SFおしかけ女房その8

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「SFおしかけ女房その7」
「SFおしかけ女房その9」
一気に下まで行きたい

・「ドリーマー」全1巻 矢野健太郎(1995、学研)
・「シーラント」全1巻 矢野健太郎(2003、リイド社)
・「ロボこみ」(1) やぎさわ景一(2004、秋田書店)
・「まぶらほ」(1) 駒都え〜じ、築地俊彦、宮下未紀(2004、角川書店)
・「マジカノ」(1) 百瀬武昭(2003、講談社)
・「マジカノ」(2)〜(3) 百瀬武昭(2003、講談社)
・「マブラヴ」(1) アージュ、高雄右京(2003、メディアワークス)
・「愛人[AI−REN]」(3)〜(4) 田中ユタカ(2001、白泉社)
・「愛人[AI−REN]」(5)(完結) 田中ユタカ(2004、白泉社)
【ドラマ】・「金曜時代劇 ゆうれい貸します〜お染・恋の七変化〜」(2003、NHK)
・「R・PRINESS ロケット・プリンセス」全3巻 安西信行(1994〜95、小学館)
・「Petit-ろいど3(スリー)」(1) 幸田朋弘(2003、ヒット出版社)
・「Petit-ろいど3(スリー)」(2) 幸田朋弘(2004、ヒット出版社)
・「Petit-ろいど3(スリー)」(3)(完結) 幸田朋弘(2005、ヒット出版社)



・「ドリーマー」全1巻 矢野健太郎(1995、学研)

コミックノーラに4話ぶん連載。山野くるみは、引っ込み思案な女の子。どこでも眠ってしまい、奇妙な夢を見てしかもそれを忘れてしまうという症状になってしまった。悩んだくるみは、幼なじみの綾重達也に相談。
達也の兄・直人がオカルティストであるため、直人のシンクロ・エナジャイザーを使ってリラックスしようとするが、達也が間違えて設定を「リラックス」から「アストラル・トリップ(幽体離脱)」にしてしまった。

このため、くるみの性的抑圧の象徴であるサキュバス・ムマが飛び出してきてしまう。
ムマが実体化したために性欲のまったくなくなってしまったくるみと、性欲が旺盛すぎて誘った男をひからびさせてしまうムマが、達也を巻き込んで繰り広げるハチャハチャラブコメ。

単行本に収録されている「ドリーマー コンセプチュアルノート」によれば、シリアス路線の「邪神伝説シリーズ」が終わった後、明るいラブコメ路線ということで始められたらしい。
「多少陳腐でも『日常の闖入者パターン』がいい」、「異星人とか女神とか妖精とかアンドロイドとかがやってくるアレですか……」(大意)という編集者と作者の会話から察するに、95年当時はすでにこのパターンがパターンとして認識されていたことがわかる。そしてすでに「陳腐だ」と思われていたことも。

本編は、陳腐どころかパターン破りのむちゃくちゃな展開で、根黒野魅呼(ねくろの・みこ)なんて名前の女の子も登場する。そして作品コンセプト自体を毎回変えてしまう暴走ぶり。こうしたマンガのパターン自体を手玉にとったお遊びは、反則を見ることによって、逆に物語の「王道」がわかって面白い。

特筆すべきは、「性の抑圧が魔(サキュバス)を生み出す」という考えで、私の知るかぎり、性の解放を賛美するあまり、抑圧の方向に目を向けてお話を展開するエロコメというのはあまりないような気がする。あったらぜひ教えてください。

読みきり作品「ヒーロー野郎」(→感想)収録。

参考:
「セルロイドナイト」全1巻 矢野健太郎(1986、1995、集英社)感想

「シーラント」全1巻 矢野健太郎(2003、リイド社)

矢野健太郎感想ページ

(04.1218)



・「シーラント」全1巻 矢野健太郎(2003、リイド社) [amazon]

なあんだ
俺はてっきり
未来から間違って配達された
メイドロボットとか

宇宙人が
精液採取用に
送り込んだセクサロイドとか……

別世界の人型パソコンとか

そーゆーオタクの妄想
系の理屈とか
あンのかと思えば

やっぱ ただのダッチワイフかあ

いえ、ダッチじゃなくてラブドール……
(p52)

POPZONE連載。一人暮らしのサラリーマン・杉田は、偶然会社のパソコンに映し出されたラブドール(超高級ダッチワイフ?)に、昔別れた恋人・友香の面影を重ね、ネットオークションで購入してしまう。
「自分にそんなシュミはない」と自問自答しつつ杉田がドールを風呂に入れたとき、それがしゃべって動き出した! これは彼の妄想なのか? それとも、何か特別な人形なのか……?

等身大の美少女人形・ラブドールを題材としたHマンガとしてはかなり先駆的な内容なのでは(「コットンプレイ」(→感想)でもすでに出てきていたが……)。頭部のつけ方や、身体に付いた型抜きの線、「ハダカでベッドに寝かせておくと静電気でホコリが付く」などのディティールが面白い。

掲載誌が6号で休刊してしまったため、前半のラブドールと友香の謎を交えたお気楽コメディが一転、後半サイコホラーになってしまう。謎も解明されないまま終わってしまうのだが、実は「SFおしかけモノ」のジャンルでホラーに流れるというのは、おしかけモノの主力キャラである「異世界から来た女の子」とはいったい何なのか? ということにハナっから作者が疑問を持っているということでもある。

「ホラー」っていうのは当たり前のことが当たり前でなくなっていく過程を描くということも言えますからね。
そういう意味では、本作は「おしかけモノ」とか「オチもの」といったパターンにとらわれていない作品ということでもある。

ちなみにタイトルの「シーラント」に、ラストの意味が隠されている。

「特別読切」として「いつか見た夢」「ビギナーズ・ラック」を収録。

「コットンプレイ」(1) 矢野健太郎(2000、リイド社)感想

「パート退魔(タイマー) 麗」全1巻 (2002、リイド社)感想

「ドリーマー」 矢野健太郎(1995、学研)

「セルロイドナイト」全1巻 矢野健太郎(1986、1995、集英社)感想

矢野健太郎感想ページ

(04.1102)



・「ロボこみ」(1) やぎさわ景一(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。石上勇介が転校した学校のクラスには、なぜかロボット少女・鈴木ロボ子がいた。しかし、彼女をロボットと認識しているのは石上だけで、他のクラスメイトはだれもそうは思っていないらしい。
その後も、石上を妙に慕っている実妹、副委員長なのに委員長と呼ばれている少女、幽霊なのに石上以外だれも(本人も!)幽霊だと思っていない少女、石上に恩返しに来た化け猫少女などが登場、次々と萌えシーンを演出するが、まったく嬉しくない石上なのであった。

まあ、ロボ子自身は別におしかけてきているわけじゃないんだけど、最近は美少女の方からやってくるより、少年の方が美少女の群れに飛び込んでいく話が多いのでトレンドなんです。
深読みすれば、「ロボ子をロボットと認識しているのは石上だけである」という点において、ロボ子は本作の世界観の体現であり、「異世界の美少女がやってくることによって、日常世界が変質してしまう」という「SFおしかけ女房モノ」に多く見られるシチュエーションを逆転しているとは言える。

こういう、主人公だけが他人と認識が違うというのは、SFやホラーによくある手法だけども、特筆すべきは作者がかなり意識的に従来の「萌え」シチュエーションをギャグとして入れている点にある。
たとえば女の子と二人っきりで体育倉庫に閉じ込められる、キモだめしで好きな女の子とペアを組む、しっかりものの委員長のプライベートをかいま見る、などは広義の少年ラブコメから切り出されてきたシチュエーション(というか、こういうシーンを素材として切り出してきたのはギャルゲーだと思うけど)で、それを出すこと自体がギャグになっている。
「ネコを助けてやったら、美少女になって恩返しに学校にやってくる」なんて、もう完全に最初のネコ登場時からネタふりであるとわかる。しかも、ネコ耳、ネコしっぽを付けていながら、クラスメイトはだれもそのことを不自然に思わず、むしろ石上がいろんな女の子からモテモテ状態になっていることのみに注目するのだ。

要するに、「SFおしかけ女房」モノというのはまず主人公の平凡な日常があって、それを異世界から美少女がやってきておびやかし、なおかつその事件が日常生活のなかにうまい具合に飼い慣らされてゆく。しかし、本来そのこと自体が異常なので、最終回近くになるとその美少女が去っていくなり、何らかの事件が起こるなりしてその不安定状態は日常的方向か非日常的方向か、とにかく別のレベルでの安定状態となる、というのが通常のパターンである。

が、本作においては、いかなる異世界からのキャラクターも、主人公の日常を変えることもなければ精神を変えることもない。どんなに異常なキャラクターが出てきても、それは出てくる前から主人公の住む世界の中にすでに回収されている存在なのである。

話はすっとぶが、実は「SFおしかけ」のさきがけ的存在である「うる星やつら」も、似た構造になっている。タイトルどおり次から次へと男女問わず、宇宙人やら妖怪やらが出現する同作であるが、非日常的なキャラクターが出てきても、それはけっきょくは諸星あたるの日常に回収される。それでどんどん雪だるま式にキャラクターが増えていく。
ただ「ロボこみ」と違うところは、登場するキャラや異常な展開にきちんとツッコミを入れる人々がいて、それが原作だとあたるの悪友たちやしのぶや両親たちである。
当然、作中で起こることは読者にとっても異常事態なので、その心境を代弁する人物が配される。

ところが、「ロボこみ」では、出てくる新キャラは読者にとってあらかじめ了解可能な造形になっている。「ああ、このタイプか」と読者が思えること自体が、パロディというかすでに繰り返しギャグになっているのである。さらにはシチュエーションまでがギャグ化されている。
「うる星」からのこの25年の間に、読者側の了解がそこまで変わってきてしまっているということだ。

「ロボこみ」では、主要なツッコミは主人公の石上が入れることになる。これは世界の異常さを認識しているのが作中でほとんど彼しかいないので当然のことなのだが、主人公対世界、の構造は単純だ。
対するに、「うる星」では「何を異常とするか」の判定をする普通の人々が一定量、いる。ギャグにもっていく上での正常/異常の判断は、「うる星」ではSF的設定以外にも男女間の恋愛感情とか貞操観念であったりして、長期連載だけあって複合的ではあるが、そのどこからもアブれているのがアニメ版では「メガネ」だ。
高橋留美子はその辺の不平等はうまいこと誤魔化していたが、アニメ版では「うる星」世界が「何でもありの狂騒的世界」のように見えながら、実は「メガネ」がいかにワリを食っているかということをしつこく描いていたのは面白かった。
もちろん、メガネのあがきもまたギャグアニメ的狂騒の中に回収されていく、その点も含めて面白いのである。

あれから20年近く経って、「ロボこみ」ではすべてのキャラクターやシチュエーションが了解済みの存在となり、「ワリを食っている者」と「得をしている者」の両方の役を主人公の石上が担っているということになる(そりゃ他の類似作もぜんぶそうだが、本作はギャグマンガなのでそのあたりが顕在化するのだ)。

そして、ギャグをギャグとして成立させるためには、キャラクターの中心には「萌える」という設定なのに「萌えない」という矛盾した存在が必要になってくる。それが「いかにもロボット」な身体の上に、萌えキャラを模した顔が乗っている」ロボ子というわけだが、まあこういうのも好きだという人がいるからいちがいには言えないんですけどね。
(04.0709)



・「まぶらほ」(1) 駒都え〜じ、築地俊彦、宮下未紀(2004、角川書店) [amazon]

「月刊ドラゴンエイジ」連載。小説のコミカライズ。だれでも魔法が使える世界を舞台にした作品。

高校生・式森和樹はエリート魔術師養成学校・葵学園に通っているが、何のとりえもないオチコボレ。生涯で使える魔法の回数も、たったの8回しかない。魔法は使い切ったら、その人間は塵になってしまう。ちなみに、エリート学生の中には生涯14万回魔法を使えるものもいる。

そんな彼のもとに、幼なじみでやきもちやきの自称正妻・宮間夕菜、お色気で和樹を誘惑する風椿玖里子、剣と魔力を操る神代凜が現れる。
三人ともエリート魔法使いで、夕菜を除く二人は、和樹の魔法使いとしての「遺伝子」を欲しがっている。彼自身はヘタレでも、彼の遺伝子を持つ子供は最強の魔法使いになれるからだ。
……というわけで、三人の女の子に追いかけ回される和樹の日常が描かれる。

「かつて国王や教会だけのものだった『魔法』が市民のものとなり、以来魔法を使う権利は平等である」という理念のもとにうち立てられた現代日本にソックリな世界、という背景や生涯使える魔法の回数の差など、面白い設定はあるが、今のところそれがとくには活かされていない。内容的には普通の学園ラブコメ。
(04.0326)



・「マジカノ」(1) 百瀬武昭(2003、講談社) [amazon]

人外の萌えキャラをゲットするのは男の夢(ロマン)じゃないか!
どーゆー夢(ロマン)だ!
(p14)

たぶんマガジンZ連載。平凡というかむしろダメダメな方の中学生・吉川春生(よしかわ・はるお)は、かわいい三人の妹とともに暮らしていた。ある日、ものすごい美少女・魔宮あゆみが転校してくる。なんと彼女は魔女で、しかもメイドとして春生の家に同居すると言う。
大富豪の家庭でわがままに育った彼女はある呪いにかかっており、それを解くには妹たちの間で甘やかされてきた春生を鍛え直す必要があるのだが……?

ヒトの意見にもいろいろあっていちいち気にしていたらキリがないのだが、「すごく絵がキレイ」って書こうと思ったら「絵がキレイでない」ってアマゾンのカスタマーレビューに書いてあった。ガックシ。
まあそれはそれとして、本作の最大のポイントは、魔宮が魔女であるとか、自分がどのような立場にあるかを春生がこの巻ではまったく知らない、理解していないところだろう。
それと同時に、春生とあゆみの関係も恋愛関係どころかまだ友達同士にもなっていない感じである。タイトルどおり「マジカノ」になるにはまだ遠い感じだ。

要するに、今のところはとりあえず春生カンケイなしで、彼の妹たちとあゆみがドタバタするという主人公おいてきぼりの美少女マンガになっている。

そういう意味では、山田こうすけのマンガに近い。

なお、パンチラは全編通してかなり豪快。
(04.0319)



・「マジカノ」(2)〜(3) 百瀬武昭(2003、講談社) [amazon]

たぶんマガジンZ連載。かわいい3人の妹と、美少女メイド・魔宮あゆみに囲まれて暮らしている中学生・吉川春生(よしかわ・はるお)の生活。実は彼は魔法使いだがそのことは知らされていない。妹たちもあゆみも、そして生徒会長・黒須ゆりも全員魔法が使える。

このテのマンガが「よくあるパターン」の順列組み合わせであることは論を待たないが、本作は微妙に、ほんの少しだけ展開を変えていて、「あまりにも展開がバレバレ、先を読む気も起こらない」というような感じではない。 なお、パンチラは1巻以上に豪快。Hなエピソードも多い。
(04.0827)



・「マブラヴ」(1) アージュ、高雄右京(2003、メディアワークス) [amazon]

ゲーム公式ページ

(以下、公式ページより引用)
◆ストーリー
王道を超えた超王道のストーリー展開

白陵柊学園で平凡な毎日を送っていた学園生、白銀武の前に突然現れた少女、御剣冥夜は家に押し掛け、そのまま住み着いてしまう。
冥夜の登場が、幼馴染の鑑 純夏、クラスメイトの珠瀬壬姫、榊千鶴、彩峰慧、そして親友の鎧衣尊人との関係に変化をもたらしてゆく。

お約束の王道イベント。
そして、王道を超えるストーリー展開。
ドタバタコメディタッチの日常から、それぞれのキャラクター達との心の交流を描きます。
武は移ろいゆく現実のなか、一体どんな結末を迎えるのか。

月刊コミック電撃大王連載。お話は……まあ上記引用文のとおり、という感じである。ちなみに、武の元におしかけてくる御剣冥夜は財閥のお嬢さんでサムライみたいな女の子である。

アニメやゲームのコミカライズにありがちなようにかなり説明不足な感じはあるが、ごくたまにハッとするようなネームがあったりする。
それにしても、後半はほとんどラクロスの試合に費やされているのが、これでいいんだろうか??? 続きを読まないと何とも言えないなあ。
(04.0319)



・「愛人[AI−REN]」(3)〜(4) 田中ユタカ(2001、白泉社) [amazon]

ヤングアニマル連載。幼い頃に事故に遭い、身体の半分を喪失するが「他者」を移植され生き延びた少年・イクル。彼は生き延びたものの、その寿命は限られ、いつ死ぬかわからない状況であった。
イクルは市の福祉課に「愛人(AI−REN)」を申請する。これは「精神的援助用再生人造遺伝子人間」、終末期の患者の精神的な救済を目的とした擬似的配偶者、つくられた恋人だった。
「人格をケミカル・プログラムされたお人形さん」だとされる「愛人(AI−REN)」を申請することは、この世界では「恥」だと思われているらしい。イクルが死に直面して恐ろしい孤独にさいなまれている人間だから、その点はほぼ不問にされているのだ。
しかし、愛人(AI−REN)・あいは可愛らしさと無邪気さ、生を肯定する態度を持っていた。彼女と暮らすことで生きる希望がわいてくるイクル。しかし、生まれたら10カ月くらいで死ぬのが「愛人(AI−REN)」の運命。生きる希望とともにあいという他人の死の苦しみを味わうことに恐怖するイクル。

一方、「南半球災害」、その他終末的事象のために、人類全体は滅びつつあった……。

前回の感想からはや3年もの月日が経ってしまった。恐ろしいことである。単行本ベースで読んでいたので、完結編が出てから感想を書こうと思っていたのだが、いつまで経っても出ないのでこちらもそれに合わせて(?)感想が遅れたのだった。
今回感想を書こうと思ったきっかけは、ネットウロウロしていて本作に対して全面的とも言える批判を加えているテキストに出くわしたからだ。ま、感想を書くきっかけなんてそんなものだ。

確かに、私もいくつか疑問を感じないではない。
私が感じた4巻までの疑問のひとつは、さまざまなSF的趣向がこらされているにも関わらず、「愛人(AI−REN)」の概念がわりと曖昧なままにお話が進んでいることにある。
あいがイクルを愛するのは、人格をプログラミングされているからではないのか? それでは、そうした「人工の愛」に寄って生きる力を得たイクルの立場はどうなるのか?

いちおう、第3巻 #18 おかえりなさい で、あいは自分の「愛人(AI−REN)」としての短命を自覚してしまい、恐怖し、「それから地獄の日々がはじまった……」とネームで描写がなされてはいる。が、本来ならプログラミングされたあいとイクルが人間同士の関係を結び直す契機であったはずのこのエピソードはほとんど「省略」に近いかたちで、ほとんどネームのみで描かれたにすぎない。
この部分は#24 あいの絵日記II〜すきなひとといっしょ〜 で、後にあいの視点から描かれるが、ここではわずかにあいがイクルに対する愛情を再確認したというサラリとした描写にとどまっている。

これは、率直に言ってマズいと思う。これではイクルとあいの関係そのものが、主人と「愛人(AI−REN)」の関係を一歩も出ないことになってしまうし、それはさまざまなもの(「愛人(AI−REN)」のマテリアルとなったヒトの人権無視など)を犠牲にしたうえで成り立った偽りの関係ということになるからだ。

あいが自らを「愛人(AI−REN)」であると自覚するエピソードは前述のとおり2つもあるのに、それがなぜわりとあっさり流されているのかは、単行本4巻まででは謎である。

で、私がネットウロウロのあげく読んだテキストでは、この点を非常にきつく批判しているのだが、私はそこまでひどいとは思っていない。というのは、単行本第4巻での、国連事務総長カマロ・カレルレンと謎の団体「HITO」のリーダー・キリトとのエピソードにおいて、「神」と見まごう存在であるキリトは「まるで愛人(あいれん)だ」と言われているからである。
人間はとことん追いつめられたら、「愛人(AI−REN)」のようなにせものの愛情にでもすがらざるを得ないではないか、とここで示されている。だから、作者は「愛人(AI−REN)」の偽善性を、作品で全面展開しようとは思っていないかもしれないが、少なくともどういうものかはわかっていると思うのだ。

もうひとつ、くだんのテキストでは死と常に直面しているイクルが、滅び行く世界を突き放して見ている点も批判されていた。しかし、少なくとも第4巻までは、主人公の死への恐怖やふだんの営みとSF的世界観を直結させようとしている点において、私は「エヴァンゲリオン」や「最終兵器彼女」(→感想)よりはよほどマシだと思っている(ただ、結末でイクル=個と「世界」が乖離してしまう可能性はあるが)。

確かに作品全体にネガティヴさはときおり感じるが、「生きよう!」というイクルの決意が繰り返し現れており、そんなボロカスに言われるよりは前向きな作品だとは思うんである。
ただ、個人的にやはり問題に感じるのは「愛人(AI−REN)」であるあいをどう描いていくかだろう。まさか「二人っきりのラブラブ世界」を構築するためだけに、そんなご都合主義かつ非人間的な設定を思いついたんじゃあるまいな。だったら困るなあ。

困るというのは、この作者は相当な「マンガ力」を持っていると思うからだ。倫理がどうの、生きざまがどうのという以前に、マンガとして面白いのだ。このマンガが成功するとしたら、前向きな結末でしかないと思っている。
作品を道徳的、倫理的観点からのみ批判するのはナンセンスだ。しかし、本作は「前向きな姿勢」を要求する作品だから、私はポジティヴな結末を望んでいる(まあ、もう雑誌の方では完結してるのかもしれないけど。単行本でまた直しが入るかもしれないし)。

・「愛人[AI−REN]」(1)〜(2) 田中ユタカ(1999〜2000、白泉社)(→感想)

(03.1127)



・「愛人[AI−REN]」(5)(完結) 田中ユタカ(2004、白泉社) [amazon]

どのような人間も
決して人生に勝利することは
ありません。
人間は勝利者にはなれません。

ただ降参せずに
戦い続けることが
できるのみです。

最後の……最後まで……

ヤングアニマル連載。基本設定は1〜2巻の感想を参照してください。

ついに完結。2002年のヤングアニマル2〜9号くらいに掲載された分を中心に、加筆を行っての完結編。私はコレはすごいと思った。
少なくとも、最終兵器彼女(→感想)(→感想追記)よりはよっぽどいいんじゃないかと思う。

今回の感想を書く方法として、3巻と4巻の感想で提示された私の疑問がどう解決されているかを見ていこうと思う。

・さまざまなSF的趣向がこらされているにも関わらず、「愛人(AI−REN)」の概念がわりと曖昧なままにお話が進んでいる
・「二人っきりのラブラブ世界」を構築するためだけに、そんなご都合主義かつ非人間的な設定を思いついたんじゃあるまいな。だったら困る

私が4巻までの時点で疑問に思ったのは以上の2点。
まず第一に、「あいって人格をプログラミングされてるからイクルを愛してるんじゃなかったっけ?」という気持ちが読んでいて浮かんできていた。
通常のドラマでは、ここで「あらためて1対1の人間同士として認めあい、愛し合う」というシーンが折り込まれる。厳しいことを言えば、本作でそこら辺がきっちり描かれたとはいいがたいが、あいとイクルの初体験シーンですべて代替してしまっていいかなと思ってしまうほどの「永遠の初体験作家」のすごみさえ漂う甘甘さ。まあとにかく、この作者はこういうのを描かせたら天下一品なのだから、こちらが唸るのもムリはない。
だから許す(笑)。

次の点、つまり「二人のラブラブ世界」と「滅び行く世界全体」との関係だが、これは意外なほど正面から描いたね、という印象だ。正面からぶつかったねえ、と。その受け止め方はバカ正直すぎて感動を引き起こす。客を「感動」に持っていくプロレスや格闘技の試合を見せられているような印象。

つまり、私の解釈は、こういうことだ。滅び行く世界と死期がせまるイクルとあいは、物語の中では非対称だ。たとえばイクルの身体に世界を救うカギがあるわけでもない。「愛人(AI−REN)」が国家の機密プロジェクトに関わっているわけでもない。
しかし、両者ともいつかは「滅び行く」ということでは同じだ。

世界が滅ぶ決定的な理由は「呪い」によってである。「呪い」についてあまり詳しくは語られていないが、どうも現生人類を人為的に進化させる何かであるらしい。
「幼年期の終わり」を連想させる話だが、本作においてはそれは希望でも何でもない。ただひたすらに、人が人でなくなってゆく恐怖が世界中に感染していくのみだ。 モノの本によると、今現在、世界はポストモダ〜ンに移行しているらしいので、その隠喩とも受け取れる。
イクルとあいの死は、それぞれに理由は違うが、「人間はいつかだれでも死ぬ」という当たり前のことにまで、作品として普遍性が持たされてゆく。イクルとあいは特別だから、恋人同士だから死があるわけではない。他のキャラクターたちも、ほとんどすべてが死に直面しながら生きているものばかりだ。

現代人は死についてどう考えているのか。子供や後続世代が自分のなにがしかの部分を引き継いでくれる、ということを、死後の世界や輪廻転生を否定している人でも無意識に思っているのではないか。
もしそうなら、「自分が死んだ後に存在する世界」を認めていることになるから、無意識的に自分が存在する前の世界と後の世界を認めていることになり、何となく完全な無神論・合理的考えとは違う気がする。

では、自分が死んだ後に、世界も滅んでしまったら? まったくの無しかないとしたら? 死は恐怖そのものではないか? その考えが、本作の世界観にあるのではないかと思う。あるいはそこまで到達したということなのかなあ。

でね。#42 ヨシズミ・イクルを読んで思ったんだけど、イクルとあいは、現世でないどこかで再会を誓うんだけど、あいはともかく、イクルはそんなことができるとは思っていなかったんじゃないかと。この辺、マンガ表現として微妙でその微妙さがいいと思うんだけど、「信じたい」っていう気持ちと、反面「死んだ後には何もない」ということとを両方考えていたんじゃないかと。

で、「ボクには愛しい人がいたから一人で死んでいける」って言う。過去に愛したから、愛されたから一人で、無の中に入っていけるという決意、覚悟、あるいは達観なのかなあ。それがすごいと思った。
「死んだら無だ」とか「自分が死んだ後、世界そのものもなくなってしまう」とか、そういうことを引き受けて、なお「生を肯定」してイクルは死んでいったんだと思う。 これが「世界が滅ぶ」ことや「人間が死ぬ」ことに対するガチンコ勝負でなくて何なのだろうか。いやこれはひさびさに感動したなと。

イクルの死後、世界もまんざらなされるがままで終わるわけではないことが暗示されるけれども、これは私にとっては付け足しであって、いや付け足しでもエンターテインメントだから悪いことではないと思うんだけど、死後の世界だとか自分がいなくなった後の世界だとかがなくなってしまっても、人間は生き続ける必要があるのか? をここまで正面きって描いたことには、敬服する。

しかも、おそらくイクルの死は現実世界で起こった同時多発テロとそれにつらなる戦争とを明らかに暗示したものなのだ(しかもどちらの被害者ともとれる、象徴性の高い描き方だ)。

いやあ、待たされた甲斐はじゅうぶんにありました。泣けたねえ。
(04.0930)



【ドラマ】・「金曜時代劇 ゆうれい貸します〜お染・恋の七変化〜」(2003、NHK)

公式ページ(このテキスト書いたときは、まだ残ってた。偉い)。

「SFおしかけ」ものは、マンガ以外にもアニメ、映画、ライトノベル、ドラマなど各方面にあるのだがチェックしきれずサボっています。すいません。今年の6月頃やってたドラマです。

江戸のやんぱち長屋に住む、男やもめの桶職人・弥六(風間杜夫)の前に、辰巳芸者・お染(鶴田真由)が突然現れる。彼女はなんと「幽霊」であった。
お染は100年前、弥六の前世である侍と固い契りを交わしながらも、非業の死を遂げていたのだ。
成仏できずこの世をさまよい続けたお染は、ついに生まれ変わった恋人である弥六を探し当てたのだが、弥六はお染のことをまったく覚えていない。
そんなこんなでドタバタするうち、弥六はひょんなことから頼まれた人助けを、お染とお染の母幽霊・(朝丘雪路)、武家娘の幽霊・みつ(乙葉)の力で解決する。
これに気をよくした弥六は、幽霊を貸し出して恨みや悩みを晴らす「ゆうれい貸します」なる商売を考えつく。
一方、お染とその母は、弥六と出会ってから四十九日までに弥六に愛されないと成仏できず、地獄に堕ちてしまうことになるのだが……。
全5回。原作は山本周五郎の「ゆうれい貸屋」。私は未読。脚本は3話以外は「六番目の小夜子」の宮村優子(声優とは別人)、3話は福田卓郎。

・第1回「忘れられた絆」(6/6放送)
しょっぱなから、お染の登場が弥六視点ではないところから「SFおしかけ女房モノ」の常道をはずしている。っていうかはずしててもいいんだけど、そうしたシチュエーションコメディの意識がつくり手に希薄なのか。
お染の母幽霊の朝丘雪路は、どう考えても「奥様は魔女」のサマンサの母親を意識していると思うのだが。
鶴田真由の幽霊は、艶っぽくてとてもイイ。
弥六が前世で「身のほど知らずで何が悪い」みたいなタンカを切っていて、この「身のほど知らずでいいじゃないか!」というのが全編通してのキーワードになっている。

・第2回「偽ゆうれい」(6/13放送)
いちおうごく単純な謎解きがあり、「ゆうれいを貸してもうまくいかない」ことから転がるドラマが毎回の定番になるなら面白いと思っていたのだが……。
この回ではカワイイ幽霊・おみつ(乙葉)も人を脅かそうと恐いバージョンで登場。これがなかなかきれい恐くてよろしい。

・第3回「腰抜け侍」(6/20放送)
「腰抜け」という噂が広まりすぎて、私闘をせざるを得なくなった侍の苦悩。プロットはとてもよくできていて、山本周五郎はまったくわからないが他の短編か何かから持ってきたのだろうか?
ただし、いちばん肝心なところを登場人物のセリフだけでおさめてしまおうとする傾向はいかがなものか。

・第4回「めぐり逢い」(6/27放送)
おみつ(乙葉)が、自分の自殺の原因となった、裏切られた駆け落ち相手・惣右衛門(佐野浅夫)と50年ぶりに巡り会う。が、お話がそっち方面にまったくふられず肩すかしを食らった。乙葉と佐野浅夫のからみだけで、面白い話はいくらでもつくれるだろうに……。
お染が弥六の心を射止めるという設定も、この段階で少し苦しくなっている。

・最終回「別れの花火」(7/4放送)
お染と弥六の仲はなんとなくなしくずし的にまとまってしまった。やはり弥六が前世についてまったくおとしまえを付けなかったのがグダグダになった一因ではないかと思う。「無鉄砲で身のほど知らず」というキーワードも、クライマックスで生きたとは言えない。

(感想)
全体的に、つくり手にファンタジーマインドが欠如しているなあと感じた(メインライターの人は「六番目の小夜子」の人なのに……)。せっかく「幽霊」という設定を使っているのだからいくらでも飛躍した話がつくれそうなのに、そのあたりが活かされない回が多かった(とくに第4、5回はタネ切れ感が強い)。
意外に後半のお話が淡泊で驚いたのだが、これはもしかしてシチュエーションコメディの常道を知らないか、視聴者が飛躍を好まないかのどっちかだろう。

しかし、元芸者であるというお染はなかなかきっぷが良くて色っぽい幽霊でよろしい。武家娘なのに、お染のパシリ的存在のおみつもかわいかったです。
(03.1111)



・「R・PRINESS ロケット・プリンセス」全3巻 安西信行(1994〜95、小学館) [amazon]

週刊少年サンデー連載。ケンカ以外にとりえのない高校生・石橋甘悟の家の隣に、カワイイ女の子・大空小姫が引っ越してきたと思ったら、何と同居することに。
しかも小姫はサイボーグで、背中にロケットまで背負ってるからさあ大変、クセのあるキャラクターを巻き込んで騒動が持ち上がる!

94〜95年頃の作品だが、2001年に全2巻でワイド版が刊行された。ここにあがっている書影はワイド版の方。
ある意味、少年サンデー系SFラブコメの集大成的作品。強い女きょうだいの中で育ったために、ことさらに「男らしさ」を誇示したがる主人公がラブコメに巻き込まれるという設定。
学園全体を巻き込んだドタバタ、「ロケットを背負った美少女」という小姫のキャラ造形、そして小姫のライバルである美少女、キャタピラクイーン・大地帝(孤独なスケバンっぽいおねえさま)、スクリューレディ・舟木海(気の弱いややロリっぽい美少女)……。

いちおう、空飛ぶサイボーグである小姫のライバルとして、超強力なローラーブレードを履いて地を駆ける帝と、両手にそれぞれスクリューと魚雷発射装置を付け、水泳の得意な海が出てくる、という設定は面白い。

しかし、最大の問題は「なぜ小姫はロケットを背中に背負っているか」の理由が非常に希薄なところだろう。
天才科学者である父によってサイボーグとして蘇った小姫だが、途中までロケットだけは死んだ母親がつくったものだとか、何かそういうのがあると思ってたよ。
別になかったよ。

最終回も、いくら何でもご都合主義すぎる。ただ、こういうパターンの作品が大好物という人はいると思うので、そういう人はまあチェックしてもいいかなと思うが……。

【関連作品】
・「美鳥の日々」(1) 井上和郎(2003、小学館)

・「ナズミ@」(1) 岸みきお(2001、小学館)

・「ナズミ@」(2)(完結) 岸みきお(2001、小学館)

(03.1006)



・「Petit-ろいど3(スリー)」(1) 幸田朋弘(2003、ヒット出版社) [amazon]

成年コミック。「COMIC阿ロ云(あうん)」連載。柴又陽一は、父親の海外転勤についていかず、一人暮らし。そこに、天才科学者である祖父・柴又一得から送られてきた「いいモノ」……。それがミツキカリンキララという3人のアンドロイド少女だった。
ひっこみ思案なめがねっ娘のミツキ、元気なスパッツ少女・カリン、クールなお嬢様系美少女キララ。この3人は、陽一にご奉仕(身の回りの世話などのサポート)することで設定されたポイントが累積、それが頂点に達したとき「ご褒美システム」が発動。
合体し、ポイントの溜まった少女を代表してアダルトフォームへと変身する。要するに、「ゲッターロボ」みたいなシステムである。

で、代表する形態でエッチしてもらうことを「ご褒美」としている。「SFおしかけモノ」は、「Hをしたくてもできない」ことがキャラクターの関係を不安定にし、そこからドラマが生まれてくるのだが、本作の場合は「Hを求めすぎる」ので関係が不安定になる。まぁそういう設定の方がどっちかというと自然ですかねぇ。そうでもないか。

いや〜実にひさしぶりの当コンテンツの更新だ。単にサボってただけです。すいません。
作者は「あっちのカナカ」(→感想)「つくもがMIX」(→感想)で「SFおしかけモノの新星」として個人的に期待していた人。絵はキレイだし、出てくる女の子のちょっとしたアイディアも面白い。美少女マンガというのはこうでなくっちゃね。
(03.0821)



・「Petit-ろいど3(スリー)」(2) 幸田朋弘(2004、ヒット出版社) [amazon]

成年コミック。「COMIC阿ロ云(あうん)」連載。基本ラインは1巻(→感想)とまったく同じなので、感想はいいかと思ったんだが前巻からちょうど1年くらい経ってるからね。忘れちゃってる人は忘れちゃってると思うんで。

新キャラとして、陽一の遠縁で初Hの相手・皆川春華と彼女をモデルにしたセクサロイド・ロボ春姉、君塚美々子がつくったセクサロイド・撫子などが登場。やってることはHマンガなので1巻とそう変わりませんが。
エロマンガの場合、女の子の体はこれくらいの均整のとれ具合がいいです。もう巨乳とかロリはいいです(本作ではロリもかなりの頻度で出てきますが)。
(04.0827)



・「Petit-ろいど3(スリー)」(3)(完結) 幸田朋弘(2005、ヒット出版社) [amazon]

成年コミック。「COMIC阿ロ云(あうん)」連載。
刊行されていたことに気づかず、出てから1年近く経ってからの間の抜けたレビューになってしまってすいません。

新キャラのくノ一タイプのアンドロイド「ライカ」が登場するが、まあ別にどうっちゅうことなく終わる。しかし、本作の場合その「どうってことなさ」が愛しいのだからそれはそれでいい。

それほど設定が細かくない美少女アンドロイドのトランスフォームなどは、それだけで愛おしいですよ。
あ、メカはキッチリ描いてありますけどね。「どのパーツがどの機能を表している」といったふうに細かくなると、それはまた別のマンガだからね。
いい意味で「大味」というのが、自分がマンガやアニメに求めていた要素のひとつでもあるのだからして。

それにしても、チンチンの消しはもう少し濃くてもいいんじゃない?
(06.0701)

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