つれづれなるマンガ感想文6月後半

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一気に下まで行きたい



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」30号(2005、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
・「どろろ」全2巻 手塚治虫(2005、秋田書店)
・「魔神ガロン」全5巻 手塚治虫(1982〜97、講談社)
【雑記】・「鶴岡法斎のエログロ・ハイセンス」〜6/19 於:NAKED LOFT
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」29号(2005、集英社)
・「SILENT NIGHT翔」全2巻 車田正美(1993、集英社)
・「ぼくは少年探偵ダン」全2巻 ガモウひろし(1999、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【書籍】・「ぼくの怪獣大百科」 サバンナ・八木真澄(2005、扶桑社)
・「ピューと吹く! ジャガー」(9) うすた京介(2005、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」25号(2005、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」26号(2005、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」27号(2005、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」28号(2005、集英社)






【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」30号(2005、集英社)

ついに今売りの雑誌にレビューが追いついた。だが追いついてレビューを書く頃には、情報の即時性ということを考えれば現時点で30号というのはもう遅いだろう。

「網棚の雑誌は、今日発売。」(byスチャダラパー)

スチャダラを例に取るにしても、引用が古ッ!!

さて、個人的に興味のあるのは松井優征「魔人探偵脳噛ネウロ」の路線変更の行く末だ。人気があるのかないのかもいまいちわからんのだが、少なくとも新人にして10回打ちきりの壁は超えている(下世話な話になるが「ユート」の10回越えは、一種のシード選手として考えていいのかね? それとも人気あるの?)
もともとが、強引な機械トリックを売り物にしていて、トリックに関してはそれ以上の引き出しはないと思われるので、今後の展開はいろんな意味で注目である。

もうひとつは、澤井啓夫「ボボボーボ・ボーボボ」のキャラ募集が異様に面白かったということ。「じごくのイルカ」、サイコーだ!! 田楽マンに次ぐカワイサだ。
ボーボボは、ギャグのクォリティは落ちていないとは言え、連載マンガとしての旬はすでに過ぎていると思う。ので、これもいろんな意味で注目だ。

最後に、大場つぐみ、小畑健「DEATH NOTE」について最近考えるところを書いてみたい。
本作に関し、複数の「倫理観が欠落している」という批判を耳にしたのだけれど、果たしてその批判が妥当かどうかという問題である。
(最近の展開のネタバレはしませんので、安心してお読みください。)

「DEATH NOTE」は、展開の面白さから非常に新しい作品のように思えるが、実はそうではない。
個々のアイテムは非常にオーソドックスなものである。

たとえば「名前を書くと人が死ぬノート」。これなんかは、むしろベタとも言える設定である。水木しげるのマンガにもまったく同じようなノートが出てくるし、「世にも奇妙な物語」系の作品にはよく登場するアイテムとすら言える。
新しさと言えば、この1アイテムで数年にわたって連載を続けているという点、さらに厳密なルール(まあ、よくよく見ていくとさして厳密でもないのだが)を課しているという点だろう。

もうひとつ、キラという犯罪者とLという探偵との関係。
これも、ミステリ(それも古典的な)を読んでいれば「ベタ」だということに気づくだろう。
重要なのは、「Lという男が本当に社会正義のためにキラと戦っているとは限らない」という点すらも、ベタの範疇だという点である。探偵と犯人の類似性は明智小五郎と怪人二十面相の時代から(あるいは、もっと前から)指摘されており、さらに言えば「社会正義ではなく純粋な知的趣味が動機の探偵」というのも、初期・明智小五郎の属性としてあったものである。
すなわち、「殺人の恐ろしさをそっちのけにして犯罪ゲームを繰り広げている」ということは、それだけでは実は批判には当たらないと、私は考えている。

さらに付け加えるなら、Lにも本当に社会正義のために戦っているのではないか、と思える部分も残されており、また刑事たちの動機はまったく純粋に「殺人鬼のキラ逮捕」だから、たとえば「屋根裏の散歩者」などに比べればよほどキャラクターの人間性は描かれているとすら言える。

そして、もうひとつ付け加えることがある。
もしも本作が人気がなく、早期終了していたらどうなったか? ということだ。
ひとつ考えられるのは、「世にも奇妙な物語」的な展開の常道として、キラがそれ相応の罰を受けて終わるという結末である。これも時代性とは関係なく「ベタな」結末だ。
もうひとつは、これを1回転ひねって、最終回まで読者のだれもが「キラが報いを受けて終わるだろう」と思わせておいて、実は本当に新世界の姿なき王として君臨する、というものである。
だがこれも、時代に即した非人間的なオチだと言えるかというと、簡単には言えない。最初の「ベタ」をひっくり返しただけだ、とも言えるし、「世にも奇妙な」パターンは現実を皮肉るのが常道だから、因果応報もベタだが、「因果応報だろう」と思っているとそれがひっくり返される、というのも、「世にも奇妙な」パターンの範疇におさまってしまうからである。

現在、連載は続いていて、キラがどのような結末を迎えようとそれは宙づりにされた状態にあるから、こういう因果応報を予感させるような作品として、本作が非人道的な作品であるかどうかの結論を下すのは時期尚早と思われる。

ただし。現在、「殺人者と探偵」の関係性が、連載当初よりはさらにゲーム的なものになっているということは否定できないかもしれない。目的よりも手段に重点が置かれていってしまうのは、ジャンプの長期連載の宿命でもある。

そして、長期連載の果てに結末が「『L』的な正義が貫徹されない」ということになった場合。それでも本作が、非人道的な作品として避難されるべきかというと、実はこれもどうかなあ、と思う。

「DEATH NOTE」は、広義のミステリ、犯罪ものの系譜からすると、簡単に言えば「羊たちの沈黙」の上に乗っかっている作品だと言える。「羊たちの沈黙」の犯罪者は、自分の欲望のためにしか犯罪を犯さない、快楽殺人者だ。続編は知らないが、少なくとも映画の第1弾では、レクター博士の「悪の魅力」をじゅうぶんに表現した内容になっている。
「レクター博士」の造型は、犯罪に社会的意味を見いだせなくなっている昨今の状況を反映していることは、言うまでもない。

キラの裁いている犯罪者は「どう考えてもワルなのに、死刑にならない極悪人」ということになっているが、その中にはおそらく快楽殺人鬼も含まれているだろう。
要するに、「悪」を「正義」と対応する存在として把握できないがために、キラが「絶対正義」を実現しようとしているのである。別の見方をすれば、キラはジャンプの系譜にある「ナチ的独裁国家建設を夢見る敵役」の系譜に存在しているとも言え、「自分を正義と主張している悪人」なのだから、「悪人が悪いことしているからけしからん」という批判があるとすれば、それは当てはまらない。

とにかく、現時点にしろ、今後を予想したにしろ、「DEATH NOTE」を「旧来の正義が実現されていないから」批判するというのは、おそらく本作は最初からそれを前提としていないから当てはまらないだろう。「平成ライダー」や戦隊ものには当てはまるそうした批判も、本作においては当てはまらないと思える。

ただし、最後にひとつだけ。最近のジャンプ編集部が「正義」のありどころをよくわかっていないのではないか、という推測は、実は成り立つ。それが「DEATH NOTE」に反映されているのではないかという予想はできるだろう。
だが、この場合は、他のジャンプ作品で「正義」や「悪」がどう描かれているかと比較検討する必要がある。

おそらく編集者の力が大きく反映する少年マンガでは、作品は作家のものでもあると同時に、一種の「群生体」の側面が大きいのだから。
(05.0630)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

6月26日放送分。

公式ページ

ハロモニ。アカデミー。英語でどーたらこーたら。ゲストはセイン・カミュ。
よく言われることですが(言われねェよ)、日本が戦争に負けたから英語なんてやらなきゃならなくなっちまって、ゲストのセインが堂々としてたのは背景に戦勝国というのがあります(ねェよ)。
グダグダになるのはわかってましたが、想像どおりいい意味でも悪い意味でもグダグダ。
当然、「英語のスラングに凝ってる」という高橋愛が何と言ったのかが気になってますが、どうせ2ちゃん辺りでは見当付いてるんでしょ?
2ちゃん見ないものは人にあらずみたいな風潮、何とかなりませんかね?

ま、私は「アスホール」あたりを予想してますけどね。ベタですいませんね。

企画自体もグダグダ。何だ「英語しりとり」って。成立するのかそれで。さらに「英語でダジャレ」と来たもんだ。おじさんも参ったねこりゃ。

コント。公演通り三丁目、だっけ? もうタイトルも忘れちゃったよ。
「美勇伝」の三好、岡田がバレー部員として登場。

私、「いいとも」で、バレーボールを応援するとか言う理由で小倉優子がバレーのユニフォームを着ていたのを見て思ったんだけど、バレーのユニフォームってぜんぜんバレーとかやらなそうな女の子が着るとすごいエロいのね。
私は、もともと「スポーツをやる肉体がいちばん美しい」なんてひとっつも信じてませんので、そういうこと言うやつはおまえらみんなそんなにヤワラちゃん好きかと。
昔ねー、吾妻ひでおのマンガか何かで、崖から落っこちそうになった女の子が、一緒に落っこちそうになった男の子の手を掴んでぶら下がってて、「いや〜だ、筋肉付いちゃう」って男の子の手をパッって離しちゃう、っていうギャグがあったんだけど、 真実はそっちにあるだろ。

あと、少し話はそれますが私がゆうこりんを応援しているのは、「ゆうこりんファン」っていうと各方面全員いやがるからね。
北方謙三ファンのコワモテからアキバ系二次元ヲタまで、全員いやがるでしょ、ゆうこりん。
それがものすごい快感。
今の小倉優子って、たとえばチバレイとかが流行ってた頃って座りが良かったんだよね。「ああ、この人はこういう人ね、ファンもこういう人ね」っていう。
でも、三周回って小倉優子のファンっていうのは小倉優子のファンでしかないんだけど、よくわかってない人は小倉優子に「アイドル」とか「ロリコン」とか「アキバ」とか、なんか理由をつけたがるんだよね。
でも真性ロリコンの人にゆうこりん好き? とか聞いたらドヤされるんじゃないの。
だってもう21歳だもんね。どこがロリコンだって言う。

あと、なんかアニメの「ねぎま」とか好きな人に「どうせゆうこりん好きなんでしょ?」って聞いたらぜったいいやいやいやそういうのとは違うんです的な答えが返って来そう。「スクールランブル」とかもむろんそう。

そういうのがさあ、なんか言語化できないけど「ざまあみろー!!」とか思う。何にたいしてだろうね。わかんねえ。

いい感じでゆうこりんばなしを終えたところで、岡田が巨乳をギャグにしてきたっていうのが、ハロモニ。はじまって以来でしょ。
っつーか、ハロプロって「巨乳」は透明ランナーみたいに、今まで公式にはすべて無いことになってたからね。あ、最近の後藤真希は違うのかな。
とにかく、安倍なつみだろうが加護ちゃんだろうが紺野だろうが、ほとんど触れられなかったわけじゃん。
逆にミキティは無いとか言われてたか。でもハロモニ。ではさすがにあるとかないとかはないし。

それで、私の口からキモい笑いが漏れてしまったんだけど、そりゃ石野真子似の岡田が巨乳ギャグ、なんてカックラキン大放送の再来にしか見えないからさあ。なんちゅう懐かしさだ、と。
いや別に石野真子が巨乳をネタにしてたわけじゃないけど、昔の榊原郁恵とかね。

えーと、あと何だ。
エリック亀造の毎度ありぃ。高橋、中澤、石川梨華。
高橋ほんとカワイイよなあ。18歳だっていうから、いちばんいい時期ですよ。いい時期過ぎる。
でも世間は「ふ〜ん」って思うだけなんだよね。
なんか、ハロプロってプロレスとか格闘技的な認知のされ方になってきつつあるなあ、とか最近のプロレスとか格闘技知らないで書くけどね。

あと、最後の方にマルイの水着のCMやってて、よく見たら加藤夏希なんだよ。加藤夏希があそこまできっちりビキニになるのって初めてじゃない?
あー、目の正月だ。
あー、目の正月だ。

2回言ったよね、今の。2回。……っていう、80年代には漫才に無かったと思われるツッコミで終了。

前回の放送

(05.0628)


・「どろろ」全2巻 手塚治虫(2005、秋田書店) [amazon](←秋田文庫)

週刊少年サンデーに1967〜68年連載、その後アニメ化にともない1年後に「冒険王」で再開、完結しているらしい。表紙はコンビニ版の単行本。

戦国武将に仕える醍醐景光は、天下を取るという野望をかなえるために、生まれて来るわが子の体を48匹の魔物に与えてしまう。魔物との盟約により、子供は手も足も目も鼻もない芋虫のようなものとして生まれてくる。非情な醍醐は、その子をタライに乗せて川へ流してしまう。
しかし、親切な医者・寿海に拾われた子供は百鬼丸と名付けられ、つくりものの目、鼻、耳、手足をつくってもらい、生まれながらに持ったテレパシー能力で人とコミニュケーションを取れるようになる。そして、魔物を1匹退治すれば失った身体の部分を1カ所取り戻せることを知り、魔物を求めて旅をすることになる。

百鬼丸はどろぼうの少年・どろろと出会い、いつの間にか一緒に旅をするようになる。

「妖怪ブームに便乗して描いた」らしい。それはそのとおりなのだろうが、おそらく「残酷時代劇」や貸本劇画の影響が強いと思う。「戦国時代を舞台に、肉体欠損者が復讐する」という基本プロットは、貴種流離譚うんぬん以前に、妖怪ものというよりもむしろ「血だるま剣法」→感想)や「復讐鬼人」→感想)などの残酷モノを連想させるのだ。
さらにどろろの父親が実は反権力の徒だったと明らかになる点などは白土三平の影もチラつくし、この辺はどの程度が常識なんだろうね? わからん。

手塚治虫はリテイクが多く、単行本レベルで感想を書くのが非常に面倒。本作もネットで調べたら、「冒険王」での連載再開時に、それまではなかった設定が付け加えられていたというが、少なくとも秋田書店のコンビニ版にはそんなことかけらも載っていない。きっと削除されたのだろう。まあ、載ってない方が良かったとは思うけど。

前半は非常に面白い。っていうか、ものすごく面白いんじゃないかな。
しかし、後半から急にパワーダウン、中断もやむなしと思える。冒険王で再開後の真の最終回も、何もかもがうやむやになってしまっている。残念である。
なお、ゲーム[amazon]にもなっている。
(05.0625)



・「魔神ガロン」全5巻 手塚治虫(1982〜97、講談社) [amazon]

1959〜1962年、冒険王連載。
ある日、宇宙から隕石が降ってくる。それは巨大なものと小さいものとに分かれ別々に落下。ひとつはおかしな部分品の集積体で、組み立てると恐ろしい巨人になった。 もうひとつは赤ちゃんで、10年経っても大きくならない不思議な男の子・ピックだった。
巨人の名はガロン。ガロンはピックが体内に入ることで、操ることができる。ガロンをよこしたのは宇宙人で、地球人がガロンを良いことに使えばよし、もし悪いことに使えば悪い生物だと判定して全滅させようとしている。ガロンを扱うことは地球人にとって、一種のテストなのだ。

ガロンを研究し続けた俵博士の助手・敷島青年は宇宙人の秘密を知り、ピックと一緒に育ったケン一少年とともに、ガロンを悪人の手から守り良い方向に導こうと奮闘する。

コレもめんどくさい話なのだが、初見の秋田書店サンデーコミックス版では尻切れトンボになっており、それは手塚治虫漫画全集でも同じだった。83年刊行の2巻まででやはり尻切れトンボだったのだ。
ところが96年に3巻が刊行され、全5巻として完結までが収録されている。

完全に想像だが、リテイクの多い手塚治虫にしてみれば、3巻以降は単行本化したくなかったのだろう。それは最初から尻切れトンボで、83年刊行の漫画全集でもやっぱり途中までであることからもうかがえる。
そして、3巻以降は恐ろしくパワーダウンしている。代筆なのか線が死んでいるし、まったく別人が描いたと思われるページもいくつかある。何よりストーリーも、1、2巻ほど面白くない。私は手塚治虫の、自分の原稿に後から手を入れたり単行本収録時に自分基準でセレクトしたりするヘキはあまり好きではないが、これは無理もないような気がした。

さて2巻までだが、非常に面白い。ピックがいると善として動き、いないと暴れ回る「ガロン」は「いいも悪いもリモコン次第」という点で、もしかしたらそのあたり、「巨人の両面性」という点では鉄人28号よりよく描けているかもしれない。 さらに「いいか悪いか」が、人類存亡の危機に関わってくるのだから、なおさらサスペンスが盛り上がる。
ただし、後半はおんなじことの繰り返しになっちゃうんだなコレが。
それに、ガロンは鉄腕アトムにも登場しそこそこ人気もあったと思うけど、キャラ人気としては鉄人とは比較にならないわけで、手塚キャラっていうのはどうも商品化しにくいようである。

なお、「高度な文明を持った宇宙人が、地球人に警告する」というパターンは活字SFには当然あるだろうけど、映画だと「地球の静止する日」(1951、米) [amazon]、邦画では「宇宙人東京に現る」が1956年。ある時期まではSFモノで定番の設定だったんじゃないかと思うが、そこら辺詳しくないのでわかりません。
(05.0625)



【雑記】・「鶴岡法斎のエログロ・ハイセンス」〜6/19 於:NAKED LOFT

6月19日(日)、NAKED LOFTで行われた、マンガに関するトークイベントにゲストとして出させていただきました。
そのレポートです。
ただし、ゲスト参加者としての感想ですのでお客さんとはまた違った印象かもしれません。

なぜこのタイミングでのレポかというと、まあ私事ですが(私に関する)ネット上の感想とかダメ出しも一巡したかな〜というのがあります。レポ書いて後でダメを出されて、それの言い訳をまた上乗せして書いて……というのはいささかみっともないですからね。
あと、やっぱりネット上で検索してできるだけレポって多い方がいいような気もしたので。

まず、お客さんがかなり入ってくださって嬉しかったです。

形式としては、ひとつマンガを紹介したらそれに関して広げていってトーク、というような感じでしょうか。
紹介された、および話題になったのは村上和彦、石川賢、水木しげる、永井豪、風忍(あー、ダイナミックプロが多いな今考えると)、田中宏、ゆでたまご、徳弘正也、ガモウひろし、昔のコロコロコミックに載っていたマンガなど、かな。
いわゆるマンガマニア(……って一言で片づけてしまうと少々語弊はありますが)が取り立てて発言しそうにないマンガについての話が中心でした。

あとは、「マンガを描く」ということを、実際に原作者をやっている鶴岡さんの視点から、個人作業ではなく集団作業という観点で語ったり。原作と作画とか、アシスタントを多く雇ってるプロダクション的な制作方法についてとかですね。

全体のトーンとして、完全にメジャーとマイナーを反転させてマイナーを語る、っていうんではないのが鶴岡さんが常々マンガに関して主張していることの特徴ではないかと思ってます。
徳弘正也や田中宏は、むしろ分類すればメジャーですしね。

私はもちろん(?)変なマンガばかり持っていきましたが、鶴岡さんの話の広げ方で単にマイナーであるとかハイストレンジネスであるといったところからちゃんと「王道」の方向に話が戻っていくのが、他のマンガマニアの人のトークイベントとは違った点ではないでしょうか。
ここら辺の、「トンデモ」視点ではない線引きの仕方が私には興味深いんで(「トンデモ」視点も好きですが)、もうちょっとその線について考えてみようと思いましたよ。
あとはとてもここでは書けないような内幕ばなしがいろいろありましたので(笑)、次回がある場合はぜひ直接足を運んだ方がいいですよお客さん!!

個人的反省点としては、書画カメラを使用とした発表の仕方はあれで良かったのか、とか壇上の自分のトークに関しても(なんせ3時間の長丁場は初めてのことだったんで)思うところはありますが、何にしても初めてのことが多かったんで大目に見てやってくだせえ。
私がだれだかわかんない人がけっこういたので「と学会年鑑」くらいは持っていった方が良かったかな、と少し思いました。

あと、これは本当に個人的感慨なんですが、私の、マンガに関する、不特定多数に向けられた発言のほとんどはネットに限られてます。
で、ネットがなけりゃ発言もできないし、私はそういう点ではネット時代の恩恵に浴していると思います。が、ネットって発言にあまりに資格がいらないんで、私のようなシロウトの場合は発言に対する注目度がいくら低くなっても文句を言えないような感じになっちゃうんですよね。

だからNAKED LOFTという、ある程度公共性のある場で役割を与えられて発言者として話すっていうのは、自分にとってはすごい意味のあることなんですよ。これは依頼されて原稿を書くときとかもそうなんですけど。
というわけで、関わったすべての人に感謝です。

次回に活かしたい反省点もあるので、またやるならぜひ呼んでください>鶴岡さん。
(05.0625)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」29号(2005、集英社)

やっと現行の雑誌に追いついたよ! ラピュタは本当にあったんだ!!
……といっても、見事なまでに今週号書くことないなー……。

松井優征「魔人探偵脳噛ネウロ」が路線変更するっぽいけど。どうなるのかなー。

あとは読者投稿コーナー「じゃんぷる」か。正直、「ジャンプ放送局」の印象があまりに強くて、このコーナーをいまだに「ジャンプ放送局」と呼んでいる新橋サラリーマンも多いことだろう(そういう人たちは、たいてい週プレの「キン肉マンII世」を読んでいる)。

「ジャンプ放送局」についてネットで調べたら、1982年開始。まさにジャンプ黄金期とガッチリシンクロしている。同時期には「アニメック」とか「月刊OUT」とか「ファンロード」みたいな投稿誌が花盛り。「ビートたけしのオールナイトニッポン」もコサキンももうやってたかな。
それまでにも少年マンガ週刊誌には、各誌投稿コーナーがありそれなりににぎわっていたが、「ジャンプ放送局」の革新性は、当時のマンザイブーム、お笑いブームと呼応していたように思う。
きちんと調べてはいないが、「ジャンプ放送局」の出現によって、他誌のコーナーもこのフォーマットを踏襲するようになったと思う(書いてて思ったが、この辺はきっちり調べる価値は確実にあるな)。

その後、始まった「じゃんぷる」だが逆にジャンプ衰退期とシンクロしてしまっていて、「ジャンプ放送局」に思い入れのある人の中でことさらに「じゃんぷる」に言及しようという人はあまりいないと思う。
だが、投稿のレベルは上がってきている。ヘタをすると、読みきりのギャグマンガよりよっぽど面白かったりすることがある。

しかし、その中で確実に過去の「ジャンプ放送局」と比べて時代が変わってしまったと感じるのは「テレビDASH!」というコーナーだ。
これは過去の「TVいちゃもん言っちゃうもん」とまったく同趣向のコーナーだが、「テレビにツッコミを入れる」ことが画期的だった80年代と異なり、ほとんどのツッコミが制作者サイドにおって「想定の範囲内(ゲッ)」だったりするところが哀しい。

それでも我々は、楽しくテレビにツッコミを入れざるをえない。
だって、それが性(さが)だから。

変なシメ方で、終わり。
(05.0623)


・「SILENT NIGHT翔」全2巻 車田正美(1993、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。空手の得意な少年・は、かわいがっていたハヤブサ・ピイたんがネオ・ソサエティという謎の組織に殺されたのをきっかけに「エヴォリューション」し、サイレントナイトとして覚醒。「肉体の内側から生まれる」プロテクター「シェルター」を身に着けることになる。
翔は、フェアリーのシェルターを身に着けた紫鈴(シーリン)とともに、一般人類抹殺を企てるネオ・ソサエティと戦うことを決意する。

「エヴォリューション」とは、人間が進化の過程で経てきたルーツに目覚めること。だからエヴォリューションすれば、進化の過程で生まれたさまざまな動物の特性を身に着けた超人に生まれ変わることができるのだ。

「聖矢」終了後に連載された作品。あまりにも基本設定が聖矢に似すぎていたため、ヒット作品の煽りを食らって打ちきりになったという印象(もちろん真相は知りません)。

だが、現在読み返すと興味深い部分もある。
たとえば「エヴォリューション」した後の鎧「シェルター」は、身に着けるたびに自分の体内から出てくるもの、という設定になっている。これなら人間的成長とシェルターの進化を無理なく結びつけられる。聖矢の「聖衣(クロス)」のように、破壊されてもいちいち修理しなくて済むわけである。
また、「覚醒したもの同士でエネルギーを与え合うことができる」という「チャージ」の概念。
これも、戦いで瀕死の重傷を負ったキャラクターが「生命力の強さ」とか「奇跡的に」などの理由で助かるという無理を軽減するための設定だろう。これによって「相手をかばって自分が死ぬ」という、車田マンガにありがちなパターンを作品内でシステム化できるという利点もある。

「興味深い」と書いたが、実はこれらの設定は考えられているとはいえ個人的にはあまり評価できない。「聖矢」でも、「リンかけ」でつっこまれた無理矢理な設定を解消するような用意がそここに見られたが、けっきょくそれらは設定上の無理を解決することはできても、なぜか作品のダイナミズムをも減らしてしまうことになるような気がするのだ。

まあ、「聖矢」くらいの設定がちょうどよくて、本作くらい用意周到にされるとちょっと冷めてしまう、というような感じだろうか。
自分で言うのも何だが、読者ってのはわがままなもんである。

「聖闘士星矢」(1)〜(5) 車田正美(1985〜87、2001、集英社)感想

「聖闘士星矢」(6)〜(10) 車田正美(1987〜88、2001、集英社)感想

「聖闘士星矢」(11)〜(12) 車田正美(1989、2001、集英社)感想

「聖闘士星矢」(13)〜(15)(完結) 車田正美(1989、2001、集英社)感想

(05.0621)



・「ぼくは少年探偵ダン」全2巻 ガモウひろし(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。小学生探偵・一刀両ダンは、頭に空いた穴に酢を入れると「酢入り」となって推理能力が飛躍的に向上、難事件を解決する。

後半は、世界を破滅させ自分の一族だけが生き残ろうとする「ノストラダムラー」との戦いとなる。

とにかく読みにくい。普通の単行本を読むときの倍、時間がかかる。ただし推理モノのパロディとしてはなかなか面白い。ところが、そう思っていると後半はもはやパロディといっていいレベルではないほどの謎とその解明が、緻密なプロットで組み上げられていく。

個人的に、マンガとしてもっとも完成度の高いのは単行本第2巻の酢入り16:石を取り出す謎を解け!!だと思う。
そして、「マンガの完成度」を見事に逸脱してしまったのがその次の酢入り17:AかBか!? それが問題だ!!である。
このエピソードは、霧を発生させることのできる敵とダンとの戦いの中で、「警部がだれに弾の入っていない拳銃を渡すと、ダン側が勝つことができるか」というシミュレーションを、ほとんど霧の中の描写とネームだけで行う(しかも絵はギャグ絵)というものすごいことになっている。
もう、途中からまったくわけがわからなくなってくる。「マンガ読者はセリフすら読まない、絵を見ているだけ」なんて言われたのはもう10何年も前からだが、それにまったく逆行したプロットづくりである。
最終エピソードの「ロケットで脱出したノストラダムラーの持つビーム発射ボタンは偽物か本物か」というのも、読んでいて頭がこんがらがってくるほどにややこしい。

こういうプロットづくりを好むというのは、他のジャンプ作家にはちょっとない。勢いと伏線なしのサプライズを基調としたゆでたまごや車田正美とは正反対のパーソナリティである。
また、適度な謎解きのあった「男塾」や「ジョジョ」をも緻密さという点では凌駕してしまっている。もしかしたら、やろうと思えば宮下あきらや荒木飛呂彦でもできるのかもしれないが、マンガ的体裁のために犠牲にしている部分を本作は犠牲にしていないのだ。

その後、ガモウひろしは「バカバカしいの!」→感想)という、さらに緻密さにバカバカしさを加味した怪作を2001年にリリースし、壮大に玉砕するのだが、その後どうなったかは……どうなったんでしょうね??? とか書いて結ぶ。
(05.0621)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

6月19日放送分。

公式ページ

シャッフルユニットSP
毎年恒例となったシャッフルユニット。そのメンバーと、選ばれなかった娘。たちがゲームで対決、勝ったユニットのみがアピールタイムがもらえる。

まず、3つのユニットを見た感想を。

・セクシーオトナジャン
曲的にはあまり印象がないなあ。夏焼はやっとオトナになってきたけど、この子を見るときの「子供をエロい視線で見てしまう」という罪悪感はまだ抜けない。
キッズの何人かが中学生になり、昔の新垣や田中と同じ年齢にも関わらず、「キッズ」のイメージとして「子供」と見てしまうというのは指摘されるところでもあるけど、それでも最初の頃の田中れいなと夏焼が違うのは、彼女が「子供の頃からオトナの顔立ちをしている」ところ。さらに髪型や化粧の仕方などは明らかに「子供をオトナっぽく見せよう」というモノで、そういうところが見ていて照れる。

なお、「うたばん仕様」と言われているプリプリピンクだが、むしろ私はセクシーオトナジャンに対して「大人じゃん大人じゃん!!」という木梨ギャグをだれかが説明するかどうかというところに興味がある。

・エレジーズ
今回も、各ユニットでテーマが決まっていて、このユニットは確か「エレガント」とか何とか言っていたが、実際の振り付けは「セクシーオトナジャン」よりずっとセクシーである。M字開脚……。
曲もアップテンポでいちばん好き。これはちょっとステージで見てみたい気になる。

・プリプリピンク
「初期ハロメンでユニットをつくる」というのがテーマだそうだ。
しかし、いくらつんく流とは言え、このユニットの「どうぞつっこんでください」というやり方は「痛々しいことをわざとやってつっこんでもらう」ということを狙ってやる行為自体がすでに痛々しい、ということになってしまっていると思う。
この辺はハロプロに関する距離の取り方で変わってきて、遠くから眺めている人ほど「イタイ」と思うだろう。

なお、この3ユニットはどれもが「セクシー」をテーマにしていると思う。

さて、番組本題。
審査員のデブのガイジンのおばさんを、ぜったい石川もよっすぃ〜も流れ的に頼りにすると予想できたのでつまらないと思い、早送りしてしまった。
なお「セクシー対決」でセクシーポーズを取る小川を見ていると、「中学のバレー部などで悪ふざけをしている女子」しか連想できん。

ミラクル久住小春に密着。すいませんきちんと見てません。

うろおぼえゼミナ〜る。 安倍、加護、後藤が先生役で、人形のフォゲット君(声:POISON GIRL BANDの吉田)が生徒。
もうここまで来たら、送り手は先生とフォゲット君のからみを見たくないとしか思えない。何を考えてるんだ!!

エリック亀井の毎度ありぃ
田中ってコドモだねえ。かわいいからお年玉あげよう。っつーか私の年齢的に中澤くらいの年齢の女性が何を欲しがってるのかももうわからないよ。ところで「俄然強め?」って流行ってんのか。

前回の放送

(05.0620)


【書籍】・「ぼくの怪獣大百科」 サバンナ・八木真澄(2005、扶桑社) [amazon]

お笑いコンビの「サバンナ」の八木真澄がノートに書き留めた怪獣100体を披露。相方・高橋のコメント付き。

「人の妄想をそのまま本にしてしまう」という、なんかタコシェで自費出版されてるような内容の本なんだけどけっこう売れてますよねこれ。私が買ったので4刷だったし、続編も出てるし。
そう考えると「メジャーとマイナーの差って何だろう……」って考えてしまう。
それと、「ヒロシです。」とか「さまぁ〜ずの悲しいだじゃれ」とかもそうなんだけど、芸人のネタ的な本ってけっこう出てますが、同じネタ勝負の本でも素人の投稿を集めた「バカはサイレンで泣く」とか、ああいうのに比べると圧倒的にネタの分量が少ないんですよね。
素人は物量がある程度集まらないとダメで、芸人だとその「名前」があるから量は少なくてもいいということなのか……少し考えてしまいました。

でもこの本は面白いけどね。そして「サバンナ」をこういうかたちで売り出した(まあ関西では知られているコンビなのかもしれないけど全国的に)人は偉いと思った。

それと、相方・高橋のツッコミも面白いんですが、No.039の「エノキがくれ」が持っている「ジクソーの1ピース」って、一般的なジグソーパズルのことじゃなくて、No.074の怪獣「ジクソー」の1ピースってことだよね。それの説明がなかった。
そこだけ気になった。

私はNo.034「去りゆく人々」に衝撃を受けたね。これはもはや怪獣でも何でもない。「状況」だ。
(05.0618)



・「ピューと吹く! ジャガー」(9) うすた京介(2005、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載のギャグマンガ。
とにかくこの巻では、ピヨ彦にバレンタインチョコを渡そうとするビューティ田村の話と、笛191のだれかれかまわずジャガーさんがラーメンを人にぶっかける話がものすごく面白かったです。

8巻の感想

(05.0617)



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」25号(2005、集英社)

坂本裕次郎「タカヤ−閃武学園激闘伝−」が新連載。ずーっと前に読みきりで載ってたヤツの連載化らしい。タカヤがドタバタしてちょっとラブコメがあってケンカしたりするというような話らしい。
(05.0617)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」26号(2005、集英社)

中島諭宇樹「切法師」が新連載に。ファンタジー的和風世界で、特殊な技を身につけた「切法師」の少年が化け物と戦う話らしい。最近、こんなのばっかだなー……設定の面白さで読ませる新連載がぜんぜんないなあ。まあそれはここ1、2年ずっとのような気もするけど。
(05.0617)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」27号(2005、集英社)

この週は松井優征「魔人探偵脳噛ネウロ」が面白かった。犯人の殺人の動機が面白い。「ネウロ」は、絵もいまいちで話も大ざっぱだがネームが少なく読みやすいし、ちょっと言語化できない魅力がある、という「良きジャンプ新人」(まあ私が勝手にそう考えてるだけだけど)の伝統を継承していると思う。
(05.0617)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」28号(2005、集英社)

増田こうすけ「ギャグマンガ日和」が読みきりで登場。月刊ジャンプ連載作品らしい。書店によく置いてあるのは目にしてたけど、初めて読む。けっこう面白い。ツッコミがあまりにも最近の漫才調なのが少し気になるけど。
(05.0617)

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