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「ぶっとびマンガ」電子版その2
「ぶっとびマンガ」電子版その1
02 CD「USSO」
一気に下まで行きたい
・「絵を描く犬」 写真・文 斎藤忠徳(1998、ぶんか社)
学生の頃、たまたま付けたテレビに、「絵を描く犬」が映っていた。「世界びっくり大集合」みたいな番組。その黒犬は、コルセットで固められ、椅子に座らされ、服を着ていて、まるで機械に操られるかのように右前足を動かし、先端に取り付けられた筆記具で絵を描いた。
・「パブロフ万歳!?」
二人はホモ・セプテムスに、絵画だけでなく射的やピアノ演奏、歌、人間の言葉も教えていた。
町の有力者の奥さん方が動物愛護協会員で、「ホモには不当な虐待と手術が施されている」と決めつけたうえホモを誘拐(!)してしまう。後に作者の取材によって、彼女たちはホモの手術に関してニセの診断書まで用意していたらしいことも明らかになる。
だが、すぐに息子のホモ・オクタブスが登場(何? ドラゴンボール的展開?)。ユレクとリはすでにオクタブスを訓練していたのだった。ホモ・オクタブスはついに87年、日本に来て、たぶん私が見たテレビ番組に出演したらしい。
こうして書くと陽性の珍奇本のように感じられるが、実際は政情不安で物資も乏しい80年代ポーランドでのできごとだからか、何か薄闇の向こうを覗くような不透明感がある。
たとえば、ユレクが犬の訓練を始めた動機が「叔父さんに脅されたから」というのだ。ユレクによれば、彼の叔父・ロマン・ポドラックは、官吏だったが趣味でパブロフの理論を学び、犬の知能を人間並みに高めたいとと思っていた変わり者だった。生前は、
「私の方法で犬を代々育てていけば、100年から200年の後には、犬としての知能を超えた、人間に近い超能力犬が誕生するのだから必ず研究を続行するように」
と言い残し、「パブロフ万歳!」と言って息を引き取ったという。
・「では本当に犬は絵を描くのか?」
「人語を話す」ことについても、ひとつの単語を繰り返すだけならできんこともない、みたいなことが本に書いてあって(本当か!?)、今度はその本が正しいかどうかを疑わねばならず、よくわからなかった。九官鳥みたいな鳥もいることだし、ネコのサーカスもあるし……、などと考えていたら頭が痛くなってきた。知識を頼りにすると、どうも自分で書いてて歯切れの悪いことこのうえない。はっきりしてくれよ!?
(ちなみに、参考文献によると、犬が音楽がわかるか、歌が歌えるか、数はいくつまで数えられるか、人の言葉をどこまで理解でき、いくつまで記憶できるか、などについては、過去に実験が行われているようである。)
いずれにしろ、もし「絵を描く犬」が事実だとしても、ロマン・ポドラックの壮大な構想とは縁のない「学者犬」の計算のようなものだと思われる。要するに「人間から見てそう見える」というだけのことにすぎない。何代経っても超能力犬にはならないだろう。
「ムー」2月号 No.219(1999、学研)にも同じ犬の紹介記事が載っている。
97年、ユレクが亡くなってから作者はポーランドを訪れ、すでに別の男性と結婚しているユレクの元恋人・リを訪ねる。すると、リは以下のように話す。
「ホモは今、10代目になっていますが、真剣にホモの研究をしてくれるグループがようやく見つかって、現在その人たちが犬の研究を進め、また私たちが保存してきた資料を全部調べています。最初は不安でしたが、犬たちも研究者たちを受け入れてくれてとても喜んでいます。もしロマンとイエジィさんが生きていて、今やっとホモが学問として研究されていると知ったら、きっと喜んだに違いないと思います。私たちはこれからもホモの将来と研究の方向をコントロールしていくつもりです。約束で、どことは言えませんが、犬は国外です」
と語る。やっぱりあやしすぎる話だ。
参考文献:
(02.0404)
その動きがあまりに不自然だったため強く印象に残っていたのだが、「日光猿軍団」のように人気者になるでなし、その後見かけることはなかった。
それから10年くらい経って、本書が出た。まさかこれを読み、あの犬にまつわるモロモロについて知ることになるとは思わなかった。
作者の斎藤氏は国際的なカメラマンで、1985年、ポーランドに行ったとき、「絵を描く犬」とその飼い主に出会う。犬の名はホモ・セプテムス(別に犬がホモなわけではなく、正式名はホモカニス・サピエンス・ガルディエンシス・セプテムス・ミュータント)。ホモの飼い主は、イエジィ・(ユレク)ポドラックというじいさん、そして彼の協力者が、若い恋人でもあるリ・カナベッタ。
実際にホモが絵を描くところを見た作者は強い衝撃を受け、なんとかしてこの「絵を描く犬」の写真をとって海外に売り込もうとするが、政情不安のポーランドではことがスムーズに運ばない。あちこちでジャマが入る。町中では電話は半分壊れていてロクにかけられない。下宿のばーさんともまったく話が通じない(言葉が通じないのでコミニュケーションがとれないと思っていたら、ちょっとおかしかったらしい)。仕事を頼んだ多くの人は、極端にルーズだったりする。
ユレクは珍しい犬を持っていて目立っているからと妬まれ、道端で突然だれかに殴られるし、そもそも彼自身が絵を描く犬のドキュメンタリー映画をスピルバーグかゴジラの監督にとらせろ、契約料は50万ドル(1億2500万円)だと言い張ってコトを紛糾させたりする。
それはおそらく、作者が狙った効果なのだろうと思う。社会主義体制の末期であったポーランドの何とも言えないモヤモヤした感じを、「絵を描く犬」の飼い主であるユレクや彼をとりまく人々の狂騒を描くことによって表現しようとしたのだ。
しかし、唯一にして最大の妙なところは、作者自身がそもそもホモとその飼い主であるユレクに対してあまり疑問を抱いていないことだ。犬の学習についても、詳しいことをよく知らないように思えてしまう。最も肝心な、ユレクの犬の訓練法やどういう思想に基づいてやっているか、そしてこの犬がやることがどういったタイプの芸なのかについての突っ込みが不十分なように思われる。
あやしすぎる話だ。
他にもユレクの行動は、「目立ちたいがためにズレている」場合が非常に多い。
せっかくのテレビ出演時に「犬の口を、子音が発音できるように手術した」などと、動物愛護協会に真っ先に糾弾されそうな発言をしているし(作者の調査でウソだったらしいとわかるが、なぜそんなウソをついたのか不明)、日本のテレビ出演依頼が来た時に、犬がせり出てくる手回しのクランク装置を大工に注文したりしている(テレビ局に注文した方がずっと早いのに)。
実は、コレがよくわからんのですよ。私には。
最初は、頭からインチキだと思っていた。今でも「歌を歌う」、「ピアノで1曲演奏する」という点には疑いを持っている。
ところが、本で少し調べても、犬が絵を描くというのは明瞭に「ウソだ」ということは、現在の私の知識ではちょっと言いにくい。
絵を描く行為が、人間と同じような認識をもとにしてなされていることはありえないだろうが、犬が「右前足を、記憶を頼りに、主人の命令によって何度も同じように動かす」ことが可能かどうか。
読んだ他の犬の本には載ってなかった。だってそんなこと普通、試さないもんな。
機械による操作という疑いに関しては、犬の着ている服をあらためたわけではないし、技術的に可能かどうかも(いや、がんばればできるとは思うんだけど、そこら辺のおじいさんがやってできるかどうか)、文系の私に断言はできん、という情けないことになってしまった。
しかし本書と同じ作者が書き、しかもダイジェスト版のような記事だった。写真は違うのが載っているが、コレだけではウソだとも本当だとも言えない。
「実は絵を描く犬はまだ生きている……」なんて、まるで怪獣映画のラストシーンではないか。よくよく考えてみると、ユレクとリの芸人としてのサービス精神が彼らのコメントの随所に炸裂しているような気がしてならないんだけどなあ……。
・「犬の行動と心理」 平岩米吉(1991、築地書館)
・「デキのいい犬、わるい犬」 スタンレー・コレン(2000、文春文庫)