つれづれなるマンガ感想文12月後半

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一気に下まで行きたい



【雑記その6】(今年の総括)
・「女子アナの王道」(3)(完結) 久寿川なるお(2004、少年画報社)
・「占い刑事」 桑澤篤夫(2003、集英社)
【アニメ映画】・「とっとこハム太郎 ハムハムハグランプリン オーロラ谷の奇跡」(監督:出崎 統、2003、東宝)
【映画】・「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(監督・脚本:手塚昌明、2003、東宝)
【雑記その5】「テキストサイト論」が再燃なんですか?
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」およびゴロッキーズ終了、Mステ、告白大作戦、高橋愛の水着展開(2003、テレビ東京など)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第12話「妖精チックな時計 〜最終章〜」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第13話(2003、TBS)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第13話「襲撃! インパクター」(2003、テレビ東京)
【CD】・「美少女戦士セーラームーン主題歌/キラリ☆セーラードリーム! 歌:小枝、劇中歌/C'est la vie〜私のなかの恋する部分 歌:愛野美奈子(小松彩夏)」(2003、コロムビアミュージックエンタテインメント)
【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第12話(2003、TBS)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第12話「決戦! 超星神対大星獣」(2003、テレビ東京)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【イベント】 第2回ハロプロ楽曲大賞2003(於:新宿ロフトプラスワン)
【書籍】・「クリスマスおもしろ事典」 クリスマスおもしろ事典刊行委員会:編(2003、日本キリスト教団出版局)
【雑記その4】若者のみなさん、ゴロッキーズ、ロンパールーム
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第10話「妖精チックな時計 〜第一章〜」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第21話「アバレ恋! キロキロ」(2003、テレビ朝日)
【雑記その3】田中れいなのヤンキー性、広末結婚
【雑記その2】
【雑記】
・「装甲騎兵ボトムズ」(1)−ウド編− 原作:高橋良輔、原案:矢立肇、作画:のなかみのる(1983、2003、講談社)
・「装甲騎兵ボトムズ」(2)−クメン編− 原作:高橋良輔、原案:矢立肇、作画:のなかみのる(1983、2003、講談社)

【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第11話(2003、TBS)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第11話「結集! 9人のセイザー」(2003、テレビ東京)






【雑記その6】(今年の総括)

なんか毎年、最後の日に自分を総括しているみたいなんで(他人事のように)、今年も書いてみたいと思います。

・HP関連
去年と同じ感想ですね。ウチは狭義のテキストサイトというよりは、確実に好事家・ヘンタイサイトなんで、個人サイトとかブログとかの流れを横目で見つつ、自分の書きたいことを書くだけです。

・J−POP関連
過去日記を読み返すと、なぜか毎年J−POPに対する興味を年末に書いているので、今年も書いておく。
といっても、今年の私のテンションはそう高くはない。当サイトとしては、おっかなびっくり書いていたハロプロ楽曲については下半期はかなり物怖じせずに書いてしまったというのはある。ハロプロ楽曲が去年よりずっと低調なのにも関わらず、だ。

J−POPのDJに関しては、別にあちこち見て回りまくったわけではないが感覚的に現状がもう限界かなという感じはする。数年前まで、「クラブでJ−POPをかけること」はかなり見逃せないムーヴメントだと考えていたのだが、「ハロプロファン活動」の一貫として認知されている「爆音娘。」(注:私はいまだに不参加)を除いては、思ったよりも広がりを見せることはなかったように感じる。
今後は、かかる曲に幅のあるイベントなどで、流れに緩急を付けるためにかけられるというふうに落ち着くのではないか、というのが私の悲観的見方だ。

なぜ私が「J−POPをDJの卓でかけるイベント」にこだわっていたかというと、それには以下の見込みがあった。
かつてのJ−POPの楽しみ方だった、カラオケを歌うとか、友達の家に行ってCDを聞くとか、あるいはフィルムコンサートをするといった行為以外の「批評性」がそこに見出されること、そして単に突き放して聞くだけではなくて同時にかかった曲に耽溺できるという利点があること、さらにはクラブカルチャーそのものを相対化できること。
「批評しつつ耽溺できる」なんて最高だ、と思っていたのだが、お客として参加する身としては、やはりイベントで集客があまりに少ないのは正直辛いです。

しかし、書籍の書評を読み慣れている身としては、音楽レビューの文章というのはまた方法論や作法が違っていて面白いと思った。その辺りは今年、勉強になりました。

・グラビア関連
……なんで去年こんな項目をもうけたのか、今となってはサッパリわからん。でもこれもいちおう書いておく。
今年、最大のインパクトを残したと言えばやはり井上和香なんだろうね。イエローキャブ陣営が足踏みを続けている間に、井上和香は「乳がでかい以上の付加価値」を世間に対して「これでもか」と突きつけたヒトではあると思った。
後は高値安定で小倉優子、昨年から引き続きの杏さゆり、仲根かすみ、市川由衣、写真の撮られ方が見違えるように向上した熊田曜子。ちょいヤンキーっぽい若槻千夏、「フラビージョ」山本梓、「生徒会長」で巨乳の佐藤寛子。カンケイないが佐藤寛子って、テレビでしゃべっている方がずっとキレイに見える。
そして、子役イメージから脱却した伊藤かな、巨乳路線では夏目理緒などがいた。
後はやっぱりインリン・オブ・ジョイトイ。磯山さやかは、前から活動しているヒトだがテレビに出ているのを見て想像どおりの声と仕草だったので好印象だった。
スレンダー系では森下千里。スレンダーったって、そこら辺にいればあの乳は目立ってしょうがないだろうけど。

毎日コンビニ通いして、マンガ雑誌の表紙を眺めているだけで勝手なことを書きますが、昨年がイエローキャブ、あるいはイエローキャブ的思想の独占状態だったのに比べると、ずいぶんと多様化したグラビアアイドルが出てきたと思います。
ただし、そのグラビアアイドルたちのタレントとしての「上がり」があまりにも不明瞭だったということは言えると思う。
イエローキャブは「最初は水着から始めて、どんどん服を着せていく」という、本当に成功しているかどうかは知らないが少なくともゴール地点を設定しているという点では明確で良かった。結果的には結婚していた頃の雛形あきこは目標になりえたわけだし。
が、現時点でのグラビアクイーンたちが次のステップで何をやるかは、少なくとも私にはサッパリわからない。美女の数に比べて「上がり」と思われる「女優」の枠はあまりに少ないから。今年、乙葉の活動は成功したのだろうか。

・グラビア関連(別枠)
こっからは悲観的ニュース。
まず、軽いところでは内田さやかの接写写真集がハズレだったこと。写真家は今もっともエロかっこいいグラビアを撮る小塚毅之だったのだが、アートの世界に行こうとしているのか、単なる不調か、気になるところだ。
次に平田裕香の低迷。「水着卒業」から間を置かずに水着復帰、女優としての役もロクなのがないらしい。
かつてのスレンダー派の代表格であった内藤陽子も、水着展開を卒業してからサッパリ出なくなってしまった。
「開脚クイーン」緑川のりこに至っては、ユウザロックと結婚したそうだ。

どうも推しタレントが今年はうまいこと行ってない感じでした。

・おたく論
今年下半期からほとんど興味がなくなった。もはやどうでもいい。ただ、それはオタクが浸透して拡散したとか、解体したとかいう意味ではない。
やはり、いまだに混迷をきわめていると思う。それは、何度も書いているが「おたく」というくくりではなく、各ジャンルでの歴史がきちんとまとめられていないことが大きい。あるいは、まとめられたものを参考にしないで言及する人が多い。「実体験のみで何を言ってもいい」という雰囲気が蔓延しているような気がして、やる気をなくした。
だれかが交通整理するべきなのだと思うが、東浩紀を好むヒトとそうでないヒトでここまで意見が分かれてしまっている以上、それもむずかしいかなあという気がする。

・総括のまとめ
それにしても、昨年のフォーマットどおりに書いてみたけど、なんか無意味。J−POPとかグラビアなんてもはやどうでもいいもん。書いているうちにだらだら長くなっちゃったけど。こうした項目だてが形式化することは、あんまりいいことではないなあ。

今年は、私の心の中で、いくつかの何かが確実に死んでいった。自分はそれを何度も看取った。ああ、取り立てて大きな出来事のない人生でも、心の中で時間とともに何かは確実に失われていくのだな、としみじみ思った。まあそれでいいんだけどね。万年青年とか気持ち悪い。枯れるなら枯れるでいいよ。おねだりしてくれていいよ。

何がどうだったか、っていうのは説明しません。ただこれを書いて、ヒトの反応をじっくり見て、「こいつわかってる」、「こいつわかってない」という判定は私がくださせていただく。
ウェブのいちばんの問題は、書いている人間の手間のわりには口頭での批評があまりに簡単だということだから。判定の主導権はあくまでこっちが握っていなくてはならん。なんかどうもうまく書けないな。でもそういうことだからな。

2002年の総括

(03.1231)


・「女子アナの王道」(3)(完結) 久寿川なるお(2004、少年画報社) [amazon]

ヤングコミック連載。成年コミック。テレビ関東のイメージキャラクターとして大抜擢された女子アナ・王道茜(おうみち・あかね)は、自分が天性のマゾ体質だったことに気づいて、セクハラされても局内の陰謀に巻き込まれてエロいことされても、脳天気に至上の快楽を得るばかりなのであった。

ゆったりしたペースで刊行されていた本作の単行本も、これで完結。おそらく王道は久保純子や大橋マキをモデルにしたと思われるので(とくにクボジュンだろうなあ)、それを考えると連載当初からけっこう年月が経ってるなァ。

女子アナを主人公としたエロものはなかなかむずかしいと個人的に考えていて、衆人環視の羞恥責めなんかやってもワンパターンに陥りやすいし、「実はテレビにうつらないところでこんなにHなことしてました」ってんじゃ普通のエロマンガと変わらないし。
以前、報道でニュースキャスターをやっていた女子アナが地上波ではない「ギルガメッシュないと」みたいな番組をやらされる、という官能小説を読んだことがあったが、作中に出てくる番組自体が何でもアリになっちゃって、個人的にはイマイチでした。

で、本作は1話完結のストーリーに関係のないところで、王道がやってる番組っていうのが背景として描かれることがよくあるんだけど、それが微妙にエロいんですよ。
(女子アナが)「体操着とブルマでお買い物」とか「イエローキャブ風のセクシータレントと野球拳みたいなゲーム」とか「勝負下着姿でレポート」とか、「こんなの地上波でぜったいありえねえ! だけどあったら見てみたい……(笑)」っていうセンを狙ってきてる。
まあ掲載誌の「ヤングコミック」が全開バリバリのエロマンガ誌ではないことが、結果的にそういう寸止め描写になっているんだろうけど、こういうのは私は好きです。

さて、終盤近くなって、王道は自分を抜擢してくれた織田局長をも巻き込んだ局内スキャンダルに巻き込まれてしまう。この結末も何かヒトを食ったような感じで、「巨悪(?)」はそのままになってしまうんだけど妙に後腐れのない脳天気な印象がある。サドマゾを扱いつつも、最後までカラッとしたエロを堪能させてくれた作品でした。

・「女子アナの王道」(1) 久寿川なるお(2003、少年画報社)感想

・「女子アナの王道」(2) 久寿川なるお(2003、少年画報社)感想

(03.1231)



・「占い刑事」 桑澤篤夫(2003、集英社) [amazon]

ビジネスジャンプ増刊、ビジネスジャンプなどに掲載。
東新宿署の刑事・城戸我宝は、占いの名人。しかし、事件解決に役立てようと言うよりは、理想の女探しに使っている感じ。
お話も、「占いを使って事件を解決」というパターンを使いそうで使わない。捜査会議がいつの間にか「名器は女の耳を見て当てろ!」とかいう話になっちゃってるし。

まあ「女性の手に触れる口実」としてシロウト手相占いがもてはやされるのは今に始まったことではないし、オヤジ雑誌であるビージャンに掲載されたってことは、読者にそういう口実を与えてやろうというテーマがひとつあるのだろう。
後は、同僚や先輩後輩がどれくらいのイチモツを持っていて、気になる女性がどんな性格で、そして名器かどうかという、下世話な興味を満たす(あるいは興味を満たせると妄想する)ところに主旨があることはわかる。

だから、これが並のマンガ家の作品であれば、おそらく編集者主導の企画モノで終わっていただろう。しかし描いているのが桑澤篤夫だからたまらない。なんだかサッパリわからない。主人公がえんえんとネームで細かい占いうんちくをたれた後に、「よーし、捜査が行き詰まったらソープだァ!」とか叫んで後輩と夜の街に繰り出していって終わり、みたいな。

いろんなマンガを読んでいると、私の評価基準としては「ぶっとび」とか「ネタ」とか「はずれてる」とか、あるいは「つまらない」とかさまざまなものがあるが、たまにまったく判別不可能な作品があって、現時点での本作はまさしくそれに当たる。

ちなみに似たような「どうしたものか感」を感じるのが、読者対象やテーマなどはまったく異なるが「娘。物語 ALIVE!」(1) 星野真弓、神崎裕(2003、講談社)(→感想)であったりする。

【参考】
「幕末闘球伝ライヤ」全1巻 M・A・T、桑沢篤夫(1993、集英社)感想

(03.1231)



【アニメ映画】・「とっとこハム太郎 ハムハムハグランプリン オーロラ谷の奇跡」(監督:出崎 統、2003、東宝)

公式ページ

テレビアニメ「とっとこハム太郎」の劇場版第3弾。
夜の公園でハム太郎たちがおしくらまんじゅうなどしてワーワーやっていると、妖精風ハムスター・プリンちゃんがやってきて、ハム仲間のリボンちゃんを「伝説のスノープリンセス!」ということでオーロラ谷へ連れていってしまう。ついでに、ハム太郎たちも友達だということで連れていってしまう。
オーロラ谷は、すでに絶滅したと言われていた伝説のハムスター・スノーハム一族が暮らしている。ここでは3年も雪が降っておらず、暑さに弱いスノーハムには困ったことになっている。
伝説では、スノープリンセスが祈れば雪が降ると言われているのだ。

一方、オーロラ谷にやってきた海賊・ハムクック船長とその子分たちは寒さに弱い。雪など降られてはたまらんということで、プリンちゃんをさらってしまう。
ハム太郎との話し合いの末、「ハムハムグランプリン」で決着を付けることになった両者だが……?

前作の感想に書いた、「画面はむやみとにぎやかで、歌もミニハムずの歌以外に何曲も出てきて」、「ちょっと『子供をいかに飽きさせないか』という命題に、脅迫観念的に取り憑かれているような印象」は変わらず。
どこかで、前作について「劇場版ハム太郎ドラッグムービー説」を読んだ記憶があるが、劇場版3作目を見ると確かにそう思えないこともない。
それは、地口、ダジャレ、ほとんど流れや勢い重視のセリフにとくに顕著に現れていると思う。
レースの実況をやっているのは、名前は忘れたが「ビースト・ウォーズ」などのラップ調アニソンを歌っていたヒトだし、同行するのは勢いで「ゲッツ!」というだけのゲッツハム。ゲッツハムはいかにも単なるにぎやかしのようでいて、むしろこの映画の「脅迫観念的ハイテンション」を象徴しているかもしれない。
ミニハムずも、寿司屋も、海賊たちも歌う。最後には当然プリンちゃんも歌う。声をやっているのが安倍なつみだから。
そしてストーリーは、できごととできごとをつなぐ便宜上のものがあるだけで、つなげて物語の意味を真剣に考えても得るところは何もない。とにかく勢い重視なのだ。

ただ、今回セリフの流れ、勢いには面白いものがあったけれど、それとところどころの音楽の挿入がマッチしておらず、リズムを乱している印象。ラストの超ご都合主義に関しては、劇場版ハム太郎はこういうものだと思うしかないんだろうな。
出てくるのが海賊だけあって、かつての出崎アニメの感動をフッと思い出しそうになるんだけど、このシリーズに限ってはそれは単なる勢いだけだとわかっている。だから、「ハム太郎とハムクック船長の対立から和解までがキッチリ描かれていない」などとは書く気にもなれないのであった。

・【映画】「とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ 幻のプリンセス」(監督:出崎 統、脚本:島田 満、2002、東宝)感想

(03.1231)


【映画】・「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(監督・脚本:手塚昌明、2003、東宝)

公式ページ

前作「ゴジラ×メカゴジラ」のストレートな続編。
ゴジラを始め、巨大生物の出現に戦々恐々とする日本政府。またひとつ、謎の巨大生物が空をかけめぐる。
出動した戦闘機が見たものは、「モスラ」の影だった。

1年前、ゴジラとの戦闘でボロボロになった機龍(=メカゴジラ)は鋭意修復作業が続けられていた。
機龍の整備士・中條は休暇中、叔父の別荘で甥っ子とともに小美人とモスラに出くわす。小美人は、ゴジラの骨からつくられた機龍の存在を自然にさからうこととし、眠らせてあげるように頼む。
その代わりに、モスラがゴジラと戦うというのだ。
それでは機龍の存在は何だったのだ……悩む中條だったが、ゴジラは再び東京湾にやってきたのであった。

……自分の、劇場で映画を見ることの意味を考えるに、つくづく「自分は映画マニアじゃないなあ」と思えてくる。私にとって映画に必要なのは、現実生活を忘れさせてくれるほどのヴァーチャル空間の現出にあって、またそのような映画しか望まないのである。これは映画マニアとはかけ離れた姿勢だなあ。なんだか申し訳ない。

しかし、その観点で見るとこの映画は実にすばらしい。映画冒頭、モスラの出現からタイトルが現れ、「ゴジラ×モスラ×機龍」と出てきて「機龍」の文字がふっとんで「メカゴジラ」になるところなんかは意味はよくわからんがすさまじくカッコいいのである。
他にも、軍隊では縁の下の力持ちである整備士・中條が主人公格である点、また中條の叔父、甥(老人と子供)が物語に深く関わっている点、さらに中條=機龍寄り、中條叔父&甥=モスラ寄りという感情移入の違い。
前作で機龍のパイロットであった釈由美子がキチンと出ていた点。そして、単なる顔見せではなく、「人間によみがえさせられたゴジラ」である機龍に対する哀しみを中條と共有するシーン。ほんの一瞬描かれる、新パイロット・吉岡美穂と中條の恋愛がらみ描写、もう一人のパイロットと中條は対立するが、そいつが単なる悪人ではない点など、人間描写パートはきっちり描かれていると思う。

そして圧巻なのが、映画の後半部分で延々と怪獣バトルが繰り広げられている点だ。
ゴジラ、モスラ、機龍がガッツンガッツンに戦い続ける。個人的には、昔の怪獣映画は(まあもろもろの事情があるのだろうが)怪獣の格闘シーンがダラダラ単調になることも多かった気がする。しかし、本作では怪獣プロレス的流れや「さまざまなアングルで怪獣の格闘を映す」という演出でもってまったく飽きることがない。本当に「見たこともないシーンを見せてくれている」という感動を感じることができる。

テーマとしては、「機龍の存在がかえってゴジラを呼び寄せているのではないか」という、前作から引き続く「人間がゴジラを利用することによって、さらに災厄が訪れる」といったことを描いている。このあたりも、ものすごくまるめた言い方をすれば「義理と人情を量りにかけりゃ、義理が重たい」状況で中條が出撃する、という点でうまい具合に決着が着いたのではないかと思う。

個人的には「ゴジラ×メカゴジラ」以上の出来だと考えるが、機龍の存在感は前作を見た方がよりわかりやすいと思うので、2つセットで考えるべき作品なのかも。

難点を書くとすれば、中條の生還シーンがむちゃくちゃすぎる点と、怪獣戦闘シーンに力が入りすぎているために吉岡美穂が「ゴジメカ」の釈由美子、「メガギラス」の田中美里よりも、彼女の、女優としての美味しいシーンがほとんどないということだろう。次回作があるならもう一度出演した方がいいと思う。

・【映画】・「ゴジラ×メカゴジラ」(監督:手塚昌明、脚本:三村渉、2002、東宝)感想

(03.1231)


【雑記その5】「テキストサイト論」が再燃なんですか?

その1
なんか「娘。」テキストサイトのアンテナ(アンテナしばたはてなアンテナ - 娘。アンテナ β)で次々に見ていくと、みんなテキストサイトのあり方みたいなことをコメントしていますが何かあったんですか。

実に当たり障りのない発言になるが(っというか、純正のハロプロファンサイトでないわがサイトがどうこうコメントする筋合いの問題でもないが)、いろんな考えがあっていいと思います(本当に当たり障りない)。

思えば「少年ジャンプ感想サイト」がひとつの群体として把握されたときも、「侍魂」のエピゴーネン「フォントいじり系」ができたときも、書籍「テキストサイト大全」が発行される直前くらいの、リードミーの順位が大きな基準だった(今はどうだか知らない)「テキストサイト」が増え始めたころも、同じようなことが言われていました。

サイトのオリジナリティだとか、サイト同士の馴れ合いだとかの問題ね。

これは以前にも書いたが、同人誌の世界でもほとんど相似形で同じような問題が指摘されたことがあった。今は知らん。

もっと前には、パソコン通信時代に、オフ会をやってオンラインで急速に馴れ馴れしくなる人に苦言が呈されたり。これはオンとオフは基本的に差はないのだというクールな考えに基づくものなのだけど。

とにかく、これだけは言える、と思うのは「趣味は必ず『場』を形成する」ということ。
逆に言えば「場」も形成できないようなものは、文化として定着しない。

この「場」というのには二重の意味があって、ひとつは組織的なもの。同人誌で言えばサークルであるとか、即売会であるとか。俳句や短歌だってそういう集まりがあって句会をやるんだし、囲碁では碁会所とかね、そういうコミニュケーションの「場」がある。

もうひとつは、そうした「組織」内で、あるいは組織を飛び越えてできるかたちのはっきりしないコミュニティのこと。たとえば、会の責任者が役職としてあっても、みんなの輪の中心がぜんぜん別の人だったりとか。大きな集団の中で、特定のコアな人々が集団を牽引しているとか。あるいは、複数の組織で、その組織を越境した無形のコミュニティが存在したりとか。
マイナスの観点で書くと、「影のボス」がいるとか、「この会に入ってあの人ににらまれたらやっていけない」とかね。あるいは所属していても本当にただ「所属しているだけ」の幽霊会員が存在したりとかね。

遊びの集団のもめごとというのは、多くの場合この「無形のコミュニティ」の存在から起こる場合が多い。
でも同時に、実質的に集団を牽引しているのがそのコミュニティであることも多々あるわけです。

……まあ、ネットの場合はそれにまたネット特有の事情がからんでくるんだけど、けっこうそういう「見えないコミュニティ」が、明確になってしまう、あるいは明確になっているように見えるというのがネットの特徴かもしれない。

もう本当に、その手の問題定義ってネットで定期的に繰り返されるから。

その2
もうひとつ別のことを考えたのは、ネットで「馴れ合い」という言葉をよく目にするということについて。普通のつき合いでも(似た趣向のサイト同士でオフ会を行ったとか)、自嘲気味に「馴れ合い」って書いたりするところがある。
でも、別にそういうのって「馴れ合い」ではないと思う。普通のつき合いでしょ。
どっか飲みにいったりするくらい。

「馴れ合い」っていうのは、たとえばあるレベルまで引き上げていかなければならない問題に対して、そのレベル向上を無視して、お互いなあなあで合理的に動かずにウヤムヤにしてしまうようなことを言うんじゃないですかね。
仕事だと、馴れ合いの基準ってはっきりする。昔勤めていた会社で、上司が友達だってだけですごくヘタなカメラマンを毎回雇ってた。しかも写真が出来てくるたびに上司が「ヘタだなあ」とか言う。でも使ってる。そういうのは完全に馴れ合い。

でも、サイトの場合は「何を目的とするか」が微妙だから、本当に馴れ合いかどうかの判断はむずかしい。たとえば「他のサイトの人と仲良くなりたい」のが主旨のサイトであれば、日記にだれとどんなオフ会をしたと書こうが、内輪ネタで盛り上がろうが関係ないということになる。

まあ、ネット上で「馴れ合い」と批判される場合というのは、明らかに「馴れ合ってる」コミュニティ外の人が楽しめないサイトになっている、という批判だというのは前提として。
それを理解したうえでも、「馴れ合い」っていう言葉には実は抵抗がある。
これは「偽善」(当サイト内、12 偽善、もしくは「本性」問題参照)という言葉についてと同様のものなんだけども。

「馴れ合い」という言葉を、仲良くしている状況で自嘲気味に使う場合、それって無意識的に「独立した個人個人」を想定した物言いになってると思うんですよね。
そういうと「考えすぎ」とかいう人が出てくると思うけど無視します。

「偽善」という言葉が用いられるときに、それはニュアンスとして「心の底から善行と思ってコトを遂行しなければならないんだ」という意識があるのと同じように。

そういうのには抵抗ありますね。「馴れ合い」に関して言えば、いくら個人が独立していることが現代社会の前提とはいえ、それだけでうまくいくもんじゃないし。
「偽善」に関して言えば「心の底から善行」だと思わなくても、援助は援助だし、逆に個人の満足に過ぎない善行であっても、それが体勢に悪影響を及ぼさないかぎりは自然な感情の発露として普通だと思ってますし。

馴れ合いによって救われることだってあるだろうし、赤い羽根に100円募金して、募金した側が救われることだってあるはず。要は「いったいどこに目的があるか」ってことだと思うしね。そんなに人間システマティックなものじゃないでしょう、とか思いました。
(03.1229)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」およびゴロッキーズ終了、Mステ、告白大作戦、高橋愛の水着展開(2003、テレビ東京など)

年末なんでちょっと総括的に。

まずはハロモニ。から。公式ページ

12月28日放送分。

「ハロモニ。裁判2003」。定期的にやってる、メンバーがやったいろいろな悪さ(といってもかわいらしいものばかり)を、他のメンバーが断罪するというコーナー。

そりゃさあ、「高橋愛のメールはわけがわからない」とか「石川梨華が運動会で審判にマジギレした」とか、「道重が亀井のおかしを食べた」とか、そういう話はなごむよねえ。

さてさて。この間、第2回ハロプロ楽曲大賞2003(於:新宿ロフトプラスワン)(→感想)に行って感じたことなんだけれども、当然かもしれないけど濃いモーヲタの人って、現場主義というかやっぱりライブをすごくたくさん見ていて、ライブとCDの売り上げと、テレビタレント的要素を加味して総合的にものを考えている感じがすごくした。

たとえば後藤真希ってすごくライブがイイらしいんだけど、その良さはまあテレビではあまり伝わらない。その辺の齟齬もきっちり把握している感じがした。

で、私自身が「ハロプロ」ファン程度にとどまっている人間だと自覚したうえで思うのは、やっぱり「ハロプロ」をテレビとCDのみで楽しんでいる人、消費している人って確実にいると思うわけです。
昔っからのアイドルファンでも、必ずイベントとかコンサートとかにかけつける人と、ただテレビで見ているだけっていう人がいる。
「テレビで見ているだけなんてファンじゃないじゃん」と思う人もいるかもしれんが、しかしライブ中心のそれこそ松山千春でもないかぎり、「テレビで見ているだけのファン」がアイドルを支える部分は大きい。
私は森尾由美のレコードやCDは一枚も買ったことないけど、やっぱりテレビを見ていて「あ、森尾由美だ」って思うし。そういう人が多いか少ないかは重要だと思います。
ポップスって、「買ってないけど知ってる」という人にけっこう支えられている部分があるし、そういうものが懐メロとして残っていくと思う。「LOVEマシーン」にはそういう力はあったでしょ。確実に。

というわけで、私はあくまで「娘」をテレビタレントだと限定した上で、今年はずっと発言を続けてきたわけです。それ以外はホント、ライブとか行かないとわからないし、ライブに行かないと感じられないパワーが存在することくらいは私は知ってます。
木製のバットのラベルの部分で打つとバットが折れる場合があるなんて、小学生だって知ってます(アニメ「侍ジャイアンツ」より)。

それで、今回の「小川麻琴が吉澤にラブラブ」というのはどうなんだろう、というのが今回のハロモニ。の主旨です。「ゴロッキーズ」などを見ていても、とても仲の良さそうな二人。
まあ、「うたばん」や「めちゃイケ」のように、「ハロモニ。」で起こった出来事が他番組に波及していくことはあまりないんだけど、「うたばん」で保田的役割の後ガマに小川を持っていこうとしているくらいだったら、小川×吉澤(その逆? どっち? やおいに詳しくないからわからん)は、ものすごいネタになると思うんだがどうなんでしょうね。
今回の盛り上がりようは、「知っている人しか知らない」イメージのあやみきの比じゃないと私は思ってしまいましたよ。

あと、「ハロモニ。」で特筆すべきは、安倍なつみさんは他メンバーのボケを実にキッチリつっこんでいるということですね。毎度思うんだけど。
高橋愛のメールはヘンだとか、道重の行動が異常だとか、ちゃんと言葉で表現している。「何がおかしいのか、面白いのか」をすごくきちんと把握している。
で、面白いのは安倍さんは本人も他メンバーからツッこまれるでしょう。
これ、安倍さんの「笑い」に関する特異な感性を表してると思うんですよねえ。しかし、この能力は集団でしか発揮されないので、脱退してソロになったら普通のかわいらしいお嬢さんになってしまうのかなあ、と思うと寂しい限りです。

あとは「HPW」で、中澤裕子が「私、今キリコさんみたいじゃなかった!?」というところにウケてしまいました。

次に「ゴロッキーズ」終了。
いちおう説明しておくと、テレビ東京系で深夜から月〜金の帯で放送されていたちょっとしたゲームをする番組。五期、六期、それに四期の吉澤ひとみが出ていました。

正直、わずか三カ月で終わったのが非常に残念。これほど五期、六期の魅力を引き出した番組は、他になかったから。
とくに、私にとっては藤本美貴の仕切りが好印象。年長者としてみんなをまとめてました。高橋愛と新垣は、スケジュールの関係かあまり出られなかったし、個人的印象では道重さんと田中れいなさんは、他の番組でもあんな感じで道重さんであり田中さんなんですよね。
だから、「ゴロッキーズ」で私が個人的に印象を新たにしたのは、藤本ミキティー、亀井、紺野ですかね。

ミキティーは前述したんで省略しますが、亀井は道重にはない不思議空間を持っていることが発覚。でも「不思議ちゃん」みたいな感覚ではないね(道重は「不思議ちゃん」路線を狙っている感がある)。
亀井の不思議空間に関しては私にとっていまだに謎の部分が多いんですが、「なんかこの子、やってることが楽しくないのかなー」とフッと感じるときと、すごい自分のことを一生懸命話すんだけど、それがちっとも伝わってこないときがある。
まあ「伝わってこない」のも、一生懸命さを表していて印象は悪くないんだけれども。
ひとつだけ言えるのは、五期に比べると自己主張の強い六期メンですが、その中でも状況によっては最も頑固になるのが亀井なんじゃないかなあ、と考えています。

六期を「バキ」にたとえて言うと(別にたとえなくてもいいが)、
・田中れいな=柴千春 ヤンキーっぽいから。石川梨華の騎馬戦猛抗議に感動したらしい。
・道重さゆみ=初期の範馬刃牙 ひも切り鎬とやってたころの伸び伸びさを感じます。
・亀井絵里=ドイル ホントにブチ切れたら、粉塵爆破とか使いそうです。いい意味で。

紺野は「あこがれ共同体」という感じで、いつもだれかに憧れている感じ。「自分が他の人になれるとしたら?」という質問に「夢が広がる……」と言いながら「後藤さん」と答えた紺野の表情が良かったなぁ。
あと、なんか藤本美貴にも憧れているっぽかった。まあそんなことは私だけ納得してればいいんですが。

そして、Mステで私が始めて見た、賛否両論の娘。のネコ衣装。
テキストサイトとか見ると、すっごい批判しているところと「田中れいながネコみたいでいいじゃん」というところと分かれてますね。
まあ、「Go girl」からの流れで行くと、「Go girl」反対派は不安は増すと思います。私も少々……。
私個人はねえ、あのネコ風カツラ、「ディズニー」とか「宮崎駿」みたいなものを意識して、ネコ風なんだけど必ずしもネコそのものを連想しないような、けっこう微妙なデザインになっていると思う。
完全に好みの問題でいうと、その辺がちょっと小賢しいというか。
どうせアキバ系のオタクは排除ってことでしょ。

もっと「HPW」でやってた紺野のネコ耳みたいのにしたら、私は逆に支持したね。

そして、萌えつながりで「Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜」のPV、「告白大作戦」の方なんですけどね。
実は「楽曲大賞」で見て欲しくなって買っちゃったんだけど、いやいいんですよ、いいんですけどね、これは個人的には微妙だなあ。

あまりに「ほーらほーら、あんたらこういうの好きでしょ」的展開なんでね。まあこれは、いいといえばいいんだけど、否定はしないけど、これを全面展開されたらハロプロは普通のアイドルと同じになってしまうという懸念はありますね。

そして、最後に高橋愛の水着展開について。 ごく初期に、モーニング娘。は水着になっているらしくて以前ネットでその写真を拾ったこともあった。その後もちょいちょい水着にはなっていたが、でも下が短パンだったり、なんか中途半端だった。
これは「ハロプロは水着展開をしない」という意思表明だと判断していた。
石川梨華の写真集にも、けっこう水着があるらしいんだけどね。

で、高橋愛。正確に言うと、松浦亜弥も藤本美貴も里田もアヤカも水着の写真集を出しているんだけど、高橋愛はやっぱり象徴的だと思う。なんか本当に水着中心でしょう。
「アイドルは水着になる」という個人的定義からは、ハロプロが明らかにはずれていたことを考えると、高橋の水着は象徴的に「萌え路線へ行く」という方向性を示したものだと考えています(後藤真希の場合は、ソロ活動への起爆剤という意味が明確にあると思うんですけど)。

……ということは、楽曲が手薄になるということが今後ありうるのではないか、といらぬ心配をしてしまうんですけどね。
どうも、高橋愛は加入後1年間のプッシュやミニモニ。への加入など、本人の自覚はなくてもなんか五期以降のハロプロの「路線のシンボル」みたいな感じですよね。

などと思う、年の瀬でありました。
(03.1228)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第12話「妖精チックな時計 〜最終章〜」(2003、テレビ東京)

公式ページ

12月23日放送。
妖精時計がこわれたため、楓、サスケ、ハンゾー、ヤマネが時のはざまに飲みこまれてしまった。時間研究所研究員のジダイによると、楓たちをたすけるたったひとつの方法とは、「ボヨヨンネジ」というネジを妖精時計にさしこんで、分解することだという。そのためには、妖精時計をぬすんだ張本人・チックの協力が必要なのだが、ひねくれ者のチックはなかなか力をかしてくれない。そうしている間にも雪はますますはげしくなり、人間界は大ピンチに…。

またも、よくまとまっているのであらすじはそのまま引用させていただいた。
とにかく、先週が「第一章」で今週が「最終章」であることに笑ってしまった。前回の予告では「もう終わりかよ!」みたいなツッコミが入ってたしね。
お話はしごくまとも。ああ、そういえばマスクをかぶった妖精・ラットの正体が明らかに……。よく見るとバレバレらしかったんだけど、今週始めて気づきましたよ。
(03.1227)



【CD】・「美少女戦士セーラームーン主題歌/キラリ☆セーラードリーム! 歌:小枝、劇中歌/C'est la vie〜私のなかの恋する部分 歌:愛野美奈子(小松彩夏)」(2003、コロムビアミュージックエンタテインメント) [amazon]

実写版「美少女戦士セーラームーン」の主題歌&劇中歌。「キラリ☆セーラードリーム! 歌:小枝」は主題歌。作詞は武内直子先生。作曲:羽場仁志、編曲:京田誠一。「ごめんね素直じゃなくて♪」の主題歌が有名なので、それで来ると思ったら新たな曲だった(ミュージカルなどで使われてなければ。すいません調べてません)。
この曲、いい意味で「どこかで聞いたような感じ」があって、タイアップ臭さもないし、番組のOP映像そのものの既視感ともうまくマッチしていると思う。「ムーンライトリアルガール」とか「エバーラスティングラブ」とか、耳で聞いて非常に聞き取りづらいフレーズがあるのはどうかと思うけど、何となく武内直子先生にはさからっちゃいけないような気がするのでこれでいいのでしょう。
総合的にかなり好きです。

「C'est la vie〜私のなかの恋する部分」は劇中、大人気アイドルの愛野美奈子が歌っているという設定の曲。作詞:岩里祐穂、作曲・編曲:平間あきひこ。歌も美奈子を演じている小松彩夏が歌っている。
ドラマ内では、イメージ的には往年のアイドルというより浜崎あゆみとか鈴木あみとか(あと下川みくにとか)のアーティスト寄りイメージの強い美奈子だが、楽曲は完全なるアイドル歌謡だと思う。また小松彩夏の一本調子な歌い方が「いかにもアイドル」って感じにたぶん結果的に仕上がっている。「♪セ〜ラ〜ビ」というサビが頭に残ればすべてOKという感じで、それは成功していると思いますね。主題歌と合わせて2曲入ってるのはお得だと思いますよ。

amazonで検索すると、セーラーマーキュリー役の浜千咲が出してるCD「恋するソルジャー」[amazon]というのが出て来るんだが、コレのカスタマーレビューが実に、アイドルファンの屈折を表していてイイです。いやホントに。ホメ言葉。
(03.1227)



【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第12話(2003、TBS)

公式ページ

12月20日放送。
入院先の病院で、妖魔に乗り移られた事務所社長に追いかけ回されるアイドル(セーラーヴィーナス)、愛野美奈子。もらったサインを病院に取りに来たうさぎの機転で難を逃れるが、それはうさぎが妖魔の気配を察知したからではなかったことに、ますますあきれる美奈子なのであった。

「バカにしていたうさぎのあまりの脳天気ぶりに、アイドルとして、プリンセスとしての日々に追われる自分を次第にリラックスさせていく美奈子」という展開は予想どおり。本当は美奈子の表情による演技で、心情の変化が表現されなければならなかったんだけど、それはまあしょうがないとして。
お話としては、「アイドルの窮屈な日々に嫌気がさして逃げ出す」というパターンを踏襲していながらそうではなくて「うさぎがそうだと思い込んでいる」というところが、美奈子とうさぎが出会い、美奈子のうさぎ評価が変わっていくことを表現していてうまいと思ったね。

それにしても、あまりに私の周囲で本作の評価が低すぎる。アニメのイメージが強すぎるということもあるだろうし、「どのくらいパンチラがあるのか?」と聞かれたり、「演じてる子が好みじゃないから」と言われたり。
ちゃんと説明しようと思っても「またまたご冗談を」みたいな雰囲気で、本気で受け止められない。これは私が江戸川乱歩の「少年探偵」をホメたときと同様の反応である。
まあ、そういう反応するのは予想できますけどね。
(03.1227)



【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第13話(2003、TBS)

公式ページ

12月27日放送。
うさぎと衛は、いなくなった亀を見つけてくれたことがきっかけでシンという青年と知り合いになった。
彼は過去の記憶を失っているという。自身も何者なのかがわからない衛=タキシード仮面はシンに同情するが、もともとお人好しのうさぎは彼以上に一生懸命にシンの記憶を取り戻そうと奮闘する。
しかし、シンには恐ろしい秘密があったのだ……。

今回は、うさぎと衛がシンのために世話を焼いてやることをきっかけに関係が親密になる、というところがメインなので、シンの苦悩は深くは描かれなかった。 妖魔にさせられそうになる女子高生役の子が普通っぽいので、リアリティがあって恐い。今回はチョイ役のレイ、亜美、まことも、年始に備えるアルバイトという設定で巫女さん姿になり存在をアピールしてました。
(03.1227)


【特撮】・「超星神グランセイザー」第12話「決戦! 超星神対大星獣」(2003、テレビ東京)

テレビ東京ページ

12月20日放送。
アケロン大星獣が風間高原に出現。国防省が出動し、グランセイザーたちも急いで高原にむかう。それぞれの因縁から自分の力だけで敵をたおそうとするグランセイザーたちだったが、次第にグランセイザー全員が心をひとつにしなければならないと考えはじめる。

セーラームーンと違って、かなり「ズレ感」を楽しんでみている本作だが、脚本は基本的にはけっこう破綻がないと思うんだよね。そりゃツッコミどころはいろいろあるんだけど、キャラクターの動かし方とか「あまりにそりゃないんじゃないか」というのはそんなにない。
たとえば、今回は9人のグランセイザーの心が始めてひとつになるという話だが、それぞれのキャラクターの今までの因縁を少しずつ描いている。戦力的にいちばん弱そうな蘭(セイザーヴィジュエル、磯山さやか)がチームの潤滑油的役割を担っているところ、数話前に終わったはずの伝通院とカリンの因縁がいまだに続いていて、セイザー同士が争っていたいちばんのネックだったのが今回のクライマックスになっているところなど、まとめるところはキレイにまとめてます。 要するに、9人のキャラクターをちゃんと描きわけているということ。

赤星昇一郎のややオーバーめの演技もいいんだコレが。
(03.1227)


【特撮】・「超星神グランセイザー」第13話「襲撃! インパクター」(2003、テレビ東京)

テレビ東京ページ

12月27日放送。
アケロン大星獣を倒し、束の間の平和がやってきた。しかし、宇宙から巨大隕石が地球に向かい始める。それは、インパクターであるラディアとルシアのしわざだった。
地球を守護するために宇宙空間をさまよっているクラウドドラゴンは、プロミネンス砲で隕石を破壊するが、そのショックで超星神・リヴァイアサンが海に投げ出されてしまう。たまたま島に遊びに来ていた剣と蘭がそれを発見、堀口博士たちは調査にむかう。
そんな彼らを写真におさめる不審な男がいた。彼は、グランセイザーのことを探っているらしい。彼もまた、新しい仲間なのだろうか……?

アケロン人を倒してから小休止のセイザーたち。今回は何といっても蘭(磯山さやか)のビキニ姿が突如出現したのに驚いた。詳細はわからないが、おそらく「特撮ドラマで、始まってからもっとも早い段階で水着になった巨乳」ではないだろうか。すばらしいね。
冬の海に遊びに来た剣の妄想、という設定なのだが、あまりにムリヤリなサービスカットに笑ってしまった。海と、おそらくスタジオで撮ったいそっちの水着姿が合成されていたんだけど、いやあ、ビデオ合成っていいですねえ。
ついでといっては何だが、新キャラらしい女の子(伊藤久美子)も水着で出ていた。

(訂正) その後、掲示板でのご指摘により、いそっち水着シーンは合成ではなく本当に9月頃ロケしたものだと判明。

磯山さやか“胸”が踊ります(デイリースポーツonline)

もう何が現実で何が虚構かわかりませんな。我々はすでにSFの世界に生きている。ということを磯山さやかで自覚する自分。あるいは私がただ粗忽者なだけか。またあるいは、あんなにもあからさまなサービスカットが悪いのか。

ところでついでに書いておくが、新しい宇宙人・インパクター、サングラスかけてんですよ。暮れも押しつまってサングラスかけた宇宙人はないだろうよ。いやすばらしいんですけどね。

あ、あと剣と蘭はセイザー同士でいきなりお泊まり旅行しないように。
(03.1228)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

12月21日放送分。

「産直娘。」と題し、メンバーそれぞれの故郷の名物料理を出してきて、それに対する二択クイズに答え、当たったら食べられるというゲーム。
なんか今週は「四休さん」のゲストということもあり、小川ばっかり出てきた印象がある。本当に最近「化けた」よなあと思う。もちろん「化けた」っていい意味ですよ。っていうか「化ける」ってタレントを表現するときにいい意味だよね普通。

最近、毎週感想を書く大変さが骨身にしみているわけですが、ちょっと趣向を変えて総論的なことを書いてみよう。
モーニング娘。に詳しい人の言説を聞くと、「ハロモニ」というのはあくまでもファンの理想郷であって、決して外部に向かって発信しているものではない的なことを言っている人が多い。
だけど、私にとっては印象が真逆で、「ハロモニ」が始まったときに「嗚呼、やっとこちら側に、自分側に来たか」という印象だったんだよね。
ほとんどの「モーニング娘。」のコアなファンって「ASAYAN」でハマったと思うんだけど、それは逆に言うと「ASAYAN」に興味のない人は、いったいそこでどんなドラマが行われているのかまったく知らないということなんだよね。私もそうだったけど。
「やじうまワイド」などで「後藤真希が加入当初は苦労したとコメントした」とかの情報は入ってきていたので、情報発信側としては他局とかスポーツ新聞とかいろいろ利用していたとは思うんだが、それにしてもプロレスの「WWE」の試合をテレビで毎週見てないとすぐストーリーがわかんなくなっちゃうのと状況はほぼ同じだったと思う。

「ASAYAN」を見ない私にとってはかつての「モーニング娘。」っていうのは「特定の番組発信ユニット」という以上のイメージはなかったわけで。

だからこそ「ハロプロ」単体で、とくに歌の売り出し企画などのまったくない「ハロモニ」という番組が出てきて始めて「ああ、やっといちいち連続的な物語を追いかけないでいい番組ができたな」と思ったし、それは「ASAYAN」を離れてもモーニング娘。が成立するという意味だったわけでしょ。本当は母体となる番組を失ったことには問題がいろいろあるみたいなんだけど。

これは物事を逆さまに見ていると自分でも思うんだけど。モーニング娘。をアーティストと見るかアイドルと見るかで視点は違ってくると思うが、私は完全にアイドル的な見方で見てるから、あまりに強烈な物語がバックにある、逆に言えばバックにないと成立し得ないというのはあまり好きじゃないので。

それは現在の後藤真希とかも同じで、個人的には脱退してからの方がずっとかわいいと思ってるしねえ。というわけで、また自分は物事を逆立ちして見ていると再認識しました。
(03.1223)



【イベント】 第2回ハロプロ楽曲大賞2003(於:新宿ロフトプラスワン)

第2回ハロプロ楽曲大賞2003を発表するトークライブ。12月20日深夜12時から。歌舞伎町はこの日もあいかわらず不夜城だったよ。

私自身が濃いモーヲタでも何でもないため、感想を書かなくてもいいかとも思ったのだが、やっぱり書こうと思う。
まず最初に、このイベントをやった人にお疲れさま、素直に面白かった、と言いたい。

何人で、どんな経緯でどれくらい時間をかけたのかはわからないけど、ランクインした曲の読み上げ、それに関するコメント、スクリーンに映し出されるテロップ入り映像、全曲を編集して少しずつ聴けるというダンドリなどは非常にスムーズで、単なるノリや勢いだけでここまでできるもんではないと思う。つくり込んだイベントというのは、見ていて気持ちがいいものである。

壇上に上がった人たちも、進行に徹する人、思いのたけを語る人、わりと冷静な人、それらに適宜コメントを差し挟む人、あるいは楽曲重視の人、「ハロプロ」という状況重視の人、萌え一辺倒の人などいろいろなタイプの人がいて、私はバラエティに富んでいると感じた。
個々の主張で首を傾げるものがあったとしても、それに対する反論や微妙に違った同意、フォローなどが示されるから、見ている方としてもストレスなく楽しめた。これは個人サイトにも、掲示板にもないトークライブの醍醐味だろう。

ランキングに関しては、さすがに1位は組織票なのではないかという疑問があったが、それに対するコメントも壇上で行われたし、後藤真希が1位でいけない理由というのもないので(それは松浦だったとしても同等だが)、まあこんなもんかなあと思った。
「1位から3位には、推している人の必死感が出ている」といった感想が確か言われていたけど、私もそう感じたし、異論はあるだろうがそれでいいと思う。元来こういうところにわざわざ投票する人というのは、そういう感情を伴って票を入れるのが普通ではないかとも思うしね。

個人的に興味深かったのは、「シャボン玉」[amazon]「Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜」[amazon]に対する支持の両極端、それと「外向きの売り方、楽曲か」と「内向きでもいいとするか」と言ったような、考え方の違いが投票者に現れていたのではないかという点。
まあ両者の票が割れたとすれば、それはこのふたつの曲のコンセプトがみごとに両極端だったということなのだが、一般的にBUBKAとか別冊宝島のモーニング娘。本とかにおける言説が、ものすごく大雑把に言って「狭義の『萌え』軽視」、「楽曲重視」と「ASAYAN重視」という印象なのに対し、サイレントマジョリティとしては「萌え重視」が多いのかなと思ったりした。点数の配分を見てみないと何とも言えませんが。

「楽曲大賞」はあくまで「楽曲の賞」であることは当然だが、そこに「萌え」だの「この歌手を推したい」だの、それ以外の要素が入ってくるのはある程度は当然だと私は考えている。まあそれで楽曲本来の魅力以上の点を入れていいかどうかというのは議論が分かれるだろうが、こうしたイベントが一種のお祭りである以上、どう考えてもそうした傾向は抑えられないだろう。
そこら辺は、あくまでも「さじ加減」の問題だと思う。

「辻の写真集を5冊買った」という人が出ていて、「それをズリネタにするんですか?」と問われ「『ののニー』はやりません」と答えたのは個人的にヒットでした。
こういう新造語は、まあ他の人はどう思うか知らないが私は好きだ。

……というわけで、「Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜」で萌えるのも良し、「シャボン玉」でモー娘。に対して音楽的な期待をかけるのも良し、と思った次第。
(03.1223)


【雑記その5】オッス! ヤワラちゃん結婚は酔狂についてのリトマス試験紙!

・その1
オッス!! オラ羅刹女!
グーグルで検索したところ、「オラ悟空」で「オッス!! オラ悟空」がテキストの書き出しとして何百もヒット。少しヒネって「オラ八戒」、「オラ沙悟浄」も数件ヒット、「これはないだろう」と思って「オラ牛魔王」で検索したらこれも1件か2件あった。

で、あらためてオッス!! オラ羅刹女! すごい! オリジナリティー!
関係ないけど「アイデンティティー」っていう映画、なんちゅータイトルだ! ぜんぜん映画の内容がわからないぞ!
もとのタイトルを活かすのもいいが、なんだかわからないんじゃしょうがない。ちなみに「アンブレイカブル」とか「ユージュアル・サスペクツ」などもぜんぜん意味がわからん!

ミステリにはすべて「〜殺人事件」と付けることを提案する。「砂の器殺人事件」、「屋根裏の散歩者殺人事件」など。雰囲気ぶちこわし! 「妖怪博士殺人事件」、人死んでないよ。
SFは「スペースなんちゃら」とか「宇宙のうんたら」とか付ける。SFっていうと「宇宙」っていうおじいさん的発想。でも宇宙が舞台じゃない場合もあるからな……。つまり、いちばんその作品内容を端的に表すことばを付ければいい。
「未来ブレードランナー」、「宇宙スター・ウォーズ」、「透明人間インビジブル」、「宇宙人E.T.」、「サメジョーズ」、「戦争地獄の黙示録」、「刑事ダーティハリー」、「やくざ仁義なき戦い」、「やくざ兵隊やくざ」、「学校スクールウォーズ」、「アニメとなりの山田くん」、「泥棒ルパン三世」など。

ちなみに「ルパン三世 カリオストロの城」は、「泥棒ルパン三世、でもお姫さまなんかも出るカリオストロの城」としたい(「したい」じゃない)。

「未来少年コナン」は、「未来なんだけど、チューブの中を空飛ぶクルマが走ってこないタイプの未来の少年コナン、ちなみにコナン・ザ・グレートとも名探偵とも違うよ」となる。
……ならない。

・その2
最近の興味は、「なんで女子中学生は中島美嘉などの歌を下校途中に合唱したりするのか」です。うるさいんじゃ!! あと自転車のライトが壊れて困っています。

「ヤワラちゃんの結婚式をテレビで見るか見ないか」は「物好き」についてある種の線引きをすると思う。
私はダメだった。さすがにつきあいきれないと思った。
まあもともと、テレビにヤワラちゃんが出る瞬間にチャンネルを変えてるんですけどね、いつもいつも。
もう、瞬時に消すことにしてるから、あわててテレビのリモコンを取り落としちゃったりするとピンチですよ。画面からヤワラちゃんが飛び出してこないように、ものすごい速さでリモコンを拾い直すからね。
それで、リモコンのスイッチの接触が悪くて、2、3回押さないとチャンネルが変わらないときなんか、ヤワラちゃんが画面に映っている間に「ジョジョ」の「ゴゴゴゴゴ」っていう音が頭の中に流れてるから。
ヤワラちゃんっていうのは、一種のスタンドだねこうなってくると。

ヤンサンの格闘技マンガに、ヤワラちゃんソックリの女がガチンコで強い、という設定が出て来るんだけどあれはなかなか良かった。
「バキ」とかに出ればいいのに。っつーか、だれかパロディマンガ描いてるかもしれない。

長谷邦夫とかが描いているかもしれない。あとマッド・アマノ。
(03.1221)


【書籍】・「クリスマスおもしろ事典」 クリスマスおもしろ事典刊行委員会:編(2003、日本キリスト教団出版局) [amazon]

クリスマス生成の過程、聖書におけるクリスマス関連の記述、クリスマスにゆかりの人物、植物、動物、そしてサンタクロース伝説。クリスマスに関するさまざまな知識を網羅した一冊。これであなたもクリスマス博士!(←ベタな表現ですみません)

「サンタの衣装が赤いのは、コカ・コーラがイメージキャラクターに採用したから」というのは聞いたことがあった。
また、「サンタクロースの原型は、北欧神話のオーディンと、雷と豊穣の神トールである」というのも聞いたことがあった。
でも、今まで両者が自分の中で融合しなかった。
前者は「おれたちはコカ・コーラに操られてたんだ! 飲み過ぎで骨が溶ける!」という商売にひっかかった感じ、近代的な感じがするし、後者はものすごく古い伝承だし。

しかし、本書を読むとそうした一見結びつきにくい両極端なサンタクロース像が、他のさまざまな各地のヴァリエーションの中で「あり」なんだな、ということがわかってくる。
そもそもたくさんのサンタ像があって、中にはナマハゲみたいな恐いやつもいるし、女性も妖精もいる。楽しい。

他にも「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」におけるクリスマスの相違点が表になっていたり、クリスマスソング事典が載っていたり、そして「事典」として重要な索引も付いているから、雑学本にありがちな「最後まで読んだけど、内容を忘れてしまう」という現象も(私だけか?)生じにくくなっている。

クリスマスというと、まあ私の周辺では「キリスト教徒でもないのにバカップルが浮かれやがって」という認識が強いわけだが(笑)、本書は「そういうクリスマスって、言うほど厳密なものなんだろうか?」という非常に冷静な姿勢から出発していると思う。
キリスト教信者でない人間が「キリスト教徒でもないのにバカップルが浮かれやがって」と憤るということは、その人間が意識しようがしまいが結果的にはキリスト教徒を勝手に代弁したつもりになっているということだが、その件に関しても少し考えたくなる本だ。

余談だが「オーディン」といったらすごく恐いイメージがある。でも、「恐い存在」としてのサンタクロースの原型というのはけっこうあるそうだ。などと言いつつ、私のオーディンに対する知識って「サイボーグ009」の「北欧神話編」から一歩も出るところがなかったりするんですが。
トールについては、うろおぼえだけど「マペット放送局」という人形劇で、トールが役所に並んでめんどくさい手続きをやらされてキレて雷を落としまくる、というギャグをやっていた記憶がある。
(03.1219)



【雑記その4】若者のみなさん、ゴロッキーズ、ロンパールーム

・サイトの名指しをしないで、かなりきついことを書いたらそこが知り合いの知り合いの人のサイトで、おおいにびびった新田五郎です。
で、そのとき話してものすごい勢いで理解できたんですが、私が新規開拓をしようとしてはずれサイトばかりに行き当たるのは、今の若者と私とにあるジェネレーションギャップのせいではないのではないか、ということでした。

若者のみなさん、すみませんでした。これからは、若者に小馬鹿にされる「ヒョーロクさん」を目指すのはやめて、「キミたちの言うこと、ボクはわかるなぁ」などと若者にすり寄る発言ばかりする気持ち悪い大人になろうと思います。
そして、やっぱり若者に小馬鹿にされようと思います。どっちみち小馬鹿にされるのかよ。やだなぁ。
どっちにしろ、私にとっていまだ不明瞭なジェネレーションギャップをネタにするのはやめます。不明瞭だから。

・楽しい話をしましょう。「ゴロッキーズ」を毎日見てますが、陰の声が「キー坊」から「マスター五郎」に戻りました。モーヲタの人には、キー坊の「ワカッテル仕切り」が非常に評判がいいようで、私も好きですが、マスター五郎(ケンドーコバヤシ)もイイと思うのですよ。
もともと「バンドのゴロッキーズがライブハウスでいろいろなことを学ぶ」という設定の番組が、リニューアルして現在では「紺野の家にみんな遊びに来ている」というふうにまったく変わってしまいました。ゲームをやるのは同じだけど。そして、なぜかマスター五郎はいる。

で、そのマスター五郎が、設定にムリヤリ筋を通そうとして「おれは『こんなおじさん、いたらいいなあ』という、みんなの想像がつくり出した幻かもしれないぞ」などと言ってました。
それいい! 自分もそういう存在になろう。今後、「『こんなおじさん、いたらいいなあ』という、みんなの想像がつくり出した幻」として生きていくことにします。

私も新田五郎という名前ですし。ゴロッキーズに「五郎さん」と呼ばれたら、自分が呼ばれたと思うことにします。こういうことを書くと、力学(ちから・まなぶ)にモノスゴイ馬鹿にされると思いますが、ぼくはがんばって生きていきます。

カンケイないですが、その昔「ロンパールーム」という幼児番組で、おねえさん(ケロンパとかそういった人)がテレビの子供に向かって、ランダムに名前を呼びかけるというのをやってたんですが、私の本名は非常に珍しい名前なんで「ちくしょう、一生呼ばれねぇよ」と腐ってました。
あと、「ロンパールーム」にはおやつの時間があり、スタジオにいる子供たちがおやつを「食べる」んですが、それがコップに入った牛乳を飲むだけなんですよね。
「まさか、牛乳だけってことはねぇだろう」と思って、テーブルの上に置いてある白く細長いものがロールケーキかなんかだと思ってました。

しかし、子供たちはそのロールケーキにいっこうに手をつける気配がない。
実に何年にもわたってそれが疑問だったんですが、実はそれ、おしぼりだったんですね〜。あら驚いた。あらこんなところに牛肉が。
もうちょっと前だったら「おしぼり」を大きめのフォントにするようなオチだから。
ここ、オチだから。

その困ったような笑い顔はやめてください。泣ける……。
(03.1219)


【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第10話「妖精チックな時計 〜第一章〜」(2003、テレビ東京)

公式ページ

12月16日放送。
時間をすすめたりもどしたりできる「妖精時計」が何者かによって盗まれてしまった。このため、人間界は時間が午前2時から午前4時くらいまでを繰り返し、いつまで経っても夜のまま。朝になったら止むと言われていた雪も降り止まず、たいへんなことになっている。
どうやら、その犯人が人間界で妖精時計をつかったらしいのだが……。

いつもの感じ。あいかわらず安純はひどいやつだ。許せない。悔し涙が出てきた。
次回タイトルには爆笑した。
(03.1219)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第21話「アバレ恋! キロキロ」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

7月20放送。
アバレキラーに敗れたアバレンジャーたちは意気消沈。そんな時、アスカが新たな爆竜「アンキロベイルス」の気配をキャッチする。凌駕たちは、さっそく手分けしてアンキロベイルスを探し始める。
アバレキラーのお手伝いさんとして働かされている「ヤツデンワニ」は、街で暴れているところにやってきたらんるに一目惚れ。ストーカーのように追いかけ回す。

実に5カ月ぶり以上の感想。一時期絶賛していた本作だったが、「アバレキラーがなんかむかつく」という理由でいまひとつ見る気が起こらず、録画がどんどんたまるばかりだった。
この回は浦沢義雄脚本で、アバレキラーはたいしてムカつくキャラクターではないが、「アンキロベイルス」初登場にストーリーの重点があるのでそのぶんバカバカしさが半減してしまった。

昔っからそうだが、話の途中であまりに強すぎるライバルが出てくると、なんかカタルシスがなくなって急速に見るモチベーションが落ちるんだよなあ。関係してるんだかしてないんだかわからんけど、「ベルセルク」も敵があまりに強そうだと思ったら読むのやめちゃったし。
(03.1219)



【雑記その3】田中れいなのヤンキー性、広末結婚

なんか、しばらく会ってない人を遊びに誘うのって勇気がいりますよね。
3回続けて断られると「自分が嫌われてる説」と「オンナと過ごす時間に割きたいからおまえウザいんだよと思われてる説」があるから。
いや、ホントに彼女いるって隠す人いるから。気ィ遣わせるなっつーの。

「おもしくない」は、いったいどういうタイプの表現なのか疑問だって書きましたが「おもしくない」で検索すると北海道弁であることが発覚。グーグルで600件くらいヒットしましたよ。
ダラダラ「疑問だ」って書く前に、検索すると一発で答え出ちゃうんだよね。

昔は、パソ通時代はそういう質問から成り立ってくるコミニュケーションもあるから、何でも調べてすぐわかるってのもなあ、と思ってたけど、
別に質問で成り立つコミニュケーションで、友達ができたとかそういうことって結局ほとんどなかったね。

それよりも、わかってるもの同士が高速で情報交換した方がコミニュケーションってできるね結局。
それそのものが「教養」というものの性質なのか、私の性格かわからんけどね。

「おもしくない」に戻ると、北海道出身率の高い「娘。」の中で、この表現の方が普通になっている可能性はある。後はみんな裏なっちが恐いので合わせてるとか。
唐揚げを「ザンギ」って言わないと、その場が凍り付くとかね。
……で、今ちょっと調べたが藤本美貴ですら北海道出身なのか。南の方は田中れいな(福岡)とか道重(山口)とか。新米だからまだ発言権ないだろうし。
ところでプロフィルをまじまじ見たら、

Q5,最後に一言! これから、田中れいなはまっすぐに生きたいと思います!!よろしくお願いします。

田中れいなの嬉しくなるほどのヤンキー性。以前、「田中のヤンキー性にはロマンがない」と書いたが、ここまで徹底してくれればいいよ。おねだりしてくれていいよ。
以前、さんざん書いていた「安倍なつみVS藤本美貴」は、現在ではまったく感じなくなりましたね。
たぶん、すごいタイマンとか貼って、お互いを認め合うエピソードとか合ったと思うんですよね。「くそがあああああ!」とか言うのね。田中宏風に。

・あと、ぜんぜんカンケイないが、松浦亜弥が「最近気になっていること」を質問されたときに、「読んでるマンガの続き。」と書いてて、スゴイ真剣な顔で「夜寝るときもねー、続きがどうなるのかなって考えちゃうのよー」と言っていた。
で、どんなマンガを読んでるか予想したんだけど、たぶん飯田も好きだと言ってる安野モヨコか、何の根拠もないが「NANA」ではないかと思っている。でもももち麗子だったらどうしよう……昔、石川梨華がももち麗子のマンガ本持ってる写真をどっかで見たから。
まあ、ももち麗子のマンガの続きも気になりますけどね。

あと、岩崎ひろみ(歌手じゃない方の)が最近好きなマンガはなかいま強の「わたるがぴゅん!」[amazon]だそうです。

・まだどうでもいい話続けるよ。
けだし名言だと思ったけど、だれだったか、「性的な魅力を全面に出した女性タレントは売れないか、すぐ飽きられる」というようなことは言っていた。
それはまあそのとおりだと思うんですよね。
まがりなりにも、ハロープロジェクトが5年以上ももっている、というのは、明らかに性的な魅力を全面に押し出してないからだ、ということはできると思いますね。

広末については何も書かないでおこうと思ってたんだけど、いくつかのサイトを見て私も思うところがあったので書きますが。
広末涼子が迷走していったのも、大人になって性的な魅力を出さざるを得なくなったからではないかと。
高校時代の広末涼子は特別だったから。ほら何だっけ、海の家でダラダラ過ごすようなドラマがあったでしょう。あれに広末涼子が出ていて、私自身は広末シンパではないんだけど、あの頃のセーラー服の広末は犯罪的にかわいかった。何かこう、少年時代の何かを掘り起こされる感じ。
あの頃の広末は、確実に何かを表していた。

中高生くらいのときの、女の子を好きになったり憧れたりといった男の子の気持ちをすごいピュアなかたちで顕在化すると、当時の広末になった気がする。
十代の男の子の妄想する女の子だから、性的な魅力は全面に出ているというよりむしろ押し隠されていた。
広末がショートカットだったのは偶然ではないと思う。たとえば直接エロさにつながっていくかわいさというのは、たとえば小倉優子とかがいたりするわけだけど、小倉優子も確かになにがしかを象徴しているけれども広末の場合もっとそれが抽象的だった。
だからこそ、ある種強烈な支持を受けていたのではないかという気がする。

その後、早稲田大学に入る頃から何となく「迷走」という感じになる。私は広末涼子という人のパーソナリティにはあまり興味がないんだが、さまざまな奇行をすべて抜きにしても、あのあたりから仕事上の「迷走」は始まったはずだ、と思う。
だって、ハタチ過ぎた広末はすでに十代男子の妄想の象徴ではないわけだから。
ただ、女優としてのポテンシャルはそこらのアイドルとは比べモノにならないくらいあったからいろいろやってはいたけれども、やはり彼女も「十代男子の妄想」の対象でなくなったときに、女性アイドルだれもが陥るエアポケットみたいなものに入っちゃったという印象はある。

しかしだ。まあ出産する以上、現状の芸能活動とは違った方向性になると思うのでとりあえずその陥穽からは逃れた。で、広末が「♪とっても大好きよ〜」と歌ってた頃から脱却せざるを得なくなり、結婚までの迷走期間は、私は女性タレントとしてはけっこういい伝説を残せたな、という気はする。
だって内田有紀だって奥菜恵だって、アイドル脱却に成功したかというと意見が分かれてしまうわけで……。

話は前後するが、広末の早稲田入学は「学生である」ということで「広末=男子ピュア妄想のシンボル」というイメージを延命させようということだと私は解釈していた。が、落ち着いて勉強できないんじゃちょっとその路線はムリがあったと思う。
立教か学習院あたりにすれば良かったのに。あそこら辺なら、さすがに腕を引っ張られるとか頭をはたかれるということはなかったと思うけどなぁ。そう思いたい。

あと、広末のプチ不幸はといえば、あんなにカワイイ声を持っていたのに歌手として中途半端になってしまったこと。今井美樹みたいになれたと思うんだけどなあ……でもどうしてそうなったのかはわからない。
深田恭子の歌手活動も成功したって……ちょっと言えないんでしょ? そのあたりは専門的になりすぎて私もわかりませんし。

ただ、ひとつ言いたいのは広末涼子は、確実に時代の何かを背負っていたということだよね。かつての松田聖子や原田知代や菊池桃子や宮崎美子や、巨乳路線の皮切りとしての細川ふみえのように。
出なければ、遠藤久美子や仲根かすみや星井七瀬のような後続を生み出しはしないと思うし。

などとダラダラ書いて終わります。
(03.1218)


【雑記その2】

・「プリンセス」1月号(2004、秋田書店)
「ハートのダイヤモンド 吉井怜物語」が連載中。
白血病になってしまった実在のアイドルの闘病記。

ミニモニ。ドラマ初出演!入浴シーンちょこっと見て(サンスポ)天上の飛鳥

個人的には入浴シーンはどうでもよく、

>>ミカ(19)はキーワードになる役で3話全てに登場する。

おお、ミカもちゃんと出るんじゃないか(考えてみれば当然か)。【雑記その4】で、「すべてのドラマに端役で出演するっていうのはどう?」と書いたけど、本当にそうなるようだ。「ミカを出演させろ」となったとき、考えてみれば当然の措置だわなあ。
でもホントに、ベタだけど各ドラマで「どっかで会ったことありませんか?」「さあ……」とかやってほしいんだけどね。イメージ的には「古畑任三郎」に出てた「トリビアの泉」の司会の人みたいな感じで。うーん、でも主役がそれぞれ違うからダメか。

それと、この記事の見出し、「ちょこっと見て」って「ちょこっとLOVE」にかけてあるんでしょ。ふっるー! だっさー!
でも、モーニング娘。って表記がいろいろむずかしいから仕方ないね。「なっち」って「ナッチ」って書いちゃいけないらしいし。モー娘。自身も、「娘。」って略さないで「モーニング」って言ってるしねホントは。「ゴマキ」じゃなくて「ごっちん」とかだしなあ。 でも三十過ぎて十代の女の子を「ごっちん」と呼ぶのはさすがに恥ずかしいなあ。高橋由美子を「グッピー」と呼ぶのと同等に恥ずかしい。でもファンは恥ずかしいとか言ってられないんだろうね。

あとぜんぜん関係ないけど、矢口真里は「おいら」よりも「面白くない」を「おもしくない」っていうのが最近気になってます。「おもしくない」。どこかの方言?

……いちおう、他社の記事もってコトでこちらも。
ミニモニ主演ドラマ!入浴シーンも(ニッカン)

(03.1217)


【雑記】

……ここ数日、「なんか面白いところないかなー」と思ってふだん見ないようなサイトを覗いてみて、結果的にちょっと看過できないくらいマイナスの意味で頭の悪いサイトを見る結果になってる。それでダークな気持ちになったりして。自分はバカだ。

私も書いたりするけど、「オッス! オラ悟空!」みたいな書き出しから始まるバカ文体あるでしょう(本当に具体的に「オッス! オラ悟空!」という書き出しから毎回始まるサイトがあるんだけど、これから書こうとするところはそこじゃないです。注意)。
で、そのバカ文に混じって、あるサイトで外務省のイラクで殺された人に対して「あんなの犬死にじゃん。お国のために尽くすなんていまどきありえない」とか書いてあるんだよ。

「バカ文体」というのは、最低限の知性のある人間が書いていると思っていたのでおじさんガッカリだ。
だいたいブログなんてやってるやつに、亡くなった外務省の人も「犬死にだ」と判定されるなんてそれこそ浮かばれないよ。おまえが判断することじゃないだろう。
二人が犬死にかそうであるか判断する資格があるのは、天下国家をマジメに考えている人か、逆にリスクを引き受けて真剣に何もかもしゃれのめそうと考えている人か、肉親、同僚、友人などであって、おまえのようなカウチポテトみたいなやつにそんなこと言う資格があるのか畜生。

あと、また別の毒舌系サイト。「拉致被害者はずうずうしい」という出だしから、「拉致問題よりも、北朝鮮が日本に核ミサイルを撃ち込むかもしれないということの方が重要だ」とし、「拉致問題を外交のカードに使って、『拉致はなかったことにするから、核ミサイルは撃たないで』とするのが妥当」と書いてあった。
「北朝鮮が日本を攻撃する危険性が非常に高い」と前提とした上で書くが、はっきり言ってこういう意見は机上の空論。算数みたいに答えを割り出している。
このサイトでは「じゃあ北朝鮮以外の国に拉致された人間の家族はどうなるのか」と書いてあるが、北朝鮮拉致問題は、ここまでマスコミに流れてしまった以上、問題は「日本政府が、今までだらしなかった、見逃してきた」から起きた問題だとほとんどの国民に認知されている点が重要だ。

もし、上記のとおり拉致被害者をバッサリと切り捨てて北朝鮮外交を行ったら、おそらく日本国民にはモラルハザードが起こるだろう。
少数派をものすごい勢いでバッサリ切り捨てると、「ああ、自分がそういう立場に立ったときに切り捨てられちゃうんだな」と思っちゃうから。私だったら間違いなく思うね。
そうなったら、だれもイヤなことに協力しなくなる。年金基金も払わなくなることは言うに及ばず、国際貢献で海外に行くなんてバカバカしいことやらない。
「怨念」というものは、机上の計算では割り出せない。それが日本国民全体から見て少数派ならばなおさらだ。
よしんば、拉致被害者の運動が結果的に北朝鮮外交の足を引っ張ることになっていたとしても、それを何らかのかたちでソフトランディングさせるのは日本政府側の役割であって、ましてや部外者が「拉致被害者がずうずうしい」と言うのはお門違いだと、私は思う。

もうひとつ。「ひきこもりは軍隊に入れて直せ」とか「ナンチャッテ貧乏は腹が立つ」とか書いてあったところ。
その意見自体が全面的に間違っているとは言わないが、ぜんぜん文章にユーモアがない。あと知識も知性もない。まず、それじゃあその前におまえが軍隊に入れ。それと、もうちょっと文章の勉強をしろ。
「ナンチャッテ貧乏」に関しては、バブル期前夜からよく言われていていまだに言われていることを知らないのか。「おれたちひょうきん族」で、「ラブユー東京」だっけ? あれの替え歌の貧乏ネタで、Mr.オクレが全国的に認知されたのを、少なくとも当時小学生だったら知らないとは言わせない。
あと、その後Mr.オクレが何かのインタビューで言ってたんだけど、あの人は売れなくて貧乏なんじゃなくて、働きたくなくて貧乏なんだそうだ。

「今、本当に貧乏なヤツなんかいない」という意見にも疑問がある。むしろ見えにくくなっているという方が正しいんじゃないのか。こういうこと書いてサヨクだと思われても困るんだけどさあ。ただ、やっぱり貧しい人っていうのはいるだろうどう考えても。
ただ、現在の日本の大前提として「まじめに働けば食っていけるはず」というのがあるから、貧乏人は同情されなくなってきてる。昔は国全体が貧乏で、しかも高度成長期という昇り調子がかなり続いたから、80年代くらいまで貧乏な人というのは、その波に乗れなかった不幸な人だったり不器用な人だったりした。そういう同情があった(刑事ドラマ「太陽にほえろ!」には、よくそういう意味でワリを食った人が犯罪者だったり犯罪被害者だったりした)。
今はそういうのはない。全部自分の能力に還元されてしまうから。

そういうのは、「ひきこもり」をあしざまに(そのトーンにユーモアのセンスのかけらもない、ということこそが重要)罵る心性と一致していて、「ひきこもり」もその人間が全責任を負わなければならないこととしてとらえられているってことでしょう。
こうした「どんな不幸もその人の責任」という考え方は、私はどっか病んでると思うね。まあ、そういう考え方は世の中が合理的に整備されていくうえでどんどん強くなっていったんだけどね。

……というわけでネットで非常に不愉快な思いをしました。「そんなこといちいち書かなくてもいいじゃん」と思われるかもしれないけど、もしかしたらさあ、もう二十代の人間の多くは自分とまったく違う考え方なのかもしれない、と思い始めて。
全共闘世代っていうのは、「全」で「共闘」してたからか、よくも悪くも若者に寛容な印象があるが、それ以上と以下の世代ってすごい若い人に辛く当たるでしょう。私の勝手な印象だけど。
自分がトシとってきて、その理由が分かるよ。やっぱりイラッとするときあるもん。

で、自分が若い頃も、「おまえが言うな」、「おまえががんばれよ」みたいな年上の人っていたんだよね。それなりに地位や実績がある人ならともかく、何でおまえが偉そうなんだよみたいな。
私もそういう中年になろうと思う。目指すのは「オバケのQ太郎」に出てくるヒョーロクさん。

何、ヒョーロクさんも知らないの。あと急に思い出したけど、昨日半日「郵ぱっく」を待っていたら来なかったので泣きました。
(03.1217)


・「装甲騎兵ボトムズ」(1)−ウド編− 原作:高橋良輔、原案:矢立肇、作画:のなかみのる(1983、2003、講談社)
・「装甲騎兵ボトムズ」(2)−クメン編− 原作:高橋良輔、原案:矢立肇、作画:のなかみのる(1983、2003、講談社)
 [amazon]

コミックボンボン連載。コンビニペーパーバック調の単行本。アニメ「装甲騎兵ボトムズ」のコミカライズ。
ギルガメスとバララントの2つの星系は、100年以上も戦争を続けていた。大戦の末期、キリコ・キュービィーは作戦の最重要機密である「素体」を見てしまう。
このために拷問にかけられたキリコは脱走、ウドの街で武器密売人・ゴウトや、お調子者のバニラ、女の子のココナの協力を受けながら、自分が見たものの謎に迫ろうとする。

掲示板でご指摘があり、ダグラム→ボトムズ、の順番を間違えたことが発覚。お教えいただきありがとうございました。もうその辺の順番まで曖昧になってる私。

さて、「ボンボン」連載の森藤よしひろ版「ダグラム」(→感想)に比べると、まあ「ボトムズ」そのもののお話の通りがいいということもあるが、突然エピソードがスッポリ抜けることもなく、のなかみのるの絵も見やすいので2巻までの段階ではスムーズに読める。

「クメン編」が映画「地獄の黙示録」が下敷きになっているらしいとは前から聞いていたんだけど、確かに「地獄……」を見てから読むと「クメン編」は、「地獄の黙示録」のワケのわからんところを明確にし、戦場ものとして面白くさせたという印象である。

なお、表紙は妙にカッコいいので載せてみた。
3巻、4巻は1月28日発売予定。

【小説】・「装甲騎兵ボトムズ」I.ウド編、II.クメン編 高橋良輔(2002〜2003、角川スニーカー文庫)

(03.1216)



【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第11話(2003、TBS)

公式ページ

12月13日放送。
人気アイドル・愛野美奈子が交通事故で入院。美奈子の大ファンであるうさぎはこのニュースを聞き、お見舞いに行こうとまことと二人で病院に忍び込む。一方、亜美・レイ・ルナはインターネットで見つけた「星まつり」が気になる。
「星まつり 月と火星と水星と木星大集合 ゲストはV」と書いてあったのだ。このフレーズに、3人はセーラー戦士とセーラーVを連想した。この情報は、入院中の愛野美奈子(実はセーラーV)にも届いていた。
行動を開始しようとした美奈子は、病院でうさぎとまことにばったり会ってしまう。 美奈子に出会えてはしゃぎまくるうさぎを見て「こんな子がセーラームーン……」とかなりあきれた美奈子は、深刻にやる気をなくすのだった。

今回は、「プリンセス」がらみのエピソードへ持っていくためのつなぎ的な感じなんだけど、とにかく美奈子の芸能プロダクション社長(男)の演技が笑えた。マニキュアを塗った手を乾かすために、両手をヒラヒラさせているところを見て妖魔と間違えるうさぎとまこと、とかちょっとしたアイディアが面白い。

それにしてもホントにセーラーVがプリンセスなの? もうアニメを見たのが何年も前なんで忘れちゃったよ……。
(03.1216)



【特撮】・「超星神グランセイザー」第11話「結集! 9人のセイザー」(2003、テレビ東京)

テレビ東京ページ

12月13日放送。
なんと死んだはずのアケロン人が生きかえった! そして、空から大きな円盤が出現、アケロン人=カリンにパワーを与える。パワーアップしたアケロン人は、松坂直人=タウロンと戦い、直人はケガを負ってしまう。どこまでも一人で戦おうとする直人を説得する、同じ「大地のトライブ」の仲間なのだった。

前回、ちょっとホロリとさせるエピソードで死んだアケロン人があっさり復活。巨大化して怪獣にさえなる。大地のトライブはものすごい寄せ集め感が強い。えらい他人行儀。いそっち(磯山さやか)はあいかわらず胸にドッヂボールを入れているようだ。
それにしても、本当に素直に楽しめるよこの作品は。「アバレンジャー」も「セーラームーン」もだけど。
(03.1216)

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