2000年問題の次は、3000年問題だ!!!

つれづれなるマンガ感想文
一気に下まで行きたい

1999年

12月31日(金)

1999年、最後の日記。
コレを書いているころには、すでに新年もはじまっているので、もうわざわざ過去の日記を開いて見る人も少ないかもしれない。

昼間、吉田等とメシを食うがなんか話がかみ合っていなかったような。

さすがに大晦日なので、なでる程度に掃除をする。
むろん、まったくきれいにならない。
床に本を散乱させれば部屋は「散らかっている」ことになるし、これらの本を机の上に乗せれば「まったく机上での作業ができない」という事態になってしまう。
そんなダブルバインド状況をくぐり抜ける方法はただひとつ。
「適当なトコロで切り上げる」にかぎる。

現在40代後半から50代くらいまでの人の中には、家に親戚を呼んで(あるいは呼ばれて)新年のお祝いをする、というのが恒例行事になっていた家庭も多いらしい。
ウチも、私が小学校低学年くらいまでは、お正月というと大勢の親戚が押し寄せ、大人は酒を飲み、子供はゲームなどして遊んでいた。
だがいつの間にかその行事はなくなった。

理由はひとつ、女性陣の負担が大きすぎるからだ。
来た親戚のおばさんたちも厨房に立っていた。正月から働かなくちゃなんない。
時代の流れでそんなことはやらなくなった。
かといって、高級レストランでも予約すればいいんだろうが、なぜかそういうこともやらなくなった。

学生の頃に、親戚同士で集まったりすることをやたらめんどうくさがる時期があるが、そういう時期を経ても、ウチの特殊事情か知らんがそういう行事は消滅した。

今年は2000年問題が気がかりだったこともあって(2000年関連で出勤していた人々には本当にご苦労様でしたといいたい。職種にもよるだろうが、2月の29日頃まで気は抜けないとしても)、外に出る気にもなれず(ここんとこ毎年、閑散とした飲み屋で帰省しない友人と大晦日を迎えることが多かった)、どうにも手持ち無沙汰な状態であった。

ところで、すでに3000年問題を考えていた私は先走りすぎていた。この場を借りておわびする次第です。ごめんちゃい。

だいいち、家には私と親しかいない。
とくに話すこともないし。

毎年大晦日から新年に至るまでというのは、個人的に非常に緊張する。まあ身体はだらだらしているだけだが。

だって「1年の計は元旦にあり」ですぜ。自分は去年ちゃんと物事をやってきたか? そして次の年にちゃんとやっていけるのか? そういうことを考えるにつけ、「お年玉がもらえるから」というワクワク感(そんなものはとっくにないのが当たり前だが)や新年への晴れ晴れとした希望より、何かそら恐ろしいような感覚が襲ってくるのだった。

紅白歌合戦をざっと見た。
もともとNHKのバラエティー下手は定評があるし、紅白はその中のひとつであるという認識しかなかった。
これだけ音楽のニーズが別れてしまっている昨今、老若男女の好む音楽を同じ場で聞くという「紅白」にものすごい違和感を感じている時期もあったが、今年は妙に素直な気持ちで見れた。

「モーニング娘。」などを見ていると、若者の音楽はいわゆる「芸能界的なモノ」、「歌謡曲というか和製ポップス的なモノ」からどんどん乖離していくかというとそれだけでもなくて、確実に「和製ポップス」にニーズがあることを再認識させてくれる(それがより「洋楽」的なモノを目指す人々の頭痛のタネになっているかもしれないんだけれど)。

SPEEDは解散するけど広義のアイドル需要もそう簡単にはなくならないことを証明してくれた。
応援団でどんなお笑いの人が出ているかも忘れたが、まあとにかくそういうのもパターン(王道)だし、美川憲一と小林幸子の衣装合戦も近年の目玉になっているし、ピカチュウも出てたし、
根本的に番組全体の時間が「長い」(親戚一同が集まってワイワイ言いながら見るものだから、冗漫でもいいのだろう)ことを除けば、時代を集約しようとしながらズレているような感じ、は今回少なかったように思う。

話を戻すが大晦日〜正月というのは、私にとっては昨年を振り返り次の年について考える反省モード(結果少し不機嫌になってしまう)の時である。
だから、各国の花火を飛ばしたり路上で大騒ぎしたりするカウントダウンの光景を見ながら、山本カンサイだかだれだかが「日本は大晦日でも家で紅白見てるだけ。もっと外に出て嬉しさをアピールしてもいいのでは(大意)」には首肯しかねる。

「反省モード」は私の特殊な過ごし方ではないだろう。ここ十数年、日本人はみんな家でスタティックな大晦日〜正月を迎えてきたし、核家族化で家にいる者の人数が減り、テレビに依存しているようには見えるが、「静かに過ごす」のは伝統とは言わないまでもイロイロと意味があるように思うのである。

まあ、海外旅行先で大騒ぎしている人もかなりの数いるのかもしんないけどね。

12月30日(木)

おそろしくつまんない休日。
あんのじょう、テレビがつまらん。「スターものまね」などは、そのスジのマニアにはたまらんのだろうが、私はあんま興味ないし。
映画もいろいろやってたけど、テレビで映画を見てもあまり「年の瀬」って感じがしないのよね〜。
とにかく、年末、そして正月番組は玉石混淆。注意していないと見たい番組を見逃し(それも特番だから後に再放送を探すのもタイヘン)、ドウデモな番組をえんえんと見させられることになる。

あ、年末だけということらしく再結成していたピンク・レディーを見たが。
この人たちは本当にすごいと思ったね。うん。尊敬する。

世間では「大掃除」とかいうものをやっているのだろうが、私は「大掃除反対派」としてラディカルなストライキに入っていたのでやりませんでした。
だって、毎年大掃除してたら一生で50回以上の大掃除をしなければならないわけでしょう。
これを2年に1回にすれば半分に、3年に1回にすれば3分の1になるという、スバラシイ展開になるわけですよ。でも部屋はどんどん汚くなるけどね。

「クイック・ジャパン」で、前号から雑誌「ポパイ」の特集をやってて、70年代後半のポパイをいちおういちばん面白かった時期、としてるんだけど、70年代後半っていったら「宇宙戦艦ヤマト」が公開されたころですよね。そんときに、その熱狂とはまったく関係ないところでスケボーやったりフリスビーやったり、アメリカのなんつーの? 太陽の下でスポーツしているみたいな。そういうのに熱狂している人がいたというのが個人的には興味深いというか。
「宇宙戦艦ヤマトファン」と「フリスビーやってる人」ってのはまったく交錯することがなかったのか、とか、フリスビーしながら宇宙戦艦ヤマト見ている人がいたのか、フリスビーの上に宇宙戦艦ヤマトのプラモをのっけて投げていた人はいたのか、とか。それをくわえて走った犬はいたのか、とか。
なんかイメージ的にはまったく別々、って感じするから。

あと「村上春樹ファンとアニメファンは交錯するのか」ってことも寝っころがって考えて。「ノルウェイの森」のときに熱狂的に読まれたけど、そんときに村上春樹の同人誌とか出す人いたのかなーと。それも、サブカルっぽいノリじゃなくてパロディマンガ描いたりとかって人はいたのか、とか。私が見たかぎりいなかったけど、知っている人は教えてください。
だいたい、村上春樹ってアメリカのトルーマン・カポーティだかレイモンド・カーヴァーだかという純文学作家の影響とか、あと全共闘世代であることとかポストモダン的なアプローチでの評論とかしか目にしなかったけど、エンターテインメントの立場から論じた人っているんでしょうか。いたらゴメンなさい。

でも、「風の歌を訊け」に登場する自殺したパルプ作家デレク・ハートフィールドは「英雄コナンシリーズ」のロバート・E・ハワードがモデルだというし、村上春樹はロス・マクドナルドやラヴクラフトのファンだと公言してもいるし、「ダンス・ダンス・ダンス」は探偵モノの基本プロットを利用した作品だということもできるんだから、もう少しそっち方面のことについての言及があってもいいと思います。
とくにハートフィールドに関しては、村上春樹自身がモデルを明かしていないと記憶しているんだけど、ハワードファンの私としては彼がハワードをどう思っているかとかが気になったりするんですわ。

あと「羊をめぐる冒険」をアニメにしたらどうなるかの設定資料集とか、そういうのつくりたかったなあ。アニメに詳しくないからうまいパロディができそうになくてやんないんだけど。
とにかく、あんだけ売れてて、セリフとかスタイルが他のジャンルでマネされない、ってのはかえって珍しい。それが村上春樹ファンのスタイルなのか何なのかは知らんけど。「やれやれ。」というセリフくらいじゃないか。ひんぱんに出てきたのは。

やっぱりまずアニメ化してほしいなー。しかも土曜日の朝、テレビ東京で。

それともうひとつ、「ナゴムレコード」(「筋肉少女帯」や電気グルーヴの前身バンド「人生」、「たま」などがレコードを出したインディーズレーベル)についての当時の関係者にインタビュー、ってのがずっとクイックジャパンに連載されていて、遅れてきたナゴムファン、ナゴムが解散するかしないか頃に好きになった私としては毎回すごく楽しみにしていた。

今回最終回で、なんか夢中で読んでて読み終わった後満足したなあ、って気もあるけど、最後ライターの説教モードになったのには少し参りました。「326をけなす人はその人自身ががんばっていないからでは?(大意)」という考え方は、まあ一理あるかもしれないけど……326についてはロクに読んだこともないのでここで反論を書くこともできん。
ただし、『朝倉世界一だと思ってた』ことだけは告白しておきましょう。

「ポパイ」の記事も「ナゴム」の記事も、それとフィギュアの海洋堂? の記事もそうなんだけど、いろんな大衆文化の黎明期に才能ある人たちが集まってきて云々、って内容であることは共通してる。こういうの、今から15年前に読んだら「うおーっ、おれもなんかやるぞーっ」って思っただろうけど、今は思わない。
まあなるようにしかならないからねえ。
10年かかってそれがやっとわかりましたよ。すいません。ホントに。

12月29日(水)

見ようと思っていた「笑っていいとも!」の年末スペシャルと、関根勤の特番を見るのを忘れた。
すっかり気持ちがダークモードに入っていたからなぁ。
見たことがなかったので見てみたかった(なんてバカな日本語だ)「私を愛したウルトラセブン」が不意打ちでやっていたのに気づいたのも後だったし。
今年の年末は、テレビっ子の私としてはもうめちゃくちゃである。

12月28日(火)

アニメ「地球防衛企業ダイ・ガード」を見るのを忘れた。ガックリ。
だいたい、昼間は「魔女の条件」や「眠れる森」などのドラマを一挙に何本も放送するなど、すっかりお休みモードに入っているテレビ、なんでアニメだけカレンダーどおりなのよ!
おかげで忘れちまったい。ちくしょう。

12月27日(月)

次回コミティア申し込みを速達で郵送。
例によって哀しみにうちひしがれる毎日が戻ってきた。
ダイエットを元のペースに戻すのがタイヘンである。

12月26日(日)

コミケ当日。早朝4時起きで辛かったが、仕方ないのです。

考えてみりゃ、なんでコミケの準備が異常に大変かというと、
・ずーっと前に買った参加申込書を持ってこないといけない(見本誌シールが付いているから)
・提出するカードに捺印しなければいけない(朱肉を持ち歩いているわけではないので、家で判を押してこなければならない)
……これに真夏は汗ふき用タオルや脱水症状起こさないように水、その他モロモロを含めると「事前に済ませておかないと後がたいへんめんどう」な事象が多いのである。

新木場駅で待ち合わせ。吉田等はビッグサイトに家が近いそうで、すでに来ていた。
予想どおり、国際展示場の駅についてから会場入りするまでに、長い行列のためかなりの時間がかかった。
仕方がないので行列が動くのを待っている間に吉田等に「宇多田ヒカルって胸デカいですよね」と話をふると、
「あんなのは俺に言わせりゃただの山出しだ」(注:新田が言ったのではありません)
というケンモホロロな答えが返ってきた。

私としては「いまどきの男子高校生は宇多田ヒカルで欲情しているのか?」
という深遠なテーマで語りたかったのだが、物事の普遍性など知ったこっちゃない吉田等にしてみればどうでもいいテーマだったようだ(でも彼は量子力学の本とか読んでる。そりゃ宇多田ヒカルよりは量子力学の方が普遍性はあると思うが)。

宇多田に興味がないらしいので、
マライア・キャリーって鼻の下長すぎますよね」と言うと、
「マライア・キャリー!? 俺はあいつで許せねえのは今回のアルバムジャケットの変なパンツだよ。なんだよあのおムツみたいなパンツは。あれで日本人を悩殺しようとかいう根性が気にくわねえ」
と言ってきた。今度は私が興味のない番だ。「マライア・キャリーのパンツ」、これほどまでに興味の沸かない物件があるだろうか。

このようにすれちがい夫婦のごとくかみ合わない会話を続けていたものの、会場入りして後吉田等は「寒い〜寒い〜」を連発し(本当に寒かった)、風邪も治りきっていないらしく「気分が悪い」と言い残して午後2時頃帰った。

冬コミってなんとなく人が少ないと思い込んでいたのだがとんでもない話で、あちこちに行列ができていたし、エロゾーンは満員電車のごとき状態。歩いていても人混みでスペースが見えず、何を売っているのかもわからなかったりした。
今回疲れていてほとんど動かなかったのだが、ただひとつ心残りなのは、ものすごくたくさんの人々が波のように移動するところを見に行かなかったことだ。
なんであれ、人数が多いってのはすごいことだしね。

隣のサークルは「のり子工房」という、オリジナル招き猫日本画を売るところで、親子(親御さんが招き猫をつくっているらしい)で参加していたようだった。
いろいろあるのが楽しい私としては、興味深く思った。

……といっても、今回カタログチェックをする余裕がまったくなかったため、4、5人でも行列のできているところはすべて行かない、という大胆な切り捨てを敢行してしまった。
いちおうチェックしたところにしろ、英語名がよくわからないので(しかし中学程度の単語だったのだが)参加していないと思い込んでいたところが存在した(ガックリ……)。

さらにまったくといっていいほど他人の同人誌に関心のない吉田等の態度は、私に買い物の気を無くさせた。
もっとも、同人誌即売会ってのは「あんな本を買いたい、こんな本を買いたい」という気持ちもむろんあるが、スペースに腰を落ち着けて、どんなお客さんが買ってくれるのか、とか、お客さんから話しかけてもらったりいろんな話をさせてもらったりというのが醍醐味のところもあるので、お尻も暖まらないままに同人誌購入に走り回るというのは、私個人はあまりしないのであった。もちろん共同購入をする友達などもいない孤独初期中年である。

その後ニフやインターネットをチェックしては「え! あそこ新刊出してたのか」「あ! あそこのサークルも出てたのか」と後悔しまくった。でもその後悔先に立たず。通販でもやってないかぎり、あと半年は買えないのである。

挨拶まわりも、疲れてめんどうだったためほとんどしませんでした。すいません。ごめんなさい。

そんな疲れた状況でも、超巨大なイベントのため何年も会っていなかった人がスペースに来てくれたりして嬉しかった。ほとんど街とかウェブのネットが引っ越してきたような感覚である。

あ、「ホームページ見て来ました」と言ってくれた人もいて、とても嬉しかったです。ネットやっていてよかったです。

「ぶっとびマンガ大作戦Vol.3」は午後1時半頃には完売(……といっても持っていった部数がいつものコミティアくらいで、少なかったからねえ)。また私ひとりで前日までねばってつくりあげた「楽しい午後の過ごし方」17.5号も予想以上の数を頒布することができた。

ほとんど終わりかけた頃に力学(ちから・まなぶ)登場。昨日、酔っぱらって告げたサークルスペースナンバーを記憶しているという神童ぶりを発揮、カタログを買わずにたどりついた男である。

帰り際に、ビッグサイト前の路上で売っていた「牛串焼き」というのを空腹に耐えかねて食うが、あまりうまくなかったのでホロリと涙を流す。

そして力学(ちから・まなぶ)、A/kodamaさんやコサキンサークルの方々と市ヶ谷のどっかで飲み食いした。やはりみんな疲れていたようで居眠りする人も。
後ろのテーブル(まったく知らない集団)でも酒飲んで座敷にゴロ寝している人がいたから、「コミケ帰りかな」と思ったが「デジキャラットがどうたらこうたらと話していた」というから間違いなかろう(私自身はデジキャラットと言うものをよく知らないのであるが)。

まだ午後8時前だったと記憶するが、解散。本当は、解散後に前日製本を手伝ってもらった力学(ちから・まなぶ)と酒を酌み交わすなどすればよかったのだが、とにかく疲れていたのであがらせてもらった。

帰って激睡眠。しかし他人を自分が怒鳴りつけるというヒドい夢を見続けることに。

12月25日(土)

明け方、早起きして同人誌をコンビニにコピーしにいこうと思うが眠くて果たせず。
それでもなんだかんだ時間つくってコピー。
力学(ちから・まなぶ)に電話して、手伝ってもらおうと思う。
しかしアタマが半分パニックなので、「待ち合わせを喫茶店か自宅、どっちにしたらいいのか? 喫茶店、自宅、喫茶店、自宅……」などというどうでもいいことに激しく悩むという展開になる。
力学(ちから・まなぶ)は「いつものことだな」と苦笑いしたそうだ。まあ何かと悩むこと多いからねぇ。ってそういう問題ではないのか。

夕方に彼に来てもらい、さらにコピー、そして自宅で製本。
彼をせいいっぱいもてなそうと思い、ビデオに残っていた「アルテミッシュNIGHT」キャバクラ嬢がゲームしたりする番組をBGVとして流す。
でも私にも力学(ちから・まなぶ)にもこの企画に何の思い入れもないので、中途半端な時間が過ぎる。これが一種の新田マジック。
夜中に同人誌できる。
なんだかんだ言って力学(ちから・まなぶ)に手伝ってもらってホント助かった。
文句ひとつ言わずに単純労働してくれましたよ。
いつも、すごいいきおいで立ったり座ったりするとか、上は柔道着、下は背広のズボン履いているとか、根も歯もない批判をしてみたりしたが(注:本当に根も歯もないのでご注意ください)、いざというときに手伝ってもらってありがたいことでした。

12月24日(金)

同人誌の原稿が押し詰まって来ると、最近仕事関係でも「ギリギリの納期」というもの自体にあまりなじみがなくなってきているので、すごくあせってきた。
30過ぎてイライラが激しくなってきたが、こういう状況ではなおさら。
私の周囲には、すごくテキパキしている人間か納期などまったく気にしない豪快さんしかいないので、バランスがとれないことよ。
疲れた〜、疲れた〜と言いながら、夜9時には終了(早い)。やはり徹夜などせず適度にやるが吉。

12月23日(木)

朝の電話の段階で、吉田等が風邪をひいてしまい、同人誌の原稿を書くのはムリだと決定。
まあこの時期だから、風邪ひくことも予想の範囲内ではあった。
で、一人で原稿を書くハメになった。
ある程度のネタ出しはできているのだが、一人でやってると自分のやっていることが面白いかどうかがサッパリわからず、不安になる。
ので、力学(ちから・まなぶ)と電話で話をするが、けっきょく会って話をすることにする。
……つったって、建設的な意見が出るわきゃないのはわかっているんだけどね。まあ気付けに。

池袋の芳林堂で「このミステリーがすごい!」を買って、そのままどっかで飲んだ。しかも力学(ちから・まなぶ)の金で。ひどい先輩、それはおれ。

店を出るときに、バス停の下のコンクリートのカタマリの部分(要するに倒れないようにおもりの役目をする部分)が積んであって、面白い形だと思ったので力学(ちから・まなぶ)にしきりに注目をうながそうとしたが、彼は無生物には興味ないんだって。
……っていうか、だれも興味ねえよなそんなものに。
ああ参った参った。

12月22日(水)

ナイロン100℃の芝居、「テクノベイビー」
世界的な巨大企業が、実は本社の18階に次々と人々を閉じこめ、クリスマスの晩にまったくの別人を送り込んでいるという野望を砕く? ために少年アルジャーノンが冒険する? というのを基本プロットに、これ以上ないくらいにバカバカしい要素を詰め込んだ内容。もう見てて腹が痛くなるくらい笑った。
この無意味さは尋常ではない。なんか無意味に命賭けている感じ。
それと徹底的に言葉で遊んでいるというか、書きながら知恵を絞り抜いて会話を練っている。個人的には、
ダンス教室に紛れ込むシーンで、ダンスを踊っている生徒たちに
「あなたたち、『ダンス』はいいんだけど『教室』の方がねー」というセリフが好きであった。
「ウチハソバヤジャナイ」の続編というか共通する登場人物が出てくる。何年か前再演を見たが、個人的にはこっちの方が好きだ。
というかここ近年、見ることができたナイロンの芝居の中ではいちばん好きでございます。

前座にテクノ・ポップというかニューウェイヴなバンドが出ているのもよかったし。
パンフレットのテクノの歴史やパロディな内容もよかった。
芝居の内容はテクノとまったく関係ないが(いちおう「テクノ」という言葉は出てくるが)、それはまあどうでもいい。とにかくすごかったなあ。

12月20日(月)

ヤボ用で、電車で50分ほどのところへ行く予定だったので、そこからさらに先の、未知の古本屋へ行ってみることにする。
ま〜でも車両故障が丸の内線でも京王線でもおきてなあ。大変でしたな。

さて初めての土地で勝手がわからず、反対方向に行ってしまった。通りの名前もすぐにはわからなかったし。
結果的に、反対方向にも古本屋を1件見かけてケガの巧妙ってとこか。しかしそこの店員に
「駅はどっちですか?」と聞いたら「この辺のものじゃないからわからない」という意外な回答が。
これがその後も、かなり迷った一因なのだった。

逆方向にどんどん歩いたため、腹が減って「スタミナ丼」の店というのに入る。
ラーメンとかもやっているが、とにかく食券の販売機に「ウチはスタミナ丼がオススメです」って書いてあるくらいに
スタミナ丼メインの店。
そんなにすすめるなら……と頼んだら、豚肉を炒めたモノに生卵がのっていて、みそ汁付き。
こりゃいいや、と思って食ったら、……スタミナありすぎ。
そして、なぜかほのかに「にがすっぱい」(by「武士沢レシーブ」)。
口の中がずーっとスタミナ味がして、胃もたれした。つまり私の方がスタミナ丼にフラれてしまったということなのだろう。
ガックリ。

さらに目当ての古本屋に行ったら、そこのオヤジだか何だかがすごく大声で「子供の頃、先生を殴った話」をしていたので、いきなりビビる。
その後も、恐くて仕方がなかった。

デカい札を出して「細かいのありますか?」と言われたときもビビった。
ビビりすぎな私。

古本屋の話はおわり。

いつも通る道にある美容室の前に、椅子があってそこにヒツジのぬいぐるみ(3歳児くらいの大きさ)が飾ってあるのだが、コレがいつも野ざらしになっているので少し汚れている。雨が降るたびに少しかかっちゃうだろうし。店に引っ込めても。
飾ってあるのを目撃してもう3年くらいになるかな。
しかし、今日見たら、ムリヤリつくったサンタクロースの衣装を着せられていた。

愛情をそそがれているのかいないのかわからないその曖昧さに、中途半端スピリットを読みとり、片目つぶって親指立てて「ナイ〜ス」(昔の明石家さんま調で)。

家の近所のペットショップでも、店頭の立派な犬の置物(けっこうデカい)に、クリスマスパーティのときにかぶるようなトンガリ帽子が。
このぞんざいさ、クリスマスも悪くないね(笑)。
これでセブンイレブンで、ヨレったサンタ帽をかぶった女の子が喉を涸らしてケーキを売るところを目撃すれば、私のクリスマスは終了。

家のラジカセが、スイッチを付けたり消したりするときになる「ピッ」っていう音がしなくなってしまい、泣いた。野球帽を目深にかぶって泣き顔を見られないようにした。

12月19日(日)

同人誌の原稿。なんか1時間もやると疲れて気分悪くなってくる。
どんどんバカになっていくようだ。イイ傾向だ。

この日記を読んでいる人で、マンガも好きな人がいるかどうかわからんが、村生ミオ「あつあつポテト」全2巻(講談社)だけは古本屋で見つけたら買っとけ!
今年読んだマンガの中で、確実にベスト10には入れたい名作だ。
とにかく「ラブコメ+グルメもの」という発想は何かを感じさせるものであり、その「グルメのアイディア」にはドギモを抜かれた! とくに1巻!
村生ミオを完全に見直した。とにかくすげえ。本当にすげえ。
「月刊少年マガジン」連載だが、「ディオラマ大作戦」(ディオラマ)、「マイコンランデブー」(マイコン)という、ホビーがらみのラブコメがなぜか載っていた同誌、編集長か担当編集者の方針だったのだろう。
きみは、これをジャンクと笑えるか!? きみは生き延びることができるか!?

……ってなこと言って同人誌のしめきりまであと3日しかない。どうしよう……。太るし(錯乱状態)。

コンビニの店員(女)が態度悪し。順番は無視するし、平べったいお総菜の容器の上におでんの入ったカップ(コップみたいに長細いほう)を乗せ、袋に入れたりした。
そんなんじゃ不安定で持っていきにくいでしょう〜!
家に帰って開けたら、辛子入ってないし。
コンビニでムッとすることなど滅多にないのだが。

関係ないが、私はほぼ毎日、ダイエット・ペプシを買っている。
ダイエット・ペプシは限られたコンビニにしかないので、仕方なく同じ店に行っている。
きっとそこでは、「ダイエット・ペプシの人」として小馬鹿にされているに違いない(いつも同じ女の店員だ。別に態度は悪くない)。

……さすがに考えすぎだと、今、思った。どう、健全でしょ、僕。

12月17日(金)

ワープロのインクリボンを買ったと思ったら、製図用インクはないわ、ロットリングは詰まってるわ。やっぱり、ふだんからコンスタントにいろいろやってないとダメだねえ。

「たの午後」17号の表4、あまりにテキトーだったので猛省し、今回はかなり気合い入れてつくったつもり。
表紙とかコラージュに関しては、私と吉田等は根本的に考えが違う。素材におんぶしすぎると、それはただ単に素材のみの面白さとなってしまう。ただでさえコラージュという手法を嫌う人は少なくないので(マッドアマノも裁判で負けたことだし)、素材だけじゃなくてキチンと「コラージュ」という作品で勝負してもらいたい。
……などと思っていたが、吉田等に私の表紙コラージュはちっとも評判がよくない。
また、読んでいる人からの感想も返ってこない。だからヤル気をなくしての17号表紙だったけど、やった後あんなに後悔するとは思わなかった。本当に「自分、ふざけるな」という感じ。
しかし、ああいったコラージュモノというのは手間のわりにはちっとも「何かをやった」という気がしない。どうもこのトシになって、はじめて過剰に見返りを求めていることに気づいたけれども、生まれついての性分なので仕方ないことでもある。

モノづくりに関して根本的に間違ったことをしているんじゃないかという不安感が常に抜けない。

夜中、●●に電話。もともと気分がダークだったのが災いしたんだが、どうしても●●本人への不信感を口で言うことができず、オブラートにくるむつもりで他人の悪口を言ってしまった。効率悪〜。
それにしても「あんたが悪いんだろ、あんたが!」って言えるはずもなし。
フラストレーションたまったまま電話をきる。

12月16日(木)

頼まれてもいないのに、同人誌の増補をやるためにたくさん本を読んだら疲れて泣きが入った。たった2ページ書くだけなのに。しかも中身薄。どうだい。

これからやっと本編にかかりますよ。どうでしょう。みなさん。
……などと言っていたら、ワープロのインクリボンを使いきり。夜中なので文房具屋さんも激閉店ってると思うので、ゴロリと横になりテープにとっておいた「伊集院光のUP’S」を聞く。

パリに行って「エッフェル塔のぬいぐるみ」を買ってきたという。超うらやましい。
テープにとっておいた「コサキン」も聞く。
スターダスト・レビューの根本要がゲスト。
「コンサートの中で、ギャグとして愛の力で背が伸びる、でも足だけ伸びる。足が何十メートルも伸びるという設定にしたらすごく不評だった」と語る。
ぜひ見てみたかった。

中途半端問題を考える!
「中途半端なもの」について、常々考え、また刺激的なものばかりもてはやされる昨今、中途半端なものをいかに救出しうるかを考えているのだが、なかなか理解してもらえない。
みんな、テレビにかぎってもやれ「夜もヒッパレ」を見ただの、「めちゃイケ」を見ただの、なんかただ思いついたことだけ言ってねえか? それは普通に面白い番組じゃん。それか、ただ退屈なだけのことを言ってきたりとか。だーかーらー、それはただの退屈なの! 適当に話合わせようとしているに違いない。まあ話を合わせてもらえるだけありがたく思えっていう話もあるけどな。

私が主張している「中途半端」は、もちろん新田的な基準が存在しているのであって、「中途半端」という言葉は便宜的に使用しているにすぎない。
たとえば、私が大切にしたいのは、いつかの「いいとも」の「看板男コレクション」(店で看板になるようないい男が出場するコーナー)において、「店長が元リングアナだった」という店が登場したときのこと。
「じゃあ(ボクシングのときの選手の紹介を)やってみてください」と言われ、推薦者の店長が「赤〜コーナー〜」ってやった。それは元プロなので堂に入ったものだったが、紹介された「看板男」(要するにその店の店員)が、店長に合わせなければならないと思ったのだろう、しかしちゃんと示し合わせたかどうか一瞬では理解不能な、非常に中途半端な感じでシュッシュッ、とシャドウボクシングをしたのだ。
他の出演者も観客も、「選手の紹介」の時点ですべてが終わっていると思い込んでいたので、この青年のシャドウボクシングには虚をつかれたかたちとなった。

しかし、タモリがこれを突っ込まなかったため、すかさず東野が「なんだきみたちは! 昼の珍事や」と言った。そのツッコミが会場でウケていたかどうかは忘れた。だが個人的に「この場合はこうするしかないんだろうなあ」と思って、その瞬間はとてもすばらしいと思った。

ここで注意してほしいのは、別に東野のツッコミ芸がすばらしいとか、逆にシロウトが思わぬことをして面白かったとか、そういうことを言いたいのではなく、ただ「ここはこうするしかなかったんだろうなあ」という状況がよかった、ということだけである。

また、完全に狙った状態で「中途半端」が出現することもある。
テレビ東京の「おはスタ」(この番組の妙なテンション自体、個人的に非常に好きなのだが、これを「ワンダフル」のテンションと同列に語られると違和感がある。言いたいのはそういうことなのだが、説明がむずかしい)において、「おはあだな」というコーナーがあった。
この「おはあだな」は、「無生物にあだなをつける」という無意味きわまりないコーナーで、私が見た回では「黒板消し」にあだなを付けてほしい、と視聴者にお願いしていた。
しかも、「黒板消し」が人形として登場し、ちゃんと声優さんが声を当てていた。
黒板消し「私、今悩んでいることがあるの……(「黒板消し」は女である)」
黒板消し「黒板なんか消せやしないのに、『黒板消し』って名前が付いていることよ!」
……というわけでふさわしいあだなを付けよう、という設定だ。

やまちゃん(司会)やレイモンド(司会)は「黒板消子(くろいたしょうこ)」や「黒板消ビー(こくばんビー)」などのあだなを考えたが、その次の週、視聴者の投稿によっておはあだなは「チョ消しちゃん」に決定した。

なんという無意味行為。しかも、こうしたことを徹底してやればモンティ・パイソンみたいなノリになるのかもしれないが、どうもそういうのを狙っているわけではないらしい。子供番組というスキをついてシュールなギャグをやろうとか、そういう意図はないらしいのだ。それが私の言う「中途半端」の神髄である。

「おはスタ」では他にも、アシスタントに伊藤なつかなという双子の姉妹が出ていたとき、レイモンド(黒人青年)が「伊藤レイ」というキャラクターとして女装で登場、しかし伊藤なつ、かな姉妹が番組を降板した後もレイモンドの「伊藤レイ」というキャラクターが生き続けていたり、「怪人ゾナー」というなぞなぞを出すビジュアル系バンドみたいな怪人(本業は声優?)が、なぞなぞの答え(大半はダジャレ)を言うときにする小芝居が、何度も見ているうちにだんだんツボにはまってきたりと、そこここに中途半端物件があるのであった。
おそらくこの中途半端ぶりは、スタッフが本当にウケねらいでやっている部分とそうでない部分、またハズしてしまった部分が峻別されず、時間に追われてどんどん過ぎ去ってしまうことから来るのだと思う。深読みしてもわからないものが多いし。

……そういう話をすると、たとえば返しとして「王様のブランチ」「女王様のお買い物」(タレントのはしのえみが外国のお姫様のかっこうをして、いろんな店で買い物をするコーナー)などを引き合いに出される場合がある。しかしあれはあれでコーナーとしてちゃんとしているのであって、現在「お姫様コスプレで買い物」というバカバカしさが薄れている以上、中途半端とはいいがたい。
むしろ注目すべきは借りてきたネコみたいな伊集院や、ムダにハイテンションのさとう珠緒、本当に中途半端な、「若者ウケもいい課長」みたいな感じのメイン司会の男(名前忘れた、元SET)などに注目が行くべきであろう、べきであろうってそんなことだれも聞いちゃいないんだろうなあ。

そしてそんなことを話しているうちに、自分でも基準がわからなくなってきたりするんだけどね。

12月15日(水)

すごくイライラしたり、不安に襲われたりする日々。
定期的に襲ってくる。恐怖ナリ。
でも不幸ぶるのもカッコ悪いので、強がってばかりの毎日。

12月11日(土)

ディヴィッド・ブリンの「ガイア」という小説を読み始めるが、上下巻の「上」の150ページくらいまででリタイヤ。
以前同じ人で「ポストマン」っていうのを読んだことがある。こちらはものすごく面白かったが、「ガイア」は「ポストマン」にも見られる人類を時間・空間的に俯瞰する視点の嫌味さ加減が1000億倍に増幅されており(と私には思え)、ガマンできなくなった。
小説を途中で投げ出すなんて、自分には珍しいことなんだが。
(ちなみに、近年投げ出した小説としては「グリーン・リバー・ライジング」という刑務所サスペンス?モノ(刑務所の描写に嫌気がさしたから)、J・G・バラードの「殺す」(冗漫でネタも割れてしまった)などがある)

……なんというか「ガイア」には独特のインテリ臭があり、それはかなり一般的な日本人の感覚にガチンコで抵触するものであるように思われる。……とここまで書いて解説を読んだら親日家だそうだがホントなのか。よくわかんねー。

ついでに録画しっぱなしだった「ウルトラマンガイア」も、見たら嫌気が。アグルを好きになる二人の女(科学者の元同僚とテレビのレポーター)が二人とも私の好みじゃないから、というゴーマニズムな理由からだ。

しかし参ったな。上下巻あると、投げ出したときの金額の損害も大きいような気がする。

もう少し楽しいことを書きましょう。
漫然と「鈴木あみスペシャル」という番組の再放送を見ていたワケだが、鈴木あみという人物、今まで興味がなかったからわからなかったがやはり潜在ヤンキー?
「工藤静香の大ファン」というのでそんな予感が。
「少し痛そうな表情(ロックとか歌う人がよくする表情)」をしながら歌うのが得意そうだったので、相川七瀬とか椎名林檎も聞いているかもしれないと勝手に予想した。
そういう路線で売ればイイのにと思った。

……なんか別に楽しい話でもねえな。ごめん。

12月9日(木)

今日は休みだったので、国会図書館にてマンガ「ファミコン八犬伝」の探索を行う。
1985年前後の週刊少年チャンピオンをランダムに借り出す、ということをやっているのだが、まだ見つかっていない。うむむ。
代わりに、といってはナンだが密教系伝奇マンガ「風のちゃき」(光野果南、1987年)などをチャンピオンの中から発見。私の「チャンピオンはなぜかしつこく伝奇っぽいマンガを載せ続けている説」を裏付けることとなった。

帰りに中野図書館に寄って、閉架から本を2冊借り出すが、1冊は「家事ができなくて妻からしょっちゅう文句を言われ、あげく離婚した男の実話」で、もう1冊は「戦後まもなく両親が死んでしまったかわいそうな兄妹の物語」だった。
タイトルのみで借り出したのでこういうことになったのだが、とにかくこんな話読みたくないと思った。みるみるうちにドス黒い気持ちに覆われていく。しかし「やっぱり返します」とも言えず、重い本をかついで家に帰った。

帰ってルーディ・ラッカーの「ウェットウェア」というSFを読む。
読みにくいのをガマンして読んだら最後まで読みにくかった。しかも何十ページも前の登場人物が突然出てきたりして何がなんだかわからなくなった。表紙がマンガっぽかったからもう少しとっつきやすいと思っていたのだが。
これだからサイバー・パンクはイヤだ。号泣。

12月8日(水)

またテレビの話〜(テレビ小僧。石森章太郎のテレビ小僧)。
なんかさ〜、中学生の理数系離れが進んでるんだって。どこが調査したのか忘れちゃったけど(対象は中学2年生)。でも、学力的には4、5年前とそう変わってなくて、問題は「理数系への興味が薄れていること」なんだそうだ。

理数系への興味が薄れてきた原因として、テレビでは
・詰め込み教育
・パソコン、ゲームの影響
・教師の力不足
っていうのをあげていた。どこがあげてんのか忘れたんだけどさー。
以後、この文章は「どれだけ適当な調査をしてイイ給料をもらえるか考察する会」に切り替わりました。

……ウソだけど、でもこんな安易な理由上げて、ふざけるなって感じしませんか???
「詰め込み教育」なんて30年くらい前から言われてんじゃないの? この調査結果出したヤツだってその洗礼を受けて来たんだろうがよ。「パソコン、ゲームの影響」ってのは要するに「そういうののやりすぎ」って意味だが、これじゃ30年前に「マンガの読み過ぎ」って言われたのと同じじゃないよ!?
パソコンやりすぎなら、そこから「理数系への興味」が出てくるって考える方が自然なんじゃないのか?(まあそれはそれで楽観的すぎるけどね)
「教師の力不足」ってのも見事な責任転嫁だ。最近の中学教師がどんな授業しているのかは知らないけれども、「学級崩壊」のような、家庭環境や子供の意識の変容といった不定形な事態とは違い、授業の技術研鑽みたいなものがなされていないとは、普通に考えて思えない。

そもそも「中学2年生」っていう年頃は、理数系にかぎらず勉強をいちばん実感なくやっている時期じゃないのかな。多少理科の実験したって大喜びってトシじゃないし、かといって将来の必要性に結びつけてる子も少ないだろう。
それと、がんらい「勉強への興味」ってみんなそんなにあったか? 私はありませんでしたね。えーえー。学校の勉強なんてもともとつまんないもんでしょ。つまんないことをガマンしてやるから修行になるの。そんなに教わる側の中学生が「つまんない」って言ったからって、別にビクビクすることはないんじゃないの?

「つまらない」という意識調査を本気で問題にするならば、やはり具体的な学力低下のデータが出てからだろう。
学力自体が低下してくのはまずいだろうし、学力は維持されていて文系に進むものが多い、というのならそれはまだ何とかなるような気がする。
「興味の低下」と「学力低下」がセットだったら、マズいのでは、と。
なぜなら、文系理系に限らず、勉強全体に対する必要性が、子供にも、親にも失われているということだから。
その理由は簡単で、「勉強しても将来どうにもなんない」って思っちゃっているから。こりゃかなり深刻だと思うね。

でもさー、理数系に行けばロボットだってロケットだってつくれるかもしんないし、いくらでもお金が出てくる財布だってつくれるかもしんないのにねえ。そういう夢をアピールした方がまだしも興味は出てくるだろうと思う。絵に描いた餅ではあれ。

まあ「詰め込み教育」って言ってるようじゃもうダメなのかもしれないけどな。
だいたい、同じこと言うんでも違う言葉使えよな。

ああ、おれもそんなこと言って給料もらえるようになりたかった。

12月7日(火)

ペンネームを「癒し系自分探し」にしようと思ったが、意味がわからないのでやめた。
「癒し系ヒーリング」ってのも考えたが、人間の名前っぽくないのでやめた。
「癒し系激辛(げきから)」ってのはどうだろう。
キャッチフレーズは
「ポテトが辛くてなぜおいしい!」
で、盗作騒ぎになって、裁判になって、黒い横縞の囚人服で囚人コント。
あーあ。

12月6日(月)

昨日も某氏と飲み。っていうか結果的に飲み。飲み過ぎてまたデブデブになるであろう(大予言)。
「今年、流行ったもの」について考えていたら、彼が、
「『優香』って流行ったよね。CMにもたくさん出てるし。
やっぱり「癒し系」な顔がよかったのかね。いわゆるタヌキ顔ね。
あとオッパイがデカい。これも癒し系っぽいし。つまり
『たぬきおっぱい』だね」
私「なんスかそれ……。何も言ってることにならないじゃないスか。ただ思いついたことつなげただけ。『優香』も、『タヌキ』も、『オッパイ』も、何も語っていないと思うんスけど……」

もう今年も終わり。来年はミレニアムたぬきおっぱい。

12月5日(日)

「ゴーゴーVでオヤジさんと共演してほしい」と以前書いた、真木蔵人。
「主人公のレスキュー時代の先輩」役でゲスト出演していたらしい。
こういうのって楽しいけど、悪役じゃなかったので見なかった。

まあパロディとかの話。
オレ様がテレホタイムを有効利用して、エロCGめぐり(通称:エロネットウロウロ)をしていたときに、「自分のパロディは絶対やるな。やったら殺す」ってなことをえんえん書いてたオリジナル・エロCGサイトに出くわす。

曰く、「エロパロとはヒトの娘(作品)を強姦するようなモノ。だから、ヒトの娘が強姦されるのはかまわんが、自分の娘(作品)が強姦されるのは許せない」ということだそうだ。
それで従わなかったら訴訟するんだそうだ。
これには、まあソレナリのリクツがあると思う。
私も、いちいちヒトが私の絵のエロパロ描いて、持ってこられても対処に困るから。不愉快に思うこともあるだろう。
いわゆる「ゴーマニズム」と取ればいいわけね。このサイトの管理人は自分でもエロパロ同人誌買っているらしいし。

さて、「他人のはイイけど自分のはイヤ」ってのはよくあることでかまわないが、「強姦強姦」と連呼してみたり、「殺す」と書いてみたり、行間読むとそうとうイヤみたいなんだなコレが。
その「行間」の、パロディに対する考え方にそうとうムカついてきた

そう、心情的にはわかるがリクツが気にくわないのだ。

こういうときに私は自分の著作権に対する知識のなさにイライラするんだが、私のパロディに対する基本的見解は、コミケットのスタンスとほぼ同じ。
コミケスタンスでは、ケース・バイ・ケースではあるものの、いわゆるアニパロ・エロパロは著作権法違反にはあたらないってことになってたよな、確か。
それを訴訟だのなんだのってかなり過激な言葉を使って、……まあ恫喝だな、恫喝してんだよここのサイトのヒトは。
著作権のことはわからないけども(悔しい……)、少なくともアニパロは「表現」であることには間違いがない(これをどこやらでは「改ざん」と断言していたが、認識の低さには恐れ入る)。
よしんば犯罪だったとしてもだ、法に触れた表現活動なんて世の中にいくらでもある。
壁にスプレーで絵や字を描いたり。あれって完璧法律違反でしょ。

こないだの郷ひろみのゲリラライブもそう(笑)。
ロックのライブでヒトなぐっちゃったりとか。ドラッグ吸ってなんかやるというのも間接的な法律違反。局部を出すの出さないのというのも法律に触れる重要な問題ですな。まっさきに思い出すのは江頭2:50しかないんだけどさ。
言っておくけど、たとえば「人を殺して死体でオブジェをつくる」とか、「殺人自体がパフォーマンスだ」とか、そういうゴタクを言うヤツは別に死刑にしたって牛裂きの刑にしたっていいわけだよ。私は、表現なら何でもやれって言っているわけじゃない。

何が言いたいかというと、厳密に法を順守すること、法を順守することを大前提にしてると、広義の「表現」ということを考えた場合に抵触することがあるってこと。
そして、抵触する可能性は必然なのだから、そこでそれを飛び越えるか否か、考えることが重要だと言うことだ。
「オレのエロパロやったヤツは殺す」なんて、思慮もなしに殴り書いてる場合じゃないんだよ。いや、言いたいことはわかるし、それくらい予防線はっててもイイとは思うけどさ。

もちろん「表現」は、人道的見地とか倫理観とかとぶつかることもある。そうした中で、法律や倫理、道徳も含めた「常識」について常に考えていく。それが広義の表現ってものでしょう。いやそれは反体制とかなんとか言うんでなしに、「表現」というものは本来そういうものです。
で、あらかじめ「表現」があり、それが倫理に、あるいは法律に抵触するか、ということを常に考えながら、「ここは守らなければならない」、「ここはあえてすっとぶ」という判断とか覚悟が必要になるってこと。
その中には、繰り返すけどかなり「これはマズいだろ」っていう部分(殺人とか強姦(比喩でない、ホントの強姦)や、捕まったら懲役何年とかいうレベルの法律違反)や、反対に「ここはどうだろ、容認してもらえないだろうか?」っていうボーダーラインもある。

なんかよくわかんないけど「立ちションパフォーマンス」とかあったらそれはどうだろ、とか。立ちションだって立派な犯罪だから。

どうも著作権とか、あと表現のみに限って言えば残酷描写などに、生き急いでいるみたいに否! を声高に唱える人がいるけど(この話題のサイトの人間じゃないけどな)、そういう人たちは表現と法律や倫理や道徳が、本来的にぶつかり合う場合があるモノだということを知らない。……今週の「バキ」風に言えば「とろけるように甘い」よ。

もちろん、そういうことなーんも考えずにパロディやるというのは、危険だとも思う。論理武装はやっといて損はない。

だから、パロディが強姦……というとホントの強姦と混同されやすいので「既存イメージの破壊」、あるいは「破壊の上の再創造」であり、それが法律的にマズかったり、人道的に原作者にいちじるしい不快感を与えると予想された場合、パロディストに残されるのは、「それでもやるかどうか」っていう覚悟とか気合いとか、あるいは倫理観とか常識になるんじゃないかなあ。
精神論を持ち出すのはどうかと思うが、でもここの場合は本当にそうだ。
それをバッサリと「他人のエロパロは許すが自分のは殺す」と言いきり、それに対して異議がある場合は「死ね」「訴える」みたいなこと書いてあったけど、こんなことズラズラ描いているヤツ、ヒステリーだよ。もっと冷静になって考えろ。

それと、さらにムカついた理由は、日記が載ってたんだけど文面が「サブカルのいちばん悪い部分」が出ているような文体。
「サブカルダメ文章」ってのもイロイロあるが、こいつはいわば「不良系ダメ文体」。
やたらと「死ね」とか「殺す」とか書く。
そんでクラブとかテクノとか好きで、ちょい「おれはギャグにもうるさいよ」みたいな感じか? お笑い番組に言及してたから。

私もクラブとかテクノは大好きだ。本当に好きだ。クラブ言っても踊らないけど……(そういうとクラバーに非難されるであろう。すいません。ごめん)。だけど、こういうヤツと一緒にされたくない。

「むかしのCD出してきたら、アニメのが出てきたりして恥ずかしかった。ムカついたので電気グルーヴとモダンチョキチョキズ残してみんな捨てた」とか書いてある。
キサマが「うわ、おれアニメオタクちゃんみたいじゃん。だったら捨て捨て」とか思ってたら、オレは最終毒念波でキサマ殺す! まあアニメのドラマCDとか、テキトーなのもあるから質で判断していたら許すが。
「電気グルーヴとモダンチョキチョキズ」っていう残しのセレクトがこれみよがしで気にくわねぇんだよ! 自分のサブカル趣味をアピールしたいんか? ん? 私も電気とモダチョキはけっこう好きだけど、わざとらしいんだよ選曲が!

さらに、「久しぶりに電気のCD聞いたらよかった」とか書いてあってさらにムカツキ絶好調。いいに決まってんだよ! おまえに言われたかないわ! 「人生」(電気の前身バンド)聞いてむせび泣け! ナゴムのビデオ買って、顔白塗りの卓球を見て盛り上がれ! そして当然、アニメCDも聞け! カッコつけてる場合か! そんなにアニメがイヤなら、アニメ調の絵描くな! はぁはぁ。

まったく、せっかくのエロCG鑑賞タイムが突き崩され、ボクちゃんご立腹。

最近、世代がくだってきたせいか、サブカルプラスアニメ調、のマンガ家とか増えてきた。自分でそう思ってないかもしれないけど、平野耕太とか個人的にスバラシイと思っているが、上記のようなまったく思慮が足りないナサケナイヤツ(コイツセミプロらしいんだよ)がいると思うと、日本の前途を考え暗澹たる気持ちになるのでありますッ!
ホームページつくれる知力があるなら、もう少し考えろ!
ハァハァ。

すでにアドレスも知らないHPに文句言ってもしょうがないんだけどな。

12月4日(土)

昨日書いた「ベッキー」という子が、TBS「王様のブランチ」の最後の最後に出てくるドラマ仕立てCM「アイドル刑事」に出ていた。
「これで私もチャイドル刑事ね!」とかって。

最近の最大の疑問は、「さとう珠緒の髪型は一般人の基準で普通の髪型かどうか」です。はなちゃんのザンギリ頭みたいのは「おしゃれ」の一言で片づけられるんだろうが、さとう珠緒の髪型は昔からナゾ。

知り合いにリサーチの結果、「つれづれなるマンガ感想文」ほとんど読まれておらず、 日記はわりと読まれていることを知った。
考えてみればただでさえ被害妄想気質なのに、他人に自分のプライバシーを漏らすのはおかしい。

……ということで、以下ぜんぶウソを書くことにしま〜す。

・宇多田ヒカルは元忍者。
・「レコード大賞」がCDに送られるのはおかしい、という議論。
・本年度流行語大賞は、松坂の言った「猪木なら何を食ってもタダか!」。
・翻訳本は、全部翻訳者がウソを書いていた。原書と照合して同じなのは、辞書もウソだからで、外人も示し合わせてウソ英語をしゃべっている。
ホントの英語は、新大久保の地下の秘密クラブでしか聞けない。

あーつまんねー(しくしく)、飽きたからやめます。

12月3日(金)

全国放送かどうかは知らないが、「おはスタ」という子供向けバラエティが毎朝テレビ東京で放映されている。
徹夜明けなどで脳が死んでいる状態で見ると、「全員ドラッグをやっているのでは」と思ってしまうくらいハイな番組だ。
この中で、中学生くらい? の女の子のベッキー(ハーフ?)が
「ムッシュメラメラ〜」
と言っていた。放送作家がそう書いたんだろうけど、「ムッシュメラメラ〜」という言葉が現在まで語り継がれていることに感慨深く、涙がひとつぶ。
また「中学生くらいの女の子に『ムッシュメラメラ』と言ってほしいフェチ」の方々のニーズにもじゅうぶんお答えいただけたと思う。
といっても、私も現役の「ムッシュメラメラ〜」を知っているわけではないけどね(「元祖」は何かの本に書いてあったけど忘れちゃった)。
アニメ「ファンタスティック・フォー」で、岩石人間みたいのがよく言ってたけど。



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1999年11の日記
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