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「つれづれなるマンガ感想文」9月前半
「つれづれなるマンガ感想文」10月前半
一気に下まで行きたい
成年コミック。A5判。短編集。コミックメガストア、桜花、コミックパレット、コミックライズなどに掲載。
筋らしい筋はほとんどなく、ほとんどがレイプもの。ラストページまで、ひたすらにやりまくる。服や下着のシワ、髪の毛、股間、体液の描き込みなどに異様なこだわりを感じる。フィーリングが合えば、けっこう実用物件かも。
H描写で、女の子に挿入したときに重なっている男を省略して描くのは珍しいことではないが、挿入されたイチモツが断面になって描かれているのが特徴的か(そういうのが常套手段になっているかどうかは浅学にして知らない)。なんかバイブなどとは違う異質な感じがする。……っていうか、「切り落とされたちんちんが生物のように女の子を犯している」ように見えて、ソレになじめるかどうかで評価変わってくると思います。
それと女の子のかわいさとは裏腹に、強姦者である男がすごい顔をしている。なんだかとってもすごい顔。
巻頭グラビア、METAMOだよMETAMO。元チェキッ娘。がんばってほしいねえ。やっぱさあ、チャンピオンに似合うのは田中麗奈でも釈由美子でもなく、こういうムチムチタイプだよな。「健全な酒、金、女」みたいな(どういう意味だ?)。あ、酒は関係ないか、少年誌だから。
・「ショー☆バン」 森高夕次、松島幸太朗
今週から新連載。中学野球のマンガ。この原作者、「おさなづま」とか中島らもの「ガダラの豚」マンガ化の構成とか、けっこう売れっ子らしい。「コミックバウンド」にも書いてたし。
・「バキ」 板垣恵介
「加藤」が登場。かつてやくざの用心棒であり、地下闘技場トーナメントの案内役でしかなかった彼だが、オイシイところを持っていっている。先週師匠の独歩が提示した「武道家」の線引きをアッサリ覆すところなんかサイコー。しかも、なんか作者がみんな(アシスタントとか編集者とか)で話し合って流れをつくってるっぽいんだよな。もちろん普通のマンガ家ならみんなそういうブレストみたいのはするんだろうけど、ぜったい読者をどう裏切るかのシミュレーションみたいの、してるよな〜。「みんながそう思うんならオレはこうする」ってカンジで。実状はとくかく、そう思わせるっぽいところが楽しい。
単行本の広告で「PUFFYも大絶賛!!」ってのがすばらしい。
・「フジケン」 小沢としお
上記の「バキ」と同じような観点で見るならば、現在「親を異常に憎んでひねくれきってしまった」ヤツとケンカしているフジケン、たぶん「拳と拳で語り合う」ような展開になるんだろうとは思う。その意味では「バキ」とは違って「普通のマンガ」だと言うしかないんだけど、予想可能だけど読んじゃうっていうかね。「フジケン」って設定だけ読んだらとても面白いとは思えない平凡なものなんだけど、なんか読んじゃう。これも才能だろうなあ。
・「おまかせ! ピース電器店」 能田達規
ロケットをレールにのっけて走らせ、その勢いで富士山頂まで滑らせてそのまま空に打ち上げるという「リニアブースター」の話。
あと、「どうぎんぐ」が最終回。
(00.0929、滑川)
雑誌「ダ・ヴィンチ」に95年から98年まで連載。
マンガの方はともかく、活字の方は滑川がまず読みはしないようなタグイの本で、参考になるし、作者がここ十数年紹介し続けている本が久々に重版されてて「へえ」と思ったりする(でも収録のコラムが書かれて数年が経っているのでまた絶版になっているかもしれない)。内容については、この作者の一貫した主張である近代批判とか、疑いない人権思想に対する懐疑とか、そうしたことをマンガや活字の紹介を通して語っている。けっこう面白い。
ただし、マンガが単なる話のマクラに使われている回もなくはなく、江沢光、久保田千太郎、石川サブロウの「母の曠野」、石ノ森章太郎の「ホテル」、木内一雅、渡辺潤の「代紋(エンブレム)TAKE2」なんかは、紹介文だけではそのマンガのどこら辺が面白いのか、あるいは面白くないのかはちょっとわかりにくい。
これはギャグ系の作品ではさらに顕著。たとえばみつはしちかこの「ハーイあっこです」。「普通の生活、平凡な家庭」を描いた作品として評価しているのだが、「普通や平凡」ということで言えば作者が別の著作などで「つまらん」と言っている「○○くん」と安直なタイトルがついた四コママンガ群もその範疇に入るはず。しかし、「あっこ」と他の4コマがどう違うかの説明は、文字数の都合もあるだろうがされてない。
これは、そもそも「ギャグマンガの面白い面白くない」の説明が、本質的にむずかしいということなのだと思う。思う、っていうかギャグって読んでもらわなければはじまらない部分が大きいし。だいたい居酒屋で「コレコレは面白い、つまらない」なんて話をしていると、あんまり話が通じないんで自分がアホに思えてきたりする……んだけどどうでしょうか。一生懸命「どう面白いか」を伝えるより、その時間コントを見るかギャグマンガを読んでいた方がいいと思ってしまう。
「面白い面白くない」ということで言えば、これまた他の本か雑誌だったが、本書の作者と高橋春男の対談で「岩谷テンホーは面白いか面白くないか」で意見が分かれていた(呉智英は「面白くない派」だった)。
ギャグはそのようなちょっとしたところから、紹介者の嗜好を判断して傾向を読みとり、他の紹介物件が自分にとって面白いかどうかを判断するしかない、というところがある。
とにかく、マンガの目利きである作者の本なので、紹介作品にたぶんハズレはないだろうと思う。オススメ。
エニックスから出た新創刊マンガ雑誌。全体的に次号へのヒキのみ、って感じの作品ばかりで、この号では善し悪しの判断のしようがない、と思いつつ。
巻頭グラビアは真鍋かをり。
・「亡国のイージス」 福井晴敏、中村嘉宏
ミサイル護衛艦「いそかぜ」と「うらかぜ」が四国沖の訓練海域を目指す。そこにはなぜか「死地に赴く兵士の目」をしている海士・如月行(きさらぎ・こう)の姿があった。
これはなかなか面白いです。謎が謎を呼んで続きが読みたくなるし、護衛艦なんて細密なモノを細密なまま描いている。
ただし、原作は「このミステリーがすごい!」でも話題になった小説。プロットの面白さはまず間違いないと言える。単なる「小説の絵解き」にならないことを祈る……って原作と読み比べてみないとその辺はわからないんですけどね。
絵は、ちょっと安彦良和入った細かい絵。
・「吉祥寺モホ面」 土田世紀
すさまじい口臭のため、まったくいい目にあったことのない主人公が、これまたすさまじいワキガの青年と出会うところから始まる青春マンガ? ……なのか?
第1回を読んだ段階ではサッパリわからない。
・「虐殺! ハートフルカンパニー」 ピエール瀧、漫☆画太郎
「電気グルーヴ」のピエール瀧を原作にすえたギャグマンガ。あくどいことをやって兵器をつくり大儲けの会社「ハートフルカンパニー」を舞台に……ってコレも第1回からサッパリわからない。まあ漫☆画太郎だからずっとこの調子で続くんだろうけど。導入部だと思ったら導入部が延々と続くみたいな。そういう意味では確かに「テクノ的」ではある。
・「トンネル抜けたら三宅坂」 森高夕次、藤代健
小学5年生のくせに異常に強い性欲を持った少年・三宅坂登を主人公にしたギャグもの。いわゆる「異常天才」系のブサイクキャラではなく、三宅坂はけっこうカッコいい男の子というところが新味か。しかし「女の子の笛をなめる」ってネタはいいかげん飽きたなあ……(その後の展開は面白い)。
・「ブッチュくん全百科」 タナカカツキ、天久聖一
藤子不二雄パロディの頂点といえる「ブッチュくん」、マンガ雑誌に登場。目次には「3号連続」って書いてあるってコトは3回で終わりなのか。まあ言うことナシ。載っただけOK。目次の名前、誤植になってます……。
・「PEACE ON LINE」 山崎かな女、日高トモキチ
インターネット麻雀の話。生身の人間を相手にしない独特のかけ引きが展開されるのは今後だと思うんで、評価保留。
・「気象戦隊ウェザースリー」 くぼたまこと
ヒーローと悪の組織がとても日常的でみみっちいことをやっているというギャグ。この人、「GO! GO! ぷりん帝国」のヒトだよね??? しばらく見ないうちに絵柄変わったなあ。なんか達者になりすぎちゃってる感じがするんだけど……。
・「サカマン」 笠原倫
琉球空手少年、酒井万治(通称サカマン)がサッカーをする話になるらしい。まだサッカーは出てこず、沖縄で空手の試合をするサカマン。トボけた展開は結構好きで、期待大なんだけどいかんせんページ数が足りないなあ。
・「ちょびっツ」 CLAMP
新連載。パソコンがカワイイ女の子型をしている世界、「パソコン欲しいが高くて買えない」貧乏浪人生(男)が、ゴミ捨て場に捨てられていたパソコン(むろん美少女型)を拾う。……で起動してみてうんたらかんたら、みたいな話。
「CLAMPがヤンマガで」という話題性と、「SFおしかけ女房」かもしれないと思って読んでみたのだが、うーーーん、「新」連載というにはちょっと新味が足りないかなあ……。他誌で「最終兵器彼女」や「愛人(AI−REN)」が連載されている昨今、いやシチュエーションコメディだとわりきったとしても、すでに「AIが止まらない!」などのパソコンネタは過去に存在するわけだし、さらにさらにヤンマガはこのテのネタでは「すげこまくん!」というメタなマンガもやっていたわけだし……。
まあCLAMPなんで大ハズシすることはないと思うけど、たとえば「パソコンがヒューマノイドであること」がこの世界ではどう解釈されているのか、くらいは連載1回目に入れてほしかった。
・「将軍と小僧」 佐藤芳憲
身体は牛で頭は「一休さん」みたいなとんち坊主、「一牛さん」が難題をふっかけられては「とんち」で乗り切っていくという読みきりギャグマンガ。奇怪な絵といい、予想のつきにくい展開といい、面白いのだが、確か今週号に載ってた(記憶あいまい)ホームヘルパーが獏の家に行くというギャグマンガ(タイトル忘れた)同様、予想外のことをしようとするあまり、各キャラクターの役割(ボケとかツッコミとか)がはなはだ不安定になっている。まあ「こういうもんだ」と言われれば「そうなのか」と言うしかないし、面白ければそれでいいんだけれど。
今号は井川遥の表紙&グラビアと、「闘破蛇烈伝DEI48」に尽きる。
執筆者:あかつきごもく、木村真一郎、ことみようじ、咲耶洸、更科了一、橘セブン、チャーリー西中、平田雄三、ひよひよ、藤岡建機、帆場瑛明、真魚ひどらん、夢咲三十郎。
WOWWOWでやってるらしいアニメのコミックアンソロジー。お人形サイズの美少女アンドロイド・メイがさえない少年の元にやってきてイロイロ世話焼きしてくれる、という話らしいので参考までに見てみたいのだがウチではWOWWOW見られないので本書を買ってみたりして。
アニメの方は、見てないがやはりメイが「小さな」、「アンドロイドである」ということでどう面白さを出していくかだろう。途中で等身大サイズになっちゃうらしいですけどね。
本作では個人的にあかつきごもくと藤岡建機(ボンボンで「メダロッターりんたろう!」を描いている人)の絵がカワイイ。夢咲三十郎のは妙なギャグノリ。滑川的には「アニメ絵新世代的妙なノリ」だと思うが、言葉ではよく説明できませーん。
ミスターマガジン連載。B4判? グラビア風に、簡単なHマンガ的ストーリーを入念な作画とわずかなページで展開した作品。他誌にまねっこ企画ができるほどの人気を獲得している。……って時期的に紹介のタイミングをはずしてるが申し訳ない。4巻もすでに出てるってのに。
内容としては、女性の肉体の各部分や仕草にこだわったフェチ的なもの。3巻目ともなると、「ハイヒールの脱ぎ方」とか「女性がしゃがんだときの足のカタチの変化」など、どんどんマニアックになってくる。「マーチングバンドのコスチューム」ってのもあって、「読者の反応鈍し」って書いてあったけど、まあそうだろうなぁ。
ところで、あとがきに「素肌にエプロンは男の永遠の夢なんでしょうなあ」って書いてあってふと気づいたのだが、「素肌にエプロン」、「裸にエプロン」の下の句はなぜいつも「男の永遠の夢」なのであろうか!? いやホントに、裸エプロンが出てくると「やっぱり男の夢だから!」みたいな文章になる。
しかし、「裸エプロン」と同程度かそれ以上に普遍性を獲得しているはずのフェチ・妄想物件、「巨乳」や「メイドさん」や「スチュワーデス」や「朝、学校行くときに走ってきた女の子とぶつかって恋におちる」などは、「男の永遠の夢」とはあまり言われない。逆に「夢」につながりそうな、もっとマイナーでダウナーな征服欲・被征服欲を満足させるような物件でも、こうした言われ方はしない。
やはり「裸エプロン」は本当に男性諸君の「永遠の夢」だからだろうか。
だいたい「永遠の夢」って言い方もヘンだし。なんか松本零士っぽいし。いや、松本零士はそんなこと考えてないだろうけど。
関係ないが「裸に」ではなく「素肌にエプロン」と表現するところが八神ひろきの美学と見た。
B6判。成年コミックというかエロ時代劇。十手を預かるお久美、お桃、お照の「トリモノシスターズ」と、さえない同心中村田、そして中村田が満月の夜に精力絶倫になって変身する「満月頭巾」がシモがかった事件を毎回解決する。
「顔面シャワー」、「ファッションヘルス」、「オナニー」、「インポ」などの言葉はそのまま出てきて、毎回ページの隅に「現代語に翻訳済み」と書いてある。それにしたって「愛宿」とかいってラブホテル風の宿が出てきたり、「石けん浴場」とか「おどり茶屋」(ディスコのこと)という明らかに当時ないものが出てくるがそこら辺は深く考えない。
「トリモノシスターズ」っつっても、お久美が実質的主役で、残りの二人はほとんど出てこない。ゲストキャラも「のぞき小僧」(まんまだ)やポルトガルから来たらしい「カルタキッド」、「陰毛剃りにかけちゃ天下の達人、剃りの信兵衛、通称『剃り信』」、女の香りを味わう「女体香道家」、女体を毒味する藩の「おなめ役」とかがでてきて、まあ内容もそんな感じデス。正式タイトルは「大江戸トレンディ おきゃんぴー捕物帳」らしい。ああ、バブル時代の香りがそこはかとなくする……(内容はそれほどバブリーでもないんだけど)。
B6判。成年コミック。基本的に三国志だけど、劉備は「戦乱のドサクサにまぎれて一旗あげたいと思っている胡散臭い男」、関羽はルックスと強さはお話どおりだが自分のことしか考えていないのは劉備と変わりなし、張飛は美少女と虎に変身できる能力があり、通常は女として過ごしている。曹操は女、趙雲も女、諸葛亮孔明も女! んでまあ彼らが愛情憎悪入り乱れての、領土つかみ取りゲームを繰り広げる。
「スーパー歌舞伎」だっけ? あれも「劉備は女」っていう設定らしいし、戦国モノの登場人物に女が混ざっていても、まあ驚くにはあたらないんだな。
それとこのヒトの描く女の子は、痩せてるのに巨乳という、とっさにいい例が思い出せないが女優で言うと昔の青山知可子とかを思い出す体型で、イイ乳をしてますぜ。
初出不明。B6判。成年コミック。劇画的美少女とあっけらかんとしたH、冗談とも本気ともつかぬ(でもホントは冗談)ナンセンスギャグと、冗談とも本気ともつかぬ社会風刺の漂う阿宮美亜の短編集。
その他の作品については、滑川がちまちまと書き続けてきた、以下の感想文を読んでください。
・「くりぃむチェリーの保健室」 阿宮美亜(1989、日本出版社)
・「制服はミルク色」(1989、日本出版社)
・「誘惑・セブンチャンス」 阿宮美亜(1993、一水社)
(00.0922、滑川)
プレステ2から出る「バキ」の格闘ゲームの紹介が載ってる。う〜む、画面を見るかぎりひたすらに不安な気がするが……。毎週載ってるゲームレビュー「電気頭脳園」も、このゲームについていかにもちょうちんって感じじゃないわりと忌憚ない意見を掲載。うう、やってみたい、でも不安、やってみたい。
来週からは原作、森高夕次、画は松島幸太朗という人の野球マンガが新連載。予告で見るかぎり、けっこうカワイイ絵柄。
個人的には、もう一人くらい劇画っぽい人の投入を望みたいんですけど。
実にひさしぶりに購入。むむ、なんだか「けっこう上品なフンイキの文化系クラブ」に入ったような疎外感を覚えるぞ。……ってーか10年前からそう思ってたけどね。……ってーか私が悪いんだけどね。わかってんだけど。
・「ギャラリーフェイク」 細野不二彦
「ART.189 カリスマ真偽」。美術館の別館に現代アートを特集するスペースをつくりたい、そのスーパーバイザーのアドバイスをお願いしたい、と頼まれる主人公の画商・フジタ。
もともとマンガ・アニメに対しては無知だったフジタは、両者に接するうちに宮森は本物、六園寺ハジメは偽物だと感じとる。そしてスーパーバイザーの申し出をきっぱりと断ってしまう。
話は前後するが、その前に六園寺を評価する現代アート界そのものへの批判が入る。
……でまあ後はフジタが六園寺ハジメに反論してやりこめ、メカデザイナー・宮森の個展を開くところでオワリ。
細野不二彦自体ひっさしぶりに読んだりしたのだが、さすが「職人」って感じで読ませる、っというようなことはあんまり当たり前なんで書いても仕方ないですね。
アートとかブンガクっていうのは、私にとって地雷。なぜかというとよく知らないから。まあブンガクだったら「おもしろい、つまんない」って基準で考えてもイイんだけど(「何をもっておもしろいとするか」が問題なのは百も承知なんだが)、アートっていうのは、もう心の底から「イイなあ」って思ったことがほとんどナイんで、どうしても頭で、あるいは感覚で考えようとしてしまう。
エンタテインメント作品がものすごく好き、でアートっぽいものがよくわかんないから嫌い、っていう人は少なくない。私もよくわかんないと思う。そして、「コレがアートです」って言い張ってくるモノに対して「なんだよ、ただのガラクタじゃねえかお高くとまりやがって」っていう感情が、まずわいてくるっていうことはよくあることだと思う。
さて、コレは一種の直観であり、おそらく一理あるんじゃないかとも思うが、直観にすぎないとも言える。きちんと考えて、「こうだからダメだ」と言える人がエンタテインメント好きの中に何人いるかというと、心許ない。
だがクライマックスでフジタが六園寺をやり込めるシーン、六園寺が「パクリ屋だ」と言われ「それは『引用』、『サンプリング』である」と反論するのに対し、
「マネー(お金ね)はあらゆる境界を突破する流動性を獲得した」、だからといってマネーの流通が芸術でないのと同じで六園寺のやっていることもアートではない、とするのは、まあ反論になってないと、愚直に指摘しておきましょう。こういうのムキになるの、このトシで恥ずかしかったりするんだが。
ここで私がこのマンガを過去の連載から精読していない弱みが出るんだが、本作だけで判断すればフジタの言っているのは「サンプリング=偽」というかなりまっちょうじきな真偽の基準である。細野不二彦はオタクの味方、と考えるのはまだ早い。このデンで行けば、コラージュもサンプリングもパロディもダメダメということになってしまう。裏から見れば「アニパロ反対」ということにもなり得る。
同作者の「あどりぶシネ倶楽部」という映研を部隊にしたマンガでアニメを取り上げたとき、「真摯なアニメ職人」と「背景に見えるか見えないくらいに小さく他キャラクターを描いては喜ぶヤツ」を対比して見せたように、細野不二彦はものすごく厳しい職人主義・職業主義だ(と思う)。おそらくそこにはアニパロ同人誌や特定のスタイルを正直に踏襲する(たとえば爆発の仕方や擬音や、半裸のメカ美少女や、悪人が幼稚園バス襲ったりする「お約束」な展開など)行為に対する視点はないのではないかと。
引用は引用自体が売り物なのではなく、引用のされ方(何を引用するかも含めた)が問題なので、「コレがサンプリングしてあるから価値がある」ってのは確かにおかしいんだが、だからといってサンプリング全体がパクリであるかというとちょっと微妙だと思いました。
物語の最後は宮森の個展に、「いかにもオタク的」な客が大挙して押し寄せる、というギャグ的なオチになっていたけれど、ここの部分こそがどうにもこうにもできないまま来ちゃっているということも、また事実なのではないかと、反論したりするのはいかにも愚直な行為である気がするが(古谷三敏の「寄席芸人伝」における芸人論に真剣に反論することにどれだけ意味があるかということと同じで)、まあ個人のHPなのでここに書くものであります。
あ、それと現代アートそのものの話ね、よく知らないまま書くんだけど、やっぱりありがたがるというかテキストを読み込もうとするよりは、こっち側というか自分側に引き寄せようとする味わい方でいいんじゃないんですかね。TシャツのガラとかCDのジャケットとかにあしらわれてるとカッコいいもん(私の考えてるのが「現代アートかどうか」ってのはわかんないけど)。
・「なにがオモロイの?」 相原コージ
スピリッツの相原コージ読むのもひさしぶりだな〜。相原コージって、なんつーか大学生がカブレそうなというか、教養スノッブ目指してそうな人がする思考方法から出発して、「やばっ」とか思わせつつ展開されるギャグはけっきょくおもしろいですよねー。ムカシと変わってないんでちょっと安心。
・「じみへん」 中崎タツヤ
すばらしいね。本当に言うことない。
(00.0921、滑川)
週刊少年ジャンプ連載。この頃は、そこはかとなく映画「リング」の影響が見られる。
単行本第25巻 「#213 ゆきめ、禁断の恋!?の巻」
「いけない 私どうかしてるわ 小学生の男の子に ドキドキするなんて」
……で、一緒に風呂入ったり飯食わせてやったり同じ布団に寝たりする。
同巻 「#215 逆襲のリツコ先生!!の巻」
単行本第26巻 「#221 妖怪絵師・鳥山石燕の巻」
同巻 「#224 結成!! 童守妖撃少年団編 その1 ぬ〜べ〜が消えた日の巻」から27巻「#235」までは続きもの。
ゲームソフトが話の発端のせいか、妖怪博士の屋敷はRPGのダンジョンのようになっている。そこをケンカしたりときには逃げ出したりしながら進んでいく生徒たちと、それを見守るぬ〜べ〜と玉藻、そしてこの世を滅ぼそうと最強の妖怪・オロチを復活させようとする妖怪博士。
前半、生徒たちの出番があまりなかったり、もともと霊能力のない彼らがどう妖怪と戦っていくかが実にご都合主義なんでどうだろと思ったが、「オロチ」を倒すために子供たちが呼び寄せる「正義の妖怪」の正体、おお、これにはけっこう感動してしまいましたよ。
週刊少年ジャンプ連載。
単行本第22巻 「#191 ゆきめが浮気!? ぬ〜べ〜大ショックの巻」
「気持ちをひとつにするため」とかいってゆきめと北島マヤ男がツイスターゲームをするところや(しかしツイスターゲームというのは「中途半端なH」という意味ではある意味最強アイテムだ)、不自然なまでに胸の開いたゆきめのフィギュアのコスチューム。
単行本第23巻 「#195 『泥』の巻」
登場する泥の妖怪はなんだか「エヴァンゲリオン」ぽいのも、今読むとちょっと恥ずかしい。
同巻 「#197 激突! 玉藻VSいずなの巻」
同巻 「#200 偶然の女神の巻」
同巻 「#201 蛤女房の愛情クッキングの巻」
「ポルノ映画みたいな名前して!」というツッコミ。
同巻 「#203 童守町最大の決戦! その1 鬼が来た!の巻」
同巻 「#211 妖虫・常元虫の巻」
けっきょくバカなヤツの虫はやっぱりバカなことがわかり、まじめな郷子とのろちゃんの虫をつくろうとする。「いたくない いたくないから!」「ちょっと先っぽ入れるだけだから!」……って、コレはオタク的というよりオヤジ的。
漫画ゴラク連載。人間の遺伝子操作実験で怪物と化した犬が脱走、人をも喰らうほどに本能が変質し、自分を犬ならぬものした人間やその仲間の犬たちに復讐を開始した。
奥羽に王国をつくって平和に暮らしていた犬たちは、怪物の乱入によって人間から人を襲った濡れ衣を着せられた。しかし人間との共存をのぞむ犬たちは、怪物に命がけの戦いを挑む。その中には、奥羽の総大将・銀の息子ウィードの姿もあった。
ついに怪物と全面対決。単行本1冊まるまる使ってウィードやその仲間たちの戦いを描いている。どうなんだろ、そろそろいったんひいて物語を盛り上げていった方がいいと思うが? ウィードの出番も少し減っちゃってるし。
(00.0917、滑川)
A5判、成年コミックの短編集。たぶん、「魔界都市ハンター」などの細馬信一が別ペンネームで描いたHマンガ(あくまで推測)。
ちょい劇画調の絵なんだけど、どこらへんに掲載されていたかは類推しにくい。ただし、日常生活をいきなり切り取ったような感じで始まり、レイプものであってもカクッとするオチがついていたり、「女の子はしたたか」という結末だったりするのは、ロリコン・美少女ものが盛り上がるときよりもう少し前のH劇画誌か、同時期でもいわゆる美少女マンガ誌ではないような気はする。
そういう意味では後年の「細馬信一らしさ」のようなものはほとんど見いだせないが、収録作「トライアングルリベンジ」に出てくるおねぇさまの目つきは恐くて、いきなりレーザーガンとかぶっぱなしそうでした。
別冊コロコロコミック連載。ものすご〜く身体の小さい「どリトル先生」が奮闘するギャグマンガ。
外見は「北斗の拳」風コスチュームに身を包んだ熱血教師だが、体長10.8センチ、体重70グラムのどリトル先生。チョークに黒板で字を書くことや給食を食べることなど、すべて命がけ。でも生徒を思う気持ちはだれよりも強い。「生徒のため」というのがものすごく小さなこと(生徒が子犬に襲われていると勘違いして助けようとしたり、豆つぶで千本ノックしようとしたり)なんだけど、それに命がけの先生の姿に感動するヨシノブくん(のび太くん的存在)、というパターン。
ただし、どリトル先生の苦労は大ボケというよりは「ほんとに身体が小さいための苦労」であることもあり、なんか笑えないときがある。これに感動するヨシノブと冷静なフタバ(女の子)という図式は、メリハリのきいた笑いにつながっていきにくい。
・「制服少女」 鬼ノ仁(2000、コアマガジン)
・「週刊少年チャンピオン」45号(2000、秋田書店)
・「マンガ狂につける薬」 呉智英(1999、メディアファクトリー)
・「コミックバウンド」創刊号(2000、エニックス)
・「週刊ヤングマガジン」43号(2000、講談社)
・「別冊ヤングマガジン」12号(2000、講談社)
・「ハンドメイド・メイ公式コミックアンソロジー」(2000、ソニー・マガジンズ)
・「G−taste」(3) 八神ひろき(1999、講談社)
・「おきゃんぴー捕物帳」 小鈴ひろみ(1989、ワニマガジン社)
・「三国志艶義」(上) 清水清(1999、ヒット出版社)
・「感じるとしごろ」 阿宮美亜(1987、辰巳出版)
・「週刊少年チャンピオン」44号(2000、秋田書店)
・「ビッグコミックスピリッツ」42号(2000、小学館)
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(25)〜(27) 真倉翔、岡野剛(1998、集英社)
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(22)〜(24) 真倉翔、岡野剛(1997〜98、集英社)
・「銀牙伝説 ウィード」(5) 高橋よしひろ(2000、日本文芸社)
・「夏体験STORY」 矢島みのる(1986、白夜書房)
・「熱血! どリトル先生」 徳島早苗(2000、小学館)
・「制服少女」 鬼ノ仁(きのひとし)(2000、コアマガジン)
絵柄はサラサラした「イマドキのアニメ絵」って感じ。作者のトシは私とあまり違わないが(確か同人誌でウイングマンのHものとかやってたし)、すごく今風、まさに旬の画風かもしれない(アニメ塗りのCG系と言えば近いか? CGは使ってないとは思うんだが)。
(00.0930、滑川)
・「週刊少年チャンピオン」45号(2000、秋田書店)
「ハデにならない少年マンガ」を目指すという。チャンピオンの新連載攻勢は、スポーツモノが多いのかなあ。
だから、今回「神心会」の強豪揃い踏みでイイとこ見せるんだけど、たぶんやられっぱなしの死刑囚はもんのすごい反撃するんだろうとは思う。予想を予想してくるだろうと思って考えないと、展開が当たらない(「地下闘技場トーナメント編」の第1回戦はホンキで予想したが、なかなか当たらなかった)。
それでさらにスゴイのは、「ヒキのみ」で終わらないところ。1週の話が、見せ場でもありヒキでもある、ということをず〜っと何年間も続けているワケで、それは1週1週のまとまりを次週があっさり突き崩してしまうということでもあるんだけど、1週は1週で完結してるから。方法論が確立されてても、つい読んじゃうってのはやっぱりスゴイと思う。
それとヤンキーモノとしては、フジケンのケンカの強さがまったく計量可能なカタチで表現されていないところがスバラシイ。もう意味なく強い。敵の方はどうだったか忘れちゃったけど、拳法とか中途半端に出すと、ヤンキーワールド全体が崩れていっちゃうから(その点、同誌の「迷探偵史郎シリーズ」は中国拳法やるヤツが出てきた。さて、どうなるか)。
もう完全に時代は「ロケット」だね! この人の描くメカは近未来っぽくて今すぐにもできそうで、でもマンガ的でかわいくってすばらしいなあ。もっとも、マンガの中で地元の反対住民の件がそのままになっているような気がするが……。
・「マンガ狂につける薬」 呉智英(1999、メディアファクトリー)
近しいテーマや題材のマンガと活字本を、合わせ技で紹介したコラムをまとめたもの。
たとえば尾瀬あきら「ぼくの村の話」と松下竜一「砦に拠る」、諸星大二郎「孔子暗黒伝」と白川静「孔子伝」、望月峯太郎「ドラゴンヘッド」と北原糸子「安政大地震と民衆」など。
東海林さだおの「新漫画文学全集」も、不条理ギャグマンガとして評価しているがこれが他のギャグマンガとどう違うかの説明は、……けっこう苦しい。
(00.0928、滑川)
・「コミックバウンド」創刊号(2000、エニックス)
(00.0926、滑川)
・「週刊ヤングマガジン」43号(2000、講談社)
(00.0926、滑川)
・「別冊ヤングマガジン」12号(2000、講談社)
(00.0926、滑川)
・「ハンドメイド・メイ公式コミックアンソロジー」(2000、ソニー・マガジンズ)
当然、アンソロジーなのでアニメの物語そのものはよくわかりませんでした。でも設定資料やストーリーダイジェストは付いています。
(00.0924、滑川)
・「G−taste」(3) 八神ひろき(1999、講談社)
いや、何か妄想をストレートに展開できるお話があれば、読者もついてこれると思うのだけど。
反面、「素肌にエプロン」の回は人気がダントツだったそうだ(笑)。
しかし、どう考えてもものすごく普遍性を獲得した妄想とはいいがたい。そんなに「夢」なのだったらもっとそのテのH同人誌が出てもいいだろうし、世間が裸エプロン一色にそまってもいいハズなのだがそんなこともないようだ。
(00.0923、滑川)
・「おきゃんぴー捕物帳」 小鈴ひろみ(1989、ワニマガジン社)
(00.0922、滑川)
・「三国志艶義」(上) 清水清(1999、ヒット出版社)
劉備を人間的に描く、というのも本作にはじまったわけではないと思うが、本作のコイツがなかなかイイ(野卑でずるがしこそうで、それでいて抜けていて)顔なのよ。
(00.0922、滑川)
・「感じるとしごろ」 阿宮美亜(1987、辰巳出版)
・「週刊少年チャンピオン」44号(2000、秋田書店)
さて「バキ」本編は、さりげなく「地下闘技場」側の武道家たちの「美意識という名のルール」を語っていて興味深く、なんと「アイツ」が登場だッッ! やっぱり板垣先生、「ヒキ」の帝王だわ。
(00.0921、滑川)
・「ビッグコミックスピリッツ」42号(2000、小学館)
別館の先駆けとして、気鋭の日本人アーティスト・六園寺ハジメの作品展が行われるという。六園寺ハジメは、マンガ、アニメーション、ゲームなどのサブカルチャー的表現を大胆かつポップに取り入れて話題をさらっている「新世代のカリスマ」だった。
同じ頃、フジタのアパートの隣室にメカデザイナーの宮森が引っ越してくる。助手の川北が「社会人としてはダメダメ人間」と評する宮森は、10年以上にわたって斬新なアイディアを提示し続けてきた、アニメやゲームなどのオタク業界ではカリスマ的な存在だった。
フジタは、六園寺を「日本のオタクたちが営々と積み重ね育ててきた文化のうわずみをかすめとったにすぎず」、「他人のイマジネーションを『包装』して、『美術界』という流通にのせ、無知な欧米人にたたき売る」、「パクリ屋」であると痛烈に批判する。
「現代アートは視覚的であるはずの絵画表現に、『難解な言葉』を持ち込んだ」、「言葉では語り得ない何物かを伝えるのが、絵画であり彫刻であるはずなのに」、と。
しかも本作自体を断片的にしか読んでいないんで、細野不二彦の美術・芸術に対する持論を知らないままこうして感想とか書いている。
ギャグマンガで、「芸術家はわけのわからないことをするもの」としてステロタイプに描かれるのも、そういう感情が一般的だからだ。
「お高くとまってて、コジャレてて、『つまらないから』ダメだ」、というのは映画とかには言えるがどうも現代アートには言いにくい。なぜなら「おもしろいかつまらないかが果たして基準になっているかどうか」さえわからないからだ。少なくとも私は。
その点、本作での「現代アートは視覚的であるはずの絵画表現に、『難解な言葉』を持ち込んだ」から、難解でわからないのだ、という批判は実に明解で、去年か一昨年NHKで特集された現代アートの番組を見たときにまったくわからなかったことが、わかったような感じで目からウロコだった。
コレは「サンプリング」論になると思われる。本作においては「六園寺=胡散臭い商売人」、「宮森=いささか非常識だがピュアな男」として描かれていて、六園寺は本当にただ単に「オタク文化を『輸出』して一儲けしよう」としていたフシがあるので、マンガとして宮森が勝利(?)することにまったく異義はない。
もちろん、この場合TシャツやCDがメインになっちゃうけどね。哲学やイデオロギーを盛り込んだものなら、美術館で展示されるより日常で使われる方が標識のようによく目立つハズだ。「それはアートじゃない」って言われるなら、別にアートじゃなくてイイよ。イイかどうかは私が決める。
でもたまにいかにも「風刺」ってのが混ざってんだよな……まあその辺は好みだと思うけど。
いまさらながら「リサーチ」ってのは意味ないと思うなぁ。それとも毎週読んでいるとおもしろくなるのかなぁ。
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(25)〜(27) 真倉翔、岡野剛(1998、集英社)
最強に恥ずかしい回(笑)。「陽神の術(体内の気を練ることによって自分そっくりの分身をつくり出す術)」で小学生になったぬ〜べ〜を、カン違いして自分の部屋に連れていくゆきめ。
彼女はぬ〜べ〜の面影がある(当たり前だが)陽神に、正体がわからないままドキドキしてしまう。
「こういうのって たしかショタコン…… っていうのよね…… 今までこんなことなかったのに……」
いつも妖怪や超常現象の解説をする「ぬ〜べ〜先生の補足説明」も、「コンプレックス」について簡単に説明している。何なんだろう……。
同巻 「#216 ぬ〜べ〜ドキドキ! 誕生律奈子先生!?の巻」
同巻 「#217 白銀の大恋戦!! の巻」
童守小・冬のスキー学校に行くぬ〜べ〜、追いかけて来てしまうゆきめ。そしてぬ〜べ〜とゆきめがくっついた後にぬ〜べ〜に惚れてしまった律子先生が三角関係を繰り広げ、そこにぬ〜べ〜の左手の「鬼の手」を内部から封印している霊・美奈子先生(ぬ〜べ〜の小学校時代の担任の先生・霊能力者)が復活したりしていろいろ事件が起こる話。
美奈子先生が律子先生と合体してぬ〜べ〜にせまるとか、これもなんかすごい展開。
本作のかなりのネタ本になっているらしい妖怪画集を江戸時代に出した絵師・鳥山石燕を、ぬ〜べ〜ソックリになぞらえて描いた作品。彼の愛称は「せきべ〜」、当然、彼が寺子屋で教えている子供たちはぬ〜べ〜クラスの生徒たちソックリ。実は「せきべ〜」の絵は彼が除霊した妖怪たちだった、というお話。
この中で、何と河童としてゆきめが登場(しかし妖怪を違う妖怪として出すというのは何とも……)、同じくたぬきとして玉藻も登場している。
「呪いのソフト」という、見ると身体が石化してやがて死んでしまうゲームソフトの謎を探るうち、自らが石になってしまったぬ〜べ〜と玉藻。2人は「陽神の術」で少年となって事件を追うが、同時にぬ〜べ〜クラスの生徒たちも事件を追っていた。
ぬ〜べ〜たちの正体を知らない生徒たちは2人を警戒しながら「呪いのソフト」をバラまいた犯人・妖怪博士の屋敷へ潜入する。
(00.0919、滑川)
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(22)〜(24) 真倉翔、岡野剛(1997〜98、集英社)
もともと意外にというべきか、オタク濃度が高い少年ジャンプにおいて、とくに高濃度地帯と推測される本作。いろんな意味で(というかHな意味で)博覧会的内容である(あくまでウン百万部を売るメジャー誌としては、ということだが)。
しかも硬派オタクをきどる人々が頭痛を起こすような、Hアイテムが満載だ。
その辺を中心に見ながら。
スケートに才能があるからと、国際フィギュアスケート選手権に出ることになったゆきめ。なんとペアを組む北島マヤ男と同居しているという。訓練のためだと言うゆきめだが、ぬ〜べ〜は大ショックを受けケンカしてしまう。
死んでしまった親友・信子をゴーレムの秘術で蘇らせようとする少女・沙知代。しかし、それは恐ろしい泥の怪物をつくり出しただけだった。
沙知代と信子が仲がよかったことを表すシーンで、何の説明もなくレズビアンを連想させる描写。
それと、夜の雨の中、魔術を使おうとする沙知代のワンピースが濡れて透けていてパンツが見えている。コレも何の描写の必然性もナシ。
セミレギュラーの妖狐・玉藻を極悪妖怪だと誤解して、戦いを挑むいずな。当然まったく歯が立たないが……という話。
いずなはこの話で玉藻と初対面ということになっており、他の妖怪キャラとも会ったことがないことになっていた。長い連載の間、キャラクターが交錯するとこういう事態が生じるのだな。
至る所で偶然を巻き起こす「偶然の女神」が童守町にやってくる。
わりとストレートに「シンクロニシティ」をネタにした話だが、14巻のケセランパサランを題材とした話のように、私はこういうのは結構好きである。またこの女神のデザインがかわいーんだ。
広に命を助けてもらったために、おいしい料理をつくって恩返しをしようとする妖怪・蛤女房の話。また「SFおしかけ女房」かい……。
「身体の汁が料理をつくった者の心を味として人の舌に伝える」能力があるので、蛤女房は裸になって鍋の中に入ったりする。
彼女のデザインは、昔の着物姿の女の子が背中に蛤の貝殻を背負っているカンジ。何の説明もなく、当然のように着物の裾はミニスカートのように短い。
もともと「鶴女房」のバリエのような言い伝えらしいが、本来の「蛤」にセクシャルな意味がこめられているのではないかと思うのはゲスの勘ぐりであろうか。
童守町にやってきたすさまじい妖気を感じ、妖狐・玉藻、イタコギャル・いずな、雪女・ゆきめ、人魚・速魚(はやめ)がぬ〜べ〜のもとに集結。この妖気は、ぬ〜べ〜が左手に封印している鬼の弟・絶鬼のものであった……という連続モノの第1回。
その後、24巻の#208まで絶鬼との戦いは続く。
この絶鬼は「残酷な美少年」という設定で、単行本の裏表紙というかなんつーんだっけ、表紙をめくると出てくる表紙(名前忘れた)が極太明朝体使いまくりだったり、展開もどことな〜くエヴァンゲリオン臭いところがちょっとイタイ(そういう目で読んでいるからかもしれないが)。
でも、展開自体は本作が好きならやっぱり手に汗握っちゃう。毎度のことながら、敵妖怪の攻撃に対する各キャラのやられっぷりもかなり凄まじいものがあるし。
「木の穴から恐ろしい虫がたくさん出てきて人々を襲う」という言い伝えのある「常元虫の木」の穴に指を入れると、自分そっくりの虫が大量に出てくることを知ったぬ〜べ〜クラスの生徒たち。
自分の分身をつくって冬休みの宿題をやらせようとするが……という話。
できたのは郷子ソックリのトンボ少女とのろちゃんソックリのちょう少女。「美少女フィギュアとして売ることも考える」が、すぐやめる。
後は「ドラえもんのひみつ道具を悪用してひどい目に遭うのび太」パターンであった。
(00.0918、滑川)
・「銀牙伝説 ウィード」(5) 高橋よしひろ(2000、日本文芸社)
犬たちが「犬死にだ〜」とか言ったり、「恩犬」と書いて「おんじん」とルビふったりするのは完全に作者は確信犯なんでしょうなぁ。「確信」ということで言ったら「銀牙」時代からぜんぶそうだったとは思うんですが。
・「夏体験STORY」 矢島みのる(1986、白夜書房)
(00.0916、滑川)
・「熱血! どリトル先生」 徳島早苗(2000、小学館)
「変わった人が日常にやってきて騒動を巻き起こす」というのは基本的には「うちゅう人田中太郎」なんかと変わらないんだけど、絵がちょっと劇画っぽいことがギャグになっているところと、先生が鳥の背中に乗って空飛んだりというメルヘンチックなところが好き。
(00.0916、滑川)
「つれづれなるマンガ感想文」9月前半
「つれづれなるマンガ感想文」10月前半
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