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「つれづれなるマンガ感想文」7月後半
「つれづれなるマンガ感想文」8月後半
一気に下まで行きたい
週刊少年チャンピオン連載のギャグマンガ。新キャラの小学生・塒(トグロ)がかわいい。
2003年に起きた、イベントサークル「スーパーフリー」によるレイプ事件の経過を追ったノンフィクション。
女子高生・小林冬子は学校をサボっているとき、ふとした衝動から貨物船に忍び込む。船がたどり着いたのは、ほとんど何にもない小さな島。三週間は貨物船が戻ってこないということで、行くところのない冬子はしかたなく熊谷という廃品回収業の男にやっかいになる。
第5回メフィスト賞受賞作。
第23回メフィスト賞受賞作。
前作から二週間。京都の大学に戻ったいーちゃんは、たまたま授業で一緒になった女の子に誕生パーティに呼ばれたり何だりしているが、その頃、京都では連続殺人鬼が人々を震撼させていた……。
「ビッグコミックスピリッツ増刊 MANPUKU」、「ビッグコミックスピリッツ増刊 漫戦」、「ビッグコミックスピリッツ増刊 山田1号」などに掲載。
ビジネスジャンプ連載。アイドルになることを夢見る海ひろみが、ただひたすらにメチャクチャなことをやる。途中から本当にアイドルになりたいかどうかもわからなくなるギャグマンガ。
「花と蛇」、「家畜人ヤプー」などの作品を出し、1950年代〜70年代半ばにかけて続いた総合変態雑誌「奇譚クラブ」について解説した本。
【雑記その3】・「トラウマ児童文学」(ニュースな本棚)
・「フェイスガード虜」(4) おおひなたごう(2004、秋田書店)
【書籍】・「ドリーム・キャンパス スーパーフリーの『帝国』」 小野登志郎(2004、太田出版)
【テレビ】・「闘龍門F」(8月7日、2004、フジテレビ)
【小説】・「クリスマス・テロル invisible×inventor」 佐藤友哉(2002、講談社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」36号(2004、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」37+38号(2004、集英社)
【雑記その2】ガキガキハッキョウズ
【映画】・「マッハ!!!!!!!!」 原案・製作・監督:ブラッチャヤー・ビンゲーオ(2003、タイ)
【小説】・「記憶の果て THE END OF MEMORY」 浦賀和宏(1998、2001、講談社)
【小説】・「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言使い」 西尾維新(2002、講談社)
【小説】・「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識」 西尾維新(2002、講談社)
【映画】・「スパイダーマン2」 監督:サム・ライミ(2004、米)
【雑記】死、そして再生、そして死。あるいは「だいなし」
・「山田シリーズ」全2巻 吉田戦車(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
・「アイドル地獄変」全1巻 尾玉なみえ(2003、集英社)
【書籍】・「『奇譚クラブ』の人々」 北原童夢、早乙女宏美(2003、河出書房)
【雑記その3】・「トラウマ児童文学」(ニュースな本棚)
・「トラウマ児童文学」(ニュースな本棚)
ハカセとコミ子の会話形式ブックレビュー。スズキさん(テキスト)とkashmirさん(イラスト)のスマートさの中にひそむダークネスな持ち味、本来的なトラウマテイストがファンタジーに結実してるといいますか、わたし的には満を持して来た! という感じの企画です。
トラウマ子供向け本というと、確か2ちゃんねるにスレだか板だかがあるというくらい定期的にネットで話題になりますが、今回の「ニュースな本棚」はどこかかわいらしいところを残したラインナップのところがミソだと思います。年齢層を低めに設定しているからかな(まあ、「ぼくはお城の王様だ」は、あらすじを読むかぎり大人でもトラウマになりそうですが)。
個人的には「モモちゃんとアカネちゃん」がそんなにダークな話だとは実はリアルタイムでも知らなかったし、舟崎克彦はわりと超時代的なトラウマ物件なのだなとある種の感慨があったりしましたね。「ババロワさんこんばんは」[amazon]という話がもう死ぬほど怖かった。
それでまあ、私も「幼少時トラウマもの」についてはいろいろと思うところがありますが、あまり話題にしません。
それは、いろんなヒトから「あれもトラウマだった、これもトラウマだった」と次々と恐ろしい話を聞かされるからです!(笑)
ですが「なんでこんなにこの世にはトラウマ物件があるのだろう」というのが、私がものを考えるほとんど基点であり、15年くらい考え続けていましたが疲れたのでやめました(笑)(ある程度答えは出てます)。
「今」と「昔」を明確に分けるとしたら、「無造作に転がされたトラウマ物件の存在」がひとつの基準としてあるかもしれません。たとえば現在でも「実話ナントカ」のように見せ物小屋的な恐ろしいトラウマ的な記事が載りますが、それはやっぱり80年代価値相対主義を経てのものなのです。
私の子供の頃は、有名な都市伝説である「海外旅行でダルマにされる女の話」を相対化してくれる大人なんてだれもいませんでした(笑)。しかも、大人に聞いてみるとダルマ人間の都市伝説は戦後すぐからあるらしく、さらに上乗せして違う話を聞かされました……助けてくれー。
たまに聞かれるトラウママンガとして「ブラック・エンジェルズのバアサンが不良にボコボコにされる話」が話題にのぼりますが、あれは多分に「これはネタだ」というサインが入ってました(読んでる子供はわかんないですけどね)。
でも、それ以前の劇画ってヘタだということもあったんでしょうがネタなのかマジなのかがわからずただひたすらに残酷なものが多く、怖かったです。「あばしり一家」で両手両足切り落とされた先生がそのまんまで別の話にも出てきてて、あれはネタだったのかマジだったのか?
ちなみに軽いところで例をあげるなら、私の幼少時のトラウマ劇画は「新・カラテ地獄変」です。
小さい頃、亡父に「マンガと劇画ってどう違うの?」と聞いたら、
「女をハダカにしてつるして鞭でひっぱたくのが劇画だ」と吐き捨てるように言われビビりましたが、ありゃあ「週刊サンケイ」に載ってたカラテ地獄変のことだったんですな今考えると。
ちなみに、オヤジの名誉のためにいっときますがそっち方面のシュミはなかったようですのであしからず。逆に妙にマジメで、タモリとかふざけた芸人が相当キライだった人なんで、当時の劇画事情にウンザリした発言だったと思われます。
というわけでトラウマ児童文学からだいぶ離れちゃいましたが、また戻します。mhkでタイトルが上がっている「おしいれのぼうけん」[amazon]は、先生が授業で読み聞かせてくれて、個人的にはトラウマものというより冒険ものという印象が強い作品です。
それで思い出したのが「まけないアキラ」[amazon]という作品。ほとんど本など読まなかった小学生時代の私が、唯一感動したおはなしでして、内容はいつもおもちゃで遊んでいたアキラくんが、大きくなってきておもちゃより友達と遊ぶ方が楽しくなってきた。
ところが、夢の中に今まで遊んできたおもちゃたちが「おれたちとあそべー、おれたちとあそべー」って襲いかかってきます。
よくあるパターンですが、やっと逃げ延びてアキラがタクシーに乗り込み、ホッとしたときに運転手が振り返ると、その顔がサルのシンバルをジャンジャンやるおもちゃだったとか、なかなかハラハラさせます。
で、当時驚いたのは、この話は読んでいる最中は「遊んだおもちゃは思い出として大切にしよう」という教訓ばなしだと思ってたんですよね。ところが、夢から覚めたアキラは、今まで遊んできたおもちゃをすべて捨てちゃうんだか土の中に埋めちゃうんだかしてしまいます。
「ぼくは友達と遊ぶ方が楽しいんだ!」とか言って。
ネットで調べたら作者は山中恒。「おれがあいつであいつがおれで」の人でした。まあ今読むと、むりやり自立を称揚するような内容に胡散臭さを感じるとは思うんですが、小学校二年生当時は、何というか成長のために思い出を勇壮な決意とともに捨て去ってしまうというね、その潔さに感動したんだよな。
30年くらい再読してないんで、本当にそういう内容かどうかの責任は持ちませんが。
(04.0813)
・「フェイスガード虜」(4) おおひなたごう(2004、秋田書店) [amazon]
なんかすごい悪いこと書いてるように自分で思えるんだけど、手のこんだおまけページは……私にとっては……いらないです……。あと持ってるはずの1巻と3巻が見あたらないんで、ダークな気持ちになった。
・3巻の感想
(04.0812)
【書籍】・「ドリーム・キャンパス スーパーフリーの『帝国』」 小野登志郎(2004、太田出版) [amazon]
「新事実発覚!」というようなセンセーショナルな記述はないが、ネットなどであれだけ大騒ぎになっても三日後にはみんな忘れているような風潮にあり、こうして書籍として残すことは重要であるように思う。
1回のレイプで実刑判決を受けた者もいれば、さまざまな経緯で常習犯にも関わらずお縄から逃れたやつもいるようだ。天網恢々なんてウソなんだ、とあらためて絶望的な気分にもなるが、こういうことを知っておくのも人生の修行だ。
また、ワダサンに対する世間の心証を悪くするため、他メンバーには許可した散髪を検察がなかなか許可しなかったなど(このため、捕まってからも長髪であることをマスコミにけっこう叩かれたらしい)、そういう細部の事情を知っておくのもまた人生の修行である。
本としては、時勢に遅れて大学時代、学生運動をしていたという筆者が「スーパーフリー」という遊び系のサークルに感じるとまどいが興味深いというか面白い。遊び人系大学生のノリに否定的だったり理解できなかったり、それといまどきの若者の性意識にあきれかえる人々はほとんど同じ感想だろう。
今回の事件に関し、連合赤軍やオウムとの類似性を感じる人もいるだろう。しかし、確かに組織の拡大にはワダサン自身のカリスマが寄与していたのだろうけれども、レイプ事件に関してはスーパーフリーの結束性(そういうものがあったとすればだが)とは関係ないと思う。
だって、ラグビー部のどこそことか、集団レイプ事件ってけっこう耳にするから。一部の大学生が恒常的に、そういう「ノリ」を保持しているとしか思えない。
本書の中で、スーフリの顧問だった教授が「スーフリ事件より大学構内のイチョウ並木の行方の方が問題」とコメントしているが、このコメント、組織的レイプ事件に対する評価としてあまりにひどい、ひどすぎると思うけども、なんというか大学独特の、物事に対する距離の取り方を象徴しているなあとも思う。
大学に対する「スカされた気持ち」をひさびさに思い出してしまったよ。
本作では、大学の空洞化というか虚構化を、事件とつかず離れず評している。事件と直接の関係はないので、微妙に筆は押しとどめられているが、私はやっぱり関係あると思いますよ。
宮崎事件が、象徴的な意味でオタク界の自家中毒のどん底だったとするなら、スーフリ事件っていうのは70年代後半あたりからの、遊び人系大学生のふるまいの自家中毒した結果でしょう。あるいは「新人類」の退廃のきわみというか。究極退化というか。
大塚英志が「『おたく』の精神史(→感想)の中で、「新人類とおたくは男性原理を隠蔽してた」と書いていたことに対し、隠蔽も何も、そんなこと考えてもいなかっただろうという感想を書いた。しかし、スーパーフリーの男性中心的な組織構成を見るにつけ、意識的にはともかく、無意識的に隠蔽していたのではないかという疑念は生じてくる。
っていうか、一般人が思っているほど大学生は頭よくないってことなんだろうけどね。
(04.0812)
【テレビ】・「闘龍門F」(8月7日、2004、フジテレビ)
なんか、期待の新人エンターテナーを、フジテレビを背負って立つ「フジっ子」として推していこうという特番らしい。以前に一度やっているらしい。最終的に優勝が決まるとかそういうのはなかったハズ。3時間45分もあって、コレを録画したために映画「ウハウハザブーン」を一回も見ずに消さなければならなかった。しかも、見終わるのにえらい時間かかった。よって、感想を書いてみることにする。
つまり、真に面白いものよりも見るのに苦労したものの方が感想を書いてみたくなるという私の習性によるものである(個々の芸人は面白かったが、番組の構成には少々ダレた)。
それにしても、私の根があらゆるエンターテインメントに対して在宅系なのは完全に故・ナンシー関の影響だと思ってもらってかまわない。お笑いに関して圧倒的に在宅系ウォッチャーを増やしたのは彼女の功罪の罪の方だと思います。
しかし、今さら後戻りはできないんです!!
なお、面倒くさくなったので出演順はバラバラ。コメントしてないのもある。主にお笑いについて感想を書いてみた。
・ガリットチュウ
初見。司会が解説しては舞台ソデからボケが出てくるという趣向。「フセインの銅像が倒れるところのマネ」などは面白かったが、司会役の言っていることがぜんぶ滑ってた。
・マギー審司
いつもどおりでした。耳がでっかくなってた〜。
・エレキコミック
確か生徒会立候補のネタだったと思う。エレキコミック、オンバトで人気が出始めたときは片方の顔だけが面白くて内容はイマイチだと思ってたのに、最近は普通に楽しめる。いや、むしろ楽しみにしている自分がいる。何でだろう。うまくなってきてるのか、私の方が慣れたのか。
・青木さやか
歌を歌ってるだけなので早送りしてしまった。確か友近は歌手を目指してたというから、そりゃ友近の方がうまいよ。それと、27時間テレビでチラリと見た森三中のいちばんデカい人があまりに歌がうまいので驚いた。
・アンジャッシュ
二人とも顔は普通だし、いつもすれ違いネタ、勘違いネタでものすごいオーソドックスなコントなんだけどここまで人気が出たということは、彼らが今の中高生のコントにおける「オーソドックス」のスタンダードになるんだろうなきっと。
・ハローバイバイ
けっこう好きなんだけど、ネタ中にドッキリが入ってしまった。興ざめだ〜。
・品川庄司
漫才は面白いが、品川の「スポーツ狩りが少し伸びた頭で黒いタンクトップ」というファッションはものすごい気持ち悪い。それと、バラエティなどに出たときの品川のからみ方もなんだか気持ち悪い。ファンの人すいません。だけどこの人の場合、オカマキャラを全面に出していないにも関わらず「もしかしてオカマかも?」と思わせるところが、疑似オカマの藤井隆とは対極をなしている。
・アンタッチャブル
お笑いブームでも何でもない頃、「笑わせろ!」というお笑いライブを放送する番組があり、その頃から応援したので売れてよかったなと。個人的にツッコミがブチキレすぎるとあんまり好きじゃないんだけど、関東勢、あいかわらず少ないので頑張ってほしい。
でも、ここまで来るには伊集院光にラジオ番組でいじめ抜かれなければならなかったと思うと、たいへんな世界である。
・ダチョウ倶楽部
またやってるよ「ゲーセンみたいな靴屋」。でも好きだからいいや。太鼓ゲームのネタを入れたのは付け焼き刃だったけど。
・スピードワゴン
テレビで無意味なことをやりつつ、メジャーを目指しているのは私の知るかぎりこのコンビと、あと2、3だけかな。スピードワゴンと言えば、私にとってはキザネタよりも無意味ネタ。いつも楽しみに見ています。
・マイケル
前にも書いたけど「一枚、二枚、三、マイケル!」とか言い続ける元ダンサー。でもものすごいケンカ強そう。
・中村豪(やるせなす)
一人で、ビデオにツッこむという新趣向。新趣向でこういうことをやってるのか? ビデオの内容がかなり面白かった。陣内智則との比較は……う〜ん、わかんない。
・アンガールズ
ショートコントより、長めの方が好き。「シュール」ってレッテルが貼られると、とたんにグダグダになるのではないかという恐怖が私にはあります。
この人たち、よく「骨格がヘン」とか言われてるけどそうじゃない。二人は「昭和60〜70年代、新宿のフーテン族の顔」だっ!!
・ヒロシ
元ホストで自虐あるあるネタ。かなり面白いんだけど、今より人気が出たときにどう対処するんだろう。
・安田大サーカス
出まくってるなあ。毎回同じことをやって、それをちょっとずつずらすとか、考えてる。
・タイムマシーン3号
けっこう面白いです。そういえば、安田大サーカスほどフリークス的な人を除けばデブ芸人ってこの人とあとダイノジくらいしかいないな。
・タカアンドトシ
うまいです。コンクール的な場で実力を発揮しそうです。
・井上マー
初見。「尾崎豊風の教師」という一人芝居みたいなやつ。単にマネというだけではなく、叫ぶ言葉がいちいち尾崎風になっているという趣向。
・千鳥
「スピードワゴン」以外に「無意味」をテレビで継承するのはこの人たちかもしれない。わたし的注目株。
・南海キャンディーズ
初見。関係性不明の男女漫才ということで衝撃を受ける。これで夫婦だったりしたらガッカリしてしまうんだが。でもテレビで売れるんだったら関係をハッキリさせるしかないだろう。何あれこれ考えているんでしょうか私は。
前フリで紹介していた中野美奈子、おまえの奢りにはもうウンザリだ!!!!! 映画「スウィング・ガールズ」のレポをセーラー服でしなさい(ホントにしてた)。
・東京ダイナマイト
女子プロゴルファーの先輩後輩コント。ごくたまーに、たけしやたけし軍団がやってたナンセンスギャグを継承してもっとトボけさせた感じ。私は好きなんだけど、独特の間があって観客はとまどってた。
・カンニング
「お笑いタイガーズゲート」で見て以来、面白いと思っていたがこんなに売れてくるとは思いませんでした。彼らのキレ芸は、私にとって芸ではなく人生そのものです。参考にしてます。
・リチャードフォーチュン
手品師。それにしても最近の手品は段取りが大変すぎて、驚きが少ない。
・キングオブコメディ
ボケの方が、根本敬的なプリミティヴな顔をしている。おれの独断では「ハローバイバイ」をもっと殺伐とさせた感じ。
・パンクブーブー
すまん、忘れた。でも面白かった。
・杏さゆり
顔が命のタレントが、キャップかぶって出てくんな! 露出も最小限。テレビで歌うということを、何もわかってない。
・インリン・オブ・ジョイトイ
インリンも歌。きわどい衣装といい、すべてをわかっている。番組ラスト、ほとんどビキニの衣装の上に薄ものをはおっていたんだが、カメラをむけられると胸の谷間をさりげなく隠していた。いやあ、わかってるねえ。
・森下千里
歌を歌っていた。緊張のせいか、高音が出ていなかった。衣装は杏さゆりよりよほどマシ。
(04.0812)
【小説】・「クリスマス・テロル invisible×inventor」 佐藤友哉(2002、講談社) [amazon]
熊谷の仕事を手伝っていた冬子は「ぜんぜん使えないから、別の仕事をしろ」と言われる。それはある小屋に住み、ひたすらパソコンにむかって何かを書いている男を監視するというものだった。しょうがないのでその単調な仕事をやり続ける冬子だったが、ある日、小屋から監視対象の男が消失してしまう……。
「佐藤友哉は、『クリスマス・テロル』を抜きにしては語れませんよ」と言われていたので読む。
ここまで読むのが遅れてしまったのは、なんだかあらすじを聞いているとトリックが反則くさかったし、私の中では「水没ピアノ」(→感想)がなかなかよくできた作品で、その感動というか感慨を保持していたいという気持ちがあったからなのだが。
で、本作。これから書くことはネタバレにはならないとは思うが……いちおうネタバレとしておきますか。
作中には作者は出てこない。しかし、数多の「作者自身が登場する小説」と比較して、その出来不出来は論じられるべきだろう。他の方のレビューに書いてあったけど木多康昭の「幕張」にも作者は確か出ていた。「代表人」にも出ていた。「バンパイヤ」や「サンダーマスク」には手塚御大が出ていた。ジョージ秋山は作中で「自分は人を殺したことがある」とか突然言いだしたそうだ(私は未読)。
小林よしのりの場合、「ゴーマニズム宣言」よりもむしろ本作に近いのは「ゴー宣」的方法をフィクションに利用できないかと模索して書かれた「次元冒険記」だろう。筒井康隆には詳しくないけど、彼の作品にもなんかありそうだ。
私が本作に抱く感想というのは、以前「エナメルを塗った魂の比重」の感想で書いたこととほぼ同じだ。
以下、一部再掲。
しかしだ。そんな作中の「どうせおれなんてダメだダメだそう思っている自分がすでに自意識過剰でダメだオレなんて」的な、絶望的な吐露が、「小説」というかたちになったためになにがしかのかたちで「評価」されていく(だってこの小説だって本になって世に出て、印税とかももらっているだろうし)ということは、やはり作品のテーマと矛盾していると思う。
たぶん本書を読んで同じような自意識を持ち合わせ、それを社会に向かって解放できないことに悩んでいる若者に「こういう人もいるんだからあわよくばオレも」みたいな気を起こさせる以外に、何も問題は解決されていないことは指摘していいのではないか。
まあ、若者にとっては「もしかしたらオレも」と考えられること自体が救いなのかもしれないが、私はだまされん。どんなに作者自身が絶望的なポーズをとってもね。
たとえば、大槻ケンヂは自己表現に悩みながらも、自分の表現者としての特権性を意地悪く自覚している。この作者が同じことを自覚しているかどうか。いや、あるいは自覚したら面白くなくなってしまうかもしれないし。だから作家という商売はある意味ナンギですね、とは無責任に言えるのだけれど。
本書あとがきには「要するに売れないんだ」と赤裸々に書いてあるんだけど、それにしたってさあ、まだ二十代前半でしょ? 才能があるのにこの作者より売れてない人、才能がなくてがんばって結局才能がなかった人、才能もなくてがんばってもいなくてひたすら迷惑な人、私はいろんな人を見てるんで、若さも才能もチャンスも持ってる佐藤友哉が「なんでこんなこと書くの!?」とか哀しくなってしまう。
前述の小林よしのりつながりで行けば、「厳格に訊け!」[amazon]だったかな、悩みを解決するという厳格和尚が「あいつは悩み続けることで音楽活動をやっているんだ、あいつの音楽と悩みは不可分だから悩みは取り除いてやれない」みたいに評するミュージシャンが出てくる。
まさに佐藤友哉ってそんな感じの人で、いちがいにお説教してどうにかなる人じゃないとは思うんだけどもねえ。
文章は4作目でいちばんうまい。妙にクセのあった女子高生言葉も完全に消えている。本当に、1作ごとにうまくなってるんだから、何とかしてよホントに。
・「フリッカー式 鏡公彦にはうってつけの殺人」(2001、講談社)感想
・「エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室」(2001、講談社)感想
・「水没ピアノ−鏡創士がひきもどす犯罪」 佐藤友哉(2002、講談社)感想
以下は、今さらですが佐藤友哉および「クリスマス・テロル」関連サイト。
佐藤友哉氏関連リンク集(その手でMな子猫を守れ)
「クリスマス・テロル」感想リンク集(こどものもうそう)
(04.0811)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
公式ページ。
興味のない人はアンテナがあがるたびにこんなの読まされてムッとしてるかもしれませんが、どうもすいません。
とりあえず週刊ポストの青木さやかの水着グラビアに気づかなかったのがかなり不覚な一日だった。
青木さやかってあのお笑い芸人の青木さやかね。
ぜんぜんどうでもいいが、昔、春やすこ・けいこのヌードにはけっこうヒいた記憶がある。
あと、最近よく出ているらしい細木和子も昔「スコラ」かなんかでヌードになってるのは有名な話ですよね。当時のスコラは、脱ぎそうで脱がない人を脱がせるのがいちおう目玉だった記憶があるが、ただひとつ言えることは、おれが、おれだけが、世界に愚弄され続けているということだ。
本題。
8月8日放送分。
緊急企画 今までスタジオを盛り上げてくれた辻ちゃんと加護ちゃんのためにアタシ達が闘うわ 最後にタップリ楽しんでプレゼントもらってってよSP。
要するに辻加護の卒業スペシャルですね。何度も書いているように、ハロモニ。の卒業スペシャルというのは過去映像総集編で懐かしいー、なんていうのはほとんどなく、その場のゲームで楽しみます。
今回は娘。メンバーを二つに分け、それを巨大な将棋盤のようなものに配置、辻と加護がゲーマーとなって娘。のコマを動かし、止まったところで盤上に描かれたゲームをやってもらおうという企画。人間将棋みたいなもんですかね。
巡回してみると、「ラスタとんねるず」という番組で同趣向のものがあったそうです。
まあこの人数、およびゲームに使える時間からして、タイトなゲーム展開になるとはとても思えなかったのでまったりと視聴。それでも、途中で劣勢になったゲームマスターの辻自身が盤上に降り、自らが腕相撲や尻相撲で勝ち上がっていくところなんかは理想の展開ですね。
ゲーム終了後、加護の「モーニング娘。を一人じめできたみたいで楽しかった」というコメントは、まあ「加護ちゃん辻ちゃんって双子みた〜い」というくらいの認識しかない人にはわからないと思うんですが本当にクレバーさを感じさせます。そこらのアーティストを自称する人のコメントと比較してもちゃんとしてる。「ライブハウス武道館へようこそ」レベルのことは年がら年中言ってるからね。
あとglobeケイコの「私の方がナイナイ岡村よりツッコミがうまい」っていうかつてのコメントも、あの人が玉の輿に乗った時点でウヤムヤになってしまったしなあ。まあアーティストの無責任発言としておれアカシック・レコードにきざまれてるってだけのことなんですけどね。単なる暴言でぜんぜん広がりがなかったよなぁ。
コンサートでの卒業風景も映し出されたが、気合い入れのための円陣を組んでいる段階で泣いている矢口、辻加護の卒業シーンを見てなぜかボロボロ泣いているみうなが印象的。
まあ常識的に考えたって、ハロプロの中でいい思いをしてる人としてない人がいて、みうなだって冷や飯食わされてる方だと思うんだけど、そういう人が辻加護という他人の卒業(まあ自分の芸能生活にとっては他人でしょう)でああも泣けるというのは、アイドル史でも今までなかったことなんだよねえ。
「コイツを落として私がのし上がる」というファンタジーをものすごく好きな人が多いことはわかってるつもりですが、それはそれでしのぎあいのメリットがあるでしょうけども、そうするとこういう光景というのはきわめて生まれにくくなると思う。
同じことは二人ゴトの吉澤・里田・アヤカにも言えることなんですけどね。ああいう雰囲気をテレビで出せたアイドルやアーティストっていうのは過去いなかった。
ハロプロアワー。ゲストは安倍なつみ。驚くほどキャメイと手が合う。もともとキャメイのコーナーは、新曲などの告知に来たゲストをキャメイが邪険に扱って、ゲストが呆然、唖然とするというミニコント。だけど安倍さんは完全にのっかってたというかキャメイにかぶせてきてたからね。
「チョビヒゲ対決」で「何のために?」ってやったのが安倍さん節でしょう。
中澤の言うとおり、今週はキャメイコーナーのベストだと言えますね。
ホント真剣な話、安倍さんってどうにか思いっきりやれる状況をつくれば、かなり面白い司会ができると思うんですよね。「王様のブランチ」をもうちょっとハジケさせたような番組とか。優香よりはいい仕事すると思います。
スタジオライブは安倍なつみ「恋のテレフォンGOAL」。
・前回の放送
(04.0811)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」36号(2004、集英社)
決めた。ジャンプを語るのに、毎号のように載っている読みきり作品を避けては通れないのである。
そりゃ、どんだけ苦労して描いて、ネームを直して、掲載にこぎつけたかくらいの想像は私にもできる。ネットに不用意に書かれた感想に、執筆者がいかに傷つく場合があることもわかっているつもり。
しかし、だからっつってご祝儀レビューばっかりやってられないのである。けなしのためのけなしをする志の低い人もいるが、そういう意図はない読者としての私の作品に対するガチンコ勝負と思ってもらいたい。
などと言いつつ、そんな大それたことは書きませんが。
そうか、ここのところの読みきりの掲載って「第1回J金杯(ゴールドフューチャーカップ)」という賞のノミネート作品だったんだね……今頃知ったよ。
読みきり田坂亮「BULLET TIME!」。テロが横行する近未来世界、闇の番人「OWL(フクロウ)」とテロリストとの対決。
導入部はちょっとわかりにくいけど(冒頭に出てきたキャラと、そのすぐ後に出てきた主人公キャラが別人)、絵は面白いし設定もわかりにくいようでわかりやすい。コトの善悪の線引きを作品内できちんとさせる「正義力」もきっちり発動している。コマ割りがちょっと見にくいかな。
(04.0809)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」37+38号(2004、集英社)
第1回J金杯(ゴールドフューチャーカップ)エントリー4の読みきり作品西義之「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」。ものすごく簡単に言うと、一種の妖魔退治もの。御茶漬海苔をすごくかわいくしたような絵柄でのクリーチャーがコワカワイイ。
しかし、少々ネタバレになるが、霊に襲われた女の子が「表面上はいい顔をしておいて、心の中で拒否していた」ことに対し、果たして罪を背負う必要があるかというと大いに疑問が起こる。
たとえば、霊の出現によって今までいい子をよそおっていたのが突然キレる、というのがはっきりあれば、と思ったのだが。
要するに、本作では「表面上はいい顔をしていて内心では違うことを考えている」ことを悪=偽善者としているが、これもまた最近私の考える偽善者問題と直結している。しかし、私は「心の中までは他人は変えることはできない」と思っているし、他人の心を変えることがしばしばマンガのテーマになることはよしとしても、「外面と内面が違っていること」、そのことだけでは偽善者とは言えないと思う。
なんにしろ、「J金杯」というバトルにおいては本作が本命かなァ個人的感想として。
もうひとつ読みきり、矢吹健太朗「TRANS BOY」。こっちはJ金杯とは関係なし。普通の少年が空から飛んできた美少女の力によりスーパーヒーローに……という作品。こういう、言っては何だが設定にまったく新味のない読みきりが昔っから少年誌には載るが、意図がわからん。新連載候補の様子見なのだろうか?
とりあえず、「ウイングマン」のような変な情念は感じないのが難点。しかし、作品内での善悪を作者がきちんと把握できていることはできている。血なまぐさくないラストもグー。
荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」。とつじょ、小池一夫の「首斬り朝」を読んでいないことに対する焦りが心に生じた。数週前から「スタンド」という言葉も登場、しかし大変なことになってるな。収集がつくのであろうか。
(04.0809)
【雑記その2】ガキガキハッキョウズ
以下、書くのは格調高いシロガネーゼが読む女性誌に載らんばかりのしみじみエッセイです。だれが何と言おうと、そうです。
まあ、もともと【雑記】を書いた8月3日の時点で少しおかしかったのだが、8月7日にはちょっとここでは書けないほどプライベートでの大失敗をしてしまいました。
たとえるなら、高橋愛のスカートが歌っているときに落ちてしまう、江口寿史を間違えて末松正博と呼んでしまう、パペットマペットを「黒子の人」と呼んでしまう、美少女クラブ21をレオパレス21と間違える、南の島に引っ越してきたスキューバダイビング好きの若夫婦が、日本人コミュニティのどうでもいいしきたりを破ってしまいむこう3年は村八部にあい、傷心のまま日本に帰ってきて昔の仲間と白き屋でオダをあげてしまう、くらいの間違いをおかしてしまいました。
その後、完全にパニック状態になり、「ウイングマン」の単行本をつかんで「あおいちゃんパニック!」などと偏差値45くらいのことを言いました。
死のうと思っても死ねないので考えることをやめました。
ケロッコデメタンが最終回近く、カエルなのに海水を泳ぐシーンを思い出して泣けました。
でもラナタンは飛んできませんでした。
(余談ですが、キャラに「タン」をつけていいのはヤセタン、コロンタン、モグタン、ラナタン、ロボタンだけです。)
あーこんなこと書いててもいらいらする。悔しいので、無意味に壁に拳を打ち付けたら血が出ました。
病院に行ったら、茶髪の看護婦に鼻で笑われました。
「金がいいですぅ〜」などとホザいていた水泳選手を5000発くらいぶん殴ったみたいな顔をしている女医にも笑われました。
その場にいた患者たちにも笑われました。
帰りにカレースタンドでカレーを食べていたら、カレー屋のおやじが「あんた、バカみたいだね」と言って笑いました。
その場にいた客もみんな笑っていました。
一人だけ笑っていない客がいるなあ、と思ったら、レジの機械でした。
家に帰ったらすぐに呼び鈴が鳴ったので、玄関に出たら「新聞とってください」と言われました。
私は今日一日に起きたことが哀しくて哀しくて、そのとき泣いていました。
泣いているのに、新聞の勧誘の人はかまわず「新聞とってください」と言ってきました。
もうどうにもなりません。
どうにもならないので、そのまま黙ってほおっておいて、裏口から出てカギをしめて逃げました。
そしてコンビニに行ったら、コンビニの店員のおねーちゃんも笑っていました。
なぜ笑っていたかというと、マンガ「コボちゃん」を読んで笑っていました。
コボちゃんは面白いです。
「コボちゃん」とは、丹古母ナントカという人の幼少時代の記録だということをみなさん知っていましたか。
ボクは知りません。
あるいは、ボクは死にましぇ〜ん!!
昔、小学生の頃、今で言う「キレる」という状態のことを「ハッキョウする」と表現していました。
子供だったので、「発狂」の意味は知らなかったんですけどね。
ケラリーノ・サンドロヴィッチが、芝居の中で好んで「ハッキョウする」という子供表現を使うんで、東京近辺のガキ言葉かなとも思うんですが。
そうしたら、とつぜん思い出しましたが、小学三年生のとき、担任の若い女の先生がキレて怒ったとき、みんなで「ハッキョウした、ハッキョウした」って言ってたんですな。
そうしたら、先生はますます怒りました。
でも子供たちは「キレた」という意味で使っていたので、何であんなに怒るかわからなかったなぁ。考えてみりや、子供を叱って「発狂した!」って言われたら、腹も立つかもなあ。
というわけで、私はハッキョウしてしまったので、部屋の隅で電気を消して体育座りをしていたんですけど、だれも気づきませんでした。私のこの、態度で示したSOSに(しかも、昔遭難した青年がSOSを呼びかけていた感じのSOSに)。
変なオチ付けちゃったな。ま、いいか。ハッキョウしてんだから。
(04.0809)
【映画】・「マッハ!!!!!!!!」 原案・製作・監督:ブラッチャヤー・ビンゲーオ(2003、タイ)
公式ページ。
カンフーならぬムエタイ・アクションの映画。
貧しいノンプラドゥ村に悪者が現れ、仏像「オンバク」の頭をバンコクに持ち帰ってしまった。困り果てた村人は、僧侶に育てられムエタイの奥義をきわめた青年・ティン(トニー・ジャー)に、仏像の頭を取り返してくるようにと望みを託す。
バンコクに行ったティンは、仏像の頭部を取り返すべく、悪人と戦うのであった。
目新しいアクションというのは感動するもので、ハリウッドっぽいCGと組み合わせてあるようなのもいいけど、ムエタイの特徴であるヒジ打ち、ヒザ蹴りなどを多用した本作のアクションは、なかなかにすごいものがある。
単なるアクションを見せるだけの映画というわけでもなくて、テレビでタイ旅行記などを見るとよく出てくる、オート三輪に屋根がついた車でのカーチェイスや、銃にサイレンサーを付けている隙に反撃するなど、わりと視覚的に面白いところもあった。とくに、最後に悪人がやられるシーンが、古典的なんだけど最近あまりないような感じで、古くて新しい。
前蹴りやチャランボなども出てくるので、「蹴撃手(キックボクサー)マモル」(→感想)を読んで事前に仕入れた知識として参考になりましたよ。
私的ベストバウトは、机だの椅子だのを放り投げてくるやつと戦ったときね。
ムエという少女(ブマワーリー・ヨートガモン)がなかなかかわいかったのだが、公式ページを見るともう23歳くらいなんスね。「年齢以上に若く見える」って書いてあった。
バカ中学生は必見の作品だ!!
(04.0806)
【小説】・「記憶の果て THE END OF MEMORY」 浦賀和宏(1998、2001、講談社) [amazon]
高校を卒業し、大学入学を目前に控えた安藤直樹の父親が自殺した。あまりに突然のことで、呆然とする直樹とその母。
直樹は、研究者であった父の書斎で見たこともないコンピュータを発見する。その中には「裕子」と名乗る、キーボードへの文字入力によって会話ができるプログラムが存在していた。
裕子とは何者なのか? 「意識」を持っているのか、それとも単なるプログラムにすぎないのか? 直樹はその謎を解こうとするのだが……。
本作は「意識あるコンピュータ」というSF的設定を含めた謎解きの小説であり、なおかつアンチミステリ的な要素もある変わった物語である。
しかし、私個人はこの後にデビューした西尾維新や佐藤友哉による、SF的(というよりもアニメ的)設定を駆使したあまりにもメチャクチャな小説を先に読んでしまったため、本作のラストのサプライズが大幅に減ってしまったように感じられる。
したがって、メフィスト賞の流れを把握していた方がより楽しめる作品ではないかと思う。
本作ではたくさんの伏線が積み残したまま放置される。そうしたスタイルも、昨今のライトノベル風味のミステリにはありがちのように思え、不満感も残らないわりに、驚きも少ない。
おそらく、本作が最初にリリースされた98年の段階では相当画期的だったのではないかと思うが、後続の作品のせいで先駆者としては損をしてしまっているかもしれない。
小説全体の印象としては、作者は19歳でよくこれだけ書いたな、という驚きはまずある。金田という生意気なインテリ友人が現れて、議論を繰り広げるのだがまずまず、いちおう知識のバックボーンがあっての議論だなと思わせるし、イタい青春小説にありがちな悪い意味での青臭さは、最小限にとどめているのではないかと思う(しかし、後続の作品でまた青くなる可能性は充分あるが)。
全体のトーンも、いわゆるひとつのファウスト勢のような開き直ったアニメっぽさは皆無。もっとずっと落ち着いていて、年輩の人でも入っていける雰囲気を持っていると思う。
ただまあこれは個人的な印象だが、どうも私は昨今の「青春推理小説」っていうのがダメみたいで、なんでかというと随所に挿入される、登場人物の青臭い人生観にあまり耐えられないのである。
何冊か読んだかぎりでは、青春推理小説に登場するキャラクターの、世の中に対する疑問や反感はたいていが似たようなもので、読まされる方は「そんなこと言われても困るよ」と思うだけである。本作では金田の言うことはまだまともだったが、主人公・直樹の独白などは聞かされても困るタグイの青臭いことばかりであった。
これは一般論だが、よく「人ぎらい」を自称する人間が出てくるが人ぎらいのくせに女にモテるという設定はいったい何なんだ(笑)。
まあそれは冗談としても、青春小説における若者の価値観は、既成概念に対してむけられた反感であることがあり、それは「どういう考えが一般的なのか」を逆に照らし出すことになる。そして、作中の若者たちの考えが単に既成概念を裏返しにしただけということに、私は正直うんざりしてしまったりするのである。
なんにしても、本作が不思議な感触を持っていることは間違いない。
(04.0806)
【小説】・「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言使い」 西尾維新(2002、講談社) [amazon]
絶海の孤島に隠れ棲む財閥令嬢・赤神イリアは、その金とヒマによってさまざまな天才を招聘し、サロンのような空間を楽しんでいた。事件が起こったとき、科学・絵画・料理・占術・工学の天才5人が島にはいた。この天才たちの一人、工学の天才美少女・玖渚友(くなぎさとも)のお供でこの島にやってきた普通人・いーちゃんは、島の住人の奇行に翻弄されながらも、状況にうんざりしながらも、事件の捜査を始める。
おーおー。こういう話でしたか。近頃の、少年が一人称で悩んだり妙に客観的になったりしながら、問題が何一つ解決しないような話ばかり読んでうんざりしていたので、長らく積ん読にしていたんですが面白かったですよ。
最近の講談社ノベルズの、推理ものとも何ともつかない小説としては、舞城王太郎1冊と佐藤友哉3冊を読んで、ある程度パターンはつかんだのでいいやとも思っていました。が、本作は本作でイイですね。
まず、語り手の「いーちゃん」は「戯言遣い」っていうことで戯言ばっかりいいますが、思ったよりまともでした。
登場人物が天才ばかりというのもいちおう理由があるし、メイントリックも単純で面白いです。何というか、もうこちらが慣れちゃったのかもしれませんが舞城、佐藤両氏に比べてもそんなに飛び道具的というか反則技的違和感というのは、感想としてはなかったりします。
ただ、いーちゃんに対して周囲の天才たちが浴びせる忠告とか罵声、っていうのが、何か意味があるのかと思ったけど最後までよくわからなかった。この辺は作者の文学的煩悶だととらえていいようです。
それと、キャラクターに超能力者が入ってましたが、これはちょっと無理ありすぎでしょう。もうちょっと能力を限定させた方が良かったと思います。
あと、「アトガキ」は完全なる蛇足だと思いました。作者くらいの年頃の青年の心情としてわからなくはないですが、少なくとも芸術的な面での「天才性」に関する評価っていうのは、トシをとると変わってきますからね。何かプレーンに「天才」っていう種族みたいなものが存在しているわけじゃありませんから。
むちゃくちゃナマイキな言い方をするとこの作者はこの1作目がわりとまとまっていて、小説としての体裁づくりということに関しては安心して次回作も任せられる、(このテのタイプの作家としては)わりとつくり込むタイプじゃないかなあと思いました。
そう書くと「えー」とか思う人もいるかもしれないが、世の中には信じられないくらいヒドいプロットをつくる作家が大勢いるので、私は最近疑心暗鬼になっていてちょっとでも「きちんとしてる感」があると、わりと点が甘くなってしまうところがあるんです。
……などと考えるのは、とにかく講談社ノベルズにおいては、佐藤友哉のデビューから三作がいろんな意味で異常すぎるからだろうなあ、とは思いましたが(四作目は買ったけどまだ読んでません。疲れそうで……)。いや好きなんですけどね。とくにデビュー作はしみじみ異常だったなあ。
でも、ああいうのが現在のライトノベルにおいては普通だったらどうしよう……。まあ、それはそれで面白いかも。
(04.0716、04.0804)
【小説】・「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識」 西尾維新(2002、講談社) [amazon]
まずホメるところを。
物語三分の二くらいまで、ホントにこれで謎解きらしい謎解きがあるのかと思っていたが、当然本格ではないがいちおうの事件の決着はある。決してフェアではないが(まあこのシリーズにフェアもへったくれもないのだろうが)、いちおう結末はまとまっていたので、その点は満足。
というか、破綻したままでいいならわざわざ小説を読みませんから私は。
「作者は物語をつくり込むタイプ」と前作の感想に書いたが、本作を読んで若干訂正する。「物語をコンパクトにまとめる能力がある」ということなのかなと思う。もしかしてけっこう早書きができるのか。その点は、流行作家としての重要な資質だ。
次に、私がダメだと思うところ。
まず巫女子のキャラクター造形が、ホントにコレでいいのか? という感じ。アニメっぽい小説だからとか、そういうエクスキューズは通用しないと思う。だいいち、古くさい。こういうのは80年代からある。
それと文章。具体的に私がよくないと思う例を出す。
(以下、引用)
「さすがにこの時間は空いてるな……剣呑剣呑」
呟きながら、トレイを手にとる。<剣呑剣呑>はこういうときに使う言葉だったかどうか、自分で言っておきながら首を傾げつつ、ぼくは足を進める。
(引用、終わり)
この文章さー、まずキーボードで「剣呑剣呑」まで書いて、「あれ? どうだったっけ?」と作者が思って、後の文章をつけ加えているでしょ。絶対。
辞書を引いてくれ!
作者が文章を書いているときの思考の流れを、そのまま文章にしちゃうってのは良くないと思うよ。
そういうのってだれでもネットでやってるからね。
あと、トリック。「X/Y」の謎はわからんかったよ。自分で紙に書いてみたけどわからず、ネットで検索してしまいました。
全部を明かすのがヤボだと思うなら、せめて筆記体を反転する図くらいは載せてもバチは当たらないと思うよ。
そして、個人的には肝心なことなんだけれど。
本作ではいーちゃんがさまざまな人間と議論をするんだけど、正直言って、あまりにもすべてが青すぎる。青い、青い、青い、青い、青い。前作の「戯言」とは比較にならないほど、読んでいてひっかかる。
なんかねえ、確かに、本当に大学生くらいの年頃の青年の考える悩みだという気はするんだ。
でも、それとそれらの議論が有効かどうかは違う気がする。
たとえば、「人のために何かをするなんて偽善だ」という発言があったと記憶するけど、それは私が12 物語における偽善、もしくは「本性」問題で考えていたことそのままだったし。
それは本作の意見に同調するという意味ではなく、私の問題意識はなぜ「人のために何かをするなんて偽善だ」という意見が最近エンターテインメントの中で頻出するか、ということなのだけども。
いーちゃんと他の人々との間に交わされるさまざまな議論、正直、私はすべて論破できる自信はあります(まあ時間がかかるのでやりませんけどね)。だから、ぜんぜん刺激がない。
笠井潔のミステリにもやたらと議論が出てくるが、そっちは面白いと思うわけ。ハイデガーの思想がヒトラーの大量殺人に利用されたとかされないとかね、そのあたりの専門家の人がどう思うかはわからないけど、少なくとも私には知的刺激になる。
だけど、いーちゃんの言っていることは本当に青い。なんかも「はああ〜っ」ってため息つきたい気持ちになってしまう。
佐藤友哉もそうだったけど、1作目、2作目でまさかここが訴えたい部分じゃないだろうと思っていると、後の作品でそこのところが全面展開されて驚いてしまう。
言い換えると、私がここのところ気にしている、マンガ、アニメ、映画に登場する「それはちょっとおかしいんじゃねえか的思考」が、本作には詰まっているということは言える。
私は講談社ノベルズで、いちおう作品にミステリ的な構造を持たせて決着をつけさせる、という形式になっているからこそ、それらの戯言(まさに、私にとっては本当の意味で戯言なんだけど)を容認しているところがある。
何で世の中こうなっちゃったんだろう。ぜんぜんわからない。
いや、ひとつだけわかる。いーちゃんの死生観というのは、日本の戦後五十年間で育まれてきた、そういう「閉じた系」の中でしか通用しない感覚だということ。
しかもその「閉じた系」が、社会情勢やら何やらで「たまたま」そうなっているということに気づいていないというかねえ。
変なたとえだが、過酷な環境の惑星で、すでに技術の失われた人類が先祖の残したドーム都市みたいなところに住んでいて、そこでの実存を考えるみたいなね。
そもそもが、戦争に行った世代から、それ以降の世代はずいぶん「今の社会はいっときの平和の上に成り立っているだけだ」と脅されまくった。そして、自分たちが謳歌している平穏な世界はもしかしたら非常に脆弱なものの上に成り立っているのではないか、というような強迫観念が人々の間に80年代くらいまでにはあったと思う。
まあいつでも強迫観念にかられてろとは言わないが、少なくともそこら辺がガス抜きというか思考のアース的役割を果たしていた。でも、今はそういう発想は尋常じゃない人数の人々の間で有効ではなくなってきている。
しかし、私自身はそういう地に足のついた危機意識がない思考というのは、「クーラーのきいた部屋でエコロジーを語る」みたいなしらじらしさを感じざるを得ない。
いーちゃんの絶望が本物かどうかは、続編を読まないとわからないのだろうな。
繰り返すが、変なフォローだが作者は才能はあると思うんですけどね。
(04.0804)
【映画】・「スパイダーマン2」 監督:サム・ライミ(2004、米)
公式ページ。
1作目(→感想 [amazon])から2年後。ピーター・パーカーは、スパイダーマンの仕事があるために勉強もバイトも恋もうまくいかない。しかも、常に身の周りの愛する人が危険にさらされる可能性がある。それらに嫌気がさした彼は、スパイダーマンのコスチュームをゴミ箱に捨て、普通の人間として生きていく決心をする……。
あまりの暑さのため上映時間を間違えて映画館に入ってしまい、途中から見るハメに。仕方ないので日を置いてもう1回見ましたよ。チケット代もったいない。まあ機会があれば、2回見るつもりだったのでいいけどね。いろいろ確かめることもできたし。
本作で、最近の日本製のモロモロにはない最大の特徴は、スパイダーマンのスーパーパワーは「授かりものであり、世のため人のために使われなければならない」という主張があるところだろう。
スーパーパワーに関し、このような観点を持つヒーローものは少なくとも60年代以降の日本ではあまり出てきていないと思う。「力」を具体的なものとして認識しているという点ではアメリカが掛け値なしの力を持った一等国という点が大きいのかなあ、とも思うが。要するに、本作はヒーローもののパロディ的な面を持ち合わせてはいるが基本的には王道なのだった。
それは一般市民の描き方にも言えて、地下鉄での戦闘で一般人たちがドクター・オクトパスから傷ついたスパイダーマンを守ろうとするシーンがある。本作では、スパイダーマンを慕う一般庶民が随所に描かれているが、こういうのを今の日本人クリエイターで臆面もなく描ける人はそうはいないだろう(もっとも、本作でもスパイダーマンはニューヨーク地域限定ヒーローであるからこそできる描写ではある)。
そもそも、セカイ系とか何とか言われるものが出てくる大きな原因は、こうした「一般庶民」がヒーローものから排除されていることにある。「その他おおぜいの人々」が物語から欠落しているので、短絡的に個人と世界を直結させるしかなくなるから。
最近の作品ではマンガ「武装錬金」ではかなり意識的に、主人公の超人ではない普通の友達がよく出てくるが、作者はアメコミが好きらしいのでその辺意識していると思う。
一般庶民が出て来れない遠因は、70年代に学生運動が挫折したからであろうことは間違いない。政治不信になるということは、政府や政治システムと同時に一般庶民に対する不信感となっていて、そういうのが積み重なると「CASSHERN」(→感想 [amazon])みたいなひどく自家中毒的な映画ができてしまうのである。まあ、「徹底した自家中毒」という点では私はCASSHERNに一定の価値は置いてるんですけどね。
さて、2回見てまだよくわからないんだが、ピーターの叔母さんが一見とても優しいのだが、実はけっこう怒りなどのマイナスの感情を表現するタイプ、みたいな描写がいくつかあったと思う。これはギャグのつもりでやっているのなら、完全な蛇足。
叔母さんはピーターにとっては疑いようもない善人でないといけない。そうでないと、死んでしまった叔父さんがバカみたいだし、バランスが悪い。
それと、新聞社の女性、ピーターのアパートの大家の娘などが思わせぶりに出てくるが本編とは何も関係なかった。まあ大家の娘に関しては、次回作があるなら出てきそうではあると思ったが。
MJのフィアンセが編集長の息子らしいのだが、これも非常にわかりにくかった。
(04.0804)
【雑記】死、そして再生、そして死。あるいは「だいなし」
・死
何か非常に天啓を感じ、心機一転生きていこうと思いました。そのためにトップページの写真と色を変えました。あんまし満足してないですが。いい写真が手に入らなかった。変えるかも。
・夢
そうしたら夢を見た。
何か戦国時代あたりを舞台にした、ジャニーズみたいなタレントが主役の伝奇時代劇の映画のビデオを見ている。何年も前のビデオ。まだダウンタウンが有名になる前という設定。
この映画では、敵の魔女みたいなやつの役をなぜかダウンタウンの松ちゃんがやっている。えーと、天女の悪人ヴァージョンみたいなかっこうをしていて、男なので非常に気色が悪い。
このビデオの最後には、主役のジャニーズタレント(夢の中だけの架空の人物)と敵役の松ちゃんが、その役の衣装のままで対談するというオマケがもうけられている。
この対談の中で、まだ有名でない頃の松ちゃんに、異様に馴れ馴れしい口調で話しかけてくるジャニーズタレントの少年。
もう思いきり友達みたいなの。
それに明らかにムッとしている松ちゃん。悪の天女みたいなメイク&衣装で、さらにマジにムッとしている表情がとても気持ちが悪い。
背景も、どこかの廃墟みたいなセットで、不気味だった。
・シブスタ
今週から、毎日やるというお笑いライブの宣伝と極度にヌルい美男美女コンテストみたいなことをやるようだ。
虚しい虚しいと思いながら、かといってバラエティ、お笑い、アイドルといったカテゴリーとも違うニュアンスでこの番組の感想を書き続けている自分ってファニーだなと思っています。もう死のう。
・書きっぱなし
ためしに、はてなダイアリーのような、テキストを書いたらそれを自動的に日付順にしてくれて、発言タイトルも表示してくれて、カレンダーも表示してくれてというようなやつを使ってみたら、今までのHPづくりとはかなりニュアンスが違う。
要するに、書きっぱなしがしやすい。
しかし、そのぶんええかげんな日記も多いなあ、と思う。なんでええかげんなものが多いのか、カッチリつくる必要があるのかということに関しては、もう私の中で答えが出てますので教えてあげない。
・いいとも
仕事中、「いいとも」を何となく見る。「あなたの知らない世界」という、いろんな業界の人を呼んで話を聞くコーナー。今回のテーマは「レースクイーン」。
ゲストは安田美沙子。「レースクイーンがライバルをけ落とすためにやっているヒドいこととは?」みたいなのを当てなければならなくて、安田美沙子が言った答えが、
「自分が一生懸命がんばってる!(大意)」。
おいおいおいおいおいおい。そんなの「ライバルをけ落とすため」でも「ヒドく」もないじゃないか! レースクイーンってのは彼女の近接分野で、この場にいる人間と後々一緒に仕事をしなければならないという配慮かとも思ったが、それにしてもヒドすぎる。ここ10年くらい、漠然とテレビを見てきた中でもっともヒドい解答だった。
しかし冷静に考え直しても(考え直すな)、たとえば「悪い噂を流す」とか「仲間はずれにする」とかの、レースクイーン業界に対するマイナスな解答をしたとしても、別に「レースクイーン界で恒常的にそういうことが行われている」と決めつけたわけではない。
グラビアアイドルなんだから、かわいく言い放っちゃえば何も問題ないでしょ。
安田美沙子が、極度に失言を恐れているのかとも好意的に解釈してみたが、会ったこともない、私にとってみればドラゴンボールのキャラとそう変わらないくらいの距離にある人間に気を遣っている自分がつくづくイヤになった。
安田美沙子は顔がイタチみたいでとてもかわいいんですが、このコメントに対しては心を鬼にしてダメ出ししてみたい。
それにしても「レースクイーンをやっていてイヤだと思ったことは?」という問いに対し、一人のレースクイーンが「最終オーディションが飲み会だった」と言ったのはとことん世界に対して憎いと思いました。
私が世界統一国家初代大統領に選ばれた暁には、そういう自分がいい思いしたいだけのふざけたオーディションをやったギョーカイ人に対して、「ゲキを飛ばす」、「役不足」などの表現を間違えたことに対し、3年以上にわたって路上の犬にまで糾弾されるという拷問をしたいと思います。
(04.0803)
・「山田シリーズ」全2巻 吉田戦車(2004、集英社) [amazon]
かわうそそっくりの「山田」と名乗る動物が、金やキャッシュカードを見せびらかしたり、なんかする。新たなる何かを探して、山田の何かは続く。
そういえば最近吉田戦車を読んでないなと思い購読。吉田戦車はいい塩梅にトシをとっていると思う。何というかギャグマンガ特有の狂騒的な感じがあまりない。昔はそれは「シュール」のひと言で片づけられてきたが、今はもっと枯れたものを感じる。もともとの資質だったのだろう。
主人公の「山田」はどうも「伝染るんです。」のかわうそらしいのだけど、「山田」という名前を入手することで「山田」になったらしい。改名したことによって、当初は別のキャラクターに見えていたのだが途中からあのかわうそであることが判明。
これは「バビル二世」が「その名は101」として出てきたのにも通じる。いやそうなのか。わからん。
落ち着いて読めて、面白いです。
(04.0802)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
8月1日放送分。
公式ページ。
今日明日あたり、話題としては辻加護の卒業一色でしょうが、淡々と進めたいと思います。
「モーニング娘。血液型大研究」。
ちょうどいい配分になっている娘。の血液型。A、B、O、ABに分け、性格分析をやるという企画。
私にとっての血液型占いっていうのはまさに「世間そのもの」。クソマジメに信じ込んでもバカにされるし、あまりに目くじら立てて批判しても「楽しいからいいじゃない」と言われる。どうしたらいいんだ。「ABOBAゲーム」を復活させろ! いやホントにそういう番組があったんですよ。う〜ん、三角ゲーム・ピタゴラス。
(検索したら、「ABOBAゲーム」の放送年度やダウンタウンがレポーターで出ていたことすらわかったよ。恐るべきインターネット社会。ダウンタウンが「ひょうきん予備校」に出ていたこともわかった。まったく記憶にないなあ。)
決まりきったメイン企画がない中で、よく内容を考えて来るとは思いますけどね。「O型は太りやすい」とか、娘。さんに対して「釣り」的な展開をちゃんと考えてある。怪談スペシャルのときの稲川淳二の「ポルターガイストは17歳の娘がいる家によく起きる」っていうのもそうだけどね。
それで、オチがA型の石川梨華のリアクションと。
個人的鑑賞ポイントは、「あなたはこんなタイプと大恋愛になる」という表を見たときの矢口のニッコニコした顔。本当に、心の底からこういう話が大好きなんだなあと思う。画面に映っている他のメンバーがフリップを読んでいるため真剣な顔をしているのに、一人だけニコニコして白い歯を見せて口をおさえてた。
カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)が新曲披露。ラッツ&スターみたいな曲だった。最近、地味な歌が多いなあ。あと、藤本以外は歌い辛そうな曲だ。
「公園通り三丁目」。頑固一徹と幸うす江。
「HPH」。チワワかなんかの犬が出てた。
・前回の放送
(04.0802)
・「アイドル地獄変」全1巻 尾玉なみえ(2003、集英社)
[amazon]
打ち切りになったらしく、作者コメントもかなり凹んでる。作者にしてみりゃ連載中に評価してくれと思うだろうが、私も読むのが遅いんでどうしようもないんですよ。
これからもこういう生き方で行きますよ。
さて、ストーリーマンガというのは面白くてもつまらなくても、打ち切りの理由は何となくわかる。やっぱり「バオー」が2巻で終わって、「ジョジョ」がブレイクしたのはそれなりの理由があるんだろうな、と。
しかしギャグマンガの場合はサッパリわからない。だってこれ、ムチャクチャ面白いですよ。
笑いすぎてお腹痛かった。
とくに、アイドルになりたいだの何だのというのが関係なくなった後半からスゴイことになる(この頃にはすでに打ち切りが決定していたのかもしれないけど)。
第13話「モノクロ・ラブ」は、動物園にアルバイトに行ったひろみが「オスパンダを性的に興奮させてくれ」と頼まれて、パンダの着ぐるみを着てパンダの前でコントを繰り広げるというもの。もう設定からしてありえない。
第14話「屁関車とーます」は、アパートの隣にいる赤ちゃんをひろみが勝手に持ってきてしまい、そのお母さんとの無意味なやりとりがえんえんと続く。
お母さんが自分がその赤ちゃんの親であることを証明するために「まさる音頭」を歌うところとかねえ、すばらしいですよ。
まあ後付けの理屈で打ち切りの原因を予想してみると、尾玉なみえって他の作品もそうだが、キャラクターにまったく目的意識がないからお話が前に進んでいかない、というところがある。ギャグマンガのキャラクターが通常の意味でやる気がない、というのはよくあることなんだが、それは前に進んでいるお話全体を茶化す、という役割でギャグが成立している。
が、尾玉作品の場合、その前に進んでいくお話に作者がたぶんそうとうやる気がないため、ギャグのエスカレートの仕方が「もともとあるものがメチャクチャになっていく」のではなく、お話全体が総崩れしていくような不安感を読者に与えてしまうのかもしれない。
まあそこが面白いんだけどなあ。
(04.0801)
【書籍】・「『奇譚クラブ』の人々」 北原童夢、早乙女宏美(2003、河出書房) [amazon]
こういう世界の先駆者が出てきて、どういうことを誌面に載せてきたのかがわかって、まあ「トキワ荘物語」とか「プロジェクトX」みたいなノリでとても面白いです。
奇譚クラブがどういう本かは本書でだいたいわかると思うんだけど、個人的には奇譚クラブ以前と同時代と以後の、そういうフェチ界みたいのの世界の相関関係みたいのがもう少しわかればいいなと思った。それと投稿者間の論争も、概略でいいからどんなものだったか書いてほしかった。あと日本と海外の関係も。
でもまあ、それはこの分量では無理かなとも感じるし、たぶん「花と蛇」の解説とかで別に書かれているんだろうな。
実際には、いくらでも詳しく書ける題材だと思う。で、それをやり出すとずっと詳しく分厚くなってしまうだろう。
「奇譚クラブ」という雑誌自体は、私のおぼろげな記憶だと80年代くらいまでは、年代によって高いとか手に入らないとかはあっただろうが、2、3冊読んでみたいと思えば古本屋でかなり簡単に手に入れられたと思う。最近はかなり高い。モノによっては1000円くらいするのでは。だからたーまにカン違いされるんですが、ほとんど読んだことはないです。
で、エロ小説系のHPとかを漁ると「奇譚クラブ」に影響を受けている人といない人とでは、明瞭にテイストが違うことがわかる。そして、みんな奇譚クラブ的なものがなくなってしまったことを嘆いている。
本書のネットでのレビューをいくつか読んで、先駆者としてのオリジナリティを持ち上げるものが多かった。それはそうなんだが、むしろ系譜とか歴史とかをまったく理解していない人でも、現在似たような嗜好にたどりつく場合があるということの方が面白いと思う。
もっとも、他人との差異と同質性を矛盾しながら主張し続けるということに関しては、オタクもファッションにこだわるおしゃれさんも、変態の人も似ています。
(04.0801)
「つれづれなるマンガ感想文」7月後半
「つれづれなるマンガ感想文」8月後半
ここがいちばん下です
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