つれづれなるマンガ感想文5月前半

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一気に下まで行きたい



【テレビ】・「セクシー女塾」にアヤカ登場、ジュジュのセクシーな冒険(2003、テレビ東京)
・「週刊少年ジャンプ」19号(2003、集英社)
・「週刊少年ジャンプ」20号(2003、集英社)
・「週刊少年ジャンプ」21号(2003、集英社)
・「週刊少年ジャンプ」22・23号(2003、集英社)
・「週刊少年ジャンプ」24号(2003、集英社)
【テレビ】・「おはスタ」 新生ミニモニ。登場
・「週刊少年ジャンプ」18号(2003、集英社)
・「パチスロ7Jr.」 6月号(2003、蒼竜社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【小説】・「ミニモニ。におまかせっ!」(3)嵐のファッションコンテスト 楠未莉(2003、竹書房)
【小説】・「ミニモニ。におまかせっ!」(4)ミニモニ。VSブラモニ。(前編) 楠未莉(2003、竹書房)
【小説】・「ミニモニ。におまかせっ!」(5)ミニモニ。VSブラモニ。(後編) 楠未莉(2003、竹書房)

【雑記その6】・ミニモニ。数え歌、ミュージックフェア
【小説】・「関ヶ原」 司馬遼太郎 (上)(中)(下)(1966、1974、新潮文庫)
【雑記その5】・「グリーンマイル」、週刊少年ジャンプ
【雑記その4】・「モー娘。保田圭・卒業」
【テレビ】・「セクシー女塾」に矢口登場(2003、テレビ東京)
【雑記その3】・コミティア終了
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第11話「アバレサイキック。ブヒっ。」(2003、テレビ朝日)
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第12話「アバレノコギリ、京都を斬る!」(2003、テレビ朝日)
【雑記その2】・コミティア新刊
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第56話(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第57話(2003、テレビ東京)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第54話(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第55話(2003、テレビ東京)
【雑記】・セクシーボールZ、同人誌
・「週刊漫画ゴラク」5月2日号(2003、日本文芸社)
【映画】・「ボウリング・フォー・コロンバイン」(監督:マイケル・ムーア、2002、アメリカ)






【テレビ】・「セクシー女塾」にアヤカ登場、ジュジュのセクシーな冒険(2003、テレビ東京)

ハロープロジェクトの矢口真里(モーニング娘。)、石川梨華(同)、里田まい(カントリー娘。今回はいなかった)、斉藤瞳(メロン記念日)、アヤカ(ココナッツ娘。)が、「セクシーマチコ先生」(ナレーター)の指導によりセクシーさを身に着けようという月〜金の帯番組。
藤本美貴が抜けて、アヤカが2、3回前に「セクシー帰国子女」として新メンバーになった。

冒頭本題に入る前に、毎回明らかに台本バリバリのトークから始まるのだが、これに妙にマンガネタが多い。
今回(5月14日放送分)、異常にマンガネタが徹底されていて面白かったので、できるだけ忠実にテキスト書き起こしをやってみようと思う。

・以下、テキスト起こし
(テーブルに向かってくつろいでる、矢口、石川、斉藤、アヤカの4人。)
矢口(新聞を読みながら)「えっ!? 『ジュジュのセクシーな冒険』が、ハリウッド映画になるんだって!」
石川「ホントに!?」
矢口(石川に新聞を見せて)「ほらほらほらほら」
石川「ホントだ! 信じらんな〜い!」
アヤカ「その『ジョジョ』って何ですか?」
矢口「『ジュジュ』ね、『ジュジュ』」
石川(あこがれているように)「『ジュジュのセクシーな冒険』は、週刊少年シャンプーに連載中の、大河ロマンマンガなの!」
矢口「一部、二部、三部と同じ血統で主人公が代わり、世代を越えて悪の化身・デオと運命の決戦を繰り広げるの!」(熱く語っている感じ)
斉藤「ていうかさ、二人ともそんなにマンガ好きだったっけ?」
矢口、石川「『ジュジュ』は別なのよ!

斉藤「マンガがセクシーと関係ある?」
矢口、石川「あるわよ!?」
矢口「物語で出てくる『セクシーの矢』で身体を突かれると、セクシー超能力が身に着きセクシースタンドができちゃうのよ!」
石川「こんな感じよ! わたしのセクシーは世界一ィィィィィ! オラオラオラオラ!」(拳を前に突き出すポーズ)
矢口「無駄無駄無駄無駄!」
矢口「さあ、みんなと一緒にセクシースタンドをやるのよ! せーの!」
(全員で拳を前に突き出す「オラオラ」のポーズをやり出す)
全員「オラオラオラオラ、無駄無駄無駄無駄」(2、3回繰り返す)

マチコ先生「ちょっとちょっとちょっとちょっと! わけのわからない叫び声を出すのはやめなさい!」
石川「先生なら、『ジュジュ』の素晴らしさをわかってくれますよね?」
矢口「うんうん」
マチコ先生「うーん、『ジュジュ』は確かに、『ジュジュ』は素晴らしい作品ね。でもちょっとマニアックじゃない?」
矢口「あー」
石川「そうかなあ」
マチコ先生「もっとメジャーなセクシーを目指さないと! でないと、全員に石仮面をはめて、吸血鬼にしてしまうわよ!

(スタッフらしき人のすごい笑い声が遠くから)

矢口、石川「それだけは、ねえ」「すみません」
アヤカ「それより、何言ってるかわかりません」
アヤカ以外の一同「あー」
マチコ先生「まあいいのよそれで。先生も半信半疑でしゃべているところがあるから
・以下、テキスト起こしおわり

矢口の口から「スタンド」とか聞くとちょっとイイですよね。……最後の「先生も半信半疑」というのは、「どこまでトバしていいかわからないから、手探りでやっている」というような意味かな。マニアックネタがふられたとき、それを追いかけていいのか、適当なところであしらっていいのかの見極めみたいな。

【テレビ】・「セクシー女塾」終了 (2003、テレビ東京)(03.0928)

(03.0515)



・「週刊少年ジャンプ」19号(2003、集英社)

「ジョジョの奇妙な冒険 PART6 ストーンオーシャン」荒木飛呂彦が最終回。まあ感想はすでにここに書いちゃったけどね。第4部の「キラークイーン バイツァ・ダスト」もそうだったけど、後半になってなんだかわけがわからなくなってくるんだよね。
荒木飛呂彦の面白いところは、もしネタが苦しくなっても、いかにも「ネタ切れ」というふうにはならなくて「わけがわからなくなってくる」ことかもしれない。
後から考えたけど、なんでエンポリオだけ神父の能力で死ななかったのかもよくわからんね。
まあ「スタンド」っていう概念自体、非常に妄想じみているところが面白いんだけどね。疑似科学的なオーラとか超能力とか幽霊とかじゃなくて、人間の脳内の、妄想同士の戦いみたいなね。

「サンタ」蔵人健吾が新連載。世界の半分の人間を死に至らしめた魔神の、108の能力をひとつずつ受け継いでいる108匹の獣人が世界を跳梁跋扈していた。
そこで魔神の「0」の能力を持った少年・サンタが冒険を繰り広げる話になるようだ。あらゆる意味において「ジャンプ的」なマンガではあるが、面白く読めた。最近の(といっても、ここ10年くらいの)「ジャンプ的」なマンガについては、後述するかもしれないししないかもしれない。
(03.0514)



・「週刊少年ジャンプ」20号(2003、集英社)

読みきり、「SELF HEAD」。床屋修行中のケンカ少年・網走番外が、カリスマ美容師と対決。髪を切りながらケンカする。
カリスマ美容師のことを、「カリスマアリーナ満員気取りで調子こいてんスよ!!」っていうネームがすごいな。やっぱり対決ものは新人でもジャンプが老舗だと思った。

「いちご100%」河下水希は、新キャラの気の強そうなねーちゃんは自分許容度的にギリギリって感じですね。ここでただイヤなヤツに感じさせないかどうかが腕の見せどころだと思う。
(03.0513)



・「週刊少年ジャンプ」21号(2003、集英社)

「LIVEALIVE」天野洋一は、読みきり作品。尊敬するシンガーだった兄が死んでしまい、夢を失いかけていた少年とギタリストの出会い。さわやかな作品。
この人、1カ月くらい前にもバンドものの読み切りを描いていた記憶があるけど。前はいかにも人気が出たら新連載っぽいプロローグな感じの読みきりだったが。

「キャプテン」鉄チン28cmは、読みきりのギャグマンガ。ロボットの高校球児が出てくる。正直、理解しにくいというか紙一重というか……。この白さ(わざとだろうけど)、何の脈絡もなくアニメキャラが出ているところ、シュールっぽい感じ、テキトーっぽい感じ、なんだか80年代のプチ・アップルパイのシュール系作品からロリコン色を抜いたような感じ。
それにしてもこのペンネームはいかがなものか。
(03.0514)



・「週刊少年ジャンプ」22・23号(2003、集英社)

「ヒカルの碁」ほったゆみ、小畑健、梅沢由香里五段が最終回。なーんて、今頃書いている私なわけだけれど。
なんか終了についてはいろいろウワサがあるんですか? そんな裏事情はサッパリわからない私だけれど。
私、実はアニメの方を一時期熱心に見てたんだよね。出てくる女の子(プロを目指してた子、囲碁部の子2人とも)がすごくかわいかった。感想おわり。

「dZi:s」樋口大介が読みきり作品として掲載。少女と彼女を人知れず守る男が、少女の特殊能力を狙う組織と戦う。少年誌は基本的に新連載への布石となるような、プロローグ的な読みきりが多い気がするが、本作は読みきり作品としてきちんとエンタテインメントしている。
(03.0514)



・「週刊少年ジャンプ」24号(2003、集英社)

やっと現在に追いついたよ……でも、次号買うかどうかわかんないけどね。毎日毎日連続してジャンプばっかり14冊も読んだら、さすがに飽きました。では約2カ月半ぶん、読み続けた感想を書きます。
ジャンプは一流誌なんで、1回でも載ればすごい名誉だと思ってるんで、わりと忌憚なく書きます。

・その1
「GRAND SLAM」杉本洋平は、読みきり作品。プロ野球選手として一度だけホームランを打った父を尊敬し、ホームランバッターになるために中学時代3年間をバッターボックスに立って球を見続けることだけに費やした少年。彼がついに打者として試合に立つ日がやってきた。

絵も見やすいし、リーダブル。少年ジャンプの王道である努力とか信念、常に前向きであることを描いていて、読後感もさわやか。このまま連載できそうな完成度。

次に連載陣。
まずものすごく面白い(というか、ずっと前から単行本を買っているんだけど)のが「ボボボーボ・ボーボボ」澤井啓夫「ピューと吹く! ジャガー」うすた京介
10号連続くらい読んだが、まずハズレがなかった。「ボーボボ」は、人気投票の1位が首領パッチ、2位、田楽マン、3位、ところ天の助と人間じゃないキャラクターが大活躍で満足した。

「ONE PIECE」尾田栄一郎は、個人的にジャンプがいちばん盛り下がっていた頃(当時、部数でマガジンに抜かれていたと記憶する)に連載が始まったため、私自身が乗り遅れてしまった感があり、続けて読んでいてもお話があちこちに飛んでつながりがなかったりとわかりにくいが、優れた作品であることは理解できる。

「アイシールド21」稲垣理一郎、村田雄介は、アメフトのマンガ。「ジャンプ」としては、「ヒカルの碁」がマンガジャンルとしてなじみのない「碁」を題材にしてヒットさせた前例があるが、これもまたアメフトを知らない読者にも面白く思えるようにかなり練って描かれている。
初回から読んだわけではないのできちんとした評価は避けるが、わりと練習を大変そうに、かつ楽しそうに描いたり、いつも命令ばっかりしているヤツもちゃんと鍛えているシーンを入れていたりと、そういうところにとても感心する。スポーツマンガはそういうところが描かれていないとダメ。
雑誌全体としては、いちばん期待株でしょうね。

「いちご100%」河下水希も、単行本を買っているからいまさらどうこう言うことはないのだが、少女マンガとしてはフツーでも、少年ラブコメとしてはかなりレベルが高い。

「シャーマンキング」武井宏之「BREACH」久保帯人「NARUTO−ナルト−」岸本斉史「SANTA!」蔵人健吾「BLACK CAT」矢吹健太朗は、ぶっちゃけるとすべて同じ方法論で描かれていると言っていいと思う。すなわち、ファンタジー的な作品内ルールにのっとって敵と戦うというパターン。「HUNTERXHUNTER」、「遊☆戯☆王」もそうだが。
すでに連載が終了してしまった「ジョジョ」や「タトゥハーツ」、たぶん「グラナダ」もそのパターンだったと思う。
「Ultra Red」は、実際の格闘技をテーマにしているので多少は異なるが、基本的には「ジャンプ的ファンタジーバトルマンガ」のパターンを継承していると思う。昔の「真島くんすっとばす!」とかもそうだったけどね。

・その2
正直言って、好きな人には悪いが「シャーマンキング」と「BREACH」は途中から区別がつかなくなってしまった。
こんなに似たようなパターンのマンガが何本も載っていて、さらに「SANTA!」という新連載がまた始まったりしていいのか? と思うが、逆に言えばこのパターンが盤石だということでもあるのだろう。
「個人技を磨いてトーナメント」のパターンは、十数年間少年ジャンプが磨いてきてすでに芸術の域にまで達している。そのひとつの完成形が「ヒカルの碁」であったと思う。読者になじみのない競技の物語を、「平安時代の霊」を使って展開させ、なおかつ単なるいかものに終わらせないというのは、おそらく少年誌ではジャンプでしかできなかっただろう。

もっとも、十数年間の間に、多少の変化はあったと思う。たとえば「アストロ球団」や「リングにかけろ」は、徹底的に肉体を酷使するところから超人的な技が生まれるという設定で、かなり飛躍してはいるがいちおう技が現実世界の法則にのっとっていた。
「北斗の拳」も、「経絡秘孔を突く」という基本設定は現実の拳法の延長戦上にあるものだ。「魁! 男塾」は「北斗」よりもさらに飛躍しているが、肉体派であることに変わりはない。
現在の王道パターンにつながる80年代ジャンプ作品としては、まず「キン肉マン」があげられる。「キン肉星の王子が超人たちと戦う」という設定は、「超人」という存在自体が人間ではない時点で相当に飛躍していると言える。
しかし、さらに直接の系譜をたどるとすれば「ドラゴンボール」と「ジョジョ」であるというのは言うまでもないことなのかな。
「ドラゴンボール」は、最初の舞台設定からしてすでに現代の日本とはそうとうかけはなれている。いつのどこ、という設定を実は忘れてしまった(すいません)のだが、「ドラゴンボール」の舞台が「現在の日本ではない」ことは、「忍空」や「ONE PIECE」や「NARUTO」を生み出す土壌になっていると思う。もしかしたら他誌の作品にも影響しているかもしれない。

「ジョジョ」は、「波紋」や「スタンド」などの「架空の力」を持った人間たちが戦うという点で、現在のジャンプの多くを占める作品に影響を及ぼしている。
とくに、RPGでどんどんレベルアップするかのごとく強くなっていく「ドラゴンボール」に比べ、個々のキャラクターの能力を限定しその駆け引きにストーリー展開を絞った点が違う。また「強さのインフレ」をうまい具合に回避した作品でもあり、なおかつ主人公を変えていくことで、テーマの行き詰まりをも回避した(「主人公を変える」というのはジョジョ以外にはあまり見られないが)。

ジョジョと同時期にやっていた作品で、「強さのインフレ」にも「テーマの行き詰まり」の対処にも、ジャンプの歴史上最初に華々しく失敗したのが「幽遊白書」である。それまで、ジャンプ誌上で「マンガ家が行き詰まって連載中断」というのはあったかもしれないが(いちばん印象的なのは江口寿史の「ストップ! ひばりくん!」の尻切れトンボ具合)、いちおう完結させたのは「幽遊白書」が最初だと思う。
それはかなり捨て身的な方法で、ジャンプ内で「ジャンプパターン」とも言うべき「特殊能力を持った人間たちがトーナメントなどで戦いを繰り広げる展開」を、最初に相対化したという意味でも重要な作品だ。
心なしか、「幽遊」以後のジャンプというのは元気がなかったようにも思う。

で、「ドラゴンボール」と「ジョジョ」という巨大な「お手本」がある中での現在のジャンプ連載陣だという気はしている。少年ジャンプは超メジャー雑誌といっていいと思うが、その超メジャーな作品で「現代日本を舞台にしない」、「作品内ルールにのっとったファンタジックな戦いを繰り広げる」パターンが「王道」となっていることは、マンガ史においても、SFからもファンタジーから見てもかなり重要な点なのではないかと思われる。
他にも、ジャンプは80年代に他誌ならば「ダメ」と言われそうな、「大人が主人公」(「コブラ」、「こち亀」など)、「女性が主人公」(「キャッツ・アイ」など)、あるいは西欧風ファンタジーのマンガを掲載したりと、普通の少年マンガとしてもかなりの飛躍を許してきている。

そういう系譜があって、現在の「似たような感じのマンガ」のラッシュになってしまっていると思うが、まあ一種の伝統芸になっているんだろうね。

・その3
少年ジャンプは、「マンガ家になることの夢」を盛り上げた反面、盛り下げた面もある。これはコインの裏表で仕方がないことだ。
ここ20年でマンガ雑誌が増えたり、青年誌が確立されたりといった外部的な状況もあり、「少年ジャンプで好きなマンガを描いて大儲け」的ドリームはいったん疑問視された感はある。私の世代ではその時点でジャンプから離れた者が大半だろう。しかしまだその先があった、という感慨が自分にはある。

かつて「リンかけ」の頃の車田正美は、だれかに「少年マンガの地平線の向こうを見てしまった」と言われており、80年代の段階でジャンプにはどこか「崖っぷち感」が漂っていた。それは、ほとんどの新人を自分で発掘し育てているという点や、「人気がないと十週で切る」と言った背水の陣っぽい感じからも受け取れた。しかし、現時点で感じるのは、当時終末感すら感じさせた「ジャンプパターン」が、ますます磨き抜かれていっているということだ。

ここ数カ月間を見たかぎり、掲載される読みきり作品に過去の同誌ほど冒険作がないのが気になるし、「ジャンプパターンマンガ」にばかり頼っているといつかぜんぶ共倒れになってしまうのではないかという懸念はあるが、とりあえず広義の(非常に広い意味での)「ファンタジー」に関して、少年ジャンプはひとつの、とてもオリジナリティのある解答は出していると思う。
それを非常に興味深く思った。それをどうとらえていくか、というのはけっこう重要な気がする。今までジャンプのパターンって「伊賀の影丸」や山田風太郎との類似点は指摘されているが、それ以上細かく見ていった考察ってない気がするからね。
あったらゴメン。
(03.0514)



【テレビ】・「おはスタ」 新生ミニモニ。登場

公式ホームページは、まだリニューアル中。 新曲が出るときに必ず「おはスタ」に出演する新生ミニモニ。が、今回も「ミニモニ。数え歌〜お風呂ばーじょん〜」を歌うというのでひさしぶりに見てみた。

なぜか今回、ロクにリハーサルもしてないのか非常にバタバタした印象で、さらに「液体化したあけおが金魚鉢に入っていて、突然変化する」という、以前から続いているキモ悪い謎の設定を突発的に入れたせいでますますグダグダになってしまった。「液体化したあけお」っていう企画、私にはちっとも面白く感じられないんだけどなあ。ゾナーはもう出ないの?

さて、「ミニモニ。数え歌」の「デートばーじょん」を、この間の「ハロモニ。」で見たので、テレビで見た印象を「お風呂ばーじょん」と合わせて総合的に書いておく。
まず、だれもが聞いていちばんガックリくるか驚くかするのが、「数え歌」といいながら、本当に「ただ数えるだけ」という点にあるのではないだろうか。「1、2、3、4、5、6、7、8」と、本当にただ数えるだけなのだ。
いくら「ミニモニ。」がパンキッシュだからといって、これはパンク以前に「手抜き」なのでは……と思わざるを得ない。いや、ぜったい手抜きだと思う。「うーはー、恋の重低音〜」などの超くだらない言葉遊びをするつんく♂が、何もしなかったというのが不思議だ。
想像するに、夜中の3時くらいにギリギリになってコレをつくって、「もしかして、数え歌と言っておいてただ数えるだけ、というのが逆に、ある意味斬新なのでは?」と一人で思って、「自分だけ面白い世界」に入ってしまったのではないか。

衣装や振り付けの問題もあって、「お風呂ばーじょん」と「デートばーじょん」を別々にしか見られないというのも、物足りなさの原因のひとつだと思う。

それともうひとつ。「デートばーじょん」では、「お風呂に入って数えましょ♪」のところが「大切な人と待ち合わせ♪」となり、デートでまだ来ないボーイフレンドを待ちわびる歌詞になっている。
ミニモニ。は、今まで直接的に恋愛のことを歌うことはなかった。「ミニモニ。ひなまちゅり」でも、「いつかはだれかと雛壇へ」というふうに、「恋に恋する」女の子だったのだ。
「ロックンロール県庁所在地」のカップリング曲「おしゃべりすきやねん」では、「流行りの水着を着たい」、「バーゲンに行きたい」など、だんだん色気づいてきていたが(笑)、それが「デートばーじょん」で始めて具体的に「デート」について歌うことになった。

つまり「お風呂ばーじょん」では低年齢層、「デートばーじょん」では恋愛に憧れはじめた女の子、ないしアイドル好きの野郎どもをターゲットにしているということだ。
「野郎ターゲット」ということに関しては「お風呂バージョン」も周到で、パジャマ風の衣装は今まででいちばんキュートなデザインである。
ミニモニ。は、もともとカワイイが「グロテスク一歩手前のかわいさ」を暗黙のウリにしてきていた。「ミニモニ。」について、興味のない人でも感じる「なんだこりゃ感」はそこに起因していたのだが、今回の新曲では普通にキュートなイメージである。
これに「恋愛の歌」がからんでくるということは、「ミニモニ。」の対象年齢を心持ち上げようという意図があるのだろうと思う。

で、この「対象年齢の引き上げ」や「キュートさ、いわゆる『萌え』路線への移行」の原因は、何かマーケティング的な意味合いがあるのかもしれないが、素人目に見て考えられるのは高橋愛の加入だろう。
もともと手足を大きく見せて頭身を低めにイメージさせていた初代「ミニモニ。」とは違い、高橋愛は顔も小さいし、中学生だが比較的女らしい体形をしている。反面、他のメンバーのようにハジケたところはない。
つまり、キュート路線、萌え路線になるとするならば、それは「高橋愛シフト」であるといっていいと思う。

「ハロモニ。」でも高橋愛の優遇され具合は他の同期と比較しても破格であり、その期待のされ方は相当なものがあるが、果たして高橋が次代のエースになれるのか!? は、実は私のまったく興味のないところだったりする。
(03.0514)



・「週刊少年ジャンプ」18号(2003、集英社)

たまったジャンプを読み続けているが、まだ現在にたどりつかない。まともな感想としては、2000年の48号以来か。

・「闘神コウ 〜暗闇にドッキリ!〜」加地君也が新連載。「鬼」に殺された広瀬鋼が、鬼退治の呪術師・骸練師の少女、芦屋路蔭によって「闇神」となり、悪い鬼をやっつける、という話になるらしい。

本作そのものは、連載第1回目ということで評価のしようがない。だから以下は、本作と直接はリンクはしない、私の素人レビュー人生における疑問混じりの考えだと思ってもらっていい。

1話完結の特撮モノとか「水戸黄門」とかを見ていると、いわゆる「ベタな表現」が見受けられる。マンガや映画でもあるが、尺が短い中にまとめなければならないせいか、ことさらにテレビドラマやアニメにより強固な「パターン」が存在する。
たとえば「水戸黄門」だと、旅先の名物のまんじゅうかなんかをつくってる家があって、そこで親父と息子がケンカしていて商売がたちゆかなくなっている、そしてできたお嫁さんが間に入って悩んでいる……なんて話はよくある。

「にせの恋人」のパターンも、完成されている。たいてい脇役キャラのお母さんが田舎から出てくることになって、手紙で「恋人がいる」とウソをついた脇役キャラが、主人公たちに頼んで「恋人のフリ」をしてもらうことになる。
気のいい仲間たちは全員で脇役の母親をだまそうとするが、何度もバレそうになり、やっとのことでとりつくろって母親を送り出す。
すると、母親から「あなたに恋人がいないのはわかっていました。でもだまそうとするのは私を思いやってのことだったのですね。友達を大切にしてください」などという内容の手紙が来て、一同ウソがバレていたことを知る。

これは、ラブコメの「なかなか進展しない二人」に設定すると、「恋人のフリをしたことによってお互いの気持ちが少し近づく」という1エピソードにもなるので使い勝手のあるパターンだ。

「お見合い壊し」の話というのもある。田舎から出てきた母親に、ムリヤリお見合いさせられそうになったキャラクターが、仲間に「お見合いをブチ壊してくれ」と頼む。
これはオチのバリエーションがある程度つけられて、「お見合い壊し」を頼んだキャラがいざお見合いにのぞんだらその気になってしまい、それがブチ壊されてガックリくる、ブチ壊されたお見合いによって相手が「本当のあなたを知ることができた」とかいってますますホレてしまう、なんてこともできる。
「頼んでもいないのに、仲間が気をきかしてお見合いを壊す」場合には、お見合いがブチ壊されることによって、壊した相手が自分を好きなことを知る……というのもあるな。

とにかく、完成されたパターンには新味はないが破綻もなく、安定した物語が楽しめる。
しかし、こうしたパターンは時代とともに変遷していく。たとえば「貧乏なみなしごが、苦難に耐えているうちに大金持ちの両親が現れて幸せに」なんて、現在では「ベタ」としてもちょっとありえない(ただし、物語としては安定していると言える)。

さて、以上は「プロット」のパターンだが、キャラクターやその関係性にもパターンはある。「戦隊もの」で、熱血、キザ、デブ、紅一点、みそっかす、なんていうパターンがあるのはだれもが知るところだし(実際にはここまでベタなものは最近ないが)、これはお互いの関係性が安定しているからこそ、でもある。
このバランスに違うものを導入すれば、また違う展開になるだろう。

このように、「パターン」はさまざまな要素の組み合わせであるといえるのだが、最近非常に気になることがある。
それは「パターン」というものを根本的に理解していないまま使っているマンガがあるのではないか、ということだ。

たとえば「スポ根熱血マンガ」の、パターンだけを理解して「こういうものなんだろう」みたいなことしか考えずに描くと、一歩間違えるとただの「しごきを描くだけのマンガ」になってしまうし、「恋愛もの」もカン違いして描くと、キャラクターがものすごく自分勝手に描かれてしまう場合がある。
ここで「本質を理解していない」とは書きたくない。すぐ精神論につながってしまうからだ。精神論けっこうだが、それは現場で交わされるやりとりで展開されるべきものだろう。

で、そうした作品内のバランスに関して、だれも気にしている人がいるようすがないのが不思議だ。私が知らないだけなのか。
それにいつも悩む。

たとえば本作(やっと本題か?)だが、第1話にかぎって言えば「まがったことが大嫌いな広瀬鋼」と、彼をそそのかして「闇神」にした「金のことにしか興味がない」芦屋路蔭のコンビという「パターン」にのっとっているわけだが、最初から違和感がある。
路蔭が本当に金のことにしか興味がないとしか見えないからだ。
これは、呪術について絶対的な主導権を握っているという、主人公・鋼より圧倒的に有利な立場にあるという設定なのだからマズくないか?

バランス的に言えば、「金のことばかり言っているがそれはポーズで、実はものごとの正邪については鋼と同じ考えを持っている」とするか、「金のことしか考えていなかったのに、鋼によって感化される」とするか、あるいは「金の亡者である」という設定を貫くなら、パワーバランスとして鋼の方を強くしなければならない。
「浮世離れした正義感を持つ主人公の手綱を握る、現実的なパートナー」というのなら、バランスがとれるからだ。

いちおうクライマックスで「金だけじゃない」的なことを言うが、オチで「お金大好き」に戻ってしまうのでけっきょく同じことだ。

この辺のバランス感覚は、精神論であるとか、マンガにかける情熱とか、そういうのとはまったく別次元の問題だろう。
ヘタをすると「鋼の正義感を利用しているイヤな女」にしか見えなくなってしまう。

おそらく「犬夜叉」とか「うしおととら」あたりの影響があると思うのだが、「犬夜叉」の場合は「本来力の強い主人公の手綱を、女の子が握っている」という意味があると思うし、初期の「うしおととら」に関しては「邪悪で強大な力を持った『とら』を正義感を持った少年が使役する」という設定があるから良かったのであって、「金の亡者で圧倒的な主導権を握っている」呪術師が、愛する女の子のために鬼となった主人公を使役するのでは何の救いもない。

こうした「ベタなパターンを踏襲しているにも関わらず、どうにもこうにも違和感が残る」作品をよく目にするようになって、それがなぜなのか、そういうのが増えてきているのか私自身の考えが変わったのかはいまだにわからない。
(実は「キャラクターが素でけっこうヒドいことをする」のは、手塚治虫にもけっこう見られる現象なんだけどね。ブラック・ジャックなんか、テキトーに生きているとしか思えないよ。)

せっかくの新連載にミソをつけるようなことを書いてしまったが、繰り返すが「闘神コウ」という作品そのものはいまだ未知数だということは強調しておきたい。

「みんなで暮らせばいいじゃない」ゴーギャンは、ギャグマンガ。読みきり作品。借りようと思っていたアパートには妖怪がたくさん住んでいて……という話。ここ1カ月くらいに掲載された読みきりの中では、いちばん面白かった。ただこのペンネームはいかがなものか。
(03.0513)



・「パチスロ7Jr.」 6月号(2003、蒼竜社)

「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、ハードボイルドな主人公が体調不良などで弱っているときに、いろんなことに対しどういう態度をとるかみたいな話、だろうか。
本作の「夢オチ」ならぬ「夢はじまり」はいつもスゴイ。悪夢はじまりというか。
原作付きなんだけれども、主人公の夢を回想するシーンが絵のみで表現されていたりと、マンガとしては文章でなく絵で表現していく感じがいい。それと、飯塚はあいかわらずおいしいところを持っていく。

「SLOCA(スロッカ)」押山雄一は、連載第7回。実はいまだにスロットをカード化することの意味がよくわからないのだが……より対決ものとしてちゃんとしたいということなのか?

大阪に来た翔が、名古屋でしてやられたコテツにリベンジ。今回出たカードは「高値安泰・高確専用」、「Aタイプ仙人現る」、「サンタが教えにやってくる」。どうでもイイが、私はこの作者の描く女の子キャラクターがけっこう好き。
(03.0512)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

5月11日放送分。
保田圭卒業&6期メンバーお披露目特集として、最後のライブの舞台裏を追ったドキュメンタリーが主。ちなみに、私は実際の生ライブは見ていません。
てっきりライブのダイジェストになると思っていたら、どうせDVD化されるからか表舞台はほぼバッサリ切り、ネットなどで見るかぎり有機的には何らつながりのない保田卒業と6期メンお披露目を「保田と6期が食事をしながら話をする」、「観覧車に乗る」などの企画を織り交ぜて、意味を持たせようとした構成には感心した。
ネットでの感想を見ると「ライブでの6期メンバーの登場のタイミングが悪すぎる。あれではかわいそうだ」という意見が多いのだが、今回の「ハロモニ。」を見るかぎりではその不自然さはない。

保田の卒業は、今までのだれの卒業とも意味合いが違って、涙、涙の中にもどこか爽やかな印象。将来性に関しては、後藤真希などと比べても(悪いが)不安材料は多いと思うのだが、「卒業」というイベントとしての悲壮感は不思議なほど、ない。

で、もともとコント目当てに見ていた「ハロモニ。」、今回のドキュメンタリータッチの構成に不覚にも感動してしまっていたのだが、ネット巡回していると「保田に現メンバーが別れの言葉を言うシーンで、実際には藤本美貴はあきらかに飽きてふてくされてた」と書かれてあって、「嗚呼、感動して損した」と思った。
まあもともと藤本のモー娘。加入に関しては、たとえるなら早稲田大学におっこって慶応大学に入った女が、2年生になって「やっぱり慶応を中退して早稲田に入って、1年からやり直せ」と言われているようなチグハグ感が漂うため、藤本のスタンスにしょうがない部分はあるとは思うよ。

けれども、だからといって「全員が感動しているシーン」にシラケた態度をとっちゃマズいでしょ。まあ藤本本人は好きなようにやればいいし、ものすごいファンの人は藤本が何をしてもフォローしてあげればいい。けれども、そういう贔屓目なしに、単に態度がよろしくないのを「トンガってる」と賞賛するというのは受け手としてひねくれすぎていると思うね。

それはエンタテインメントを見すぎることから生じる罠だと思う。「凡戦」と言われた猪木アリ戦を過剰評価するような態度に近い。

まあそこら辺のすれっからしハロプロファンの態度が、私自身が「モー娘。(ハロプロ)は猪木的方法論、秋元康は馬場的な方法論」という仮説を裏付ける傍証にはなったと思うんだけどね。

……というわけで私の感動も消し飛んだ。やっぱりミキティーはミキティーだな。番組中、いよいよ6期が登場というシーンの舞台裏で、ズブの新人の子2人が「だんだん不安になってきた……」と手を握り合わせているところに、藤本が「不安な2人が手を握りあっちゃマズいんじゃない?」的なことをニコニコしながら言って、その場をほぐそうとしていたのがいいシーンだなあと思っていただけに、なんというか「『裏』藤本」みたいのを賞賛するテキストを読むんじゃなかったと思った。

私はもともとアイドルミーハーなだけなので、洋楽好きから入っていった人なんかとは微妙に肌合いが違うんだよね。アイドルというのは本来保守的なもので、「今、ここ」にあるもともとの状況やマテリアルがどうにもならないから何かするんだ、というところから出発しているのがハロプロだと思っている。
それは、広い意味での「ロック的」というより、もっとずっと泥臭いものだと思うんですよね。誤解を恐れずに言えば「歌だけじゃ目立たないから踊りも踊ります、コントもやります」みたいなことを大規模に、計画的に展開しているという印象で。

むかーしだれかが言ってた、「森高千里はある意味ロックだ」みたいな、そういう感性は私にはあんまし理解できないです。別にロックじゃなくてもいいじゃない。なんでいつも賞賛の基準がロックなんだ?
そういえば「制服向上委員会」をロックと結びつけた文章をどこかで読んだことがあったな。そんなの、別に特撮ヒーローものがSFでなくてもいいのと同じことだと思うんだけど。

確かに送り手の中に不条理とか理不尽を抱え込んだ方が「芸能」っていうのは光ってくる部分はあると思う。それは保田の卒業そのものにも言えるし、藤本のふてくされ(まあ私は直接見たわけじゃないから、そういうのが本当にあったと仮定して)にも言えると思う。
けれど、受け手、観客がそういったことをどこまで斟酌してやるか、というのはハロプロみたいなまったくの大衆相手の芸能の場合、意見は分かれると思うよ。実際、高部知子なんてけっきょく芸能人としては「斟酌しない大衆によって」壊されてしまったわけだしね(まあ時代背景とやったことの規模は違うけどさ)。

あーあ、なに長々書いてんだろ私。

「ハロモニ。」の話に戻る。緊張感のある「卒業&新メンバー追加」企画なのに、「ハロプロNEWS」はしっかりやっていたのは賞賛に値する。いつの間にか「お茶の間に、突然チャーミー石川というキャスターが現れる」というシュールコントみたいになってしまっているが。
風邪気味の高橋愛が、力が抜けていい具合になってました。でもまた治ったら元に戻っちゃうんだろうね。無意味なヒキにも笑った。
(03.0512)



【小説】・「ミニモニ。におまかせっ!」(3)嵐のファッションコンテスト 楠未莉(2003、竹書房) [amazon]

「ミニモニ。文庫」第3作。ミニモニ。を主人公としたフィクション。文庫と銘打っているが、B6判。
表紙や口絵はコゲどんぼ、本文イラストはあまぎゆう、今回から各章の扉イラストに杉本海という人が参加している。

ミニモニ。のイベント企画で、衣装デザインを一般公募することになった。「ファッションコンテスト」で優勝した作品をミニモニ。が着てステージに立つ。最終審査に残ったのは小泉つぐみと橘カンナの作品。しかし、カンナには何やらあやしげな「気」を感じさせるものがあって……。

かなり前に出たがやっと読んだ。ここへ来てパターンを把握できるようになった。以前も書いたと思うが、早い話がミニモニ。で「セーラームーン」や「東京ミュウミュウ」みたいなことをやろうという企画意図の作品である。毎回、ミニモニ。のメンバーが不思議な力で邪悪な「気」を持った敵と戦う。
1巻から矢口メイン、辻メインと続いて今回は加護が主役。もう少しさくさく読めるといいが……さすがにファッションの描写は細かい。

・1巻の感想

・2巻の感想

(03.0511)


【小説】・「ミニモニ。におまかせっ!」(4)ミニモニ。VSブラモニ。(前編) 楠未莉(2003、竹書房)  [amazon]
【小説】・「ミニモニ。におまかせっ!」(5)ミニモニ。VSブラモニ。(後編) 楠未莉(2003、竹書房) [amazon]

「ミニモニ。文庫」の4作目と5作目。ミニモニ。を主人公としたフィクション。文庫と銘打っているが、B6判。5作目でいちおうお話は完結。
表紙や口絵はコゲどんぼ、本文イラストはあまぎゆう、各章の扉イラストに杉本海。

ミニモニ。のラジオ番組でかかる後ろに、ミニモニ。の新曲がかかっている、というウワサが流れる。それは謎のユニット・ブラモニ。の曲だった。
ブラモニ。の曲は、メロディはいいが聴いた子供たちは洗脳されたみたいになって笑わなくなってしまう。ブラモニ。の背後には邪悪な存在がいて、彼女たちを操っている。ミニモニ。と、マネージャー(実は陰陽師)の結城正義は、子供たちの笑顔を取り戻すためにブラモニ。と対決することを決意する。

非常に東映特撮、ないしはアニメな話ですな。いわゆる「スパイダーマン・ブギ」というか、戦隊シリーズで1話は必ずありそうな「映像や音楽を通じて人々を洗脳してしまう悪人」が出てくるパターンです。
よくも悪くも小学生向けというか、とくに破綻はないんだけれど5巻ぜんぶ読んでみると、この作品の主人公がミニモニ。である必然性がもう少し欲しかったな〜というか。キャラクターの描き分けはよくできてますけどね。あと徹底して前向きに行こう、というテーマもいい。
けれども、せっかく「ブラモニ。」というライバルが出て来るんだから、「陰陽師」的な超能力対決じゃなくて、クライマックスをお客さんを前にしての歌って踊っての対決にした方が良かったのでは……と思いました。けっきょく超能力で決着が付いちゃうんだよね。それはそれでちょっと驚いたけど。

本作の世界観としては本体「モーニング娘。」は存在しないことになっているらしく、4巻で登場する高橋愛は「ミニモニ。と同じ事務所のレッスン生」ということになってました。
5巻での、矢口の卒業の決意と高橋加入、次期リーダーがミカに決定という過程がすごく唐突。もうほんとにいきなり。

まあ個人的には、これで昨年末からの「ミニモニ。矢口脱退、高橋愛加入まつり」がひととおり終わった、って感じですかね。映画、マンガ、小説でそのことが描かれたっていうのはアイドル史としても珍しいですよ。
本人役で出てきてフィクションが進行するというのも、日本じゃあんまりない気がします。「ザ・モンキーズショウ」とか思い出すね。古いけど。
(03.0511)


【雑記その6】・ミニモニ。数え歌、ミュージックフェア

・「Mステーション」で、最近タモリが女性ゲストに、話題に詰まると「大浴場に入ったときタオルで前を隠すか隠さないか」という質問をしている。
辻は「桶で隠す」と言っていた。あの「ケロリン」のやつじゃなくて、取っ手のついている桶だってさ。

・で、その辻も入っている新生「ミニモニ。」の新曲「ミニモニ。数え歌〜お風呂ばーじょん〜」だが、今回の「お風呂ばーじょん」が辻メインで、その後に続く「デートばーじょん」が加護メインで歌うらしい。リーダーのミカの立場は……。
タモリとのトークの並びでも、辻・加護がいちばんタモリに近くて、次に高橋愛、ミカがいちばん遠かった。最近、もしかしたらミカは日本語がうまくできない点がネックなのでは、とかなりシビアなことを考えた。
肝心の歌だが、ミニモニ。ではじめて「ああ、今回はどうでもいいや」と思ってしまった。でも「デートばーじょん」と呼応しているはずなので、そっちを聞いてから判断しようと思う。とりあえず今回だけでCDを買う気は起こらない。

「ミュージックフェア」なんてふだんまったく見ないものも、たまたま見てみた。
尾崎亜美、中澤、保田、矢口、藤本美貴、おけいさんと安倍なつみ、小室等などが出演。新聞のテレビ欄に「コムロ」って書いてあって、テレビ見て小室等が出てきて笑った。坂本教授も、小室等も、小諸諸島でも持ってねえ!

やはり尾崎亜美の歌唱力のリードっぷりがすごく、若い子たちがついていけるかどうか内心ハラハラして見ていたのだが、あの「おけいさん」っていう人の歌唱力ってどうなん!? デュエット相手の安倍なつみが自信満々なのは、この「おけいさん」の歌唱力の微妙っぷりに理由があると思うんだけど。
まあ私はこのヒトが所属していた「六文銭」というバンドも知らないし、歌手の「歌唱力」という点においては、「別に従来の意味でうまくなくてもいい」という価値観が、この「おけいさん」が若い頃から始まっていたんだということに思いをはせるのみですね。ユーミンだってそんなに歌うまいわけじゃないしね。
「歌唱力」に過剰に依存する歌手というのも、かえって古く見えてしまうことすらあるからね。

同じことを何度も書くが、深作欣二の映画「ドーベルマン刑事」のジャネット八田がすごいんだよ。その歌が。今、ああいう歌い方をする人、いない。なんだか情念がこもってるんだよ。映画内でも歌手の「歌唱力幻想」が生きているんだけどね。なんでこの映画、評価低いかなあ。
なーんて、関係ない話で終わり。
(03.0511)



【小説】・「関ヶ原」 司馬遼太郎 (上)(中)(下)(1966、1974、新潮文庫) [amazon]
←これは合本というか、1冊まとまってるやつです。

司馬遼の「新史 太閤記」を読んで面白かったので、古本屋で買ってしばらく積ん読にしておいた本書も読んでみた。しかし、読了に1カ月近くもかかってしまった。
私にとって理由は明白で、西軍・石田三成と東軍・徳川家康では勝敗が決まっているからである。これで歴史が変わっちゃったら永井豪の「ズバ蛮」[amazon]だ。

しかも、作者の筆致では石田三成は優秀だがきまじめすぎ、視野がやや狭くて、家康は一枚上手の謀略家として描かれているから、合戦の準備の段階からどちらが勝つか、一進一退、どうなるうむむむむとはならない。上巻の段階ですでに三成は押され気味であり、それがほぼ最後まで続く。
これはバランス的にどうか、と言わざるを得ない。まあ現実がそうだったんだろうが。
余談だが「真田十勇士」というのがあった。子供の頃、劇画になったのを読んだが、十人も勇士が集まっていておいて、最後は負けて全員死ぬのである。つまんなーい!! どうも昔の人の美学というのはわからん。

もうひとつ思うのは、登場する戦国武将の現代感覚である。とにかく合理的で「いかに生き残るか、家を残すかしか考えてない」ように描かれている。しかし、よく読むとわかるように、「当時は珍しかった」などと書かれつつ、主君のために腹を切ったり討ち死にしたりする武士もけっこう出てくる。しかし、作者の観点は一貫していて、「合理性を重んじる部分」にスポットを当てている。

そういう観点で最も徹底して描かれているのは家康だが、最後の方に「(刀の)村正は徳川家にとって不吉」と機嫌が悪くなるシーンなどがあり、矛盾している。
時代小説のことはよくわからないが、このあまりの「合理的人間」として歴史上の人物を描く方法に対する反動が、80年代に伝奇的時代小説を増やした一因になったのでは、と思う。

本作は1966年発行になっている。司馬遼太郎が学生運動についてどう考えていたかは浅学にして知らないが、66年という時期に徹底した合理的人間・家康と、合理的ではあるが多少「大義」といった観念的なものにひかれている三成との対決を描いたことは、意味があったに違いない。

現在、たとえば夢枕獏の「陰陽師」が人気作品になっている。ヴァイオレンス伝奇アクションのブームは80年代から続いているが、これらは「合理的な人間」とはかけ離れた世界観、人間像が描かれる。
あの世とか、過去とか、何十年も前の先祖とか、死者とか、そういった「かたちのないもの」を立脚点として生きていく人間がよく出てくる。

カンだけで書いているが、これは司馬遼太郎的歴史観に対する反動かもしれない。
もっと正確に書けば、もともと武士道とか儒教道徳とかいったことに縛られた歴史小説、時代小説があり、その反動で司馬遼太郎が合理的思考をする人間の話を書き、さらにその反動で70年代以降の伝奇ものがあるのではないか、と思ったりした。
まあ山田風太郎は、関係なく同時代にいたのかもしれないけど。

もうひとつ、60年代、70年代には戦術とか戦略的にどうあるべきかが、どういう思想をどれだけ信じているか、どれだけ信じさせるかという問題にすり替えられてしまう場合があったと思うが、司馬遼太郎自身はそういうのはあまり好きではなかったと思う。
で、伝奇小説の一部にはそうした戦略論、権謀術数を「理念」にすり替える、よく言えばロマンチシズム、悪く言えばセンチメンタリズムがあるのではないかということを思った。
たとえば「信長の霊を蘇らせて世界を支配してうんぬんかんぬん」という話があったとして、そこには合理的人間でない信長像を描く意味はあるが、同時に「信長の霊が蘇ればすべてひっくり返る」的な、歴史の単純化がある。まあ出来の悪い伝奇小説の場合だけどね。
しかし、80年代に現代思想の本を読んでいたら「伝奇小説」が一項目立てて論じてあったことにちょっと胡散臭さを感じたので、私の言っていることもあながち的はずれではないと思う。

本作は家康を悪者っぽく書いているけれど、部下の信頼は篤かったとも書いてある。矛盾なのだ。顕教と密教という言い方があるが、果たして優れた戦国武将はみな、顕教と密教を分けてさまざまな宗教儀式を行っていたのだろうか? 家康がまったく怪力乱神のたぐいを信じておらず、無知蒙昧な下っ端武将や農民だけがそれらを信じていたということはあるまい。
その辺、本作に限って言えばはなはだ曖昧である。

まあそんなことどうでもいいですけどね。それにしても、検索したら関ヶ原の合戦を題材にした架空戦記ものが何作かあることに驚いたよ。
(03.0510)


【雑記その5】・「グリーンマイル」、週刊少年ジャンプ

映画「グリーンマイル」をたまたま見た。つまらなかった。長かった。ネットで感想を検索したら、多くの人が「つまらない、長い」と書いていたので救われた気分になった。
これってキリスト教圏の人間であることが、視聴の最低条件のような気がする。要するに看守が救世主を死刑台へ送り出す罪を背負って生きていかなければならないという話でしょ。日本人で同じプロットを考えつく人間はいないのでは。
それと、長い。超能力だろうがお涙ちょうだいだろうが、「ま、こういうのもね」と思える私だが、その限度を超えたのは2時間を過ぎたあたりからであった。2時間を過ぎると座興も許されないと思えてくる。ひさびさに「見て損した」と思った。
あと、テレビのCMでもよく刑務所内で飼われているネズミが出てきていたが、現実にありえないほど芸をするネズミなんで超能力と関係あるのかと思ったら、本当にそういう賢いネズミだった。そんなわけない。

キングは1冊しか読んだことがないが、映画化されたものを見ると「残酷と隣り合わせのファンタジー」みたいなものを描くときがあると思う。「スタンド・バイ・ミー」もそうだし本作もそう。それはひとつ間違えれば非常に悪趣味にもなる。本作もそんな感じ。
なお、大男の黒人役の人が「デアデビル」での街の顔役・キングピンをやっている人で、映画を見ている間中「あ、キングピンだ。いつ腕力で脱走するのだろう」と思っていたらしなかった。
主人公の看守は44歳でセックスやりすぎ。サディストの小男看守、これがアメリカ人の典型的なサディストのイメージなんだろうね。立場が逆転すると情けなくなるサディスト、幼女姦をするアブない犯罪者、こういうステロタイプな犯罪者イメージって話は飛ぶけど「児ポ法」がフィクションにまで手を伸ばす遠因なんだろうね。日本だとまたちょっと違うもんなあ。逆にアメリカだとこういうキャラ造形自体、一種の伝統でしょ。

「週刊少年ジャンプ」を買って読まずにためていたらたまっちゃって、やっと16号まで読んだけど22・23号までまだまだだよ……あ、「ジョジョ」はヒトにネタバレされるとイヤなんで最後まで読んじゃったけど。
ヒトが言うとおり、わけわからなかったね。
神父のスタンドが「時間を加速させる」のは生き物以外なのに、なぜ神父はその世界内でその時間の速さで動けるのか? 「スタンドだけが素早く動ける」と解釈したとしても、イルカの泳ぐ速度に神父もそのスタンドも追いつけなかったのはおかしい。
「生き物以外は時間が加速しない」のに、加速しすぎて時間が一周してしまったというのもワケがわからないよなあ。あ、時間加速の混乱で人類が滅亡しちゃって、それでやり直されたってこと? まあそれなら納得行かないではないが……。

「いちご100%」は単行本で読むから飛ばそう(単行本で読むんだ……)。
(03.0509)



【雑記その4】・「モー娘。保田圭・卒業」

「モーニング娘。」から、5月5日のさいたまスーパーアリーナのコンサートをもって、メンバーの保田圭が卒業したらしい(「らしい」というかぜったいしてるんだけど)。
それについて一文書いたが、私はもともとものごとを斜めに見るように習慣づけられている(実は生来的にそういう人間ってわけじゃないと思うんだけど)ので、非常に突き放した文面になってしまった。
しかし、ネットを巡回してみるとコンサートを終えた後の「感動のテキスト」があまりに多いので、恐くなってアップするのをやめました。もう少し経ってからするかもしれないけど。

コンサートについてのネット上のテキストを読んで知ったのは、今回「赤いサイリウム」で会場をいっぱいにしようという計画があったそうだ。保田の好きな色が赤だかららしい。で、その計画は成功した。
発案者は8000本くらい赤いサイリウムを購入して配ったらしい。その行動力はスゴイと思った。
「他のことにエネルギーを使えばいいのに」と半笑いで言うようなやつの発言に耳を傾ける必要はない。ただし、そいつが他のくだらないことにエネルギーを費やしている場合は、ファニーなのでよしとするが。
酔っぱらって自動販売機を壊すのと、出張先で奥さんの目を盗んで女遊びすることだけが楽しみのつまらないヤツの言うことなんて聞くことないね。ガラスのジェネレーション。

もうひとつ興味深いのは、おそらくネットで広めたであろうこの計画を、「まったく知らなかった」、「とくに気にしていなかったら会場ですごいことになっていた」という発言をチラホラ目にしたこと。
おそらく、「娘。」ファンのコミュニティがいくつか存在し、発案者と強い関わり合いがあるところとないところで温度差があったということなのだろう。
なんか突き放した書き方ですいません。

私は基本的には保田みたいな人はグループに必要だと思っているので、卒業は残念です。歌唱力もけっこうあったしね。

以上、「矢口のセクシービームでゲラゲラ笑ってる場合じゃないのかも」と思って書いてみたテキストでした。
(03.0508)



【テレビ】・「セクシー女塾」に矢口登場(2003、テレビ東京)

セクシーな女を目指し、石川梨華、斎藤瞳、藤本美貴、里田まいがさまざまなどうでもいいことに挑戦する月〜金の帯番組。仕事の都合なのか、藤本美貴が抜けた。
で、新しく入るのがだれかと思ったら……矢口真里だーっ!!

矢口「セクシー ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーム!!」

ぎゃはははははははははははははは。
ぎゃはははははははははははははは。(喜んでいる私)

いや、サイコー。これは嬉しい誤算だったね。もうこんな関西仕事、やらないと思ってたから。え? 「ミニモニ。」も関西仕事? だけど、動く金の規模が違うと思うんだ。基本的に。
あらためて、矢口のアイドルコント能力の高さに舌を巻いた。注意してほしいのは「コント能力」ではなく「アイドルコント能力」ということだ。たとえば矢口が「笑う犬」や「めちゃイケ」に出て、実力を発揮できるかというとそれはわからない。かといって逆に雛形あきこにアイドルコント能力があるかどうかというとわからないのと同様のことだ。
しかし、相対評価をされるハロプロの中で、矢口は確実に特異なポジションを占めていることを確信した。

たとえば矢口は、ボケることはあまり得意じゃない。たまにボケても微妙にシモネタだったりする。だからあくまでもボケでは加護・辻が2トップなのだ。が、矢口がツッコミかというとそれは正確ではない。この「セクシー女塾」を見ると顕著なのだが、矢口はとにかく徹底して「やりきる」のだ。
この「やりきる」態度は、逆に言うとおちゃらけることができない、という不自由さなのかもしれない。矢口が「自分は演技が苦手」と言うのも、「やりきる感じ」が出てしまうからだと思う。しかし、コントにおいてはやりきったところにかわいさ、面白さが出てくる。

こうして考えると初代ミニモニ。のファンタジー空間というのは、加護・辻がボケて、ふざけて、その上に矢口がくそまじめに、まっちょうじきに「やりきる」ところに完成していた。その「やりきる」感じがあまり融通のきかないミカをもフォローしていたことが、矢口が抜けてからありありとわかる。

「セクシー女塾」内では、キャリア的にも矢口を持ち上げて他を下げる展開になると思うが、これはある意味当然である。というのは、矢口はセクシーかどうか以前に「アイドルコント」の場数を非常に踏んでいるからだ。
ここらあたりを、どうも後ろに引きがちな里田まいなどは学んでほしい。

【テレビ】・「セクシー女塾」終了 (2003、テレビ東京)(03.0928)

(03.0507)



【雑記その3】・コミティア終了

おかげさまで好評のうちに終了しました。気楽院さんに手伝ってもらい、持っていったものはあらかたハケました。日記を読み返すと、毎回5月コミティアっていうのは元気がいいみたいです。逆に、2月は毎年ダメっぽい。

今回は、事前には気づかなかったけど新田的には非常に重要なイベントだったのではないかと思いますね。終わってから気づいた。そういうこともある。

10年かかって気づいたこととか、いっぱいありますからね。「10年かかって気づいたのかよ」とか言う人もいると思うけど、そいつが私の人生、代わってくれるわけじゃないしね。
すごくねえ、この数年間というもの思い悩んでいたこととか、ブレイクスルーしていったってところはあるね。人にとっては小さな小さな感覚だろうけど、繰り返すけどそいつが私の人生、代わってくれるわけじゃないから。

WAIWAIスタジオみたいなサークルを野放しにしてくれているってことに関しては、コミティアに感謝してます。
(03.0507)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第11話「アバレサイキック。ブヒっ。」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

4月17日放送。
「恐竜や」にやってきた笑里は、いつになく沈み込んだ様子。聞けば親友・若菜がおかしいらしい。突然よそよそしくなり、勉強ができるようになって超能力も使ったという。
若菜が通う「大天才予備校」に秘密があるらしい。アバレンジャーの3人は潜入捜査をもくろむが……。

きちんとしているんだかしていなんだかわからない伏線がおかしかった。「超能力を使ってでもいい点をとりたい」と言い出した若菜が改心する過程が強引だったけど、「アバレ」の場合説明的なセリフが変なところできっちりしているせいで、他の部分が少々ずっこけても許せてしまう。あるいは、歯の浮くようなセリフも。

笑里役の西島美智は、水着のビデオなんかも出しているんだね。ふーん。
学生のなりをして予備校に行くシーンで、らんるがセーラー服を着て「まだまだ現役たい!」と九州弁みたいのを使っていたのでネットで調べたら、らんる役のいとうあいこは神奈川県出身だそうだ。謎。
ちなみに「ガオレン」のガオホワイト役の竹内美生は最終回で謎の方言を使っていたが、徳島出身だそうだから徳島弁だったのかもしれない。

いとうあいこの話に戻ると、第6話「アバレアイドル老け娘」で出てきた劇中アイドル・リリアンの歌っていた「ベラカミ」は、セクシーユニットD★shuesの歌だったが、いとうあいこもこのユニットの一員なんだよね。正直、気づかなかったよ。参ったな。

若菜役の藤原ひとみは、「おはスタ」前の「プレスタ」に出ていた女の子ですね。もう女子高生役とは、月日が経つのは早い。
(03.0507)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第12話「アバレノコギリ、京都を斬る!」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

5月4日放送。
京都では、深夜、地中から巨大な回転円盤が現れ、神社仏閣などを次々と切断していた。エヴォリアンの匂いを感じた凌駕たちは、すでに現地にいるアスカを追って京都へ。

果たして、巨大な回転円盤の正体はジャンヌに操られた爆竜・ディメノコドンであった。ディメノコドンは、映画村の門を破壊すると街へ飛び出してしまう。アバレンジャーたちは後を追うが、なんと別方向からギガノイド「時計」が現れた!
「時計」の力で江戸時代にタイムスリップしてしまったアバレンジャーの3人は、さんざん侍に追い回されたあげく「お城から逃げ出してきた」という笑里ぽんソックリの笑姫に出会って、次週へ続く。

太秦の撮影所を使ったお遊びが楽しい回。こういうのにテもなく喜んじゃうタチです。私は。青影の「だいじょうぶ」は出るわ、大五郎は出るわ……。
この感想を書いていて気づいたのだが、脚本の荒川稔久はシリーズ中ほとんど必ず「お嬢様かお姫様が堅苦しい家から逃げ出し、主人公の元へ転がり込む」話を書くというが、今回がその話じゃないか! と嬉しくなってしまった。私もそういう話は好きな方なのでね。「燃えろ! ロボコン」で、ロビーナちゃん役の加藤夏希が二役をやったお嬢様のエピソードも好きだったしなぁ。
(03.0507)



【雑記その2】・コミティア新刊

・コミティアのチケットが届いたときは「今回はムリだわ」と思っていた新刊だが、なんとかつくった。
「ぶっとびマンガ大作戦」Vol.7。たぶん100円。ぜんぶウェブにアップしてない書き下ろしなので、みなさん買ってください。図版が多いからコミケでは売らないかもしれないんで。

コピー誌中心の私としては、「キンコーズ」の存在を今まで知らなかったのが悔やまれる。「キンコーズ」の存在によって、省力化が大幅にできるようになった。ただし、今日行ったところの女店員の愛想が悪く、それだけならいいのだが後から入ってきたちょっと軽い感じの男には笑顔を振りまいていたので、非常に不愉快になった。
自分が将来スラムキングになったら、「イカの塩辛だけを気持ち悪くなるくらいたくさん食べるの刑」に処したいと思う。しかも公開処刑なのでキツいと思う。テレビ中継される。司会は徳光。
はあ〜あ、こんなことばっかり言うのやめよう。
(03.0504)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第56話(2003、テレビ東京)

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第56話「お菓子なおはなし」(4月26日)

楓たちは、社会科の授業でお菓子工場の見学に行くことになる。その話を聞きつけたミルモは、妖精学校のタイク先生を説得して生徒みんなでお菓子工場見学をすることに。たまたまそこを通りかかったアクミは、人間たちをこまらせるべくまた悪だくみをするが……。

妖精の新キャラで敵役・アクミは、憎たらしいがなかなかかわいいキャラクターとして描けている。魔法ではなくミルモの「けつアタック」でやっつけられたのが屈辱的。確かに遺恨を残す戦い。「けつアタック」というネーミング、くだらなすぎる。すばらしい。
クライマックスのシーンは、冒頭の「妖精学校でダンスの試験がある」というのにムリヤリ合わせてあって楽しい。
(03.0504)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第57話(2003、テレビ東京)

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第57話「リルムという名の花」(5月3日)

ミルモを手下にしてやろうと考えたアクミ。しかし、ミルモにまとわりつくリルムがジャマで、なかなか話が先に進まない。
怒ったアクミは、まず最初にリルムをかたづけようとする。そして、アクミとの魔法対決でリルムはパンジーの花になってしまうが……。

前半の、アクミが運悪く徹底的にやっつけられてしまうさまに大笑いしてしまった。後半は「魔法を解くには早口言葉ができないといけない」というくだらなすぎるシチュエーションに、また大笑い。
こういう屈託なく笑えるアニメはいいなあ。

それと、いつだったか書き忘れたがリルムが魔法を使うシーン、新シリーズでパワーアップしているのだが、前のを知ってるとさらに大笑いできる出来だった。ステキ。
(03.0504)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

5月4日放送分。
メンバーが2人ずつ組んで卓球大会。審判の人がマジに卓球大会関係のヒトっぽいのが面白かった。後はそれなり。

「ミニモニ。かっぱの花道」は、やはりパワーダウンの感は否めない。矢口の抜けた穴がこんなに大きいとは……覚悟はしていたが、現実は厳しい。

辻、紺野、小川の「めざせハワイャ〜ン娘。」。キャシー中島が先生となってフラダンスを教える。実際に踊るのは別の女の人なんだが、どっかで見たことあると思ったらキャシー中島の娘じゃねーか。トシとったなー。昔はアイドルみたいだったのになー。

「ハロプロNEWS」は、なんかグダグダな感じ。
(03.0504)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第54話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第54話「ふしぎ転校生・沙織」(4月12日)

楓のクラスに女の子の転校生・江口沙織がやって来た。天才的なフルート奏者で本が好き、恋愛にまったく興味がなく、恋愛の話題を持ち出されるとくしゃみが出るという不思議少女。そして、妖精のパートナーがいないのに妖精が見えるという特異体質(?)であった。
ミルモたちも含めてお花見をしているとき、アクミが放ったもぐらのおばけが楓たちを急襲。パワーアップした楽器で立ち向かうミルモたちであった……。

新キャラ・沙織登場。妖精が見えるだけでなく、魔法を無効化できる力も持っているらしい。他のキャラにはない、いわゆるアホ毛、触覚がほんのチョコっとついているのはご愛敬(後にあったりなかったりした。私の妄想だったのか?)。
(03.0503)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第55話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第55話「日高さんの弟?」(4月19日)

安純の弟・健司が登場。彼は「不思議大好きクラブ」を名乗り、UFO・ゆうれい・超能力といった「不思議なこと」が大好きな少年だ。
妖精の見えない健司は、安純の部屋でくりひろげられるヤシチたちのそうどうを霊のしわざだと思いこみ、調査を開始する。

「なぜ安純が弟の健司に手をやいているのか?」が、どうも「妖精がバレたくない」だけではないらしいのが想像力をたくましくするね。たぶん子供の頃から健司には弱みがなく、好奇心だけで姉の机の中を漁ったりするやつなんではないかと想像する。
(03.0503)



【雑記】・セクシーボールZ、同人誌

・くだらないことを承知の上で書くが、「セクシー女塾」は製作サイドに「有名アイドルに自分たちの世代のオタクネタをしゃべらせたい」というただごとではない欲求を感じてきた。
昨日は後藤真希に「まだ寝ないの? わかった、これからミステリーサークルをつくりに行くんでしょ!」とかなんとか言わせていた。これって「ミステリーサークルは、UFOがつくってるんじゃなくて夜中に人がつくってる」というネタがわかんないと何もわかんない。しゃべってる本人はわかってないだろうなぁ。説明を受けてないと。
本編の方では、断続的に出てきた「セクシーボールZ」という架空のマンガを藤本美貴が全巻読み終わったことになってて、それを聞いた石川梨華が「『ドカベン』と『大甲子園』と『ドカベンプロ野球編』を足したのより長い?」とか言ってた。

「セクシーボールZ」は前にも出てきていて、藤本が「オラにみんなのセクシーを分けてくれ!」と超くだらないことを言うだけならまだしも、それを石川梨華がマネするのだが、アニメ声の石川がアニメ声のマネをするので、今まで聞いたことのない気持ちの悪い声になってて大笑いしました。

藤本美貴は仕事の関係かなんか知らないけど、もう出ないそうです。

【テレビ】・「セクシー女塾」終了 (2003、テレビ東京)(03.0928)

・明後日に向けて同人誌をつくっていたが、だんだんめんどうくさくなってきた。このため、作業は中断中。テレビで「カケフくんはすでに結婚してる」って聞いたから。まあそれはウソです。カケフくんが結婚したのは本当です。
明日半日かけてできなかったら、まあ見送りってコトで。なんかこういうときに鼓舞してくれる人っていないんですかね? 具体的に言うと鼓舞してくれる「天使とデート」の中に出てくるエマニュエル・ベアールとかいないんですかね? いない。希望はどこにもない。給食でイヤなニンジンばかり食わされる。遠足で強制的に原爆資料館を見せられる。恐い。戦争反対。
しかも「カルチャー・クラブ」の「せんそうはんた〜い」とか言ってた歌。そういえば「君の瞳に恋してる」って80年代の段階でカバーだったんだってね。ぜんぜん知らなかったよ。

・大槻教授が「白装束集団」のクルクル模様について「自分の物理の教科書の表紙からとったんだろう」とかテレビで言っていたが、そんなわけないだろうどう考えても。
まあ何が事実かより、そういうことを平気で言う神経がわからん。
とくに学問的なことをやっている人で、専門分野からちょっとはずれたところにあることについて調べもしない人が多すぎる。調べればわかるのに、調べない。
普通は、専門家のコメントというのは一般人が調べ方がわからないとか、調べるのに時間がかかるという理由で耳を傾けるわけでしょう。それをテキトーに言ったり書いたりしててどうする。

あと、別の人のサイトに対しても文句をダラダラ書いたがバカバカしいので全部消した。

いつものことで、書いたら急速にどうでもよくなってきた。やっぱり上の文章撤回。すべて。すいませんでした。すーいーまーせーんーでーしーたー。反省が足りない。
反省文20枚。あ、「セクシー女塾」と「カケフくん」については撤回しない。同人誌は出るかどうかわからない。ポニーテールは振り向かない。あと、男の人が旗のポールを登っていくCMと某消費者金融のティッシュ配りのCM、すごいむかつくよね。とくに後者。あのダンスが妙にウケたからって、なにいい気になってんだよ。ひっぱりすぎなんだよ。
やっぱり上の文章撤回。すべて。すいませんでした。すーいーまーせーんーでーしーたー。反省が足りない。反省文20枚。あ、「セクシー女塾」と「カケフくん」については撤回しない。(以下、繰り返し)
(03.0503)



・「週刊漫画ゴラク」5月2日号(2003、日本文芸社)

漫画ゴラク、以前に読んだのはいつかと思ったらすでに一昨年前だった。感想がこれ

5月2日号は3週前のやつ。今売っているのは5月16日号。我ながらヒドいとは思う。雑誌の感想を書くのをやめようかとも思った。しかし、雑誌というのはまとめて読むとどうしても感想を書きたい、言いたいものであることもわかった。それは、正直「自分の好みではない作品も強制的に読まされる」ものであるからだと思う。
しかし「つまらない」と書くのは実に愚かなので、あれこれ文章をひねっているうちに手間も時間もかかる。しかし感想を言いたいことは言いたい……というジレンマがある。

もうひとつ思ったのは、面白いと思う作品でも何週にもわたる「流れ」があり、その流れをどうしても無視できないということだ。無視して書く方法もあるが、自分はそのやり方をとっていない。数週の流れというのもあるし、数年の流れもあるし、また作品ごと、前作と前々作との流れもある。その流れからどういうふうにすくい取るか、だ。

ごたく終わり。

「ミナミの帝王」天王寺大、郷力也は、すでに単行本は64巻、回数にして580回以上を数える「街金」を主人公にしたマンガ。
私はこの作品に関して、複雑に思うところがある。ゴラクを買ったら必ず読むし、単行本も何冊か買ったし、面白いマンガだと思う。もともと郷力也は大好きだし。 しかし、「ものすご〜く好き」というふうにならないのは、主人公の萬田がいいやつなのか極悪人なのか、何回読んでもわからないからだと思う。まあたぶん極悪人なんだろうけどね。
「絶対に貸した金は切り取る」存在として描かれていて、むしろ彼にたてついたりすがったりしてくる人間の方にウェートがある。ゴルゴ13的というか。あるいは範馬勇次郎を主人公にしているようなものだ。
だから読んでいてとまどうのだろうと思う。

「撃覇」天王寺大、渡辺みちおは、「エンドレス格闘ウォーズ」と書いてあって、確か格闘モノだと思っていたがいつの間にかヤクザ同士の抗争の話になっていた。

「銀牙伝説ウィード」高橋よしひろは、まだ極悪犬の法玄と戦っているので驚いた。また、必殺技を封印したのかと思っていたらウィードが「抜刀牙」を使おうとしているのにも驚いた。
本作にも少し疑問を感じるのは、法玄というカタキ役にいまひとつ小悪党臭が抜けないところにあるのだと思う。あるいは人間臭いタイプの悪党だ。問答無用の巨「悪」であった赤カブトとはその点、違う。

「女帝花舞」倉科遼、和気一作は、擬音の舞妓さんとか芸者さんとかの世界を描いた「夜の世界もの」。

「代表取締役総長 東郷西吉」古沢優は、ヤンキーみたいなやつがいろんなビジネスをやるマンガ。いい意味でも悪い意味でも、この人の描くものはいつも同じだ。

「占師サダム」加藤宗は、占いがシュミの社長が、占いで出た結果をそのとおりにしようと裏で奔走するというよくわからないマンガだった。

「凶獣イーグル」西塔紅一、山口正人は、トラブルシューター源都夢を主人公にしたアウトローもの。同じ原作者の「野獣警察」とほぼ同趣向だが、山口正人ってこんな絵だったっけ? とにかく出てくる女性がビックリするほどかわいくないのは問題では。

「大江戸ジゴロ」鍋島雅治、檜垣憲朗は、巌流島の戦いで徹底的に汚い手を使った宮本武蔵に敗れた美貌の剣士・佐々木小次郎が奇跡的に蘇生、しかし佐々木家のためにすべてを捨てて「死人として生きろ」と言われ、江戸へ出てくる。しかし、野望を抱いた宮本武蔵もまた江戸へ出てきて対決することになる……というもの。
とにかく「実はワル」として描かれる武蔵の悪者ぶりがすごい。ところどころにもっともらしい講釈も入り、けっこう面白い。

「食キング」土山しげるは、ジンギスカン料理のこととかをやっている。この人のマンガ、感動のシーンで必ず登場人物たちが泣いてしまうのがいつも納得いかないのだが(読んでいて醒めてしまうから)、かつての劇画系の人でいまだにたくさん描いているのってこの人だけのような気もするし。何か人気のわけがあるんだろうな。

そういえば「ゴラク」に出てくる悪党は、徹底した小悪人ぶりが特徴だ。「ミナ帝」にしろ「ウィード」にしろ「凶獣イーグル」にしろ「大江戸ジゴロ」にしろ。「食キング」の今出ているヤツも小者。そこに何かクセを感じる。
(03.0502)



【映画】・「ボウリング・フォー・コロンバイン」(監督:マイケル・ムーア、2002、アメリカ)

公式ページ

コロラド州リトルトンのコロンバイン高校で、2人の少年が銃を乱射、12人の生徒と1人の教師を殺害したのち、自殺するという「コロンバイン高校銃乱射事件」、別名「トレンチコートマフィア事件」がなぜ起こったのか? を探ることをきっかけに、銃社会アメリカの病巣について「突撃アポなし取材」を交えて描いたドキュメンタリー作品。

自分が最初に「コロンバイン銃乱射事件」について知ったのは、ガース柳下かなんかのTVブロスのコラムだった。ここで犯人たちは「ネオナチにかぶれて『トレンチコートマフィア』を名乗っていた」ことを知った。
このコラムでは「アメリカの高校では第一にスポーツマン、第二に勉強のできるやつが存在意義を認められ、後はクズ。『トレンチコートマフィア』はそのいちばんどうしようもないやつらで、そういう状況にルサンチマンを抱いていた」と書いてあった(と記憶する)。

こうしたアメリカ社会の窮屈さはハリウッド映画などを見ても感じてはいたので、ここら辺でおおいに興味をかき立てられたのだが、怠けることには自信のある私のこととて、ほっぽらかしにしていた。
本作「ボウリング・フォー・コロンバイン」は、その事件を題材にしたドキュメンタリーだというから、最初は見る気満々でいた。が、内容が「銃社会批判」だと知って見る気が少し失せた。はっきり言って、銃社会ではない日本と関係ないからだ。
「アメリカ人はアメリカ人で勝手に感動してろ」な映画が鳴り物入りで日本で公開されることはよくあることだからだ。映画「アポロ13」なんかもそうだった。確かに偉業かもしれないが、アメリカ人がアメリカ社会でやったことだからね。

・その1
しかし、あまりに話題を呼んでいるのでまた見たくなり、見に行った。
結論から言うと、非常に面白かった。
世評としては「突撃アポなし取材」という方法論と、マイケル・ムーアの反骨精神がクローズアップされているようだ。それが的はずれだとは思わないが、個人的には以下のことが気に入った。

・さまざまな映像をパッチワークのように組み合わせて、めまぐるしく変わっていくという手法。
・全体的にユーモアを忘れていない点。

前者については、どこやらから引っ張ってきた映像や取材部分などをグチャグチャに混ぜていて、「サウスパーク」原作者、マット・ストーンのアニメーションまで入っているという念の入りようだ(本人も出てくる)。
イギリス、ドイツ、フランス、日本などの年間の銃での死亡人数をアメリカと比較するシーンで、ドイツはなんかわからないけどヒトラーみたいのが出てくる映画と発砲シーン、フランスはいかにもな恋人同士が抱き合っている映像と発砲シーン、日本では一瞬だけ映る怪獣と発砲シーン、というふうにたたみかけていくところは笑ってしまった。

後者については、前者と関連するが深刻なシーンに笑えるシーンを混ぜて緩急を付けている。「ユーモアと社会派」で思い出されるのは「ゴーマニズム宣言」だが、作品内のギャグが少なくなり、面白くなくなった時点で「ゴー宣」は(私にとっては)終わってしまった作品なのだが、その辺の溜飲も少しは下がった。
逆に言えば、この監督があまりに「社会派」部分を持ち上げられすぎてユーモアを失ったら、面白くも何ともなくなってしまうのだろう。

・その2
内容としては、以下の点が興味深い。

・カナダと銃の保有数を比較しても、アメリカで起こった銃での死亡人数の方が圧倒的に多い。
・上の原因について、「攻撃性ではなく、防衛に対する心理、恐怖心が煽られているからではないか」と仮定している。

上記については、私自身がウラをとったわけではないのでナンだが、映画内で言っていたことが本当だとすると、実は本作は「銃社会批判」としてはよじれた内容となっている。
弾丸を販売しているスーパーマーケットにおしかけて、その販売をやめさせるシーンなどと結論が合わないのだ。
実際、映画館を出た後に後ろを歩いていた女の子たちが「あれはやりすぎじゃない?」などと話していた。これはおそらく映画全体のバランスを悪くしていることに対する直観的な批判も含まれていたのではないかと思うが、私自身は入れてもいいと思った。

ノンフィクションものは、誠実であるほど結論がうやむやになってしまう場合があり、本作も結果的には「何が悪いのか?」は明らかにならない。タイトルの「ボウリング」はコロンバインの事件が起こる直前、犯人の少年たちがボウリングをしていたことは事件に関係があるのか?(たぶんない) ということから付いたものだそうだが、要するに「ボウリング」が事件の一要素でしかないように、さまざまな他の断片も決定打にはなっていない。
そこにかなりムリヤリに「弾丸販売差し止め」という「成果」を入れるのは、映画のバランスは崩すがインパクトにもなるし映画全体のウリにもなるだろう。ここをおとしどころとして(映画として)納得する観客もいるだろうし。

「攻撃性ではなく、防衛心理から銃はなくならない」という仮説は、面白い。本作では暴力的な映画よりも、むしろニュースでの犯罪報道の方が問題とされる点もここにある。「攻撃性を煽る」暴力映画よりも、「犯罪に対する過剰な防衛心を煽る」という点で、ここでニュースは区別される。
厳密に言えば「過剰に防衛心を煽る」映画も多々あるとは思うが、確かに報道番組の方が潜在的な何かを「煽る」ことに関しては強いのではないかと思われる。

・その3
肝心の「コロンバン銃乱射事件」についてだが、本作では私が最初に聞いた「何もかもから疎外されたやつらが起こした事件」というよりも、もう少し広げて考えているようだった。で、やはり事件そのものは「銃の入手しやすさ」に一因があるらしい。 アメリカの田舎町というのは、よく「人々の怨念が蓄積した、どうしようもない退屈なところ」としてアメリカの小説や映画で出てくるが、日本の北関東や何かとは比較にならない印象だ。ここら辺をよく知っていれば、また本作を見た印象も違ってくるんだろうな。

……というわけで、誠実なノンフィクションのごとく本稿もウヤムヤで終わる。
ただ本作の「突撃取材」以外の方法論が参考にされればなと。昔からあるやり方ではあるけど、こうして話題になったということには意味があると思うから。
(03.0502)

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