つれづれなるマンガ感想文1月前半

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一気に下まで行きたい



・「サイカチ 真夏の昆虫格闘記」(1) 藤見泰高、カミムラ晋作(2006、秋田書店)
・「ピューと吹く! ジャガー」(10) うすた京介(2005、集英社)
・「ボボーボ・ボーボボ」(16) 澤井啓夫(2005、集英社)
・「ボボーボ・ボーボボ」(17) 澤井啓夫(2005、集英社)
・「ボボーボ・ボーボボ」(18) 澤井啓夫(2005、集英社)
・「ボボーボ・ボーボボ」(19) 澤井啓夫(2005、集英社)
【小説】・「超妹大戦シスマゲドン」(1)古橋秀之(2005、エンターブレイン)
・「でろでろ」(6) 押切蓮介(2006、講談社)
・「喰いしん坊!」(5) 土山しげる(2006、日本文芸社)
・「パチスロ7Jr.」 2月号(2006、蒼竜社)
・「刃(JIN)」 2月号(2006、小池書院)

・「つっぱり桃太郎」全5巻 漫・画太郎(2003〜2004、集英社)
・「あなたの遺産」全1巻 あびゅうきょ(2004、幻冬舎)
・「絶望期の終わり」全1巻 あびゅうきょ(2005、幻冬舎)
・「ガン×ソード」 全1巻 兵藤一歩、ひのき一志(2005、秋田書店)
・「ファミレス戦士プリン」(5) ひのき一志(2005、少年画報社)
・「皇国の守護者」(1) 佐藤大輔、伊藤悠(2005、集英社)
【雑記】(2005年の総括)補遺その2〜マンガ評論/レビュー編
【雑記】(2005年の総括)補遺その1〜グラビア編
・「鉄人28号 原作完全版」(1) 横山光輝(2005、潮出版社)
・「鉄人28号 原作完全版」(2) 横山光輝(2005、潮出版社)
・「鉄人28号 原作完全版」(3) 横山光輝(2005、潮出版社)






・「サイカチ 真夏の昆虫格闘記」(1) 藤見泰高、カミムラ晋作(2006、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。
ヒラタクワガタを育て、昆虫相撲に夢中になっている少年・真夏は、昆虫にとてもくわしくブリーダーをやっている女子高生・稲穂を師匠と見込んだところから、昆虫バトルのさらなる深みへとハマっていく。

これは面白い。当初は企画先行型の、作家の顔が見えにくい作品かと思ったがそうではなかった。ミニ四駆やポケモンなどの「少年が何かを操ってバトルする」マンガのツボを実によくおさえている。「ハタから見たらどうでもいいことに、主人公たちが命を燃やす」ということのすばらしさをよくわかっていると言える。
昆虫のバトルも、実際にやったらどこまでこうなるのかはわからないが、昆虫知識をふまえたものとなっている(らしい)。

チーマー風の少年・タカアキが昆虫相撲の際、「負けたら60ミリのオスをやる」と言われて「60ミリ!? マジかよ」と色めき立ったり、
パソコンでクワガタのデータ管理をしているメガネ少年・直人が、「本土ヒラタごときの戦闘力で勝てると思ってるの? ボクのツシマヒラタに……」っていうところとか、すごく面白い。

また、女の子を積極的にかわいく描こうとしているので、萌え系マンガが好きな人もどうぞ。
(06.0115)



・「ピューと吹く! ジャガー」(10) うすた京介(2005、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。

「鬼フレッシュ!春の新入生歓迎コンパ会」
弱小文系サークルの心地いいダメ感。

「ウザイウザイも人のうち」
ジョン太夫のエピソードにハズレなし。

「梅雨なんか……ぶっとばせ……」
「連想がエスカレートして脱線していく系」の傑作。妄想の中のハマーさんのイラっと来る感じも最高。

個人的にジャガーのお父さんネタはあまり好きじゃない。出てくるだけで展開が決まっちゃうし。ハミーもあんまり。普通のドラマすぎるから。読者はワガママだなあ。

9巻の感想

(06.0115)


・「ボボーボ・ボーボボ」(16) 澤井啓夫(2005、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
もうずいぶん前に読んだんだけど、感想は書いてなかった。「意味あるのか?」と思って……。
でも何巻まで読んだかわからなくなってしまうのでまた感想を書くことにする。
ねんちゃくとかハロンオニとかと戦ってた。
怒んパッチが出た。

15巻の感想

(06.0115)


・「ボボーボ・ボーボボ」(17) 澤井啓夫(2005、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
クリムゾンとか白狂とか。クリムゾンなんてもうどんなやつか忘れちゃったな。

16巻の感想

(06.0115)


・「ボボーボ・ボーボボ」(18) 澤井啓夫(2005、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
ベーベベ兄さん、ハイドレート。
「ガネメ!」っていうのがもう本当に、ものすごく面白い。笑いすぎて死んだ。

17巻の感想

(06.0115)


・「ボボーボ・ボーボボ」(19) 澤井啓夫(2005、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
ブーブブとかシゲキXとかさすらいの豆腐。こう書いても内容はまったくわからないね! 日本語勉強しよう。普通に良かった。1000円からお預かりします。正直微妙。役不足。確信犯。

  ・18巻の感想

(06.0115)


【小説】・「超妹大戦シスマゲドン」(1)古橋秀之、内藤隆(2005、エンターブレイン) [amazon]

ファミ通文庫。
操縦者の妹を超人に変え、操ることができる「妹コントローラー」を手に入れた烏山サトルとソラの兄妹。彼らはモロモロの事情により、獣化する妹やクトゥルーっぽい妹やジェット機に変形する妹、水滸伝みたいな108人の妹などと戦う。

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。困ったなあ。なぜかけっこう知り合いが読んでいたので読んでみたんだが……。若い衆で本書を「おっさん臭い」って評してる人がいて、どんなもんじゃろと思ったんだけど、うーん、私もオッサン臭いと思ってしまった。
要するにオタク・オールドスクールなんですよね。こういうの10年くらい前にはわりと流行ったなあみたいな。
あまりにも展開がカッチリとしすぎてて、まあ狙ってやってはいるんでしょうが、こういうベタ展開って深夜アニメとかでやたらと見るじゃないですか。そういうパターンはパターンで様式美として磨かれることは悪いことではないし、一種様式美を守るのがオタクみたいなところもあるんですけどね、それを文章で読んで楽しめるかどうか、かなあ。

「妹コントローラー」というのはまあダジャレの出オチとして面白いとは思うけど、後の展開がぜんぶ想定の範囲内(今私だけが使っているもっともナウな表現)だったんで、うーーーーーむと思ってしまう。
あとライトノベルである、ということで言えばもう20年間くらい気になっているのが、「あごの先にうめぼしができている」とか「シュゴゴゴーッとおりてきた」などの、「明らかにマンガやアニメのシーンを想起させるための文章表現」ってのうのがアリかナシか? っていう部分で。
女の子の背負った箱からミサイルが飛び出てくる、というのも、これってもう「板野サーカスを想像してください」って言っているようなもんじゃないですか。そういうのってアリなのかなあ。

あと作者がSF作家だというので点が辛くなるというのもある。まあファミ通文庫側からアニメっぽくまるめてくれ、って言われているのかもしれないけど、そこまで考えたら批評なんて一行も書けないし。でもSF作家ならば、もうちょっと味方組織や悪の組織をマニアックに描いても良かったんじゃ?
いっそのこと、展開される内容はノスタルジーだと開き直って、兄妹たちが「Sー1グランプリ」をやる島も付け焼き刃に「グラウンド・ゼロ」なんてイマドキ風の名前にしないで、「太平洋Xポイント」とか、そういうふうにしちゃっても良かったのでは。

展開も、バトルの連続であまりに一本調子になってしまってる。それと詰め込み過ぎな気もする。メイド妹と巫女妹は次巻にとっておいても良かったんじゃないか?
これで結末が、超巨大な妹が復活してそれを押さえるために「オラにみんなの妹力を分けてくれ!」とか言って合体攻撃して終わり、みたいな内容だったらちょっとそりゃないよ、って思うなあ。

まあ、私は本作を、中島誠之助が瀬戸物を愛でるように楽しむことはできないこともないけど、2005年にこれはないよなあ、とは正直思ってしまいました。
(06.0113)


・「でろでろ」(6) 押切蓮介(2006、講談社) [amazon]

ヤングマガジン連載。松谷みよ子が、今で言う都市伝説みたいなものを「現代民話」って言ってましたが、それに倣えば「現代妖怪」ですかね。そういうのがたくさん出てくるマンガ。

……などと書きつつ、「現代民話考」、せっかくちくま文庫で出たのに全部は買ってないんですけどね。

面白いものの、ワンパターンに陥りやすい作品フォーマットでもあるので、6巻でどうなるかと思ったんだけど「耳雄が殴ると思って殴らない」とか、「殴らないと思ったら殴る」とか、オチをちょこちょこ変えてきてますね。
この巻では個人的に「死の白線散歩」と「延長30分」がケッ作だと思いました。

耳雄にもかわいがってる妹がいるけど、「シスマゲドン」もそうだけど何で妹ブームなのかな……。

あ、それと、オマケマンガの「蓮介漫画日記」がなんだかどんどん面白くなってきていて、作者の引き出しの多さを感じさせてくれますよ。

4、5巻の感想


(06.0113)



・「喰いしん坊!」(5) 土山しげる(2006、日本文芸社) [amazon]

漫画ゴラク連載。前巻の「悪食三兄弟編」→「名古屋編」のカレーうどん対決の途中まで。

今や「喰いしん坊!」大ブーム! なんか人に会うと「喰いしん坊!」の話を聞いているような気がする。

で、「ぶっとんでる」、「つっこみどころが多くて面白い」という意見には確かに同意するんだけど、私にとってはつっこみを入れるというよりは、「普通にすごくよくできたマンガ」なんですよね。

私にとっての土山しげる評って、そんな感じです。とくに本作はそうです。

たぶん計算されつくしてて、わかっててやってる。で、そのアウトプットも、その計算からはそれほど逸脱していないと思います。 満太郎が旅に出るあたりで、連載が軌道に乗ったと思うんですよ。人気がなかったら、いきなり大会に出て優勝で終わらせてもよかったし。

そして、旅に出たら最近の名古屋食ブームや愛知万博の状況を見ての名古屋編ですし。それと「大食い」という競技性と同時に、きちんとグルメマンガとしての役割も果たしているソツのなさとか。
あと全体の雰囲気もそうかな。
あまりにもアホなことはしないですよね。半歩前で踏みとどまっている気がします(それを「踏みとどまってない」っていう意見も、あるとは思いますが)。

作品のできあがりとしては、たとえば高橋のぼるとかの方がずっと変と言えば変だと思うんですよね。
高橋のぼるも、わりと普通の作品とぶっとんでるのと濃淡がありますが、ぶっとんでるのはハンパないですから。そこに、かつて劇画が持っていた「そこまで行っちゃっていいの?」みたいな過剰性を再現しようという意志を感じるんですが、土山しげるはもっとずっと職人だという気がします。

4巻の感想

(06.0113)



・「パチスロ7Jr.」 2月号(2006、蒼竜社)

昨年の4月以来(5月号)、感想を書いていなかったんですが宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎「ヤマアラシ」はずっと読んでました。

設定師・ゆかりとなしくずし的に同棲することになった堀田。ゆかりのペースにひきずられることに畏れと怒りを感じ、風邪を引いた状態でムリを押してスロットを打ちに行く。

もう連載が始まって5年だそう。読み続けてきてよかったと思ってますよ。こういう専門誌的な雑誌の連載って、続きものとしてやっていくのはむずかしいんじゃないかと素人考えで思うわけです。まあ他の連載も続きものの体裁をとってはいるけど、まず途中から読んでストーリーがわからなくなるものはないと思う。

で、この「ヤマアラシ」だけは、堀田やその仲間たちの精神的彷徨を扱っているという点では言葉本来の意味の「続きもの」の要素を持っている。そして、その要素を持ちつつ、1話完結ものとしても成立している。そこらへん、計算されていると思うし、連続ものとしてのドラマを続かせるよりもむずかしい作業なのではないかと思う。
作為的にワンパターンにするという方法もあるけど、それもとっていなかったし、とてもゆっくりとした速度で変わっていったライバル・飯塚の環境を平行して描いたりしていて、読みごたえがあるんですよ。

それと普通のストーリーマンガとしては、青春の痛みを痛みとして書くだけじゃなくて、ちゃんと堀田のハードボイルド・ストーリーとして成立しているところが好きで。

何というか様式美ではない、若いなりのプライドの描き方ってあると思うんですよね。それを実現しているということに対する感銘が大きかったです。
それは、スロットマンガという形式だけではないところでもじゅうぶん通用するスタイルだと思うんですよね。

で、今回ちょっとドキッとする展開になりましたね。ストーリー部分をここまで突出させたか、みたいな感じで。
続きが気になります。

【単行本】
・「ヤマアラシ スロプロの真実編」 宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎(2003、綜合図書)[amazon]

(06.0112)


・「刃(JIN)」 2月号(2006、小池書院)


まあいつもどおりで書くことないっちゃあないんですが、小池一夫原作以外のマンガも面白いからみんな読もうよ。
あ、近々永井豪の新連載が始まるらしいですよ。
(06.0112)


・「つっぱり桃太郎」全5巻 漫・画太郎(2003〜2004、集英社) [amazon]

週刊ヤングジャンプ連載。バレリーナを目指す桃太郎と、その師匠であるババアが全裸で絶叫して暴れ回って鬼を殺したりするギャグマンガ。

まあいつものといえばいつもの。打ち切りを食らったようで結末まで収録されていない。終盤とつじょ萌えキャラとして「土産物屋の娘」が登場するがいったい何だったんだろう……。プロットもけっこう横道にそれつつ引きを維持していて、面白い作品なのに打ち切りとは残念です。

それにしてもこの作品、「何で今頃紹介するのかな?」って思ってる人もいるんでしょうね。
バカヤローッ!!! そんなこと知るか、バカヤローッ!!!
(06.0112)


・「あなたの遺産」全1巻 あびゅうきょ(2004、幻冬舎) [amazon]

入手困難だった単行本「彼女たちのカンプグルッペ」と「JETSTREAM MISSION」を二つくっつけて再単行本化。どちらもミリタリーもの。

「彼女たちのカンプグルッペ」は84〜87年頃の作品をまとめている。「美少女+ミリタリー」という、まあオタクの伝統芸のようなものが味わえる。絵柄も内容も、今読んでもあまり時代を感じさせないのが、この作者の才能だろう。
「彼女たちの……」内の「Nikonでグッドバイ」(85年)は、ベトナムで肉親を殺された少女が、残されたカメラを唯一の手がかりとしてアイドル歌手として(!)日本に渡り復讐しようとする物語。
一件突拍子もないこの話だが、おそらく82年にデビューしたベトナム人のアイドル歌手「ルー・フィン・チャウ」をモデルにしたものだろう。
ルー・フィン・チャウは確か難民として日本に来た女の子で、同情ばかりが先に立ってあまり売れなかったのが非常に不憫であった。作品発表時、彼女がデビューしてから3年は経っていてすっかり忘れ去られたころだから、彼女の虚構世界での復讐戦という意味あいもあったのかも。

他にも、あのアメリカ人が戦闘機にピンナップガールを描くやつ(「ノーズ・アート」と言うらしい)、あれを「プラモのモ子ちゃん」にしたり「クリーミィ・マミ」にしたりしている。まったく、センス的にはガンダムやゴジラのタトゥーを入れてる人より10年は先を行っていることに舌を巻いた。

「JETSTREAM MISSION」は、B29の日本爆撃のために気流の調査をしているアメリカ兵が主人公。太平洋戦争を題材にしながら、空襲や戦争に対する感覚のあまりの他人事っぷりにいささか鼻白まざるを得ないが、プロットがあまりにもオカルトでトンデモなので許してしまった。
また、発表時期が89〜92年という日本人全体がカネに踊ったバブル期であることとも関連しているだろう。この頃、地上げによる住環境破壊と荒俣宏的な風水を関連づける伝奇ものが、他の作家によっても多く書かれている。このようにまったくの経済活動とオカルトを結びつける考えは、広く捉えれば浮ついた変化に対する精神的防衛のようなものだったのかもしれない。

幸か不幸かわからんが、オウム事件と宗教原理主義が関連している911を経た現在は「ちょっとすいません」と言いつつ、オカルトから心の平安を得ることもできないのだ。最後の手段として細木数子のオバハンが「世間知に長けているバーサン」と「共同体内の変わり者」という両方の役割を担いつつ、テレビでワーワー言っているだけなのである。
難儀な時代である。

閑話休題。本作はオタク第一世代にはあるらしい(世代的には第二世代にあたる私には正直ピンと来ない)兵器によるハルマゲドン思想とも関係していると思われる。

以上「時代との関連」ということでテキストを書いたが、あびゅうきょがすごいのは、単なる「時代がそうさせた」にとどまらず、いまだに基本ラインは変わらぬところで作品を描き続けていることにある。もちろん、その偏執的なまでの細密な描き込みの絵も含めて。

そのしぶとさ、学ぶべきところ多し、である。
(06.0109)


・「絶望期の終わり」全1巻 あびゅうきょ(2005、幻冬舎) [amazon]

「影男煉獄廻りシリーズ」を中心に構成されている短編集。基本的には同じ影男シリーズを中心に編まれた短編集「晴れた日に絶望が見える」の感想と読後感は変わらない。しかし、「死に場所を探す、しかし死ねない」という影男の彷徨は、より「しぶとさ」を増しているように思う。もしかしたらこのシリーズは、「絶望、絶望」と言っていながら実は決して本当の絶望に陥らない緩衝装置のようなものを目指しているのかもしれない。

ユーモア度(ブラックユーモア度)もますます増してきていて、収録作品「未来世紀 絶望」はもしかして影男シリーズでも随一の傑作ではないかと思う。愛知万博会場跡地で「死・絶望博」が開催され、それが細密な筆致で描かれ、さらには「開催されるはずだった2005年のもうひとつの万博」が、同じように細密に描かれるさまは鳥肌ものである。
やはり精神的な絶望から解放される方法は「ユーモア」しかないのだと、再認識させてくれる。

さて、本書を読んで、本当に絶望感に襲われてしまった人たちへ。ふだん絶望絶望言っている私が、絶望から解放される別の思考ルートをマジで教える。
それは「あまり深く考えないこと」だ。いやマジで。影男の絶望は、メシが食えないことか? 住む家がないことか? 違うのである。あくまでも精神的な飢餓感なのである。
衣食住、そして健康の問題以外の絶望感であれば、それは「ものを考えている人間」以外感じないのだ(それ以外の絶望は、また別の対処が必要になるが)。

まあ人間、私も含めてそこまでなかなか達観はできないが、根本敬や、あと仏教の「十牛図」の本とか読めば何となくわかる部分はあると思う。
(06.0109)


・「ガン×ソード」 全1巻 兵藤一歩、ひのき一志(2005、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。
暴れ者のヴァンが、やりたい放題やって結果的に悪を倒していく痛快SFアクションマンガ。
さすがひのき一志、すばらしすぎる。ひのき一志を起用した人も偉い。
アニメの内容は、かなり違うらしいです。

アニメ「ガン×ソード」DVD[amazon]

(06.0107)


・「ファミレス戦士プリン」(5) ひのき一志(2005、少年画報社) [amazon]

ヤングコミック連載。ダメ少年がある日とつぜん美少女揃いのファミレスの店長となり、毎回ウェイトレスとヤりまくりながら悪の組織と戦う。

なんだこの頬を流れる温かいものは……あれっ!? 涙!?
まあはっきり書くと、本作には特撮・プラモオタクのメンタリティ意外の昭和オタクの要素はすべて入っていると言って過言ではないのではないか。とくに狙っているわけでもないのも実に愛おしい。ダンディ坂野がいちばん売れていた頃の彼を祝福していた感じ、そんなものに近い感情を抱いた。

4巻の感想

(06.0107)


・「皇国の守護者」(1) 佐藤大輔、伊藤悠(2005、集英社) [amazon]

原作は小説らしい。なんか竜とかがいるファンタジー的な世界で、「帝国軍」に侵攻された皇国。その戦いにおいて前線に立たされて戦う新城中尉。

ファンタジー世界っつってもあれです。半裸のねーちゃんとかは出てきません。ミリタリーものに近いですね。

私はこの作品はよく出来てると思うけど、新城中尉の戦場におけるさまざまな気持ちがそのつど描かれるのでキャラクターがさだまっていないと思う。このあたりは、絵よりも心理描写がわかりやすい小説の方が理解しやすいのだろう。

で、私はちょっとこの作品、「う〜ん」と思ってて、水準的にはすばらしいものだと思うけど、もうこれは私の時代の物語ではないな、と思った。

「武士道……自分の国も守れぬ奴らのモットーだそうだ」っていう冒頭のセリフからもう違和感があるんですよ。いや、若い人は別に違和感ないと思うんだけどね。
コレって敵はロシアっぽいから日露戦争がモデルなのかなあ……? 明治維新以降、日本で「武道」が果たしてきた精神的役割とは未知の出来事に対処していくための気構えであり、太平洋戦争後は、まさしく「自分の国も守れなかった」ことに対するリベンジは武道にあるんだ、っていうすがる対象になった部分があったわけですよね。
武道と武士道は違うけど、要するに負けた場合でも、太平洋戦争で「滅んだ」場合でも精神的支柱だった点は同じだと思う。それをこう言われちゃうと、新人類っていうかそれよりもっと若い世代の戦争感という印象があって、私のような年寄りにはもうピンと来ないのです。ミリタリーものであるにも関わらず、もう見事なまでに「太平洋戦争」がリセットされちゃっている。

もうひとつ印象に残ったのは「あの人は正しくないぜ だが」「俺達生きて帰れるかもしれんぞ」っていう中盤のセリフ。
簡単に言えば、俗な意味でのプラグマティズムですよね。最近のエンタテインメント作品は、「魂じゃないんだ、方法論なんだ」っていう主張のものがけっこう多い気がする。戦争ものを扱ったときには、余計にそれが何を意味するのかが顕著になると思う。
どういう意味かというと、ほんの20年前までは「戦争が悲惨だ」なんて読者はだれでもわかってたんだよね。だからこそ、エンターテインメントとしての戦争ものでも、軍隊内でかばってくれるヤツとか、人情にあつい上官だとかが描かれた。あるいはまた、「娯楽としての戦争」も描かれた(福井晴敏原作の映画はけっこうこういうオールドスクールな部分がある)。
ところが、最近の作品の多くは「戦争はゲームじゃないんだ」というところから始まっているものが多い気がするし、その奥には「魂じゃないんだ、方法論なんだ」っていう「現実」がある。そりゃさあ、確かにそのとおりだけど、私には当たり前のことにしか思えないんだよね。

なぜエンターテインメントでこんなことになってしまったのか? を考え続けているけど、ひとつには今のワカモノには「方法じゃない、魂なんだ」って言われ続けてきたことに対する潜在的な反発、天の邪鬼な感覚があるのではないかという仮説がひとつ。
もうひとつは、戦争の実体験がきれいさっぱりなくなってしまったから、会社とか学校とかの組織論とか実感から「戦争」のイメージを紡いでいくしかないのではないかということ。
本作にも意地悪な上官、無能な同僚、自分が責任を持つべき部下、いろいろと出てきて、その中から自分が生き延びるという解を見つけださなきゃならない、という話になっている。

これって、あまりにサラリーマンそのものだわな。この場合、作者にサラリーマン経験があるかどうかはあまり意味がなくて、だれもがみんな(実際主義という意味での)サラリーマン的思考をする時代になったということだと思う。
(06.0106)


【雑記】(2005年の総括)補遺その2〜マンガ評論/レビュー編

【雑記】(今年の総括)で書いた、2005年度のモロモロに関して若干補足します。

「表現論一人勝ち」って書いたけど、「マンガ産業論」中野晴行(2005、筑摩書房)[amazon]が出たのが昨年でしたね。
それにしても、これも単なる印象論から離れようという動きのひとつ……だったのかなあ?
でもそのわりには「このマンガがすごい!」とか、マンガをレビューする出版物もかなり出ているはず。

マンガ表現論が無意味だとは私は思ってませんが、まだもうちょっと他になんかあるだろう、とは思ってます。
まあでも、現在の十代、二十代にとってはマンガというのはいろんな娯楽のワン・オブ・ゼムに過ぎないから、そっから何かが出てきてだから何だ、っていうのはもうあんまりないかもなあ。
(06.0106)


【雑記】(2005年の総括)補遺その1〜グラビア編

【雑記】(今年の総括)で書いた、2005年度のモロモロに関して若干補足します。

・グラビア関連
2005年グラビアアイドル・ベスト10インサイター)はかなり参考になりますので見ると吉かも。

で、その他の方々のブログのグラビアアイドル評などを見て、自分の出したグラビアアイドルたちが本当に正しかったのかに疑問が生じてきたんだけど、まあやっぱりわたし的にはほとんど変わりません(川村ゆきえの事務所移転問題を後から知ったということもありましたが、私はその辺のことはわりと興味がないのでそれはそれでいい)。

ただ一人だけ入れなければならず、なおかつ書き漏らした子がいる。リア・ディゾン Leah Dizonちなみにこちらは日本のファンサイトらしい)だ。
アメリカのレースクイーン兼グラビアモデルだそう。ネットで人気に火がついた。素性のわからなさ、モデルとしてのレベルの高さのわりには大胆な脱ぎっぷりなどは特筆に値する。
とくに「謎めいている」、「ある程度苦労しないと情報が入らない」という点はグラビア界では滅多にないので非常に面白い。
ただし、こういうパターンって「招へい運動」みたいのが盛り上がって一定の成果をおさめてもおさめなくても、それで終息してしまう可能性はある。

そして、Leah Dizonを書き漏らした、と思ったのには理由がある。
それは、私のグラビアアイドル活躍基準というのは「その子がグラビアの背後にどんな物語性を持っているか?」が重要だということなのだ。
そういう意味では、現時点でのLeah Dizonには、「謎のアメリカ人レースクイーン」という物語がハッキリとあるわけだ。
私がアイドルの青田買いには興味がないのは、その段階で単なる素材、何も物語が付与されていないからである(青田買いの好きな人たちが、そこにさえ「物語性」を付与できるということは、私も知っていますが)。

SPA!で連載されている「グラビアン魂」とかいう企画も、まさにその「物語性」を「見る側」が付与しようという試みなのだろうしね。
だから、そりゃ相澤仁美とか浜田翔子とか、巨乳系では竹内のぞみとか、あげた方がいい人はいるのかもしれないし、今後出てくる子もいるのかもしれないけど、どうしても一定の物語を安定して供給できるというのは、一定以上のメディア露出のある人ということになるんだよね。
だから熊田、安田、夏川は鉄板なんですよ。

あ、それとめがねっ子アイドルの時東あみ[amazon]もあげておこう。

その他の補遺に関しては、気が向いたらやります。
(06.0106)


・「鉄人28号 原作完全版」(1) 横山光輝(2005、潮出版社)  [amazon]

月刊「少年」連載。1956〜57年頃。
日本が第二次世界大戦中に開発していたロボット・鉄人28号をめぐっての、少年探偵金田正太郎、ギャング村雨健次、国際的密輸組織・PX団たちの争奪戦。

確か、今まで「鉄人28号」って全編通しての完全版って出ていなかったはず(出ていたらゴメン)。
だから、「28号の前には27号が出ていた」なんてのもちょっとしたトリビアになってた。
よく、鉄腕アトムとの比較で「鉄人はリモコン次第で味方にも敵にもなる」と表現されるけど、それはアニメではあまり表現されてなかったと思う。だが、この頃の鉄人って本当にそんな感じなんだよね。実にクールだ。これは手塚にも石森にも藤子にもなかったメカ感だと思う。

また、正太郎が鉄人なしでも実にきっちり「少年探偵」の役割を果たしているのも今となっては逆に印象的。これまたよくなされるのが「正太郎は子供なのに車を運転している」などのツッコミだが、子供と大人の権利・権力の差が今よりもずっと開いていた時代、「大人性を付与された少年」のワクワク感がたぶん50年代にはあったのだろう。
そしてたぶん、その延長線上に「中学生なのにスポーツカーを運転する花形満」がいるのだろうね。そして、さらにその延長線上に「トランシーバーで私設軍隊を呼び出す面堂終太郎」がいて、そしてまたさらにその先に「花右京メイド隊」が……ってそんなことどうでもいいですね。

とにかく、この当時のマンガって「少年探偵」、「スリラー、サスペンス」、「ギャングもの」、もっと大きいくくりで言えば東西冷戦下のスパイ戦みたいのが見えてこないと実感として面白さを感じられないんじゃないかとは、少し思いますね。

あと、江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズの影響は50年代から60年代の少年マンガに想像以上に影響してますね。それ、だれか指摘してよ。
(06.0105)



・「鉄人28号 原作完全版」(2) 横山光輝(2005、潮出版社)  [amazon]

月刊「少年」、「探偵ブック」掲載。1957年頃。
正太郎とPX団との戦いが続く。フランスからクロロホルム名探偵来日。正太郎に協力することになる。
1巻で書き忘れたけど、鉄人を開発した敷島博士にはヌーボーとした息子がいる。でもこの息子はあんまり出てこない。つまり、「博士がロボットの父がわり」、「父のつくったロボットを子が使う」という、「鉄腕アトム」でも「マジンガーZ」でも、「ガンダム」ですら踏襲されていた設定がここにはないんだね。ホントにスーパークールなんですよ。
(06.0105)



・「鉄人28号 原作完全版」(3) 横山光輝(2005、潮出版社)  [amazon]

月刊「少年」1957〜58年頃。
まだ続いているPX団との戦い。鉄人の背中にロケットが着いた。でもこれって敷島博士が開発したんじゃないんだね。PX団だったかな?
ドリル付きのジェット機みたいのがカッコいいです。鉄人もだんだん我々の知る鉄人に近くなってきました。
(06.0105)

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