葵ヒトリ先生が商業誌デビューされた頃、「村崎零」というペンネームで2作品を発表されています。そのうちのひとつがメディアックス発行の成年向け漫画雑誌に掲載されていた可能性があるということで、調査のために作成したものがこの作業ノートです。 しかし、2008年9月に葵ヒトリ先生ご本人から、「メディアックス発行の雑誌に掲載されていた可能性は低い」というご意見をいただきました。そのためこの作業ノートの内容は、葵ヒトリ作品の調査には不要なものとなりましたが、情報自体は有用だと思われますので、このまま残しておくことにします。 ※このページの内容は、「村崎零」ページにあったものを独立させたものです。(2010年2月28日) メディアックス発行の成年向け漫画雑誌について †村崎名義の作品が掲載された可能性のある、1995年〜1996年前後に発行されていたものを中心に記述する。もし掲載されたとすれば「コミックライズ」か「コミックギガテック」だった可能性が高い。 コミック花いちもんめ (1990/12-1995/2) † 創刊号は1990年12月号。当初は雑誌「デラべっぴん」増刊としての発行だった(雑誌コード:06442)。その後、独立創刊。前後の号から判断すると、通算5号に当たる1991年4月号が独立創刊号と思われる*1(雑誌コード:13885)。以降月刊として毎月発行されていたようだが、1995年2月号をもって休刊した。 『花いちもんめ』の現物を確認できたのは以下の通り。1990年12月号*2、1991年1月号*3、同3月号*4、同5月号、同6月号*5、そして最終号となった1995年2月号。 また、1992年から1993年ごろには、増刊誌として「ジャンケンポン」(未見・正確な誌名は不明)が発行されていた模様。特定作家の特集号となっているようなので再録誌なのだろうか? 1994年には増刊号として「コミックジオトピア」が創刊(雑誌コード:13886)。創刊号は2月号で、以降隔月で発行。同年10月号からは月刊化されたようだ*6。最終号は1995年1月号(通巻8号)か?*7 なお、通巻第3号となる1994年6月号までは現物を確認済み。 本誌の休刊号(1995年2月号)には、村崎作品は掲載されていなかった。時期的に考えて、「花いちもんめ」への掲載はない、と思われる。 *1 独立創刊号は未見。なお、独立創刊については後註参照。 *2 号数表記はNo.1。 *3 号数表記はNo.2。 *4 号数表記はNo.4。 *5 背表紙には「No.7」と併記。 *6 「花いちもんめ」最終号掲載のバックナンバー案内による。 *7 「コミックゲイザー」1995年3月号のバックナンバー案内では「ジオトピア」1月号までしか記載されていない。 コミックゲイザー (1995/3) †「花いちもんめ」の後継誌。1995年3月号の一号のみ発行された。雑誌コード(13885)と通巻数を「花いちもんめ」から引き継いでいる(なお、この通巻の数え方は通例とは異なっている可能性がある。くわしくは後述)。 本誌を確認したが、村崎作品は掲載されていなかった。第18回FP新人賞の結果発表が掲載されていたが、村崎一彦〔村崎零〕の名前は記載されていない。もしかすると別ペンネームでの応募だったのかもしれない。また、次回第19回の募集告知もあるので、そちらへの応募だったのかもしれない。 コミックライズ (1995/5-2001/8) †「コミックゲイザー」の後継誌。1995年5月号〜2001年8月号まで毎月発行されていた模様。雑誌コードは 03949。また創刊当初は、増刊誌として「コミックギガテック」が毎月発行されていたようだ。 本誌1995年6月号と同年9月号を確認できたが、村崎作品は掲載されていなかった。 コミックギガテック(1995/6-?) †「コミックライズ」の増刊として発行。1995年6月号から発行されていた模様(休刊の時期は不明)。 ギガテック1996年1月号をお持ちの方から情報を頂いた。その号には村崎作品は掲載されていないとのこと。また、バックナンバーの案内ページがあり、「ライズ」は1995年5月号から12月号まで、「ギガテック」は1995年6月号から12月号までが記述されているとのこと。いずれも毎月発行されていたらしい。 コミックPOT (2001/9-2006/6) †読みは「コミックポット」。「コミックライズ」の後継誌。2001年9月号(?)〜2006年6月号まで毎月発行されていた模様(最終号が2006年6月号であることは現物確認済み)。 【参考】その他の「花いちもんめ」関連の雑誌 †
【参考】「花いちもんめ」の「通巻」の数え方について †前述のとおり、「花いちもんめ」の「通巻」の数え方*8は一般的なものと異なっている可能性がある。通常であれば、「花いちもんめ」独立創刊号を「通巻1号」として、本誌のほか「花いちもんめ増刊」として発行されたものをすべて含めてカウントするのだが、「花いちもんめ」休刊号の通巻表示を見るとそうはなっていないようだ。 以下は仮説である。 まず、最終号(1995年2月号)には「第5巻 第2号 通巻51号」と表示されており、同号掲載のバックナンバー案内のページを見ると、前号の1995年1月号に「No.50」、前々号の1994年12月号に「No.49」と併記してある(最終号は「No.51」にあたる)。そこから、この「花いちもんめ」本誌のNo.数字が、そのまま通巻として表記されているのではないか、と推測できる。だとすれば、増刊号がカウントされていないことになる*9。 また、この通巻の数字を休刊号の51から逆算していくと、通巻1号(No.1)は、当時「デラべっぴん」の増刊号として発行された「花いちもんめ」創刊号(1990年12月号にあたる。ただし、正式な号数表記は“No.1”)に相当し、ぴたりと数字が合う。この点からも、最終号における通巻の数は「花いちもんめ」本誌のみをカウントしたものと推定できる。 しかし、ここで「花いちもんめ」独立創刊当初の何号かの通巻表示を参照すると、実はそれとは異なる数え方がされている。 創刊当初は「デラべっぴん」の増刊だったため、号数表記は「No.x」のみで月号表記が無く*10、通巻の表示も無かった。その後、独立創刊*11となった1991年4月号は未確認だが、次号5月号は「第1巻 第2号 通巻2号」、次々号6月号は「第1巻 第3号 通巻3号」と、独立創刊号を通巻1号とする一般的な通巻の数え方がされているのである。独立創刊時点でのこの数え方が、どの時点で最終号での数え方(増刊時代の創刊号を「通巻1号」として本誌のみをカウントする)に移行したのか、今のところ不明である。 ただ、1991年6月号(「第1巻 第3号 通巻3号」)には背表紙にあたる部分の号数表記に「6月号」と(やや小さく)「No.7」の2つが併記されており、独立創刊以前、増刊扱いの頃からの通し番号が付けられているのが興味深い。*12 |