つれづれなるマンガ感想文12月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」11月後半
「つれづれなるマンガ感想文」12月後半
一気に下まで行きたい



【アニメ映画】・「Mr.インクレディブル」 監督・脚本:ブラッド・バード(2004、米)
【映画】・「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」 監督・脚本:ケリー・コンラン(2004、米)
・「ボボーボ・ボーボボ」(13) 澤井啓夫(2004、集英社)
・「ボボーボ・ボーボボ」(14) 澤井啓夫(2004、集英社)
・「ボボーボ・ボーボボ」(15) 澤井啓夫(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【イベント】・第3回ハロプロ楽曲大賞2004(於:新宿ロフトプラスワン)
【映画】・「ゴジラ FINAL WARS」 監督:北村龍平(2004、日本)
【映画】・「恋の門」 監督・脚本:松尾スズキ(2004、日本)
【CD】・「フルーchu タルト」 小倉優子(2004、キングレコード)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」52号(2004、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」53号(2004、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」1号(2005、集英社)
・「ピューと吹く! ジャガー」(8) うすた京介(2004、集英社)
・「バキ」(24) 板垣恵介(2004、秋田書店)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【CD】・「オンナのコ オトコのコ」 小倉優子(2004、キングレコード)
・「刃(JIN)」 アルバトロス・ビュー12/2増刊号 Vol.7(2004、小池書院)
・「桃太郎侍」(1) 山手樹一郎、小池一夫、池辺かつみ(2004、小池書院)
・「傷追い人」(1)〜(2) 小池一夫、池上遼一(2004、小学館)






【アニメ映画】・「Mr.インクレディブル」 監督・脚本:ブラッド・バード(2004、米)

公式ページ

「ヒーローは社会の迷惑」という世論により、人々を救助したり悪と戦ったりすることを禁じられてしまったスーパーヒーローたち。Mr.インクレディブルもその一人であり、元スーパー・ヒロインのイラスティ・ガールと結婚した後は、特殊能力を持った子供二人と赤ん坊一人に恵まれ、普通人としての生活を送っている。
子育てに追われている元イラスティ・ガール(Mr.インクレディブル夫人)は、早々に割り切って普通の人間として生活しているが、勤めている保険会社でも社会正義を実現できないMr.インクレディブルは不満がつのるばかり。ある日、開発された兵器の破壊を依頼された彼は、会社の出張だと偽り再びスーパー・ヒーローとしての生活に身を投じるのだが……。

このトシになって何だが、私もフィクションにおける「正義」とか「ヒーロー」について考えていて、もしかしたらそういうことを真剣に考えているのはエンターテインメントにおいては日本よりもアメリカかもしれない、もっと言ってしまえば「ヒーローとは何か?」について考えているのはアメリカのスーパー・ヒーローものだけしかないのではないかと思い始めている。

本作は、「ヒーローとは何か?」がテーマになっているのは自明だけれど、アメコミの映画化作品を見ると、ほとんどはその強弱の差はあれ「ヒーローとは何か?」がテーマになっている。
映画だと「バットマン」や「デアデビル」は、もはやヒーローの正義は狂気や欺瞞と紙一重なのだというところまで描いているし、「X-MEN」ではミュータントたちが一般人にどう溶け込めるか、それが可能なのかを描いてる。「スパイダーマン」は、自分に託されたヒーロー的役割と私生活に引き裂かれる青年の話しだし、「パワーパフガールズ」にも、スーパーヒーローの役割とは何かを描いているエピソードがある。

もちろん、とくに何も考えてない話もあるんだろうけれども、多くの映画製作者の中にははっきりと「オールドスクール的なものを、そのままのかたちでは提示できない」という意識がある気がする。

そう考えると、本作冒頭における「自殺を邪魔されたという理由で、ヒーローを訴えた男」のエピソードは秀逸だ。本作は、最終的にはオールドスクール(王道)賛美の物語になるのだけれど、発端としてはオールドスクールが完全に終わったところから出発しているところが泣かせる。

そして、「終わってしまったヒーローもの」をかろうじて現代に復活させるのが「家族愛」なんていうところも、観客の泣きツボをおさえている。アメリカで家族解体がどのように進んでいるのかは知らないが、「王道のヒーローもの」を現在につなぎとめているのが、同じく王道の「家族愛」であるというのは、なかなかにあやういバランスである。
しかし、そのバランスは家族それぞれの、対社会的な問題ゆえに有事のときの団結が可能であるという、これまた微妙なところで成り立っているところがまたうまいのだ。

「アメリカってのは一筋縄ではいかないな」と思ったのは、超人ファミリーの中でも自分に自信のない女の子・ヴァイオレット(身体を透明化し、バリヤーを貼る能力を持っている)。長髪で顔を隠して、いつも自信なさげでいる。
この子のキャラ造形が興味深いのは、この子が「特殊能力を使ってはいけない」という親のいいつけを忠実に守っているという点。ちなみに、小学生の弟・ダッシュはいつも反発して自分の能力を使ってみたくて仕方がない。
夫であり、父であるMr.インクレディブルがさらわれたとき、母親は容赦なく自分の能力を使え、とヴァイオレットに言う。でもいざというときになかなか使えないし、禁じられてきたものをなぜ解禁にするのかも理解できない感じだった。このあたりの描写は、とても面白い。

母親と娘とのやりとりは、個性礼賛とか自己実現っていうよりも、微妙に生々しく感じた。母サイドでも、子供には能力を使ってほしくなくって、夫救出のための非常事態の措置にすぎないからね。まあ、結果的にはヴァイオレットの成長も王道を行くんだけどね。

後、面白かったのは、おおまかなプロットが映画「サンダーバード」(→感想)に少し似ていたこと。敵のシンドロームの設定すら近い(ヒーローの行動が「悪」を生み出してしまうという意味で)。

日本の子供向けエンターテインメントにはあまり見られないパターンだと思うのだが、あちらでは王道なのだろうか?

いずれにしろ、スーパーヒーローを時代遅れのものと認識したうえで、いかにそれを新しく見せていくかということに関しては、日本よりアメリカの方が上のような気がする。

あと、Mr.インクレディブル夫人がエロかった(まあ最後はベタな結びで)。
(04.1214)


【映画】・「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」 監督・脚本:ケリー・コンラン(2004、米)

公式ページ

時は1939年。謎の怪ロボットが多数、ニューヨークを襲撃。スカイキャプテン出動、悪人たちを倒すのだ!

まあ好きな人には悪いが、私にとってはかなりつまらない映画。巨大ロボットをつくったマッド・サイエンティストの基地を突き止めるため、スカイキャプテンは愛機に乗ってネパールだかどこだか(忘れた)まで行くのだが、特ダネをモノにしたい女記者・ポリー(グウィネス・バルトロウ)がどうしても付いていくとわがままこいて同乗する。

ところがもうコイツが見ているだけでイライラしてくる女で、敏腕記者という設定のわりにはドジ、焼き餅焼き、ウソ付き、スカイキャプテンの足を故意に引っ張る、といいところがひとつもない。

しかも、そこにはかっこよさとかかわいさがひとつも介在しない。いつもはハリウッドの娯楽映画のキャラ造形やプロットを賞賛してやまない私だが、何でこんな中途半端なキャラクターにしたのか、さっぱり理解できない。
スカイキャプテンがあまりにも王道すぎる、プレモダン(って言っていいのかな?)のヒーローであるために変化を付けたかったのだろうか。生意気でヒーローにつっかかるヒロインというのは恋愛映画でもよく出てくるから、それ自体がイヤなわけではないんだが、この女だけは見ていてムカムカと腹が立ってくる。

映画を見ている間中、このポリーのキャラ造形について考えていた。映画は全編通してわざと画面をくすませたり、お約束のロボットや兵器が出てくるから意図的にレトロ調にしたものである。マーベルコミックス的なヒーローが、一般庶民がヒーローを信じられない時代を前提にしているのとは対照的に、まっすぐに昔ながらのヒーローを描こうとしている。
それでは、このポリーという女性も王道なのだろうか。それとも、逆に自己主張する女性としてイマドキ感を出そうとしたのか。どうも昔のアクション映画をあまり見ないから、ヒロイン像がわからん。

ひとつだけ言えるのは、ポリーのキャラ造形はオマージュだろうが新機軸だろうが、失敗だと私は思うということだ。
たとえば水面から浮上したスカイキャプテンのプロペラ機に描かれた識別番号が、水面に映ると「ポリー」と読めることに喜ぶ、というシーンがあるが、これもどうもポリーのカン違いらしい。要するに、敏腕記者どころか単なるアホにしか見えないんだよな。

むろん、それは主人公・スカイキャプテンとのキャラの強さのバランスにも寄る。スカイキャプテンというのはどこがどのようにすごいのかというのが、飛行機の操縦技術だけに特化して描かれるため、いまひとつ弱いのである。
映画としてはいい意味でどうしようもない「メガフォース」の主人公なんかは、CGなんか使わなくてもじゅうぶんヒーローとしてキャラ立ちしてたけどね。そうそう、スカイキャプテンは子分キャラも弱いんだ。

予告編でも出てくる、眼帯のアンジェリーナ・ジョリーに惹かれてこの映画を見たいと思う人もいると思うけど、もちろんナチの女将校ではないし、だいいち出番が少ないよ。すごくカッコいいのにね。
ナチの拷問人というよりは、キャラクターとしては完全に「銀河鉄道999」におけるキャプテン・ハーロックだよね。

ついでに言うなら、敵キャラの設定も大いに不満。第二次世界大戦あたりを舞台にしているわりには、そっち方面でのお約束である黄禍論や原爆開発、ナチスの戦争進化論みたいなやつ、どれもかすっただけでメインにはなってないし。

まあ、何かと二本立てのときに見ればいいと思います。
(04.1214)


・「ボボーボ・ボーボボ」(13) 澤井啓夫(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
間違えてこの巻を買い忘れてしまい、次の14巻を先に読んでしまったので頭がこんがらがってしまった。

したがって、ざっと読み返しても何だかさっぱり忘れた。ただ「面白かった」という記憶だけが残っている。
けっきょく、ランバダの変身(変装?)がむちゃくちゃヘタで、ヘンなビュティになったという設定はその後活かされなかったのかな?

後は「ボボパッチ」じゃなくて「パッチボボ」の出現とか。

兵隊をモチーフにした敵、旧Eブロック隊長のコンバット・ブルースがバカバカしすぎて良かった。

12巻の感想

(04.1214)



・「ボボーボ・ボーボボ」(14) 澤井啓夫(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
この巻では何と言っても「ぬ献上ゲーム」でしょう。あまりのくだらなさに脱帽です。

13巻の感想

(04.1213)



・「ボボーボ・ボーボボ」(15) 澤井啓夫(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
お話がめちゃくちゃすぎて、まとめきれない……。
まずところ天の助とボーボボの合体・天ボボのキャラ付けはある意味セカイ系だ(本当にそう思う)。ハンペンのキャラクターも良い。

そして、ツル・ツルリーナ3世は復活した。で、倒された(んだと思う)。
ツル・ツルリーナ3世を倒した、人間の一生を垣間見るという「鼻毛真拳超絶奥義『鼻毛発人間エクスプレス』」もなかなか深い技でした。

14巻の感想

(04.1214)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

12月12日放送分。

公式ページ

公園通り三丁目。いきなりなっち登場。しかし収録日のテロップは出ていた。でもそれでいいんだよなー、実際の話、と思う。テレビ的芸能界のバランスから行っても、ハロモニ。くらいは出たっていいでしょう。
先週の、外見上は普通の女の子である早乙女マキとはうって変わって、「回文二十面相」という世にもバカバカしい役をやっている後藤真希。
要するに、子供たちに回文で挑戦するという怪人ですね。
ちなみに「かいぶん二十一面相」はポンキッキーズかなんかの曲ですね。検索して詳細わからなかったけども。

このキャラクターは、登場するごとに回文が複雑になっていく、というふうにしたら繰り返しギャグとして面白くなっていくと思います。マントをひるがえすときに「バサ!」と口で言う後藤真希が、楽しそうでカワイイです。

ラッキー7オーディション 参加者1000人に聞きました
昔、確か片岡鶴太郎だったと思うが、ある番組のコーナーを司会した際、「このコーナーは○○のパロディではありません。パクリです」って断言して、すがすがしかった記憶があるが、まさにこのコーナーは「クイズ百人に聞きました」のパクリである。

しかし、いちおうキチンと一からルール説明をしているのがおかしかった。ルール部分はよく見ていないが、もしかしてハロモニ。用のローカルルールを採用しているかもしれないけどね。それにしてもパクリにローカルルールって何だ。大富豪(もしくは大貧民)か。

さて、ラッキー7オーディションに参加した十代の女の子たちへのアンケート、「今年の重大ニュースは?」とか「彼氏が嫌いになってしまいそうなクセとは?」などをそのまま問題にしたらしい。
個人的なことになりますが、

十代のシロウトの女の子が何を考えていようが、まったく興味がございませーん!!

だいたい、十代のシロウトの女の子はほっておくと渋谷に出てきて悪いことしたりされたりするので(超偏見)、スポーツや芸術にその若い力を発散してもらっていればよろしい。
別に「今年の重大ニュース」とか考えないでいいです。

それにしても、スポーツはともかく芸術で性欲を発散させるなんて、本当に欺瞞的な指導だよね。スポーツと比べて実践してるコもいなさそうだし。
みんな、エロマンガ読め!!!!!

意味なく叫んで見ましたが、とりあえずあまり興味のある展開にはなりませんでした。

ラッキー7オーディション
いつもは早送りして飛ばしてしまうんですが、「さとう珠緒を目標とするロックな女の子」が出ているというので見てみました。
まあ、今後この子がどんな化け方をするのか、あるいは化けないのかはわかりませんが、とりあえずさとう珠緒は芸能界に一人でいいや。

ところで、こういうことを書くとみんなバカにすると思いますが、私は7期には佐藤寛子が入ればいいと思います(突然)。
何でかっていうと、佐藤寛子が目がキレ長で胸がデカいから。
顔立ちやスタイル的にも過去にはないタイプだし、年齢も高いから、先輩後輩的な不協和音も生じそうなので、そっち方面にドラマを期待している人にもご満足いただけると思います。
まあ、歌や踊りができるかとかぜんぜん知らないですけど。

私が好きだってだけです。やる気のないコメントで済みません。

HPH
限定版のアルバムが出るということで、ゲストは矢口と高橋。
キャメイはあいかわらずなんで書くこともなし。

前回の放送

(04.1214)


【イベント】・第3回ハロプロ楽曲大賞2004(於:新宿ロフトプラスワン)

第3回ハロプロ楽曲大賞2004を発表するトークライブ。12月11日深夜12時から。

関わったスタッフの方々、お疲れさまでした。

昨年の自分のイベント感想を読んだら、開催日を10月と書いてしまっていたんで、今頃になって直しましたよ(トホホ)。

前年どおり、5時間で100曲以上かな? とにかく膨大な数の曲紹介をするタイトな進行もとどこおりなく進んで、こういうつくり込んだイベントはとても好きです。

VTRゲストは、いずれも興味深く、自分にとってはかなりミニモニ。に関わりアニソン作曲家でもある渡部チェル氏が「こういう感じの人だったんだ」と思えたというのと、菊地成孔氏はトークがかなり面白い、ということを知ったのが収穫でした。

結果発表暫定版(楽曲部門)

超・個人的なことを言えば、「ロボキッス」、「ラッキーチャチャチャ!」と「ズキュンLOVE」、そして「浪漫 〜MY DEAR BOY〜」という、自分が投票した5曲のうち4曲までが10位以内に入っていたので満足。

確かに、「涙が止まらない放課後」が何位に入っているかは、娘。における「萌え路線」がどの辺に位置しているかをはかるひとつの指標になりうるとは私も思っていて、結果は10位という微妙なところでした。

VTRでは、掟ポルシェ氏が「今後はアキバ系の、閉じた方向に行かざるを得ないだろう」的なことを言っていたと記憶します。現在、閉鎖的な方向に行っていることは私も同意するんだけども、おそらく閉じたら閉じたなりのハロプロの「色」が出てくるとは思うんですよね。

いい意味でも悪い意味でも、オタクの閉じ方っていうのはハンパないし、それがひとつの文化的スタイルだから(ここにいい意味のニュアンスが入っていることは強調しておきたいんだけども)、カタチだけマネをするとイタイことになってしまう。
ハロプロの面白いところは、そうした「閉じ方」を単なるアキバ商法の模倣に終わらせていないところで、それは一見萌え要素の強いミニモニ。、W(ダブルユー)、ベリーズ工房、そして「涙が止まらない放課後」などすべてに通底していると思います。

今後も、そういう面白さは出てくるでしょう。

全体的な感想としては、今年はベリーズのリリース数が非常に多かったため、20位以下はベリーズの楽曲を知らないとまったくわからないという状況に個人的になってしまったのが、だれのせいでもなく自分のこととして残念でした。

自分の投票

第2回ハロプロ楽曲大賞2003感想

(04.1213)


【映画】・「ゴジラ FINAL WARS」 監督:北村龍平(2004、日本)

公式ページ

いろいろあって近未来、人類は地球防衛軍を結成。世界のあちこちで優れた戦闘能力を持ったミュータントが生まれ出し、かれらの多くは防衛軍に組み込まれることになった。
ある日、怪獣が世界各地で一斉に暴れ出す。窮地に立つ人類であったが、とつじょ現れたX星人の援護により怪獣の攻撃は沈静化する。X星人は、地球人に敵意はなく友好的な種族らしい。
そんな中、国連事務総長(宝田明)の行動を不審に感じるジャーナリスト・音無杏奈(水野真紀)だったりするのであった。

いちおう私は怪獣ファンでも日本特撮映画マニアでもないと断り書きを入れて書くが、この映画は面白い!
監督の北村龍平の評判もあまりいいものを聞かず、今年見た映画では「デビルマン」の次に期待値が低かったが、エンターテインメント作品としてはかなり面白いですよこれは。

いろいろなところに、過去の特撮映画、怪獣映画のオマージュというかもっとストレートに過去に出てきたモノが出て来ちゃうんだけど、元ネタを知らなくてもまったく楽しめる。

変なプロテクターを着けた戦士、ガン=カタ(笑)、怪獣、いろんな怪獣、宇宙人、かっこいい未来的バイク、UFO、ドリル付き空中戦艦(轟天号のことね)、カンフー、プロレス、総合格闘技的技、ヘンな光線銃、キザなカタキ役、あまりにもご都合主義的なラストシーンなど、全編これバカ中学生の妄想の集大成!

日本語吹き替えでしゃべるドン・フライ、かっこよすぎるぜ!!

バカ中学生観点から言えば、なかったものはオッパイくらいだが、その点は菊川怜と水野真紀が意味なくおみ足を見せびらかしているのであった。

怪獣ファンの人は、地球防衛軍の肉弾格闘シーンをムダ、もっと怪獣を見せろいと思うかもしれないが、バカ中学生にとって「意味なく肉弾戦に突入」というのは大好物のひとつなので、仕方がないと思うのであった。
それでも、まあクライマックス近くのUFO内での肉弾バトルは、若干蛇足だとは思いますけどね。アレでゴジラと怪獣との最終決戦へのなだれこみが少しダレてしまうから。

北村龍平も、「あずみ」(私は未見)の評判が良くなかったせいか、「ゴジラ」を撮るということに関して期待はされていなかったような気が私はするのだけれど、少なくとも「テンポよく、飽きさせず見せる」という点だけで言えばやっぱりプロだと思いますよ。我ながら偉そうな書き方ですが。
コレは「デビルマン」の那須博之監督にも通じるんだけど。
でも、「デビルマン」というのはブチ壊れちゃってるバカ映画だと思う。個々のシーンがバラバラで、スジはなぞっているんだけども有機的なつながりがない。だから、バカはバカなんだけど、シーンをたたみかけてゆくことによるバカの増幅効果のようなものはとうてい見込めない。
しかし、この「ゴジラ FINAL WARS」は、たぶんワカッテてつくってるし、一見した限りではヤケクソ的にもならず、「どうだメチャクチャやってやるんだスゴイだろ」っていうヘンに得意げな部分もなく、いいバランスでバカやっていると思いますね。見ていくうちにどんどん楽しくなっていくという。

これはまったくの予測なんだが、たぶん日本映画では「最低ライン」の脚本の基本というものがないと思うんですよ。ないと言って悪ければ、その基準がハリウッド映画の斜め上を行っている(そうでなければ、心理描写の点での映画「恋の門」のマッタリ具合や、クドカンという人気脚本家の作品ながら、設定上の変身の理由がまったく描かれていない「ゼブラーマン」を説明できない)。
だから、同時期に公開されていて、同じく過去の作品のオマージュ映画として比較すると、「Mr.インクレディブル」は脚本の基本線という点ではものすごくしっかりしていて、そこからはみ出す部分というのがまったくない。いや、それは素晴らしいことなんですよ。
対するに、「ゴジラ FINAL WARS」は脚本としてはこれほどメチャクチャものはない。お祭り感覚を割り引いてもメチャクチャだ。
だけど、このメチャクチャさというのは、昨今のハリウッド映画では容易には味わえないものだ(味わいたくない、っていう人が多そうだけど)。
(04.1213)


【映画】・「恋の門」 監督・脚本:松尾スズキ(2004、日本)

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羽生生純のマンガの映画化作品。
「マンガ芸術家」を名乗り、ちっとも売れない「石でマンガを描く」行為をやめようとしない蒼木門と、OLで同人作家であり、コスプレイヤーでもある証恋乃の恋愛を描く。

映像のアソビだとか、テンポの良さは楽しいので、基本的には好きな映画。マンガを描くシーンとかも、わりときっちり描いてあった気がする。
ただ、門と恋乃の、「芸術家志望とオタク」という趣向、生き方の対立や合意する部分、あるいはお互いに恋愛において純粋な部分と打算を持ち合わせている、という描写がきちんとなされているとはちょっと言い難い。
具体的に描くと、まずどうして恋乃が、アニソン歌手のファンの集いみたいな合宿に門を引っ張ってきたのかが明瞭でない。次に、その合宿から門が姿を消してしまった理由もハッキリしない。

さらに、漫画バーの店長・毬藻田(松尾スズキ)がなぜ恋乃とくっついてしまったのかもいまひとつ理由がない。
さらに、だんだんと恋乃のちゃらんぽらんな生活が明らかになっていくが、それも最初に現代っ子らしくちゃっかりしているように描いていないから、どこがどうだらしがないかのメリハリがない。

そのあたりがきちんといていないので、ラストシーンがいまいち盛り上がらない。

物語冒頭、いかにも芸術家志望風の門はけっこう独白を使ってしゃべるが、コレはまさにマンガで「内面」を表すときの手法だから、遅れてきた70年代前半マンガ青年と、オタクな女の子との恋愛というふうに特化して描けば、もっと面白くなったんじゃないかと余計なことを考えました。
あるいは、本来いい兄貴分的存在になってやれるはずのバーのマスター・毬藻田がちっとも枯れてないところをもっと描いていったら、パターン破りが明確になってより面白くなったかなあ、とか。

ただ、総じて出てくる女の子はチャーミングに描けていましたね。恋乃の母親の大竹しのぶも含めて。酒井若菜はエロかったし、小島聖もエロかったし、酒井若菜のエメラルダスのコスプレがかわいかったので、モロモロのことは許したいと思います。
やっぱり、乳は強いと思います。
(04.1209)


【CD】・「フルーchu タルト」 小倉優子(2004、キングレコード) [amazon]

「ボーボボ」の単行本の感想を書こうと思ったが、どうも話が通じてないのでおかしいと思っていたら、13巻を買っておらず、抜かして読んでいた! いくら不条理ギャグとは言え、そりゃ話が通じないわけだわ。

それと、「ゴロッキーズEXTRA」のDVDがタワレコで売っておらず、泣いた。泣いたよ……亀井の「モグモグ モグモグ ウェーッウェーッ」がもう1回見たかったのに……。
こういうときには、異性に思いっきり引かれるような行為をわざとやって露悪的な気分に浸ってみたい。

というわけで小倉優子のファーストアルバム。
どうしてもイロモノ臭が漂うし、本当にいいアルバムならどっかしらから評判が聞こえてきてもよさそうなもんだがそれもあまりなくてねえ。一度買おうと思ったらこれまた売り切れで、しょうがないのでネット通販で買った。

しかしまあ、思ったほど悪くはなかったです。はい。
それを前提として印象を書くと、どうしても似たような曲が多い気がした。一曲目の「ビタミンLOVE」と三曲目の「永遠ラブリン(∂▽<)/」が、なんだかとても似たような感じに聞こえてしまう(作詞も作曲も別人なんだけど)。シングルカットされている「ウキウキりんごだプー」(コレは「永遠ラブリン(∂▽<)/」と同じクリエイター)も「恋のシュビドゥバ」(コレも「永遠ラブリン(∂▽<)/」と同じ)も、悪くはないんだが今ひとつパンチに欠けるというか……。いや、方向性は間違っていないと思うんですけどね、そこんところ微妙。

そんな中、「雪見だいふく」のCMソングを元にした「夢の絵日記」、「想い出の雪見だいふく」が異彩を放っていた。だれがつくったのかと思えば東京バナナボーイズ。いやホントにこれはいい曲だと思いますよ。雪見だいふくイイよなー。まあ、このふたつの曲は歌詞が少し違うだけでほとんど同じなんだけど。

グラビア展開をしてるコで、歌で見込みがあるのって小倉優子だけだと思うので、がんばってほしいです。何となく大塚愛とかブッ飛ばしてほしいです。
大塚愛には罪はないのはもちろんわかってますよ。

【CD】・「オンナのコ オトコのコ」 小倉優子(2004、キングレコード)感想

(04.1208)



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」52号(2004、集英社)

いきなりだが、当HPにおいて雑誌レビューのときだけタイトルが大文字になっていることを不思議に思っている方もいるかもしれない。コレは、私がズボラなために、何ヶ月も前の雑誌のレビューをいきなりやることがあり、それを理由にスルーされるのがイヤなので、せめてもの抵抗としてやっていることなのであった。

私が10円で青色発光ダイオードができる方法を発見して有名になるまで黙っていようと思ったが、つい書いてしまった。

45ページ読みきり、福島鉄平「よしっ!!」は、ひとつのことに集中すると他のことがまったく気にならなくなるほどの集中力を持った主人公が、高校に入学してからも何の目的もなく過ごすうち、弓道のすごさに出会って入部するという話。
あこがれの先輩が女の子ってところが、イマ風だと思います。もう、陰ながらがんばる少年を見つめる少女なんていうのは流行らないんだろうね。「武装錬金」とかもそうだけど。

もうひとつの45ページ読みきりは西公平「HALLOO SUNSHINE」。乱れたファンタジー風世界で、没落した王家の少年がその「呪い」を活かして悪者と戦う。ラスト近くに明らかになる「呪い」のアイディアは面白いが、前半のテンポをもう少し何とかして欲しかった。
(04.1207)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」53号(2004、集英社)

新連載が西義之「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」。本誌37+38号に掲載された「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」(→感想)を連載化。

ものすごく簡単に言うと、「悪魔くん」みたいな話か。霊にまつわる事件を解決しようとする中に、人情が入ってくる感じ。読みきりでの感想に「J金杯の本命はコレか」と書いたら、当たったよ姉さん!
あまりにも人情にまつわるプロットが単純すぎる気もするが、ムヒョとロージーの掛け合いも面白いし、やっぱり連載にするなら本作だろうなあ、とは思う。
(04.1207)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」1号(2005、集英社)

新年1号。48ページ読みきり大竹利明「デビルヴァイオリン」は、顔が悪魔みたいに恐いために、すごいヴァイオリンの技術がありながらほとんど人に聞かせたことのなかった主人公を、大学の理事長の娘が気に入らないヴァイオリン奏者の男の面目を潰すために、演奏会で演奏させようとする話。
導入部の「伝説のヴァイオリン奏者」の説明からクライマックスで主人公が演奏するシーンで「その伝説の再来」とするあたり、作者は意識しているかどうかは知らないが往年の少女マンガ的方法をうまく活かしていてすんなり読める。

ただ、ひとつ不満なのは、主人公を利用しようとした理事長の娘が、最後まで改心していないこと。今のハリウッド映画なら、確実に「顔は恐いけどヴァイオリンがうまいという理由だけで主人公を利用した」ということへの、この女の子の反省のシーンが入るだろう。
「虫しか聞かせる相手がいなかった」という言葉にツッコミを入れてしまうのは、これはもうひとつの時代の病ですよ。そこはクサいと思っても貫き通さないと。

まあ、昔のマンガを読んでも心理描写がメチャクチャな作品は腐るほどあるが、これからの時代、ノリだけで押し通せなくなると思う。そこだけ気になりました。

大場つぐみ、小畑健「DEATH NOTE」は、「キラの犯行の現場を押さえる方法」を示したという点では重要な回だ。もしもライトが再びノートを手にしてLと対決するのならば、その方法は使えないか、使ってもひねらざるを得なくなるから。大丈夫なんだろうか。
ミサミサの所属プロダクション「ヨシダプロ」は、担当編集者が吉田っていう名前から取ったんだねきっと。まあ、よくある話です。
(04.1207)


・「ピューと吹く! ジャガー」(8) うすた京介(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。
コンスタントに面白いです。ハマーさんの不毛な恋愛ネタ、高菜のネットアイドルネタ、ジョン太夫の開運法ネタなど、ローテーションで回していけるネタが溜まってきているので、このまま「ちょっとシュールなんだけど安定株」みたいなポジションを保持し続けていけばいいんじゃないかと思いました。偉そうでスイマセン。

「そふとくり〜む」のネタって、いつの間にか終わっちゃってたんだなあ。雑誌で読んでたけど、読者である私も忘れてたよ。

7巻の感想

(04.1207)



・「バキ」(24) 板垣恵介(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。
オリバVS龍書文は、わりと面白い(龍書文のモデルは「雀鬼」桜井章一か?)。ただ、やっぱり作者が中国拳法に知識がないというか、理念がないのはバレバレだなあ。まあ、あえて知識不足の土俵に上がったと深読みもできるけど、時期的に言ってもここのところの中国拳法編はムリに始めるべきだったのかな? という疑問は残る。
たとえば、グレイシー旋風が巻き起こったときに、しっかり続けたのはすごくいいことだったと思う。夢枕獏の「餓狼伝」なんかは、見るからにグレイシー柔術の出現で考えていたストーリーの変更を迫られたような雰囲気だったけど、フィクションにおける格闘技の扱いが大きく変わろうとしている時期に、「グラップラー刃牙」は、作者が自分の思想を貫いた感じはしていた。

現在は、PRIDEなども安定した人気を保っているようだし、現実世界の格闘技が大きく変化することはないだろう。こういうときこそ取材や充電をしてほしいと思うのだけど?

23巻の感想

(04.1207)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

12月5日放送分。

公式ページ

第4回ハロモニ。アカデミー「悲しいとき」
お笑い芸人「いつもここから」を講師に、あの「悲しいとき〜!」のネタを娘。たちがやる。
安倍なっちは司会として出てました。「この番組は何月何日に収録したものです」ってテロップが出てたけど。

いつもここからは、いつものネタに娘。ネタを織り交ぜていた。が、波田陽区もそうだけど、本人を前にしての悪口ネタというのはぜったいにヌルくなるだけだからやめた方がいいと思う。ヌルいというか、接待的になってしまうというかね。
まあこのコーナー自体は全体的に「普通」でした。普通としか言いようがないなぁ。
展開としては大喜利における自虐、自尊(道重に限る(笑))、他メンバーいじりということで、いつもどおりかなと。

「地球戦士W」は、金太郎飴をつくってた。なんかもう完全に「地球戦士」のコンセプトは失われ、ただのロケコーナーになってしまったなあ。
いつも思うが、辻が最近やっている髪型は石ノ森チックだと思う。思い出すと懐かしくて泣けてくる。ファンタジーワールド・辻。

公園通り三丁目
スキップし続けないといられない変わった女子高生・早乙女マキを、後藤真希が新キャラとして演じる。友達になろうとする藤本を振りきって、「スキップ同好会」をつくり、そのメンバーとなった高橋や紺野、婦人警官の矢口までが「スキップスキップ楽しいな〜」などと言いながらスキップをし続け、後藤とともに去っていく。それを追いかけていき、藤本も去っていく。
面白い! もしかして、全員でやるコントでは今まででいちばん面白かったかも。 コレで、登場人物全員がスキップにハマってスキップし続けるようになれば、往年の赤塚不二夫みたいな感じになるんだが。
というわけで、辻の髪型に続いてトキワ荘世代の登場でした(私の脳内で)。
後半は、吉澤扮する「細毛和子」と飯田扮する「アターレ飯田」が登場して張り合う。
アターレ飯田、大好きだから満足した。

HPH。娘。のニューアルバム発売ということで、キャメイのコーナーのゲストは小川と新垣。小川がはしゃぎすぎて、変な動きをずっとし続ける。ちょっと痩せてきたな。新垣の太股は、いやらしい意味でイイ感じになってきた。でもこの子は、オトナになると普通のきれいな子になっちゃうような気がする。
最後に、「ハロモニ。アカデミー」コーナーの終了時、優秀賞をもらった人に出たごほうびを1個盗んでいく紺野の表情が面白かった。

前回の放送

(04.1205)


【CD】・「オンナのコ オトコのコ」 小倉優子(2004、キングレコード) [amazon]

アニメ「スクールランブル」のEDテーマ。
カップリング曲ともども、作詞・作曲・編曲は小西康陽。

「なんか最近、妙に小倉優子を持ち上げてますよね。」
「どうしたんですか突然、小倉優子を持ち上げて。」
「なんだかんだ言って、世間一般からすると小倉優子って『ロリコン』か『不思議ちゃん』っていうイメージなんですよね。」

……さて、今年の「アイドル楽曲」のベストワンと言ったら、個人的にはこの曲だと思う。まあ、私もそんなに熱心にチェックしていたわけではないし、dreamもプリエールもPerfumeもボンボンブランコもいたじゃないかと思う人は思うでしょう。
いやまあそのとおりなんだけど、アイドル界の小さな巨人、「リトル巨人くん」的に言えば「王さんがバッターボックスに入っただけで大きく見えるっ!」ってなもんですよ。ええ、意図的にジジイ的なたとえを持ってきました。その小さな巨人、小倉優子がきちんとしたプロデュースの元でまずまずきちんとした歌を歌ってそこそこ売れることが、アイドル界では大事なんではないかと思うわけです。

そもそも、アイドルというのは常に時代時代に存在してまして、キツい言い方をすればその時代のものでしかありません。だから、過去からの系譜だのアイドル論だのといったものは、彼女たちのCDや写真集やDVDを買う人には知ったことじゃないのですが、それでもやっぱり是は是、非は非としておきたいアイドルが小倉優子です。
逆に言えば、アイドルとは時代時代を最も鋭敏に反映するもののひとつであって、その観点からすると小倉優子は旧来のアイドルイメージから三周くらいしているところに来ています。

すなわち、まず「トイレに行かない」というもっともガチンコで正統的なアイドルが過去に存在したとして、小泉今日子とおニャン子クラブが、80年代に前者は自己言及、後者は量産スタイルでもって旧来のアイドルを「終わらせ」ます。
次に来た森高千里が、小泉今日子的方法論をもう一度繰り返し、「非・実力派宣言」をします。森高千里のある時期までの流れというのは、小泉的自己言及を再度繰り返していました。いわば二周目です。
その他にも、「最後のアイドル」などと言われた高橋由美子なんかも、正統派、オールドスクール的たたずまいを貫いた存在として、結果的には80年代の終わりから90年代前半までをつなぐ役割だったといえます。
森高千里ソックリの衣装で歌っていた小倉優子は、アイドル歌手としてはすなわち三周目です。

並行しての「バラドル」や「不思議ちゃん」の存在もあります。意識的な「バラドル」は、無意識を装った「不思議ちゃん」とバラエティのにぎやかしという意味では近い位置にいます。たとえばコメンテーターなどで、現在若槻千夏が安めぐみや小倉優子に変わっても、そのキャラの違いにも関わらず役割は変わらなかったりします。 ただし、90年代に入ってからの不思議ちゃんは、その前に存在した戸川純などを模倣していたと考えられ、二周目です。
ですんで、不思議ちゃんキャラとしての小倉優子も、三周目くらいに来ています。

80年代アイドルが現役でも女優などで活躍してることと合わせ、「アイドルは80年代的なものであり、80年代とともに終わった」という考えが強いように思いますが、これは乱暴な意見のように思います。
むしろ、現在までリニューアルしては蘇ってきていると考えていいでしょう。
そういった蓄積の上に成り立っているのが小倉優子だと言えます。
モーニング娘。も、今までのJ-POPの集大成的な趣がありますが、一方では小倉優子も、何らかの集大成的な存在であると私は考えています。

ただし、今までは楽曲的にいまひとつ突き抜けていないものがありました。ここで小西康陽がやるというのは、歌手・小倉優子としてはせめてそれくらいはやってほしかった、と思っていたので満足しました。
本当は、小倉優子みたいな素材は、もっともっといろんなミュージシャンが集まってオモチャにして、細川ふみえの「SUKI SUKI スキャット」とか、篠原ともえの「スーパーモデル」みたいなアルバムをつくらないといけないと思います。っつーか、ファーストアルバムまだ聞いてないんですけどね。

まあ、とりあえずこの曲には「三周目に来たアイドル」のなんたるかがほとんど表現されているとは思いますけど。
初回盤に付いていたDVDは、まあオマケ的なアレだなとは思いました。最初の小芝居は、必要なんですかね?
(04.1204)



・「刃(JIN)」 アルバトロス・ビュー12/2増刊号 Vol.7(2004、小池書院)

小池一夫オンリーマガジン。
連載作品は、「魔像」(原作:林不忘)、「桃太郎侍」(原作:山手樹一郎)、「弐十手物語」、「赤い鳩−アピル−」、「牙走り」、「道中師」、「男弐」、「徳川家康」、「織田信長」(監修)、「修羅雪姫」。
「修羅雪姫」は外道之六 鹿鳴館殺人八景(二)。死んだ母親の復讐のためには、そのステップとして達人級のスリの技を身に着けないといけない。母親と獄中で一緒だったスリの婆さん・タジレの菊のもとで、スリ技の特訓をする雪。
「熱湯に指をつける」、「その後、砥石で指の腹をこする」、「連続して積み重なった半紙を指で一枚ずつはぎとってゆく」、たぶんぜんぶスリの特訓としてはウソなんじゃないかと思うが、この「半紙を指で一枚ずつはがしていく」特訓シーンが泣ける。単行本で一度読んだけど、もう一度読んでも泣けた。
上村一夫の絵柄とコマ割の良さだろうと思うんだけどね。本当に雨の日も風の日も特訓してる、というのがよく表れている。
「徳川家康」は、人質時代から家康の少年時代を追った作品。小池一夫作品としては突出して面白いというわけではないが、小池一夫作品のテーマのひとつは「いかにいろんなものから自由になるか」ということなんじゃないかと、ふと思った。
(04.1201)

・「桃太郎侍」(1) 山手樹一郎、小池一夫、池辺かつみ(2004、小池書院) [amazon]

「刃(JIN)」連載。田沼意次の息子・田沼伊織は、病床の母親から、田沼の名前を捨て、莫大な遺産と二人のくの一とともに、素浪人として世のため人のために生きろと言われる。母親はそれを遺言として病死。
どうしていいかわからなかった伊織だが、「鬼退治桃太郎」と名乗り、その卓抜した剣技と財産、くの一たちを使って自分の考える正しい道を歩もうと決意する。

小池一夫の師匠・山手樹一郎原作の小説の劇画化。……といっても、ネットであらすじを読んだかぎりではぜんっぜん違う話になっている。「刃(JIN)」は初出データがまったく載っていないのが難だが、わざわざ単行本発売に合わせて同誌に小池一夫インタビューを掲載しているということはたぶん新作なのだろう。
で、結論から言うと本作は面白い。小池一夫は、「何が自由か」を想定してみて人工的にあり得ない自由や不自由を創出して見せることが多いが、本作の桃太郎もやはり、男前、剣技、莫大な財産と何でも持っている。ある意味では自由。しかし、その環境の中で自分の正義を貫こうとしたとき、いろいろな面倒が起こってくる。それをまた劇画的な方法でやりすごす……といった展開になっている。
「桃太郎」というキャラクターが、何でも持っているけど縛られている、でもそれに絶望しないというふうに描かれていて、イマ風。
(04.1201)



・「傷追い人」(1)〜(2) 小池一夫、池上遼一(2004、小学館)

1983年頃から連載が始まって、すでに完結している作品。

絶世の美女で空手の達人、強い意志を持つ日下夕湖はニュースキャスター。
ブラジルで金を掘る日本人がいるという真相を突き止めるために撮影スタッフとブラジルへ行く。そこで出会ったのは、復讐のために金を掘り続ける謎の男・茨木圭介だった。
彼に愛情と憎しみ、両方を持った夕湖はどこまでもついていくと宣言する。

うーん、好きな人には悪いが(それにまだ途中だが)これはちょっと……。
80年代は、マンガが「まだまだ面白い」という雰囲気と「面白くなくなった」という雰囲気が両方あったと思う。少年ジャンプなんかは未曾有のバカ売れ状態で、その反面、表現の可能性を追求したいタイプの読者は不満を持っていたんじゃないかと思う。
で、私はことさらにマンガが常に革新的であるべしという考え方は持っていないのだが、80年代のマンガが「つまらない」という感覚も当時何となく持ってはいた。むろん、これは感覚的なもので、いくらでも当時の名作というのはあるはずだが、とくに「劇画」が衰退したという感覚が私の中にあった。
「衰退した」といっても、池上遼一はかなりの人気だったし、従来の劇画と一緒にしていいかどうかわからないが「北斗の拳」などの大ヒット作もあるので説明がむずかしいが……70年代の劇画が引きずっていた「情念」的なものはなくなっていったと思う。

たとえば「男組」によくも悪くも存在していた暗さみたいなものは、同じ雁屋&池上コンビの「男大空」では見事になくなっているし、焼き直し感も否めなかった。
小池&池上のコンビというと「なぜか男女が全裸で世界情勢について語っている」というイメージがあるが、本作も同様。少なくともこの2巻までは圭介と夕湖はベタベタしっぱなしで、エロ表現も今の青年誌より直接的。電車の中で読もうと思ったんだけど、こりゃ今は電車の中じゃ読めないよ。たぶん当時はみんな読んでたんだろうけど。

で、復讐とかエロスとか、テーマ的には同じ原作者が70年代に書いた「修羅雪姫」や「御用牙」と何ら変わりないんだけど、とにかく話の進みが遅い。話の進みが遅いために、先までプロットを考えてあったとしても、毎週毎週考えながら描いていたような印象を受けてしまう。
実際、80年代に私が梶原一騎と小池一夫の最大の違いだと思っていたのは「ゴールを決めて書いているか否か」だった。昔の小池一夫の作品を読むと、それは必ずしも正しくないことがわかる。が、とりあえず本作はゴールを決めて書いているとはちょっと思えないのだった。

もうひとつテーマ的な面で言えば、「世界を裏で牛耳る巨悪との対決」を描いてはいるが、とにかく敵がありえなさすぎる。しかも、なんか中途半端。微妙。お題目だけという感じがしてしまう。圭介の復讐の手段はもっとありえないし、圭介を夕湖が愛するようになる過程もかなり強引。
で、そうした「男女の愛」が全面に出てきているのも、たとえば「御用牙」なんかとの違いだ。

う〜ん、そこら辺をみきわめるにはもっと当時の小池一夫作品を読まないといけないんだけど、何というか「軽い」感じがしてしまうんだよなあ。ここら辺は、たぶん人気度としても、作品のエンタテインメントの質としても小池一夫自身に70年代から80年代まで断絶がないためにパッと見わかりにくくはあるんだが、ただどこかで確実に何かが終わって、また始まっている気はする。
で、80年代論でよく語られる時代の「気分」を表した作品よりも、小池一夫の当時の軽さが気になる。

まあ、現在発行中の単行本がぜんぶ完結してから考えようと思うけど。
(04.1201)

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