「ぐだぐだコラム」もくじに戻る
「ぶっとびマンガ」電子版その2
「ぶっとびマンガ」電子版その1
・04 ゴマキはゴトマだった! 〜呼称について考えよう〜
・02 CD「DA.YO.NE.」そして……「USSO!」
一気に下まで行きたい
・03 アイドル「りんごとももかと姫」そして茶髪
・茶髪
・「ロリロリアイドルに茶髪コギャル時代が」という記事
誤解をされぬために詳しく書いておくと、くだんの写真は「ウォーB組」7月号(2002、マガジンマガジン)に掲載されたもの。「渋谷Chocolate Box vol.2」(LaBouche)という、「素人ギャルの街撮り写真集」から転載したものらしい。
さて、アイドルというのは何かと制約があるモノで、かつて榊原郁恵は郷ひろみのファンだったが、「男性歌手のファンって言っちゃダメ」と事務所に言われてずっと隠していたという(古い話ですいません。それにしても白髪染めのCMに出ている郁恵ちゃんには泣けるぜ!!)。
しかしその反面、矛盾するが「茶髪の小倉優子」が一種の「お宝写真」に成り得たという事実も、その掲載によって証明されているわけである。私も、確かにちょっとドキッとしたことは確かだ。今日び、髪の毛なんてウチの姪だって染めている。しかし、ある程度の年代−−自分の中学、高校時代の同級生の女の子が髪を染めていなかった世代は、若いコの「茶髪」に何か心の底から言いしれぬモヤモヤを感じることも確かなのだ(同世代の知り合いが染めはじめた場合は、また別。あくまでアイドルの話)。
「ウォーB組」は、その辺を狙っていると思うし、同時に「『不思議ちゃん』ではない、ふだんの小倉優子」的な側面も表しているから、なかなか微妙で心ニクイ記事だということはできる。
・「実は処女では? という1周したアイドル」ゴマキ
ここで、小倉優子の「こりん星ばなしと茶髪」、後藤真希の「アイドル性とヤンキー性」を合わせて虚構と現実がどうしただの、受け手の「エンタテインメントとしての虚構」の受け取り方の変化だのを深く掘り下げるつもりはない。どうだっていいし、考えたってわかんねえし。
・まあつまんねえ話だが、けっきょく一般庶民の道徳感の変化を反映しているだけだと思うんだけどね。
「ま、コマいネタですけど」などといいながらすすっと(「コメットさん☆」的に「すすっと」)面白いマンガ以外のネタを出していく、そんなシブい趣旨ではじめるつもりだった当コンテンツは、早くも挫折。単なる私というダメ人間の心のゴミ捨て場に堕そうとしている。
……というわけで、最初に断っておくが以下に書くことは小倉優子(アバンギャルド公式ファンクラブ 「ALL FC」
)と後藤真希のことであって、それ以上でも以下でもない。興味のない人は読まんでいい。
さて、わがHPのトップページに小倉優子16歳時の茶髪写真を載せたら、それだけでアクセス数が1日50以上あった。まあ単なる好奇心、いやもっと何気ない気持ちでクリックしただけだとは思うが、個人的にお気に入りの「ミニモニ。ラブインストール」さえそこまでの影響はなかったと考えると、いろいろと考えざるを得ない。
「ウォーB組」の姉妹誌である「マガジン・ウォー」に連載まで持っている小倉優子だから、別にバクロ写真でも何でもないだろうと思われる。
で、「りんごももか姫」を名乗り、不思議ちゃんキャラでこれからグイグイ行こうとしている小倉優子にとって、「茶髪の写真」はマイナスでもなんでもないと判断されたということになる。実際、オトコとベッドに潜ってタバコをくわえていたわけじゃなし、「ウォーB組」を見るかぎり、茶髪コギャルとしてかなりかわいく撮れた写真になっている(だからトップにのっけたんだけどね……)。
現在、アイドルで「髪を染めていない」ことはそれ自体に意味があることになってしまった。以前と逆である。どのくらい以前かというと、アイドル時代の風吹ジュンとか(古すぎる!!)。
池脇千鶴や平田裕香が髪の毛を突然まっ茶っ茶にしてきたことを想像すると、何とも言えない衝撃が、とくに興味のない人にも走るに違いない。
で、「髪染め」つながりでゴマキ。「モー娘。」加入時に金髪だったことは有名だ。……といっても、私はそのときを知らない。金髪はともかく、今でもこの人の髪の毛はまっ茶っ茶である。よく言われることだが「実はヤンキーではないか」とつい思ってしまうのが魅力のひとつ。URLを忘れてしまったのだがにちゃんねるで「ショマキスレ」というのができていたそうで、それがどの程度盛り上がったかは忘れてしまったがポンと膝を打ったものである。
すなわち、「ゴマキは処女ではないに違いない→いや、数々の言動や挙動から察するに、もしかして意外に処女かもしれない!!」→「なんか盛り上がる」→「処女のゴマキだから『ショマキ』」という流れである。
ファンのアイドルに対する素朴な処女信仰にウンザリする方もおられるかもしれんが、それはとりあえず置いておいて、「処女じゃない」ことを前提とされたアイドルなんて、今まで聞いたことがない。私は衝撃を受けた。
かつての「不良」イメージの中森明菜だって、「処女性」の呪縛からは逃れていなかったと思うし(だから「きまぐれオレンジロード」の鮎川のモデルになったりした)、三原順子もそうだろう。ゴマキが五月みどり的アプローチではないことは、言うまでもない。
ゴマキの場合、アイドルに対する処女信仰が1回転して「いや、みんな『処女じゃない』と思い込んでいるけど実は違うかも」というところまで妄想が発展していったことに驚いた。まあごく一部のファンだけの話ではあるにしても、旧来の「不良イメージを持ったアイドル」とは送り手も受け手も違ってきているように感じるのだ。
ただ、なかなかどうして面白い状況だなあ、という気はする。私はファンが心が広くなったとも、何か虚実に対するスタンスがオトナになったとも思っていない。要するに、信じる信じない、ウソホント、許せる許せないの位置が変化しただけだ。
ただ、その変化はだれかが書き留めておいてくんないかなあ、と思う。昔、榊原郁恵は郷ひろみのファンだとさえ言えなかった。今は、浜崎あゆみがジャニーズのどこぞの男と付き合ったとしても、人気下落の気配はない。何かがゆるんで、何かが厳しくなったのだ。そのあたりのことをね。
(02.0622)