つれづれなるマンガ感想文4月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」4月後半
一気に下まで行きたい



・「YOUNG キュン!」5月号(2003、コスミックインターナショナル)
【雑記その6】・「HIPHOPとオタクほか」
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【雑記その5】・「セクシー女塾」その後
・「ジョージィ!」全5巻 井沢満、いがらしゆみこ(1983〜84、小学館)
・「シミュレーション・トライ」 いがらしゆみこ(2002、大創出版)
・「恋する鯖吉」(1) 桜壱バーゲン(2003、双葉社)
【CD】・「ロックンロール県庁所在地〜おぼえちゃいなシリーズ〜」 ミニモニ。(2003、zetima)
【CD】・「エレクトリック先生」 HALCALI(2003、フォーライフ)
【雑記その4】・閉鎖もしくは行方不明のサイトたち
【テレビ】・「めちゃ×2イケてる! 私立岡村女子高等学校スペシャル」
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【雑記】・いちおう現時点での新年度の方針(あと紺野あさ美)
【テレビ】・「めちゃ×2イケてる! キダムじゃなくて期末が来てますスペシャル」
・雑記その2
【雑記】・「セクシー女塾」
・「妄想戦士あれこれ」
・祝! サイト開設4周年
・「大道魔術師 少年ピエロ」(3)(完結) おぎのひとし(2002、小学館)
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第7話「アバレ赤ちゃん爆竜」(2003、テレビ朝日)
【CD】・「No.5」 モーニング娘。(2003、zetima)
【テレビ】・「2002年度『おはスタ』を総括してみる」
【テレビ】・「緊急特番 これが新ミニモニ。だぴょんスペシャル!」






・「YOUNG キュン!」5月号(2003、コスミックインターナショナル)

成年コミック誌。中綴じ。コンビニ売りもしている。

「プリンセス ハーレム」IRIE YAMAZAKIは、隔月での新連載。西欧ファンタジー風の世界で、拮抗していた三王国が突如現れた一人の覇王、アル・ジークによってすべて占領されてしまった。
三王国の運命は、各国の三王女の手に託されることになった……。

たぶん、毎回王女たちが皇帝アル・ジークにヤられちゃう話になるんだと思う。

この作者は前2作とも、西欧ファンタジー風の世界で高貴なお姫様がヤられちゃうという話を描いていて、こういう持ち味がハッキリした人には好感が持てます。趣向そのものは陵辱系ですが。

「麗しい課外授業」毛野楊太郎は、最終回であると同時に「課外授業シリーズ」全体のラストでもある。

このラストには「おお〜っ!!」と思った。普通、調教モノのラストというのは、

・ヒロインが調教されきって、牝奴隷となる。
・ヒロインが調教されきって、逆に調教者を操るようになる。
・ヒロインが救出される。

……の3パターンしかない。それに、こういったシュミの読者はむしろマンネリを好む傾向にあるような気がする。ラストにはそれほどこだわりがないと言った方がいいか。もともと経過を読んでいくようなモノなので、「驚愕のラスト」とか「感動の大団円」とかはあまり必要ないと思っているんじゃないかと思う。

が、あるんだよここに。驚愕のラストが。こう来るとは思わなかったなぁ……。しかも、本作のラストであると同時にシリーズ全体(前に外伝的なものも含め、7作ある)をまとめなくてはいけない。それができてる。しかも、きっちりエロマンガになってる。

毎月読んでて本当に良かったと思えたなぁ。まあ本作も陵辱モノなんで、読者を選ぶといえば選ぶが。

SFおしかけ「にゅるる3号」押田J・O(カノジョがぬいぐるみ)が最終回。

執筆者は、他に水島空彦、きらら萌、百済内創、龍牙翔、高苗京鈴、日由るま、かねことしあき、りゅうき夕海、こうのゆきよ。
(03.0415)



【雑記その6】・「HIPHOPとオタクほか」

気楽院さんのHP3月24日付日記を見ていたら、ウチのHPの文章がホメられてる! でも見返したら自分が書いたはずのその文章がない! ガーン。
よく考えたら、ネット上である本のだれかの書評を読んで「これはないだろう」と思い書いた文章だったのだ。で、読んでいない本の、さらに書評について文章を書くのはあまりにあまりだと自分で思い、1日で削除してしまったのだ。

ホメられるの大好きっ子の私が、みずからホメられ要素を無くしてしまうとは……「セクシー女塾」のことなんか書いてる場合じゃない。いやそういうのも書くけどね。しかし、くだんの文章を書いたのも、それを探しているのも同じ人間である私なのだから(当たり前だが)、あらためて書き直してみようと思う。

・HIPHOPと私
まあ正直に書くと、「英語がわからない」というのと「あまりにも『アメリカの現状』に根ざしすぎている」という理由で、私はHIPHOPを聞くことから7、8年前、すでに挫折している。
もともと「電気グルーヴ」が好きで、彼らのルーツを探るうち、彼らが「HIPHOP」ではなく「HIPHOPに影響を受けたハウスやなんか」に影響を受けたことがわかった、というのも挫折の理由のひとつではある。

だからコアなところはわからない(DJ FUMIYAも知らないくらいだし……)。現在はキックザカンクルーとかそういうのをテレビで見る程度だ。が、私は音楽的以外の部分で何となくHIPHOPに注目していて、それは「オタク」と何となく現象が似ているからだ。しかも、一般人との関わりにおいて。

・HIPHOPとオタクの類似点
これは「王様のブランチ」で「キングギドラ」のジブラが言っていたことだから間違いないとは思うが、HIPHOPの三大要素は「ラップ」、「ブレイクダンス」、「グラフィティ・アート」(あの渋谷によくある、グネグネしたロゴマークみたいなやつ)だという。
これは、だれが決めたわけではなく自然発生的にそうなったのだろうと思う。

オタクに三大要素的なはっきりしたものはないが、「アニメ」、「同人誌」、「萌え」とかとりあえず言ってみるのはどうだろう。本当はもう「萌え」という言葉は好きではないが、「萌え」ならば男性向け創作もやおいも包含できるからな。
とにかく、それらも自然発生的な要素が強い。オタクに関して言えば、ある種の「仕掛け人」的な人が要所要所にいたことは知っているが、それはHIPHOPも同じだろうと思うのでここでは触れない。

このように「音楽」だとか「アニメ」だとかいった特定ジャンルではなく、総合的文化なのがまず似ているが、それだけでなく、「自然発生的な独自の言葉を持っている」、「サンプリングを好む」、「そのスタイルが本物かニセモノかにこだわる」、「一般人に非常に敷居が高い感じ」など、共通点は多い。
逆に違いはと言えば、HIPHOPの方が、アメリカでの人種問題や地域に根ざした感じ、生活格差などの社会的なものとのリンクが強い点だろう。

・ロックの「一般人との関わり」
HIPHOPとかオタクの前に、「ロックと一般人との関わり」について書こうと思ったが、よく考えたらロックのことなんてぜんぜん知りません。森高千里がロックのこと歌ってたなあくらいしか(ひでえ)。
戦後、欧米文化が日本にどのように受け入れられていったのか、という観点でぜったいロックは語られていると思うし、私が乏しい知識を書く必要はないだろう。

ただ、ここではおそらく70年代から80年代にかけて、日本が欧米文化をどんどん受け入れるようになっていく過程とロックの浸透と拡散はシンクロしているという点で、和製HIPHOPよりもまだ理解しやすいと言うにとどめておく。
突然思い出したが、80年代に「たけしのオールナイトニッポン」で「ヘビメタコーナー」っていうのがあった。ヘビメタの人が「らしくない行為」をしている目撃談を書いて送るってやつ。

・HIPHOPとオタクの「一般人との関わり」
で、HIPHOPなんだが、まあマニアの人はともかく、一般人に知られるようになったのは90年代初頭と考えていいだろう。スチャダラパーがデビューしたのが91年頃だし。電気グルーヴも91年。
ここで日本人を持ってきているのは、「一般的な日本人への浸透の過程」を見たいから。まあ私が洋楽に疎いってこともあるけど。

ちなみにオタキング岡田斗司夫の「オタク学入門」が96年。この中では「まんまガイジンのマネをしている」という意味で、日本におけるHIPHOP文化は揶揄されてますね。

単なる思いつきだけど、日本におけるHIPHOPの浸透とオタク文化の認知というのは、90年代に入ってからは意外にシンクロしているのかもしれない。まあこれを偶然ととるか、必然ととるかは見解が分かれるだろうけれども。

で、ロックはかなり一般人に浸透した(というよりは、ロックに影響を受けた世代が世の中をある程度動かせる大人になったのだと思うが)のに比べ、新入文化であるHIPHOPと、「オタク」はまだまだだ。
結婚式の二次会でバンド(あまりハードでないものに限るが)が演奏することには、まったく音楽とはカンケイのない集団であってもだれも何の疑問も持たないが、二次会で「DJがレコード回します」といって「はいそうですか」とはまだ通用しないだろう。オタクは二次会で何やんのかな……。でも、映像関係では一般性のあるものをつくれる人がいそうな気はする。

驚くべきことに、ロックミュージシャンでもHIPHOPに違和感を感じている人は少なくなく、なんかの雑誌を読んでたら「なんでHIPHOPの人って『say ホーオ!』とか言うの?」とか聞いていて驚いた。「イエー!」とか強要してたの、ロックミュージシャンでしょうが!
その他にも、ロックとは微妙に関連がないのがDJだろう。DJがターンテーブルでレコードをかけるという行為。「ただレコードかけてるだけじゃねぇか!」みたいなツッコミがすぐ入る。「生で演奏される音じゃないとイヤだ」という人も多いだろう。
あの、手を手前に向かってリズムをとって振るラッパーの独特のポーズ、あれを今やるだけで笑いをとってる芸人とかがいる。今現在、ロッカーのマネをして笑いはとれないだろう。それだけまだ違和感があるジャンルだということだ。

このように、HIPHOPがいまだに違和感を持たれ、浸透に苦心し、拡散に苦戦しているのを見ていると、他人ごととは思えないオタクとの類似性を感じる。

・結論
他にも「独自の言葉を持っている」という共通点がある。オタクで言うなら「萌え」とか「イヤボーン」とか「朝チュン」とか「ワンダバ」とか「アホ毛」とか。
えーとHIPHOPの方は忘れちゃったけど、10年くらい前の用語辞典では「デフ」とか「ポッセ」とか「ライム」とか「リリック」とか「トースティング」とか「イル」とか「チル」とか。思いつくだけ書きました。最近だと「ディスる」っていうの? ラップの中に敵対するラッパーの悪口を入れたりするの。
いわゆる「隠語」とか専門用語と違うのは、これらの言葉が観客にも開放されていることだと思う。あなご寿司にかけるタレのことを「ツメ」というそうだが、これって客のためにつくられた言葉じゃないでしょ。でも「修羅場」って言ったら「バガボンド」執筆の修羅場だって、同人誌の修羅場だって修羅場は修羅場だから。

趣味で言えば他にも独自の用語があるものはあるだろうが、いちおう「送り手と受け手」が存在し、その中で受け手側のスタイルができあがり、かつ戦後のものとしてはやっぱり共通項がある気がする。

で、なんでこんなことを以前書いたのだろうと考えていたら「オタクはアメリカ文化に対する防衛的態度ではないか」という指摘をどこかで目にしたからだということを思い出した。
「アメリカ文化」と対立させたがるのは東浩紀もそうなんじゃないかと思うが、まあそれは別として、「オタクはアメリカ文化に対する防衛的態度」だと考えるというのは、「オタク」を悪い意味で特別視している考えだと思う。
じゃあモーニング娘。の歌は、いろんな洋楽をつまみ食いしてつくられた音楽らしいが、「モーニング娘。は洋楽に対する防衛的態度」だなどという理論が通用するか? しない。
和製HIPHOPでは、本式の、つまり英語での韻の踏み方をいかにして日本語に取り入れるかを、各人各様に苦労している。他の要素に関しても同様だろう。しかしそれが防衛的態度であるなどとは、だれも思わないだろう。

どうせ日本文化の98パーセントは、中国も含め海外から入ってきたものなのだから、それが入ってくる際に受け入れられやすいように何らかの措置がとられるのはむしろ当然なのだ。

「オタクは自閉している」と言われる。が、今まで、観客の「場」からスタイルが発生してきた文化って、ここまで大規模なものは少なくとも戦後にはなかった。オタクは、ミヤザキ事件も含めさまざまな摩擦を経てそれができた。おそらくそれが珍しいので「自閉している」と解釈されているのではないかとすら思う。他に類例がないからだ。
HIPHOPも一般人が感じる異質性としてはオタクと同じくらいのものがあると思うが、「自閉している」とは言われない。何となく恐いから?(笑) アメリカから入ってきたから?
とにかく広義の文化論で、「オタク」は「日本人の自閉とそれを脱却しなければならないという教訓」として引き合いに出されすぎだ。むろん、逆に言えば「戦後日本文化のオリジナリティ」の代表として単純化され持ち上げられすぎる危険性もあるが、狂歌における「それにつけてもカネの欲しさよ」じゃないんだから、「オタクは自閉的」と結論に持ってきてよしとするのはやめてもらえないもんかなあ、と思った次第。

・追記
ネットで検索したら「本場のHIPHOPやってる人はオタク差別者」と、マジか冗談か書いてあった。もともと本場は「ギャングをやめてラッパーになった」とかラッパー同士で殺し合ったりしているくらい過激なので、もし「ナードの逆襲」みたいなやつがいたらそいつらをサベツはしないまでも、批判するかもしれない。
だから、オタクなんかと比べられて気分を悪くした人もいるかもしれないが、コレはあくまでも「ある土壌の、独特の雰囲気から他とは比較しにくい文化が生まれた」ということに関しての比較であることを、老婆心ながら付け加えておく。
(03.0415)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

4月13日放送分。 今回は、ロボットブームということで、スタジオにいろいろなロボットを持ち込んできて遊ぶという企画。まあこれといって書くべきことはなにもなし。

コント「ハロモニ。劇場〜駅前交番物語〜」は、第2回目。交番なのになぜか刑事(吉澤ひとみ)がいる。婦警が、小川と飯田。隣のラーメン屋の出前持ちが紺野。ひさしぶりに「モーママ」に出ていた主婦役の安倍と保田が出ていた。コントの世界観をすべて統一しようという、謎の演出。ぴょ〜ん星人まで出たことあるもんね。
でも「カックラキン大放送」を彷彿とさせてそういうの好きだ。

コント的にはあまりにアホらしすぎて逆に笑ってしまった。紺野が登場するたびに中国風のBGMがかかるのがアホらしすぎる。それと、主婦役の島田珠代(吉本の人)がテレビに映るたびに変な顔をするのが異様に面白かった。
いや、「画面に向かって変な顔をする」っていうのに弱いんだよな。あ、でも「変顔」にも笑えるのと笑えないのとあって、石橋がよくやる顔、あれはあまり好きじゃない。

「ミニモニ。かっぱの花道」は、先週から登場したラブっぱ(高橋愛)が他の3人のかっぱになじめるかどうか……という回。
またクイズをやっていた。「どこかの県の地図だけ出して、何県だか当てる」というやつ。「他局のクイズ番組とは関係ありません」と、明らかに「岡女」を示唆するナレーションが入った。

当然、みんなデタラメな答えを書くのだが、その雑談の中で高橋愛が他のメンバーとタメ口をきいているのを見て「ああ、やっと慣れてきたんだなあ」とか思った……って、そういうコーナーになったのか!?
それと、本当にミカの存在感が危ない。リーダーの矢口が引っ張っていって、しかし矢口は矢口でバカなことをやって、そこにある種のマジメさ、あるいはアメリカネタを持ったミカが出てくる、という呼吸が崩されてしまって、入っていく余地がない。 というか、ムリしても入って行くべきだ。このままではライダーマン化してしまうぞ!

「投稿! 笑わん姫。」は、いつもどおり。

「ハロプロNEWS」もリニューアル第2回目。正直、前の方が面白かったなあ。高橋愛をもっとからませるために変えたとしか思えない。

「ハワイャ〜ン娘。」は、今回で終了。わざと、いまどきやらない「録音された笑い声」を入れていたけど、こういうのの変遷って本当に不思議だ。「笑わせよう」という意識は昔と変わらないのに、やはり効果としては古くさく感じる。もちろん、この場合は古くさく感じさせるのが狙いだけど。

それと、モー娘。のハワイツアーみたいのがあって、たぶんそれに合わせた「ハワイのことをもっと知るコーナー」ができた。仕切っているのが辻というのがまずトピックだが、ハワイ生まれのミカがいないのが悲惨すぎると思った。
(03.0415)



【雑記その5】・「セクシー女塾」その後

ハロープロジェクトの藤本美貴、石川梨華、里田まい(カントリー娘。)、斎藤瞳(メロン記念日)の4人が「セクシーな感じを鍛える」ことを主旨とした10分間の深夜月〜金帯番組。テレビ東京。

【雑記】・「セクシー女塾」で、第1回を見た感想を書いた。そもそも、「カワイイ」と「エロいと思う」ことは紙一重であること、「セクシー」というもの自体が現在では虚構になり果てていることと合わせ、同番組の前にやっていた「ことわざ」や「マナー」とは違い、おとしどころがないということについて批判してみた。

その後、もう一度見てみた。炊飯器の取扱説明書や少年マンガなどを「セクシーに読む」という企画をやっていた。で、当然そんなところにセクシーのおとしどころはないわけであるが、ナレーター兼教師の「セクシーマチコ」は、どうもこの「おとしどころのなさ」を自覚しているらしく、コメントに苦心している様子がうかがえた。

ネットでちょっと調べたらこの「セクシーマチコ」は「友近」という女性のお笑い芸人らしい(応援サイト)。 私は見たことはないが、お笑い芸人である以上、どこかちゃんとした着地点に持っていっているのではないかと、期待したことであった。 それにしても「オチ」に使われそうな斎藤瞳は、かわいそうで今のところちょっと正視に耐えない。ある意味保田以上に。

【雑記】で否定的に書いたのは、私自身が「アイドルをかわいいとか何とか思うのは実に恥ずかしい行為で、だからこそ背徳的な魅力がある」と思っている「恥ずかしい行為」という点をいつも脅迫観念的に考えているからなのだろう。

まあみんな、ノイローゼにならない程度にがんばっていきましょう。いきまっしょい。(←おれのことか。)

【テレビ】・「セクシー女塾」終了 (2003、テレビ東京)(03.0928)

(03.0415)



・「ジョージィ!」全5巻 井沢満、いがらしゆみこ(1983〜84、小学館) [amazon](←中公文庫コミック版)

週刊少女コミック連載。
19世紀のオーストラリア。ジョージィは大自然の中で元気いっぱいに育ってきた女の子。二人の兄、アーサーアベルとはいつも仲良く遊んでいた。しかし、アーサー、アベルとジョージィは本当の兄妹ではなかった。
貴族であるロエルとの出会いがジョージィの運命を変えていく。ロンドンへ旅立ったロエルを愛するようになったジョージィは、父の形見の腕輪を唯一の手がかりに、自分の出生の秘密を探る意味も含めてロンドンへ渡ろうとする。
ジョージィは実の妹ではないと小さい頃から知っていた長兄・アーサーも、ジョージィを追ってロンドンへ。一人、母親とともに農園を守ってきた弟・アベルも二人を追ってロンドンへ旅立つ。
慣れない土地でさまざまな人の人情に、ときにはいじわるに触れながら元気に生きていくジョージィ。しかし、貴族であるロエルとの身分違いの結婚はむずかしく、また貴族の中で隠然たる権力を振るうダンゲリング公の陰謀が、ジョージィと関係のあることが次第に明らかになるのだが!?

……いろいろ考えるところがあって、80年代、もしくは70年代の少女マンガについてまとまらぬ考えをめぐらせている。
70年代に「なかよし」で連載されていた「キャンディ・キャンディ」が同作者・いがらしゆみこ最大のヒット作だと思うが、本作も負けず劣らず、奥付を見ると十刷近く版を重ねている。テレビアニメ化もされ、今でいうメディアミックスってやつだったと思う。当時男子高校生だった私はあまり覚えていないのだが。

本作で展開するのは、かつて少女マンガの定番であったロマンチックなキャラクターと彼らが繰り広げるロマンス、そして冒険。腺病質な貴族の少年・ロエル、男らしいアーサー、アーサーそっくりだがちょっとかわいげのある弟・アベルなどの男性陣がジョージィを愛する。
女性陣では、浮世離れして気位が高く、ひたすらロマンチックな夢ばかり見ている9歳の貴族の少女・キャサリンと、彼女がそのまま大きくなったようなその母親。ダウンタウンで1度出会っただけなのに、親身になってくれるディックとエンマの新婚夫婦、マッチ売りの少女・ジョイなどなどがジョージィを助ける。

「キャンディ・キャンディ」と比較すると、ジョージィが「ロエルとアベルとアーサーと、だれを選ぶか」がいささかご都合主義することと、終盤物語が収束していく過程が少し駆け足かなという印象を除けば、かつてのファンタジックな少女マンガが堪能できる。

最近、私が少女マンガにおいて個人的に頻繁に目にする「ファーストキスを奪った相手に恋をしてしまう」シーンがここにも出てくる。これは「処女を奪われる」ことの暗喩だと思っていたのだが、本作では後にちゃんと押し倒されちゃうところ(ジョージィも片パイ出てたし)や、その後にジョージィが子供のつくり方を知らないところ、さらには美少年マニアの男などが出てくる。
少女マンガという制約の中でセックスを「なかったことにする」のではなく、その世界内ではちゃんと存在しているが、ヒロインが手順を踏んで大人の階段登っているところがきちんと描かれていて好感が持てた。なんだかそこら辺が、微妙にエロいんだこれが。

キャンディもジョージィもそうだが、たぶんすごくカワイイというのではないが自分でも気づかないうちにいつの間にかフェロモンを出しているタイプの女の子なんだろうな。
(03.0414)



・「シミュレーション・トライ」 いがらしゆみこ(2002、大創出版)

ダイソーコミックシリーズのひとつ。1冊、100円だよ100円。それにしても、100円の本を100円で売る古本屋は、せめて前の古本屋で貼った値段表をはがすくらいのことはしてほしい。

「聞かせてよ愛の言葉」は、1991年「バル」5月号(光文社)掲載。
豊樹とデザイン事務所「トロイ・プロ」を立ち上げた菜生。豊樹とは恋人同士だが、菜生には本当に豊樹が自分を愛しているかどうか今ひとつ信頼できない。そんなとき、偶然か、新入社員として入ってきた鳥羽ミナミは豊樹のかつての恋人だった……。

舞台設定や登場人物がみんなカタカナ仕事でトレンディなのは、91年という時代なんだろうね。

「シュミレーション・トライ」は、1992年「バル」7月号増刊(光文社)掲載。「トロイ・プロ」を舞台にした、また別の恋物語。
トロイ・プロのデザイナー(要するに豊樹と菜生の部下)真利子はゲーセンマニア。ある日、ゲーセンでカッコいい青年と知り合う。彼は、今回仕事を依頼に来た大手家電メーカーの中西だった。
中西に恋した真利子は、彼の方から誘いを受け、カップル向けのヴァーチャルゲームがあるアミューズメント施設でのデートに誘われる。そこにあったのは、男女それぞれのデータをインプットするとどういう恋人同士になるかが画面に現れるゲーム「シミュレーション・トライ」。
その後、中西とホテルで一夜をともにした真利子だったが、中西はほんの遊びのつもりだった。しかし真利子はよけいに思いをつのらせていく。すれ違う二人をなんとかくっつけようと、トロイ・プロの面々も陰ながら協力しようとするが……。

「聞かせてよ愛の言葉」のキャラクターがもう一度出てくることで物語に厚みが出ているし、恋人シミュレーションマシンも小道具として効果的に使われている。そういえば、このテのアミューズメント施設がもてはやされていたのもバブル期かな。
いかんせん、すごく精緻な「シミュレーション・トライ」というゲームのリアリティにツッコミを入れたくなってしまうのだが、このあたりはむずかしいところだろう。80年代だったらこれで良かった気もするんだけどね。
マンガとしてのまとまりはよく、佳品だと思う。

「琥珀銀河」は、1996年「シルキー」3月号(白泉社)掲載。
居心地の悪い田舎町を家出同然で都会に出たものの、挫折し父親のいない子供を身ごもって帰ってきた純子は、何もかもが面白くない。
しかし、夜にまぎれこんだ「J・ウォーター・フォード記念館」は、純子にとっては謎の建物だった。牧師の記念館であるそこに、純子の出生の秘密が隠されているらしい……。

「両親はおらず、祖父母に育てられ、田舎がイヤで東京に出てきたものの、挫折し、さらに自分を裏切った父親の子供をお腹に宿して都落ちしてきた女の子」。そんな女の子でも、みごとにいがらしゆみこは救済する。
この展開、あまりにご都合主義という声もあるかもしれないが、ここまで飛翔できればたいしたものだと思う。ヒロインは幸せになる、絶対に幸せにならなければならない、という強い意志を作者から感じる。
(03.0414)



・「恋する鯖吉」(1) 桜壱バーゲン(2003、双葉社) [amazon]

「漫画大衆」連載。鯖吉(元暴走族)は魚屋・魚活の二代目だが、惚れっぽくて冷めやすい性格が災いしてか三十過ぎていまだ独身。美女が現れるとついフラフラと近寄っては侠気かあるいはスケベ心でトラブルに巻き込まれ、なんだかんだでそれを解決してやってはいい思いをするのだった。

……待ってたんだよなァ、こういう「町をプラプラしてはイイ女に巡り会って、なんだかんだの事件の末に結果的にはいい思いしちゃう主人公」のマンガ。
昔はけっこうあったような気がするが、個人商店の衰退やアウトローが生きにくくなっているご時世に、姿を消しつつあったような気がするよ。

よく、絵がうますぎる、アート寄りすぎる作家に対して「絵を見るマンガだ」と表現する場合があるが、本作の場合も角度はまったく違うが同じことが言えるような気がする。
とにかく初見でインパクトを受けるのは、ギョッとするようなブサイクなスケベ面(づら)を持った男たちと、それに対照的な日本人離れしたバディと美貌を持つ女たちの落差。
とくに、最近ここまで整形っぽいオッパイまで含めたガイジン体形に執着した女性の造形も珍しい。近所の奥さんもスナックのママも、ラーメン屋の看板娘もぜんぶプレイメイトみたいな体形。それだけに作中のスケベ男たちの願望が投影されているようでイイですな。と思った。
(03.0413)



【CD】・「ロックンロール県庁所在地〜おぼえちゃいなシリーズ〜」 ミニモニ。(2003、zetima) [amazon]

矢口真里が卒業し、高橋愛加入後の新生ミニモニの第1弾シングル。森高千里が93年にリリースしたシングル「私の夏」のカップリングのカヴァーだそうだ。

「県庁所在地を覚える」という、子供が必ず通過しなければならず、かつめんどくさい行為をイケイケテンションに仕上げている。歌詞に織り交ぜられた、各地方の名産品を連呼するときの振り付けも面白い。これはCDで聞くよりも、テレビで見る方が何倍もインパクトがある。
個人的には「矢口が卒業した後のモニモニ。は、もはや別のユニット」という感が強かったのだが、テレビで見てあまりの楽曲と振り付けの楽しさに思わず買ってしまった。

c/wの「おしゃべりすきやねん」は、作詞作曲つんく♂、編曲は高橋輸一。女の子4人がみんなで楽しくワイワイおしゃべりしている様子を描いただけ、の他愛ない歌詞だが、「夏になったら海に行きたい」、「流行りの水着を着たい」、「バーゲンに行きたい」など、今までのミニモニ。の曲の中ではいちばん生活感があり(これでも!)、かつ若干年齢層の上がった歌詞になっている。

このテの「女の子らしい(と男が考える)日常」を強調する歌詞は、人数の多い「モー娘。」などよりも、むしろ松浦亜弥とか杉本美貴などに見られることが多いので、つんく♂の単なる手抜きか、あるいは「ミニモニ。」メンバーの年齢が全体的に上がってきたことに対する配慮、またあるいは加護・辻ほど浮世離れしていない高橋愛に対する配慮かもしれない。
楽曲全体としては「ミニはむず愛の唄」同様、歌唱指導の勝利というか、日常的な歌詞がメンバーのおどけた歌い方と関西弁で、どこかファンタジックな仕上がりになっている。
(03.0413)



【CD】・「エレクトリック先生」 HALCALI(2003、フォーライフ) [amazon]

公式ページ

中学生の女の子2人ユニット「HALCALI」の、「タンデム」(→感想)に続くセカンドシングル。

前作は、2人の素朴すぎる「中学生声」とあいまって未曾有のゆるゆるダンスチューンに仕上がっていたが、今回もいい意味でのゆるい感じはあいかわらず。しかしタイトルのとおり、シンセっぽいピコピコ感の横溢した曲になっている。
作曲に「DJ FUMIYA」とあるが、田中フミヤかどうか調べてもわからなかった。公式ページにも、作詞者、作曲者、編曲者が明確に書かれていないのはどうかと思う。実際、収録されている「electric body sensei mix」石野卓球の手になるものであることは、はっきりとウリになるはずだしなあ。

田中フミヤの公式ページを見たが、ハルカリに関する記述はなし。他人に提供した曲、ポップな曲などを公式に書かないミュージシャンもいるが、これもどうかと思う(あ、本当に本作を田中フミヤがやったかどうかは不明のままなのだが)。
ところで、サッカーファンらしいフミヤの日記で「映画『少林サッカー』は、まともに防御するメンバーがいないオールドスクールなサッカーだった」と不満げに書かれていたのがこの人の性格かなあ、と何となく思った。

・その後、掲示板でのご指摘で「DJ FUMIYA」はRIP SLYMEのヒトと判明しました。どうもHIPHOPに疎くてスイマセン。

「エレクトリック先生」に話を戻すと、Tシャツにジーパンの女の子二人が踊りながらお茶を飲むと、次々といろんなものが風呂敷に包まれちゃうというCMをやっているが、あの妙に耳に残るフレーズ、あれが「エレクトリック先生」。「まったり系」を目指したCMとは違い、実際はずっとピコり度の高い曲だけどね。
(03.0413)



【雑記その4】・閉鎖もしくは行方不明のサイトたち

春は出会いの季節、同時に別れの季節。私のフェイバリット・サイトもいくつかが閉鎖、もしくは行方不明となってしまった。
以下に紹介していきたい。

・婦慰夜℃−フィヨルド−
超常現象、オカルト、UMA、なんだかわからないが「漢(おとこ)」を感じさせるものなどを集めたニュースサイトだった。
そのネタセレクトには独自性があり、またマジというよりは「事象そのものを楽しもう」という姿勢があって好きだったのだが、いつの間にかなくなっていた。

しゅうかいどう
アニメなどの感想やニュースを掲載するサイトだったが、現在では「コメットさん☆」に出てくる「メテオさん☆」の1枚絵が貼り付けられているだけ。ここも突然こうなったなぁ。

makillon
後藤真希、およびソニンのファンサイト。
「後藤真希さんやソニンさん等の魅力を、それもなるべく『カワイイ』という部分以外の魅力に重点を置いて、それを分かり易いカタチで提示出来ればいいなぁと思ってやってきたつもりなのですが、どうだったでしょうか。」
とあるように、「カワイイ」の連発で終わりがちなアイドルファンサイトにおいて、対象物を斜めに見つつ、しかし正面からファンであるという希有なスタンスを成し遂げていた。
流星のように去っていった、EEジャンプのユウキ(ゴマキの弟)について特集したユウキ特集には、アイドルファンサイトの可能性があった。
過去ログは残すそうなので、見に行ってみてはいかが。

……というようなわけで、またしても「部室に入り浸っていたら後輩は広い世界に旅立っていってしまった」ような感慨を抱く今日この頃。まあ上記サイトの人とは知り合いでも何でもないんですが、そんなようなことを思いました。
(03.0412)



【テレビ】・「めちゃ×2イケてる! 私立岡村女子高等学校スペシャル」

1年半前の2001年10月に放送されたものを、「めちゃ×2イケてる! キダムじゃなくて期末が来てますスペシャル」の番組宣伝も合わせて再編集したものらしい。

説明が面倒だが、しておく。「普通の女の子の生活を知らないモー娘。に、修学旅行をさせてやってほしい」と頼みに来たつんく♂の願いを聞き入れた岡村。しかし、忙しい娘。は修学旅行にさく時間などまったくないという。そこで娘。メンバーそれぞれに「修学旅行で何をしたいか」のアンケートを書かせ、忙しいスケジュールの合間をぬって、岡村・矢部以下「めちゃイケ」メンバーがそれぞれの願いをかなえてやることにする。
岡村は「私立岡村女子高等学校(通称「岡女(おかじょ)」)をブチ上げ、娘。の修学旅行体験のために奔走するという、めちゃイケ流のコント風セミドキュメンタリー。

個人的には、めちゃイケ的方法論はあまり好きではないのだった。悪い方向にハマるとぜんぜん面白いと思えないのだ。だれだっけなー、「大物芸能人に手製のカレーを食べさせたい」っていう企画、いつか見たんだけど最初から必然性がなくてぜんぜん面白くなかったし。
が、このスペシャルは「岡女(おかじょ)SP」として、聞くところによるとモー娘。ファンにもナイナイおよびめちゃイケファンにも評判がよく、ぜひ一度見ておかなければ、と思っていたのであった。
「アイドルコントの価値はこのおれが決める」という決意である以上、見ないわけにはいかない。ちなみにもう1本見たいのが「緊急中澤スペシャル」という、「中澤裕子の特番という設定で実は主役は辻」というものだが(「めちゃイケ」ではない)、1回か2回、放送されたバラエティなんて見ようがないのである。

で、実際に見てみてやっぱりどうしてもドキュメンタリー風演出に偏りすぎてて「好みじゃないなあ」という部分はあったんだけど、全体的になんか岡村の迫力が感じられ、捨てがたく面白い企画もあった。

コーナーのタイトルがないので勝手に付けると、まず「オカムーランド」
「ディズニーランドに行きたい」という辻の願いをかなえたもの。要するに、ニセディズニーランド。岡村の歌ううろ覚えの「エレクトリカルパレード」(しかもアカペラ)に乗って、ミッキーマウスやグーフィー、クマのプーさんなどの気味の悪いにせもの着ぐるみが次々と現れるというもの。
まあ私のシュミを知ってる人は「またかよ(笑)」と思うかもしれないが、私はこういうちょっとカワイイ寄りの架空の世界が異常に好きなのだった。着ぐるみも、気持ちが悪いことは悪いんだけど本当の意味で不気味にしないところが良かった。

「この歌なにー? ヘンだよー」とか言っていた加護は、もしかしたら岡村の歌をエレクトリカルパレードだと認識していなかったかもしれない。

ちなみに、登場着ぐるみは「三木さん(ミッキー)」「美々(ミニー)」「DONA」「ぐひ(グーフィー)」「ぷさん(プーさん)」。ぐひはニホンオオカミだそうです。

次に「京都・太秦風の芝居」。保田の「京都に行きたい」という希望をかなえるために、めちゃイケメンバーが殺陣を練習して時代劇を繰り広げる。
単純に楽しくて好きだったが、後半、「極楽とんぼの2人が芝居の段取り間違いでモメる」というシチュエーションは蛇足だと思った。まあこっちの方がメインだったのかもしれないけどね。こういうところが、シュミが合わないなあ。でも同じ演出でも笑えるときもあるから、テレビ番組の感想って本当にむずかしいですよ。

そして「枕投げ」。吉澤の願いを聞き入れて、めちゃイケメンバーを交えて枕投げをする。そこで執拗に吉澤が鈴木紗里奈に枕をぶつけたため、紗里奈が「あんたらめんつゆのCMに出たことあるの!?」と説教するというもの。
これ自体がコントになってるんだけど、狙いとはまったく関係ないところで、鈴木紗里奈の「どんぶりつゆ」のCMが流れて「ああ、こういうのあったなあ」と。

当時の「いいとも」でタモリが「おまえ何やってんだよ。何だよ『海鮮丼』って」と、鈴木紗里奈のCM内での踊りの振り付けを何度もマネしていたことを思い出して笑った。
あれ、ちょっとヘンだったんだよな本当に。

最後、コンサートでの「恋愛レボリューション21」に岡村が混ざって「モーニングおっさん」として踊る、というのは確かに良かったね。ガレッジセールのゴリとかもそうだけど、こういう身体を動かして笑わせるのは好きだ。あまり熱演が過ぎるとしらけるんだけどね。

「岡村は後藤真希が苦手」という設定は、当時すごく面白かったと思う。

好きじゃなかったのは、矢口と岡村が顔をひっぱたき合うシーン。ここが好き、笑えたという人もけっこういるらしいんだけど、自分は女の子がひっぱたかれたりすると笑うに笑えない。実は鈴木紗里奈が枕をぶつけられまくるシーンも、少しヒいた。
放映直後、ラジオで「あれは了解の上での芝居だった」と矢口がラジオで釈明したというが、まあさすがに私も大人なんでマジだとは思いませんが、ホントは男同士でコント内で殴り合ったりするのもあまり好きじゃないんだよね。
別にフェミニストぶるわけじゃないんだけど。何でですかね。
チャンパラトリオとか、あれくらい昔のやつだと「ああ、これは了解でやってんだな」っていうシグナルがわかりやすいけど、最近のになるほどけっこう思いっきりブン殴るでしょ。それがちょっとやだ。

あと関係ない話だけど「北陽」の痩せてる方が、男にビールをぶっかけられたりケーキをぶつけられたりというコントを以前見たけど、ぜんぜん笑えなかった。なんかかわいそうで。

それと、思い出したのがモー娘。をモデルにしたHマンガ「シャイニング娘。」(総集編→感想、(上)→感想、(下)→感想)において、物語の冒頭に「メンバーそれぞれに、自分の性的妄想を書いてカウンセラーに提出させる」という展開があって、「もしかしてこれって『岡女』の『修学旅行で何がしたいかのアンケート』が元になってるんじゃないのか!?」と大発見をした気になった。

が、漫画に関するWebページ「OHP」の過去ログによると、COMIC阿ロ云(あうん)で「シャイニング娘。シリーズ」の新連載が始まったのが2001年4月下旬発売の6月号から。
「岡女SP」が放送されたのが、2001年10月だから、「シャイニング娘。」の方が早いらしいんですよね。

私の早合点だったようです。
(03.0412)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

4月6日放送分。
新年度で、いろいろとリニューアル。まず第一に、12時24分までだった放送が予告なしで12時半までに……。終わり5分、録り逃したよ。

「夢のリゾート争奪クイズ」という、実在する「ひょっこりひょうたん島」をロケしてあれこれする企画だったと思う。よく覚えてない。

コント「ハロモニ。劇場〜駅前交番物語〜」は、今回から新しく始まった。痛井病院の隣にある交番で起こる珍事、とでもいったような内容だったけど、わたし的には見るべきものは何もなかった。
ハロモニ。スタッフは本当に安倍かわもち君が好きなのだなと確信。

「ミニモニ。かっぱの花道」は、先週人間になって人間界へ行ってしまったまりっぱねえちゃんが段ボール箱に入れて届けたらぶっぱ(ミニモニ。新メンバーの高橋愛)が初登場。
辻、加護、高橋がぐじゃぐじゃ〜ってなるところで、ミカ、そこでつっこまなきゃだめだろ〜! と思わず言いそうになった。

ただ「らぶっぱは本当にかっぱか?」をウソ発見機で試すというコーナーで、「自分がいちばんかわいいと思っている」という質問でウソ発見機のゲージがぐーんと上がっちゃったときに、ちょっとムッとしている高橋愛が面白かったので、そっちに可能性があるといえばあるかもしれない。様子見。

「投稿! 笑わん姫。」では、ゴマキの笑いのツボが「動きのあるもの」であることが判明。

「ハロプロNEWS」もリニューアル。「ひょっこりひょうたん島」に住む主婦(中澤裕子)と娘の幼稚園児(高橋愛)が、テレビに映ったチャーミー石川を見ているという趣向。
それにしても、明らかにコントが得意ではない高橋が、コント風のコーナーを2つもレギュラーとして持っているというのはいかがなものか。しかも1年以上経って、まったく慣れる様子なし。でも他の同期も似たようなもんだけどね。
(03.0412)



【雑記】・いちおう現時点での新年度の方針(あと紺野あさ美)

「二週間は更新できない」と書いておきながら、どうやらボチボチできそうである。
激務に追われ、徹夜しかけて死骸と見まごう状態でオフィスにゴロ寝したりしている人々に比べると、時間的余裕に関して、現時点では自分は幸福というべきなのだろう。
だが、この「時間的余裕」ほど社会人の手に入りづらいものはない。よく「時間はつくるものだ」と聞くし、正論ではあるが、人間体力に差がある以上、そこにもまた差があると考えるべきではある。

さて、新年度に「感慨はない」と書いた直後、ある種の感慨がおそってきた。そこから考えたのは、以下のようなことだ。

・読んであまりにつまらないもの、不愉快なものに関してはレビューを書くのをやめよう。
・毎日更新しようなどと、無謀なことは思わないようにしよう。
・考えが保留になっていることは、書かないようにしよう。

ネットが全世界へ何かを発信とか何とか言われたが、なんだかんだ言って、広義のサブカルチャー個人サイトではやはり十代、二十代の元気がいい(プロの文筆家は別)。
最初は「こういうのもあるんだよ、ということを若い人たちに示したい」という意気込みもあったが、とにかく自分は親分体質、兄貴分体質とはかけ離れたところがあるし、知識も乏しいのでその努力は報われそうにない。
年齢的には四十代、五十代に比べるとまだまだ洟垂れ小僧という中途半端な位置にいる私だが、それにしても自分の非力さをかみしめ、今後、手当たり次第ではなくしみじみとやっていきたいと思う。

ところで、河下水希「いちご100%」の実写化をするとしたら、東城役は三井智映子平田裕香加藤友香もいいと思うんスが、紺野あさ美っていうセンは、ダメでしょうか?

勉強できるらしいし、ヒソカにノートに小説書いてそうな感じはするし。実写化の際、いちごパンツを見せなければならないのが辛いところだが、そこさえ思いきれば大ブレイクすること必至だと思う。……などと、ムダなことばかり書いてすみません。
西野はあのコがいいよ。携帯メールのCMに出てた。北大路はちょっと思いつかん。
(03.0411)



【テレビ】・「めちゃ×2イケてる! キダムじゃなくて期末が来てますスペシャル」

「しばらく更新しない」と書いておいて、イキナリ更新するのは「家出する」と言っておいてその日に戻ってくる小学生みたいで気が引けるが、まあ日曜日だし、休ませてくれよ! それに、こんな話題10日も経ってから書いたら、ただのアホです。

・その1
「めちゃイケ」で、かつてモー娘。をゲストで呼んで好評だった企画「岡村女子高等学校SP」というのがあり、今回はその第二弾(他のコーナーを交えて)。
「岡村女子校」、略して「岡女」から「バカ女(じょ)」を決めるという抜き打ち学力テストをする。

当然、珍回答、迷回答があり、それをネタにしつつ最終的にモー娘。内でいちばん学力テストの点数の低い人を決定しようというコーナー。
他のヒトの書き込みにも書いてあったけど、小川をむりやり「貧乏キャラ」に仕立て上げてそれがけっこうハマってたり、ふだん目立たない新垣も比較的クローズアップされてたりと、「めちゃイケ」独特のモーニング娘。のいじり方が感心させられたのは他の人と同様の感想。

で、感じたのはこういう学力テスト的な企画が、いまだに企画として成立するってこと。
道行くギャルっぽい女の子に包丁の使い方など料理関係のことをやらせて、知らなかったら小馬鹿にする「やってTRY」というヤな感じのコーナーが他の番組にあった。私が「ヤな感じ」を受けるということは、広義の教養として「女の子だけが包丁の使い方を知っている」という前提がすでに成立していないということだ。
が、学力テストの方は「できないと、やっぱりなんだかんだ言って恥」という認識が、送り手にも受け手にも成立しているんだなと。
最後、「バカ女(じょ)」が決定したとき、ナレーションが「学力テストはビリでも、(バカ女(じょ)になった子は)夢を実現している」とフォローを入れていた。
確かにそのとおりで、モーニング娘。はかなり「学校の勉強」からかけ離れた位置にあると思っていたのだが、それでも番組としてまだ成り立つんだなと。

この学力テストの企画は、以前お笑い芸人で行われたらしく、それはそれでわかるんだが、たとえばあまりにギャルっぽいタレントばかり集めて同じことをやっても、もはや成立しないだろうと思われる。
川村ひかるなんて、以前「義務教育は勉強しなくても卒業できるとわかっていたから、まったく勉強しなかった」とニコニコしながら言っていたもんな。
イエローキャブのタレントだけで、とかやってもおそらく企画不成立。山田まりやが世間知の重要性を説いてブチ壊しにしてしまうだろう。
そういう意味では、世間知の高そうな矢口真里がツッコミ役ではあるものの、「岡女」という学校内の枠にちゃんとおさまれることがわかる。逆に学校優等生っぽい紺野もいるしね。

不景気で中途半端な学校に入っても将来が約束されないとわかった以上、「一般教養」の共有の崩壊に拍車がかかっているように思える。反面、東大レベルの受験戦争は加熱している印象もあり(資料調べてないので想像)、「教養」のあり方という点においては「なんでも知っている人」と「何も知らない人」とが二極分化してしまうのではないかという印象がある。
モー娘。はその点、メンバーの年齢がバラけていることもあって、教養の有無をバラエティにすることができた。

・その2
以下は教養つながりだが、ちょっと「娘。」からは離れる。
2、3日前の東京新聞で、また「正しい日本語をうんぬんかんぬん」という記事が載っていた。「あるべき正しい日本語」は定期的に話題になり、またぼちぼちカネにもなるらしい。「声に出して読みたい日本語」とか売れたみたいだし。
「日本語が乱れている」とか「正しい日本語を」というのは、はっきり言って低いレベルでは友達同士のおしゃべりと、公的な場での会話と、さらに文章表現などとがすべてゴッチャに語られる場合が多いが、少なくとも「私的なレベル」と「公的なレベル」くらいは分けて考えるべきだろう。

私はほとんどの場合の「正しい日本語うんぬん」という批判めいた言説がキライである。なぜなら、上記のように何もかもをゴッチャにして語られることが多いことも理由のひとつだが、もうひとつ重要な点として、

かなりトシをとった人でも、「正しい日本語」を使っているとは限らない

という点がある。「正しい日本語云々」と語る人は、ほとんどの場合が中年以上のオッサン、オバサンである。「声に出して読みたいナントカ」の著者はもう少し若いらしいが、確か塾教師という一般的に「教養人」と見られる職に就いているから話題にもなった。
他にも、「正しい日本語云々」という人々は、ほとんどが国語学者、伝統芸能の継承者、役者、作家、脚本家などのいわば「日本語の専門家」とも言うべき人々である。 彼らは舌鋒鋭く、日本語の乱れは規律の乱れと言わんばかりに主に若い人を糾弾するが、自分と同世代か自分より上の世代は攻撃しないようだ。

なぜかというと、なんとなく決まりが悪いからだろう。

「正しい日本語」について語るのが年輩の人が多いために、逆に「年輩の人は正しい日本語を使う」と錯覚を起こしやすいが、実際は正しい言葉を使っているのは一部の「日本語専門家」のみで、それなりの地位や学識のある人でも、まともな日本語を読み書きできることは案外少ない。

「正しい日本語」は、その機能よりも「かつて正しい日本語が使われた正しい、あるいは美しい時代があった」という郷愁とセットになっていることが多い。まあそういう幻想を否定はしないが、幻想は幻想であるという事実は、だれかがひとこと指摘したっていいんじゃないかと思う。
たとえば、二十代前半で完璧な日本語の読み書きを身に着けた若者が「今の同世代の若者の言葉は乱れている」と言っても、何かしっくり来ないと思う。
それはやはり、郷愁とセットになっているからだ。
年輩の方々の中には、頼もしいと思うより「何を生意気な」と思う人も出てくるかも知れない。

そうそう、「教養」を知らないことをネタにできる「モーニング娘。」と対照的なのが、元東大生の菊川怜だ。何と言っても東大だし。
だが、菊川怜の場合「東大卒」の肩書きのみが先行している感がある。まあ女優として売れ始めているので、むしろ願ったりなのだろうが、これは菊川怜が「知識はあるがそれを雑学として広げられない」ということと関係していると思う。コンクリートの研究が専門だとか言ってたが、理系知識をバラエティで披露するのはむずかしいのかもしれない。
その点、高田万由子は「何となく偉そうにしてる」という雰囲気だけで「東大的」な感じをいまだに保持している。

・その3
最後に本当に関係ないことを書くが、「岡女」でモー娘。全員が今じゃ街で見つけるのもむずかしい紺色のセーラー服を着ていたが、ああいうの本当にイイよね。80年代だよね。
無造作に腕まくりとかしてるのなんか良かった。

矢口のスカートが長いのも計算なんだよね。テレビって計算しつくされているなぁ。
あと、ダンディ坂野が出てて嬉しかった。

おわり。
(03.0406)



・雑記その2

トシをとると、素朴な疑問を提示することがなかなかできなくなってしまう。
この間ふと感じた疑問は、よく「文学は死んだ」っていうでしょう。「死んだからダメだ」、「死んでてもやる」、「いや死んでない」という意見は聞くんだけど、その大前提がわからない。
「面白さ」ということで言えば、今でも面白い作品は書かれ続けていると思う。私みたいに文学マニアでもない人間が、そこら辺の有名な作品を手にとって充分面白いんだから。
それでも「死んだ」ということは、文学の面白さとは関係ないのだろうか。
いや、あるいは文学に耽溺している人には、今の文学は面白くないのか。
まあそもそも、私には「なぜ、現在進行形で面白い作品、いい作品が提示され続けなければならないのか」という根本的な疑問があるんだけどね。
芦屋小雁みたいにホラー映画のマニアだったら、「すべて古今東西のホラー映画を見尽くしてしまって見るものがもうない、だから新しいのをつくってくれ」という要求はわかる。
けど、そんな人って日本に何人もいないでしょ。だったら昔の作品を鑑賞してれば退屈はしないのでは、と思うのは自分がなんかズレてんのかな。そういう気もします、はい。

でも「文学が死んだ」かどうかがわからないと、「マンガが死んだ」のか、これから死ぬのか、死んでないのかもわからない気がする。
(03.0406)



【雑記】・「セクシー女塾」

新年度でいろいろと忙しいので、サイト更新を2週間くらい休止するにあたって考えたのだが、その間、ずっとトップページに同じ文章が残るわけだ。

なまはんかなものは書けん。

というわけで「セクシー女塾」だ。
テレビ東京の深夜、月〜金の枠で10分間「美少女日記III」という帯番組がやっていた。ハロプロ関係の女の子たちが出ていた番組。これは、その後番組である。

・答えのないダメ出し
藤本美貴、石川梨華(モーニング娘。)、里田まい(カントリー娘。)、斎藤瞳(メロン記念日)の4人が、「セクシーマチコ」とかいうナレーターにいろいろセクシーなポーズ(たとえば「セクシーに遅刻した言い訳をしてみろ」とか)を要求され、それに応えてはダメ出しされるという番組。

これ、見る前は期待したんだけど、いざ見たら自分的にはぜんぜんダメでした。
過去の同じ時間帯のコントとしては、ことわざを間違えて解釈して怒られる「ことミック」や、マナーを覚える「燃えろ! マナー部」というのがあった。ことわざやマナーには正解がある。しかし、セクシーに正解なんかあるか。

女が男を見るときはどうか知らんが、男が女の子を見るときは、「セクシーだと思ってやってみたが結果的には失敗した」ということがかえってセクシーだったりすることがある。アイドルの場合は、むしろそういう方が多い。
そもそも男の言葉遣いの中で、女の子に対し「きれい」とか「色っぽい」という言葉よりも「かわいい」という言葉の方がよほど多用されるのは、「かわいい」という言葉の中に前者の意味が包含されているということであり、これにはなかなかガンチクがある。
こういう場合の「かわいい」は、子犬やパンダが「かわいい」という意味ではないことは言うまでもないだろう。別にブリッ子という意味ではないよ。ブリッ子って言葉、今は使わないのかな。あ、そう。

で、この番組、「セクシーポーズをとってみろ」とか言われてそれぞれがやるんだけど、本来の意味でセクシーなはずが、まあない。斎藤瞳を除いてみんな十代だしな。
でも、そこはアイドルだからかわいいことはかわいいわけだ。
そうするとそこに「セクシーマチコ」のダメ出しが入る。
でも、そのダメ出しに意味がぜんぜんないのね。ただいちゃもんを付けているだけ。面白くない。

聞くところによると、明石家さんまのラジオで、アイドルにセクシーな言葉を言わせてそのセクシー度を競うというコーナーがあるらしいのだが、これが面白いのはわかる。明石家さんまにはおそらくかなり確固たる「セクシー」の基準があることは、「ひょうきん族」時代から知られることだからだ(逆に具体的な「萎え」のありようの描写にも、非凡なものを感じる)。

だがセクシーマチコっていうのは女で(だいたいあまり色っぽい声じゃないんだよな)、しかも明確な基準がないので、なんだか出演者の拙いセクシーポーズを見て喜んでいる自分まで非難されている気分になってくる。いや、実際非難されているのだろうと思う。
「ことミック」と「マナー部」のナレーターが男だったことを考えると、セクハラ批判かなんかを恐れての女性ナレーターの起用なのだろうが、世の中間違ってるよ!
声優で達者な人はいっぱいいるんだから、ナレーターを男にして、セクシーかどうかが曖昧でも「ここはこうやるんだ、イヤ〜ン、うふ〜ん」とか男声でやらせればそれなりの笑いをとれたのに。まったくガッカリだ!

・ゴマキの扱いの違和感
それと、合間のミニコーナーで後藤真希が「上だけ男パジャマにくつ下」という姿で登場する心理テストのコーナーがある。心理テストの回答を言うときには、天使か悪魔のコスプレをしているという「セクシー」的な念の入れようだ。
まあ最近の後藤真希の「過剰なセクシー演出」には賛否あると思う。私個人は総論賛成だが、この「セクシー女塾」での演出はさすがに小馬鹿にされたような気持ちになる。
そもそも、「セクシー女塾」本編とこのコーナーが何の関係もない。他の4人はダメ出しされるのに、ゴマキの「セクシー」だけはアンタッチャブルということになる。これでは、「朝まで生テレビ」において、さんざん議論がまきおこったあげく、明け方の6時頃にひょっこり出てきて朝刊の紹介をする塩田丸男と同じではないか!

だれだって、議論の渦中に入るよりはその外に出ていた方がおいしいに決まっている。批判されることがないからだ。「明け方の朝刊紹介」の塩田丸男は、どんな権限があるのか知らないが、そのおいしいところを一身に受けていた(今もこのコーナー、あるのかどうかは知らない)。

だいたいが「セクシー」という概念自体が虚構に近い。「セクシータレント」というとキワモノ的な感じがつきまとうことからもそれは言える。方向性を決めれば叶姉妹のように、因果地平の彼方へ飛んでいくこともできるが、「セクシー」の概念を曖昧にしたままでは番組は立ちゆかないだろうと思った。

・ヤワラちゃん(日本滅亡)
余談だが「セクシー」を意識して失敗し、かえってかわいさが出る場合がある、と書いた。
逆に「セクシー」を意識して失敗し、本当に失敗したのがどっかの始球式のときのヤワラちゃんのヘソ出しだと思う。あの人が私服で「セクシー」(まさに「女塾」的な)を意識していることは指摘されていたが、あれはさすがに「ふざけるな」と思った。悔し涙すら出てきた。

日本は「最低でも金、最高でも金」という要求の変わりに、ヤワラちゃんに「セクシーの魂」を売り渡したといっていい。

もう、日本は終わりなのだろう。

【テレビ】・「セクシー女塾」終了 (2003、テレビ東京)(03.0928)

(03.0403)



・「妄想戦士あれこれ」

サイトといえばエロ、とまでは言わないが「ビデオデッキはアダルトビデオが普及させた」という噂同様、エロがネット普及に一役買っているとは言えるだろう。
そんなエロサイトを見る見方も、人それぞれ違うのが面白い。まあ局部の結合写真を探し回るのがそのテの定番でしょうかね。

後はマイナー趣味の世界を見て回るとか。そんなんで両極端なのが、自作のエロ小説を発表するサイトと「パートナー募集」のサイトだろう。
かたや、自分が日頃考えている妄想をキーボードも燃えよと打ち付けている妄想派。
かたや、いわば実践派である。
「妄想派、実践派」というのは単なる私の思いついた言葉ではなく、主にエロ小説サイトで目にした言い回しだ。ある種のプレイなどの場合、たとえば夫婦であけっぴろげに楽しんでいる人たちと、あるいは雑誌とか買って妄想するだけで悶々としている人がいるらしい。
こういう世界で「実践派」の方がヒエラルキーの上にいるかどうかは知らないのだが、なんとなく上にいそうな気もするな。しかし、たぶんサイレントマジョリティとしての妄想派の存在はバカにできないと思う。
昔出ていた総合変態雑誌「奇譚倶楽部」とかをひやかしでパラパラめくってみると、投稿欄ではいちおう論理的な文章になっているものの結論は「男装の女剣士を出してください!」というだけが主旨のものなど、自分の好みを誌面に反映させてくれというものを目にする。
文章を書こうとすら思わない人も考え合わせると、潜在的な妄想が人の数だけあるわけである。そういえば「妄想幻魔大戦」という言葉があるね。

以下に、思いついたマンガ家「妄想戦士」を見ていきたい。

・妄想戦士・永野のりこ
「妄想幻魔大戦」という言葉は、確か根本敬の造語だったと思う。要するに、現実とは違う世界観の中で生きている人々が、それぞれの妄想の中で戦いを繰り広げているというような意味だが、これをオタク好きのする作家である永野のりこがよく使っていた意義はなかなか深い。
そもそも、「SFおしかけ女房」的概念を突き放してギャグ化したのは永野のりこが最初だったと記憶している。
突き放しつつ愛情を持っているのが特徴で、おそらく永野のりこはマンガ評論テキストなどよりずっと先に「SFおしかけ女房」という概念に意識的だった。そして批判してギャグにするならまだありえたが、それを愛をもって描いたので、深みが増した。
「アンドロイド・あん」という読みきりでは、少年が買った美少女等身大人形(ここまでは「SFおしかけ」的にはよくある話)が、実は何らかの理由で人形に扮したホンモノの女の子だった、という話である。
妄想の果てに自分と同じような寂しさをかかえた他者と出会うという、永野のりこが繰り返し描いてきたテーマを凝縮させたかたちとなっている(というよりも、この人の読みきりって連載のテーマを凝縮させたものがほとんど、という感じがするんだけど)。

永野のりこは「正義は勝つ!」というのと同じくらいの信念でもって「孤独な自分には、同じように孤独なパートナーが絶対に現れる」と作品で結論づける。男女の妄想にはぜったいに差があるはずなので、多くのちょっとHな恋愛ギャグマンガ(4コマ誌に載ってるようなやつ)では、そのささいな妄想のずれや「両者の妄想のすり合わせ」とでもいった日常がちまちまとギャグになる場合が多いが、永野のりこの場合はずっとダイナミックで、それは作者がSFとか特撮的発想を持っているからだとは言えるだろう。
しかしちまちまとした話もある。タイトルを忘れたが「刺激がなくなってきた夫婦で、夫の方がエッチなパンツを買ってきて妻にはいてくれと頼み込む」というようなエピソードがあった。これがまたものすごく貧乏くさく、お金がないからランジェリー一式揃えられなくて、パンツだけ買ってくんだよね。で、それをはくのはかないのと押し問答する。
いやー、貧乏くさい。そういうのは他の作家にまかしといてくださいよ、と思わず言いたくなったことであった。

・妄想戦士・ヤマモト
……というわけで、妄想(しかもオタク寄りの)を極端に描き、最終的には救済まで織り込んで描いてしまったのが永野のりこだと自分は認識しているが、それに島本和彦的熱血気質を取り入れると小野寺浩二になる。
小野寺浩二の妄想ネタは、ギャグとしての破壊力はあるが女子とのすり合わせがまったくない。出てくる女の子はだいたいキャラクターの妄想につきあいきれずあきれかえる存在になっている。
自己完結を自己完結として描き続けているのが「妄想戦士ヤマモト」だといえる。そのぶん豪快さが出てちまちまとした感じは払拭されるが、「この人たち、一生このままやっていくつもりなのかな!?」とキャラクターに疑問を感じたりすることも確かだ。
まあギャグマンガなんだから、結論なんてなくてもいいんだけどね。

・妄想戦士・あびゅうきょ
そのように豪快な「ヤマモト」に対し、「一生そのままでいいわけないだろう!」という叫びを描いているのがあびゅうきょの「影男」シリーズだ。
「影男」は40代近いが無職で何のとりえもなく、対人関係が苦手でオタク的趣味しか楽しみがない。自分を「絶望独身男性」と規定し、救済されるには花嫁になるべき女性を奪った何者かに対し、戦って死ぬしか方法がない、とする。

あびゅうきょの作品で特徴的なのは、「絶望独身男性」には絶望しかない、と絶対的に規定していることにある。そして、さまざまな失われていくものに対する「郷愁」が、影男シリーズに限らずときどき顔を覗かせる。「郷愁」とか「懐古趣味」はオタク的なものの中にはよく出てくるものだと思うが、その中には当然、現実に存在したかどうかはわからないが妄想として感じられていた「家族」に対するものも含まれる。これは一般的な話で。
宮崎駿作品なんかに顕著だと思うが。

自分自身が家族を持っていれば、「過去の家族」→「現在の家族」→未来、というつながり、一種のロマンが成立するのだが、おそらく「絶望独身男性」にはそのロマンが享受できないという呪詛が、単なるノスタルジーで終わらないルサンチマンを「影男」シリーズから感じる原因なのだろう。

もう少し突っ込んで書いておくと、「郷愁を感じる」とか「懐古趣味」といったものは、何も「家族」を自分が形成していなくても成立するものではある。そういう人はたくさんいるし、なんとなれば過去の歴史上の「独身男性」と自分を重ね合わせるといううぬぼれも可能だ。
だが、あびゅうきょが「独身男性は絶望だ」という枠から一歩も出ないのは、裏返せば「過去の古きよき家族制度」に強い執着を持っているからだということが推測でき、それが作品内でハルマゲドン的な「戦争」に突入してしまう原因にもなっている、と私は考えている。

あびゅうきょ作品の主張は一見非常に偏ったものに感じられるが、ある種の懐古趣味が、過去の時代の「そりゃマズいだろ」的側面を肯定しかねないあやうさを持っている事実を、かなり剥き出しにしたとは言うことができる。
オタク妄想から少し家族制度の話にズレてきてますが、たとえば「古きよき時代」をテーマにしたクレヨンしんちゃんの「オトナ帝国の逆襲」。当然子供向けアニメである以上、同作では虚構の「古きよき時代」は破壊され、しんちゃんが「未来」を担っていくことになるのだが、その未来は「しんちゃんの家族」に支えられているし、しんちゃんのとうちゃんが「オトナ帝国」の呪縛から抜け出せたのは、自分が新しい「家族」を持っているという点にあるということはいえる。
つまり、「絶望独身男性」ならばずっと「オトナ帝国」の呪縛にかかっているかもしれない。
私は子供向けアニメである以上、その点をことさらにマイナスだとは思わないが、ただ懐古趣味と家族制度、家族のあり方というのは案外関係がある、ということをあびゅうきょ作品は連想させてくれる。

・反妄想戦士作品「純粋! デート倶楽部」
そして、そうした妄想に違和感を唱えているのが石田敦子の「純粋! デート倶楽部」であると思う。
実は、「アワーズライト」連載分の休刊までの2話と、どこかに場所を移しての続きを読んでいないので、以下はメモ的なものだ。だが、石田敦子のマンガだからそんなに急展開はしていないだろうという予想はしている。

ストーリーは、大学内で、H厳禁、ただ男性の恋愛妄想をそのとおりに演じることだけが主旨のデート倶楽部が舞台。さまざまなタイプの女の子がそこに所属し、男の子の恋愛に関する妄想を体現してくれる。
連載当初は、そのような一見バカバカしいことを頼んでこざるを得ない男の子側の心理や、それの相手をする女の子側の心理、「デート」の内容自体にバラエティを持たせる1話完結ものだったが、途中から「そういう行為自体がバカバカしい」という女の子が登場し、そのパターンが一気に崩れる。
それから後は、石田敦子節でキャラクターたちの自己言及が始まり、「そもそも男の妄想になぜ女が付き合わなければならないのか?」ということまでキャラクターに言わせてしまう。

同じ作者の「いばら姫のおやつ」や「からくり変化あかりミックス!」などの展開を読んでいると、こうしたミもフタもないことをキャラクターに言わせてしまっては、少なくとも「純粋デート倶楽部」というシステムとしての体裁はもう保てないと思い、興味を失ってしまった。
だが「そもそも男の妄想になぜ女が付き合わなければならないのか?」は、そのとおりな話ではある。

あ、「妄想戦士ヤマモト」と「影男」と「純粋! デート倶楽部」は、いずれも休刊してしまった「アワーズライト」に連載されたものであり、ここには何らかの意図があったように思えてならない。

かくてお話は振り出しに戻る。あびゅうきょは「絶望独身男性」の呪詛を書いたが、女性の呪詛は書いていない。
次代を担うのは、その両者の主張をすり合わせたものになると思う。が、こういうのは「どっちのルサンチマンが大きい」といった不幸・恨み自慢で平行線を辿ることになりがちだ。
それに、そのすり合わせを描いているのが広義の「恋愛もの」ということになるのだろうが、「オタク妄想」をテーマにするとなんだかテレビのチャンネル争いみたいなちまちましたものしか思いつかないなあ。私自身の想像力のなさか。

スワッピングのサイトとか見てると、もっと単純に行かないもんかと思うが(笑)。
でもあれってほんとなの? 知らなーい。よく知らなーい。

なかなか先は長そうだ。
(03.0403)



・祝! サイト開設4周年

実は先月4周年を迎えていたのだが、とりたててどんな感慨も抱かなかったため、放置していた。
2週間くらい経つが、いまだにあまり何も感じない。まあ、続けるだけならサイトというのは通信環境と根気さえあれば続けられるのだ。とくにサイトなんて、月イチ更新でも毎日更新でも1年は1年ってことになるしな。

ただ、この間トシをとったことは大きい。年齢的に、ジジイぶるのも若ぶるのも実に微妙な年齢だ。プロの文筆家でその人のキャラが決まっているなら、若者キャラでもジジイキャラでも通せばいいのだろうが、私自身はタダで自主的にやってることもあるし、特定のキャラクターを演じることには何のメリットもないので、しない。

にしても、いろんなものごとに対するズレはズレとして認識するようにはしたい。もう自分は時代や周囲の環境とズレていると感じる。それはそれでいい。サラリーマンや、自由業の人や、既婚者や、子持ちや、若者と意見が合わなかったりするのはむしろ当然だからね。でもズレてるなりに、どこまで自分なりの真実が描けるか、というのが今後のネットにおける課題。
(03.0402)



・「大道魔術師 少年ピエロ」(3)(完結) おぎのひとし(2002、小学館) [bk1] [amazon]

別冊コロコロコミック連載。「魔法のメイク」をした不思議な大道芸人・ピエロくんが、根性が悪いために人形になってしまったサイジョーさんとともに、旅をしながら大道芸を続けていくというほのぼのストーリー。
2巻から、妹のキャロが芸の練習で大けがをしてしまったことをきっかけに大道芸を憎むようになったピエロくんの兄・ゼロが登場。何かとピエロくんの邪魔をする。そしてゼロの背後にはさらなる巨悪の存在が……。

全体としてはほのぼのしてるんだけど、悪者が出てくるとホントに憎たらしかったりする。ラストにはいろんな意味でかなり驚きましたな。大道芸に対する注目も以前集まってるし、数年間にわたる連載だったがネタ的にも鮮度を保っていたと思います。

・1巻の感想

・2巻の感想

(03.0402)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第7話「アバレ赤ちゃん爆竜」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

3月30日放送。
アスカ(アバレブラック)と、甲冑の騎士との戦い、アスカとかつての恋人・マホロにソックリな敵幹部・ジャンヌとの因縁、新爆竜・バキケロナグルスの赤ちゃん誕生、変身できたのにパワーが出ないアバレブラックと、今後につながるさまざまな伏線がバラまかれた回。
そんな中、磁石、シャクナゲ、ゲンゴロウを合体させて誕生したトリノイド第7号・ジシャクナゲンゴロウの磁石攻撃が楽しい。

「恐竜や」のご主人・スケさんが甲冑の騎士の正体ではないかと思っていたんだけど、違うみたいだ。さすがにそれはないか。
(03.0402)



【CD】・「No.5」 モーニング娘。(2003、zetima) [amazon]

ニューアルバム。シングル曲やポッキーの曲など、すでに聞いたことのあるのが13曲中6曲も入ってるので、買うのどうしようかなあ……どうせ何カ月か待てば中古でスゴイ値が下がるし……と思っていたのだが、イライラしててストレス解消につい衝動買いしてしまった。

そしたら、けっこう良かった。音楽に詳しくない私なんかが聞くと、アルバムの印象ってほとんど最初の1曲目、2曲目で決まってしまうんだけど、Intro〜Do it! Now〜TOP!の流れは素晴らしいツカミ。あとの曲も全部勢いがあってよろしい。

……それだけで終わらせるのもナンだから書いておくと、私は90年代の、ビーイング系のドウデモながんばれソング的歌詞、コムロ系統の自己啓発的がんばれソングな歌詞、および抽象的な恋愛をテーマとした歌詞、浜崎あゆみの抽象的な恋愛をテーマとした歌詞、宇多田ヒカルの「等身大の女の子が書きました」的な歌詞、いずれもムチャクチャ不満だった。そういうのが好きな人にとっては天国だっただろうけど、私はイライラしていた。
シャ乱Q(つんく♂)における、あまりにドキュン&水商売的な歌詞も、狙いすぎててあんまり好きじゃなかったし。

まあホントに全部書いてるかどうかは知らないけど、つんく♂を「八手三郎」みたいなモンだと考えたとしても、ハロプロ関係の仕事では、つんく♂の歌詞における引き出しの多さには驚かされる。
このアルバムで言えば、がんばれソングの「TOP!」、「ここにいるぜぇ!」、「HEY! 未来」。
それをちょっとひねって「でもやるんだよ」的にした「Do it! Now」。
男が妄想する少女趣味全開の「友達(♀)が気に入っている男からの伝言」。

後はそれらを微妙に混合したりする手際。とくに、個人的には「女の子の気持ちを、その情景を交えて描いた(かどうかは知らないが、それを聞く男に思わせる)」タイプの詞が面白い。松浦亜弥の「トロピカ〜ル恋して〜る」とか藤本美貴の「ロマンティック浮かれモード」とか、ボーイフレンドの野球部の練習を見学に来た女の子の気持ちを描いたゴマキの「特等席」とかね。当然、それらはこのアルバムには入ってないけど。
もう二十年くらい前に、男が女の子向けの少女マンガを描く時代は終わってしまったが(そりゃ一部にはいるよ。竹本泉とか)、アイドル歌謡においては「男が女の子の心情を描く」ことは21世紀でもいまだに終わっていない。それが面白い。
(03.0402)



【テレビ】・「2002年度『おはスタ』を総括してみる」

公式ページ

ついに2002年度の「おはスタ」も終わり、おはガールフルーツポンチも卒業したので、まったくの私見ながら簡単に総括してみたい(詳しくは、おはガールタイアップマンガ「未来pureボイス」の2巻を読んでからにしたいが)。

結局、ずっと書き続けてきたことと最後まで印象は変わらなかった。つまり、1年間、近頃流行りのセミドキュメンタリー方式に毒されてしまったなということ。
「電波少年」とか「ガチンコ!」とかね、そのたぐいに。

いちばん顕著だったのが、繰り返し書くことになるが「おはガールフルーツポンチ」が新曲披露のたびに中沢プロデューサーから「試練」を言い渡されることだ。
しかも、虚構のミニドラマにスタジオでの本気風芝居がからみ、どんどんわけのわからないものになっていった。
何しろ、ミニドラマ内では「大リーグボール養成ギブス」みたいなものを付けられたり、フルーツポンチのライバル「ブラックポンチ」などが出てくるのに、新曲のお披露目ではまたそこでドラマが展開したりしていたのだ。
しかも、それが面白くない。

けっきょく、おはガールフルーツポンチのCDは1枚も買ってない。何かしらけてしまったのだ。

こうしたセミドキュメンタリー路線は小さなところにも援用されており、メイン司会のやまちゃんやみおの反応を見ているとだいぶ「ドッキリカメラ」的演出が行われていたフシもあるし、「ゾナーとサイガーどちらかが投票によって辞めさせられる」という企画も、実際は出来レースっぽいが、ゾナーとサイガーはけっこう本気で勝負が行われると考えていたように見えた。

まあ結果的にはゾナーの引退後の映像はちょっと面白いのだが、それはむしろ「つくり込んだ面白さ」の部類だろう。

おはガールフルーツポンチ卒業の回でも、自分はどうしてもシラケた気分にならざるを得なかった。なにしろミニドラマまで毎回やっていたわけだから中途半端になるのも当然だと思う。いったいここで行われているのは虚構なのかマジなのか。おとしどころがさっぱりわからん。
中沢プロデューサーがちょっと泣いてたのが印象的だったが、それだけだったようにも思う。

最後の挨拶でも、フルーツポンチメンバーが一人ひとり、涙なみだのコメントをしたのだが、どこか共感できなかった。「おはスタ」関連では、昨年の「おはガールグレープ」のときの、毎曜日ごとの一人ひとりのコメントの方がよほど心に響くものがあった。毎朝ハイテンションで楽しくやっているように見せて、最後に涙を見せるからこそ、こちらの心が動かされたのだ。
そういえば火曜日の坊’sの挨拶には少し心を動かされた。長い間外回りをしていたタカが、気持ち背が伸びていたのに驚いたりして。

昨年の話だが、2年くらいやっていたKANAの涙も印象的だった。確かスタジオでのお別れではなくて、すでに春休みに突入してからのお別れだったんだよな。

そんなわけで、私個人は昨年5月のもったいぶった「フルーツポンチ」お披露目以来、ずっとミソが付いた感じで見ていたことになる。
でもやまちゃんはがんばってるよな〜。私より年上だっていうことが、まずひたすらにすごいよ。最近、自分より年上で子供向けのことをがんばってやっている人を応援したくなる。そんな気持ち。あと番長も良かったね。なんというか、無意味なご満悦キャラが。
(03.0401)



【テレビ】・「緊急特番 これが新ミニモニ。だぴょんスペシャル!」

3月31日(月)、テレビ東京で17:25〜17:55 から放送された、29日(土)に東京国際フォーラムで開催された「ミニモニ。矢口卒業式&新生ミニモニ。新曲披露! 『ミニモニ。スペシャルライブ』」をテレビ用に編集した特別番組。

実際のライブの様子に関しては、私が見つけたテキストとしては、

3.31.初代ミニモニ。LASTGIGS〜IT’S ONLY ミニモニ。(BUT I LIKE IT!)〜亜依国精神
ミニモニ。スペシャルライブだぴょ〜ん!(←現場の声(レポート掲示板)娘。楽宴
突貫レポート ミニモニ。スペシャルライブだぴょ〜ん!(←はてなダイアリー - ソウルフィスト(仮)

……などに詳しいです。それぞれのレポートから、立体的にライブの様子を知ることができますしね。観覧には親子連れが条件だったから、「見に行きたいのに物理的に行けなかった」という人が多そう。

で、番組の方は25分と短く、ものすごいダイジェストいう感じ。ナレーターがなぜか森本レオ風なのが面白い。短いながらも卒業していく矢口ほか、それぞれの立場のメンバーのコメントを簡単にとっていたし、メンバーそれぞれが舞台上で卒業していく矢口にひと言いうシーンはなかなか感動的でした。
ライブを見に行った人の指摘にもありましたが、このライブは矢口卒業と同時に、新ミニモニ。のお披露目の比重が大きく、番組タイトルにも「新ミニモニ。」という言葉が入っていました。このあたりは映画「お菓子な大冒険!」とおんなじですね。

矢口への舞台上での一人ひとりのコメントを見て思ったけど、加護はすごいソツがなくなったというか、こういう場面で持ってくなぁ〜と思った。わずかなコメント、30秒くらいで師弟愛というか女の友情関係みたいの、かいま見せてくれている。
私は個人的に、童謡に「サラリーマンの悲哀」とかを託してどうのこうのというのが大っきらいなんですけど(「およげ! たいやきくん」とか「めだかの兄弟」とかそうだったんですよ)、矢口のミニモニ。卒業に関しては、雇われ人の悲哀を感じざるを得なかった。まあそれすらも送り手は狙ってるんでしょうけどね。

で、ホントはどうだか知らないですよ。本当は、4人すごい仲悪いのかもしれない。でも、仕事上はぜったいリスペクトしあっていると思うんですよね。集団の仲でイイ仕事できる人って、サラリーマンでもそういう人が多いから。もしぜんぜんそうでなくても、加護と矢口のアイコンタクトは、なんかそういうものを感じさせたね。友情というよりも、お互いの仕事に対するリスペクトというかね。
辻は、まあ「ガンバの冒険」で言うところのボーボ的役割だからあれはあれでいいと思うし。

今後はミカがどうするかですよね。いや、むしろ加護がミカをどう盛り立てていくかというか。矢口コメントとして「『4人でわーってやっちゃって、後でみんなで反省していけば?』というアドバイスをした」みたいなことを言っていたんですが、これもリアリティある発言だと思いました。
本体「モーニング娘。」の方も、あくまでテレビ画面に映った感じとしては、飯田がリーダーとはいえたぶん本当にまとめているのは他のメンバーじゃないかという気がしていて、同じ構造にミニモニ。もなっていっている。強烈なリーダーシップをとる人間から、下から御輿をかつがれるタイプのリーダーへと変化したということで。それがミニモニ。でもうまく機能できるかということですね。

ラストの矢口の涙も良かったね。あれは自分で何もない状態からどっかの支社を任されて、もう地域の顔くらいになって盛り上げて、一時代築いて、そんで「ヨソでまた盛り上げてくれたまえ」みたいな辞令をヒョイと出されて一瞬キレながらも、わりと部下の信任が厚くて送別会で花束を渡されて感極まった中間管理職のサラリーマンの涙だね。
いやぜんぶ私の妄想ですけどね。まあ卒業は唐突だったかもしれないけど、映画や「げんき印の大盛りソング」など、ずいぶん花道をつくってもらったからね。そういう意味ではなしくずしに改変せざるを得なかったプッチモニやタンポポよりも恵まれているとは思いました。やっぱり背後に強烈でわかりやすい物語があるものは強い、とも感じたし。

後は繰り返し書いているけど、私の興味の対象は新加入する高橋愛が加護・辻のノリにどこまでついていけるのか、あるいはまったく方向性を変えて独自性を打ち出すのか、というところでしょうかね。
個人的には、五期メンバーの印象はずいぶん良くなってますよ。四期が半年くらいで強く自分たちを打ち出してきたのに対し、五期は1年経ってもダメっぽかったからこのままどうすんのかと思ってたけど、1年でダメでも2年で浮かぶ瀬もあることだなあと思ったしね。
(03.0401)

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