つれづれなるマンガ感想文9月前半

「つれづれなるマンガ感想文2001」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」8月後半
「つれづれなるマンガ感想文」9月後半
一気に下まで行きたい



・「紺碧の國」(1) 水原賢治(2001、少年画報社)
・「YOUNG キュン!」10月号(2001、コスミックインターナショナル)
・「月刊少年チャンピオン」10月号(2001、秋田書店)
・「RELEASE」Vol.1(2001、蒼馬社)
・「ウォー! B組」マガジン・ウォー!10月号増刊(2001、マガジンマガジン)
・「漫画話王」 9月1日号(2001、ぶんか社)
・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 10月増刊号(2001、蒼竜社)
・「エイケン」(1) 松山せいじ(2001、秋田書店)
【映画】人気コミック→実写版(於:新文芸座)
・「ボボボーボ・ボーボボ」(2) 澤井啓夫(2001、集英社)
・「週刊少年チャンピオン」40号(2001、秋田書店)
・「週刊少年チャンピオン」41号(2001、秋田書店)
・「コミックバンチ」17号(2001、新潮社)
・「ピューと吹く! ジャガー」(1) うすた京介(2001、集英社)
・「ミルククローゼット」(3) 富沢ひとし(2001、講談社)
・「茄子」(1) 黒田硫黄(2001、講談社)
・「チクサクコール うすた京介短編集」 うすた京介(2001、集英社)
・「釣りキチ三平 平成版」Vol.1 矢口高雄(2001、講談社)
・「天然濃縮!! オレンジ戦機」(1) 高田慎一郎(2001、角川書店)
・「性本能と水爆戦」 道満清明(2001、ワニマガジン社)





・「紺碧の國」(1) 水原賢治(2001、少年画報社)

紺碧の國

アワーズライト連載。浅田甲斐(カイ)は、実はケンカがものすごく強いが、暴力に虚しさを感じて無抵抗主義となり、いつもイジメにあっている少年。かつてのカイを知っている幼なじみのミチルは、そんな状況を歯がゆく思っていた。かつてのカイを変えてしまった「何か」があるのだ。

「ここより他にもうひとつの世界がある。……そこは……忘れられた世界最後の楽園。私はそこへ行きたい……」

それは地方発行の文芸誌に短期間連載された小説「ZONE」だった。「ZONE」に触発されて自分の身の周りの世界を変えていこうと動き出すカイ。

……何というのか、誤解をおそれずに言えば「ものすごくイタイ作品」。人間だれしも「ここではないどこか」を求めている。とくにマンガなんか読んでいる人々はそうだと思う。だがやがてストレートに別世界を追い求めることはやめ、さまざまなスタンスが出てくる。やたら情熱的になるのもシニカルになるのも、「ここではないどこか」へは容易に行けないという認識が出発点であることに関しては同じ、ということだ。

カイは「本当の幸せは近くにある」という「青い鳥」の物語を否定してみせる。要するに「別世界」へ旅立とうとする。バキ的に言えば「地上最強」になることを男はどこかで諦めるが、カイはその最初の戦いに出向こうとしているわけだ。一度勇次郎に負けているバキに比べると、その行動はピュアだし、ハタから見ていてイタイ。

また、ファンタジックな要素をまったく取り入れておらず、ガチンコ勝負で現実的アイテムしか使っていないことも、イタさを倍増させている。カイが感化された小説「ZONE」は本当にただの「小説」だし、カイの行動もまあ普通の中学生がやってできないことはない範囲のことだ。
さらに肝心の「ZONE」が、作品内でのプロットを読んだかぎりでは相当「イタイ」小説なのではないかという点がある(どうも「マトリックス」みたいな、現実世界を虚構と認識して本当の世界へ旅立つという話らしい)。
登場人物たちは感情をストレートに出すし、会話も理屈っぽくなりがち、「自分を天使だと思いこんでいる」少女・鹿島亜理子(かしま・ありす)に至っては、どう解釈していいものやら、造形がストレートすぎて困惑してしまう。

何かマイナスのことばかり書いているようだが、では本作がつまらないかというと、私はそうは思わない。絵やコマ割りが達者で、全体を通して非常に読みやすいし、このテの作品にありがちなひとりよがりな感じ(ゆえの読みにくさ、入り込みにくさ)も全然ない。
作者がオトナで、何もかも全部わかっててあえてピュアなキャラクターを出している、という感じでもない(そういう作品は、なまじの「青い」作品よりも不愉快なものだ)。そういう意味では読者への訴求力は、私がここに書いたあらすじよりも高いと思う。

こういった作品は、とかく「ピーターパンなんとやら」とかなんとかヤユされがちである。だが、マンガやゲームなど虚構世界にハマったことがある人なら、本作の登場人物たちのような思いを一度は抱いたことがあるはずだ。あまりに恥ずかしくなって、記憶から抹消してしまったかもしれないけれども
そうした考えが、かなりのエンタテインメント性をもって(決してお芸術な感じに走らず)保持され、描かれることは喜ぶべきである。たとえがオカシイかもしれないが「エイケン」や「シスター・プリンセス」とはまた違ったむずがゆさを提供してくれる。「萌え」を追求した作品がそぎ落としたものが、ここに凝縮されている。
逆にいえば本作は絵がキレイなわりにはエロティックな要素を排除しているということなのだが、「エロ的なもの」を排除したゆえに、独特のむずがゆさが倍増している。
そうしたものを味わいたい人は、ぜひ読むべき。
(01.0915、滑川)



・「YOUNG キュン!」10月号(2001、コスミックインターナショナル)

成年コミック雑誌。なんか、前より局部の消しが大きくなってないか?

「激しい課外授業」毛野楊太郎は、毎回まいかいあらすじを書いているとネタバレみたいになるので、今回は書かない。なぜか久美先生、最初はノーパンのような描写だったのに、ハダカになったときに黒いヒモパンをはいている。他の作品も消しが大きいから、もしかしたら消しの無粋さを無くすためにパンティを描きくわえたのかな〜、と思いました。
「Obrigado」天羽双一は、工場で働く日系ブラジル人の美少女と、その同僚のエッチ。冒頭がいい話で、ちょっと感動してしまった。
「いめーじちぇんじ」単ユキモトは、予備校の女教師と生徒。ちょっとロリ系の先生が、なぜかファミレスでもバイトしてたというのがいい。出てくる女の子がかわいい。
(01.0917、滑川)



・「月刊少年チャンピオン」10月号(2001、秋田書店)

「WORST」高橋ヒロシは新連載。ワルの戦国時代状態になってしまっているある街に、飄々とした坊主頭の男がやってくる。名前は月島花(つきしま・はな)。トボけてはいるがケンカは滅法強いらしい……という不良ケンカもの。花が下宿するアパートにもクセモノが揃う。
「流星のストライカー」秋月めぐるも新連載。才能の開花しない「谷間」と言われる世代の現日本ユースに、とんでもなく素行が悪いがサッカーの才能はある少年・織田流星が入ってくる。彼はスペインの天才ストライカー、ラムート・フェルナンデスを育てたコーチ・伊吹に見込まれたのだが……というサッカーマンガ。
私はサッカーはよくわからないのだが、けっこう読ませる。飛び抜けた才能のないチームが沢渡という青年のもとにまとまって頑張りを見せる、そこに異分子の流星が入ってきて、最初はやる気のない流星も熱くなり、チームも活気が出てきて……という過程に引き込まれていく。今後も期待。
「花右京メイド隊」もしりげは、メイドのイクヨッチがドジっ子集団の囲碁部を「コマケ」に連れていって売り子をさせ、エロ同人誌で一儲けしようという展開。あまりにそらぞらしい展開が逆に笑える。
「ヒッサツ!」伊藤清順は第6話「間一髪!」。「三島中暗黒地帯(ダーク・エリア)」にまだいる颯耶と玲香。作者特有の脱力ギャグが炸裂。絶対オススメ。
「香取センパイ」秋好賢一は、あまりにもバカすぎるヤンキーマンガ。「とことん人望がない」という設定の香取センパイになんともいえない愛嬌がある(リアルに人望のない人だったらそもそも主人公になれないし……)。
(01.0914、滑川)



・「RELEASE」Vol.1(2001、蒼馬社)

やっと読んだ……。出たのが8月4日だから、けっこう前です。しかし、レディースコミックの平綴じ雑誌が充実している地元系本屋など、あるところにはあるような気はする。ちなみに次号は10月4日発売。

「アチドル(アーティスト&アイドル)コミック」と銘打ち、全編コレ芸能人の実録風マンガで埋まっているという、企画を絞り込んだ雑誌。
なお、蒼馬社では同コンセプトの単行本シリーズも刊行しており、こちらは1冊に一人(あるいは一グループ)を取り上げるかっこうになっている。

今回取り上げられているタレントは、モーニング娘。、あゆ、ゆず、DA PUMP、PIERROT、CASCADE、ELT、aiko、GLAY、ラルク・アン・シエル。さらにオリジナルのバンドマンガも載っている。

「モーニング娘。プリティ・コレクション」は、「モーニング娘。ハートドロップス」も描いた亜都夢。見開きの連続によって、情報量の多いモーニング娘。、およびハロプロについて描いている。……というか、こうするより方法はなかろう。ゴマキにボーイフレンドがいるっぽい描写が「イマドキのアイドルマンガだなあ」という感じはする。
それと、なっちはいじめられていた、ということになっているが「ハートドロップス」でも思ったがこの作者のいじめの描き方はすごく陰惨&リアル(同級生に取り囲まれてゲシゲシ殴られたり←これは「ハートドロップス」ね、制服をズタズタに斬られたり……)。これでは応援したくもなってくるってもんよ。なっちガンバレ。

さて、人数の多い「モー娘。」は作品的にもなんとかなっているが、他のアーティストを題材とした作品には、どうにもこうにも情報不足で描きあぐねている印象のものも少なくない。aikoの初恋時代を回想した「初めての恋」鶴木ゆみや、DA PUMPの新曲のできる過程を描いた「More Jump」御茶まちこはまだお話になっているとはいえ、「私はみんなのイメージの『AYU』とは違う」という浜崎あゆみの悩み「だけ」を描いた「新生(しんせい)」CHI−RANなどはとても苦しいと言わねばならない。しかしこれは作家さんのせいというよりも、与えられた(というより許可された?)情報が少なすぎるからではないかと思うのだが。ラルク・アン・シエルなんてほとんどガンプラネタばっかりだったし(メンバーにガンプラファンがいるらしい)。
他にもバンドものはやおいに流れることもできないし、当然恋愛も描けず苦しい感じがした。まあファンはそれでもいいのかもしれないけど。
(01.0914、滑川)



・「ウォー! B組」マガジン・ウォー!10月号増刊(2001、マガジンマガジン)

「GON!」とか「BUBKA」みたいな、Hなグラビア&記事で構成されてる雑誌。
「パチ漫」かわかずおは、20回目で、残念ながら最終回。毎回、特定のマンガを素材にしたエッチなパロディ読みきりを描く本作の最後は、「性闘士性矢」。なんというか、性闘士たちがエッチな技を使ったりするパロディ。

「変丸NEWS」町野変丸も最終回か? 毎回、時事ネタにひっかけたエロマンガ。今回はタカラが犬の鳴き声から感情を分析するグッズ「バウリンガル」を開発したというのが題材なんだけど、まあ「犬」ってだけでだいたい内容はわかりますわ(笑)。想像どおりでした。
(01.0912、滑川)



・「漫画話王」 9月1日号(2001、ぶんか社)

ヌードグラビアやギャンブル記事の載った、オヤジ系マンガ雑誌。
「人情性戯指南 『あなかしこ』」成田アキラが、なんだか奇妙な味。作者が知り合った女性たちについて、回想風に描いてあるなんてことないマンガなんだけどね。
「アジアン人妻パチンコ売春 龍姐(ロンシェ)−東洋的女豹−」仁科ゆりえ、伊賀和洋は、やくざの抗争ものらしいんだけど、あやしげな中国人の古老なんかが出てきていい感じ。「銀の蝶」間宮聖士はパチプロマンガ。静かなるハッタリが効いててなかなか。
(01.0912、滑川)



・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 10月増刊号(2001、蒼竜社)

「早稲田回銅倶楽部」鈴木みつはるは第2回。早稲田大学のパチスロ研究会の話。マイナー文系サークルの雰囲気がそこはかとなく出てる。
「ザ・プロフェッショナル」藤沢ケイジは、データロボ開発物語(後編)。なんというかパチスロ版「プロジェクトX」ですね。
「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、主人公・堀田のかつてのスロ仲間、今では普通のサラリーマン・福田の話。いつもは堀田側の「フリーの哀愁」を描いているけど、今回は逆。福田に対して「楽しんで打ってるってことは一般人なんだよなァ……もう」っていう堀田の独白が泣かせる。
(01.0912、滑川)



・「エイケン」(1) 松山せいじ(2001、秋田書店)

エイケン

週刊少年チャンピオン連載。初・中・高等部からなるマンモス校・私立ザッショノ学園。部活の勧誘にぎやかなりし入学の時期に、三船伝助にはひとつの誘いもない。クサっているところに、学園で評判の美少女・東雲ちはると遭遇。ウヤムヤのうちに、学園でも恐れられている謎の部・エイケン部(なぜか部員は全員美少女)に勧誘される。
あれよあれよと伝助の意志に関係なく話は進んでいくが、実はちはるもエイケン部に入っており、ラッキーなようなそうでないような……などと思っているうちに、なりゆきとしてエイケン部に入部させられる伝助であった……というところから始まるちょっとエッチなラブコメマンガ。

・「萌え」は加速する
さて、本作を語るには「萌えはエスカレートする」という前提に立って進めなければならない。

70年代(ずいぶん昔だ……)、かつてラブコメは、少女マンガの専売特許だった。それが80年代初頭、少年マンガに導入されたとき、独自の変化・進化をした。
80年代当時は、登場するメインキャラクターは男の子と女の子の二人。その後に、男の子の幼なじみだの、転校してきた美少女だのがからんでいくというのが普通だった。
ところがソレはたちまちパターン化して、加速していった。たとえば、主人公の男の子がファンタジックな女の子(天使とか女神とか)と知り合うと、その子には「男まさり」か「タカビーお嬢様」の姉がいたり、ロリロリな妹がいたりした。
あるいは「タカビーお嬢様」が転校してきたり、外見がロリロリな少女が物語にからんできたりする。

コレは黄金パターンのようにも思えたが、同じことばかりやっていれば読者に飽きられる。あるいは送り手が新味を出したいがために加速させる。
そこでバリエーションがもっと増える。美少女ばかりのアパートに主人公が引っ越してきたり(これだと一人ひとり登場させる手間がはぶける)、回を負うごとに美少女が増えたり……(その「増え方」が「うる星やつら」などとは基本的に違うことに注目されたい)。とにかく増える。現在ではシスター・プリンセスのように、12人まで増えた(彼女らが他人ではなく「妹」であることに、「萌え」の重要要素があるような気がするが、それはここではおく)。

さて、本作を美少女マンガ史的にとらえてみれば、まず設定としては「とりえのない主人公」がエイケン部メンバーである「素直な子=ちはる」、「男まさり=霧香」、「めがねっ子=小萌」、「ロリっ子=京子&くまちゃん」、「お嬢様=グレース」という定番キャラに囲まれている。
この点で、ギャルゲーおよび「ラブひな」などのラブコメの影響を受けていることは確実だろう。そしてこれらの基本パターンは、いわゆる「SFおしかけ」の基本パターンにさかのぼることができる(「女神さまっ」の三人姉妹など)。

一方、絵柄としてはトーンワークを多用した、流行りのサラリとしたアニメ絵を意識していることと、それとは裏腹な「液体」描写、要するに女の子が水をかぶっても汗をかいても、精液をかけられているようにしかみえない濃厚な要素が混在している。 巨乳や巨尻など、フェチ的な部分も見逃せない。メインヒロインのちはるや、さらに「男まさり」設定の霧香も、伝助より相当大きく見えるように描かれている。ここには女の子の肉感を重視した、フェチ的でマザコン的な印象すら受ける。
さらにもう一方では京子、小萌、くまちゃん(中身は女の子)などのロリコン勢がいる。いたれりつくせりな願望充足マンガになっているのだ。

いたれりつくせり……しかしここに本作のキモがある。ちょっと(いやかなり)過剰サービスなのだ。そもそも「萌え」に肉感的な部分など必要なのだろうか? 「萌え」の代表である「CCさくら」や「でじこ」や「コメットさん☆」などを見ていると、「萌え」と「フェチ」とはかなり違うもののように思える。っていうか違う。

・萌えマンガと少年エッチマンガとの合体
コレは、本作が「萌えマンガ」「少年ちょっとスケベマンガ」を融合させようとしていることから起こるチグハグ感だ。両者の交錯した1点に、本作は位置している。エロゲーなど「ホンバンあり」のモノにも「萌え」は存在するのかも知れないが、本作はそうした「エッチな要素」よりも、それより一世代前の「少年ちょっとスケベマンガ」のエッチ描写の雰囲気を感じる。

クリームパンとチョコレートパンの合体した「二色パン」や、私が子供の頃流行った(古いな)、合体ロボットのごとく磁石でくっついたり離れたりする、入れどころがいくつもある筆箱に似ている。
関根勤のものまねはよく似ているが、この人ほど実験的に新作をよく披露する人も珍しい。その中には「だれだかよくわからない人」の領域まで達してしまうものがある。似せようとしているのだがアウトプットはどこにも存在しない謎の人。

「エイケン」とはそのような、あらゆることを何度も何度も先人が反復してきたところに、この作者の個性が加わり、さらに意図的に「萌え」とは相容れないオールドスクールな肉感的要素を加味したために、だれも踏み込まなかった地点に踏み込んだ実にフリークス的なラブコメマンガなのだ。

「部活で男女がワイワイやる中で、ちょっとしたホレたハレたが起こる」というのも定番だが、加速された本作では、もはや「エイケン部」が何の部かも不問にされている。要は男女が群れることができる「場」があればいいとでもいうように。

・少年ラブコメ=巨大ロボアニメ説
「加速していく」点においては、ラブコメは巨大ロボットアニメに似ている。15体ものロボットが合体するダイラガーXV(重いです)(←ここの)や、ロボットたちが合体するともはや何のカタチだかわからないメカの集積「超常スマッシュ」へと変貌する超合体魔術ロボ ギンガイザー(←ここの)のように、行くところまで行ってしまったモノも多く存在した。
しかしそれらは、エスカレートのギリギリを示しただけで、巨大ロボットアニメは後に「リアルロボット路線」という大きな転機と、同時に勇者シリーズなど旧来の合体ロボット路線を受け継いだものへと、さらに80年代、90年代と継続していった。

そうした進化(変化)と同じ道を少年ラブコメが辿るとすれば、「エイケン」や「シスター・プリンセス」はその限界点を示すものとして歴史の必然として登場し、「萌え」の系譜そのものとしてはまた違う局面に分岐するのではないか、というのが私の今のところの予想だ(いや、「シスプリ」はゲームとの強い関連があるのでまた別かな?)。
そういう意味では「エイケン」は確実に何かを残した。愚地克巳というよりも、フリークス性という意味においてはジャック・ハンマーではないかと思う。

・「語るのが面白い」マンガ
長くなったがもうひとつ、本作の画期的なところは、個人的にはネットでの読者の評価がリアルタイムで読めたところにあった。しかもとことんのめり込んでいる危ないファン、というのではなく「いったい何だこれは!?」というような客観的なスタンスが多いような気がする(もちろんフラットな、ふつーのファンもたくさんいますが)。
そうしたスタンスには、いずれも同意できるものであった。本作は、先人の生み出したパターンや記号の集積でありつつ、なおそこからはみ出す部分を持っている。あまりにもデキのイイものは語るのがむずかしいが、逸脱したものというのはさまざまな意見が出やすい。「言うだけ番長」がオタクの性質だとするならば、「語り」を喚起する本作の「オタク性」は作品そのものとは別に興味深い部分でもある。

もし本作がネットのない10年前にやっていたら、また違った評価のされ方をしたのではないだろうか。
ネットの意見を読んで自分の意見と付き合わせる行為には、本作を読んで楽しむだけではない、独特の感触がある。

参考:エイケンリンク
エイケニストのキセキ?
(01.0910、滑川)



【映画】人気コミック→実写版(於:新文芸座)

新文芸座でやってたオールナイト上映企画。マンガを実写化した映画をまとめて上映。マンガそのものじゃないけど、関連あるからこの「マンガつれづれ」に書きます。

・「ルパン三世 念力珍作戦」(監督:坪島孝、1974、東宝)
以前、アニメ「ルパン」のLDボックスの特典として確か付いていた記憶が。コレ目当てに買って「泣いた(マイナスの意味で)」というヒトもいたらしい。

ルパン三世に目黒祐樹、次元大介に田中邦衛、銭形に伊東四朗。不二子は江崎英子という人。子供の頃テレビで見たが、「ヒドい」という印象はほとんど変わらず(笑)。確か企画に赤塚不二夫とか入ってて、「笑わせよう」っていう意志はあるんだけどそれがまたスベるんだ。ただし、まったくホントに、今すぐ燃やしちゃっていいほどどうでもいい映画かというと、私はそうでもないと思っている。
次元大介がルパン二世のつくったルパン帝国最後の生き残りの部下で、組織再興のためにルパンをたきつけるが、彼自身は自由人を満喫していたために乗らない。ルパン帝国最後の資金も、すべてルンペンの常田富士雄に「寄付」してしまう。しかし、不二子ちゃんのワガママには言うことを聞いて宝石を盗むとか、いちおうのスジは通ってます(あくまでいちおう)。

ルパンのすごさも、ただひたすらに「動きが早い」ってとこに集約させたのも楽しくていいのでは(ちゃんと作戦ぽいことをするシーンもあるが)。すれ違いざま、女の子(たぶん安西マリア?)のブラジャーをスリ取っちゃうシーンがあって、子供の頃見て印象に残ったなぁ(ルパンは逆にパンツをスリ取られる)。

「キャストの似てなさ」もよく話題になるが、不二子ちゃんはサマになっていたと思う。「トランプのカードを手裏剣のように投げる」というのもカッコイイし、ちゃんと(?)黒のツナギも着てくれます。敵につかまったときはベビードール姿になってます。

惜しいのは五右衛門が入っていないこと。これで入っていれば、「マンガっぽさ」が倍増して珍作度がアップ、もっと珍重される作品になっただろう。

・「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(監督:山口和彦、1977、東映)
両津にせんだみつお、中川に草川祐馬(だれ?)、寺井に荒井注。マドンナは松本ちえこ。
なんだか究極の「どうでもいい」作品。さすがの私もコレはいかんともしがたい ……。主キャスト以外は、スケジュールが開いてたヒトをかき集めてつくったような映画(だから「アレッ」っていう人も出てる。由利徹とか、オカマ役の田中邦衛とか)。やくざっぽい警官・戸塚(浜田光夫)がモロ肌脱いでタンカを切ったり、田舎から出てきた松本ちえこ(当時新人アイドル)が、貧乏だが歌手を目指すという設定だったり、とにかく「東映」っぽいというか70年代アイテムが煮詰まっている。

ただし、他の人の感想とか読んだら、「あわてものの店員」役の山田隆夫が派出所内で暴れ回るシーンで感心してた。ここ、かなり長いシーン。夫婦喧嘩で逃げてきた汐路章をそのかみさん(女優名忘れた)が派出所内で包丁持って追いかけ回すシーンもけっこう長い。とくに山田隆夫のシーンは、たぶんアドリブが入っていると思う。長いだけに、その部分のデタラメ度は高いことは高い。
このメチャクチャさをどう評価するかで、本作の好き嫌いも分かれるのかも。私個人は、ただでさえダレた感じを払拭しきれなかったとは思う。

「こち亀」って、両さんは「下品」ってことになっているものの作品全体は独特の上品さがあると思う。しかし、ソレの東映的解釈はここまで下品になるかという感じ。でも確かこれお正月映画だったんだよね。こんなの正月早々見たら、なんか澱む。

・「ゴルゴ13 九竜の首」(監督:野田幸男、1977、東映)
「あまりにも恐い」風体のゴルゴ(千葉真一)がスゴイものの、やはり無口で クールな役というのは千葉ちゃんには似合わない。カンフーアクションや、 ちょっとだけ出る志穂美悦子のアクション(香港の刑事で、ホステスとしてクラブに潜入してチャイナドレスで踊ったりする)がイイなあとは思うが、お話もタルいしちょっと退屈。千葉ゴルゴの「出オチ」的作品(ゴルゴの古い友人役の、鶴田浩二の片目の眼帯も「出オチ」)。

・「瞳の中の訪問者」(監督:大林宣彦、1977、東宝)
「ブラックジャック」の「春一番」というエピソードを映画化。ブラックジャックに宍戸錠、後は片平なぎさに志穂美悦子。コレはけっこういい。ホントに。

事故で片目を失った片平なぎさは、ブラックジャックの手術で角膜を移植する。 しかしそれからなぜか「コートをはおった男(峰岸徹)」の幻覚を見るように なって……という話。
お話は徹頭徹尾クサいものの、崖のてっぺんにピノコと住む怪人・ブラック ジャックやマンガ的表現をムリヤリ映画に映そうとしたところ、ミステリータッ チの展開、湖上でのクライマックスと、怪しい雰囲気をうまい具合に出している(まあ大林宣彦だし)。珍妙なところにちょっと失笑してしまうのはご愛敬。というより、それも狙ってのことなのかな(「アイバンク」の表現がとことんムチャクチャで笑えます)。
ゴダイゴや千葉真一の無意味な特別出演もご愛敬。片平なぎさと志穂美悦子のテニス姿がまぶしい。……っていうか志穂美悦子はシャワーを浴びたり無意味に着替えたり、サービスしてます。

この上映企画、次週は「シュート!」(SMAP)、「サインはV」、「野球狂 の歌」、「ドカベン」。スポーツ特集ということだが、微妙すぎるラインナップ だ。
(01.0910、滑川)



・「ボボボーボ・ボーボボ」(2) 澤井啓夫(2001、集英社)

あらすじは1巻の感想を参照してください。
思えば、ボクは人の顔色ばかり見て生きてきました。「そんなのダサいよ!」と言われた服はコッソリ捨てました。「○○なんてゴミだよな!」と言われたときは、そうだそうだと拳を振り上げました。そしてみんなと同じ制服を着てはホッとし、みんなと同じソフトクリームをナメナメしながら、原宿のレコファンで「魂のルフラン」を買ったりしていました。
しかし世の中とは残酷なもの。「鉄腕アトム」や「天才バカボン」、「アラレちゃん」などに懐かしさや普遍性を見いだす人の流れの中で、本作を誉めるのに非常に勇気がいると言わざるを得ない(急にですます調やめる)。

実際、周囲のマンガ好きの間でも賛否両論分かれている。この分かれ方は尋常ではない。「マカロニほうれん荘」や「すすめ! パイレーツ」をマンガ喫茶で読み、ニコニコしていた人々が急に眉をひそめ、しかし面白いと言う人はフラットに面白いと言っている。
たとえば「欽ちゃん」や「ナインティナイン」を面白いつまらない言う場合、議論の核となるものは見えている。だから、別に面白いつまらないの意見が分かれてもかまわない。「不条理マンガ」と言われるものに対する議論でも同じだ。
しかし本作の場合、面白いつまらないの基準、議論のとっかかり自体がいまだ見えていないような気がする。無邪気に「これ面白いよネ!」と、長年のつきあいのある人間(私が相手の趣味を熟知していると考えられる)に気軽に言っても、ガツンと拒否されそうで、恐い。

そこで、自分の心の中から、なんか白いひげの「老師」みたいのがあらわれて言うんですよ。「自分を信じろ」と。
……というわけで、私は面白いと思ってます。っていうか大爆笑だろコレ。とくにソフトン。あと首領パッチコレクターのトム。
(01.0908、滑川)



・「週刊少年チャンピオン」40号(2001、秋田書店)

「表紙がマンガではなく、水着のアイドルであるような雑誌には描きたくない」というのは井上三太のキメ文句だが、裏を返せばそれだけ少年・青年誌においてグラビアが重要な位置をしめているということでもある。感想サイトなどで言及されないのは、ひたすらに印象批評に終始せざるを得ないからであって、仕方ないのであるが今回はその表紙についてから書いてみたい。

今回の表紙と巻頭グラビアは平田裕香。マクドナルドの平日半額を訴えるCM、およびドラマのチョイ役などで散見され……って知らない人はまったく知らないよな。
今どきめずらしいほどまっちょうじきに「アイドル路線」を走っている人で、それは(自分の大きな)「胸なんかない方がいい」というコメントに集約されている。
つまり、普通巨乳というのは大きなチャームポイントになるはずなのだが、胸にばかり注目が集まるのが面白くないということだ。彼女は大原かおりのような爆乳レベルではないことから、それが謙遜ではないことはあきらか。本当に嫌らしいのである。
あの乙葉でさえ、自分の胸をどう思うか聞かれて「この胸がなければ現在の私はないと思います」という発言をする昨今、このコメントはガチンコな清純派アイドルを狙っているということなのだ。
容姿も「田舎の女子高生」といった感じで、おれの考えからすると全国の相当な数の中高生の青春の幻影はこういうタイプではないかと思われるのだが、どんなもんであろうか。清純をアピールしつつ、ギラリと向上心を見せるなど、充分にアイドルとしての素質を備えている。
あと表紙で彼女がはいているジーンズだが、股の付け根に近いところで脚の部分が切り取られていることは当然として、上の部分のベルトを通すところまで切り取られちゃっているのはポイント高い。

「フジケン 番外編『フジケンとエテ公の星』」小沢としおは、なんでこんなのが描かれたのかよくわからない。パロディとしても中途半端だし。ホント何なんだろう。でも私、フジケン応援してます。

「エイケン」松山せいじは、顧問の女教師が転んでパンツを見せたり、シャワーを浴びて裸身をあらわにしたり。この人の描く、男が女の人の尻を触るときの触り方って独特だなあ。と思った。
(01.0908、滑川)



・「週刊少年チャンピオン」41号(2001、秋田書店)

「ORANGE」能田達規は、新連載。サッカーマンガ。

「エイケン」松山せいじは、発明少女の京子ちゃんがメイン。「自分がエッチな状況になっていることに気づかない」小萌ちゃんとは対照的に、強がってはいるがとても恥ずかしがり屋という設定らしい(小萌ちゃんはまた小ネタ的に「顔射」を連想させるコマが……)。
(01.0908、滑川)



・「コミックバンチ」17号(2001、新潮社)

もうすぐ連載作品が単行本になることもあるし、と思って久しぶりに購入。
う〜ん、どういうんかなァ〜……。だんだん手の内が見えてきた感じで、それについて自分がどう思うかなんだけど。あまりにも一本調子な気がするんだよな……。でも売れている雑誌というのは基本的に一本調子のような気もするし。
個々の作品も、「よくできている」感はある。ただ、当然「よくできている」マンガが面白いとはかぎらない。人気が出るかどうかは、なおさらわからない。毎度まいど個人的な感想で申し訳ないんだが、たとえたいして面白くなくても「おれはこの作品を支持する!」というのがあれば、雑誌そのものをいとおしく感じることができる。そういうのを出せるかどうか、がまあ売れ行きには関係ないだろうけど私の購買意欲と関係あるかなあ、と思う。
昔の少年ジャンプは、「やぶれかぶれ」(本宮ひろ志が描く選挙マンガ)とか「てんぎゃん」(南方熊楠の少年時代のマンガ)とか「飛ぶ教室」(なんだかかわいらしい絵柄の核戦争テーマ作品)とか、冒険作をバンバン出していた。今後、そういうのを出せるかどうかじゃないスかね。2、3週前からの新連載攻勢にちょっとガッカリしたというか、セレクトがシブすぎる。
岸大武郎とか(上記の「てんぎゃん」の作者)。別に岸大武郎悪くないけど、だったら同時にまったくの新人を起用するとかしてくれないと。とか長々書きましたが。

「痛快!! マイホーム」池沢さとし

不動産会社のサラリーマンマンガ。はっきり言って、おれ宇宙でバンチを救うのは本作しかない。設定自体はどこにでもある営業マンのマンガだが、描くのが池沢さとしだからかなりラグジュアリーな話になると思う。というか、ならなければならない。
サラリーマンのマンガでぶっとぼうとするなら、今までネクタイも締めたことない浮き草ライフで酸いも甘いもかみ分けた作家が、ひたすらにギャンブル的仕事生活と女、を描くしかないんだよ! しかし単なるダダモレたマンガになることも考えられるが。
(01.0905、滑川)



・「ピューと吹く! ジャガー」(1) うすた京介(2001、集英社)

週刊少年ジャンプ連載。1回がだいたい7ページのギャグマンガ。ミュージシャンを目指す少年・酒留清彦(さけとめ・きよひこ)が、ものすごいたて笛の才能を持つがひたすらにエキセントリックな男・ジャガーさんと知り合い、翻弄されていく。

まったく私的な話だが、CDウォークマンがブッ壊れたものの代わりを買う金がないため、仕事帰りにマンガを買って、電車の中で読むクセがついた。で、あまりにダークなものとかはイヤなのでギャグマンガなどを読んでいるのだが、車内で笑いをこらえると、どの程度面白いかどうか自分でもわからなくなることを発見しました。人間、笑いたかったら笑う、泣きたかったら泣くのがいちばんですね。

本作は原点回帰というか、「マサルさん」調のギャグマンガなのだが、読者はどん欲なもの。どうしてもそれ以上のものを期待してしまう。そうすると、すでにある程度パターンを読まれているだけ、描く方は不利になる。だからまあ正直なところ、前半部は「パンチ弱いなぁ」と思っていた。
「おもしろアイテム」のセレクトも、もしかしてこの作者、悩んでいるのでは……? などと勘ぐってしまう。実際、第11笛「ヒップホップは難しいでござる」の巻! から登場する「ヒップホップ術」講師のエンプティー浜はすごく面白いキャラクターなのに、第18笛「おれの夢見る少女ぶりを見やがれ」に登場するコスの天使・セーソームーン(コスプレをきわめた41歳女性。たぶん「ガラスの仮面」の先生がモデル)は、どうにもこうにもベタすぎる。今さら「ガラスの仮面」パロディってのもどうなんですか?
しかし次の第19笛「心配しないで夢オチだから」は、本当にただ漠然とした妄想を、「夢オチ」という断り書き付きで描きなぐっているような印象で疾走する(個人的にこの話がいちばん面白かった)。

最近、本作のジャンプの方の連載を読んでいないのだが、このまま突っ走ってメチャクチャなマンガになることを望む。ベタギャグしかわかんない読者は置いていっていいです。それはうすた京介の役割じゃないでしょう(勝手なこと書いてるな私)。
そういえば別の作者だけど「ボーボボ」も気になるなあ。ふたつともメチャクチャマンガとして走り続けてくれればいいんだが。
(01.0905、滑川)



・「ミルククローゼット」(3) 富沢ひとし(2001、講談社)

アフタヌーン連載。自信を持って書きますが(笑)、何がなんだかさっぱりワカリマッセーン。2巻の頃からそう思ってたけど。まったくついていけなくなってしまった。

完結した後、まとめて読んだら少しはわかるかなと。っていうかわからなくちゃまずいだろ。

……と、それだけで感想を済ませようと思ったんだけど、ついでに書いておくと「エイリアン9」以降の富沢ひとしは常に「新しい」という文脈で語られる作家だと思う。読者が「新しく感じること」については、それなりの理由があるとは思うのだが、ただ富沢ひとし=新しい、と語ることはベタな感じはする。
マンガについて語るとき、最近では「新しさ」について云々するのは何かキケンな気もする。「『マンガ』というジャンルの中で初めてそれをやった」といったタイプの新しさの指摘だけで、済んでいた時代もあった。しかし現在はそれもほとんどないだろう。また「時代に即している」ことと「新しい」ということはまた違う。時代感覚は変化するが、それに対応することは単なる適応であって、「新しい」とか「進化」ということともまた違うだろう。

何が言いたいかというと、「富沢ひとしは新しい」といって済ませるだけだと、何か違和感がある。何というか。その言説に「いかにもな感じ」が入るし。たとえば音楽関係のミニコミ誌のマンガ紹介欄で、本作が入ってるとハマりすぎてかえってイヤ。 そういう「ベタな感じ」から逃れないかぎり、本作の感想を書いても意味ないだろうとか思ってる。
(01.0904、滑川)



・「茄子」(1) 黒田硫黄(2001、講談社)

アフタヌーン連載。毎回物語内に「ナス」が出て来るという以外、ほとんど共通点がない物語の連作短編集。

みんなが読んでるから読んだ。「みんなってだれだ」ってマジメな人は問いつめるけど、マンガって「みんなが読むから読む」、「みんなが読まないから読む」という以外の理由は、私にとってないのだ。

最初、話に聞いたとき、つまり「毎回『ナス』という共通点しかない短編連作」という企画を聞いた時点で、なんだかスノッブな感じがして正直いやだった。 読んだら案の定、「ナス」にたいした意味はなかった。作中で「ナスはムダが以外に多いし、栄養もない」と説明される。つまり共通点そのものに意味がない、というのも想像どおりだった。
共通テーマ、あるいは共通のアイテムが連作を繋ぐ場合、「どこにソレが出てくるか」、「物語内のどこに織り込まれるか」が読者側の興味のひとつなのだが、「ナス」ってそれもあまり感じないんだよね。極端な話、飯のシーンで出せば済んじゃうわけだし。

短編そのもののデキは、非常にいい。元インテリらしい中年男が、一人で農園(当然ナスをつくってる)をやる連作があるが、ここではナスも多少は意味を持っている。宮崎駿がオビで押してる自転車レースのマンガも、確かに面白い。読んでソンはない。

ただ、やはり短編連作の設定としての「ナス」の存在には、ひっかかるものがある。読んで嫌味がなかったのは黒田硫黄だからであって、実力のない人が同じことをしたら目もあてられないだろう。
(01.0904、滑川)



・「チクサクコール うすた京介短編集」 うすた京介(2001、集英社)

タイトルどおりの短編集。「マサルさん」連載前の作品から、連載後に描かれたモノまで期間としては幅広く収録されている。
「マサルさん」を読んだときの衝撃度は個人的にものすごく、「こんなにすごい人がいるのか……」と思ったが、本書に収録されているそれ以前の作品を読むと、なんというか「習作」の域を出ないという感じ。
絵が非常に拙いため、「マサルさん」で多用されたシリアスとギャグのギャップがうまくはじけない。また「……であろうことうけあい」などの特徴あるネームも、はじけきっていない様子。突如現れた才能ではなく、修業時代があったことがわかる。

「マサルさん」連載中、連載後の読みきりは、いずれもストーリーマンガ。しかしこれはこれで、またはじけきっていない印象。
もともとうすた京介のマンガの魅力って、結論をどこまでも曖昧模糊としたはぐらかし状態にもっていくところにあると思う。普通のストーリーマンガではビシッとキメなければいけないところを、はなはだ曖昧なところに持っていく。「セクシーコマンドー部」のトーナメントが、なんかいいかげんな状態で終わったみたいに(そしてそこが面白かったのだが)。
それは作者自身もたぶん意識していて、収録作品中いちばん新しい読みきり「もうちょっと右だったらストライク!!」はそうした方法を意識的に展開してる(それにしてもこのタイトルはすばらしい)。
要するに「あらゆるものを審判するプロ審判」の専門学校「うなれ俺のフエ学園」に入学してきた村山音人の物語。彼はタイトルどおり、白黒キッチリ付けないジャッジをしまくる。
同作も他の「マサルさん」連載中および連載後の読みきりと同じく、ギャグを入れつつストーリーマンガを意識したらしい。クライマックスの「審判対決」は、少年マンガの対決もののパターンにのっとっているので、音人の曖昧さとストーリーのメリハリがきっちりしてまとまった作品になっている。
思えば「マサルさん」の次の週刊連載だった「武士沢レシーブ」もストーリー志向の作品だった。しかし、なぜそんなにストーリーマンガに作者がこだわるのかイマイチわからない。前述のとおりこの作者のギャグの面白さは、結論を無限に先送りする曖昧さにあると私は考えているので、「ストーリー」にこだわりすぎるとどうしても着地点を見いださねばならず、どっちつかずのものになりがちな気がするのだ。
もっとも「武士沢……」は、ギャグの基本設定自体も曖昧すぎたというところはあるのだが。

しかし、そういうストーリー志向の作品がとことんつまらないかというとそういうことでもない。むしろ、少年マンガのおとしどころを守るという意味でのストーリーマンガをギャグと融合させて描くというのは、笑いを排したシニシズムを全面に出すとか、逆にギャグをいっさい排した「ジャンプ的な」マンガを描くよりむずかしいことだろう。そういう試みに対する興味ってのは、やっぱりある。
(01.0903、滑川)



・「釣りキチ三平 平成版」Vol.1 矢口高雄(2001、講談社)

B5判、中綴じ。「釣りキチ三平」の新作を中心とした、少年マガジン増刊号。
一平じいちゃんが亡くなって後、秋田県・田沢湖にクニマス、別名キノシリマスを呼び戻すキャンペーンが行われた。……ということで、この幻の魚を三平と魚紳さんが釣りあげることに挑む。

もう少し詳しく書くと、環境破壊が進んでいた田沢湖の水質がよくなってきた。そこで、昔ここに棲息したといわれるクニマスをぜひ呼び戻したい。どこかヨソの湖で釣り上げて持ってきてくれた人には500万円渡す、という地元の観光協会の企画なのだ。しかし発見者は何十年も現れておらず、クニマスは「幻の魚」となっていた。

釣りキチ三平、昔っから熱心な読者ではないので比較はできないが、今回は魚の知識が非常に専門的で、学習マンガのよう。「幻の魚」であるクニマスの特徴は(読者にとっては)明瞭ではなく、ヒメマスというマスと間違えやすく、その棲息環境の説明がまたむずかしい。
まぁ釣りマンガというと「伝説のドレソレ」とかいう巨大魚を釣り上げるようなのが多いので、そうした展開に飽きた人が今回のような、ある意味リアルな「幻の魚」に興味が持てるかどうかで面白さも違ってくるかも。

同時掲載の「9で割れ!」FILE21は、文句なしに面白い。「9で割れ!」とは、よくわからんが銀行でお金の計算が合わなかったときにこうすると間違いがわかるという、合い言葉のようなものらしい。つまり、銀行マンとして青春時代を送った作者の自伝的作品の続編。今回は、銀行の激務に追われながら作者が初めて投稿第1作を描くエピソードだが、その投稿作が「覆面の力士」を主人公としたというもので、マンガ内マンガみたいになっていてけっこう面白いのである。

それと、前々から思ってたのだがナチュラリストである作者は、そのわりに線がすごくシャープで、描き出される自然が非常にメタリックな質感を持っていると思うのは私だけか。出てくる女の子も、白土三平からの流れでわりとかわいい。
(01.0902、滑川)



・「天然濃縮!! オレンジ戦機」(1) 高田慎一郎(2001、角川書店)

たぶん少年エース連載。小説家の父親に、小さい頃から「おまえは正義を守るサイボーグだ」と言われ続けた少女が、中学生になってもずっと自分をそうだと思い込み、騒動を起こす。実際強いため、トラブルは拡大するばかり。

これは超個人的な感想なのだけれど、ヒロインが自分をサイボーグだと思っている以上、ツッコミ役の幼なじみの少年以外、全員が妄想世界の住人である方が好み。
後半、本当に不思議な力を持った人々が出てきてから、かえって物語の説得力を失ったように思う。ヒロインが「自分がサイボーグだという思い込みで強い」という理由まで弱くなってしまうし。
出てくる女の子はかわいい。スカートの下にスパッツをはいているところに時代を感じたりして。
(01.0902、滑川)



・「性本能と水爆戦」 道満清明(2001、ワニマガジン社)

成年コミック。たぶん、「快楽天」などに掲載された短編を集めたモノ。みんなが読んでるから読んだ。「みんなってだれだ」ってマジメな人は問いつめるけど、たくさんの人が読んでいるということは読書の場合の重要な指針のひとつでもある。

本作の特徴は、短編のどれもにファンタジックな設定が用意されていることか。「逆ビッグコミックスペリオール」とも言える。「スペリオール」を選んだのはたまたまいちばん最近読んだからで深い意味はありません。すいません。
お話の設定は、SF、ファンタジー、寓話。しかしいずれもが、お話をホンワカさせるのではなく、逆に残酷な話を読ませるためのお膳立てのように思える。かといって、「ものごとの残酷さ」がテーマというわけでもない。「こんなに残酷なんですよ〜」という感じではない。作者の視線はもっとさめている。
だから、心ヒソカに愛していた女の子にカレシができたから処女を奪おうとする少女を描いた「ハジキコマチ」や、恐怖の大王が本当に降りてきて、少年が世界で美少女と二人きりになってしまう「00000000013DAY」、路上で学生がイキナリ美少女スフィンクスにクイズを出される「誓いの代償」などなどは、一見寓話めいているが、最終的には何の意味もないような結末に着地する。

しかし……それでは、強制的に「無意味」をつくり出そうとか、読者の頭から意味をひっぺがそうとか、そうした強引さが感じられるかというと、そうでもない。この短編集においては、寓話として意味が通っているモノと、まったく無意味なモノと作風に幅があるが、どちらにしても、つまり意味をとっても無意味をとっても、それを強く打ち出して来るという感じではない。そこを物足りないというヒトもいるだろうし、逆にその醒め方が心に響いてくるというヒトもいるだろう。
個人的に「意味」をもとめていて成功していると思えるのは、ポルノ女優と病に侵された兵士の交感を描いた「PHANTOM PAIN」、「無意味」をもとめて成功しているのは、女性たちの裸の下半身が地面に埋もれたまま抜けなくなる「大陰唇デストロイヤー」、なぜか女性たちが「顔射」されることが身だしなみかファッションのようになっている世界「ポテンシャル0(ゼロ)」(←コレがいちばん好みだった)。

しかし、私自身はこの作品集の中で「すごくいいもの」をセレクトするのに自信がない。それは、本作を読んだだけでは作者の「意味」に対する考えがイマイチわからないということでもある。あるいはそれがクールということなのか。わからん。
(01.0901、滑川)

「つれづれなるマンガ感想文2001」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」8月後半
「つれづれなるマンガ感想文」9月後半
ここがいちばん下です
トップに戻る