つれづれなるマンガ感想文3月後半

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一気に下まで行きたい



【ミュージカル】・「ふしぎ少女探偵 キャラ&メル」 脚本:砂本量、演出:吉川徹(2005、於:サンシャイン劇場)
・「ハレンチゴルファー十べえ」全1巻 永井豪(2005、学研)
・「みかにハラスメント」 水兵きき(2005、スクウェア・エニックス)
【映画】・「トルク」 監督:ジョセフ・カーン、脚本:マット・ジョンソン(2004、アメリカ)
【映画】・「ツイステッド」 監督:フィリップ・カウフマン、脚本:サラ・ソープ(2004、アメリカ)
・「刃(JIN)」 4/7増刊号 Vol.11(2005、小池書院)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【映画】・「鉄人28号」 監督:冨樫森、脚本:斉藤ひろし、山田耕大(2005、日本)
【映画】・「ローレライ」 原作:福井晴敏、監督:樋口真嗣、脚本:鈴木智(2005、日本)
【CD】・「2nd w」 W(ダブルユー)(2005、zetima)
・「結界師」(1) 田辺イエロウ(2004、小学館)
・「アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ」 カート・ビシューク、ブレント・アンダーソン、アレックス・ロス(2005、ジャイブ)
・「everybodyeverything」 ウィスト・ポンニミット(2005、マガジン・ファイブ)
・「戦場コミックシリーズ『本土防衛戦』」 松本零士(2005、小学館)
・「戦場コミックシリーズ『第三帝国の黄昏』」 松本零士(2005、小学館)
【CD】・「3rdステーション」 後藤真希(2005、ピッコロタウン)
【小説】・「王を探せ 鬼貫警部事件簿」 鮎川哲也(1979、2002、光文社)
・「シャイニング娘。」4.Number Four  師走の翁(2005、ヒット出版社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【雑誌】・「週刊少年マガジン」14号(2005、講談社)
【雑誌】・「週刊少年マガジン」15号(2005、講談社)
【雑誌】・「週刊少年マガジン」16号(2005、講談社)
【雑誌】・「週刊少年サンデー」14号(2005、小学館)
【雑誌】・「週刊少年サンデー」15号(2005、小学館)
【雑誌】・「週刊少年サンデー」16号(2005、小学館)
【雑誌】・「映画秘宝」3月号「脱力 映画秘宝トホホ大賞」(2005、洋泉社)
【映画】・「ロボコップ」 監督:ポール・バーホーベン(1987、米)
【映画】・「ロボコップ2」 監督:アーヴィン・カーシュナー(1990、米)
【映画】・「ロボコップ3」 監督:フレッド・デッカー(1993、米)






【ミュージカル】・「ふしぎ少女探偵 キャラ&メル」 脚本:砂本量、演出:吉川徹(2005、於:サンシャイン劇場)

(以下、ネタをばらしまくりますのでご注意を。)

W(ダブルユー)(辻加護)主演のミュージカル。アヤカ、仮面ライダー555役の半田健人も出てた。

キャラ&メルは、少女探偵の姉妹。いつもワクワクする事件解決の依頼が来ないかと待っている。
ある日、音楽博物館の館長・佐々木ダミアーニから依頼が来る。盗まれたヴァイオリンを二日以内に取り返してほしいというのだ。二人は「これぞ自分たちが待ってた事件!」と勇んで博物館へおもむくのだが……という話。

序盤、意外なほど「おはスタ」のミニドラマと連動していることにビックリ。逆に言うと、「おはスタ」のミニドラマを見ていないととまどう部分が少しあると思う。二人がなぜ光の精霊を操れるのかとか。飼い犬・マキアートの存在とか、「げんちゃく〜!」も、劇中に説明がなかった。

お話の流れ的には、桜木伊音(半田健人)の最初の登場シーンがなんだかよくわからないところを覗けば、ほぼ違和感はなかったと思う。
「ふしぎ少女探偵」のコンセプトどおり、暗号クイズ、イリュージョン、客席の子供たちに正解を聞いてみる、ダンスや体操的な動きを取り入れた殺陣など、盛りだくさんの内容。コレはかなり楽しめた。

感心したのは、クライマックスの殺陣がユーモラスでテンポがよかったこと。
敵が投げてくるヒモを利用して逆にぐるぐるまきにしてしまったり、辻ちゃんが人の背中に張り付いたまま宙返り(何という名称かわからん)したり。
悪魔に洗脳されていたかれん(アヤカ)が、キレて戦闘員を棒でしばき倒し、そこに恋人の伊音が現れたら急にか弱いフリをする……などの小ギャグが入っていたりと、けっこう考えてる。

推理的な要素がどの程度入っているかも個人的には気になるところだったが、さすがに小学校低学年を対象にしているからだろう、そんなに複雑な話ではない。
だが、犯人だと思っていたのに犯人じゃないとか、ヴァイオリン盗難事件の裏にもうひとつ事件があるとか、推理ものというより冒険もの寄りの少年探偵小説を彷彿とさせるプロットで、これにはおおむね満足した。

また、演出面では「音楽博物館」のイメージとして「楽器を持つマネキン人形」(役者さんが演じている)みたいなのがいて、それがそのまま魔界のあやしげな雰囲気を同時に醸し出すというのが活きてましたね。

辻・加護二人に関しては、おそらくかなりアドリブだと思われる部分があり、余裕でこなしていた感じ。お客さんにリピーターが多いことも意識していて、圧倒的なホーム感があったことも後押ししてのことだろう。
覚えているアドリブらしきセリフとしては、
メル(辻):「今日はお弁当食べておかなかったね。」、(ドーナツを2つ、頭に乗せて)「ピカチュウ〜!」
キャラ(加護):「鋭い。八重歯が鋭い。」、(神父さん役の人に対して)「すごいね。あの人、毎回(役づくりが)違うんだもん。」、それと伊音に憧れるシーンで「イケメンだから……」と言うところは、かなり工夫しているように思われた。

「ピカチュウ〜!」は、客席の子供にすごいウケていた。やっぱり子供にウケなきゃダメだよねこういうのは。

その後、ミニライブ。
実はミニライブがあるということを忘れていたので、すごいお得感がありました。 しかし、全員立ち上がっちゃうと後ろの子供が見えないよね。それが少し気になった。

全体通して思ったのは、辻加護の二人はツーカーでアドリブが出せるんで、もうちょっとセットなどの費用はおさえて台本もあらかじめのアドリブ部分を増やした脚本でもじゅうぶんイケるのではないかということ。本筋からはずれてすぐ戻る方法をもっともっと学べば、面白いことになると思いました。

正直、娘。関係のミュージカルは、テレビで見るかぎり「コレは金払って見に行く気はしないなあ」と思っていたんですが、今回のは似たようなもの(博品館劇場でやってた子供向けミュージカルとか、セーラームーンミュージカルとか)と比較しても遜色のない出来だと思いました。

いいよねやっぱりこういうのは。
(05.0331)



・「ハレンチゴルファー十べえ」全1巻 永井豪(2005、学研) [amazon]

コミックビッグゴルフ連載。ハレンチ学園の十べえや山岸、ヒゲゴジラたちがゴルフをやるという趣向で、対戦相手はあばしり一家の菊の助だったりスパルタ学園の面光一だったりする。 当然、「OB出したら服を1枚ずつ脱ぐ」などのルールが課せられたりする。パラパラっと読んだかぎりではあまりのデスエロスっぷりに目眩がしたのだが、じっくり読んだら「嗚呼、これが豪ちゃんなんだ」と思ってしまえるから恐ろしい。

「ハレンチ学園」に出てきたスパゲッティ・ジェーンの隠し子でプロゴルファーのローラ・フォトチーネというのが出てくるんだけど、この人が全裸にカウボーイハットかぶってガンベルトにゴルフクラブをつり下げている金髪美女、なんだよ。
もうメチャクチャじゃないですか。絵柄もハレンチ学園の頃に比べると若干リアル系になってるんで、よけいにおかしいし。
まあ、もちろんそれがいいんだけどね。

まあ、だいたい十べえが小学生という設定自体が決定的におかしいんだけどね。しかも「ロリコン」イメージのロの字も出てこないのが豪ちゃんらしい。
あ、当然「けっこう仮面」も出てきます。

「ピンクのグリーン」同時収録。
(05.0329)



・「みかにハラスメント」 水兵きき(2005、スクウェア・エニックス) [amazon]

確かガンガンパワードに掲載。みかという女の子が毎回ひたすらにセクハラされるという、寸止めHマンガ。
第1話が「女の子が裸なのがエッチではなく、服を着ているのがエッチ」な世界に入ってしまう「えっちじゃないせかい」、
第2話が急に頭のよくなった犬に女子高生たちが犬として扱われる「犬のせかい」、 第3話が、天才幼稚園児に園児&おむつプレイを強要される「子供のせかい」。

本作に関しては、何をどう書こうと語弊がありすぎるので困ってしまうが、とりあえずほとんどぜんぶ羞恥責めになってるのが作者のシュミなのかどうか。あと、仕入れた変態プレイ知識がエロゲー中心じゃないかという気がしていることとか。そんなことが気になるというかどうでもいいというか……。

後はまあ、ガンガンパワード読者はビックリしたらしいが、少年誌のエロ度としてはもっともっと過激なのが昔いっぱいあったからね、マンガってホントにイメージが過去から連鎖していかないというか、断絶の連続(そんな言葉ないか)なんだなあ、って思う。
昔の月マガのエロコメとか、そういうのを含めても本作は「プレイ」としてテーマを立てて固め打ちしているのが目新しいと言えば目新しいんだけど、それが何を意味するのかということを考えると「エロゲーで仕入れたんだろうなあ」という感覚しかないわけで。

そういう意味では、本作のエロ部分をマンガ、アニメ、ゲームのエロの歴史をかんがみて解説するのはなかなかむずかしいんではないかと思う。もう時代は一周しちゃってるしね。

「かすみ♂(オトコノコ)」(女の子が神罰によって、1日身体だけ男の子になってしまうというこれも一種の羞恥もの)、「魔法少女るかなー」同時収録。
(05.0329)



【映画】・「トルク」 監督:ジョセフ・カーン、脚本:マット・ジョンソン(2004、アメリカ) [amazon]

公式ページ

タイからひさしぶりに帰ってきたバイク乗りのケアリー・フォード(マーティン・ヘンダーソン)。彼はドラッグの売買やバイク盗難などの疑いを持たれたまま、恋人のシェイン(モーネイ・マザー)から姿を消していたのだった。
彼は彼女を巻き込みたくないがためにしばらく隠れていたのだ。自らの疑いを晴らすために動き出すフォード。トレイ(アイス・キューブ)率いる暴走族を巻き込んでの戦いが始まるのであった。

いやー、アメリカにも暴走族映画ってあるんだな、と思った一品。というか、むしろあっちが本場なのかな。
ピカピカしたバイク、四輪が次から次へと轟音を立てて登場。登場する男たちはスリル・スピード・セックス(古い)しかアタマにない。女たちは全員オッパイがでかくて、ビッチか自立してる。対立するフォードとトレイはバイクで競い合っているうちに友情が芽生えたりする。クライマックスの路上バイクおっかけシーンはあまりにもやりすぎで笑ってしまう。

アマゾン評を読んだが、面白いと言っている人でも「脚本がよくない」とか「内容が薄っぺら」とか書いてる。まったく理解できない。この脚本、よくできてますよ。ヤンキーもの、チンピラ映画としてはあまりにも正しい。展開もダレ場がない。娯楽映画では、ダレ場がないのが正しい展開。
「ウチのシマではドラッグだけは扱わせねえ」とか、そういう安くてもきちんと「仁義」が通っているのは正しい。
テイストとしてはマンガの「TWO突風!」とか「TOKYOTRIBE」などが近い。けど、まあよくも悪くも本作の方がずっと「王道」なんだよね。それが悪いことだとは思わない。アメリカでは、本作みたいなパターンをすでに解体させたり微妙にずらしていくことによって何かを突破しようとする試みはなされており、そういうのはそういう人に任せておけばいい。

ラストシーン、主人公たちはバイクでメキシコへと去って行くんだけど、「イージー・ライダー」を見た後に本作を見ると、あまりの脳天気さにあきれを通り越して楽しくなってきてしまう。ま、それがイヤなら見ないことですな。
(05.0329)



【映画】・「ツイステッド」 監督:フィリップ・カウフマン、脚本:サラ・ソープ(2004、アメリカ) [amazon]

公式ページ

有能な捜査官・ジェシカ(アシュレイ・ジャド)は、ゆきずりの男と寝る癖があった。念願の殺人課に栄転となったジェシカは、最初に担当した殺人事件の被害者がかつて寝た男だと気づく。二人目の被害者もそう。酒を飲むと意識を失い、その間に殺人が起こっていることから、「自分が眠っている間に殺人を犯しているのでは」という疑惑に取り憑かれる。

真相はすぐにわかる。ま、2時間ドラマですね。アシュレイ・ジャドの顔演技にときどきイラッとくるのは私が好きなタイプの女優じゃないからですねきっと。アマゾンの感想に「犯人当ての興味しか存在しない、そういうのがお好きな人だけどうぞ」というような、ミステリとかサスペンスを低く見るような発言が載ってるけど人の口に戸は立てられないとはよく言ったものだなあと思った。
要するに、犯人当てとしてありきたりだから問題なわけで。

でも、DVDで、なおかつそういうのを見慣れてない人は、レンタルぶんは楽しめるとは思います。
(05.0329)



・「刃(JIN)」 4/7増刊号 Vol.11(2005、小池書院)

小池一夫オンリーマガジン。
伊賀和洋の作画で「レイザー−剃刀−」が新連載。
1886年アメリカ。警察官・マグローは、十手を持った「傷(マーカス)」と呼ばれた謎の日本人と出会う。死に場所を探しにアメリカまでやってきたという男の真意は……という出だし。
面白いが、伊賀和洋は描く女性がエロくなくなったなー。

原作/山手樹一郎、作画:池辺かつみ「桃太郎侍」があいかわらず面白い。池辺かつみは描く女の子がわりとかわいいし、コマ割りが比較的イマ風なのが良い。

新連載が始まるので何かが終わるのかな、と思っていたら「男弐」がいつの間にかなくなっていた。前号で最終回の告知、あったか?
(05.0329)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

いつも思うんですが、もういろんな細かいことをすべて「勝ち負け」に還元するのはやめようと思います。
たとえば、走って乗れそうなエレベーターに乗れない→負け、コンビニで買い物したときに、瞬時に小銭が取り出せない→負け、など。
もう、2勝5万敗くらいの勘定になってますから。
「負け犬」とか何とか言っていられるのは、実は勝っているからという逆説ですよ。

もう本当にやめよう。
このままじゃノイローゼだ。

でも急に思ったけど、そういう勝ち負けの領域からうまいこと脱しているキャラというのが私の周りにいないから、というふうに人のせいにするのはどうだろう。
老人が勝ち負けの基準から脱しているのは、彼らは生き残っているだけで一種の勝ち組だからです。
そういう観点で、いわゆる仙人思想というのを私は信じません。

何考えてるんだおれは。もう本当にやめよう。

3月27日放送分。

公式ページ

クイズに答えてごちそうゲット! 春はみちのくお花見娘
パ・リーグ開幕ということで、楽天イーグルスがらみの企画。クイズに答えると、東北グルメが食べられるというもの。
テレ東得意のグルメ番組であり、お昼どき放送であり、みんなのがっつくキャラが見られるという鉄板企画ですね。
それゆえに、司会が仙台出身の村田さんという以外、目新しいところはなし。

先に勝ち抜けて食べている人たちをうらやましそうに見ている紺野が、画面に映っていることに途中で気づいてわずかに口を閉じたのがツボにはまって笑ってしまった。

あと、田中れいなはデニムのミニスカートとオーバーニーソックスが鬼のように似合っていたので、深く納得。
高橋愛のなんか乙女なファッションもよろしいということで。

コント「ハロモニ。公園」。ダブル細毛数子のそれぞれの飼い犬(道重と矢口)が、えんえんと芸をしたりふてくされたり、小学生役の辻加護にからんだりするという、こうして書いていても日曜の昼下がりに脳が死んでいくような感じ。
まあ、最初からそういうモンですけどねこのコーナーは。

エリック亀井の毎度ありぃ。エリック亀井ではなく、エリーゼ亀山というウェイトレスが先週に引き続き登場。
後はレギュラーの中澤裕子に、藤本と道重。
今回、やけに長かった気がするなあ。
でもこのダラッとした感じがたまらなくいい。

前回の放送

(05.0327)


【映画】・「鉄人28号」 監督:冨樫森、脚本:斉藤ひろし、山田耕大(2005、日本)

公式ページ(注意:音が出ます)。

ある日、怪ロボット・ブラックオックスが街に現れ、タワーを破壊するなどして暴れ回る。
一方、金田正太郎少年のところに綾部と名乗る老人から電話が。綾部は、正太郎の祖父・正吾郎が第二次大戦中に開発し、父・正一郎が引き継いで研究した「鉄人28号」を持っていた。
息子である正太郎に、コントローラーを使って鉄人を操り、ブラックオックスと戦えと言う綾部。いやがる正太郎だったが、「臆病ものだ」と挑発され鉄人を操縦、しかし不慣れであることとビビリによって、街に甚大な被害を出してしまう。
明らかに違法である鉄人は解体されそうになるが、天才少女・立花真美によって対・ブラックオックス用に再改造を施されることになる。
正太郎は、果たしてブラックオックスに勝つことができるのか?

テレビ予告編の、あまりにハリボテ風のCGを見て「大丈夫か」、「ふざけるな」などの意見をあちこちで聞いたが、映画全体としては実によくできている。
なんだかねえ、泣ける映画じゃないのに個人的ツボに入っちゃったみたいで泣けて来るんですよ見てると。

「ローレライ」(→感想)との関連で行くと、ブラックオックスをつくった悪のマッドサイエンティスト・宅見零児もまた、見事なまでに「高邁な理想を持ちすぎているために民草を犠牲にしても何とも思わないエリート」で、この設定だけでまああまりにも大幅にずっこけることはないと思いましたよ。

それに、他にも「ローレライ」と共通するところはあって、たぶん根底には「今の日本はまるでダメだけど、そんなに落ち込むもんでもないんだ、がんばろう」っていうことを示そうという意図があると思う。
「鉄人」は、第二次大戦の遺産だけれども、最近のアニメ版「鉄人」のように「兵器」としての象徴ではなく、むしろ日本の工業力の象徴。それが祖父から父、子へと受け継がれているのは、過去からの正の遺産を現在に引き継ぐという意味がある。
さらにそれを、現代技術で真美が再改造するわけだから、本作における「鉄人」っていうのは祖父の代からの技術力の結晶として描かれている。

これ、実に正しいと思いますよ。この間やってたアニメ版鉄人が、あまりにも「先の戦争の負の遺産であり、兵器でしかない」っていう描き方をされていて、心中フザケンナヨ、とか思ってましたもん。

他にも、鉄人の開発やメンテナンスを支えてきたらしい職人的技術者の存在や、逆に真美のような若い世代のホワイトカラー、正太郎の母親や友達など、みんなの願いが正太郎に集積されていく。この過程がものすごく真っ直ぐで、イイんですよ。

一方の宅見零児は、「日本を壊滅させて理想世界をつくる」という理念だけはわかるんだけどいまいちハッキリしない、エゴの権化のように描かれている。
「ローレライ」もそうだったけど「伝統」、「伝統」といっても格式張ったものではなくて、親から子へ引き継いでいく自然な、カタチのない文化みたいなものと、ポッと出の、というか一代かぎりっぽい傲慢なる天才との戦いという図式になっていて。

そういう図式自体が、本当は少なくとも60年代以降の日本のヒーローもの、勧善懲悪ものとしては「伝統」であるはずなのに、ひさしくそういうのを見てなかったのでね。本当にすがすがしい気持ちになりました(今、思い出したけど「オトナ帝国の逆襲」は、この「伝統」に対する考えをキレイに逆転させて対立させているところが面白かった。悪の方が高度成長期への伝統回帰を叫ぶんだよね)。

正太郎が鉄人の操縦をシミュレーションマシンで特訓するシーンがあるんだけど、ベタなんだけどすごくイイ。他にも、要所要所の人物描写がしっかりしているので、ベタでも見ていられる。

まあ、肝心のクライマックスは、「鉄人とブラックオックスがつっ立ってド突きあってるだけ」という、アンガールズのネタの「プロレスゲーム・素人同士対戦」みたいになってたのは確かにアレです。
しかし、「お互いの戦闘データを記録して参照しながら動いている」という、よく考えると変だけど映画を見ている間は気づかないもっともらしいウソでわりとうまく誤魔化されていたのではないかと。

この映画、手堅すぎるために目立たないとは思うんだけど、ベタな中にもイマドキなテーマを描ききっているということは忘れちゃならないと思う。

あ、女刑事役の中澤姐さんもなかなかよかったですよ。
(05.0326)


【映画】・「ローレライ」 原作:福井晴敏、監督:樋口真嗣、脚本:鈴木智(2005、日本)

公式ページ(注意:音が出ます)。

第二次世界大戦中、敗色濃厚な日本。広島に原爆が投下された。海軍軍令部作戦課長の浅倉大佐は、絹見少佐をドイツから接収した潜水艦「伊507」の艦長に抜擢。本土への原爆投下を防ぐため、出撃作戦を決行した。
「伊507」には、ドイツが開発した、戦後世界のカギを握る「ローレライシステム」という秘密兵器(平気というよりレーダーみたいなもの)が搭載されていた……。

以下は、戦争映画、ミリタリー趣味、戦史・戦記、福井晴敏作品、いっさいの知識に乏しい人間が書いたものだと前提にしてください。
さらに、極力、制作者インタビューなども読まないで書いてみます。

結論から言うと、私にはこの映画に深い納得があった。「ああ、コレは過去の戦争を描いていて、現代を描いているな」という納得。
それも、現在30代半ば以降の人が描く「現在」がある、という納得だ。

まず、少女・パウラの描き方。
80年代前半のロリコンブームにはいろんな意味があると思うが、とりあえず「自分(男)たちのピュアの象徴」としてマンガやアニメで少女が描かれることが多かった。
それは理屈がどうこうというのではなくて、ただ漠然と描いていると自然とそうなってしまうような感じだったのである。
「少女」に対する過大な役割負担、「ピュアであること」への過信というか持ち上げ、そういうところがあり、それは同時代的に批判もされた。
大塚英志の「おたくの精神史」における岡田有希子のくだりはそういう文脈なんだろうし、佐藤健志という人も著作で安彦良和の少女の描き方をえらく批判しているのを読んだことがある。
簡単に言えば「都合がよすぎるじゃねェか」ということで、間違ってはいないのだが、「脆弱な少女に自分のピュアな部分、イノセントな部分を荷担して表現する」というのは、80年代を通じてものすごく間違っていたかというと、そうではないと思う。
繰り返すが、自然にそうなってしまっていたのだ。
現在のマンガやアニメに一定のパターンがあるとすれば、それと同じである。その時代時代のパターンというものがある。

で、それから15年くらい経ってエヴァンゲリオン。
関係ないが、エヴァを引き合いに出してレビューする人、私が知るかぎり少ないね? 出た当時より、今の方がその意味がわかるのに。時代の補助線として。
「エヴァ」では、「ピュアな少女、イノセントな少女」を大人たちが利用するばかりか、「製造」までしているという、80年代初頭には控えめな希望だった「少女」が、時代がひとまわりしてそのあり方において絶望ですらあることが示唆される(「最終兵器彼女」とかもそのたぐい)。
けっきょく、テレビシリーズでは作品が自壊してしまい決着がつかず、映画で完結してはいるんだけれどもまあ、なんだかよくわかんなかったよね。
あの頃の宙づりにされた状態から、現在が続いている。

樋口真嗣の作品は「ガメラ」とかは見ているが、映画はだれがどこにどんなアイディアを出しているかわからないのでよくはわからん(監督は金子修介だし)。よくはわからないが、樋口監督がどのようなかたちにせよ、アニメ的な典型的な少女の登場のさせ方に違和感を持っていない可能性は大いにある。
しかも、90年代半ば以前のヒロイン感を持っている可能性はある。

で、福井晴敏。彼は1968年生まれだというから、まさしく「そういうパターン」のアニメやマンガに浸かってきた世代。実際どれほどマンガやアニメが好きかは知らないが「ローレライ」のアイディアは明らかに「エヴァ」で行き着くところまで行き着いた「少女」のイメージだ。映画を見るかぎりは。

「エヴァに影響受けてるじゃん」で終わらせずに、長々と前置きを書いたのは、本作は映画として、エヴァンゲリオンのテレビシリーズで最初に「少女の描き方」を問題定義して、最終的にはぐちゃぐちゃになってしまったもの「以前」でとどめてパウラを描いていることをたぶん意識しており、ほぼ同世代として自分は深く納得したからだ。
この映画、パウラが自己主張を始めて周囲を批判しだしたら、プロットがすべて瓦解してしまう。
「エヴァ」以降のことだと思うが、いろんな作品がソレをやってきた。
でも、それをやっちゃうと2時間で終わらないのである。
ここにこそ不満を抱く人もいるかもしれないが、本作は「女の子の強さ、優しさ」にゲタを預けているという点において、私が勝手に思っているだけだけど「三十代以上の人の作品だなあ」と感じたのだった。

ここで、パウラの利用され方をもっと悪意をもって描くとイマドキ風になるとは思うが「GUNSLINGER GIRL」みたいな感じになってしまうだろう。

次に、「敵」の描き方。
コレも、「エヴァ」以前の、「高邁な理想を持ちすぎているために民草を犠牲にしても何とも思わないエリート」という典型的な「敵」なのである。
早い話が「男組」の敵みたいなモンだ。
ある時期まで(まあ、オウム事件以前までかな……)、少年マンガやアニメにはこの「理想国家建設のために悪いことをするやつ」というのが悪人の定番であった(ドラマの「スケバン刑事」でさえ「ウルフレヴォリューション」とか言ってた)。
「エヴァ」以降、「敵の存在が不明瞭」、「敵が何をやりたいのかわからない」というのが流行ってきて、「理想国家建設のためのエリート」ってちょっとすぐには思い出せない。
(ま、「DEATHNOTE」の月(ライト)はこの「独裁エリート」と「顔の見えない敵」の折衷案みたいなもんだね。)

この映画でひさしぶりに見たよ、気持ちいいまでの理想を持った悪人を。
で、こういう悪人や、「ここをこうすれば救われる」というきちんとしたかたちのある困難を設定したことが、やっぱり「三十代以上の人の感覚だなあ」と思った。

そして、本作がイマドキ感を勝ち得ているのは、その「ピュアさと同時に物理的な強さも要求されている少女」や彼女と交感できる少年、そして「理想を持った敵」を描いていながら、それらの行為がぜんぶ「後退戦」であることである。
ここに、スゴイ泣けるんだけどどうでしょうか。

理想を持った悪人は、理想を達成しても十数万という人々を犠牲にする他はなく(要するに、日本が負けた段階でこの人の理想は敗れているわけだ)、それをくい止めようとする人々も、ヒロシマ、ナガサキ、トウキョウ、の3つを2つにする、という、すでにヒロシマとナガサキには原爆が投下されている中で、2つを3つにしてはならない、というギリギリの戦争をしている。

要するに、プラスの行為ではなくて、マイナス3をマイナス2にとどめようという行為。
最後の決戦のときに、艦長が「参加しないやつは行かなくていい」って言って、ホントに何十人も船で出て行っちゃう。通常、ああいう雰囲気になったらあんなになるわけないじゃん、って思う人もいるかもしれないけど、私はそうじゃないと思う。
やっぱりね、全編を通して勢いのある戦争じゃないわけ。
かといって、「秘密兵器をどこかに届ける」という戦史とは直接関係ない1エピソードというわけでもないから。

負け戦の被害を最小限にとどめようとするのが、艦長のポリシーで、それは現在のいろんなことに通底しているからそれでいいと思うんですよ。

この「負け戦感」、それでその「負けの損害を最小限に食い止めよう」という感覚ね。
想像をたくましくすると、「現在、三十代から四十代くらいまでの人の感覚、意識で、現在どうやって生きていくか」みたいなことがテーマのような気がするんだよね。

逆に言うと、若い人、二十代とか十代とかだと「何でここがこうなるの?」とかピンと来ないかもしれない。そもそもが、「全員現代人みたい」という批判がまずあると思うけど、ああいう艦内の雰囲気、ギバちゃんの中間管理職的感覚とか、機関室(でいいの?)にはちょっと古い世代の人が残っててね、でもツマブキみたいな若造もいて、比較的リベラルな艦長が束ねてるっていう。
あの輝かしさというか、実際にあるかどうかはわからないけどどこかにあるだろうみたいな組織って、現在三十代、四十代の人には感覚としてわかるんじゃないかと思う。

長々書いたけど、そんなことを思いました。
(05.0325)


<【CD】・「2nd w」 W(ダブルユー)(2005、zetima) [amazon]

辻加護、と言った方が早い気もするW(ダブルユー)のセカンドアルバム。
うーむ、意外におとなしい感じですねえ。及第点とるレベルには行っているけど、そこで止まっちゃっているというような。もうほんのちょっと、もう1センチ、いや5ミリ、飛躍したものがあれば良かったのに、という惜しい感じ。
17歳、18歳というテーマと、「辻加護」という年齢不詳ユニットとの食い合わせの悪さも少し、感じます。

あと、ジャケはともかく中のアートワークは最悪の部類に入ると思うなあ。

ただし、歌詞そのものを「等身大の17歳、18歳と違う」とWに言ってもしょうがないでしょう。

アルバム中の曲「抱きしめないで〜日記付き〜」は、セリフの部分がありますが、

何度目かのデート。
楽しかったぁぁぁ
本当は何度目か知ってるんだけど……
でも 数えないんだぁ

このフレーズはスゴイ。こんな歌詞、いまどき秋元康も森雪乃丞も書きませんよきっと。

桜田淳子の「十七の夏」がカバーされてますが、阿久悠の詞はなかなかエッチですね。「いじめるくらいはげしく もとめてみてよ」ですよ。やらしー。阿久悠やらしー(まあ、どう考えても詞の内容は「十七の夏にセックスしました」っていうモノですからね)。
カッコいい、ちょっとピコったアレンジは、後藤真希の「3rdステーション」に収録されている「エキゾなDISCO」→感想)と同じ平田祥一郎という人なんですね。
(05.0325)



・「結界師」(1) 田辺イエロウ(2004、小学館) [amazon]

週刊少年サンデー連載。代々続く、あやかしを封印する「結界師」の跡継ぎである少年と、その家と代々ケンカし続けている同じ結界師の家の女の子を主人公にした和風ファンタジーアクション。

「結界師」の能力や、土地そのものに霊的なものを引き寄せるエネルギーがある、などの設定は面白い。
しかし、読んでて「自分がトシだなぁ〜」と感じた序盤の展開であった。
主人公の男の子は、最初はムリヤリ結界師の仕事をやらされるのがイヤなんだけど、力が足りなくて女の子にケガを負わせてしまう。女の子の方が少し年上で、オトナで、そんなことは気にしていないんだけど、それに責任を感じた男の子は自分の能力を高めようと数年かけて努力するようになる。

で、ここからなんだけど、そうして、自分が淡い恋心を抱いている女の子を守ってやろうとする気持ちを、1巻の時点では女の子も気づいていて、それで別にたいして評価もしてないんだよね。ここにショックを受けた。

描いている方は、いずれ男の子を成長させていく段階として何の疑問もなく書いているんだろうけど、この段階で男の子の「女の子を守りたい」というダンディズムは、滑稽なものでしかない。単なる自分のこだわりでしかない。そのやりとりがあまりにもドライで、ショックを受けた。
いやそれが悪いっていうんじゃなくて、そういう展開に、たぶん送り手も受け手もだれ一人疑問を抱いていないであろう状況が、時代は変わったと思わせてしまう。

「男らしさ」が、すでに冗談の領域でしかなく、なおかつそれをギャグやパロディの奔流の中から救い出そうとし続けたのは同じサンデー出身の島本和彦だった。
でも、もはやそういう作業すら必要ない段階に入ってきているのかもしれない。
(05.0325)



・「アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ」 カート・ビシューク、ブレント・アンダーソン、アレックス・ロス(2005、ジャイブ) [amazon]

ヒーローモノのアメコミ。
架空の都市「アストロシティ」で活躍するスーパーヒーロー、ヒロインたちと、この街に住む普通の人々の生活を描く。

「アストロシティ」は、スーパーヒーローとスーパー・ヴィランが戦いを繰り広げる街。ヒーロー同士でもめ事があったり、悩みがあったりというのはまあ今までないではなかったと思うが、特筆すべきは新聞記者、一般のOL、チンピラ、そして悪役などから見た超人たちを描いていることである。

しかも、まったくの逆を狙ったシブい展開に徹しているというわけでもなく、ヒーローの活躍や裏設定なども存分に描かれていて、「スーパーヒーローもの」の枠内にあくまでもおさめているところがミソ。
スーパーヒーローものを解体するのではなく、哲学するのでもなく、あくまでもドラマの面白さを追求するための趣向なのだ。やっぱりスーパーヒーローモノの本場はアメリカという他はあるまい。

好みとしては、新聞社の編集長が駆け出しだった頃、スーパーヒーローとスーパーヴィランの抗争を目の当たりにする「THE SCOOP」、自立と地元ではない新しい土地での生活を模索するOLが、これまた派手なヒーローVS悪役の戦いに巻き込まれることで自分を見つめ直す「SAFEGUARDS」などが良かったかな。

ヒーローたちの観察を密かに続け、同時に人間たちの観察も続ける老人の話「RECONNAISSANCE」は、ちょっと「ウルトラセブン」の1エピソードを彷彿とさせる感じでしたね。何となく、雰囲気が。
(05.0323)



・「everybodyeverything」 ウィスット・ポンニミット(2005、マガジン・ファイブ) [amazon]

Wisut Ponnimit。1976-。漫画家、アニメーション作家、ミュージシャン。タイ出身、2004年より日本在住。

……というのがこの人の、はてなダイアリーのキーワードの解説。作者のプロフィルとかぜんぜん載ってないんだよなこの本。困るよ。
さて、この作者、はっきり言って、今の日本のマンガの基準からすると絵はヘタだと思う。しかし、話運びはグッとくる上手さだ。

日常のさりげない風景を切り取ったり、SF仕立てだったり、寓話的だったりといった短編を集めた作品集なんだが、読んでて唸ったよ。
こういうタイプの作家が、いちばん感想を書きにくくもある。

わかる人にしかわからないたとえを使うと、コミティアで地味に人気になりそうなタイプの人だ。
また別の言い方をすると、矢代まさことか、昔の石森章太郎から技巧臭さを取り除いた作風というか……いや、現在この人に近いテイストのマンガ家っていると思うんだけど、私がよく知らないんです。すみません。
要するに「どうだ、すげえだろー」っていう感じは少しもないんですよ。でも、読むとハッとさせられる。80年代の終わりくらいまでは、わりと絵がヘタな人でもたやすく週刊連載とかしていた記憶があるが(小林よしのりとかえんどコイチとか……)、マンガ家が人手不足から供給過多になった時期がどこかにあって、その流れの中で、この絵柄では現在、どんな雑誌でも載らないのではないかと思う(いや、こうして単行本が出ているということは、認められているということですけどね)。

ごくたまに、今でもあんのか? 地方のマンガ同人サークル(合評会をするような昔ながらのサークル)や、漫研であまり発言とかしないでコツコツ描いているような人の中で、思わずひきつけられるようなネームを描く人がいる。
で、こういう人はとにかくあまり絵が上手くないので、身内だけで「あの人の描くもの、いいよね」、「おれも好き」みたいな感じになっていって、卒業すると普通に就職したり結婚したりしてやめちゃう場合があるけど。

まさに、そういう作品を単行本にした印象。
コレ、アニメーションまでつくっている人に対してたいへんに失礼な物言いのように思う人もいるかもしれないけど、そうじゃない。

こういうマンガの良さを失ったのは、日本のマンガ界の方だからね。

本書の中で個人的にいちばん好きなのは、「ボクサー」。少年(っていうかガキ)が、なかなかルービック・キューブができない。いろんな人にやってもらって、他人はできるけど自分だけできない。
で、すんごい弱そうなボクサーが出てきて、彼にはできないのね。
……その後、お話は進むんだけど。

これ、泣けるわ。それも、格闘マンガ的涙。「刃牙」のいちばんいいときとかが「いい!」と思っている人にぜひ読ませてみたい。筋肉描写なんかまるでできてないのよ。「かりあげクン」みたいな絵だから。でもなんか、こう、すごくグッと来るんだよ!

最後に、「絵がヘタだ、ヘタだ」と描いてきたが、実は事前情報などまったく知らずにジャケ買いしました。だって子供と動物の顔がすごくかわいく、せつなく描けていたからね。
(05.0323)



・「戦場コミックシリーズ『本土防衛戦』」 松本零士(2005、小学館)

コンビニ売りペーパーバック調単行本。主に「ビッグコミックオリジナル」連載の「ザ・コックピット」からの抜粋。1970年代後半の作品がほとんど。

「戦記マンガ」には、はっきり言って疎い。が、これほどマンガ史で重要なモノもないんじゃないか? とも思っている。
ちょうど「夕凪の街 桜の国」(→感想)が話題になり続けている昨今。アレは「反戦もの」としてはかなり特殊なところに位置する作品ではないかとは思うが、ものすごくムリヤリに分類するなら、やはりそれまでの「反戦マンガ」にカテゴライズされざるを得ないだろう。

だが、同時に、まるで忍者モノや武士道モノをそのまま戦闘機乗りや軍艦同士の戦いに移し替えただけのエンターテインメントとしての戦記物語、戦記マンガの系譜が同時並行して延々と続いているのである。

両者の関係はどうなっているのだろう? やっぱり、反戦思想の人は戦記モノに抗議したりしているのだろうか? それとも、ふた昔前に聞いた話だが近代経済学の学会とマルクス経済学の学会が何の交流もないというふうに、別々のところでそれぞれ棲み分けて暮らしているのだろうか?

そんな戦記マンガの中でも、松本零士はかなり特異なように、昔から感じていた。
「ザ・コックピット」連載当時から、この人の戦記マンガって、肉片が飛び散ったりするようなリアル感がぜんぜんないなと思ってた。

むしろ詩情までがある。兵器がメインのエピソードなどは、西風っていう人が以前「GTロマン」っていうクルマが主役のマンガを描いていたけれど、それに近いテイストだし。
しかも「こんな大変な状況だったから、せめてこういうエピソードがあってもいいじゃない」っていうふうでもない。もっと言ってしまえば同じ作者のSF作品と、何ら変わらないとすら思う。
何でなのかは、わからん。

本書では、戦闘機をプテラノドンにたとえ、戦時にプテラノドンの化石を発掘している男の話「翼手龍(プテラノドン)の時代」、戦時に戦闘機戦で決着が着かなかった二人の男(日本人とアメリカ人)が、戦闘機を掘り出すために同じ街に住んで二人して穴を掘り続ける「レッドスカル」などが面白い、というか、こんなユーモア風味に描いちゃっていいのかどうかとハラハラする。
(05.0323)


・「戦場コミックシリーズ『第三帝国の黄昏』」 松本零士(2005、小学館) [amazon]

コンビニ売りペーパーバック調単行本。主に「ビッグコミックオリジナル」連載の「ザ・コックピット」からの抜粋。1970年代後半の作品がほとんど。

兵器が主役の話が多く、ミリタリー関係にほとんど興味のない私はちょっととまどうが、この当時の、生々しさがどこか抜け落ちた松本零士の「詩情漂う戦場マンガ」は、すごい不思議なものだなとつくづく思ったりする。
(05.0323)



【CD】・「3rdステーション」 後藤真希(2005、ピッコロタウン) [amazon]

後藤真希のアルバム。
アルバムトータルの評判もいいし、事前に「なんだそれ?」と思われていた「渡良瀬橋」や後藤ひとりで歌う「恋愛戦隊シツレンジャー」もわりといい感じ(「シツレンジャー」は、アルバム曲だったらあそこまでやいのやいの言われないで、良曲と言われていたと思うな)。

だがまあ個人的には、何と言っても1曲目の「エキゾなDISCO」だ。タイトルどおりのインチキくさいテクノ/ディスコ歌謡を後藤真希がむりやりつくったウィスパーボイスで歌うのだ。
この曲、松浦に声を加工して歌わせても、W(ダブルユー)に歌わせても、あるいはなっちに遊び心で歌わせても、それなりに面白いものになったと思うが、やっぱり後藤真希が歌う衝撃度がいちばん高いのではないかと思う。

まるで、ツーテールにベビードール、ペロペロキャンディーを持ったWWEのディーバを見るがごとき倒錯。

もうちょっとまともなことを書けば、後藤真希に無理矢理テクノ・ポップを歌わせるなんていうのは、いい意味で贅沢だよな。
ポテンシャルがありながら、今ひとつ着地点が見いだせない感のある後藤真希をヤケクソなところに着地させたら、すごい面白いことになったとでもいうか。
(05.0323)



【小説】・「王を探せ 鬼貫警部事件簿」 鮎川哲也(1979、2002、光文社) [amazon]

「亀取二郎」は、二年前の犯罪をネタに自分を恐喝する強請屋・木牟田を撲殺する。
警察は、被害者・木牟田のメモから犯人が「亀取二郎」という名前であることを掴んだのだ。
しかし、やっと絞り出した数人の「亀取二郎」は、みなアリバイを持っていた。
刑事たちの、一筋縄ではいかない容疑者たちのアリバイ崩しが始まる。

……駄作中の駄作。
ミスリードのトリックが長いわりには面白くない、メインのトリックも面白くない。
このネタでは中編作品がいいところだろう。早い話が長すぎる。
また、容疑者がみんな実にイヤなやつらで、彼らを軽蔑する刑事たちもあまり品性がいいとは言い難い。
さらに、刑事たちの心のつぶやきが、それぞれバラバラでハードボイルド的な美学にもつながっていない。単なるヨタなのだ。

たとえば、「ノリだのナルトだのが入っているラーメンは邪道」だと思っている刑事がいる。一方で、ぜんぜん別の場面で「江戸っ子がラーメンをつくるのはおかしい。ラーメンはだれが何と言おうと札幌に限る」と思っている刑事がいる。それがどうした。何もつながっていかない。その場その場で作者が思っていることをただ書いているだけである。

また、それらのつぶやきの底流には、作者の物事に対する潔癖すぎる態度と、言ったら言いっぱなしの悪い癖がある。毒舌でも味があれば楽しめるが、本当にジジイの繰り言をえんえんと聞かされているような気分に取り憑かれた。
この頃、作者は60歳か。まあ、変わっていく世の中の何を見ても面白くない年頃だったのだろう。

とくに、容疑者となる役者たちに対する描写がひどい。ある種の偏見に基づいて描いたとしか思えない。自分の作品だってドラマ化されてるだろうに、ちょっとこれはないんじゃないだろうか。

それと、鮎川哲也は総じてユーモア描写がつまらない。会社の上司のくだらない冗談にみんなで笑っているような雰囲気を思い出す。

【参考】
【小説】・「人それを情死と呼ぶ 鬼貫警部事件簿」 鮎川哲也(1961、2001、光文社)感想

(05.0323)



・「シャイニング娘。」4.Number Four  師走の翁(2005、ヒット出版社) [amazon]

成年コミック。「COMIC阿ロ云(あうん)」連載。人気アイドル・×浦(ばつうら)亜弥は、シャイニング娘。メンバーや親友の関節本(ふしもと)ミキを悪魔・不死本ミキに人質にとられ、エロいこと連続の沖縄ファンツアーに行くことになる。そこで行われるエロい所業の数々。シャイ娘。の面々も、「ハローシャイニング。」収録で沖縄に登場。

「ファンによる公開集団レイプツアー」というアイディアもさることながら、ディティールの追及にニヤニヤしっぱなし。ちょっとだけ成長した槌と匣をキチンと絵で描きわけようとしていたり、口調や仕草まで細かく取り入れてある。

単行本が出たときのタイムラグは表紙などの描き足しでフォロー。カバーをはがしたところに書いてある「ハロシャイ」ゲームのボツネタ、表4のマンパワー・ユニフォームヴァージョンの衣装など、よく描けてる。さらに非冥エリの微妙な八重歯に感心して、オビをとってみてまた感心(笑)。

次巻で完結らしい。

総集編の感想

1巻の感想

2巻の感想

3巻の感想

(05.0322)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

3月20日放送分。

公式ページ

「私をデートに連れてって」 #3。遊園地デート
エスコートするのは山咲トオル、されるのは矢口・藤本・加護。
これはけっこう面白かったね。過去の出演者と比較してこういうロケみたいなのにいちばん慣れている人という気もするし。「オカマキャラ」というものの汎用性も見た気がするし。たわいないコーナーだけど、タレントスキル問われるよねこの企画。
「パフェをかわいい食べ方してみろ」って言うときの、山咲トオル自身がやってみせた例が、ものすごい80年代アイドル感を出してたのが良かった。
たぶん、この人はトシちゃんとか好きだったと思うんだよね。
ダンディもそうだけど、トシちゃんに影響を受けたっていう人は多い。今のトシちゃんは輝いてなくても。

あとは絶叫マシンやお化け屋敷など、リアクションしやすいものがいくらでもあるのが遊園地ですから、楽しめました。
「かわいこぶれない」藤本美貴でしたが、かわいこぶるのが商売のタレント業において、ああいうタイプのかわいこぶり方ができないということは、ふだんはまったく別の「自分がかわいいと思う態度」の引き出しを持っているということで、それはたぶん日曜の昼間には見せられないタグイのものだと勘ぐってます。

番組全体としては、欲を言えば遊園地シーンはあと2割くらい減らして、他のミニコーナーをもう1個くらい入れてくれればいいんですけど。

コント「三丁目飯店」
単に「紺野の親戚がゾロゾロ出てくる」というだけの、もはやコントとも学芸会とも言えない妙な領域なんですが、こういう騒がしいのはいいよね。

ところで、ハロモニ。劇場を見続けていて思うのは、「金持ちと貧乏人」とか「変なガイジン(つけ鼻を付けてアメリカンジョークを言ったりする)」、「変な中国人(〜アルよ的なキャラクター)」など、もはやヨソではとうてい見られないタグイの古いコントネタが見られるということですが、サベツネタにならないように、ものすごい注意して漂白されてるのね。
頑固ひとすじ・ふたすじは、現代ではまず存在し得ないキャラだし、紺野の親戚たちは妙な中国人名前だが姓が違う(ここで姓まで揃えたら問題出てくるかも)。
道重(ピータン)に至っては姓もないですから。

「田中れいな演じるパンダがかわいい」という評価が多いようですが、私個人としては、「人民帽に人民服の亀井」(役名:ラオチュウ)がものすごくカワイイと思ったんですけどいかがでしょうか。
ホントに少年っぽいかっこうが似合うなあ。
少年っぽいかっこうをとっかえ引っ返するだけで半年くらいコーナー持つと思いますよ。
とりあえず小林少年、やってほしいんだよね。
明智は吉澤で、敵は回文二十面相でいいじゃん。
ほら、もうコント一本できた!

亀造。ウェイトレス姿で出てきた亀造。あと田中れいなもいた。

これで「ウェイトレス姿がかわいい」とか言うと、どうせみんなバカにするんでしょ。各方面から。60年代あたりでカクメイが起こらなかったのも、高度成長〜低成長〜バブルの流れでの問題点がいまだに引きずられているのも、アメリカがあんなんなっちゃったのも、国際紛争が終わらないのも私のせいだ、っていう考えでしょうそれは究極的には(我ながらすごい八つ当たりだ)。

そういう人は、「勝俣が素に戻ったときの疲れ切った顔」が頭から離れないようにしてやる。

中澤姐さんの「間がおかしい」っていうツッコミは、芸人でも「から騒ぎ」的な存在でもない娘。たちに対しては面白いですね。
おれ、「田中れいながむかつくような先生」になれる自信はありますね。っていうか、だれもが嫌われるような先生になる自信はあるね。それであれだろ? 自殺するのはおれの方だろ。
まったく、やってられないよ。

前回の放送

(05.0321)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

3月13日放送分。

公式ページ

「私をデートに連れてって」公開オーディション

娘。たちを熟年タレントがエスコートする企画「私をデートに連れてって」の候補を決めるというもの。
顔を隠した3人のタレントが登場し、自己アピールして娘。たちが点数を付ける。

正直、ここ数年の「ハロモニ。」でいちばんつまりませんでした。ゲストの顔を隠して最後まで引っ張るのはムリだし、このメンツだったら顔出しで面白いことやらせた方が良かったと思います。

娘。たちのリアクションも微妙。まあ、オトナのタレントにキツいツッコミとかできないわな。
ということで、感想を書くのがこんなに遅れてしまいました。

あ、ダンディの新ギャグ「ペパーミント」はものすごく面白いと思います。本気(マジ)で。

逆に、コントはベストともいうべき出来。
まあ、どこがどう面白いかは私だけがわかっていればいい世界なので詳しく説明はしませんが、藤本美貴がいじめられっ子役(見事なまでに似合わないのを狙ってのことだろうけど)で、手を差し出した中国服姿の紺野(中華屋の娘という設定)に対して「サミングはやめてください!」と言わせるというのはいったいどういうスタッフのシュミなんだ。

まあ後半、細毛数子だっけ? の登場で予定調和化するんだが、「ヤンキー姿の高橋愛&田中れいなコンビニいじめられる藤本美貴」っていうだけでなんか面白そうでしょ。

ああ、来週から「田中れいなのパンダ」が出てくるみたいですね。

前回の放送

(05.0319)


【雑誌】・「週刊少年マガジン」14号(2005、講談社)

最後にこの雑誌の感想を書いたのが、2003年13号であることに、別に驚きはしない。もう売ってません。

いちおう、自分用メモ書きとしてほぼ全部の連載ラインナップを書いておく。先々週のだから、もう売ってないけど。

巻頭グラビア、岩佐真悠子。

小林尽「スクールランブル」
日向武史「あひるの空」
取材・原案:小斎秀樹、脚本:押村勇悟、漫画:山下てつお「浦和レッズ物語」(3週連続特別読みきり最終回)
やきうどん「主将!! 地院家若美」2週連続特別読みきり前編。4年ぶりの掲載で、かつては柳澤鉄郎という名前だったという。
瀬尾公治「涼風」
原作:小森陽一、漫画:久保ミツロウ「トッキュー!!」
原作:天樹征丸、漫画:さとうふみや「探偵学園Q」
長田悠幸「トト!」
山本航暉「ゴッドハンド輝」
野中英次「魁!! クロマティ高校」
森川ジョージ「はじめの一歩」
加瀬あつし「ジゴロ次五郎」
真島ヒロ「RAVE」
原作:安藤夕馬、漫画:朝基まさし「クニミツの政」
原作:青樹佑夜、漫画:綾峰欄人「GetBackers−奪還屋−」
サダタロー「あにMR」
赤松健「魔法先生ネギま!」
上条明峰「SAMURAI DEEPER KYO」
氏家卜全「女子大生家庭教師 濱中アイ」

原作:夏原武、漫画:刃森尊「伝説の頭 翔」
塀内夏子「覇王の剣」
原作:あかほりさとる、漫画:高田亮介「神to戦国生徒会」
UMA「チェンジング・ナウ」
西本英雄「もう、しませんから。」

大暮維人「エア・ギア」、CLAMP「ツバサ」が休載。
(05.0318)


【雑誌】・「週刊少年マガジン」15号(2005、講談社)

もう売ってません。巻頭グラビア、星野飛鳥。

やきうどん「主将!! 地院家若美」2週連続特別読みきりの後編。どう見てもオカマにしか見えない謎の柔道部主将・地院家若美(逆から呼んじゃダメ)を主人公にしたギャグマンガ。これ、面白いよ!

4月20日発売のマガジンSPECIAL#5にも載るんだって。たまにこういうギャグマンガが載るんだよなあ、マガジン。

32ページ読みきり玉越博幸「HIME COP」は、かわいいお嬢様が婦警になるという話。まあ、「へえ、マガジンって乳首出しNGじゃないんだ」って思っただけだなぁ。
原作:あかほりさとる、漫画:高田亮介「神to戦国生徒会」は、途中から読んだんでお話は読めないが、なんだか狂気のにおいがする。チェックしたい。
(05.0318)


【雑誌】・「週刊少年マガジン」16号(2005、講談社)

まだ売ってると思います。巻頭グラビア、井上和香。

加瀬あつし「ジゴロ次五郎」は、友人を信じ続けるために、頭の上がらない兄貴と殴り合いのケンカ。ちょっと泣けた。 塀内夏子「覇王の剣」は、三国志モノ。

UMA「チェンジング・ナウ」もお話は読めないが、ヒーローもののパロディとして気になる作品。

読みきりギャグ5本。
島田英次郎「愛と誠と彼氏と彼女」
桜場コハル「コワイオンナ」
西本英雄「さらばアニキ」
小田扉「高速扉道路」
サダタロー「純情コクル24」

小田扉は、売り上げが落ちているという魔界新聞の販促会議の話。過程は面白いんだけどなー、オチがちょっとぐだぐだかなあ。まあそれが味なのかもしれないけど。
(05.0318)


【雑誌】・「週刊少年サンデー」14号(2005、小学館)

最後にこの雑誌の感想を書いたのが、2001年39号だというから自分で驚いた。しかも高橋ヒロシについてしか感想書いてないよ……。

いちおう、自分用メモ書きとしてほぼ全部の連載ラインナップを書いておく。先々週のだから、もう売ってないけど。

安西信行「MAR」AKT.100
雷句誠「金色のガッシュ!!」LEVEL197
青山剛昌「名探偵コナン」FILE.514
高橋留美子「犬夜叉」第399話
橋口たかし「焼きたて!! ジャぱん」第152話
皆川亮二「D-LIVE!!」Episode33
満田拓也「MAJOR」第501話
田辺イエロウ「結界師」第65話
藤崎聖人「ワイルドライフ」第105話
水口尚樹「思春期刑事ミノル小林」第50話
夏目義徳「クロザクロ」第30話
松江名俊「史上最強の弟子ケンイチ」BATTLE138
畑健二郎「ハヤテのごとく!」第21話
田中モトユキ「最強! 都立あおい坂高校野球部」第9球
モリタイシ「県立伊出高柔道部物語 いでじゅう!」第126話
西森博之「道士郎でござる」ござる40
藤田和日郎「からくりサーカス」機械仕掛けの神 第32幕 悪魔の舞踏 6場
小笠原真「兄ふんじゃった!」6ふんじゃった
酒井ようへい「東遊記」第27話
藤木俊「こわしや我聞」第52話

以下3本は、ギャグ読みきり。
福井裕介「キングさん」
河北タケシ「やってくる!!」
突飛「たまねぎィィ!!!」
(05.0318)


【雑誌】・「週刊少年サンデー」15号(2005、小学館)

先週号なので、もう売ってません。

鈴木央「ブリザードアクセル」が新連載。目立ってこそ実力を発揮する不良少年が、フィギュアスケートの世界に行く話らしい。
(05.0318)


【雑誌】・「週刊少年サンデー」16号(2005、小学館)

巻頭グラビアは石原さとみ。いいね。アイドルのオールドスクール。いつまでこういうタイプの子が巻頭を飾り続けるかな? 10年後にはアイドルも全員、オセロの黒い方をもっと下品にした感じになるだろうというのが私の予言です。オセロ中島は、好きですが。
草場満輝「見上げてごらん」が新連載。剣道をやっていた少年が、高校に入ってテニス部に入る話らしい。

さて、総評っぽいことを書きますが、しばらく読まない間にスポーツものが減ったかわりにファンタジーバトルものが異様に増えた印象。
ファンタジーバトルものは、スポーツや格闘技と違って独自のルールでバトルが展開されるため、その世界内ルールが把握できないと内容がよく理解できない、途中から入っていけないということになる。
それを考えたとき、「スタンドは一人一体」、「スタンドはスタンドでしか倒せない」などのごく単純なルールだった「ジョジョ」がいかにシンプルかつ深みのあるバトルシステムを持っていたかがわかるだろう。

最近のサンデーでは、「金色のガッシュ!!」は読者がアニメで知識を補完するだろうし、飛び抜けて人気のあるであろう「犬夜叉」もまあいいとして、安西信行「MAR」田辺イエロウ「結界師」夏目義徳「クロザクロ」酒井ようへい「東遊記」藤木俊「こわしや我聞」の5作は「ファンタジーバトルもの」という同趣向の作品であり、なおかつ世界内ルールがいちじるしくわかりにくい。途中から読んで入ってこれる読者はいるんだろうか?

それと、藤崎聖人「ワイルドライフ」 は最近流行ってる医者モノで、面白みは感じさせるがとにかくネームが多すぎる。同じ、コマを追う流れを止めるほどのネームの多さを、皆川亮二「D-LIVE!!」にも感じた。

なお、ファンタジーバトルものとしては、藤田和日郎「からくりサーカス」があまりにも長すぎる。絵の上手さや読みやすさは、現在のサンデーではトップクラスなのに、コレを理解するのに今から単行本35巻を読むのはキツい。だいいち、金が続かない。

それと、4年前と比べると全体的にギャグマンガのラインナップが弱い。かつての「モテモテ王国」や「かってに改蔵」みたいなのが一本ほしいところ。
(05.0318)


【雑誌】・「映画秘宝」3月号「脱力 映画秘宝トホホ大賞」(2005、洋泉社)

昔から親や先生に言われてきました。人は人、自分は自分と。ま、そう言っておきながら「お隣のダレダレさんはもう車、買い換えたのよ」とか「どこそこの息子さん、IBMに入社したんですって!」とか「新婦がスチュワーデスだから、結婚式の二次会も出席しようっと。スッチースッチー、デヘヘヘヘ」とか、「雲に乗れたらなあ」並の世迷い言を並べるのが一般庶民ってモンですが。
えーと何だっけ? そうそう、「人は人、自分は自分」って話だったよな。それで我慢して日々送ってますよ。水木しげるのマンガに出てくるサラリーマンのように……(この形容もすでに使い古されている感あり)。でもさあ、今回初めて「映画秘宝」の2004年のワースト映画の方(「トホホ大賞」)のアンケートを見たら、さすがにこれはないんじゃないの? と思ったので言わせていただきます。

まず、各人ワーストの付け方にも傾向があって、「スクール・オブ・ロック」が9位に入ってるのは「ロックに対するこだわり」が多大に影響しているからでしょう。これがよさこいソーランの話だったら、笑って見てたわけでしょ?
あと、「どうせベストに入ってくるだろうけど、オレ嫌いだからあえてこっちに入れてやる」みたいな雰囲気があるよね。
もうね、ロック大好きな人のロックに対するこだわりっていちばんわかりませんよ。
でも風体が恐いから、みんな黙ってます。ボクも黙ってます。

同じような「こだわり系否定」はやっぱりオタク。で、昨年は「デビルマン」、「キューティーハニー」、「CASSHERN」、「ゴジラ FINALWARS」とマンガ・アニメ原作モノや、とびきりこだわりの多い作品があったから、これらが文句言われるのは仕方ない。たとえば「CASSHERN」と「ゴジラ FINALWARS」は賛否分かれる(しかも「否」が多い方向で)のはわかるし、とくに「ゴジラ」に関してはファンの熱い思い入れには手がつけられない! ので仕方ないとしよう。

だがしかし、「キューティーハニー」をわざわざ「トホホ」に入れるのは贅沢だろう。
そう、贅沢なんだよ。一般人は「安さ」には文句言うけど、一見「豪勢っぽいもの」には文句言わないと思う(キューティーハニーが「豪勢か」っていうとまた意見分かれるんだろうけどさあ……)。
そういう意味ではあらためて思うけど、「秘宝」っていうのは「たまにしか映画を見ないボンクラ」の方向は明らかに向いてない。「映画を耳垂れが出まくるくらい見ているボンクラ」のための雑誌なんだね。

まあ、そういう人じゃないと、当然この雑誌は買わないと思うけど。

でも、考えてもみりゃ、「キューティーハニー」くらいのクォリティだったら、「カノジョは休日出勤で会えないし、映画でも見に行くかァ。サトエリのナイスバディもおがめるしよぉ」って見に行ったガソリンスタンド店員A君(19)は、「トホホ」には入れないと思うよ。
まあ私だって想像で書いてるだけだけど。

あと「こだわりゆえに点が低い」のは映画「サンダーバード」だけど、コレだって合コンの前のひまつぶしに見たりしてたら、「トホホ」に入るほど立腹する人間は少ないと思う。こだわっている人間がいるかどうかわからんが「パニッシャー」も同じ。
「ヴァン・ヘルシング」は、前にも書いたとおり大味過ぎて好きな映画ではないが、「パニッシャー」をフォローしてこっちを下げるのは無責任な気もするので私も一種の贅沢病にかかってるのかなと思うことにする。

それと、このテキスト書こうと思った最大の動機、それは、「キャットウーマン」、面白かっただろ「キャットウーマン」!! しかも、トホホとしてもたいして得票してない中途半端さ。いわゆる「箸にも棒にもかからない」というヤツだ。
アメリカのワースト賞にも選ばれたとか何とかいうが、いったいナニ考えてんだ! キャットウーマンに変身前の女の子がネコの習性を隠すことができず、ものすごい勢いで寿司を食うシーンとか面白かっただろうが!!

あと、「キャットウーマン」のムリヤリ設定。知ってたか、「キャットウーマン」っていうのはネコの能力を身に着け、陰に陽に何千年にもわたって人類に貢献してきた超能力者の系譜なんだよ! もっともらしいBGMに乗って、古文書に描かれたネコの仮面をかぶった女戦士とか出てきたときには大爆笑だったぞ!

まあ「デビルマン」さえ「まあまあ」だと思っていた私の言うことなんか別に信用してくれなくてもいいけどね。ただやっぱり、「秘宝」的なルサンチマンってすごく共感する面もあるけど、そのルサンチマンが善良なだれかを圧殺(とまでキツいもんでもないけど)してる場合は、あると思うね。

私も「こんなの見ててバカじゃねえの」って思うものはたくさんあるけど、それが「スパイダーマン2」とか「キューティーハニー」とか「サンダーバード」とかだと急速に微妙なラインに突入するし、その「微妙さ」っていうのは、アンケート形式では見えてこないと思うんだ。

あと、文句なしにダメだったのは「スカイキャプテン」だね。ハンパにワカッテルぶんだけ「デビルマン」より始末悪いと思いますよ。などと、最後に私までわかったようなことを書いてみる。地獄。
(05.0317)


【映画】・「ロボコップ」 監督:ポール・バーホーベン(1987、米) [amazon]

製作総指揮:ジョン・デイヴィソン
脚本:エドワード・ニューマイヤー、マイケル・マイナー
キャラクター創造:ロブ・ボッティン

映画情報 - goo 映画ではバーホーベンが「パウル・フェアヘーフェン」とかなってやがった。

さて、普通さあ、レンタルビデオ屋に行って、旧作借りるだろ? 安いから。だから、たまに感想書こうと思っても旧作になるに決まってるンだよ。でも、テレビでやってたっていう「ロボコップ プライムディレクティヴ」[amazon]がこのたびDVD-BOX化されたっていうから、紹介の時期的にもバッチリでしょ?

でもさあ、「ロボコップ」のパート1ってよく覚えてないんだよね。ガックシ。
だから、思い出しながら書くよ。

「ブレードランナー」をより悪趣味方面へ退廃させて、「ロボットものだから子供に見せても大丈夫だろう」と思い映画館に入ったファミリーをたいへんにイヤな気持ちにさせたであろう映画という印象しかなかったんだよな(R指定だったのかな? わからん)。

映画秘宝3月号の町山智浩氏の連載「イエスタディ・ワンスモア」によれば(カンケイないが、この号はすでに先月号になっており、新宿紀伊国屋に買いに行ったら最新号しかなかったよ! 今まで「秘宝」のバックナンバーのあったところには、ディアゴスティーニかなんかのスター・ウォーズ特集が置いてあった。)

(ついでに書くと、新宿紀伊国屋の地下……と名指しするとマズいのか? じゃあ、新宿紀伊国屋の地下の近辺ね、そこにイマイチなうどんと丼モノを食べさせる店があったんだけど、そこがなくなって今度パスタ屋ができるらしいね。
紀伊国屋の地下に、これでパスタ屋三件ですよ。きっとジローラモが地上げしてんじゃねェかな?)、あー、カッコ内の文章が長すぎてわけがわからなくなったが、とにかく「映画秘宝」の記事によると、最後に自我を取り戻したマーフィが自分の名を「マーフィ」と名乗ったところで試写の観客は大歓声をあげて立ち上がったという。
が、彼が「オムニ社」のくびきから逃れられないことには変わりはなかった、はずだ。

この「逃れられない事実」をまるでなかったことのように描いている点が、もう時代は70年代ではないし、これからいろんなことが「なかったこと」になる(問題定義をしている人も含めて)ことを暗示しているように、勝手に思ってしまった。
70年代ならオムニ社って映画の中でぶっつぶされてたと思うんだよね。でも、それは80年代後半にはリアルじゃなくなってたんだと思う。
「ロボコップ」の、私にとって「イマイチだなあ」と思う点は、いかに途中経過がいい意味で狂っていようと、あの白髪のニヤけた会長いるじゃん。あいつが最後までのうのうと生きていたからなんだ。

また、明確に日本の「宇宙刑事シリーズ」の影響を受けているとしか思えないのに、日本のクリエーターに何のリスペクトもなかったのがイヤだった。
イヤ、別にトボけててもいいけど、その後、「ウィンスペクター」だか「ソルブレイン」だかに、あの「ロボコップ動き」が取り入れられるじゃない。逆輸入で。あれが何となく屈辱だったよ。
まあ、基本デザインはアメコミの「アイアンマン」を意識したらしいんだけど。
(05.0316)



【映画】・「ロボコップ2」 監督:アーヴィン・カーシュナー(1990、米) [amazon]

オライオン映画=ワーナー・ブラザース映画配給
監督:アーヴィン・カーシュナー
製作:ジョン・デイヴィソン
製作総指揮:パトリック・クロウリー
原案:フランク・ミラー
脚本:フランク・ミラー、ワロン・グリーン

サイボーグ警官・ロボコップの活躍を描くシリーズ第2弾。
amazonのコメントを見たけど、評価低すぎるだろ!!
私はバカだから、この「2」を見て、ようやく「ロボコップ」シリーズの言いたいことがわかった気がしたんですよ(そんなものないかもしれないが)。

デトロイトでは新種のドラッグ「ヌーク」が流行り、これを大量にさばいているリーダー・ケインは救世主気取りのニュー・エイジっぽいギャング。
一方、ロボコップを開発したオムニ社は、カネで市を乗っ取ろうとする。
そして、乗っ取られそうになっている市の市長は、なんとケイン逮捕の後、彼の部下と取引をし、市がオムニ社に借りた金をそっくりドラッグのカネで埋め合わせようとしていた……。
要するに、だれ一人善人なんていない世界なんですよ。
まともなマーフィはすでにロボコップ化しているし、相棒のルイスもあーなってこーなってしまう。

ロボコップ(元は人間のマーフィ)はドラッグ組織につかまり、バラバラにされ、組み立て直されてからも、オムニ社の政治的決断により人畜無害なプログラムを入れられてデク人形と化す(この、犯罪者側にバラバラにされることと、味方であるはずのオムニ社にオモチャにされることは、両方とも陵辱的で、いくらブラックギャグとは言ってもあまりに哀しい)。

が、マーフィは自らの意志で入れられた余計なプログラムを取り除く(このいい意味でのバカバカしさはいいね)。オムニ社は「ロボコップ2」を開発するが、これが次々と暴走。
この暴走の仕方も、ギャグではあるが「身体をオモチャにされた人間」の哀しみが漂ってきて何とも言えない気持ちになる。最終的にはある人物の脳髄を使ってロボコップ2が完成。こいつをくい止めるために、ロボコップが出動する。

パート1は「サイバーパンクの意図的誤解」ともいうべき悪趣味退廃映像で見るものを辟易させたが、このパート2ではその悪趣味はさらにエスカレート。
ドラッグ組織には少年が幹部クラスにおさまっているし、本筋とはカンケイない犯罪では野球チームの子供たちが金属バットで店を襲い、老人に殴りかかる(しかも、ボスは野球チームの監督だ!)。
オムニ社が開発したロボコップ2の失敗作たちはグロテスクでもの悲しく、市は財政が逼迫しているためにオムニ社の言いなりになる……企業に買われるしかないところまで追い込まれる。

ロボコップ(マーフィ)を手助けするのは現場の警官や技術スタッフたちだが、彼らのキャラが薄いためそこら辺の義理人情の描き方におけるカタルシスは希薄。
唯一の救いは、決して善人ではない市長がややユーモラスに描かれていることと、巨悪であるオムニ社の代表は生き残るものの、彼が重用し、凶悪犯の脳をロボコップに使用しろと言い続けた女性学者がそれなりの報いを受けることになることだろう。

本作はヒーローものの体裁を借りた、性悪説的な悪趣味映画である。だが、ギリギリエンタテインメントの範疇におさまっているため、最後まで見ていられる。
マーフィのダンディズムが失われていないのは、フランク・ミラーの趣味なのだろうか?

「悪趣味」というとけなしているように思われるかもしれないが、そうではない。 本作は、コミックスのヒーローの良心的パロディとは一線を画した、リアルなヒーローものなのだ。
典型的なヒーロー像を体現していながら、ロボコップの体内に閉じこめられているマーフィの悲喜劇は、周囲のさまざまな悪趣味状況によって強調される。

現在の平成仮面ライダーシリーズ(とくに井上敏樹脚本)は、ちょっと本作に近いんじゃないかと思った。

というわけで、「1」が面白いと思った人は見るといいですよ。
(05.0316)



【映画】・「ロボコップ3」 監督:フレッド・デッカー(1993、米) [amazon]

コロンビアトライスター映画配給
監督:フレッド・デッカー
製作:パトリック・クロウリー
脚本:フレッド・デッカー、フランク・ミラー

共同脚本はDCコミックの人気作家で「ロボコップ2」のフランク・ミラー。

市政に多大なる影響を及ぼしている巨大企業・オムニ社は、超未来都市デルタ・シティ建設のために旧市街の住民への、私兵・リハップを用いた強制退去を実行。少しでも逆らうとブチ殺してしまう。家を失った市民たちはゲリラ化して戦う。

ロボコップ(マーフィ)は相棒のルイスとともに争乱鎮圧に出動するが、市民を殺傷しようとするリハッブに抵抗しようとしたルイスは狙撃され、死んでしまう。
同時に、マーフィも傷ついて戦闘不能に。
マーフィは反乱軍のリーダー、バーサと天才パソコン少女・ニコに助けられ、ニコが探してきたラザラス博士(ジル・ヘネシー)の手で機能を回復させることができた。

オムニ社の私設軍隊・リハッブと、反乱市民軍との激突が始まる。

ネットでざっと感想を読むかぎり、「3作目でお子さま化した」という批判が散見され、それに関して否定はできない。だが、90年代前半における本作の意味は非常に大きいと考える。それらは以下の点だ。

まず、ロボコップには「アトム」のお茶の水博士、「マジンガーZ」の兜十蔵博士に相当する親代わりが存在しない。いや、いるのかもしれないが見ていて印象に残らない。
次に、このテの物語の常道である、「上に逆らいながらも味方してくれる上司や同僚」の影も非常に希薄だ。だいたい、相棒のルイスはなんであんなに中途半端な容貌の女優にしたんだ? 「3」でロボコップの親的存在となるラザラス博士だって、「1」や「2」には出てきたかどうか思い出せないほどキャラが薄い。
マーフィの妻に至っては、完全な脇役だ。

三作目ではそこら辺を改善しようと思ったのか、オムニ社にキンタマ握られていて身動きがとれなかった警察官たちは次々と市民のレジスタンスに加わっていく。
次々とバッジを捨てて出ていくシーンがあるんだが、ダサい、ダサいよそんなシーン、だけどおれぁ泣けたよ。「三部作」だと考えた場合、多少陳腐でもこういうシーンは入れないとダメだと思う。マーフィはいまだにオムニ社にキンタマ握られてるんだからな。

まあ、結果的に「1」と「2」の設定を活かしたために、ロボコップを支援する人々の顔が希薄にならざるを得なかっただけなんだろうけど、これがすごいイマ風に感じた。

第三に、「敵」の根源、顔が最後まで見えないこと。これはロボコップ3作に共通して言えることで、出演上の都合だか何だか、その象徴であるオムニ社の会長でさえ三作目では出なくなってしまっている。
さらに、そのオムニ社も日本企業に買収されてしまっている。もっと言っちゃえば、たぶんこの時代のデトロイトはオムニ社なしではやっていけないのだろう。やつらを潰しちゃったら、市民たちの生活も成り立たなくなってしまうのだきっと(そう考えると、新都市計画のために住民を叩き出すというのは設定上やりすぎとも思えるが)。

この後、「エヴァンゲリオン」が代表的だが、「敵」の顔が不明瞭、もしくは「何が敵なのかわからない」という設定の作品が続出することになる(このテの時代感覚は、大枠日本とアメリカでそう違いはないだろう)。
おそらく、「ロボコップ3」以前にも以後にも、似たような設定はあるのだろうが、「ロボコップ3」ではオムニ社を買収した日本人・カネモトが実際にロボコップ=マーフィの前に姿を現しているという点で、「敵が可視的か/不可視的か」の境目の中間的な作品のような気がするのである。

「ロボコップの味方陣営の見事なまでのキャラの薄さ」、「敵の不鮮明さ」という点において、企業にしても警察にしても技術スタッフにしてもギャングにしても、もはや「ファミリー」としての統一感がない。
「ファミリー同士の戦い」から逸脱しているところに、今見たからかもしれないが、ものすごいイマドキ感を感じるのだ。
(05.0316)

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