つれづれなるマンガ感想文2月前半
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一気に下まで行きたい

2002年

2月28日(木)

だいたい、不愉快なときというのは他人より私が悪いことが多いということに気づいてきた。
引け目を感じているから、他人の言動が必要以上に腹立たしく思えるのだ。
イヤなことに、その傾向は30歳くらいから強まっている。

今日はかなり最悪の日だった。
昨日の晩から、詳しいことはいちいち書かないが同人誌のネタ出しみたいなことをいろいろ考えていたのだが、いかんせんテーマが決められるとサッパリ出てこない。
そう言えば、サラリーマン時代にも「企画」ってどうやって立てるのかもわからなかったし、ラジオの投稿職人になることもできなかった。
お題が決められると、それにどう合わせていいのかサッパリわからない。
一晩中考えていたが、何も浮かばなかった。

これが吉田等や力学(ちから・まなぶ)なら、サクッと「浮かばないから降りる(笑)」ということになるのだろう。別にだれに頼まれているわけでもないから、それはそれでいい。
だが私自身がどうしてかなり真剣にこだわるかというと……まあ、●●や××という一般的に「退屈で面白くない」と思われている仕事についている人が、何か面白そうなことを見つけてつい必死になってしまう、そんなナサケナサを連想してくれればいい。

気晴らしに映画「ラットレース」を見に行く。
ラスベガスでランダムに選ばれた人々が、ニューメキシコにある200万ドル争奪レースに挑む。参加するのは、ヘマをやって国中から非難を浴びたアメフト審判、家族旅行に来たおっさん、貧乏でアホの兄弟、とぼけたイタリア人、十数年ぶりの再会を果たした母娘、マジメ一辺倒の青年、彼をそそのかす美女のヘリ操縦士。「ルールなしがルール」というこのレースで、賞金を得られるのはだれなのか!?

……コレは面白い。ひさしぶりにちゃんとしたアメリカ映画を見たなあと思った(日本映画びいきの私は、けっこう日本映画ではイイのがあると思っているので)。
お話の流れやパロディも、ドタバタなんだけどどこか上品というか小ぎれいな感じ。

ステロタイプなキャラクターも、本当の悪人はおらずどこかノホホンとしているのもいい。たとえば家族旅行に来ていたおっさんは家族を引っ張り回してレースに参加するのだが、いささか恐妻家として描かれてはいるものの、奥さんもちゃんとしてるし、おっさんも家族を愛していることが何となくわかる。そこがいい。
コレが「家族内で小さくなっているおっさんが一攫千金を夢見て……」とか描くと、とたんにつまんなくなる。そういうのはもういい、って感じ。

ヘリの操縦士の女性も、「一見カワイイが、いざというときは暴力的」というステロタイプだが、きっちり本当にカワイイところを残している。こういうのが大事なんだよ、こういうのが。

タイトル忘れたけど、ウーピー・ゴールドバーグがプロバスケチームの監督をやる映画があったが、あれもソツがなくていい映画だった。本作はあれよりドタバタ色は強いが、テイストとしては似ている。あと「スペース・ジャム」とかね。
そういう適度に人情モノ的な部分が入っているスラップスティックが、個人的にすごくなごむ。

帰りに丸の内線が人身事故で停止していたため、JRで中野駅まで行き、ついでだからと図書館へ行って本を借りてから家に帰る。

家に帰ったら、「JKマン」から電話がかかってきた。最悪だ。これで面白い映画を見たことも、チャラ。

JKマンは、決して冗談でお茶を濁したりしない。今、私自身がどういう生活をしているか問いつめてくる。「これからは、どんどんそういう話をしていきたい」とか言ってきた。
あと、一昨年くらいに私が病院でブッ倒れた事件があったのだが、かかりつけの医者にそれをJKマンには言わないように私が口止めしていたら、それを漏らしたらしく、「何で黙っていたのか」と文句を言ってきた。
実は黙っていたことすら忘れていた。「『うるさいから黙っててくれ』と口止めされた、と言われた」と非難めいたことを言ってきたが、「うるさいから」という言い方では何か非常に悪い印象になってしまう。私のかかってる医者の言い方もどうかと思った。

「うるさいから」と言ったかどうかというのは、もう忘れてしまったんだけど、JKマンがやたらと脅かすようなことばかり言うから、それを「うるさい」と思ったんだろう。すぐ「脳腫瘍かもしれない」とか言うから。
あんまりうるさいし、黙っていたことも今となっては悪いことだと思ったので、うっかり自分で秘密にしていたことを口を滑らせて言ってしまった。おそらくそういうことが、彼がやたらと電話をかけてくることの狙いなのだろう。
たいしたことではないが、口をすべらせた自分に後悔した。小さな秘密のバクロは、自分では親愛の情を表しているつもりでも、聞いた相手は逆に「弱みを握った」などと思いかねないことが多いからだ。自分の腰のひけた態度が災いした。惨めな気持ちになりきった。

最近、身内に対していつ自分がブチきれるか心配でしょうがない。あんまりのらりくらりとしたこと言ってんじゃねーよ、と虚空に空しくつぶやいてみる。

帰ってきたのは、灯油売りのトラックから流れてくる「月の砂漠」の音楽だけだった(突然、キレイな締め)。

2月27日(水)

ネットをやりすぎると心の中にヘンなスイッチが入り、やたらとダークになってしまうものです(オレだけか?)。
なんですかあのミヤザキカントクの発言は。日本のアニメはセックスと暴力がいけないとかのたまってたようですが、よく指摘されることですがミヤザキカントクのアニメほどセックスと暴力を描いていたものもないでしょ。
まあ本人にとってみれば、「それは違う」ということなのかもしれないが。

忘れちゃいけないのは、ミヤザキカントクは「優れたアニメの監督」であるだけでなく、「優れた美少女アニメの監督」であるということですよ。それは1枚絵がかわいいということだけでなく、動きがイイということ。そして、動き=エロスだってことはわかってるはずじゃないですか。そんじゃなきゃアニメつくる意味ないでしょ。トボケてんですかね?

加藤芳郎が、確か手塚治虫の葬式でだれかとケンカして、「少年ジャンプなんてゴミだ」って言ってましたが、それは加藤芳郎的立場ではわからんではない。加藤芳郎がジャンプで連載したってすぐ終わっちゃうだろうし。基準が違う。
しかし、ミヤザキカントクってのはどう考えても藤子不二雄や永井豪や、あるいは他のアニメ監督と同じ市場で働いてきたわけでしょう。わかんない話だ。

いまだに子供の生活は「テレビなんていっさい見ないで、『うさぎおいしかの山』みたいのが理想」とかいうことも公言しているようですが、そんなことできるわけがない。それは、自然が失われているという意味だけでなく、この情報化社会でできるわけがないです。本当にそうしようとすれば、隔離された村で自給自足の生活でもしていく以外にない。

私は「トトロ」を見たことがなく、見れば多分面白いんだろうし、別にポリシーで見まいと思ってるわけでもないんですが、「トトロの森がどうたらこうたら」とか、「『ととろ』っていうバス亭が大分県にある」とか、そういうニュースにまといつく「掛け値なしの善意」みたいなものがヤです。
しかもそういうニュースのときってテレビに出てくるアナウンサーの中で「トトロ」見てない人いないでしょ。なんで「トトロ」だけ見てんだよ! 他の宮崎アニメも見ろよ! 「ごま塩三平」とか。そんなアニメないけどね。
(いちおう、私の妄想の中では「ごま塩」という名の片目の巨人と三平という名の少年が、伝説の圧力ナベを探して現代のブダペストを旅するという話なんだけど。宮崎アニメだから、すっごい現代のブダペストの描写とかがリアルでキレイなんだ。)

フクシマミズホが「『トトロの歌』を日本の国家にしろ」と言ったという、わたし的にはタナカマキコ騒動どころじゃない聞き捨てならない事件も起きており、なんかそういうのにウンザリです。

今早急にやらなければならないのは、ミヤザキカントクの絵でエロパロを描くだけでなく、彼の絵で「甲殻機動隊」みたいなマンガを描くことじゃないでしょうか。
あとミヤザキカントクの絵の「ガクエン退屈男」などを見てみたいですね。

「ゲームWAVE」、気晴らしに見ようと思ったらまた「番組アシスタント争奪戦」みたいのをやっていた。私は本家ASAYANもそうだし、さらにASAYAN的企画が零落したようなこういう「基準に達しないとレギュラーから降ろす」みたいな番組がどうしても正視できない。悲惨すぎる。だれが。おれが。

だって現実によくあることじゃん? なんで現実にあることをみんなテレビでも見ようとするんだろう。しかも、もっとゴールデンタイムの番組とかならいいが、深夜のゲーム番組で必死になられたりすると心底ヒク。
だってそれが現実だから。
これで伊集院が降りれば面白いんだけど。代わりに彦麻呂かなんかがメイン司会になって。アンタッチャブルの代わりに品川庄司。森本さやかはコーナーのほとんどを担当。紹介するゲームは全部ボードゲーム。「バックギャモン」とかね。

あ、あと本屋で久美沙織の「新人賞の取り方教えます」みたいな本を立ち読みして、ダークになったなあ。「スプラッタ小説を描きたければ綾辻行人の『殺人鬼』だけは読んでおけ」ってくだりがあって、まあ「殺人鬼」は面白い小説だけど、「殺人鬼」を読みもしないでスプラッタ小説を書く人って、いるのかなあ? っていうか、泥縄式に「殺人鬼」だけ読んで書かれたスプラッタ小説なんて読みたくもないよ。

「殺人鬼」だけ読んで書かれた、中世ヨーロッパを舞台にした、貴族同士の恋愛と現代の古本屋でバイトしている青年がひそかに書き溜めている「カッパと森の石松の珍道中」がカットバックで語られる小説だったら読んでみたいけど。
で、参考文献「殺人鬼」って書いてあんの。しかもつまんないんだ。幻想文学的なものをきどってるだけで。

……今日は調子悪い。終わり。

2月26日(火)

仕事から帰ると、昨日買ったプリンターでずーっと須之内美帆子のグラビアをプリントアウトするなどして遊んでいました。

あっちゃこっちゃの同人誌などに、書評を寄稿したりしているんですが、よく考えたらHPで公開したものは基本的にダメなんだよね。
いや、許可もらえばいいんだろうけど。ちなみに、現在まではHP上の文章をヒトの同人誌に寄稿したことはありません。自分の同人誌に加工の上載せたことはあるけど。この辺、むずかしいなあ。

それと、書評をすでに他の人が書いている場合もむずかしい。めずらしい本の場合、それを「発見」したこと自体が一種の手柄だから、先に紹介があって、万が一その本を入手したとしても紹介に気がひける場合が多い。
知り合いの場合は、相談したり許可をとったりして調整してますが。知らない人だとどうしたらいいものやら……。1回、ぜんぜん知らないサークルに手紙を書いて「紹介していいですか?」って聞いたこともある。
その作品は永井豪「雷人サンダー」。発見当時はあまりにオモシロ物件だったんだけど、今は「デビルマン解体新書」(講談社)で復刻され、たぶん気軽に読むことができる。豪ちゃんいいかげんパワーがイイ感じに出てます。オススメ。

それはそうと、書評のネタなあ……。「HPで紹介したやつを書き直せばいいや」と思い込んでいたんだけどそうもいかないっぽい。やっぱり今回はムリかな。

2月25日(月)

仕事がヒマだったので、長年買おう買おうと思っていたプリンターを購入。
さっそく家に帰って、いろんなものを印刷しまくる。
以前買ったプリンターは「スタイルライターII」。そろそろオアシスから脱皮しようと思い、「マックワード」というソフトとともに購入、カラクラでのDTP化をもくろんだのだが、

・「マックワード」が複雑、かつカラクラでは重い
・スタイルライターIIの印刷があまりよくない(もしかして不良品だったか!?)

……という2点の理由により挫折。
今回買ったのはキャノンのなんたら言うヤツで、すんなり印刷もできた。文字の印字がイマイチな気がするが、まあ日常業務には支障ないだろう(そう言いつつ、いまいち気になっていたりする)。

夜中に目が覚めてしまい、メールを開けたらいろいろ気になることが書いてある。
夜中に気になるメールを読むと、その晩ずっと気になってしょうがない。気になりすぎて泣く。

あとは「ボクシンググローブをはめた女の子のCGギャラリーがたくさん置いてある」などの、謎のサイトを見ているうちに時間が経ってしまった。このサイトは、女の子が殴り合ったりするのを好む変態チックなサイトとリンクされている。しかし、いわゆるキャットファイトとは別物らしく、以前見たことのあるキャットファイト系のところとは、リンクの網目がぜんぜん重なっていない。

他にも「悪の女戦闘員大好き」サイトなどを覗くが、ここも「スーパーヒロインファン」サイトとのつながりが希薄。別に正義と悪で分かれているわけじゃないらしいが、どうしてこういうコミュニティの棲み分けがされるのか。不思議だ。
その中で「スーパーヒロインAV研究所」というところは、わりとどこにでもリンクされていた。その理由も、よく調べていないので謎。

あ、リンクページ無用論というのは私も確かに一理あると思うんだけど、こと変態系サイトにおいては必要。カテゴリがなんとなくわかるからね。リンクの貼られ具合で。

・「と学会年鑑2002」 と学会(2002、太田出版)読了。

2月24日(日)

ロフトプラスワンで、トークイベント、鶴岡法斎の「まともにしゃべれ!」1 。
マンガ紹介ネタが多く、たいへん楽しかったです。怪奇特集といった趣でしたが、このあたりまったく不案内なので。日野日出志のマンガは、ホントいろんな意味で恐いなあ。
最初、スクリーンが薄暗かったけれど、後になって比較的ハッキリ映し出されるようになったし(あ、これは怪奇モノやったからとかじゃなくて、照明がちょっと暗かった)。

2月23日(土)

1年ぶりくらいに、ニフの特撮フォーラムでずっと前に知り合った人々との飲み会があった。楽しかった。サワー飲んだんで、軽く二日酔いになった。

・ウェブ上で日記を公開する『ウェブログ』の可能性

確か、多くの人がウェブ上で日記を公開するのは日本独自の傾向だと思ってたが、アメーリカでも増えてきているらしい。それを「ウェブログ」とか言うらしい。
面白いのは、新しい表現形態が勃興していくとき、過去の多くのものとまったく同じパターンを踏むことだ。
この文章では、「大半のウェブログはクズ」だとか、「今後のウェブログの有効性」などが模索されているが、ここでは日本でのテキストサイトのアクセス数稼ぎ問題や、同人誌文化が勃興してきたときと似通った問題点の指摘、および提言がなされている。

こうなってくると、もうそろそろ新しい何かが一定の条件を備えているとき、どんな可能性と問題点が出てくるか事前に予測されても良さそうなものだ。

ここで思うところを2、3書いてみると、

>>「うんざりさせられるのは、『今日はチーズサンドを食べた』などといったことを
>>書くウェブログだ。ろくでもないウェブログで、いちばんよく見るタイプだ。たま
>>らないね。誰が何を食べようと……読んで面白いわけがない。車がパンクしたなん
>>て話を書かないでくれ。書いているものが退屈なら、普通、話を聞いてもどうし
>>ようもないほど退屈に決まっている」

私は英語が苦手なんで、アメリカの優れたウェブログは読んでないんだけど、上記の批判は日本でもよく言われることだ。別のウェブログを取り上げた文章で「飼い猫の写真をアップするのはやめろ〜」とか書いてあったし。
しかし、米のウェブログが何を目指しているのかは知らないけど、私は「今日はチーズサンドを食べた」とか「車がパンクした」と書かれ、なおかつ面白い日記を最近探している。題材がなんだろうと、要は書きようの問題に過ぎないからだ。

それともうひとつ、参加の敷居が低ければ低いほど、クズは増える。ウェブログに限らない。それは「スタージョンの法則」の一言で片付けられてしまうことが多いが、それよりも、「膨大なクズと付き合い続ければならない」というその事実そのものに対して、覚悟を決めた方がいい。
「スタージョンの法則」なんて言うから、生活感から離れてしまうのであって、「膨大なクズと付き合う」とは、ネットで言えばくだらないメールの返事を書くことに忙殺され、掲示板が荒らされ、読んでも読んでもクダラナイ文章の繰り返し、そしてその裏にある共通の凡庸なメンタリティにゲップが出るほど付き合い続けるということだからだ。
それに耐えられるかどうかは、その人の生き方というか、立ち姿の問題だ。
コミケだって、「中が臭い」という理由で3秒で出てきてしまってそのまんまの人と、それでも中に入っていった人を峻別して現在に至っている。そういう比較的泥臭い部分に目をつぶっては、なかなか見えなくなる部分も出てくると思う。

>>ワイナー氏はまた、真に才能ある人々がオンラインで活動するようになるには、
>>ウェブログを支えるテクノロジーが格段に使いやすくならなければならないと言
>>う。
>>「私が関心を持っているのは、医師や教授やエンジニアをはじめ、高い教育を受けて
>>いて専門分野で社会に認められている人々だ。本当の意味でこうした人々が入ってくる
>>ようにしなければならず、それにはあと何段階か使いやすさを高めなければならない」

高学歴者はだれでもパソコンを扱えると思っていたが、米は違うのか? まあとにかく、マシンの使いやすさの追求には賛成するけれども、「ウェブログ」ということに関して言えば、私の考え方は逆で、どんどんあまり高い教育を受けたとは言えない人々が入ってくればいいと思う。
これは、情報のナントカディバイスの問題だとか、新サヨク的な平等感から言っているのではなくて、そういう「普通の人」の日記を探してるんですよ私が。チーズサンドや車のパンクについて書かれて、なおかつ面白い日記を。

ウェブログの支持者には、膨大なテキストの混沌の中から、何か「すぐれたもの」が出てくるのを熱望している人が多く、だからこそ文章力の向上やひとつのテキストに能力を集中させろ、ということを言うのだろうと思う。
が、むしろ問題は、現時点では、似たようなメンタリティの人が似たような生活環境で、似たようなことを書き続けることにあるんじゃないかと思う(たとえば、ひと昔前のパソコン通信参加者の半分くらいはコンピュータ関係の職業に就いている人だと聞いたことがあるし)。
そこから素晴らしいものが出てくる可能性はあるが、それはもし出てきたとしても「似通ったテキスト群」の中の最も優れた何か、であって、そのパターンはたやすく尽きると思うからだ。

いくらジャニーズ事務所が優れたカッコいい男の子養成システムだとしても、ジャニーズ的でない男の子は絶対出てこないのと同じ道理だ(ヘンなたとえだが)。

だれでも参入可能なメディアでは、常に「最も優れた者がチャンスを与えられて出てくる」ことに期待がよせられる。それはひとまず正論だが、科挙制度だとか徒弟制度などの「ひと握りの優れた存在を生み出す」システムと最も違うのは「どーでもえーやつがどーでもえーままに活動できる」という点にある。それは非常にカッコ悪いことでもあるのだが、そこから目をそらしたら、同じ土壌から出てきた人は自分の出自を否定するというさらにカッコ悪いことになると思うし。

そういう意味では、米的なウェブログに対する期待感と、私の考えはまた違うところにある。それは「どーでもえーやつがどーでもえーままに活動できる」ということに当てはまる自分の、自己弁護でもあるのだけど。

・「人類はなぜUFOと遭遇するのか」 カーティス・ピーブルズ(1999、ダイヤモンド社)読了。

2月22日(金)

映画「アメリ」を見る。理由は「流行ってるから」。
「めざましテレビ」かなんかで宣伝してた。

あらすじは、孤独な幼少期を過ごしたために空想癖の強い女性に成長したアメリが、「人々を少しだけ幸せにするいたずら」を繰り返しながら自身の幸福を獲得していくという内容。

最近、映画や小説を読むとき、知人や世間の評価があまりにもジャマをして冷静に楽しむことができなくなってしまった。本作も、「どういう人たちにウケているか」、あるいは「どういう人たちにウケていると想定して批判する人たちがいるか」について考えを巡らせすぎ、ちゃんと楽しめなかった部分はある。
本作について、どこがウケているかを想像し、またそれに対してどういう批判が加えられるかは想像が付くが、想像が付く上でどちらもベタなのでそうした言葉のやりとりはもうヤめてほしい。

主演の女の子はかわいかった。CGの使い方がマンガ的で面白い。この技術があれば「ルパン三世 念力珍作戦」ももっと面白くなったかもしれない。それから、こういうCGの使い方はこれから多くなるかもしれない。「デッド オア アライブ」を見たときもそう思ったけど。
感想終わり。

裁判長が少年に「さだまさしの書いた歌詞を読んでほしい」と言ったという話。

私はさだまさしに含むところはないが、こういうこと(裁判長が特定の歌手の歌詞を読めとかなんとか言う)ことに不愉快さを感じる。
ミヤザキツトムについての本を読んだときも、精神鑑定の医者の中に文学好きの人がいて、やたらと文学者の名前をコメント内に織り交ぜるのだが、そういうのってハタから見ていて不安になる。
個人としてさだまさしや文学が好きなのはかまわないが、もう少しクールでなければならんのじゃないか?

報道のされ方も、「裁判長が勧めるならよっぽどいい歌詞なんじゃないか」的なトーンなんだけど、超一流ではない、一流以下の専門職の人間の文学的素養ってのは、そこら辺の人間と変わらないと私は思っているので。
以前、会社の部長とか課長とかのお気に入りの本を聞く企画みたいのを見たことがあるけど(社内報とかでね)、まあ大半は司馬遼太郎とかです。
司馬遼太郎結構だけど、たくさんのものから司馬遼をチョイスしているわけじゃないから。そこら辺のガキつかまえてきて「面白いと思う本」を聞いて「バガボンド」とか言って来るのと同じだから。あとはどっかの社長の一代記とか、自己啓発本ね。
まあ今回の「さだ推薦」のヒトが、どの程度そういう素養があるのかは知らないけど、とにかく、なんかそんなんでいいのかよとか思うけどなあ……。裁判受けたガキが反省の色がないって言っても、他に方法があるだろうにと思う。

それで連想するのが、確か火曜日の「ごきげんよう」で、毎週出演者のお気に入りの本を紹介するんだけど、なぜかたいていが「大人も感動する絵本」とか「相田みつを系詩集」、それと「自己啓発本」なんだよね。
あれ、だれが勧めてんの? マネージャー? やっぱりそういうののウケの方がいいのかなあ。タレント好感度につながるということで。
飼ってた犬が天国に言ってどうのとか、優香が紹介してたけど、そんなんでいいのか、と思う。

でも、私もお涙ちょうだいをすべて否定しているわけじゃなくて、「まんがの逆襲」だったかな、貸本マンガを紹介する本で、「飼い主が死んじゃって悲しむ子犬」みたいな少女まんがが載ってて、そっちは好きだった。子犬の目がキラキラしてるんだよ。子犬の目の中に星が光ってた。

それと、猿が花粉症で涙を流しているCMで、涙をポロポロ流す猿の後ろで、小猿が一心不乱に毛繕いをしているのが右端にちょっとだけ映ってる。それがすごくカワイイので、みんな見ましょう。
以上。

2月21日(木)

録画して溜まっていたビデオなどを見る。

・「これマジ!?」
ミステリーサークルをつくっているイギリスの集団をニュージーランドへ連れていき、そこで実際にミステリーサークルをつくってもらおうという趣向。
「ミステリーサークル黙示録」ジョン・マックニッシュ(1997、かもがわ出 版)を読んでいていまいちわかりづらかった製作過程について、ビデオで見られるのはうれしかった。
しかし、ミステリーサークルをつくる理由が「インスピレーションで得た図形を地上に描くことによって、オカルト的な現象を起こす」と言っていたのはホントかいな。 イギリス人なんだから、もっと冗談に徹しなきゃだめだよ〜!!
レポーターの女子アナが、感動して泣いていたのもなんだかなあ、である。
やはりこういうのは「元気が出るテレビ」的な描き方が正しいと思うんだけどなぁ。
レポーターは高田順次でさあ。UFO型の帽子とかかぶって、スタジオの爆笑問題とクダラナイやりとりしたりしたらサイコーなんだけどな。

・「ガオレンジャー」
いちおう最終回まで、ざっと目を通す。
何度も書くが、実はすごく悩んで見ていた作品。ちゆで面白おかしく解説されていたり、私の周囲の評判も悪くないのだが、私自身はどこを楽しんでよいのかよくわからない作品であった。
好みの役者が出ないとか、脚本が例年戦隊モノを手がけている武上純希でいいかげん飽きたとか、理由を自己分析してみたが、どうもはっきりわからない。ほとんど同じことが「料理少年Kタロー」にも言えて、どうしてピンと来ないのかがうまく言葉で説明できないのだった。

・「ギャラクシーエンジェル」
2回ほど見たが、ギャグのノリとしては「ハクション大魔王」みたいだなと思った。
それか「いなかっぺ大将」、「天才バカボン」(「元祖」ではない、パパが植木屋さんだったやつ)、あるいは「ド根性ガエル」。
ギャグは一見シュールだが、実はベタ(だと思うがその辺どうなんだろうか?)。物事が解決しないままバッサリ終わってしまうのは、上記のような昔のギャグアニメを思い出させる。それを楽しめるかどうかが、評価の分かれ目だろう。
個人的に比較したくなるのは、アニメの「突撃!! パッパラ隊」で、実は「パッパラ隊」の方が好きなんだな私……。

・「仮面ライダー龍騎」
第1回、2回と視聴。ライダーの造形や変身シーンなどはわりとかっこいい。ただ、今回も敵の目的が不明瞭。この前にやっている戦隊モノとの差別化を図ろうとしているのか……? 個人的にはこの「敵が不明瞭」ってたいへんにストレスが溜まるのだが、そういうのって私だけなんだろうか。
仮面ライダーナイトがクサいほどキザだとか、主人公の女のセンパイがコワモテだとか、そういうのは「タイムレンジャー」の脚本のヒトだなあという感じ。

2月20日(水)

先日、中野のまんだらけに行ったとき、なぜか10年近く前のチャンピオン作品がいっぱい出ていた。秋田書店は、そのままの装丁で名作を昔っから地道に重版する良心的な会社ではあると思うのだが、やっぱりしょーもない作品はしょーもないままに埋もれていくのだった。だから古本屋で探す。

で、中野まんだらけにいっぱいイイものが出ていたから、倉庫にしまってあったものを時間が経ったから放出してるとか、なんかそういうのがあるのかと思って渋谷まんだらけに行ったら、近来希にみる釣果ナシ、って感じだった。

17日の日記に「ビッグサイトのコミティアでは売り上げ2割減」と書いたが、後でよく調べたらかなり売れた方だった。下向いてダークなことばかり考えていると、ロクなことにならないといういい例です。

2月18日(月)

私が最も興味のないもののひとつ、それがオリンピック。しかしもう4年も経ったということが驚きだ。
……とか思って調べたら、店を手伝いはじめてからもう5年目になってしまった。仕事、何にも覚えてないよー。死。

……でまあ話を戻すと、4年前にサトヤタエが「表彰台に帽子をかぶって上がった」として文句を言われていたが、今回も帽子かぶって上がってたことに関しては文句は言われないのか? きっと、4年前のは野球帽みたいな感じでいかにも「帽子」だったから文句を言われて、今回はサングラスを頭に乗せていて、帽子もよくわからないデザインだったので文句を言われなかったものと思われる。
ついでに言うなら、ウエムラアイコの頭にかぶっていたモノ、あれ帽子なのか、それとも頭に何かを巻き付けているのか? いや、巻き付けているわけないか。でも思考を停止させる何かがあるんじゃないでしょうか。そういうものにはあんまり文句言われないんだよなあ。

あと審判問題についていろいろ言われているが、フィギュアスケートでは9人の審判を今後14人に増やし(詳細忘れた)、ランダムに選んだ数人の点数を合計して……とかやるらしい。しかしだなー、その14人が全員結託してたらどうするわけ? ……っていうか、きっとみんなやる気ないんだよ。審判への給料が1円だとか。しかも日本円で。
それとか3日間徹夜した後に審判やらされてるとか。あるいは、フィギュアでくるくる回っている選手が、回転しながら審判に向かって口にふくんだドングリをすごい勢いで射出しているとかさあ。もうびしびしドングリが当たってすごい痛いわけだよ。審判は。

で、どうしてそういう「口にふくんだドングリをすごい勢いで発射」する技術を選手が身に着けているかというと、それは忍者の陰があるんだよ。まずオリンピックに忍者の競技がないこと自体、忍者が暗躍している証拠じゃん。
それと、空手もオリンピックにないでしょ。まあ空手家がそういう悪事をやっているとは思えないんだけど、「コータローまかりとおる!」でコータローが手裏剣を投げるシーンを知っている人も多いと思う。空手と忍者ってのは近いからね。千葉真一だってショー・コスギだって、空手やってるわけだし。繰り返すけど空手界そのものは関係ないと思うけどね。

で、忍者で、しかも戸隠八宝菜とかチンゲン菜とか、あわて丸とか、そういうパロディ系の名前の付いてるやつが、ドングリの打ち出し方を教えていると思いました。
フィギュアの選手がなんでそういうことをするかというと、まあ抗議だね。「フィギュアスケートと、ガレージキットなどのフィギュアを一緒にするな!!」っていう。

……でまあフィギュア関連で「タイムスリップグリコ」の話になるわけだけど、今さらながらほんとにすごいわ、これ。
写真で見たときには「ふーん」って感じだったんだけど、実物を見て認識を改めた。
想像していたより二まわりくらい小さかった。精密だし。
とくに掃除機がよかったなぁ。ホント、あんな掃除機、小さい頃は家にゴロゴロしてて、ボロいしイヤだなあと思っていたけど、今見るとなんで懐かしいんだろうね。不思議だ。
でも忘れちゃいけないのが、造形師の人も、「美しい、カッコいい掃除機のカタチ」ってのを考えてつくってるよね。チューブ部分の曲線とか。座布団の上のネコとか。思いつきで終わってないところがスゴイ。
よ〜し、本気で集めるぞ! と思ってたら、そのいちばんお気に入りの掃除機、捨てられちゃってた。

無。

2月17日(日)

リンクさせてもらっていたイクイリブリウムが閉鎖。お疲れさまでした。

東京ビッグサイトで、コミティア。
この日、大事な別件と重なってしまったんだが(前からわかっていたことだが)、新刊を出そうと思ったり私が寄稿させてもらったParking?「創作系同人誌批評」が出る日だったりといろいろあったので、出席。
あんのじょう、吉田等も多忙で来れなかったし。

できあがった「創作系同人誌批評」は創作同人誌に興味を持っている人には、たぶんいろいろ面白い内容だと思う。スゴクきれいに仕上がっていて、パソコンとかオフセット、そして個人の技術の素晴らしさを思い知った。どんどんコピー誌をやめたくなってくる。昔は内容勝負、とか思ってたが、やはり手触りとか持った感覚とかも違うし。

インタビューさせてもらった木持アート出版に、挨拶に行く。喜んでもらえて、よかった。
後からインタビューそのものを読み返すと、短いしお行儀が良すぎるし、堅い、という印象を受ける人が多いと思う。が、木持アートの作品を読んでからもう一度インタビューを読んでほしい。私が聞いて確かめたかったことと、それに対してさりげなく答えられたことが、普通であるがゆえにかえってワンダーに満ちていることをわかってもらえると……多分思う。

新刊の方は「アイドルマンガ特集」として出した。「ぶっとび」ばかりやっているとネタもなくなるし、そうでないレビューも書きたくなるので出したが、まあ売れ行き的にはいつもどおりな感じでした。「ビッグサイトのコミティアでは売り上げ2割減」という法則も守られてしまったが。
長年やってて、ようやく売り部数に狂おしいような焦りを感じずに済むようになるか。わからん。

3時半までだったが、3時にあがり、マンガ感想系MLの飲み会に参加。飲んだり食ったりする。何を話したかは、覚えているようないないような。部屋の窓ガラスが割れていることとか自分で自分のことをバラしてしまった。

もうちゃんとした絵を描かなくなって2年以上経つが、わずか2年で私が創作マンガを描いていたことを知る人の方が少なくなってしまった。なんつーか、どんなに努力してもシロウト的な乱雑さから脱却することができず、もだえ苦しんで暴れているうちに2年が過ぎ去ってしまったのだった。

2次会に行って、えーと何話したっけ? よく覚えていない。11時くらいまで飲んで解散。

2月16日(土)

朝、同人誌の最後の仕上げ、コンビニでコピー、家に帰ってバッタリ。
過去の記録を見返してみると、2月にコピー誌をつくったことは過去にほとんどなかった。しかし2月の朝がこんなに寒いとは……。
しかも、原稿が完全に完成する前から少しずつコピーするということをやってきたため、何度も何度も早起きして連日コンビニに行かねばならず、ほんっとうに疲れた。
なぜそんな早朝に行くかというと、長時間コピー機を独占できるのが朝しかないから。
しかも、通勤時間に重なるともうアウトなんで、朝4時頃行くんだよ。それがたいへん。

まだ風邪ぎみで、飯もちゃんと食えず、店に行ってちょっとしたトラブルがあって家に帰ってきて折って製本して、ああもう早起きしてコンビニに行かなくていいんだ、やっと眠りにつけると思って布団かぶって寝た。

2月15日(金)

おたく度チェックだってサー。

>>  新田五郎さんお疲れ様でした。あなたの総合おたくパワーは800パワー です!
>>  詳細は次の通りになっています。

>>あなたのマニア度は116パワー です!
>>かなり高い数値ですね。あなたはすでに「○○マニア」と呼ばれている事でしょう。
>>その事に対するこだわりは他の追随を許しません。
>>しかし自分で楽しむ分にはいいのですが、他人にその価値観を押し付けてしまうと
>>友人・知人も離れていってしまうかもしれません。気をつけましょう。

>> >>あなたの危険度は142パワー !超キケン人物です!
>>もはや止めません。と言うより、止められません。好きな事をやって下さい。
>>どうせやるなら歴史に残るような大きい事をやるのもいいかもしれません。
>>当方は一切関知しませんが・・・。

>> >>あなたの萌え度は123パワー !萌えに萌えています!もうヤバいくらい!
>>あなたにはもう現実の女性は見えていない事でしょう。でもそれでいいんです。
>>そのキャラは一生あなたの恋人でいてくれますから!

>> >>あなたのさわやか度は26パワー です。さわやかとはちょっと縁遠いかも。
>>知らないうちにファッション等、人目を気にしなくなっているのでは?
>>もちろん、外見なんて自分が気にしなければいいのです。人間は中身!
>>しかし、外身を気にするのもたまにはいいかと思いますよ。

>> >>迷惑度94パワー !これは高い数値です。
>>あなたの行動は、知らず知らずのうちに他人を不快にしています。
>>自分を見つめなおして下さい。そして周りもよく見てください。
>>自分の事だけを考え、自分だけが楽しければいいという考えを捨て、
>>もっと常識を持ちましょう。
>>それが嫌ならば止めはしませんが・・・。

>>あなたの煩悩度は137パワー !あなたはとんでもない煩悩の持ち主です!
>>108つの煩悩を除夜の鐘で祓うと言いますが、あなたの煩悩は
>>それだけで消えるようなものでは無いでしょう。むしろ、あなたのエネルギーは
>>煩悩にあるといって過言ではありません。それを失う事は死を意味します。
>>そうならない為にも、このまま煩悩で生きていくのが良いでしょう。

>> >>あなたの潜在能力は162パワー !素晴らしい才能です!
>>あなたはオタクとしての才能を誰よりも強く持っていながら、それがまだ眠っている状態です。
>>さあ目覚めるのです新田五郎さん。オタク社会はきっとあなたを快く迎え入れてくれる事でしょう!
>>   ☆新田五郎さんお疲れ様でした☆

なんかこれやるとおれって異常な人間みたいじゃん。まったく。
えーとその他のことについては、身体の調子悪い、親も風邪、前売り券を買ってた「フロム・ヘル」にとうとう行けなかった、世界の各地で紛争が、朝が寒い、世界がもし60億人の村だったら、希望、絶望、そして無限。

・「涅槃の王」巻ノ五 神獣変化・幻鬼編 夢枕獏(1998、祥伝社)

2月14日(木)

寒気がとまらず、我慢できなくなって午後に医者に行く。で、薬をもらう。何度も書いているが近所(歩いて1分)の小児科に通っているのだが、最近の奥さんは小綺麗でなんかムカつく。
待合室で、「婦人画報」とか読んでたらますますムカついてきた。おまえら、そんなに金持ちか! おハイソか! って感じで。

この間、だれかと話していたときに「国会議員にムカつくやつが多すぎる」と言ったら、国会議員に対する悪口に妙に敏感になってムキになって反論してきたが、おれは社会的地位と金を持っているやつは基本的にすべてムカつきます。世の国会議員批判も、「嫉妬」が混ざり込んでいることに間違いはない。要はその「嫉妬」に自覚的であるかということだ。

「おはスタ」では「バレンタインに学校でチョコをあげるのは是か否か?」ということで議論になっていた。おれの結論から言うと意外にも「是」である。
「否」の根拠は、「もらえない子がいて不公平だから」ということだが、生まれ・肉体的、精神的障害・学歴・地位・金・名誉・親が田代マーシーなどの、自分ではどうにもならないことで公平・不公平が生まれているわけじゃないんだから、もらえないやつはそれくらいガマンしろ。世間に出たら、不公平なことばっかりなんだよ!!
(まあ逆に以上の理由でチョコをあげないってやつがいたら、バレンタイン1日どころの騒ぎじゃない根本的問題だろう)
「おはスタ」の統計によると、チョコをあげたことももらったこともない男女が4割近くいた。ということは、クラス全部がそういう行事をやってるわけじゃないってことだ。1割ではキツいが4割なら立派な派閥である。学年別の統計が知りたいところだが、まあ私の小学生のときも、そういう「行事好き」とか色気づいているヤツというのが常に一定量いて、それ以外は「キン肉マン」とか「あさりちゃん」のことしか考えてなかったから、似たようなものだと推察している。

バレンタインで思い出すのはアニメ・マンガなどのバレンタインネタの異常な多さ(「行事ネタ」としては正月・クリスマスと同じくらい多いと思う)と、現実とのギャップ。あと、バレンタインの歌があまりないからいまだに国生さゆりの「バレンタインキッス」がBGMで使われているという状況だ。

なんてねー、そんなことはどうでもいい。夜まで胃の調子がおかしかった。早く風邪なおしたい……。

2月13日(水)

「おはスタ」では、ゲストにミニモニ。、レギュラーで雨上がり決死隊。「ミニモニ。テレフォンリンリンリン!」の振り付け、「カゴちゃんです」、「ツジちゃんです」は宮迫の「みやさこ〜です」からとったものだが、雨上がりが直接「パクるなよ〜アハハ〜」と言ってくるという、おれ的には夢の共演であった。

親が風邪をひいてしまい、「ふーん」と思っていたら私も昼に下痢、胃もたれ、うちに帰って飯を食ったら吐き気および下痢、寒気と体調が最悪に。
「おれも風邪か……」と思ったが、喉が痛くないため何か特殊な病気かもしれん……。もうダメだ……。
食ったものを思い出してみたが、食中毒的なものではないと思う。

日記を読み返していたら、「冬の間に3キロは太る」と2回書いてしまった。まあ人間の思考なんて基本パターンをループしているものさ。

まあとにかく、連日せこせこ書いていた同人誌もたぶんできない。だってこれを書いている時点で、今後どんな症状が出てくるかまったく予想がつかないんだもの。
正直言って、寒さがこたえるというか、この時期に仕事以外で何かをやること自体がムリだった気がする。とにかくあまりに寒い。こんなに寒く感じるのは生まれてはじめてのことだ。

2月12日(火)

長い間借りていた本などを返すため待ち合わせ、その後、軽く飲みました。

2月11日(月)

寒い! なんて寒いんだ! いくら暖房を最強にしてもいっこうに暖かくならず、たまりかねて夜中に「どん兵衛」を食ってしまった。これでまたデブデブ病だ。

「正月太り」というのがあるが、確かに正月は太る。その後「減量すればいいや」と考えていると、2月に異様に寒くなってどうしても食事を減らすことができないため、例年3キロくらいずつ太ってしまう。5年で15キロ、10年で30キロ。

同人誌ねー、せこせこつくってますよ。冬コミで買った本を今頃読んでいたりするんだけど、そのクォリティの高さに泣きそうになりながらも、つくってるね実際。
伊集院のラジオの素人参加クイズを本にまとめたものを読んでるんだけど、あれって事前に問題を教えてもらえずにその場で答えているらしい。すごい頭の回転の速さだ。ショックを受ける。

後は外でガキどもがまたうるさかった、異様な機械音がしていつまで経ってもおさまらないので外に出たらヘリコプターが飛んでいた(でもいつものヘリと違うやつ)、などの精神遍歴を経て、見ようかどうしようか迷ったけど「ライブワイヤー」(アメリカンプロレスの番組)はけっきょく見ませんでしたよ。
おれ、やっぱりプロレスの良さって本質的に理解できないのかもしれない。だってホントかウソかわかんねんだもん。いや、アメリカンプロレスは「ウソです」と明言しているらしいのだが、じゃあなんで本当らしくやるのか、それが逆にわからない。なぜ特撮ドラマでもサーカスでもなく、プロレスなのか?

「ウルトラマン」とか「仮面ライダー」とかは、ウソだとわかってるから安心して見れるね〜。っていうかあれがホントだったら困るよ。いるんだよウルトラマンが。蒲田あたりに。まあそんな設定ないですけど。

録画した先週の「ハロモニ」のゲームは「ボイスチェンジャーで変えた声でだれだか当てる」というものだったが、意外に盛り上がらず。新しくはじまったメロン記念日のミニドラマは謎(しかしアイドル番組のミニドラマそのものはひさしぶりに見たな……)。
チャーミーイシカワが「ご主人様、ご主人様」と連呼していたので、そのシュミの人はみんなサンプリングしているでしょう。力学(ちから・まなぶ)は?

たぶんそういうの好きじゃないから彼は。してないと思う。

2月10日(日)

ちょっと飲み過ぎで「う〜ん、う〜ん」と言いながら起きる。
昨晩からJKマン(日記用語辞典参照)が来ていた。なんだか最近、ことのほか話が食い違うので1時間も話すと疲れてくる。この理由はわかっていて、私自身の考えが凝り固まってきたことにある。だから知的刺激もほとんど受けないし、話も噛み合わない。
もうひとつの理由は、私自身に精神的余裕がまったくなくなってしまったこと。正直、ヒトのことかまってるヒマはないっつーか。なんかもう疲れる……。
遊びすぎで疲れてもいたので、ますます疲れた。

少し雪がチラついていた。

そうそう、昨日吉田等とダベっていて思ったのだが、まあ同じことを何度も書くようだけど、お笑いについてこまごまとした好みについて語り合うほど不毛なことはないなあと思った。
以前(10年以上前)はもうちょっと単純で、同好の士を見つけてはヌルいお笑いをバカにするということで済ましていたんだけど、そう単純には行かないことがわかってきた。
たとえば、ベタなお笑いと小劇場系というか「モンティパイソン大好きなんです」という系統のものを対立させて、小劇場系のモノをお笑いに徹してないからダメだとか、自分たちのやってることをカッコいいと思っているからダメだとか、逆にベタはベタだからダメだとか、いやベタだからこそいいんだとか、そういう議論をしてるわけでしょきっと今でも。高校生とかは。

結論から言うと、それらの議論の元はどんなに言語化しても結局感覚的なことでしかない。で、「どういうことが面白いか」って、細かく突き詰めていけばいくほど他人との微妙な差異が明らかになって、で、けっきょくそれだけ。孤独になるだけ。個人の中で、それほど厳密な法則性って、お笑いに関しては実はないと思う。
自分がただ好き嫌いの問題を言ってるだけだってことに、気づかない人も多いし。ホントはそれがいちばん嫌なんだけど。

2月9日(土)

昨日の深夜から、テクノイベント「キューティ」に行く。吉田等がすっかり忙しくなってしまい、すなわち一緒に行く人間がいなくなってしまったのでしばらくそうしたところには行っていなかった。今回も、直前まで吉田等の都合がわからなかったのだが、夕方電話がかかってきて行けるということだったので、行く。

仲本工事の店「名なし」でビールをがぶがぶ飲んで、開催場所に行ったら11時半始まりのところ12時始まりになったので、そこらをウロウロして林立する専門学校を見ながら「きっと金持ちのボンボンが通っていて渋谷で遊びまくっているに違いない」と悔しがったり、コンビニを出たり入ったりする。

で、開場。最大何人入れるかな? 100〜200人くらいのところ。入り口からフロアまでの通り道的スペースでもCDJでJポップのDJをやっていて、フロアではライブとその準備の間にDJが回す。結論から言えば、とても楽しいイベントだった。
同人誌即売会のときにも書いたが、驚かされるのは決して規模が大きくないイベントで、おそらく本業は別の人たちが、ある程度のクォリティのことをやってのけるということ。以前は海外から有名なDJが来るというと、ぴあで事前にチケットを買って行っていたが、最近個人的にはそういうこともなくなった。これは日本人DJが増えたこととレベルが上がったことが大きい。入場料も2000円か3000円くらいで安いし。
DJミックスのアルバムもほとんど買わなくなってしまったが、小さいイベントでタダで配っているものがそれなりだったりするので、その必要がなくなってしまったのだ。

朝、5時頃終わって、マイアミでダベった後、帰る。家に帰って寝る。

夕方から、コミティア関連の知り合いの人の壮行会。赤坂見附のふぐ屋にて行われる。
地図でチェックして行ったのだが、地図上の「田町通り」とかいうのが「赤阪ナントカ通り」というしゃれた名前に改変されてしまっていたため、迷ってしまった。実はほぼ毎日通っている通りなのだが、焦った。
「会」もたいへん楽しかった。二日酔い対策のためビールしか飲まないことに決めたが、それがよかったらしい。酔っぱらってくると、機械的に酒を口に運んでしまうので、弱い酒の方がいいのだ。

確か(よく覚えてない)11時15分頃お開きになって、丸の内線で帰る人々と一緒に帰った。

2月8日(金)

髪が異様にうっとおしかったので、床屋へ行く。

映画「ヴィドック」監督:忘れた、脚本:忘れた
たぶんフランスの映画か? フランス語みたいのしゃべってたから。19世紀前半のパリ、元犯罪者で今は探偵のヴィドックが、「鏡の仮面を着け、それに顔が映った者は殺される」という恐怖の殺人鬼を追っていて、殺される。
彼の伝記作家や警察などが、ヴィドックの死後なおも殺人鬼を捕まえようと、捜査を続けていく。

いちばん気になっていたのが、殺人鬼の正体は「実はだれかの幻覚だった」とか「時代の象徴だった」というようなギャッフンオチにならないかということ。それに、だれからもいい感想も悪い感想も聞かなかったのでどうかと思ったが、結論から言うとわりと面白かった。ちゃんといちおうの「合理的」な説明があるよ。

見たときは「ふーん」くらいしか思わなかったけど、後から考えたら「そうバカにしたものでもないんじゃないか」と思えてくる。
このタイムラグはどこから来るかというと、映画としてきれいにまとまっちゃってるんで、逆に物足りなく思えるということ。「このクォリティでこのオチかよ」ってな印象になる。

でも、これがマンガやテレビドラマに使われていたら、かなりよくできたプロットの部類に入りますよ。
いい意味でのバカ映画っていうのは「チープな印象なんだけどサムシングを残す作品」だと思うが、最近は全体の印象として「チープな作品」っていうのは少なくなってしまったから、外見は絢爛豪華風なだけにその落差でかえって損をしてしまう作品があるような気がする。名作でもなければバカにもなりきれいない感じで。新しい「猿の惑星」とかそうだったけど。本作も、そうした中途半端さはある。

それともうひとつは、かなり古くさいミステリが好きな人ならこのオチにわかってくれるんじゃないかということ。そういうのまったく興味のない人に、この作品に対してあれこれツッコミされても困るんだよね。それは、ゴジラなんか科学考証的にありえないとか、プロレスでロープに相手を振るとどうして戻ってくるのかと言っているのと同じ。
たとえばガンダムの「リアルさ」などのSF考証に揚げ足取り的なツッコミを入れることが陳腐だとわかっている人でも、ミステリに思い入れがないと情け容赦がない場合がある。でも、本作は「こういうもの」でしょう。それ以上でも以下でもなく。

2月7日(木)

1月22日の日記で、週プレの映画評に対する不満をブチまけたわけですが、その私の不満のもととなった「コンセント」を見てきた。
監督:中原俊、主演:市川実和子。
あらすじは、ずっと引きこもり状態だった兄の変死の理由を探るうち、それをきっかけにヒロイン(市川実和子)にある種のシャーマン的な能力が備わっていくというもの。

見たんで、やっと週プレの映画評の内容が妥当かどうかが検証できる。確かに、指摘どおり主演の市川実和子と他の演技者のテイストの落差が大きい。市川が自然な感じなのに比べて、つくり込んだ演技のヒトが多い。
監督は後から調べたら「12人の優しい日本人」のヒトで、そのときはちぐはぐ感は微塵も感じなかったから、キャスティングの問題なのだろう。「コンセント」でのヒロインが肉体関係を持ったことのあるカウンセラー、ありゃやりすぎ。過剰演技。でもギャグかと思ったらそうでもないんだよな〜。しかし、別にバカ映画的に笑える映画ではない。
市川実和子が脱いでるか脱いでないかだが、脱いでました。かなり豪快に。
しかも、ちゃんとエロく撮っているのがいい。お芸術な映画で、まるで大友克洋が描いたような乾いたヌードを見せられるとうんざりしますからね。それはない。そういう意味では、市川実和子を愛でる映画としてはかなりのモノだと思う。脇役とのチグハグ感も、これは市川実和子をひたすらに引き立てるためだと思えばいい。

(「ポンキッキーズ」の印象から市川実和子を「あんじ」と間違えている人が少なからずいるが、違うのであしからず。)

肝心のプロットだが、原作を読んではいないんだがこの映画にかぎった場合、個人的に何もピンと来るところはなかった。引きこもり、カウンセリング、オカルト、シャーマニズムといったものをうまく組み合わせてはあるが、私にとってはいかにもお行儀がよすぎる感じ。ストーリー的な意外性もほとんどない。これでは「ナウシカ」とか「アルジュナ」のような、美少女が使命を持たされて覚醒していくSFものと、(あくまでも私にとっては、だが)何も変わるところはない。

まあ、ファンなら見てみては、って感じでしょうか。

2月6日(水)

ネットウロウロしていて、興味深い書評に出くわす。で、私が問題にしたいのはその取り上げられている本の別の部分で、孫引きにもなってしまうので、URLは示さない。
その本に書かれている一節は、要約するとこうらしい。

「日本がバブル期を迎える頃に、若者は『無関心、無感動』と言われるようになった。」

おいおい、そんなわけないだろ、「無気力、無関心、無感動」は「三無主義」で学園紛争の終わった70年代中盤からだろ???(この本を取り上げたレビュアーも、キチンとつっこみを入れてるが)。

なぜこんなことになるんだろうか。この本の著者はいくつだろうか。バブル期の若者を苦々しく思っていたとしたら、40代くらいか? 感覚的に「近頃の若いもんは……」というのは許されるかもしれないが、「バブル期」って特定しちゃうと言い訳きかないぞ。

最近あちこちで、過去のことが全部ないものになっている。常にものごとは2、3年の単位でしか変化しないことになってる。後は捨て去られる。数カ月早くヒトより情報を仕入れて、それを披露することに命が賭けられる。
それと、人間は自分の幼少期や思春期に影響を受けたことを基準にしがちだ。そりゃその人の人生の立脚点だから、それ自体が悪いこととは言わないが、何もあんたの人生の起点が、他のものごとの起点とシンクロするとはかぎらないってことだよ。

以前、2、3歳下の友人と話をしていて、「80年代」と言ってもまったく話が合わない。私が80年代前半の話をしていて、彼が後半の話をしていたから。なんか「海賊チャンネル」っていう深夜番組にすごく影響を受けたらしいんだけど、深夜番組が若手のスタッフやタレントの実験場的役割をしていたことと、海賊チャンネルでハデなエロ企画をやっていたことは状況として同じなのか違うのか? そこら辺がわからんと話は進まない(おれも知らない)。
また、同じ友人と「70年代」について話をしていてもサッパリらちが開かない。私が60年代後半のつもりで話していることを「70年代」というのだ。
学園紛争などの時代の混乱がマンガや映画などで表現されていたのは60年代から70年代終わりまでと長く、その間には連合赤軍事件に関連した運動の沈静化が起こっているから、そこら辺を把握していないと話が進まない。

80年代にいろんなことが様変わりして、ずいぶん新しいものも古いものも文句を言われてきたりお互いが憎み合ったりしていたような気がするが、時間が経ってしまえばそれは新しいもの、古いものどちらに自分が立脚点を置いているかの違いに過ぎない。それに理屈と膏薬を付けているだけだからな。

まあエラソーなこと書いたけど、本当は私もその時代時代のことをよく知りません。
でも自分の若い頃とシンクロしてるっていうだけで「あれこそが時代の最大の変化だった」って、それより前のことを調べないで言いきっちゃうのはどうかなあ、と思っただけ。

ティアズマガジン、買ったけどまだ読んでない。WAIWAIスタジオのおれの描いたカット、最低ヒドい。絶望。「ぶっとびマンガ大作戦」に1票入ってた。希望。

今日、ボケーッとしててふと思ったんだが、最近特撮のない30分モノのドラマってないですよね? 「なんたって18歳」みたいな。こないだ「はいからさんが通る」が30分だったのは本気で驚いたけど。やっぱり30分モノの方が50分くらいのドラマより下に見られるってのがあるんですかね?
で、「なんたって18歳」だか「おくさまは18歳」だか「サボテンとマシュマロ」だか忘れたけど、石立鉄男の友達がカメラマンの川崎敬三で、すごく気が小さいって設定だった(記憶だけで書いてるから間違いかもしれん。ちなみに川崎敬三ってのは昔の役者かなんか。「アフタヌーンショー」の司会だった)。
で、毎回まいかい気の小さいこと言ってて(この川崎敬三はドラマの本筋とまったく関係ない)、最終回どうなるかというと、石立鉄男が遊びに行くと、顔を黒塗りにして異様にハイになった川崎敬三と、顔を黒塗りにしたぜんぜん知らない女の人がいて、「取材でアフリカに行ってから、小さいことにクヨクヨしなくなった。この人は現地で結婚した奥さん」って言って、川崎敬三が「ウホホホ!!」みたいに言って終わる。

ああいうの、また見たい。

・「涅槃の王」巻ノ四 神獣変化・魔羅(マーラー)編 夢枕獏(1994、祥伝社)

2月5日(火)

ネットを巡回していたら、バカ映画中心自主映画上映会「シネマ秘宝館」が、夏頃で終了とのこと。驚いたが、館長の日記を見るとそれも仕方ないかな、という気がする。
400万もの借金が生活を圧迫するまでになっているようだし、毎日の日雇い労働も本当に大変そうだ。
これでは「がんばって続けてください」とは言えない。
副館長のごうわく氏のページここを見ても、ますますその気持ちは強まった。

まあ趣味と仕事、生活の両立というのは私も常に考えているから、つい自分と重ね合わせて考えてしまうんだよね。おそらく館長は三十代をちょいと過ぎたあたりで、会社にきちんと就職するにも早い方がいいし、いろいろ考えたんだと思う。
こういう悩みを目の当たりにすると、自分の悩みが小さいことのように思えてくる。
しかし、小さいことに思えてくるから気が楽になるかというと逆で、自分がいかに小さい人間かを思い知らされて、なんか落ち込んで来るんだよね……。2、3万損してもかなり凹むからね私の場合……。

他の人はどうかわからないが、35歳を前にすると、もうどん詰まりに後がない気がしますよ。30歳から35歳は本当にデカい(繰り返すが、他の人はわからん)。
よく、若い頃に先輩から「へー、東京オリンピック知らないんだー」とか驚かれて「おれもトシ取ったなァ」とか言われて、ぜんぜんピンと来なかったんだけど、今その感覚すごいよくわかるから。
永遠に続くかと思われることどもが、パタパタッと終わり始める。続いているものも、まるでダラダラ「サザエさん」が続いているみたいに、ただ継続しているってだけで何か違うモノに見えてくる。辞書を引いておんなじ字をいくつも見つめていると、それが何を意味するのかがわからなくなってくるように。

青春だなんだと言っても、それはしょせん結果を先送りにしていただけだということもわかってくるし、この先、結果をさらに先送りにするか、とっとと終わらせるか、それくらいしか決断の種類がなくなるということもわかってくる。
「自分がどこまでできるか」もわかってくる。よく「自分の可能性を試したい」というが、実際試し終わったらその後どうしたらいいかは、ライフスペースのジイサンだって教えてくれない。

テレビで「ハロモニ」を見てたら、イシカワリカが「ロッキーのテーマ」を聞いて「ジャッキー・チェン……?」って言ってましたよ。もう「ロッキー」を知らない世代なんですよ!! ワーッ!!(泣き崩れる)

でも同時に(急に話は戻りますが)、シネマ秘宝館の掲示板の書き込みなどを見てると、館長はいい友達を持っているなという気もするね……。友人関係の励ましの書き込みを読んでいて、ホロリとしましたよ。

そう、それで自分でいろいろ書いてて思ったんだけど、どんなにダークなことを書いてても、ユーモアがあれば大丈夫な気がするんですよね。ギャグじゃなくてユーモアって書くとダサいけど、ヒステリックに跳ね上がっていく感じじゃなくて、じんわりとした冗談が言えればまだ大丈夫なんじゃないかって思いますね。
ヒトの日記を読んでても、行間に「おかしみ」のようなものがあれば読む。露悪的で、どこに自分の「面白さ」の座標軸を持っているかわからないような書き方は、ダメですな。

2月4日(月)

断続的に「アイドル」について書いててやっと自分で気づいたんだが、これはあくまでもおれ基準なんだけど、私の中では「アイドル」ってある程度メジャーでなければダメなのね。
よく考えたら、「アイドル」ってのと「人気絶頂」ってのはイコールじゃないんだね。「今、人気絶頂のアイドル」っていう表現がよく使われるんでカン違いしてたけど。人気のないアイドルもいるわけで。

「芸能界」にいるそのことの華々しさを享受してないと、自分はアイドルとして興味がないことがわかった(繰り返すが、あくまでおれ基準)。
でもその「華々しさ」ってのは数値化できるもんじゃないんで、たとえばたまたま毎日見てるテレビに毎日出ていればなんとなく好きになってくるし、まあ毎日テレビに出てるってことはメジャーと言えなくもないし(「おはガール」とか)。
かと言って「ワンギャル」がどうかというとむずかしいんだけど、まあ私自身が「輝き」を感じていればいいんだろうね。

だから、ものすごく真剣に追っかけないとどこに出ているかわからないヒトとか、そういうのはどうしても目に入ってこない。でもディープなアイドルマニアっていうのは、そういうところまで追いかけて行くでしょ。ライブとか握手会とかにも行くし。
チョイ役でしかない映画とかも見に行くし。
自分って、それができないんだなあ……と思ったりした。

2月3日(日)

コメットさん☆オンリーイベントコメット☆ぱーてぃに行くことにする。

会場のある藤沢は遠いが、毎日まいにち家と店を往復するだけでは気が狂ってしまう。おまけに週末は毎度まいど、「モテたい」とかいう話しか聞かないし最近。イヤほんと、狂うって絶対。
事前にネットで路線などを調べて(東京人は都内と近県には意外に弱いの!)、9時頃家を出る。
かなり雨が降っていた。

気の短い私にとっては、藤沢までの道のりは長い。同じ車両に、カートにダンボールを積んで引く三人組がいたが、十中八九、目的地は同じだろう。
やっとのことで藤沢に着く。寒くて、腹が減って仕方がないので駅の構内の店でカツカレーを食べる。
遊歩道を歩く。目的地が非常にわかりにくい。イベント専用HPの写真を見ておいてよかった。一瞬迷うが、比較的すんなり会場に着く。
中にはいると、かなりの人数でにぎわっている。

すでに来場していた気楽院さんに会い、その後Gさんに会う。
同人誌をひととおり見て回った後、さまざまなイベントを見物する。

行われた企画としては、
・バトンの得意な人々によるバトントワリング披露
・お茶会(隅の喫茶スペースで、手づくりのお菓子などをくれる)
・星國新聞(会場内新聞)
・カードケーム
・星国へのお手紙(来場者が書いたメッセージやイラストを本にして、注文した人に後で売ってくれるらしい)
・とっておきビデオ上映
・ピカピカ賞(イラスト展示とそれに対する投票)
・福引き、じゃんけん大会

……こうして書くと、かなり盛りだくさんだ。コスプレした人々も何人かいて、正装コメットさん☆、私服コメットさん☆、正装メテオさん☆、私服メテオさん☆、イマシュン(女の子)、犬の機関士さん(男性)などがいた。
さらに巨大ムーク着ぐるみも……。なんというか、紫色のマットのようなものを球状にし、それに目とくちばしを付けて中に人が入る、というもの。門外漢の私には、どうやってつくったか想像もつかん。コスプレした人たちとこのムークとで、わいわい写真を撮っていた。
謎の「ぷるぷるごはん」(ラバボーの主食)をつくったサークルもあって、食べた人によるとどうやら水飴を赤く着色したものらしい。
「星國新聞」は、何時間かおきに発行されるイベント内新聞。「サンシャインクリエイション」などで似た企画は見たことがあるが、この星國新聞はなんとガリ版であった。その場で謄写版で刷っているのも目撃。あまりの懐かしさにのけぞってしまった。
「ピカピカ賞」も、15、6点出て、いずれも力作でカワイイものが多かった。

それと、ビデオ上映。会場入って左に大きなスクリーンがあり、会場右奥にテレビがある。その双方でさまざまなビデオを上映していた。
「コメットさん☆」の最終回などはまだだれかが持っていてもわかるのだが、トワール・サユリーナ(エンディングでバトントワリングを披露したり歌を歌ったりするおねーさん)が、1回だけ「おはスタ」でバトンを披露したビデオ……なんでそんなのとってあるんだ!?
さらに、二代目コメットさんである大場久美子が、他の熟女タレントと組んでCDを出すからみでインタビューを受けたときの番組のビデオとか……(「スプリングサンバ」を歌ってた)。それとコメットさん☆の着ぐるみが鎌倉へ行ったときのイベント時のビデオなどなど。

後は来場者全員にメロンパンをくれたり、福引きがあったり。
同人誌も、むろん何冊か買った。本にこそしていなかったが、鎌倉のどこが「コメットさん☆」内のどの背景かを比較検討して写真に撮り、アルバムにして展示していたところもあった。何百枚も写真を撮ったというなかなかスゴイ話。

他にも6局ネットしかされていなくて、未放映地域がたくさんあるとか、来場者の中には九州や島根、宮城などの遠方から来た人々がいるとか、いろんな話を聞いた。

よく考えたら特定の作品のオンリーイベントって、行くのが初めてだったのだが、いろいろ趣向が凝らされていたのには感心した。同じことを何度も書くが、私自身がそうしたことは苦手なため、ひとつのイベントを成功させる人はソンケイするのである。
コメットさん☆という作品の性質からか、どことなく穏やかな、マッタリとした空気が会場を包んでいた。

閉会後、気楽院さん、Gさんとカラオケに2時間ほど行って、解散。

2月2日(土)

「サイボーグ009」
第15話「さらば友よ」
先週の放送をビデオで見る。2週にわたって、008の母国の内戦を利用して世界戦を起こそうとするブラックゴーストと009たちの死闘を描く。

出てくる敵の「サイボーグマン」、および空飛ぶ戦車などはマンガの「ベトナム編」に出てきたヤツ。それを架空の国に置き換え、あまり出番のない008を主役級に持っていったところがシブい。また、あくまでも同じサイボーグとして戦いたがらない009と、彼を「甘い」とする002、両者の意見を尊重して仲違いさせず作戦を遂行しようとする004など、それぞれのキャラの扱いも実にいぶし銀。
かつての008の親友だったサイボーグマンの設定も、「記憶を消されたが感情はある」のではなく「記憶はあるが感情はない」としているのが、ラストの余韻につながっている。

また、今回の「009」は「特殊能力を持った戦士の集団戦」というところに着目している回が多い。今回は片足をやられた002と、彼に肩を貸してやった009が二人で敵戦車を攻撃する。002は単なる足手まといではなく、片足だけのジェット噴射を使って009とともに宙返りして攻撃をかわす。こういうところがいいんだな、すごく。

次週予告はスカールが高笑いとともに読み上げるというのもすばらしい。ただ、最後何を言っているのかわからず、ビデオを何度巻き戻して聞いてもわからない。上記リンクで、たぶん今日いっぱいは次週予告(今日放送のやつね)の動画と音声が聞けるから、何と言っているのかわかった人、教えてください。

2月1日(金)

実は今日は休み。孤独な、ひとりぼっちの。ダイソー的に言えばザ・ひとりぼっちって感じで。

・第1部
昨日の夜中に飯を食ってしまったので、朝飯をぬく。しかしカステラみたいなやつは少し食べた(じゃダメじゃん)。
ここ1週間くらい、自分の中で近来まれにみる変な(ダークネス的な意味での)変なテンションで、飯はいくらでも喰らうわマンガは読まないわ。もしかしたら毎年こういうサイクルなのかもしれない。だいたいこの時期、寒すぎて食うから毎年3キロくらい太るから。で、夏になっても戻らない。

実は同人誌のネタ出しはすでに終了しており(ま、モチベーション維持のためにテーマは秘密ってコトで)、ある種の決意のもとに制作中。最近では「何でいつもオフセに間に合わないんだろう」と自分を糾弾。三十半ばになってな(そういう悩みは、大学時代にすでに終わらせてください自分)。それにしても、最近みんなよくオフセット印刷の締め切りに合わせてるなあと、それに驚くようになった。

で、資料として「ちゃお」をむさぼり読むために国会図書館へ行くが、なんと現状では閲覧できず、その後も子供向け図書は上野のこどもナントカ図書館に移動するという。
現在は仕分けの時期で、少年マガジンなどの少年向け雑誌も見ることができない。国会図書館でそれらが閲覧できるようになるのが3月半ば、こどもナントカ図書館で「ちゃお」も含めた子供向け雑誌が閲覧できるようになるのが6月半ばだという。
せっかく朝イチで来たのに、ガッカリしてしまった。しかし、情報コーナーのおねーさんがめがねにスーツ姿が決まっててなかなかかわいかったので、2分くらいいろいろ詳しく聞いたりした(まったく無意味行為)。
ところで、国会図書館の受付のおねーさん方は、わりとフツーの人や元ギャルのような人が多い。スクエアーな「司書」のイメージの人は少ないのだが、もしかして情報コーナーの人はそうした「自分内司書像」を体現する、あれは一種のコスプレなのだろうか?

どうでもいいんだよそんなことは!!

その後、気持ちを切り替えて中野図書館に本を返すために中野に行こう……と思い、新宿のアドホックでひさしぶりにスクリーントーンを買って、その後家に帰った。
家に帰ったのは、昼頃になると昼休みで外に出る人が増え、街が混雑するから。で、家で2時間ほど待って、再度出かける。

そして中野駅へ。図書館へ行く前に、いろいろあって「幕張サボテンキャンパス」を買いに「まんだらけ」へ。1巻と4巻しか置いてなかった。いつもどおり、他にもいろんな買い物をしてしまった。ここ1週間ほど、マンガを読む気がまったく起こらないがいちおう買うことは買う。
まんだらけにいて、突然家にあるはずのマンガが本当にあるかどうか気になって仕方がなくなる。早く帰って探さねばと思う(ガスの元栓閉め忘れたような感覚)。

自転車で帰るが、途中でワープロのリボンも買わねばならないことを思い出し、新中野の駅へ向かう。
文房具屋でワープロのリボンを買い、本屋で「ちゃお」を買い(ここの本屋は、おれが学年誌などをごくたまに買うと非常にあやしむ)、さらにコピー誌のコピーを入れるための手提げ袋をコンビニで買い、家路につく。

家に帰って、マンガ本を探し回る。古本マンガの入ったまんだらけの黒い袋がいくつもいくつも出てくるので、我ながら驚いた。10個くらいあった。少し「ぶっとび系」のものについて整理をする。ダブリ買いがふたつ見つかる(しかもそのひとつが遊人の「究極のシェフは美味しんぼパパ」1巻だった)。

おれはいったい何をやってるワケ!? ああ、もう一度バブル時代が来ねえかなあ!!(無責任に)

しばらく整理して、ボーッとインターネットを見ていたら夜9時をまわっていた(しかもADSLでも何でもねーっつーの。またカネかかる)。
モーニング娘。のファンサイトを見て、その熱さにビビる。

・第2部
結局、夜中の2時にウイスキーを飲んで、焼きそばとパンを食ってしまう。ダメだ。
こんなことを続けていたら、太りすぎで死んでしまう。

たぶん、おれが渋谷(井上三太的に書けば「シヴヤ」)を歩いているときに、前から来た暴漢に牛刀で腹を切り裂かれ、「ひでぶっ(定番)」と言った後に、「パーンと風船がはじけるような感じで」腹が破裂したりしたらまだユーモラス。
死んでも道化として、シヴヤの女子高生・OLも朝マックしながら(しねーか朝マックなんて)、スカーッと手慣れた感じでタバコの煙を鼻から出し、しゃべってるときに吐く息の中にタバコの煙が混ざる。そんな会話の中で「昨日、通り魔にだれかが腹刺されて死んだんだってー。しかも腹が破裂して」などとささやかれる。

しかし、そんな予定調和にはたぶんならず、おれの腹の中からは何か「あんかけ」のあんみたいなドロドロしたものがドボドボと出てくると思います。しかもシンナーみたいな非・食料品的な匂いとともに。
見ちゃ行けないものを見た感覚で、人々はそれに触れたくても触れられない。触れるとしたら朝マックよりも、夜の居酒屋で宴もたけなわ、人々がベタな話題に飽きた頃に語られる怪談話的に。
女子大生が海外旅行に行ったら、服屋の更衣室から消えてダルマになって発見されたというような、イヤ〜な話題の流れとして。

さて、話は変わって、明日、明後日と、日本科学未来館で二足歩行ロボット競技大会ROBO-ONEが開かれるそうだ。行きたい……行きたい……。先行者の写真展示などもあるらしい。
でもどうなるかわからん。土日は基本的に仕事だし。何か予定があるときは、いろいろと調整しなければいけないし。どう調整しなければいけないかは秘密だが。

それにしてもこの「調整」ってのがまた、気が狂いそうになるんだけどね。

で、最近はこの「二足歩行型」のロボットに対する興味がとくに高まっていますよね。
何カ月か前の宇宙ステーションについての番組を録画しておいてこの間やっと見たんだけど、そこにもロボットが出てくる。開発中らしいけど宇宙ステーション用の、ステーションの外で作業するためのNASAがつくってるロボットって本当にスゴイことになってたよ。何がスゴイって、指先の動きね。小さいドライバーを片手でくるくる回したりできる(ように開発しているらしい)。
ちなみに足はナイ。宇宙空間用だから。モビルスーツの足なんて、飾りですよ!!(また定番)
ハインラインの「宇宙の戦士」のパワードスーツは、確か生タマゴもつかめるマニピュレーターという設定だと記憶してるが(「宇宙の戦士」自体は読んでないが)、ほんとにソレ並みのをつくろうとしてるらしい。でも何でぜんぜん報道されないんだ?

二足歩行もイイけど、あっちの方が実用度は高い気がすんだけどなぁ。日本人が指先カンケイのことで負けたら、もう後がないでしょ。板垣恵介先生も言ってたでしょ。「空手は手首から先だ」って。

あ、あと本当にあびゅうきょの日記はイイなあ。グチでもダメなのとそうでないのとあると思うんだけど、それについてはまたいつか。

・「涅槃の王」巻ノ参 神獣変化・不老宮編 夢枕獏(1992、祥伝社)



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