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「つれづれなるマンガ感想文」1月後半
「つれづれなるマンガ感想文」2月後半
一気に下まで行きたい
今から、すごくくだらない話を書く。
「ハロー! モーニング。」というモー娘。およびハロプロ関連のバラエティ番組の中に、ミニモニ。がかっぱに扮する「ミニモニ。かっぱの花道」というコントコーナーがある。
今週の番組(→感想)のそのコント内において、最後のシーンで「賞金一千万のカラオケ大会が開かれるガニ!」と言ってザリガニ姿の紺野が家に入ってきたとたんに、ミニモニ。かっぱたちが大騒ぎとなり、「私が出るのよ!」、「いや私が!」とそれぞれ言い出してみんながバラバラに歌を歌いあう。
シュール&狂騒的な結末で、満足し、おれはテレビを消した。
その後、「MUSIX!」も見た。この番組の中で「The Backstage」という、たくさんのゲストが一堂に会していろいろしゃべるという「踊るさんま御殿」のパクリみたいなコーナーができたのだが、その中で、ライブ会場において「ロマンティック浮かれモード」を歌いながら両手をあげてクルクル回る観客のことが話題に。
TYAGE EMOTIONの2月11日の日記によると、ライブ会場でクルクル回る人たちを「マワリスト」というそうです。奥が深い。
前回の「かっぱの花道」に話を戻す。これは「クイズ・マメオネア」というクイズ番組にまりっぱねえちゃんが出場する、という内容で、けっきょく最後の段階でまりっぱはクイズに答えられない。そのまま「クイズ・マメオネア」が終わるときに、「つづけ」と書いてあった。
・ロマンティックかっぱモード。
・「ルパン小僧」(1) モンキー・パンチ(1976、2003、嶋中書店)
【映画】・「HeavenZ」(監督・脚本:井出良英、1998、べんてんムービー)
・「雑記その4」
・「雑記その3」
【小説】・「美濃牛」 殊能将之(2000、講談社)
【小説】・「黒い仏」 殊能将之(2001、講談社)
・「矢口リーダー、ミニモニ。卒業」その2
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第45話
・バカ日記3
・「まんが 恐竜の謎完全解明」 あすかあきお(1989、小学館)
【アニメ】・「ななか6/17」 第4話「3人なかよしななか」(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「ななか6/17」 第5話「3人デートななか」(2003、テレビ東京)
・「苺ましまろ」(1) ばらスィー(2003、メディアワークス)
・「女子アナの王道」(2) 久寿川なるお(2003、少年画報社)
・「あろひろし作品集7 マジカル☆ヤンキー」 あろひろし(2003、ラポート)
・バカ日記2
・バカ日記
・「雑記その2」
・「矢口リーダー、ミニモニ。卒業」
・「雑記」
【アニメ】・「ギャラクシーエンジェル」第35話、第36話
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第43話
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第44話
【同人誌】・「B級映画の視聴法」(2002、中央無能局)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(テレビ東京)
【書籍】・「網状言論F改」 東浩紀:編著(2003、青土社)
【DVD】・「WWE ディーバ アンドレスト」(2003、パイオニアLDC)
・ロマンティックかっぱモード。
ところが、加護さんが藤本美貴の「ロマンティック浮かれモード」を歌い出したとたんに、辻や矢口が追随しだし、その後全員で「ロマンティック浮かれモード」を歌いながら、両手を上げてクルクル回るところで終わっていた。
「ロマンティック……」ってあんな振り付けだっけか? と一抹の疑問を残して……。
そうか、「かっぱの花道。」のラストでクルクル踊っていたのは、その観客のマネだったんだ! と納得した次第。
「つづけ」は、私の知るかぎりでは以前に「ハロモニ」内でやっていたメロン記念日主演の連続ミニドラマ「アルバイトしばた」で、毎週最後に出てきていた。「つづく」じゃなくて「つづけ」と変えただけなのだが、「クイズ・マメオネア」という番組内番組で、「アルバイトしばた」が終わって何カ月もしてから今さら「つづけ」と出ていたのが、面白かったことであった。
(03.0212)
・「ルパン小僧」(1) モンキー・パンチ(1976、2003、嶋中書店) [bk1] [amazon](←どちらも中公文庫)
少年アクション連載。コンビニ売りの単行本。ルパン三世の子供・ルパン小僧が、相棒の女の子・マリリンとともに金銀財宝を盗んだりする。
調べたら全1巻の中公文庫版がまだ手に入るらしいが、まあコンビニで目に付いたっていうのも縁だし、こういうのも一種の新刊だと考えているから。
内容としては他愛ないおとしばなしが多いが、モンキー・パンチのこの頃の絵ってすごくいいよね。
86年当時、ファミコンについてわかっている人間の方が少なかった、だから「やっちゃった」感のあるファミコン関係の書籍が生まれた、ということから、別ジャンルで最近「やっちゃった」モノはないか思い出してみた。
新しい様式が生まれたり導入されたとき、それが他ジャンルでどのように描かれるかという問題がある。当然「ワカッテナイ」描写が頻出することになる。DJ文化およびヒップホップは、「ワカッテナイ」自体に陥りやすい感じはする。
本作は、加山雄三の息子・山下徹大が主役の、クラブDJを描いた映画である。テツ(山下徹大)は、才能はあるが常に何かに苛立っている人気DJ。天才DJのリョウスケ(東儀秀樹)にライバル心を燃やし、なんかかんかあるという話。
とにかくリョウスケのキャラ造形の陳腐さがすごい。いわゆる花形満型、キザ系のライバルなのだが、もうちょっとなんとかならなかったのかと思う。東儀秀樹はシャレた感じで今けっこうテレビに出ているが、本作についてどう思っているのだろうか。
DJという、音楽を楽しむ形態やヒップホップ、テクノ、ハウスなどは、かなりニセモノ的なものでも柔軟に取り入れるジャンルではある。スチャダラパーはCMに使われたカン違いラップを自分たちの歌にわざと取り入れていたし、スーパーベルズを「ニセモノっぽい」という理由で心底嫌っている人がいたら、むしろ度量が狭いと思われるだろう。「DA.YO.NE」もすでに「懐かしい」部類に入っているだろうし。
しかし、本作はどうにも受け入れる場所はないだろう。思いっきりどっぱずれていればまだギャグにもなるのだが、実に居心地の悪い中途半端さが漂う映画である。
ちなみに、かなり前「雛形あき子主演の、DJを目指す少女を描いた映画」の企画があったとスポーツ新聞レベルで知ったのだが、その後実現した様子はないようだ。最近は「やっちゃった感」に敏感な人が増え、頼もしくもあり残念でもある。
そのように、新興文化にも関わらずDJモノって意外と勇み足がないんだが、バンドものには粗忽者がけっこういるようで、「めざせ! イカ天 ロックンOL物語」という、イカ天(というアマチュアロックバンドの番組がバブル期にあった)を目指すOLのドラマなんてのがあった。しかも主演は確か藤田朋子だった。やはり、バブルってのはいろんな意味で恐いもんである。
・今日のおはスタではテツandトモが登場。この二人の常時ハイテンションな感じは、おはスタにピッタリだ。ものすごい気合いも入ってて、朝からいいものを見せてもらった。
・ネタ物漫画講座(ガンダーラ 〜マニアのためのデータベース〜)
・「--if--もしも体感バラエティ!」第19回『もしも人気女性漫画家になったら…』の内容(「最後通牒・半分版」)
S学館の編集者曰く「(持込で)私達が持ち込まれた漫画の内容や絵のことについてだけしか話さなかった時は、見込みがない場合が多いんです。アドバイスは、お茶を濁しているだけだったりするんですよ。」
だそうだ。しかしその「濁したお茶」の内容が気になるところだ。ちゃんとした指導になっているかどうか。
もともと、少女マンガは少年マンガに比較すると雑誌の投稿コーナー(ちゃんとした読みきりマンガの投稿コーナーね)の充実度がすさまじかった。絵やストーリー、コマ割りなどを点数制で表したり具体的で、投稿作のコメントも非常にキッチリしていた。これに対し「感性で描くものに点数をつけている」などの批判がおおっぴらに出なかったのは、そこからちゃんとした新人を出し続けてきたからでもある。
企業の面接などでも、最初からアタリを付けた人間には細かいことは聞かず、ぶっちゃけ話だけで終始するというのはないことではない。しかし、マンガの持ち込みは就職活動とはちょっと違うと思う。
まあ、どんな世界でも「門前払い」が感触でわかることも確かは確かだけどね。
それに、けっきょくこういう感想って、「どんな環境でも、出てくるやつは出てくる」っていう論理というか「才能絶対主義」みたいなものに押し流されて埋没しちゃうんだよね。
・ひさしぶりに知り合いと呑みに行ったんであるが、つくづく興味の対象が分かれてしまったなあと痛感した。殊能将之について聞いたら、その場にいあわせたみんな「別にいいんじゃない?」とか「ミステリってそういうもんでしょ」というつれない返事だった。
正義と悪について考えないんだったら、正義と悪をテーマにした勧善懲悪ものなんて見なければいいのに。
後は小林よしのりみたいにつまんない方向に行くわけでしょ。現実問題を考え出したら、正義なんて不明瞭なものになるって決まってるじゃん。
この間の映画「スパイダーマン」で、敵のグリーンゴブリンがロープウェイの乗客とスパイダーマンのガールフレンドと両方を人質にして「おまえがヒーローなら両方助けて見せろ」って言う。それで、スパイダーマンが両方助ける。
(03.0211)
・今日のおはスタ面白かった〜。やまちゃんとみおが次世代ワールドホビーフェアのために福岡に行き、福岡ローカルの番組・ばりすご☆ボイガー7の出演者とゲームをするというものだったんだが、この番組の司会がなんかすごいんだよ。サンキューニーサンというのはまだわかるんだけど、ケンケンっていう人、おすぎ系のオカマなんだよね。おすぎ系で、すごい声がカン高いの。
・1978年論ノート(ササキバラ・ゴウのサイト)は、「おたく史」を考えるメモ的なテキストなんだけど、すごく面白いです。オタク論をやるとしたら、おさえておくべきことばかり。「10円コピーがいつ頃登場したのか?」とか、確かにコピー誌文化などを語るうえで重要だけれど、記録には残らず簡単には調べられないようです。
・あの携帯電話のCMに出ているコは石原さとみというんですね(肺炎時計)。
・あと「なっちゃん」の子もかわいいね。あと5年もすれば美しい娘に成長するだろう。
・「ハサミ男」 殊能将之(1999、講談社)読了。
……というのが、2002年1月8日に「ハサミ男」を読んだときの感想。
あ、あと結果的にネタバレになってるかも。注意。
本作「美濃牛」は推理小説。フリーライター・天瀬とカメラマン・町田は岐阜県暮枝村にやってくる。自分たちはとうてい信じていないが、鍾乳洞「亀恩洞」の中にある病気を治す「奇跡の泉」を取材するためだ。自分を「地上げ屋の手先」みたいに言う謎めいた男・石動戯作からの、リゾート地建設がらみのチョウチン仕事である。
アメリカン・ポップ・クラシックマニアで、つかみどころのない男・石動が、のらりくらりと推理を始める。
結論から言うと、実によくできている。小さな謎の解明が大きな謎の解明につながっていたり、最後の「大ネタ」もふるっている。新書で550ページ近くと分厚いが、一気に読ませるリーダビリティと内容の濃さを持っている。
実は「一気に読ませる」などと書いたが、最初の100ページは読むのがおっくうだった。出てくるのが楽しそうに生きていないやつ、いやなやつばかりだからである。プロローグの段階でアンハッピーエンドが予想できるし、横溝正史へのオマージュと思われる暮枝村(むろん、タイトル「美濃牛」はミノタウロスから、村の名前はクレタ島からだ)の人間もいやなやつかバカなやつしかいない。
それは、「なんていやなやつなんだ」という描き方をされていた人物が途中から妙な善人に変貌してしまったり、「バカなやつ」として登場した人物がそれなりに誠実な人間のように描き方が変化したことからも、意識的にやっていたのではないかと推察できる(作者の筆は、むしろ生来的にはほのぼのしたものではないかと感じた)。
作者のニヒリズムは、他にも数多くの引用や展開される推理にも表れているように思われる。推理小説は「読者の裏をかいて、そのまた裏をかいて、またまたその裏をかいて……」ということに作者自身が苦しめられている印象を持つものがたまにある。そしてそれが80年代以降に書かれたものならば、「シラケ世代」とか「価値相対主義」と言ったものと少なからずつながっているように思われる。
別の言い方をすれば、「常識を反転させる→推理→真実の解明→真実は解明されたが人間の本質的な部分は解決しないというニヒリズム=それに耐えることが探偵のダンディズム」というような図式をも、作品が拒否している。
最後のシーンでの探偵と犯人との対決で、推理する者もされる者もどちらも主導権を握れないことからも、自分の書いていることはそれほど的はずれではないと思う。
それと、ネットで少し他のヒトの意見を見てみて、本作や自作「黒い仏」でも、一見しただけではわからないヒントやわかる人にしかわからない知識がちりばめられていることにも少々ウンザリした。
推理小説。その昔、天台宗の僧侶が唐から日本へと持ち帰ろうとし、船の難破によって行方知れずとなった秘宝のありかを調査してほしいとの依頼を受けた「名探偵」石動と助手の中国人青年・アントニオは、九州の安蘭寺へと向かう。そこは、顔を削り取られた奇妙な仏を本尊とする寺だった。
話には聞いていて、あまりにもブッとんだ展開に驚きあきれた。本来なら手を叩いて喜んでもいいバカミステリだが、なぜか笑えない。「なぜか」じゃないの。自分でもわかってる。それは本作がものすごいニヒリズムの上に成り立っているから。
「美濃牛」もそうだったが、本作も作品の構造にキャラクターが従っている作品であるといえる。まあどんな推理ものにも言えることだが、本作の根底には案外、作中登場人物の言う「本当の正義などない」という言葉が作者の本音として存在するのではないかという気がする。
そして、そうした「本当の正義などない」という価値観は、ここ二十年くらいの小説・アニメ・特撮・マンガとしてはそう目新しいテーマではない(この間終わった「仮面ライダー龍騎」を見よ)。だから少々ウンザリした。ただ、徹底したニヒリズムに作品の構成すらしたがわせると、本作のようになると言うことなのだろうとは思うが。
まあここ二十年くらいの推理作家は、ほとんどが世間の価値相対主義的な感覚とどう関わっていくかと言うことを無意識的なテーマにしているとは思うんだが、たとえば京極夏彦の小説が構成上目新しく、しかし人間がプロットに準じることの虚しさを回避するためにキャラ萌え的な手法をとっているのに対し、殊能将之はそうしたことすらも拒否しているという印象である。
そして、筆致からそういうのってわりと現在三十代の人間の、世代的に共通感覚なルサンチマンに根ざしてるんじゃないかと思われるフシもあって、それがね、いかに「本作はバカミステリなり」という信号を作品が発していても、いまひとつノレない理由だったりする。
「矢口リーダー、ミニモニ。卒業」に続く第2弾……を何で書こうかと思ったかというと、何でも矢口はコンサートの前日に「ミニモニ。卒業を知らされた」そうで、ファンサイトなんかを見ると「そりゃひどい」と物議をかもしているから。それについて書こうと思う。
不思議なのは、「ミニモニ。」で矢口が卒業すると決まってから、矢口の卒業はかなり周到に準備されてきたと思われていたのに、「前日言い渡された」というようなバタバタした展開になったということだ。
傍目で見ていても昨年の暮れまでに、映画「お菓子な大冒険!」やらゲームやら小説やら、さまざまなものがリリースされてきた。映画の内容そのものが矢口卒業に深く関わっていたし、月〜金の帯番組「ハローキッズ」でもすでにミニモニ。の矢口以外の3人は降板し、矢口とハロー! プロジェクトキッズの番組に成り代わっていた。
映画やマンガはともかく肝心のライブステージでの卒業が、今年になってからも決まっていなかった、その流れでの「前日」ということが非常に不思議なのである。
まあ、いろんな要素がからみあってそうなってしまったんだろうし、後藤真希卒業やタンポポ改変ときのように、「矢口がミニモニ。を卒業するから」という理由でコンサートの集客だの盛り上がりだのが左右されるとも思えないんだけどね。
矢口ついでに「ハローキッズ」のことを書いておこう。
同番組は、月曜日から金曜日まで、午後5時55分から5分間やっている。当初はミニモニ。4人がゲームなどをするたあいない番組だったが、現在では「カリスマアイドルやぐっちゃん」が、ハロー! プロジェクトキッズにどうでもええことを教えるという、ますますたあいない番組に変貌した。
しかし、ミニモニ。でなくなってからの方が無意味度が増し、面白くなった。
ああ、面白い。
あと、矢口が小声で「カリスマ、カリスマ、カリスマ、カリスマ、カリスマやっぐっちゃん!」と「ひみつのアッコちゃん」の替え歌を歌っているのが面白かった。矢口が歌っていたのはリメイクの方の「アッコちゃん」であろうか。
「ラストフレーズを歌っちゃダメダメ」という、カラオケを順番に歌っていって最後の番になってしまったら負け、というゲームをやっていた。すでに「ハロモニ。」における伝統的ゲームだ。
みんな自分に関わりのないユニットや歌手の歌や振り付けを知っているので驚く。ああいうのは自然に覚えるのだろうか。それとも「覚えなきゃ……」と思うのか。
「ミニモニ。かっぱの花道」は、まりっぱ姉ちゃんが「クイズ・マメオネア」というクイズ番組に出ることになるという話。「ガニモニ。」の紺野と新垣がまた出てた。「タイムショック」のパロディもやっていた。
コント「バスが来るまで」は、もともと好きじゃないのでとくに書くことはなし。石川梨華が天使コスプレをしていた。この人のコスプレは、ひらひらドレスの主婦役もそうだがなんだかぜんぶいい意味でヤバい。理由は教えてやらない。中澤裕子も、さすがに小川の田中邦衛のマネには慣れてきたらしい。
「ハワイャ〜ン娘。」は、藤本と松浦の漫才。前回思っていた「イヤンイヤンハワイヤ〜ン」という踊りの回数が多すぎるな、という思いが通じたのか、回数も減ってこなれてきた印象。……って、これほど書いててどうでもいいと思うことはありませんな。
6期メンバーのレポートのようなものも始まっているが、私個人は興味がない。
「ハロプロニュース」は、いつもどおり。要するに石川、中澤、高橋愛のニュースキャスターコントだ。
これを見るかぎり、現メンバーの中で高橋愛が最もアイドルコントに向いていないと思う。「思いきりが悪い」とか「なんかグニャグニャしてる」とか、理由は思い浮かぶが、それよりも何よりも、高橋愛はコントがあまり好きではないのではないだろうかという疑問が浮かぶ。
ちなみに、おそらく広義のアイドルの中で最もアイドルコントが下手なのは、原田知代だと思う。ずっと前、ウッチャンナンチャンの番組でコント内の女性役を一手に引き受けていたが、演技が浮きまくってイライラさせられた。
第45話「オトチョコでラブパニ?」(2月8日)
バレンタインデー。楓、安純、リルムはそれぞれのチョコを準備。そして妖精のオトメもまた、ヤシチのためにチョコを持ってきた。逃げ回るヤシチは、安純のチョコをだいなしにしてしまい、代わりにオトメのチョコを差し出す。
最近、めっきりラブコメでも何でもなくなってる本作、今回は珍しく人間界のホレたハレたの話。しかし、ラスト近く、すっかり安純が好きになった結木に、楓が魔法をとくためのチョコを食べさせようとシーンでラブコメでも何でもなくなってしまった。
どっかに「延長が決まった」って書いてあったんだけど、本当だろうか……?
「バカ日記」は大好評! 今日もたくさんメールが届いています。以下に紹介します。
「拝啓。バカ日記最高です。でも東京パフォーマンスドールの悪口を言うのはやめてください。あと『プレステ』と略さずに『PS』と表記してください」
最初のお願いですが、東京パフォーマンスドールの悪口なんて書いたことありません。本当に。でも穴井夕子は、アイドル時代の内幕を暴露しすぎだと思います。
「こんにちは。バカ日記最高です。ところで渡辺満里奈ってどうしてあんなにテレビに出て来るんですか? 私は飼い犬に『山田』という名前を付け、ハムスターには『アルジャーノン』という名前を付けています。あと人からよく『変わってる』と言われます」
あなたは「宣伝会議」とか、なんかそういうカッコつけたっぽいギョーカイ系雑誌を読むといいと思います。あと、『変わってる』は『キモい』の言い換えなので注意しましょう。でも『キモい』って言う方もムカつくんで、浜辺で2時間泣きました。
「こんにちは。バカ日記最高です。ところで『新ゴーマニズム宣言』についてどう思いますか?」
あれは小林よしりんが、美少女キャラを描けないルサンチマンから一部構築されていると思います。「おじょうさまよ」ちゃんとかまた出せばいいと思います。
「こんにちは。バカ日記最高です。ところで田中康夫についてどう思いますか?」
「タレ目グルメが町をゆく」という番組で、ご家庭の晩ご飯を食べて回るというようなことをやればいいと思います。
「こんにちは。バカ日記最高です。ところで態度のデカいラーメン屋についてどう思いますか?」
発狂したはしのえみと安めぐみが、生放送中にとつぜんラーメンドンブリをラーメン店店主にブチまけたりしたら面白いなあ、と笑ってしまいました。
「こんにちは。バカ日記最高です。ところで態度のデカい宮崎駿についてどう思いますか?」
名前が読みにくい。「しゅん」と改名してほしい。あと、トトロってポケモンにしては大きいですよね。カビゴンと同じくらいでしょうか。
「こんにちは。バカ日記最高です。ところで宇多田ヒカルの人気って今後どうなる?」
口がアヒルみたいだと思う。
「こんにちは。バカ日記最高です。今後の日本経済についてひと言。」
「不景気だ」と報道するキャスターは、その不景気からは絶対的に逃れているという矛盾が解消されないかぎり、おれは久米宏を信用しない。つきましては久米宏の給料の半分をおれの銀行口座に振り込むこと、やつのお気に入りの真中瞳をやめさせ、水着姿の杏さゆりかなんかにすることを提案する。
「こんにちは。バカ日記最高です。最近の『おはスタ』についてどう思いますか?」
みおは他人がトチると、けっこう冷酷に突き放すと思いました。
「こんにちは。バカ日記最高です。2ちゃんねるについてどう思いますか?」
「○○タン」と書くのは、「コロタン文庫」とか「モグタン」と関係あるんでしょうか。あとロボタンってあったよね確か。
「こんにちは。バカ日記最高です。『バカ日記』命名の由来は?」
(ソファーに深く腰掛けて、挨拶もロクに知らなそうな感じで)「いや、ただ単に、ゴロで……いろんな名前を出して、これがカッコいいかな、って……」
「こんにちは。バカ日記最高です。『贈る言葉』のパンクヴァージョンについてどう思いますか?」
あれでモテるんなら、やりますよ。
「こんにちは。バカ日記最高です。最後に、今後の展望は?」
まず、世界を照準に入れ、「バカ日記JAPAN」と改名。バンドを組みます。世界進出曲第一弾は「バケモノアゴオトコJAPAN」。ミリオンヒットを記録しますが、高校の学園祭をやった後にモチベーションが下がり、キーボードの女とベースの男が付き合っていることがわかってますますやる気がなくなります。
おやつは親がお歳暮でもらった「ゴーフル」と「ピーせん」だけ。あとはセガサターンの「シェンムー」でガチャガチャばっかりやっている生活になります。コンビニに「少年チャンピオン」を立ち読みに行った明け方に、ラフなかっこうで手をつないで入ってきた元キーボードの女と元ベースの男に遭遇。
その後、家に帰ったら親がカギを持って出かけてしまい、家に入れないので近所の公園に行ったところ、アタマのおかしいじいさんに刺されて、さらに「お前がぼうっとしてるからだ」みたいなトーンに周囲の意見が収斂していくのを、醒めた目で見つめているところで終わります。
いわゆるトンデモネタのマンガ。「解明」とか言いつつ、「ネッシーの正体はこれだ!」とか断言したりする感じ。あと仁徳天皇陵、人魚ミイラ、金縛りの謎にせまっている。
といっても、個々のトンデモ物件にあまり詳しくない私でも知っているようなことがほとんどだし、退屈で読んでいて寝てしまった。
1月29日放送。
マンガからアニメになり、音が入って動くと、不思議と生々しくなる。ななかをいじめる女生徒たち、知らないからまだ許されるのであって、知っててやったらほとんど障害者サベツである。
しかしそんなことはまあ揚げ足とりであって、今回の渋さは原作もそうだったが、雨宮のことをまったく意識していない稔二と、それに対して苛立つ雨宮にある。
2月5日放送。
先週と今週で、三角関係の人物とその受け取り方が違うところが原作も含めて見事。
今回はななかもそうだが、むしろ九里子の指摘でななかに好意以上のものを持っている自分に気づかされる稔二がポイントかな。
5話まで見たかぎり、本作はものすごく丁寧につくってある印象。絵のことはよくわからんけど、人物描写とか。
ああ良かった。このまま、このページ「マンガとか、いろいろつれづれ」が、マンガなしで進んでいくのかと思った。
で、本作は電撃大王連載。自動車通学はするわたばこは吸いまくるわ、でも不良ってわけでもないらしい女子高生・伊藤伸恵、その妹・千佳(12歳)、千佳の友達・美羽、めがねっ娘の茉莉たちのどうでもええ日常を描いた淡々とした作品。ジャンルとしては、ギャグマンガになるのか。
好きな人には悪いが、まったく付いていけなかった。第一に、なぜ伸恵が16歳なのに自動車に乗っているのか考えて数分、なぜたばこを吸っているか考えて数分。さらになぜ高校生の伸恵が、自分の妹やその友達とばかり遊んでいるのか考えて数分。
いや、私もとぼけているわけではないですよ。たぶん作者には「かわいい女の子ありき」で、読者対象とかを考えて高校生の女の子と小学生の女の子が設定されているということくらいはわかる。しかし、その物語上の必然性が恐ろしいまでにない。
「あずまんが大王」も同じ雑誌の連載だったと思うけど、あれももともとの基本設定にすごく疑問があった。「なぜ?」と思うことばかり。たぶん確固たる編集方針があるんだろうけど、それを編集長に聞いてみたいと思った。
それと、本作みたいな「仲のいい仲間たちが、おたがいにヒドい言葉を投げ合ったりいたずらしあったりしてじゃれる様子」みたいの他にもすごく見かけるけど、どれもみんなノリが同じで、おとしどころも同じ。なんでだろうとか思う。同じ年代の同じような境遇の人が書いているからだと思うけど。
「かわいい女の子が出ればいい」というマンガは昔からあるが、それの入れ物が変わったという感じ。まあそこら辺、理由を考えると理屈地獄に堕ちてちっとも楽しくなくなるとは思うんだけどね。
ヤングコミック連載。成年コミック。女子アナ・王道茜(おうみち・あかね)は、局のイメージキャラクターとして大抜擢される。彼女の人気の秘密、それは「無意識に男を喜ばせる女」だからだった!! というエッチコメディの第2巻。
2巻では「無意識に男を喜ばせる」どころか、王道は恥ずかしいことをされると興奮するマゾ体質であることが発覚。その性癖が騒動を起こす。
この設定も思いつきくさくなく、よく考えられている。たとえば王道を抜擢した織田局長は、彼女の性癖を見抜いているがそれにつけ込んでHなことをしたりはしない。なぜならホモだから。
王道は、自分が快感を得るためにすすんで番組内で水着になったり恥ずかしいことをしたりする。「視聴者に反感を買うようなことをして、苦情の電話をコードレスホンで聞きながら局のトイレでオナニーする」っていうのはマジですごいと思った。もうここらへんはギャグじゃなくなってますな。
周囲の人間や視聴者の中にも王道のM性に気づいている者といない者がいるらしい、というのも面白い。だから「王道は変態だ」と思ってつけ込んでくる者もいれば、逆に「まさかあの王道が変態であるはずがない」と思い込んでいる者もいる、といった具合でお話がふくらんでいる。
「女子アナが主人公のHもので、しかもコメディ」っていうのが好きな人には絶対のオススメなのだが、そういう人に出会ったことないなァ。まあでも、そういう作品。
・「女子アナの王道」(1) 久寿川なるお(2001、少年画報社)感想
(03.0206)
「マジカル☆ヤンキー」は「コミックD」に連載したものと描き下ろしを収録。後は「ヤングアニマル」に他の作家の代原として執筆したショートショート的なマンガを収録している。
「マジカル☆ヤンキー」は、レディースの特攻隊長が、草木の精霊に出会い魔法少女として活躍しなければならなくなる、というギャグマンガ。ヒロインが変身したくなくてしょうがないところや、ヒソカに憧れている白バイ警官との淡いラブコメ的展開が少しあったりして、キッチリしたコメディになってる。
他の作品は、ややH度・お下劣度の高いショート・コミック。ライナーノートにあるように、こういうネタ系ショートコミックというのは4コマとも違って現在もあまり流行っておらず、作者が残念がる気持ちもわかる。
それで、「あろひろし」というとこう書いてしまうのはナンだが、若い読者は決定的に古いと感じると思う。まあ古いからって面白くないということではないんだが、事実としてそう感じるのではないか。しかし、80年代にはあろひろしってかなり洗練されている方だった記憶がある。
今の気風でなぜか「オタクは90年代からもろもろ特徴的」という意見があって、まあそこら辺のところはグラデーションのどこでどう区別するかというあまり実りのない議論にならざるを得ないんだが(逆に70年代からだとも60年代からだとも言えないことはないし)、しかしあろひろしのマンガとか読むと、やっぱりいろいろとあったよなァ80年代には。と思うんだけどね。正確に言うと70年代後半からかな。
もうひとつあろひろしを古く感じるとすれば、それは昔からギャグやストーリー構成がわりとオーソドックスであるということがあるんだけど。でも、それは悪いことじゃないだろうとは思ってる。今は下手をすると「両さん」みたいな絵柄よりも古く感じてしまうけど、いつかそうじゃなくなる日が来ると思うし。
「バカ日記」第2弾は、004が人間に戻ったのに、ラストシーンで「おれをもう一度改造してくれ!」とか何とかいうシーンが、009ファンから不評になる予定。
さて、先日書いたことについて考えてみよう。「さようなら、カー。」、「さようなら、京極夏彦。」と書いた。
・第1部
やっぱり自分はボーッとしてるのがこの世でいちばん好きだ。マンガを読むよりもサイト更新よりも、それ以上の日常生活のどんなことよりボーッとすることは楽しい。
それより「レディース4」の高崎一郎、おれが幼稚園あがる前から同じ時間帯でやっているよ。30年くらいやってる。たぶん「火の鳥」の血を飲んでいると思う。
おれの「徹子の部屋」ベスト2は、まずアフリカの「なんとか族」とともに生活してきた探検家みたいな人がゲストのとき。ものすごい無口な人で、とにかく異常に話が広がらない。普通だったらぜったいトーク番組に呼ばれないタイプの人。
もうひとつは、海外の舞台のコメディアンとかいう人で、とにかく何言ってんのかわからないし、漫談とかじゃないからちょっと演技とかしても笑えるわけないのに、その人が芝居の1シーンを演じたら徹子が無理して笑ってた。その無理して笑っている光景が辛かった。
あとカンケイないが「いいとも」の増刊号で、その年のテレフォンショッキングが次々と録画で流される中、テレビの画面右下に小窓をつくって、生放送中のレギュラーの顔を映すのはやめた方がいいと思った。だってそんなに面白くないんだものテレフォンショッキングなんて。リアクションとれるわけないよ。さすがにみんな表情をつくってるのが辛そうで、うなずいたりしてんだけど見てて辛かった。
あと「もうそんなリアクションいらないよ」という連想で言うと、ボキャブラ天国の審査員。とくに国分。だいたい、あんな語呂合わせみたいの、そんなに感想あるわけないじゃん。一般人でもそう思うよ。でもムリヤリ言わせられてた。当然だよな、ギャラもらってんだもの。まあもう終わった番組のことを言ってもしかたないな。
・第2部
小学校時代に、担任がヤマカワ先生というオールドミスの先生だったんだけど、指輪いっぱいしてシャナリシャナリ歩いて、で二言目には「前の卒業生は良かった、前の卒業生は良かった」って言ってた先生だった。その後、ヤマカワはあまりにイヤミな先公なので、前の卒業生はおれの中で「イヤミな担任に媚びへつらう精神的奴隷」だという解釈になった。
小説のストーリーでは、ヤマカワが宝くじで一億円当たって、大喜びして盛大なパーティを開く。そのパーティのクライマックスのときに、会場の真ん中に肥溜めが出現して落ちてしまい、「助けてくれー」とか言う。
最後にタモリが出てきて、「あなたも『助けてくれー』と言わない方がいいかもしれません」とか言って、終わる。
あ、これいい! おれにだけ面白い!
あとヤマカワが腐ったギュウヒを食べて食中毒になる話とか。
そんで食中毒になって、そのときにそのギュウヒだけで二千万人くらい食中毒になるんだけど、ヤマカワだけ食中毒って認められないの。
「道に落ちてたトマトを拾って食いました」って自己申告して、しかも食中毒だって認められないところがアホでしょ。
それでよけいバカに見えるみたいな。
タイトルは「ヤマカワとギュウヒ」。「オッペルと象」みたいな感じで。
本にしたら売れるよ。アンチヤマカワに売れると思う。
おわり。
・なんとなく更新したいからするので、後から読み返してつまんないと思ったら消す。
・同人誌のコピー、調べたら、予想の倍コピーしなければならなくなった。もうダメだ、寒いから。
・いろんなことを書こうと思ったが、誤解とかいろいろめんどうくさいのでやめた。
・最近、自分のバカさ加減がイヤになってくる。とくにミステリとかSFとか読むとイヤになってくる。意味を追うのがすごくめんどくさい。
・京極夏彦は、人物が多すぎて途中からわからなくなった。さらに、前作の脇役が次の作品でけっこう重要な位置をしめていたりするとますますわからない。
・仮面ライダーシリーズは、ますます見るのが苦痛になってきた。555もまだ見てない。なんでかというと、話の進みが遅いから。なんであんなにのろいんだ? 見ていてイライラする。龍騎において「ライダー同士が戦う」という設定がわかったのは見るのをやめた後。
・自分でも意外とヒーロー役の男優が気に入らないと、あまり見る気が起こらないことも判明。最近、氷川きよしみたいのばっかりじゃん!(暴論) ターゲットのおかあさん方はそれでいいかもしれないけど。
・藤本美貴の新曲の振り付けが奇妙なのは、後ろで踊っているガキとの振り付け上のやりとりを、ガキがいないときでもやっているかららしい。後藤真希の「手を握ってどーたらこーたら」のときはそんなことなかったのに。でもガキがいるときといないときの裏事情、聞きたくもないと思った。
・よく「自然界の法則はよくできてるから不思議だ」とか言うが、考えたらその「自然界の法則」で人間が成り立っているのだから、もし自然界の法則がよくできていなかったら、人間が存在しないことになるからそんなに不思議じゃないと思う。
・関連事項で、小学校のときにならった教科で、算数や理科の内容が突然変わることはないが、社会は今のガキが勉強していたのと内容がぜんぜん違っている。世の中が変わっちゃったから当然だが。今のガキ、コンビニ流通とか勉強してる。そういえば地理も変わるね。
・NHK教育の子供向け番組で、有名アーティストが主題歌を歌っているのがだんだん許せなくなってきた。例:「くらし探偵団」のキヨシロー、番組名忘れたがイルカなど。別にやる必要ないじゃん!
・あと、NHK教育の番組の授業風景で、よく全員ふだんから体操服の小学校もときどき出てくるがだんだんムカついてきた。真冬でも体操服なのな。何? スパルタ教育? 悪平等? とにかくムカつくんだよ。
・ムダじゃないならムダじゃないと教えてください。先生。映画「青い体験」に出てくるみたいな女の先生! と思って調べたら「青い体験」って女教師の映画じゃないのな。ああ、まためがねをクイッと持ち上げてうんちくを垂れる、むかつくタイプの映画青年に文句を言われるよ……。
・そういうわけで、むかつくタイプの映画青年から逃れるために、ボクは風船で旅立つことにします。
・なんとなく更新したいからするので、後から読み返してつまんないと思ったら消す。
・コミケの申し込みをしようと思う。あと同人誌のコピー。
・スペースシャトルの墜落事故があり、SF系のテキストサイトなどを見るとみんな関心高めだと思った。SF系だから当然といえば当然だけど。で、宇宙開発に興味のある人も多いと思う。
スペースシャトル打ち上げが初めて行われた80年代、同時にSFブームと言われてスター・ウォーズだのガンダムだのヤマトだのがあったわけだけど、よく考えたら「宇宙開発」を題材としたものと、宇宙旅行が当たり前になったりワープ航法が出てきたり、人類が外宇宙に進出したり「宇宙海賊」が出てきたりというのは同じ宇宙ものでもぜんぜん違うことに、今頃気づいた。
私はバカだったせいか、スペースシャトルが初めて飛んでいったときも何がどうすごいのかがサッパリわからず、現在に至る。まだしも「ヴォイジャー」とか「バイキング1号」とかの方が心情的に盛り上がっていたかもしれん。鼻たらして「宇宙人に会えるかなァ」とか思っていたんで。まあ本当は思っていなかったですけどね。
・月曜日の「おはスタ」で、ガイジンのマネをしていたやまちゃんが付け鼻をしていたのだが、サッカーの解説をするトムさんも一緒に付け鼻をしていたのに爆笑してしまった。トムさんはガイジンなんだから付ける必要ないだろ。
・珍しく平日、知り合いと呑んだのだが、隣のサラリーマングループがスゴイマジメな仕事の話とかをはじめて、我々は「モーニング娘。おとめ組の藤本は、辻がさわやかに潰すだろう。初期の刃牙が末堂を倒したように」とか「出張してきたんで、ホテルで奥さんに気兼ねなくエロDVDが見られると思って6時間ぶん借りたら、見るべきところが10分くらいしかなかった」とかのたいへんに実のある話をしていた。
2月2日の大阪厚生年金会館における、ハロー! プロジェクトのコンサート最終公演で、ミニモニ。における矢口リーダーが実質的に卒業したそうだ。
まあ当HPではなしくずし的にミニモニ。に対する記述が増えてきていた。小さな理由としては、卒業を控えて昨年末にミニモニ。関係のリリースラッシュがあったこと、ミニモニ。マンガのレビューとかあんまり見かけないので意識的にやったことなどがあげられる。
そんなこんなで、矢口卒業が決定したときに、どこかで「初代ミニモニ。」を総括するテキストを書いてみたいとは思っていたのだが、「初代」の終焉を実感するのは、個人的には現在連載中のマンガで矢口卒業が描かれ、高橋愛が登場し、「ハロモニ」の「かっぱの花道」から矢口がいなくなったときなのではないかと思う。
そういう「関西仕事」と合致しているのがミニモニ。なのだから。
・その1 狂騒音楽だったミニモニ。
Jポップだと、キャラクターも含めて篠原ともえしか思い浮かばない。「ウルトラリラックス」のときとかの篠原ともえ。ああ、あと細川ふみえの一連のテクノ歌謡仕事とかもそうかな。イントロがガバみたいだったやつとかね。
・その2 「小学校三年生ノリ」だったミニモニ。
で、加護・辻というのはスチャダラパーが「コロコロなるまま」を歌っていたときに言っていた「小学校三年ノリ」だった。つまり「思春期前の子供」。性愛をまったく意識する前の子供だ。より正確に言えば、「ミニモニ。」以外での加護ちゃんは、そのあたりを器用に演じわけているように見えるが。
これは、年齢の近い五期メンバーや、あるいは80年代アイドルと比較すると明確になるんだが、彼女らは「思春期の少女」を演じているわけ。決して「思春期前」ではない。なぜなら、そうしないと疑似恋愛の対象にならないから。「まだまだ子供だけど、恋に恋しています」みたいなところに設定されている。
ところがミニモニ。における加護・辻は、そこのところに時間軸が置かれていない。
それ以前のところになっている。だから、「ミニモニ。ひなまちゅり」などの多少「恋に恋する」イメージのある歌などを歌っても、ぜんぜん情緒的にならない。いい意味で。
まあ私は男なので思春期前の少女の心境はわからないが、ふざけたりおどけたりする二人のノリは「思春期前の男子小学生、中学生」に非常に近い。これは間違いない。
「小学校三年生ノリ」の最も偉大な体現者である志村けんとのコラボレーションも、その成功も当然と言えば当然と言える。
「ミニモニ。」が、他のどんな子供向けユニットよりも狂騒的な感じがするのは、何より加護・辻が、ありそうでなかった「思春期前の子供の狂騒」を表現できるタレントであったからだ。
・ミカもいたミニモニ。
私は「おはスタ」びいきだ。「おはスタ」がミニモニ。の販促にどの程度影響しているかは知らないが、子供相手の商売でミニモニ。の情報を恒常的に発信できる子供向け番組は「おはスタ」しかなかった。その中で、忙しい他メンバーの代わりにミニモニ。宣伝担当を勤めていたのがミカだった。
「おはスタ」は夏休み1カ月、生放送ではなく録画になる。それも1週目はやまちゃん、おはガールなどは全員出ているが次第にしりすぼみになり、最終週は「おはスタ番長」と見たこともないどっかのガキ、という超面白くない展開となり、新学期を迎えるというパターンを少なくとも2年は続けている。
で、その面白くなくなりかける2週目、3週目に、ミカが出ていた。一昨年とごっちゃになっているかもしれないが、確かそうだった。
この「おはスタの夏休みのとき」が、たぶんインタビュー以外でいちばんミカにとって大きなしゃべる機会だったと思う。たとえるなら、会社のだれかの結婚式の二次会とかで、たまたま三次会まで行ったら隣にあんまりしゃべったことない隣の部署のコがいて、話したらすごくいい子だったみたいな印象だった。
まあでも、ミカグッズとか集めるかというと絶対集めないと思うんだけどね。ココナッツ娘。のファンってわけでもないし。
てなことを書いて、中途半端におわりとする。
マンガ家、あびゅうきょ氏の新刊「晴れた日に絶望が見える」が2月24日、幻冬舎から発売されるそうだ。
で、字組だけで表現しようとしてボツになった表紙ラフ案。こりゃすごい、と思った。
たまたま見たんで感想書いてみた。
第35話「予知三昧酒」(2月2日)
ランファの羅盤 VS マリブ謹製未来予測マシン「知ってお得くん」! 果たして、その占い勝負の結果やいかに!?
オチがありそうでけっきょく無かった。こうした「投げっぱなしておいて、次の回では何事もなかったようになっている」というパターンはギャグマンガにはけっこうあるが、それが極大化しすぎてわけのわからないものになっているという印象。
思うに、私が感じているのは本作がSF的設定がキッチリしすぎるているところから来るチグハグ感なんじゃないかと思う。今回の話だって、「SFギャグアニメ」として落とす方法はいくらもあるはずなのに、それを投げっぱなしにしている。しかし、SFギャグアニメとして落とす場合、陳腐な選択肢しかないのもまた事実だ。もしそれをやったら、昔の吾妻ひでおのマンガを今のアニメでやるような「古さ」がつきまとってしまうだろう。
第36話「ふるふるプディング」(2月2日)
占い師の予言どおり、次々に消えていくエンジェル隊の面々。最後に残ったミントは原因を調査するが、そのミントまでが消えてしまう。どうしたらいいのか?
これもまたオチとしてはサッパリわからない。しかし、シュールというのでもないと思う。この話も「ベタなシュールオチ」としておとす方法はあったはずだ。でもそれをあえてしていないのね。これは賛否両論わかれると思うよ。
あと、個人的には今のOPならEDの歌の方が好きだ。あとEDの絵柄がいちばんかわいいと思う。ミントの耳って、あれ耳なのか。
第43話「またまた、キンタだす!」(1月25日)
初めて相撲で負けて以来、リルムに恋してしまったキンタは、プロポーズするため人間界へやって来る。そして、なぜかリルムをめぐってミルモとキンタの間で対決が行われることに……。
キンタは「なんとかだすー!」とか言うヤツで声が野沢雅子。「いなかっぺ大将」の頃からぜんぜん変わってない。恐ろしい人だ。
第44話「がんばれ!フェアリーズ」(2月1日)
妖精学校の野球チーム「フェアリーズ」とワルモ団が、グラウンドの所有をめぐって野球の試合をすることになった。しかし、ワルモ団はフェアリーズの選手たちに魔法をかけ、試合に出られないようにしてしまう。そこでミルモは、仲間を集めて楓とともにフェアリーズを助けることに。一方、ワルモ団チームにはヤシチたちがくわわり…。
ここまで来ると安心して見れる。ワルモ団+ヤシチ+ヤシチの子分2人が加わってもまだ9人にならず、ナニゲにヤシチのペットであるアルマジロが加わっていたのに笑った。
昨年の冬コミにて購入。「面白いバカ映画を探して購入する秘訣」のような本にしたかったらしいが、途中で終わっていて尻切れトンボになっている。
企画としては完璧でなくても同人誌の場合、面白いものがありうるというひとつの証左。
なかなかハイクォリティな今回。
和泉元彌のお母さんみたいな「家事の先生」が出てきて審査員となり、娘。たちのお掃除対決。この先生、シルエットが和泉ママにソックリなのだが、まるで毒気がない。むしろバラエティ向きかも。
コント「昼下がりのモーママ」の吉澤は良かった。ママたちが子供を「お受験」させるために、お受験の予備校みたいなところに行くという話。ヤンキー風味の講師がよっすぃーだ。
最後、吉澤が退場した後に、予備校の事務員役の紺野のアップで終わるのだが、残念ながら気の利いたひとことは言えずに終わった。神は容易には降臨しない。
「ゴマキスズメ」は、高橋愛のアイチュンが旅立って最終回。生粋の日本式シュールコントとして私以下数人の人間の心に残るであろう。
「かっぱの花道」は、紺野&新垣がザリガニに扮する「ガニモニ。」再登場。この二人、アイドルコントの潜在能力はあると感じているのだが、登場するとどうにも間延びする印象は否めない。まあミニモニ。のやりとりがタイトすぎるというのもあるんだが。
松浦亜弥と藤本美貴の新コーナー「ハワイヤ〜ン娘。」は、二人がハワイアンのかっこうをして漫才をするという、これまた「ゴマキスズメ」並みの無意味企画。とりあえず「ココナッツ娘の存在価値を否定している」という指摘はベタなのでしないでおく。などと言いつつもうしてるんだけどね。
そして、モー娘。の組分けによって藤本と同じチームに所属することになったチャーミー石川の「ハロプロニュース」は、いつもどおりの安全パイ的な展開。よくモー娘。テキストサイトでは「藤本が石川を潰すんじゃないか」などと不穏な発言が見られるが、私は石川を応援しています。
少なくとも歌唱力の実力面では、発展途上の藤本美貴と、「実力」という意味では別次元の石川は互角のはず。「非・実力派宣言」をしているのはむしろ石川梨華だからね、面白い戦いになりますよ。
最後に「カントリー娘。」の追加メンバーオーディションの告知が。「カントリー娘。」を見ていていつも思うのは、いくらデビュー前に「運」がなかったとはいえ、「田中義剛(あるいは彼を代表していたプレーン)にはプロデュース能力がなかった」ということ。
「オタク」、「セクシャリティ」、「ポストモダン」などについて言及した本。
プレゼンテーションはそれなりに意味がわかったのだが、その後の鼎談になるとサッパリわからなくなった。伊藤剛、永山薫両氏の比較的現場に根ざしたと思える文章は理解できるのだが。これが「ピンの上に天使が何人止まれるか」とかいうやつか……?
疑問やひっかかりもいちいちあるが、それはいちいち上げていたらキリがないし、自己言及されている部分もあるし別にイイと思う。
しかし、鼎談の雰囲気としては、東浩紀が他の二人に「あなた方は政治的だ」と言って二人が否定したら「否定したところが政治的だ」とかなんとか言ってて、もうそこら辺でわけがわからなくなって、という感じか。
――しかし、岡田斗司夫も大塚英志もあえて抑圧してきた「抜き」の問題を、私が身も蓋もなく暴露したという歴史的経緯から逆戻りするべきじゃないと思うんですけど
いくつか参考、勉強になった部分もあったが、それも言及するのはめんどうくさいからやめておく。
なぜ心なしかなげやりな文章になっているかというと、この本全体がちょっととっちらかりすぎている印象だからだ。
私個人としては、「オタク」とか「萌え」をテーマにして、本書のように若干抽象的な議論をするのはもう限界だろうと感じた。これ以上は、ますますわやくちゃになって問題を複雑化するだけだろう。
・「オタク」は、過去の文献が散逸してしまい、あるいはフィールドワークがなっていないために、分析するにたる資料が完全には揃っていない。
・「オタク」は、まだ時間軸で見て完成、完結していないために、将来的に出て来るであろう未知の要素抜きの分析には限界がある。
・「オタクとは何か?」という問いそのものが間違っているから、答えが出ない。
上記3つのうち、1番目と3番目については本書も言及がある。しかしそれは単に「こういうことも考慮に入れていますよ」というエクスキューズにとどまっている。
私個人が最も足りないと思うのは、当事者インタビューとか過去にどういうアニメ作品がどれくらい観客を動員したとか、どういうイベントが行われたかといった歴史的事実の把握だ。
事実、私は80年当時は中学生だったが、それまでの官能劇画っぽい絵ではない、当時だったら高橋留美子みたいな絵柄のマンガにエロスを感じるというのはオタクでないやつでも同級生はみんな普通に受容していた。
話はそれるが、「オタク」というのは名付けられたときからマイナスイメージである。「オタク」と聞いて「ああ、気持ちの悪いあいつね」と特定の知人が思い浮かぶ人も多いと思う。それだったら、センスエリートとしてのオタクではなく、本当にそういう「一般的に気持ち悪い人」50人くらいにインタビューしてみたらどうだろう。
「本当に気持ち悪いタイプのオタク」に、実際に話を聞いてみる企画は私の知るかぎり意外なほどない。オタクにまみれている人にとってはそういう人こそ「避けたい人」だし、そういう人の話はたいていつまらないし。
実際にアイドルオタク4、5人の「気持ち悪い人」にインタビューしたのが金井覚の「アイドルバビロン」[bk1] [amazon]で、検索かけたらまだ手に入るらしい。斎藤環が「抜きを明らかにした」と自画自賛できるならば、こちらも「キモイ人」に体当たり取材したという点で個人的には意義深いと思うんだけどなあ。
あと、「網状言論F」については、「モーヲタ」の生態も対象にいれれば、まだ前進的な感じになるかなと思いました。そういう意味では、オタクもまだまだ現在進行形だね。
などと、まとまりがないまま、おわる。
(03.0201)
アメリカのプロレス団体「WWE」の女子レスラーの下着ショー&インタビュー、試合少々という感じ。「ディーヴァ(=Divas)」とはWWEの女性選手のことらしい。まったくのヒマつぶしに見てみたのだが、内容が詰まっていてぜんぶで3時間くらいあるんじゃないか? かなりお徳用。
第1部は「Golden Thong trophy」という下着ショーで、「Thong」ってTバックのことらしいけどわからん。単なるお色気ものに終わらせず、乱入ありハプニングあり、男でTバックはいて出てくるのありで「笑い」にシフトしていてバラエティ色が強い。
第2部はインタビュー。とにかく基本知識がゼロなので「へええ」と思いながら見るほかなし。元バスケ選手やフィットネスジムとかの鍛えてる美女系モデル出身の人がいるみたい。
第3部が試合モロモロ、トリッシュという人の豪邸訪問などなどのおまけ映像。
本当はミスター高橋の本を読んで、もしアメプロ礼賛なら「持ち上げすぎなんじゃないの?」と文句を書こうと思っていた矢先だが、「ディーバ アンドレスト」を見るとこういう形式のエンタテインメントは日本じゃムリだなあ、という気にさせられる。
ちなみに今日の東京新聞のテレビ欄に載っていた乾貴美子の、来日したWWEを見る日本の観客の「お行儀の良さ」と、モーニング娘。で改変が決まったときのタンポポが出てきたときの、黄色いサイリウムで会場を埋め尽くしたお客さんとの差について書いたちょっとしたコラムは良かったな。
えーと、ルパン小僧のカアちゃんは峰不二子でいいんだっけ。単行本の表紙にはそう書いてあるけど。「ルパン三世」の単行本では確かそういうことになってたな。
(03.0212)
【映画】・「HeavenZ」(監督・脚本:井出良英、1998、べんてんムービー)
で、思い出したのが本作(ひどい自分)。
他にも、「かつて人気DJ、今はクラブの店長」という役が似合わなすぎる大杉漣とか、主人公・テツの悩み方があまりに陳腐であるとか、見ている間中ハテナマークが頭上に浮かぶ映画だった。
音楽はサトシ・トミイエ、コオ・キムラ、YO-C、トモら日本のテクノ/ハウス界の著名人がやっているのだが、音楽を提供するよりもこの映画の存在をなんとかできなかったのかよとか思う。むしろ「ホンモノを起用しています」というアリバイづくりに使われてしまった印象だ。
(03.0212)
・「雑記その4」
「ぶっとび」的マンガ紹介。やっぱりマンガっていうのはこうした「ネタ的観点」も含めての評価ってアリだと思いました。
おそらく新人育成のシステムがきちんとしていたからではないか。
きちんと「言うことを聞けば、ある程度マンガのスキルが向上する」意見を言ってもらいたいとは思う。
だいたい自分は、フィクションの世界で正義と悪がきっちり分かれていないと極度に気持ち悪いと思う、心の狭い人間だ。
ドラマを途中から見ても「どっちがいいもん? 悪もん?」と聞いたりする。
でも世間はそうじゃないらしい。
きちんと考えないから、「悪はホントは正義なのでは?」とか「本当の正義なんてない」というようなことを、初めて発見したみたいに描かれたりする。
まあ子供番組ならいいけど。そういうのも子供にとっては発見だから。
「龍騎」は、そういう意味ではまあ中学生くらいを想定すれば立派な子供向きといえる。
「わーっ!」って劇場が拍手喝采。しないけど。でも見ててそういう気分になる。そういうの、思ったほどないねえ。
・「雑記その3」
以前、1回出たんだけど、そのときのインパクトもすごかったよ。おはスタのサンデー紹介コーナーに出てくる編集者「アリイどん」がダウナー系だとすると、アッパー系という感じで。
最近、おはスタも固定キャラが決まっててゲストもたいしたのがいなかったけど、この人はすごいと思ったね。初登場時の、みおのあっけにとられた顔もすごかったしなぁ。完全にヒいた顔だった。
ところで、そのみおは「ストロベリー」というユニットでは巨乳ということになっているらしい。サギだ。事務所はイエローキャブの関係らしいが。
ちなみにウチの近所のセブンイレブンで、10円コピー機が登場したのは確か80年か81年でした。
それまでは文房具屋や不動産屋で、原本を受け渡してコピーしてもらう形式で1枚100円くらいとっていた記憶があります。
CMを見るかぎり、ちょっと肌の色が浅黒いところがカワイイです。「南国」のイメージのない色黒の子って、アイドルとしては滅多に出ませんから貴重です。ちなみに南国イメージのない、巨乳とかでもない色黒の代表は、メジャーどころでは三田寛子くらいしかいません。優香は巨乳ですんでカテゴリからははずれます。
(03.0211)
【小説】・「美濃牛」 殊能将之(2000、講談社) [bk1] [amazon]
連続快楽殺人犯「ハサミ男」がターゲットの美少女の後を追っていると、その少女が別人に殺されてしまう。「ハサミ男」は、真犯人探索をはじめる。
続きが気になっていっぺんに読んじゃった。「ただ人を驚かせるためだけ」の小説のように見えるし(実際に驚いた)、それはそれでいいんだけど、刑事たちの会話や心理分析についての扱い方に、なかなか含蓄があるんじゃないかと思った。
それが前置き。
鍾乳洞の持ち主である羅堂家の人々の非協力的な態度にますますウンザリする天瀬と町田だったが、村に伝承されたわらべ歌の見立てでもあるかのように首なし死体が発見され、容易に村から出ていくことができなくなる。それをきっかけに次々と死んでいく羅堂家の人間たち。
しかし、個人的には見事なまでに読後感にカタルシスがなかった。理由は簡単で、何の救いもないからだ。「ハサミ男」を自分は「ただ人を驚かせるためだけの小説」と書いたが、本作では一歩進んで、作者のニヒリズムが全面に出たかたちになっていると思う。
石動戯作はヒーロー性のカケラもない男だし、わざとそういう「いやな空気」を演出していることが察せられた。
そのような「知を相対化させる」試みは、推理小説の場合、最も陳腐な例としては作中の名探偵の「知」のあり方−−一見ムダに見える知識を大量に詰め込んでいて、いざというときにその知識を使って明晰な推理を展開する−−で表現される。
ところが、本作に登場する探偵役は、そうした「常識とは反転した知識による真実の解明=推理=真実」というところからも見放され、相対化されているように感じる。
本作は、作品の構造そのものが主役だと思う。人間たちはその構造に突き動かされるように、人形のように動いている。緻密な計算なくしてはできない作品で、そうしたものにはそれなりの価値があるのだろうが、個人的には「読者の裏をかいて、そのまた裏をかいて、またまたその裏をかいて……」と無限地獄に陥っている感じがしてしょうがなかった。
どんなに運命論的になろうと、人間日々なんかしら決断しなくては生きていけないわけで。個人的には予測には無限の分岐があるかもしれないが、決断にはせいぜい二択か三択くらいしかないと思いますがね。あんまり価値相対地獄に陥るのもどうかと思うよ。
多発する引用趣味に関しても言えるが、なんかもうそういうのはいいや、って感じ。
まあそういうのがやりたくて作家になったんだろうけど。
(03.0210)
【小説】・「黒い仏」 殊能将之(2001、講談社) [bk1] [amazon]
一方、福岡市ではアパートの一室で男が殺される。その部屋には大きな黒い数珠があった。2つのできごとは、安蘭寺に出入りしている女性を通してつながっていくのだが……。
本作も新本格というのだろうか? よくわからんが、たとえば二階堂黎人の「聖アウスラ修道院の惨劇」を読んだときの、作者の「正義」とか「価値観」に対するあまりに楽天的な態度に少々ウンザリさせられた後に本作や「美濃牛」を読むと、今度はそのあまりの突き放しように逆にウンザリさせられるということだ。
だから読んでいてスプラッタムービーのように、人間の身体をオモチャにする逆説的な爽快感もないし、クリスティのミス・マープルのシリーズみたいに、陰険な人々が陰険な事件を引き起こすのを「人間はみんな陰険なんだ」とワカッテル、キャラ的に愛嬌のある老婦人探偵に愛着を持つような感覚も抱けないし、乱歩のように反転したユートピアも提示しない。ものすごく人間人形な感覚である。
探偵の扱いとしては、メルカトル鮎よりヒドいような気がするし。
・その後、この小説にはもうひとつ「仕掛け」があったことを知る。しかし、一読してわからんということ自体、私にとっては「書いた方が悪い」んですよ。「美濃牛」の名前遊びすらわからなかった私が、こんなのわかるわけがない。
そして、タランティーノの「キル・ビル」が自分のお気に入りのパッチワークでできていたとしても、それを観客がわからなかったとしても、そういう意味も含めてタランティーノは確信犯で、映画オタクで、出せただけでも満足なのだろうけど、本作はそうじゃない。
私の気づかなかった謎は、やはり「現在三十代の人間の屈折」をより濃厚にしただけで、ある種の回路がより複雑になっただけにすぎない。それは私にとっては「オタク」が好きで「引用」するオプティミズムとは、まったく趣を異にする。そして、私の人生には必要のないものだ。
(04.0122)
(03.0210)
・「矢口リーダー、ミニモニ。卒業」その2
おそらく連載中のマンガでも矢口降板の展開はすでに考えられているはずで、そんな用意周到な中での「前日」というのがどうにもピンと来なかったのだった。
そういう意味では、悪い方向で「子供向け」という意識が送り手にあったのかもしれない、などとは私も思いましたよ。あとはまあそれ以上でも以下でもないね。
「ひどい」とか言い出したら芸能界なんて笑えるレベルでもひどい話いっぱいあるじゃない。吉本新喜劇の人が、「東京で吉本新喜劇やるから東京へ引っ越せ」って言われて、引っ越し代一銭も出なかったとかね。
「アイドルのくしゃみの仕方」などを、矢口がいちいち指導するのである。
そして迷惑そうなキッズたちの顔。
(03.0209)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(テレビ東京)
昔、会社で「関係者のだれがどこの高校か覚えろ。それとどこに住んでいるかも覚えて、雑談に利用しろ」と上司に言われたっけ。でもぜんぜん覚えられなかったことを思い出して、哀しい気持ちになった。
「娘。」のみなさんは、まだ若いのでがんばってください。
紺野にメガネと白衣を着せたのは何か「萌え」方面の深い意図があるのか? ただ「タイムショック」にそういう人物がいるのか? 不明。
それは、6期メンバーに魅力を感じているか云々は関係なく、個人的に「アイドルになる前の子の青田買い」的なものにいっさい興味がないからだ。
アイドルマニアの中には、オーディション会場に足繁く通って、その段階から「この子はかわいい」とか「この子はいける」などの精神的青田買いをする人がいるという。
で、私にはそういうのは興味ゼロ。あくまでも売り出すために「色」が付いてからの評価。
だから、6期もレッスンして、現在のメンバーに加わって初めて評価しようとか思ってます。
それが新生ミニモニ。においての最大の不安材料だ。
いや、別に原田知代自体は好きでもきらいでもないんだけど。
(03.0209)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第45話
オトメのチョコには魔法がかけられていたため、これを食べた結木は安純のことが好きになってしまい……?
それでいいんだけどね。面白いから。
(03.0209)
・バカ日記3
「PS」ですが、「P.S アイラブユー」という歌と混同してしまうので、今後とも「プレステ」と略すことにします。
あと、一時期の固定キャラだった「阿美留くん」ってたぶんアシスタントがモデルだと思うんだけど、今何してんでしょうね。
安めぐみは、ブランチを卒業しましたね。
意味不明のビジュアルバンドの名前ってムカツキますね。
浪人中も予備校に行かないで、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」とか「川」という番組ばかり見る生活になります。
「こんな時間に二人で来るなよ!」とすごいむかつきますが、「梅宮アンナ、離婚だって!」などと突然どうでもいい話をしてくるキャラを装います。
単行本では100巻になる予定ですが、舞踏会のシーンなどをねちっこく書きすぎて、100巻以上になるかもしれません。
(03.0208)
・「まんが 恐竜の謎完全解明」 あすかあきお(1989、小学館)
しかし、同じ作者の「ショック・サイエンスR」の自分の感想を読んだら、けっこうほめていてそれこそがショックだった。
(03.0207)
【アニメ】・「ななか6/17」 第4話「3人なかよしななか」(2003、テレビ東京)
カゼをひいて病院へ行った雨宮は、偶然ななかの秘密を知ってしまう。稔二は、ななかの秘密を雨宮に明かし、ななかをサポートしてくれないかとたのむ。
しかし、あまりにもななか、ななかという稔二に焼きもちを焼いた雨宮は、その頼みを拒絶してしまうのだった。
ななかが6歳に戻ってしまったのは一種のファンタジーだが、稔二と雨宮の関係は実に「あるある!」といった感じで、通常ありえないことを導入して実にありそうなお話に持っていけるんだから、広義のファンタジーとかSFってのは本当に不思議である。
(03.0207)
【アニメ】・「ななか6/17」 第5話「3人デートななか」(2003、テレビ東京)
こまっちゃくれ幼稚園児・九里子初登場の回。
不良にからまれているところを稔二に助けてもらった九里子は、稔二に一目惚れしてしまう。稔二にまとわりつく九里子に、6歳児らしい嫉妬心を燃やすななか。自分でも気づかないその気持ちを、雨宮に「焼きもちだ」と指摘されるのだった。
ギクシャクしていたななかと九里子が、少女アニメ「まじかるドミ子」の話題で盛り上がるというのも考えてみればなかなか深い。いや、自分の中では深いと思う。
(03.0207)
・「苺ましまろ」(1) ばらスィー(2003、メディアワークス) [bk1] [amazon]
でもま、ここを毎日見ている人はそう多くないんじゃないかとも思うけどね。2、3日に1回とか週末しか見ないという人には、どうでもいいことなんだろうとは思うけど。
そうした、頭に浮かんだはてなをヨソに、物語は淡々としながらもどんどん進行していく。
まあ「あずまんが」にもちょいついていけなかった私が、本作についていけるわけないわな。
(03.0206)
・「女子アナの王道」(2) 久寿川なるお(2003、少年画報社) [bk1] [amazon]
ADの宇喜田は王道の性癖にある程度気づいてはいるが、マゾとは「直接的な痛みを伴うこと」にしか興奮しないと思い込んでいて、彼女の性癖を明らかにしようとしてうまくいかない。2巻から登場してきたライバル女子アナの小道瞳は、レズビアンでサド。王道を自分の専属奴隷にしようと狙う。
でも王道が破滅しないのは、それが「同性からの罵倒だから」。男じゃないと本格的には興奮しないらしい。
・「あろひろし作品集7 マジカル☆ヤンキー」 あろひろし(2003、ラポート) [bk1] [amazon]
雑誌の休刊により打ちきりになってしまったそうだが、後の展開がライナーノートとして書かれていて、それを読むともう少し先を読んでみたかった気がする。
同じことを何度も何度も書いているんだけれど、まあ異議はあるだろうと思うけど「オタク的なマンガ」というとやはり80年代から出発していて、その中の一人があろひろしだったということ。
オタク的マンガというと、言語化するのはむずかしいが絵柄やストーリー構成などに暗黙の特徴があり、80年代当時はそれが他のマンガと比較してかなり突出したものだった。しかし、個人的に驚くべきことにそれが20年くらいの間に徐々に変化して、現在では「オタク的マンガ」内でも古いものと新しいものができてしまった。
おそらく現在の最先端である「苺ましまろ」(→感想)などと読み比べると、よけいにいろいろ考えてしまう。
(03.0206)
・バカ日記2
これでヒトに会ったときに、下唇を突き出されて「新田さんってもうカーとか京極って読まないんですよねェ」とか聞かれたら、すごくイヤだろうなと思った。だって読むもん、たぶん。
それを少し極端に「さようなら。」って書いただけなのに、ワーワー言ってくる人がいる。少しは極端に書かないと、面白くならないじゃん。ウンザリだ!
あいかわらず、マンガ読んでない。なんか疲れた。子供の頃、夢中になってパズルをやったり「少年たんていブラウン」を読んだりすると疲れて1日寝ちゃったりしてたが、最近そんな感じ。映画1本見ただけで、疲れがドッと出る。
「理想的なだらける法」みたいのをエッセイかなんかでさくらももこが書いていて、大半は同意できるがそうやって原稿料稼いでいるだけで邪道だと私は言いたい。
それと、あまり指摘されないが「徹子の部屋」の黒柳徹子はヨボヨボしてきて、往年のスピード感がまったくなくなってしまった。黒柳徹子のものまねと現在の徹子を比べればわかる。
「トーク内でとちる」とかそんなことはどうでもよくて、話のスピードが遅いのが困る。
いたたまれなくなってチャンネルを変えてしまった。当時ビデオもなかったが、今考えれば我慢して全部見ておけばよかった。それくらいひどい回。
ああいう、見ててちっとも嬉しくない人が宣伝がらみで出るのって、利権がからんでんのかね?
「まんが道」で、主人公二人がいじめっ子かなんかにひどい目にあったのを、仕返しするマンガを描いて「マンガで恨みをはらす(昇華する)」というシーンがあったが、今度からそういうこと書いていこうかな。小学校時代のむかつく先生を主人公にして小説を書くとか。
それで、ただひどい目に会うのね。いきなり肥溜めに落ちちゃうとか。バナナですべって転ぶとか。
そこに地獄の閻魔大王が出現して「『助けてくれー』と言ったので一億円はなかったことにしてくれ」と言う。
ギュウヒってあの、あんみつの中に入ってるお餅みたいなやつ。
ヤマカワはいじきたないから、人があんみつ食べているのを見て「ギュウヒだけちょうだーい。わたしギュウヒだけ好きなんだー」とか言ってつまんで食っちゃうのね。
それは、その前に道に落ちてたトマトを拾って食ってるから。
でも指輪はギンギラギンのを手にいっぱいしてんだよね。
(03.0206)
・バカ日記
本当は、この「マンガとか、いろいろつれづれ」の平均文字数の3倍くらい書けば誤解のないような文章が書けると思うんだけど、それだけの分量にするということ自体が別の意味を持ってしまう気がするし、ヒトに読まれるかどうかもわからないし。
ネットって、たいてい長文読まないでしょ。
ディクスン・カーの小説は、ちょっとした会話とか、なにげない部屋の中の描写などが重要な伏線になっている場合がある。一種の隠し絵みたいになっているのだが、読んでて最後の方になって、トリックの種明かしのときにたいていその部分を覚えていない。まあ作者も、あまり注視されないように気を遣っているので当然なのだが。
それで、わざわざ過去に戻って、どの部分かを探さないといけないので読むのがめんどうくさくなった。
さようなら、カー。
そもそも、私は小説を読み返すという行為をよっぽどのことがないとしない。面倒くさいから。まあ京極の文体がそれほど好きではないことも理由だが。
さようなら、京極夏彦。
「クウガ」のときから思ってたが、改善されるだろうと思っていたらいっこうにその気配がない。
あとハリケンジャーの女隊員があまりにギャルっぽい感じなので、いつも見るたびに「ハァ〜」とため息をついてしまう。早送りしたくなる。「タイムレンジャー」くらいまで、必ずヒロインがコスプレ七変化する回が1回くらいあったが、「ガオ」と「ハリケン」ではあったんでしょうか。
次の「アバレンジャー」はどうだろか。ハァ〜。
もっともっと話の進みをチャカチャカしてほしいんですけども。
そういうこと思っているから、理科の成績がそんなに良くなかったのだと思った。報いだと思った。
どうせ変わるなら、やって損したと思った。
日本の教育の伝統芸は、服は私服、でも教育は画一的な詰め込み教育でいいんだよ!
なぜならボクがそうだったから。本当に、社会科の勉強はムダだった気がする。今「さんちゃん農業」とか習わないんでしょ? あと四大工業地帯とか。ビルマも名前変わっちゃったし。
ポケットに「10回クイズ 違うね!」を突っ込んで、ホームランバーを片手に。
(03.0205)
・「雑記その2」
近年、宇宙飛行士を主人公にしたマンガも数作見られ、宇宙開発に対する関心は一般人にも微妙に高まっていると思う。
それで気づいたのだが、自分は世代的に宇宙開発にとことん興味のない年代と思う。
後で「オネアミスの翼」とか見て、そうか、年齢が製作者と10歳くらい違うだけでこんなに関心度が違うのかと思ったくらいで。
私は宇宙海賊とかが出る方が好きだった。
そうしたら隣のサラリーマンも「あややのCMがどーたらこーたら」という話をしていたので聞いてて恥ずかしくなった。いや、むしろ隣の会話に耳そばだてている自分がイヤだった。
(03.0204)
・「矢口リーダー、ミニモニ。卒業」
巨視的には、モーニング娘。ファンの間ではどうも「ミニモニ。は他のモーニング娘。の活動とは別」的なニュアンスが感じられたことが大きい。
中には「ハロー! プロジェクトキッズなどのお子ちゃま路線を方向づけた」と非難がましいことを言う人もいる始末。
いちおう区切りとして書いておくと、私個人はもともと子供っぽい楽曲が好きなのだが、なんというかここまでガチャガチャしたユニットって他にありそうでなかったですよ。
「子供っぽい」とは言っても、「めだかの兄弟」とか「だんご三兄弟」みたいな懐かしさを感じさせるようなものはダメで。なんかもっと狂騒的な感じのやつじゃないと。
童謡系だと「ハッスルばあちゃん」とか「コンピューターおばあちゃん」とかがいい。「コンピューターおばあちゃん」はちょっとカワイイ方かな。どっちもバアサンだな。あと「ハッスルおばあちゃん」っていうのもあったんだよね。マッハ文朱が歌ってた。どれも古いけどね。
「狂騒」ということで言えばテツandトモの「なんでだろ〜」とかもそうですね。
まあけっきょく、「テクノポップ」じゃなくて「テクノ」を通過した、シンセを多用した泡沫音楽って今までほとんどなかったから。私の知るかぎりでは。dreamとかForder5とかもあることはあるけど、トータルイメージとしては「ガキ、子供」というよりもコギャルが好きそうな感じだし。
そういう意味では「アイ〜ン! ダンスの歌」と「アイ〜ン! ダンスの歌 MORE TRANCE MIX」の歴史的意義は、自分にとっては小さくない。
それと、狂騒的でダンサブルなポップスっていうのは昔からあったけど、やはり加護・辻という「子供を擬態した存在」というべき人間が歌っていたことには特別な意味があると思う。
もちろん、「子供を擬態したタレント」というのは過去にたくさんいた。というより、たとえ年齢的には本当に子供であっても、タレントである以上だれでもイメージ上の子供を演じているわけだし。
そして、「擬態子供」にもいろいろある。たとえば「わらべ」は、何となくお行儀のいい「両親や祖父母が喜びそうな子供」という感じだったし、篠原ともえがナゴムギャル(=少女)のカリカチュアであることは明言されていた。
「ロリータ」という意味での「子供」は、それこそ掃いて捨てるほどいる。
「加護・辻の特異性は年齢ではない」と喝破したのはナンシー関だった。加護・辻に自覚があるかどうかはわからないが、「思春期前の子供を擬態している」という点では非常に珍しい存在だった。
男子中学生は、性に目覚める前に無方向なおそるべきパワーを発揮するが、そのエネルギーのスパークが二人にはあった。それは篠原ともえが「不思議少女っぽさ」をまぶして表現し、「変人」としてしか理解され得ないものだった。
ミカについては以前にさんざん書いた。正直、新リーダーとしての器は未知数としか言いようがないが、初代ミニモニ。における世間のミカ評価は不当に低すぎる気はしている。
確かに、「大人の事情」が介入したと思わざるを得ない、いささか苦しい加入ではあったし、当初は私もかなりのおミソ感覚で見ていた。
が、4人のバランスとしては次第にいい位置に付けてきていたことは間違いない。あくまで相対的にだが、上品で落ち着いた存在としてはいそうでいないキャラクターなのである。
やまちゃんともう一人の少年の3人で1週、それと「よゐこ」と共演して1週。数分のワンコーナーだけではない、二十数分出ずっぱりの他にない状況。これが、落ち着いていてなかなか良かったんですよ。
もううるさい他の3人(矢口、加護、辻)にジャマされない、って感じで。
(03.0203)
・「雑記」
(03.0202)
【アニメ】・「ギャラクシーエンジェル」第35話、第36話
それが、私が本作に当惑せざるを得ない原因なんだが……。途中の展開までは面白かったですよ。
しかし、思いきって陳腐にしてくれたら、好きになれた作品なのになあとか思う。
「ボンクラ小隊が毎回バカをやる」という設定は大好きなだけに、本作を見ると「隣でものすごく盛り上がっている宴会を見ている」ような気持ちになる。なんだか入っていけないので。
(03.0202)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第43話
お話は、なんだかイイ感じ。特筆すべきところはないが、テンポの良さは何度指摘してもし足りない。
(03.0202)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第44話
(03.0202)
【同人誌】
・「B級映画の視聴法」(2002、中央無能局)
しかし、紹介されていたリュック・ベッソン製作総指揮の映画「神風」の紹介があまりにバカバカしく面白かったのでモトはとれた。
なんでも、「会社をクビになった中年男が、テレビの出演者になんとなく憎悪を抱き、アンテナみたいなものを開発してそこから発射される殺人超音波によってテレビ出演者を殺し続ける」というSFサスペンスものらしい。大脱力。
(03.0202)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(テレビ東京)
この回のよっすぃーは、物語が崩壊寸前までハジケきる、ハジケ祭りをすることができた。プロの芸人には達することのできないグダグダ感、何がなんだかわからなくなるギリギリの領域にまで達することが「アイドルコント」の神髄であると、私は今回のよっすぃーを通して開眼した。
ガニモニ。は好きです。
二人の息が合っているので安心して見られるが、コーナーとしての完成度はまだまだか。「どこかどうしたら完成なんだよ!?」と言う人は、考えないで感じていただきたい。ブルース・リーのようにね。
イメージ的に森高千里を連想させる藤本美貴と、80年代にタイムスリップしたかのような石川梨華、これはすでに90年代VS80年代の代理戦争だ!(ここで「仁義なき戦い」の音楽がかかる)
ハタから見ていて、結局「半農半芸」という要素も生かしきれず、神奈川育ちの石川との合体に活路を見出し、さらに小加入や小脱退を繰り返すという現在の「ハロプロ」の度重なる改変を小規模に繰り返すような団体になってしまっている。いや、ユニットとしてはけっこう好きなんですけどね。
「恋人は心の応援団」がド名曲だっただけに、りんねの脱退は本当に惜しかった。
(03.0202)
【書籍】・「網状言論F改」 東浩紀:編著(2003、青土社) [bk1] [amazon]
2001年9月のプレゼンテーションに加え、東浩紀・斎藤環・小谷真里の語り下ろし鼎談、伊藤剛、永山薫による書き下ろし原稿を収録。
「愛國戦隊大日本」(私は未見。写真とかしかない)に政治的意味があったかなかったか、つくった本人はそう思っていなかったんだけど実はあったんだとかなかったんだとか、そういう議論も、もうどうでもいいです。
そりゃ、あると言えばないし、ないと言えばないということになっちゃうでしょ。
(斎藤)
「オタク」というテーマでなかなか絞りきれていない印象。
「オタクとは何か」という問いでこれだけ答えが散逸してしまうという理由は、仮説としては3つある。
たとえば本書の中で「80年代ロリコンブームは、最初はシャレだったが、後に本当にロリっぽいマンガの絵で抜けるヤツが出てきた」という発言が出てくるが、このあたりの雰囲気を今実感しようとするのはたいへんむずかしいだろう。
ただ、瓢箪から駒が出たような、たとえば最初にケネス・アーノルドが見た「空飛ぶ円盤」が円盤型をしてはいなかったのに後の目撃例に円盤型が頻出したというようなたぐいの問題でもない。
そういう意味から言っても、本書に書かれているとおり、みんなもっと「自分語り」をすべきなのかもしれん。まあケムったいもんだが、ウザさから言えば「おれ評論」とどっこいどっこいだと思うしね。
絶対何かがわかると思う。「オタク論」に必要なのは、考察と同時に「資料となる数を集めること」であると思うし。
しかし、気づいてみると「いわゆる気持ち悪い人」は、オタクコミュニティの中では「困った○○さん」みたいになっていて表面には出てこないし、オタクでない人にとっては、オタク内ではわりかし普通の人でも「キモイ人」になってたりする。
言い方は悪いがトライブにおいて内部、あるいは外部を見て認識される、一種の妖怪みたいになってると思う。
で、50人くらいインタビューすると、案外共通点がないことがわかったりするんだよね。妖怪=都市伝説なんてそんなものだよなあ。
「ゴミ屋敷の人」とかそういうのはわりとトピックになるけど、そうじゃなくてもっと微妙な線をついていたと思うし。
【DVD】・「WWE ディーバ アンドレスト」(2003、パイオニアLDC) [amazon]
もともとWWEってそんなに好きじゃないんだけど、これは奥深いと思ったね。
ちなみに私はWWEの知識はまったくゼロです。
amazonのレビューを見てみると、詳しいほどこのショーの演出の背景となるものの意味がわかるらしいが、当然私にはわからない。
コスプレの中で「爆発! デューク」のデイジーがいたことは前にも書いたが、古代アラブのベリーダンサーみたいなのが出てきたときに「かわいい魔女ジニーだ!」って解説者が叫ぶシーンもあった。いまだに「かわいい魔女ジニー」か……。まあいろいろな見方があるだろうが、向こうのお色気コスプレ事情は管理されてると思ったよ。管理されつつも奥深いのがアメリカの恐いところだけどねえ。
それにしても、ジンガイのチャンネーの身体のサイボーグっぷりはジャン・クロードヴァンダムもビックリだ。
それにしても検索によって判明したが乾貴美子の自作らしいHPは、いくらなんでも地味すぎるよ。
(03.0201)
「つれづれなるマンガ感想文」1月後半
「つれづれなるマンガ感想文」2月後半
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