ヤスダ圭擁護論

つれづれなるマンガ感想文 6月後半
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一気に下まで行きたい

2001年

6月30日(土)

黒の森編
スラムキング

先月、日記を分割する際、後半部分を「ハイパーグラップル編」と付けたので(今さら「発動編」とか「風雲竜虎編」とか「赤い背広のルパン」とか「Z(ゼータ)」とか付けるのもナンだし)なりゆき上、バイオレンスジャックの「ハイパーグラップル編」について説明した。今回は「黒の森編」(正確には「スラムキング編 黒の森」)なのでその説明。

読み返してみると本編は「漫画ゴラク版バイオレンスジャック」の第1巻から始まっていた。意外に早いというか、重要人物である「スラムキング」の過去を初めて描くという点において、少年マガジン版からの連載のブランクを埋めるための一種のツカミであったと思われる。

「黒の森」とは、関東地獄地震で焦土と化した神宮の森。そこでスラムキングは自分の過去の幻覚を見る。

スラムキングは、地獄地震後の関東を恐怖政治で支配しようとする鎧に身を包んだ男。彼は生まれつきの異常体質で、あまりにも筋肉の力が強いために常に鎧を付けていないと自身を締め付けてしまうという。もともと本作が「現代を戦国時代にする」というコンセプトだったためそれに合わせて設定されたのだと思われるが、基本設定そのものが普通の災害シミュレーションになっていないあたり、おそるべき永井豪という感じではある。

で、スラムキング(当時の名前は銅磨高虎)はもともと信州の旧家の生まれだったが、母親の胎内を突き破って出てきて(そのため母親は死ぬ)、さらに生まれてすぐ立ち上がり、話をするという呪われた「超人」であった。
彼は力が強すぎて制御できないため、鎧を身につけたまま土蔵に鎖で縛られ、閉じこめられて18歳まで暮らす。
そんな不自由な日々に、ある日美人家庭教師・秋葉優子がやってくる。優子は長年の幽閉生活で言葉も満足にしゃべれず、力の制御ができない高虎の前で、全裸になってこう言う。

「さわらせてあげてもいいのよ」
「ウ……ウウウ」
「ウウウじゃだめよ! ちゃんと言葉で喋りなさい」
(中略)
「サ……ワ……リ」
「サ……」
「サワリ……何? ちゃんと言いなさい」「ちゃんと言うのよ!!」
「サッワッリ」
「タイッ!!」
「そうよそそうよ 喋れたじゃない!!」「それよっ それでこそ人間よっ!!」
(以下略)

う〜ん今読んでもスゴイ心の叫びだ。銅磨高虎の18年間の怨念と思春期のエロ心が土蔵の中で炸裂している。
この後、強すぎる力の制御を「自分のオッパイを触らせる」ということで訓練させようとする優子。説明するまでもなくそこまでしてくれる家庭教師はいないので、高虎と優子の間には深い信頼の絆が結ばれる。
(余談だが劇画「鉄火の巻平」で、シャリの握り方のわからない巻平に、芸者の女の子がオッパイを触らせることによって神髄を掴ませるみたいなのがあったらしいが、何か大元のネタがあるのであろうか?)

で、いろいろあって裏切られる高虎。

「セ センセイはオ オレをウラギッた!!」
「ウラギッた〜〜〜ッ!!」

……この叫びがまたすごい。何度読んでも泣けるんだけど(オレだけか?)、本編は買って読んでください。
「スラムキング」というキャラクターは、ほとんど副主人公と言っていい位置にあったが顔に面を着けていて表情もわからないし、冷酷な「魔王」として描かれているが、「黒の森編」では、その支配欲の根源が若い頃に抑圧されていた境遇であるとしてビンビンに描かれている。

何より、一見横溝正史風の「信州の土蔵の中」での怨念が、関東地獄地震の世界で通常の物語世界ではありえないほどに大爆発するという、豪ちゃん節を味わうことができる。この「黒の森」は、そのショッキングな展開とプロットの巧妙さで、おそらくゴラク版ジャックでは随一の傑作であると思う。

前述のとおり、ゴラク版では本作が第1巻〜2巻と早い時期に出てしまったため、その後の31巻ぶんの長期連載に対してワタシ個人はいろいろ複雑な思いを抱くことになるが、それはまた別の話。

……何で「バイオレンスジャック」の話なんかしてんだっけ? いや「サッワッリ タイッ!!」のことだけなんか書きたかったから。以上で「黒の森」の話は終了。

……クーラー大好きっコの私は、クーラー付けっぱなしで寝ていたらここ数日間、震えるほど寒くなって夜中に目が覚めるということを繰り返していた。そしたら右の耳の上の部分が痛くなってきた。昼間は死ぬほど暑いのに夜は涼しいんだもんなあ。参る。

帰りの地下鉄の中で、うなり声をあげて怒る男現る。近頃恐い事件が相次いでいるせいもあって、素早く逃げるオバサンも。しかしそれこそ車内で暴れ回られたら、逃げ場もないし電車止めるわけにもいかないし、参るよなあ。
「狭い場所でこそ空手は威力を発揮する」と書いた梶原一騎は、やはり路上の人であった。関係ないけど。

6月29日(金)

・「タイムスケープ」(上)(下) グレゴリイ・ベンフォード(早川文庫)読了。
1980年作品。久しぶりにSFでも読むべー。宇宙船、宇宙人、ロボット、半裸の美女、ああロマン! と思ったら、地味も地味。
90年代の科学者が「タキオン」を使って(まあ文系のおれにはこの「タキオン」ってのがもうよくわかんねんだけども)60年代の科学者へ通信を試みる。90年代の、環境破壊でメチャクチャになった世界を何とかしてもらうために……というような話。
宇宙船もロボットも、半裸の美女も出てこなかった。ひたすらにマジメな研究者がマジメに研究するところ、および90年代の世界がジワジワと壊れていくさまが描かれている。
ただし、通信を受け取る側の物理学者・ゴードンの生活と心情の描写はなかなかうまい。上下巻なので「また私のキライな西洋風ベストセラー的技巧が長々と凝らされているのか」と思ったら、そうではなかった。前代未聞の発見に立ち会う科学者の心の動きや生活が、その長さの中にきちんと描き出されている。
私がハードSFに感じる疎外感は、はっきり言って知的エリートの内輪ネタやお遊び的な感覚、さらに「どうせおまえらハクジンが世界一だと思ってんだろ!」的世界観にあるのだが、本作はそのいずれもにおそらく自覚的で、それらを回避する、あるいは描ききる誠実さをもった小説だと言える(まあそれだけだと真のエンタテインメントを求めるヒトには「だから何だ」ということになるとは思うが……)。
宇宙船、宇宙人、ロボット、タイムマシン、半裸の美女などに興味があって手にとったヒトは、別に読む必要はないと思います。

・「宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ」 一橋文哉(2001、新潮社)読了。
佐木隆三の「宮崎勤裁判」を読んだとき、そのあまりの事件の不可解さと不愉快さ(もちろん佐木隆三に対してではなく事件そのものに抱いた感想)に「ミヤザキモノはもう二度と読むまい」と誓った私だったが、つい買ってしまった。
内容は、半分以上は「宮崎勤裁判」とカブっているし(同じ事件を扱っているのだから当然だが)、オビにある「すべては『シナリオ』にしたがって行われた。捜査も裁判も、宮崎の犯行も−−」という惹句が大げさすぎるきらいはあるものの、それなりの「結論」は出している。そのぶん「宮崎勤裁判」ほど読んでいてストレスは感じない。
ここに書いてあることは、わかってもすでにどうにもならないことばかりだけれど、ともすれば異常犯罪者をすべて「しょせんガイキチはガイキチ、『心の闇』なんつったってわかるわけないし、わかったってしょうがない」とお手上げ状態になりがちなところを、あえて踏み込んでいったところは買いたい。

6月28日(木)

音日記(ひさしぶり)
「音日記」とは、知らないヒトは知らないだろうがワタクシが、イラつく音についてノイローゼ的に書きつづるコーナーです。

さて、もともとはウチの斜め前の家が生意気にも建て替えやがりまして、半年以上にわたってトンカントンカン工事を続けたことから端を発する。私は商売上平日が休みであり(日曜にもたま〜にフラフラしてたりするが)、なおかつ町田康言うところの「自宅主義」なので、そのメイワク感というのは想像を絶するモノがあったのである。
しかし工事も終わり、時は流れ、高橋尚子は金メダルをとり、ロシナンテやらせ疑惑、ソリマチ結婚、正道会館の角田師範はコージー富田のモノマネのモノマネをし、優香も眞鍋かをりも水着を卒業して、大橋巨泉は議員に立候補した。おれは「ザ・ワイド」でも見ながら、司会の森富美(元ミス日本)と、山王丸なんちゃらいう女子アナをねばい視線で見ていればよかったのである。

ところが、最近はささいな音が気になるようになってきた。
私の部屋の、道路に面した側の斜め前に、ビン倉庫があるのだ。まあこのビン倉庫に関しては「うるさい」と以前にも書いたが、1日に1回しか来ないトラックが、なぜか朝、昼、夕方と1日に3回も来るようになった。
ビンの触れ合う音というのは、想像以上にカンに触るモノだということを、最近知った。外出すればいいのだが、ビン倉庫のスケジュールにこちらが合わせるというのもしゃくにさわる。

もうひとつは、ガキの声だ。
今まで気にならなかったのに、最近はビンビンに気になる。
小学校と中学校が近いため、登下校の子供たちの叫び声が非常にうるさいのだ。
……しかし自分でも不思議なのは、今までは別に気にしていなかったということだ。

店ではオバサンの話し声のあまりのうるささに耐えられず、耳栓でもしたいほどだし、電車の中でも女子高生の声がやたらと気になる。……なんか書いてみて意外にオモシロくなかったが、本当にそうなのだから仕方がない。

・ムカツクサイト
どうも、私がムカツクと思っていることを組織的にというか群体としてやっている人々がいるらしい。そういう時代なのかねえ。
最近飽きてきたの、「よくあるダメなサイト」とかを「あるあるネタ」で指摘するところ。なんかその「あるあるネタ」自体に、広義のサブカル系サイト特有の自閉性みたいなのが見えてイヤ。もちろん自閉的なのはそのテのサイトばかりではないワケで、まあ私の好みに合わないってだけのコトなんだろう。
昔のパソ通において、バトルになりかかりそうな挑発的な発言&文体を繰り返していた人々が、個人個人でサイトをつくるからこうなったんだろうか。でも何かを悪意をもって分類しているのを見ると、「あんただってどこかで分類されてんだよ」とか思う。いまさらマルキンマルビでもねーんだし、他にもカテゴライズの方法があると思ってんですけど。

・生徒会の歌
突然思い出したんだけど、中学生のときの生徒会に「生徒会の歌」っていうテーマソングみたいのがあった。もちろん生徒会が知恵を絞って考えたのだ。以下、その歌。

すばらしい 仲間と すばらしい 生徒会
新しい 仲間と 新しい夢
今 手を取り合って 明日に向かってダッシュ
朝焼けの中を STEP BY STEP

……詳細は違うかもしれないがだいたいこんなもんである。2番もあった。メロディはきちんと覚えている。
コレを、生徒総会の終わった後なんかに歌わせられた。
他にも、運動会の紅組・白組の応援歌がそれぞれ、竹本孝之の「照れてzinzin」と竹宏二の「マイマイマイ」の替え歌だったこともあった。
しかし「そんなことやってられっかよう!」などの、「金八」に出てくる加藤的存在の生徒はいなかったと思う。
もっとも校内暴力が吹き荒れ、実際荒れていたわが中学にあってだ。なぜなんだろう。やっぱり思春期って脳内にヘンな汁でも溜まってたんだろうか。

6月27日(水)

今まではパソ通もインターネットも同じ電話番号でやっていたんだけど、変えてからどうしてもパソ通がうまくいかないのでサポートセンターに電話した。そうしたら、今まではそれでも通じていたが、今回の変更で通じなくなってしまったということであった。
パソ通用のアクセスポイントを教わって、一件落着。
それにしても、Jtermを再インストールしようとして、その前にフロッピーディスクドライブのソフトを入れようと思ったらパソコンがおかしくなってしまい、千枚通しをパソコンの小さい穴に突き刺してCD−Rを取り出し、システムソフトウェアとかいうののCD−Rを使って再起動し、CD−Rを入れ直し、さらに新しい通信ソフトをダウンロードしたけどそれでもダメで、しかし前の電話番号に20回くらいかけ続けると1回くらいは通じたりするというところが私の混乱に拍車をかけた。
疲れたよ。

あとは死ぬほど蒸し暑いとか、そういうことくらいしか話題なし。

毎度まいどつまらないテキスト&日記サイトについて、URLも示さず文句ばかり書いているんだけど、本来の意味でけっこう面白いサイトとしてはここ(まあ知ってる人は知ってる)。いわゆるサブカル情報系&テキストのサイトなんだけど、とくに6月23日の日記がイイ。
「気まぐれに小池栄子の握手会に行ったら、生で見る彼女はキレイだった」という内容。なんというか、とりたててファンでもないけど素直に小池栄子の美貌を賞賛しているのがいいなあ、と。

自分で思うに、最近の私は変にひねくれず、素直に感動を表現しているものが好きらしい。しかし素直と素朴というのは違う。ふだんものを考えている人がポロッともらした「好きの度合いの表現」みたいなのが好きなの。あーじゃこーじゃとレトリックを使うでもなし、かといってけなしてんだけど実はホメてるようなひねくれさもないような。

上記の意味とは紹介の意味がまったく違うが、侍伝説が復活するらしい。「懲りない面々」という意味で注目したい。

あと、実に個人的なサイト(家族と友達しか見ていないような)でもイイ味のところを教えてもらったし自分でも見つけたんだけど、リンクしちゃいけない気がしたんでしなかった。う〜ん、どうも言いたいことを伝えにくいですね。

6月26日(火)

テレビ東京「マジック王国」で、見たこともないマイナーマジシャンの手品を見て大喜びしている観客のガキは、子役ではないかと疑っているおれの陰謀論。

今日からニフティのアクセスポイントの電話番号が変わるというので変えたら、Jtermからパソコン通信ができなくなってしまった。インターウェイからでもメールやパティオをチェックできることはできるのだが、コレが意外に不便で、直そうと思って何時間も何時間もアレコレ試していたら疲れたよボキは(ドラマの「翔んだカップル」です)。
眠ったら夢の中で馴れ馴れしい詐欺師にだまされそうになって、「おれはそんなことではだまされないんだ」ととんちを使ったかなんかしたところで目が覚めた。

旧聞に属する話ですが、サブタイトルを忘れたが「パワーパフガールズ」で「雨の日にすることがないのでパワパフの3人がパワパフごっこをする話」は大傑作。「ちゅうちゅうちゅうちゅう……」っていうのは向こうの赤ちゃんコトバなのか? 元の吹き替えが聞きたい。
「リーダーの女の子が髪の毛を切られちゃう話」は、なんか昔の「ハクション大魔王」とか「ピュンピュン丸」とか「ロボっ子ビートン」とかにありそうな話の女の子版。日本じゃ今ちょっとこのノリはムリなのでは。
「パワパフの3人が妹をつくろうとする話」は、おお、ドラえもんの「人間製造機」的プロットの西洋版。というか、このテのパターンはアチラさんはかなりお手のものと見た。街の治安を守るために遊ぶヒマもないパワパフの3人が、ケミカルXと「すてきなものをいっぱい」で自分たちの仲間をつくろうとする。
できたのはサイボーグ009で言えば「0013(ゼロゼロサーティン)」的なフリークスっぽい子。
最後にアッサリ死んでしまうところも、アチラさんの同情心/残酷性なんだろうね。
でも「本当に悪い子だったのは私たち……」と涙を流すパワパフの3人は(日本語訳に恣意的なモノがなければ)、普通の反応で、ますます「ドラ……」の人間製造機エピソードってコワイなあとか思う。

6月24日(日)

月イチ連載(?) リス顔の男3

友人の結婚式の二次会に出席した。こういう機会でもなければ私が一生行きそうにもないこじゃれたレストランで、立食パーティだった。
二次会ということでそう堅苦しいものではなく、新郎新婦の会社の同僚や学生時代の友人でにぎわっていた。しゃべりの得意な(たぶん新婦の友人である)青年が司会で、二人の日常生活をネタにしたクイズや、罰ゲームとしてだれかが青汁を飲むなどした後、ご歓談ということになった。
私はちょうど挨拶する人もとぎれたので、なんか名称不明のエビドリアみたいな料理の前でぼーっと突っ立ってワインを飲んでいた。すると急に肩を叩かれた。
「よう」
「リス顔の男」であった。
彼は4月15日にも5月3日にも登場した、私の宿敵である。いつの間にか私につきまとうようになった、実害はないが非常に不愉快な男だ。
「だめじゃな〜い、こういう場を利用して女の子とお近づきにならなきゃ〜」
開口一番ソレだった。彼は顔がリスそっくりなので私は「リス顔の男」と呼んでいる。しかしリスのようにファニーな部分は微塵もなく、むしろディズニーランドに対するエロ中傷画を見せつけられたようなイヤ〜な気分になる顔をしていた。
今日は祝いの席だからか、似合いもしないタキシードを着て、左手には寿司とミートソースのスパゲッティと、なぜかポッキーを山盛りにした皿を持っていた。
リス顔の男はポッキーをつまんではカジカジと前歯でかじった。その動作が異様にカンに触る。
「今日は一人で来てるんですか?」
私は仕方なく問いかけた。無視して帰りたかったが、そういう非常識な態度をとったら後で何を言われるかわからない。
「うん、いいや、カミサンと一緒」
男は「カミサン」と言ったときちょっと自慢げだった。そういえば彼はヒモをして生活していると聞いていた。彼をヒモにするなど、どんな女か顔が見てみたくなった。
「紹介してくださいよ〜」
とてもイヤだったが媚びたような態度をとってみると、リス顔の男はまんざらでもないようで、テーブルの向こうでカキの貝殻の上にレモンの切り身が乗っている料理(名称知らない)を皿にとっている女を指さした。
女はおそらく三十代初めのリス顔の男より5つ、6つは年上で、いちおうよそゆき的なかっこうはしていたが、なんだかタンスから出したばかりのホコリ臭いようなドレスを着ていた。特徴的なのは八の字に下がった眉毛で、おそらく普通の顔をしているときも、マヨネーズのフタが見つからないとか、間違えて大きい方のギョーザの皮を買ってきてしまったとか、そういうつまらないことで悩んでいると誤解されかねない陰気な表情をしていることが推察された。

簡単に言ってしまえば貧乏神に取り憑かれたようなアトモスフィアーを漂わせており、その貧乏神というのがこの「リス顔の男」であることは間違いがなかった。
「挨拶させてくださいよ」
私はリス顔の男が私の結婚問題に対して馴れ馴れしい説教をしてくる前に、彼の奥さんを巻き込んで話題をウヤムヤにしたかったのだが、運悪くリス顔の男のカミサンはちょっと大きめの声を出しても届かない、向こう側のおじやみたいなスープの大鍋の方に移動してしまった。
「おれのことはいいよ。とにかくこういうところがチャンスなんだから。ほら、あの子なんかちょうど一人だ。声かけてこいよ」
リス顔の男がまただれかを指さす。彼の指さす方向には、髪の毛が腰くらいまでダラリと長く、あきらかに顔のサイズよりも不自然に大きいメガネをかけ(おそらく顔を隠そうという心理が働いてのセレクトだと思われる)、なんだか地方都市のブティック(髪の毛を紫色に染めたババアがやっている)のいちばん奥にしまってあるような、デザインはシンプルなのだがそのシンプルさがあらぬ方向に行っているようなワンピースを着た女が立っていた。
まあそんなことはどうでもいいのだが、彼女は手に持った小皿の上にシューマイをこぼれんばかりに乗せ、それを楊枝で突き刺しては、熱心にミートソースを塗りたくって、口に放り込むという動作をものすごい速さで繰り返していた。
なんというか、リス顔の男に対する独特の苛立ちを別バージョンで表現するとああなるという感じであった。
もしかして、リス顔の男だったらこの女のことを本気で口説くかもしれない。本心から善意で言っているのかもしれないと思うと、どうしていいかわからなくなってきた。

しかし、そこにまた救世主が現れた。
パパイヤすずだった。

「パパイヤ鈴木」ではない。
「パパイヤすず」である。

パパイヤすずはパパイヤ鈴木のそっくりさんで、「リス顔の男」の宿敵である。なぜ「リス顔の男」をつけねらっているかは忘れた。
すずは、突然「シューマイを一心不乱に食う女」の前に立ちはだかり、そのシューマイを手づかみで全部口の中に入れてしまった。自分の取り分のシューマイを取られた女は、突然のことに驚いて口をぱくぱくさせるばかりだ。
パパイヤすずは、シューマイを掴んだ手の汚れは着ていた白いタキシードで全部ぬぐい取った。真っ白なタキシードはなすりつけられたミートソースで台無しになった。
ちょっとスパイ映画の主人公が拳銃で撃たれたシーンや、前衛芸術活動のようだなとも思ったが、パパイヤすずの顔が「自分はただ手の汚れをぬぐいたかっただけだ」という以外の解釈を拒否していた。
彼はテーブルの上にあった「メロンの上に生ハムをのっけたやつ」の生ハムだけを次々にはがしては、「リス顔の男」に向かって投げつけ始めた。
「や、やめろ、やめろっ」
リス顔の男はあからさまにイヤそうな顔をした。まあ生ハムを投げつけられれば当然だ。しかし周囲は悪ふざけだと思ってあまり気にしていない。パパイヤすずは生ハム攻撃を続けながら、リス顔の男に近づいてくると、今度はトムヤンクンを果物が盛りつけてあった優勝カップみたいな器にダブダブそそいで、リス顔の男の首根っこをつかんでソレをむりやり飲ませようとしはじめた。
「やめっ、やめっ、ガボガボ」
比較的小男の「リス顔の男」は、パパイヤすずの怪力には逆らえない。じたばたしていたがここでの勝負は決したようだった。

「リス顔の男」のカミサンは何をやっているのかと目で探したら、吸い殻のいっぱい入った灰皿の中から、指で真剣に何かを探そうとしていて内縁の夫のピンチには気づかない。
「シューマイを一心不乱に食う女」はどうしたかと見てみると、椅子に座って、むか〜し流行った携帯型の、小さい玉コロを移動させる「アスレチックゲーム」をやっていた。
その隣では、宇宙飛行士の毛利さんを十歳は若返らせて落ち着きをなくしたような男が、青汁を何杯も何杯も飲んでいた。
彼を取り囲んでいる人々が「すご〜い」とか言っていた。

やっと帰れる。お土産は「リス顔の男」のぶんも持ってかえってやろう。もうかった。

・「リス顔の男」最終回



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