つれづれなるマンガ感想文9月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」9月後半
一気に下まで行きたい



【小説】・「アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記」 深堀骨(2003、早川書房)
【雑記その5】・無題
【雑記その4】・偽ニュースサイト的雑記
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
・「ボボボーボ・ボーボボ」(10) 澤井啓夫(2003、集英社)
【映画】・「デスレース2000」 製作:ロジャー・コーマン、監督:ポール・バーテル(1975、米)
【映画】・「爆龍戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!」(2003、東映)
【映画】・「仮面ライダー555 劇場版 パラダイス・ロスト」(2003、東映)
【映画】・「座頭市」(2003、松竹、オフィス北野)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第75話(2003、テレビ東京)
【雑記その3】・いや〜センパイは大事にしましょうね。
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第74話(2003、テレビ東京)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【雑記その2】・小倉優子の広告、松嶋菜々子の広告、下川みくに
【雑記】・ミニモニ。着ぐるみステージショー開催
【書籍】・「球漫 野球漫画しゃべりたおし!」 伊集院光、編:岸川真(2003、実業之日本社)
【映画】・「アダプテーション」 監督:スパイク・ジョーンズ、脚本:チャーリー・カウフマン(2002、米)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第72話(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第73話(2003、テレビ東京)






【小説】・「アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記」 深堀骨(2003、早川書房) [amazon]

ハヤカワJコレクションの1冊。「柴刈天神前」という架空の町を舞台に、地域や登場人物が微妙にリンクする奇妙な味の中短編を収めた作品集。

少しタイトルで検索してみたのだが、「スタージョンもラファティもすでに亡い 文芸復興、最後の希望 しかし、私たちにはまだ深堀がいる。」というコシマキの惹句に引っかかっている人が何人かいて、文句言ってたりして、ネット上のレビューとしてはそれだけで「何だかなあ」と思った(もういいかげん、どこのだれともわからない人間のサイトに腹を立てるのはやめようと思っているのだが……)。
本書はただでさえ作風が説明しづらい上に、作家として初単行本の人の作品なんだから、編集者がある程度インパクトの強い宣伝文句をつけるのはむしろ当然だ。私が編集者でもやる。やったる。
そうしたコピーに難癖つけるなんて、「『モーニング娘。』って何で『。』って付いてるの?」と2003年現在、言うようなものだ。ベタだ。

まあそんなことはどうでもいい。本書の内容は、突然「バフ熱」という「バフバフ」しか言えなくなる奇病にかかった男とその妻を描いた「バフ熱」、「コインロッカーがため息をついた」という謎をめぐる平凡な男と奇妙な人々の物語「蚯蚓、赤ん坊、あるいは砂糖水の沼」、ガイジンの板前のいる寿司屋の常連たちが、空を飛ぶ謎のオバサン「飛び小母さん」をどうにかこうにかしようとする「飛び小母さん」、そして平々凡々たる老夫婦の、妻の方がマンホールの蓋に因縁を感じて日常から逸脱しかかる「愛の陥穽」などなど、簡単にあらすじを説明するだけでも相当に飛躍した、SFともファンタジーともミステリともカテゴライズしにくい作品がすべてを占めている。

作風に慣れるまではその飛躍具合に違和感がある人がいるかもしれないが、こうしてまとまってみると、作品の背後にあるさまざまなものに対する教養……私自身の知識のなさであれはコレ、コレはあれと指摘できないのが申し訳ないが、作者が注意深く選択した、「古典的」な教養に裏打ちされていることに気づく。
「古典的」といっても枕草子とかそういうんではなくて。いや、枕草子を読んでいるかもしれないが。
たとえば、固有名詞でもいしだあゆみとかミヤコ蝶々くらいが現代人で、後はこまごまとしたCMのネタなんかもあるけど、ほとんどが5年や10年で古びないことどもによって構築されている。
で、その元ネタのセレクションだけをとっても、たとえばミステリマニアとかSFマニアとかいったくくりでは測れないもので、教養のあるレビュアーだったらそこら辺から切り崩していく書評の書き方も可能かと思う。私にはできないけど。

個々の設定としては、中年夫婦や老夫婦の平凡な日々に非日常的な出来事が起こってしまうという展開のものが3本、入っているところが目をひいた。しかも、ちっともしみったれないところがイイと思う。どの話も、奇妙な町や人物が出てくるのだが、同時にとても日常的な描写も出てきていて、またお話のシメも明るい方向で「人生」なのがいいと思った。
そうそう、全編に漂うのは徹底的に奇矯なことを書きながら、どこか前向き、前向きって書くと「がんばろう!」みたいな感じだけれどもそうではなくて、まあ故・富沢雅彦の言葉を借りると「生の肯定」っていうんですか、そういうもの。

んだから「文芸復興」というのもあながち極端な言い回しでもなくて、何というかね、一見、奇妙なものを描いているように見えて、独自の方法で、広い意味での「王道」たることを目指している小説群ではないかと思うのですよ。
「蚯蚓、赤ん坊、あるいは砂糖水の沼」がハヤカワ・ミステリコンテストで入選したのがデビューのきっかけだそうですが、その後の作品が「ミステリ」という枠組みからはどんどん離れて、かといってSF的なくくりからも離れていっているというのは、そういうことなのかなと思った次第。
(03.0915)



【雑記その5】・無題

ネットウロウロしていると、けっこうみんな自炊とかしてますね。
なんでコンビニ弁当を食わないんだろう。あんなに美味いのに。
私はコンビニ弁当中毒なんで、いつもコンビニ弁当です(文章がヘン)。

今日は本棚が届きまして、それを組み立てて部屋に入れました。
本気で鬱になりました。
前回、本棚を2本買ったのがたった2カ月前ですから。しかも、家が潰れるのが恐いので1本しか買わなかったわけで、まだ床に入りきれない本が散乱しています。

学生時代にはこんなことはなかったんですが、本っていうのはそのものに対する視点が多様化するほど捨てられなくなるんですよね。
それと、「こんなもんいつでも手に入る」と思ってバンバン捨ててたものが、10年以上経つとまったく手に入らなくなるのを知ってしまったというのもあるんですが。

まあ、いちばん大きな理由はヤンキーマンガをまとめてバカ買いしたからというのもあるんですが……。

ヤンキーマンガの最大の特徴は「長い」ことだし、ブックオフとかで100円単位でバカスカ買ってたら、それだけで本棚1本埋まっちゃいます。
「湘南爆走族」(→感想)とか、そこら辺の本屋(あえてブックオフとは書きませんが)を回ってけっこうラクに揃えられました。リアルタイムで揃えてたら処分していたかもしれないけど、このトシになって読むと逆に捨てられなくなっちゃうんですよねえ。
当時のヒットコミックスのデザインとか、そういうのそのものがもう懐かしくて。

「横浜名物 男片山組!」(→感想)なんて、作品としては何ともビミョーなんですが、いったん手放したら二度と手に入らないだろうし。いや、ヤフオクとかで手には入るんだろうけど、それだけの手間を自分は今後かけないと思う。

「マンガ喫茶に行きゃいいじゃん」と言う方もおられるでしょうが、マジで私は記憶力ないんで、1回読んだだけでは忘れちゃうんですよ。

ヤンキー文化も、もしかしたらあと数年で滅びるかもしれない。そうなったとき、現在これだけ氾濫している、まあマンガ家にとってはありがたくも何ともないでしょうが、どこの新古書店、マンガ喫茶にも置いてあるものが、十数年で影も形もなく消えてしまう可能性もある。
しかも、ジャンルがジャンルなんでマニアもコレクターもいないから、本当にもののみごとに消えると思います。

で、「消えて行くならそれは需要がないのだから、消えて行くにまかせればいい」という考え方もあるでしょうが、やっぱりね、過去があって現在、未来と続くわけで、未来のマンガを読み解くときに、「これはビーバップを読んでないとわからねえ」とか、そういう事態が来る可能性がゼロとは言えない。

過去にも、映画やマンガでそういうジャンルがありましたね。西部劇もスプラッタも、単発では出てくるでしょうがもう固め打ちではつくられないでしょ? スーパーロボットアニメも、全盛期の頃のようなことにはもう二度とならないだろうし。
ヤンキーマンガも、そんな感じになるような気がします。
たぶん、秋田書店と少年画報社がどこまでがんばるかで決まると思う。

今さらなんですが、「ビーバップ」をやってたヤンマガというのは面白い。
「ビーバップ」とあと「バレーボーイズ」が、「ダラダラ系ヤンキーマンガ」の巨人として君臨してて、あまりにも巨大で他誌でマネッコしたやつとかあまり思い浮かばないんですよね。
で、「バタアシ金魚」とか「ゴリラーマン」とか、それに「ドラゴンヘッド」とかもそうだったけど、アンチクライマックスというのとはちょっと違うけど、その、通常の少年ジャンプとかマガジン的な盛り上がりを拒否したような作品を一貫して載せてますよね。
もっと広げて考えると、他誌と盛り上がりの持って行き方が、ヤンマガってちょっと違う。まあ実に今さらなんだけど。

まあそんなこと書いても、ウチを「ヤンキーマンガ図書館」にするわけには行きませんので、どれとは言いませんが捨てるものは捨てましたけどね。

あと、ぜったい見つからないと思っていた「ダイターン3」のロマンアルバムが出てきたのには驚いたけど。
「破裏拳ポリマー」のはいまだに出てこないんですが。

あーダラダラ書いた。

おわり。
(03.0915)


【雑記その4】・偽ニュースサイト的雑記

「ヤシチかりんとう」商品化
雑誌を見た長女が「ヤシチはかりんとうばかり食べているよ」と、何気なく話したのを耳にして商品化を思い立ち、六月に電子メールで小学館にキャラクター使用を持ち掛けた。

(中略)

青柳社長は「かりんとう好きの人気アニメキャラクターは、一生に一度のチャンスだった。伝統食が子どもたちに見直されるきっかけにもなれば」と話している。

ウソかホントか知らないが、こういう製品化にまつわるドラマはいいですね。「ミルモ」関連のお菓子としては、明治製菓ミルモでポン!くもっちょがすでにありますが。
かりんとうが主力商品の会社社長が「一生に一度のチャンス」と言うのはすっげえよくわかる。

高岡早紀、昼ドラでドロドロ演じる
女優高岡早紀(30)が主演するフジテレビ系昼の新ドラマ「真実一路」(29日スタート、月〜金曜午後1時30分)の制作発表が12日、都内で行われた。作家山本有三の同タイトル小説を原作に、主人公むつ子(高岡)と2人の男性のドロドロ愛憎劇だ。高岡は「恥ずかしいくらい、開き直って演技しています。今まで見たことのない私を見られます」と自信を見せた。共演は加勢大周(33)大浦龍宇一(34)ら。

高岡早紀、悪女で勝負!「真珠夫人」超えるドロドロ(写真付き)

「真珠夫人」の時間帯ですね。う〜ん、どんなんだろうなあ。このシリーズ独特の「濃さ」をどこまでやりきれるか。それにしても、自分にしか興味のないニュースについて書くのは楽しいなあ。

アニメ「パンツの穴 まんぼでGAMBO!」メガ80's
80年代OAVのダメダメな部分を「ダニメ」と称して掘り続けている人のサイトが更新。アニメ版の「パンツの穴」という時点ですでにスゴイのだが、この一文は80年代アニメに対する愛情がすごく感じられてイイ。
(03.0914)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

9月14日放送分。

娘。たちがゴマキの映画チームと石川梨華&藤本の映画チームの二組に分かれてゲームをやり、勝った方が映画の宣伝ができるという企画。「勝った方が宣伝できる」っつったって、同時上映なんだけどね。ひでえ。

今週のなっちVS藤本美貴ティー(最近の私の中での視聴基準)は、まず石川梨華&藤本チームに安倍なっちがいる。これは狙っているのか。しかもなっちは藤本の隣に座っていて、ゲームの順番も藤本の次。
恐いよー。でも何もなかった。

ぜんぜんどうでもいいが、私はドラマの「スケバン刑事」がけっこう好きだったのだが、アイドル時代の井上晴美はスケバン刑事をやればいいのになあ、と勝手に思っていた。
今は藤本美貴がやればいいと思っている。マジでカッコいいと思うわ。
ハロプロが常にターゲットとして「家族」を意識しているのはわかってるし、それゆえの今回の映画だろうとは思うんだが、私にしてみると何でSFとかアクションとかやらないのだろうという感じなので。
まあ、たぶん意識的にやらないんだろうけど。

後は「ハロモニ。劇場」で魚屋さん役の小川の動きがちょっとだけ面白かった。
(03.0914)



・「ボボボーボ・ボーボボ」(10) 澤井啓夫(2003、集英社) [amazon]

もう、このあたりになるととくに書くことがない。安定株。面白い。
キャラクター人気投票とか乗ってる。人間じゃないやつがいっぱい出てきて、でも西洋ファンタジー風でも妖怪風でもないのがいい。これが日本文化だ。本気でそう思ってる。
もう人間ばっかり出てくるマンガなんてたくさんだ。

9巻の感想

(03.0914)


【映画】・「デスレース2000」 製作:ロジャー・コーマン、監督:ポール・バーテル(1975、米) [amazon]

横道にそれようそれようという人でも、ちゃんとした人はきちんと「王道」のものをおさえている。
私のように、横道にばっかりそれて本流がない、というのとは違う。
そんなことを思いながらネットウロウロをしていたら、同世代の人が運営している、非常に「王道」な映画のHPに行き当たった。
しかも、単にいやみったらしく王道なのではなく、私と同世代らしく広義のサブカルチャーに影響を受けていて、それらに対する目配りもできている。これは私は反省しなければならんな、と思ったのだが、このHPの「ワースト映画」の中に本作が入っていたのが目をひいた。

しかも、いわゆる「バカ映画」的な観点から優しい目で見るのではなく、本気でこの映画に怒っているらしい。

石原慎太郎でも宮崎駿でもいいが、そういう世間的に影響力の大きい人が言ったことに関して私見を書くのは多少意味があるだろうが、たまたま見たHPの、どこかのだれかに対し、直接ではない反論をしてもしかたがないとは思う。非常に時間のムダ。
しかし、たまたまどこかのだれかが見もせずに書いたたけしの「座頭市」についての感想につい文句をたれてしまったように、今回もいてもたってもいられなくなって、再度感想を書くことにした。

まず、以下は2001年12月8日に、私が当HPの日記に書いた感想の再掲である。

・「デスレース2000」
75年製作のアメリカ映画。西暦2000年、「人を殺すとボーナスポイント、ジジイやババアは高得点」なアメリカ横断カーレース。カッコいい男とオッパイのデカい女が、トゲトゲや巨大ナイフなどで武装したスーパーカーに乗り込み、爆走する話。
以前より評判だけ聞いていたが見る機会にめぐまれず、「ビデオでも出ていなかったがDVDで出た」と聞いて購入。DVD、どうしても3000円以上では手が出ず、けっこう清水の舞台から飛び降りる気持ちで買った(笑)。

内容は……とてもすばらしかった。どうすばらしかったかは、わかる人にはわかるし、わからない人には一生わからんだろう。こういうモンド的な(「秘宝的」な?)映画の話をするたびに、実に微妙な立ち位置を要求される。つまり、正統派の人からはまっとうに非難され、映画マニアからは突っ込みどころがヌルいと言われ、映画マニアでない人からは「持ち上げすぎている」と言われたりする。そのたびに寂しい気持ちになる。
とにかく、「マッハGOGOGO」とか「チキチキマシン」を実写でやり、意味なく美女がオッパイを出し、爆破シーンが連続し、売れない頃のシルベスタ・スタローンが暴れ回り、とってつけたような勧善懲悪が本当にとってつけてある、それ以上何を望もうというのか!?
また、カーレースだからエレキがギュンギュン言うようなロックがBGMかな〜と勝手に想像していたら、実に気持ち悪いシンセのサウンドが曖昧に続く。本当に狂った感じのBGMだ。やる気も感じられない。しかしそれが映画全体の悪趣味さ加減を引き立てていた。

今年は私としては比較的映画を見た方だが、劇場ではハズレばかりつかまされた。本作は家で寝っころがって見て、しかもアタリだった。ウレシイ。

以上、再掲終わり。

で、問題はこの映画における「勧善懲悪」が本当にとってつけたものかどうかということだが、実は私は「とってつけた」とは思っていない。しかし、その部分に本気で感動したと書くと各方面からバカにされそうだったので、つい照れ隠しでそう書いてしまった。

本作は「勧善懲悪かどうか」ということで言えば、むしろ健全な方に属する。「ロボコップ」とか「仮面ライダー555」とかと比べても、そう思う。
「悪趣味」とか「バカ」にもいろいろあるが、それがいちおう「一般的なおとしどころ」を守っているか、あるいはそこに着目するかどうかは、送り手と受け手のシュミを如実に表す部分ではないだろうか。最近はそう思う。

たとえば、私は三池崇史の「デッド オア アライブ」のシリーズは、すごくバカな話だとは思うがその大筋にはとても感動している。かなり本気で。大筋、あのようなプロットでなければ、いくら地球が崩壊しても評価しなかっただろう。
きちんと調べていないので、三池崇史が基本プロットを単なる「器」としてしか見ていないのか、あるいはある程度本気なのかはいまだにわからないのだが、「デッド オア アライブ2」で、哀川翔がきつねうどんを食べるシーンとか、真剣に感動した。

本作「デスレース2000」においては、徹底的にブラックコメディとして人が死んでいくシーンと、勧善懲悪的なプロットとはみごとに適合している。
それがわからんやつは見ないでいいよもう、とか思う。

ただ、くだんのHPでは作品内における「正義」とか「悪」についてある程度まともに考えているからこそ、本作をワーストだと感じているとも思えるわけで、この辺は最近非常に忘れ去られている部分なので今後も考えていきたい。

たとえば、たけしの「座頭市」における、お約束きわまりない展開が本当に単なるお約束なのか、それともそこから逸脱しようとして破綻しているのか、といったようなことは、愚直だがだれかが考えるべきことだろう。
わりと勧善懲悪を皮肉っぽく描いた作品を見るときには、人は善悪について考えるが、普通に描かれたものに対してはあまり考えないから。

なお、本作のレビューとして最低映画館〜デス・レース2000年は非常に参考になります。
(03.0914)



【映画】・「爆龍戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!」(2003、東映)

公式ページ

「仮面ライダー555」劇場版との同時上映。
30分くらいしか尺がないと思うのだが、そこに詰め込みすぎというくらいアイディアを詰め込んで、お祭り感満載。アバレンジャーが好きなら、間違いなく楽しめる映画。
爆竜のCG合成なんかは大画面で見ると少し辛い部分はあるが、とにかく全編クライマックスという感じで勢いがあるので、その辺は言いっこなしにしたい。
劇場のせいか私の耳が悪いのか、らんるが分身した自分の注意をそらすために言ったセリフが聞き取れなかったので、知っている人はだれか教えてください。

脚本はテレビ版でもメインの荒川稔久で、「シリーズ中、1回はお姫様かお金持ちのお嬢様が主人公の元にやってくる」エピソードを書くそうだ。余談だが荒川氏脚本の「燃えろ! ロボコン」で、ロビーナちゃんそっくり(つまり加藤夏希が演じている)お嬢様が、ロボコンの元に転がり込んでくる話は良かったなァ。
で、今回がその「お姫様」のパターン。ダイノアースのお姫様として、小向美奈子がゲストで出演している。あんまりお姫様には見えないんだけど、そこはまあご愛敬。

らんる、えみポンも水着になるお父さん向けサービスもぬかりなし(注:小向美奈子はなりません)、その他の映像の遊びも面白い。ムリヤリに同時上映のファイズにつなげた手法もステキで、個人的には非の打ちどころがない。

ただ、ブラキオのセリフはもうマニアックすぎて、私には何が元ネタだかもうわからないっス。
(03.0912)


【映画】・「仮面ライダー555 劇場版 パラダイス・ロスト」(2003、東映)

公式ページ

劇場版「アバレンジャー」と同時上映。
「遠くない未来、どこかの国」という、テレビ版とはパラレルな世界が舞台。ここでは、進化した人類・オルフェノクが人類をほとんど支配しかかっていた。
レジスタンスとなって抵抗を続けている真理や啓太郎、仮面ライダーカイザたち。
オルフェノクたちは普通の生活を営んでいるが、人間たちはスラム街のようなところに追いやられている。

真理は、攻撃のさなかに行方不明になってしまった巧がファイズとなって再び現れ、救世主となると信じている。しかし、抵抗する人間たちや彼らに協力するオルフェノクたちの間には不信感が芽生え、その閉塞感はいっこうに打開されない。
強いライダーに変身できる「帝王のベルト」さえあれば、人間が逆転できるかもしれないという情報ももたらされるのだが……。

私は「クウガ」ですらイマイチだと思っている人間で、「アギト」も「龍騎」もロクすっぽ見ていない。「555」に至っては、はっきり言ってあまり好きじゃない。
だから、まったく期待していなかった。

見ている間中思っていたのだが、脚本の井上敏樹か監督かだれかはわからないが、この映画をつくっている人は「ヒーローもの」が嫌いなのではないか、という意識が頭にずっとあった。
別に話が思いどおりにならないからといって駄々をこねるほど自分は子供ではないが、それにしても本作はヒーローもののツボをはずしまくっている。これはテレビ本編にも言えることだが。

ではつまらないかというと、この映画は不思議と面白い。要するに、本作は「世界にデーモンが溢れてめちゃくちゃになってから、ハルマゲドンが起こる直前くらいまでのデビルマン」みたいな設定なのである。
ゆうえんちをセット代わりにしたと思われる人間たちのスラム街や、闇市のような場所も陳腐にならない程度によくできているし、量産型っぽい仮面ライダーや大量に現れるオルフェノクたちとの戦闘シーンも引き込まれる。
「ライダーになれる人間となれない人間」、さらにオルフェノクと普通の人間との確執なども描かれていて、ヘタな金満映画よりよほど面白いのである。

が、私個人としては、「ヒーローもの」としてのカタルシスはほぼまったくないと言っていい。
なぜなのかずっと考えていたが、あくまで個人的な感覚だが2点、理由がある。

ひとつは、主人公である巧の戦う理由が今ひとつはっきりしないこと。
真理に対する気持ちに応える、というようなことになってはいるが、そのわりには巧の性格設定というのは「いざというときにやるやつ」という感じでもない。真理を深く愛しているわけでもない。たとえば不動明には「美樹」という存在は絶対的だったが、そこまでの関係ではないだけにどこまでも巧の戦う根拠が薄弱に思える。

もうひとつは、個々の戦闘ひとつひとつが「いやなもの」として描かれていることだろう。これもマンガ版「デビルマン」と比較するが、「デビルマン」において戦いはエロチックなものだった。不動明がなめくじ型デーモンを歓喜の中でなぶり殺しにするシーンがあるが、それが象徴的なように、「デビルマン」では全編にわたって戦闘は快楽なのである。
「戦闘は快楽」という感覚は、永井豪作品全部に言えることだが。

ところが、「555」では敵は普通の人間から変身した場合もあるし、死ぬと砂になる描写もイヤな感じである。仮面ライダーの造形がヒーロー的であればあるほど、戦闘は「イヤな感じ」になる。
最後の闘技場のシーンで、ライダー同士の戦いが観客を集めた見世物になっているのも、どこか製作者側に悪意を感じるのだ。

だから、本作は私にとって意外に面白かったのだが、それはヒーローものとしてではない。そういう不思議な感覚を味わった映画であった。
(03.0912)


【映画】・「座頭市」(2003、松竹、オフィス北野)

公式ページ

ナントカ賞をとったせいか、満員だった。客層は、15禁なので子供はいなかったが老若男女さまざまで、しかも全員が別に映画に深い何かを求めているわけではなく、しかし「座頭市」に求めるものにそうズレはないだろう。そういう感覚が何だか嬉しかったりした。

まあだれがどんなサイトでどんなことを言っていようがかまわないし、それぞれに役割は必要だと思うが、見ていないうちから文句を言っているところがあったのでそれはいくら何でも反則だろうと思った。
いや、「見ていないうちから文句を言う」役割の人も必要かもしれないが、その資格を有するのはプロか逆によっぽどの勝新ファンに限られるのではないか。
などと思ってしまったことよ。

ストーリーはあってないようなもので、破綻もしまくっている。後半からほとんど動き回らなくなる座頭市がみんなの知らない事情を知っていたり、復讐のために芸者みたいなことをやって旅をしている二人組が、その出自から踊りも三味線も習ったことはないのに独学でできてしまっているとか、非常にヘンなところは多い。
登場人物も多すぎる。まあ何か諸般の事情があったとしか思えない。浅野忠信の(役の上での)カミサンなんて、ストーリーにぜんぜんからんで来ない。

だが殺陣は非常に良くできていて、殺陣さえ良くできていれば感動してしまう私はあんのじょう、感動した。あの殺陣はだれが指導しているのだろう(調べたが、知らない人だった)。
また、ラスト30分も「座頭市はこういうものだ」ということをわかっている演出だと思った。
たけしは座頭市をネタにサベツギャグを良くやっていたというので心配だったのだが、ヒーローの何たるかを心得ている、もしくは心得ている人の意見を尊重していると思った。

要するに「555」はヒーローものではないが面白かった。細かいところは破綻しているかもしれないが、おおまか見ているぶんには疑問は浮かばない。それにひきかえ、本作「座頭市」は観ているそばから疑問が出まくりだ。破綻が大きい。だが「ヒーローもの」としては及第点だ。

そうそう、ネタバレになるから書かないが、ある悪人がラスト近く、座頭市にブチ殺される。この役者、かなり前に私が昔見た別の映画で、それはそれはイヤ〜な気持ちになる気持ちの悪い悪人を演じていた。しかもカントクが相米慎二だったため、カタルシスのある死に方をしなかった。
それが気持ちよくブチ殺されて、私の中ではホッとした。
(03.0912)


【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第75話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第75話「秘密基地を守れ!」(9月6日)

ある日の朝、通学中の楓たちは、突然落とし穴に落とされてしまう。それは、安純の弟・瑞希ひきいるFDC(不思議大好きクラブ)の仕業だった。
不思議大好きな瑞希は、安純のまわりでミルモたち妖精が起こす超常現象の謎を調べてまわっているのだ。
その日の放課後、河原を歩いていた楓は偶然FDCの秘密基地を発見しまう。いらない木や廃品で一生懸命につくられた秘密基地に魅せられた楓は、半ば強引にFDCに入れられてしまうが……。

タイトルからまったく想像されるとおりの内容なのだが、子供の頃「秘密基地」をつくったかあるいはつくりたかった人々はだれでも共感してしまうだろう。 前回登場時は一人で「FDC」を名乗っていた瑞希だが、今回はクラブ員二人を引き連れている。

ギャグも小技が聞いていて楽しめるし、以前登場した妖精型宇宙人・リゲルとデネブのUFOもチラリと登場、他エピソードのつながりもちょっと示したりして、よくできた回になっている。

ところで、ヤシチをこき使う安純だが、なぜか弟の瑞希にはそれほど辛くあたることはない。今回も、落ちたらはい上がって来れないくらいの落とし穴に落とされたにも関わらず、その後、雨に濡れて帰ってきた瑞希の頭を優しくふいてやるシーンがある。それが安純の瑞希への愛情表現として描かれているのだが、これが実に「近親相姦ぽい」のである。
これは、前回の瑞希登場時も同じであった。

で、萌えとか見立てとか言う前にその理由を考えてみると、安純の家庭が「母子家庭、もしくは両親がおらず、ひどい貧乏」だと仮定すると、安純の瑞希への愛情にすべて説明がつくのである。
たとえば、安純はヤシチを家の掃除に日夜こき使っているのだが、初回放映は見逃してしまったが後はほとんど(私が)見ている中で、安純が家の掃除をそこまで執拗にやる理由は何ら示されていない。逆に楓が掃除をしているシーンなど、まったく出てこない。単に安純はズボラだというだけなのか?
しかし、安純が「家が貧乏で、弟の世話やバイトなどで忙しい」ということであればヤシチを酷使する説明がつく。
安純の、弟の瑞希に対する愛情も、「貧しい、二人きりの兄弟」であると仮定すると説明がつくのだ。

中流家庭の楓に辛く当たることも(松竹はアホすぎて相手にしていないということで(笑))、カネにもならないことに非協力的なことも説明がつくのだ。

「ミルモでポン!」は、「憧れの男の子がスポーツマンではなくて本が好き」など多少の変化球は見られるものの、基本的にはお約束の集積的なアニメである。だから、妖精も含めるとキザ、ガリ勉、お金持ち、いじわる、悪者、ライバル、おしかけ女房的女の子、幼なじみ、弟的な男の子など、ほとんどの性格や設定の類型が見られるのだが、「貧乏」だけはないのである。

思えば、かつての少年ギャグマンガには「貧乏なやつ」が必ず一人はいたような気がする。しかし、かなり前、小林よしのりの「おぼっちゃまくん」で「びんぼっちゃま」が出てきたとき、すでにアナクロな匂いがしてきていた。

つまり、「ミルモ」はあらゆるお約束ネタの集積であるにも関わらず、「貧乏」とそれにともなう階級差別的なことだけは残さなかった。と考えてみるのはどうであろうか。

以上は、実はそれほど深読みだとは思っていないのだが、以下は少しうがった意見である。
「ミルモ」に登場する妖精たちは、お菓子が大好きで、ほとんど主食らしい。お菓子がないと生きていけないのだ。
で、お菓子というのは生活において「余計なもの」である。つまり、そういう「余計なもの」を楽しめるような世界でないと、妖精たちは現れてもくれないことになる。

そういう意味では、お約束の集まりのようなアニメにも関わらず、当初の設定からして「お菓子くらいはいくらでも食える家庭」しか登場しえない世界なのだね。
だから安純がもし貧乏でも、それは「ないこと」になっているのだ(まあヤシチのカリントウくらいは用意できるらしいが)。

以上、妄想でした。安純と瑞樹の関係には、きっと、もっとアッサリした理由があるとは思うんだけどね。

・書いたとたんにうがちすぎな気がしてきたが、やっぱり残しておこう。

(03.0910)



【雑記その3】・いや〜センパイは大事にしましょうね。

私は大学時代にいくつかのサークルを兼部してまして、ある程度胸を張って言えるのは「ミステリクラブ」に所属していたことであり、さらに胸を張って言えるのはロクにミステリなんて読んでいないということでした。
じゃあ何をしていたかというと、パチンコだの麻雀だのという堕落学生らしいことではさらに無く、「怨」と書かれたハチマキを頭に締めて、チャラチャラしたサークル(今で言うところの「スーパーフリー」的な)に乱入し、「ゴーストバスターズ」みたいな背中に背負う消化器みたいなやつで湯葉(お吸い物などに入っている湯葉)を大量に噴射するシーンを夢想したりしていました。

あと「シャーヤッコ・ホームズ」とか読んだな。永井豪の。あと歌野晶午の「長い家の殺人」。

さて、入学して間もない頃、「ミステリクラブ」以外の某サークルの新歓コンパに出ました。
実は入学したての頃の私はコンパとかすごい嫌いで、イッキ飲みとかする学生を「バカじゃねえの」と思っていましたが、孤立を恐れて、まあ「孤立を恐れず連帯を求めて」というデンで行けばまったくその逆のことを思っていたわけです。
だから田嶋都写真集を買う金を貯金して、しぶしぶコンパに出ました。

案の定、「OB」とかいう、バブル前夜のサラリーマン活動にすっかりお疲れになった面々が先輩風をふかせにやってきて、現役の学生たちは先輩風をふかせられていました。
「この負け犬どもが!!」と思っていましたが、数年後似たような存在になるとは、尾崎豊風に「存在」になるとは思ってもみなかった私でした。

で、まあ酒を飲んで騒ぐのはいいですわ。それで一次会が終わって、すぐに二次会に行くわけですね。
もう全員、行く気マンマンなんですよ。っつーか、盛り上がった飲み会ってそれが普通ですが。
でも、私はマジにカネがなくて、どうしようもなくて、「カネがないから帰ります」ってその場にいただれかに言ったら、傍らにいたOBというかOGっていうんですか? 女性の先輩の方がかなり出来上がってまして、私に向かってではなく、斜め45度くらいの方向を向いて、

「カネのことなんてカンケーねーんだよ!!」

と叫びました。これがまた微妙で、顔も知らない後輩(つまり私)の言うことに触発されて、大声張り上げて怪気炎をあげるというならまあ「どうぞ、独身貴族として二次会をお満喫なさってください」というところですが、どうも40パーセントくらいは私に向けて言ってきているらしい。

「は?」って話ですわ。だってどうしようもないでしょ。「貸しといてやるから、いいから来い!」とか、逆に「なんだこのヘタレ! 金がないならさっさと帰れ!」と言うならわかりますよ。
「カネのことなんてカンケーねーんだよ!!」って言われたって、私だってこれから行こうとしているお店側だってお金は関係あるわけですから。関係ないと思っているのはアンタだけでしょ。

そのときの雰囲気をもう少し細かく説明すると、やっぱり学生独特のグダグダ感がすごくイヤだったんでしょうなと自問自答。
なんか「カネがないから」ってのが飲み会の断りの理由にならないというのはイヤな集団だなあと思い、こっちも酒が入ってるんで怒りが50倍くらいに増幅され、みんながウダウダしているうちに、私は駅に向かう地下道にぷいっと入ってしまいました。

それで地下のトイレでオシッコしていたら、サークルの別の先輩が入ってきちゃって、「あれ、どうしたの」とか言ってきて非常に気まずかった。気まずかったけど、けっきょく帰りました。
その後、そのサークルもやめました。

何にもない大地に、ただ風が吹いてた〜って感じでした。

今考えると、私はそのサークルの卒業生に他の局面でも異様なる憎しみを感じていました。
合宿にも一度だけ行ったんですが、やっぱり4、5人OBとかいう生物が来ていて、そいつらだけ寝坊して遅く起きてきて朝飯食ってたりするのを見てムカついてました。
当時「眠い、眠い、ああ眠い、ナントカするより眠りたい」っていうCMがあって、そのOBとかいう人たちが「就職すると、あれってホントに実感するよねー」とかいう会話をしているのを聞いて、ものすごいムカついていました。
その後おんなじような存在になるんですけどね。私が。

しかししみじみ考えてみるに、別に高圧的な態度をとるわけではないOBたちにそこまで憎悪を(私の心の中で)叩きつけるとは、普通そこまではしないわけで、その後の私の人生の失敗っぷりがすでにそこに内包されていると言えるでしょう。

……今となっちゃどうでもいいことだな。
(03.0910)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第74話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第74話「坊ちゃまクエスト・ペラペラ剣の謎」(8月30日)

結木くんの部屋にあつまって、松竹グループのゲーム会社が作った「坊ちゃまクエスト、愛称ボックエ」をプレイするミルモたち。するとそこに、アクミとワルモ団が同時に襲いかかってきた。このとき全員が一度に魔法を使ったため、ミルモたちはゲーム「ボックエ」の世界に閉じこめられてしまう。ゲームをクリアして元の世界にもどるため、勇者ミルモが立ち上がる!

どうせさあ、これ読んでる人でミルモに興味ない人、「またミルモかよ!」とか思っているわけでしょ? ぜったい読み飛ばすよね。

だから、今回はあえて関係ないことを書くよ。

人生がおもしろくなーい!!
買ってもいない宝くじ、当たれー!!

あと、最近人が憎くて困っています。なんか、仕事上で人と会って「へーそうですか、阪神優勝ですもんねー」とか「小泉政権、ダメですね!」とか言って、別れて、数時間経って、家路につくとき、その人に対する憎しみがジワジワと頭をもたげてくるんですよね。
どうもものすごい人を憎む性格らしいですよ私は。
でも「今、私のこと憎んでる?」とか聞かれても「憎んでます」とは言えないよね。というか、そういうツッコミにうまい返しが思い浮かばないんだ。「うっ……」って黙っちゃうと思います。
それで自己嫌悪に陥るんだ。
だから、本当に憎いのは自分自身かもしれない。

そんなとき、「ミルモ」を見て心をなごませるんだ。
(03.0909)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

9月7日放送分。

「ワイハースペシャル」。娘。たちが1500人のファンとともにハワイに行くイベント企画を、「ハワイャ〜ン娘。」などのハロモニ企画とおりまぜて放送。
今回も、アイドルコント的に見るべきものはほとんどなし。ったってコントやってないから当然ですが。でも「おじゃマルシェ紺野」のコーナーで、いつもはいじられ役の斉藤瞳が「怒りキャラ」で出てきたのは新鮮だった。

あと、浜辺でみんな水着で遊んでたりしてたんだけど、安倍なつみの胸が意外に大きいのでビックリした。計測値は知らないが、実質的にはメンバー中いちばんデカいのでは。目分量では、一位加護ちゃんだと思ってたんですけどね。いやあ、我ながらどうでもいいこと書けて楽しいなあ。
あと、高橋愛はあいかわらずスタイルがよい。水着も変なパレオみたいのでごまかしてなかった。

他は、紺野がハワイについて「本当に別の国に来たみたい。」って言っていた表情がよくて。そりゃ15、6歳でハワイとか行ったら、脳内麻薬でまくりだよなあと思った。いいなあ、脳内麻薬出て。

バーベキュー食べてるシーンで、藤本が安倍なっちにエビかなんかをとってもらうシーンが恐かった(嘘)。緊張感が走った(嘘)。
お土産を買うシーンで、道重がシャボン玉をつくるおもちゃを手に持ってなんか言ってて、それに対して藤本がカメラ目線で何かツッコミを入れていたのが聞き取れなかった。

次週に続くと思ったら、続かないんだな。DVDかなんか出るのかな。
(03.0909)



【雑記その2】・小倉優子の広告、松嶋菜々子の広告、下川みくに

小倉優子の「よみうりランド」広告、コピー差し替えPSYCHO-MYU
東スポ、大好き〜!(漫才の「スピードワゴン」風に)と思って、通勤帰りに買った東スポ(9月2日)、デカデカと飾った見出しは「小倉優子ポスター回収」
プールの学生1000円引きが「学生(ハートマーク)来て来て! 安くするわよ」、ジェットコースターが「ヤダーッ! こんなにビショビショ〜(ハートマーク)」、お化け屋敷の内容が1日三回変わるのは「1日三回もなんて……もう許してぇぇ!」……というもの。駅の構内に貼られていたのは、私も見た。

「うわー、すごいな、でもだいじょうぶかな」と思ったのも束の間、次に目にしたときにはコピーはすべて無難なものに改変されていた。
私は、「駅の構内だけ過激でないコピーのポスターが用意されているのかな?」と思っていた。
そうしたら、苦情による差し替えだったらしい。もう1カ月くらい前のことになるようだ。

ネットで見たら「愚者の抗議だ」という意見も多いが、「小倉優子」、「よみうりランド」でグーグルしてみると、かなり上位に「不快だった」という人の意見が出てくる。

自分は、昔はこういうのはヒステリックなPTA的オバサンの抗議とそれを甘受せざるをえない(広告だから、だれにせよ不快感を与えたら失敗なわけで)企業側とで繰り返される、不毛で不幸なできごとだと思っていた。私としてはこのケースの場合「よみうりランド」側に加担したい気持ちもある。
が、最近思うんだけど、「昼間っから、あるいはそういう気分じゃないときにエロいものを見せられる不快感」というのも確実にある。エロものの規制には、「見たいものが見られない」というのと「見たくもないのに見せられる」ということのせめぎ合いが感じられる。
とくにポスターはだれの目にも触れるから、一概に「抗議したやつが全員バカ」とは言いがたいだろう。

だが、「抗議した人々」が「エロいものを見せられる不快感を表明する権利」をどの程度まで行使していいと思っているのか、あるいは「エロいものを見たい人の自由」をどこまで侵害していいと考えているかは、わからないけどね。
逆に、エロに寛容な人には「エロいものを見させられる不快感」にはあまり斟酌しない人も少なからずいるしなあ。などとウダウダと考えてしまったことよ。

小倉優子側にしてみれば、かなり清純にして大胆なのどごし(byマウンテンデュー)なポスターであったと私は思う。小倉優子みたいな、ロリータ系清純アイドルでなおかつ水着になる子というのは「エロく見られる/見られない」という二律背反というか二重の意味を持っている。
そもそも、昨今のグラビアアイドルを占めている「童顔巨乳」というパターンそのものが、清純さとエロさを二重に表現しているんだけども。

そして「それは言わない約束」のはずなんだが、このポスターでは「小倉優子はエロス視線で見られても、公式にもそれはOKなんです」という事務所側の意志表示であるように感じられ、「駅の構内」という場で見ればマズかったかもしれないが、「小倉優子のポスター」という点でいえば面白い試みだったと言える(参考:私見 アイドル「りんごとももかと姫」そして茶髪(当HP内))。

ところで、これとは真逆に「醸し出すエロさを徹底的にトボける」という作戦もある。松島菜々子のお茶のCM、アレは手にパンダのぬいぐるみをはめて子供っぽく振る舞う松島をかわいいとか何か思うの? みんな?
あらためて見返して見たけど、「ファーストキッス編」では男の子と一緒に滑り台を降りる松嶋、「菜々子さんの夏」編では男のこの上に馬乗りになる松嶋と、まあサブリミナルテクニックじゃないがエロス要素がおそらく意図的に組み込まれていて、見ていてイライラする。
とくに「私って面白いこともできるのよ」的な、松嶋菜々子がデッドボールを受けるシーンは、けっこうムカつくものがある。

私は、このCM内の松嶋演じるヒロインは、男にものすごい手ひどい振られ方をして少し頭がテンパってしまった人だと想像している。自分が男にされたひどい仕打ちを、中学生の男の子に道化的に繰り返すことによって忘れようとしているのだ。あ、書いてきたらなんかそんな気がしてきた。

元チェキッ娘下川みくに、赤い浴衣で愛をお届け
チェキッ娘は生きていた!! そんだけ。

(03.0905)


【雑記】・ミニモニ。着ぐるみステージショー開催

8月も終わり、なんだかやたらと「夏休みも終わって宿題に追われた思い出」をネットとかテレビで目にするんだけど、はっきり言ってワタクシ、夏休みの宿題を最後の日にやった思い出ってありません。
だいたい、どんな宿題だったかも忘れちゃった。自由研究はイヤだったけどな。「自由」って言ったって、ホントの自由じゃないもの。

まあ、本当に自由でも研究したいことなんてなかったけどね。
私は子供の頃から理科的な興味が希薄で、よく「子供に理科の興味をひかせるために実験を多くやるべき」という意見を耳にし、また正論だとは思うが、自分が子供の頃は実験は「まあ、机に向かっているよりいいや」程度の意味しかなかった。
それより「給食の残飯をかき混ぜたらどんな味がするか」という実験の方が面白かった。
でも、自由じゃないんでしょ。ダメなんでしょそれ。

まあどうせ、そっち方面の独創性も私にはないんだけど。

んでまあ宿題の話に戻ると、だいたい10日以内には終わらせて、後は塾の夏期講習とか行かされてた。
こう書くと「勉強家?」とか「嫌味か」とか言われそうだが、正直、あらゆる意味においてこの頃に塾で学んだことは現在何の役にも立っていない。
しいてあげれば「人間、努力してもムダになる場合もある」ということは学んだ。

実は、子供の頃にあれほど憎んだ受験システムだが今はそう悪くはないと思ってはいる。思ってはいるが、まあこれは死ぬほど一生懸命にやったものだけに言えることだが、唯一問題なのは「人間、努力すればどこまでも行ける」ような錯覚におちいらせる点だろう。
「少年ジャンプ的全能感」を感じさせるだけで大人になってしまうというか。
逆に言うと「少年ジャンプ的全能感を感じられなかった不全感」というイヤなものを身に着けてしまうというか。

ポーズかもしれないけど、大学でも「おれは全力を尽くしてここに入った」って言うやつはまずいない。東大以外は。
なぜか、みんな「秋から猛勉強したら入れた」とか「バイトに夢中になって」とか言い訳を用意しているし、東大・京大以外は全員敗北感持ってるんじゃないのかなあ。そう思ってんの、私だけかな。

スポーツの場合も、死ぬほどやった人の挫折感ってあるんだろうけど、肉体的鍛錬、生活習慣、人間関係の御し方とか、いろんなものが身に着くけど、受験勉強の場合、まずそれはないからね。

また話がそれたな。宿題の話だっけ。
よくマンガとかに出てくる、絵日記とか観察日記を付けた記憶もないんだよな……。
もしそんなのがあったら、いい思い出にしろ悪い思い出にしろ、ぜったい記憶に残っていると思うから。

まあ、夏休みの思い出自体がそんなにないんだよね。
午前中に再放送しているアニメを見て、光化学スモッグが出て、あと覚えてない。旅行に行った記憶もない。あんまり旅行好きじゃないし。
虫捕りした覚えもない。近所に虫、いないから。蚊はいたけど。
高校まで、12回夏休みがあったはずだが本当に何も覚えてないな。

中学ンとき、女の先生がプールの担当かなんかで水着を着て監督してて、今考えるとそれをもっとねばい視線で見ていれば良かった。もうやばいくらいに。当時は夢も希望もあったので、そんなことはしなかった。

★ミニモニ。着ぐるみステージショー「ようこそ。ミニモニ。メルヘンランドへ」★(←娘。楽宴
※ミニモニ。本人の出演はありません。

ついに「ミニモニ。」の子供向け着ぐるみショーが……。おそらく「モー娘。」的なイベントとしてはワン・オブ・ゼムでしかないのだろうが、ミニモニ。的には大事件ではないだろうか。
なにせ「本人の出演はありません」なのである。かつてアイドルで、フィルムコンサートやDJイベント以外に「本人が出ないショー」なんてあっただろうか? アニメ「ミニモニ。やるのだぴょん」は、まだ「声は本人たち」だったし、マンガや小説には、いちおう本人たちの感想やイラストが乗っていた。しかし、この着ぐるみショーにはその辺の「ホンモノ感」は何もないだろう。いや、アニメの声に合わせて4コマ風のコントをするのか……やっぱりそれはムリだな。
こういうのは虚構と現実がどうのとか、世界観がどうのとかいう場合どう解説されるんだろうな。まあもはやそういう読み解きには興味ないけどな。

そこら辺の雑草
日記サイト。(ケツの上にハムスターを乗せながら土下座) という表現が面白すぎる。

(03.0904)



【書籍】・「球漫 野球漫画しゃべりたおし!」 伊集院光、編:岸川真(2003、実業之日本社) [amazon]

野球マンガ大好きな伊集院光が、自分の「球漫」(野球マンガのこと)に対する思い入れを熱く語り、彼の熱狂的なファンである野球マンガの作者・中島徳博、水島新司、ハロルド作石へのインタビューで構成されている本。

う〜ん、わざわざ撮ったユニフォーム姿の伊集院の写真や、野球マンガの図版がたくさん載っている点、「辻褄合わせだけのリアルを求めているマンガへのアンチ」というテーマなど、いい点もあるんだけど、全体的には少し食い足りなかった。

もしこれが、同テーマのテレビ番組だったら間違いなく「面白い」と感じていたと思う。しかし、書籍としては少々物足りない。
まず、「注」が少ない。しゃべっている伊集院は、本書の役割的にはいちいち説明を入れる必要はないが、「ストッパー毒島」は読んでいても「ドカベン」を読んでいない読者だっているかもしれない。
それと、私はほぼ伊集院と同世代なので、マンガ原体験などはドンピシャにわかる(「海人ゴンズイ」「シャカの息子」が打ち切りっぽいながらも強い印象を残していたことなど)のだが、それ以外の人がどう思うかはわからない。

論点で言えば「描き手も辻褄合わせだけのマンガを描くのではなく、読者もアラ探しをして笑うのではなく、もっと熱いマンガが読みたい!」という主張は同意見だ。
が、私は「マンガのアラ探しをして笑う時代」、「アストロ球団」がギャグでしかなかった時代はよくも悪くも歴史の必然だと思っている。何でもかんでもパロディ化された80年代を憎んでいる人は少なくないが、もうちょっと冷静になってほしい。

だいたい、たとえば伊集院の好きな「ガンダム」そのものがそれまでの荒唐無稽なスーパーロボット路線へのアンチだったわけだし、マンガやアニメの描写の細密化は、アラを探して笑うギャグとおそらく根は同じものである。
「もっと熱いマンガを!」と言うだけで済むもんでもないような気もするのだ。
そして、「どうして『アストロ球団』みたいなマンガが出てこなくなってしまったのか」、「本当に出てきていないのか」などを説明するのが評論の役割のひとつなのではないかと思っているのだが。

本書の話に戻ると、取り上げる作品も少ない。「ドカベン」、「アストロ球団」、「ストッパー毒島」が本書の三本柱で、それ以外の作品は後半駆け足で紹介されているのみだ。だから、「自分の知らない野球マンガを読みたい」という欲求も、読者としては中途半端にしか満たされない。

もっとも、水島新司との対談は面白かった。もう、水島ワールド全開。今や水島新司はマンガよりも本人の方が面白くなってきてしまっている。
それと、水島新司本人を笑うだけじゃなくて、「苦しいことを楽しくやろうよ」というテーマが、最近は知らないがかつての水島マンガにあったことを忘れてはならんと思うわけですよ。
「巨人の星」に対する水島先生の「こんな野球漫画だったら野球する子が出てこない」という意見は、個人的には考えさせられるものがあった。

梶原一騎も独特のユーモア感覚を持っていたが、何となくソレが「恐い職業の方々がウイスキーのグラスを傾けながら話すシャレにならないギャグ」なのに対し、水島新司は徹底した庶民派というか、「苦しいことを楽しんでやろう」っていう、日々の苦労を乗りきるユーモアみたいなものを感じるんですよね。本書を読んで、それは思ったけど。

なお、「野球マンガ」というくくりでの書籍は本書が初めてではなく、米沢嘉博の「戦後野球マンガ史−手塚治虫のいない風景」 [amazon]の方が早いと思う。未読ですが。

・あと、掲示板でのご指摘で思い出しましたが夏目房之介の「消えた魔球」[amazon]がありましたね。

・ほかにも、黒沢哲哉、蕪木統文「モーレツ!! 魔球バカ大将」[amazon]や、「球漫」内でも言及されている豊原きこう「水原勇気1勝3敗12S」[amazon]など、考えてみると「野球マンガの本」ってけっこうあるんだよなあ。
(03.0906)

(03.0903)


【映画】・「アダプテーション」 監督:スパイク・ジョーンズ、脚本:チャーリー・カウフマン(2002、米)

公式ページ

「マルコヴィッチの穴」の監督・脚本コンビによる映画。
「アダプテーション」の脚本が書けず悩む脚本家のチャーリー・カウフマン(ニコラス・ケイジ)の苦悩と実際に彼が描いた「アダプテーション」の脚本が入り交じり、その結果が「アダプテーション」全体をなしているという奇妙な映画。
さらに、カウフマンの架空の双子の弟・ドナルドが、カウフマンの求めていないサイコものの娯楽映画の脚本を書き続けて彼をおびやかすという趣向がついて、原作である蘭泥棒のノンフィクション「蘭に魅せられた男」がそのグチャグチャなパズルのピースのひとつになってしまうというような作品。

掟やぶりのことをあえてやることによって「お芸術」臭い展開になりがちなものにおかしみを与えているのは「マルコヴィッチの穴」と同じ。いや、掟やぶりそのものが「お芸術臭さ」を内包しているものだが、本作にはそこら辺の鼻につく感じはない。
が、「マルコヴィッチの穴」同様、中盤まではわりと面白いのだが予定調和的な結末が、全体の印象を弱くしていると思う。

こういうメタ的な展開はすでに昔からやられていることで、それ自体の目新しさというのはない。おそらく製作者は「そういうメタ的なもの」が好きで、それをやりたくて、しかしモロモロの事情でとってつけたような結末を付けた、としか考えられない作品ではある。作中にそのようなエクスキューズもある。
ただ、目新しさがないからイラつくかというとそういうわけでもなく、それなりのクォリティは保っているから感想を書くのに苦しむ。

まあ、私のつねづね考えていることに照らし合わせると、本作はハリウッド大作的な映画がぜったいにやらない手法をこれでもかとブチ込んでつくられている。こうした手法は、マンガでもドラマでも作劇法としてはあまり勧められない場合が多い。
それは作者たちは自覚していて、彼らの手法に対するアンチテーゼとして、双子の弟・ドナルドがハリウッド娯楽大作的な脚本を書き始め、通俗的な脚本家の脚本教室に通い、悪気なくそのうんちくを兄であるチャーリーにたれ、最後にはけっこうな作品をものにしてしまう。
それを傍らで見ているチャーリーは苦しみ続ける。

考えてみると、広義のサブカル的なものの大半は特定のものが「文学的か否か、芸術的か否か」の判定に費やされていると言っていい。最も簡単に言えば小説は文学的かどうかを、音楽は広義の「ロックかどうか」を常に問われてレビューがなされたりする。
反面、大衆娯楽はそれ自体が単なる快楽装置のように徹底的に研ぎ澄まされる。ドナルドが書こうとしていた(実際にどんなものかは、映画では不明)サイコ・サスペンスのように。

で、その「芸術か否か」の判定を脅迫観念的に突き詰めると本作になる気はする。強迫観念的といっても、「マルコヴィッチ」同様どこか突き抜けた、人を食ったようなところがあることはあるが、娯楽的な部分と芸術的な部分とのすり合わせに関し、どうにもこうにもな中途半端感は製作者側も自覚しているのではないか。

その苦悩をそのまま映画にしてしまえ、ということ自体に何か苦悩を感じないではない。
個人的にはそこら辺のぶっちゃけ具合が、金満CGを盛り込んでムダを削ぎ落とした脚本の昨今の映画を見飽きていた身にとっては着地点が最後まで見えないだけに、かえって気楽に見られたというのはあるんだが。
(03.0902)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

8月31日放送分。

「夏休みの宿題をやろう」とかいう企画で、グループごとに分かれてポエム対決をしたり、大きな段ボールに穴を空け、それをバンバン叩くことによって出る空気の渦でケーキのローソクを消したりしていた。

アイドル番組としては申し分なく楽しいが、わたし的には今回見るべきところはなかった(テンション低くてスイマセン)。
(03.0902)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第72話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第72話「ヤマネ参上でございます」(8月16日)

ヤシチ・サスケ・ハンゾーの前に、忍者の女の子妖精・ヤマネがあらわれた。ヤマネはなんとネズミ(ヤシチのライバル)の妹で、あこがれの存在であるヤシチに弟子入りするため、人間界にやって来たのだ。
しかし、ヤシチはそんなヤマネの申し出を冷たく突き放す……。

「幼い頃の何気ない約束を、律儀に守ってやってくる女の子」というパターン。ヤマネがかわいくていい。
(03.0902)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第73話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第73話「ぶっちゃけ、どーよ?」(8月23日)

国王マルモが、ひさしぶりに人間界をおとずれる。アクミに大量のタバスコを飲まされてしまったマルモは「ぶっちゃけ病」にかかり、記憶喪失になってしまった……。

マルモの記憶を取り戻そうと、それぞれ独自の方法を展開するミルモたち、という話は大好きなパターンなのだが、あまりにも展開が予想どおりで、おっさんの私にはちょっときつかった。
(03.0902)

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