つれづれなるマンガ感想文
7月後半
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一気に下まで行きたい
2001年
腹具合の調子がいまいちで、イライラする。暑いし。
宇多田ヒカルがブラックジャックのピノコの声なんだって〜。20年近く前のアニメブームのとき、多くの劇場用アニメが公開されたが、客寄せのために声優に芸能人を使うことが多かった(今もそうだろうけど)。子供心に「ウザい」と感じていたモンだが、今は「オトナの事情」が充分に理解できる。
ウタダで思い出したが、浜崎あゆみのCMで「CMディレクターがクダラナイCMのアイディアを出すが、それを浜崎あゆみがまったく無視している」というのがある。
で、「クダラナイCMをクダラナイまま」演じているのが「ギョウザと行田」のダジャレをやってる華原朋美だ。それを対照的だとは言わない。似たようなモンですね。
安倍なつみは、太っているときにはボロクソに言われていたのに痩せてもあまり「痩せた」って言われなくてカワイソウ。
7月30日(月)
火曜OHAガールの笹岡莉紗って、女子アナの南美希子に似てないか? 最初娘かと思っちゃったよ。
今日は月1回の某所へ行く日。通りかかる美容室の前に飾ってあるヒツジのぬいぐるみ「ごんちゃん」は健在。暑かったが、以前の4、5日続いた猛暑よりはマシか。
最近、酒を飲んだ後の胃の調子がなんだかおかしく、さまざまな実験(?)を試みていろいろ飲んだり食ったりしているうちにまた太ってしまった。体力的に飲めなくなっているのか、何かの病気かは不明。会社をやめると毎年の健康診断をしなくなるのがデメリットだ。
同人誌をつくろうと机の上を片付けたり、関係ない本を読んでいるうちにあっという間に夜になる。ちょっとマズイくらいにネタがない。いや、ネタはあるがテーマが揃わない(ということはテーマがないってことか? 混乱してる)。別に楽しみでやってるだけで、何百部も出るモンではないのだが、一定のクォリティは保ちたい。だがあまりにも生活を圧迫するくらいのつくり込みを要求されても困る。どうしたらいいのかサッパリわからん。これを書いているくらいなら作業に取りかかった方がいいのだが、やはりどうしたらいいかわからん。新刊を持っていかないのもツマランし、かといって意にそわないものを出しても……と思うとなんだか気が重い。
7月29日(日)
昼は仕事、夜は飲み。人とクダラナイ話をしていないストレスが一気に爆発、世にもクダラナイ話をしまくる。けどまだ足りねぇ。この世にいい意味でクダラナイものはなかなかないもんである。
chee's解散。ショックだ……。元チェキッ子の3人が結成した女の子バンドで、後に増員、しかし多少興味を持っている私すら消息が掴みづらくなり(元々の公式HPが何の告知もなく停止状態になり、いつの間にか別にできていたりとか)、解散という図式は、私がちゃんと追っかけていなかったことを差し引いても後ろ向きな印象を抱かざるを得ない。
7月28日(土)
中野のなんたらいう視聴覚施設で、「映像温泉芸社その7・上映大パニック」。
7月27日(金)
今日も涼しかったネ。だけどちっとも読書が進まなかったよ。そろそろグワーッとモチベーションをあげて、同人誌原稿製作モードに入りたいんですけどオヤビン。
CUBICお試し版(心理テストみたいなモノか?)。
空想癖もあり、自分の殻にこもってしまうことがありますが、それは自己の内面的世界で遊び、美的な生き方をしているあらわれでもあります。進んで交友関係を持つことは ありませんが、独自な価値観の持ち主といえます。また、自分を含めて環境を客観的にとらえようとする傾向が強く、物事をキチンと把握しています。自分自身について深く内省している人で、よく話してみると、その豊かな内面性を垣間見ることができます。また、過信することなく、石橋を叩いて渡るような慎重性があなたの本質といえます。思いやりがあり、自分をおさえる良さがありますが、問題が起こると必要以上に自分の責任を背負い、くよくよと取り越し苦労するといった気弱で引っ込み思案な面もあります。神経が細かく過敏なため、人前では緊張してしまうことがあり、快活に振る舞ことをあまり得意としません。そして、気持ちに余裕がなくなってしまうと、多少不安定な行動をとる可能性もあります。一般的にはまじめで一途な人に多いのですが、もう少し、柔軟性や大らかさをそなえ、自分に自信をもって行動してほしいものです。
……ちなみにガンダム占いでは「ケンプファー」でした。なんだよケンプファーって。おれぁファーストガンダムだってよく知らないんだ。
意外に思われるかなるほどと思われるかワカランけど、一時期アイドルの話とかするのがすごくイヤで、「慣れなければならない」と思って必死になって学習した(まずそれについて哀れんでください)。
7月26日(木)
やっと過ごしやすい日が来て、ホッとする。
やっと「スター・トレックTNG」の最終回が放映されました。トレッキーでも何でもない私でも楽しめたSFドラマでした。もちろんビデオ屋に行けばたくさん見れるんでしょうけど、私の考えではこういう長いシリーズものの場合は、コンスタントに毎週やっていて欲しいんですね。生活のサイクルと直結するように放送されるのが理想。しかし関東でのスタトレの待遇は相当悪いらしく、時間は深夜だし、ちょっとしたことですぐ放映中止になっていました。
ところで本作に出てくる「Q」という艦長の監視を続けるイヤミな超越的存在、コイツは感覚的におれの描く「クイズ王西川山」や「リス顔の男」に近い(どうでもいい)。
オタク系ニュースサイトを見るのが(今さら)病みつきになってしまい、ダラダラ見ているわけですが(にちゃんは「重い」という理由で見てない)、ネタセレクトもさることながら、管理者の事件に対するコメント、ここにそのヒトの教養が一気に出てしまうんだよね。感心するところあり、逆に「もっと勉強しなさい」と言いたくなるところあり。そして、やっぱりアクセス数がそれなりのところは、コメントもそれなりにしっかりしていると思った。
7月25日(水)
暑い、暑いと行っていたら30度くらいで過ごしやすいと感じる異常さ。
「『SPA!』の徹底討論『男女平等』と『男のエロ』は両立するのか!?」。電車の中吊りでこのテーマを見たときには興味津々で、「ついにこのテーマが出てきたか……」と思った。実は踏み込まれているようで踏み込まれていないテーマだったから。座談会の参加者は、このコメントの言い出しっぺであるみうらじゅんと、江川達也、フェミニズム学者など。
・「テクノ」という呼称(興味ない人は読まないでいいです)
確かに狭義のテクノ至上主義者がいるだろうってことは想像はつく。でも、狭義のテクノを救い出すために、すべての電子音楽を全部「テクノ」って言っていた時代はあったし、また必要だったことも否定できんでしょう。「シンセサイザーでつくった音楽」を総合して特別視する思想は、どこかで出てこなければならなかった。今は打ち込み自体が当たり前になってるけどね。
今のテクノファンを「思想的に」規定している部分があったとしたら、それは一方で「電気グルーヴのオールナイトニッポン」であり、もう一方では雑誌「エレキング」じゃないかと思う。とにかく狭義のテクノCDのほとんどのライナーノーツを野田努が書いていたりしたし。
ま、誤解されることを気を付けようってのが(おれの)教訓だね。
7月24日(火)
ひさしぶりに布団を干した日にかぎって雨がパラついてきて、家に帰ってきたらすっかり濡れていた。急いで取り込もうと思って布団をひっぱったら、割れかけの窓ガラスがバリリーンと割れて巨大な破片が室内に落下、それを片付けるのに神経を使ったら汗が噴き出した。
毎日暑い、暑いと書いているがこんな時候の挨拶もダークな気持ちへの入り口である。実は「暑い」ことは共通の話題なんかではなく、体調、仕事の質・量、エアコンの性能などすべて人それぞれであることを再認識させる。つまり人間不平等ということだ。それにしても読書がさっぱり進まない。そしてまた朝が来る。他の人は着々とコミケ準備を進めていたりするし、私は同人誌つくる前に人生における根本的な「やること」があるのはわかっているというのに。
昨日の「不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門」の感想に、SFについての考えを中途半端にからめたことに、急に後悔の念がきざしてきた。
そんな邪念をふっきろう、テレビで映画でも見るか……と思い新聞を見る。お、「メイドものの映画」と「きまぐれオレンジロード」が同時間帯にやるのかぁ……どっち見ようかなぁ……と思ったら
……なんかわざわざスキャンするまでもなかったな。あーあちいあちい。
7月23日(月)
もうイヤだ……もうイヤだ……暑いから。
以前、4月26日の日記において「モー娘。の『読み』の罠にダマされるな」って書いた。キャラが多様、「踊らされ感」の強さ、プロ意識、そして何より「売れている」ということなどから、野次馬としてはついゴシップ的な読みの誘惑にかられるのだが(だれがいじめられてるらしいとかそんなの)、「モー娘。」はそれらをすべて吸収してしまうために、生半可な「読み」では太刀打ちできないからだ。
それでチェキッ娘とかMETAMOとか平田裕香について書こうかとも思ったが、あまりにも需要がない。書いても独り相撲のような気がするし。今のアイドル界においてモーニング娘。の存在はあまりにもデカくなってしまった。どうすればいいんだ(別に何もしなくていいと思います)。
端的に言って広義のオカルト批判の本で、半分くらいは知っていることだったがなかなか面白い。科学者であることの誇りと、不思議現象に対する誠実さが同時に感じられる。
で、本筋と関係ないところで面白いと思ったのは「科学的思考が難しいわけ」というコラム。要するに、物理などで「実際にそうなる動き」などを人間がなかなか理解したり予測したりしにくいのはなぜか、ということを考察している。その理由は、簡単に言って日常生活で得た経験・知識と、科学的思考はストレートに結びつかないから、ということになるのだが。
私が感じたのは、直接はオカルト批判とは関係のない、「SF小説がなんで売れてないと言われるのか」とか「ミステリなどに比べると敷居が高いのか」ってことなんだけど、要するにSFそのものが「素朴理論」とすごく乖離してきているからだと思う。
科学技術礼賛の時代、かなりのところまで一般人の感覚と「科学的思考」、「SF的思考」がシンクロしていた時期があって、でもその後いちじるしく乖離してしまった。たとえば実にうまいSF考証で成り立っている「全長2メートルの電動式鉛筆削りが何千何万と攻めてくる」話よりも、タコ型とかグレイ型の宇宙人が、地球征服のためにアメリカでもロシアでもない日本の田舎に1体か2体攻めてくるっていう方が、受け手がリアリティを感じてしまう場合がある。このときに「考証がどうの」といってもはじまらん。……というか、一般視聴者はそういう頭で考えたリアリティを望んではいない。ミステリの場合はまだ「素朴理論」で理解できる部分がある。
毎日書いていてイヤンなるが、やはり暑いものは暑い。
今日の大ショック事件。「キーヤキッスぱにっく」が「スキヤキロンドンブーツ」から出てきたグループだと初めて知ったこと。
今月は意識的に文字数を絞って書いている。そこでわかったことは、
「27時間テレビ」を仕事をしながらテキトーに見る。「地方局のキャラクターの着ぐるみ同士が相撲をとる」というのが面白かった(と思っているのはおれだけか?)。さんまの若手へのダメ出しはいいかげんヤメてほしい(「中部屋」はちょっと面白いけど)。木村の若手へのダメ出しはさらにヤメてほしい。その点、教えるものが何もない(強いてあげれば「先輩へのかわいがられ方」くらいか)とんねるずはある意味すばらしい。強烈な体育会系的思想によって保護された、見事なまでに継承しようのない素人芸。こんなお笑い芸人、後にも先にもとんねるずしかいない。
「コメットさん☆」を見る。メテオさんの地球での両親が、彼女のいじわるっぷりとはまったく逆のやさしそうな老夫婦という時点で今週の展開は予想されたのだが、それでもやっぱり泣けるね。前半の「泣き虫のチアリーダー」のエピソードが、直接何の関係もないのにラストのメテオさんの涙につながっていくところとか、かつて少女マンガにもシンパシーを感じてた野郎どもの涙腺を実に刺激する展開。
モー娘。の新曲「ザ☆ピース!」を初めて視聴。音楽的なことはまったくわからないが、強いて言えば「恋愛レヴォリューション21」な曲。何にしても「うちじゃなぜか、選挙の日は投票した後みんなで外食する」みたいな歌詞には脱帽した。こりゃもう電気グルーヴの「なんとも言えないわびしい気持ちになったことはあるかい?」に匹敵すると思うね。まあつんくの場合「おっととっと夏だぜ!」みたいな大量の「勇み足」の積み重ねの果てだったとしてもだ。
7月21日(土)
日中の暑さには少し慣れてきたように感じていたが、夜寝苦しくて参る。
「侍魂」の大人気について、バトルウォッチャーを読んでいて思ったんだけど、確かに「フォントいじり」をウェブで使い人気が出たのはクソゲーハンターのABC氏だと思うし、それもまた効果的だったわけだけど、侍魂とABCさんのサイトってのは、「侍魂=全盛期の欽ちゃん説」に立つ私としては「欽ちゃんVSビートたけし」っていう印象。そして、両者は一定レベルはあきらかに越えているのだから、個人的にはその差はどうでもイイやという感じです。
敷居の低さは「侍魂」の方にあるのだから(「毒」はどうしても人を選ぶので)、現在の大量アクセスは、それほどすごい謎でもないような気がしてます。
それと、「フォントいじり」をABC氏より前にさかのぼるとすれば、私が思い出すのは書籍の「トンデモ本の世界」。あれはフォントを大きくすることはないが、ポイントのところでゴシック体になるのがすごく効果的だった(今でもそう)。
7月20日(金)
STEAK NIGHT終了後、吉田等と喫茶店でダベって解散。
前から思ってたんだけど、よく同人誌即売会会場とかマンガ専門店とかで「○○は○○なのではないか」とか「○○は○○だろうが○○は○○であろう」とか、文語調で話す女の人いるじゃん? 男もいるけど。あと知り合いでもないマンガ家とかアニメーターを「さん」づけする人とか。あれって、きっと本が好きだから、読んでいる本の文体で話しちゃうんだと思うんですよ。でもそういうのって、本の読み過ぎというよりむしろ、まだ読みが足りないからだと思うんですよね。
7月19日(木)
新宿ロフトでSTEAK NIGHT。
イベント自体は、すごくよかったなぁ。私の知るかぎり機材トラブルもなかったし、バンドの入れ替わりもうまくいっていたと思う。まあ好きな人ばっかし出てたしね。
7月18日(水)
昨日よりは涼しいか。けどすっかりバテた。
7月17日(火)
今日も暑い。……10年前に比べると完全におかしい。慢性的に異常気象な気が。
コミケカタログ買う。高い。自分の同人誌方向転換、本当に間に合うのか。他の掲載してくれそうなところにも間に合わず。最近、どこまでシュミに労力をさいていいのかの加減がわからん。
7月16日(月)
激暑。しかもエアコンかけてもあんまり涼しくならない。
7月15日(日)
あいかわらず猛暑。
7月14日(土)
ものすごい暑さ。
2001年も下半期に入って、日記を大幅リニューアルしようと思う。1日1日の行数をおさえ、その徹底してクールなスタンスにおおいに学ぶべきところのあるテーマパーク4096さんなどを参考にしたい。
7月12日(木)
昨日酒飲んで帰宅したら、夜中の3時くらいからすごく気持ち悪くなってきて、昼頃にやっとおさまったんだけどけっきょく1日二日酔いでした。死んでました。暑いし。猛暑。
いわゆる「SFおしかけ」のレビュー同人誌をつくろうと思ってせっせと読んでいるんだけど、どんなジャンルもそうですが傑作よりも駄作の方が圧倒的に多く、1日3冊読んでも月に90冊は読めるなーと思ったんだけど、ぜんぜん進まない。調べたらコミケが来月の12日だから、少なくとも来月の5日くらいまでには原稿を書き上げておきたいんだけどひとつも書けてないし。しかしある程度数が揃ってないと書き始められないんですよね。まあはっきり言って、このままだと間に合いませんね。
「ぶっとびマンガ大作戦」の方が、フォーマットもできているし簡単は簡単なんですが、テーマがいまいち絞れない。「ゲームマンガ特集」を考えていたんだけど、ゲーム業界もすごい勢いで懐古・研究が進んでいるから、シロウトの私が首を突っ込めなくなりなりかけてるんですよね。「ファミコンロッキー」も復刊されたし。
……まあ確かにウェブ作成に慣れちゃうと、同人誌製作がキツくなってくる。HPって一度フォーマットを決めちゃえばそこにどんどん継ぎ足していくだけだけど、1冊の本になるからには新たなフォーマットを決め直さなければならないし、いろいろたいへんだ。というか、実生活の方がたいへんだ。
7月11日(水)
ひさしぶりにTシャツを2枚買って、家に帰って着たらなんだかキツい。
吉祥寺でインディーズCDを買う。ついでに寄った古本屋で、またマンガを買ってしまう。10冊くらい。
夜から恵比寿のホワイトドームで、「眠れぬ夜の一気読みにはコレだ!」と題し、インターネット中継される「マンガについていろいろ話す会」のようなものに出させていただく。メンバーは、しばたさん、スズキさん、kouji@「B館」極私的マンガウォッチングさん、蛭間にあさん、沼田さん、イロンデルさん、私。
今回、私個人は反省ありまくり。自分の好きなものを説明するのはむずかしいし、話題が広がるようにするのはさらにむずかしい。あと事前に酒飲み過ぎた。猛省。
それと酒ネタということで「レモンハート」が出たのだから、その流れで沼田さんに「蔵の宿」とか「ネオン蝶」を紹介してもらえば自然だったのに、とか後から思ったりした。なぜか「とっても! ミニモニ。」を紹介させられた(?)沼田さんには申し訳ないことをしてしまいました。やっぱり漫画サンデーとかゴラク系のものまで入って「網羅したなあ」って感じになりますからね。
その後、飲みに行ってベロベロになって、ひどい二日酔いになって死んだ。
7月8日(日)
「ゾイド穴」
のイベント、電撃ボディー・ザ・スラッシャー 。
第1部はトーク。まず80年代テイストツッパリバンド(?)、「氣志團」のプロモビデオの紹介。これがあまりにもスゴくて、要するに80年代ツッパリ文化を完全に狙ってコピーしてて、バンドの全員がリーゼントに長ラン、楽曲もソレっぽい感じ。また単にふざけてるんじゃなくて、プロモビデオとか異様にクォリティ高くてカッコいい。バイクで疾駆しながら歌ったりとか。
次に団体名は忘れたが「浅野会長」とかいう人が率いる、アメプロにインスパイアされた日本のプロレス団体のビデオ紹介。試合部分よりも、「チャンピオンベルトを質屋に入れられた」とかそういう事件をえんえん流したモノ。「元気が出るテレビ」を見ているような感じでなかなかイイ。
次にボンボンでマリオマンガを描き続けてきた本山一城氏インタビュー。本山一城が出てくるなんてぜんぜん知らなかったので驚いた。
最後がDATゾイド氏の、少年スケベマンガと70年代スカム官能劇画の紹介。
第2部はテクノのライブ。DATゾイド、AV幼稚園、ディスコロマンス。AV幼稚園が時間が足りなくなっちゃってちょっと気の毒だった。
7月7日(土)
日記って、ウケを狙った場合2、3日経つと実にどーでもいいことを書いているのに気づく。ので、金曜日の日記はアップする前に消してみたり。あいかわらず、たまらなくくだらなくて孤独な人生、送ってます。
吉田等と別れてから、力学(ちから・まなぶ)との待ち合わせに1時間くらいあったので、ずっとゲーセンでテトリスをやっていたら頭がくらくらしてきた。
7月5日(木)
「もう、妙に高い店で飲みたくないなあ」と思って、安い店として知られる「和民」か「魚民」をネットで検索してみたのだが、そこでスグ出てきたのが「白木屋・魚民で のまない会」。クミアイ系のHPですね。モノがモノだけに、真偽等はわからないとトボケておきますが、まぁ読んでてダークになったことは事実ですな。こういうことって、共感はできても外野にはどうすることもできないしね。
7月4日(水)
ロフトプラスワンで「プロジェクトsfX 『侵略美少女ミリ』を創った男たち」。
実はロフトプラスワンで、何か特定作品のイベントに行ったのはまだ2回目。以前、ある映画のDVD化記念イベントに行ったら、あまりの出演者と客の一体化状態に実質的に閉め出されて出てきてしまったことがある。だいいち、私は「侵略美少女ミリ」はテレビ埼玉放映だったので見ていなかった。だから行く前はけっこう心配していたのだけど、HPなどに「知らない人でも楽しめる」みたいなことが書いてあったので信用して行ったわけです。
冒頭、「プロジェクトX」のOPのパロディ映像から始まり(たぶん「霞ヶ関ビル」の回だネ)、まぁとにかく「ミリ」の本編を何本か見せてくれたのがよかった(1回は5分くらい)。それと、どうもお客さんはスタッフとか知り合い関係ばかりだったらしいんだけど、内輪の盛り上がりを避けた、かなりきちんとしたイベントになってました。
肝心の「ミリ」は、毎回まいかいが架空のヒーローものの最終回という趣向の全13回の1話完結形式特撮ドラマ。侵略者は当然ミリ。毎回の最後には、ヒーローはミリと相打ちで死んじゃったりする(特撮ヒーローもののありがちな最終回「さらば! ナントカ」みたいなノリ)。
LPDは、仮面ライダーのビデオを流しながら自分たちの曲のどの辺にどう使われているかなどを解説。やっぱりレオパルドン高野氏のトークは面白いです。その場にLPDの存在を知っている人が少なかったのにはちょっと驚いたが。高野氏作曲の「ミリ」の主題歌もけっこうイイ。あと挿入歌の演歌の人も来てた。
平山亨氏は「仮面ライダー」、「ロボコン」、「仮面の忍者赤影」などの名プロデューサーだそうで、特撮モノにあまり詳しくない私は実はその威光はよく知らないんだけど(名前は知ってたけど)、元プロデューサーということで恐い感じのヒトを想像していたら、ちょっと違っててもっとニコニコした感じの人だった。
やっぱり10時をすぎると寒くなってきた。ここ10年ほどで東京の気候はまったく変わってしまったなァと思いながら、帰途につく私。
植地毅氏の「トラッシュ漫画万博」が終わってしまい、購買意欲が薄れたと思ったらオキメグの写真がスクープされ手に入らなかったBUBKA7月号。8月号を買ったら、植地氏のしきり直しでのマンガ紹介ページ「ハードコミックカフェ高田馬場」が始まっているではないか。第2回目は「3D甲子園プラコン大作」。
7月3日(火)
今日もクソ暑い。めまいがしそう。というか、実際めまいがした。朝、少し横になったりしてみた。
最近、映画を見に行くと、何度も何度も「千となんとかの神隠し」とかいうアニメの予告編を見せられるのだが、あれってたぶんすごく説教臭い内容だと思う。
で、「千となんとか」だが、たぶん「脆弱化した子供たちに労働のたいせつさと喜びを」とかいう話になるんじゃないかと勝手に思っている。「小さい子供が労働する」ことの必要性に関しては、昔からおそらくかなり意識していると思うから。「パンダコパンダ」のミミちゃんだって、明るくふるまっているがそうとうの労働量だと思われるしな。
しかし、たぶんそういう提言(?)に関しては、おそらくおれは正論ゆえに受け入れられないと思う。
7月2日(月)
ニフのアクセスポイントの電話番号が変わりやがり、テレホーダイを変更したのだが確か電話代の請求は月末で、テレホーダイは10日シメなんだよな。早めに変更したつもりだったがあと10日は、テレホーダイとは何の関係もなくアクセスしなきゃならん。
「コメットさん☆」はやっぱりイイなあ。でもどこがどうイイかは非常に説明しづらいんだな。いぶし銀の味だ。まあ、かつて少女マンガ、しかもそんなに大人びてないタイプのヤツが好きだった人には勧められる、と言っとけばいいのかな。そうでなくて私のすすめによって見て、「つまらん」とか言われても困りますので。
ついでに。シスター・プリンセスのページは13人目の女の子キャラはおろか、そのキャストも、ましてや男のキャストも載ってない……。おれ、このアニメって最終回はたぶん「植物人間になってしまった主人公の夢だった」っていうオチになると予想しています。
ってなこと書いて無意味にぺたぺたリンク貼ってたら、空しくなってきた。
今日も昼間はとにかくクソ暑かった。毎月一度、私はあるところに行かなければならないのだが、いつも前を通る美容室の前に飾ってある羊のぬいぐるみ、最近見かけなくなった。
モー娘。の番組「ハロー! モーニング」では、お祭りにちなんだ期間限定ユニットにちなんで、お祭りがらみのゲーム大会。
7月1日(日)
ロフトプラスワンで鶴岡法斎氏&鮫肌文殊氏のトークライブ「マンガロン」。
鮫肌文殊氏は放送作家で、「雷波少年」とか「モーたいへんでした。」とかに携わっている人。トークの内容は、当然マンガもあったが、マンガ&出版ネタにテレビ界ではどうか、というのを合わせたり。マンガに絞った話題としてはバンチ、ヤンサン、伝説コミック、「なかよし」、手塚&あしたのジョーあたりか。鮫肌サンという人は、すごい真摯なマンガ読みという感じがしましたね。ソレに比べると私はけっこうフザケテるなあ……。
個人的に考えさせられたのは、実はマンガに関しては当HPで意見を書くときもかなり慎重になっている私ですが、テレビについてはいかに言いたい放題書いているかということ(^^;)。「テレビに携わっている人」の話を聞くことって今までほとんどなかったし、知り合いにもまったくいなかったから。まあつくっている方はそんなこと気にしてないんだろうけど。
……というふうに思うようになったのは、ドラマの「天国に一番近い男」(前のシリーズね。新しいのは見てないんで)がけっこう面白かったんで、だれが脚本書いているのかと思ったら「越智真人」って人だったんですけど、この人って「おちまさと」っていうバラエティ畑の放送作家らしいんですよね。で、しかも私があんまり好きじゃないタイプの番組をけっこうやっている人で。そこでかなり認識をあらためさせられたっていうか。
未だにテレビ番組の作業分担ってよくは知らないんだけど、番組そのものがきらいだとか、わかってないと感じるということと、携わってる人の優秀性というのは別なんだと初めて思った(むろん「きらい」と番組のレベルも別だしねえ……)。
トークライブの話に戻ると、終盤は客席から質問もサクサク出て、活気ある質疑応答になって楽しかったです。しかし最近は昼間はバカ暑いが、夜になると本当に寒いというか涼しいですな。客席で少し寒かった。
しかし仕事帰りに入った新宿のうどん屋のうどんが最高に不味く、どうしてもガマンできなくなって、ウチに帰ってまた弁当食って寝てしまった。最悪デブデブ病再発か。
しかし……今、ウタダがやる理由ってなんかあんのか? 知名度的にはビッグすぎるぐらいビッグで、歌手以外の仕事をやるワケも見あたらないし。個人的に「ウタダ陰謀論」説に立っている私としては「宇多田VS倉木」騒動も、両親の離婚騒動も、なんか宣伝のニオイを感じてしまう。プロデュースしてるのオヤジさんだっけ? まあウタダの売り出し戦略って論じ尽くされているんだろうけど、どうもはしばしに「やらなくてもいいようなコスイ感じ」を漂わせてしまうのは「安さ」を感じさせてしまうだけだと思うんだがな。ホントに人気が下り坂になってきたときに、プロデュース能力の真価が問われるんだろう。
「おはスタ」は夏休みに突入、いつもは生放送だが夏休みの週はロケの1日撮りらしく、よゐこ、KANA、OHAガール二人が多摩テックでウダウダするという内容。
初日の今日は、なんと「海パンをはいてから中のパンツを脱ぐ方法」を伝授するというだけの、素晴らしい内容であった。
気が重いならやめればいいのだが……とループ思考が続く。
出自が中途半端(明確にプロデュース主導のバンド)であったことに加え、「女の子ウケ」を狙いの外に置いたとしか思えない展開は行く末を心配させるに充分なものだったのだが……「男の子ウケ」を明確にした女性アイドルがCDのセールス的にはさっぱりな今日この頃、ヒソカに期待していたのに。
思えば、メンバーの一人が髪を真っ茶っ茶に染め、眉毛を剃ってホワイトベリーみたいなツラになってから私の興味は薄れた。それが女の子の客を意識し始めた端緒だったのかもしれないが……。
あらゆるところで負け続けるチェキッ子の残党、ほとんど戦国忍者モノに出てくる「豊臣家の残党」に近い。歴史が定まっているため、負け役が決まっているかのように。困ったもんだ。
基本的に「トラブル続出の自主映画上映会」を演出するという趣向で、仕込み自体はけっこう面白かったのだが上映作品の集まりがほんとに悪かったっぽい気がするんですけど(^^;)。
第1部と第2部の間が2時間近く開いてしまったのが惜しまれる。
以下、私の判定。
やがてすっかりトシを取ってしまい、周囲にはアイドルの話をするやつなどだれもいなくなってしまった。しかし、ついクセで盛り上がったときなどにアイドルの話をしてしまう。
「人の振りみてなんとやら」ではないが、そうしたことがいかに異性にとってウザいものであるか、ジャニーズの番組とか見てはじめてわかった。あ、きちんとした企画のあるものではなくて、ただ「嵐」とかが歌って踊るだけで、田代まさしが司会しているようなのがあったんだよ以前。
「嵐」のためだけに用意されたゲーム、コント、客全員が「嵐」ファンという疎外された空間で、唯一外界との接触を保てるのがマーシー。今ではすっかり痩せてしまったマーシー。私はホモでもやおいに興味があるわけでもないので、この空気は劇的に退屈だ。これが全員女性アイドルだったら見られるんだけど。そこに気がついて大いに反省した次第。
友人に、女性に向かって巨乳アイドルの魅力を語って私を驚かせたヒトがいたが、この人はそういうキャラでアリなのかもしれないけど、私は慎もうと思った。
この日記、だんだん長文が多くなってきちまった。……そろそろ思いっきりダークなことブッ書きたくなってきましたよ。ハジケたいね。ハジケ祭り。ダーク祭り。
あまりに深夜だと、中学生とか見れないでしょ。そうすると後の世代が育たないからね。それが心配(まあ今の方がいつでも再生可能なソフトは溢れているけど)。
それと世代。おそらく二十代後半の管理者が多いと思うけど、「電グルのオールナイトニッポン」ネタで盛り上がりつつの新譜評(この間、10周年記念ということで出た)とか、すごい疎外感感じますオレ。まあ私と同世代で電グルが好き、っていう人間は非常に少ないんだけども。電気(そもそも略称として「電グル」か「電気」か、どちらが正しいのか?)のオールナイトも聞いてたけど、十代の頃に聞いていたやつらとは当然感覚も違うしねえ。
とにかく「読んでいるヤツも二十代後半」と前提して語られることどもも多く、疎外感感じてますよ。昨日の日記にも書いた「テクノという言葉には、ハウスやトランスをカッコ悪いと思うテクノ者の選民意識を感じる」という感覚、これは二十代中盤から後半くらいの人間の実感だと思うし。「テクノを聞くやつにロリコンが多い」というコメントもどこやらにあったけど、ここまで来るとちーともわかりませ〜ん。
おまけに雨が降らないと思ったらすごいどしゃぶりになった。雷も落ちて大変だった。
しかしあいかわらず読書進まず。それと、歯がなんとなく痛い。
期待していたんだけど、結局「男女がお互いの立場や趣向を理解した上でセックスを楽しみましょう」というアッケラカンとした内容になっちゃっててガッカリ。参加者ものわかり良すぎ。
おれが知りたかったのは、たとえば男が女の子に、「手製の弁当をつくってきてもらう」というのと「重い荷物をヒョイヒョイと運んでくれる」というのと、どっちがエロを感じるかとかそういうサマツなことなんですよ。エロとは言わなくても「いいな」と思える感覚というか。そうしたとき、まあまず直観的に前者でしょう。それが差別にならないのかとか、そういう問題提議を期待していたんだけど。
もっと単純に言うと男から見て「ズボンよりスカートの方がいい」とかさ。そういう趣向自体が突き詰めていけば差別になるんじゃないかと、私は常に恐れているわけなんですよ。だいたい「いや、ズボンの方がセクシーなんだ」とか「ショートカットの方がイイ」っていうのは、一見アンチのようでいてあらかじめプレーンな「スカート」とか「ロングヘアー」というのが存在して、それをもうひとひねりしている場合もあるわけで。「この人は『女は髪が長い方がイイ』などとベタなことを言わないから進歩的」とは必ずしもならないわけでしょ。むしろベタな妄想に飽きたドスケベーという確率もないではない。「男まさりがかわいい」とかの感覚も同じで、それってあくまでも「女らしさ」の固定観念が下地にあってこその妄想である場合もある。そういうのってどうなのかと思ってたんだけど。
あと、ポルノそのものをいやがる人ってのも一般的に存在する。それは架空のものだからこそダメなんだと。あるのはエロ妄想ではなく「今、そこにあるエロ」そのものなんだと。ポルノグラフィーを認めるかそうでないかでも、男女問わず肯定派否定派で議論が煮詰まってないと思うのに、そういうところにこの座談会はぜんぜん踏み込んでいってない。
……というわけでなんだかガッカリした。
昨日の「SFを語るのは苦手」という話に関連するようなしないような。
いつものようにネットウロウロしていたら「テクノという言葉には、ハウスやトランスをカッコ悪いと思うテクノ者の選民意識を感じる」と書いてあって相当驚いた。何も知らないでテクノもハウスもトランスもジャングルもデジロックもユーロビートもテクノ・ポップも全部「テクノ」と言っていましたよ。テクノ内でも、ミニマルもハッピーハードコアも全部総称して「テクノ」って言ってたなぁ。
電子音楽を「テクノ」と総称すること自体に、狭義のテクノに対する選民意識が感じ取られるのだそうだ。
これらが絶対だとは思わないし、まあいろいろ踊らされていた(いる)人は今もいると思うけど、戦略的には必要だったと言わざるをえない。
「鳥獣戯画」をマンガの元祖ととらえて、その歴史性を主張していたのと同じコト。
卓球のスタンスは当然として、たとえば当時のつんくが「今回はテクノを取り入れました」とか言ってたらシャ乱Q的にも台無しでしょう。逆に、ハウス大好きっコが頑迷なフロア主義で突き進んだら、聞く人が限られてマーケットは広がらなかったと思うし(情報に踊らされるイチゲン的な客は一切来んなっていうDJもいるけどね)。
今日「劇画の日」らしいがだれが決めたんだ???
私は推理小説にだって詳しくはないが、自信を持ってクイーンもクリスティも好きじゃない(「よくない」じゃなくて「好きじゃない」ね)とか、清涼院流水やったれとか言えるんだが、どうもSF一般って語るのに勇気いるよね。それ自体が「SF」を取り巻くアトモスフィアーのように感じる。
あ、瀬名秀明の問題提議については、よく知らないんです。いや、「パラサイト・イブ」読んでから読もうとか思って。まあ私のSF度と言ったらそんな程度か。
同人誌のネタ探しがさっぱり進まない。急速に暑くなったため、読書に集中できない。それでついネットとか見て、テレビとか見て。まあここらが潮時だねマジで。
で、楽曲に関しても同じことが言える。……まあ音楽の専門家およびマニアは、他のジャンルのものと同じ文脈で語っていいのだろうけど、アイドルファンは気を付けた方がいい。なんかネットとか見ると、ふたむかし前の「アイドル論」みたいのが、今モー娘。語りにおいて大爆発している印象がある。
今のモー娘。は、楽曲+それぞれのタレント性についても、どんな語りも吸収してしまうふところの深さを持っている(結局それだけ流通しやすいアイドルがいないってことなんだけどね)。くやしいけど。
まあ別に言葉遊びなんで、遊び倒せばイイという印象でもあるんだが(独自の論理展開してる文章とか、面白くなってつい読んじゃうんだけど)、年寄りの私としては15年前と同じことを語るのもシャクなんで、なんか考えたいと思い始めた。
とりあえず私は「十人祭り」にはついていけません(笑)。
UFO、オカルト、占い、疑似科学などをまとめて「不思議現象」とし、それらについて心理学の立場から考察した本。
このあたりも、前から思ってた。人間の「信」の基準というのは、どうしても日常の経験・知識にひきずられる。オカルトを引っ張ってこなくても、地球の地軸が何度傾いてるとか、平行四辺形の面積の出し方とか、常識で考えてもなかなかわかりにくいという経験の人は少なくないと思う。
そういうのを「素朴概念」とか「素朴理論」というのだそうで、ボールを投げたらどう飛ぶかとか、とにかくいろいろなことが日常生活で常に証明されてしまうため、科学的思考とか事実を学んでも頭に入りにくいというわけだ。
疑似科学を排するにはこの「素朴理論」を克服する方法論が問われるのであって、頭ごなしに「物理学ではこうなってるから」とか「論理的でない」というだけでは、ある意味「理解させよう」という働きかけを怠っていると言えなくもない。
本書のあとがきでは、編者代表の菊池氏がSFと特撮映画ファンであることが記されており、「テレビの超能力や心霊番組は非科学的で、SFにある整合性がない」と言っている。ここでまた振り出しに戻って、「ではなぜそういう『整合性のない』番組が信じられているのか」が本書の考察の対象なわけだけれど、私は「特撮映画やSFだっていい加減なのはあるよなあ」とか思ったりする。その辺は柳田理科雄のツッコミになったりしているし。
このあとがきだけでは「整合性が無くて」、「非科学的な」宇宙人とかオカルトに関して筆者がどう思っているかは判断できないが、SFマニアが見向きもしないクダラナイ話を一般人が喜んで見る、ということは、何も「これは事実です」と明記したあやしげな番組でなくとも、マンガやアニメやSF映画でもよくあること。
ちょっと広くとらえすぎかもしれないけど、それらが「なぜある程度のリアリティを持つか」は、やっぱり「素朴理論」を元に信じられているからでしょう。
なんとなくそんなことを考えたりしました。
・ネットウロウロで覗いたよくわからんサイトへのグチ
・見たテレビの感想
・落ち込んだキモチ
上記3点を書かなければ、かなり文字数を減らせるということだ。
歌詞の点では、つんくが志向している「ヤンキーのわびさび」とか「つくり込んだ少女趣味」みたいのをほどよく押さえて無意味度の強い、おれ好みの内容だ。でも買うかどうかは未定。
それよりさかのぼるとどうなるかというと、ポイントだけ太字や大きい字にするっていうのはけっこうあったことはあった。文字組みにおける視覚重視ってのは、それこそ70年代中盤くらいんまでさかのぼれちゃうんじゃないかな。急速に拡散しちゃうと思う。
だから「フォントいじり」ってだけで歴史を追う、っていうのは「侍魂」分析において物事の一方しか表していないと思いますね。
今まで気づかなかったけど、24時間やっててけっこうきれいで接客もていねいなこの喫茶店、けっこう高いのね。でも感じがいいから仕方ないけど。
LIVEは髑髏首、IN-HI、FULLMONTY、BROWN BAGGER、レオパルドン、DJ SHARPNEL、AV幼稚園、RAVERSPROJECTS、“MOLLIRA”(モリラ)。DJは急行(ARCADEATTACK)、CHUCKY+MC JAGE(GABBADISCO)、JARECO+KEMCO(Clinic Records)、ANGEL(孔雀)、Marix、TAKAOKA、BUG(HIGHEMOTION)。
テクノとパンクバンドが同時に出るというイベント。夜11時半からだったので景気づけにとビールを飲んでいったら、新宿で気分が悪くなってきた。これで、どうも去年の冬頃から完全に胃が酒を受け付けにくくなっていることがはっきりした。ああ、すごくトシを感じる。それとも何かの病気か。どうなのだ。11時半、ロフト前で吉田等と会った頃からだんだん気分がよくなる。
ロフトの近辺はキャバクラが林立しており、客引きのにーちゃんも多い。何度も話しかけられ無視したが、吉田等と二人でいるときも誘われた。私はそうしたにーちゃんたちとの会話が長引くと面倒になりそうであまりしないのだが、その辺慣れている吉田は「今日はロフトでイベントがあるから」と客引きのにーちゃんに話す。すると「そうなんですかー。どうりで人が多いと思った。そこの人(私)なんて、3、4回見かけましたもん」と言われた。早く着きすぎてウロウロしているところを見られたらしい。
「ボーソーゾク」を「チンソウダン」と呼ぶ運動。要するに「カッコいいイメージをマスコミがバラまく必要はなかろう」という話。こういうこと、私も前から思ってた。「暴力団」という呼称に対してだったけどね。「ポッポコプー」とかにすればいいのにとか。
この話で興味深いのは、「言葉の言い換えで何が変わるのか」っていうことを別の方向から御輿を引っ張ってきて問題提議しているところかな。でもページのトーンとしては、ジョークや暴走族に対する悪意というより、根本的なルサンチマンのようなものを感じる。まあ感じて悪いってことはないけどね。実際ヒドイやついるんだろうし。
もうすぐ選挙だ。だけどどうも選挙と言うのがいまだにわからない(←小泉総理調セリフ)。
まあたとえば、拙いながらもマンガについて私がここで書いていることは、ちょっとは調べてますよ。でもそれなりの時間はかかる。で、らいおんはーとがどーの、ハトヤマの宇宙人グッズがどーのと騒いでいる人たちの多くが、自分の判断にどれだけの労力をさいているかがわからない。おそらく自分の仕事の10分の1も調べちゃいない人が多いだろう。調べるのってめんどくさいし。
でもいちおうそれでみんな投票して議員が選出されて、世の中が成り立ってるのがどうもわからん。いや「成り立ってない」とか「このままじゃダメだ」という意見はあるだろうが。そもそも成り立っているのかいないのか。はっきりしてくれ。
繰り返し書くようだが、「ゴー宣」というのはマンガとしてはプロ仕事だが内容としてはシロウトがヤバい局面にどこまで肉薄できるかという挑戦だった。過去形にしちゃってるけど。あの状態を見ていると、小林よしのりでさえ叩かれる根拠はあるのだから、小泉フィーバー(フィーバーって死語か?)で浮かれている人はだいじょうぶなのかと思うが。
あと、演説に集まっている人が振っている旗はどこで売っているの?
チューブを取り替えたばかりの自転車がパンク、「バルブがゆるんでる」と言われたから「ぶつけられたりしたのかなァ」と言ったら「ぶつけてこうなることはありえない」……って、じゃああんた(自転車屋のおっさん)のシメがゆるかったんじゃないのか疑惑。
伝聞だが(もう暑くて原典を確かめる気にもならん)「ミニモニ。とデジキャラットとの『萌え』としての関連性」を論じた文章があると聞いた。しかし、「ミニモニ。」だったらでじこの前に篠原ともえだろう。初期篠原ともえのポップ化がミニモニ。だというおれの説。もともと篠原ともえがナゴムギャルのポップ化だったのだから、ナゴムギャル→しのはら→ミニモニ。という連関ですよ。
もっともこんな思いつきあんまり言っちゃダメなんで、「ミニモニ。」のグロテスク一歩手前の可愛さは、現在のシャッフルユニット「●●祭り」などに顕著なモー娘。特有の「過剰な派手さ」、デコトラとかヨサコイソーランに類似した派手さとの関連で論じられなければならんだろう。それとつんくのヤンキー&お水志向ね。
モー娘。もこれだけデカいプロジェクトになったんだから、ひと昔前のアイドル論みたいのも悪くないけど、ウルトラマンの「ファンタスティックコレクション」みたいな、制作者側サイドに踏み込んだアプローチが急務だよね。……ってもうやってる人いると思うけどね。
MUSIX!(モー娘。司会歌番組)で、新曲のイシカワリカの衣装がセクシーだという表現において吉澤が「裸エプロンみたい」って言ってた。「裸エプロン」そのものは、もうかなり前から存在するコスプレ(?)の一種らしいのだが、コレだけ「裸エプロン」という単語が人々の口にのぼったのは歴史上初めてのことだろう。
……っていうか「裸エプロン」っていう言葉自体がなかったんだけどね。「いじめ」っていう名詞自体があったんだろうけど「いじめ問題」が問題視されるまでにあまり使われなかったように。
F先輩、A後輩、I後輩、N後輩と飲む。於:番屋。水曜日に飲み過ぎた反省点から、少しセーブした。最後にウーロン茶を飲んだのがよかったらしい。飲み屋で、まったくの下戸でないかぎりソフトドリンクを頼むのはタブー視されていないか。私はそんな旧弊な価値観をうち破ったラジカルな人間として、アカシック・レコードに長く名前が刻まれるであろう。まああれって確か世の中のことすべて刻まれるんだけどな。っていうかそんなものないんだけどね。ウルトラマンの中には人が入っているんだけどね。
前回のコミティアで、暫定版を出したんだからもう数ヶ月あればなんとかなるかと思ってたんだけど、見通しが甘かった。……というわけで、挫折。冬コミに締め切り変更。
そのときにいろんな状況が変わっていなければだけど……。
太っているのでしょうがないのだが、なんかオシャレTシャツで袖口のところがすぼまっててうっとうしいことを発見。
ショックで居間に大の字になった。
展開としては、しょっぱなから私は「女大太郎」を紹介したんですが、こういう場合、やった後に「その場にもっとも相応しい作品は何か」を考えたりしてしまう。まあもうやっちゃったんだから戻れないわけだけど。
トーク&テクノのライブという形式のイベント。
「文化は伝承されてこそ生きてくる」っていうのはものすごく同意できるし、また必ず正確にソレを伝えていかなければならないとも思う。だからこのような「80年代文化の曲解」っていうことに対して、どこかナメてる感じやスノッブな雰囲気をかぎとる人もいるかもしれないけど、私にとってこういうのはどうしても鑑賞がやめられない麻薬みたいなモノで……(笑)。誤解や曲解から生まれてくるモノもあると思うし。
あのプロモビデオ欲しいよ。
マリオマンガの話を突っ込む前に時間が来てしまった印象だったけど、私としては世代的にはマリオというよりそれ以前の「どっきりエンジェル」だから。あ、少年マガジンにやっていたちょっとHな少年マンガね。マガジンの頃の話などは面白かった。
「どっきりエンジェル」が、マガジン系少年Hマンガの元祖だ、というのはちょっと意外だったりとか。「最初は編集部側に抵抗があった」っていうのは興味深い。完全に編集主導のマンガだと思ってたし。その辺のことがもう少し知りたかったりした。
「どっきんロリポップ」井沢まさみ、「トリック・リップ」やまさき拓味×三村尚、「そそられ妻」束田きよし、など。70年代劇画はまったく門外漢なので勉強になりました。……っていうか、売ってないんだよねまず都内の古書店では。見かけたことすらないし。あ、三条友美は揃えたいなぁ。
午後、吉田等とライブのチケット受け渡しのために新宿で会う。テクノ&バンド&お笑いライブというごった煮的イベント「犬死に」に行ったというので、その話を聞く。
力学(ちから・まなぶ)と1カ月ぶりくらいに飲む。於:甘太郎。もう最近は話題もグダグダになってきて、書き記すこともないスな。それが楽しいんだけどね。
それとはぜんっぜんレベルの違う話だが、「君は小人プロレスを見たか」 高部雨市(1999、幻冬舎)を読了。こちらもまた、自分の差別意識や問題意識、そして自身の行動の実効性に立ちすくむ作者の姿がある。繰り返すがレベルはぜんっぜん違う話ですけどね。「オトタケ君はテレビに出られて、なぜ小人プロレスは出られないのか」という最後の最後の方に出てくるコトバは、世の中のいろいろな「問題」が結局は個別なハナシでしかないという、どこかゾッとさせる何かを提議している。
「社会問題」は、もともとは「個別のハナシ」であった諸問題を「社会問題」として統合して初めて普遍性を獲得したのだと思われるが、統合したがゆえに見えなくなるもの、あるいは統合できないものが確実にこの世に存在しているのだなあと。
出演は、元東映プロデューサーの平山亨氏、酒徳ごうわく氏、
レオパルドン他。
行ってよかったですよ。
最後は必ず、ミリが侵略宇宙人の上司に怒られて、居酒屋(地球の居酒屋?)でグチを行って終わるという、わたし的には超好みな特撮ドラマでした。あえて言うなら「浦沢義雄系統」な特撮。けっきょく、その場でビデオ買ったっスわ。
ミリ役の子は来なかったけど、画面を見るかぎり菊川玲系統の正統派美少女で、やっぱコスプレ美少女はこうじゃないとねえと思ったり。
「宇多丸のマブ論」っていうアイドル歌謡評がけっこうイイ。釈の新曲についてのコメントなんて、実に的を射ているよなあ。
ある時期を境に宮崎駿監督のアニメをほとんど見なくなった。キッカケは「ナウシカ」と「ラピュタ」がイマイチだったから。
「ナウシカ」については、あれが当たったから後の作品があるらしいんで、まあいいですけど、「ラピュタ」はいまだにイマイチだと思ってる。
当時、確か浪人中か高三だった私はラジオを聴いていたが、連日、ものすごい「ラピュタ」のCM攻勢だった。宮崎監督のインタビューも5分くらいずつ毎日流れていたが、その中で「男の子が成長しなくちゃ冒険ものじゃない」ってコトを言っていて、ある意味共感できた。のだが、実際見てみるとバズーだっけ? あいつの成長の仕方が非常にムリヤリなんだよ。それとマザコン三兄弟みたいのがいたけど、あいつらにとっての「成長」とは何だったんだろうとか考えた。
ここで私がブンガク的、あるいは好意的解釈をする義理はまったくないので、宮崎駿という人は、まったく矛盾することをやたらと描く人だと解釈し、「ラピュタ」っていうジュースが不味かったこと以外、その後忘れた。
余談だが「千となんとか」のコンビニでのチケット予約かなんかのCMで、黒柳徹子のオバケみたいなのの小さなフィギュアをもらって「わあ、かわいい!」とかいうシーンがあるが、そんなわけないだろが。なんかメディアミックス的なことは全部決まってて、宮崎駿が勝手なコトして、それを後からあてはめてんじゃないのか。とか思った。
で、私の情報収集能力の欠如により、どこにコメットさん☆情報があるのかよくわからんのよ。
こちらはたぶん東宝のページ。テレビ大阪は直リンクできないのかな。ストーリーダイジェストとか載ってて便利だ。
TV東京・Anime X-pressにも申し訳程度に載っている。ここのメテオさんがいちばん邪悪な顔をしている。
テレビ東京で日曜深夜にやっているe-cluberは、眞鍋かをり司会のアイドル番組だったが、さよならの挨拶もなしに次週から司会が小池栄子になるらしい。花束受け取って、「卒業します」、「またいつでも遊びに来てね!」とか、そういうやりとりもう流行んないのかなあ。
すでに締め切った、Tシャツプレゼントありの番組クイズ、「中島礼香は自分の兄の彼女のことをどう思っていたか?」って、答えがけっこう気になるんですけど。中島礼香の兄ってのもけっこうやりにくい人生だと思うよ。そんなこと言ってるとイケメンチャラ男だったりするんだけどな。アイドルの兄弟って。
そして日が暮れてくるとなんか寒くなってくる。最悪だ。
ゲームの商品が焼きそばで、負けたチームのツジが「焼きそばが食いたい!」と涙を流すという展開はすごすぎたなあ。だってコドモに見えっけど14歳だよ。さすがにおれも14歳のとき、焼きそばが食えなくて泣いたことはないよ。ツジ、ラストにおいしいとこ全部持ってってましたよ。ある意味無敵だった。
カゴが打撃と関節技のバランスがとれたグラップラーだとしたら、ツジは完全に飛び道具一筋のストライカーだと思った。
両者の意見で覚えているのは「マンガを評論家のものだけにしたくない。評論家だけが評価して読者不在の状況ができつつあるとしたらマズい」とか「マーケティング重視ではそこそこのものしかできない。中心になる人の思いこみの激しい作品は、コケるときはコケるが当たるときは大ヒットする」など。わりと創作論的にまっすぐでまっちょうじきという点で、共感できるところは多かったです。
言い訳をさせてもらうと、テレビ(主にバラエティ)は、「この面白さ(つまらなさ)はいったいどこから出て来るんだろう、だれの手柄(ダメさ)なんだろう」というのがスゴイわかりにくい。……っていうか、番組の製作過程くらいは調べればわかるんだろうけど、調べてどうこうっていう作業自体がアレコレ言っている側に定着してない。得てして「完全テキスト主義」になって、画面から見えてくるもののみでテキトーに書きがちなんですよね。まあ宿命的にギョーカイ内のことはわかんないんで(出版界、テレビ界ともに)、私の文章はほとんど全部が完全テキスト主義ですけど。
テレビってのはあまりにも大衆的であるために、けなすときは制作者側の「わかってなさ」の方を問題にする場合が圧倒的に多いでしょ。喫茶店とかでダベっているときとか。
だけれども、必ずしもそうじゃない。いやまあ「わかってない人」が「やっちゃった」事件はどこの業界にもあることとして、つくり手は全部わかっててあえてこういうのにしました、ってのもあるわけだし。
ドラマやアニメの場合、脚本家がダメだと作品全体がダメになる場合が多いけど、バラエティの場合、たぶん作家の人って、ある特定の要求に最良のかたちで応えているんで、その結果私がきらいな番組がよけいきらいなカタチに昇華(?)していく場合もあるだろうし、こちらが思ってもいない部分で番組を支えているところもあるんだなあって最近思いますよ。