つれづれなるマンガ感想文8月後半

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一気に下まで行きたい



【雑記その3】・創作マンガ、リンク
・「キン肉マン」(9)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【映画】・「華氏911」 監督・脚本:マイケル・ムーア(2004、米)
・「ホットボックスガール」 沼礼一、下条よしあき(松文館)
・「超星神グランセイザー」(2) 西川伸司(2004、講談社)
・「バキ」(23) 板垣恵介(2004、秋田書店)
・「荒野の出前もち 石川賢自選ギャグ傑作選1970-1973」 石川賢(2001、講談社)
・「キン肉マン」(7)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(8)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(1)〜(6)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」39号(2004、集英社)

【雑誌】・「コミックまぁるまん」10月号(2004、ぶんか社)
【ライブ】「Wスタンバイ!ダブルユー&ベリ−ズ工房!」於:八王子市民会館(04.0822)
【小説】・「木製の王子」 麻耶雄嵩(2000、講談社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」しきりなおし(2004、テレビ東京)
【雑記その2】・「コミケ2」
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【雑記】・「コミケ」






【雑記その3】・創作マンガ、リンク考

・即売会
ここんとこ、コミケ、コミティアと立て続けに同人誌即売会に出まして、しかもコミティアでは調子こんで創作マンガのオフセット誌まで出しちゃったりする天狗具合だったわけですが、そのように5年くらい休んでまた性懲りもなく同じことをやったりすると、いろいろ見えてくるものが見えてきます。
まず創作マンガに関しては、個人誌としてはもう出さないと思います(頼まれたら描くよ!)。

あ、でも過去のマンガをまとめた本を出したんだけど会場で「持ってます」と言ってくれた人がいたのは嬉しかったですね。そういう人がいたんだ! と思って。

いろんなことをしてて何が楽しいかというとねえ、純粋な創作の方が楽しいに決まってる、と自分は思ってます。
書くのも、絵を描く方が楽しいに決まってる。それはもうほとんど至高体験といっていいほどに楽しい。ウットリするほどに楽しい。
でも、自分はヘタクソだからほとんどやめた。
根気もないし。

それと、今回、コミケとコミティアで当サイトを「読んでます」と言ってきてくれた人がいて、それも嬉しかった。ありがとうございます。
前述の「同人誌がまったく売れない」状態から、ゼロからつくりあげていったサイトなんでなおさらに嬉しかったですね。

・リンク
自分自身がアクセス数の少なさに苦しんでいたりしたことがあったので(今でももっと増えないかなァ〜などと思っている)、「これは」と思ったサイトはマメにリンクしている方だったんですが、「はてなアンテナ」が出てから状況が変わってしまった。
で、私のはてなアンテナはプライベートモードであることと、もしオープンにしても、そうなるとはずしたいときにはずせないというのがあって、それが現在ネックになっています。
やっぱり登録されていたものがはずされると、イヤな気がするでしょ。私だったらイヤな気がするもん。

ちなみに、プライベートモードにしているいちばん大きな理由はエロ関係のサイトが入っているからなんですけどね(笑)。シュミを探られるのがイヤだ〜。

はてなアンテナというのは、自分のサイトのリンクコーナーと違い、「面白いかどうかボーダーラインだから入れてみる」、「嫌いだけどウォッチングしてるから入れてみる」というのにも便利な機能でして、必ずしも私の場合、リスペクトが理由で登録するとはかぎらない(まあ大半は好きで入れているんですけどね)。
だけど、よく考えたらプライベートモードにしても、登録される方はあまりメリットはないですよね。

文中リンクという方法もあるんだけど、コレもなかなかむずかしいし。

しかし、私はHPの泡沫的な要素があまり好きじゃないので、考え直して再びリンクを充実させようかなと思ったりしています。
(04.0831)


・「キン肉マン」(9)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。「黄金のマスク編」が終了し、正義超人同士も戦う「夢の超人タッグ編」がスタート。この辺はゆで絶好調ですね。リアルタイムでも読んでました。もうこの頃は、当時から読んでてツッコミしまくりだったけど、「そういうの関係ねえ」っていうドライヴ感にあふれていたんだよねー。

夢の超人タッグ編3「超人への道!」において、瀕死のジェロニモが超人として生まれ変わるシーンが描かれる。ここ、リアルタイムでは「ふーん」としか思わなかったけど、ヒーローものとしてはかなり重要なエピソードのような気がする。
それをゆでたまごが意識していたかどうかは不明だが、「蹴撃手(キックボクサー)マモル」(→感想)でも似たようなエピソードがあるからね。

ふーん、モンゴルマンは正義超人じゃなくて残虐超人なのか。

・8巻の感想

(04.0831)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

8月29日放送分。

公式ページ

「ぴったり当てて食べつくせ! ハロモニ。カロリーバトル」
まず、食べ物のカロリー当てクイズによって娘。を順位づけ、それによって3チームに分ける。
そして、「20代の女性の1日のカロリー摂取量」に見合った食べ物を選んでよりそれに近い方が勝ち、というもの。

まあ普通に面白い感じですが、全体的にミキティの機嫌が悪い感じで怖かったです(笑)。

コント:すいません、早送りして飛ばしてしまいました。

美勇伝レポ:すいません、早送りして飛ばしてしまいました。

HPH:解説にまいっちんぐ里田登場。今日の紺野を見て感じたのだが、紺野も本来的に「面白いこと」をやるのにぜんぜんむいてないと思った(「おじゃマルシェ」とかはかわいかったけどね)。五期が目立っていないとすれば、それは五期内で美少女的にツートップと言ってもいい高橋・紺野がまるで面白いことができない、ということが大きく影響していると思う。
これは六期との比較でそう感じる。

まあ別にコントをやるために集まった集団じゃないんだけどね。

重大発表:サイトを巡回するとみなさんクールですが、私はなんだかすごいイヤです。とにかく最近の私は六期推してますから。六期、キャラは早々に固まったわりには世間的知名度がまったくないですからね。
五期には基本的に娘。にそんなに興味のないボーダー層から過剰なまでの期待が高まっていて、その人たちの興味が持続するまでキャラを確立できなかった。これは彼女たちのタレント性のポテンシャルを私自身が認識しつつ、歴史的事実としてそうだったと思う(注:別に五期を戦犯扱いにしたいわけではありません)。
そして、世間的興味がほぼ離れた時点での六期募集だった。そこにはいろいろなものが作用していて、歴代のモーニング娘。中、六期が最も世間的に知られていない存在になっている。
まあ、ファンが楽しめればそれはそれでいいっちゅう話ですが、いわゆるハローマゲドン以降のこの手の「重大発表」って、「卒業」以外はぜんぶ裏目裏目に出てるとしか思えないんで。
どうすんのかなあ、と思うだけです。

ゲストはBerryz工房。

前回の放送

(04.0831)


【映画】・「華氏911」 監督・脚本:マイケル・ムーア(2004、米)

公式ページ

あらすじは、まあ書くまでもないかな。
感想:見ていて死にたくなった。
死にたくなった根拠として、

・この映画の内容がすべて本当だった場合→死ぬしかない(私は国際関係のことは何も知らず、本作の批判もほとんど読まないでこのテキストを書いてる。で、現状で、「ホントかなァ?」という気持ちはある。さすがに事実、および事実の取り扱いにおいてすべてが本当だとは思わない)
・この映画の内容の一部がウソだった場合→なんで監督がウソをつくのかわからない。っていうか大人は嘘つきだ!→死ぬしかない
・どうひっくり返っても戦争はイヤだ。→死ぬしかない
・戦争に行ったら→死ぬしかない

「ボウリング・フォー・コロンバイン」(→感想)にあったユーモア、私は「辛いことや許せないことはあるかもしれないけど、そんなときでも笑って生きていこうよ」ということだと思っていたけど、今回はそれが大幅に少ない。
なんか航空母艦の上に他の兵士たちといっしょにブッシュが立っているシーンで、ドラマ「アメリカン・ヒーロー」(スーパースーツのマニュアルをなくしてしまったヒーローがずっこけながら活躍する話)の主題歌がかかったところだけが面白かった。

まあ本作の賛成・反対にはいろいろなレベルがあると思うが、単純にあてはめてしまえば小林よしのりのゴー宣の戦争論あたりの雰囲気に近いかもしれない。 確か呉智英だったか、そろそろヘンになりかけていたゴー宣に対し「マンガとしてはダメだけど、作品を通して小林よしのりがやったことはすごい」みたいなことを言っていた。
それに対し、小林よしりんは「そんな区別の仕方があるか。自分のやったことがすごいならそれは作品がすごいんだ」と言っていたけども、でもまあやっぱり作品がおよぼす影響力と作品の出来不出来って違うよな。

それともうひとつ「ゴー宣」と相似形なのは、マンガなり映画なりの「作品」があって、それは潜在的に世の中(もっとはっきり言ってしまえば「政治」)に強い影響をおよぼしたいという欲望がある種のクリエーターの中に常にあり、それが受け手の、政治に対する無力感と合致することで話題になっていることだ。
それは図式として送り手と受け手の欲望が合致しているようだが、違う。たとえば受け手には政治参加の仕方としてはモロモロあるはずだ。しかし、本作の場合は「ブッシュに投票しない」以外は方法はないように思えてくる。
ゴー宣の場合はもっと曖昧で複雑だったが、少なくとも薬害エイズ問題ではかなり明確に読者を引っ張った(だから、その後「日常へ帰れ」と言った)。

要するに、「この世の中(とくに政治)は、どうしたらいいのか、どうにかならないものか」ということはだれでも持っている。
そういった問題は、「今すぐ死ぬ、殺される」という状況以外では常に宙づりにされている。そういう意味では、当然だが本作の受け止め方は当事者のアメリカ人と日本人では違うだろう。実際はどうだか知らないが気分的に「他人事」の日本人は、本作の評価についてはよけい慎重にならなければならん。
問題はそういうエネルギーを散らしてしまうのか、どこかにぶつけるのか、芸術やスポーツで昇華させるのか、あるいはどこにもやらないままじっと耐えるのか、といったことだ。
同じ問題は、イラク人質事件全般(海外ボランティアの是非や、イラク人質事件に対する日本人の反応含む)にも言えることだと思うが。

そして、私の結論としてはやっぱり死ぬしかないかなあと思っている。まあ死なないけどね。死んでたまるか! でもホント、本作の、テーマ、映画の出来、それをめぐる言説、論争などを含めての不快感・絶望感は私が「妹選手権論争」について語ったことがほとんどだれにも同意されなかった不快感・絶望感と同質のものです(今読み返すと、奥歯にものがはさまりすぎてて自分で読んでも意味わかんないんだんけど(笑)。あ、でもスズキさんには同意されてた! 一人ぼっちじゃなかった!)。

そういうふうに書くとまたふざけるなとか言われるんだろうけど、でも気持ちとしては本当です。

・参考
社会派くんがゆく!RETURNS緊急号外 「社会派くん的『華氏911』観戦記
お二人とも批判的ですが、かなり納得するところ多し。村崎百郎って、ムーアとはぜんぜん別の意味で義憤の人だと思うんだけど、そう言ったらかえって怒られるかな。

はてなダイアリー - 町山智浩アメリカ日記(「華氏911」は「チャップリンの独裁者」である)
おおー。読み返すと論点が「社会派くん!」と対応してますね。評価は正反対だけど。
(04.0827)


・「ホットボックスガール」 沼礼一、下条よしあき(松文館)

発行年度不明。たぶん70年代か。探偵事務所の美人調査員・南美川ハコが悪人からエッチなことをされながらも事件を解決していくアクションもの。

むかーし、DATゾイド氏のイベントに行ったときに紹介されていたので、古書店で買って読む。

で、これ、昔の劇画だけあっていろんな意味でメチャクチャだった。まず1話完結なんだけど、1話1話の構成がダウナーにおかしい。
たとえば「人妻擬装作戦」では、「ガンをなおす飲み薬の製造書」を奪われそうになっている男をボディガードするため、ハコがその男の妻のフリをする。
だが、その製造書は男が自分の出世欲のために盗み出したもので、それを取り返しに来たのはその薬を開発した若社長だった。若社長は男の家に屈強な男たちとともにやってくるが、男は製造書の隠し場所を白状せず、若社長はハコが傷つけられるのはしのびないと思い、あきらめて帰っていく。

男は喜ぶが、ハコはその製造書を燃やしてしまう。
「こんな紙っ切れで人が争うなんてバカな話ね」

おいおい! ガンをなおす薬なんだろ!

ラストシーン、なぜか若社長の車の助手席に乗っているハコ。なんだか知らないが若社長とくっついてしまったらしい。若社長が言う。
「いいさ あんな書類はない方がいいんだ……」

おいおいおいおい! ガンをなおす薬なんだろ!

他にも、「屈辱のリング」というエピソードにジョーという黒人青年が登場するのだが、「人妻擬装作戦」にも「ジョー」という敵役の黒人が登場する。何か関係あるのかと思ったら別人で、何も関係なかった!
「ローソク踊り」というエピソードでは、ラストシーンでハコは大富豪の依頼人からプロポーズされ、それを受ける。5億円をもらうが、次の回からは結婚したことはウヤムヤになっている! 5億円ももらったんなら、探偵なんてやる必要ないだろ!

さらに、ハコの所属する探偵事務所は「公的機関」ということになっているし、許可がおりればピストルも携帯できるという設定になっていたり、最終回「女探偵のピンチ」では、ハコがピンチに陥るのは冒頭で、話の主眼はぜんぜんピンチと関係なかったりする。

これは「紹介されると面白いが、読むとドッと疲れるマンガ」の典型だーっ!
と、ゆでたまご風に叫んでみました。

ちなみに「ホットボックス」というのは女性器のこと。「ハコ」っていう名前はこの「箱」とかけてあるわけですな。ハハハハハ。
(04.0826)


・「超星神グランセイザー」(2) 西川伸司(2004、講談社) [amazon]

マガジンZ連載。関東では土曜日の早朝午後9時、テレビ東京でやっている特撮ドラマのコミカライズ。
第1巻の感想でも書いたが、テレビの進行とマンガの進行をうまく合わせてあるんじゃないかと思う。ドラマだとアケロン人のエピソードが完全に終わってからインパクターが登場するが、その辺をうまくからめてある。

・1巻の感想

(04.0826)



・「バキ」(23) 板垣恵介(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。バキと勇次郎の会話、グダグダになってしまったトーナメント戦から中国VS混成軍の5対5マッチになる経緯などが描かれていて、バトル的に面白いところはほとんどない。

正直、この巻はかなりツラいですよ。そもそも、中国編になってから作者の中国拳法に対する理念がまったく明らかになっていないのがダメだと思う。次の巻に収録されるはずのオリバVS龍書文はちょっと面白いんだけどね。

・22巻の感想

(04.0826)



・「荒野の出前もち 石川賢自選ギャグ傑作選1970-1973」 石川賢(2001、講談社) [amazon]

文字どおりの石川賢のギャグマンガ傑作選。「それいけコンバット」、「Dr.狂賢」、「100円病院」、「ガンマン用心棒」、「荒野の出前もち」、「落武者がゆく」、「ジャリ刑事」、「夏休み最終便」、「黄金丸アドベンチャー」、「トックン輸送隊」を収録。
巻末に載っているインタビューで、作者がデビュー当時、「自分はギャグマンガ家というよりストーリーマンガ家」という気負いがあった、と書いてあってちょっと驚いた。もともとギャグ畑の人だと勝手に思い込んでいた。でも実際、「それいけコンバット」なんて戦争ギャグマンガなんだけど、途中からマジモンの戦争マンガになっちゃうしね。永井豪の「ハレンチ大戦争」を思い出すというか。

本作に限らず、ある時期までのギャグマンガってほとんどそうなんだけど、今のギャグマンガみたいにボケとツッコミがはっきりしてないんですよね。まあそもそも、ギャグマンガの「コケ」がいつ頃から現在みたいに明確になったのかとか、思い返すとよく知らないんだよなあ自分も。

「夏休み最終便」は、気球でグアムに行こうと思ったら嵐が来て、「このままだと気球が沈んでしまう! 少しでも軽くするためにみんな服を脱ぐんだ!」って男の子も女の子も全裸になって、でも着いたところはアラスカで、さらに男の子が「精神力でグアムだと思い込むんだ!」って言う。
そして、男女で全裸で雪の上を歩いて「きょうは砂がやけにつめたいですね」とか言って白クマにおそわれて……って、まあこうして書くと今でもこういうタイプのアホらしさってありますけどね、ただ「ここが笑うところですよー」っていうサインがぜんぜん違うんだよね。だからすごいヘンな感触でそこが面白い。

まあ最近では劇画的な絵柄、コマ運びでのギャグマンガが増えてきた、ということも重要なんだけど、今は「ボーボボ」とかでいくらメチャクチャやっても「笑うところのサイン」はコントとか漫才的なんですよね。70年代当時は、そこがなんだか違う。
人間が演じているという部分は変わらないから、70年代の日本の喜劇映画を見てもそんなに違和感は感じないけど、ギャグマンガには独特の違和感がある。それが面白いんですけどね。
(04.0826)



・「キン肉マン」(7)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。この巻で「7人の悪魔超人編」が終わり、「黄金のマスク編」が始まる。
「黄金のマスク編」からのバトルは全部面白いので、むしろとくに書くことはありません。スニゲーターとプラネットマンの戦いはよく考えたなと思う。あ、プラネットマンがやられるシーンがまんま「デビルマン」のジンメン編だったのは驚いたけど。

あと、筋肉バスターはともかく、新筋肉バスターはあまりきくと思えない。

・1〜6巻の感想

(04.0826)



・「キン肉マン」(8)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。黄金のマスク編。ここら辺はぜんぶ面白いですね。悪魔将軍の正体とか。しかし、この段階にいたってもジェロニモの登場の仕方はそれまでと同じく唐突。
しかも、ジェロニモのエピソードは「超人」というものを考えるうえにおいてかなり重要な役割を果たしているのだが、ゆでたまごはそれを計算してやっているのかどうかもちょっとわからない。

・7巻の感想

(04.0826)



・「キン肉マン」(1)〜(6)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。キン肉星の王子・キン肉マンが、子分のミート君とともに数々の超人たちとプロレスを繰り広げる。
1979年から連載。ちなみに、紹介するのは99年から刊行された文庫版である。もちろん6巻はまだ途中。文庫では全18巻。

♪リングに〜稲妻走り〜 なん〜と〜か〜 なんとかかんとか〜♪ いや〜キン肉マン、実は最初の方は読んだことがなかった。子供の頃から初期のギャグ編ってぜんぜん面白いと思わなかったし(今読むと、なんだか同時期のコンタロウっぽい)。同じ理由で最初の方を読んでいなかった作品として「ドカベン」があげられる(柔道やってたから)。

キン肉マンについては、詳しい人がゴマンといるしファンサイトもある。「空が飛べたんじゃなかったっけ?」とか「ラーメンマンって最初は残虐超人だったんだよな」とか、そういうツッコミをリアルタイムでしていた人も多いだろう。それをここでやっても仕方がない気もするし、やりたい気もする。

いちおう自分メモ的に書いておきたいのは、後のキン肉マンの目玉企画である「超人募集」が、連載当初からキン肉マンの敵役の「怪獣募集」として行われていたということ。
また、当初の設定からキン肉マンは「おちこぼれスーパーヒーロー」という設定だったが、ほんのちょっとだけ作者がプロレスファンだとわかるような要素が入っている。

文庫で6巻までというと、「7人の悪魔超人編」におけるキン肉マンVSバッファローマンの途中までである。
ここまで読んできて感じるのは、私見だが真に面白くなるのはこの「7人の悪魔超人編」あたりからだということ。そして次の「黄金のマスク編」でほぼ本作のパターンが確立されたと言えると思う。
プロレスの試合自体は早くからやっているのだが、1試合が短いことが多かったし、「悪魔超人編」の前にはギャグのみのエピソードも挟んだりしていた。

「悪魔超人編」か、その少し前くらいから「友情」がテーマとして前面に出てくる。それまではラーメンマンは残虐超人だし、ロビンマスクも悪役として出てきたりする。まともにキン肉マンと友情の絆を結んでいるのは、ミート君とテリーマンくらいだったと思う(ロビンマスクは途中で裏切ったりして、なんだかよくわからん)。
それが、「悪魔超人編」では試合のテーマは「バラバラにされたミートの肉体を取り戻すために正義超人(アイドル超人)が結集する」ことであり、悪役であるバッファローマンとの間にも友情が生まれる。当時のジャンプのスローガンである「友情・努力・勝利」が作品の前面に押し出されてきているように感じるのだ。

それと、もうひとつ書いておくべきなのは「悪魔超人編」あたりから、戦いの中で「敵の攻撃」→「ピンチ」→「何かをヒントにして敵の攻撃を防御し、反撃する」というパターンに、もう1回か2回くらい敵からの反撃が出てくるということ。RPGで言えば2ターンくらい敵からの攻撃が増えてくる。
このことによって、戦いの趨勢もよりわかりにくくなり、かつ敵の超人のわけのわからない技もたくさん出てくるようになり、面白くなってくる(まあ、人気はその前からあったんだろうけど)。

それとぜんぜん関係ないが、吉野家から名前入りのドンブリをもらった、と「トリビアの泉」でも紹介されていたゆでたまごの書くキン肉マンの牛丼屋は必ずしも吉野家でなくても良かったっぽい(元ネタは「なか卯」説もウソかホントか聞いたことがある)。
さらに、キン肉マンは「ニンニクをエネルギーとする」とか「森永ココアが大好き」、「ポテロングをよく食べている」などの設定が付いていた。このあたり、昔のことだから何かのタイアップということではなく、単にゆでたまごが食っていたってだけの理由で出ていたんだろうなァ。

伊集院光がいまだによく「ポテロング」というが、それはキン肉マンから来ているのではないかと思いました。
(04.0825)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

8月22日放送分。

公式ページ

「自由研究すぺしゃる」
視聴者の、夏休みの自由研究をフォローしようというような企画。
スタジオでは、科学手品を見せてもらったりクイズをしたり。
「自分が解答を知っている」という優越感から、妙な方向にスイッチが入った安倍さんが、クイズの司会として無邪気かつ微妙なサディズムを振りまいていた。

・黒酢を平気で飲んでいた藤本美紀は、罰ゲームのリアクションが嫌いなのだろうか?
・イナゴの佃煮に挑戦しようとする田中れいなは、偉い。

ひさびさのロケでは、「自由研究石川班」として、石川、小川、道重が東京湾で釣り。しかし「自由研究」は単なる名目で、「でぶや」みたいに釣りをした後、料理屋で魚を食って終わり、という内容。しかし、私にとっては「自慢げに後輩をリードする石川梨華」が大好きなので、かなり満足した。その自慢げな石川に素直にのっかる道重、ツッコミを入れる小川と布陣も完璧であった。
どうでもいいが、女の子が迷彩の服を着るのがピースぶるわけじゃないけどあまり好きじゃないのだが、石川の場合あまりにもミスマッチで逆にピースなので許す。

・「地球戦士W」
「夏の暑さから子供たちを守れ!―後編―」
「涼しくなろう」とジェットコースターに乗ったり、打ち水したり、縁側のある日本家屋で涼んだり。巡回してるサイトで「加護はジェットコースターに乗っても前髪を気にしてた」とあったが、よく見てるなァ。
最後に必ず「子供たちが救われた!」みたいのが入るが、無理矢理すぎて面白い。

・美勇伝お披露目2
石川梨華の新ユニット「美勇伝」。今回は石川とメンバー二人が、娘。たちに挨拶。 五期や六期の加入時にもあったシーンだけど、ASAYAN的演出をしない以上、もうこういうのやっても中途半端だと思う。仕込みコントくらいしてほしい。
ベタなところでは、矢口か道重が異様に先輩ぶる、冒険するなら高橋愛が異様に先輩ぶる、というのがいいと思います。

あ、挨拶される側になぜかまこと(シャ乱Q)が混じっている、というふうにすればその絵だけでとりあえず面白いと思う。っていうかシャ乱Qまことは、本来いじられキャラのスキルを磨く時期だろう。守られすぎだ。

・HPH
ゲストが写真集を発売する紺野。ゲストといっても、キャスターとしてその場にいるわけだけど。
コーナー冒頭で、「夏休みの思い出は?」と聞かれ「公園で水道の蛇口を指でふさいで水を霧状に噴射させる遊びをずっとしていた」と答える紺野。中澤に「……暗かった?」と聞かれ、激しく否定する。
みんなのアイドル「モーニング娘。」で最大のタブーは「暗い」ことらしい。さまざまな流行語や新造語が飛び交う娘。たちが唯一、素で使うのが「暗い」という言葉だ。
まあショービジネスなんで当然なんだけど、「暗さ」、「昏(くら)さ」という点だけがハロプロに存在しないことは、彼女たちのあらゆるパフォーマンス評価においての座標軸になると思います。ホントだよ。

キャメイは「かわいさ無期懲役」。

あと、美勇伝の次回放送予告みたいので、新メンバーの子がレッスンで泣いているシーンが映し出され、そこから切り替わってスタジオでお菓子だか果物だかを食べながらものすごくニッコニコしている亀井の顔のアップになったのは意図的だったのだろうか。スゴイ切り替わりだ。

スタジオライブは、Berryz工房「ハピネス〜幸福歓迎!〜」。

【テレビ】・「ハロー! モーニング。」しきりなおし感想

前回の放送(半分だけ)

(04.0825)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」39号(2004、集英社)

第1回J金杯(ゴールドフューチャーカップ)エントリー5の読みきり作品中島輸宇樹「切法師」。ものすごく簡単に言うと、和風ファンタジー世界を舞台とした一種の妖魔退治もの。「J金杯」のエントリーとしては最後かな?

突然ですが「シブミ」[amazon]という小説があってですね、これはもううっとりするくらい面白い冒険小説です。主人公は外国人なんだけど、日本の格闘術を使うんですね。
外国人が東洋の神秘的な体術を身に着けて戦う、という設定はB級、C級作品に多く見られますが、そうじゃないんです。じゅうぶんB級臭を漂わせながら、そこには一筋縄ではいかない何かがあります。

で、彼は囲碁を学んでいて、囲碁の技である「ツル ノ スゴモリ」というのが出てくる(実際にそんな技あんのかいな)。これはちょっと読み返してないんで記憶だけで書くが、すべてが八方ふさがりになったときの技である。主人公は、敵に追いつめられたとき、最後の最後にこの「ツル ノ スゴモリ」を実戦に応用する。

何が言いたいかというとですね、少年マンガを描くというのは全般的に、非常に狭い問いの解答を探し当てる作業です。たとえば主人公が少年なのは当然、特訓するのも当然、美少女が出るのも当然、敵と戦うのも当然。しかも、そこにミステリ作品のような、ジャンルそのものにジャンルの掟破りの可能性が内包されているものと違い、反則技などはぜったい使えません。
それこそ、「ツル ノ スゴモリ」を使うよりほかないほどにまで追いつめられ、作家も編集者も狭い選択肢の前で戦っていると思います。

すなわち、連載の可能性を含めた読みきり作品は、そのあまりの制約の多さから、どうしてもパワーが落ちてしまいます。これは同意してくれる人もいると思いますが、連載第1回目のパワーと、読みきり単体としてのパワーは明らかにベクトルが違いますから。

これがジャンプ系の読みきりの最大のネックであり、おそらくその突破口として、シロウト目にはあきらかに連載の即戦力にはなりそうもない作品を拾い上げる、という「手塚賞」が存在してきたのではないかと愚考しています。

前置きが長い。すいません。今回の作品「切法師」も、ちょっと異世界の設定の説明に短いページ数で苦労しているなと感じた。ただ、絵、コマ割はともに非常に見やすく、即戦力の感触がある。女の子もわりとかわいいし。
後は、この作者が最近のジャンプでは定番となっているこうした絵柄、ファンタジーというジャンルの中でどれだけ自分を出せるかというしのぎあいなんでしょうな。

大場つぐみ、小畑健「DEATH NOTE」。拘束・監禁されている女の子が架空のストーカーに語りかけるところがいちいちエロい。この子の妄想の世界で、「ストーカーに監禁されている」というまったく映像化されないエロシーンが展開されている。これは男性向け創作に対する作者サイドの「釣り」だ。挑戦だ。同人作家のみなさん、これを越えるものを描いてくださいよ。

荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」。これぞ劇画だッ!! という、ジャイロがレースに参加する理由が明らかに。しかしブンブーン一家との戦いはなんだか尻切れトンボだった。「呪われた土地」に触れたジョニィはスタンド使いになるのか? ジョニィの能力は? ジャイロはどうなのか? いっさいは謎のままであった。
まあ、そもそもブンブーン一家の能力も設定として少しおかしいんだけどね。強力な磁力が体内に宿ったからといって、別に爆発は起こらないと思う。

このおあずけ感は、また本作が休養に入ってしまうからだ。本作の場合、この連載と休養のリズムがうまく行くかが気になる。
(04.0824)


【雑誌】・「コミックまぁるまん」10月号(2004、ぶんか社)

グラビア&成年マンガ誌。巻頭グラビアは小阪由佳。

矢野健太郎「アキれちゃダメですゥ」第九話「夏の思い出ゲッチュですゥの巻」。海水浴に繰り出すアキの淫乱ぶりは面白いが、ラスト、ちょっとオチてないかなァ。

徳光康之「握手戦記 握手ボンバー」第8回「チャットルームの中心で何も叫べないケモノ」。水着のアイドルとのチャット企画。しかし作者がいまだにドリキャスでネットをしていたというのには、少し驚いた。

他にマンガは柳生柳、雅亜公、灰島克茶。
(04.0824)


【ライブ】「Wスタンバイ!ダブルユー&ベリ−ズ工房!」於:八王子市民会館(04.0822)

辻加護のユニットW(ダブルユー)と、Berryz工房のコンサート。
都合で行けなくなったという方にチケットをお譲りいただき(ありがとうございます)、見てきました。
まず八王子市民会館と間違えて「八王子市民体育館」に行ってしまい、バスの運転手に「バカじゃないの?」的顔をされ、さらにバスに乗るときにとるべき整理券をとっていないというのでさらに「バカじゃないの?」的顔をされてしまいました。
負けだ!

いやそんなことはいいです。
以下は、そんなにライブ一般に行き倒していない者の感想と思っとってください(ネタバレありです)。

まずベリーズ工房というのが、私にとってはいまだにどう解釈したらいいのかわからない存在だ。なにせ小学生だから……(二人は中学生らしい)。他の人はどうかわからないが、私にとってのフックが何もない。かなりしっかりしたコンセプトを持っているというか、送り手がやりたいことを持っていて力も入っているから、よけい見ていてなんとなく「一生懸命やっているのに、ゴメン……」と悪い気がしてきてしまう。

アイドルウォッチング的に見ると、かわいい子、将来的にかわいくなりそうな子をそろえてきているとは思う。公式プロフィールを見ながらこのテキストを書いているが、たとえば清水佐紀、熊井友理奈といったタヌキ顔と、菅谷梨沙子と夏焼雅といったいわゆる美少女というか、そういった顔だちの子を混ぜてきてるし。
即戦力的には、嗣永桃子はかなりいろんなことに慣れるのが早い子と見た。

ただし、あくまで私中心で言ってますが、菅谷と夏焼が真に美少女として輝くのはあと5年くらい先だと思う。
この二人は、他のハロプロ勢と比較すると、石川梨華、アヤカ、里田といったスレンダー美少女タイプ。タレント性が加味されればブレイクする可能性はあるとは思うが、いずれにしてもおれ的にはそれは5年くらい後の話で、5年も先といったら遠さから言って30年先と同じなのである。

踊りに関しては、まああれでいいと思うんですがやはり歌が聞いていて辛い。どの子も典型的なコドモ声なのだ。あの卓球少女愛ちゃんがポイントをとったとき「ヤー!」とかいうときの、あの声である。
「菅谷と夏焼は5年後」と書いたのは声に関してもその理由がある。コドモのときにコドモの声の子は、成長すれば美しい歌声になる可能性があると思うから(そういう意味では、辻加護はコドモ時代からいわゆるコドモ的歌声ではなかった、というかもともとの声のトーンがそんなにキンキンしてないのが即戦力だった理由のひとつかな、と愚考する。まあパートが少なかったとか、ミニモニ。では矢口やミカと声質のヴァリエーションがあったとか、いろいろ理由はあるでしょうが)。

で、嗣永はもう中学生だし、たとえば娘。の六期に萌えているような客層も現状で狙えるのではないかと思うのだが、この子の歌声がまた突出して「コドモ声」なんだよねー。あれはちょっと気になる。
「あぁ!」でたいした歌唱力を見せた鈴木愛理とか、「ZYX」でポキポキした、あの年代の女の子のスレンダーな魅力を持ってる梅田えりかは入ってないのね。まあ深謀遠慮があってのことかもしれないが、ビジュアル的にはともかく、歌声でリードできる子が一人でも二人でも入っていた方がいいとは思った。

ベリーズ工房の楽曲的には「ピリリと行こう!」がいちばん好きだ。もともと、沖縄民謡を取り入れてアッパー系に仕上げるバブルガムなポップスというのが好きなので。ガレッジセールの「天下無敵のゴーヤーマン」とかね。だれかDJでつなげてください。

さて、W(ダブルユー)。もう登場時から貫禄。ベリ工と組ませたのは諸般の事情だろうが、最初から単独ツアーをおそらくまったくあぶなげなくスタートできただろうと思わせた。

完成度の点からいうと、辻加護に関しては実はほとんど書くことないんですよね。完成されてて。MCもいい意味で想像どおりでね。思えば二人のコンサートでのMCの面白さは、今まで封印されてきた唯一のことじゃないですかね。

「センチ・メタル・ボーイ」も見れたし、生「サウスポー」も見れた。「センチ」はシングルカットしてほしいくらい好きだ。当然、カップリングにはREMIXを入れて。ダンス☆マンとかの。そして「サウスポー」はかなりいいんじゃないですかね。曲自体がいいというのもあるし、振り付けも楽しいし。
アルバム「デュオU&U 」は名曲集なので、「あれが聞きたい」、「これが聞きたい」という意見がいろいろ出るとは思うが、やはりスタッフ側としては「じゃんけんぴょん」や「ちょこラブ」を入れている段階で、「懐メロだけでだいじょうぶか」という不安と、「ライブ全体にハロプロとしてのアイデンティティーを通したい」という意志があったのではないかと私は予想している。
とくにベリーズ工房混じりの「じゃんけんぴょん」を入れたことに関しては、ネット上では異議を唱える人が多く、私も見るまではそう思ってたけど、いざ見ると何となく構成上しょうがないのかなあという気はした。加護の入った「GET UP! ラッパー」とのカップリングだからね。

「ピリリ」もそうだが、全体的に打ち込みを意識させる曲が多かったのでそれは私にとって嬉しいことのひとつではあった。

後半から、Wは衣装を着替えて、スパンコールの付いた青いワンピースみたいなのになるんですが、なぜか辻ちゃんのスカートの裾が隣の加護ちゃんよりも10センチくらいあがってて、なんだかわからないけど辻の太股見放題でしたよ! すばらしい!(笑)

それと、ベリ工の幕間コントを受けてコンサートの最後に辻加護が二人でボケツッコミするんですが、ベリ工のコントがあまりに台本通りで少し辛いので(まあこれはこの子たちのタレントとしての経験の浅さからいって、私は仕方ないと思う)、最後に辻加護が引き締めた、って印象です。

「ああ いいな!」。これは普通のアイドルソングとしてはかなりOKだとは思う。ただ、やはりデビュー曲としては弱い。そこで「なまず」を入れたというのが私の想像だが、これさあ、電気グルーヴ(ギ・おならすいこみ隊)の「モテたくて……」の冒頭で「ドクター!」って叫ぶでしょ、あの部分だと思うことにしました。
それにしても人生や電気の、この無意味な出だしは何か元ネタがあるんだろうな。

お客さんたちは、あいかわらずノリが激しくて少し怖かったです。男ばっかしだしね。隣の席の、「辻なんちゃら、加護なんちゃら」と書いてある特効服を着た青年の、ベリ工に対する温度の低さが印象的。ベリーズ工房が出ている間はずーっと下向いているんですよ。でも、辻加護が出てくるとワーッ!! ってなる。
たぶんその逆の人もいただろう。あちこちのサイトで書かれていることではあるが、やはり両者のファンの温度差というのが、こういうジョイントコンサートみたいな場では出ちゃうんですよね。まあ組んだ時点でどうしようもないことだとは思うんだけど。

総評としては、辻加護は完璧でした。もし二人だけでも、まったく問題なくやっていけるでしょう。っていうか単独ライブやるべき。
もしやったら、構成上加護ソロ、辻ソロとかも入ってくるかもしれないし、ぬるくないコントも見られるかもしれないし、エンターテインメントの夢は広がります。

帰りは地元のお友達と合流し、中華料理屋でご飯食べて帰ってきました。八王子はなにげにご飯が美味しいのです。しかも安い。もしかしたら、才能のある料理人でも都心では地価の問題等で店が出せないのかもしれない。それでつまんないチェーン店ばっかりできて、かえって美味しい店が都心から離れてしまうのではないかと思ったりしました。
(04.0823)


【小説】・「木製の王子」 麻耶雄嵩(2000、講談社) [amazon]

比叡山の山奥に隠棲する白樫家は、両家の祖父・祖母から、生まれて間もない赤ん坊・宗晃に収斂する謎の一族。その一員で世界的な芸術家・宗尚の義理の娘、晃佳が殺され、その首がピアノの鍵盤の上に置かれていたのだ。関係者全員に当てはまる精緻なアリバイ。名探偵・木更津はこの謎を解けるのか。

ミステリです。SFでもミステリでも、そういうジャンルにどの程度義理立てするのかというのが読者のスタンスにはあって、まるで劣等生というかバカ同然のミステリクラブ員(なーんにも読んでない)であった私としては、ミステリというジャンルに義理はあんまりありません。

で、新本格が原点に立ち返るムーヴメントである以上、その運動は過剰なまでに本格ミステリというジャンルに義理立てするわけですが、それは部外者にとってはどうでもいい手続きをやたらと煩雑にするだけだったりもします。
たとえば本作では、館の住人全員が少しずつお互いの犯行時刻のアリバイを補完するという、ほとんど病的といってもいい複雑な見取り図が出てきます。しかも話の進展にしたがって3枚も。
思わず笑ってしまいましたよ。あまりに複雑なので、仕方なく本のその部分を切り取って確かめながら読みましたが、この部分では何度も寝てしまいました。

笑ってしまったのは、単に複雑なだけでなく、本格ならぬ「新本格」の場合、こうした複雑な仕掛けがすべてミスディレクションであることがおおいに考えられるからです。つまり、館をごちゃごちゃと動き回る人間たちの行動を読者が執拗に追ってアリバイを崩そうとする行為が、まったく無駄に終わる可能性もある。しかし、終わらない可能性もある。
読者はしょうがないので、多少煩雑でもこの複雑な見取り図を追うより仕方がありません。「マニアが書いているものだからマニアが喜ぶようなものを書く」のはわかるんですよ。でもこの見取り図、マニアも喜ばないでしょう? 見切ってとばすわけにもいかないし(とばした人もいるんじゃないかとは思いますが……)。
本作に登場する探偵・木更津のように、よっぽど情報処理能力がある人なら別でしょうけど。「マニアが書く、マニアに対するいやがらせ」のように思えます。

このアリバイトリックが物語にからんでこようとそうでなかろうと、壮大なガジェットであることには違いなく、通常の小説作法には明らかに反しているであろう、流れを止めてしまうこのガジェットの存在意義は「ミステリに対する過剰な義理立て」以外には考えられない。
こういうのが少なくとも「出版される」という程度には「アリ」になってしまう新本格というものに、とまどいを感じざるを得ません。

他にも、ネットで調べてみると物語の骨子となる謎以外にも、いくつか「わかる人にはわかる」ネタが仕込まれているらしいです。が、一般読者が1冊の本に要する時間を激しく超えるほど情報が詰め込まれていて、こういうのはマニアでない身からすると服の裏地なんかの見えないところにえらくこだわっちゃう粋人を連想させるような。
殊能将之の「美濃牛」や「黒い仏」にも感じたことですが、ちょっとそこまでやられるとヒいちゃいますね。

このように、いちじるしくバランスを欠いている、いびつな作品ですが、核となるアイディアは悪いものではありません。というか同じ作者の怪作「翼ある闇」におとらぬ奇想だと言えます。アマゾンの書評は、ノベルズ、文庫ともにあまりに厳しいでしょう。
作者が現実に結婚することから着想を得たように思えますが、普通考えないよこんなこと(笑)。自分で同じ発想はできないまでも、SF作家のアイディアの出し方は想像がつきますが、ミステリ作家のこういうひねり方はちょっと考えられず、そういう興味で最近のミステリを読んでいるようなもんです私は。

作者の麻耶雄嵩は「翼ある闇」によって、ぼくらのような学習誌の別冊付録として付いてきた「推理クイズ」を真剣に考えるバカ人間にも優しいバカミステリ作家として高く評価され、「美少女仮面ポワトリン」の決めゼリフを作中人物に言わせたりしてさらに評価されました。
しかし、その後「夏と冬の間奏曲(ソナタ)」というなんだかぜんぜんわかんないエヴァ最終回みたいな小説を書き、「痾(あ)」というこれまたなんだかぜんぜんわかんない、こうして書いてても内容も思い出せない難解な小説を書き、ボクのようなバカ人間をがっかりさせました。

さらに「あいにくの雨で」という、これは多少わかりやすかったですが今でもトリックを思い出せないという意味でなんだかわかんない小説を書き、私ことバカ人間は「この人はきっとベレー帽をかぶってお芸術論を展開するような人と付き合ってそちら側の世界へ行ってしまったんだ」ということで見限ってしまったのです。
しかし、「本格ミステリベスト10」かなんかで高評価だったので、再び手にとったというわけです。

何冊か読んだ感想としては、この作者、奇想は買いますが文章は難解ではないはずなのに妙に読みにくいです。本作も謎解きにうつるのが遅すぎる気がします。複雑すぎるアリバイと合わせても、一般的なエンタテインメント作家と比べると構成があまりうまくないのでは。偉そうなコト言ってすいません。

それで、烏有はいつメルカトル鮎を継ぐんですか? 二代目スケバン刑事みたいになるのをずっと期待してるんですけど。
(04.0819)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」しきりなおし(2004、テレビ東京)

8月15日ぶんは録画の失敗で半分しか見られず、それの感想をここに書いたんですが、その後、親切な方のおかげで全部見ることができました! ありがとうございます。
というわけで、補足。

まず「ハロモニ。劇場」NG集。これはいつもの感じでしたね。

HPH。スタジオにエリザベス乱入。
Wの新曲「ああ、いいな!」の唐突な歌詞「なまず」に、またつんく♂だかつんくの座付き作家だかがヘリクツを垂れてるようです。執拗に歌のフックにこだわるのはわかるんですが、フックを付けりゃいいってもんじゃないだろ、とはひとこと言わせていただきます。
たとえるなら、少年ジャンプで何でもかんでも天下一武道会にするようなもんです。

まあ私も毎週あれこれへりくつを書いてますが、基本的にHPHは亀井がかわいければ何でもいいんですけどね。

それと、HPHを見ていると、紺野も本来的にはテレビで何もしないでいい子なんだよなあ、とも思います。もともと歌も踊りも赤点とか言われてましたから、その辺は折り込み済みで入ってきたんでしょうが。

こんなことは考えてもムダですが、もしも紺野が1982年時に15〜17歳でアイドル歌手としてソロデビューしていたら、現在よりもっとずっと人気が出ていたと思います。
ポジション的には岡田有希子、もしくは石川秀美あたりで(でも運動はヘタ)。
それで春頃には「憧れの先輩に彼女ができてしまったの。でもあなたが幸せならそれでもいい……」とか、梅雨時には「あなたへの思いが届かなくて、この雨とともに流れていってしまいそう……」みたいな歌をね、歌うんですよ今のキャメイみたいな衣装を着て。
それで、アイドル番組「ヤンヤン歌うスタジオ」ではあのねのねに、「アイドルパンチ」では三十代のたけしや鶴太郎にいじられるんですよ。

で、5、6曲目には白井良明が遊びでつくってしまったようなテクノ歌謡を歌うんですよ! 歌詞の半分くらいヴォコーダーとかサンプリングつかったような壊れた感じで。

いやあ、我ながらすごいノスタル爺妄想だね。ほっといてくれ。

ところで、まだ私の同級生で中学生の娘がいる人はいないんですが、いずれ年月が経てばそうなります。で、そうなった時点で「亀井かわいい」とか言いますと、
「おいおい、おれの娘も中学生なんだよ、そんな同世代をエロい目で見ないでくれよ」
「そうよそうよ! 新田さんキモーい」
という集中砲火を浴びるのは時間の問題なので、そろそろBerryz工房のファンになっとくのもアリかなと考えてます。
すごいネガティヴな未来への準備というコトで。

また別の話。
不安なのは、どんどん私のキライな卓球少女愛ちゃんがメジャーになってるってコトで。
何で思い出したっていうと、亀井と同い年くらいでしょあの人。
確か少年サンデーに「福原愛物語」かなんかが載っていたと記憶してますが、いつもはネタとして買うんですけど、あまりにもキライだったので買いませんでしたもん。

林葉直子は、父親への依存を断ちきったというドラマがあったと、勝手に私の中では解釈をしましたが(まあ逆に言うと貴之花は宮沢りえの方を切ったという解釈)、福原愛にはそういう家庭内の葛藤が見えそうで見ないのがすごくイライラします。

まあ、ものすごくぶっちゃけると「目と目の間がせまい顔」があんまり好きじゃないってだけなんですけどね。
「目と目の間がせまい顔」で許されるのはタレントでは安田美沙子、王侯貴族ではチャールズ皇太子、お笑いでは東京ダイナマイトの痩せてる方の人だけです。

前回の放送

(04.0818)


【雑記】・「コミケ2」

「自分の創作物に言い訳するのは超カッコ悪い」
「いじめ、カッコ悪い」
というのは周知の事実だが、ちょっと言い訳させてください。

・まず、「アッパーズ」買い逃したー!(いきなりコミケと関係ない)
三家本礼の新連載第2回目が載っている号。でも、もうすぐ休刊ということですでにあんまり見かけなくなっていることは確かです。

・コミケで、永野のりこ本人の本、買い逃したー!
何でも娘さんが売り子をしていたという。しかしこれもまた、「コミケでの戦利品を見せあうと、痛恨の買い逃し、買い忘れがある」という私にとっての風物詩みたいなものです。あきらめました、ハイ。
永野のりこは「すげこまくん」の途中あたりまで、私にとって神的存在だったんですが、「とてもこの作者のような生き方はできない」と悟ったあたりから大人になって距離を置いています。

・「買ったけど読んでない」マンガが多すぎる!
ヒトとマンガの話をしていて「買ったけど読んでない」、「持ってるけど読んでない」という言葉を自分で何度も言いすぎた!
反省します。

・アイドルマンガレビュー本「放課後まんがまつりVol.1+2合本」について
自分のつくった同人誌で、読み返して気づいたんですが私にとってはかなりマズい間違いがあります。
「アイドル」のもっとも狭義の定義として「松田聖子以降の、何らかのかたちで彼女を意識したタレント」としてるんですが、これがマズい。

まあ、私の80年代前半における松田聖子に対する思い入れはわかるけど……(自分だから)。
中森明菜が山口百恵っぽいだけで、すでにこの定義は成立しないですよね。

アイドルとは何か、について単行本「よい子の歌謡曲」では、大意として「70年代初頭以降、テレビ時代となり、テレビを通して歌の良さが伝わるパッケージングされた売り出し方」、「年齢を無視してオトナっぽくさせるのではなく、『少年』、『少女』と歌手を規定していること」というふうに書いてありました。
これがホントかどうかは、私自身が検証してないんですが、この通りだとするとちょっと私の定義は乱暴すぎました。

まず「テレビですべてが伝わるように」というのは、これは私は勘だけで書きますがたとえばピンク・レディーがテレビ中心アイドルだったことを思い出します。もちろんコンサートもやってましたが、「ライブの良さ」が語られたことはあまりなかったと思いますし。ある時期までアイドルの知名度イコール「どれだけテレビに出ているか」でした。
逆に言えば、「ニューミュージック」のミュージシャン、さだまさしや松山千春が「テレビに出ない」ことを売りものにしていたのが対照的です。

次に「年齢を無視してオトナっぽくさせるのではなく、『少年』、『少女』と歌手を規定していること」ですが、コレもリアルタイムを知らないので困ってます。それまでの歌手というのは、年齢以上に見せるのが普通だったようです。
青江美奈とかは明確にそうでしたし。美空ひばりもそうじゃないかな。
最近亡くなった朱里エイコも、70年代にはその路線だったようです。デビュー後、アイドル全盛となって苦労したとテレビで言っていました。

学園青春ソングの象徴とされている舟木一夫の「高校三年生」、三田明の「美しい十代」が1963年。以前、新聞に載っていた「高校三年生」の作詞者・丘灯至夫のインタビューを読んだら、この人は年齢的に男女共学を経験してないんですね。
で、そうした戦後の変わり様に衝撃を受けて詞を書いたみたいなことが書いてありまして(あくまで記憶を頼りに書いてます)、このあたりはマンガや映画などの学園ものの系譜と合わせても考えなくてはいけないことです。
ちなみに、一部に舘ひろし主演でリメイクされて暖かい笑いを誘っている「青い山脈」ですが、これが調べたらオリジナルはずっと前で1949年くらいなんですよ。

「青春もの」ということを言い出すと、それこそ「伊豆の踊り子」だって入ってきちゃいますからどの辺で線引きするかですが、これが正直、勉強不足でわからない。

まったくの付け焼き刃で恐縮だが、『70年代、アイドル特集』〜女の子編〜を読むと、1971年、ムード歌謡でない同世代の女の子の雰囲気を漂わせた「ヤングアイドル」が登場したことになる。

71年は「スター誕生」放送開始の年なんですね。
天地真理、小柳ルミ子、南沙織、麻丘めぐみ、 アグネス・チャン、 森昌子、浅田美代子、 あべ静江、 キャンディーズ、 桜田淳子、 山口百恵、浅野ゆう子、太田裕美、岩崎宏美、岡田奈々、片平なぎさ、ザ・リリーズ、ピンクレディー、大場久美子、香坂みゆき、榊原郁恵、石川ひとみ、石野真子、 川島なお美、倉田まり子、 杉田かおるなどが70年代にデビューしています。

うーん、やっぱり「松田聖子に影響を受けたアイドル」が狭義のアイドルというのは、狭すぎるな。
とくに、コンセプトとしてじゅうぶん80年代以降も通用しうるアイドルとしては、70年代末にすでに大場久美子、石野真子などがデビューしているわけですからね。

しかし、言い訳もさせてほしい(笑)。
まず、80年にデビューした松田聖子は突出して巨大すぎた。歌唱力もあったし、レコードの売り上げもバケモノ級。そしてかわいかった。むかうところ敵なしでした。 それと、もうひとつは80年代に入ってからの、ピンク・レディーの寂しい引退。
さらに、いわゆる82年組の大量デビューと、その系譜を引き継いだ菊池桃子、岡田有希子、南野陽子などの存在。
中森明菜は、フォロワーを生まなかったという点で、その凄さはあるにしてもムーヴメントにはなり得ていなかった。
ここら辺が、私の女性アイドル感にかなり影響をおよぼしている。

さらに、「あしたのナオコちゃん」的な世界観の存在。
マンガ「あしたのナオコちゃん」は、聖子、奈保子から82年組、桃子、有希子、陽子、おニャン子あたりまでが同級生のようにつきあっているという設定の4コマンガ。
大沢逸美などの発言を聞いていると、先輩後輩の間柄が厳しくてとてもそんな雰囲気ではなかったらしいが、「あしたのナオコちゃん」を成立せしめていたのは、82年組という、異様に同期が多い集団である、ということはあると思う。
70年代アイドルは一人一党で、「どこかでアイドル同士が仲良く遊んでいるかもしれない」という妄想は抱きにくかったと思うのだ。

実際、80年代前半から中盤の松田聖子は「現象」としては巨大であっても、それをどう以前のアイドルと位置づけるかは、むずかしいんですよホントに。
山口百恵のような、ひと目でわかる異端さみたいなものがないから。

さらにさらにですね、さすがに「ムード歌謡」からは脱却して「女の子」を歌っていたアイドル歌手も、その歌詞を検証してみればそれがどれだけ現実と乖離したものであったかは一目瞭然なわけで。
W(ダブルユー)のアルバムを買った人はわかると思いますが、ザ・リリーズの「好きよキャプテン」なんて、歌詞の前時代的な内容は「何言ってんだよアンタ」って感じでしょ(私は大好きですけど)。
70年代、すでに男性の少女マンガ家が、柴田昌弘、和田慎二、弓月光や魔夜峰央などの一部の作家を除いて前線から交代しようとしていたとき、アイドルの女の子たちはまだ男性の作詞家の歌う、男の子があこがれるような女の子像を歌っていた。

そうすると、今度は比較的歌詞に自由度の高い「ニューミュージック」の方も見ていかないといけなくなっちゃうんですよ。

まあ、そこまで踏み込まなくとも、もし時間に余裕があれば「放課後まんがまつり」のVol.3において、「アイドルマンガ特集」をもう一度出したいですね。「聖子以降」に重点を置きすぎたテキストを訂正したいし、それに高橋愛が入った新生ミニモニ。のマンガや小説にも触れて、初めて完結できる気がするので。

先のことはどうなるか、わからないですけど。
(04.0817)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

8月15日放送分。

公式ページ

半分しか録画されていなかった!
なぜなのか数分首をひねったが、どうやらW出演の「堂本兄弟」を録画する際、オリンピックだか野球だかでの延長をかんがみて長めに時間を指定したとき、間違えて「ハロモニ。」の録画時間をいじってしまったらしい。
くそー。最近、人が喜んで騒いでいるものに対して文句を言うのはあまり上品なシュミではないと思ったのだが、言わせてもらう。

「みんなスーパーマーケットの方のオリンピックへ行け!」

それと、ヨーコ・ゼッターランドはゼッターランドの王女様なのか。ゼッターランドってカッコいいね。ゼンダマンみたい(幼児性)。

しょうがねえので半分だけの感想。
上半期総集編。しかし、単なる編集ではなく、きちんと娘。メンバーのコメントを撮っているあたりが好印象。

・「地球戦士W」
「夏の暑さから子供たちを守れ!―前編―」
辻加護が冷凍庫に入ってバナナで釘を打ったりしていた。

・美勇伝お披露目
石川梨華の新ユニット「美勇伝」の初お披露目。メンバー人選に関してはそれほど不安には思っていないのだが、楽曲がはたけっていう時点でどうなのよ、って思う(「横浜蜃気楼」を聞くかぎり)。
そんなに内輪で仕事を回したいんだったら、はたけでもまことでもいいけど年金とかあげればいーじゃん。

スタジオライブはWだったらしいが見逃した。
ハロプロアワーも、スタジオに亀井が行ったらしいが見逃した。

んでまあ「ハロモニ。」を結果的に犠牲にして録画した「堂本兄弟」なんだが、Wは面白かったし、新曲「ああ いいな!」も初めて視聴できた。各所で話題になっている「なまず問題」だが、コレには直観的に「かしまし物語」のアンバランスさに通じるいびつさがあると思う(ドラえもんのエンディングを見ていないから、そっちでコレを入れなきゃならない理由があるのかもしれないが知らん)。
私は楽曲的なことはわからないので印象だけで書くが、たとえば「ミニモニ。テレフォンリンリンリン」は、メチャクチャなんだけどコンセプチュアルにメチャクチャ。

だけど、「かしまし」の歌詞は、すごい手が入ってる感じがする。内輪ネタなのかカラオケ仕様なのかはっきりしないところがそう感じる点。
で、「なまず」も、楽曲全体はそう悪くないのにあそこだけ浮いてるっていうのは、後から付け加えたんじゃないかと思う。

それは、「恋のテレフォンGOAL」の「ピロリン」が、曲自体が完成した状態で後から入れた感じがするのに通じる。
「ピロリン」は視聴者に松浦的楽曲に対して許容度があるのでギリギリセーフだが、「なまず」は、ミニモニ。のメチャクチャ幼児路線を放棄しておきながら今頃何やってんだよ、遅いよ、と思わざるを得ないという点で、ギリギリアウトだとテレビを見た限りでは思う。CDで聞いたらまた印象が変わるかもしれないが。

前回の放送

(04.0816)


【雑記】・「コミケ」

来てくださった人ワーイ。
雨が降っててショボーン。
本が買えてワーイ。
後半疲れてきてショボーン。

いろんな人に助力をいただき、無事生還しました。ワーイ。

今回、ものすごくひさしぶりにマンガを描いたんですが、創作活動一般に関して、大学で同人誌活動の研究をしているという院生、ペンネーム「夢がMORIMORI」(通称夢MORI)に取材を受けたのでその一部を公開したいと思います。

夢MORI(以下「夢」):物語としてのマンガを描いたという意味ではひさしぶりなそうですけど?
新田五郎(以下「新」):まあたった4ページなのでそんなに大それたものではないんだよ。それよりさあ、ちょっとモーヲタでない人に「道重さゆみって知ってる?」って聞いたらぜんぜん知らなかったんで、これはヤバいと思ったよ。
:まあ道重のことはいいとして……実際には何年ぶりなんですか?
:最後に描いたのが99年の12月だからほぼ5年ぶりだな。あまりにひさしぶりなんで、羽ぼうきとかわざわざ買っちゃったよ。この間に、新宿紀伊国屋のアドホックがなくなったり、おれが市川実和子の名前をド忘れしたりと、いろいろなことがあったよね。
:最後に描いた作品と、それ以降やめちゃった理由を教えてください。
:最後に描いたのは「逆転の発想シリーズ 逆寿司2」というマンガで、同人コピー誌「楽しい午後の過ごし方」第17.5号に載せたんだ。
「楽しい午後の過ごし方」は、めちゃくちゃおおざっぱに言って「バカサイ」みたいな投稿雑誌だと思ってもらっていい。先輩との共同執筆で94年8月の創刊号から、99年12月の17.5号まで続いた。
考えてみたら6年もやってたんだな。
「楽しい午後の過ごし方」でコミティアにおいて活動することで、何人か知り合いができたりしてそれはとても感謝しているんだが、個人的にはどうにも読者に広がりがないので悩んでいた。
まあはっきり言って、コミティアにおける潜在読者が新刊1冊につき私の場合、20人くらいしかいないんだよ。それで他のイベントに出たりコミケに出たりして必死になってやっと50部売れる、みたいなことを何年も繰り返してた。
「楽しい午後の過ごし方」に対する自分の理想は、過去に存在したオタク・サブカル系ミニコミみたいなごった煮感だったんだけど、そういうふうに思っていたのはスタッフの中でもおれだけだった(笑)。で、その方針の一環としてマンガも描いて載せていた。でも反響はほとんどなかった。
雑誌をやめた理由は、飽きたのと一緒にやってた人が忙しくなったのと。
マンガをやめた理由は、「逆転の発想シリーズ 逆寿司2」で「ミニ四駆みたいに走る寿司」というのを描いたら本当にアオシマ文化教材社が「寿司Q」という走る寿司のオモチャをつくってて、それで「おれの発想は現実を越えられないのか」と絶望してやめた、というのをネタにしてる(笑)。
まあそれも本当だが、やっぱりいくら描いても自分の中でおとしどころが見えない、というのがいちばん大きかったと思う。
:「おとしどころ」って何ですか?
:人にもよると思うけど、同人誌の場合、いくら売れないといってもオフセットオンリーで考えた場合、最低50部くらいがコンスタントに出ないとそもそも本が出せない。正確には50部以下で印刷してくれるところもあるとは思うけど。
本を出すことによって、即売会で他の人と交流できるというメリットを考えると部数はそれほど関係なくなるんだけど、おれ自身の人づきあいの苦手さもあって交流面でも大きな壁があったと感じていた。
まあたとえば、同人やってたら今度は一緒にやりましょうとか、あるいは原稿描いてとかイラスト描いてとか頼まれたりとか、あるでしょ。そういうの、6年間やっててほとんどなかったからね。
具体的に言うと頼まれたのが1回、自分から寄稿させてくれって言ったのは2、3回あったけど。
やっぱり自分の描くものにどれくらい価値があるのかって、薄々わかってくるから。
:それで同人誌即売会に参加し始めてからの活動は99年でほぼリセットしたと。
:まあ遅すぎるという感じはあるけど、それだけ試行錯誤してたってコトで。いちおうフォローしておくが、「楽しい午後の過ごし方」を少なからず楽しみにしていた人もいるんですよ。でも、執筆形態から製本、流通(つまり即売会での販売)でもすべて疑問を感じていたということは確か。ここら辺は死ぬほど考えたので、すでに答えは出てますけど。
他にも地方の同人サークルに参加したり、試すべきことはいちおうやった。
:こう言っては何ですが、決してうまい絵ではないですよね。
:それもやめた理由のひとつ。顔を左向き右向き両方描けるようになるとか、パースの取り方だとか、いちおう基本からやり直そうと思ったけど、なんか全部ダメだった。いまだにパースとかわかんないもん。自分で描いてて。
このトシになって思うけど、これは私見だけど5年以上やって技術的なことでうまくいかない場合、6年目でとつぜんできるようになるっていうのはまずないんじゃないかなあ。
某即売会のワークショップみたいなのにも1度参加してて、それを今言うとみんな驚くんだけど(笑)、「よくこんなの描いて来たな」みたいなあきれ顔されて、内容はギャグだったんだけど「私はあえてこういうの好きですね(苦笑)」みたいなこと言われてさ。
ふつうギャグマンガに「『あえて』好きだ」みたいな雰囲気で言うか? 笑えてナンボでしょう。ただ笑えるか笑えないかってだけでしょう。そんなシュールギャグきどったものでもなかったし。それに「あえて」的なニュアンスを付けるということは、最初っからギャグに価値を認めてないってことなんですよ。
まあ他にもその先生、そういうイキフンが端々に見えて、いやだなあと思ってそれっきりでもう参加しなくなったけど、おれ側の責任を言えば、画力が最低限あればあんな同情めいたこと言われなかったとも思うんだよね。
あ、それと、直接は関係ない話だけど中野の公民館みたいなところで3回連続で夏目房之助の講義があって、それ、最初の回で3回分の料金を払うんですよ。で、1回目にその先生が来ているのを見つけて、挨拶するのがメンドクサイという理由で残りの夏目房之助の2回の講義聞いてないんですよ。
先生、金返してください(笑)。
:すいぶん話がそれましたが、まあそういったモロモロでやめちゃったと考えていいんですね。
:私のマンガ執筆に関するある時期までの真剣度は、このサイトを読んでる5人くらいの人は知ってると思うんですよ。でも、現在はむしろ知らない人の方が多い。アピールするのに5年くらい前から疲れました。
まあたとえば、現在「しょーもないマンガを集めているんだったら新田だな」という認知はある程度、周囲でもあると思います。でも、5、6年前、現在のその認知よりも「新田はマンガを描いている」っていうのありませんでしたからね。それは言い過ぎとしても、一緒にサークル活動をやっている人たちに認められないっていうのは個人的にいちばんキツかったですね。「あ、そういえばマンガ描いてたんだっけ? サザエさんみたいなやつ?(薄笑いで)」みたいな感じだったんで。
:じゃあ今のひねくれた考えはすべてその頃からのルサンチマンだと。
:だからさあ、今までみたいなこと言うと、ぜったいそういうことを言うヤツがいるからイヤなんだよ。私は「ぶっとびマンガ」を掘る作業は、同人活動を始めた10年前よりもっと前からやってるし、そういう意味で考えが変わったことはないよ。
だから、たとえば私が最終兵器彼女がきらいだと言ってもだね、それは創作活動でのルサンチマンとは無関係だとは強調しておきたいね。でないと、わかってもらえることもわかってもらえなくなるし。
ただ、自分史的に原稿をかなり大事に保管していたんだけど、ふと気づいて調べたら驚くほど散逸しててどっか行っちゃってるんだよな。だってほとんどだれも求めてないんだもん。
でも、今回ひさしぶりに描いて思ったけど私は一種類のマンガしか描けないし、いったん記憶喪失になってゼロから物語(というほどたいそうなモンでもないが)を構築してもまったく同じものしか描けないというのはわかった。
もうそれでね、10人くらい認めてくれる人がいればいいので。今後も頼まれれば喜んで描きますが、自発的に描くことはもうないかなあ。
それと、六期の顔と名前、覚えておきなさいよ。
:わかりました。Sweetsのファンはもうやめます。
(於:談話室滝沢、当然おごらせた。)
(04.0816)

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