つれづれなるマンガ感想文7月後半

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一気に下まで行きたい



・「餓狼伝」(16) 夢枕爆、板垣恵介(2005、講談社)
・「関口ヒロシのミスター・ドピュー」(1) ながしま超助(1996、双葉社)
・「番長連合」(10) 阿部秀司(2005、秋田書店)
・「八犬士」(1) 岡村賢二(2005、日本文芸社)
・「TWO突風!」(8)(完結) 藤井良樹、旭凛太郎(2004、秋田書店)
・「ガキ警察」(1) 藤井良樹、旭凛太郎(2005、秋田書店)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」34号(2005、集英社)
・「刃(JIN)」 8/1増刊号 Vol.15(2005、小池書院)
【雑誌】・「コミックバンチ」34号(2005、新潮社)
・「バキ」(27) 板垣恵介(2005、秋田書店)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」33号(2005、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【雑誌】・「ウォーB組」8月号(2005、マガジンマガジン)
・「刃(JIN)」 6/1増刊号 Vol.13(2005、小池書院)
・「刃(JIN)」 7/15増刊号 Vol.14(2005、小池書院)
【雑誌】・「コミックバンチ」33号(2005、新潮社)
【DVD】・「バトルオワライヤル」(2005、アール・アンド・シー・ジャパン)
【映画】・「姑獲鳥の夏」 監督:実相寺昭雄(2004、日本)
【映画】・「宇宙戦争」 監督:スティーブン・スピルバーグ(2005、米)
【雑記】・「背骨の通った美少女コメディー〜椎名高志氏のコメント」






・「餓狼伝」(16) 夢枕爆、板垣恵介(2005、講談社) [amazon]

アッパーズ、イブニング連載。アッパーズが休刊後、イブニングに移ったということです。
あいかわらず、北辰会館のトーナメントが続いている模様。やっぱりどういうわけか現状の「バキ」よりずっと面白いよなあ。やっぱり「バキ」の方は、超人同士の戦いになりすぎた感がある。それと、刃牙自身がよって立つ格闘技がないのも焦点がぶれているような印象になってしまっている。
もっとも、「グラップラー刃牙」連載当時の、刃牙のモデルとされる平直行の魅力っていうのはそういう「確定されなさ」ではあったと思うんですけどね。

15巻の感想

(05.0731)



・「関口ヒロシのミスター・ドピュー」(1) ながしま超助(1996、双葉社) [amazon]

隠れたる天才・ながしま超助の昔の作品。
女にまったく持てず、教え子の女子高生にいつもバカにされている高校教師・関口ヒロシ(なんでこんな名前?)が、決してくじけないバイタリティと女子高生へのルサンチマンで毎回とんでもなくおいしい目に遭うが、もう少しのところでエッチできないというエロコメ。

いやあ、絵は今ほど達者じゃないんだけど、オ●ムの直接すぎるパロディは出てくるわ、「裸の女と相撲をとって負けないと契約を取らせない」というスケベ外人社長が出てくるわと、この頃からバカバカしさ爆発。こんなプロット、90年代に入ってからはこの人くらいしか思いつかないだろう。
(05.0731)



・「番長連合」(10) 阿部秀司(2005、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。千葉の地盤を固め、池袋侵攻作戦に打って出ようと思っている全学会。しかしその矢先、モテないコンビの横山と立花が新天地を求めて池袋にナンパに行ったことから、思わぬ事態に……。

こういうバカバカしいところと、戦国時代的なところとの兼ね合いがいいバランスで来ている番長マンガだと思う。

6〜9巻の感想

(05.0731)



・「八犬士」(1) 岡村賢二(2005、日本文芸社) [amazon]

滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を劇画化。八犬士が出る前の、伏姫のエピソードにもきっちりページ数をさいていて、まあ私も原作は読んだことないんだけどほぼ忠実に「八犬伝」を再現しようとしているのではないでしょうか。

それにしても掲載誌が不明。日本文芸社のHPには載ってないし、検索してもわからなかったよ。

掲示板にて、「別冊漫画ゴラク」連載と教えていただきました。ありがとうございました。

(05.0731)



・「TWO突風!」(8)(完結) 藤井良樹、旭凛太郎(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。力こそ正義なストリートの場で、どのセクトにも属さずひたすらに暴れ回るヒーマとコウヤを描いた不良マンガの完結編。

連載当初は読んでいてとまどいを感じたが、ラストはきっちりと東映任侠映画路線(それも「仁義」より前のやつ)でシメた。そうです、大物になった梵葉と、ずっとチンピラの、梵葉の求めた地位になんか何の興味もないヒーマとコウヤの対決ですよ。

一神教ではなく、コミュニティすら解体している現代の我が国では、このパターンはいかにアナクロニズムだと言われようと、視野狭窄だと言われようと、しつこいくらいに繰り返されなければならないのだ。もう、こういう展開はもはやひとつの「儀式」なのだ。

マキャベリズム? そんなものは死んじまえ。少なくとも虚構の世界の中だけでは……。

7巻の感想

(05.0731)



・「ガキ警察」(1) 藤井良樹、旭凛太郎(2005、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。少年犯罪、買春、淫行、引きこもり……山積する少年少女問題に、「ガキ警察プロジェクト」を立ち上げ民間企業として新規参入を試みる帝威桜警備保障は、「失われた10年にひとつの逸材」と言われた不良少年・橘雷(たちばな・らい)をスカウトした。
雷の行く先々で巻き起こる少年少女をめぐる事件を描く、数回を単位とした1話完結モノ。

前作「TWO突風!」と同じ原作と作画のコンビだが、今回は数話で完結していく形式をとっている。私の評価なんざどうでもいいが、しかし私個人は前作も良かったが本作にずっと洗練されたモノを感じる。
それはやはり橘雷(たちばな・らい)という偽悪少年のキャラクターがしっかりしているからだろう。

作者は単行本の前書きで「こんなヤツには会ったことがないので創作として書いた」と言っている。本当に、過去にこんな少年がいたかどうかすらわからないが(たぶんいなかったのだろう)、雷のキャラクター造型は明確に70年代の不良マンガに登場する「偽悪ヒーロー」の系譜に位置している。
孤独で、強くて、どんな組織にも属さない。しかし、出会っていく、自分のようには生きられない弱い少年少女たちには限りなく共感する。世界はひどいところだが、そこから逃げたらおしまいだと堂々と口にする少年。

橘雷とは、虚構世界では本当は「失われた10年にひとつの逸材」ではなく、70年代中盤からほとんど姿を消した「失われた30年」の後に現れたタレサンイズムの正統後継者なのだ。
(05.0731)



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」34号(2005、集英社)

大亜門「太臓もて王サーガ」が新連載。まったくモテない「魔界」ならぬ「間界」から来た王子が、実界(人間界)でモテようと奮闘する様を描くギャグマンガ。
今まで読んだこの人の作品テイストと何ら変わりなくイイ感じ。……っていうか、「こち亀」がフニャけた話ばかりになり、「ボーボボ」が中堅作品となっている現在、ギャグマンガでイキのいいのが雑誌のバランス的にもほしいところだ。
わたし的には、かなり鉄壁の布陣で準備していると感じられる。コレでウケなかったら、もうこのヒトはジャンプではダメってコトなんだろうな……。

岩城俊明「みえるひと」は新連載第2回。うん、これもイイ感じ。何となくサンデーっぽいですけどね。

松井 優征「魔人探偵脳噛ネウロ」。すげー変な話になってきた。なかなか面白いです。
(05.0728)


・「刃(JIN)」 8/1増刊号 Vol.15(2005、小池書院)

小池一夫オンリーマガジン。
小島剛夕「子連れ狼」が新連載。といってもむかーしの再録だけど。
池辺かつみ「桃太郎侍」はあいかわらず面白い。原作はともかく、テレビ時代劇の方はワンパターンだから多少お話を飛躍させても驚かないし、悪い意味でとりとめがなくなりがちな小池一夫原作を作画者のイマドキ風の劇画絵がうまく消化していると思う。今回、展開もなんだかよくわからないドラキュラ伝説みたいなのがからんできて、新展開も面白くなりそう。
4コママンガとがしやすたか「素浪人 花山金三郎」が新連載。まあいつものやつです。
伊賀和洋「レイザー −剃刀−」は、主人公の驚愕の過去が明らかに!! いや〜本当に驚愕の過去だよなあ。小池ファンにとっては。
次号は8月25日(月)発売。
(05.0728)


【雑誌】・「コミックバンチ」34号(2005、新潮社)

永井豪「新バイオレンス・ジャック」は、「三国志の映画のために集められた英雄豪傑役の俳優たちが、地獄地震を眼前にして関東をマジで制覇しようと思い始めた」という発狂した設定に唸った。三国志マンガ史上、もっとも飛躍しているといっていいのではなかろうか。

ところで、他の掲載作品がほとんどすべてテイストが似ていることにこの雑誌の危機感を感じる(部数的に危機でもなんでもなかったらゴメンね)。
強烈な個性の編集長によって雑誌がコントロールされるのは何ら悪いことではないと思うが、なんというか大部数の週刊マンガ誌にしては、ぜんぶ同じ担当編集者が見ているような印象があるなあ……それもかなりこまごまとしたところまで。
(05.0728)


・「バキ」(27) 板垣恵介(2005、秋田書店)  [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。中国のなんちゃらトーナメント編完結。勇次郎VS郭海皇。
勇次郎VS郭海皇の決着は、「ありゃねえだろ」って思っている人もいるかもしれないけど、私はアリだと思いますよ。勇次郎はピンチになっても負けてもいけないキャラなんで、逆によくああいうことを考えたと思う。
ただし、クライマックスのネタではないですね。勇次郎の存在自体が、トーナメントなどをやる場合、格闘ゲームの隠しコマンドで出現する無敵キャラみたいな存在なので、それをクライマックスに持ってくるというのは、反則。

正直言って、もうマンガとしての寿命は終えているのでは? この作品は。

26巻の感想

(05.0728)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

7月24日放送分。

公式ページ

ハロモニ。納涼スペシャル前編。夏休みで浴衣着て大喜利やって楽しいな、みたいな企画。

漫才コンビのレギュラーを迎えたお料理企画、パペットマペットをゲストで呼んでお人形を使ってパペマペ大喜利、本チャンの大喜利、すべてにお仕着せ感は否めないんだけど(少女たちの創作能力を疑うわけじゃないが、パペマペのネタなんてとっさに出るかなあ? 仕込み説を推す)、本当にみんなかわいいのでなごみました。コレでいいと思います。
久住ちゃんなんてさあ、たぶん台本通りっぽいことをしゃべったけど、一人で新人だったらああでもしないとテレビに映れないからね。

娘。は大量に揃うといい意味でも悪い意味でも芸人殺しなところがあるので、レギュラーの適度にテンパった感に好感を持ったりもしましたわ。

私は石川のギャグセンスに関してはかなり信用してるんで、このテの大喜利的な仕切りは(こと「ホーム」のこの番組に関しては)心配してなかったです。

それにしても、モーヲタ界隈ではどんどんフットサルが盛り上がってきてて、反対にハロプロのテレビ出演が全般的に減り、敗北感を感じてます。私の知るかぎり、「エレジーズ」って「うたばん」で歌いませんでしたよね? 信じられないことです。
矢口のバラエティ出演に関しても、出ているのをちょこちょこ見るかぎりではやっぱり想像どおりの展開が多いです。私もダテに30年近くテレビを見ているわけではないので。矢口の動きは「見切れる」んですよ。

あ、「見切れる」ってテレビのフレームから出ちゃうことじゃなくて、格闘技における「動きを見切る」ってやつです。
矢口のバラエティタレントとしての価値は、オトコ問題を大ブレイクさせないかぎり今夏いっぱいくらいだと私は思ってます。

それと、トシをとってこういうアイドルたちを見て思うことは、「見守ってやりたい」という殊勝な気持ちとエロ視線がおっさんになると同居してくるということですね。
通常、おじさんの方が若い衆より「スケベ」だと言われるのは、若い衆には「スケベ」である権利がある。子孫を残さなければならないから。同世代の女の子のパートナーとなる可能性があるから。

でも、おじさんっていうのはそういうところを社会的にはリタイヤしなければいけない。リタイヤしなければいけないんだけど、そう簡単にスケベ心理というのはなくならないんですなコレが。生物学的には。

そのような哀愁を、自分自身にものすんごく感じています。
ものすんごく感じているので、もうハロモニ。の感想とか書きたくないんだけど、半ば義務感で書いてます。

それにしても、何度も書いているが杉作J太郎は偉い。

前回の放送

(05.0725)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」33号(2005、集英社)

余談だが、エンターテインメント作品というのは当然時代の流れに影響されるものであって、似たようなコンセプトに基づく作品が大量にリリースされ、ひとしきりのバブルを形成した後、やがて劇的に、あるいは緩慢に時代は変わり、当たり前のようにあったそれらの「傾向」は、いつの間にかきれいさっぱりなくなっていく。
その繰り返しだ。

経験上思うのは、「時代」を決めるのは「大衆」という不定型なバケモノみたいな存在であり、自分もその一部だが自分ではない。だから、いったん自分の趣向が時代とマッチすると次々と自分の好みのものがリリースされることになるが、ひとたび時代が変わるとまったく好みではないものが大量に市場に出回ることになる。

それについてどのようなスタンスを取るかが、まがりになりにも広義のエンターテインメント作品について、ネットでも同人誌でも何でもいいけどテキストを書く者の命題である気がする。
そして、どうも今後、私にとっては好みではないどんどんイヤな時代になりそうである。

……あーあ。

で、それとは関係なく今週の新連載。岩城俊明「みえるひと」。霊が見え、霊とコミニュケーションを取り、あるいは排除することができる「案内屋」の青年と天然ボケ少女との出会い。

以前に一度読みきりで読んでいるが、「案内屋」の青年の優しさ、胡散臭さ、孤独、少女の素朴さ、霊に対する恐怖、霊の少女に対する脅し文句がどこか詩みたいなところ、どれもなかなかいいと感じる。
「うさんくさい男と少女のコンビ」ということでは同誌連載の「ネウロ」とかぶるが、この作者ならうまく差別化を図ってくれるだろう。
それにしても、こういう優しさを発揮する作品は本当に少なくなった。本作の連載だって、きっと偶然にすぎない。まあこれは私の子供の頃からの話だけど、時代性とは関係なく自分好みの作品を探してさまようしかないんだなあ創作者でない身というのは。

松井 優征「魔人探偵脳噛ネウロ」。いったいこの作品はどこに着地点を求めているのか? 単なるヤケクソか? なんだかだんだん雑誌「ファウスト」チックになっていっている。面白いかと問われれば、今のところ不思議と面白い。

見せてもらおうか。本格風機械トリックから逸脱していく「謎解き」ストーリーとやらを!!
(05.0725)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

7月17日放送分。

公式ページ

観察力バトル

なんかニセモノを見分けるとかそういうやつ。久住がだんだん番組にからむようになってくるというのがみものと言えばみもの。

スタジオライブ。新曲「色っぽい じれったい」[amazon]をテレビ初披露。フラメンコ調の衣装やダンスは面白いと言えなくはないが、個人的には次のステップへの場つなぎ的な印象。
同じことを何度か書いているが、どうしてもヴォーカルの「キメ」となってしまうのが高橋か藤本しかおらず、しかもそこそこ歌える矢口まで脱退してしまっては大人数のわりには歌全体にヴァリエーションが出ない。楽曲にうるさいファンの一部が、ここのところずっと文句を言い続けているのも致し方ないと言えよう。
久住ちゃんもヴォーカル面でのミラクルは期待できそうにないしなあ。

コント。公園通り三丁目。れいながかわいかった。お小遣いあげよう。あ、でも現金あげると無駄遣いするから図書券な。でも図書券で写真集とか買わないように。

うろおぼえゼミナ〜る。
安倍、辻、飯田。一人だけ「フォゲット君」に積極的にからもうとしている安倍に注目。

エリック亀造の毎度ありぃ。
「もう何もかも終わりなんだー!!」
亀井が叫んだ。
「当たり前のことを何言ってるの!? 言ったから何か変わるっていうの!?」
中澤も叫んだ。
「男が生きるってことはね、戦いなのよ!!」
紺野も言った。
「それは……甲冑軍隊蟻!?」
道重が指摘した。

……ぜんぶ嘘だった。
目が覚めた。そのとき自分は52歳で、西暦20XX年。鏡を見たら無精ひげに白髪が混じっていた。
今日は、駅の「ご自由に利用ください」のコーナーから借りてきた「ジェーン・エア」を読んで時間をつぶそうと思う。なぜこの作品を選んだかと言えば、長いからだ。
もう女子高生は階段をあがるときにパンツを隠そうともしなくなっていた。しかし、なぜか痴漢と、痴漢冤罪も同時に急増。不況知らずと言われたポルノ業界は始まって以来の不審に苦戦。Hマンガの内容はほとんどすべてが女性誘導系のものとなっていた。
すべてが、90年代をもう一度繰り返すかたちでエピゴーネン化していた。もうパロディにだれも笑わなかった。だって本当にすべてが並列化してしまったから。

初の女性向け盗撮雑誌が登場。もはや政治団体でもカルトでもない、「何も基盤がない」ことを基盤とするテロリスト集団が登場。しかしすぐに某国の筋金入りの人々に全滅させられる。
午後6時台のニュース番組は、6時半からのセミドキュメンタリーから流れるようにドキュメンタリー調のドラマに移行するという手法を確立。
ドラマの内容は、離婚、借金、幼児虐待などの諸問題が何の解決策もなく垂れ流され、視聴者にストレスを与えることによって引きとする。
そのストレスの解消がドラマ上のカタルシスになるわけだが、それ以前のドラマと違い「視聴者が生きぬように死なぬように」、カタルシス部分が極端に少ないのが特徴だ。

たとえば、それまで前編・後編に分かれていたドラマで前編でストレス、後半で解放というパターンだったのが、ストレス部分だけで7、8回続き、それから解放される部分は1回のドラマ部分で20分くらいしかない。
視聴者は永遠に虚構のストレスにさいなまれ続けるが、これは逆転して視聴者がストレスを与える側に立っていると考えれば、永遠に快楽が続くということでもある。

プロレスは観客が激減、かといってPRIDE路線が伸びているわけでもなく。野球も低迷、サッカーのみが勢いがあるが、ついに日本人フーリガンによる深刻なもめ事が発生。また、女子アナが「フーリガン」を「フリーガン」と発音したことで物議を醸し、当の女子アナが依願退職したことも話題となった(そのアナウンサーは、フリーとなってそこそこ活躍している)。

そんなことはどうでも良かった。西日の当たる二畳半の部屋は、そこにいるだけでもいやだが他に行くところはない。ファミレスはモジャモジャ頭のおばさんたちが占拠しているし、スターバックスは細いメガネをかけたサブカル青年と、そいつに暴力によって支配されているリストカット少女で埋め尽くされてる。
細いメガネの男たちはここではとても紳士的だ。レコード屋の袋かなんかを持ってオシャレな会話に興じている。しかし、一緒にいる少女たちの顔はバンソウコウだらけだから、どんなカップルかはすぐにわかってしまうのだ。

俺は待ってた。こんな世の中から解放してくれる存在を。
天に光が見えた。
俺は窓を開けた。
何かが降臨しようとしていた。
「モーニング娘。だ!」
「モーニング娘。がやってくる!」

俺は外に出た。光はどんどん地上に降りてくる。
しかし、それはマルシアだった。
マルシアは何者かによって狙撃され、クルクルと舞いながらショッピングモールの裏手に落ちていった。

見ると、近くのマンションの屋上で銃を構えていた男がいた。
小太りで頭にバンダナを巻いていて、メガネをかけていた。指がぜんぶ出るタイプの手袋を両手にしていた。
持っている銃は本物かオモチャか、わからなかった。

話を聞くと、偽物が降臨してくると撃ち落としているのだという。

「モーニング娘。は、いつ来るんだ?」
俺はそいつに向かって叫んだ。
「さあね。次に降臨してくるのはあびる優なんじゃないの」
そいつは苦々しいという顔で言ってきた。

つんくを先頭にした軍勢が大阪から向かってくるという話もあるし、
なぜか島原では安倍なつみを中心とした新興宗教が誕生したという話も聞くが、 たぶんぜんぶ嘘だろう。

我々は徹底的に踏みにじられるだろう。ヤワラちゃんや福原愛に「感動をありがとう!」とか素直に言う人々によって。
あのスターバックスで聞いたふうなことを、キティちゃんのバンドエイドだらけの顔の少女にささやいていた青年たちによって。
あるいは次々と空から降臨してくるタレントそっくりの謎の生物たちによって。

「これでも食えよ」
すれ違いざまに、見知らぬ若者からフランスパンをもらった。

ふたつに割ったら、発泡スチロールでできていた。

前回の放送

(05.0721)


【雑誌】・「ウォーB組」8月号(2005、マガジンマガジン)

公式ページ

巻頭に福永ちな。その他、鈴木茜、小阪由佳、崎田まやなどが載っているらしい。
「らしい」というのは、たまたま小口止めのはずされたやつをコンビニで見てみたら、野田ゆうじのマンガ「ぼくとすずなのいた夏」が載っていなかったから。どうなるんだよあの続き。

福永ちなという人は知らないんだけど、私は鈴木茜[amazon]のビジュアルは好きで(名前で検索したらすぐ画像が出てきます)。あの、スレンダーでアリステイストに適度にビッチ感を振りかけた、コンセプチュアルな(思いつきではない)着エロ路線というか……。
カメラマン・小塚毅之の写真集も、たぶんバッチリ(きちんと見たことないけど……)。

ホントに、「着エロ」で歴史に名を残すとしたら小塚毅之しかいないから。
ざっと調べたらインリンを撮った形跡はないんだけど(もしあったらすいません)、開脚ポーズ(小倉優子まで開脚)、ガードレールみたいなものを水着のまままたがせるという手法(「マタガール」という謎の言葉を編集者かだれかが開発!)、身体をオイルでテカテカにさせた、スポーツイラストレイテッド誌のスイム・スーツ・イシューにエロをふりかけたみたいな撮り方、それらが単なるアイディアじゃなくて「小塚」っていう名前を強烈に覚えさせる結果になってる。
古参グラビアファン(←どうも「苦笑」なネーミング)ならば、「いい写真が撮れれば一般人に名前なんて知られなくていい」とカッコよすぎるコメントをした木村智哉や、「恋写ボーイ(いまだに名乗ってんのかなー)」野村誠一、そして大御所・篠山紀信などなどのだれとも違った感触を抱くことは間違いない。

とくに、光を極端に飛ばした感じの(すいません専門的なことわかりません)、女性の肌が漂白されたように真っ白に見れるように撮る=なんだかお人形さんぽい撮り方=むろん記憶に新しいのはかでなれおん[amazon]の篠山紀信とは対照的に思える。

もっとも、小塚毅之の現状は「アイドルがグラビアを通してどこまでできるか」の許容範囲が変わってきたこととも関係はしているだろう。
どんな人か知らないが、きっととことん恐いけどいったん女の子としゃべるとハートをガッチリキャッチ、みたいな人なんじゃないかと勝手に想像しています。
以上、余談のみで構成されたテキスト、終了。

前号の感想

(05.0720)


・「刃(JIN)」 6/1増刊号 Vol.13(2005、小池書院)

小池一夫オンリーマガジン。「牙走り」「道中師」が面白いなー。まとめて読んじゃってもいいんだろうけど、こうやって連載形式で読んでこそ、っていう部分も小池一夫作品にはある。
(05.0719)


・「刃(JIN)」 7/15増刊号 Vol.14(2005、小池書院)

小池一夫オンリーマガジン。表紙は「子連れ狼」だが、実際の掲載は次号からだそうだ。それにしてもアベレージを保っている雑誌である。
新作「レイザー −剃刀−」も、まあやってることはいつもと同じだが「いつもの」の部分のレベルは落ちていない。
次号は7月25日(月)発売。
(05.0719)


【雑誌】・「コミックバンチ」33号(2005、新潮社)

22+23号(←感想)から始まった永井豪「新バイオレンス・ジャック」は、すいません記録とってなかったんだけど4話集中連載が本当なら26号でいったん終了。そして、この号で「シリーズ連載」(って何だ?)で再開した。

三国志ですよ三国志!! 私は好きだけどねー……。どうなるんだろう。
「ジャック」を知らない人のために1ページ説明がついてましたが、ここで「スラムキング」が「スカルキング」と誤記されていた。じゃあやっぱりスカルキングはスラムキングってことじゃん。
(05.0719)


【DVD】・「バトルオワライヤル」(2005、アール・アンド・シー・ジャパン) [amazon]

(amazonの説明文より引用)
2004年12月にZEPP OSAKAで行われた、バッファロー吾郎を中心にしたイベント「23時間半ライブ」の中から、人気の高かった「バトルオワライヤル」のコーナーを映像化。2チームに分かれて、芸人たちが小道具を使った一発芸で熾烈な戦いを繰り広げる。
(引用終わり)

ウワサには聞いていたのだが、最初モノボケ(要するに「早野凡平」みたいなやつですね。厳密には違うけど)」から始まって、大喜利みたいなこともやるのかと思ったら1時間半くらいかな、最後まで徹底してモノボケで通してるんですよ!
もう本当に、「テレビに芸人を供給する」という点においては吉本は80年代の少年ジャンプですよ。
(まあ、ここら辺も必ずしも「テレビ芸人」のみを養成するという意図だけが吉本にあるとは思えないけど、結果的にそうなってる。)

大阪でやったイベントの記録だから、私も出てくる芸人の三分の一くらいは知りませんでした。しかしこのポテンシャルはそうとうすごいと思ったね。
とくに、バッファロー吾郎の二人のホームにおける実に活き活きとした感じ、ケンコバの飄々とした感じ、これは関東人にとっては「いいもの見せてもらいました〜」って思いましたね。

中盤以降、壇上に女の子をあげて、その子もマテリアルのひとつにして芸人がボケるんだけど、その子自体をいじったりはほとんどしなくって、その子の反応で笑いをとるとかはなくて、あくまでマテリアルなんですよ。で、その女の子もすごく楽しんでいる様子で、それが良かったかなあ。
その子が中学生か高校生くらいかな? メガネをかけているんだけど、天津のヒトと浅越ゴエの「何!? コンタクトにする!?」に大爆笑したのは言うまでもない(笑)。

しかも、amazonのレビューによるとこのコーナーの収録は深夜2時だったというではないですか。まったく、おっそろしい集団ですね吉本は。

ところで、この企画の基盤となっている「バトルロワイヤル」ですが、設定自体があまり好きじゃないんで小説も映画もマンガも観ていないんだけど、やはり観なければいけない気がしてきました。
というのは、「バトロワ」的な世界観が(この企画とはぜんぜん関係なくね)、今の日本人をあまねく覆っている感覚だと認めざるを得ないからです。根拠はないですが、あと5年はこんな状況が続くでしょう。それにしても、そんな世の中でいいのかねえ?

……で、話は戻りますがお笑いでもこういう形式のものが得意な人と苦手な人がいて、南キャン山里、HGでないキャラの住谷、レギュラー松本、麒麟・川島などは苦手だったようです。逆に妙にヒットを飛ばしていた麒麟・田村が興味深かったです。
(05.0719)



【映画】・「姑獲鳥の夏」 監督:実相寺昭雄(2004、日本)

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昭和27年。「二十カ月も子供を身ごもっている女性」をめぐる奇怪な謎。しかし謎などはもうない。探偵の出る幕ではない。「憑き物落とし」京極堂の出番なのだ。

私は、それほどこのシリーズのマニアというわけでも実相寺フリークというわけでもないが、本作には満足した。
終盤、あまりに謎解きが説明口調になってしまうのだが、原作があれだけ複雑なのだからまあ仕方がないだろう。

京極堂が「エゲレス語でヴァーチャルリアリティー」と言っていたように、本作は「昭和27年当時の知の集積で、果たして80年代後半以降の現代思想ブームに取り沙汰された諸問題に取り組むことができるか?」という思考ゲームの要素がある。そしてそれは、原作の膨大なセリフの中からわざわざ「量子力学」などの単語を持ってきただけでも制作者サイドにはじゅうぶん理解されていると思われる。

観たところ、CGをほとんど使っていないようにも見え、その辺も潔くて良かったよ。キャストにも個人的に違和感はなかった。
それにしても阿部寛は探偵というか、本格的な探偵じゃないんだけど謎解き役みたいのが多いねえ。なんかこう探偵のパロディみたいなたたずまいなんだろうね。
(05.0718)


【映画】・「宇宙戦争」 監督:スティーブン・スピルバーグ(2005、米)

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見に行く前は面倒で面倒で仕方がなく、どうしようかと半日悩んだのだが「ヒトと話が合わなくなりそうだ」という理由で見に行った。
「ぴあ」の対談風映画評によれば、「スピルバーグにとっての、9.11を踏まえたうえでの『ゴジラ』だ」ということだがそれは当たっていると思う。そして、その表現にほとんどつけ加えることはない。
ただただ一市民が逃げ回るだけの起伏のないプロットを、よくここまで見せたなという感心はある。

しかし、「スピルバーグ版ゴジラ」だと考えた場合、個人的に点数は厳しくならざるを得ない。本作は、「ただ逃げ回るだけの一市民」を、「幼い娘を守るために生き延びようとする」という方向に視聴者の視点をシフトさせてひとまずの大団円に持っていくわけだが、その過程で(ネタバレになるから書かないが)ほとんど非人道的なコトをしている。
「そこまでして生きる価値が、人間にはあるのか?」ということを他の陰惨描写と合わせて突きつけているわけだけれども、少なくとも日本人はエンターテインメントのレベルで「あしたのジョー」における金竜飛の過去なんかを見せつけられているワケで、それに比べるとなんだか甘甘な印象が、私にはした。
やっぱり「ゴジラ」の凄惨さは、本土が戦場になった国の映画の凄惨さという気がするのでね。

スピルバーグの戦争モノは、本作以外には「太陽の帝国」しか観ていないけど、やっぱり「戦後世代の戦争観を提示してみました」的な感じは否めないし、日本のモノと比較するならむしろ「ゴジラ」よりも、同じ戦争体験者でない富野監督作品かもしれないね。

で、トムがマシーンを破壊しまくるヒーローにならないのは、原作がそうだしそうしちゃったらこの原作を映画化する意味はまったくなくなってしまうからだけど、9.11以降の作品ということを考えた場合、やはりブッシュがムニャムニャなことをしているからだろう。
逆に「ゴジラ」で、最後日本人が反撃に出られるのは、それはやっぱり敗戦国だから、虚構の世界でリベンジする権利があったということだと思う。

まあそんなことはさておき、「怪獣映画」として観た場合でも、「ゴジラ」ほどの破壊シーンはない。要するに「おれ、やられる側なんだけどなんだかゴジラに感情移入しちゃってるなー」というような、ある意味不謹慎な感覚がこの映画にはない。
そして、それはたぶん、やっぱり現在ブッシュがムニャムニャしてるからだと思う。
現実がこうだから、そこまでハジケられないのじゃないか。

なお、ラストのハッピーエンドはトムの妄想ではないか、と前述の「ぴあ」の評にあったが、ああいう何の力もない一市民がご都合主義的にハッピーになってしまう結末は、「未知との遭遇」や「フック」などを観ても、スピルバーグお得意のおとしどころという気はするのだが。
(05.0718)


【雑記】・「背骨の通った美少女コメディー〜椎名高志氏のコメント」

昨日の風はどんなのだっけ?でリンクされてた、椎名高志のコメント椎名百貨店the web)、

(以下、引用)
「基本コンセプトは『ソリッドな秋葉系でない、背骨の通った美少女SFコメディー』。今の少年誌にはビミョーな路線なんですが、それに懸けたこの執念、同世代の大きいお友達にはわかってもらえるよね(笑)? 勝ち目があろーとなかろーと、俺はこーゆーの好きだし簡単には捨てられない。俺が打ち切られたら、誰かがあとをついでくれ。光は絆だ。」
(引用終わり)

勝手に椎名高志って私の中で「萌え」にカウントしてたけど、現場ではもっと細かい感じになっているらしい。だって椎名高志の作風が「ビミョー」と言われるなんてさあ……。
美少女コメディなんて、80年代には「軟弱」のひと言で片づけられてたけど、今現在「背骨の通った」って発言されてることに言いようのない感慨を覚える。

もっとも、椎名高志は「コメディ」ということにかなり意識的な人ではあるのだけれども。

……もともと、80年代には「美少女SFコメディ」って一種類しかなかったと思う。「うる星やつら」をはじめ、それを常に安定供給してきたのが少年サンデーだ。 もちろん、厳密に言えばアンダーグラウンドの美少女コミックと、サンデーやジャンプでやっていたソレは微妙に異なるが、それはたぶん現場の人やマニアだけがわかっていればいいことだった。

ところが今、椎名高志と「ソリッドな秋葉系」ははっきり分かれようとしている。いや、もっと以前から分かれていたのかもしれないけど、「劇画」の台頭とも、トキワ荘直系のマンガ絵(と、ストーリー)とも違った路線を歩んできた「美少女マンガ」というジャンル(うーむ、これを「ジャンル」と言いきるとまた異論が出そうだけど)に、はっきりと区別がつきつつあるのが興味深い。
(05.0718)

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