11 矢口がオイラという理由
「ぐだぐだコラム」もくじに戻る
「ぶっとびマンガ」電子版その2
「ぶっとびマンガ」電子版その1
・12 偽善、もしくは「本性」問題
・10 態度のデカいラーメン屋考
一気に下まで行きたい
・11 矢口がオイラという理由
・「オイラは……」
矢口というのは、モーニング娘。の矢口真里さんのことである。
この人、いつの頃からか自分を「オイラ」というようになった。
彼女以外に「オイラ」という一人称を使っているのは、私の知るかぎりタレントのビートたけしだけだ。
そもそも、「オイラ」という言葉自体がすでに死語である。
この言葉をたけしが使うのは、何となく下町っぽい感じ、子供っぽい感じ、いいかげんな感じを出したいからだと思う。
記憶を辿ると、知っていた頃にはすでに「オイラ」と言っていた気がするが、さだかではない。
一方、矢口の方は、ネットで検索したら数年前のある時期から使いだしたそうだが、このあたりもよくわからなかった。
勢いあまって「おれ」と言ってしまうこともあるそうだ。別に凶悪な性格をしているからというのではなく、ふだん「おれ」とかふざけて「ぶっ殺す」とか言う女の子はたまにいるので、驚くにはあたらない。ただし、おせじにもお行儀がいいとはいえない。
つまり「おれ」をマイルドにした言い回しが「オイラ」なのだろう。
ところで、なぜ一章立てるほどに矢口の「オイラ」が気になっているかというと、テレビ番組でゲストなどで出て、司会に何か質問されたとき「オイラはですね……」と矢口が言うと、司会が何か言いたそうな顔になるのだ。「えっ?」という感じになるときもあるし、「HEY HEY HEY!」の浜田は「何でオイラなんや」的なことをはっきりと言っていた。しかし、そこから話が広がることはない。
つまり、矢口の「オイラ」はやはり一般的には違和感があるということだ。
・「桃子は……」
アイドルの一人称としては、「桃子は……」などの「自分の名前を自分で言う」というのが今でもある。山川恵里佳なんかは、まだ使っているように思う。
これは子供っぽい感じを演出できると同時に、自分の名前を浸透させるというような意味あいがあると思う。そういえば、以前の「ハローキッズ」で「カリスマアイドルやぐっちゃん」を演じていた矢口は、自分のことを「やぐっちゃんはァ……」と言っていたような気がする。
「子供っぽい、少女っぽい感じ」の演出そのものが「アイドル」であることに関して、紋切り型の批判をしても始まらない。とにかくそういう様式美なのである。ヤンキーが「自分はァ」とかいうのと同じである。
・「コイズミ」という呼び名
さらに思い出したが加護・辻は自分たちのことを「加護は……」、「辻は……」と言うようだ。この「自分を苗字で呼ぶ」現象はたぶん小泉今日子から始まっていると思う。小泉今日子自身が「コイズミは……」と言っていたわけではないが、小泉今日子の「おしゃれ」、「女の子のファンもいる」という現象は「キョンキョン→コイズミ」というイメージの変化によるものだった。
「キョンキョン」というのもかなり浸透したが小泉今日子を「コイズミ」と呼ぶことに、違和感はない。いや、コイズミ全盛のときに本当にそう呼んでいなかったかもしれないが、「コイズミ的」なたたずまいというのがあった。
後に「コイズミ」にも手垢がついてしまった頃、「裏小泉」なる写真集が刊行されたことも思い出される。ちなみにバリバリのアイドルであった当時、中嶋ミチヨが自身のアルバムのタイトルを「中嶋」としたセンスはまったく意味不明であった。
学校の生徒風におニャン子も苗字で呼ばれていたが、あれはまた別のニュアンスがあった。「コイズミ」の場合はもっと「アーティスト寄り」のニュアンスだった。その次に森高千里を「モリタカ」と呼ぶようになり、それが形骸化して「加護は……」という、それほど深い意味のない一人称に変化していったと思われる。
・「フカキョン」問題
もうひとつ思い出されるのは深田恭子の「フカキョン」という呼び方の微妙な浸透の仕方だ。雑誌「BOMB」ではなぜか「フカキョン」と呼ばず「キョウコリン」と表記していた。番組や雑誌などで、タレントに独自の呼び名を付けて一種のファミリー性を演出することはありえる(「うたばん」での飯田→ジョンソンなど)が、どうもBOMBの場合、「フカキョン」と呼ぶこと自体に抵抗があるのではないかと勘ぐってしまう。
そもそもファンでない人間でも「キョンキョン」と言うが、深田恭子を「フカキョン」と呼ぶにはかなりの勇気が必要だろう。さらに話がそれるが、高橋由美子の「グッピー」という呼び名も浸透したとは言いがたかった。本来の名前と離れすぎると浸透しない例だろう。「ジュリー」は別格として。
「フカキョン問題」では、深田恭子の立ち位置の中途半端さが影響しているのではないかと思う。時代の要請上、深田恭子は役者先行で売ってきたイメージがある。歌の売れ方も微妙だし。コンサートで名前を呼ぶときに必要なのか、同じアイドル的なタレントでも歌手の場合の方があだ名は浸透しやすいようだ。現に松浦亜弥=あやや、藤本美貴=ミキティは浸透している。
・「オイラは……」再び
どうも一人称から愛称に話が飛躍してしまった。矢口の「オイラ問題」に話を戻す。
矢口が「オイラ」と自分を呼ぶのは、「おれ」のマイルド化という意味があるとはさっき書いたが、逆に言えば「アイドル」というものに対する照れ、であるともとることができる。
おそらく自分がアイドルであることも、しかし「典型的な」アイドルではないことも矢口は自覚しているだろう。もともとシモネタが好きらしく、歌番組のトークなどではかなり発言にバイアスをかけている印象がある。
自分はアイドルである、しかし、松浦亜弥的な、たたずまい自体がアイドルであるようなタイプでもない。ある種の「めぐりあわせ」で今の境遇がある、というようなことに対する「照れ」、「違和感」、そして「脱アイドルという次の段階への小さな布石」、のようなものが「オイラ」を用いる理由なのだと思う。
もちろん「目立ちたい」というのがいちばんじゃないかと思いますけどね。ただ「○○って呼んでください」的なおしつけがましさがないのが非常に微妙だと思って。なんか書いてみたくなった。
(03.0424)
・フォト&エッセイ集で「おいら」 矢口真里(2003、ワニブックス) [amazon]というのが出たから、もうそっちを読んでみなさん解釈してください。
(03.1102)
ここがいちばん下です
・12 偽善、もしくは「本性」問題
・10 態度のデカいラーメン屋考
「ぐだぐだコラム」もくじに戻る
「ぶっとびマンガ」電子版その2
「ぶっとびマンガ」電子版その1
トップに戻る
|