つれづれなるマンガ感想文11月前半

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一気に下まで行きたい



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【雑記】「わたしだって寝てないんだ!」と言ってまわるかのごとし
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」50号(2004、集英社)
【DVD】・「新サイボーグしばたっ!!」 監督:おおなりてつや(2004、zetima)
【書籍】・「『人間嫌い』の言い分」 長山靖生(2004、光文社新書)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【映画】・「ロボ・ジョックス」 監督・原案 :スチュアート・ゴードン、製作総指揮:チャールズ・バンド、脚本:ジョー・ホールドマン (1989、米)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」49号(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
・「仮面ライダーZX」 原作:石ノ森章太郎、まんが:細井雄二、山田ゴロ、安土じょう(2004、ミリオン出版)
・「帰ってきたウルトラマン 完全復刻版」 内山まもる(2004、小学館)
・「ウルトラマンA 完全復刻版」 内山まもる(2004、小学館)
・「決戦! ウルトラ兄弟」 居村眞二(2004、ミリオン出版)






【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

11月15日放送分。

公式ページ

第2回 ハロモニ。健康ドック。第1回は7月4日ですか。ふむふむ。「ココロ」と「カラダ」の専門家がモーニング娘。の健康状態をチェック!! という内容なのは、前回と同じ。

心理テストの先生は前回と違って、どこかのおじいちゃん先生でした。結果も、「右脳型か左脳型か」という、心理テストというよりも頭の体操的なもの。そこそこ面白かったですけどね。

体育テストの方は、前回と同じ先生。今、私の脳内で大議論が巻き起こっている! この先生が是か非かということが!
とりあえず、ラストでおじいちゃん先生までいじったのはやりすぎと思った(総評で「飯田さんの発想は面白い」とおじいちゃん先生が言ったら「タイプなんでしょう(飯田さんがタイプだから評価したんでしょう、という意味)」とか言ったのね)。
後も、いかにもな「体育会芸」で、これはねえ、この先生自体はイイもの持ってると思うんだけど、だれかダメ出しした方がよくはないですか。使いようによっては1コーナー持てるくらいのポテンシャルがあるんだから(我ながら偉そうな書き方だ)。

コント「公園通り三丁目」前回の放送の感想において、「亀井に男装をさせるのはもうヤメロ!」と果敢に吠えた私だったが、亀井のヨン様は氷川きよしよりずっとマシだった。面白いもんだ。矢口が「きよしよりはいい」と言っていたのにも納得。
あと、道重幼稚園児、田中幼稚園児というスゴイのが出てきたので満足した(けっきょくコスプレしか見てないようです私は)。

HPH。レポーターのキャメイが復活、ゲストは新曲を出す後藤真希。ごっちん、ふだんろくすっぽ亀井と話していないに決まっているので、この二人が出てくるとなんだかハラハラするんだけど、さすがに後藤真希は亀井がどんなに出しゃばってもオトナだった(まあ、そういうコーナーなんだから当たり前なんですけどね)。
亀井の物怖じのしなさもスゴイ。亀井すばらしいよ。

スタジオライブはBerryz工房の新曲「恋の呪縛」
歌詞についてだけ書くと、1番だけ聞いたかぎりではちょっと中途半端な気がする。
だれもいない教室で男の子に告白されるんだけど、その子は女友達の好きな子で、ここで受け入れると友情が壊れてしまう、という歌詞なんだが、この詞に出てくる女の子が、男の子の恋心を受け入れること、友情が壊れること、どっちを恐れているのかがわからない。
男の子の恋を受け入れることを強調するのならばオーソドックスなアイドルソングになってそれはそれでいいが、興味のない、でも親友の好きな男の子に告白されて、二人きりの教室で友達同士の人間関係のことばかり気になっている、という方がリアリティがあるような気がするんだが。

それとやっぱり、ファンの人には悪いが全員「子供っぽい声」なのが気になる。嗣永桃子がメインっぽい位置にいるのはコドモ声ながら当然としても、前にも書いたかもしれないけど一人でも小学生ばなれした歌唱力の子がいれば、全然変わったのになァ……という思いがぬぐえない。
たとえば、現在の「娘。」で歌唱力においては藤本美貴が不可欠なように、そんな存在が欲しいのだけど。

前回の放送

(04.1115)


【雑記】「わたしだって寝てないんだ!」と言ってまわるかのごとし

ひさしぶりの雑記でこざいます。
9月11日のリンク考その2からだから2カ月ぶりになりますか。

今回は本当に雑駁な記、です。

・ハロモニ。コントのキャラクター
7月25日放送分の感想で、私は「ハロモニ。のコントでは、他のコントにありがちな『旬の人のものまねキャラ』がいっさい登場しない。」と書いたが、その後「細木数子」、「氷川きよし」、「ヨン様」などのタイムリーなキャラクターが続々と登場した。
7月段階でわからなかったこととは言え、いちおうその変化を記しておきたい。

・ノイローゼ
ちょっとセンシティヴ、ないし自分のことをセンシティヴだと思っている人のテキストに必ず出てくるノイローゼというか鬱というかネガティヴな感情ですが、当然、自我の肥大した私もそういう気持ちを持っています。
最近は、何というか内省がどんどん根本的な方向に向かってまして、一瞬何かが掴めて悟ったと思ったらそうでなかったり。ということが続いております。ヒトにも指摘されましたが、他人の不幸やら何やらを自分のものとして共感しすぎるというか、そういうと心優しい人間と勘違いされますが、単に同化が激しいだけなんです。当然、だからって何もしないから自分はヒドいやつです。
短期的展望としては、年末まで、ヒドい波が襲ってくると思います。

しかし、本格的な鬱病でないかぎり、「ウツです」といった程度の気持ちの沈潜は、もしかしてなんかの罠かもしれない、という陰謀論的見地に私は最近立っています。 まあ、あまりにも問題が具体的な場合、少々気持ちが沈んでも仕方がないと思いますが、かなり漠然とした不安が原因の場合の「ウツ感情」というのはどうなのかと。

そういうのって、そのウツウツとしてくる原因自体を考えた方がいいのではないかと最近思いますね。
なんかね、鬱々とさせるように、世の中が仕組んでるんだと思うんですよ(陰謀論的解釈)。
まず、将来的な展望のなさ。これはウツっぽい感情を誘発させますよね。
ここでしらじらしい希望を提示してくるやつもいますが、これもまた罠です。
言ってる本人は罠だとは思っていないかもしれないけど、罠です。
世の中は「しらじらしい、無責任な希望」を持ち上げるようにできてますからね。そういうおためごかしな希望はたいてい役に立たないし、それに乗っかってハシゴに登って後からはずされたら目も当てられません。

問題はここからで、「しらじらしい、無責任な希望」もくだらん世迷い言だとわかった場合「どう生きていくか」を考えるのがウツ生活になるかならないかの瀬戸際です。

その解答はいろいろとあるでしょうが、ひとつ思うのは「人間、そんなにいつもフラットな感情でいられる方がオカシイ」というもの。
機嫌のいいときもあれば、悪いときもあるのが普通です。
そして、単なる不機嫌じゃなくて「ウツっぽくなる」ということは、何かその人が重要な人生の岐路に立っているときじゃないかと思うんです。答えが容易に出ず、やる気がなくなるのが一般的な「ウツっぽい」感情なんで。

ところが、一般的に世間的な目というのは、その人間が社会的には機械のように働くことを、人間関係ではそのバランスを逸脱するほどの感情の起伏がないように、って要求してきます。
でも、そんなのムリですよ。

少なくとも、現代社会ではムリです。

まああんまり感情的になって、仕事をサボったりしてはまずいけど、「こういう人生を送らなければならない」という基準がハッキリしなくなって、またソレを保証するシステムなんか当てにできない以上、単に1日や2日、思い通りにならないというのではなく、人生そのものがドロップアウトさせられてしまう人も増えるでしょう。
それにしたがって鬱々とした人は増えるだろうし、まあ基準がキッチリしているエリートみたいな人の方が、その傾向が強いかもしれない。

結論はないです。まあでも、他人の軽々しい警告には気をつけろ、と。

・コミティアの新刊について
上記の関係上、モチベーションが落ちていると言わざるを得ません。
家のジャングルの中から発見された自作マンガ「逆寿司」を復刊させるのが今回の目標ですが、今日下描きしてみたら今週末には間に合いそうもないというかギリギリというか。
だから、できたらご喝采、できなくて当たり前ということで。
(04.1115)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」50号(2004、集英社)

47ページの読みきり、加地君也「ストライカー義経」。不良ばかりで練習しないサッカー部で、一人イジメられながらも地道に練習する少年・弁慶。そこに、ある日義経という少年が入部してきた! 「自分は義経の生まれ変わりで、天下をとってみせる」と公言する破天荒な義経のペースに弁慶は巻き込まれていくが……。

弁慶の心情があまりにセリフで説明されすぎているが、全体的にさわやかでまとまりのある作品。ただ高くジャンプできるだけの義経の技「八艘飛び」も、単純ながら効果的に使われている。

400万部を記録して以来、もっともダサい企画と言われた(私が勝手に言った)「もくじ川柳」の募集が終了。ホッと胸をなでおろす。
(04.1113)


【DVD】・「新サイボーグしばたっ!!」 監督:おおなりてつや(2004、zetima) [amazon]

テレビ東京の番組「アイドルをさがせ!」内のミニドラマ「サイボーグしばた」(2001)の続編。メロン記念日のメンバーを主演格にすえたアイドルドラマである。
特典映像に前作「サイボーグしばた」が全話収録されているのがお得。要するに、続けて見られるということだ。

カニの地下ディスカウントショップをつくるため、サイボーグによるカニ漁を考えるマッドサイエンティスト・大山田博士に、「すべての力が10倍になる」改造手術を受けた少女・柴田あゆみ。彼女は脳改造直前に逃げ出し、普通に家に戻るが、大山田博士は新手のクスリやサイボーグを駆使して毎回柴田あゆみに挑戦する、というのが前作「サイボーグしばた」。
前作から数年後、普通に生活している柴田あゆみに大山田博士が再挑戦するのが新作「新サイボーグしばたっ!!」。

メロン記念日が私のようなヌルいハロプロファンから注目され始めるのがシングル「This is 運命」からで、「サイボーグしばた」が終わるか終わらないかの頃だという。
メロン記念日の個人的第一印象は、突出してメンバー内で柴田あゆみがかわいいということであった(典型的なアイドル顔なので、まあ何にも知らない人はたいていそう思うのでは?)。
逆にいうとそれのみの印象しかなく、「ハロモニ。」で彼女たちがやっていた「バレリーナ戦隊メロン」とか、もうまったく何をやりたいのかわからなかった。

しかし、「This is 運命」と続く「さぁ!恋人になろう」がなかなか楽しい曲で、この頃から4人全員を識別できるようになった(逆に言うと、ハロプロ楽曲の全体的な沈滞もあるが、シングル曲でメロンにおいて、個人的にはこの2曲以上の曲が未だ出ていないということでもあるが)。

で、その柴田あゆみがサイボーグで、他の3人は博士の助手役。
まだ、この頃は4人の演技がぎこちない。それと、大山田博士の助手、ミス・ヘイケ役の平家みちよがかわいい。この人、きっと生身で見るとものすごいかわいいと思う。
でも、いちじるしく流行りの顔立ちではない(ファンの人にはゴメン)。完全にアイドル顔、タヌキ顔の柴田あゆみとは対照的なキツネ顔なんだけども、ロックヴォーカリストオーディションとはいえあまりにキツネすぎる顔だ。
他のソロシンガーと比べてもそのキツネっぷりは突出していて、もしかしたら松浦あやのキツネっぽさのプロトタイプなのではないかと思わせる(松浦は、キツネとタヌキを混ぜたような顔をしていると思う)。

まあそんなことはいいんですが。
このドラマ、かなりおバカな内容のコメディなのだが「どうです、面白いでしょう!」とか「ここが笑うところなんですここが!!」といったこれみよがしなサインがほとんどない。飄々としているというか、のんびりしているというか……。また、今関あきよし(捕まっちゃったけど)を筆頭とする、「おれは、おれは少女をかわいく撮るのが好きなんだあ〜!!」という「美少女大好きオーラ」も出ていない。そういう面でも、どこかいい意味でのらりくらりとしている。
大山田博士役のヒトも、いかにも「個性派」な濃いたたずまいをしていながら、たとえば同じようなポジションを割り当てられることの多い竹中直人などに比べると、あまり気張った感じがしないのがよい。
いや、竹中直人は好きなんだけど、何というか「おれがおれがオーラ」を出しすぎると、こういうコメディってかえってシラケてしまう場合があるんだけど、そういうところがぜんぜんないんだよね。すごく自然に見れる。

これは、ハロプロ内でも独自の活動をしているメロン記念日と非常に合っていると言えると思う。

「新サイボーグしばたっ!!」では、前作から数年経っているわけだが、演技というか「自己アピール」の点ではメロン記念日4人は着実にレベルアップ。とくに村田さんの成長がいちじるしい。もし、前作の段階でここまでできたなら「おとなしい」という性格設定はなかったのではないかと思われる。

他にもゲストメンツとして紺野、石川梨華、里田まいが出ている。この3人も、不思議と作品世界にマッチしている。3人とも、ハロプロの中ではコント演技が得意だからなぁ。石川梨華なんて、「乱歩R」では借りてきたネコみたいだったのに、このドラマでは活き活きしててすごくかわいく撮れてる。
まあ、私は石川梨華がコントの中で「これから何か言うぞ」っていう顔をするだけで笑ってしまうんですけどね。

前作、新作ともに、変なカルト色がなくてじゅうぶんに「アイドルドラマ」としての役割を果たしながら、どこかのんびりしているところが面白い。伏線が非常にタイトだった「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」とは対極をなす雰囲気のドラマ。

あと、活弁士の山田広野がゲストで柴田のあこがれのヒト役で出てる。それと大谷さんは隠れ巨乳であることを発見。
(04.1113)



【書籍】・「『人間嫌い』の言い分」 長山靖生(2004、光文社新書) [amazon]

「人間嫌い」という対世間的スタンスをポジティヴなものとしてとらえ、変わり者の多かった文士の生き方を引きながら、煩わしい人間関係や世間との距離の取り方を考える。

まあ私も人間嫌いの方なので、この提言は非常に面白く読んだ。総論賛成である。
ただ、総論賛成を前提としたうえで思うことを書く。

まず、本書は「人間嫌い」に対立する概念として、何かとつるみたがる、群れたがる人々を「つるみ系」として批判する。この場合の「つるみ系」とは、もっとも一般的なレベルでの、「普通の人々」と考えていいと思う。会社の人間関係のしがらみを生じさせているのはすべてこの「つるみ系」の人々だ。

「人間嫌い」にも友情はあると言う。それは本書によると、それぞれの立場を理解した、節度を持った、しかし情に厚い関係のように見える。しかし、実際問題、「人間嫌いの友情」と「ただつるんでいるだけの関係」を区別するのはむずかしいのではないか。
「つるみ系」の人々が、面倒くさい部分だけ「人間嫌い」的パーソナリティを押し通して自分勝手な行動をとる、ということだってありうると思う。

それと、もうひとつは結婚問題である。酒井順子の「負け犬の遠吠え」に関し、「被害者を装うことによって、世間の非難をかわすのみか、あわよくば同情を獲得しようとの高等戦術だと私は睨んでいる」(P152)とする。
さらに「『負け』を強調しているのも、何となく責任回避の匂いがする。自分の人生なのだから、勝つとか負けるとか他人と比較することはないのではないか。」(P152)と続く。
私は、めんどくさがってまだ「負け犬の遠吠え」を読んでいないものの、この「負け犬……」をめぐる論争に関してはかなり批判的ではある。批判的ではあるが、このくだりでは酒井順子が少しかわいそうになった。

結婚問題に至って、本書が言う「人間嫌い」とは「近代的個人」の言い換えだということが明確になる。ただ、「近代的個人」があまりにも「つるみ系」の人々の中に埋もれてしまうこと、また「近代的個人」というカッコいい言葉にうぬぼれないことが「人間嫌い」という言葉を使用した理由だと思われる。
近代的個人とは、よくはわからないが要するに自分のやることに責任を持つということだろう。だからこそ、本書では「負け犬の遠吠え」がおそらくは一種の処世術として書かれているにも関わらず、まさにそこを「責任回避」だと批判するのである。

この辺から、私自身が独身だということもあるが、読むのが息苦しくなってくる。
本書は「つるみ系」の人間関係が、仕事の流れもグダグダにして責任の所在を分からなくし、贈収賄だとか責任者が責任をとらない日本的体質の諸悪の根元として書かれているから、当然「人間嫌い」の人間の「責任」について語る。

だが、私は「負け犬云々」が話題になったのは、「つるみ系」的人間関係に対する処世、責任回避だけではないと考えている(そういう面も、あるとは思うが)。
事情はもう少し複雑だと思う。現状では、不幸の責任というのはかなりの強さで「個人のせい」ということになって、フォローしてくれる機能がほとんどないのだ。

若者の就職恐怖だのニートだのという問題も、あまりにも個人的責任が問われ過ぎるからなのではないかと思っている。
それは、本書に書いてある「集団で個人の責任をうやむやにしてしまう」という意味での「責任」とはちょっとニュアンスが違うのだけど……。

たとえば「勝ち組、負け組」なんていう言葉は、完全に成功が個人の才覚や努力の結果であるという前提から生まれたのだと思う。バブル崩壊までは、「組」に分かれるほどの個人格差は、少なくともイメージにおいては「ない」とされてきたのだが、今は違うのだ。

幼児虐待問題などが、少なくともテレビ報道では貧困面などからはいっさい語られず、「心の闇」とか言っているのも、不幸を個人の責任にのみさせようとする何かの意図が働いていると思う。

まあ、簡単に言うと「競争」における勝敗の責任が、ある面においてものすごく厳しく問われると言うか。ひと頃の受験戦争も厳しかったが、今は勝負する前に勝負が決まってしまうような、イヤな空気なのだ。

たとえば「引きこもり」やひところ言われた「パラサイト・シングル」は、存在を許されてはいるが、その敗北感はすさまじいものではないかと予想しているのだ。そして、その「競争」は、「近代的個人の存在」を標榜しても容易にはなくならないだろう。何か別の要素があると思う。

確かに、自分の人生だから勝つとか負けるとか、他人と比較する必要はないというのは正論ではあるが、「人間嫌い=近代的個人」というのが、常に人間を律するある種の規範だとしたら、ソレに合わそうとすることだって「どれくらい近づいているか」という理想との距離がはかられるのだからけっきょくは同じではないか、と考えるのは私がよっぽどのヘタレだからなのか。

それともうひとつ。「つるみ系批判」をここまでできるのは、「つるむ」ことと「仕事」をかなり明確に分けられる人に限られると思う。そもそも職種によっては、つるまないと仕事が何も回っていかないのだから、そんなこと言われても困るだけである。
さらに言えば、「つるまないと仕事にならない」人が「近代的個人」とか言い出すと、気楽どころかかえって苦痛をもたらすことにもなりかねないと思う。

要するに、本書は「人間嫌いとは言っても、グダグダにならないために『近代的個人像』を理想として、常に自分の対人距離をチェックしていく」ということの提言と読めるのだが、そんなことが本当に万民にできるのか?

私はできないとは言わないが、むずかしいと思います。そして、むずかしいソレを実行しなければならない根拠は? と考えると、読みおわってあるような、ないような。いや、何か「生きる規範」みたいなものを、このふざけた時代に提議するということには賛成するんですけどね。
すいません。ごめん。ホントに。何かあやまりたい気分。
(04.1110)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

11月7日放送分。

公式ページ

ハロモニ。アカデミー「実演販売」

最初に、なっちが黒板に「めちゃイケ」風に「プロショッパー」って殴り書きしていたのがちょっと面白かった。が……。

もともと、この「ハロモニアカデミー」という、どっかから先生を呼んできて教わるという企画はあんまり好きじゃない。
深く考えると、こういうのってただ「できる」と面白くないわけじゃないですか。
でも「できない」から面白い、っていうふうにもなりにくい。

だから、教わる方ははずしていく方向に行かざるを得ないんだけど、先生の方ははずされたら困るから「はずしちゃダメ」っていう、そういう正解のない状態でやっているのが息苦しい。
息苦しい、って言い過ぎか。
そんなことを考えている私は何だ。ノイローゼか。

まあ、でも流れ的にも「保田圭を実演販売する」というオチに持って行かざるを得なかったわけで。
だれがどうやったってオチませんよああいう企画じゃ。
で、ただ二人落とせたのが辻加護だったんだけど、今はもういない。

「地球戦士W」は、どっかで手打ちうどんとこんにゃくをつくっていた。
辻加護に対して、いかにもめんどくさそうな応対をしているおばさんたちが面白かったんだが、加護に「こんにゃく芋って、こんにゃく以外にはどうやって食べるんですか?」って聞かれて、怪訝そうな顔をしていた。
そして、「こんにゃく以外では食べられない」と聞いたら加護が「じゃあこの子は、こんにゃくになるために産まれてきたんですね?」みたいなことを言っていた。

この意味、わかるでしょうか。
要するに、加護さんは「こんにゃく」というのがア・プリオリに存在するものだと思っていて、それに原型があることが不思議なんですよね。
確かにねえ、「普通に食べたら食べられないけど、加工したら食べられる、しかもかなり歴史のある食べ物」が不思議だという感覚はよくわかる。
だってさあ、どういう経緯でそういう製法が考え出されたのかとか、ちょっとわからないから。
「かんぴょう」とかも私にとってはそうですね。
まあ考えてみりゃ、わさびも、原始人で丸かじりして舌がヒリヒリになったやつがいて、それで「すって刺身に付けて食ったら美味い」とかが人間に体得されていくわけでしょ。
これ、考え出すとキリがなくて、「笑いの金メダル」で「ドランクドラゴンの塚地は貧乏のため砂を食っていた」というネタを何週もひっぱってますが、じゃあ「砂」とか「石」が食えなくて、キノコとかは食えるっていうのを人間とか動物はどうやって体得しているのか? という、考えるもメンドクサイ話になります。
まあなんか本能があるんでしょうけどね。
石食ってるネコとか、見たことないもんね。

高橋愛の「なぜ日本人は母国語を英語にしなかったのか?」という疑問とか、たまにスゴイ話が出てくるから若い子は恐い。
この意味が、わかりますかこんにゃくつくってたおばさん!!
みんなも、辻の手打ちうどんの棒さばきが上手いことにだけ注目していちゃダメだ!!
(いや、別にいいんだけどね)

スタジオライブは「涙が止まらない放課後」。
なんか、「糞曲」という評判らしいですが、私はそんなに言うほどひどくはないと思います。
ただし、シングルVはひどかった。
いやなんか、後藤真希さんのシングルVで「青春ばかちん料理塾」のカットが何の脈絡もなく入るとか、もっとヒドいのがあるらしいんですが、それにしても今回はヒドい。
全体の流れに意味がほとんど感じられないし、画面は白いし。
「揺れるヴァージョン」という、ただ全員が身体を揺らしているだけで歌っているヴァージョンがオマケに付いてますが、こんなんでとんちで切り抜けたと思ってもらいたくないです!
「揺れるヴァージョン」で面白いのは、最後まで「男役」で通そうという顔をしている小川と、「さすがに最後まで間がもたないよ〜」という感じで最後の方、ちょっと手の振り付けをしている道重だけです。

HPHは、レポーターがおじゃマルシェ、ゲストがよっすぃ〜と藤本美貴ティー。
えーと、なんだっけフットサルの宣伝だっけ?

公式ページで来週の予告を見たんですが、
もう亀井に男装をさせるのはやめてくれ!!
ぜんぜん男に見えないし、面白くなるとも思えない!!

亀井は、男役をやるなら少年探偵の役しか似合わないと思う!!

あ、七期オーディションに関しては、今回も飛ばしました。 なんかそういうの楽しむ精神的余裕が、生まれつき、ない。

前回の放送

(04.1108)


【映画】・「ロボ・ジョックス」 監督・原案 :スチュアート・ゴードン、製作総指揮:チャールズ・バンド、脚本:ジョー・ホールドマン (1989、米) [amazon]

80年代にひたりたい! 今回紹介するのは89年のアメリカ版人間搭乗型巨大ロボ映画「ロボ・ジョックス」だ!!
例によって自分語りから始まらせてもらう。「エリミネーターズ」という、サイボーグやら忍者やらが出て来て悪人と戦うオモシロイ映画があり、それをエンパイア・ピクチャーズという会社がつくった。
この「エリミネーターズ」、確かに面白いことは面白いのだが、手放しでその良さをふれて回れるような代物とも言えず、同じエンパイア・ピクチャーズがつくった(正確には制作中に倒産したそうだが)本作も、中古ビデオ屋で買ってはみたものの、長く段ボールの中にしまい込まれたままだったのである。

で、まず日本では人間搭乗型巨大ロボ映画としては「ガンヘッド」(1989)がある。
これはこれでいろいろと味のある作品だが、巨大ロボなら日本のお家芸、と思っていたら本作の方が「世界初の『巨大ロボットSFXムービー』」だという。
「ガンヘッド」を見たので、比較してみたくなって段ボール箱から引っぱり出してきて見た。

結論から言うと、実に面白い。バカ映画には、「いざ見ると面白くない映画」(例:片腕サイボーグ(→感想)と、何から何まで面白くてしょうがない映画(例:片腕カンフー対空飛ぶギロチン→感想)とに大別されるが、本作は完全に後者だ。

基本ストーリーは単純だ。
核戦争によって破壊されてしまった近未来の地球。東西陣営は、戦争の代わりに巨大ロボットの戦いで領土を奪い合っていた。たとえば、1試合に「アラスカの統治権」などを賭けるのである。
「ロボジョックス」とは、このロボットのパイロットの名称。彼らはむろん、国民的英雄である。東側は「連邦」、西側は「マーケット」と呼ばれるが、マーケット側のロボジョックス・アキレスは、9試合無敗。だが10試合目、アレキサンダーとの試合中、誤って大量の観客を巻き添えにしてしまった。
責任を感じたアキレスは引退を考えるが、いろいろあって再戦を決意。
しかし、どうしてもロボットに搭乗したい女性戦士・アシーナがアキレスをどこかに閉じこめて自分がロボット「マツモト14号」に乗り込み、出陣。「おれでなければやつには勝てない……」と思ったか、アシーナを愛してもいるアキレスは、マツモト14号に乗り込むべく巨大ロボット同士の戦いの中に飛び込んでいく。

ネットでざっと調べたところ、巨大ロボットはストップモーションアニメやラジコン、原寸模型などを使って撮影したようだ。今なら完全CGなんだろうが、苦心がしのばれるし、何よりそんなにチャチくない(ネットで見渡したところ、本作否定派(そんなごたいそうなモンでもないが)の根拠は、「ロボ戦がチャチい」ということのようだが、これは見解の相違としかいいようがない)。
ロボットのギミックも、ビームみたいなやつ、ロケットパンチ、回転ノコギリ、あげくの果てには空を飛び大気圏外(なんだろうな)まで出て、地上に降りてからはガンタンクモード(正確に言うと「トライダーG7」のタンクモードみたいな感じ)になって、ガッツンガッツンに戦いまくるのだ。

その他にも、アシーナとのロマンスやちょっとしたサスペンスを折り込んでみたり、当然、ライバルとのお約束(主人公が飲み屋で飲んでるとわざわざ挑発にやってくるなど)も描かれていて、人間ドラマ部分でも飽きさせない。

ロボット以外のガジェットも、少々安っぽくはあるが考えられている。ロボット同士の戦いに一般庶民はカネを賭け、試合中に事故で死んでも文句は言えない。核戦争で大気が汚染されてしまったのか、みんな外に出るときはマスクを着けている。
アシーナは試験管ベビーとして生まれ、小さい頃から管理されて育っているので羞恥心がないのか男性の前でも平気で全裸になる(コレはまあサービスカットね。試験管ベビーに関する偏見は時代状況から言うと現在の「クローン」に相当するもので、厳密に言えばオカシイけどね)。

さらに、戦士アキレスのマイカーはだれもが夢見る未来カー的デザインで、リモコンによって遠隔操作ができるのだ(しかもこれの存在が伏線になっていてカッコいい)。

クライマックスは、ちょっと巨大ロボ大好きな日本人には考えられない結末で(そういう意味では、「スーパーロボット」的感覚で観ていたファーストガンダムの最終回近く、「首のないガンダム」がどんなにショックだったかを思い出す)お国柄の違いを考えさせられる。
後から真剣に考えれば破綻だらけの結末だが、見終わった後も爽快な気分。ああ、いいよなァ。こういう映画。

なお、あくまで簡単に調べたところ、監督が「トランスフォーマー」のファンだというのが企画の発端らしい。

現在は上記のように単品でDVD化[amazon]されている他、それ以前には「特撮宝庫DVD-BOX モデルアニメ編(初回限定生産)」[amazon]の中の一本としても出ている。なんだ、けっこう人気作品なんだなあ(右上はDVD版のジャケット)。

公開年度については、ビデオのパッケージには1986とあり、さらにネットでは89年、90年、91年とバラバラな表記にとまどうが、たぶん89年が正しいのではないかと思う。「ガンヘッド」と同じ年だからだ。おそらく、公開された月日でガンヘッドは先を越されてしまったのだろう。

本作に関しては第2回 巨大ロボットは男の子の魂!(2000/5/22)SF魂100までも)の解説が、熱くて良かったです。テキストを書くにあたって、参考にさせていただきました。
(04.1106)



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」49号(2004、集英社)

49ページの読みきり蔵人健吾「ネネと黒影」は、まあ簡単に言うと少年と妖魔との戦いです。読みきりとしてはまとまっていて面白かったです。ただ、連載化した場合、ジャンプのバトルものの必須条件である個々の武器、アイテムなどを効果的に使える展開にできるかどうかはちょっとわからない。
岡野剛「未確認少年ゲドー」には、チュパカブラが登場。「ほ乳類なのに吸血」という謎にこの作品らしい説明を付けていて面白い。
それにしても「怒らない先生がいい先生じゃない、子供たちに嫌われることをわかっていて怒ってくれる先生がいい先生なのだ」という主張には正論すぎてドキッとした。
以前、親を殺されて人間の居住地域に入ってきた子グマのエピソードのときも、動物愛護の主人公たちがハンターをとがめるシーンで「人間が動物を殺して食べる場合、必要だから仕方なく、と『楽しみ』との間に明瞭な境界線はない」と、正論をカタキ役に言わせていて驚いた。
他にも「珍しい動物は買ってきて飼わずに、その生息している場所に行って見るのがいい」など、このマンガは意外にまともなことを言っていて少し驚く。

……だんだん主張が増えていってそれがズレて行って、最後には「大市民」みたいになったらイヤだなあ(笑)。

それと、たぶんジャンプ全体のガイドラインだと思うが、パンチラの規制には怒りを通り越してめまいがするくらい腹が立つ。「いちご100%」のパンチラなんてパンチラのうちに入らねェよ。
(04.1103)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

10月31日放送分。

公式ページ

超マジックスペシャル
要するに「ふじいあきらがやる手品に、いちいち娘。たちが驚く」というだけの企画ですね。
でもブームには乗っとかないと。
それがテレ東。

突然ですが、かつて自分が半生を通して憧れていたものがあって、それは、 日食を知っていたことで「太陽が消える日が来る」などと「予言」して原住民に神とあがめたてまつられたり、
旅先で死にそうな人を、なんかすごい医学の力で助けてやって「奇跡だ!」とか言われたり、
ちょっとしたアドバイスによって人を幸せに導く幸福配達人(キャラクターデザインはえんどコイチ)になること
だったりしました。
つまり、「啓蒙」によって人々を導く役がスゴイやりたかったわけですが、18歳くらいから12年間くらい修行して、自分にはムリだとわかりました。

それからは転落の人生です。
啓蒙の価値をなくした大衆は愚民と化し、「ご自由にお取りください」と書かれたパンフレットを鷲掴みにして100枚くらい持っていく存在に成り下がり、
私自身も、「チチョリーナ」を「チョチョリーナ」と発音しているサラリーマンに「おまえは間違っている!」と言って殴りかかって雨の中放り出されるようになってしまいました。

しかし、私は事実を知っていました。
「目からウロコが落ちるのと、目にウロコが入るのは似たようなもんだ」という事実を。
確か星新一が言っていた有名な話でして、目からウロコが落ちるのも入るのも、「驚き」のインパクトという点ではたぶんほとんど同等なのです。
負の運動としては、ナチスもオウムも英会話詐欺も、同じことをやっているわけです。

だからこそ、ドラマ「子連れ狼」のワンエピソードで、ニセ坊主の男が一揆のリーダーに祭り上げられ、自分もソノ気になっていくという「ニセモノが本物になっていく奇跡」、あるいは映画「ウィロー」のクライマックスシーン、これらには一種異様な迫力が出てくるのですが、それはまた別の話です。

マジックの話です。
ふじいあきらはテーブルマジックが主なので、娘。は黒いテーブルを二重に取り囲むかたちになります。この段階で、外側の人にほとんど出番なし! とくに六期は全員下げられてたなあ。なんか悪いことをしたんだと思います。戸棚のカステラを食べちゃったりとか。その罰だったんでしょう。
ただ、手品を見る田中れいなの目がビックリするくらいコドモだったのが印象的。ナボコフの「ロリータ」的な意味で、現在の娘。でもっともロリータなのはみっちげよりも田中れいなだね完全に。

それで、高橋愛がかなり近い位置に座っていた。実際にカードを引く役などもやっていたし。で、その驚きようがすごかった。マジックが始まる前の説明をマジックと間違えたり、だまされたときのリアクションもかなりのものでした。
それで、失われた青春時代を思い出して、浜辺で二時間泣きました。私が。
高橋愛の目に思いっきりウロコを入れたりしてみたい。
もう、毎回高橋愛がマジックに驚くだけのコーナーをつくってほしい。
石川、紺野、藤本もなかなかナイスリアクションでしたが。
とくに、藤本美貴の「だまされまいと思うんだけど、だまされてしまう」という表情にはすばらしいものがありました。
(まあ、以上の意味がわかんない人はもういいです。)

マジックっていうのは、それ(目にウロコを出したり入れたりする)ができるんですよね。いまだに。明示的に。
「ウロコってのは、出し入れ可能なんだなあ」と再認識させてくれますよ。

「ぜったいタネがある」ということをあらかじめ提示しているだけ、細木数子なんかより罪はぜんぜんないと思いますね。

で、他にも面白かったのはなっちのリアクション。
リアクション女王のなっちですんで彼女の驚きを見るだけでもじゅうぶん楽しいのですが、
「手のひらでなでると500円玉が移動していく」というマジックに対し、「それってマジックですか?」と言っていたのが面白かった。
要するに、さすがにテレビなんかで見慣れてきてるなっちは、マジックを「早業と目の錯覚によるもの(もちろんそれだけじゃないんだろうけど)」だとは認識しかけている。だから、「手のひらでなでると500円玉で移動」というのは「単に『技』なんじゃないですか?」という疑念が生じ、「マジックですか?」という妙なツッコミになったのだと思われます。

これは、いつぞやの心理ゲームのときに、「山おやじ」(おそらく、山男と『山人』をミックスしたようなキャラ)をつくり出した思考の飛躍に近いものと思われます。

「公園通り三丁目」。これは何なんですか。なんかもうまったくわからない領域に突入しています。だいたい、ここまでメチャクチャなキャラクターがアリなら、「超人募集」みたいにキャラも募集してほしいです。

スタジオライブはメロン記念日「シャンパンの恋」。

HPHは、ハロモニ。の携帯サイトができたということで、矢口、藤本、新垣が来ておじゃマルシェと話してました。

ちなみに、私のテーブルマジックの思い出は、サラリーマン時代に出入りの会社の人たちとスナックに行ったとき、そこにたまたまテーブルマジシャン(まったく無名の人)がいて、「会社の宴会とかに呼んでください! 今回特別にタダで見せますから」と言われて、「差し出した名刺をなでるとその文字が消えてしまう」というのを見せてもらったことがあります。
すごく驚きました。
しかし、その後さらに驚いたのは、出入り業者の女性が酔っぱらっていて、私に対して「何でもっと驚かねーんだよーお!」とからまれたことです。
まあ、HPHで紺野さんが「テンションが低い」と言われたようなニュアンスです。

あとぜんぜん関係ないけど、急いでるんだろうけどたまに台車を押して全力ダッシュしている物流関係のにいちゃんを見かけますが、危ないのでやめてほしい。

なっちが辻ちゃんみたいなパイナップル的な髪型をしていたことも、書いておきましょうか。
あ、七期オーディションに関しては、選考の段階では興味ゼロ。どうせ注目したって消えちゃう人を見てもしょうがないという認識です。
この辺は私の「ウルトラクイズ」に対する興味のなさに通じるものがある。あと当時の福留がすっごいムカついていたということもあったけど。なんだ福留。何様だ。おまえなんか、いまだに「マンガジョッキー」やってりゃいいんだ。あれやってたかな? 忘れた。とにかくやれ(命令)。

前回の放送

(04.1102)


・「仮面ライダーZX」 原作:石ノ森章太郎、まんが:細井雄二、山田ゴロ、安土じょう(2004、ミリオン出版) [amazon]

テレビマガジン、テレビランド、冒険王(後の「テレビアニメマガジン」)にそれぞれ連載。 「ナチスの残党がUFOを飛ばしている。彼らは恐ろしい計画を起こそうとしている……」という怪情報を知り、アマゾンへ向かったUIPの女性記者・しずかとその弟・村雨良。彼らはナチの残党がつくりあげた地下帝国・バダンに捕らえられ、姉は殺され良は仮面ライダーZXに改造されてしまった。
バダンを脱走した良は、父の親友だった海堂医師のもとに身を寄せ、バダンに父を殺された少女・ルミとともに戦うことを決意する。

今の若い人ってどの程度「ZX」を知ってんのかなァ……? 「仮面ライダーSPIRITS」(→感想)に出てくるのでそれで知っているのか。それともライダーファンには常識か。今ひとつわからんのだけど。

まあ私もライダーマニアというわけではないので、よくわからない点が本書でかなり明確になった。
すなわち、解説によると「スカイライダー」、「スーパー1」によって新ライダーのシリーズは完結するが、ファンの惜しむ声も多く、1982年から83年にかけて「雑誌だけで展開する10番目の仮面ライダー」として製作されたものだったという。
えーと要するに、映像作品のない時期に、子供をシリーズにつなぎ止めようとするガンプラの「ジョニー・ライデン」のストーリーや、居村眞二のウルトラマンガと同じ役割を担っていたということになる。

1984年1月3日には「10号誕生! 仮面ライダー全員集合!!」という1時間スペシャルドラマが放映されている。私は、コレはリアルタイムで見ていた。当時私はボケた高校生だったので、当然、児童誌など読んでいないから「このスペシャルがきっかけでテレビの新シリーズが始まるのかな……?」と思い込んでいたら、いっこうに始まらないのでおかしいなと思っていたのである。

本書で、「誌面中心に展開された外伝的ライダー」という位置づけを理解することができた。

マンガは細井雄二、山田ゴロ、安土じょうの各氏が手がけているが、とくに安土じょう(当時:金山静夫)の絵は、当時としても決してうまいとは言えないと思うが、その執拗な描き込み、「ライダー全員集合」的イメージの強い「ZX」において徹底してZX個人の戦いにこだわった点、死んだはずの姉がときおり助けに来るという伏線など、なかなかに情念を感じる作品になっている。
ラストバトルは「009」の「ヨミ編」の戦いを思わせて、懐かしいものがある。
(04.1101)



・「帰ってきたウルトラマン」 内山まもる(2004、小学館) [amazon]

学年誌に連載されていた「帰ってきたウルトラマン」の復刻。コンビニ売りのペーパーバック調単行本。
作者インタビューや連載当時の状況など、オマケも充実している丁寧なつくり。本編は低学年向けなので、まあしごく単純な話ばかりなんだけれども。
(04.1101)



・「ウルトラマンA 完全復刻版」 内山まもる(2004、小学館)

学年誌に連載されていた「ウルトラマンA」の復刻。コンビニ売りのペーパーバック調単行本。
「小学二年生」連載のエースに、放映リストや当時のスタッフ座談会などオマケが充実している。内容自体は1話あたりのページ数も短いし「子供向け」としかいいようがないが、タツノコプロ漫画部にいたという内山まもるの劇画タッチのウルトラマン、すなわちこの当時の劇画による特撮作品のコミカライズは、もう新作としてはほとんど見ることができないので貴重といえば貴重である。
(04.1101)


・「決戦! ウルトラ兄弟」 居村眞二(2004、ミリオン出版) [amazon]

ウルトラマンシリーズのコミカライズというと、内山まもる・かたおか徹治が世代的には「ゲームセンターあらし」の人気と合わせて記憶に残るところなのだが、「てれびくん」(小学館)に、78年からウルトラマンシリーズを10年にわたって描き続けてきた作家が居村眞二である。現在では「紺碧の艦隊」とかでも有名ですけど。

本書では「ウルトラ怪獣大戦争」(別冊コロコロコミック、1984年1月号)以外は「てれびくん」での連載作品。ウルトラ関係、私はそんなに詳しくないんですが、基本をふまえたオリジナルストーリーが多い気がする。

彼の「惑星大戦争」のコミカライズを読んだ安井尚志(本書の解説をしてる。「プラモ狂四郎」の原作者)が、ウルトラマンにふさわしいと思って起用したということである。
実際、居村眞二の絵もコマ割も非常にみやすく、お話が子供向けで単純でも楽しんで読める。

面白いのはディスクシステム用ソフト「ウルトラマン 怪獣帝国の逆襲」に合わせたコミカライズ「ファミコン・ウルトラマン」シリーズ(87〜88年)。ちゃんとファミコンをする少年とウルトラマンがコミニュケーションする話になっており、苦心しただろうなあと想像させる。

「ウルトラ超伝説」(復刻版 全2巻) 居村眞二(1998、大都社)感想

(04.1101)

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