2001マンガベストテン
1999マンガベストテン
つれづれなるマンガ感想文’01
一気に下まで行きたい
これがふぬけ共和国的
2002〜2005年マンガベストだ!!
前回のベストテンから、はや4年。前回、前々回と比べてますます絞り込んだ結果となった。というか、この4年間で私ごときがマンガ界全体を俯瞰したベストテンなど不可能だということを思い知ったというべきか。
このため、以下のベストテンはむしろ現状のマンガ界とは関係ない、逆を行っているような作品を選んだ。
この4年間は、何となく「セカイ系」的なものとの(妄想幻魔大戦的な)戦いであったように思う。
この「セカイ系」なる言葉、いまだに有効性があるかどうか疑問だし、定義に混乱も見られるようなので、はてなキーワードの説明を引用して説明する。
(以下、引用)
セカイ系
■概念
過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。
『新世紀エヴァンゲリオン』『ほしのこえ』『最終兵器彼女』などがこれにあたる。
小説なら『イリヤの空、UFOの夏』や、桜井亜美や田口ランディの作品など。
[きみとぼく←→社会←→世界]という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指すという定義もあるようだ。特に『最終兵器彼女』などは、“きみとぼく”が「世界」の上位に来ている、すなわち「きみとぼく」の行動で「世界」の行く末が決まってしまうという設定であるのも興味深い。
(以下略)
(引用終わり)
断っておくと、私は「ほしのこえ」はセカイ系だと思っていない。最後に主人公が、物語的に破綻のない程度にあり得るやり方で「きみ」に会おうとする展開だからだ。
むしろ「ほしのこえ」をセカイ系にカテゴライズするのは、混乱を招くと思う。
なお、「最終兵器彼女」を「かがみあきら的」と表現するテキストも見かけた。確かに80年代オタク(ロリコン)文化とセカイ系は密接な関係があるが、やはり時代背景が違うのでそのアウトプットも違う。高橋しんはおそらくかがみあきらリスペクトでも何でもないと思われるので、むしろ重要なのは常に似たような作品のアウトプットが、「系譜」を追っているわけでもないのになされるという点だろう。
まあそれは別の話。
「セカイ系」という言葉を使うだけで、何やら議論の方向性もどこかにひきずられそうなので他方面から補足する。
世界がすでに正義でも悪でもない圧倒的な力に支配された後の物語「エイリアン9」、同じく圧倒的な力に支配され利用される少女たちの物語「GUNSLINGER GIRL」、井上敏樹の手がける平成ライダー、紀里谷和明監督の映画「CASSHERN(キャシャーン)」、いずれもが共通点を持っている。
それは、個人と世界全体とがほとんど媒介なく直結したり、あるいは逆に決定的な断絶から出発しているということだ。
それが時代の流れと言えばそれまでだけど。まだこれだけでは話は終わらない。
「あ〜ぼくらと世界は断絶してるんだ〜」と思えて感傷にひたれるだけならまだ御の字。
そこまでの精神的余裕のない人たちは、もっと刹那的快楽にふけっているように思える。「世界と断絶」って、単に観念的な話ってだけじゃなくて、「地元」の地縁・血縁関係の断続的な、そして後戻りできない崩壊とも気分的には関係しているに違いない。
具体的には、都心では70年代中盤に住宅建設ラッシュがあり、30年経ってそこで築かれた地縁・血縁が子供の代になり、リセットされつつあるということ。
地方では、人がどんどん都会に出てきているからやはり断絶は進んでいると思う。
いやそりゃ確かに、戦後一貫して今に至る道を歩み続けたとは思うよ。わが国は。
今に始まった問題じゃなくて。
しかし、「本当にあんたらこのままでいいのか?」って最近いつも思うんですよ。
いろんな手続きをすっ飛ばして、うまく行くわけないじゃないですか。
あるいは振り子が振れるように、とにかく手続きの重要性ばかり訴えるような作品も多いね。これも「セカイ系」の裏返しなんである。
手続きがあまりにも実際的でありすぎ、世界観全体を掴むところまで行ってない。
むろん、「単なる実用性」ってとても重要だけど、それはわざわざ「物語」として語られることでもないでしょ。
そんなわけで、そのような「退屈」にだけ抗することのできる作品だけを選んだ。
面白いことに、今年も10作選ぼうと思ったら12作になったよ。4年間のものから選んだけど。
あと、私は「エイリアン9」と「ガンスリ」は好きですよ。
また、「セカイ系」的な世界観に捨て身で挑んで「物語」をつかみ取った作品として、田中ユタカの「愛人(あいれん)」をあげておきたいですね。
・なお、少女・レディース系もごっそり抜けてます。
・同率一位。順序は関係ない。
まあ、でもどうせこんな長文、みんな読まないんでしょ!?
以下、やっと本題。2002〜2005年ベストです。
・「魔神王ガロン」全2巻 手塚治虫、永井豪(2005、KKベストセラーズ) [amazon]
えーと、内容は同人誌に書いたので同人誌を買ってください。ただこういういい意味でユルい作品のリリースを許すというのは、いろんな人の描いたブラック・ジャックと合わせて手塚プロは面白いことするなあと思った。
・「喰いしん坊!」 土山しげる(2005、日本文芸社) [amazon]
正直、この作品を読むまで私は土山しげるを甘く見ていたところがあった。しかし「気晴らしのために読むマンガ」を、職人的に突き詰めていると思う。また「大食い」というそれだけでキャッチーな題材を思いつきで扱うことなく、かなり取材しているのではないかと思われるところも好感。また、倫理観がキッチリしているのもいい。
・「ぼくとすずなのいた夏」 野田ゆうじ(2002、マガジンマガジン) [amazon] (→感想)
成年コミック。本作は倫理観どころか、真逆の背徳を突き詰めているんだけども、なんかロシアの神秘主義的な秘宝とかが出てきて、普通のエロマンガ的展開じゃなくなってきてる。ちなみに単行本が2巻出てまだ連載が終わっていない。
実は主人公の受け身な感じは前述の「セカイ系」の延長線上にあるのだが、展開があまりにぶっとんでいるのでそんなことは忘れさせてくれる。
・「俥屋甚八暴れ太鼓」 倉科遼、杉浦要之介(2005、増刊激漫スペシャル連載、竹書房)
俥屋修行をしている極道の息子・甚八が、毎回美女を助けるという1話完結モノだが、なぜか毎回助けた女を抱え上げ、「折檻ーーっ!!」と言ってお尻を叩くというセクハラマンガ。結末は「女性のお尻を叩く」ということで毎回同じ。
昔、小池一夫のマンガで、やはりほとんどエピソードの結末には女性のお尻を叩く「ぶれいボーイ」という本当に無礼だよなマンガがあった。新・子連れ狼などが連載される中、まさかあの「ぶれいボーイ」のオマージュ作品が21世紀に登場するとは……。
あらゆる意味で驚きを隠せないマンガであった。ちなみに2006年1月3日号で完結している。
・「ガキ警察」 藤井良樹、旭凛太郎 [amazon]
常に「ぶっとびマンガ界」に話題を提供してくれる少年チャンピオンからは、あえて本作を選んだ。
本作は並み居る他のぶっとんだチャンピオン作品に比べると、しごくまっとうなマンガのように思える。不良少年が警察の権限を得て、裏社会で活躍する……まあ少年チャンピオン的には普通のマンガなのだ。
しかし、その価値はあくまでもおとしどころを古い「物語」に持っていくところにある。グレた原因のある者は改心し、心底腐った悪人はブチのめされ、人の善意は報われる。偽悪者が偽悪者でいるためには、この世にある程度「善」が存在する余地がなければならない。扱っている題材(盗撮、自殺サイト、ドラッグなど)に比べてあまりにも定番な結末を毎回迎えるがゆえに、この作品を愛する。
・「夏目&呉の復活! 大人まんが」 編著:夏目房之介、呉智英(2002、実業之日本社) [amazon] (→感想)
刊行当初もまったく話題にならなかった気がする(なっていたら失礼)。かつて「大人まんが」と言われた作品のアンソロジーだが、本書を読むといかにマンガが「大人/子供」のものから、少年、青年のものになっていったかがわかる気がする。
ある時代まで青年は通過儀礼を経なければ、決して大人の世界へ入れてもらえなかったものだが、それへの反発からか、少なくともマンガにおいては、青年は青年にとっての居場所をつくったのである。その世界はとても広く、ほとんどいつまでもいられる世界と言ってよかった。
このため、マンガの世界では「大人の世界」はほとんどなくなってしまった。
そしてまた、「青年の世界」をも居心地が悪いと感じた人たちが今度は「オタクの世界」をつくったような気が、自分はちょっとする。
大人マンガはいかなる意味でも、もう二度と復活しないだろう。そういう意味で郷愁を込めて本書を取り上げた。
・「晴れた日に絶望が見える」 あびゅうきょ(2003、幻冬舎) [amazon] (→感想)
「絶望モノ」としては、本書から現在まで続いているがいちおう本書を取り上げる。このシリーズ、いつフェミニズム方面や本物のマッチョな方々から文句が出ないかこっちの方がハラハラしてしまう。それくらいこの作者が作品で主張していることは「単なるわがまま」に近い。
しかし、「わがまま」で終わらない点が(こういう作品を批判する側にとっての)一種のガス抜きになっていることも予想できる。それは「少女の肉体を持ちたい」という、80年代美少女マンガを論じるときによく言われたことをそのまま作品で体現している点にある。だがそれを取ったら「戦争のない世の中で男という性は必要ない」というたいへんに悲惨な主張である。
このような主張が男性側からなされることは、もう世代的にはこの作者以下の年代からはなくなってしまうと思う。なぜなら、肉体は手に入れられないかもしれないが、後続の世代は屈託なく、少女の精神性は手に入れてしまうかもしれないからだ。
だからこそ、これもまた郷愁を込めて取り上げてみた。
・「麗怪美男」 香代乃(2002、小学館) [amazon] (→感想)
「いい男になら何をされてもOK」と主張することに、何のエクスキューズも必要なくなった時点で少女マンガは消滅したと思う。後は女性マンガではあっても少女マンガではないし、それが悪いことでもたぶんないんだろうね。
香代乃もまた屈託なく「いい男ならオールオーケー」と主張するヒトだが、他の表現がいちいち過剰で非常に見込みのある作家だと思う次第である。
・「ウホッ!! いい男たち」 山川純一(2003、第二書房) [amazon] (→感想)
「やらないか?」という言葉を流行らせたホモマンガ。まあ細かいことはもういちいち書かないが、ここから何かが生まれることないだろう。しかし存在し続ける。そんなところを買う。
・「ファミレス戦士プリン」 ひのき一志(2004、少年画報社) [amazon] (→感想)
いわゆる「萌え文脈」から見ても、このマンガの表現は古いだろう。言うなれば1995年以前の表現なのだが、何も最先端ばかりがいいってわけでもないんじゃないの、と思ったので入れた。
・「呪いのB級マンガ〜『好美のぼる』の世界〜」 監修:唐沢俊一&ソルボンヌK子(2002、講談社) [amazon] (→感想)
おなじみの感のある、貸本マンガ時代のぶっとんだ怪奇マンガ(の、とくに好美のぼる作品)を集めた本だが、確か商業出版としては本書以降、貸本マンガの本って出ていない気がしてたいそう寂しいので入れた。
・「平成義民伝説 代表人(だいひょうびと)」 木多康昭(2002、講談社) [amazon] (→感想)
少年マガジン連載の、わけのわからなすぎるギャグマンガ。木多康昭自身は今もバリバリ描いている人だと思うが、どん詰まり感とネタの無意味性がすさまじく、この作品の後継者はたぶんいないのではないかと思うので入れた。まあ後継者ってどんなだよと言われるとアレだが。
・「ぷるるんゼミナール」 ながしま超助(2002、双葉社) [amazon] (→感想)
成年コミック。読めばだれもがあっけに取られる傑作Hコメディ。こういう作品が評価されなくなったら、日本は本当におしまいなので、我々(だれ?)は常に監視の目を光らせていなければならない。
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