つれづれなるマンガ感想文9月後半

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一気に下まで行きたい



・「決死戦7人ライダー」 石ノ森章太郎、成井紀郎(2001、角川書店)
・「戦空の魂 紫電改 桜花、散らさじ」 天沼俊(2002、集英社)
・「ジェット上司」(1) ながしま超助(2002、双葉社)
【同人誌】・「SUPER GIRL いしよしONLY BOOK」(2002、リサーチウォーカー)
【同人誌】・「SISTER STRAWBERRY のの×かおSIDE」(2002、鮎川カツジ)

【同人誌】・「モームスTV24時」(2002、世田谷ボロ市)
【同人誌】・「日本ディーバキャラクタ名鑑」(2002、世田谷ボロ市)

・「アナドル狂姦」 格闘王国(2000、英知出版)
・「少女菜美 第1部ドミナ編」(1) 三条友美(1992、ミリオン出版)
・「白の黙示録」(1) 聖処女詩音の章 三条友美(1992、ミリオン出版)
【映画】・「サイン」(監督・プロデューサー・脚本:M.ナイト・シャマラン、2002、米)
【映画】・「ジェイソンX 13日の金曜日」(監督:ジム・アイザック、脚本:トッド・ファーマー、製作総指揮:ショーン・S・カニンガム、2002、米)
【CD】・「伝説のスタフィー」 ベッキー(2002、東芝EMI)
・「もみじ拓傑作選 紅陽」 もみじ拓(2002、講談社)
・「屈辱er大河原上」(1)  坂本タクマ(2002、新潮社)
【CD】・「だって、女の子なんだもん!」 BON−BON BRANCO(2002、日本コロムビア)
【CD】・「うた♪うたのりスタ」(2002、日本コロムビア)
【テレビ】・最近のテレビ
【テレビ】・最近のテレビ その2
【映画】・「ドーベルマン刑事」(監督:深作欣二、脚本:高田宏治、1977、東映)
【映画】・「ファンキーハットの快男児」、「ファンキーハットの快男児・二千万円の腕」(監督:深作欣二、脚本:田辺虎男・池田雄一、1961、東映)
【CD】・「愛 WANT YOU!!」 BON−BON BRANCO(2002、日本コロムビア)
「チャンピオンRED」10月号(2002、秋田書店)
「コミックビーム」7月号(2002、エンターブレイン)
「コミックビーム」8月号(2002、エンターブレイン)
「コミックビーム」9月号(2002、エンターブレイン)






・「決死戦7人ライダー」 石ノ森章太郎、成井紀郎(2001、角川書店) [bk1] [amazon]

「テレビマガジン」に連載された成井紀郎版「仮面ライダーストロンガー」を、詳細な解説や読み物記事とともに復活させた愛蔵版。石川森彦版「ストロンガー」も収録。

数年前から、70年代のコミカライズやおもちゃ、ゲームなどとのタイアップマンガが再評価され刊行が続いている。あまりにもその点数が多く追いきれず、さらに成井紀郎のシリアスものを今まで読んだことがなかったため、読むのが遅れてしまった。

表題の「決死戦7人ライダー」は、テレビマガジン増刊号に載った63ページの長編読みきり。
世界各国で自由の女神やスフィンクスを含めた巨人像が、次々と動き出して暴れるという怪事件が発生。他にもトロイの木馬やジャンボ・コングなどが暴れまくる。
彼らは日本の九州地方に集結し、最も恐ろしい大魔人を呼び覚まそうとしているらしい。世界各国に散っていたライダーたちは、ストロンガーとともに平和を守るため、日本に集結する。
イキナリのお話のデカさ、スペシャル版らしい思いきりのいい展開で、私も読んでいる間に「そういう映画でもあってそのコミカライズなのか?」と思ったら、解説によるとそうではないらしい。7人ライダー総登場の、迫力ある作品。CG技術の発達した今こそ映像化希望、なフロシキのデカいマンガである。

「仮面ライダーストロンガー」石川森彦は、2話しか描かれなかったようだが、解説で知ったが石川森彦氏は当時、石森プロのTVキャラクターもののデザイン画などを大量に引き受けていて、多忙すぎたため成井紀郎氏にテレビマガジンの連載がバトンタッチされたという経緯があるらしい。
成井氏のタッチがあくまでもマンガっぽく、毎回のコマもギャグで締めていたのに対し、石川氏は70年以降の、より劇画っぽく移行した石ノ森タッチをさらにグネらせたような独特の画風で、当時から好きだったのを覚えている。

「仮面ライダーストロンガー 7人ライダー最後の大決戦」成井紀郎は、テレビマガジン増刊号に掲載されたスペシャル版。本誌連載の最終回では6人ライダーはあくまでサポート、ストロンガーが主役だったが、増刊号掲載の本作ではショッカーから連なる戦いに仮面ライダーたち全員が終止符を打つ、という展開になっている。
前々から思っていたのだが、「仮面ライダー」の(謎の)最大の特徴として「敵の首領がよくわからん」というのがある。……どうもなんか、正体を現してもそれがよくわかんないのだ。「デストロン」の首領なんていまだにわからん。
この「ストロンガー」においても、敵の大首領というのが正体を現してもどう対処していいかわからんヤツなのであるが、成井版では少年から「怪物」と呼ばれたストロンガー(城茂)が悩むシーンがラストにつながっていたり、改造しすぎてこれ以上メカ的なパワーアップができないと悟ったライダーたちが、技を鍛えるために特訓を開始するなど、「ライダーたちの戦いの決着としての最後の決戦」という部分に焦点が絞られており、非常にいいまとまりを感じる。

それと注目すべきは岩佐陽一氏の解説部分。詳細をきわめていることもさることながら、読み物記事とマンガを配置よく載せた構成や、ちょっとしたカットに「燃える」部分をキチンとチョイスしているところなど、実につくり込んだ内容になっている。
さらに、「仮面ライダー」において「ストロンガー」がシリーズに終止符を打った最終作だった、という歴史的意義を思い出させるところが興味深い。
後にZXとかスカイライダーとかスーパー1とかJとかBlackとか、断続的にライダーがつくられているのでなんだかよくわからないことになっているが、いちおう「ストロンガー」で終わった時期、というのがあったのである。

余談だが「電波人間タックル=岬ユリ子」がヒロインとしては比較的ワイルドに描かれているが、時期が重なってたかどうか忘れたが「グレートマジンガー」の炎ジュンを思い出させる。いかんせん、変身後がちょっと……というのがナンだが。
変身後も顔がきちんと出たキャラクターだったら、もっと超時代的萌えキャラになっていたような気がする。
(02.0929)



・「戦空の魂 紫電改 桜花、散らさじ」 天沼俊(2002、集英社) (戦空の魂 愛蔵版傑作選→)[bk1] [amazon]

オールマン連載作品。コンビニ売りの単行本形式のやつです。紫電改、零式輸送機、隼、鍾馗、秋水といった軍用機をテーマに、戦場での人々の生きざまを描いた読みきり連作。

私個人はほとんど戦記モノの知識が皆無に近いんで細かいところがどうこうってのはわからんですが、1話1話のエピソードはよくできていると思いました。
とくに表題になっている「紫電改 桜花、散らさじ」は泣けまくります。これが1話目に入ってるというのはあきらかに狙ってますね。最強の航空隊にも編成されんとする優秀なパイロットが、「桜花」で散る運命にある少年と出会うという話なんですが、帰還を望まれる優れた戦闘機乗りへの、あらかじめ死ぬことが決定している桜花の乗員がぶつけるやり場のない怒り、怨念、無力感が伝わってきます。
実際に彼らがこういう心境だったかは知らない。が、この話には今にも通じる普遍性があると思いました。
要するにアムロのようなヤツと「ボール」とかに乗ってる青年との出会い、と表現した方がわかりやすいか。この作者にはガンダム・エピソードで1本書いてほしいですね。第二次大戦の戦闘経験者が少なくなっている以上、戦記ものもその妥当性を検証するのはむずかしくなっているのではないか。だとしたら、最初から架空の物語の方が凄みが増す場合もあるでしょうから。

戦闘機の区別なんかロクにつかない私のような読者のために、敵軍の戦闘機はすべて「ZUON」とか「DODODO」などのローマ字表記の擬音で登場することになっていたりして、リーダビリティも高くなってます。
(02.0929)



・「ジェット上司」(1) ながしま超助(2002、双葉社) [bk1] [amazon]

週刊漫画アクション連載。「爆射!! 弓道MEN」や「ぷるるんゼミナール」などの、巨乳の女の子がいっぱい出てくるエロギャグマンガをよく描いている作者の新刊。

大手広告代理店「弁通」で、バブル期に伝説的なプロジェクトを次々と成功させてきた男・浅野W。彼は不慮の事故で昏睡状態となってしまったが、ふとしたきっかけで11年後の現在、再び意識を取り戻した。
会社に復帰した浅野は、バブル時代のイケイケ感覚でデタラメをやりまくるが、過去の実績とこれからの期待へのためにあまり強いことが言えない周囲の人々。このため、部下になった新米社員・斎藤誠にも何かととばっちりが飛んでくる……。

個人的に、過去の時代でいまいちばんギャグになるとしたらバブル期の10年ほど前だろうと思っていた。なんでも、いまだに我々は当時のツケを払わせられているらしいが、私は新聞を読まないので細かいことはわからん。懐かしむのにも、歴史の中に位置づけるのにも中途半端に近くて遠い、それが現時点でのバブル期に対する感覚じゃないだろうか。
それにしてもマスコミは信用できん。確かにバブルを起こしただれかに責任はあり、一般庶民とは比べモノにならないくらいイイ思いをしてやり逃げしようとしている人もたくさんいるのだろう。だが、間接的にではあれ一般庶民もバブルの恩恵をこうむっていたし、「あわよくば私も」という期待だけでも今よりは持てた、ってのはある。
そのことを当時キチンと書いたマスコミはなかったし、現在もない(NHKで「バブル」ってドラマがあって途中まで見たが、あれには当時の狂った感覚を現そうという意志は感じた)。

その点、本作では「不景気な現在、バブルを懐かしむ」というわれわれ一般庶民の欲望がストレートに出ている。それは「やましいこと」かもしれないが、現実の感覚としてあったと思うのだ。もちろん、バブルゆえにひどい目に遭ったという人もいるだろうが、とにかくあの浮かれ気分を、浅野Wというぶっとんだ主人公を通して描いているのが嬉しい。

今後は浅野Wが「本当に伝説の人物」なのか、単なる「口だけの人物」なのか、真の意味で「デタラメな人物」なのかでストーリーは変わってくるだろうが、どっちにしろバブル時代ってのはもう本当に笑うしかない時代だよなー、と思ったりする。何だよトレンディドラマって。何だよカネで解決って。
(02.0929)



【同人誌】

・「SUPER GIRL いしよしONLY BOOK」(2002、リサーチウォーカー)
・「SISTER STRAWBERRY のの×かおSIDE」(2002、鮎川カツジ)

「モー娘。」テキストサイトをぼさーっと覗いていたら、モー娘。内のメンバーにカップリングがあることを知った。
たとえば「いちごま」→市井紗耶香と後藤真希、「やすごま」→保田圭と後藤真希、「なちまり」→安部なつみと矢口真里、「こんまこ」→紺野あさみと小川麻琴、「しばりか」→石川梨華とメロン組の柴田、「やぐゆう」→矢口真里と中澤裕子。あと「あやみき」ってのもあったな。松浦亜弥と藤本美貴。
あと「おぐゆう」が小倉優子だ。すいません。関係ありません。愛称として定着しているかどうかも知りません。ももか姫。

で、ネットでのファンの人の「私はそういうカップリングが好き」という主張はわかった。「なんかこの2人は仲良さそうで、女の子らしくふざけっことかしているのが見ていて微笑ましい」というほどの意味だと思う。
そしてカップリングの同人誌があることを知った。もしそれの少なくない部分を男性ファンが担っているとすれば(仮定の話になるが)、同人誌史的に言えば、かなりの事件だと思う。というのは、私の知るかぎり「やおい、ボーイズラブ」のカップリングは当然男同士のものだったし、「カップリング」の概念自体がファンの女の子のものだったからだ。

もっとも、男オタクの間でも過去に「カップリング」概念が皆無というわけではなかった。それはSMでの責め受けの関係だったり、セーラームーン同人大増殖の頃のズーレー的カップリングだったりした。両者が混交しているとも考えられた。
「モー娘。」におけるカップリングは、厳密に言えば「やおい」のそれとまったく同じということは言いがたい。たとえば「だれだれ×だれだれ」の「×」の中にどれほど「攻め受け」志向が含まれているのかとか、明確にセックスを前提としているのかとか、謎や疑問が残る。それに、現実には「モー娘。」のカップリング同人誌を男女どちらのオタクが牽引しているのかも、この間の夏コミで芸能の日に行かなかったのでわからない。

しかし、以上のことを差し引いても、アイドルとはいえ実在の女の子を題材とし、カップリングが何通りも存在し、そうした考えが数量的に決して少なくなく、さらにそれに男のファンが一枚かんでいるとなると、前代未聞のことだと言わねばならない。

興味津々なのだが、さすがにもう手当たり次第に同人誌を買って確かめるようなカネもヒマもないし、だいいち私自身に何かそういうカップリングに対する欲望が希薄。ということで、控えめに2冊だけ買ってみた。

「SUPER GIRL いしよしONLY BOOK」は、成年コミック。奥付を見たら女性になっているが執筆者は男か女かわからん。たぶん女の人。「いしよし」とあるとおり、石川梨華と吉澤ひとみの恋愛モノ(!)だ。

学園内で(設定では二人とも普通の高校生)吉澤が石川にひと目惚れ。石川が生徒会の書記の仕事をやっているというので、お近づきになるためにそれを手伝い始める。 日に日に石川先輩を好きになっていく吉澤。ちなみに吉澤の恋の相談役が同級生の後藤真希。
きちんとした告白をする前に、ガマンできなくなって居眠りしている石川にキスして最後まで行ってしまう吉澤だが……という話。

なんかいろんな意味で(私にとって)カルチャーショックなマンガ。ちょっとコマの欄外に書かれた自分ツッコミが多すぎる感じはするけど、かわいらしい恋愛モノ(エッチあり)に仕上がっている。石川があくまでも憧れの存在として描かれてるってのが視点がハッキリしてますね。

「SISTER STRAWBERRY のの×かおSIDE」は、コピー誌。「のの×かお」とあるとおり、飯田圭織と辻が出てくる。
飯田の妹が辻で、二人暮らしをしている。で、飯田の親友の安部なつみがゴハンをつくりに遊びに来たりする。飯田がかわいい辻の頭をナデナデしたりして、終わる。

なんかコレも個人的にカルチャーショックであった。だって本当に「飯田が辻の頭をナデナデする」だけのようなマンガだから。深い……(ような気がする)。
(02.0927)



【同人誌】

・「モームスTV24時」(2002、世田谷ボロ市)
・「日本ディーバキャラクタ名鑑」(2002、世田谷ボロ市)

ジャンルはたぶん「芸能」のパロディマンガ。

「モームスTV24時」は、「ニャン2Z」という商業誌に連載されたマンガをまとめたものだそう。2001年に書かれたので、当時の芸能界の話題を反映している。
1回が3ページで、当時やっていたテレビドラマ「女子アナ。」で女子アナを演じる水野美紀やともさかりえ、「ケイゾク」の中谷美紀などが芸能界の陰謀を次々暴いていくというようなスタイル。あ、タイトルほどモー娘。は出てきません。正直、似顔絵はあまり似てないんだけど、いったん読むと引き込まれてつい読んでしまうような感じ。面白いです。

ホントかウソか知らないが「篠原ともえが加護をいじめたため、矢口が篠原に怒鳴り込んでやり返した」というウワサが載っているんですが、私の自説である「ミニモニ。は篠原の良質コピー」という説を裏書きする、興味深いエピソードです。そりゃキャラがかぶっちゃいじめたくもなるわな(厳密に言えば、ミニモニ。が出た頃には、篠原はハジケキャラは卒業してましたけどね)。
そしてそのエピソードの中には、加護VS篠原はおれ宇宙内での対立項である石野卓球とつんく♂のポップス代理戦争でもあるわけで、いろいろ興味深いところではあります。卓球もしのはらにもう1曲くらい描いてやりゃいいのに。まあ篠原ともえの売り出し方には、楽曲のプロデュース以前の迷走が見られますけどね。

でも篠原、芸能史に名を残したとは思うね。アニメのポケモンではカスミが「シノラー」のまねをするシーンがあるし、篠原本人は「ゴジラモスラキングギドラ」で「死ぬ役」としてガキどもにトラウマを植え付けたし。
CMでウサギもやったし。

「日本ディーバキャラクタ名鑑」は、似顔絵イラスト入りで日本のディーバ(要するにJポップを歌う女の子たち)について作者の独断と偏見で解説を入れたもの。この作者の芸風を「モームスTV24時」で理解した後に読むと、けっこう面白いです。
個人的にはもっと突き放して描いてもいいような気もするんだけど、細かいところをよく見てるし、テレビが好きなことが伝わってきます。
市井紗耶香がセブンイレブンのフリーペーパーに写真日記みたいなものをやっていた(る?)そうだが(本上まなみがどっかでやっていたようなヤツか?)、確かにそういうことやりたそうだよな……今の市井紗耶香。個人的には、この人は今のところ曲にめぐまれていないのがかわいそうだと思う。
(02.0927)



・「アナドル狂姦」 格闘王国(2000、英知出版)

成年コミック。短編集。濃い目の、ロリではないHマンガを探してるんだけどなんだかなかなかないなあ。本作はおねえさま系で、タイトルから女子アナものかと思ったら、そういうのもあるけどまあいろいろ。
女子アナとかニュースキャスターものも探しているんですけど、思ったよりないですねえ。けっこうパターンが限られるし、密室的なものにすると女子アナにする意味がなくなるし、「エッチしているところをテレビで公開!」とかにするとリアリティがなくなるんで(その時点で物語を終わらせざるをえないし)、案外むずかしい題材なのかもしれません。

本書は大半が陵辱モノです。でもそんなに鬼畜な感じはしないです。キツめのめがね美女が実はけっこうかわいかった、みたいな内容がイイです。

絵は、もっともっとうまくなると思います。……っていうか、3年前の作品だから今はもっともっとうまいのかもしれない。
(02.0927)



・「少女菜美 第1部ドミナ編」(1) 三条友美(1992、ミリオン出版)

成年コミック。官能劇画家、三条友美の長編作品第1巻。

「ふぬけ共和国」的に通過しなければ、とかなりの強迫観念にかられている作家が三条友美と村上和彦である。前者は大河ロマン的長編官能劇画を得意とするヒト。当HPには同作者の「真夜中のアリスたち」のレビューがある。
後者はモノホンのやくざとつき合いがある(と言われている)任侠劇画家。当HPには同作者の「愛蔵版 日本極道史 昭和編」第1巻のレビューがある。マンガ評論家の村上知彦とは別人。当たり前だが。
どちらも全集が出ているのだが、両者とも多作家でかつ、本が重い(物理的に)。値段も、言いにくいことだがガバッと一気買いするには微妙で、読むのが押せ押せになっている。反省しなければならん。

さて、本作は父親が女をつくって逃げ、そのショックで母親が自殺、妹とともに不幸のどん底に落ちた美少女・菜美が、残された多額の借金を返済するため、妙に世慣れた少女・山崎竜子の誘いでSMクラブ「ドミナ」に勤めはじめるところから始まる。

菜美の天性のM性を見抜いた竜子(ちなみに彼女もSM嬢)は、菜美をM嬢に育て上げようとする。一方で、「ドミナ」のママは菜美に「ぜったいにM役をやってはいけない」という。いったいその真意はどこに? いろいろあってだんだんと目覚めていく菜美であった。

「不幸な少女がどんどん不幸になっていく」話だが、今のところそんなに陰惨な感じはしない。これは物語が菜美の「才能」によって転がっていっているからだろう。
(02.0927)



・「白の黙示録」(1) 聖処女詩音の章 三条友美(1992、ミリオン出版)

成年コミック。長編官能劇画の第1巻。純血の聖女を犯し尽くすことを生涯の目的にしている沖田龍児は、聖女と噂にきくどんな女を犯しても「コレは本当の聖女ではない」と満足できない。彼が次に定めたターゲットは、お金持ちのお嬢様だが看護婦としてけなげに勤める美女・結城詩音であった。
詩音は、辱めようとする方が恥ずかしくなってしまうほどのピュアな心の持ち主であったため、自らを傷つけ病院に入院した龍児は、いざ彼女を前にしても犯すことができない。しかし、そのピュアさゆえに嫉妬や恨みを買う詩音は、何かと受難の道を歩まねばならないのだった。

2巻と3巻も続けて読もうと思ったのだが、なんと家に帰ってよく見たら5巻と8巻だった。なんか疲れてるなオレ……。
舞台が主に病院であることと、たぶん作者のシュミの関係上浣腸シーンが異様に多いです。私は別に浣腸とかスカトロは好きじゃありませんが。

とにかく、憧れの医者がブラジルの無医村に行ってしまったために詩音が後を追った後半の展開のあまりの突飛ぶりはすごい。続きが気になる。
(02.0927)



【映画】・「サイン」(監督・プロデューサー・脚本:M.ナイト・シャマラン、2002、米)

公式ページ
グラハム・ヘス(メル・ギブソン)は、交通事故で妻を失い、そのショックで牧師をやめ、元野球選手の弟・メリル(ホアキン・フェニックス)、まだ小さい子供のモーガン(長男)とボー(長女)とともに、農場で実に辛気くさい生活を送っている。
そんな生活を始めて半年後、グラハムは自分の畑に巨大なミステリー・サークルを発見。最初は近所のガキのいたずらだと思うが、違うらしい。
他にも飼い犬が凶暴化する、モーガンの持っているチャチな通信機から奇怪音が聞こえる、ボーが「水」に敏感となりそこらじゅうに水の入ったグラスを置いて回るなどの奇怪な現象が起きる。
それらは何を意味するのか……? グラハムの辛気くさい日常をますます辛気くさくする怪奇現象の正体とは?

以前、ナイロン100℃の芝居を見に行ったら、劇中で思いっきり「シックス・センス」の結末をバラすというギャグをやっていて、ショックを受けた。あんなもん、結末を知ってて見たらアホみたいなもんでしょ。
まあその後、あんまり話題になったんで結末を知りつつ仕方なく見たんだけど、M.ナイト・シャマランという監督の正当な評価は、私にはできなかったと思う。だってつまんないんだもん。結末がわかってるから。それと、ものすごく辛気くさかった。
「アンブレイカブル」なんて知らないうちにやって知らないうちに終わってたし(別に私、映画ファンじゃないし)。

だから今回は結末をだれかにバラされないうちにと思って、なんだか焦って、急いで見に行った。
結論から言うと、ものすごく微妙。このラストに納得できないとか、ふざけてるとか、そう思う人はいると思う。

だけど、個人的にはなんだか好きな映画だった。
どうも向こうのホラーものは、キリスト教、あんまり信仰深くない人でも「気になる」程度の「キリスト教」に対する知識や生活の中での実感みたいなものがわからないとよくわからないのがあるけど、本作もそんな感じ。果たしてメル・ギブソンの演じる牧師が牧師として正しく描かれているかも、私には知識がなくてわからない。
ただ、

『人には2つのタイプがある。
ひとつは、この世には偶然などなく、奇跡が存在すると信じているタイプ。
もうひとつは、すべては単なる偶然で、未来は自分次第なのだと思うタイプ。
お前はどちらのタイプだ?』(グラハム・ヘスの台詞より)

……というのが公式ページにも引用されていて、本作のポイントのひとつになっている。だがこの部分を「奇跡が存在すると信じる=自分以外の何かが何かをやってくれるのをただ待っている」、「未来は自分次第=自立心旺盛な理想的現代人」と解釈すると、間違っていることになると思う。
「神への祈り=自分以外の何かが何かをやってくれるのをただ待っている」、「未来は自分次第=自立心旺盛な理想的現代人」という解釈は、日本でのマンガとか小説における「俗流・キリスト教(正確に言えば一神教か?)解釈」でよくあることで、キリスト教、あるいはキリスト教的な架空の宗教が「抑圧、自分でものごとを考えない、神秘的な何かにものごとを任せきりにする、祈るばかりで何もしない」などの「悪役」として解釈される場合が多いので、ちょっと懸念して書いてみた。

ナチスが日本のエンタテインメントにおいて、憧れと畏れの入り交じったアンビバレントな描かれ方をしていることは、たびたび指摘されているようだけれど(すいません、「ヒトラーの呪縛」とか買ったけどまだ未読)、キリスト教、あるいは広義の一神教が「旧体制」とか「個々人が自分で責任をとらない」という象徴として何かと引き合いに出されることに関しては、なんかもうちょっと考えた方がいいと思う。
(余談だが「北斗の拳」で「無抵抗主義者」の集団というのが登場し、「無抵抗であること」が最大の罪悪であるとしてラオウかなんかにボコボコにやられてしまう。コレはガンジーの「非暴力・不服従」に対するもっとも何も考えてない俗流解釈として、あまりにも何も考えていないのでだれも指摘しないのだと思う。まあ私もどうでもいいのだけれど、なんか「あんまりだ」と思って思い出したので書いてみた。)

さて、本作の「サイン」とは、私にとってはどういうものだったかというと、「こうでも考えなきゃ、人生やってられねえよ!!」ということに尽きると思う。これは直接信仰に関わらない私にとっては、諸星大二郎の伝奇マンガとか、あるいは信仰あつい人々の集団ドラマである「大草原の小さな家」でも感じていることでもある。あと瀬名秀明の「ブレイン・ヴァレー」のラストでもそう思った。
人間いろいろあるけど歯を食いしばって生きて行かなきゃいけないときはままあるわけで、そういうときにこそ、「人間以外のもの(注:この場合宇宙人ではない)」が存在すると考えることによって日常をやり過ごしていく、という一面、そういうことに関して、少なくとも日本のエンタテインメント作品はあまり考えてこなかった。……というようなことを思いましたよ。

映画全体のトーンは「シックス・センス」同様辛気くさく、またその辛気くささを「メル・ギブソンの陰鬱な表情」のアップでひたすらに押していこうという感じがちょっとイヤ(「シックス・センス」に出てくる、いつも泣きそうな顔をしているガキにはむかっ腹が立ったものだ)。けれど今回は子供たちの行動にはユーモアがあったし、笑わせようといいう意図のシーンもあって、演出としてはまあよかったんじゃないかと思う。

結末はもちろん伏せておくが、私はいろんな意味でこの結末はいとおしいなあ。「こうでも考えなきゃ、人生やってられねえよ!!」という主張が横溢していたと思うんだけれどどうでしょうか。とくにメル・ギブソンの弟。これをあまり神秘主義寄りに考えると、自分としてはちょっとつまんなくなっちゃうんだけど。
たぶんSFマガジンとかで「短編SF」としてサラリと載っちゃえば「ああそうなの」くらいで終わるプロットだけど、これをわざわざ映画に仕上げたというところに含蓄があるのであって。でもツッコミたくてウズウズしている人もいるだろうね。それもわかるし。いろんな意味で楽しめる映画ではある。

なぜか映画館を出た後で「映画『サイン』完全解析マニュアル」というチラシのようなものが配られていたが、これは完全に興ざめ。たぶんバカなカップルが映画を見た後に意味がわかんなくて、その補完をするためだけのもの。その後入るマックとかで。言い過ぎかもしれないが。
(02.0925)



【映画】・「ジェイソンX 13日の金曜日」(監督:ジム・アイザック、脚本:トッド・ファーマー、製作総指揮:ショーン・S・カニンガム、2002、米)

公式ページ
黒豹シリーズといい渡り鳥シリーズといい、行くとこまで行ったら宇宙へ行くのはシリーズものの定番(なのかあ!?)。調べないでテキトー書いてますが、確か黒豹では、あった。宇宙に行く話。渡り鳥シリーズは、あれは歌だけなんだろうなたぶん。

ということで、ジェイソンも宇宙へ……。
どんな死刑執行方法でも死なず、冷凍保存されることになったジェイソンは、警備員をブッ殺すなどして抵抗を示すが、女科学者・ローワンの手によりみごと冷凍化。しかしローワン自身も道連れになって冷凍されてしまった……。
そして時は流れ2455年。ロウ教授率いる考古学の実習チームは冷凍されたジェイソンとローワンを発見、宇宙船内に回収、そして解凍。
当然ジェイソンは暴れ回り、未来人をブッ殺しまくり。そして当然ローワンは、ジェイソン専門家として400年経ってからも自分と実習チームを守るべく奔走するハメになるのだった!!

実は「13金」って見るのが初めてなんだけど、「ジェイソン」を模したプロレスラーだっているくらいメジャー化している映画だし、「キャンプ場でふざけたガキどもを惨殺するホッケーマスクの怪人」という程度の予備知識でじゅうぶん楽しめると思う。
結論から言うと、いい意味であきれるほどのバカ映画。前半はオーソドックスな「狭い宇宙船の船内に入り込んだジェイソンが、あちらこちらから現れて乗組員を惨殺して回る」というまあありきたりな展開なんですが、人間のサポート役として乗り込んでいる女性型アンドロイドが単なる脇役だと思ってたら突然あーなってこーなって……あたりからバカ度が炸裂。
クライマックスで、救援に来た宇宙船に生き残った人々が全員乗り込むために行うジェイソン陽動作戦は「菊地秀行が脚本を書いているのでは?」と思わせるほどのバカ度でした。

しかし、これは私が今までの「13金」を見ていないと断りながら書くのだけれど、「13金」というパターンがすでに本編においてもパロディ化せざるをえない、すなわち本作は「13金」のパロディ的作品であるわけです。
もう観客は「状況をよく理解していないイチャイチャバカップル」が最初に殺されても驚かないし、ジェイソンが何度も生き返ってきても驚かない。このため、よしんば「パロディ」の意識が製作者側になくても「パターンを裏切らなければならない」というシリーズものに課せられた制約が、どうしても映画全体に「パターンが摩滅した果て」という印象を抱かせずにはいません。
そういう意味ではやはり、「エイリアンシリーズ」をやっていた頃の菊地秀行、あからさまに元ネタがわかる程度にオマージュを捧げ、なおかつそこに自分のオリジナリティを出そうとしていた頃の菊地作品に、ホントに似ちゃうワケです。

そして、たぶんその結果だろうと思うんだけど、よくできたスプラッタ映画にある「理不尽なことに巻き込まれた人々の、それぞれの生きざま」みたいなものまで摩滅してしまってる印象。冷静だろうが、なりふりかまわず逃げ回ろうが、パニクって自分が不利になるような行動をとろうが、死を賭して「敵」を倒そうとしようが、その行動すらもパターン化されてしまっている。だって観客は驚かないもんね。このパターンでだれがどう動いたって。
スプラッタ系ホラーを見慣れている人にはそうした描写はむしろ「ウザい」かもしれないとすら思うんですが、もうちょっとカッコよくジェイソンに立ち向かう人間をきちんと描いて欲しかった、などと、スプラッタ好きでもない私はマジ感想を書いてみたくなってしまうのですよ。

それにしても「ジェイソン陽動作戦」には、本作が単なる冗談映画、パロディとしての存在から越えようとする何かがあったような気がする。どうせ私の考えすぎでしょうけどね。

公開は27日の金曜日までなんで、劇場で見たい人はぜひ急げ。それにしても上映映画館は少ないし、上映期間も異常に短いんだよなあ。「こういうのはビデオとDVD出してペイするからイイや」ということなのか?

デートムービーとしてもいいんじゃないかと思うんですけどね。
(02.0924)



【CD】・「伝説のスタフィー」 ベッキー(2002、東芝EMI) [amazon]

最近、CDづいてる新田です。
ゲームボーイアドバンスのゲーム「伝説のスタフィー」のCMソング。

「『星のカービィ』ってけっこう売れてるじゃん。ああいう丸っこいキャラがいいんじゃね? 丸が受けたから今度は三角だよ! ゲームのタイトルは『さよなら三角、またきて三角』。キャラデザは原秀則先生にお願いするから」
ア然とする開発スタッフ。
「いいか。あの人はもう三ヶ月も家に帰ってなくて、頭がテンパってるんだ。だからおれたちで新企画を考えよう!」
「ということで、『三角じゃなくて星形のキャラ』を主役として開発されたのが『伝説のスタフィー』であった」(今さら! 今さら「プロジェクトX」風に)
……というのは当然ながら全部ウソなんですが、「伝説のスタフィー」ってキャラもかわいいし、CMソングも印象的ですぐ覚えました(ゲームボーイアドバンスは持ってないんだけどね……)。

「海におっこちてしまった天界の王子・スタフィーが冒険する」ということで、楽曲的には「ニセ沖縄」風な感じが心地いいです。沖縄風なんだけど、ギリギリ、ベタな感じを避けているのでよけいエキゾチックな感じが出ています。ベッキーの歌唱力はもともと平均以上のものがあると私は思っているので、総合的にとてもかわいらしい曲に仕上がっています。
ネットで調べたら、編曲の三宅一徳はCMやアニメ関係の曲をかなり手がけている人らしい。作詞・作曲はNINTENDO、TOSEということになってます。個人的にはアタマ出しの部分のインパクトの弱さを除けば、子供が気軽に口ずさめる佳作だと思います。おそらくゲームに登場する、永井一郎っぽい声も入ってます。

カップリングの「BOYFRIEND'S ROOKIE」は曲を聴いたかぎりでは「スタフィー」とは無関係の、むしろベッキー専用につくられた曲という印象。作詞・作曲・編曲は久保田光太郎、この人もネットで調べたところ、TOKIOの楽曲を多く手がけている、ということでなんとなくイメージつかんでいただけるでしょうか。
曲の冒頭、ベッキーのラップ(ラップというよりは、チアリーダーが踊るときに叫ぶかけ声みたいな符丁)から始まり、音楽知識のない私にはその先の説明はむずかしいですが80年代洋モノポップスな感じはします。これはわたし的には意外な拾いモノで、ベッキーの魅力を引き出した、なかなかの佳作だと思います。
(02.0923)



・「もみじ拓傑作選 紅陽」 もみじ拓(2002、講談社) [bk1] [amazon]

主にアフタヌーンに掲載された作品を集めた短編集。
個々の作品に共通しているのは……思春期の男の子とその父親との関係、ということになるのかな。思春期の少年が父親に抱く独特のうっとおしさといとおしさみたいなもの、そのとくに「うっとおしいと思ってきた」ことに対する後ろめたさ、後ろめたさはあっても強烈な罪悪感はなくて、それはある時期を経て、微妙に親に対する愛情に変わっていくという、本人の成長をもあらわしているのだけど。

「紅陽」は、両親をひたすらにうっとおしいと思っている時期、要するに反抗期の高校生・紅陽の一人称で語られる物語。彼の父親、不良っぽい同級生、そして紅陽のクラスメートで幼稚っぽいがゆえにバカにされている鴨志田を、紅陽はある意味冷徹な目で見ているが、徹底して突き放して見ることもできずモヤモヤした気持ちを味わっている。
そんな日常に、ちょっと形容しがたいかたちで物語的な決着が付くのだが、私が好きなのはそこに情念の爆発みたいな、そういうモノが含まれているところだ。

「文芸的な(ブンガク的な?)マンガ」、ものすごく単純に言って「ジャンプやマガジンの方法論に乗っ取らないマンガ」は、激情をいかに巧妙に押し隠すかがその作家のうまさと直結していたりすることが……多くないですか? 怒りとか哀しみにたやすく到達することは安易とか安っぽいとか思われているということですよね。
でも個人的に、それはぜんぜん違うと思う。もちろん、クールな作品、徹底的にクールであることによって情念を表現する作品というのはあるけれど、それがすべてではないということは、言いたい気がする。
この短編集は、クールであるというより、クールであろうとしてそうなれない部分を描き、さらにそこにカタルシスを用意しているから好きだ。

それは「かいじゅうの背番号」にも言えて、ネタバレになるので詳しくは書かないが要するにある「業」を背負った一家が「あるもの」に追われていて、それを知らずに普通に育った主人公が親を拒絶し、やがて受けいれる。でもそこにはカタルシスがある。情念の発露がありますよ。タイトルとなった「背番号」のエピソードは、雑誌掲載時から読むのは二度目だけど泣けてしまった。

だから、「かいじゅう」と同系統の世界観を持つ「哀愁のシキシマン」はちょっと物足りない。「家」とか「家系」の問題の比喩としては食い足りないし、父と子の葛藤の物語としてもアッサリと終わってしまう。「かいじゅう」の前に描かれた作品だから、そうなるのかもしれないけど。

で、圧倒的な迫力を持ってせまってくるのが「キリエ(前/後編)」だ。240ページもあるだけに、叩きつけてくる情念はスゴイものがある。
高校に入学した紅陽(といっても「紅陽」に出てくる人物と同じかどうかは不明。たぶん違う)は、ひたすら詩とも叫びともつかないことをノートに書いてはそれを校庭で大声でわめき散らす少年・青木キリエに出会う。キリエというのは芸名、ペンネームみたいなもので、本名は青木太郎。彼はマイペースでエキセントリックな存在だったが、紅陽が彼の創作ノート(?)を拾って中身を読み、その迫力に引き込まれ、そしてそのことをキリエに話してから彼らの間に友情が芽生える。

キリエがライブハウスでバンドに混じって学校でやっていたように詩を叫ぶ「ノート熱唱」をしていることや、学園祭の日々、紅陽の初恋、キリエと彼の親父さんとの関係、紅陽と父親との関係などが日常として描かれる。
本作では紅陽の青春のモヤモヤは、キリエの思いきった行動と、その自分の中身をさらけ出すような激しい朗読パフォーマンスによって表現される。だからカタルシスがある。
面白いのは、おそらくキリエの詩はそれだけ切り取っては読者にそれほどの衝撃は与えない。物語の展開と、そして絵。それが混然となって、こちら側に叩きつけてくる。
物語が一点に集約していないことが、かえってキリエの「叫び」を際だたせていることにも注目したい。紅陽の恋の展開(いちばん好きな子にはふられ、二番目に好きな子とつきあい始める)もなんとなくしりきれトンボで終わる。でもそれが蛇足でもなく、逆に欠落でもなく物語内におさまっている。紅陽の他の日常生活も同様。

そして、物語の中心に位置しているであろう、キリエの父親が少部数出版した詩集「キリエ」を、キリエも読んだことがなく、紅陽も少ししか読んだことがない、そしてその存在が実に微妙に描かれているところにも含蓄がある。
たぶん、その本が見つかっても見つからなくてもキリエの叫び自身は変わらない。紅陽にとっては「知らない人のあまり興味をひかない詩集」だったにすぎない。ここらあたりにも、作者の「父から子へ」何が受け継がれるのか、果たして受け継がれるのかという問いがあって、興味深い。

私はやっぱり本作のように「叫び」とか「情念」を感じ、そしてそこにカタルシスが用意されている作品が、いろんな意味で好きです。
本作品集においては、「カタルシス」と言いきっては抜け落ちる部分があることには留意しなければならないのだけれど。
(02.0921)



・「屈辱er大河原上」(1)  坂本タクマ(2002、新潮社) [bk1] [amazon]

コミックバンチ連載。どんなささいなことに対しても自分が屈辱を受けることが我慢できず、さまざまなことをやってはさらに屈辱にまみれたりする「屈辱er(クツジョッカー)」、大河原上の日常を描いたギャグマンガ。

彼の「屈辱感」は多岐にわたり、「自動販売機から缶を取り出すときにかがむ屈辱」、「ホッチキスのような機能の限定された道具をいざというときに探し回らなければならない屈辱」、「大家に家賃を取り立てられる屈辱」、「コンタクトを落とした人のために地べたにはいつくばって探させられる屈辱」など実にさまざまである。

個人的には、大河原上の感じる屈辱はモノに対してだったり実際に「ありえないレベル」の屈辱である方が爆笑度は高い。逆に、日常にありえる屈辱というのは大河原上に私がシンクロしてしまうのでヤバい。
「大家に溜まった家賃をタテにあれこれ言われる」など、現実にありえることなのであまり笑えない。
とくに屈辱の12:犬と大河原上では、大家に飼い犬の世話をしろという屈辱を申し渡された大河原上が、やがて犬に情が移り最後にはその犬にまで裏切られるという屈辱を味わうのだが、私もこれを読んで「もらい屈辱」してしまったではないか!!

そうそう、今まで私が「ダークになった」、「アテられた」と表現していたことは「もらい屈辱」という表現の方がピッタリくる!

ところで、須賀原洋行のマンガに「それはエノキダ!」(私の感想)というのがある。何にでもこだわり、ディティールをキッチリ決めようとしすぎては周囲に迷惑をふりまくサラリーマン・エノキダの日常を描いたギャグマンガだ。この作品におけるエノキダのこだわりとは仕事の「質」と「効率」であるように思われる。もっと具体的に言えば「質」と「効率」のバランスだ。
それがともすれば、周囲の「そこまでしなくても……」という「情」の部分に抵触してしまうというのが面白さだった。

対するに、大河原上のこだわりは自分の「プライド」である。彼はプライドのためには自分の人間関係も、仕事の「質」も「効率」もすべて度外視する。「プライド」が「情」の一種であるとするならば、周囲は彼の「情」に対するこだわりに、仕事の「質」や「効率」の問題で反論するわけだ。

この対比は、考えてみればたいへん面白い。どちらも、マンガほど極端ではなくても人それぞれが持っている「感じ」だからだ。

しかし、注目すべきはエノキダがおそらくその「こだわり」ゆえに優秀なサラリーマンであるのに対し、大河原上はふだん何をしているかもわからない、月々の家賃の払いにも困る男だということである。

常に「質」とか「効率」は重要度において「情」を凌駕するのであろうか。
たぶんそうなのだろうと思われる屈辱。
(02.0921)



【CD】・「だって、女の子なんだもん!」 BON−BON BRANCO(2002、日本コロムビア) [amazon]

デビューシングルの「愛 WANT YOU!!」→感想)が意外にも良かったんで買ってきましたよセカンドシングル。コレもなかなかいいです。

けっきょくひと言で行ってしまえば「SPEEDフォロワー」ということなのだろうけど、「ヴォーカル・アンナを中心としたラテン・ダンス・ポップのグループ」(デビューシングルより)と説明されているとおり、基本的にはバリバリに打ち込み系なのにパーカッションとかが入って、それがあんまり融合してない(と私は思う)のが逆に新鮮でしたね。

こんなところで世代論もどうかと思うが、ちょうどSPEED全盛の頃ってテクノ雑誌「エレキング」が出始めてて、私は現在ちょうどニューアルバム発売中のアンダーワールドとかジェフミルズが宇宙人だとか、エイフェックス・ツインとか「テクノ専門学校」とかを追いかけるのにその頃夢中で、とてもじゃないけどJポップを楽しむ余裕はなかった(「エレキング」の表4をSPEEDの広告が飾っていたこともあったんだけどね)。
SPEEDはきちんと聞いたことはないけど、ハウス・テクノ色がイマイチ薄いというのも興味を引かなかった理由で、ついでに言うならMAXのお立ち台アトモスフィアーにもついていけなかった。

で、いろいろひと周りしてやっと「打ち込みでござい」っていう女の子ユニットが出てきて、でもやっぱりSPEEDとMAXと小室哲也の呪縛内にいる感じのが多いから(それはそれで嫌いではないんだけど)、こういうちょっとひねられたのが出てくると、私も手もなくヤられちゃうんですよね。
こちらもやっとSPEED的なものを楽しめる余裕が出てきたんで。
「モー娘。」をダンス☆マンがやり始めたときも感じたけど。

コレはぜったいアルバム出すべき。どれくらい売れてるのか知らないけど、アルバム1枚出すまでは行って欲しい。

Bon-Bon Blanco TV

(02.0920)



【CD】・「うた♪うたのりスタ」(2002、日本コロムビア) [amazon]

毎週水曜、午前7時半からやっている子供向けのりもの番組「のりものスタジオ」の楽曲を集めたアルバム。8曲中7曲までが渡部チェル作・編曲で、チェル節を思うさま堪能することができる。
しょっぱなからパラパラの名曲「世界はピーポー」(超ムゲン大MIX)でアゲアゲ、番組内キャラクターの「ひゃっぽ」、「ハンドル」そして「ハンドルじいさんのえかきうた」、さいとうたえこという人と渡部チェル自身がデュエットしているらしい演歌「特急めちゃはやい」など、面白い曲満載。
ラストは、毎回番組内で幼稚園に行き、子供たちに踊りを教えるマッチョキャラ・ドンファンが歌う「世界はピーポー」の別バージョン、「世界はマッソー!(ウラSKPP)」だ!!

「ドンファン」というのは本当に筋肉ムキムキの役者さんが演じていて、デザイン的には「ノースリーヴのヤッターマン」といった感じである。剥き出しの二の腕はムッキムキ。そしてなぜかオカマ言葉を話し、幼稚園の二階あたりからトランペットを吹いて登場したりなど、なかなかコメディチックなヒーロー好き(そんな層がどれくらいいるのか知らんが)のツボを付いた造形である。
そのあまりのカラダつきの良さ、幼稚園児を前にしてのハイテンションから何者かとネットで調べたら、本来は舞台の役者さん。数年前のセーラームーンのミュージカルで、確か敵の「タイガーズ・アイ」役だった人である。そういえばアレもオカマキャラだったな〜。なんだか、偶然その舞台見てんですよね私。

「おはスタ」にも何回か出て、宇宙人という設定のKANAと夢の(?)共演を行ったりしていた。それにしても、ガキってほんと乗り物好きなー。
(02.0920)



【テレビ】・最近のテレビ

最近のテレビについて書き殴る新コーナー。ぶっとび&そぼくコラムにカテゴライズしようと思ったが、あまりにもまとまりがないものになりそうなのでこっちに書くことにした。 それにしても「新コーナー」とかいって、三十代にもなってまだ「高校のときにオールナイトニッポン風のカセットテープを自作する」ような行為をやっているとは、だれが想像しただろうか。そりゃ小林よしのりも「わしズム」とか言い出すだろうよ。「次元冒険記」の続きはどうなったんだよ!!

それともうひとつ、アクセス解析するといつまで経っても03 アイドル「りんごとももかと姫」そして茶髪にアクセスしてくる人が後を経たないんだけど、この理由は「小倉優子」、「茶髪」で検索するとここがかなり上位に来ちゃうかららしいんだよな。もう茶髪の小倉優子の画像は削除しちゃったから、それ見たさでアクセスしてくれた人には本当に申し訳ないと思っている。
……っていうか、「茶髪の小倉優子」が見たいのに「茶髪の小倉優子に対するわけのわからんオタクのご託(←ヒップホップ的韻踏み)を読まされるとは、これこそ「インターネットはからっぽの洞窟」だと言えないでしょうか?
そう、インターネットを洞窟にしているのは私自身なのだ。

ユウキ特集(←ゴマ・キューブリック

↑まずは、ヨソのサイトにおける、非常に優れたEEジャンプにおけるユウキについてのレビューを紹介します。実は私「おっととっと夏だぜ!」がEEジャンプのデビューシングルかと思っていたら違ったんですね(その程度の認識しかなくてスイマセン)。
こことは別のサイトでは「HIPHOP的情念とは無縁なのがユウキのラップの優れた点」というある意味ラディカルな考察も見られ、ユウキという存在は何だったのかを考えることは、我々に残された永遠の宿題と言えるでしょう(大げさすぎる!!)。

・「ユウキイズム」の謎
以下からは私の私見になるわけですが、やっぱり姉の後藤真希に比べると、ユウキはタレント性としては一歩譲っていたと思う。姉同様、しゃべりが立つわけでもないつっけんどんとも思える印象も、後藤真希にとっては神秘性・孤高な感じにはなっても、ユウキは「よくわからないやつ」という感じにしかならなかった。
しかし「斎藤由貴の弟」や「安達祐実の兄」ほど箸棒だったわけでもなく、やはりユニットとしてデビューできるほどのタレント性は持ち合わせていたと思うんですね。 それが我々にとって永遠のモヤモヤ感を彼から受ける原因なのだと思う。

どこかで目にしたテキストですが、「姉が後藤真希、つきあっていたのが市井(噂では)、仕事でソニン」という美少女に取り囲まれ放題だった彼がそのすべてを放棄(まあゴマキはねーちゃんだから美少女でも放棄でもあまり意味はないが)して芸能界から去っていったというのは、いろいろとミステリアスな印象を受けるわけです。

私としては、周囲に年上の女ばっかいたのが何か作用したと思います。たぶん、関東地獄地震前の逞馬竜みたいな境遇だったんですよ。だから、関東地獄地震が起こったときに、真の彼の覚醒があると思うんですよ。

そう考えると、現在のソニンが裸エプロンとか何百キロも走らされたりというヨゴレ仕事をさせられているのも、スラムクイーンになってずっとスラムキング暗殺の機会を狙っていた女を彷彿とさせます(「骨法編」に出てきた女ね)。まあ逞馬竜とはからんで来ないですけどねこの女は。

だからユウキが戻ってくるときは、スラムキングを倒すときだと思うんですよ。
すいません、もういいかげんなこと書くのやめます。ユウキ&ソニンファンの人すいません。でも上記のユウキ特集は良かった。ホントに。
(02.0919)



【テレビ】・最近のテレビ その2

・「MUSIX」の後藤真希お別れSP
モー娘。系テキストサイトでは「ヒドかった、ヒドかった」と書かれていましたが、本当にヒドかったです。
要するに、後藤真希に他のメンバーがお別れびっくりパーティを仕掛けよう、というものなんですが、ちゃんとしたパーティになってないんですよね。何でキチンとお別れパーティにしなかったんですかね?
途中で、いろんなソックリ芸人とかが出てきて、後藤がからませられるんですが、パーティっていうより「仕事だと思ったらパーティだった。でもパーティだと思ったらやっぱり仕事だった」って感じでした。しかもメイン司会のキャイーンすらいねーし。
たとえるなら、会社で残業だと思ったら自分の異動のためのお別れパーティで、喜んだのもつかの間実は接待だった(もちろん自分が接待する方)くらいの脱力感。
「穴掘ったらまた埋めろ」な感じ、といっては言い過ぎか。

「MUSIX」(←それにしてもムダに凝ったHP)、最近本当に苦しい印象。どのコーナーも不発。また、「ほふく前進でクイズに答える」とかやればいいのに。
「マジカルバナナ」みたいなコーナーがとつじょできて、その回答者の中に何の説明もなく伊集院光と早坂好恵が入ってたのもすごすぎたなあ。だってそのコーナーのためだけに来てるんだよ。他、番組通してからむとこないし。賞金とかのモチベーションもないし。「地球まるかじり」よりダレてた。いや、伊集院と早坂好恵はまじめにやってたけど。

・「ハロー! モーニング」
また「モー」関連の番組の「ハロモニ」。こちらはアイドルバラエティとして実にいい具合になってます(とくに9月15日放送のやつ)。

当初、21世紀最初のアイドルコントになるであろうと(私の中で)期待された広義の学園コント「ハロモニ。劇場〜バスがくるまで〜」のシリーズは「カックラキン大放送」、あるいは「ねのねのなんでも修行中」的遺伝子をひとつも受け継いでいないという、山城新吾が声をやっていた「ルパン対ホームズ」の特番アニメを見るようなモヤモヤ感を漂わせていたわけです。
正直、現在でも早送りしないでは見られませんが、男装のゴトウと女子高生のイシカワとの恋愛ストーリーが意外にも進展していて妙なドラマ性を演出していたり、それによるズーレー妄想を喚起させたりという手法で、コントというよりバラエティに近い感じでしぶとい(私の脳内で)生き残りを見せました。
また「ミニモニ。ぴょ〜ん星人」のコーナーは、「ぴょ〜ん星人がコント内コントをする」という設定で、第1回放送前の(私の脳内での)本命・「バスが来るまで」を大きく抜いて、毎回着ぐるみがゲスト、CG多用、狙っていない程度の無意味さ、そしてミニモニ。のチームワークでみごと(私の脳内での)21世紀を飾るアイドルコントとして君臨しました。

9月15日は、その「〜バスがくるまで〜」と「ぴょ〜ん星人」がクロスオーヴァーするという展開。「バス……」の方にぴょ〜ん星人があらわれ、「ぴょ〜ん星人」の方に「バス……」の保田おばあちゃんが来るというスペシャル版でした。
まあ内容的にはそんなにすごい面白いってわけでもなかったんだけど、趣向としては適度にサービス精神があって良かったです。

で、実は「ハロモニ」におけるコントの大本命って「ハロプロNEWS」なんですよね。イシカワ演じる「チャーミー石川」がキャスターで、解説委員がナカザワ、キャスター研修生としてメンバー(主に五期メンバー)が入れ替わるという趣向で、表向きはハロープロジェクト関連のニュースを流すという情報コーナーですが、構成としては完全にニュースコントになってます。
面白いのはイシカワさんが何でこのコーナーのときにはあんなにご満悦なのかということで、もう超絶的な上機嫌なんですよね。自分が中心だからなのか、なんだかよくわかりません。
ただ、「ゴトウの脱退が決まってからイシカワはより前へ出てくるようになった」という説にもうなずける点はあり、次代を担うのは自分だという自覚(それは間違ってはいないと思うし)の現れだとするならば、活字プロレス的読みの楽しみもオマケとしてあるわけです。

あと、「目隠しして食べたものが何なのか当てる」というゲームで、食べるのに夢中になっているツジさんに対しヤグチが「お前はキッズ以下だな……」「ゲームの内容も理解してねえし」って言ってたのには爆笑しました。ヤグチの苛立ちがこもってました。
それと「かまぼこ」を「なると」と書いたツジ、「笹かまぼこ」と書いたオガワに対し「どうしてそういうこと書くのかわかんねぇよ」的なことを言っていたのも面白かったです。ヤグチさん、がんばってください。

・「おはスタ」
最近の「おはスタ」は、「おはガールフルーツポンチ」のCD発売とそのPRで、最近目立った動きはないですね。さて、フルポン売り出しに向けてのプロデューサーの試行錯誤は報われるんでしょうかね?
あまりカンケイないですが、爆笑問題の深夜ラジオにゲストで出ていた山ちゃんが「自分はものまねでお笑いを目指そうかなと思った時期もあったんだけど、とんねるずが出てきたんで、これには勝てないと思ってヤメた」と発現していた。
爆笑の田中がすかさず「でもとんねるずってそんなにものまねしてたっけ?」と聞いたら「デビュー前に『テレビジョッキー』とかに出ていた頃のとんねるず」って、まだ貴明と憲武がコンビも組む前じゃねーか!

ある意味スゴイね。

あと、「おはスタ」であんなに押してたアニメ「アイス・エイジ」の初回がぜんぜん客が入らなくて、初回と次の回のお客と合わせてやっと舞台挨拶がカッコがつく程度だったとかブーたれてました。

急にテンションが低くなってきたので、終わり。
(02.0919)



【映画】・「ドーベルマン刑事」(監督:深作欣二、脚本:高田宏治、1977、東映)

中野武蔵野ホールで見る。1975年〜1979年にかけて「週刊少年ジャンプ」で連載された、武論尊・平松伸二原作の映画化。
実は原作をほとんど読んだことがないです。すいません。平松ファン失格です。しかし、たぶん映画は原作とはかなり違うんじゃないかと思う。

連続婦女焼き殺し事件で殺された女性が、沖縄石垣島の出身であるらしいことから、同郷の刑事(千葉真一)が上京してくる。しかし千葉真一は彼女が死んだと信じてはいなかった。それはその女の母親がノロ(巫女)で、まだ娘は生きている、と言っているから。捜査班のリーダー(名前忘れたが丹下段平の声をやっていた人)以下、東京の刑事は嗤って取り合わない。しかし千葉ちゃんは独自の調査を始める。
一方、シャブを中心に扱ってのしあがってきたやくざ(松方弘樹)は、女(ジャネット八田)に惚れ込み、彼女を歌手にしようとマネージャーとなって芸能界に食い込もうとしていた。2つの出来事は交錯を始める……。

世間的には、あるいは深作欣二作品としては、本作は「佳作」、「まあまあいい作品」程度に評価されるのだろうが、私にとっては満足度120パーセントの映画。本当にすばらしい。

まず、オープニングが「黒ブタを抱えた千葉ちゃんが、物珍しそうに新宿の歌舞伎町を練り歩く」シーンから始まるところからすばらしい。黒ブタは、千葉ちゃんが「丸焼きにでもして食ってくれ」と持ってきた石垣島からの土産だが、本庁の人間は嫌がって受け取ろうとしない。
この後は深作節全開で、沖縄の神秘的な力(ノロ、占い、カラテなど)、同郷の人間の強みで科学捜査と真っ向から対立する操作を続ける千葉ちゃん、事件に巻き込まれた、成り上がりたいとひたすら思っているチンピラ・ホラチョウ(岩城滉一)、極悪非道の限りを尽くしてきた人生で出会った女にすべてをかけるやくざ(松方弘樹)、東京の凶悪犯罪者はおろか、犯罪予備軍になりかねないボーダーな人々をもすべて殺してしまえばいいと思っている過激思想を持った巡査(室田日出男)など、もうそれぞれのキャラクターが超人的にイイ味出しまくりである。

沖縄から身ひとつで出てきた千葉ちゃんが、どうしてマンガのようにマグナムを撃てるかというと、いかにもダメそうなチンピラ・ホラチョウ(←またこの「ダメな感じ」のあだ名が泣かせる)がベトナム帰りの兵隊から買って隠し持っていたから。つまりホラチョウ(岩城滉一)の無念をスーパーヒーロー千葉ちゃんが託されるかたちになっているわけで、こういう「成り上がりたい、徒手空拳のダメな若者」として岩城滉一が「隠れ主人公」になっているのも、深作節ですねえ。

ラスト近く、ストリップ劇場に預けた黒ブタ(千葉ちゃんはストリッパーに惚れられている)と殺された女性のお骨を引き取りに来た千葉真一に対し、さんざん焼きもちを焼いてきたヒモの川谷拓三が「ヒモ3人で仲良くやっていこう」みたいなことを言うシーンでは泣けてきてしまった。拓ボン、あんた最高だ。息子は逮捕されちまったけど……。

それ以外にも、ちょっとした動きにもカラテのポーズチックなふるまいが見られる千葉ちゃん、ジャネット八田を売り出すために使った松方弘樹の汚い手口、もう本ッ当に「汚れた世界」としてカリカチュアライズして描かれた芸能界の裏側の描写など、見どころ満載。本人が歌っているか吹き替えか忘れたが、ジャネット八田が劇中で歌う歌も、現在にはない曲調でものすごい哀愁が漂っていて、効果を上げている。

ところで中野武蔵野ホールのHPでは女の子のための任侠映画入門なるコーナーがある。
(02.0919)



【映画】・「ファンキーハットの快男児」、「ファンキーハットの快男児・二千万円の腕」(監督:深作欣二、脚本:田辺虎男・池田雄一、1961、東映)

中野武蔵野ホールにて、2本立て続けに上映。両方ともモノクロ作品。「ファンキーハット」(っていうのか、あの帽子?)を頭にかぶり、オープンカーを乗り回すイカれた青年・天下一郎が今回の千葉ちゃん。
「ファンキーハットの快男児」では、探偵である一郎のオヤジ(花沢徳衛)が捜査していた誘拐事件に一郎も巻き込まれ、なんだかんだやっているうちにスカッと事件を解決するという話。
「天下一郎」というキャラクターは、頭はカネと女のことばかり、少々イカれているふうだが腕は立つし頭もキレるという設定で、ものすごく単純で偶然も作用するが、けっこう推理して捜査しているのがいい意味で裏切られて新鮮。プロットもよくできているしテンポもイマ風。

それと天下一郎と一緒に事件に首を突っ込むおきゃんな女の子(死語)役の中原ひとみが超絶的にキュート。むかしこんなにかわいかったとはなぁ。「お金持ちのお嬢様(でもなんか成金っぽい???)だが、株式マニアでいつも株の銘柄のことばかり言っている」というのはいかにも高度成長期的な独自のキャラ付けかと思ったら、株そのものがお話にからんできてこれもいい意味で裏切られた。

この頃は、まだ千葉ちゃんのカラテ・アクションは見られず普通の殺陣だが、元器械体操の選手だからか無意味に海パン姿で鉄棒の大車輪をするシーンがある。

「ファンキーハットの快男児・二千万円の腕」は続編。といっても厳密なものではなく、中原ひとみは本作ではスポーツ新聞の記者ということになっていて、もう一度天下一郎と運命の(?)出会いを果たす。
行方不明になっている、二千万円は契約金がとれると言われている高校球児の争奪戦が今回のメインストーリー。新聞社だかプロ野球チームだか(忘れた、スイマセン)に雇われた天下一郎には、「ひいた運転手は存在するがひかれた人間はいない」という謎の交通事故が浮かび上がってきて……という感じ。

とにかくイイ意味でおシャレなコメディになってて、この時代はみんなこうだったのか、現在見るからそう思えるのか、ちょっとわからん。石ノ森章太郎の「気ンなるやつら」などを思い出す一作。
(02.0919)



【CD】・「愛 WANT YOU!!」 BON−BON BRANCO(2002、日本コロムビア) [amazon]

なんかねえ、コレ買ったとき、何で買ったのかよく覚えてないんですよ。よっぽど金が余っていたのか……これが今大流行の「ジャケ買い」ってやつですよ!! 修学旅行生も、東京タワーじゃなくて109行きますよ。プライムでげんこつ屋のラーメン食いますよ。
で、あまりにもリスキーなことをしてしまったため、鬱になり、放り出して部屋の隅で「テトリン」をやる毎日(しかも戦果をノートに書き留める)。聞く気にもならずそのままにしておいたんですが、ネット上でJポップ好きの人にはわりと評判いいみたいなんで、いったん聞いてみたらすごくイイんですよ!!

私の好きな要素が揃ってた。女性ヴォーカルのかわいい声、「ピコピコ、ブンブン」って感じのいかにも「キカイでつくりました」ってアレンジ、そしてちょい投げやりな歌詞。作曲・編曲は大島こうすけって人で、ネットで調べたらTUBEの曲とかやってたらしい。 私の乏しい音楽に関する文章表現力からすると、ものすごくおおざっぱに言って「フォルダー5」とか「ドリーム」みたいな感じ。

でもエイベックスじゃなくても「ああ、エイベックスか」って感じの曲が多い中、コレは変化つけてますね。どういう変化かは知識がないので書けません。公式ページで視聴ができるので興味のある人は聴いてみてください。

こりゃ(あくまで私の脳内で)あやうし「BOYSTYLE」、あやうし「おはガールフルーツポンチ」っていう感じですね。
すでにセカンドシングルが出ているらしい。
(02.0919)



「チャンピオンRED」10月号(2002、秋田書店)

先月出た創刊号です。お間違いなきよう。11月号は、19日発売。
なんかネットで読んだ人々の感想があまりかんばしくなくて、買ってからしばらく経ってしまった。
で、私の感想はというとやはり「微妙」というしかない。全体的には「萌え中心」か「アクション中心」かはっきりしない。まあ連載の配置的には「萌え中心」なのか。 とにかく、個々の感想。

「ブラックジャック 単行本未収録作品」手塚治虫は、袋とじ。第144話「金! 金! 金!」。医者の天馬は医師連盟理事長の選挙戦のためにカネをバラまくが、そんな権力欲に目がくらんだ父に失望した娘のカスミは、飛び降り自殺をはかり重傷を負ってしまう。自分のクリーンなイメージを壊したくないがために、ブラックジャックに近づきたくない天馬は、悩んだ末についにジャックに手術の依頼をすることに……。
まあハッキリ言って、かたすかしをくらった人が大半だろう。本作が単行本未収録になる強固な理由というのは見当たらないし、強いて言うなら凡作だったということだろうから。
でもまあ、昔は「ドラえもん」でも「うる星やつら」でも、確か単行本未収録ってけっこうあったと記憶しているし、今ほどコンプリートにこだわる時代じゃなかったから、と言うことはできると思う。
もっとも、私もウワサでしか知らないが「ロボトミーで治らない病気をロボトミーで治した話を描いて怒られた」とか、BJにまつわる話もいろいろ聞くので、微妙なところではある。

「こいこい7」もりしげは、のび太くん的キャラの男の子・田中哲朗がなんかの手違いで女子校に転校、寮も美少女だらけになるという「ハーレムもの」コメディになるのではないかと思う展開。
哲朗にくっついて回る女の子・ヤヨイちゃんの背中から羽がはえて空飛んでた。何? SF的設定? ここら辺、つっこむなら続けて読む。つっこまないなら読まない。
それにしても本作で、SFおしかけ女房ものは過去のモノになったとひしひしと感じた。これからは「ハーレムもの」の時代。「ハーレムもの」の収集・研究は、だれか次世代に任せよう。二代目多羅尾伴内に(そういうのを石ノ森章太郎が描いてたんだよ)。

以下、わたし的には萌えはどうでもいいので、おとこ路線・アクション路線の作品を紹介していきたい。

「真説 魔獣戦線」石川賢とダイナミックプロは、あの「魔獣戦線」の続編。枯れない作家・石川賢の真骨頂。個人的にはこの雑誌一番の期待作。

「エイリアン9エミュレイターズ」富沢ひとしは、「エイリアン9」の続編。前作の主人公の女の子3人が中学に入学していろいろあるらしい。「萌え系」になるのだろうが、あの気持ち悪/気持ちいいアクションを見せてくれることを期待する。

「寅壱 トライチ」島崎カヲルは、本誌唯一のマジヤンキーもの。ワルどもが高校に入学してきて、かなり危ない状態。そこに陽気なちょんまげおデブの機械科1年・寅壱大五郎が乱入して大暴れ……の展開になるらしい。
勢いがありそうでいいんだけど、初回のプロットがちょっと月刊チャンピオンの「WORST」という作品に似すぎているような……。1年ですごいやつばっか入ってくるところとか。

「マンゲリラ」あべとおるは、ドジな女の子が惚れ込んだ男が実は古書マンガマニアで……という話。アニメやフィギュアのマニアよりも、マンガのマニアって服装とか生活スタイルが輪をかけて地味だから、マンガになりにくいんだよね〜。それだけに、こういうのはうれしかったりする。今回は「マンゲリラ」の古書収集ポリシーなどがわかってかなり面白かった。やっぱり古書マンガマニアって60年代〜70年代ものを集めるのかな?

「フロンティア」石渡洋司は、「北」の工作員から抜け出ようとする戦闘の天才少年と追っ手との戦いになるらしい。いつだったか、この作者は少年チャンピオンで変形日本刀と戦う少年のマンガを短期連載していた。
定型化している「抜け忍もの」のプロットをどうしていくかが課題だが、この人のアクションは迫力があるし、こういうのがひとつくらい載っていないと少年&青年マンガ誌って言えないからね。

「ゾンビのシェリー」がぁさんは、読みきり。この人の作品、すごい70年代前半から80年代っぽいんだけど、でもその時代には描かれなかっただろうなっていう作風だと、いつも思う。

「降魔伝 手天童子」永井豪、夏元雅人は、永井豪作品「手天童子」のリメイクか。個人的にはいいかげん、メッチャ絵のうまい人に永井豪の旧作をリメイクさせるのはもうやめてほしいんだけど(なんかイメージ先行だったり逆に絵だけ変えてプロットはまったく同じだったりして期待ほどよくないのが多いから)、でも初回のリーダビリティは良かったんで、少し期待することにする。

他の執筆者は、吉富昭仁、松本英、しまだわかば、岡田和人(「教科書にないッ!」の人)、大和田秀樹、伯林、哲弘、東雲水生、柴田芳樹など。
(02.0917)



「コミックビーム」7月号(2002、エンターブレイン)

「敷居の住人」志村貴子が最終回。でも途中から読んだからよく知らないです。すいません。

「釣れんボーイ」いましろたかしも最終回。淡々としてて、なんかすごい不思議なマンガだったなー。

「トニーの背骨はよく曲がる。」鮪オーケストラも最終回。これ、シュールすぎてなんだかよくわからなかった。すいません。

「皆殺しのマリア」作:TKD+画:竹谷州史は新連載。自分の怒りを叩きつけるようなヴォーカルの女のバンド。その激しさがすごく伝わってくるだけに、「怒り」を表現するのに付き合っているバンドのメンバー2人をわざと仲違いさせたりと、やることがセコく感じてしまう。今後、ここらあたりのバランスはむずかしいと思う。でもそういう大味っぷりはキライではない。ホントに。主人公の女の表情がすごくイイ。

「ファンシージゴロ ペル」水野純子も新連載。不思議な惑星からやってきた「モジャ公」みたいな動物・ペルが人間界にやってくる。ペルがカワイイから、あんまりかわいそうな話だったらやだなー。
(02.0917)



「コミックビーム」8月号(2002、エンターブレイン)

「BAMBi alternative」カネコアツシは最終回。すいません、コレも途中から読んだのでよくわかりませんでした。

「少年少女」福島聡は、少年少女をテーマとした連作短編。今回は、アイドル・長谷川倫子が前代未聞の病気で倒れてしまう。それは「リンコ病」と名付けられるが、すぐになおるものではなかった。
リンコの大ファン・市井ススムは、「リンコ病」を直すため医者である父の後を継ぎ、リンコ病のワクチンを開発し、何年も経って彼女が世間に忘れ去られた後も、アイドルとして復活させようとする……。

自分は最近、マンガにおける「かわいげ」とか「愛嬌」ということについて考えている。まぁ中山美穂を「ステキ」と見るか「カッコつけてる」と見るか、加護さんを「かわいい」と見るか「小ずるい」と見るかというようなもので、そういった部分は読者の好みによってあまりにも振れ幅が大きい。
だから、まだキチンと言葉にはできないのだけれど、たとえば本作ではリンコを蘇らせるために、何もかも、他人をも犠牲にしてきたかもしれない市井ススムという男に「愛嬌」を感じるか、というところがポイントだと思う。私はこの男に感情移入することができた。わざとブサイクっぽく描かれた顔は、少年のおもかげを残したまま初老に至った男の悲願をよく表している。
カラーページの使い方も印象的。

「ブルードッグ・ブルース」鈴木マサカズは新連載。ダメっぽい男二人が、ちょっとしたはずみで人を殺してしまい、パニックになって逃げようとする。

「Winter Cicada」千田悟志は、読みきり。冬に地上に出てきてしまって歌いたい蝉と、自分が歌うことに少しギモンを感じていたバンド少年との交流。若々しいイイ話。

「脱皮」安永知澄も読みきり。突然、クラスのある男の子を好きになった女の子の、内省と言うにはちょっと愛嬌があってどこかあっけらかんとしたキモチ。

「期末試験前也」新谷明弘も、シリーズ最終回。試験勉強をする主人公と、彼の机の中から出てくる謎の女戦士。女戦士が出たり入ったりしているうちに、主人公との心の交流が。実は「ずいぶん観念的なマンガだなあ」と思っていた。コレは好みの問題だけど、もうちょっと激情チックなのが私の好みでした。

「カネヒラデスカ?」金平守人は、「ぶっちゃけ漫金日記」。エッセイ風マンガでありながら、「漫玉日記」や「オールナイトライブ」などを意識して描く。ビームはエッセイマンガの名作・佳作が多いし、すでにマネしあったりしているのでこういうのは大変だと思う。
しかしホントに42歳なの? もしそうだったらすげー尊敬しますけど。2回書いてあったよ。42歳って。それだったら絵、若い。若すぎる。ネタの鮮度もビンビンにすごい。
もし22歳だったら、まあ尊敬ポイントは少し下がる。22だったらコレくらいのことはやってもらわないと。私もお金払ってるんだし。おれは客だあ! お客様だあ! 「お客様は王様です。でも王様は、レストランでは首を斬られることもございます!」 あっ、またうろおぼえのセリフを書いてしまった。
でも「王様のレストラン」、最高だったなあ……。主題歌は平井堅が歌ってたんだよね。今は「大きなのっぽの古時計」。

……まあそれにしても、本作は毎回スゴイなあと思いながら読んでますけどね。
(02.0917)



「コミックビーム」9月号(2002、エンターブレイン)

「武侠さるかに合戦」吉田戦車は、新連載。ちょっとイヤな感じに擬人化されたさるかに合戦になりそう。「武侠」というからには中国の活劇っぽくなるのか? あれ、「武侠」って中国の活劇とそもそも関係あるんだっけ、ないんだっけ? 正直、「象の怒り」が個人的にはいまひとつだったんで、期待したいです。

「エマ」森薫は、貴族とメイドとの道ならぬ恋愛(という表現でいいのか?)。おそらく、当時の貴族と使用人の関係は、もっともっと死ぬほどシビアで、よくは知らんがパンクとかが出てくる大元になってんじゃないかと思う。
が、本作では恋愛にテーマを絞ってそれほど暗鬱な展開に流れず、でも恋愛モノとしては艱難辛苦があって……といったさじかげんがイイと思う。
こうしたことの「さじかげん」も、私が最近考えるマンガにおける「かわいげ」とか「愛嬌」というもののひとつのあり方。

メイドをテーマにしたマンガやアニメが「なぜ描かれるのか」はきちんとした考察があまりなされなかったと思うが「階級(クラス)」の問題はだれかが触れねばならなかったと思うので、いいんじゃないかと思う。
メイドを考えるとき、必ず「階級(クラス)」の問題に到達せざるを得ないとも言える。

「さちことねこさま」唐沢なおきは、新連載。頭の上に守護霊のような、「業」である「ねこさま」を浮かばせた女子高生のさちこさんと、海苔屋の息子のノリオの物語になるらしい。
私は唐沢なおきというと「カスミ伝」とか「怪奇版画男」などの、マンガ的表現を知り尽くした技巧ギャグ、をすぐ連想するのだけど、本作は直球勝負のギャグマンガになりそう(なのか、そうと見せかけて何か違うことをやるのか)。
どっちにしろ出てくるキャラクターが「ねこさま」も含め、まるっこくてカワイイ。

「少年少女」福島聡は、母親だかだれだかを殺して自転車で逃走した少年の事件をモデルに、事件を起こしそうになって寸前で起こさず、自転車で旅を続ける少年の話。自転車屋のおっちゃんがいいヤツ。こういうおっちゃんになりたい。が、ムリかおれには。

「ファンタジー・ファン」マナベウミは、幻想的なファンタジー。おおざっぱな言い方で申し訳ないが「プチ・アップルパイ」とかが今でもあったら載っていそうな感じ。

「ウルティモ・スーパースター」須田信太郎、今回は刑務所から逃げ出してきた「自分を本当のヒールだと思い込んでいるマスクマン」とスーパースターが戦う。いつももうちょっとでウルウルくるんだけど、もう少しルチャのシーンで技とかをハッキリ見せてくれたらなあと思う。
いつも缶ビール飲んでるニイチャンがシブい。こういうニイチャンになりたい。が、ムリかおれには。

「真・女神転生カーン」柳澤一明は最終回。スイマセン、コレも途中から読んだらよくわからなくて……。あとこういう絵がすごく精密なファンタジーものって、途中から読んでもよくわからないものが多いんス。私には。別の雑誌だけど「影技」とか。「AMON」とかもよくわかんないし。

「オトナの漫画」ダークマスター、泉晴紀は今回で最終回? ゴメン、今本が手元にないので……。それにしても毎回まいかい、何がなんだか私には難解すぎてよくわからなかった。「よみきりもの」と同じくらいよくわからなかった。すいません。

「カネヒラデスカ?」金平守人は「ジブリっぽいものを」とか言いつつ、パロディでここまでやってしまうというのはすごい。シュートボクシングの村浜がプロレスをやったり、逆にレスラーがバーリトゥードやK−1を軽くこなすのに近い。
「技巧(のパロディ)で笑わせる」というのもずいぶんいろんなスゴイライバルがいて大変だとは思うが、この人にはマネっぽさをひとつも感じない。その「手法」にオリジナリティを感じる。でもホントに42歳?
(02.0917)

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