオが妊娠、中絶しようとして流産。

次は、渡辺典子にストーカー現る。

次は、ナオと渡辺典子の旦那のヨリが戻る。

次は、渡辺典子が離婚。

次は、渡辺典子がバーを経営(この辺、かなり唐突)。

次は、渡辺典子が雇った女の子が実はナオの娘だった(ナオっていくつ!?)

……まあこの時間帯のドラマっていつもこうらしいから、いちいち驚くのはヤメよう。 鑑賞ポインツは、いーかげんなオープニング。
揃いで色違いのシャツとパンツで海岸を走る渡辺典子とナオ(なぜ……)。

そしてオープニングテーマは、華原朋美。でも話題ゼロ。

9月17日(日)

13日に、なんかエヴァンゲリオンに関してものすごくテキトーなコトを書いてしまったけど、考えれば考えるほど違うような気がするのでナシね、ナシ。

ばんざ〜い、ナシよ、って。
ハア……。

9月16日(土)

ひどい二日酔いで、死ぬかと思った(笑)。っていうか、死んだ。
ここ5年くらいで最悪の二日酔い。やっぱり弱くなったよ。調子にのってガブガブ飲んだのがマズかったみたい。

店で漠然とテレビを見ていたら(注:私の仕事はテレビを見ることではありません!)、川村ひかる「人生グラフ」っていうのを書かされていた。 自分の人生のいい時、悪い時をグラフに表す。
川村ひかるの「人生グラフ」では、高校生時か高校卒業してすぐくらいの「イケイケ時代」というのがもっとも楽しかったらしい。まあこのヒトの雰囲気を感じ取れれば容易に想像がつくものではあったが、「捨てるもののない、恐いものの何もない時代だった」と言い、さらに中学時代はほとんど学校に行かず「義務教育は勉強しなくても進級できるから行かなかった」と言いきる姿にはすがすがしささえ感じた。

逆に言えば、これじゃあ「ゲームWave」みたいなオタク的番組のアシスタントに難渋するワケだよ(笑)。一見いろいろしゃべりそうなのも裏目に出て。天然ボケをウリにできるタイプじゃなかったし。引き出し異様に少なかったもんなあ。

SRSの修斗の試合んときを録画して見忘れていたんで、見る。このときの「格闘ビデオ道」で、タレントの内藤陽子(喜多嶋舞のお母さんではない、ギャル)が「友達に『マニアックなコーナーに出てる』と言われた」と言っていたが、普通の女の子に「マニアック」って言われるのってかなり落ち込むんだよな(昨日の日記と正反対のことを書いているが)。まあおれが番組つくってるわけじゃないけど。
女の子から「マニアック」って言われたときの「無関心&拒否の感情を一言で言い表された」雰囲気ってのをわかってもらえるでしょうか。って私はだれに語りかけているのでしょう?
しかも自分が本当はマニアックでも何でもないとしたら……はっきり言って「そう思われ損」です。誤解のタグイですわ。

ああ、おれも金メダル取りてえ。
金メダルって、マニアックじゃないから。メジャーだから。

9月15日(金)

力学(ちから・まなぶ)と会って飲む。
で、飲み過ぎた(笑)。
私が、隣のテーブルの女の子が何を話してるかを気にしてしまったりして、私自身の絶望的状況、言うなれば自動車絶望工場のような、そんなアトモスフィアーを自分自身に裏付ける結果となった。
やはり隣のテーブルの女の子が何話してようが気にしてちゃダメである(イヤ、他の人はイイんだけど、私はダメだ。私はダメだと、自分に課題を課している)。かといって、広義のサブカルチャーに浸かっててもダメだ(イヤ、他の人はイイんだけど)。
何というかもっと「怒りを思い出せ!」みたいな。
「人間の原点は怒りだ!」みたいな、そんな決意を新たに、酩酊。

9月14日(木)

ここ半年以上、NHKと教育テレビの映りが悪かったので、電気屋さんを呼んで直してもらう。
これで、いかすドキュメンタリーや「おじゃる丸」が見られるというもんさね。

その後はただひたすらに寝た。一日中寝てた。
ぐっすり眠れて楽しいか、というとそうではなく、腎臓が悪いのかもしれない、とイヤ〜な気持ちになる。

9月13日(水)

ブッ壊れためがねでなんとか仕事をこなし(……っていうかすごいヒマだったんで「いいとも」を入念に見たりして)、めがね屋へ直行。かけためがねはやっぱり乱視の度を強くしたんでかけたときオエッってなったけど、壊れためがねをかけているよりはずっといい。

家に帰って……何したか覚えてないや。確かテレビに糸井重里が出てきて、インターネットのすばらしさを訴えていたと思う。
まあ当然、きれいごと的な部分はあるし、「ネットから何を得るか」っていうのはやる人の資質に関わる問題ではないかとも思ったし(その辺にも言及はしていたが)、なんだかんだ言ってネットも能力主義ではないかという私の絶望的観測をも「縁があったかなかったか」などの運命や個性の問題に還元してしまうのが糸井重里流なんだなとも思ったし、彼のうったえる「創造的部分」は、今度はiモードとかではどうなんだという新たな疑問もわいてくるんだが、とりあえずこうした言い方は嫌いではないんだな私としては。

今日は「エヴァンゲリオン」のセカンド・インパクト記念日らしい。
そうなのか。スッカリ忘れていた(というか知らなかった)。
エヴァに激ハマリできなかった私だが(でも映画は2本とも見に行ったけど)、その理由はおそらく映画全体に変態じみたところがなかったからだろう。
イヤほんと、つくってる人たちは、ヘンな妄想とか抱いてないだろうなとは思ってた。
庵野監督って意外に(?)健全だなあとか思って。
それとも見る人が見ると「うわあ、これヤバいよ人として!」みたいな感じだったのだろうか。
……まあ、そっちの方が正しいような気がするな。
いや、そのいまさら蒸し返す気はないけど、最終回に向かってのどん詰まり具合というか持っていかれ方とかはあるとは思いますよ。
だけど紋切り型な言い方をすれば、それは神経症的なソレであって。
リビドー的なヤバさではないでしょう。
「バイオレンスジャック」のスラムキングが後半、突然「世界経済を裏で操ってる」とかいう設定になってたり、しかも「関東はオモチャ箱にすぎない」って言いきっちゃったり、すごくヤバいと思うんですけどね個人的に。そういう方向でのヤバさではなかった。
うまく言えないですね。
やっぱり「包帯大好きっコ」とか「赤い髪の女の子モエモエ〜」(←死語?)の人には「キテるよ!」ってな感じだったのでしょうか。
……どうもよくわからねえ。

おれ的にツボのリツコやマヤは、なんだか紋切り型くさかったしなあ。

昨日だかおとといだかのNHK「プロジェクトX」という番組は、太平洋に沈んだH−2ロケットのエンジンを、宇宙開発事業団(だっけ?)と海洋なんとかセンターという「ナホトカ」も引き上げた海関係のプロフェッショナルが協力して探し出すという内容でした。
この作業は「富士山のてっぺんから釣り糸をたらすようなもの」と形容され、ホントだとしたらすごい話だし、こういう技術者が職人芸を用いて、協力して苦労しながらひとつの事業を成し遂げていく、というのは昔はすごく好きだったんですが、今はそうでもありません。

職人にも学者にもなれなかったし(学者になりたいと思ったことはないが)。とくに広義の職人になれなかったってのは、私の物語に対する感情移入度を大きく左右しましたな。
やっぱり一流の(広義の)職人ってのは、ある種の全能感あると思います。
ソレがわからない場合は、物事の理解には別のアプローチするしかないから。

いや、他の人は知らないけど私の場合はそう。

「広義の職人が何かを掴んでいるようす」という部分だけで物事を見ていると、60パーセントくらいのことがそうなんですよね。オリンピックもそうだし。
そう考えると世の中ってのはひどく単純で、また疎外チックなモンです。

9月12日(火)

次回のコミティアの申し込みをする。

またすごい雨。
仕方なくかけていた古いめがねをやめ、ブッ壊れためがねを無理矢理つなげてかけることにした。
それでドシャ降りの雨の中店に行ったら、もちろんズレた状態でかけているわけで、気分が悪くなった。もともと頭痛持ちではないと思うんだが。頭痛い。

家に帰ったら、もう遅いというのに隣の家が何かの工事(また!)をしていて、見知らぬ人が出入りするためにそこの飼い犬が世にも情けない声でキャンキャンなき続けたり、車がブーブー出入りする音がうるさくてしょうがない。
それと、おれの部屋の真下で立ち話するのヤメロ。どっかの人。

おしっこでもかけてやろうかと思ったが、おしっこが出なかったのでやめ。

その後、夜11時頃にも騒いでいるやつがいて、イライラしながら寝たらいやな夢を見てしまった。

・「邪馬一国の証明」 古田武彦(1980、角川文庫)
・「邪馬壱国はなかった」 安本美典(1980、新人物往来社)
読了。

邪馬台国、どこにあるのか邪馬台国……。などと真剣に考えたことは私にはなくて、「古代のロマンだねぇ」などと無責任に言い放つ程度には興味があったが、邪馬台国本を読んだことはまったくなかった。
なぜ今回読んだかというと、「邪馬台国はなかった」という本が過去にけっこう有名になり、それに対する反論も出ていた、ということは知っていたから。そういう論争っぽいところには興味があったわけ。ただ、論争の元がなにしろ「魏志倭人伝」など原典にあたらなければわかりそうもないものだったこと、本自体が手に入りにくいものだったために今まで読んでいなかった。

さて、「邪馬一国の証明」は、「邪馬台国はなかった」の著者がその後出てきたさまざまな反論に対して答えていった本で、たぶん論旨としては同著者の「邪馬台国はなかった」とほとんど変わらない(この本が図書館になかったのでこっちを読んだ)。
著者の「ウリ」である説は、本来「邪馬台国」は「邪馬壱(一)国」であり、「壱」が旧字の「台」とまぎらわしいために誤読されたり気づかれなかったが後世「邪馬台国」という「ヤマト」に近い読みにされ、大和朝廷との関連性を印象付けるために「邪馬台国」と書き換えられた、というもの。

「邪馬壱国はなかった」はそれへの反論で、統計学の専門家である著者が文献における「台」と「壱」との頻度を統計学的に調べ、古田説がありうるかどうかを検証したもの。
それだけではなく、古田武彦の方法論を総論的に検証して学問的信憑性を論じている。

「邪馬一国」云々はもともと反論があることはわかっていたので、セットで読むと種明かしというか謎解きのある本のように読めてしまう。それは最初に「邪馬一国……」を読むときの色めがねになるので、なるべく先入観を排して読もうと努力した。……が、誘惑に負けて100ページくらい読んでからすぐ「邪馬台国……」を読んでしまった。
でもまあ、最初の100ページくらいで骨子である「一か台か」の話は出てきたのでヨシとさせてください。

率直な感想は、「邪馬壱国はなかった」(安本美典の方)の説得力は優れている。それは批判が「方法論」に至っているからだ。こういう論争の場合、原典があったりもととなる実験があったりすれば、それを知らない読者は明確な判断をくだすことはできない。
しかし、「方法論」を批判する場合、その方法自体は読者自体が目にすることができ、検証することができるから説得力はそれだけ増す。
「邪馬一国……」(古田武彦の方)が一定の説得力を持ったのは、「台という字がいくつあったか」などを具体的に数え、抜き出すなどして単なる解釈の違いではなく「実際の数」といった計量可能なことを自説の主柱としていたからで、それに批判をくわえるにはそうしたデータの採取方法や解釈の仕方を問題にすることがもっとも強いというわけだ(以下略)

こういうレビューっぽいものを書いていると、いつも結論が似たようなものになって自分で自分がイヤになったので後半削除。
邪馬台国より「ジャマタイ王国」だろやっぱり。
ジーグねジーグ、鋼鉄ジーグ。
い〜まに見ていろハニ〜ワ原人、全滅だ〜

9月11日(月)

すごい雨。ううう。

日曜日もボロボロの中学生時代のめがねで過ごし、世界がボヤけてきて風邪気味もプラスされかなり気分悪かった。

壊れためがねの部品の在庫があるかどうか、めがね屋が自宅に電話してくれる、留守電に入れておいてくれるというので早めに帰宅したら電話が入っていない。
こちらから電話したら「ご不在でしたので……」と、もう行き違ってる。
他の仕事もあってかなり早めに戻ってきたのだが、どうするかと思っていたらいったん雨がやんだ状態で外から野太い男の声がする。
何かと思ったら、近所の中学校の先生。部活かなんかで生徒を外で走らせ、それをカントクしていたのだ。
「並んで走るなー」とか「たるんでるー」とか声が聞こえる。窓を開けてみたら、「いかにも教師」って感じの人が頭にタオルを巻いて家の前をウロチョロしていた。
なんかすごくカンにさわる。おれはあんたの生徒じゃない! 腐ったみかんじゃない! など定番のセリフをつぶやきながら、「女生徒だけ走らせろ! しかもカワイイ子ね。ボクが見るから」などとも思ったが中学生に興味ないので却下。
ホントもう中学生は中1コースとか読まなきゃダメだよー!

その後、いつもの近所の「ビン倉庫」へトラックがやってきて、夜逃げのごとくものすごい勢いでビンを運び出し、ビンのぶつかり合う音が教師の声と重なる。雨はあがったがジメジメ。
かなり最悪状態。

あまりに雨がヒドいので、今日はめがね屋へ行くのはやめようと思ったが、家にいてもロクなことがなさそうなので行くことにする。
それにしても度も合わない、フレームもひんまがってるめがねをかけるということは、ほとんど刑務所から脱走してきて廃屋に閉じこもるほどの逆快適性に匹敵する。
イライラしてめがね屋へ。

ここで視力をはかったら、「視力マシン」(命名新田)でカチャカチャ何度も何度もカタカナひらがな丸だの四角だの三角だの見ているうちにものすごく気分が悪くなってきた。これは計算外だった。
急に度の強いめがねをかけたことになったので、刺激に耐えられなかったのだ。
「急に度の強いめがねをかけたことで、刺激に耐えられなかったんだ……」
なんだよ。B級怪奇映画の怪物の末路かよ。

オエッてなるのをおさえて店を出ると、帰り道に土砂降り復活。
不快指数150パーセントの状態で、家に帰って「邪馬台国はあったのなかったの」という本を読み始めたら、やはり気分が悪かった。
それにしても、邪馬台国はあったのなかったの?(問いかけ)

9月9日(土)

めがねのつるがポッキリ折れてしまい、うろたえる。
実は代わりのめがねはもうボロボロ、度も合わなくなっていてロクに見えないものなのだ(なんと、中学生のときにつくっためがね)。
しかたないのでそれかけてめがね屋に行ったら、すぐできるものかと思ってたら部品メーカーが休みだから在庫確認が月曜日になるという。
店に行って、すでに度の合わなくなっているめがねをかけて作業していたら、気分が悪くなってきた。
昨日は夢に大東めぐみが出てきて自分を非難するし。

フラフラして出かけるとあちこちにぶつかったりしてヤバそうだったのでやめた。しかし、一週間好きなことを話さないと死んでしまうので、力学(ちから・まなぶ)に電話して長話をした。
とくに我々はいま大人気の「グピッチョマン」について語り合うが、いまいち話が噛み合わなかった。なぜなら、「グピッチョマン」というものが存在しないからである。
それと、力学(ちから・まなぶ)の別名を「ごま塩頭」にしようと思った。これは、彼がごま塩頭ではないところから来ている。
それと「ひげひげ団」、「激辛DON」、「過去日記」、「あこがれ北極星」、「からまん棒」、「河合奈保子」、「ションベンライダー」、「アダ・マウロ」なんていうのを考えたけど、どうかな?(私信)

私の一週間のサイクル
今日は、だれも知りたくない私の一週間のサイクルをお教えしよう。
しかし、克明に書くとストーカーに利用される可能性があるので(しかもアダ・マウロ似の男)、ボヤかして書いてみよう。

まず、ある曜日が定休日で、朝、「やじうまワイド」を見る。
すると、最近コメンテーターですごく目のキリッとしたフェミニズムのヒトが出ている。
まだコメントをいちいち確認していないんだが、ある日は「子供をおっぽらかすワル母親」みたいな記事に対し「こういう事件の場合、母親ばかり悪者になって父親の報道がされない」と言っていた。これは確かに正論。
しかし、偶然その記事がウチの新聞にあって、それを熟読してみるとこの母親は「住所不定、無職」となっていて、行間からも父親とは離婚しているか、どこかに逐電してしまっていることは明白。
まあ逃げちゃったこと自体は非難すべきことではあるが、事件を中心に記事を書いた場合、当面の責任者である母親だけが悪者になるのは仕方あるまい(あくまでこのケースでは)。それとこのコメンテーターの女の人は「女ストーカー」事件に対してはあまりコメントしていなかった。このような「自分に不都合なことは流す」のは右でも左でも男権論者にもあるのでことさらに強調する必要はないけど、やはり「あらかじめ結論を用意してコメントする」のは、少し知性を疑っちゃう。まあなんかいかにも「切れ者」っぽいから期待してしまうってコトで。

以前書いた、芸能コメンテーターのヒト(プロデューサーらしい)は、モノを知らないのではなく、単にアドリブが嫌いかできないのかもしれない。

福*翼はこんなにチクリと風刺めいたことを言う人だったか? 最近カンに触る。
やはりコメント王は梨本勝だろう。「内容ない&勢いがある」。そして「男のオバサン」と言われるだけのことはある、「自分が当事者だったら困る」とあくまで自分にひきつけて言う(きわめて表層的に)。大御所といってもいいと思うが、まったくデータマンの陰が見えない(何にも調べずに適当しゃべってそう)ところもいろんな意味ですごい。
しかし松田聖子やダイアナ妃の問題に関しては、「なぜ自分が興味があるのか」は明らかにしない。それは視聴者が「興味がある」ことに絶対の自信を持っているからだ。

そして、休みの日1日はあっという間にすぎる(やじうまワイドについて重点的に書いたが、まあこの後もこんなモンである)
次の日も休みの場合、昼頃からいろいろな人の忠告や嘲笑の声がなんとなく頭に響いてくる。外の音が異常にひびいてはっきりと聞こえる。
夕方あたりに「おれはこのままでいいのか……」とものすごい疑問を感じ、焦燥感と罪悪感にのたうちまわり、のたうちまわり、のたうちまわり、泣いたり急に笑ったりする。あまりの孤独感に「いいとも」でキツいツッコミをされたときのふかわりょうの顔を思い出す。

孤独に耐えきれず、ネットをウロウロするがみんなが楽しそうで自分だけますます孤独感にさいなまれる。
そして土曜日にだれかと会って飲んでしまう(「未来」について語るが、だれにも聞いてもらえない。もちろん「未来にはテレビ電話はあるのかなぁ」などの話)。

しかし今日は風邪をひいたようで、飲めなかった。あ〜度の合わないめがねと合わせ技で、すごく気分が悪い。

9月8日(金)

小説「アフリカの印象」を再び図書館に借りに行く。昨日新宿の紀伊国屋に行って聞いたら「絶版」ということだったし。こうなったら意地でも読んでやる。頼まれなくたって、生きてやる。そのとき問い合わせた紀伊国屋の実習生の女の子は、ちょっと緊張していてかわいかった。しかし半年もしないうちにスレてしまうに違いない。
あ、でも紀伊国屋でそんなに態度悪い店員には会ったことないけどね。

夜からすごく気分が悪くなる。風邪みたい。

9月7日(木)

「象南波羅〜ゾナパラ〜」などについて
ナイロン100℃ の芝居「ナイス・エイジ」を見に行く。下北沢本多劇場。間に合うと思って神田の三省堂まで行って新宿に戻ってから下北沢に向かったら、けっこうギリギリになってしまった。

内容は、超簡単に言えば「ものすごく仲の悪い家族がバラバラにタイム・スリップする」という話で、まぁナイロンは私にとってほとんどハズレがないのでいちいち説明しません。「ハズレなかった」としか。

芝居のパンフは、役者などのインタビュー部分の字が小さくてパロディ記事の方がデカいという構成であった。
行きにパンフ買った売り子の子が終演後もパンフを売っていて(当たり前だが)、帰りに目があったらおじぎしてきたので気持ちよく帰れた。別にその子が私のツラ覚えていたわけではないが。

CD・「MISPRINT」 FILMS(2000(再発)、Pヴァイン・レコード)
また「テクノ歌謡DX」のシリーズ。日本コロムビアから80年末にリリースされたらしい。日本コロムビアはジューシィ・フルーツが「ジェニーはご機嫌ななめ」がヒットしたので、その流れらしい。
「テクノ・ポップブームが落ち着いてしまった80年の秋以降にレコードデビューを果たしたこれらのグループは、当時一様に否定的なニュアンスを含めた『業界ニューウェーブ』というレッテルを貼られ、正当な評価を与えられなかったフシもあり」とライナーノーツにある。
この辺り、ロックジャーナリズムみたいなものに無縁でガキ時代を送ってきた私としてはそうした「テクノ・ポップの評価のされ方」として興味があるが、調べる気がないので多分永遠にわからないだろう。
本作は音的には、(あくまでも私の耳で聞いたかぎりは、他の人がどう受け取るかは知らん)おとなしいフリッパーズギターというか、むかしCMJKのやってた「CONFUSION」というユニットに近いと思った。ヴォーカルの赤城忠治というヒトの声がスマートでけっこうウマくてカッコいい(やっぱりテクノも歌が乗るならヴォーカル命でしょ)。
歌詞もちょっと哀愁のこもった「失われた未来」って感じで、個人的には大満足。

CD・「慎吾ママのおはロック」 慎吾ママ(2000、ビクターエンタテインメント)
小西陽康だからねぇ。カッコいいよねぇ。リミックスも文句なし。
知り合いに「香取慎吾のヴォーカルがイマイチなので買うかどうかわからない」と言われ、自分はそんなことど〜でもイイことに気づいてハッとした。とうとう「音楽性」ってヤツがわからないままトシを重ねてしまった私にとって、音楽とは「なんとなく楽しいこと」、あと「好み」以外にない。なんとなく楽しいからいいんじゃないですか? あとは好みの問題。「だんご三兄弟」はノレなかったけど、これは聞くと楽しい気分になってくるからヨシ。

CD・「象南波羅〜ゾナパラ〜WHYパラパラ・リミックス」 ゾベッカ(2000、ワーナーミュージック・ジャパン)
今回の本命盤(!)。テレビ東京の朝の子供番組「おはスタ」のメンバーが踊るパラパラの曲。「おっはー!」のフレーズを香取慎吾が頻繁にマネしたまではよかったが、「おはロック」としてCDまでリリースされ、セールスに大きく水を空けられたかたちになってしまった。たとえれば「タケちゃんマン」がせんだみつおの「ナハ、ナハ」をやってせんだ以上に有名にしてしまったようなものであろうか。

ま、何にしろ、もともと「立て続けになぞなぞを出していく歌」だった怪人ゾナーの歌からなぞなぞを完全に切り離し、パラパラに仕立て上げて「怪人(ゾナー)」と「宇宙人(KANA)」と「妖精(ベッキー)」が踊り歌うという、番組を見ていないとまったくわからないコンセプトはウットリするほど私好み。
CDで聞くと意外に音に厚みもあり(あくまで「意外に」だけど)、なかなか楽しい曲になっている。

「ディスコで全員同じフリで踊る」行為は、バブル期から見られたが当時は「オシャレ」で「トレンディー」なものしか存在しなかったため、結果こうしたダンスは「オシャレ」に振り分けられることになり、私にとって憎悪の対象でしかなかった。
しかしあれから幾年月。「パラパラ」の流行を認めてはいても、あれを「オシャレ」だと思う人間は二十代半ば以降で皆無であろう。私も余裕を持って「珍奇な踊り」として見られるようになったわけである。
「パラパラ」は、私がテレビなどで見るかぎり手のフリしかなく、足の動きがまったくない。このため、厚底靴でも踊れるのだと思う。厚底だから足の動きがないのか、足の動きがなかったから厚底が流行ったのか、ちょっと考えてもわからないがどうせだれも教えてくれないからそのままにしておく。
またむか〜しテレビで落語家がやっているのを見た歌謡曲に合わせてのあてぶり(隠し芸の一種?)にも近いものを感じるが、感じたからって私は演芸評論家の山本マスヒロではないのでこれもそのまま。

カップリングに「STANCE OF RESISTANCE」というKANAとベッキーがメインヴォーカルをとった歌が収録されている。コレがまたひと言で言って「林原めぐみの歌いそうな曲」。ホントに林原めぐみの曲かもしれないが、わからん。編曲は渡部チェル(「おはスタ」関係の曲のほとんどはアニメも含めこの人がつくっている)。このアレンジの「ニセテクノ具合」が、今なんと表現するのかわからんがいわゆる「ジュリアナ系」テクノと、もう一方で「そうでもない系」テクノをうま〜く折衷してニセ魂をふりかけたような、絶妙な味。いい塩梅である。
「ニセ物野郎」として自称した電気グルーヴが「ホンモノ野郎」になりつつある現在、ニセ物野郎を自認する者どもはマストな一品だ!!

あとは、ジャケットにゾナーだけでベッキーとKANAの写真がないのが不満。

9月4日(月)

急に涼しくなった。あるいは不安でいっぱいの日々。いかがお過ごしですか?

あいかわらず新宿三丁目駅で「フジサンケイグループのジャンパーを着た、太った荒俣宏のような青年」の存在をチェックする。今日もスポーツ新聞を読んでいた。

夕方、近所のラーメン屋で食事。ここのチャーシューは妙にうまい。
だがいつもすいているので(すいているからよく行くんだが)、潰れてしまうかもしれない。

CD・「ベスト・オブ・ザ・ターゲッツ」 ザ・ターゲッツ(2000(再発)、Pヴァイン・レコード)
83年にリリースされたアルバム「D・D・B・東京」を中心にベスト選曲した、「テクノ歌謡DX」のシリーズからの再発版。
ライナーノーツによると、当時「リリース時期がテクノポップブーム、ニューロマンティックムーブメントのどちらにも乗り遅れたためにメディアの批評は芳しくなく」と書いてあるが、今聞くと非常にカッコいい!
「ダンスビートを強調したテクノ〜エレクトロポップ」、「男女混合ヴォーカルをフィーチャーしたシンセポップ・デュオ」と書かれていて音楽的知識に乏しい私はそれ以上の説明の仕方がわからない。しかし、まだシリーズ全部を聞いたわけではないが「テクノ歌謡DX」のシリーズは、往年の名作テクノ歌謡のアルバムの再発というコンセプトでありつつも、ぶっちゃけた話、やっぱり「YMO臭い」作品が多い。SHI−SHONENにしろ、URBAN DANCEにしろ。いや好きなんだけど。安田成美のアルバムでさえも(まぁ細野晴臣や高橋幸宏が関わってるんだから当然っちゃ当然なんだが)。

本作は、人脈的にもYMOとは無縁のところでつくられたみたいだし、そこはかとないオリジナリティを感じる。つまらん説明で申し訳ないが「できるだけシンセで太く、面白い音を出そう」という印象で私好みである(その点、後期のYMOは「太い音でゴリゴリと」って感じじゃないしなあ)。
もちろん時代の影響は受けまくっていて、ジャケ写ではお化粧してるし、「都市生活はカッコいい」みたいな歌詞も今聴くとスゲエものがあるが、こういうことをわざわざ言わなければならなかった、というのはさ、やっぱり西欧からみたらイナカでしかない日本に、無理矢理おシャレ王国を実現させようとしたさまざまなクリエイターや、何よりおシャレを望んだ婦女子たちの努力のひとつだとは思うんスよね。それを否定することはできまいよ。(夢枕獏調)

9月3日(日)

……実は、二日酔いで死んでました。仕事には行ったけど。
でもホントに弱くなったよなー……。以前なら半日で直った二日酔いが、まる1日かかってしまった。

9月2日(土)

某所のオフ会で、ガブガブ飲む。
ちょっと飲み過ぎたみたい……。

以前、「親指人形みたいな先輩」について日記に書いたらそれが好評だった。しかし、「親指人形ってナニ!?」とも言われた。そういえば、「指人形」はあるが「親指人形」というものはないことに気づいた。
「親指に顔を書いたみたいな顔」と言いたかったんだが、それはもはや「人形」ではないではないか!!
パラドックスに打ちひしがれ、1秒間(スター・プラチナが時間を止めた瞬間)沈黙。
あとはいろんな雑談。

……さて、「親指人形先輩」の後日談だ。
……といっても実は前の職場で私のハンドルネーム「新田五郎」を知っている人間が一人だけおり、そこから素性がバレてはいかんともしがたいので書くのはヤメておきます。
くわばらくわばら。

あ、そうそう、当HPで私が簡単な感想を書いている「タイムレンジャー」の脚本家・小林靖子氏。
以前、ニフの特撮フォーラム関連(……というかシュシュトリアン関係だったか?)のオフ会で一緒に飲んだことがあり(ほとんどしゃべらなかったけど)、その前後もパティオだかMLだかでレス交換したことあるヒトだった(らしい)ことが判明。
どびっくり。ぜんぜん知らなかった。
特撮関係の雑誌読まなくなって5年くらい経つし。

以前は「ブルー・スワット」のすごいファンだったらしいが。う〜ん「メガレンジャー」の頃から名前は知っていたけど、気づかないで見てたよ……。

そういえば、何やって生計立ててるヒトかぜんぜん知らなかったなぁ……。

9月1日(金)

Internet Exploler5.0を入れてみる。

なんだよー! 今まで当たり前に見えていたサイトが、ことごとく変に見えるぞー!
おそろしい。私は目の前に映る光景が信用できなくなってしまった。
また、日々急速に進展していく科学文明にも……。

きっと、旧IEでつくったおれさまのHPを、ほそーいめがね(レンズ色付き)にニット帽をかぶったイケてるネット・サーファーたち(もう言わねェかそんな言い方)が、「へっ!見ろよマイメロディー! こいつぁハイプなウェブだゼ!!」、「ほんとだ、終わってんなァ」、「ヒャハハハ!」……というような会話を繰り広げていたに相違あるまい! くそー、電脳社会の落とし穴だったゼ……。

……と思ってたら、フォントを調節したらちゃんと見えるようになった。
……二重の罠だったのかもしれん。

……しばたさんから書き込みにてお教えいただき、「性闘技マンガ」(秘技が続出するセックス勝負のマンガ)として「バトルフィールド」(戯遊群、久保書店)という作品を教えてもらった。

ソッコー時間つくって「まんだらけ」へ直行!
しかしなかった……。ショボーン。

おそらく、久保書店のB6作品自体が探しにくいものと思われる。

ときどき行ってた新宿三丁目の回転寿司屋「夢街道」も閉店。わずか4年間。思えば私が就職活動で気が狂いそうになっているときに開店、ちょい高級なこの店で、ヤケになったときはけっこう寿司を食ったもんだ。
……このように、時は過ぎゆく。

新宿は、平日だつーのにヒマそうなやつらばっか。ガングロ少女もいまだにいてさー。
とつぜん田舎モンみたいな質問するけど、濃い色のジーパンで、裾の折りっかえしが特徴のやつありますよね。あんなのが流行ってんだー、と思った。



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