つれづれなるマンガ感想文12月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」11月後半
「つれづれなるマンガ感想文」12月後半
一気に下まで行きたい



・「地獄先生ぬ〜べ〜」(28) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(29) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(30) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)
・「地獄先生ぬ〜べ〜」(31) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)
・「初恋★電動ファイト」 西川魯介(2000、ワニマガジン社)
・「900°(ナインハンドレッド)」(1) カサギヒロシ(2000、小学館)
・「YOUNG キュン!」1月号(2000、コスミックインターナショナル)
・「週刊漫画アクション」52号(2000、双葉社)
・「エリートヤンキー三郎」(1)〜(2) 阿部秀司(2000、講談社)
・「サムライたちの明治維新」 壮野睦、石川賢(2000、リイド社)
・「戦群」(1) 吉川英治、永井豪(2000、実業之日本社)
・「メイドさんbeginner」 バケダヌキ(2000、双葉社)
・「武天のカイト」(2) 鈴木俊介、蜂文太(1994、エニックス)
・「月刊マガジンZ」1月号(2000、講談社)
・「週刊漫画アクション」51号(2000、双葉社)
・「スピリッツ増刊 IKKIイッキ 第1号」(2000、小学館)
・「月刊ヤングマン 1月号」(2000、三和出版)
・「パチスロ7 1月号」(2000、蒼竜社)
・「ヤンキー」(1) 山本よしふみ(1989、角川書店)
・「ヤンキー」(7) 山本よしふみ(1992、角川書店)
・「ヤンキー TURBO」 山本よしふみ(1993、角川書店)







・「地獄先生ぬ〜べ〜」(28) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)

週刊少年ジャンプ連載。
続けて読んでたらさすがに飽きてきちゃって、数ヶ月ぶりに続きを読む。
でもやっぱりいいね。子供の頃「マンガ」って聞いて連想するものすべて詰まってる感じ。
ところで、「SFおしかけ女房キャラ」のゆきめ登場シーンをチェックしながら読んでいるのだが、ふと思いついて検索してみると他にもやってるサイトあったよ! そんなことしてるのおれだけだと思ってたのに……。でもそのリストにヌケを発見してニヤリとしたり、自分の方にチェック漏れがあってがっくりきたり、まったく何やってんでしょうか私は。

「#239 死神」で眼鏡っ娘の死神に死の宣告をされるぬ〜べ〜。死ぬ前にひと目会いたいと、湯上がりゆきめくんのもとへ。

「#240 あぎょうさん」 前回の続き。本当に死んでしまうぬ〜べ〜。ところがこれ、たぶん「ドラえもん」の、「さようならドラえもん」の続編、ドラえもんが帰ってくる回へのオマージュなんだな。イイね。
ここでもゆきめ登場。

「#242 鬼のパンツはいいパンツ!?」では前回登場した美少女鬼・眠鬼(ミンキ)の妖力によって童守小の人物全員パンツ一枚にされる。ただならぬ妖気を感じてかけつけた玉藻とゆきめもパンツ一枚に。ゆきめは着物姿のときはどうやらパンツはいてないが、洋服のときははいているらしい。

「#246  天狐・金毛玉面九尾」で玉藻のピンチを救うことに協力するゆきめ。

「#247 ひとにぎりの魂」ではぬ〜べ〜の幻覚の中の登場人物として、ゆきめ少しだけ登場。
(00.1215、滑川)



・「地獄先生ぬ〜べ〜」(29) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)

ゆきめの誕生日は11月7日で、蠍座らしい。

「#249 ぬ〜べ〜修業時代!?」では冒頭に突然、「ついに今夜結ばれる! ぬ〜べ〜・ゆきめのドキドキ新婚初夜実況生中継」をお送りするとゆきめが言い出し、半脱ぎになって登場(雑誌掲載時、巻頭カラーだったためと思われる)。当然そんなことは行われない。

「#252 霊符師・ヤン=カイルン」ではデートに待ちきれなくなって空を飛んで教室の窓の外にゆきめ出現。う〜んヨシコ先生の授業を覗いていた梅さんやラムちゃんを思い出しますな。

「#253 鬼の手、狂乱!!」 妖怪を憎み続ける男・ヤン=カイルンとの戦いに助っ人で登場するゆきめ。攻撃されて着物が溶けちゃったりして色っぽい。

「#254 激突!! 鬼の手対鬼の手!!」 前回に同じ。

「#255 鬼の手の使い方」 前回に同じ。改心したヤン=カイルンを助けてやるときの不満そうなゆきめの顔がカワイイ。

「#256 妖怪サーカスがやってきた!」 読者から募集した妖怪を出すためのアイディア。作者がアレンジしたらしきものあり、原画のフンイキを壊さないようにつとめたとおぼしきものありでとても楽しい。読者が送ってきたものは当然「創作妖怪」だが、それを「ぬ〜べ〜」本編と矛盾しないように説明をつけているのもさすが原作付きという感じ。
(00.1215、滑川)



・「地獄先生ぬ〜べ〜」(30) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)

「#257 妖怪女子高」 自分も同い年の人間の女の子のように高校に行きたい、と思ったゆきめ(確か16歳)が妖怪女子高に入学。前回同様の読者募集企画で、「女の子の妖怪特集」。コレが「鶴姫」(丹頂鶴の妖怪。アネゴ肌で「うる星」の弁天風)、「マリナ」(マリモの妖怪)、「ごみ女」(ごみの妖怪。ごみ袋をビキニ状にまとっている)などなかなか美少女ぞろい。
「マッサー神(ジン)」というのもおもしろいし。

とくに「ごみ女」は「ごみふぶき」という攻撃技もあるらしいし、これ1回きりではもったいないキャラであった。

「#262 覇鬼、復活!!」「#263 覇鬼、大暴れ!!」「#264 覇鬼打倒作戦!」「#265 お兄ちゃんはどっち!?」「#266 戦いの果てに……」はぬ〜べ〜が左手に封じていた「鬼の手」の鬼、覇鬼(バキ)が復活。ゆきめも戦いに臨む。
(00.1215、滑川)



・「地獄先生ぬ〜べ〜」(31) 真倉翔、岡野剛(1999、集英社)

ついに最終巻。さまざまな伏線が始末され、クライマックスはぬ〜べ〜とゆきめの結婚式。

「#271 プロポーズ大作戦!」「#272 ぬ〜べ〜結婚前夜」「#273 君が流した涙のために!」「#274 見よ! これが愛の最終形態!!」は全部ぬ〜べ〜&ゆきめの結婚にまつわるエピソード。「#275 ぬ〜べ〜からの卒業」で、ぬ〜べ〜九州に転任決定。どうやら前回までに二人は初夜を済ませているらしいことが、「鬼の手」から語られる(一部始終を見ていたらしい)。かなりはっきり明示されてて少年誌としてはめずらしいというか大団円が近いことを感じさせる。

「#276 さよならぬ〜べ〜」 5年3組の生徒と、涙、涙のお別れ。ゆきめと眠鬼(ミンキ)はぬ〜べ〜に付いていく。

巻末に「それからの地獄先生ぬ〜べ〜」収録。九州に転任してからのぬ〜べ〜とその後の5年3組の生徒たち。ゆきめは自転車でかき氷を売るバイトをして家計を助けているらしい。

・「全体の感想」

93年から7年間にわたって少年ジャンプに連載された本作、ゆるい連続性はあるものの、ほぼ1話完結の物語であるためよほどのファンでないかぎり昨年完結したこと(そういえばまだ去年なんだよねー)に感慨を抱く人もいないだろう。まあジャンプの連載内もどちらかというと子供向けだったこともあるし。

しかしこの間にけっこういろんなことがあり、妖怪関係だけをとっても京極夏彦がデビューしていたり、映画「さくや妖怪伝」の公開、妖怪フィギュアがチョコのオマケにつくとかつかないとかで(この辺細かいこと知らない)妖怪ブームというか7年前とは少し違った動きになっている。また、大ヒット作はないとはいえ、憑き物おとしのマンガをよく目にするようになった。
確か「ぬ〜べ〜」は、「学校の怪談」のヒットによるどちらかというと子供向けの怪談話人気に立脚していたが、現在妖怪は大人向けの静かなブームとなっているわけだ。

私も京極を全部読んだことはないのでエラソーなことは言えないが、彼の出現は現在の妖怪をめぐる動きに直接的な影響を及ぼしている。彼の京極堂シリーズ内での妖怪に対する考え方は、確固たる肉体を持っているかのような「鬼太郎」に出てくる妖怪像とはある意味対局の、関係性というか人間の意識の中に結ばれる「像」とでも言うべきものだ。鬼太郎と京極堂との間に、「気」の概念でもって「エネルギー→物質化」という考えで妖怪を描いた夢枕獏を入れることもできるだろう。あるいは諸星大二郎。

おそらく「ぬ〜べ〜」は、そんな妖怪談義の中でも無視されているのではないかと想像する。それは「妖怪」という言葉で想起されるドロッとした重苦しさを同作が備えていない=アニメっぽい、ということが大きな理由だと思うが、基本コンセプトが徹底して「民間信仰、民俗的なもの」であったことは特筆されてもいいのではないか。

むろん、「妖怪」が市井の人々の想像力でもってつくられたことを考えれば、どんな作品も民間信仰の部分を取り入れていると言えるのだが、「ぬ〜べ〜」ではその解釈もが「市井の人々寄り」であった。
たとえば近年の妖怪(というか憑き物)マンガにいちばん大きな影響を及ぼしている京極作品では、「妖怪」の解釈はものすごく大雑把にいって現代思想的である。それは物語のオリジナリティをつくり上げていると同時に、主人公である京極堂の博識に如実に現れている。
これは言ってしまえば京極堂のみが真実に近づいている(他の人たちは京極の視点に気づかない=アホ)かのように見えてしまうことにもなる。まあ彼の場合、博覧強記の男ということになっているからまだイイのかもしれないが、コレに影響を受けてしまうと、作品自体が妖怪をめぐって「知る者と知らない者」を単純に分ける構造におちいってしまいかねない。「科学的思考方法」を楽観的に賛美することができたふた昔前の推理小説ならいざ知らず、現代ではソレは物語自体を「知識主義」へと矮小化させる危険性を持っている。

「ぬ〜べ〜」の場合、基本的にかつて存在したらしい「町の拝み屋さん」のもっとも良質な部分を引き継いでいるという設定である。ぬ〜べ〜の唱える呪文は確か「ちゃんとした」仏教や神道のものではないし、彼の霊や妖怪に対する対処法は、それほど超越的なモノではない。また、迷信が物語内ではそのまま事実として出てきたりなど、かなりストレートである(このあたりが「子供向け」と言われるゆえんだろう)。
しかし、もともと都市伝説をも含めた霊や妖怪の恐怖から子供たちを守るというのが基本設定なのだからこれらのことはまあ当然で、たぶん作者は疑似科学やオカルトなども少し信じてるっぽいのだが、イタズラに恐怖を煽る「MMR」とは違い「迷信」が物語内では「イイ話」にシフトしていくところがいいのである。それぞれのエピソードの霊や妖怪に対する考え方が、ギリギリ矛盾していないのも原作が付いている強みだった。

また、諸星大二郎作品をはじめとする民俗社会のどうにもならなさ、悲惨や残酷を選択しなければ生きていけなかった部分を霊や妖怪に託して表現したものに対して、「子供を守ろうとする気持ちが出るほどパワーアップする」鵺野先生をご都合主義だと考える人もいるだろう。
しかし、ジャンプの「努力、友情、勝利」もまた現代の一種の信仰である以上、同誌を読む少年たちの中にだれが大自然に屈服すること、精霊との交信を「交渉」だとわりきること、人間と妖怪(自然)とに決定的なディスコミニュケーションがあること等々をそのまま受け入れるだろうか。「ぬ〜べ〜」のヒーロー像は、昔の民間信仰と現代人的思考との折衷案なのである。だから、昔話ではほとんど別れなければならなかった妖怪との結婚(ぬ〜べ〜&ゆきめ)もうまく行くのであった。

もっとも、妖怪(大自然)には人間がどうにもならない領域があることは「ぬ〜べ〜」内でもきちんと明示されている。要はそうしたことすらも「ジャンプ的」なご都合主義の元に集束されていくことに対する不満はあるとは思うが、思いきって擁護してしまえばそういうことすらが読者が望む、ある意味信仰しているコトドモにほかならない。
(00.1215、滑川)



・「初恋★電動ファイト」 西川魯介(2000、ワニマガジン社)

今頃読む。成年コミックを含む。B6判。作者あとがきのとおり書けば、「ショタゲット眼鏡っ娘電動模型戦記」である「初恋★電動ファイト」から続く連作と、「学園オカルト邪神ポンチ絵withうすらばか」である「へなちょこヴェアヴォルフ」(前後編)などが収録されている。

「初恋……」の方は、電動四脚メカ「マシネット」(なんか「メカモ」みたいなヤツ)による格闘ゲームのチームである柚乃(ゆずの)隼(じゅん)のコンビがHしたりイロイロする。「へなちょこ……」は、妖怪や邪神やそれらの召還者がわらわらといる学園で、ウジウジしてる狼男の朧谷(おぼろだに)がめがね美少女の野槌さん(人間)を好きになってうんたらかんたらというもの。

局所的な現象なのかもしれないが私の周囲&よく見るサイトではもうほとんどだれもが西川魯介のマンガを読んでいる。大ブームってカンジ。でもソレなんとなくわかるわ。つくりも丁寧だし、プロットはよくできてるし、「そのひとの声を聞くだけで 電流火花が機体(からだ)を走る」とか「山のあなたの空遠く Sci−Fi住むと人の言う」とか細かいところが妙におもしろい。
かなり考え込んでしまったのが141ページのあるコマのバックに「KRAFTWERK」って書いてあったコトなんだけど、コレって自家発電(=オナニー)ってことですよね?

まあとにかく今後もっと盛り上がるんじゃないスかね。なんか広義のオタクにすごく愛されてる印象のあるマンガ家です。
Hの嗜好としては眼鏡っ娘、ショタ、かわいい男の子ライト責められ、ラブコメってカンジですか。巨乳に執着が感じられないのがわたし的にはイマイチなんだが(笑)。
(00.1215、滑川)



・「900°(ナインハンドレッド)」(1) カサギヒロシ(2000、小学館)

コミックGOTTA連載。スケボーマンガ。普通の高校生・シンジが、スケボーに魅せられのめり込んでいくさまを描く。
連載時にはちょっと辛口な感想を書いた記憶があるんですが。単行本でまとめて読むと、とくに強い違和感は感じなかった。
何かに夢中になって、それで自己主張を覚えていく主人公と、戦いを通して芽生える友情、というのはスポーツマンガの中でも好きなパターンです。
(00.1215、滑川)



・「YOUNG キュン!」1月号(2000、コスミックインターナショナル)

成年コミック雑誌。執筆者:はりけんはんな、みた森たつや、あろひろし、GRIFON、島本晴海、B−RIVER、天羽双一、毛野楊太郎、神無月ひろ。

・「アナザー・レッスン」第5話 毛野楊太郎

「教授」から監禁調教を受けているみずきは洗脳の手口を知っていながらますます教授の術中にハマっていく……のかな?

作者得意の(?)回想シーンによるHシーン(久美先生の調教シーン)がえんえんと続くが、そこに回想している人間(みずき)のツッコミがいちいち入っているところがおもしろい。

「マヌケなのはこんなことで喜んでるこいつらの方なんだから!!」

……ごもっとも。調教シーンって、冷静な目で見ると実にマヌケなんだなコレが。
セックス以外のことに重点を置くわけですし。

「なんだよ『正体』って!! Hの時と普段とその時々で違っててアタリマエじゃん」
「どっちが本当でどっちがウソとかゆー問題じゃねーっつーの!!」

これもある意味そのとおり。こういうセリフがSMマンガで読めるというのは、ある種感動してしまう。

こっからマジ書きしますが、「本当の自分を探してどーたらこーたら」とかいう人がまずいて、それに対して「本当の自分などどこにも存在しない」という言い方がありますよね。私は後者の方がひとまず正論だと思います。
後者の意見は、前者の自意識過剰な面を批判するために出てくる場合が多く、それはほとんどの場合において有効なんですが、これが「他人からの評価が本当の自分である」と言いきると、ちょっと固定的になってしまう。むろん、社会生活を営んでいる人間は多くの場合他人の評価(ほとんどそれのみ)で生きているようなモンですので、おおかたは有効ですよ。繰り返しますが。

ところが、それを徹底して突き詰めていくとやっぱり言葉足らず。それは、本作のように監禁調教を受けるような異常な状態のときは当然あてはまらないし、何より「いろんな局面での自分」のどの部分に自分自身が依拠しているか、依拠していくべきかという問題が抜け落ちているから。

だから、みずきの言うように人間はそれぞれの局面にそれぞれの人格がある、というのはまったくの正論である反面、そのさまざまな顔の「どの面」に多くを依拠して生きていくか、ということが多くの場合問題になるのであって、そこまで行くとまた「自分探し」という振り出しに戻ってしまうというわけ。だから「他人の評価が自分自身」と言いきって済むほど、ヨノナカの問題は単純じゃないんじゃないか、と私は思います。もちろんたいていの場合はそれでイイんですけどね。

今回のみずきの調教も、そのあたりがポイントとなって行くと思います。本来、「人格を変える」ことを目的とした調教は、変えるべき人格というかアイデンティティがないと成立しないはず。みずきはある意味価値相対主義者ですが、完全に人格がバラバラな人間は正常ではいられないはずですから、彼女も何かに依拠している。それを見出し突いていくことが「調教」というより「洗脳」の手法だと思うんですが、……う〜んどこか言葉足らずですが、まあそんなことを考えたわけです。
(00.1214、滑川)



・「週刊漫画アクション」52号(2000、双葉社)

「ぷるるんゼミナール」 ながしま超介が載ってないからおもしろさ半減だあー(私にとっては)。そのかわりと言ってはナンだが、「むっ尻娘」 さつき優が再登場!
究極の美尻をもとめてさすらう尻研究家・猿田紋二郎が今度は温泉宿に出現。まあ当然露天風呂覗いたりするわけですけど、「結局二人とも尻違いか」とかいかしたセリフも飛び出してけっこう好き。今回のターゲット(?)である「重責にピリピリしているけど本当は素直になりたいめがねの若女将」っていうのもイイなあ。
(00.1214、滑川)



・「エリートヤンキー三郎」(1)〜(2) 阿部秀司(2000、講談社)

週刊ヤングマガジン連載。県内全域に名を轟かす極悪二人組・大河内一郎二郎(兄弟)。彼らの通う不良高校・私立徳丸学園に、三男の三郎が入学することになった。
当然、学校内は三郎の噂でもちきりになるが、当の本人はまったく普通の高校生(むしろ内気な方)。凶暴な兄たちのおかげで常に恐れられまともな生活を送ってこれなかった彼は、今度こそと思い高校に入学するが、あろうことか兄たちの通うところにしか入れなかったのだった。

あとはいわゆる「カン違いでヒーローとかリーダーに祭り上げられてしまった者」を主人公としたギャグで、なんつーか思いつくのはマンガだと「カメレオン」とか新田たつおもそんなの描いてた、映画だと「サボテンブラザース」とか……とにかく三郎自身がものすごい不良だと思い込まれ、彼の意志に関係なく周囲がどんどんと動いていく。

三郎のすぐ後ろの席に座っている河井星矢(不良、悪知恵が働くようでアホ)が「三郎軍団」を旗揚げ、それに反発する石井武(不良、河井とは比較にならないほど硬派だが、ある意味河井以上にアホ)などがトラブルを大きくしていき、それにただ白目をむいて耐えるのみの三郎、といったパターンが続く。
河井の猿知恵や河井もあきれる石井のイッちゃってるタイプのアホさ加減、そしてその河井や石井に振り回されるその他大勢の不良たち……そんな状況に何ひとつ抵抗できず、流されるのみの三郎というそれぞれのポジションがなんともおかしい。気の毒と思えないところが笑いに直結している。

「カメレオン」は主人公のヤザワ自身に野望と悪知恵と卑怯があったが、三郎には何もなくただものすごい運の悪さがあるだけ、という、ヤンキーマンガにありがちな義理人情は皆無の、状況ギャグマンガとなっている(ただし、三郎には「小便を漏らすと兄たち以上に凶暴化する」という性質があるが、三郎がこれを自覚していないことも手伝って、状況を悪くすることにしかならない。そこがまたおもしろい)。

個人的に2巻まででいちばん笑ったのは2巻の第19話「発動! 転入試験大作戦!! の巻」。不良たちに囲まれた生活に嫌気がさした三郎が、転入試験を受けて別の高校に移ろうと決心する話だが、このオチは想像つかなかった。ヤンキーマンガには何でヤンキーに混じって日常生活にガリ勉や清楚なお嬢様などが出てくるのか、輪切りになり平板化した高校生活において妙な矛盾があるのだが、「マジメな高校生」三郎の存在そのものの矛盾をつくいろんな意味であっと驚くオチであった。

絵は達者って感じではないし、コマ運びもちょいみにくいがそれはあまり問題ではないタイプのマンガ。
(00.1213、滑川)



・「サムライたちの明治維新」 壮野睦、石川賢(2000、リイド社)

リイドコミック連載かな? 明治維新の後、居場所をなくした武士たちの生きざまを、サムライとしての自分自身を捨てることができない上田丑之助を中心に描く。

最近ではムチャクチャパワフルな、力だけでゴリゴリ押していくようなアクションもののイメージが強い石川賢が、生き場所の見つからない男の右往左往を活写している。
侍の絶望感を重苦しくなりすぎずときどきギャグっぽい絵柄を入れて描写していてシミジミする。一度は過去の考えを捨てるものの、丑之助は最終的に市井の人々の中から出ていってしまう。しかし、政府軍と戦ってアッサリ討ち死にみたいな、情緒に流され過ぎない終盤近くの展開もよかった。
(00.1212、滑川)



・「戦群」(1) 吉川英治、永井豪(2000、実業之日本社)

漫画サンデー連載。吉川英治原作の伝奇小説「神州天馬侠」のマンガ化。
徳川・織田に滅ぼされた武田勝頼の息子・伊那丸は、武田家に加勢してくれる者たちを探すため、少数の家臣および「青眼入道」と呼ばれる巨漢にして青い目の僧・忍剣とともに旅に出る。
野武士や甲賀忍者などさまざまな思惑をもった者たちが、武田軍決起の最後の拠り所である美少年・伊那丸を狙う。

原作読んでません。すいません。
暴れ回る忍剣はほとんどバイオレンス・ジャックだし(すばらしい)、バテレンの妖術使い風の男が出てきたりとけっこう好みのパターンなんだけど、原作が小説だからかネームが少しぎこちないかなあ。もっとメチャクチャ脚色していいと思うんですけど。
(00.1212、滑川)



・「メイドさんbeginner」 バケダヌキ(2000、双葉社)

メイドさんbeginner

アクションピザッツ連載。B6版。成年コミック。家事の得意な真弓は、両親がいないため住み込みでメイドとして働くことに。彼女には「おにィちゃん」と小さい頃から慕っていた雅也という幼なじみがいて、彼も真弓のことを愛している。しかしまだまだ平社員でとても真弓と2人で生活していく甲斐性などない。
真弓の勤め先はエステチェーンの若き女社長・白樫計子の家。計子は義弟の灯真との間がギクシャクしていることを悩んでいた。真弓も計子も巨乳だが、灯真は大の巨乳嫌いなのであった……ってな話。

表紙がカワイイのでジャケ買いした。読んでみたら、内容もかわいかった。悪人は一人も出てこないし、Hシーンもそれなり、お話もうっとうしくなくスカスカすぎもせず、すらすら読める。他にもさまざまなシチュエーションのHマンガ読みきりが何本か掲載されているが、いずれもカワイイ女の子のかわいらしいHマンガといった感じで、なごむ。
こういう味は出そうったって出せないものなんだよね。作者の資質と思われる。好印象。
(00.1209、滑川)



・「武天のカイト」(2) 鈴木俊介、蜂文太(1994、エニックス)

たぶん少年ガンガン連載の近未来拳法アクション。どうせどこにも売っていないと思っていたら、近所の古本屋にあったので続きを買う。
西暦2600年代、世の中は暴力だけが支配することに。咬竜掌の使い手にして美少女・マナのもとにやってきた謎の少年・カイト。彼は幻の流派・武天眼流の至高伝承者であった。

「血の流れ」をコントロールして技を繰り出す「武天眼流」の謎が徐々に明らかにされたり、非常に往年の少年ジャンプ臭くはあるもののけっこう楽しめる。

・「武天のカイト」(1)

(00.1209、滑川)



・「月刊マガジンZ」1月号(2000、講談社)

・「仮面ライダー SPIRITS」 石ノ森章太郎、村枝賢一

村枝賢一による、「仮面ライダー」のコミカライズ作品。
第1話「摩天楼の疾風」。ニューヨークで謎の連続殺人事件や失踪事件が発生。
FBIの滝和也は、コレが人間以外のモノの仕業だと直観している。かつてはインターポールに出向していたほどの腕利きだった滝は、ショッカー、ゲルショッカーの壊滅以来「知りすぎた」ためにFBI内での扱いも窓際族のようになってしまっている。
滝はハーレムの子供たちに慕われており、いつも「仮面ライダー」の話をしていた。
むろん、ショッカーを倒したのは滝一人ではない。滝は仮面ライダー・本郷猛とともにかつて戦ったのだ。
彼はゲルショッカーを倒してから姿を消したライダーが来るのを待っていたが、その前にハーレムの子供たちの中からコウモリ怪人による犠牲者が出てしまった。
子供たちの信頼を裏切りたくない滝がとった行動とは? そして仮面ライダーは、本郷猛はやってくるのか!?

最高に泣けた。まずゲルショッカー壊滅後、一人になった滝から話が始まっている時点でグッと来るものがある。小さい頃、いつも思っていた。「滝」ってのはソンな役だなあと。本来かなりの腕利き捜査官で主役をはってもいいはずが、「改造人間」本郷猛の存在によっていつも脇役に押しやられていた。でも仮面ライダーごっこでライダー役がとられてしまったら、次にみんながやりたがるのは滝の役だった。
彼が生身の人間でありながら、正義感は本郷に少しも劣らない存在であるからこそ、敵の怪人に歯が立たない無力さが伝わってくる。そして仮面ライダーの登場。ココでわざわざ巻中カラーになるのもたまらないものがある。ものすごくカッコいい。
独自にアレンジされたさまざまなマンガ家(石ノ森章太郎も含む)の仮面ライダーとはまた違った、実写版のコスチュームに極力近いリアルタイプの村枝ライダー。そしてバイク戦。コウモリ怪人とのニューヨークを舞台にした空中戦、滝との合体攻撃。もうほんとうにすばらしい。これは傑作。激読せよ!!
次号は2号ライダー、一文字隼人が登場するらしい。

なお、ライダーごっこで滝と同じくらいライダー以外に人気があったのは、「ニセライダー」である。「ニセライダー」については、本誌の「濃爆おたく先生」 徳光康之に語られている。そうか、その回の怪人は「ハエトリバチ」というヤツだったのか……。
(00.1207、滑川)



・「週刊漫画アクション」51号(2000、双葉社)

「ぷるるんゼミナール」 ながしま超介は、主人公・深瀬菜々美の尊敬するフェミニズム学者・田嶋陽美先生がものすごいスケベぶりを発揮。現実世界の田嶋陽子センセイは「TVタックル」で浅薄な江川達也批判をしていたらしいが、本作を知ったらどう思うのか。この徹底的に無意味な作品に(もちろんホメ言葉)。「オッパイファンド」 山本よし文は仕手筋の出現で新展開。「キラリが捕るッ」 高橋のぼるでは、やっぱりこの作者は女の子にアホなことをさせるのが好きなのだと確信。ソレがギャグ目的かエッチ目的かは調査中(たぶん両方)。
(00.1207、滑川)



・「スピリッツ増刊 IKKIイッキ 第1号」(2000、小学館)

やっぱりさー、せっかくマンガ感想サイトをやってんだからさー、「アフタヌーンとか読まなきゃダメかな?」とか思うわけさ。つうか、「マンガ読みを自認する人が読むマンガ雑誌」みたいなものを。で、外見からしてアフタヌーン対抗馬的な本誌を、創刊号だということもあって買ってみたのさ。

松本大洋、日本橋ヨヲコ、相原コージ、比古地朔弥、黒田硫黄、唐沢なをき、本秀康、平凡&陳淑芬と坂元裕二、永田陵、しりあがり寿&EVA、伊藤潤二、小野塚カホリ、さそうあきら、森田信吾、片桐利博と信沢あつし、滝沢聖峰、竹谷隆之、林田球、茶屋町勝呂、稲光伸二、英時世、石川賢、見ル野栄司、松永豊和ほか執筆。

一読した感想は……い、息苦しい。息の抜ける作品がひとつもない(ギャグが2本、それとポエム風マンガが1本あるけど)。ちっとも一気に読めない。いつまで経っても読み終わらない。まあこれだけの強豪を集めてつまらないわけがないのだが、すごく疲れて、後半石川賢が60ページもあるって知ってギエーと思ったりした。

なお、以下は特別な断り書きがなければみんな連載第1回目である。
全体の感想はまた後ほど。

・「ナンバーファイブ」 松本大洋

なんか半分滅びかけた未来世界で戦士「ナンバーファイブ」が仲間を裏切って女をさらって逃げて、それを刺客が追うみたいな話。初回なんで内容がよくわからん。絵がむちゃくちゃうまいんでこれでいいと言われればいいんだろうけど。

・「安住の地」 山本直樹

どっかの砂漠の国で戦争が起こって、直接戦場にはなってないけどパカーンと何にもないような場所で、放り出された女子高生ともともとその土地にいた男2人が共同生活を始めるというような話。
おれやっぱ山本直樹ってダメだなあ。あまりにクールすぎて、だれ一人感情移入できる人物がいない。きっと生まれ変わったら山本直樹がチーマーのリーダーで、おれがオヤジ狩りの狩られる側になるに違いない。

・「G線上ヘヴンズドア」 日本橋ヨヲコ

オヤジが売れっ子マンガ家だがそれをものすごく嫌っている少年(そのマンガ家の息子)と、そのマンガ家の大ファンの少年、その少年に恋しているしつこくて乱暴で狂気をにおわせる少女が出会う。オヤジのマンガの大ファンの少年は、オヤジを嫌いぬいている少年の書いている小説を読んでそこに「何か」を感じる。
雑誌全体が「マンガそのもの」をテーマにしているためか、マンガと小説をそれぞれ描く少年が出てくる。何かを書くことによって自分を表現して居場所を見つけていく、というのに昔はすごくあこがれたけれど、今はそうでもないのであまり入り込めなかったのは私の個人的事情か……。
でも「ドラえもん」や「ウルトラマン」を今でも好きな人も、一度どこかでそれらを卒業する感覚を味わい、また戻ってくるという精神の過程を経ているのではないかと思う。もちろんそのまま卒業してしまう人もいるわけだが。子供向けの作品に対しては「卒業」の感覚はだれもがなんとなく認めるが、きっと大人になってもいろんなところに何段階もそういう感覚を味わうときが来るんだと思う。
その意味では「自己表現を広義の芸術によってやるマンガ」というのにたやすく感情移入できなくなっている自分が悲しい。

・「もにもに」 相原コージ

なんか宇宙生物の群れみたいのがもにもにもにっと動いていくさまを描いている。最初ちょっと考えすぎではないか、と思いあまりにトビすぎててちょっとわかんなかったけど、けっこうわかりやすい着地点も用意されているところがこのヒトのスゴイところなんだろうな、と思う。

・「まひるの海」 比古地朔弥

海の家みたいなところで住み込みバイトを始めた17歳の少年・歩(あゆみ)は、そこで野性的な少女・まひるに劇的な恋をする。
本作を読んで、ものすごくダークな気持ちになった。
……というのは、この少年のバイトの先輩像が「一見オタクっぽいけどオタクかどうかはわからない。先輩同士でホモ関係ではないかと思うほど仲がいいが、実は女の子とのロマンスを求めて海辺でバイトしている。顔もスタイルもよくないのにまったく身の程を知らない」というキャラクターで、それを見て歩は「いるよなー、こういう人達って……」と思うのだ。
なんか、女の人って男で「男」を感じさせないキャラクターってこういうふうに映るのかなー、とか思うと暗澹たる気持ちになった。コレは単純に「アニメや美少女フィギュアが好き」という紋切り型のオタク像から、かなりどうしようもない部分を抽出していると思う(彼らがオタクであるとはどこにも描いていない)。しかし紋切り型でないだけにコレは見てて痛々しい。
逆に言えば「男を感じさせない」キャラクターでノーマルな性欲を持っていたりするとさらにブキミに映ったりするらしく、その辺のことを描いているのかなあと。
もっとも、もう一人「女を感じさせない」女の先輩も出てくるし、それらが今後の伏線になっているのかもしれないし、歩をふった女の子の残酷なまでの無頓着ぶりも描いているのでまあ男女平等に冷酷な目を向けていると言えば言えますな。

・「セクシーボイスアンドロボ」 黒田硫黄

テレクラでサクラのバイトをする少女・林二湖(はやし・にこ)は、声だけでその人間のヒトとなりを当ててしまう洞察力を持っていた。中学生だけど非常にクール。謎の老人から誘拐事件のいきさつを知り、犯人探しに乗り出す。
うまいんだけど、女の子の事件に関わっていく動機が唐突すぎるような。「若いのにオトナ」な美少女というのはお話の展開の面白さに比べて紋切り型かなあ。「セクシーボイス」はともかく、「アンドロボ」の方は今後どうなるのか?

・「漫画家超残酷物語」 唐沢なをき

タイトルから予想してみたけど、ホントに「漫画家残酷物語」のパロディだった。
やっぱりうまいパロディは自然に笑ってしまう。

・「Blue Note 藍―調」 平凡&陳淑芬と坂元裕二

絵はメタクソにうまいが、内容はものすごくおおざっぱに言って「ハートカクテル」みたいなもんだな。あんまりいい意味じゃなくて。

・「話すリス」 本秀康

この話に16ページは多すぎるのでは。それと、かわいらしい絵で主人公がさりげにセックスしたりする、っつーのはボクはもうスージー甘金とかがいるからいいです。
本秀康は基本的には好きなんだけど。

・「永田のすず」 永田綾

326みたいなマンガ。昔はこういうの毛嫌いしたもんだけど、なんつーかそういう資質を持ち合わせていてそれを受け入れている人がいるのならそれでいいかな、と最近思う。

・「カリスマアシスタントB&W」 しりあがり寿+EVA

「どんな背景でもすぐに仕上げる」ブラックジャックみたいなカリスマアシスタントの話。ホントに無理難題を出して、ホントに描く。
背景の無理難題を読者から募集するらしい。
全体的にマンガネタ、マンガ家ネタが非常に多い本誌だが、この企画は少し考えすぎなような気がするが。マンガの背景(バック)をネタにしたものは「燃えよペン」など見たことがあるが、この「カリスマアシスタント……」はものすごくマニアックな印象がある。アシスタントの苦労を読者に顕在化させるなら、もっと他に方法があるだろうと思う私はまじめすぎて面白みのない男なのか。

・「阿彌殻断層の怪」 伊藤潤二

読みきり。「人型をしたトンネル」に入りたがる人々。そして入ってから苦しむ。奇想もすごいが何よりこの人のマンガは読みやすい。たぶん本誌では石川賢並みに読みやすい。そこがいい。

・「SHIMI」 小野塚カホリ

数年ぶりに再開した姉弟(どっちもモテ系)が同居することになり、少し近親相姦チックな関係になる。
近親相姦がらみのきょうだいネタはよほどうまくやらんとモノホンのポルノに負けると思うが、たぶん勝算があるのだろう。この人の作品をよく知らないので今後が楽しみ。

・「富士山」 さそうあきら

この辺まで来ると、もう読んでいて疲れてくる。弟が死んでしまい、それに伴って電車に飛び込んで死んでしまおうかと思う女性と、飛び込み自殺者をひいてしまった電車の運転手の物語。イイ話なのかもしれんがアタマから雑誌を読んでいる段階ではもう脳が疲れていてうまく反応できん。

・「追儺伝 SEIJI」 森田信吾

なんか江戸時代の、霊を祓う話。乱暴に言って「荒俣−京極フォロワー」と言っていいんだろうなあ。プロットに新味はないがとにかく絵の迫力がすごい。

・「BEETLES」 信沢あつし、片桐利博

ワーゲンに詳しい喫茶店の店長かなんかの話。コレは興味のある人以外はどうなんですか。読んでいるのかな。余裕があるときは嫌いじゃなく読めるんだけど、とにかくこの辺になると、雑誌を読みはじめて疲れてくるから。

・「ガンズ&ブレイズ」 滝沢聖峰

戊辰戦争の頃、旧幕府軍の、鉄砲を使う町人と刀を使う武士とがコンビを組んで五稜郭脱出をはかる。
兵器や戦闘シーンの描写が細かい。それとドラマ部分とのバランスが崩れなければ、わりと面白い作品になると思う。

・「ドロヘドロ」 林田球

「魔法使い」は「ドア」を自らの魔法で作りだし、主人公・カイマンのいる町「ホール」にやってきて「魔法」の「練習」をして人間をおびやかす。カイマンは頭部をワニにされてしまったが、なぜか魔法が聞かない。たぶん彼と「魔法使い」の戦いを描く。
おお、これはわりとわかりやすくていい感じ。次号へのヒキも充分だし。

・「あざ」 茶屋町勝

坂本龍馬とおりょうの、歴史に残らなかったエピソードみたいになるんだと思う。

・「フランケンシュタイナー」 稲光伸二

大物政治家の娘・美矢は超ゴーマンな女子高生。彼女のお目付役の秘書・桜庭とギャーギャー「戦い」を繰り広げる。最初、父親に振り向いてもらえない不良娘とっいったありきたりな話かな、と思ったらけっこう読めた。なんか江川達也っぽい?

・「アイアイ」 英時世

デビュー作。読みきり作品。小学生同士の恋愛ものみたいな感じ。

・「ユーラシア1274」 石川賢

蒙古襲来時にその撃退を誓った日蓮子飼いの戦士・腐乱衆の戦い。

・「東京ソレノイド」 見ル野栄司

工員がバンドを組もうとしてアレコレするギャグマンガ。なんかな〜。ここまで(雑誌を)読み進んで来ると、いいかげん読んでて疲れるなあ〜。いやコレがつまらないってわけじゃないんですけど。

・「エンゼルマーク」 松永豊和

最後は視覚効果に重点を置いたサイレントマンガ。うん、それは雑誌全体の構成としてはいいと思う。コレもあえて大雑把に言えば「絵がキレイな漫★画太郎」だとか「久里洋二」とか思い出しましたけど。むかーし、夜中に久里洋二のアニメ、テレビでやってたな。あれ何だったんだろうな。

次は企画モノ2本。

・「ボツマン宣言」 いとうせいこう&川崎ぶら

一読して非常にわかりにくい記事で、どうも「通常の新人マンガ賞の選考基準でボツとなった作品を違った視点で見て選び直すことによって、新しいマンガを発掘する」というような企画の第1回らしい。「ボツマン宣言」ということで、ポーツマス条約に引っかけた「ボーツマス条約」というのが載っている。
はっきり言って、懲りすぎ。最初なんだかサッパリわからなかった。また、この企画にパロディ的な誌面構成をする意味がどこまであるのかも疑問だし。……まぁ、あまりに安易なのもどうかと思うが、「どうです、凝ってるでしょ〜」みたいなのが見えて疲れてくる。
まあ本当に面白いボツマンが集まるのなら、それもよしとするが。

・「追跡者 失われた漫画への旅」 第1集 韮沢早 竹熊健太郎

「手塚に先駆けた天才がいた!」という。それが韮沢早(にらさわすぐる)。彼は「宝島」より先んじて「海賊島」を描いていた。彼の発見・追跡が、マンガ史を塗り替えることを確信し、次号から「常に早すぎた男・韮沢早」と連載そのものが改題されることに。
正直言って、これも懲りすぎ。最初、どう考えても本当のマンガ・劇画史の記事だと思って読んでいた。フェイクだと思ったのはようやく記事全体を読み終えるかどうかというところ。筆者の竹熊健太郎が、実際の「失われた漫画」の探求をしていることがますますフェイクかどうかの見分けがつかなくしている。
セルフパロディによって、マンガ表現の段階的進化を追っていこうというムチャクチャ凝った構成だと思うが(万が一、本当の記事だったらスマン)、……まあなんか「笑い」より先に「ダマされ感」が強く残るんだよな……。「手塚中心史観」以外からの視線というものに極力目を通そうとしている私としては、本作が「手塚中心史観」から違った視点を提示するようなテーマのようで、実はぜんぜん違う出だしにまず肩すかしだったし。むしろ主題としては正統なマンガ表現論みたいになるんでしょうね。

こうした架空の何かをデッチ上げるパロディものは、どこかに明確にフェイクだとわかる部分を残しておくべきだと思うが、本作はあまりに懲りすぎている(たとえば資料として登場する昔のマンガなどもリアル。リアルすぎてホンモノとニセモノの区別がつかない)。理解するのに時間がかかりすぎて、笑いにつながらない。
たぶん、マンガをまったく知らない人が読んだら信じてしまいかねない。だから……ちょっと高踏的すぎるんじゃないかと思うんだけど……。
たぶん第2回も読むとは思うけど。

・雑誌全体の感想

スピリッツっていつも思うけど、箸休め的なマンガが実に少ない。本誌では「わかりやすい」という点においては平凡&陳淑芬、森田信吾、滝沢聖峰、石川賢あたりがクッション的な役割を担うのだと思うけれど、やっぱりもっともっと単純で読みやすいストーリーマンガ、ベタなギャグマンガを入れてもいいと思うんですが。
それと全体のコンセプトは「マンガ家およびマンガ」ということになると思うんだけど、そういうことをドーンと全面にもってきちゃうあたりに自家中毒的な印象を抱いてしまうのは私が単純すぎるからかな。企画モノと合わせて作品群があまりにマニアックすぎるし、またその真摯すぎる態度がうっとうしいような気もしてしまう。

でもまあ本誌が売れて、「アフタヌーン」との戦いっていうのが状況的に明確に打ち出されてきたら楽しいな、とも思いました。

個人的に次号も読みたいなあ、と思ったのは、相原コージ、黒田硫黄、唐沢なをき、小野塚カホリ、滝沢聖峰、林田球、竹熊健太郎、石川賢。次点、日本橋ヨヲコと稲光伸二。
(00.1206、滑川)



・「月刊ヤングマン 1月号」(2000、三和出版)

・「どろろん艶靡ちゃん」 永井豪

第2回。今回は「なぜ艶靡ちゃんは全裸か?」という疑問に答えが……。「もちろんサービス」、それと「けっこう仮面と張り合いたい」という艶靡ちゃんの希望だそうです。
登場するのは透明妖怪「淫靡痔ブル」。なんと淫靡で痔持ちのブルドッグ妖怪というハレホロな妖怪なのだが、なんだろな〜けっこう笑ってしまうのはヒイキ目かなあ。

艶靡ちゃんの家が艶靡ちゃんの大股開きポーズのカタチをしており、その股間の入り口に「開けゴマンコ」と言って入り、「オヤスミンコ 明日は透明妖怪ぶっとばすかんねー」というセリフを言うところなんかは完全に豪ちゃん節だと思うんですわ。

で、その辺のあらすじを知り合いに話したら、「なんかアンビエントな話だなあ」とか言われた。前回、「豪ちゃんのセンスは『けっこう仮面』や『へんちんポコイダー』以来、少しも衰えてない」と書いたけど、それは今でも思ってるんだよね。だけれど、昔親に隠れて読んだような過激さというのは、青年誌であることを割り引いても確かに、ない。
でもコレは、豪ちゃん自身が変わったというよりは(少しそういう面もあるが)、マンガシーン全体が過激化してしまった結果、相対評価で変わってしまったということなのではないか、とも思うのでした。

・「ミツマのトリコ」 岡崎つぐお

ハロウィンの夜に3人の美女精霊(風の魔アネマ、水の魔ヒュドラ、地の魔のペトラ)と契約することになったチギルくんこと三渚契一(みつま・けいいち)。3人もの精霊を呼び込んでしまったのは、彼の優柔不断さゆえだった。ガールフレンドのみつまともうまくいっていないし、美女精霊とのあらぬ関係を勘ぐられる始末。

ただの人間であるみつまが、精霊たちにからんでくる設定がなかなか面白い。

・「ハイエナの夜」 夢枕獏、松久由宇

離婚歴ありの30代カメラマン・滝村薫平の関わる事件を描く一話完結のハードボイルド・アクション。
今回は主人公の滝村は拷問に耐えるだけで話が勝手に進行していくという、妙なプロットだった。
(00.1204、滑川)



・「パチスロ7 1月号」(2000、蒼竜社)

ランブルアイズ

・「ランブルアイズ」 石山東吉

主人公・七瀬瞬は、左目だけにアフリカ人から見出された11.0という驚異の動体視力を持っている。彼は悪のパチスロ軍団・エンジェルバンプと戦ったが、そこに「渋谷カリスマ(通称渋カリ)」のリーダーが登場。瞬は榊とコインラッシュ対決をすることになる。

とんでもなく熱いパチスロ対決を見せてくれる本作、「第1巻」の表記のない単行本が1冊出ているのみである。連載回数から行けばすでにもう1、2冊出ていてもおかしくはないので、ぜひ続編の単行本化を望みたい。

ところで今回スゴイのは、おそらく脇キャラである「渋カリ特攻隊長」の名前。「鹿沼 殺(かぬま・さつ)」。「悪魔ちゃん」と付ける親がいても、「殺」と名付ける親はいまい。しかし作品内ではたいして違和感ないのである。
これがマンガ・マジックなのか!?

・単行本「ランブルアイズ」

(00.1204、滑川)



・「ヤンキー」(1) 山本よしふみ(1989、角川書店)
・「ヤンキー」(7) 山本よしふみ(1992、角川書店)
・「ヤンキー TURBO」 山本よしふみ(1993、角川書店)

「コミックコンプ」か「電撃コミックGAO」かなんか連載。詳細未調査。
暴走族の総長・東(あずま)、女たらしの西恩寺、発明狂の天田、大ボケ少女・小泉等が静岡の高校で巻き起こす事件の数々を描いたギャグマンガ。

現在、個人的にハマっている週刊漫画アクション連載中のマンガ・オッパイファンドの作者・山本よし文と同一人物の手になる作品と思われる(それもホントのところでは未確認)。

もともとヤンキーマンガがわりと好きで収集しているうちに、古書店でやたらと目につく「ヤンキー TURBO」を「オッパイファンド」連載前にゲットしていたのが本作との出会いだった。この「ヤンキー TURBO」という単行本は、どうやら「ヤンキー」という作品の最終巻らしいのだが、単独で見た場合ソレとはまったくわからない。第一、相当のページ数が担当編集者を題材にした楽屋オチマンガで占められている。
「裏暴走族リアルマンガ」として知られる雄樹慶の作品に、「表」のヒット作である吉田聡「湘南爆走族」に見られるポップさが皆無だったのとは対照的に、なんと本作はヤンキーマンガでありながら「アニメ絵」なのである。なんか「サイレントメビウス」みたいな。たぶん「マンガ地獄変」の番長・ヤンキーマンガ特集からも抹殺されているハズ。そのあまりの謎加減に、ゲットして積ん読していたのであった(それと、こうした「全1巻モノ」は古書店では一期一会の可能性がある、というセコい考えもゲットの理由のひとつ)。

そして「オッパイファンド」がはじまり、作者の他作品も漁ってみたくなった。そして知ったのが「ヤンキー」というマンガの存在である。未調査だが、少なくとも7巻まで単行本として出ている。そこではじめて「ヤンキー TURBO」の意味がわかった私であった。

さて、そのようないきさつはともかく、1巻と7巻をゲット(全巻買うにはその日自分の持っている荷物が多すぎた。最終巻らしき7巻を購入したのは、どんな作品でも後の巻ほど部数が減って入手しにくいという理由による)。しかしそれは私にとって当惑を禁じ得ない読書体験となった。

第一に不可解な点は、主要登場人物は東以外ヤンキーでも何でもない。東の友人として何人かのヤンキーは登場するものの、あくまでも東、西恩寺、小泉ときてその後に続く脇キャラである。
第二に、ギャグが……その……言いにくいことではあるが、私個人はあまり笑えんのですよ。現在の「オッパイファンド」のように、「ツッコミのないギャグ」を志向しているような高度なワザなど皆無。対しておかしくないベタネタの連続になっている。
第三に、展開そのものがヤンキーとほとんど関係がない。なにしろ第一話が「幽霊退治」の話である。「ヤンキーを主人公としたギャグマンガ」という基本コンセプトには忠実ではあるが、主人公がヤンキーである理由がきわめて希薄である。

あまりに戸惑ったので、第1巻を読んだ後、間をトバして第7巻を読んでみる。確かに絵はうまくなっている。何人かのヤンキー的新キャラも増えている。「デパートでやる子供向けヒーローショーの題材が『カバトット』」など、かなり笑えるネタもあった。だが基本コンセプトは変わらず、大きく化けたという印象もない。

そして「ヤンキー TURBO」。ここで「ヤンキー」は実質的な最終回を迎えるが、それも最終回らしい最終回ではない。イキナリ普通のエピソードで終わる。そして後は楽屋オチ。

いちおう、「静岡の高校」と地域を限定し、暴走族の改造バイクなども克明に描いている(っぽい)し、そうした点ではヤンキーマンガの基本はおさえていると言えるのだが、絵はバリバリのアニメ絵、おそらく掲載誌もオタク向けで、ギャグにもオタクネタが非常に多い。こりゃ掲載誌を当たってみないとノリがわからんよ。そういう意味で、雄樹慶の「実録 爆走族」とはまったく逆ベクトルの力を持った、フリークス的なヤンキーマンガと言えるかもしれない。
コレを読んでいたヤンキー読者というのがまったく想像できないという点で、まったく謎のマンガである。コレを読むと「オッパイファンド」でこの作者は確実に「化けている」と感じる。
(00.1201、滑川)

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